わたしが<ruby><rb>支那</rb><rt>しな</rt></ruby>の芝居を見たのは過去二十年間にたった二度だけであった。前の十年は絶対に見なかった。また見ようという意思も機会もなかったから、その二度はどちらも後の十年のうちで、しかもとうとう何の意味をも見出さずに出て来たのだ。

第一囘は<ruby><rb>民国</rb><rt>みんごく</rt></ruby>元年、わたしが初めて<ruby><rb>北京</rb><rt>ペキン</rt></ruby>へ行った時、ある友達から「ここの芝居は一番いいから、以て世相を見てはどうかナ」と言われて、「芝居見物も面白かろう、まして<ruby><rb>北京</rb><rt>ペキン</rt></ruby>だもの」と<ruby><rb>大</rb><rt>おおい</rt></ruby>に興じてすぐに何やら園とかいう処へ行ったら、もう世話物が始まっていて、小屋の外には太鼓の響が洩れていた。わたしどもは木戸口を入ると、赤いものだの、青いものだの、幾つも眼の前にキラめいて、舞台の下にたくさんの頭を見たが、よく気をつけて見なおすと、まん中にまだ幾つかの空席があったから、そこへ行って坐ろうとした時、わたしに向って、何か言った者があった。最初はガンガンという<ruby><rb>銅鑼</rb><rt>どら</rt></ruby>の音で、よく聞えなかったが、注意して聞くと、「人が来るから、そこへ坐ってはいけない」というのだ。

わたしどもはぜひなく後ろへ引返して来ると、<ruby><rb>辮子</rb><rt>べんつ</rt></ruby>のぴかぴか光った男が、わたしどもの<ruby><rb>側</rb><rt>そば</rt></ruby>へ来て一つの場所を指さした。その場所は細長い腰掛で幅はわたしの<ruby><rb>上腿</rb><rt>じょうたい</rt></ruby>の四分の三くらい狭く、高さは<ruby><rb>下腿</rb><rt>かたい</rt></ruby>の三分の二よりも高い。まるで拷問の道具に好く似ているので、わたしは思わずぞっとして<ruby><rb>退</rb><rt>しりぞ</rt></ruby>いた。

二三歩あるくと、友達が、「君、どうしたんだえ」とわたしのあとから<ruby><rb>跟</rb><rt>つ</rt></ruby>いて来た。

「なぜ<ruby><rb>行</rb><rt>ゆ</rt></ruby>くのだ。<ruby><rb>返辞</rb><rt>へんじ</rt></ruby>をしたまえな」

「いやどうも失敬、なんだかドンドンガンガンして、君のいうことはサッパリ聞えないよ」

あとで考えてみると、全く変なことで、この芝居はあまり好くなかったかもしれない。でなければわたしは舞台の下にじっとしていられない<ruby><rb>質</rb><rt>たち</rt></ruby>なんだろう。

第二囘はいつのことだか忘れたが、とにかく<ruby><rb>湖北</rb><rt>こほく</rt></ruby>水災<ruby><rb>義捐</rb><rt>ぎえん</rt></ruby>金を募集して<ruby><rb>譚叫天</rb><rt>たんきょうてん</rt></ruby>がまだ生きている時分だ。その募集の方法は、二<ruby><rb>元</rb><rt>えん</rt></ruby>の切符を買って第一舞台で芝居見物をするので、そこに出る役者は皆名人で、<ruby><rb>小叫天</rb><rt>しょうきょうてん</rt></ruby>もその中にいた。

わたしが切符を一枚買ったのは本来、人の勧めに依った責め塞げであったが、それでも誰か、叫天の芝居は見ておくものだ、といったことがあったらしく、前年のドンドンガンガンの災難も忘れてつい第一舞台へ行って見る気になった。まあ半分は、高い<ruby><rb>価</rb><rt>あたい</rt></ruby>を出した大事の切符を使えば気が済むのでもあった。

わたしは叫天の出る幕が遅いと聞いていたので、第一舞台は新式の劇場だから座席を争うようなことはあるまいと、わざと九時まで時を過してやっとこさと出て行った。ところが、その日も相変らず人が一杯で、立っているのも六ツかしいくらい。わたしは仕方なしに後方の<ruby><rb>人込</rb><rt>ひとご</rt></ruby>みに揉まれて舞台を見ると、ふけおやまが歌を<ruby><rb>唱</rb><rt>うた</rt></ruby>っていた。その<ruby><rb>女形</rb><rt>おんながた</rt></ruby>は口の辺に火のついた<ruby><rb>紙捻</rb><rt>こより</rt></ruby>を二本刺し、側に一人の<ruby><rb>邏卒</rb><rt>らそつ</rt></ruby>が立っていた。わたしは散々考えた末、これは<ruby><rb>目蓮</rb><rt>もくれん</rt></ruby>の母親らしいな、と想った。あとで一人の和尚が出たから気がついたので、さはいいながら、この役者が誰であるかを知らなかった。そこでわたしの左側に押されて小さくなっていた肥えた紳士に訊いてみると、彼はさげすむような目付でわたしを一目見て、「<ruby><rb>龔雲甫</rb><rt>こううんほ</rt></ruby>」と答えた。わたしはひどく<ruby><rb>極</rb><rt>きま</rt></ruby>りが悪くなって顔がほてって来た。

同時に頭の中で、もう決して人に訊くもんじゃないと思った。そこで子役を見ても、<ruby><rb>女形</rb><rt>おやま</rt></ruby>を見ても<ruby><rb>立役</rb><rt>たてやく</rt></ruby>を見ても、どういう<ruby><rb>質</rb><rt>たち</rt></ruby>の役者が何を唱っているのか知らずに、大勢が入り乱れたり、二三人が打合ったり、そんなことを見ている間に九時から十時になった。十時から十一時半になった。十一時半から十二時になった。――そうして叫天はとうとう出て来なかった。

わたしは今まで何事に限らずこんなに我慢して待ったことはなかった。いわんやわたしの側にいた紳士はハーハー息をはずませて肥えた<ruby><rb>身体</rb><rt>からだ</rt></ruby>を持てあましていた、舞台の上のどんちゃん、どんちゃんの<ruby><rb>囃</rb><rt>はやし</rt></ruby>や、<ruby><rb>紅</rb><rt>あか</rt></ruby>や緑のまぶしいキラめき。その時十二時だ。たちまちわたしはとてもこんな処にいられないと思った。同時にわたしは機械的に身を<ruby><rb>捻</rb><rt>ねじ</rt></ruby>って力任せに外の方へと押出した。後ろは一杯の人で通る<ruby><rb>路</rb><rt>みち</rt></ruby>もなかったが、大概その弾力性に富んだ肥えた紳士が、早くもわたしの抜け出したあとに、彼の右半身を突込んだので、わたしは自然に押され押されて木戸口に出てしまった。

街は観客の車以外にはほとんど一人も通行人がなかった。それでも木戸口には十何人か頭を<ruby><rb>昂</rb><rt>あ</rt></ruby>げて芝居の<ruby><rb>番附</rb><rt>ばんづけ</rt></ruby>を見ていた。外に一かたまりの人が、何にも見ずに立っていた。わたしは何にも知らずに来たことを我れながら悔んだが、結局芝居の題目さえも忘れてしまった。

わたしが実際いい芝居を見たのは、それよりずっと前の事だ。

その時おそらくまだ十一二にもならなかったろう。わたしども<ruby><rb>魯鎮</rb><rt>ろちん</rt></ruby>の習慣は、およそ誰でも嫁に<ruby><rb>入</rb><rt>い</rt></ruby>ったむすめは、まだ当主にならないうちは、夏の間たいていは里方に行って暮すのである。その時分わたしの祖母はまだ達者であったが、母もいくらか家事の手伝いをしていたので、夏も長く帰っていることは出来なかった。ぜひなく墓掃除をすましたあとで、二三日の暇を見て抜け出して<ruby><rb>行</rb><rt>ゆ</rt></ruby>くのであった。わたしは母親に跟いて<ruby><rb>外</rb><rt>がい</rt></ruby>祖母の<ruby><rb>家</rb><rt>うち</rt></ruby>に遊びに行ったことがある。そこは<ruby><rb>平橋村</rb><rt>へいきょうそん</rt></ruby>と言って、ある海岸から余り遠くもないごくごく<ruby><rb>偏僻</rb><rt>へんぴ</rt></ruby>な河添いの小村で、戸数がやっと三十くらいで、みな田を植えたり、魚を取ったりそういう暮しをしている間に、ただ雑貨屋が一軒あるだけであったが、わたしに取っては極楽世界であった。ここへ来れば優待されるのみか「<ruby><rb>秩秩斯干幽幽南山</rb><rt>チーチースーハンユウユウナンシャン</rt></ruby>」などというものを唸らなくともいいからである。

わたしと一緒に遊ぶいろいろの小さな友達が遠客が来たので、彼等もまた父母の許しを得て、仕事を控えてわたしのお相手をした。小村の中の一家の客もほとんど大概芝居のハネたあとの女を見に行くことを考えていた。しかし叫天はそこにもやッぱりいなかった……

さはさりながら夜の空気は非常に<ruby><rb>爽</rb><rt>さわや</rt></ruby>かで、全く「人の<ruby><rb>心脾</rb><rt>しんひ</rt></ruby>に沁む」という言葉通りで、わたしが<ruby><rb>北京</rb><rt>ペキン</rt></ruby>に来てからこの様ないい空気に遇ったのは、この芝居帰りの<ruby><rb>外</rb><rt>ほか</rt></ruby>にはなかったようにも覚えた。

この<ruby><rb>一夜</rb><rt>ひとよ</rt></ruby>はとりもなおさず、わたしが支那芝居に告別をした一夜で、もう一度そんなことに遇おうとも思わず、たまたま芝居小屋の前を過ぎても、わたしどもとはまるきり関係がなく、精神がすでに一つは天の南にあり、一つは地の北にあった。

けれどもその二三日前にわたしは思いがけなくある日本の本を読んだ。惜しいことには本の名前も著者の名前も忘れてしまったが、とにかく支那芝居に関することで、その中の一篇をかいつまんでいうと、支那芝居は無闇に叩き、無暗に叫び、無暗に踊り、観客の頭を<ruby><rb>昏乱</rb><rt>こんらん</rt></ruby>させるから、劇場向きではないが、<ruby><rb>野広</rb><rt>のびろ</rt></ruby>いところで遠くの方から見ていると、自然に面白味がわかって来ると書いてあった。わたしはその時そう思った。これはいつもわたしの胸の中にあってまだ言い出したことのない言葉だと。だからわたしはいい芝居は野外で見られるものと、しっかり覚えていた。<ruby><rb>北京</rb><rt>ペキン</rt></ruby>へ行ってからも芝居小屋に二度入ったが、やッぱりあの時の影響を受けたのかもしれない。何しろこれは公共のものではないか。

わたしどもは年頃もおつかつだったが順序から言えば一番下の弟だ。<ruby><rb>外</rb><rt>ほか</rt></ruby>に幾人も目上の者がある。村じゅうは皆同姓で一家であった。そうはいうもののわたしどもは友達だ。喧嘩でもして年上の者を打つと一村の者は老人も若い者も、目上という言葉を想い出せない。彼等は百人中、九十九人は字を知らなかった。

わたしどもの日々の仕事は大概<ruby><rb>蚯蚓</rb><rt>みみず</rt></ruby>を掘って、それを針金につけ、河添いに掛けて<ruby><rb>蝦</rb><rt>えび</rt></ruby>を釣るのだ。蝦は水の世界の馬鹿者で遠慮会釈もなしに二つの鋏で<ruby><rb>鈎</rb><rt>はり</rt></ruby>の<ruby><rb>尖</rb><rt>さき</rt></ruby>を捧げて口の中に入れる。だから半日もたたぬうちに大きな丼に一杯ほど取れる。その蝦はいつもわたしが食べることになるのだ。その次は皆と一緒に牛を飼うのだがこれは高等動物のせいかもしれない。<ruby><rb>黄牛</rb><rt>おうぎゅう</rt></ruby>も水牛も空をつかってわたしを馬鹿にする。わたしは側へゆくことが出来ないで遠くの方で立っていると小さな友達はわたしが「<ruby><rb>秩秩斯干</rb><rt>チーチースーハン</rt></ruby>」が読めることなど<ruby><rb>頓著</rb><rt>とんじゃく</rt></ruby>なしに寄ってたかって<ruby><rb>囃</rb><rt>はや</rt></ruby>し立てる。

わたしがそこにいて一番楽しみにしたのは、<ruby><rb>趙荘</rb><rt>ちょうそう</rt></ruby>へ行って芝居を見ることだ。趙荘は比較的大きな村で平橋村から五里離れていた。

平橋村は村が小さいので、自分で芝居を打つことが出来ないから、<ruby><rb>毎年</rb><rt>まいねん</rt></ruby>趙荘にいくらかお金を出して一緒に芝居を打つのである。その時分わたしは、彼等が何のために<ruby><rb>毎年</rb><rt>まいねん</rt></ruby>芝居を催すか、ということについて一向<ruby><rb>無頓著</rb><rt>むとんじゃく</rt></ruby>であったが、今考えてみると、あれはたぶん<ruby><rb>春祭</rb><rt>はるまつり</rt></ruby>で<ruby><rb>里神楽</rb><rt>さとかぐら</rt></ruby>（<ruby><rb>社戯</rb><rt>ツエシー</rt></ruby>）であったのだ。

とにかくわたしの十一二歳のこの一年のその日はみるみるうちに到著した。ところがその年は本当に残念だった。早く船を頼んでおけばよかったのに、平橋村にはたった一つ大きな船があるだけで、それは朝出て晩に帰る交通機関で、決してよそ事には使えなかった。そのほか小船はあるにはあるが、使い<ruby><rb>途</rb><rt>みち</rt></ruby>にならない。隣の村に人をやって訊いてみたが、もうみんな約束済であいてる船は一つもない。外祖母は大層腹を立て、なぜ早く注文しておかないのだ、と<ruby><rb>家</rb><rt>うち</rt></ruby>の者を叱り飛ばした。母親は外祖母を<ruby><rb>撫</rb><rt>なだ</rt></ruby>めて、「わたしども魯鎮は、小さな村の割合に芝居を多く見ているのですよ。一遍ぐらいどうだっていいじゃありませんか」と<ruby><rb>押止</rb><rt>おしとど</rt></ruby>めた、だが、わたしは泣きだしそうになった。母親は<ruby><rb>勢限</rb><rt>せいかぎ</rt></ruby>りわたしをたしなめて、「決していやな顔をしちゃいけませんよ。おばあさんが怒ると大変です」と言って、それから<ruby><rb>誰</rb><rt>たれ</rt></ruby>とも一緒に<ruby><rb>行</rb><rt>ゆ</rt></ruby>くことを許さなかった。「おばあさんに心配させるものではありません」とまたあとで言った。

それはそれでとにかくおさまったが、午後になるとわたしの友達は皆行ってしまった。芝居はもう<ruby><rb>開</rb><rt>あ</rt></ruby>いているのだ。わたしは<ruby><rb>遠音</rb><rt>とおね</rt></ruby>に<ruby><rb>囃</rb><rt>はやし</rt></ruby>を聞いて、「今頃は友達が舞台の下で、豆乳を買って食べてるな」と想った。

その日は一日、釣りにも<ruby><rb>行</rb><rt>ゆ</rt></ruby>かず物もあまり食べないで母親を困らせた。晩飯の時分には外祖母もとうとう気がついて、この子がすねるのも無理はないよ。あの人達はあんまり無作法だ。お客に対する道を知らないといって嘆息した。

飯を食ってしまうと、芝居を見に行った子供達は皆帰って来た、そうして面白そうにきょうの芝居の話をした。ただわたしだけは口もきかずに沈んでいると、彼等は皆嘆息して気の毒がった。

<ruby><rb>雙喜</rb><rt>そうき</rt></ruby>という子供は中でも賢い方であったが、たちまち何か想い出して、「大船ならあれがあるぜ。<ruby><rb>八叔</rb><rt>はちおじ</rt></ruby>の通い<ruby><rb>船</rb><rt>ぶね</rt></ruby>は、帰って来ているじゃないか」

十幾人のほかの子供はこの言葉に引かされて勇み立ち、あの船で一緒に行こう、と皆立上った。わたしはようやく元気づいた。けれど外祖母は子供だけじゃ安心が出来ないと言った。母親も、「<ruby><rb>誰</rb><rt>た</rt></ruby>れか一人大人を附けてやりましょう」と言ったが、大人は昼の仕事に<ruby><rb>労</rb><rt>つ</rt></ruby>かれているので、夜頼むわけにはゆかない。どうしようかと考えている<ruby><rb>中</rb><rt>うち</rt></ruby>に、雙喜はまた何かいい事を想いついたようで大声上げて言った。

「わたしが引受けます。船は大きいし、<ruby><rb>迅</rb><rt>じん</rt></ruby>ちゃんはおとなしいし、わたしどもは泳ぎがうまいし、こんなら大丈夫です」

まったくそうだ。この十幾人の子供は実際一人だって、鴨の仲間でない者はない。その上二三人は大潮を乗切った者さえある。

外祖母も母親もようやく安心して今はもう何とも言わずにただ笑っていた。わたしどもは一斉に立上っておめき叫んで門を出た。

わたしの重苦しい心は、急に軽く晴れやかになった。身体ものびのびして大きくなったように思われた。門を出ると月下の<ruby><rb>平橋</rb><rt>へいきょう</rt></ruby>には白い<ruby><rb>苫船</rb><rt>とまぶね</rt></ruby>が<ruby><rb>繋</rb><rt>もや</rt></ruby>っていた。みんなは船に跳び込んだ。雙喜は前の棹を引抜き、<ruby><rb>阿發</rb><rt>あはつ</rt></ruby>は後ろの棹を抜いた。<ruby><rb>年弱</rb><rt>としよわ</rt></ruby>の子供は皆わたしに附いて中の間に坐った。年上の子供は船尾に<ruby><rb>聚</rb><rt>あつま</rt></ruby>っていた。母親は送って来て「気をつけておいでよ」と言った時には、もう船は出ていた。橋石にぶつかって二三尺<ruby><rb>退</rb><rt>しりぞ</rt></ruby>いたが、すぐまた前に進んで橋を通り抜けた。そこで二<ruby><rb>梃</rb><rt>ちょう</rt></ruby>の<ruby><rb>櫓</rb><rt>ろ</rt></ruby>をつけて、一梃に二人がかかって一里<ruby><rb>行</rb><rt>ゆ</rt></ruby>くと交替した。笑う者もあった、<ruby><rb>喋舌</rb><rt>しゃべ</rt></ruby>る者もあった。その声は水を切って<ruby><rb>行</rb><rt>ゆ</rt></ruby>く音と入り交った。左右はみな青々とした豆麦の畑をとおす河中に、われわれは飛ぶが如く趙荘さして進んだ。

両岸の豆麦と河底の水草から発散する<ruby><rb>薫</rb><rt>かおり</rt></ruby>は、水気の中に入りまじって<ruby><rb>面</rb><rt>おもて</rt></ruby>を<ruby><rb>撲</rb><rt>う</rt></ruby>って吹きつけた。月の色はもうろうとしてこの水気の中に漂っていた。薄黒いデコボコの連山は、さながら勇躍せる鉄の<ruby><rb>獣</rb><rt>けだもの</rt></ruby>の背にも似て、あとへあとへと<ruby><rb>行</rb><rt>ゆ</rt></ruby>くようにも見えた。それでもわたしは<ruby><rb>船脚</rb><rt>ふなあし</rt></ruby>がのろくさくさえ思われた。彼等は<ruby><rb>四度</rb><rt>よたび</rt></ruby>手を換えた時、ようやく趙荘がぼんやり見え出して、歌声もどうやら聞えて来た。幾つかの火は舞台の明りか、それともまた漁りの火か。

あの声はたぶん横笛だろう。<ruby><rb>宛転悠揚</rb><rt>えんてんゆうよう</rt></ruby>としてわたしの心を押し沈め、我れを忘れていると、それは豆麦や藻草の<ruby><rb>薫</rb><rt>かおり</rt></ruby>の<ruby><rb>夜気</rb><rt>やき</rt></ruby>の中に、散りひろがってゆくようにも覚えた。

その火は近づいた。果して漁り火だった。わたしが今し方見たのは趙荘ではなかった。それは<ruby><rb>一叢</rb><rt>ひとむれ</rt></ruby>の松林で、わたしは去年遊びに来て知っていたが、今も壊れた<ruby><rb>石馬</rb><rt>せきば</rt></ruby>が<ruby><rb>河端</rb><rt>かわばた</rt></ruby>にのめって、一つの<ruby><rb>石羊</rb><rt>せきよう</rt></ruby>が草の中にうずくまっていた。この林を越すと、船はぐるりと廻ってまた港に<ruby><rb>入</rb><rt>い</rt></ruby>り、そこで初めて趙荘が見えた。

何よりも<ruby><rb>先</rb><rt>さ</rt></ruby>きに眼に<ruby><rb>入</rb><rt>い</rt></ruby>ったのは村の<ruby><rb>端</rb><rt>はず</rt></ruby>れの河添いの空地に突立っている一つの舞台だ。ぼんやりとした遠くの方の月夜の中で、<ruby><rb>空間</rb><rt>くうかん</rt></ruby>の諸物がほとんどハッキリ分界していなかった。わたしは<ruby><rb>画</rb><rt>え</rt></ruby>の中の仙境がここへ出現したのかと思った。この時船はいっそう早く走って、まもなく舞台の人が見え、赤い物や青い物が動いて舞台の側の河の中に<ruby><rb>真黒</rb><rt>まっくろ</rt></ruby>に見えるのは、見物人の船の<ruby><rb>苫</rb><rt>とま</rt></ruby>だ。

「前の方に<ruby><rb>空間</rb><rt>あきま</rt></ruby>がないから俺達は遠くの方で見よう」と阿發が言った。

船はここまで来ると、ゆっくり漕ぎ出して、だんだん側に近づいてみると果たして<ruby><rb>空間</rb><rt>あきま</rt></ruby>がなかった。みんなが棹をおろしたところは、舞台の正面からはずいぶん離れていた。正直に言うと、わたしどもの<ruby><rb>白苫</rb><rt>しろとま</rt></ruby>の船は<ruby><rb>黒苫</rb><rt>くろとま</rt></ruby>の船の側へ<ruby><rb>行</rb><rt>ゆ</rt></ruby>くのはいやなんだ。まして<ruby><rb>空間</rb><rt>あきま</rt></ruby>がないのだから。

停船の間際に舞台の上を見ると黒い長鬍の男が、四つの<ruby><rb>旗</rb><rt>はた</rt></ruby>を背に挿して、長槍をしごき、腕を剥き出した大勢の男と戦いの最中であった。

「あれは名高い<ruby><rb>荒事師</rb><rt>あらごとし</rt></ruby>だ。<ruby><rb>蜻蛉</rb><rt>とんぼ</rt></ruby>返りの四十八手が皆出来るんだよ。昼間幾度も出た」と雙喜は言った。

わたしどもは皆<ruby><rb>船頭</rb><rt>みよし</rt></ruby>に立って戦争を見ていたが、その荒事師は決して蜻蛉返りをしなかった。ただ腕を剥き出した男が四五人、逆蜻蛉を打つと皆引込んでしまった。続いて一人の<ruby><rb>女形</rb><rt>おやま</rt></ruby>が出てイーイーアーアーと唱った。雙喜はまた言った。

「夜は見物が少いから、荒事師は怠けているのだ。誰だってしんそこの腕前を無駄に見せるのはいやだからね」

全くそうだった。その時舞台の下にはあまり多くの人を見なかった。田舎者はあすの仕事があるから、夜になると我慢が出来ず皆<ruby><rb>睡</rb><rt>ねむ</rt></ruby>りに行った。ちらばら立っているのはこの村と隣の村の閑人であった。黒い苫船の中に立っているのはいうまでもなく村の物持の家族であった。けれど彼等は芝居を見ているのではなかった。大抵はそこでお菓子や果物や瓜などを食べていた。だから平たく言えば見物が無いと言ってもいいくらいで、雙喜が無駄だといったのも無理はない。

わたしは格別、逆蜻蛉を見たいとも思わなかった。わたしの見たいのは、役者が白い<ruby><rb>布</rb><rt>きれ</rt></ruby>をかぶって一つの蛇のような蛇の精を両手に捧げているのと、もう一つは黄いろい<ruby><rb>著物</rb><rt>きもの</rt></ruby>を<ruby><rb>著</rb><rt>き</rt></ruby>た虎のような虎が躍り出すことである。わたしはそれをいつまでも待っていたが遂に見ることが出来なかった。<ruby><rb>女形</rb><rt>おやま</rt></ruby>が引込むと、今度は皺だらけの若旦那が出て来た。わたしはもう退屈して<ruby><rb>桂生</rb><rt>けいせい</rt></ruby>に<ruby><rb>吩咐</rb><rt>いいつ</rt></ruby>け豆乳を買いにやった。桂生はすぐ返って来た。

「ありません。豆乳屋の<ruby><rb>聾</rb><rt>つんぼ</rt></ruby>は帰ってしまいました。昼間はあったんですがね、わたしは二杯食べました。仕方がない。お湯を一杯貰って来て上げましょうか」

わたしはお湯も飲まずになお突立って芝居を見ていた。それも何を見たとハッキリ言うことが出来ないが、役者の顔がだんだん<ruby><rb>変槓</rb><rt>へんてこ</rt></ruby>のものになって、五官の働きがあるのだか、ないのだか、何もかも一緒くたになって区別がつかなかった。小さな子供は勝手に自分の話をしていた。するとたちまち一人の赤い薄ぎぬを著た道化役が舞台の柱に縛られて胡麻塩鬍の者から鞭で打たれた。みんなはようやく元気づいて笑い出した。これはその一晩の中で、一番いい幕だった。そうこうしているうちに、ふけおやまが出た。

ふけおやまはわたしの大嫌いなもので、何よりも坐って歌を唱うのがいやだ。この時ほかの見物人も皆いやな顔をしていたから、あの人達の考えもわたしと同じであることを知った。そのおやまは初めしずしず歩いて唱っていたが、しまいにとうとう真中の椅子の上に坐った。わたしはうんざりした。雙喜や他の人達もぶつぶつ言いだした。わたしは我慢してしばらく見ているとその役者は手を挙げたので立って<ruby><rb>行</rb><rt>ゆ</rt></ruby>くのか、と思ったところが、いやはや、やっぱりもとの処で長々しく唱い続けた。船の中の者はみんな溜息を<ruby><rb>吐</rb><rt>つ</rt></ruby>いたり<ruby><rb>欠伸</rb><rt>あくび</rt></ruby>をしたり。雙喜は<ruby><rb>終</rb><rt>つい</rt></ruby>に堪えかね、「こいつはあしたまで続きそうだぜ。もう帰ろうじゃないか」というと、みんなはすぐに賛成して、勇ましく立上がり、三四人は船尾へ行って棹を抜き、<ruby><rb>幾丈</rb><rt>いくじょう</rt></ruby>か後すざりして船を廻し、ふけおやまを罵りながら、松林に向って進んだ。

月はまだ残っていた。見物した時間はあまり長くもないらしかった。趙荘を出ると月の光はいっそうあざやかになった。ふりかえって見ると舞台は燈火の中に<ruby><rb>漂渺</rb><rt>ひょうびょう</rt></ruby>として、一つの<ruby><rb>仙山楼閣</rb><rt>かいやぐら</rt></ruby>を形成し、来がけにここから眺めたものと同様に赤い霞が覆いかぶさり、耳のあたりに吹き寄せる横笛は極めて悠長であった。わたしはふけおやまがもう引込んだにちがいないとは思ったが、まさかもう一度見せてくれとも言えなかった。

まもなく松林は後ろの方になった。船あしは決して遅くもなかったが、あたりは黒く濃く、夜更であることが知れた。彼等は芝居を罵り笑いながら船を漕いだ。すると<ruby><rb>舳</rb><rt>じく</rt></ruby>に突当る水の音が<ruby><rb>一際</rb><rt>ひときわ</rt></ruby>あざやかに、船はさながら一つの<ruby><rb>大白魚</rb><rt>たいはくぎょ</rt></ruby>が一群の子供を背負うて浪の中に突入するように見えた。夜どおし魚を取っている爺さん<ruby><rb>連</rb><rt>れん</rt></ruby>は船を停めてこちらを眺めて思わず喝采した。

平橋までは一里もあるらしかった。漕ぎ手も皆つかれた。無暗に力を出した上になんにも食わないからだ。その時桂生はいいことに気がついた。<ruby><rb>羅漢豆</rb><rt>らかんまめ</rt></ruby>が今出盛りだぜ。火があるからちょっと失敬して煮て食おう。みんなは賛成した。すぐ船を岸へつけておかに<ruby><rb>上</rb><rt>あが</rt></ruby>った。田の中には真黒に光ったものがあった。それは今実を結んだ羅漢豆であった。

「あ、あ、阿發、この辺はお前の<ruby><rb>家</rb><rt>うち</rt></ruby>の地面だぜ。あの辺が<ruby><rb>六一爺</rb><rt>ろくいちおやじ</rt></ruby>の地処だ。俺達はそいつを取ってやろう」

真先におかへ<ruby><rb>上</rb><rt>あが</rt></ruby>っていた雙喜は言った。われわれは皆おかへ<ruby><rb>上</rb><rt>あが</rt></ruby>った。阿發は跳ね<ruby><rb>上</rb><rt>あが</rt></ruby>って

「ちょっと待ってくれ、<ruby><rb>乃公</rb><rt>おれ</rt></ruby>に見せてくれ」

彼は行ったり来たりしてさぐってみたが、急に身を起して

「乃公の<ruby><rb>家</rb><rt>うち</rt></ruby>のがいいよ。大きいからね」

この声をきくと皆はすぐに阿發の<ruby><rb>家</rb><rt>うち</rt></ruby>の豆畑へ入った。めいめい一抱えずつもぎ取って船の中へ投げ込んだ。雙喜はあんまり多く取って阿發のお袋に叱られるといけないと思ったので、皆を六一爺さんの畑の方へやってまた一抱えずつ<ruby><rb>偸</rb><rt>ぬす</rt></ruby>ませた。

年上の子供はまたぶらぶら船を漕ぎ出した。他の者は船室の後ろで火を起した。<ruby><rb>年弱</rb><rt>としよわ</rt></ruby>の者はわたしと一緒に豆を剥いた。まもなく豆は煮えた。みんなは船をやりっ放しにして真中に集まって、<ruby><rb>撮</rb><rt>つま</rt></ruby>んで食った。食ってしまうとまた船を出した。道具を片附けて<ruby><rb>豆殻</rb><rt>まめがら</rt></ruby>は皆河の中へ棄てた。何の痕跡も残さなかったが、雙喜は八おじさん（船の持主）の塩と薪を使ったことを心配した。あのおやじはこまかいからね、きっと嗅ぎつけて怒鳴って来るにちがいない。

みんなそこでいろんな意見を吐いたが、結局、構うもんか、もしあいつが何とか言ったら、去年あいつが<ruby><rb>陸</rb><rt>おか</rt></ruby>へ<ruby><rb>上</rb><rt>あが</rt></ruby>って<ruby><rb>櫨</rb><rt>はぜ</rt></ruby>の枯木を持って行ったからそれを返せと言ってやるんだ。そうして眼の前で、八の禿頭を囃してやるんだ。

「<ruby><rb>家</rb><rt>うち</rt></ruby>へ帰れば大丈夫だよ。乃公が保証する」

と雙喜は<ruby><rb>船頭</rb><rt>みよし</rt></ruby>に立って叫んだ。わたしはみよしの方を見ると、前はもう平橋であった。橋の根元に人が一人立っていたがそれは母親であった。雙喜はわたしの母親に向って何か言ったが、わたしも<ruby><rb>前艙</rb><rt>いちのま</rt></ruby>の方へ出た。船は平橋に来て停った。われわれはごたごた<ruby><rb>陸</rb><rt>おか</rt></ruby>へ<ruby><rb>上</rb><rt>あが</rt></ruby>った。母親は少し不機嫌で、十二時過ぎても帰らないからどうしたのかと思ったよ、とは言ったが、それでも元気よくみんなをよんで、<ruby><rb>炒米</rb><rt>いりごめ</rt></ruby>を食わせた。みんなはもうおやつを食べているし、眠くはあるし、早く帰って寝たかったので、すぐに散り散りに別れた。

次の日、わたしは昼頃になってようやく起きた。八おじさんの塩薪事件は何の問題も引起さなかった。午後はやはり蝦釣りに行った。

「雙喜、てめえ達はきのう乃公の豆を偸んだろう。いけねえなあ、たくさん偸んだ上に、あんなに踏み荒しては」

わたしは首を挙げて見ると、六一爺さんは、小船に棹さして豆売からの帰りがけらしく、船の中にまだたくさんの豆が残っていた。

「ええ、わたしどもは御馳走になったよ。初めはお前のとこのものは、要らなかったんだが、ね、御覧、お前はわたしの蝦を<ruby><rb>嚇</rb><rt>おど</rt></ruby>かして逃してしまったよ」と雙喜は言った。

「御馳走か――ちげえねえ」六一爺さんはわたしを見ながら櫂をとめて笑った。

「迅ちゃん、きのうの芝居は面白かったかね」

わたしは頷いて「ええ」と答えた。

「豆はうまかったかね」

「ああ大変うまかったよ」

六一爺さんは非常に感激して、親指をおこして、得意になって喋舌った。

「さすがは大どころで育った学者だけあって、目が高い。乃公の豆は一粒<ruby><rb>撰</rb><rt>よ</rt></ruby>りなんだぜ。田舎者にゃわからねえ。全く乃公の豆は、ほかのもんとは比べ物にならねえ。乃公はきょう幾らか、おばさんのところへ持ってってやるんだ」

彼はそこで櫂を押して過ぎ去った。

わたしは母親に<ruby><rb>喚</rb><rt>よ</rt></ruby>ばれて晩飯を食いに帰ったら、卓上の大どんぶりに煮立ての羅漢豆があった。これは六一爺さんがわたしの母とわたしに食べさせるために贈ってくれたもので、彼は母親に向って、わたしのことを<ruby><rb>箆棒</rb><rt>べらぼう</rt></ruby>にほめていたそうだ。

「年はいかないが見上げたもんだ。いまにきっと<ruby><rb>状元</rb><rt>じょうげん</rt></ruby>に<ruby><rb>中</rb><rt>あた</rt></ruby>るよ。おばさん、おめえ様の福分は乃公が保証しておく」

わたしは豆を食べたが、どうしてもゆうべの豆のような旨みは無かった。

まったく、それからずっと今まで、わたしは本当にあの晩のようないい豆は二度と食べたことはなかった。――あの晩のようないい芝居も二度と見たことはなかった。

（一九二二年十月）