Soranoha

恒藤恭氏

つねとうきょうし

芥川 竜之介

恒藤恭は一高時代の親友なり。寄宿舎も同じ中寮の三番室に一年の間居りし事あり。当時の恒藤もまだ法科にはいらず。一部の乙組即ち英文科の生徒なりき。

恒藤は朝六時頃起き、午の休みには昼寝をし、夜は十一時の消灯前に、ちゃんと歯を磨いた後、床にはいるを常としたり。その生活の規則的なる事、エマヌエル・カントの再来か時計の振子かと思う程なりき。当時僕等のクラスには、久米正雄の如き或は菊池寛の如き、天縦の材少なからず、是等の豪傑は恒藤と違い、酒を飲んだりストオムをやったり、天馬の空を行くが如き、或は乗合自動車の町を走るが如き、放縦なる生活を喜びしものなり。故に恒藤の生活は是等の豪傑の生活に対し、規則的なるよりも一層規則的に見えしなるべし。僕は恒藤の親友なりしかど、到底彼の如くに几帳面なる事能わず、人並みに寝坊をし、人並みに夜更かしをし、凡庸に日を送るを常としたり。

恒藤は又秀才なりき。格別勉強するとも見えざれども、成績は常に首席なる上、仏蘭西語だの羅甸語だの、いろいろのものを修業しいたり。それから休日には植物園などへ、水彩画の写生に出かけしものなり。僕もその御伴を仰せつかり、彼の写生する傍らに半日本を読みし事も少からず。恒藤の描きし水彩画中、最も僕の記憶にあるものは冬枯れの躑躅つつじを写せるものなり。但し記憶にある所以は不幸にも画の妙にあらず。躑躅だと説明される迄は牛だとばかり思っていた故なり。

恒藤は又論客なりき。――その前にもう一つ書きたき事は恒藤も詩を作れる事なり。当時僕等のクラスには詩人歌人少からず。「げに天才の心こそカメレオンにも似たりけれ」と歌えるものは当時の久米正雄なり。「教室の机によれば何となく怒鳴つて見たい心地するなり」と歌えるものは当時の菊池寛なり。当時の恒藤に数篇の詩あるも、亦怪しむを要せざるべし。その一篇に云う。

かみはつねにうゑにみてり

いのちのみをそのにまきて

みのれるときむさぼりくふ

かみのうゑのゆゑによりて

かみのみなをほめたたふや

はかなきみをむすべるもの

もう一度新たに書き出せば、恒藤は又論客なり。僕は爾来十余年、未だ天下に彼の如く恐るべき論客あるを知らず。若し他に一人を数うべしとせば、唯児島喜久雄君あるのみ。僕は現在恒藤と会うも、滅多に議論を上下せず。上下すれば負ける事をちゃんと心得ている故なり。されど一高にいた時分は、飯を食うにも、散歩をするにも、のべつ幕なしに議論をしたり。しかも議論の問題となるものは純粋思惟とか、西田幾太郎とか、自由意志とか、ベルグソンとか、むずかしい事ばかりに限りしを記憶す。僕はこの論戦より僕の論法を発明したり。聞説す、かのガリヴァアの著者は未だ論理学には熟せざるも、議論は難からずと傲語せしと。思うにスヰフトも親友中には、必恒藤恭の如き、辛辣なる論客を有せしなるべし。

恒藤は又謹厳の士なり。酒色を好まず、出たらめを云わず、身を処するに清白なる事、僕などとは雲泥の差なり。同室同級の藤岡蔵六も、やはり謹厳の士なりしが、これは謹厳すぎる憾なきにあらず。「待合のフンクティオネンは何だね?」などと屡僕を困らせしものはこの藤岡蔵六なり。藤岡にはコオエンの学説よりも、待合の方が難解なりしならん。恒藤はそんな事を知らざるに非ず。知って而して謹厳なりしが如し。しかもその謹厳なる事は一言一行の末にも及びたりき。例えば恒藤は寮雨をせず。寮雨とは夜間寄宿舎の窓より、勝手に小便を垂れ流す事なり。僕は時と場合とに応じ、寮雨位辞するものに非ず。僕問う。「君はなぜ寮雨をしない?」恒藤答う。「人にされたら僕が迷惑する。だからしない。君はなぜ寮雨をする?」僕答う。「人にされても僕は迷惑しない、だからする。」恒藤は又賄まかない征伐をせず。皿を破り飯櫃を投ぐるは僕も亦能くせざる所なり。僕問う。「君はなぜ賄征伐をしない?」恒藤答う。「無用に器物を毀すのは悪いと思うから。――君はなぜしない?」僕答う。「しないのじゃない、出来ないのだ。」

今恒藤は京都帝国大学にシュタムラアとかラスクとかを講じ、僕は東京に文を売る。相見る事一年に一両度のみ。昔一高の校庭なる菩提樹下を逍遥しつつ、談笑して倦まざりし朝暮を思えば、懐旧の情に堪えざるもの多し。即ち改造社の嘱に応じ、立ちどころにこの文を作る。時に大正壬戌の年、黄花未だ発せざる重陽なり。

底本 / Source edition

底本:「大川の水・追憶・本所両国 現代日本のエッセイ」講談社文芸文庫、講談社
1995(平成7)年1月10日第1刷発行
底本の親本:「芥川龍之介全集 第一~九、一二巻」岩波書店
1977(昭和52)年7、9~12月、1978(昭和53)年1~4、7月初版発行
入力:向井樹里
校正:門田裕志
2005年2月20日作成
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書誌 / Bibliography
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芥川 竜之介「恒藤恭氏」(新字新仮名)、底本『大川の水・追憶・本所両国 現代日本のエッセイ』講談社文芸文庫、講談社、1995年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 043385_000879, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

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