Soranoha

葛のうら葉

くずのうらは

清水 紫琴

その上

憎きもかの人、恋しきもかの人なりけり。我はなど憎きと恋しきと、氷炭相容れぬ二ツの情を、一人の人の上にやは注ぐなる。憎しといへばその人の、肉を食はみても、なほあきたらぬほどなるを、恋しといへばその人の、今にもあれ我が前にその罪を悔ひ、その過ちを謝しなむには、いづれに脆き露の身を、同じくはその人の手に消えたしとは、何といふ心の迷ひぞや。さあれ我はこの迷ひ一ツに、今日までをしからぬ命ながらえて、空蝉のもぬけの殻に異ならぬ身をも、せめては涙をやどす器としてだも保ち居たりしなれ。もしこの迷ひなかりせば、我は疾くにかの人を殺さずんば、我自ら死しゐたりしならむ。さるを死なず殺さず今日まで自他の身を完まつたふすること得たりしは、実げにもこの迷ひ一ツの為にぞある。されど今は妄執の雲霧も晴れ、恋慕の覊絆きづなも絶えたれば、いでや再びもとの我にかえりて、きのふけふ知りそめつるつくりぬし、かつは亡き父母君ふたおやの、声なき仰せに随ひて、あはれ世に生まれ出し甲斐ある身ともならばやと、心のみは弓張月の、張るとはすれど、張るに甲斐なき下弦の月、一夜一夜に消えてゆく、今の我が身を何とかせむ。ああ勝ち難き我が心にも勝ち得る時はありしものを、勝たれぬは、身の病なり死の根なり。さあれ今は何をか歎き、何をか悲しまむ、身の生きて、こころの死にし昨日の我よりも、こころの生きて身の死なむ今日の我を幸ひに、我は年頃の憂さを感謝に代へて、せめては最後の念を潔ふし、汚れに染みし身の懺悔を、我と我が心に語りて見む。

思へば我は、よくよく薄命の筈に生まれ来し身なりけむ。我が父君の家といふは、農家ながらも我が故郷にありては、由緒ある旧家にて、維新前には、苗字帯刀をも許されし家系なりとか。さるを我が父君は御運拙なく在いまして、そが異腹の兄上、我が為には伯父君なる人の為に、祖先より伝はりし家督をも家名をも、併せて横領せられたまひて、我がその人の一人娘として生まれ出し頃には、父君も母君も、日毎に自ら耕したまひ、辛ふじて衣食の料しろを支へたまふほどの、貧しき御身になり下りゐたまへしなりとか。さあれその事の本末はいかなりけむ、我年長たけて後しばしば母君に、伺ひまつりし事ありしも、母君は血で血を洗はむも心うしとて、委くわしくは告げたまはず。されど我が稚き耳にも、村の人々の一方ならず父君をいとしがりて、お人の善過ぎるが何より難、仏心も事によると、歯痒さうに語らひしを、しばしば聞きつる事あれば、これを母君のほのめかしたまへるお詞のはしばしに思ひ合はするに、我が父君の兄君を超へて、家を嗣ぎたまひしは、さるべきよしありての事にて、伯父君の兄といふ名に、そを横領したまひしは、確かに僻事なりしならむ。さるを天は善にのみ与くみしたまはぬにや、我が父君は再び世になり出でたまはむ折もあらせたまはで、我五ツといふ年の暮、その頃はまだ御年若かりし母君と、いはけなき我にさこそはお心残りけめを、お心の外にもかの世の人とならせたまひしとぞ。この時にこそ我が生涯の運命は、早くも不幸てふ方に定まりしにやあらむ。されど我が母君は、御心男々しき御方にて在らせたまひしかば、我を直ちに不運の手には委ねたまはで、村の人々の再嫁を勧め、あるひは年頃疎かりし叔父君の、俄かに深切になりたまひて、母君をも我をも、その方へ引取らむといひ出でたまひしをも、母君は深き御心にこれを拒みたまひつ。なかなかに馴染多き土地に在ればこそ、よしなき事にものは思はさるるなれ。なまじひなさけに似てなさけなの、人の詞に袖ぬらさむよりは、知らぬ他国の雪霜を凌いでこそと。世は花衣春霞、人の心も浮かれゆく弥生近きに我のみは、花と見捨ててゆく雁の、かれは古巣を恋ふなれど、これはかよはき女の身に、子を携へてどこへぞと。訝り集ふ人々の、贔負心に冷笑あざわらふ、これも名残の一ツなると。お心強くも背後に聞きなしたまひて、我を東京あづまへ携へ出でたまひたるは、我七ツのほどの事なりき。

さていかにしてたつき求めたまひけむ。下谷したや徒士町おかちまちの、今にて思へば棟割長屋なるに落ちつきたまひつ。我を世の父ある人と同じやうに、程なく学校へも送りたまひて、盆正月の晴れ衣裳も、そこらにては肩身狭からぬもの着せて育てたまひき。その間の母様のお心遣ひはいかばかりなりけむ、これも我年長けて後伺ひまつりしかど、ほほゑませたまふのみにて何事も仰せ出でたまはず。ただ御詞寡すくなに、たとへ世に甲斐なき女の身にてもあらばあれ、一心にさへなれば、子は育てらるるものぞとの……

かく御心男々しき母様とても、さすがに尽きぬ御憾うらみは思しかねたまひてや。我物心覚へてよりはともすれば我が頭を撫でたまひて、あはれそなたの男ならまじかはと、これのみは幾度も繰返したまふを。我は子供心にも悲しき事に思ひて、いかで我男子にはなり得られぬものにやと、あらぬ望みをかけたる事もありしかど、年長くるに従ひては、よしされば女子の身にてもあらばあれ、男子に劣らぬ身となりて、母様の年頃の御鬱さを慰めまつらばやと、小さき胸に思ひ定めてき。さるを今かく女子としてだも、あるに甲斐なき身と成果てしを、母様の天ツお空よりいかばかり歎きおぼすらむ。そを思ふにつけても憎きはかの人、恨めしきは我が心なりけり。さあれそを悔ひ憤るも今は何の詮なし、いでやまた無心にその頃の記憶を繰返し見ばや。

さて我はかく思ふにつけても、学びの道にいそしむこそと思ひ定めしを、母様も本意ある事に思したまひてや、あたりの家の子供等は、男子さへあるに、まして女の子は年端もゆかぬに内職の手伝ひ、さては子守りに追ひ遣はれ、十歳過ぎて学校へゆくは、富める人の上とのみ思ひ合へる中に、我が母様のみは朝夕の水仕にさへ我を使ひたまはず。その暇に手習ひもの読む業を励めと宣ふを、近所合壁の人々は冷笑ひて。長屋ものの小娘の読み書き沙汰は聞くもかたはら痛し、天晴れ御出世あそばしてもたくわが五七円の月給取りの女教師様、それもまだ小学校にてのお手習ひ中にては、そこまでの御出精が気遣はるる。人様のお洗濯ものお仕立ものなどあそばす後室様の御内儀には、ちとお荷が勝ち過ぎてお笑止やと、一人がいへばまた一人の。ほんにそなたのいやる通り、この長屋始まりてより以来、男の教師さへここから出た例ためしはないに、女親に女の子、飛んだ望みの飛汁いばじるは、こちとらの身にもかかりて、例の差配の薬鑵が、家税の滞りに業を沸にやした挙句は、いつもあの後家殿を見習ひなさい、女子の手業でついに一度、家賃の催促受けられた事はなし、子供はいつまでも学校へ通はさるる心掛け、差配の我までも町のがくこう掛りとやらあくこう掛りとやらへの面目、なかなか下手な亭主持ちでも叶はぬ事、ちと手本にしたがよいと。二言めには引合ひに出すその口振り、何とをかしいではあるまいか。そこには蓋もあり、みを入れる差配の引事心得ず、これも若後家といふ身の上が、何よりも気に入りての事ならむにと。果ては何やら囁き合ひて、手を振るもあり、背を叩くもあり。計らず我と顔見合はせては、何となく冷笑ひ、母様には後指、さすがに眉を顰めたもふ事あるも。我は子供心にも情けなくいとをしき事と思ひしに。明けて十二の春ともなれば、それまでうかとのみ看過ぐせし母様のお心遣ひ。我が筆墨書籍に事欠かせまじとては、夜もろくろく内職のお手休めたまはぬほどの御難儀、ああこれもかれも我が身の為か勿体なやと、心づくやうになりては。いつとなく学校へ通ふ足も重く、まだ高等小学校の卒業にだも程ある身を、その上の女学校とやらむへは何として何として。よし母様のともかくもして、我をそこに送りたまはむとも、さてはいよいよ御苦労の重るべければ、我はここに思ひを飜ひるがへさでは叶はじ。かの剣を墓にかけし人の例ためしにはあらねど、我辛ふじて身を立てなむ頃は母様の、我為に人より多くのお年とらせたまひて。世になき人の数に入りたまはむやも知られぬに、身に相応ふさわぬ望みはかへつて御苦労させますもとと。思ひ返してそれよりは内職の手伝ひするを身の栄に、学校へはゆかずなりしを。母様の訝しみたまひて、よしなき心遣ひはせずもあれ、吹き荒すさみてし家の風、起こす心はなきかと。涙ながらに諭したまふ御言の葉にも、つゆ随はぬを孝と思ひしは、これも我から不幸を招くの基なりき。

されどその頃の我は、これを何よりの事と思ひて、十六といふまではかくして過ぎしに、実げにも時は金なりといへる世の諺に違はず。母子しての稼ぎに暮し向こそ以前に変はらね、些すこしながら貯へも出来しを、かねて贔負に思ひくれたる差配の太助どの殊勝がり。その人の心添にて、表向き下宿屋といふまでこそなけれ、内職の片手間に、一人二人の書生さんを宿してはと。その差配地に恰好の家ありしを、貸与へくれたれば、さはとて母様のそを試みさせたまひしは。癢かゆき処へ手の届く、都の如才内儀の世話程にこそなけれ、田舎気質の律義なるに評判売れて、次第に客の数も殖ゑ。いつしか下宿屋専業とはなりて、おひおひ広やかなる方に引移りたまひたれば。我十八の秋の頃には神田猿楽町にて秋野屋といへば、名ある下宿屋の一ツに、数へらるるまでになりたまひぬ。

その中

朝に北越の客を送り、夕に薩南の人を迎ふる旅籠屋程こそなけれ、下宿屋渡世の朝夕の忙しさ。それ十番でお手がとゆふ飯を運べば、いや飯はまだ喰わぬ、それよりもこの暗いに、燈は何として点けぬ、我を梟と心得てかとわめきたまふかなたには。破れよと櫃の底叩きて、飯の代はりは何とて遅き、堂々たる六尺の男子、これ程の薄扶持に済まさうとは太い量見。否それよりも我が方への牛肉は何とせし酒屋へ三里とは聞かねど、牛屋へは五里さうなと。口々に急立せきたてらるる忙せわしさに、三人四人の下女おんなは居たれど、我も客間へ用聞きにゆく事もありしに。多くの書生客の中にても、誠に我が注意を惹きしは、その頃大学予備門に通ひゐたまひし浅木由縁ゆかりといへる人なりき。

何にこの人しかく眼立ちしやといふに、その部屋は行燈部屋に隣れる三畳敷にて、外にはこれに類ふべきものなき麁末なる部屋なりしと。一ツにはまたその人の身装みなり我のみならで、誰の注意をも惹きしなり。先づその一ツを挙げていはば、白紺大名の手織じま。これぞこの人の夏冬なしの平常着ふだんぎにて、しかもまた一張羅なれば。夏はその綿と裏とは無情にも、きつつなれにしつまを剥がれて、行李の底に追ひ遣らるるなれど、われてもあはむ冬を待てば、再び三位一体の、世になり出る春衣ともなりて、年一年をこの人の身に附き纒ふなれば。口さがなき下女どもはこの人のまたの名を大名縞のお客様といひはやしぬ。

これに我も疾くよりその御名は聞き知りしかど、見ればかく御身装のやつやつしきには似たまはで。外の我は顔に親譲りの黄八丈、さては黒奉書の羽織に羽ぶり利かしたまふ人よりも、幾層立ち勝りたまいしお人品ひとがらのよさ。見るからに何となく床しく覚ゆるさへあるに、若き人に有りがちの、戯れ言などいひたまひたる事はなく。結びがちなる口もとの、どこに愛嬌籠りてや、えもいはれぬ愛らしさは、女子にしても見まほしきに。威ある御眼は男の中なる男ぞといはでもしるきその輝き、あはれいかに幽玄の学理とやらむも、方様のお眼に照らされてはと、頼もしげなる心地もせしが、そもやそも我迷ひの初めにて。それよりは何となくその人の朝夕に気を注くるに、年は廿歳のお若きには似ぬ物堅さ。朝は我が台所のものよりも、先だちて起き出でたまへば、睡き眼を母様に起こされたる下女の、また浅木さんが早起きしてツ、ついぞ祝儀の一ツも呉れた事はないにと小言つぶやくが例なるに。夜は二時頃までも寐たまはず、土曜日曜大祭日の宵とても、矢場よ寄席よと浮かるる人々の中に、我のみ部屋に閉ぢ籠りたまひての御勉強。実にも行末の望みある方様やと、いとど心を動かせしに。母様も同じ御心にや、わけてこの人いとしがらせたまひつ、時雨しぐるる神無月、この夜の長きに定めてお気も尽きやうと、ある夜お茶を入れて、自ら持ち行きたまひたるが、やがて我との縁のはしにて。その時母様の計らず方様より、聞き取りたまひし御身の上ばなしに、母様ホと太息吐きたまひて。さても世に珍らしの方様やと、我は月頃思ひつるに、それも理ことわりや方様の父御は、世を夙はやふしたまひて、今は母御のお手一ツに、方様の仕送りなさるるなりとか、されば学資の来る時もあり来ぬ時もあり、いつまで続くものともしれねば、それゆえの御勉強とは、さても殊勝なるお心掛けや。身につまされて方様の、母御の御苦労が思ひ遣らるる。かうして下宿や渡世はするものの、人様のお金とるばかりが身の能ではなし。あんなお方を助けてこそと、その夜しみじみ我への仰せ。さては母様のお鑒識めがねもと、我はいよいよその人慕わしふなりて。軒端に騒ぐ木枯らしの風にも、方様のお風邪召さずやと、その夜は幾度か寝醒めせしもをかし。

それよりは母様方様の、下宿料滞らせたまふ事ありても。こなたよりいひ出でたまはぬのみか、たまたま方様のこれをと渡したまふ事あるも。私方では大勢のお客様、お一人口位は別に眼にも立ちませぬ。それよりは御入用なる書物でも、お心遣ひなくお求めなされてはと。一方ならずいたはりたまふお志、方様も嬉しとや。果ては母様を叔母様のやうにも思ふなど、重きお口にいひ出でたまふやうになりしを。母様は本意なる事に思していつしか我が聟がねにとのお心も出でけらし。折に触れては、我へそのあらまし事ほのめかしたまひ。成らふ事なら浅木様のやうなお方に、そなたの行末頼みましたし。下宿や風情の我が家の聟にとてはなりたまふまじきも。我はそなたの仕合はせとあらば、手離して上げまするも苦しからじなど、独言ひとりごちたまふを聞く我は、頓にはかに心強うなりて。方様の何と仰せらるるかは知らねど、もしさる事ともならば我が為に、年頃一方ならぬ御苦労したまひし母様の、お力ともなりたまふべければ。かかるお方に身を任すも、孝の一ツと思ひしと、いふは心の表のみ。裏はさらでも憎からず、思へる人をといひたまふ、母様のお詞真ぞ嬉しく。勿体なけれどほんに粋な母様と、朝夕心に拝む数も、これに一ツを増したるは、後の歎きの種子ぞとも、知らぬ昔の悔しさよ。

かかりしほどに、われはひとしおその人の事気にかかりて、ともすれば母様の思したまはむ程をも忘れて。あれ母様浅木様のお袴が、あんまり汚れてみつともない、一ツ拵へてお上げなされてはと、思はず口走りて母様に笑はれたる事もあり。外の客より貰ひ溜めたるものにても、ハンケチ巻紙、その他何にても、男の用に立ちさうなものは、母様にも隠して、幸こうよりと記し、そとその人の机の辺りに置くを何よりの楽しみに。それといはねど母子おやこして、心を配るその様子を、気早き人達の早くも見てとりてや。我にいやらしき事いひたる覚へある人などは、あて付けがましく、向ふの下宿やへ移りて。我とその人の、あらぬうき名を謡ふもあれば、わざと下宿料滞らせて、我も浅木並にしてほしし、かつは娘を添えものになど、聞くもうたてき事いひはやすを、母様いたく気遣ひたまひて。あるひはそれとなく方様のお心ひき見たまひしに、何がさて一方ならぬ世話になりたまひたる上の事なれば、否みたまはむよしもなくてや。もとより僕も望むところ、ちやうど合ふたり叶ふたりの事ではあれど、修業中の妻帯は何より禁物。自然勉強の妨げともなるべければ、とにかく約束だけの事にして貰ひたし。二年三年の後にもあれ、身を立てたる上は必ずよ。それまでは表向き他人並にて、何分宣しく頼むとの男の一言。よもや違変はあるまじと、母様もそれよりは、人の噂を深くはお心にかけたまはず。いよいよ身を入れてお世話したまふにぞ、我も行末夫と嫁かしづくべき人の、かかる時より真心尽くしてこそと。かげになりひなたになり、力を添えし甲斐ありてや、その翌々年我廿歳といふ年の夏。方様は首尾よく予備門を卒業したまひしかば、これにいよいよ力を得て、これよりは今一際の辛抱にて、我は名誉ある学士の奥様といはれ。母様も、年頃うき世の、波濤なみを凌ぎたまひし甲斐ありて。なみなみならぬ方様の、おつつけ舟ともなりて世の海を、安らに渡らせましたまふ事なるべければ。その時こそは下宿や渡世もやめさせまして、かつては母子の首途かどでを笑ひてし故郷人に、方様のお名を誇らばやなど、心構へし折も折。月かくす雲花散らす風は、世に免れぬ例かや、浅木様の母御俄に御国もとにて、身まかりたまひしとの訃音しらせに、一度は帰りたまはではかなはぬ事となりにしぞ。娘心のあとやさき、飽かぬ別れを惜しむ間も、ないてばつかりゐる事かと母様の、甲斐甲斐しく我を促し立ちたまひて。じみなる着ものを俄の詮索、見苦しからず調ととのへていざとばかりその夕ぐれに浅木様を、出立たたせましたまひたる後は。母子交はる交はるそなたの空をながめ暮せしに、三日おきて浅木様の方より、母様宛に、いと重やかなるお手紙来りぬ。

我は母様読みたまふ内ももどかしく、いかなる事をかとそぞろに心悩ませしに。やがて母様はホと大息といき吐かせたまひて、力なき御手にそと我が前へ投げやりたまふにぞ。我はいとど胸騒立てど、これもその人のと思へば、何とやらむ面はゆく口の内に読みもてゆくに。あはれなる事に書き続けたまひたる末、かくも母が年頃の瘠我慢、我に後顧うしろみの患うれひあらせじとて、さまざまなる融通にその場を凌ぎたまひし結果。思はぬ方に借財のありて、我はゆくりなくも今やその虜とはなりぬ。さればこの囲かこゐを衝きて急に再び出京せむは、いともいとも覚束なき事にて、あるはこのまま田舎の土となり果てむも知るべからず。さてはかねての青雲の望みも空しくならむのみかは。大恩うけしそもじ母子の、知遇に酬ひむよしもなきは、いともいとも残念の至りにはあれど。今の身には少しの金融をも許さねば、いかんとも致し方なし。ついては幸殿も年頃の身なるに、このいひ甲斐なき我がことのみ待ちたまはむには。花顔零落空しく地に委するの不幸を招きたまはむやも知るべからず。されば、他に良縁あり次第、我に遠慮なく身を寄せしめたまへ。我も幸ひに風雲際会の時機を得ば、再び出京せむも知るべからざれど、今はこれも空しき望みとあきらむるの外なしなど。筆の雫も薄にじむ涙は男泣きにかと、我ははやその後を読むに堪へず。もしも少しのお金にて済む事ならば、我が身のかざり髪の道具も何ならむ。残らず売代うりしろしてなりとも、方様のお身を自由にさせまし、我も恋しきお顔見たけれど。明けてそれとはいは橋の、夜の契りもせぬ人に、あんまり出過ぎた出来過ぎだと、母様のおぼしたまはんほどのうしろめたさに。さすがさうとはゆふまぐれ母様のお顔見へ分かぬをもどかしき事に思ひしに。日頃男勝りの母様この時きつぱりとしたお声にて。これ幸やそなたはどこまでも、あのお人と連れ添ひたい気かへと改めてのお尋ねに。何と御返事してよきやらと、我は今更戸惑ひたれど、やうやく思ひ切りてハイと心の誠を告げまつりしに。母様は思ひの外の御機嫌にて、さらば我も真心にて、出来るだけの金の工面はしてもみむ。さるかはりそなたにもこれまで通り、あれがほしいこれがほしいと、いやる通りのもの買ふてやる事は出来まじければ、それだけの事は覚悟しやと、我案ぜしよりは生むが易く、その夜直ぐにどこへか出で行きたまひたるが。翌日は二束三束の紙幣かね調へたまひて、直ぐにあなたへ送らせたまひしかば。一週間をも経たぬ内に、我は床しきその人を、またも明け暮れ見る事を得てき。

されど思ふ事一ツ叶へばまた一ツ、みを立てたしといふ浅木様のお望み、母様も叶へさせて上げましとは思せども。ならぬ工面もしたまひたる上の事、とてもこの後大学を卒へたまはむまでのお世話、女の手に届くべくもあらぬを、方様も覚悟したまひてや。それはまた時節を待ちし上の事、先づともかくも我は身のよすが求めむと。そこここ頼みありきたまひしが、二月ほどありて小石川なる、ある製薬会社に、出勤したまふ事となりぬ。

ここにひとまづ方様のお身も納まりたれば、母様は我との盃急ぎたまへど。浅木様はいつも程よく宥なだめたまへて、まだまだ我は、これで果てむと思ふ身ではなし。折あらば今一際の勉強して、せめては医学士の、学位だけにても得たしと思ふなれば、今しばらくこのままに在らせて貰ひたし。さあれ式こそ挙げね、幸殿は我が最愛の妻、そもじは我が大恩ある母御と我は疾くより心に錠は卸しぬ。そこはどこまでも安心して貰ひたくも、知らるる通り我は大学の入門にも外れし身なるを。口惜しとも思はで早くも妻を迎へとり、瓦となりても完まつたきを望む、彼が望みの卑しさよと、旧き友等に嘲られむが心外なれば、何分にも我が心の済むまでは、今しばらく内分にと、いはるる詞も無理ならねば。母様はともかくもとて、嬉しくそのお詞に任せたまひぬ。

その内方様下宿や住居にては、世間体も悪しければ、ともかく家だけは持ちてみむといひ出でたまへしを。母様いたく喜びたまひて、幸ひ近き今川小路に、相応ふさはしき家ありしを。これも母様の店請たなうけとなりて借り受けたまひつ。いづれに我を嫁入らすべき方様に、入らぬものいりかけるでもないと。あるほどのもの我が家より運ばせたまひて、何不自由なきまでに整へ、いざとばかりそが方へ引移らせましぬ。

かくてぞ母様はいとど我の輿入れ急ぎたまへど、方様はいつも同じやうなる事のみいひて肯うけがひたまはず。されど月日経る内には方様も男世帯の不自由に堪えかねたまひてや。さらば表向きは手伝へといふ名に、内祝言のみはといひ出でたまふを。母様も快からずは思ひたまひながら、いずれにも方様のお身を大事と、思したまふお心より、さらば世間晴れての披露はいついつと、くれぐれもお詞番つがへたまひて。方様の御信友中川様といふを媒妁代はり、形ばかりの式済ませたる上、多くは我をそが方に在らせたまひぬ。

かくて一月二月を経るほどに、我もいつしか方様をあなたと呼ぶやうになれば、かなたにてもお幸さんといひたまふお詞の廉かどとれて人も羨む睦じき中となりしに。方様は我のみか、母様をもまことの母君のやうに大事がりたまひ。珍らしきものある時はこなたより持たせもし、迎へもしたまひて、うらなくもてなしたまふにぞ。母様も我ももの足らぬ心地はしながら、これに心も落ちつきて、夢の間に半歳ほどを過ぎぬ。

されど美麗うつくしき花の梢にも、尖針とげある世の人心恐ろしや。我廿一の春はここに楽しくくれて、皆人は花の別れを惜しむ間も。我が身にのみは春の添ひぬる心地して、嬉しさは、しげる青葉の色にも出で、快さを袂たもとかるき夏衣にも覚えて。方様の大事がらせたまふ鉢植の世話する外、何思ふ事とてなかりしに、ある日方様会社より帰らせたまひてのお顔色常ならず。いつもは何より先に薔薇の蕾など数へたまふ間に、我は用意の夕膳端近う据ゆるを四寸は我に譲りて快く箸とり上げたまふが例つねなるに。その日のみはさる事もなくて、さも思ひ入らせたまへる気色容易ならねば。何事のお心に染までかと、我は心も心ならねば、しばしば問ひまつりしに。何として何として、これはそなたに聞かすべき事でなし。我が心一ツの煩わづらいのみ、迷ひのみ。ああさてもさても世はなさけなきものなるかな、恋愛と功名、これはいかにしても両立し難きものにこそ。よしさもあらばあれ我が心は既に定まりぬ、我は生涯執金吾とはなり得ぬまでも、八幡この陰麗華には離れじと。急に我が手をとりたまふも訝しく、我はいよいよその事聞きたうなりて、果ては隔てあるお心よと怨ぜしに。方様始めてうなづかせたまひて、さらば懺悔のためいふて退けむ。かならずかならず我を二心あるものとな思ひぞとて。さていひにくげにいひ出でたまひけるは、我が勤むる会社の社長増田といふは、人も知りたる紳商なるが。今日しも我をその娘の聟にとの他事なき望み、承諾さへなしくれなば、婚姻は別に急ぎもせじ。望みとあらば大学へも入れてやらむ、洋行も心のままとの事。我はさらさら仮にだもその人の聟となる心とてはなけれど、その他の事は渡りに舟。学資を釣出す苦肉の一策、あるはしばらくその詞に従ひて、約束だけの聟となり。天晴れ修業したる上は、学術はこつちのもの。その時違約したりとて、取返しに来らるるものでなしと。ふと心に浮かみしなれど、もし万一にも我が心の潔白を、そなたの疑はば何とせむ。よし疑はぬまでも、しばしだもそなたにもの思はするは我の忍びぬところ。聞けばその娘といふは、殊の外の不器量ものにて、確かにそれだけの埋め合はせになる代物とやら。いやそんな事はどうでもよい、どうで実行する事でないからと。からからと笑ひたまへど、我が廻り気がどこやらすまぬ御様子にも見ゆるに。方様の日頃の志望こころざしを知りながらと、さげすみたまはむが恥しさに。それは何より耳よりなおはなし、なぜ応とはおつしやりませぬ、私はあなたのお為になる事なら、どんな思ひを致してもと、うつかりいひしを得たりとや。方様は急に真顔になりたまひて、さてはそなたは、あくまで我を信じくるるよ。

天晴れでかしたり賢女なり貞女なり、それでこそ我が最愛の妻、さては我も心安し、ここ一番雄心ふり起こして、この策はかりごとを実行しみばや。かの手鍋下げてもといふ世の諺はあれど、真の愛はその人の名を成し、その身を立たしむるものてふことを。そなたの今の詞あらでは悟らざりし我の心の鈍おぞましさよ。かかる賢女を妻にしながら、我のこのまま朽ち果つるぞならば、男冥利に尽きもやせむ。思へば我も世の中の、男の数には漏れぬものを、いでいで天晴れ出精して、あはれ世の学者の数にも入りてみむ。さあらむ時はかねてより、家の風をも吹起てたしとの、そちの望みも遂げさすべきにと。無暗にそやし立てたまふは、心ありての業ぞとも知らねば我はしかすがに。いひ放ちてし言のはの、矢質とられて梓弓。ひくにひかれぬ瘠我慢、我から心はりつめて、否といはれぬ苦しさを。せめては母様の拒みたまひて、あはれこの事の、そら事となりゆけかしと、危き望みをかけたりしに。我よりそのあらまし告げまつる間もなきに、方様はその夜直ちに母様がりゆきたまひ、いかにして御許しを得たまひけむ、これもあながちに拒みたまはじとの事に、我はいたくも力の抜けて。よしなき事をいひ出でしと、我が軽率かるはづみなりしを悔しかど。その頃は深くも方様を信ずる心より、これも我がいひ甲斐なき心の迷ひとのみ思はれて、我と我が心をのみ叱り懲らしぬ。

後にて聞けば方様の母様には、我の勉めてしかさせまするもののやうにいひたまひしなりとか。それもこれも我はまだ母様に語らひまつる間もなきに、方様は、母子の心変はらぬ内とや。足もとより鳥のたつやうにその翌日は、事も急なる引越し沙汰。彼一条はとまれかくまれ、かねてより、社の近傍に在らでは不都合と。社長の家を借り置きくれたるなれば、我はこれよりそが方へ引移らむ。つひては夫への心遣ひ、当分は里方に居て貰ひたし。その代はり我よりは絶へず慰めにゆくべければ、よしなき事に物は思ひぞ。それもこれもしばしの程ぞ辛抱せよ、二月三月を経る内には、事に托して遠方へ引越し、これまで通り内には迎へ取るべければと。その場を体よくいひ黒めたまひて、支度もそこそこに出で行きたまひたる、あまりの事の早急に、母様の訝しみて駈付けたまひたる頃は、方様の影ははや北神保町の辻に消えて、我はその人の書斎の跡に、正体もなく泣き伏せる時なりき。

されどその翌日より、方様は三日にあげず我が方へ来たまひて、他事なく語らひたまふ様子に。母様も我も少しは心落居しに、こなたの心解くるにつれて、かなたの足は次第に疎く。果てはここよとの便りもなきに、さすがは母様のいたく訝らせたまひて、心利きたるものにその様子探らせたまへつるに。思ひきや方様の方には、疾くより赤手柄の奥様居まして、やがては腹帯おびもしたまはむとの噂。さるにても大学へはと聞けば、いなさる様子はなし、今も奥様の父御のものなる会社へ通ひたまふなるが。社長様の恋聟君とて、人々の敬ひ大方ならず。月俸も以前には増したまひたる上、奥様にもお扶持つきて、それはそれは贅沢なおくらし。その上その奥様といふも、お扶持付きには似合はしからぬ御器量よしと、近所の息子もつ親の、さもさも羨しさうな話と。半ばを聞かず母様のキリリとお歯を噛みしめたまひて口惜しがりたまふを、我はその人贔屓の心より。さりとも人の詞のみにては、何とも思ひ定め難かるを、など方様の早う来まして、その入訳母様にはいひ解きたまはぬと。始めは一筋に待ち見しかど、待てども待てども便りなきにぞ。我も遂には疑ひの、雲霧かかる辱めを、受くるも女親故ぞと。さすがの母親も、返らぬ昔忍び泣きしたまふがいたはしさに。我もいつしか口惜しさのまさりて、あはれ我が身の心に任すものならば、その人とり殺してやりたしとまで、思ひ募る事のあるを。また母様の宥なだめたまひて、今に始めぬ人心、世はさるものと白髪の、年甲斐もなふ瞞されしは、我の不覚ぞ堪忍せよと。諭したまふに四ツの袖、ぬれこそまされ乾く間も、なさけなの母を子を。神はあはれとおぼさずや、中川様さへ東京ここに在りたまはぬを待つとせし間に。いつしか秋の風たちて、桐の一葉も誘はるる、折も折とて母様の、悪しき病に罹らせたまひ、二時がほどに世になき人の数に入りたまへしかば。頼む木かげに雨もりし、我が身は露と消へたきを、かかる時には生命まで、つれなきものか。ある甲斐もなきには劣る身一ツのふり残されし悲しさを。かこつにつけてもさりともと。思ふ心の空頼みより、母様の上方様の方へ知らせませしに旅行中なりとて来もしたまはず。程経て香奠のみ贈り越されたる所為しうちに、いとど恨みは添ひゆきて、人に思ひのありやなしや、思ひ知らせむの心ははやりにはやりしかど、さすがにもまた優しかりし越し方の忍ばれて、胸の炎も燃へては消え、消えては燃ゆる切なさを母様の中陰中は堪らえ堪らえて過ぐせしに。やがて母様の百ヶ日も果てし頃、方様の方には、玉のやうなる男子挙げたまひしと、知らする人のありしかば。我はきつと心に思ふよしありて、身装も立派に調へつ。祝ひの品をも携へて、諏訪町なる浅木様の方をおとづれぬ。

その下

雲に聳ゆる砲兵工廠の建築たちもの眼を遮る片側町にも。これはと庭に箒の目にも立つ一構へ、門の扉は輝けど、心は曇るその人の、よくも世間に憚りの、関をも据ゑて筆太に、増田由縁としるせしを。見るに胸先づ迫き来れど、大事のところとしとやかに案内を乞ひつるに。目ざす人は不在るすなりしかど、もと下宿し居たまへし家の娘といふに、奥様も心ゆるしたまひてや。さのみは勿体ぶりもしたまはで、快うもてなし愛子あいしの顔など見せたまふに。我もここぞとさりげなくもてなして、さてもおか愛らしいお坊ちやまの、お眼もとは旦那様そのままにて、一体のお顔だちは奥様似。ほんにこれ程までお羨しい赤様の和子様にては、生ひ立ちたまふお行末が御案じ申されまするなど。あるほどの世辞いひたりしに、子を誉められて嬉しからぬはなき世の親心。これにその奥様も我を隔なきものに思ひたまひてや、また折あらば 遊びに来よといはれしをしほに。日ならず再び訪おとなひ行しに、方様もさすが我が出入りまではとめ置きたまはざりしと見へて。いかがやと気遣ひし心の外に、奥様またも快く呼び入れたまふに、我は先ず心落居て。それよりは、いかにもしてその人に、馴れ親しまむの心より、万事につけてその奥様の御意迎へしに。その後は金満家のお嬢様とて、何のお心もつきたまはず、よきはなし相手を得たりとや。こなたより訪はぬ時は、かなたより迎ひのもの、遣はさるるまでの上首尾に。我は我が事はや半ばなりぬと喜ぶ隙にも、方様はさすがお心咎めてや。人なき折を見ては我が傍へさし寄らせたまひ、これにはいろいろ訳ある事なるを、何事もしばし堪忍せよ、その内我も折を見て、ゆるゆる話にゆくべければと。上手にいひまわしたまふそのお口こそは、曩さきの日に我を賺たぶらかしたまへるお口よと。我は聞くも恐ろしく腹立たしけれど、いづれに覚悟は極めし上の事、末のお約束だに変はらせたまはずばと、手軽くいひしを真に受けてや。後には方様も心おきたまはで、我が前をも憚らず奥様との睦まじげなる御素振り、見て見ぬ振りの我は万事、思ひあきらめたるさまに心を許させ。一方にてはそれとなく奥様に、方様大学入門の事、さては洋行の事などから問ひしに、これのみはと思ひきや、いづれも跡形なき空事にて。ただのちのちのあらまし事といふは、父御の資産の幾分と、かの製薬会社とを、その奥様につけて譲り与へられむのみと聞くに。いよいよ我が欺かれつる事の一ツ二ツならぬをも覚りて。これに我が心も定まりたれば、それよりはひとしほ心を入れて、我は和子の春雄様を手なつけしに。やうやう喰ひ初め過ぎの赤児みづこながら、いつしか我が手心を覚へてや。我が手に抱き上ぐるも、泣き出ぬまでになりしかば、はやよき時分と、我は近所の人々には、母の身まかりて心細ければ、故郷へとのみいひ触らして。名残は尽きぬ母様の御面影、かつは大名縞のむかし我に優しかりし、方様の御声音も残るなつかしの家居を、そのまま同業の人に譲りて。残れるは代にかえて身に纒い、直ぐその足にて諏訪町をおとづれ。いつもの如く和子をあやすと見せて、我が手にかき抱きたるまま、ツとそこを紛れ出でぬ。方様はさておき、罪なき奥様の跡にてのお歎きいかなりけむ。思へば惨むごき事なりしを、心狂はしきまで方様を恨みし我は。奥様をも和子をも、かつは我が身の上までも、忘れ果てしぞ浅ましき。

それよりかねてかうと心積もりせしかくれ家の。これは我が方に年久しく事つかへし下女おんなの梅といふが、浅草の西仲町に嫁ぎゐたるをたよりゆきて。これは我がある方様と、契りてのかくし子なるが、面目なきに連れて立退きぬ。しばしかくまひてよといふに、梅は夫と顔見合はせて、とみには答へぬもどかしさに、これは当座の世話料と。少なからぬ金渡せしに、地獄の沙汰もこれとかや。夫婦の色はとみに解けて、二言といはぬに何事も、呑込顔の追従笑ひ。槌で庭掃くまでこそなけれ、夫婦が手と手を箒代はり、奥の一間を片付けて、等閑なほざりならずもてなすにぞ。ひとまづここに落ちつきしかど、なれぬ子持の不器用を、人や気付くと我はとかくに心咎むるを。誰も初めはさうしたもの、これはかうするものでござんす、あれはああでと、かつては子を持ちし覚へある梅さへ露疑はず。身に引受けて世話しくるるも、いづれに金ある内と思へば、心細からぬにあらねども。まだ幾許いくらの貯へも、ありし昔は母様の、我をかよはき御手一ツに、育てたまへし例ためしもあるをと、思ひかえして我と我が心を幾度励ましつつ、二タ月三月を夢の間に、過ぐれば過ぐる年月の、恨みを人に酬ひむと、跡先見ずにせし事の、今は我が身のほだしとなりて、世に偽りの親の名は、いつしか真まことの親心、人の子ならぬ心地もして、日に可愛さは添ひゆけど、その眼つきから口もとまで、日増に似きかの人に、似る生い立ちを見るにつけ、また思ひ出づる床しさに、これが二人の子ならばと、よしなき昔忍ばれて、恨みつ恋ひつ泣くをのみ、その日その日の楽しみに、うつらうつらと暮れてゆく、年のあゆみにその和子も、二歳となれば、足腰もたちゐにつけて、我をかあちやまかあちやまと、慕ふ子よりも慕はるる、我はせめての罪滅ぼし、不自由はさせで育てたしと、思ふに任さぬ身のつまり、牛乳ちち買ふ代にも事欠くと、見て取りし梅の、打つて変はりし不愛想、我を婢代はりに使ふさへあるに、果ては我とその夫との間に、あられぬ事のありといふ、心は知れし無理難題、我を追出す工夫ぞと心付いては居るにも居られず、昼はさすがに人眼を厭へば、夜に紛れてとぼとぼと、泣く子を背に小風呂敷、前に抱へて出てゆく姿は我さへ背後うしろ見らるる心地して、あやにく照れる月影を、隈ある身ぞと除きてゆく恠あやしの素振り、なかなか人の眼をひきてや、向ふより来し人の、幾度か我が背けたる横顔を透かし見て、そもじは秋野屋のお幸さんではなかりしかと、いはるる声音に覚えはあれど、かかる姿をいかでかはと、我は知らず顔に過ぎむとせしに、かなたはなほも立寄りて、やはりさうだお幸さんだ、我は中川渡なるを、何とて見忘れたまひしぞ。それにしても今時分、ここらをその姿で、ムム分りしさては浅木君はやはりそなたに搆かまはぬな。我もこの頃国より帰り、始めて聞きたる浅木の不埓、我この地に在りしぞならば、さる不徳義はさせまじきを、口惜しき事をしてけりと、思ふのみにてそなたの行末、皆目知れぬに、今日までは空しく過ぎしなり。さはいへ我も彼とは同郷の因ちなみ、彼の不徳は我が郷の不徳なるを、いかでかはよそに看過ぐすべき。殊に我は媒妁の、関係は免れぬ身の上なれば、篤とその成行き聞き取りたる上、あくまで彼に忠告を試みむと思へしに、ここで逢ひしは自他の幸ひ。さるにてもその子はと、問はれて答のなる身にあらぬを、かなたはこれも早推したまひて、ムム問ふまでもなき浅木の子、馬鹿に似てゐるところが妙なり。かかる有力なる材料ある上は、我は我が友を不義より救ひ、しいてそなたの幸福を回復するも、さまでの難事にはあるまじ。善し我が万事引受けて、都合よく運び得させむに、今の宿所はいづこぞと、他事なくいはれて、恥しさを、忘れしとにはあらねども、たよらむ方もなさけなの、身の入訳を語らむは、この人のみぞと母様の、まちくらしたまへしをも思ひ合はして、とみにも心強うなりつ、さすがに和子の事のみはいひ出でかねたれど、今のあらまし告げまつりしに、さてはいよいよ気の毒なる身の上なりし、さあらむには我も世話ついで、しばし我が心安き方にても、頼み得させむにと、先に立ちて歩みたまふにぞ、心ならねど一二間離れ離れに従ひゆきしに曲り曲りし横道にそこと分らねど、やがて万世橋めがねを左に見て、お茶の水の右に出でしを、聞けば本郷弓町とやらむ。一人ものの老媼ろうばの二階なりき。

老媼は我をその人と他人ならぬ中と思ひ違へしにや、その夜はまたしても中川様の噂ばなし、あれ程お急せきなされずとも、少しは落ちついてお出であそばしたら、宜しかりさうなものなるを、庭から直ぐにお帰りとは、さてもさても曲ない方様や。さりながら方様は、ああお見へなされても、それはそれはお優しい方様にて、この婆も永らく御贔負に預りまする。お仕立ものやお洗濯何といふ御用御極まりはござりませねど、いつも過分にお手当戴きまする上、お着古しはこの婆の、晴れ着ともなりまするを、惜しげもなふ下されまするので、いつもよいお正月をいたしまする。明日は大方朝からお越、あなたもお早うお休みあそばしませ、御用があらば御遠慮なふ、お手をお叩きなされてと、我が迷惑顔にも心付かず、おのがいひたき事いひ終りて、下へおりるを待ちかねて、始めてほつと肩の荷を、下ろせば見れば可愛やな親ならぬ親に連れられて、この肌薄きに夜寒の風、さこそは身にもしみけむと、泣かぬは神か仏顔、幾たび見ても飽かぬ子の、など我が血をば分けざりしと、涙片手に寐させても、寐られぬ我は夜もすがら、右に左に寐がえりて、思へば不思議人心、顔かたちでは分らねど、かの中川様といふは、それはそれは不骨なお方、かつては我が方に、宿とまりゐたまへし事もありしなれど、見るから怖らしさに、かくまで深切なる方様とは知らざりしをかりそめの、媒妁役といふのみに、我をかくまでいたはりたまふお志の嬉しさよ。このお心の半ばにても、今の浅木様に在るぞならば、否々それはいまさら思はむも詮なき事なるを、などいひ甲斐なき我が心にや、それよりもこの子の上は何とせむ、あくまでも包みおふすべきか、否それにては中川様への道立たじ、幸ひ方様は、法律を学びたまふと聞くなれば、ありのままに申し上げてお指図を仰がむか、否それにては先方さきへ返せと仰せらるるは知れた事、さあらむ時は何とせむ、今は恨みを返すてふ、心をよそにするとても、どふしてこの子が手離されうと、かにかく思ひ煩ふ内、いつしか夢路に入りけらし。浅木様の中川様に伴はれたまひて、我が枕辺に立ちたまふに、何から怨みいはむとて、身もだえしても声立たぬ、苦しさと、泣く子に醒まされ眼を開けば、薄汚なき戸の隙に朝日きらめきて、蜘蛛のいとなみ鮮やかに、下には門通る豆腐屋を、老媼の呼び入るる時なりき。

これに驚き起き出でむとせしに、いかがはしけむ頭重く、身体だるくて起きも上られぬを、お風邪にても召したるにやと、老媼の丹精にて、薄き粥など拵へくれたれど、これさへ咽喉へ通らぬ苦しさは、一夜を経ても変はらぬに、その翌日も夕ぐれまで中川様の来たまはねば、心細さも添ひゆきて、またも思ひに沈む折ふし、威勢よき老媼の声は漏れて、思はせ振りもあまりお過ごしあそばしては、かへつてお為になりませぬ。方様のそれはそれはお塞ぎなされて、昨日からの御病気もといふ間もあらで、階子はしご上りたまふ足音の聞こゆるに、さては中川様のと、我は乱れたる髪掻き上げ、辛ふじて、重き枕を擡げたるを、中川様の見たまへて、始めていたく驚きたまひたるらしく、さては老媼のいひし事も、全く戯れ言のみではなかりしか。さるにてもいかがはせし、我が知れる医師を招き得させむにと、気遣はしげに眉根顰めたまへど、我はこの上のお心遣ひかけまつらむが心苦しさに、いへ当分の事に侍らむをと、力つとめて元気繕ひしに、中川様少し落ちつきたまへて、さては心安しいづれに後刻その手当せむなれど、先づそなたに問はで叶はぬ事のあり。きのふは我障る事ありて、浅木の方へは得行かざりしなれど、今はその帰途なり。さても女子は恐ろしや、それはそなたの子でないさうなと、先を越されて恥ろふ我を、さもこそと中川様は見遣りたまへて、その事のよしあしは、いはでもそなたの知れるならむ。とにかくその子は、浅木の方へ返すがよし。さらでは我も浅木への忠告、七分の弱味に何事も、いひ出で難きをいかがはせむ。実は我一途なる心より、重ねて聞くにも及ばぬ事と、そこを確かめで直ぐに行きしが我の誤り、あくまで罪を悔ひさせむと、思ひの外にかなたより、その子の事を口実に、そなたの罪を鳴らされて、詮なく今日は帰りしなり。さはいへ彼にも疚しきところあるなれば、今日まで人にも秘せしなれば、この後とても、事荒立てはすまじけれど、そこへ乗じてさる正なき事をするは、そなたの為に採らざるところ、知らずや今の細君は、その子の事を思ふのあまり、一時は病の床にも就きたりとか。浅木への恨みはとにかくに、母なる人の心の裡も少しは汲みて知れかしと。諭したまふに、身の罪の今更のやうに数へられて、しばしも遅疑せむ心とてはなけれど。思へばあやしの縁かも、我が子にあらぬ人の子を、その双親の手に返すが、何となく覚束なきやうにも思はれて。とかくに手離し難かるを、やうやうに思ひあきらめて、仰せに従ふべきよしいひしに、中川様はいひ甲斐ありといたく喜びたまへて、なほもくれぐれ我を慰めたまへたる末、やがてその和子を連れましぬ。

かくてよりは我いつそう身の味気なさ覚へて、何に生きながらえむ玉の緒ぞ。絶えなば絶えね、断きれば断れよ、今はつれなき人の果てを見るべき命にもあらねば、我が身の果てをその人に見するをせめての慰めにと、慰めがたき日を過ごししに。またも中川様の来たまへしかば、これに少しは人心地つきたれど。見れば曩さきの日には似ぬ力なきお顔色訝いぶかしきに。かなたはまた我のしばしがほどに、いたく衰へ果てたる事よと、覚束なげに見やりたまひながら。しばし何をか考へたまふ御様子なりしが、やがていと沈みたるお声にて。病人のそなたに、かかる事聞かせたくはなけれど、そなたの病もそれ故と思へば、我はそなたの心の迷ひを解かむ為、何もかも打ち出でむ、さても浅木は見下げ果てし男かな、かくまでの浮薄漢とは思はざりしに、存分彼の腸はらわたは腐りゐぬ。今は何等の方法もて彼に臨まむも、彼が昏酔したる脳裏には、何等の反響をも起こさぬなるべし。思へ世には巾着の黄金を利用して、身を立つるを、何よりの栄誉と心得る一種の無腸漢あるを。彼も恐らくその一人たるを免れざらむ。さはいへ彼とても初めより、そを予期せしには非ざるべけれど、彼が君子然たる相貌かほだちの、計らず婦人の嗜好に投ぜしより、その境遇上自然さる傾きを助長し来りしならむ。されば今の細君とても、やがてその黄金の尽きなむ時は、彼との赤縄えにし絶ゆる時なるべし。聞くが如くんば去年その舅の世に在らずなりてよりは、既に一方ならぬ冷遇を与へ、今はそなたに劣らぬもの思ひさするなりとか。よしそれとても一点の功名心に駆られたる内はまだしもなれど、今はそのかつて利用せむと試みし黄金に蕩とろかされて、功名の前途をさへに見失ひしと覚し。思へば彼も可憐の男よ、かくまでに堕落すべしとは、彼自身だに予想せざりし事なるべければ……それもこれも彼の道念の欠乏と、意志の弱きに帰着するなれば、今はた浮薄の跡を数へ立てて、咎むるだけの価値はなし。されど我は最後の友情として、彼が猛省を促さむが為に、断然絶交を宣言し来りたれば媒妁役の責任は、これでひとまづ終局を告げさせて貰ひたし。ついでに我をして忌憚なくいはしめむには、彼が如き男子を、いつまでも慕ふはそなたの幸福でなし。眉目一番彼の今日を考察しなば、恐らく彼を断念するにおいて、さまでの困難をも覚えざるならむ。さはいへこれは我の強ゆべき事でなし、そなたの心任せなれど、我はただ参考までにいひ置くなり。よしその事はいづれにもあれ、我はあくまでそなたの身を保護せむに、心置きなく養生せよと、ねむごろに諭したまひて出で行きたまひたる後は、世の嫌ひ招かむもうるさしとて、稀にならではおとづれたまはねど、我はその人のあつきお心添に、今日までもをしからぬ身を大事がられて朝夕を老媼に世話さるるなれど、さばかり方様を煩はしまつらむが心苦しさに、いくどか力なき身を起こさむとせしを、方様の固く留めたまひて、曩さきの日うやうやしく天の一方を指したまひ。厳かに宣ふやう我にさる心遣ひはゐらぬ事ぞ、それよりもかしこにそなたの救主たすけぬしは居ませり。我はただその御旨に従ふ僕のみと、始めて一部の書冊懐にとりたまひて、残し置きたまへしを、我はいつしか友とも師とも仰ぎ見つ。今はこれに心の煩ひも跡なく拭ひ去られたれど、さすがに大名縞の頃の、浅木様のみは忘られかねて、今はよしその人としも思はれぬ方様にあれ、せめてはこの書ふみ見せまして、もとの浅木様に立帰らせましたしとの願ひ、ともすれば起こるを、あながち清き心よりの望みとのみ思はれぬ一ツぞ今はの憾みなる……。(『文芸倶楽部』一八九七年五月)

底本 / Source edition

底本:「紫琴全集 全一巻」草土文化
1983(昭和58)年5月10日第1刷発行
初出:「文芸倶楽部」
1897(明治30)年5月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:門田裕志、小林繁雄
校正:松永正敏
2004年9月20日作成
2005年10月31日修正
青空文庫作成ファイル:
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リリース / Release
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TEI
/works/043512_001146/tei
プレーンテキスト / Plain text
/works/043512_001146/plaintext
書誌 / Bibliography
/works/043512_001146/

清水 紫琴「葛のうら葉」(新字旧仮名)、底本『紫琴全集 全一巻』草土文化、1983年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 043512_001146, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

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