Soranoha

合理的、同時に多量の人間味

ごうりてき、どうじにたりょうのにんげんみ

芥川 竜之介

菊池は生き方が何時も徹底している。中途半端のところにこだわっていない。彼自身の正しいと思うところを、ぐん〱実行にうつして行く。その信念は合理的であると共に、必らず多量の人間味を含んでいる。そこを僕は尊敬している。僕なぞは芸術にかくれるという方だが、菊池は芸術に顕われる――と言っては、おかしいが、芸術は菊池の場合、彼の生活の一部に過ぎないかの観がある。一体芸術家には、トルストイのように、その人がどう人生を見ているかに興味のある人と、フローベールのように、その人がどう芸術を見ているかに興味のある人と二とおりあるらしい。菊池なぞは勿論、前者に属すべき芸術家で、その意味では人生のための芸術という主張に縁が近いようである。

菊池の小説も、菊池の生活態度のように、思切ってぐん〱書いてある。だから、細かい味なぞというものは乏しいかも知れない。そこが一部の世間には物足りないらしいが、それは不服を言う方が間違っている。菊池の小説は大味であっても、小説としてちゃんと出来上っている。細かい味以外に何もない作品よりどの位ましだか分らないと思う。

菊池はそういう勇敢な生き方をしている人間だが、思いやりも決して薄い方ではない。物質的に困っている人たちには、殊に同情が篤いようである。それはいくらも実例のあることだが公けにすべき事ではないから、こゝに挙げることは差し控える。それから、僕自身に関したことでいうと、仕事の上のことで、随分今迄に菊池に慰められたり、励まされたりしたことが多い。いや、口に出してそう言われるよりも、菊池のデリケートな思いやりを無言のうちに感じて、気強く思ったことが度々ある、だから、為事の上では勿論、実生活の問題でも度々菊池に相談したし、これからも相談しようと思っている。たゞ一つ、情事に関する相談だけは持込もうと思っていない。

それから、頭脳あたまのいゝことも、高等学校時代から僕等の仲間では評判である。語学なぞもよく出来るが、それは結局菊池の分析的の頭脳あたまのよさの一つの現われに過ぎないのだと思う。所謂理智の逞ましさにかけては、文壇でも菊池の向うを張れる人は、数えるほどもないに違いない。何時か雨の降る日に、菊池と外そとを歩いていたことがある。僕はその時、ぬかるみに電車の影が映うつったり、雨にぬれた洋傘が光ったりするのに感服していたが、菊池は軒先の看板や標札を覗いては、苗字の読み方や、珍らしい職業の名なぞに注意ばかりしていた。菊池の理智的な心の持ち方は、こんな些事にも現われているように思う。

それから家庭の菊池は、いゝ良人でもあるし、いゝ父でもあるのみならず、いゝ隣人をも兼ねているようである。菊池の家へ行くと、近所の子供が大ぜい集まって、菊池夫婦や、菊池の子供と遊んでいることが度々ある。一度などは菊池の一家は留守で、近所の子供だけが二三人で留守番をしていたことがあった。こういう工合に、子供たちと仲がいゝのだから、その子供たちの親たちとも仲のいゝのは不思議はない。僕等の間では、今に菊池は町会議員に選挙されはしないかという噂さえある。

今まで話したような事柄から菊池には、菊池の境涯がちゃんと出来上がっているという気がする。そうして、その境涯は、可也僕には羨ましい境涯である。若し、多岐多端の現代に純一に近い生活を楽しんでいる作家があるとしたら、それは詠嘆的に自然や人生を眺めている一部の詩人的作家よりも、寧ろ、菊池なぞではないかと思う。

底本 / Source edition

底本:「大川の水・追憶・本所両国 現代日本のエッセイ」講談社文芸文庫、講談社
1995(平成7)年1月10日第1刷発行
底本の親本:「芥川龍之介全集 第一~九、一二巻」岩波書店
1977(昭和52)年7、9~12月、1978(昭和53)年1~4、7月発行
入力:向井樹里
校正:砂場清隆
2007年2月12日作成
青空文庫作成ファイル:
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書誌 / Bibliography
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芥川 竜之介「合理的、同時に多量の人間味──――相互印象・菊池寛氏――」(新字新仮名)、底本『大川の水・追憶・本所両国 現代日本のエッセイ』講談社文芸文庫、講談社、1995年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 043376_000879, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

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