Soranoha

学問の自由

がくもんのじゆう

寺田 寅彦

学問の研究は絶対自由でありたい。これはあらゆる学者の「希望」である。しかし、一体そういう自由がこの世に有り得るものか、どの程度までそれが可能であるか、またその可能限度まで自由を許すことが、当該学者以外の多数の人間にとって果していつでも望ましい事であるか。こういう問題を、少し立入って考究し論議するとなると、事柄は存外複雑になって来て、おそらく、そうそう簡単には片付けられないことになるであろう。あるいは結局いつまで論議しても纏まとまりの付かないような高次元の迷路をぐるぐる廻るようなことになるかもしれない。

こういう疑いは、問題の学問が、複雑極まる社会人間に関する場合に最も濃厚であるが、しかし、外見上人間ばなれのした単なる自然科学の研究についても、やはり起こし得られる疑問である。

科学者自身が、もしもかなりな資産家であって、そうして自分で思うままの設備を具えた個人研究所を建てて、その中で純粋な自然科学的研究に没頭するという場合は、おそらく比較的に一番広い自由を享有し得るであろう。尤も、そういう場合でも、同学者の間にはきっと、あの設備があるのに、あんな事ばかりやっている、といったような批評をするものの二、三人は必ずあるであろうが、そういう批評が耳に這入はいったときに心を動かさないだけの「心の自由」がありさえすれば、何でもない。しかし、そういう恵まれた環境にめぐり遭う学者は稀である。たまたまそういう環境を恵まれた人にはまた存外そういう研究に熱心な人が稀である。それで、大多数の科学者は結局どこかで誰か他人の助けをかりて生活すると同時に研究する外はない。それで、国家なり個人なりが一人の学者に生活の保障と豊富な研究費を与えてくれて、そうして好きな事を勝手に研究させてくれればこれほど結構なことはないが、そういう理想的な場合が事実上存在するかどうかを考えてみる。

ちょっと考えると、大学教授などというものは、正しくそういう立場にありそうに見えるが、事実は必ずしもそうでない。第一、教授の職責の大きな部分は学生を教える事である。それから色々な事務がある。時には会計官吏や書記や小使の用をつとめなければならない。好きな研究に没頭する時間を拾い出すのはなかなか容易でないのである。その上に肝心な研究費はいつでも蟻ありの涙くらいしか割当てられない。その苦しい世帯を遣やり繰くりして、許された時間と経費の範囲内で研究するにしても、場合によってはまた色々意外な拘束の起ることが可能である。例えば若い教授または助教授が研究している研究題目あるいは研究の仕振りが先輩教授から見て甚だ凡庸あるいは拙劣あるいは不都合に「見える」場合には、自然に且つ多くの場合に当事者の無意識の間に、色々の拘束障害が発生して来て、その研究は結局中止するか、あるいは研究者がそこを去る外はないようになることもないとは云われない。環境に適しないものの生存が自然に沮止そしされるのはこのような場合でもやはり天然界におけると同様である。

官庁内の一部に設けられた研究室の中で仕事をしている科学者は最も不自由な環境に置かれている。研究題目は上長官の命令で決まっており、その上に始めから日限つきでその日までにはどうでも目鼻をつけなければならないこともある。実におそらく最も不自由な場合であるが、面白いことには、学者によってはこの狭い天地の中でさも愉快そうに自由自在に活動して立派な成果を収めて人を驚かすことがあるようである。一皿の水を化して大海とするのである。

政府の所属で、各種科学の特殊な専門的題目の研究所として看板をかけた処では、比較的にいくらか自由である。しかし、例えば蚯蚓みみずの研究所で鯨の研究をやりたいといったような場合には、ともかくも一応上長官の諒解を得るために、その研究の結果がその研究の目的に直接適合する所以ゆえんを説明して許可を得るのが穏当である。上長官がよほどの人でない限りあまり勝手な事は許されないであろう。これも理屈はともかくこの世の事実である。

営利会社の内部に設けられた研究室の研究員も、大体において、その会社に有利な結果の出そうな研究をするのが普通である。尤も、大戦前のドイツのある化学工業会社などでは、常に数十人の学者を養って、それに全く気儘な研究をさせたという話である。五十人の研究の中でただの一つでも有利な結果が飛び出せば、それから得られる利益で、学者の五十人くらい一生飼い殺しにしても、なお多大の収益があるからとのことであった。戦後の世智辛せちがらさではどうなったかそれは知らない。とにかく日本などでは、まだなかなかそういう遠大な考えで学者の飼い殺しをする会社はそう多数にはあるまいと思われる。あるいはそこまでに学者の腕前に対する信用が高められないためかもしれない。そうだとすればその責任がどっちにどれだけあるか、それもよく分からない。しかし、いずれの場合にしても、例えばある会社の研究員が、その会社の商品の欠点を仔細に研究して、その結果からその商品の無価値あるいは有害なことを発見したとする。その際もしも、その研究員が、更に進んでその欠点を除去し、その商品を完成するように研究の歩を進めるならば結構であるが、そうでなくて、その欠点を委細構わず天下に発表して、その結果その会社に多大な損失をかけ、事によるとその会社の存在を危うくするような心配が生じたとする。その場合その研究員を免職させない会社があったら、それは記録に値いするであろうと思う。

官営また私営の純粋な科学研究を目的とする研究所も少数にはある。そういう処は比較的最も自由な学者の楽天地である。しかしそういう処でも「絶対の自由」などという夢のようなものはおよそ有りそうもないようである。そういう理想郷の住民でも、時々は例えば研究の「合理化」といったような、考えようではむしろ甚だ不合理な呼び声にしばしば脅かされなければならないことがあるのもまた事実であり、現在の現象である。

「環境」という方面から見た「研究の自由」に関する「事実」は、先ず大要以上のごときもののようである。

また一方、研究者の内面生活の方面から見た「自由」はどうかと見ると、これは全く個人個人の問題で、一概に云われないようである。ちょっと外側から見ると恐ろしく窮屈そうに見えるような天地に居て、そうして実は、最も自由に天馬のごとく飛翔しているような人も稀にはあるようであり、一方ではまた、最も自由な大海に住みながら、求めて一塊の岩礁に膠着こうちゃくして常に不自由を喞かこつ人も稀にはあることはあるように思われる。これも理窟ではなくてやはり事実であり学問の世界の現象である。

科学者流にしか物事を考えることの出来ないものの眼から見ると以上のような事実だけは認められるが、さて、それが善いのか悪いのか、またそれをどうすればいいか、そういうことは一切分かりかねるのである。

尤も、科学者も人間である以上は、いつもいつもこういう実験科学的な考え方ばかりしている訳にはゆかない。時には「希望」と「正義」とを混同することも免れない。そうして、その結果、色々面倒な葛藤の起ることも止むを得ないであろう。しかし、ともかくも、一度も科学者流にこういう風の考え方をしたことのない人もあるとしたら、そういう人にとっては、上記のような半面的な見方の可能だという事実が、あるいは何かの参考になるかもしれないと思うのである。

(昭和八年九月『鉄塔』)

底本 / Source edition

底本:「寺田寅彦全集 第五巻」岩波書店
1997(平成9)年4月4日発行
底本の親本:「寺田寅彦全集 第四巻」岩波書店
1985(昭和60)年11月5日第3刷発行
初出:「鉄塔 第二巻第九号」
1933(昭和8)年9月1日
※初出時の署名は「尾野倶郎」です。
入力:Nana ohbe
校正:青野 弘美
2006年10月16日作成
2016年2月25日修正
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書誌 / Bibliography
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寺田 寅彦「学問の自由」(新字新仮名)、底本『寺田寅彦全集 第五巻』岩波書店、1997年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 043535_000042, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

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