Soranoha

赤格子九郎右衛門

あかごうしくろうえもん

国枝 史郎

一

江川太郎左衛門、名は英竜、号は坦庵、字は九淵世々韮山の代官であって、高島秋帆の門に入り火術の蘊奥を極わめた英傑、和漢洋の学に秀で、多くの門弟を取り立てたが、中に二人の弟子が有って出藍の誉を謳われた。即ち、一人は川路聖謨、もう一人は佐久間象山であった。象山の弟子に吉田松陰があり、松陰の弟子には伊藤、井上、所謂維新の元勲がある。

所で江川太郎左衛門には一人の異色ある弟子があった。それは金限かねもちの御家人の伜で、宮河雪次郎と宣なのる男で後年号を雪斎と云った。この雪次郎は面白いことには、江川塾へ這入ったものの、別に砲術を究めるでもなく、又蘭学を学ぶでもなく、のらりくらりとしていたが、俄然一書を著わした。即ち、「緑林黒白」である。

この「緑林黒白」こそは、日本、支那、朝鮮に輩出した巨盗大賊の伝記であって、行文の妙、考証の厳、新説百出、規模雄大、奇々怪々たる珍書であったが、惜しい事には維新の際、殆ど失われたということである。つまり兵燹へいせんに焼かれたのである。

然るに夫それを、偶然のことから、私は完全に手に入れた。何んという好運であったろう。そこで私は夫れを材料たねとして、是迄幾個いくつかの物語を諸種の雑誌へ発表したが、今回は赤格子九郎右衛門に就き、「緑林黒白」に憑拠して考察を加えて見ようかと思う。

先ず第一に云って置き度い事は、私の物語に現れて来る、快男子赤格子九郎右衛門なる者は、従来の芝居や稗史小説で、嘘八百を語り伝えられて来たその人物とはあらゆる点に於て、大いに相違があるという事である。その最も著しい点は、彼の現れた時代である。彼は小説で云われているような享保年間の人物では無く実に豊臣の晩年から徳川時代の初期にかけて、内外に勇名を轟かせた所の、堂々たる一個の武人なのである。

而そして又「緑林黒白」によれば、彼九郎右衛門は賊では無くて、誠に熟練した忍術家であり、豊臣秀吉に重用された所の、細作、即ち隠密だそうである。

彼は度々秀吉の命で、西国外様の大名や関東徳川家などの内幕を、得意の忍術を応用して、深く探ったとも云われている。

ところで彼を秀吉へ誰が推薦したかというと、千利休だということである。夫れに関しては次のような極わめて面白い物語がある。

博多の豪商、神谷宗湛に、先祖より家宝として伝え来った楢柴という茶入があった。最初にそれを所望したのは豊後の大友宗麟であったが宗湛はニベも無く断わった。次に秋月種実が強迫的に得ようとしたが呂宋るそん、暹羅しゃむ、明国を股にかけ、地獄をも天国をも恐れようとはしない海上王たる宗湛に執っては、強迫が強迫に成らなかった。で、ニベも無く断わった。最後に夫れを望んだは他ならぬ豊臣秀吉であった。然るに宗湛は夫れをさえ、情すげなく断わって了ったのである。

併し、名に負う天下人が、一旦所望したからは、いかに宗湛が強情でも遂には命に従わなければならない。斯うして遂々其茶入は、秀吉の有に帰したのである。

楢柴を得た秀吉は、勿論非常に喜んだが、そういう名器であって見れば、迂濶に左右に置くことも出来ぬ。で、利休へ預けたのである。

常時「常時」はママ利休は茶博士として生きながら居士号を許された名家、且は秀吉の師匠ではあり、城内に屋敷を賜わって並び無き権勢を揮っていたが、名器楢柴を預かって以来、度々怪異に襲われるようになった。

或夜、利休は供も連れず静かに庭を彷徨っていた。さびと豪奢とを一つに蒐め、彼自ら手を下して造り上げたところの庭であるから、一本の木にも一坐の山にも悉く神経が通っている。

彼は亭ちんの前まで来た、其横手に石燈籠が幽かすかに一基燈っている。

「はて」と不思議そうに呟き乍ら、彼は其前に彳たたずんだ。どう考えても其辺に石燈籠があるわけが無い。其処には燈籠は置かなかった筈だ。そこに燈籠のあるということは、彼の流儀に反している。

で彼は小首を傾げながら、何時迄も其前に立っていた。

すると、あやしくも、燈籠の火が、次第々々に明るくなり、空に太陽でも出たかのように庭一面輝き渡ったが、次の瞬間には忽然と消えて、今迄在った燈籠さえ何処へ行ったものか影も無い。

利休は思わず嘆息した。

「此利休の芸術には、乗ぜられる隙があると見える。風雅で固めた庭の上を、狐狸の類に荒らされるとは、さてさて不覚の沙汰ではある」

併しかし不覚は是ばかりで無く、もっと致命的の大不覚が、彼の身辺に起って来た。

夫は六月の十日という夏の最中のことであったが、夜更けて彼は只一人、いつもの寝間に眠っていた。

轡くつわの音に眼を醒ます。これは武士の嗜である。彼は茶筌の音を聞いて、ふと真夜中に眼を醒ました。衾の上に起き上り、じっと其音へ耳を済ます。と、其音は思いもよらず隣の室から聞えて来る。

彼は思わず衾を刎はねた。そしてスルリと立ち上がった。足音を盗んで襖へ寄り、細目に開けて隙かして見た。

髪を若衆髷に取上げた躯幹からだの小造りの少年武士が彼の方へ横顔を見せ、部屋の真中に端然と坐わり、巧みな手並で茶を立てている。見覚えの無い武士である。

利休は武士の手元を見た。と彼は「あっ」と声を上げた。関白殿下より預けられた楢柴の茶碗で悠々と武士が茶を立てているからであった。

「曲者!」と利休は声を立てた。しかし其声は口の中で消え四辺あたりは寂然しんと静かである。彼は襖を引き開けた。それは開けたと思ったばかりで、依然として襖は閉ざされている。不動の金縛りにでも逢ったように、動くことも声を立てることも出来なかった。

其間に武士は悠々と忙せかず周章あわてず茶を立て終えて、心静かに飲み下した。作法に従って清め拭うや、徐おもむろに茶碗を箱に納め、ふと利休の方へ顔を向けたが滴たるような笑い方をし、それからすらりと立ち上がり、二三歩足を進んだかと思うと、朦朧と姿は消えたのである。

二

その翌日のことであるが、利休は秀吉に謁を乞うた。二度の不思議を物語ってから、斯う云って彼は付け加えた。

「最初は狐狸かとも存じましたなれど、殿下お手付けの名器を恐れず、悠然茶を立てた振舞いは、大胆過ぎて正しく人間、恐らく無双の忍術家と、目星をつけましてござりますが……」

「解った」と秀吉は性急に云った。「草を分けても探がし出し、引捕らえて罰せずばなるまいぞ!」

「あいや暫らく」と夫れを聞くと、利休は急いで手を揮った。「ちと浅慮かと存ぜられまする」

「なに、浅慮じゃ? この秀吉を!」

「過言はお許し下さいますよう。名に負う左様な不敵の人間、まして術者とござりますれば、不礼を咎めて罪するよりも、恩を掛けてお味方に付け……」

「何かの役に立てろと云うか?」

「仰せの通りにござりまする」

「利休、今日より茶を止めい!」

「え?」と驚いて眼を見張る。

すると秀吉はカラカラと笑い、

「何も驚くことは無いわ。器量ある男と云った迄じゃ。茶を止めて采配を握ったなら、如水ぐらいには成れようも知れぬ。よいよい其方の言葉に従い、其奴捕えて幕下として細作なんどに使うとしょうぞ」

斯うして翌日から諸方に向かって不敵の術者捜索の為めの多勢の人数が配られた。そして其結果見付け出されたものこそ、この物語の主人公、赤格子と後年字名を呼ばれた梶原九郎右衛門教之であった。

此時、九郎右衛門は十五歳、産れは九州天草島、郡領房雪の末子であった。

豊公歿後、仕を辞し、徳川氏の代になってからは、彼は陸上に望を断ち、海に向かって発展した。即ち博多の大富豪島井宗室の大参謀となり、朝鮮、呂宋、暹羅、安南に、御朱印船の長として、貿易事業を進めたのである。

彼は復また居合の名人であった。それに就いて一つの逸話がある。

「一人の老いた侍が静かに歩いて居りました、深編笠で顔を隠し其上俯向いて居りますので顔は少しも解りませんが強健な姿から推察ると偉貌の持主に相違ありません。黒紋附に細身の大小、緞子どんすの袴を穿いた様子は何どうして中々立派なものです。千石以上の旗本の先ず御隠居という所です。が夫れにしてはお供が無い。

慶安四年の卯月の陽がカンカン当たっている真昼の事で自由に身動きが出来ないほど浅草奥山の盛場は人で立て込んで居りました。其侍は忙かず急がず其中を歩いて行くのでした。

其時行手から人波を分けて侍が三人遣って参りましたが打見た所御家人か小禄の旗本と云ったようながさつな人品でございます。やがて人波に揉まれながら双方の侍は行き違いましたが、どうしたものか不図其時、編笠を冠った其侍がその編笠へ左手ゆんでを掛けヒョイと空の方へ向きました。と、其空に物化でもいて彼に逼るのを払うかのように左手をバラバラと振ったものです。そして殆ど夫それと同時に右手めてが突然胸元まで上がり、何かピカリと閃めいたかと思うと一刹那掛声が掛かりました。

「えい」でも無ければ「ヤッ」でも無い。それは、「カーッ」という掛声です。

その掛声の鋭いことは、歩いていた人達が立ち止まった程です。一体「か」という此音は喉的破裂の音と云って舌の後部を軟口蓋に接し一気に破裂させる鋭い音ですが不思議のことには剣道の方では殆ど此音を用いません。いずれ理由はあるのでしょう。

ところが雑踏の浅草境内の加之しかも真昼間往来中でこの掛声が掛かったのです。そうして何んと不思議な事には、いまし方迄歩いていた編笠を冠った其侍の姿が、見えなくなったではありませんか。つまり掛声が掛かると一緒に姿が見えなくなったのです。そうして胆の潰れることには朱に染まった三人の武士が斃れているではありませんか。三人ながら只一刀に脳天を割られているのでした。

この白昼の兇変は瞬間に江戸中に伝わりまして大変な評判になりました。その侍こそ怪いというので南北町奉行配下の与力や、同心岡引目明まで、揃って心を一つにして其詮策に取り掛かかりましたが一向手掛かりもありません。

旗本や御家人や勤番侍などへ夫れと無く探り入れても見ましたが、香ばしいこともありません。かいくれ目星が付かない中にどんどん日数が経って行って一月余りも経ちました。其の時、全然同じ一手段で夫れも立派な旗本が一人、芝の御霊屋おたまやの華表とりい側で切り仆されたではありませんか。

そうして矢張り切手の侍は何処へ行ったものか姿は見えず、「カーッ」と掛けた掛声ばかりが、往来の人の耳の底に残って居るばかりでありました。

江戸の治安を司る町奉行の驚きは何どんなだったでしょう。以前にも優して厳重に兇徒の行方を探がされたことは云う迄も無いことで厶ございます。併し依然として行方が知れぬ。そして遂々永久に行方が知れなかったので厶ます。とは云え世人の噂に依れば、これこそ赤格子九郎右衛門が、怨みある敵を討ち果たしたので、その神速の行動は即ち忍術の奥儀でありその精妙の剣の業は即ち居合の秘術であると。

噂は事実でございました。九郎右衛門の死後その手記に、その事実が記されてあったそうです。」

三

以上は「緑林黒白」中の、逸話の一節を書換たものであるが此時は既に九郎右衛門は七十一歳になっていたそうで、其の老体を持ちながらそれ程の働きの出来た所を見ると、確かに居合は名人であったらしい。

偖さて、それほどの剣技を持ち、加之しかも忍術の達人たる彼九郎右衛門は其壮年時代を――特に海上雄飛時代を、どんな有様で暮らしたろう? それこそ洵まことに聞物である。そして夫れこそこの私が語り度いと思う題目なのである。

元和元年八月二十四日に――信長、秀吉の殊寵を受け、わけても関白秀吉の為めには、朝鮮征伐の地勢調査として自ら韓人に変装し、慶尚、京畿、平壌などを、詳つまびらかに探って復命したほどの、大貿易商であり武人である所の――島井宗室は病歿した。享年七十七であった。

遺命を受けた九郎右衛門が、宗室の次子を家督に据え、二代目宗室の命に依って、南洋の呂宋へ旅立ったのは、其翌年の三月であった。

此時、九郎右衛門は、三十歳、膏の乗った盛りである。蜀紅錦の陣羽織に黄金造りの太刀を佩き、手には軍扇、足には野袴、頭髪かみは総髪の大髻、武者草鞋わらじをしっかと踏み締めて、船首に立った其姿! 今から追想おもっても凛々しいでは無いか。

所謂今日の澎湖諸島の、漁翁島まで来た時には七月も中旬になっていた。

船中へ真水を汲み入れるため船は数日馬公の港へ碇泊しなければならなかった。毎年の事なので島の土人とも以前から了解はなしあいが出来ていて、襲撃される心配はない。

明日はいよいよ出帆という、その前夜の事であったが、九郎右衛門はただ一人、島の渚を彷徨っていた。

折柄満月が空に懸かり、淼々びょうびょうたる海上は波平らかに、銀色をなして拡がっている。塁々と渚に群立っている巨大な無数の岩の上にも、月の光は滴って薄白い色におぼめいている。ギャーッと、一声月を掠めて、岩から海の方へ翔けて行ったのは、余りに明るい月の光に暁と間違えて眼を覚ました鴻鳥ででもあったろう。彼は静かに足を運び岩の一つへ上って行った。海から微風が吹いて来て、鬢の後れ毛を飜えし、身内の汗を拭ってくれる。

と、彼は急に足を止めた。

悲しげな少年の泣声が、何処か手近の岩蔭から細々と聞えて来たからである。彼は少なからず驚いて、声の来る方へ耳を傾け、暫くじっと聞き済ましたが、軈やがて小走りに走り出した。屏風のように突立っている平の岩をグルリと廻わると忽然と広い空地へ出た。そして其空地の中央に、十四五歳の少年が、縄で手足を厳重に縛られ、地面に転がされているのではないか。

月光に照らされた少年の端麗優美の容貌が、先ず九郎右衛門の心を曳いた。その次に彼を驚かせたのは、少年の着ている衣裳であった。その衣裳には柬埔寨かんぼじや国の王室の紋章が散らしてある。

曾て、九郎右衛門は柬埔寨へも、一二度往復したことがあって、可成り国語にも通じていた。

で彼は少年へ話しかけた。

その結果彼の知ったことは、その少年こそ柬埔寨国の皇太子であるということや、其柬埔寨国に恐ろしい革命が起こったということや、その結果王と王妃とが憐れにも牢獄へ投ぜられ、皇太子のカンボ・コマだけが、謀叛人の一味に捉えられ、此澎湖島の岩の間へ捨て去られたということや――要するに彼と交渉のある柬埔寨の国家の兇変を、皇太子の口から知ったのであった。

義侠に富んだ九郎右衛門が、その皇子の話を聞いて如何に義憤の血を湧かせたか、如何に皇子に同情したか、それは書き記すにも及ぶまい。

「よろしゅうござる!」と、九郎右衛門は重々しい声で先ず云った。

「日本ひのもとの男子九郎右衛門が、計らず殿下にお眼にかかり、お国の大事を聞いたというも、何かのご縁でござりましょう。及ばずながらお力になり、王様、王妃様を救い出し、無事にご対面出来ますようお取計い致しましょう。手近の浜辺に某それがしの率る大船碇泊ふながかりして居りますれば、まず夫れへご遷座なされますよう」

斯うして九郎右衛門は皇子を背負い、自分の船まで帰って来た。そして船中主立おもだった者を、窃に五人だけ呼び寄せて、其夜の出来事を物語った。

それから九郎右衛門は斯う云った。

「何より先に呂宋まで急いで船をやらずばなるまい。そこで積んで来た荷を卸し改めて柬埔寨へ渡るとしょうぞ」

「心得申した」と五人の者は、恭く一度に頭を下げた。彼等に執っては九郎右衛門は、無限の権力を持った君主なのである。

その翌日からコマ皇子は、日本の衣裳を着せられて日本流に駒太郎と呼ばれるようになった。そうして船も其日から有るだけの帆を一杯に張って、南へ南へと下だり出した。麗かな日和がよく続いて、海上は何時も穏かである。程経て船は呂宋へ着いたが、呂宋には島井家の支店でみせがある。そこで荷物を積み代えると船は海上を日本へ向けて、急いで取って返えしたのであった。併し此時、積荷と一緒に多量の煙硝や弾丸や、刀槍の類を窃こっそりと、船内へ運搬された事は、支店の人さえ気が付かなかった。まして勿論その船が途中から航路を西南に執り、日本と正反対の方角へ、進んで行ったというような事は、考えて見ることさえしなかった。

しかし御朱印船宗室丸は、コマ皇子の駒太郎や、頭領赤格子九郎右衛門や、五十余名の水夫ふなのりを載せて、船脚軽く堂々と柬埔寨国へ進んだのであった。

そうして、それ以来、宗室丸は、暫く人々の耳目から其踪跡を晦ませたのであった。

四

斯うして一月は経過した。

そして物語は舞台を変えた柬埔寨国へ移ったのである。

暹羅の南、交趾支那の北、これぞ王国柬埔寨の位置で、メコン河の下流、トッテサップ湖の砂洲に、首都プノンペン市は出来ていた。町の東北に片寄って、巍然として聳える高楼こそ、アラカン王の宮殿であるが、今は叛将イルマ将軍に依って、占領されているのであった。

それは月の無い深夜である。

厳めしい宮殿の裏門には、槍を握った叛軍の衛兵が、五人列んで佇んでいたが、不意に一斉に声を上げた。

「誰じゃ?」と鋭く叫んだものである。すると、其声の終えない中に、闇の中から人影が、ヒラリと前へ飛び出して来たが「カーッ」と劇はげしく一喝した。それと一緒に閃々と電光いなずまのようなものが閃めいた。と、手に槍を握ったまま、五人の兵は五人ながら、地にバタバタと切仆された。

「いざ、駒太郎殿、おいでなされい」

すると音も無く闇の中から復人影が現れたが、九郎右衛門殿と囁いた。

二人は其儘スルスルと宮殿の中へ這入って行った。

赤格子九郎右衛門教之は、衛兵数人を切り仆し、カンボ・コマ皇子事駒太郎を連れて、柬埔寨国の王宮の中へ、門を排して突入った。

その時の事を「緑林黒白」には次のような文章で書き記してある。

「門ヲ入レバ内庭ニシテ、四辺闃寂人影無シ、中央ニ大池アリ。奇巌怪石岸ニ聳チ、一切前景ヲ遮ルアリ、両人即チ池ヲ巡リ、更ニ森林ノ奥ニ迷フ。忽然茂ヨリ走リ出デ九郎右衛門ニ向カッテ跳躍スルモノアリ。一個獰猛ノ大豹ニシテ、白刄一閃大地ニ横仆ワル。林ヲ出デ、奥庭ニ入リ、廻廊ヲ巡リ巨塔ノ前ニ現ル。衛兵三人、槍ヲ擬シ誰何ス。二人ヲ斃シ、一人ヲ捉ヘ、威嚇シテ以テ東道トナス。巨塔ハ即チ牢舎ニシテ、地下数丈階段ヲ下レバ、岩モテ畳メル密室アリ、王及ビ王妃ヲ幽閉セル処……」云々と。

斯うして皇子と九郎右衛門とは、地底の牢獄まで辿り着いたのであった。其処には誰も居なかった。王の持っていたらしい王笏と、穿いていたらしい靴が一足、傷ましい悲劇を語り顔に、床の上に捨ててあるばかりで、王も王妃も居ないのである。

「弑虐か、それとも救い出されたか?」

要するに此二つであった。

併し恐らく弑せられたのであろう。九郎右衛門とコマ皇子とは茫然と顔を見合わせて、立ち縮まざるを得なかった。

しかし左様やって何時までも立ち縮んでいることは出来なかった。敵の領内であるからである。

二人は急いで塔を出た。

気付いて囲繞んだ叛軍の群を、例の精妙の「か音の一手」で、縦横無尽に切り払い、一散に城外へ走り出た。城外には予め備えて置いた、彼の五十人の部下が居たので忽ち一方の血路を開き、カンポット港まで潜行した。こうして船へ乗り込んで一先ず日本へ引き上げたのである。

寛文六年の初夏であったが、その赤格子九郎右衛門は、博多から江戸へ出かけて行った。

時に年八十六歳。頽然たる老人である可きであったが、名に負う海洋で鍛えた体は矍鑠かくしゃくとして尚逞しく、上下の歯など大方揃っていた。加之此時は彼の資産なども、末次平蔵と伯仲の間にあって、居然たる九州の富豪であった。従って官民上下からも多大の尊敬を払われていたが、時の大老酒井忠清は取り分け彼を愛していた。

で、此時も邸へ招いて、彼の口から語り出される壮快極わまる冒険談を喜んで聞いたということであるが、其時座中には堀田正俊だの、阿部豊後守忠秋だの、又は河村瑞軒などという、一代の名賢奇才などが、臨席していたということである。

「其方程の剛の者には恐ろしいと思うた事などは、曾て一度もあるまいの?」ふと忠清は話のついでに斯う九郎右衛門に訊いて見た。

すると、九郎右衛門は、大きな眼を、心持細く窄めたがそれは過ぎ去った遠い昔を、想い返えそうとする表情なのでもあろう。

「仲々もって左様な事……」

と、謙遜に彼は首を振ったが、

「取り分け香港に於きまして、〈黒仮面船〉の猛者どもに、おっ取り巻かれました其時は、此九郎右衛門心の底より恐ろしく思いましてござります」

「なに、香港の〈黒仮面船〉とな? それは一体何者じゃな?」

「不思義な海賊にござります」

「ほほう海賊? 支那の海賊かな?」

「ところが、支那人ではござりませぬ」

「どうやら話は面白そうじゃ。ひとつ詳細に話して貰いたいの」

「心得ましてござります」九郎右衛門は斯う云って、夫れから其話しを話し出した。

それは今から四十六年の昔、元和七年の初夏の事で、その時私は男盛りの四十歳でござりましたが、宗室丸の船頭として、南洋に向かって出帆致しました途次、予定の寄港地たる香港の港へ碇泊り致しましたのが事の発端で、其夜私は東六という若い楫かじ取を供に連れて港へ上陸いたしました。

ご承知の通り香港ホンコンは、支那大陸の九竜とは指呼の間にござりまして、小さい孤島ではござりますが、其湾内は東洋一、水深く浪平に、誠に良港でございますので、各国の船は必ず一度は、其処へ泊まるのでございます。

とは云え気候は極わめて熱く、悪疫四方に流行し、加之しかも土人は兇悪惨暴、その上陸地は山ばかりで、取り処の無い島とも云えましょう。併し、港の近傍には無数の人家軒を並べ、酒店、娼家、喫茶店など、到る所に立ち並び繁昌を極めて居りました。

で、私と東六とは、その中で特に外見の好い、酒店へ這入って行きました。

五

這入って見ますると、店の中は、諸国の水夫かこや楫取で、一杯になって居りました。支那の言葉、呂宋の言葉、西班牙イスパニアの言葉、ポルトガルの言葉――色々様々の国々の言葉で、四辺は騒々しく活気に充ち、何か今にも面白い事件でも、起こって来そうに思われました。

私と東六は室の隅の丸い卓子テーブルを前にして、所の名物柘榴ざくろ酒を飲みながら、四辺の様子を見て居りましたが、不意に其時、私達の横で、

「あ、来たぞ! 黒仮面が!」と、小声で叫んだのを聞きました。

それと同時に室の中が急に静かになりました。と、見ると、遙か室の向うの、戸外へ向いた戸口から、其形恰も蝙蝠のような畸形な真黒の人影が、室の中へひらひらと這入って参りました。

「成程、噂に聞いた通りの不思議な様子をして居る哩」と、私は胸で呟いたものです。

漆黒の服で全身を包み、同じ色の覆面をし、翼のような黒母衣を背負った、国籍不明の水夫かこ達に依って、繰られている大型の船が、南海や支那海を横行し、海上を通る総船を、理由いわれ無しに引き止めて、その船内へ踊り込み、人間の数を調べたり掠奪を為るということは、以前から聞いて居りましたので、其時、室へ這入って来た、蝙蝠のような人間を見ると、それだと直ぐに感付いたのでした。

ところで「黒仮面船」の水夫達は、そうやって室へ這入って来ましたけれど、別に乱暴をするでも無く、室の片隅に佇んだまま只じっと四辺を見てるのでした。ところが夫れが店の客達に執っては、却って気味悪く思われるのかして、一人去り二人去り何時の間にか、皆立ち去って了いました。そうして私と東六とだけが後へ残されて了いました。

そのうち東六も恐ろしくなったか私に帰船を進め出しました。併し私は帰りませんでした。「何者か正体を見届けてやろう」――斯ういう思惑がありましたからです。

そこで私は平然と柘榴酒を傾けて居りました。すると、彼等は私を眺め乍ら、暫く囁いて居りましたが、俄に近寄って参りました。そうして、私達を取り囲みましたが、年長らしい一人の男が、明瞭はっきりした正確ただしい柬埔寨語で、斯う私に話し掛けました。

「貴郎達は私達をご存知無いと見える。それとも私達を承知の上で、尚此処に残って居られるのなら、貴郎方は非常な勇士で厶る」と、

「申す迄も無く承知の上でござる!」私は此様に云ってやりました。「方々は近頃噂の高い、黒仮面船の水夫衆でござろう。拙者は日本ひのもとの武士でござれば、如何なる者をも恐れは致さぬ!」

「天晴れお言葉! 如何様勇士じゃ!」彼等は急に態度を改め、極わめて慇懃になりましたが「そのお言葉にお縋り申し、是非共お願い致し度き儀ござれば、我等とご同行下さるまいか!」――「日本の武士は死をだに辞せず、ましてお頼みとあるからは喜んでお供致しましょうぞ」――「それは千万忝のうござる。然らばご案内……」――「心得申した」

こんな具合に、この私は、引き止める東六を船へ追い返えし、彼等の後に従って、酒場から出たのでございます。彼等は暗い方へ暗い方へと私を導いて行きました。そして浜の方へ行きました。ものの半刻も経った頃、私達は海岸へ参りましたが、見渡す限り海上は墨のように真黒です。背後は嶮山左右は巉岩ざんがん、そうして前は大海です。空には月も星も無く、嵐に追われる黒雲ばかりが海の方へ海の方へと走って行くばかり、真に物凄い場所でした。

と、一人の黒仮面の男が、手に持っていた松火を高く頭上に差しかざし、海に向かって振りました。すると、眼前の海の底から、ゴーゴーという音が響き渡り、巨大な岩とばかり思っていた海の面の物象が、見る間に上へ持ち上がり、忽ち居然たる大船が海上へ浮んだではございませんか。是ぞ黒仮面船でございます。それにしても自由に波に沈み又浪間から浮き上がって来るとは! 何んという不思議な恐ろしい船が此世の中にあるのだろうと初めて此時心から私は恐ろしく思いました。

六

それから私は何うしたか? 別に何うも致しません! 覆面した水夫達に導かれて、浮沈自由の怪船に乗り込んだのでございます。乗り込んで夫れから何うしたか? 別に何うも致しません! 階段を下って其怪船の胴の間へ這入ったのでござります。

すると其時、船底に当たってコトコトコトコトコトコトという、不思議な物音が聞えました。夫れと一緒に乗っている船が、恐らく水の底へ沈むのでしょう、グラグラ揺れるではござりませぬか。

「船は今水の中にいるのだな」斯う思うと私は復心「復心」はママからぞっとしたのでござります。それで私は無言のまま四辺をグルグル見廻わしました。室は狭くはありましたけれど柬埔寨風に飾られてあって大変綺麗でござりました。

と、年長の覆面の水夫が、片手を上げて振りました。何かの合図なのでござりましょう、それと同時に他の水夫共は隣室へ立ち去って了いました。後には私と年長の水夫ばかりが室に残ったのでござります。

「いざ先ず夫れへお掛け下されい」年長の水夫は斯う云い乍ら一つの椅子を進めましたので、私は黙って腰掛けました。

すると、覆面のその水夫は、私の腰間の両刀へ、屹きっと両眼を注ぎましたが、

「失礼ながら其両刀、天晴業物でござりましょうな?」と、意外な事を訊いたものです。

「双方共彦四郎貞宗の作、日本刀での名刀でござる」

「如何でござろう、その名刀を、お揮い下さることはなりますまいかな?」――「是は又異なお頼み……なれども夫れだけの仔細ござらば、お頼みに応ぜぬものでもござらぬ。……抑そも、相手は何者でござるな?」――「国を奪い、人民を虐げる大悪人でござります」――「ウム、そのような悪人なりや、討ち果たすに異存はござらぬが……して其大虐無道の相手は、今、何処に居られまするな?」――「船底に閉じ込めてござります」――「何、此船の底にとな? これはこれは思いも依らぬ。然らば拙者の手を籍からずとも、諸君方多数の手に依って討ち果たすこと出来ましょうに……」――「いやいや彼は悪人ながら剣にかけては無双の達人。それに多人数一度にかかり、討ち取ることはなりませぬ」――「それは又何故でござるかな?」――「私共が主君と奉める、やんごとなきお方様ご夫婦に執りまして、生命にかけても知り度いと願う、或重大の秘密事を、彼一人存じて居るが為、それを武器として彼の申すには「十人だけ勇士を選べ、そして一人一人室へよこせ。そうして俺と立合わせろ。掠傷でも負わすものあらば、運命と諦めて生命を呉れる。呉れる前に秘密も明せてやろう。併し十人の勇士共を一人残らず討ち取ったなら、其方の不覚と諦らめて、此俺を船から遁がすがよい」と。でその申し入れに従いまして、是迄に九人の勇士を選んで彼の室へ送ったのでございますが、室へ這入ると殆ど同時に、只一刀に切殺されて助かった者とてはござりませぬ……」

「成程」と私は頷きました「そこで最後の十人目にこの拙者を選んだのでござるな――心得申した。承知致してござる。如何にも仰せに従って此彦四郎揮いましょうぞ?」――私は深い決心を以て引受けて了ったのでござります。

「それでは愈々いよいよご承引か?」

「その無道人を只一刀に息の根止めてご覧に入れる!」

「あいや、息の根止められましては、却って困難致しますゆえ‥…」

「左様であったの、では深手を、死なぬぐらいに付けると致そう」

それから私は彼の後に従いて、狭い険しい階段を船底へ下りて行ったのでした。下り切った所に閂かんぬきを掛けた厳重な扉がございましたが、その中にこそ目指す相手が籠って居るのでござりました。

私を此処まで導いて来た覆面をした年長の水夫が燈火を持って立ち去った後は、一点の燈火も無い真の闇で、扉も閂も見えはしません。その中で私は暫くの間、深い呼吸をして心気を沈め、やおら手探りに閂を外し、その瞬間に身を躍らせて、真直ぐに室の中へ突き入りました。果して私の背を掠めて、正しく扉口の左側から切り込んで来た太刀風が、鋭く横顔に感じましたが、既に其時は機先を制して私は室の中に居たのでした。そして私は思いました。恐らく是迄の九人の勇士は、この一刹那の機を誤って、あの鋭い一太刀の為めに空しく生命を失ったのであろうと。

私は室の真中に呼吸を封じて立っていました。是ぞ忍術しのびの奥儀の一つ、生身を変じて死身にする「封息」の一手でございます。少くとも左様やって呼吸を封じて、突立っている瞬間だけは、人間を変じて木石とも為し、又、鼠とも大蛇おろちとも蛛蜘とも為ることが出来るのです。――封じた気息は遂には洩れる! その洩れる時が大切です。私は徐々そろそろと足を運んで扉の方へ参りました。そこに相手の居ないことは余りに明らかの事実です。ハッと切込んだ一転瞬に、ヒラリと体を変化させて、居所を眩すのが常道で、その常道の隙を狙って、逆に其方へ飛び込んで行くのが、忍術の奇道なのでございます。果して戸口には居ませんでした。そこで私は次の術――即ち、木遁の一手であって身を木の形に順応させ而そうしてその木と同化させる所の所謂「木荒隠形もくこういんぎょう」の秘法。それを使ったのでございます。易い言葉で申しますと、木目と同じような姿勢を作り、樹木と同じ心持ちとなる。――要するに是なのでございます。

七

私は実に此時まで、刀は抜かなかったのでござります。刀には刀の気息があって俗に刀気と申しますが、殺気と申しても宜敷よろしいでしょう。

でその刀気はある場合には、相手を威嚇する武器として非常に役立つのでございますが、又反対に或場合には身の禍ともなるのでした。即ち、抜身を持っているが為めに、刀気走って身を隠すことが出来ず、闇討の憂目に逢うのです。

私は、そうやって戸の面へ、ピッタリ体を食付けたまま静かに暗中を隙かして見ました。

果然、相手の居所が、抜身を握って居たが為に、自と私に解って参りました。私の立っている戸口から、斜めに当たる室の隅に、刀気が仄かに白々と走っているではござりませぬか。

「よし。勝利は此方のものだ!」私は思わず心の中で斯う呟いたものでした。

そうして本当に其決闘は私の勝に帰しました。――ハッと私が気息を弛める。そこを狙って突いて来た。と直ぐ除けて入身になる。一髪の間に束を廻わし、「カーッ」と一声掛けると同時に胴切にしたのでござります。

ばったり床へ仆たおれる音。ムーと呻く苦しそうな声。そして静かになりました。

「しまった」と、其時、思わず私は、大声を上げて了いました。深手を負わせるという約束に背いて時の逸はずみとは云い乍ら、切り殺したように思われたからです。

扉が開かれ、松火が点され、神々しい威厳を体に持たせた二人の男女を中にして、覆面の水夫達数十人が、室の中へ這入って参りました時、松火の光に照らされて、一人の大男が血に染みながら床の上に斃れて居りますのを、私は明瞭はっきりり「明瞭はっきりり」はママ認めましたが、それこそ決闘の相手でした。

「イルマ将軍とも云われた者が、いかに悪行の酬いとは云え、この死態しにざまは何事じゃ! ……おお天晴れな日本の勇士! よくぞお援助下された。柬埔寨国の国王アラカンが厚くお礼を申しますぞ」

「や!」と思わず此の私は、神々しい迄に威厳のある、其人の姿を見詰めましたが「それでは貴郎様は柬埔寨国のアラカン王陛下でござりましたか?」――「左様」と其人は頷きましたが「そして此処に居る此婦人は、朕が連れ合い、即ち、王妃!」

「王陛下と王妃陛下! ホホウ、左様にござりましたか。さりとも存ぜず意外の失礼、何卒お許し下さりますよう。偖さて、王陛下と承まわり、お尋ね致し度き一義ござります。……今より大略おおよそ五年以前に、皇太子におわすカンボ・コマ殿下、悪人共の毒手に渡り、お行方不明になられませなんだかな?」

「おお如何にも其通り、行方解らずなり申した。……そして其行方を突き止めて、コマの安否を知りたいばかりに叛将イルマを捉えながら、早速に誅罰を加えようともせず、却って彼の申し出に従い其方を加えて十人の勇士を、憎む可き彼の毒刃の前に、おめおめ晒した次第でござるよ。と申すのは彼の口から皇子の成行を聞きたかったからじゃ……が其希望も今は絶えて、イルマは此通り死んで了った! 語る可き口も閉じられて了った!」

「あいや其儀でござりましたら、必ずご心配はご無用でござります」

私は思わず大声で、斯う叫んだのでござりました。驚き審かる両陛下の前で、それから私は細々とカンボ・コマ皇子をお救助け致した、五年以前の出来事を、申し上げたのでござります――。

此処まで九郎右衛門は語って来ると、感慨深そうに瞑目した。そうして暫く黙っていた。一座の者も押し黙って咳しわぶき一つ為る者も無い。――軈て、忠清は斯う云って訊いた。――

「……フウム、左様か、五年以前に、柬埔寨国の皇太子、カンボ・コマ皇子を其方が、お救助け致したと申すのじゃな? 面白そうな話じゃの。それを詳細く聞かしてくれい」

「かしこまりましてござります」

其処で九郎右衛門は改めて、その事件に就いて物語った。

その物語は既に以前に、九郎右衛門に代って此作者わたしが、大略書き綴った筈である。……

兎に角、斯うして九郎右衛門は、王ご夫婦と皇子とを、お救助けすることが出来たのであった。親子の対面が行われた時、どんなに皆が歓喜したか? 説明にも及ぶまい。

間も無く王朝は恢復された。そうして日本と柬埔寨国との通商貿易も行われるようになった。

「しかし、どうして王、王妃は、叛軍共の目を眩まして、牢獄から出ることが出来たのであろう?」

――審いぶかしそうに忠清は訊いた……。

「忠義の臣下が、隙を伺い、盗み出したのだそうでござります。……覆面をした水夫の群こそ、その臣下達でござりました」

「浮沈自由の奇怪の船、その後何んと致したな?」

「撃沈めましてござります」

「それは又何故に沈めたか?」「兵器は兇器でござります故……」

「如何にも左様じゃの」と、酒井忠清は、呟き乍ら頷いた。

「左様な兇器の働かぬ世が、どうぞ何時迄も続くように」

「御世は万歳でござります!」赤格子九郎右衛門は老いても鋭い、その両眼を輝かせ乍ら斯う磊落らいらくに叫んだが、その声の中、風貌の中には、壮者を凌ぐ勇猛心が、尚鮮かに見えていて一座の名賢奇才達をして、却って顔色無からしめたのである。

底本 / Source edition

底本:「妖異全集」桃源社
1975(昭和50)年9月25日発行
初出:「中学世界」
1924(大正13)年6月
※底本には以下に挙げるように誤植が疑われる箇所がありましたが、正しい形を判定することに困難を感じたので底本通りとし、ママ注記を付けました。
○常時利休は:「当時」の誤植か、旧字の「當」を新字にする時に間違った可能性を疑いました。
○復心:「腹心」の誤植か。
○明瞭《はっきり》り:別箇所に「明瞭《はっきり》した」があり、「明瞭《はっきり》した」か「明瞭《はっき》りした」か判断がつきませんでした。
入力:阿和泉拓
校正:門田裕志、小林繁雄
2004年12月13日作成
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TEI
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プレーンテキスト / Plain text
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書誌 / Bibliography
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国枝 史郎「赤格子九郎右衛門」(新字新仮名)、底本『妖異全集』桃源社、1975年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 043584_000255, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

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