事業を<ruby><rb>賤</rb><rt>いや</rt></ruby>しむといふ事は「文学界」が受けたる攻撃の一なり。而して此攻撃たるや、恐らく余が「人生相渉論」を誤読したるより起りたる者なるべしと思へば、<ruby><rb>爰</rb><rt>こゝ</rt></ruby>に一言するの止むべからざるを信ずるなり。

余は先づ「事業」とは<ruby><rb>如何</rb><rt>いか</rt></ruby>なる者なりやを問はざるべからず。次に文学は「事業」といふ標率を以て論ずべき者なりや否やを、問はざる可からず。

余は文学といふ女神は、<ruby><rb>寧</rb><rt>むし</rt></ruby>ろ老嬢として終るも、俗界の神なる「事業」に<ruby><rb>嫁</rb><rt>か</rt></ruby>することを否むべしと言ひたり。その斯く言ひたるは、「事業」を以て文学を論ずる標率とするを難じたるものにして、事業其れ自身に就きて何とも云はざりしなり。然るに<ruby><rb>横鎗</rb><rt>よこやり</rt></ruby>の人々は己れの事業を侵されしかの如く、<ruby><rb>頻</rb><rt>しき</rt></ruby>りに此事に向つて鋒先を揃へて攻戦するは<ruby><rb>豈</rb><rt>あに</rt></ruby>奇怪ならずや。

<ruby><rb>抑</rb><rt>そも〱</rt></ruby>、事業といふ字の普通の意義の中には、文学者が文章を書く事業の外のものを含みてあるなり。故に事業を以て文人を論ずるは、其真相を誤るの恐なき能はず。余は愛山君の「頼襄論」を批評したるにあらず、愛山君が頼襄を論ずるの標率として、及びすべての他の文士を論ずるの標率として、其の事業を取らんとするを、怪しみたるのみ。余は此点に於て余の論旨を明かにする為に、西行をもウオーヅオルスをも芭蕉をも引出して、証人に使ひたるなり。蘇峰先生が「熱海だより」の中に、頼襄の批評に長じたること、即ちクリチシズム・ヲブ・ライフに長じたること、を言はれたる時には余も成程と思ひて、従来よりも山陽を重く見る様になりたるなり、余は明白に斯く言ふ、而して言ふを<ruby><rb>愧</rb><rt>は</rt></ruby>ぢざるなり、然れども余が前文は、頼襄自身とは何の関係もなき事を記憶せられよ、「頼襄論」の冒頭数行が面白からぬを以て、即ち事業を標率として文章を論ずるを非なりと思ひしが故に、彼の如くには論ぜしなれ。愛山君が三籟子に与へて、暗に吾人を責めたる書簡の中に、吾人が折々西行芭蕉の名を引出すを怪しみたるは<ruby><rb>御尤</rb><rt>ごもつとも</rt></ruby>なり、然れども、いかにせん吾人は真正の意味に於て、日本の詩人（過去の、即ち仏教的日本の）としては先づ指を彼等に屈する者なり。<ruby><rb>左</rb><rt>さ</rt></ruby>りとて吾人もいつまでか、西行芭蕉の名を繰返してあらんや、追々に文学史上にて白石山陽等の諸氏の文学上の価値を論ずる心得なれば、此事に就きては御安心あらんことを請ふになむ。但し吾人は、白石にせよ、山陽にせよ、其の文学上の価値を論ずる訳にして、決して其事業を論ずるものにあらざるなり、事業は事業として、その人物論に於て之を論ずるを可とす、その文学を論ずるには、<ruby><rb>所詮</rb><rt>しよせん</rt></ruby>事業は後に置かざるべからず、<ruby><rb>若</rb><rt>も</rt></ruby>し文学を事業といふ標率の上より論ずれば、政治上の論文を書く小新聞の雇記者は、大概の詩人小説家より上に置かざるべからず、愛山君とて<ruby><rb>正可</rb><rt>まさか</rt></ruby>に<ruby><rb>斯</rb><rt>かゝ</rt></ruby>る御考にはあらざるべし、余とて正可に山陽が一代の文豪なりしを知らざる訳にもあらざるなり。更に一歩を転じて之を考ふるに、事業を以て文学を論ずるの標率となすに於ては、近頃民友社と自由党の争などは如何に判決して<ruby><rb>宜</rb><rt>よろし</rt></ruby>かるべきや。星氏は事業家としては堂々たる議長なり、而して民友社は彼を呼んで<ruby><rb>眇々</rb><rt>べう〱</rt></ruby>たる一代言といへり。民友社は文章を以て出来たる社なり、若し事業を以て云ふ時は、無論星氏に降参せざるを得ざるにあらずや。星氏より見れば民友子は一個の白面書生なり、即ち事業を以て民友子を<ruby><rb>視</rb><rt>み</rt></ruby>るの標率とするが故なり。民友子は明治の文豪なり、然れども事業を重んずるの眼より見れば、矢張白面の一書生たるにあらずや。之を以て見ても、文学を論ずるに事業を標率とするの非なるは解かるべきに、余が「事業といへる俗界の神」と言ひたる言葉の意味は、星氏を呼びて「眇々たる一代言」と言ひたる記者こそ、<ruby><rb>能</rb><rt>よ</rt></ruby>く御存知なるべけれ。

ヱモルソンの<ruby><rb>謂</rb><rt>い</rt></ruby>ふ所の Doing（彼は Knower, Doer, Sayer の区別をなせり）の如くならば、吾人は少しも異存なきなり。但し Doing といふ字と事業といふ字とは多少其意義を異にせずや。愛山君に御伺ひ申したし。兎に角、吾人に対して「事業を賤しむ」といふ御冷評は<ruby><rb>願下</rb><rt>ねがひさげ</rt></ruby>にしたく候。

（明治二十六年五月）