Soranoha

麻雀を語る

まあじゃんをかたる

南部 修太郎

1

話はなしはだいぶ古ふるめくが、大正たいしやう十一年ねんの秋あきの或ある一夜やのことだ。三ヶ月げつほどの南北支那なんぼくしなの旅たびを終をはつて、明日あしたはいよいよ懷なつかしい故國ここくへの船路ふなぢに就つかうといふ前まへの晩ばん、それは乳色ちゝいろの夜靄よもやが町まちの燈灯ともしびをほのぼのとさせるばかりに立たち罩こめた如何いかにも異郷いきやうの秋あきらしい晩ばんだつたが、僕ぼくは消息通せうそくつうの一友いうと連つれ立たつて上海シヤンハイの町まちをさまよひ歩あるいた。先まづ四馬路スマロの菜館さいくわんで廣東料理くわんとんれうりに舌皷したつゞみを打うち、或ある外國人ぐわいこくじんのバアでリキユウルをすすり、日本料理屋にほんれうりやで藝者達げいしやたちの長崎辯ながさきべんを聞きき、更さらにフランス租界そかいの秘密ひみつな阿片窟あへんくつで阿片あへんまで吸すつてみた。

「さア、もう一ぺん四馬路スマロの散歩さんぽだ。」

と、お互たがひに微醺びくんを帶おびて變へんに彈はづみ立たつた氣分きぶんで黄包車ワンポイソオを驅かり、再ふたゝび四馬路スマロの大通おほどほりへ出でたのはもう夜よるの一時じ過すぎだつた。

言いふまでもない、四馬路スマロは東京とうきやうの銀座ぎんざだ。が、君子國くんしこく日本にほんのやうに四角かく四面めんな取締とりしまりなどもとよりあらう筈はずもなく、それは字義通じぎどほりの不夜城ふやじやうだ。人間にんげんは動うごく。燈灯ともしびは映發えいはつする。自動車じどうしやは行ゆく。黄包車ワンポオツは走はしる。そして、この東洋とうやうの幻怪げんくわいな港町みなとまちはしつとりした夜靄よもやの中なかにも更ふけ行ゆく夜よを知しらない。やがて歩あるき疲つかれてふらりとはひりこんだのが、と或ある裏通うらどほりの茶館ツアコブンだつた。

窓際まどぎはの紫檀しだんの卓たくを挾はさんで腰こしを降おろし、お互たがひに疲つかれ顏がほでぼんやり煙草たばこをふかしてゐると、女をんなが型通かたどほり瓜子クワスワと茶ツアを運はこんでくる。一人ひとりは丸顏まるがほ、一人ひとりは瓜實顏うりさねがほ、其それに口紅くちべに赤あかく、耳環みゝわの翡翠ひすゐが青あをい。支那語しなごの達者たつしやな友人いうじんは早速さつそく笑わらひ聲ごゑを交まじへながら女をんなと何なにやら話はなしはじめたが、僕ぼくは至極しごく手持てもち無沙汰ぶさたである。傍そばの窓まどをあけて上氣じやうきした顏かほを冷ひやしながら暗くらいそとを見みてゐると、一間けんばかりの路次ろじを隔へだててすぐ隣となりの家うちの同おなじ二階かいの窓まどから、鈍にぶい巷ちまたの雜音ざふおんと入いれ交まじつてチヤラチヤラチヤラチヤラと聞きき馴なれない物音ものおとが聞きこえて來きた。

「おいおい、あの音おとは何なんだい?」

暫しばらく靜しづかに聽耳きゝみゝを立たててゐた僕ぼくはさう言いつて、友人いうじんの方はうを振ふり返かへつた。いつの間まにか彼かれの膝ひざの上うへには丸顏まるがほの女をんなが牡丹ぼたんのやうな笑わらひを含ふくみながら腰こしかけてゐる。が、彼かれはすぐに僕ぼくの指ゆびさす方はうに耳みゝを傾かたむけて、

「あア、麻雀マアジヤンをやつてるんだよ。」

「麻雀マアジヤン?」

僕ぼくがさう鸚鵡返あうむがへすと同時どうじに、僕ぼくの傍そばにゐた瓜實顏うりさねがほは可憐かれんな聲こゑで、

「好的麻雀ハオデモジヤ……」

と、微笑びせうとともに呟つぶやいた。

今いまでこそ、僕ぼくもどうやら四段だんといふ段位だんゐをもらへるほどに麻雀マアジヤンにも耽ふけり親したしんでゐるが、かれこれ十年ねんも昔むかしの話はなしだ。奉天城内ほうてんじやうないのと或ある勸工場くわんこうぢやうへはひつて、或ある店先みせさきに並ならべてあつた麻雀牌マアジヤンパイの美うつくしさに眼めを惹ひかれて、

「綺麗きれいなもんですね。何なにか飾かざり物ものですか?」

と、連つれの人ひとに尋たづねかけると、

「いやア、ばくちの道具だうぐですよ。日本にほんのまア花合はなあはせですかね。」

と、幾いくらか笑わらひ交まじりに答こたへられながらも、さすがにばくち好ずきな支那人しなじんだ、恐おそろしく凝こつた、洒落しやれた物ものを使つかふなアぐらゐにほとほと感心かんしんしてゐたやうな程度ていどで、もとよりどんな風ふうに遊あそぶのかも知しらなかつたのだが、さてその窓向まどむかうから時折ときをり談笑だんせうの聲こゑに交まじつてチヤラチヤラチヤラチヤラ聞きこえてくる麻雀牌マアジヤンパイの音おと、それがまたあたりがあたりだけに如何いかにも支那風しなふうの好このましい感かんじで耳みゝに響ひゞいたものだつた。

近頃ちかごろ、東京とうきやうに於おける、或あるひは日本にほんに於おける麻雀マアジヤンの流行りうかうは凄すさまじいばかりで、麻雀倶樂部マアジヤンくらぶの開業かいげふは全まつたく雨後うごの筍たけのこの如ごとしで邊鄙へんぴな郊外かうぐわいの町まちにまで及およんでゐるやうだが、そこはどこまでも日本式にほんしきな小綺麗こぎれいさ、行儀ぎやうぎよさで、たとへば卓子テーブルの上うへにも青羅紗あをらしやとか白しろネルとかを敷しいて牌音パイおとを和やはらげるやうにしてあるのが普通ふつうだが、本場ほんばの支那人しなじんは紫檀したんの卓子テーブルの上うへでぢかに遊あそぶのが普通ふつうで、寧むしろさうして牌パイの音おとの高たかいのを喜よろこぶらしい、だからこそ、その時ときも紫檀したんの堅かたい面めんを打うち、またその上うへでひつきりなしにかち合あふ麻雀牌マアジヤンパイの音おとが窓向まどむかうながらそれほどさはやかにも聞きこえ、如何いかにも支那風しなふうの快こころよさで僕ぼくの耳みゝを樂たのしませたのに違ちがひない。

同じ麻雀マアジヤンでもそれぞれの國民性こくみんせいに從したがつて遊あそび方かたなり樂たのしみ方かたなりが自然しぜんと違ちがつてくるのは當あたり前まへの話はなしで、卓子たくしの上うへに布きれを敷しいて牌音ぱいおんを和やはらげるといふやうな工夫くふうは如何いかにも神經質しんけいしつな日本人にほんじんらしさだが、元來ぐわんらい麻雀マアジヤンとは雀すゞめの義ぎで、牌パイのかち合あふ音おとが竹籔たけやぶに啼なき囀さへづる雀すゞめの聲こゑに似にてゐるから來きたといふ語源ごげんを信しんじるとすれば、やつぱり紫檀したんの卓子テーブルでぢかに遊あそぶといふのが本格的ほんかくてきで、その音おとを樂たのしむといふのもちよつと趣おもむきがあるやうに感かんじられる。尤もつとも、支那人しなじんは麻雀マアジヤンを親したしい仲間なかまの一組ひとくみで樂たのしむといふやうに心得こゝろえてゐるらしいが、近頃ちかごろの日本にほんのやうにそれを團隊的競技だんたいてききやうぎにまで進すゝめて來きて、いつかの日本麻雀選手權大會にほんマアジヤンせんしゆけんたいくわいの時ときのやうに百組くみも百五十組くみもの人達ひとたちが一堂だうに集あつまつて技ぎを爭あらそふとなれば、紫檀したんの卓子テーブルの上うへでぢかになどといふことはそれこそ殺人的さつじんてきなものになつてしまつて、大會たいくわいごとに氣きが違ちがふ人ひとが何人なんにんとなく出來できるかも知しれない。

とまれ、十年前ねんまへの秋あきの一夜や、乳色ちゝいろの夜靄よもや立たち罩こめた上海シヤンハイのあの茶館ツアコハンの窓際まどぎはで聞きいた麻雀牌マアジヤンパイの好このましい音おとは今いまも僕ぼくの胸底きようていに懷なつかしい支那風しなふうを思おもひ出ださせずにはおかない。

2

女をんなと、ばくちと、阿片あへんと、支那人しなじんの一生しやうはその三つの享樂きやうらくの達成たつせいに捧さゝげられる――などと言いふと、近頃ちかごろの若わかい新あたらしい中華民國ちうくわみんこくの人達ひとたちから叱しかられるかも知しれないが、これは或ある點てんまで殘念ざんねんながら眞實ほんたうらしい。苦力達クウリイたちは營營えいえいと働はたらくく、女をんな――細君さいくんを買かひたいために、ばくちをしたいために、阿片あへんを吸すひたいために。また將相達しやうしやうたちはなぜあれほど主權しゆけんを爭あらそひ合あふのか? 多おほくの婢妾ひせうの肉にくに倦あきたいために、ばくちに耽ふける悠悠いういう閑日月かんにちげつを自由じいうにしたいために、豪華がうくわな廊房らうばうで阿片あへんの夢ゆめに浸ひたりたいために。で、それほどばくち好ずきな支那人しなじんが工夫くふう考案かうあんしたものだけに、麻雀マアジヤンほど魅力みりよくのある、感かんじのいい、倦あくことを知しらない遊あそびはまア世界せかいにもあるまいかと思おもはれる。近頃ちかごろ、歐米おうべいでは一時じの麻雀熱マアジヤンねつがさめてブリツヂ・ポオカアの遊あそびに歸かへつたと言いふし、日本にほんでも花合はなあはせの技法ぎはふがずつと深奧しんあう複雜ふくざつでより感興深かんきようぶかいことを説とく人ひともあるが、麻雀マアジヤンには遊あそびの魅力みりよくは魅力みりよくとして、外ほかにあの牌パイに觸ふれるといふ不可思議ふかしぎな魅力みりよくがある。あの牌音パイおとを聞きくといふ力強ちからづよい魅力みりよくがある。だからこそ、麻雀マアジヤンは少すこし遊あそびを覺おぼえると、大概たいがいの人ひとが一時じ熱病的ねつびやうてきになつてしまふ。そして、全まつたくこれほど遊あそび倦あきることを知しらない遊あそび事ごともちよつと外ほかには無なささうだ。

一代だいの覇圖はとも夢物語ゆめものがたりに奉天城外ほうてんじやうぐわいの露つゆと消きえてしまつたが、例れいの張作霖ちやうさくりんは非常ひじやうな麻雀好マアジヤンずきだつたと言いふ。何なんでも第だい二次じ奉直戰爭ほうちよくせんさうの時ときなどは自分じぶんの方はうの旗色はたいろがよかつたせゐもあつただらうが、戰線せんせんのことは部下任ぶかまかせにして置おいて、宮苑きうゑんの奧深おくふかくお氣きに入いりの嬪妾ひんせうや嬖臣達へいしんたちを相手あひてに日ひもす夜よもす麻雀マアジヤンに耽ふけり樂たのしんでゐたと言いふ。で、そこはまた拔目ぬけめのない所謂いはゆる政商せいしやうなどは莫大ばくだいもない金かねを賭かけて張ちやうと卓子たくしを圍かこむ。そして、わざと負まける。想像さうざうすれば、始終しじう青一色チンイイソオをさせたり、滿貫役まんぐわんやくをつけさせたりするのだらうが、それが自然しぜんと取とり入いりの阿堵物あとぶつになることは言いふまでもない。

「いや、何なんとも何なんとも。今日こんにちの閣下かくかの昇天しようてんの御勢おんいきほひにはわたくし共どもまるで木こつ葉ぱ微塵みぢんの有樣ありさまでございましたな。」

「ふふふふ、弱よわいなうお前等まへらは……」

定さだめてあの張作霖ちやうさくりんがそんな風ふうに相好さうかうを崩くづしてのけぞり返かへつただらうと思おもふと、その昔むかし馬賊ばぞくの荒武者あらむしやだつたといふ人ひとのよさも想像さうざうされて、無殘むざんな爆彈ばくだんに血染ちぞめられたと言いふその最後さいごが傷いたましくも感かんじられはしないだらうか?

張作霖ちやうさくりんと言いはず、如何いかに支那人しなじんが麻雀マアジヤンを好すくかといふことはいろいろ話はなしに聞きくが、驚おどろくことは彼等かれら二日かも三日かも不眠不休ふみんふきうで戰たゝかひつづけて平氣へいきだといふことだ。僕ぼく、この遊あそびを覺おぼえてから足掛あしかけ五年ねんになるが、食事しよくじの時間じかんだけは別べつとして戰たゝかひつづけたレコオドは約やく三十時間じかんといふのが最長さいちやうだ。それはたしか去年きよねんの春頃はるごろ、池谷いけのや信しん三郎らうの家うちでのことで、前日ぜんじつの晝頃ひるごろはじめて翌日よくじつの夕方過ゆふがたすぎまで八圈戰けんせんを五回くわいぐらゐ繰くり返かへしたやうに思おもふが、終をはりには頭あたま朦朧もうろうとして體からだはぐたぐたになつてしまつた。そして、二三日にちその疲つかれの拔ぬけ切きらないのに今更いまさら自分じぶんの愚おろかさを悔くいたやうな始末しまつだつたが、支那人しなじんが二日かも三日かも戰たゝかひつづけて平氣へいきだといふのは、一ひとつは確たしかに體力たいりよくのせゐに違ちがひない。が、もう一ひとつは氣質きしつの相違そうゐによるものだらう。言いひ換かへると、支那人しなじんは技法ぎはふの巧拙かうせつは別問題べつもんだいとして、可成かなり自由じいうに延のび延のびと麻雀マージヤンを遊あそび樂たのしむからではあるまいか?

僕ぼく思おもふに、いつたい僕等ぼくら日本人にほんじんの麻雀マージヤンの遊あそび方かたは神經質しんけいしつ過すぎる。或あるひは末梢的まつせうてき過すぎる。勿論もちろん技ぎを爭あらそひ、機きを捉とらへ、相手あひてを覘ねらふ勝負事しようぶごとだ。技法ぎはふの尖鋭せんえい慧敏けいびんさは如何いかほどまでも尊たふとばれていい筈はずだが、やたらに相手あひての技法ぎはふに神經しんけいを尖とがらして、惡打あくだを怒いかり罵のゝしり、不覺ふかくの過あやまちを責せめ咎とがめ、自分じぶんの好運かううん衰勢すゐせいにだらしなく感情かんじやうを動亂どうらんさせるなどは甚はなはだしばしば僕ぼくのお眼めに掛かかることだが、そして、僕ぼくと雖いへども敢あへてそれが全然無ぜんぜんないとは言いはないが、その如何いかにもあくせくした感かんじは常つねに僕ぼくをして眉まゆを顰ひそめしめる。言いひ換かへると、どうもゆとりが無ない、棘棘とげとげし過すぎる。だから、長ながい戰たゝかひに堪たへ得えず、結局けつきよく心身共しんしんともにくたくたに疲つかれ切きつてしまふのだらうが、思おもふに、支那人しなじんの麻雀戲マージヤンぎには彼等かれらの風格ふうかくに存そんするやうな悠悠味いういうみがどこかにあるのではなからうか?

3

一時じ、これは麻雀界マージヤンかいの論議ろんぎの的まとになつたことだが、麻雀マージヤンが技ぎの遊あそびといふより以上いじやうに運うんの遊あそびであることは爭あらそへない。實際じつさい、運うんのつかない時ときと來きたらこれほど憂欝いううつな遊あそびはないし、逆ぎやくに運うんの波なみに乘のつて天衣無縫てんいむほうに牌パイの扱あつかへる時ときほど麻雀マージヤンに快こゝろよい陶醉たうすゐを感かんじる時ときはない。自然しぜん、そこが麻雀マージヤンの長所ちやうしよでもあり短所たんしよでもあつて、どつちかと言いへば玄人筋くろうとすぢのガンブラアには輕蔑けいべつされる勝負事しようぶごとのやうに思おもはれる。けれど、實際じつさいはそれこそ麻雀マージヤンが人達ひとたちを魅惑みわくする面白おもしろさなので、誰だれしも少すこしそれに親したしんでくるといつとなくその日ひその時ときの縁起えんぎまで擔かつぐやうになるのも愉快ゆくわいである。そして、その點てんでとりわけ物事ものごとに縁起えんぎを擔かつぐ支那人しなじんが如何いかに苦心くしん焦慮せうりよするかはいろいろ語かたられてゐることだが、全まつたく外ほかのことでは如何いかなる擔かつぎ屋やでもない僕ぼくが麻雀マージヤンの日ひとなると、その日ひの新聞しんぶんに出でてゐる運勢うんせいが變へんに氣きになる。で、たとへば「思おもはぬ大利たいりあり」とか「物事ものごとに蹉跌さてつあり、西方せいはう凶きやう」などといふ、考かんがへれば馬鹿ばからしい暗示あんじが卓子テーブルを圍かこむ氣持きもちを變へんに動うごかすこと我われながらをかしいくらゐだ。

滑稽こつけいなのは、日本にほんの麻雀道マージヤンだうのメツカの稱しようある鎌倉かまくらでは誰だれでも奧おくさんが懷姙くわいにんすると、その檀那樣だんなさまがきつと大當おほあたりをすると言いふ。所ところが、何なんでも久米正雄夫人くめまさをふじん自身じしんの懷姙中くわいにんちうの運勢うんせいの素晴すばらしかつたことは今いまでも鎌倉猛者連かまくらもされんの語かたり草ぐさになつてゐるくらゐださうだが、懷ふところに入はいつてふとるといふ八卦はつけでもあらうか? 少少せうせううがち過すぎてゐて、良人りやうじん久米正雄くめまさをならずとも、思おもはず微苦笑びくせうせずにはゐられない。いつたい誰だれでも運勢うんせいが傾かたむいてくると、自然しぜんとじたばたし出だすのは人情にんじやうの然しからしむる所ところだが、五段だん里見弴さとみとんは紙入かみいれからお守札まもりふだを並ならべ出だす、四段だん古川緑波ふるかはりよくははシガアレツト・ライタアで切きり火びをする。三段だん池谷いけのや信しん三郎らうは骰子サイツを頭上づじやうにかざして禮拜らいはいする。僕ぼくなど麻雀マージヤンはしばしば細君さいくんと口喧嘩くちけんくわの種子たねになるが、これが臨戰前りんせんまへだときつと八卦けが惡わるい。

「今日けふは奇數番號きすうばんがうの自動車じどうしやには絶對ぜつたいに乘のらないぞ。」

「向むかうに着つくまで猫ねこを見みなけりや勝かちだ。」

などと年甲斐としがひもなく男をとこ一匹ぴきがそんな下くだらないことを考かんがへたりするのも、麻雀マアジヤンに苦勞くらうした人間にんげんでなければ分わからない味あぢかも知しれない。

4

「知しらない支那人しなじんと麻雀マアジヤンを遊あそぶのはよつぽど注意ちゆういしなければいけない。」

とは或ある向むかうの消息通せうそくつうが僕ぼくに聞きかせた詞ことばだが、ばくち好ずきで、またばくちの天才てんさいの支那人しなじんだけに麻雀道マアジヤンだうに於おいても中なかには恐おそろしい詐欺さぎ、いんちきを企くはだてるものが可成かなりあるらしい。そして、その仕方しかたもいろいろ聞きかされたが、僕ぼくが如何いかにも支那人式しなじんしきだなと一番ばん感心かんしんし、且かつ恐おそるべしと思おもつたのは、百三十六個こもある麻雀牌マアジヤンパイの背中せなかの竹たけの木目もくめをすつかり暗記あんきしてしまふといふいんちき師しのことだ。而しかも、その暗記あんきの仕方しかたといふのが、先まづ日光につくわうの中なかで、次つぎは曇くもり日び、次つぎは夕方ゆふがた、次つぎは電燈でんとう、結局けつきよく最後さいごに蝋燭らふそくの光ひかりの中なかでといふ風ふうに明暗めいあんの順序じゆんじよを追おつて眼めを慣ならしながら研究けんきう暗記あんきし、乏とぼしい明あかるさの中なかでもこの木目もくめはこの牌パイとすぐ分わかるやうに努力どりよくするのだと言いふ。言いはば勝かちたいといふためのその執拗しつえうな努力どりよく、勿論もちろん外ほかの牌パイを使つかふことにでもなれば何なんの役やくに立たたう筈はずもないのに、そんな骨折ほねをりをするといふ根氣こんきよさ、陰澁いんじふさ、それが外ほかならぬ麻雀牌マアジヤンパイのあの木目もくめに對たいしてといふだけに全まつたく驚おどろかずにはゐられない。

が、然しかし、それもこれもつまりは勝負事しようぶごとに勝かちたいといふ慾よくと、誇ほこりと、或あるひは見得みえとからくるのかと思おもふと、人間にんげんの卑いやしさ淺あさましさも少々せう〱どんづまりの感かんじだが、支那人しなじんの麻雀マアジヤンばかりとは言いはず、日本人にほんじんのあの花合はなあはせにさへ實じつに多岐多樣たきたやうな詐欺さぎ、いんちきの仕方しかたがあるといふのだから、勝負事しようぶごとといふものが存在そんざいする限かぎり止やむを得えないことかも知しれない。一時じ麻雀競技會マアジヤンきやうぎくわいの常勝者じやうしようしやとしてその技法ぎはふをたゞ驚歎きやうたんされてゐた某それがしが、支那人式しなじんしきの仕方しかたからすれば至極しごく幼稚えうちな不正ふせいを行おこなつてゐたことが分わかるし、結局けつきよく麻雀界マアジヤンかいから抹殺まつさつされるに到いたつたなどは甚はなはだ殷鑑ゐんかん遠とほからざるものとして、その心根こゝろねの哀あはれさ、僕ぼくは敢あへて憎にくむ氣きにさへならない。同おなじ不正ふせいを企くわだてるのならば、百三十六個この麻雀牌マアジヤンパイの背中せなかの竹たけの木目もくめを暗記あんきするなどは、その努力感どりよくかんだけでも僕ぼくには寧むしろ氣持きもちがいい。

5

日本にほんの麻雀マアジヤンも近頃ちかごろは少々せう〱猫ねこも杓子しやくしもの感かんじになつてしまつたが、僅わづか四五年ねんほどの間あひだにこれほど隆盛りうせいを見みた勝負事しようぶごとはあるまいし、またこれほど組織立そしきだつて麻雀マアジヤンを社會化しやくわいくわしたのも日本にほんだけではあるまいか? 圍碁ゐごや將棊しやうぎや花合はなあはせの傳統でんとうは長ながい。撞球どうきうにしてもそれが今いまほど一般的ぱんてきになるまでには二三十年ねんはかかつてゐる。戸外こぐわいスポオツにしても、野球やきうは勿論もちろんだが、近頃ちかごろそれと人氣にんきを角逐かくちくしかけて來きた蹴球しうきうにしてもその今日こんにちを見みるまでには慶應義塾蹴球部けいおうぎじゆくしうきうぶの隱かくれたる長ながい努力どりよくがあつた。が、麻雀マアジヤンは忽たちまちにして日本にほんの社會しやくわいに飛躍ひやくした。これは一面めんは明あきらかに麻雀戲マアジヤンぎそのものの魅力みりよくからだ。そして、一面めんは空閑緑くがみどり以下いかの識者しきしやの盡力じんりよくからに違ちがひない。

僕ぼくの知しる限かぎりでは、日本にほんの麻雀マアジヤンの發祥地はつしやうちは例れいの大震災後だいしんさいごに松山まつやま省しやう三が銀座裏ぎんざうらから移うつつて一時じ牛込うしごめの神樂坂上かぐらざかうへに經營けいえいしてゐたカフエ・プランタンがそれらしい。勿論もちろん、個個ここに遊あそび樂たのしんでゐた人達ひとたちは外ほかにもあつたらうが、少すくなくとも麻雀戲マアジヤンぎの名なを世間的せけんてきに知しらせたのはどうもあすこだつたやうに思おもはれる。その意味いみで、狹せまい路次ろじの奧おくにあつた、木造もくざうの、あのささやかな洋館やうくわんは日本麻雀道にほんマアジヤンだうのためには記念保存物きねんほぞんぶつたる價値かちを持もつてゐるかも知しれない。

「どうも今いま考かんがへると、をかしなことをやつてゐたもんだよ。」

と、佐佐木茂索ささきもさくは或ある時とき僕ぼくに彼かれらしい靜しづかな笑わらひを洩もらしながら語かたるのだつた。

何なんでも市川猿之助いちかはゑんのすけと平岡ひらをか權ごん八郎らうが洋行歸やうかうがへりに上海シヤンハイで麻雀牌マアジヤンパイを買かひうろ覺おぼえにその技法ぎはうを傳つたへたのださうだが、集あつまるものは外ほかに松山まつやま省しやう三、佐佐木茂索ささきもさく、廣津和郎ひろつかずを、片岡鐵兵かたをかてつへい、松井潤子まつゐじゆんこ、後のちに林茂光りんもくわう、川崎備寛かはさきびくわん、長尾克ながをこくなどの面面めんめんで、一筒とう二筒とうを一丸まる二丸まる、一索さう二索さうを一竹たけ二竹たけといふ風ふうに呼よび、三元牌サンウエンパイを碰ポンされたあと殘のこりの一枚まいを捨すてると、それが槓カンになり、その所有者しよいうしやに嶺上開花リンシヤンカイホオの機會きくわいを與あたへるので捨すてられなくなるといふ風ふうな妙めうなルウルもあり、何なにしろ近頃ちかごろのやうに明確めいかくな標準規約へうじゆんきやくもなく、第だい一傳つたへる人ひとがうろ覺おぼえの怪あやしい指導振しだうぶりなのだから、ずゐぶんをかしな戰たゝかひを交まじへてゐたものらしい。

「林茂光りんもくわうがくるやうになつてから、だいぶすべてが調とゝのつて來きたが、僕ぼくはその時分じぶんから大概たいがい負まけなかつたよ。」

と、これも佐佐木茂索ささきもさくの自慢話じまんばなしだ。

その頃ころ、それが賭博とばくとの疑うたがひを受うけて、或ある晩ばん一同どうがその筋すぢから取とり調しらべを受うけるやうな事件じけんが持もち上あがつたが、取とり調しらべる側がはがその技法ぎはふを知しらないので誰だれかが滔滔たうたうと講釋かうしやくをはじめ、係官かゝりくわんを烟けむりに卷まいたといふ一插話さふわもある。勿論もちろん、何なんの事こともなく疑うたがひだけで濟すんだのだが、一夜やを思おもはぬ所ところで明あかしてしまつた誰彼たれかれ、あまり寢覺ねざめがよかつた筈はずも無ないが、何なんでも物事ものごとの先驅者せんくしやの受難じゆなんの一卷ひとまきとすれば、近頃ちかごろの仕合しあはせな新あたらしい麻雀マアジヤン好きの面面めんめんはすべからくそれ等らの諸賢しよけんに敬意けいいを捧さゝげて然しかるべきかも知しれない。

6

日本にほんの文藝的作品ぶんげいてきさくひんに麻雀マアジヤンのことが書かかれたのは恐おそらく夏目漱石なつめさうせきの「滿韓まんかんところどころ」の一節せつが初はじめてかも知しれない。無論むろん、讀書人どくしよじん夏目漱石なつめさうせきは勝負事しようぶごとには感興かんきようを持もつてゐなかつたのであらうが、それは麻雀競技マアジヤンきやうぎの甚はなはだ漠然ばくぜんとした、斷片的だんぺんてきな印象いんしようを數行すうぎやう綴つゞつたのに過すぎない。が、近代日本きんだいにほんのこの優すぐれた文人ぶんじんの筆ふでに初はじめて麻雀マアジヤンのことが書かかれたといふのは不思議ふしぎな因縁いんねんとも言いふべきで、カフエ・プランタンで初はじめて麻雀マアジヤンを遊あそんだ人達ひとたちに文人ぶんじん、畫家ぐわかが多おほかつたといふのと相俟あひまつて、麻雀マアジヤンと文藝ぶんげいとの間あひだには何なにか一種しゆのつながりがあるやうな氣持きもちさへする。それにさすがは文學ぶんがくの國くに支那しなの遊あそびで、役やくの名なに清一色チンイイソオとか、國士無雙コオシフウサンとか、海底撈月ハイチイラオイエとか、嶺上開花リンシヤンカイホウとか、四喜臨門スウシイリンメンとかいふやうな如何いかにも詩味しみのある字句じくを使つかつてあるのも面白おもしろい。恐おそらくこれ等らの字じに就ついての感かんじが分わかるといふだけでも僕等ぼくら日本人にほんじんは歐米人達おうべいじんたちよりもずつとずつと麻雀マアジヤンを味あぢはひ樂たのしみ方かたが深ふかいだらうと想像さうざうされる。

さて初はじめに書かいたやうに初はじめて麻雀牌マアジヤンパイを見みて、その牌音パイおとを聞きいたといふだけなら、僕ぼくは近頃ちかごろの麻雀隆盛マアジヤンりうせいにいさゝか先駈さきがけするものだつたが、初はじめて牌パイを手てに入いれたのは大正たいしやう十四年ねんの秋あきで、それから誰たれに教をそはるともなく次第しだいに習ならひ覺おぼえて、去年きよねんあたりちよつとその熱病期ねつびやうきだつたとも言いへる。そして、近頃ちかごろはだいぶ技法ぎはふにも自信じしんを得えて來きたが、運うんに左右さいうされてしまふ或ある境地きやうちだけはどうにも仕方しかたがなく、時ときにあまりに衰運すゐうんに沈湎ちんめんさせられると、ちよつと麻雀マアジヤンにも嫌厭げんえんたるものを感かんじる。けれど、二三日にちもたつともうそろそろむづむづしてくるのだから、この熱病ねつびやう生易なまやさしいことではなかなか全快ぜんくわいしさうにもない。

相手方あひてかたも勿論もちろん仲間内なかまうちに多おほく、始終しじう顏かほを合あはせるのが六段だん佐佐木茂索ささきもさく、三段だん和木わぎ清せい三郎らう、三段だん池谷いけのや信しん三郎らうなどで、時ときに六段だん菊池寛きくちくわん、五段だん廣津和郎ひろつかづを、七段だん川崎備寛かはさきびくわん、六段だん濱尾はまを四郎らう、四段だん古川緑波ふるかはりよくは、五段だん菅忠雄すがたゞをなどといふ所ところ、そして、そんな風ふうに書かき並ならべてみると、素晴すばらしい名人試合めいじんしあひばかりやつてゐるやうだが、時ときに手てに汗あせを握にぎるやうな亂牌振らんパイぶりも見みられゝば、颯爽さつさうたる一人拂ひとりばらひ、思おもはず頤おとがひを解とくやうな沖和チユンホオもある。それに大概たいがい腕うでよりもより以上いじやうに口くちの達者たつしやな面面めんめんが多おほいのだからその騷々さう〲しさも以もつて察さつすべきである。そして、たとへば、たとへばと諸賢しよけんのの麻雀振マアジヤンぶりも紹介せうかいする積つもりだつたが、ちやうど許ゆるされた枚數まいすうにも達たつしたし、あとの祟たたりも恐おそろしいので。(昭せう五・三・三)

底本 / Source edition

底本:「改造」改造社
1930(昭和5)年4月1日発行
初出:「改造」改造社
1930(昭和5)年4月1日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※「黄包車」(ワンポイソオ/ワンポオツ)、「卓子」(テーブル/たくし)、「茶館」(ツアコブン/ツアコハン)、「麻雀」(マアジヤン/マージヤン)など、一部のルビに異なった表記がみられますが、底本通りに入力しました。
※「茶館」のルビ「ツアコブン」の「ブ」は印刷の具合が判然とせず、「フ」もしくは「プ」にもみえます。
入力:小林徹
校正:鈴木厚司
2008年1月26日作成
2010年11月9日修正
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TEI
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プレーンテキスト / Plain text
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書誌 / Bibliography
/works/043676_000048/

南部 修太郎「麻雀を語る」(旧字旧仮名)、底本『改造』改造社、1930年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 043676_000048, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

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