一

今より四年前のことである、（とある男が話しだした）自分は何かの用事で銀座を歩いていると、ある<ruby><rb>四辻</rb><rt>よつつじ</rt></ruby>の<ruby><rb>隅</rb><rt>すみ</rt></ruby>に一人の男が尺八を吹いているのを見た。七八人の人がその前に立っているので、自分もふと足を止めて<ruby><rb>聴</rb><rt>き</rt></ruby>く人の仲間に加わった。

ころは春五月の末で、日は西に傾いて西側の家並みの影が東側の家の<ruby><rb>礎</rb><rt>いしずえ</rt></ruby>から二三尺も上に<ruby><rb>這</rb><rt>は</rt></ruby>い上っていた。それで尺八を吹く男の腰から上は<ruby><rb>鮮</rb><rt>あざ</rt></ruby>やかな<ruby><rb>夕陽</rb><rt>ゆうひ</rt></ruby>に照されていたのである。

夕暮近いので、街はひとしおの雑踏を極め、鉄道馬車の往来、<ruby><rb>人車</rb><rt>くるま</rt></ruby>の東西に<ruby><rb>駈</rb><rt>か</rt></ruby>けぬける車輪の音、<ruby><rb>途</rb><rt>みち</rt></ruby>を急ぐ人足の響きなど、あたりは騒然紛然としていた。この騒がしい場所の騒がしい時にかの男は<ruby><rb>悠然</rb><rt>ゆうぜん</rt></ruby>と尺八を吹いていたのである。それであるから、自分の目には彼が半身に浴びている春の夕陽までがいかにも静かに、穏やかに見えて、彼の尺八の音の<ruby><rb>達</rb><rt>とど</rt></ruby>く限り、そこに悠々たる一<ruby><rb>寰区</rb><rt>かんく</rt></ruby>が作られているように思われたのである。

自分は彼が吹き出づる一高一低、絶えんとして絶えざる哀調を聴きながらも、つらつら彼の姿を<ruby><rb>看</rb><rt>み</rt></ruby>た。

彼は<ruby><rb>盲人</rb><rt>めくら</rt></ruby>である。年ごろは三十二三でもあろうか、日に焼けて黒いのと、<ruby><rb>垢</rb><rt>あか</rt></ruby>に<ruby><rb>埋</rb><rt>うず</rt></ruby>もれて汚ないのとで年もしかとは判じかねるほどであった。ただ汚ないばかりでなく、見るからして彼ははなはだやつれていた、思うに昼は<ruby><rb>街</rb><rt>ちまた</rt></ruby>の<ruby><rb>塵</rb><rt>ちり</rt></ruby>に吹き立てられ、夜は木賃宿の隅に垢じみた夜具を<ruby><rb>被</rb><rt>かぶ</rt></ruby>るのであろう。<ruby><rb>容貌</rb><rt>かおだち</rt></ruby>は長い方で、鼻も高く<ruby><rb>眉毛</rb><rt>まゆげ</rt></ruby>も濃く、額は<ruby><rb>櫛</rb><rt>くし</rt></ruby>を加えたこともない<ruby><rb>蓬々</rb><rt>ぼうぼう</rt></ruby>とした<ruby><rb>髪</rb><rt>け</rt></ruby>で半ばおおわれているが、見たところほどよく発達し、よく下品な人に見るような骨張ったむげに<ruby><rb>凸起</rb><rt>とっき</rt></ruby>した額ではない。

音の力は恐ろしいもので、どんな下等な<ruby><rb>男女</rb><rt>なんにょ</rt></ruby>が弾吹しても、聴く方から思うと、なんとなく弾吹者その人までをゆかしく感ずるものである。ことにこの盲人はそのむさくるしい姿に反映してどことなく人品の高いところがあるので、なおさら自分の心を動かした、恐らく聴いている他の人々も同感であったろうと思う。その吹き出づる哀楽の曲は彼が運命<ruby><rb>拙</rb><rt>つた</rt></ruby>なき身の上の旧歓今悲を語るがごとくに人々は感じたであろう。聴き捨てにする人は少なく、一銭二銭を彼の手に握らして立ち去るが多かった。

二

同じ年の夏である。自分は家族を連れて鎌倉に暑さを避け、山に近き一<ruby><rb>小屋</rb><rt>こいえ</rt></ruby>を借りて住んでいた。ある夜のこと、月影ことに<ruby><rb>冴</rb><rt>さ</rt></ruby>えていたので<ruby><rb>独</rb><rt>ひと</rt></ruby>り散歩して浜に出た。

浜は昼間の<ruby><rb>賑</rb><rt>にぎ</rt></ruby>わいに引きかえて、月の景色の<ruby><rb>妙</rb><rt>たえ</rt></ruby>なるにもかかわらず人出少し。自分は小川の海に注ぐ<ruby><rb>汀</rb><rt>みぎわ</rt></ruby>に立って波に砕くる<ruby><rb>白銀</rb><rt>しろがね</rt></ruby>の光を眺めていると、どこからともなく尺八の音が<ruby><rb>微</rb><rt>かす</rt></ruby>かに聞えたので、あたりを見廻わすと、笛の音は西の方、ほど近いところ、漁船の多く<ruby><rb>曳</rb><rt>ひ</rt></ruby>き上げてあるあたりから起るのである。

近づいて見ると、はたして一艘の小舟の水際より四五間も曳き上げてあるをその<ruby><rb>周囲</rb><rt>まわり</rt></ruby>を取り巻いて、ある者は<ruby><rb>舷</rb><rt>ふなばた</rt></ruby>に腰かけ、ある者は<ruby><rb>砂上</rb><rt>すな</rt></ruby>にうずくまり、ある者は立ちなど、十人あまりの男女が集まっている、そのうちに一人の男が舷に<ruby><rb>倚</rb><rt>よ</rt></ruby>って尺八を吹いているのである。

自分は、人々の群よりは、離れて聴いていた。月影は<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">こんもり</span>とこの<ruby><rb>一群</rb><rt>ひとむれ</rt></ruby>を<ruby><rb>映</rb><rt>てら</rt></ruby>している、人々は<ruby><rb>一語</rb><rt>ひとこと</rt></ruby>を発しないで耳を傾けていた。今しも一曲が終わったらしい、<ruby><rb>聴者</rb><rt>ききて</rt></ruby>の三四人は立ち去った。余の人々は次の曲を待っているけれど吹く男は尺八を<ruby><rb>膝</rb><rt>ひざ</rt></ruby>に突き<ruby><rb>首</rb><rt>かしら</rt></ruby>を<ruby><rb>垂</rb><rt>た</rt></ruby>れたまま身動きもしないのである。かくしてまた四五分も経った。他の三四人がまた立ち去った。自分は小船に近づいた。

見ると残っている聴者の三人は浜の童の一人、村の若者の二人のみ、自分は舷に近く笛吹く男の前に立った。男は<ruby><rb>頭</rb><rt>かしら</rt></ruby>を上げた。思いきや彼はこの春、銀座街頭に見たるその盲人ならんとは。されど盲人なる彼れの<ruby><rb>盲目</rb><rt>めくら</rt></ruby>ならずとも自分を見知るべくもあらず、しばらく自分の方を向いていたが、やがてまた吹き初めた。<ruby><rb>指端</rb><rt>したん</rt></ruby>を弄して低き音の<ruby><rb>縷</rb><rt>いと</rt></ruby>のごときを引くことしばし、突然中止して<ruby><rb>船端</rb><rt>ふなばた</rt></ruby>より下りた。自分はいきなり、

「あんまさん、私の<ruby><rb>宅</rb><rt>うち</rt></ruby>に来て、少し聞かしてくれんか」

「ヘイ、ヘイー」と彼は驚いたように言って急に自分の顔を見て、そしてまた頭を垂れ首を傾け「ヘイ、どちら様へでも参ります」

「ウン、それじゃ来ておくれ」と自分は先に立った。

「お前の眼は全く見えないのかね」と四五歩にして振り返りさま自分は問うた。

「イイエ、右の方は少し見えるのでございます」

「少しでも見えれば結構だね」

「ヘエ、ヘヘヘヘヘ」と彼は<ruby><rb>軽</rb><rt>かろ</rt></ruby>く笑ったが「イヤなまじすこしばかり見えるのもよくございません、欲が出ましてな」

「オイ橋だぞ」と<ruby><rb>溝</rb><rt>みぞ</rt></ruby>にかけし小橋に注意して「けれども全く見えなくちゃアこんなところまで来て<ruby><rb>稼</rb><rt>かせ</rt></ruby>ぐわけにゆかんではないか」

「稼ぐのならようございますが流がすので……」

「お前どこだイ、生まれは」

「生まれは西でございます、ヘイ」

「私はお前をこの春、銀座で見たことがある、どういうものかその時から時々お前のことを思いだすのだ、だから今もお前の顔を一目見てすぐ知った」

「ヘイそうでございますか、イヤもう行き当りばったりで足の向き次第、国々を流して歩るくのでございますからどこでどなた様に<ruby><rb>逢</rb><rt>あ</rt></ruby>いますことやら……」

<ruby><rb>途</rb><rt>みち</rt></ruby>で二三の年若い男女に<ruby><rb>出遇</rb><rt>であ</rt></ruby>った。軽雲一片月をかざしたのであたりはおぼろになった。手風琴の軽い調子が高い窓から響く。間もなく自分の<ruby><rb>宅</rb><rt>うち</rt></ruby>に着いた。

三

<ruby><rb>縁辺</rb><rt>えんがわ</rt></ruby>に席を与えて、まず麦湯一杯、それから一曲を所望した。自分は尺八のことにはまるで素人であるから、彼が吹くその曲の<ruby><rb>善</rb><rt>よ</rt></ruby>し<ruby><rb>悪</rb><rt>あ</rt></ruby>し、彼の技の巧拙はわからないけれども、心をこめて吹くその音色の脈々としてわれに迫る時、われ知らず<ruby><rb>凄動</rb><rt>せいどう</rt></ruby>したのである。泣かんか、泣くにはあまりに<ruby><rb>悲哀</rb><rt>かなしみ</rt></ruby>深し、吹く彼れはそもそもなんの感ずることなきか。

曲終れば、音を売るものの常として必ず笑み、必ず謙遜の言葉の二三を吐くなるに反して、彼は黙然として控え、今しもわが吹き終った音の虚空に消えゆく、消えゆきし、そのあとを<ruby><rb>逐</rb><rt>お</rt></ruby>うかと思わるるばかりであった。

自分は彼の言葉つき、その態度により、初めよりその身の上に潜める物語りのあるべきを想像していたから、遠慮なく切りだした。

「尺八は本式に<ruby><rb>稽古</rb><rt>けいこ</rt></ruby>したのだろうか、失敬なことを聞くが」

「イイエそうではないのでございます、全く自己流で、ただ子供の時から好きで吹き慣らしたというばかりで、人様にお聞かせ申すものではないのでございます、ヘイ」

「イヤそうでない、全くうまいものだ、これほど技があるなら人の<ruby><rb>門</rb><rt>かど</rt></ruby>を流して歩かないでも弟子でも取った方が楽だろうと思う、お前<ruby><rb>独身者</rb><rt>ひとりもの</rt></ruby>かね？」

「ヘイ、親もなければ妻子もない、気楽な<ruby><rb>孤独者</rb><rt>ひとりもの</rt></ruby>でございます、ヘッヘヘヘヘヘ」

「イヤ気楽でもあるまい、日に焼け雨に打たれ、住むところも定まらず国々を流れゆくなぞはあまり気楽でもなかろうじゃアないか。けれどもいずれ何か<ruby><rb>理由</rb><rt>いわれ</rt></ruby>のあることだろうと思う、身の上話を一ツ聞かしてもらいたいものだ」と思いきって正面から問いかけた。人の不幸や、零落につけこんで、その秘密まで聞こうとするのは、決して心あるもののすることでないとは承知しながらも、彼に二度まで遇い、その遇うた場所と趣とが少からず自分を動かしたために、それらを顧慮することができなかったのである。

「ヘイ、お話ししてもよろしゅうございます。今日はどういうものかしきりと子供の時のことを想いだして、さきほども別荘の坊ちゃまたちがお庭の中で声を<ruby><rb>揃</rb><rt>そろ</rt></ruby>えて唱歌を歌っておいでになるのを聞いた時なんだか泣きたくなりました。

私の<ruby><rb>九</rb><rt>ここの</rt></ruby>つ<ruby><rb>十</rb><rt>とお</rt></ruby>のころでございます、よく母に連れられて城下から三里奥の山里に住んでいる叔母の家を訪ねて、二晩三晩泊ったものでございます。今日もちょうどそのころのことを久しぶりで思い出しました。今思うと、私が十七八の時分ひとが尺八を吹くのを聞いて、心をむしられるような気がしましたが、今私が九つや十の子供の時を想い出して<ruby><rb>堪</rb><rt>たま</rt></ruby>らなくなるのとちょうど同じ心持でございます。

父には五つの歳に別れまして、母と<ruby><rb>祖母</rb><rt>ばば</rt></ruby>との手で育てられ、一反ばかりの広い屋敷に、<ruby><rb>山茶花</rb><rt>さざんか</rt></ruby>もあり<ruby><rb>百日紅</rb><rt>さるすべり</rt></ruby>もあり、黄金色の<ruby><rb>茘枝</rb><rt>れいし</rt></ruby>の実が<ruby><rb>袖垣</rb><rt>そでがき</rt></ruby>に下っていたのは今も眼の先にちらつきます。家と屋敷ばかり広うても貧乏士族で実は喰うにも困る中を母が手内職で、子供心にはなんの苦労もなく日を送っていたのでございます。

母も心細いので山家の里に時々帰えるのが何よりの楽しみ、朝早く起きて、淋しい士族屋敷の杉垣ばかり並んだ中をとぼとぼと歩るきだす時の心持はなんとも言えませんでした。山路三里は子供には少し難儀で初めのうちこそ母よりも先に勇ましく飛んだり<ruby><rb>跳</rb><rt>は</rt></ruby>ねたり、田溝の<ruby><rb>鮒</rb><rt>ふな</rt></ruby>に石を投げたりして参りますが峠にかかる<ruby><rb>半</rb><rt>なか</rt></ruby>ほどでへこたれてしまいました。それを母が励まして絶頂の茶屋に休んで<ruby><rb>峠餅</rb><rt>とうげもち</rt></ruby>とか言いまして茶屋の婆が一人ぎめの名物を喰わしてもらうのを楽しみに、また<ruby><rb>一呼吸</rb><rt>ひといき</rt></ruby>の勇気を出しました。峠を越して<ruby><rb>半</rb><rt>なか</rt></ruby>ほどまで来ると、すぐ下に叔母の村里が見えます、春さきは狭い谷々に<ruby><rb>霞</rb><rt>かすみ</rt></ruby>がたなびいて画のようでございました、村里が見えるともう<ruby><rb>到</rb><rt>つ</rt></ruby>いた気でそこの<ruby><rb>路傍</rb><rt>みちばた</rt></ruby>の石で一休みしまして、母は<ruby><rb>煙草</rb><rt>たばこ</rt></ruby>を吸い、私は山の<ruby><rb>崖</rb><rt>がけ</rt></ruby>から落ちる清水を飲みました。

叔母の家は古い郷士で、そのころは大分家産が傾いていたそうですが、それでも私の目には大変金持のように見えたのでございます。太い大黒柱や、薄暗い米倉や、<ruby><rb>葛</rb><rt>かつら</rt></ruby>の這い上った<ruby><rb>練塀</rb><rt>ねりべい</rt></ruby>や、深い井戸が私には皆なありがたかったので、下男下女が私のことを城下の旦坊様と言ってくれるのがうれしかったのでございます。

けれども何より<ruby><rb>嬉</rb><rt>うれ</rt></ruby>しくって今思いだしても堪りませんのは同じ年ごろの<ruby><rb>従兄弟</rb><rt>いとこ</rt></ruby>と二人で遊ぶことでした。二人はよく山の<ruby><rb>峡間</rb><rt>はざま</rt></ruby>の<ruby><rb>渓川</rb><rt>たにがわ</rt></ruby>に<ruby><rb>山鰷</rb><rt>やまばえ</rt></ruby>を<ruby><rb>釣</rb><rt>つ</rt></ruby>りに行ったものでございます。山岸の一方が<ruby><rb>淵</rb><rt>ふち</rt></ruby>になって<ruby><rb>蒼々</rb><rt>あおあお</rt></ruby>と<ruby><rb>湛</rb><rt>たた</rt></ruby>え、こちらは浅く瀬になっていますから、私どもはその瀬に立って糸を淵に投げ込んで釣るのでございます。見上げると両側の山は切り<ruby><rb>削</rb><rt>そ</rt></ruby>いだように突っ立って、それに<ruby><rb>雑木</rb><rt>ぞうき</rt></ruby>や<ruby><rb>赭松</rb><rt>あかまつ</rt></ruby>が暗く茂っていますから、下から<ruby><rb>瞻</rb><rt>み</rt></ruby>ると空は帯のようなのです。声を立てると山に響いて山が<ruby><rb>唸</rb><rt>うな</rt></ruby>ります、黙って釣っていると<ruby><rb>森</rb><rt>しん</rt></ruby>としています。

ある日ふたりは余念なく釣っていますと、いつの間にか空が変って、さっと雨が降って来ました。ところがその日はことによく釣れるので二人とも帰ろうと言わないのです。太い雨が<ruby><rb>竿</rb><rt>さお</rt></ruby>に<ruby><rb>中</rb><rt>あた</rt></ruby>る、水面は水煙を立てて雨が<ruby><rb>跳</rb><rt>は</rt></ruby>ねる、見あげると雨の足が山の絶頂から白い糸のように長く<ruby><rb>条白</rb><rt>しま</rt></ruby>を立てて落ちるのです。<ruby><rb>衣服</rb><rt>きもの</rt></ruby>はびしょぬれになる、これは大変だと思う矢先に、グイグイと強く糸を引く、上げると尺にも近い山鰷の紫と<ruby><rb>紅</rb><rt>あか</rt></ruby>の<ruby><rb>条</rb><rt>すじ</rt></ruby>のあるのが釣れるのでございます、<ruby><rb>暴</rb><rt>あば</rt></ruby>れるやつをグイと握って<ruby><rb>籠</rb><rt>びく</rt></ruby>に押し込む時は、水に住む魚までがこの雨に濡れて他の時よりも一倍鮮やかで新しいように思われました。

『もう帰えろうか』と一人が言って此方をちょっと向きますが、すぐまた水面を見ます。

『帰ろうか』と一人が答えますが、これは見向きもしません、実際何を自分で言ったのかまるで夢中なのでございます。

そのうちに雷がすぐ頭の上で鳴りだして、それが山に響いて山が破裂するかと思うような凄い音がして来たので、二人は物をも言わず糸を巻いて、<ruby><rb>籠</rb><rt>びく</rt></ruby>を<ruby><rb>提</rb><rt>さ</rt></ruby>げるが早いかドンドン逃げだしました。途中まで来ると下男が迎えに来るのに逢いましたが、家に帰ると<ruby><rb>叔母</rb><rt>おば</rt></ruby>と母とに<ruby><rb>叱</rb><rt>しか</rt></ruby>られて、籠を井戸ばたに投げ出したまま、衣服を着更えすぐ物置のような二階の<ruby><rb>一室</rb><rt>ひとま</rt></ruby>に入り小さくなって、源平盛衰記の古本を出して画を見たものです。

けれども母と叔母はさしむかいでいても決して笑い<ruby><rb>転</rb><rt>ころ</rt></ruby>げるようなことはありません、二人とも言葉の少ない、物案じ顔の、色つやの悪い女でしたが、何か優しい低い声でひそひそ話し合っていました。一度は母が泣き顔をしている<ruby><rb>傍</rb><rt>そば</rt></ruby>で叔母が涙ぐんでいるのを見ましたが私は別に気にも留めず、ただちょっとこわいような気がしてすぐと茶の間を飛び出したことがありました。

私は七日も十日も泊っていたいのでございますが、長くて四日も経ちますと母が帰ろうと言いますので仕方なしに帰るのでございます。一度は一人残っていると強情を張りましたので、母だけ先に帰りましたが、私は日の暮れかかりに縁先に立っていますと、叔母の家は山に拠って高く<ruby><rb>築</rb><rt>つ</rt></ruby>きあげてありますから山里の暮れゆくのが見下されるのです。西の空は夕日の<ruby><rb>余光</rb><rt>なごり</rt></ruby>が水のように<ruby><rb>冴</rb><rt>さ</rt></ruby>えて、山々は薄墨の色にぼけ、<ruby><rb>蒼</rb><rt>あお</rt></ruby>い煙が谷や森の<ruby><rb>裾</rb><rt>すそ</rt></ruby>に浮いています、なんだかうら悲しくなりました。寺の鐘までがいつもとは違うように聞え、その長く<ruby><rb>曳</rb><rt>ひ</rt></ruby>く音が谷々を渡って遠く消えてゆくのを聞きましたら、急に母が恋しくなって、なぜ一しょに帰らなかったろう、今時分は家に着いて<ruby><rb>祖母</rb><rt>おばア</rt></ruby>さんと何か話してござるだろうなど思いますと堪らなくなって叔母にこれからすぐ帰えると云いだしました。叔母は笑って取り合ってくれません、そのうちに<ruby><rb>燈火</rb><rt>あかり</rt></ruby>が<ruby><rb>点</rb><rt>つ</rt></ruby>く、従兄弟と<ruby><rb>挾</rb><rt>はさ</rt></ruby>み<ruby><rb>将棊</rb><rt>しょうぎ</rt></ruby>をやるなどするうちにいつか紛れてしまいましたが、次の日は下男に送られすぐ家に帰りました。

また母と一しょに帰る時など、二人とも出かける時ほどの元気はありませんで、峠を越す時、母は幾度となく休みます。思い出しますのはその時の母の顔でございます。石に腰をおろしてほっと<ruby><rb>呼吸</rb><rt>いき</rt></ruby>を<ruby><rb>吐</rb><rt>つ</rt></ruby>いて言うに言われん悲しげな顔つきをします、その顔つきを見ますと私までが子供心にも悲しいような気がしまして黙って<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">つくねん</span>と母の<ruby><rb>傍</rb><rt>そば</rt></ruby>に腰をかけているのでございます。そうすると母が、『お前腹がすきはせんか、腹がすいたら餅をお喰べ、出して上げようか』と言って<ruby><rb>合財嚢</rb><rt>がっさいぶくろ</rt></ruby>の口を開きかけます。私が、『腹はすかない』と言えば、『そんなことを言わないで一つお喰べ、おっかさんも喰べるから』と言って無理に餅をくれます。そうされますと、私はなぜかなお悲しくなって、母の膝にしがみついて泣きたいほどに感じました。

私は今でも母が恋しくって恋しくって堪らんのでございます」

盲人は懐旧の念に堪えずや、急に言葉を止めて頭を垂れていたが、しばらくして（<ruby><rb>聴者</rb><rt>ききて</rt></ruby>の<ruby><rb>誰人</rb><rt>たれ</rt></ruby>なるかはすでに忘れはてたかのごとく熱心に）

「けれどもこれはあたりまえでございます、母はまるで私のために生きていましたので、一人の私をただむやみと可愛がりました。めったに叱ったこともありません、たまさか叱りましてもすぐに母の方から<ruby><rb>謝</rb><rt>あや</rt></ruby>まるように私の気嫌を取りました。それで私は<ruby><rb>我儘</rb><rt>わがまま</rt></ruby>な剛情者に育ちましたかと言うにそうではないので、腕白者のすることだけは一通りやりながら気が弱くて女のようなところがあったのでございます。

これが昔気質の<ruby><rb>祖母</rb><rt>ばば</rt></ruby>の気に入りません、ややともすると母に向いまして、

『お前があんまり優しくするから修蔵までが気の弱い児になってしまう。お前からしても少ししっかりして男は男らしく育てんといけませんぞ』とかく言ったものです。

けれども母の<ruby><rb>性質</rb><rt>うまれつき</rt></ruby>としてどうしても男は男らしくというような<ruby><rb>烈</rb><rt>はげ</rt></ruby>しい育て方はできないのです。ただむやみと私が可愛いので、先から先と私の行く末を考えては、それを<ruby><rb>幸福</rb><rt>しあわせ</rt></ruby>の方には取らないで、不幸せなことばかりを想い、ひとしお私が<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">ふびん</span>で堪らないのでございました。

ある時、母は私の行く末を心配するあまりに、善教寺という寺の<ruby><rb>傍</rb><rt>そば</rt></ruby>に店を出していた怪しい<ruby><rb>売卜者</rb><rt>うらないしゃ</rt></ruby>のところへ私を連れて参りました。

売卜者の顔はよく<ruby><rb>憶</rb><rt>おぼ</rt></ruby>えております、丸顔の眼の深く落ちこんだ小さな老人で、顔つきは薄気味悪うございましたが母と話をするその言葉つきは大変に優しくって丁寧で、『アアさようかな、それは心配なことで、ごもっともごもっとも、よく私が<ruby><rb>卜</rb><rt>み</rt></ruby>て進ぜます』という調子でございました。

老人は私の顔を天眼鏡で<ruby><rb>覗</rb><rt>のぞ</rt></ruby>いて見たり、<ruby><rb>筮竹</rb><rt>ぜいちく</rt></ruby>をがちゃがちゃいわして見たり、まるで人相見と<ruby><rb>八卦見</rb><rt>はっけみ</rt></ruby>と一しょにやっていましたが、やがてのことに、

『イヤ御心配なさるな、この児さんは末はきっと出世なさるる、よほどよい人相だ。けれど一つの難がある、それは女難だ、一生涯女に気をつけてゆけばきっと立派なものになる』と私の頭を<ruby><rb>撫</rb><rt>な</rt></ruby>でまして、『むむ、いい児だ』としげしげ私の顔を見ました。

母は大喜びに喜こびまして、家に帰えるやすぐと祖母にこのことを吹聴しましたところが祖母は笑いながら、

『男は剣難の方がまだ男らしいじゃないか、この児は色が白うて弱々しいからそれで<ruby><rb>卜者</rb><rt>うらないしゃ</rt></ruby>から女難があると言われたのじゃ、けれども今から女難もあるまい、早くて十七八、遅くとも<ruby><rb>二十</rb><rt>はたち</rt></ruby>ごろから気をつけるがよい』と申しました。

ところが私にはその時（十二でした）もう女難があったのでございます。

ここまでお話ししたのでございますから、これから私の女難の二つ三つを<ruby><rb>懺悔</rb><rt>ざんげ</rt></ruby>いたしましょう。売卜者はうまく私の行く末を<ruby><rb>卜</rb><rt>うらな</rt></ruby>い当てたのでございます。

そのころ、私の家から三丁ばかり離れて飯塚という家がございましたがそこの娘におさよと申しまして十五ばかりの<ruby><rb>背</rb><rt>せい</rt></ruby>のすらりとして可愛らしい児がいました。

その児が<ruby><rb>途</rb><rt>みち</rt></ruby>で私を見るときっとうちに遊びに来いと言うのです。私も初めのうちは行きませんでしたがあまりたびたび言うので一度参りますると、一時間も二時間も止めて<ruby><rb>還</rb><rt>かえ</rt></ruby>さないで膝の上に抱き上げたり、<ruby><rb>頸</rb><rt>くび</rt></ruby>にかじりついたり、頭の髪を丁寧に<ruby><rb>掻</rb><rt>か</rt></ruby>き下してなお可愛くなったとその柔らかな<ruby><rb>頬</rb><rt>ほお</rt></ruby>を無理に私の顔に押しつけたり、いろいろな真似をするのでございます。

そうすると私もそれが嬉れしいような気がして、その後はたびたび遊びに出かけて、おさよの顔を見ないと物足りないようになりました。

そのうち、売卜者から女難のことを言われ、母からは女難ということの講釈を聞かされましたので、子供心にも、もしか今のが女難ではあるまいかと、ひどくこわくなりましたが、母の前では顔にも出さず、ないない心を痛めていながらも時々おさよのもとに遊びに参りましたのでございます。

今から思いますと、やはりそのころ私はおさよを慕うていたに違いないのです、おさよが私を抱いて<ruby><rb>赤児</rb><rt>あかんぼ</rt></ruby>扱いにするのを私は<ruby><rb>表面</rb><rt>うわべ</rt></ruby>で嫌がりながら内々はうれしく思い、その温たかな柔らかい<ruby><rb>肌</rb><rt>はだ</rt></ruby>で押しつけられた時の心持は今でも忘れないのでございます。女難といえばその時もう女難に<ruby><rb>罹</rb><rt>かか</rt></ruby>っていたといってもよろしゅうございましょう。

母は毎日のように、女はこわいものだという講釈をして聴かし、いろいろと昔の人のことや、城下の若い者の身の上などを例えに引いて話すのでございます。<ruby><rb>安珍</rb><rt>あんちん</rt></ruby><ruby><rb>清姫</rb><rt>きよひめ</rt></ruby>のことまで例えに引きました。<ruby><rb>外面如菩薩</rb><rt>げめんにょぼさつ</rt></ruby>内心<ruby><rb>如夜叉</rb><rt>にょやしゃ</rt></ruby>などいう文句は耳にたこのできるほど聞かされまして、なんでも若い女と見たら鬼か<ruby><rb>蛇</rb><rt>じゃ</rt></ruby>のように思うがよい、親切らしいことを女が言うのは皆な<ruby><rb>欺</rb><rt>だ</rt></ruby>ますので、うかとその口に乗ろうものならすぐ大難に罹りますぞよというのが母の口癖でありましたのでございます。

私は母を信仰していましたから母の言うことは少しも疑いませんでした。それですからおさよも事によったら内心如夜叉ではないかとこわがりながらも、自分で言いわけをこしらえて、おさよさんはまだ子供だし自分もまだ子供だからそんなこわいことはない、おさよさんが自分を可愛がるのは真実に可愛がるので決して<ruby><rb>欺</rb><rt>だま</rt></ruby>すのじゃあないとこういう風に考えていたのでございます。

ところがある日、日の暮に飯塚の家の前を通るとおさよが飛び出して来て、私を無理に引っ張り込みました。そしてなぜこの四五日遊びに来なかったと聞きますから、風邪を引いたといいますと、それは大変だ、もう<ruby><rb>癒</rb><rt>なお</rt></ruby>ったかと、私の顔を覗きこんで、まだ顔色がよくない、大事になさいよ修さんが病気になったら私は死んでしまうと言ってじっと私の眼を見るのでございます。私は気が弱うございますからこういわれますとなんだかうれしいやら悲しいやらツイわれ知らず涙ぐみました、それを見ておさよは私を抱きかかえましたが見るとおさよも眼に一杯涙をもっているのでございます。そして今夜は泊れおっかさんの代りに私が抱いて寝てあげるからといいます。おっかさんに叱られるからいやだと申しますと、おっかさんには私が今<ruby><rb>往</rb><rt>い</rt></ruby>って<ruby><rb>謝</rb><rt>ことわ</rt></ruby>って来るからかまわないといいます。その時私が、もし母上に言ったらなお叱られる、おさよさんのとこへ遊びに来るのも内証なんだからと小声で言いましたら、いきなり私を突き離して、なぜ内証で来るの、修さんと私と遊んじゃア悪いの、悪いのならもう来なくってもようござんすよと、こわい顔をして私を<ruby><rb>睨</rb><rt>にら</rt></ruby>みつけたのでございます。私は<ruby><rb>慄</rb><rt>ふ</rt></ruby>るい上って縁がわから飛び下り、一目散に飯塚の家から駈け出しました。

それからというものは決して飯塚に参りません、おさよに途で逢っても逃げ出しました。おさよは私の逃げ出すのを見ていつもただ笑っていましたから、私はなおおさよが自分を欺しかけていたのだと信じたものでございます。

四

次の女難は私の十九の時でございます。この時はもう<ruby><rb>祖母</rb><rt>ばば</rt></ruby>も母も死んでしまい、私は叔母の家の<ruby><rb>厄介</rb><rt>やっかい</rt></ruby>になりながら、村の小学校に出してもらって月五円の給料を受けていました。祖母の亡くなったのは十五の春、母はその秋に亡くなりましたから私は急に<ruby><rb>孤児</rb><rt>みなしご</rt></ruby>になってしまい、ついに叔母の家に引き取られたのでございます。十八の年まで淋しい山里にいて学問という学問は何にもしないでただ城下の中学校に寄宿している従兄弟から送って寄こす少年雑誌見たようなものを読み、その他は叔母の家に昔から在った源平盛衰記、太平記、<ruby><rb>漢楚軍談</rb><rt>かんそぐんだん</rt></ruby>、<ruby><rb>忠義水滸伝</rb><rt>ちゅうぎすいこでん</rt></ruby>のようなものばかり読んだのでございます。それですから小学校の教師さえも全くは覚束ないのですけれど、叔母の家が村の旧家で、その威光で無理に雇ってもらったという次第でございました、母の病気の時、母はくれぐれも女に気をつけろと、死ぬる<ruby><rb>間際</rb><rt>まぎわ</rt></ruby>まで女難を戒しめ、どうか早く立身してくれ、草葉の蔭から祈っているぞと言って死にました。けれどもどうして立身するか、それはまるで母にも見当がつかなかったのでございます。母は叔母の家から私の学資を出さそうとしたらしゅうございました。これが都合よく参りませんものですから、私の立身を堅く信じながらも、ただそれは<ruby><rb>漠</rb><rt>ばく</rt></ruby>としたことで、実は内々ひどく心痛したものと見えます。それですから母としてはただ女難を戒しめるほかに私の立身の方法はなかったのでございます。私はまたうまれつき意気地がないのかして、自分の立身のことにはどういうものかあまり気をかけませんでした。ただ母に急に別れたので、その当坐の悲しさ、一月二月は叔母の家にいても、どうかすると人の見ぬところで、めそめそ泣いておりました。

月日の経つうちに悲しみもだんだん薄らぎ、しまいには時々思い出すぐらいのことで、叔母の親切にほだされ、いつしか叔母を母のように思うて日を送るようになったのでございます。

十八の歳から、叔母の家を五丁ばかり離れた小学校に通って、同僚の三四人とともに村の子供の世話をして、夜は尺八の稽古に浮身をやつし、この世を面白おかしく暮すようになりました。尺八の稽古といえば、そのころ村に<ruby><rb>老人</rb><rt>としより</rt></ruby>がいまして、自己流の尺八を吹いていましたのを村の若い者が<ruby><rb>煽</rb><rt>おだ</rt></ruby>てて大先生のようにいいふらし、ついに私もその弟子分になったのでございます。けれども元大先生からして自己流ですから弟子も皆な自己流で、ただむやみと吹くばかり、そのうち手が慣れて来れば、やれ誰が巧いとか<ruby><rb>拙</rb><rt>まず</rt></ruby>いとかてんでに評判をし合って皆なで<ruby><rb>天狗</rb><rt>てんぐ</rt></ruby>になったのでございます。私の<ruby><rb>性質</rb><rt>うまれつき</rt></ruby>でありましょうか、私だけは若い者の中でも別段に<ruby><rb>凝</rb><rt>こ</rt></ruby>り固まり、<ruby><rb>間</rb><rt>ま</rt></ruby>がな<ruby><rb>隙</rb><rt>すき</rt></ruby>がな、尺八を手にして、それを吹いてさえいれば欲も得もなく、朝早く日の<ruby><rb>昇</rb><rt>のぼ</rt></ruby>らぬうちに裏の山に上がって、岩に腰をかけて暁の霧を浴びながら吹いていますと、私の尺八の音でもって朝霧が晴れ、私の<ruby><rb>転</rb><rt>まろ</rt></ruby>ばす音につれて日がだんだん昇るようにまで思ったこともあったのでございます。

それですから自然と若い者の中でも私が一番巧いということになり、老先生までがほんとに稽古すれば日本一の名人になるなどとそそのかしたものです。そのうち十九になりました。ちょうど春の初めのことでございます。日の暮方で、私はいつもの通り、尺八を持って村の小川の岸に腰をかけて、独り吹き澄ましていますと、後から『修蔵様』と呼ぶものがあります。振りかえって見ると<ruby><rb>武之允</rb><rt>たけのじょう</rt></ruby>といういかめしい名を寺の和尚から附けてもらった男で隣村に越す坂の上に住んでいる若い者でした。

『なんだ。武之允<ruby><rb>山城守</rb><rt>やましろのかみ</rt></ruby>』

『全く修蔵様は尺八が巧いよ』とにやにや笑うのです。この男は少し変りもので、横着もので、随分人をひやかすような口ぶりをする奴ですから、『殴るぞ』と尺八を構えて<ruby><rb>喝</rb><rt>おど</rt></ruby>す真似をしますと、<ruby><rb>彼奴</rb><rt>きゃつ</rt></ruby>急に真面目になりまして、

『修蔵様に是非見てもらいたいものがあるんだが見てくれませんか』と妙なことを言い出したのでございます。変に思いまして、

『なんだろう、私に見てもらいたいというのは』

『なんでもいいから、ただ見てもらえばいいのだ』

『どんなものだい、品物かい』と問いますと武の奴、妙な笑いかたをして、

『あなたの大すきなものだ』

『手前はおれをなぶるなッ』

『なぶるのじゃアない、全く見てもらいたいのでござんす。私のお頼みだから是非見てやって下さい』と今度はまた大真面目に言うのでございます。

『よろしい、見てやろうから出せ』

『出せって、今ここにはありません、ちょっと私の家へ来てもらいたいのでございますが』

『お家の宝、なんとかの剣という品物かな』と私がいいますと今度また妙に笑い出しまして、

『まずそんな物でございます、何しろ宝にゃ相違ないのだから、ウンそうだ、宝でございます』と手を<ruby><rb>拍</rb><rt>う</rt></ruby>ちますので私も不思議で堪りません、私の方からも見たくなりましたから、

『それじゃこれから一緒に行こう、サア行って見てやろう』とそれから二人連れ立ちまして、武の家に参りました。

前に申しました通り武の家は小さな坂の頂にあるのでございます。叔母の家からは七八丁もありましょうか、その坂の下に例の尺八の大先生が住んでいるのでございますから私も坂の下までは始終参りますが、坂に登ったことは三四度しかありません。この坂を越しますと狭い谷間でありまして、そこに家が十軒とはないのです。だからこの坂を越すものは村の者でもたくさんはないのでござります。武の家は一軒の<ruby><rb>母屋</rb><rt>おもや</rt></ruby>と一軒の物置とありますが物置はいつも戸が<ruby><rb>〆切</rb><rt>しめき</rt></ruby>ってあってその上に<ruby><rb>崕</rb><rt>がけ</rt></ruby>から大きな<ruby><rb>樫</rb><rt>かし</rt></ruby>の木がおっかぶさっていますから見るからして陰気なのでございます。母屋も広い割合には人気がないかと思われるばかり、シンとしているのです。家にむかいあった崕の下に四角の井戸の浅いのがありまして、いつも清水を湛えていました。総体の様子がどうも薄気味の悪いところで、私はこの坂に来て、武の家の前を通るたびにすぐ水滸伝の<ruby><rb>麻痺薬</rb><rt>しびれぐすり</rt></ruby>を思い出し、<ruby><rb>武松</rb><rt>ぶしょう</rt></ruby>がやられました<ruby><rb>十字坡</rb><rt>じゅうじは</rt></ruby>などを想い出したくらいです。

それですが、武から妙なことを言われて大いに不思議に思っている上に武の家に連れてゆかれますのですから、坂を上りながらも内々薄気味が悪くなって来たのです。途々、武に何を見せるのだと聞きましても、武はどうしても言わないばかりか、しめたという顔つきをして根性の悪い笑い方をするのでございました。

日はすっかり暮れて、十日ごろの月が鮮やかに<ruby><rb>映</rb><rt>さ</rt></ruby>していましたが、坂の左右は樹が<ruby><rb>繁</rb><rt>しげ</rt></ruby>っていますから十分光が届かないのでございます。上りは二丁ほどしかありません、すぐ武の家の前に出ました。家の前は広くなって樹の影がないので月影はっきりと地に印していました。

障子に<ruby><rb>燈火</rb><rt>あかり</rt></ruby>がぼんやり映って、家の内はひっそりとしています。武は黙って内庭に入りました。私は足が進みません、外でためらっていますと、

『お入りなされ！』と暗いところで武が言いました。

その声は低いけれども底力があって、なんだか私を命令するようでした。

『ここで見てやるから持って来い』と私は外から言いました。

『お入りなされと言うに！』と今度はなお強く言いましたので私も仕方がないから、のっそり内庭に入りました。私の入ったのを見て、武は上にあがり茶の間の次ぎに入りました。しばらく出て参りません、その様子が内の誰かとこそこそ話をしているようでした。間もなく出て参りまして、今度は優しく、

『お上りなされませ、汚ないけえども』といいますから少しは安心して上りました。そして武の案内で奥の一間に入りますと、ここは案外小奇麗になっていまして、<ruby><rb>行燈</rb><rt>あんどん</rt></ruby>の火が小さくして部屋の隅に置いてありました。しかしまず私の目につきましたのはそこに一人の娘が坐っていることでございます。私が入ると娘は急に起とうとしてまた居住いを直して顔を横に向けました。私は変ですから坐ることもできません、すると武が出し抜けに、

『見てもらいたいと言うたのはこれでございます』というや女は突っ伏してしまいました。私はなんと言ってよいか、文句が出ません、あっけに取られて武の顔を見ると、武も少し顔を赤らめて言いにくそうにしていましたが、

『まアここへ坐って下さりませ、私はちょっと出て来ますから』と言い捨てて行こうとしますから、

『なんだ、なんだ、私はいやだ、一人残るのは』と思わず言いますと、

『それでは坐って下さらんのか』と言ってこわい顔をして私を睨みました。私が帰るといえばすぐにでも<ruby><rb>蹶飛</rb><rt>けと</rt></ruby>ばしそうな剣幕ですから私も仕方なしにそこに坐って黙っていますと、娘は泣いておるのです。<ruby><rb>嗚咽</rb><rt>むせ</rt></ruby>びかえっているのです、それを見た武の顔はほんとうに例えようがありません、額に青筋を立てて歯を喰いしばるかと思うと、泣き出しそうな顔をして眼をまじまじさせます。何か言い出しそうにしては口のあたりを手の甲で<ruby><rb>摩</rb><rt>こす</rt></ruby>るのでございます。

『一体どうしたのだ』と私も事の様子があんまり妙なので問いかけました。しますると武がどもりながらこういうのでございます。妹が是非あなたに遇わしてくれと言って聞かない、いろいろ言い聞かしたがどうしても承知しない、それだからあなたを<ruby><rb>欺</rb><rt>だま</rt></ruby>して連れて来たのだ、どうか<ruby><rb>不憫</rb><rt>ふびん</rt></ruby>な女だと思って可愛がってやってくれ、私から手を突いて頼むから、とまずこういう次第なのです。馬鹿馬鹿しい話だとお笑いもございましょうが、全くそうでしたので、まず私が村の色男になったのでございます。

そのころ私は女難の戒めをまるで忘れたのではありませんが、何を申すにも山里のことですから、若い者が二三人集まればすぐ娘の評判でございます。小学校の同僚もなんぞと言えばどこの<ruby><rb>娘</rb><rt>こ</rt></ruby>は<ruby><rb>別嬪</rb><rt>べっぴん</rt></ruby>だとか、あの娘にはもう色があるとか、そんな<ruby><rb>噂</rb><rt>うわさ</rt></ruby>をするのは平気で、全くそれが一ツの楽しみなのですから、私もいつかその風に染みまして村の娘にからかって見たい気も時々起したのでございます。さすが母の戒めがありますから、うかとは手も出しませんでしたが、決して心からその実、女を恐れていたのではなく、もしよい<ruby><rb>機会</rb><rt>おり</rt></ruby>があったらきっと色の一ツぐらいできるはずになっていたのでございます。

ところで武の妹はお<ruby><rb>幸</rb><rt>こう</rt></ruby>と申しまして若い者のうちで大評判な可愛い娘でございまして年はそのころ十七でした。私も始終顔を見知っていましたが言葉を<ruby><rb>交</rb><rt>か</rt></ruby>わしたことはなかったのです。<ruby><rb>先方</rb><rt>むこう</rt></ruby>では私が叔母の家の者であり、学校の先生ということで遇うたびに礼をして行き過ぎるのでございます、田舎の娘に<ruby><rb>似</rb><rt>にや</rt></ruby>わない色の白い、眼のはっきりとした女で、身体つきよくおさよに似てすらりとしていました。城下の娘にもあのくらいなのは少ないなどと村の者が自慢そうに評判していたのですが全くそうだと私も遇うたびに思っていたのでございます。でありますから、私も眼の前にお幸を突きつけられて、その兄から代って<ruby><rb>口説</rb><rt>くど</rt></ruby>かれましては女難なぞを思うことができなかったのです。それに気の弱い私ですから、よしんば危いことと気がつきましたところで、とてもあの場合、武とお幸を振りきって逃げて帰るというような思いきった所作は私にはできないのでございました。

その後は私も二晩置きか三晩置きには必ずお幸のもとに通いましたが、ごく内証にしていましたから、誰も気がつきませんでした。それに兄の武之允が何かにつけてかばってくれますし、また武の女房も初めからよく<ruby><rb>事情</rb><rt>わけ</rt></ruby>を知っていて、やはり武と同じようにお幸と私の仲をうまくゆくようにのみ骨を折ってくれましたので私も武の家ではおおびらで遊んだものでございます。

二人の仲は武の夫婦から時々冷かされるほど好うございました。かれこれするうち二月三月も経ち、忘れもしません六月七日の晩のことです。夜の八時ごろ、私はいつものようにお幸のもとに参りますと、この晩は<ruby><rb>宵</rb><rt>よい</rt></ruby>から<ruby><rb>天気</rb><rt>そら</rt></ruby>模様が怪しかったのが十時ごろには降りだして参りました。大降りにならぬうち、帰ろうと言い出しますと、お幸と武の女房が止めて帰しません、武は<ruby><rb>不在</rb><rt>るす</rt></ruby>でございましたが、今に帰るだろうから帰ったら橋まで送らすからと申しますのでしばらくぐずぐずしていますと、武が帰って参りました。どこで飲んだかだいぶ酔っていましたが、私が奥の部屋に<ruby><rb>臥転</rb><rt>ねころ</rt></ruby>んでいると、そこへずかずか入って来まして、どっかり大あぐらをかきました。お幸は私の<ruby><rb>傍</rb><rt>そば</rt></ruby>に坐っていたのでございます。

『そとは大変な降りでござりますぜ、今夜はお泊りなされませ』と武は妙に言いだしました、と申すのは私がこれまで泊ろうとしても武は、もし泊まって事が知れたらまずいからといつも私を<ruby><rb>宥</rb><rt>なだ</rt></ruby>めて帰しましたので、私も決して泊ったことはなかったのです。

『イヤやはり泊らん方がよかろう』と私の言いますのを、打ち消すようにして武は、

『実は今夜少しばかり話がありますから、それでお泊りなされというのだから、お泊りなされというたらお泊りなされ』と<ruby><rb>語気</rb><rt>ことば</rt></ruby>がやや<ruby><rb>暴</rb><rt>あ</rt></ruby>ろうなって参りました。舌も少し廻りかねる<ruby><rb>体</rb><rt>てい</rt></ruby>でございました。

『話があるッてなんだろう、今すぐ聞いてもいいじゃアないか』

『あなた気がついていますか』と出し抜けに聞かれました。

『何をサ？』私は判じかねたのでございます。

『だからあなたはいけません、お幸はこれになりましたぜ』と腹に手を当てて見せましたので私はびっくりしてしまったのでございます。お幸は起って茶の間に逃げました。

『ほんとかえ、それは』と思わず声を小さくしました。

『ほんとかって、あなたがそれを知らんということはない、だけれども知らなかったらそれまでの話です、もうあなたも知ってみればこの後の<ruby><rb>方法</rb><rt>かた</rt></ruby>をつけんじゃア』

『どうすればええだろう？』と私は気が<ruby><rb>顛倒</rb><rt>てんとう</rt></ruby>していますから言うことがおずおずしています、そうしますと武はこわい眼をして、

『今になってそれを聞く法がありますか、初めからわかりきっているじゃありませんか、あなたの方でもこうなればこうと覚悟があるはずじゃ』

言われて見ればもっともな次第ですが、全く私にはなんの覚悟もなかったので、ただ夢中になってお幸のもとに通ったばかりですから、かように武から言われると文句が出ないのです。

私の黙っているのを見て、武はいまいましそうに舌打ちしましたが、

『すぐ<ruby><rb>公然</rb><rt>おもてむき</rt></ruby>の女房になされ』

『女房に？』

『いやでござりますか？』

『いやじゃないが、今すぐと言うたところで叔母が承知するかせんかわからんじゃないか』

『叔母さんがなんといおうとあなたがその気ならなんでもない、あなたさえウンと言えば私が<ruby><rb>明日</rb><rt>あした</rt></ruby>にでも表向きの夫婦にして見せます。なにもここばかりが世界じゃないから、叔母さんや村の者がぐずぐず言やア二人でどこへでも出てゆけばいい、人間一匹何をしても飯は喰えますぞ！』とまで云われて私も急に力が着きましたから、

『よろしい、それではともかくも一応叔母と相談して、叔母が承知すればよし、故障を言えばお前のいう通り、お幸と二人で大阪へでも東京へでも飛び出すばかりだが、お幸はこれを承知だろうか』

『ヘン！　そんなことを私に聞くがものはありませんじゃないか、あなたの行くところならたとい火の中、水の底と来まサア！』と指の<ruby><rb>尖</rb><rt>さき</rt></ruby>で私の頬を突いて先の剣幕にも似ず上気嫌なんです。

その晩はそれで帰りましたが、サアこの話がどうしても叔母に言い出されないのでございます。それと申すのは叔母も私の母より女難の一件を聞いていますし、母の死ぬる前にも叔母に女難のことは繰り返して頼んでおいたのですから、私の口からお幸のことでも言い出そうものならどんなに驚きもし、心配もするかわからないのでございます、次の朝から三日の間、私は今言おうか、もう切り出そうかと叔母の部屋を出たり入ったりしましたが、とうとう言うことができなかったのでございます。

叔母に言うことができないとすれば、お幸と二人で土地を逃げる他に仕方がないと一度は<ruby><rb>逃亡</rb><rt>かけおち</rt></ruby>の仕度をして武の家に出かけましたが、それもイザとなって踏み出すことができませんでした。と申すのは、『これが女難だな』という恐ろしい考えが、次第次第にたかまってきて、今までお幸のもとに通ったことを思うと『しまった』という念が<ruby><rb>湧</rb><rt>わ</rt></ruby>き上るのでございます。それですからもし、お幸を連れて逃げでもすれば、行く先どんな苦労をするかも知れず、それこそ女難のどん底に落ちてしまうと、一念こうなりましてはかけおちもできなくなったのでございます。

それで四苦八苦、考えに考えぬいた末が、一人で土地を逃げるという了見になりました、忘れもいたしません、六月十五日の夜、七日の晩から七日目の晩でございます、お幸に一目逢いたいという未練は山々でしたが、ここが大事の場合だと、母の法名を念仏のように唱えまして、<ruby><rb>暗</rb><rt>やみ</rt></ruby>に乗じて山里を逃亡いたしました、その晩あたりは何も知らないお幸が私の来るのを待ち<ruby><rb>焦</rb><rt>こが</rt></ruby>れていたのに違いありません。女に欺されてはならぬとばかり教えられた私がいつか罪もない女を欺すこととなり、女難を<ruby><rb>免</rb><rt>のが</rt></ruby>れるつもりで女を捨てた時はもう大女難にかかっていたので、その時の私にはそれがわからなかったのでございます。

叔母の家から持ち出した金はわずか十円でございますから東京へ着きますと間もなく尺八を吹いて人の門に立たなければならぬ次第となりましたのです。それから二十八の年まで足かけ十年の間のことは申し上げますまい。国とは音信不通、東京にはもちろん、親族もなければ古い朋友もないので、種々さまざまのことをやって参りましたが、いつも女のことで大事の場合をしくじってしまいました。二十八になるまでには<ruby><rb>公然</rb><rt>おもてむき</rt></ruby>の妻も一度は持ちましたが半年も続かず、女の方から逃げてしまいました。しかしその妻も私が本郷に下宿しておるうちにそこの娘とできやったのでございます。

二十八の時の女難が私の生涯の終りで、女難と一しょに目を亡くしてしまったのでございますから、それをお話しいたして長物語を切り上げることにいたします。

五

二十八の夏でございました、そのころはやや運が向いて参りまして、鉄道局の雇いとなり月給十八円<ruby><rb>貰</rb><rt>もら</rt></ruby>っていましたが女には<ruby><rb>懲</rb><rt>こ</rt></ruby>りていますから女房も持たず、婆さんも雇わず、一人で六畳と三畳の長屋を借りまして自炊しながら局に通っておったのでございます。

<ruby><rb>住居</rb><rt>すまい</rt></ruby>は<ruby><rb>愛宕下町</rb><rt>あたごしたまち</rt></ruby>の狭い路次で、両側に長屋が立っています中のその一軒でした。長屋は両側とも六軒ずつ仕切ってありましたが、私の住んでいたのは一番奥で、すぐ前には大工の夫婦者が住んでいたのでございます。

長屋の者は大通りに住む<ruby><rb>方</rb><rt>かた</rt></ruby>とは違いまして、<ruby><rb>御承知</rb><rt>ごぞんじ</rt></ruby>でもございましょうが、互いに親しむのが早いもので、私が十二軒の奥に移りますと間もなく、十二軒の人は皆な私に挨拶するようになりました。

その中でも前に住む大工は年ごろが私と同じですし、朝出かける時と、晩帰える時とが大概同じでございますから始終顔を合わせますのでいつか懇意になり、しまいには大工の方からたびたび遊びに来るようになりました。

大工は名を藤吉と申しましたが、やはり江戸の職人という気風がどこまでもついて廻わり、様子が<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">いなせ</span>で弁舌が<ruby><rb>爽</rb><rt>さわ</rt></ruby>やかで至極面白い男でございました。ただ<ruby><rb>容貌</rb><rt>きりょう</rt></ruby>はあまり立派ではございません、鼻の丸い額の狭いなどはことに目につきました。笑う時はどこかに人のよい、悪く言えば少し抜けているようなところが見えて、それがまたこの人の愛嬌でございます。

私のところへ夜遊びに来ると、きっと酒の<ruby><rb>香</rb><rt>におい</rt></ruby>をぷんぷんさせて、いきなり尻をまくってあぐらをかきます。そして私が酒を<ruby><rb>呑</rb><rt>の</rt></ruby>まぬのを冷やかしたものでございます。

そしてまた、しきりと女房を持てとすすめました。そのついでにどうかいたしますと、『君なぞは女で苦労したこともない<ruby><rb>唐偏木</rb><rt>とうへんぼく</rt></ruby>だから女のありがた味を知らないのだ』とやるのです。御本人はどうかと申しますと、あまり苦労をしたらしくもないので、その女房も、親方が世話をして持たしてくれたとかいうのでございます。

けれども私は東京に出てから十年の間、いろいろな苦労をしたに似ず、やはり持って生まれた<ruby><rb>性質</rb><rt>しょうぶん</rt></ruby>と見えまして、烈しいこともできず、烈しい言葉すらあまり使わず、見たところ女などには近よることもできない野暮天に見えますので、大工の藤吉が唐偏木で女の味も知らぬというのは決して無理ではなかったのです。実際私は意気で女難にかかったというよりか皆んな、おとなしくって野暮だからかえって女難にかかったのでございます。

ある夜のことに藤吉が参りまして、<ruby><rb>洗濯物</rb><rt>せんたくもの</rt></ruby>があるなら<ruby><rb>嚊</rb><rt>かかあ</rt></ruby>に洗わせるから出せと申しますから、遠慮なく<ruby><rb>単衣</rb><rt>ひとえ</rt></ruby>と<ruby><rb>襦袢</rb><rt>じゅばん</rt></ruby>を出しました。そう致しますとそのあくる日の夕方に大工の女房が自分で洗濯物を持って参りまして、これだからお神さんを早くお持ちなさい、女房のありがた味はこれでもわかろうと私の膝の上に持って来たのを投げ出して帰えりました。この女はお<ruby><rb>俊</rb><rt>しゅん</rt></ruby>と申しまして、年は二十四五でございます。長屋中でお俊はいつか噂にのぼり、またお俊の前でもお神さんはどう見ても意気だなぞと、<ruby><rb>賞</rb><rt>ほ</rt></ruby>めそやす山の神があるくらいですから私の目にもこれはただの女ではないくらいのことは感づいていたのでございます。

藤吉は毎晩のように来るようになりました。それは一ツは私から尺八を習おうという熱心であったでございますが、笛とか尺八とかいうものは<ruby><rb>性質</rb><rt>うまれつき</rt></ruby>と見えまして藤吉は器用な男でありながらどうしても進歩いたしません。それでも屈せずブウブウ吹いていたのでございます。

お俊も遊びに来るようになりました。初めは二人で押しかけて参りましたが後には日曜日など、藤吉のいない時は昼間でも一人で遊びに来て、一人でしゃべって帰ってゆくようになったのでございます。私も後には藤吉の家に出掛けて夜の十二時までもくだらん話をして遊ぶようになりました。お俊はしきりに私の世話を焼いて、飯まで炊いてくれることもあり、菜ができると持って来てくれる、私の役所から帰らぬうちにちゃんと晩の仕度をしてくれることもあり、それですから藤吉がある時冷かしまして、『お前はこのごろ亭主が二人できたから忙がしいなア』と言ったことがあります。けれども藤吉は決して私を疑ぐるようなことはなく、初めはただ隣りづきあいでしたのが後には、なんでも身の上のことを打ち明けて私に相談するようになりました。それですから私もそのつもりでつきあって、随分やつの力にもなってやり、時には金の用までたしてやりましたのでやつはなお私をまたない友と信じ、二日ばかり私が風邪をひいた時など一日は仕事を休んで私のそばに附いていたことさえござります。

それに長屋中、皆な私を可愛がってくれまして、おとなしい方だよい方だ、珍しい<ruby><rb>堅人</rb><rt>かたじん</rt></ruby>だと<ruby><rb>褒</rb><rt>ほ</rt></ruby>めてくれるのでございます。ですからお俊ばかりでなくお神さんたちが頼みもせぬ用を<ruby><rb>達</rb><rt>た</rt></ruby>してくれるのでございます。ところがおかしいのはお俊がこれを焼いて、何を私がついているによけいなお世話だと、お神さんたちの目の前でいやな顔をする、それをお神さんたちはなお面白半分に私の世話を焼いたこともありました、けれども、それでもってお俊と私の仲を長屋の者が疑ぐるかというに決してそうでなく、てんで私をば木か金で作ったもののように無類の堅人だと信じていたのでございます。けれどもお俊の方はそれほどの信用はないのです。ですからお俊さんは少し怪しいが、とても物にはならぬなど、明らさまに私に向って言った山の神さえいたのでございます。

実際、お俊は怪しいと言われても仕方がありますまい。ある晩のことに私が床を延べていますと、お俊が飛んで参りまして、

『どうせ私じゃお気に入りませんよ』と言いざま<ruby><rb>布団</rb><rt>ふとん</rt></ruby>を引ったくって自分でどんどん敷き『サア、旦那様お休みなさい、オー世話の焼ける亭主だ』と言いながら色気のある眼元でじっと私を見上げましたことなどは、ただの仕草ではなかったのでございます。そしてその時の私の心持を言いますと、決して長屋の者が信じていたほどの堅固なものでなかったので、木や石でない限り、やはり妙な心持がしたのでございます。

私がある時藤吉に向い、『どうもお俊さんは意気だ、まるで素人じゃアないようだ』と申しますと、藤吉にやにや笑っていましたが、『うまいところを当てられた、実はあれはさる茶屋でかなり名を売った女中であったのを親方が見つけ出し、本人の心持を聞いて見ると堅気の職人のところにゆきたいというので、それこそ幸いと私に世話してくれたのだ』と少々得意の気味でお俊の身元を打ち明けたのでございます。その時からなおさら私はお俊のそぶりを妙に感じて来ました。

けれどもまず平穏無事に日が経ちますうち、ちょうど八月の中ごろの馬鹿に熱い日の晩でございます、長屋の者はみんな外に出て涼んでいましたが私だけは前の晩寝冷えをしたので身体の具合が悪く、宵から戸を閉めて床に<ruby><rb>就</rb><rt>つ</rt></ruby>きました。なんでも十時ごろまで外はがやがや話し声が聞えていましたがそのうちだんだん静かになりお俊もおとなしく内に引っ込んだらしかったのです。私は眠られないのと<ruby><rb>熱</rb><rt>あ</rt></ruby>つ苦しいとで、床を出ましてしばらく長火鉢の<ruby><rb>傍</rb><rt>そば</rt></ruby>でマッチで煙草を<ruby><rb>喫</rb><rt>す</rt></ruby>っていましたが、外へ出て見る気になり<ruby><rb>寝衣</rb><rt>ねまき</rt></ruby>のままフイと路地に飛び出しました。路地にはもう誰もいないのです。路地から通りに出ますと、月が傾いてちょうど愛宕山の上にあるのでございます。外はさすがに少しは風があるのでそこからぶらぶら歩いていますと、向うから一人の男が、何かぶつぶつ口小言を云いながらやって参ります、その様子が酔っぱらいらしいので私は道を避けていますとよろよろと私の前に来て顔を上げたのを見れば藤吉でございました。

藤吉は私を見るやいきなり、

『イヤ大将、うめえところで<ruby><rb>遇</rb><rt>あ</rt></ruby>った、今これからお前さんとこへ、押しかけるとこなんだ。サア家へ帰れ、今夜こそおれは勘弁ならんのだ、どうしてもお前さんに聞いてもらうことがあるんだ』と私の手を取ってグイグイ路地の方へ引っ張って参るのでございます。

私も酔っぱらいと思いまして『よしよし、サア帰ろう、なんでも聞こう』と一しょに連れ立って家に入りました。

藤吉の顔を見ると<ruby><rb>凄</rb><rt>すご</rt></ruby>いほど<ruby><rb>蒼</rb><rt>あお</rt></ruby>ざめて眼が<ruby><rb>坐</rb><rt>すわ</rt></ruby>っているのでございます。坐るが早いか、

『サア聞いてくれ、私はもうどうしても勘弁がならんのだ』と、それから巻舌で長々と述べ立てましたところを聞きますと、つまりこうなんです、藤吉がその日仲間の者四五人と一しょにある<ruby><rb>所</rb><rt>とこ</rt></ruby>で一杯やりますと、仲間の一人がなんかのはずみから藤吉と口論を初めました。互いに悪口<ruby><rb>雑言</rb><rt>ぞうごん</rt></ruby>をし合っていますうちに、相手の男が、親方のお古を頂戴してありがたがっているような意久地なしは黙って引っ込めと怒鳴ったものとみえます。それが藤吉にグッと<ruby><rb>癪</rb><rt>しゃく</rt></ruby>に触りましたというものは、これまでに朋輩からお俊は親方が手をつけて持て余したのを藤吉に押しつけたのだというあてこすりを二三度聞かされましたそうで、それを藤吉が人知れず苦にしていた矢先、またもやこういうて<ruby><rb>罵</rb><rt>のの</rt></ruby>しられたものですから言うに言われぬ不平が一度に破裂したのでございます、よけいなお世話だ、親方のお古ならどうした、<ruby><rb>手前</rb><rt>てめえ</rt></ruby>はお古を貰うこともできまいと、我鳴りつけたものとみえます。そうすると相手はあざ笑って、お古ならまだいいが、新しいのだ、今でも月に二三度はお手がつくのだと<ruby><rb>悪</rb><rt>あく</rt></ruby><span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">たれ</span>たのでございます。藤吉はこれを聞きますが早いか、『よし、見ていろ』とすぐそこを飛び出して家に帰るとお俊をたたき出してしまう了見でぶらぶらと帰る途中、私に逢ったのでございました。

それでこれからすぐにお俊を追い出すつもりだがお前さんも同意だろうと申しますから私はお俊が元親方と怪しい関係のあった女であるか、ないか、そんなことはわからないけれど、今ではお前を大切にして立派なお神さんになっているのだから追い出すほどのことはあるまい、見たところでも親方と怪しいという様子もないようだ、それは私が請け合うと申しますと、藤吉『今でも怪しいなら打ち殺してやるのだ、以前の関係があると聞いただけで私は承知ができねえのだ、お俊を追い出して親方の<ruby><rb>横面</rb><rt>よこつら</rt></ruby>を張り<ruby><rb>擲</rb><rt>なぐ</rt></ruby>ってくれるのだ、なんぞといえば女房まで世話をしてやったという、大きな面をしてむやみと親方風を吹かすからしてもう気に喰わねえでいたのだ、お古を押しつけておいて世話も何もあるものか、ふざけるない！』私がいくらなだめても聴かないでとうとう<ruby><rb>宅</rb><rt>うち</rt></ruby>に帰って参ったのでございます。

私もうっちゃってもおかれないと、藤吉の後について行こうとしますと、かまわないでおいてくれろと、私を内に入れません、仕方なしに外に立って内の様子を聴いていました。お俊はもう床に<ruby><rb>就</rb><rt>つ</rt></ruby>いていた様子でしたが、藤吉は引きずり起して怒鳴りつけているのでございます、お俊は何も言わないで聞いていたようですが、しばらくしますとプイと外へ出て参りました。私を見て、

『くだらないこと言ってらア、酔っぱらいに取り合っても仕方がないからうっちゃっておきましょう』と言いながらズンズン私の<ruby><rb>宅</rb><rt>うち</rt></ruby>に入るのでございます。私もお俊の後についてうちへ帰りました。

『誰がくだらないことを<ruby><rb>焼</rb><rt>た</rt></ruby>きつけたのだろうねえ、ほんとにしようがないねえ』とお俊はこう言って、長火鉢の横に坐って、そこに置いてあった煙草を吸うておるのです。

『明日の朝になればなんでもないサ』と私もしょうことなしに<ruby><rb>宥</rb><rt>なだ</rt></ruby>めていましたが、お俊が帰りそうにもないので、

『静かになったようだから見て来たらよかろう』と言いますと、お俊は黙って起って出てゆきましたから、私はすぐ<ruby><rb>蚊帳</rb><rt>かや</rt></ruby>の内に入ってしまったのでございます。ところが間もなくお俊は<ruby><rb>戻</rb><rt>もど</rt></ruby>って参りまして、

『よく寝ているからそとから戸締りをして来ました』と澄ましているのです。

『そしてお前さんどうするのだ』と私は蚊帳の内から問いました。

『私はこうして朝まで寝ないでいてやるのサ』

『そんなことができるものか、帰って寝たがよかろう』と申しますとお俊はじれったそうに『うっちゃっておいて下さいよ、酔っぱらいだから夜中にまたどんなことをするかわかるもんじゃアない、私ゃこわいワ、』と平気で煙草を吸っているのです。私も言いようがないから黙っていますと、お俊もいつものおしゃべりに似ず黙っているのでございます、蚊帳の中から<ruby><rb>透</rb><rt>すか</rt></ruby>して見ると、薄暗い<ruby><rb>洋燈</rb><rt>ランプ</rt></ruby>の光が<ruby><rb>房々</rb><rt>ふさふさ</rt></ruby>とした髪から横顔にかけてぽーッとしています、それに蒸し暑いのでダラリとした様子がいつにないなまめかしいように私は思ったのでございます。

そのうち、かれこれ二十分も経ちましたろうか。お俊は折り折り<ruby><rb>団扇</rb><rt>うちわ</rt></ruby>で蚊を追っていましたが『オオひどい蚊だ』と急に起ち上がりまして、蚊帳の<ruby><rb>傍</rb><rt>そば</rt></ruby>に来て、『あなたもう寝たの？』と聞きました。

『もう寝かけているところだ』と私はなぜか寝ぼけ声を使いました。

『ちょっと入らして頂戴な、蚊で堪らないから』と言いさま、やっと一人寝の蚊帳の中に入って来たのでございます。

朝早くお俊は帰ってゆきましたが、どういう風に藤吉の気嫌を取ったものか、それとも酔いが<ruby><rb>醒</rb><rt>さ</rt></ruby>めて藤吉が逆戻りしましたのか、おとなしく仕事に出て参りました。<ruby><rb>出際</rb><rt>でぎわ</rt></ruby>に上り口から頭を出して『お早よう』と言いさま、妙に笑って頭を<ruby><rb>掻</rb><rt>か</rt></ruby>いて見せまして『いずれおわびは帰ってから』と、言い捨てて出て参りました。その後姿を見送って『アア悪いことをした』と私はギックリ胸に来ましたけれどもう追っつきません。それからというものは、お俊の亭主はほんとうに二人になったのでございます。

それから一月も経たぬうちに藤吉はまた親方に何か言われて、プンプン怒って帰って参りましたが、今度は少しも酔っていないのです。お俊と別れて自分はしばらく横浜へ<ruby><rb>稼</rb><rt>かせ</rt></ruby>ぎに行くと言った様子はひどく覚悟をしたらしいので、私も浜へゆくことは強いて止めません、お俊と別れるには及ぶまい、しばらく私が預かるから半年も稼いだら帰って来てまた一しょになるがよかろうと申しますと、藤吉は涙を流してよろこびまして、万事よろしく頼むと家を畳んでお俊を私の宅に同居させ、横浜へ出かけてしまいました。

もうこうなれば澄ましたもので、お俊と私はすっかり夫婦気取りで暮していたのでございます。

そうすると一月ほどたちまして私は眼病にかかったのでございます。たいしたこともあるまいと初めは医者にもかからず、役所にはつとめて通っていましたが、だんだんに悪くなりましてしまいには役所を休むようになりました。医者に見せますと容易ならぬ眼病だと言われて、それから急にできるだけの療治にかかりましたが治る様子も見えないのでございます。

お俊はなかなか気をつけて看護してくれました。藤吉からは何の<ruby><rb>消息</rb><rt>たより</rt></ruby>もありません。私は藤吉のことを思いますと、ああ悪いことをしたと、つくづくわが身の罪を思うのでございますが、さればとてお俊を<ruby><rb>諭</rb><rt>さと</rt></ruby>して藤吉の後を<ruby><rb>逐</rb><rt>お</rt></ruby>わすことをいたすほどの決心は出ませんので、ただ悪い悪いと思いながらお俊の情を受けておりました。

そのうちだんだん眼が悪くなる一方で役所は一月以上も休んでいるし、私は気が気でならず、もし<ruby><rb>盲目</rb><rt>めくら</rt></ruby>になったらという一念が起るたびに、<ruby><rb>悶</rb><rt>もだ</rt></ruby>え苦しみました。

ここに怪しいことのございますのは、お俊の様子がひどく変ったことでございます、なんとなく私を看護するそぶりが前のようでなく、つまらぬことに<ruby><rb>疳癪</rb><rt>かんしゃく</rt></ruby>を起して私につらく当るのでございます。そして折り折りは半日もいずれにか出あるいて帰らぬこともあるのです。私は口に出してこそ申しませんが、腹の中は面白くなくって堪りません。ところがある日のことでございました、『御免なさい』と太い声で尋ねて来た者があります。

『いらっしゃい』とお俊は起ってゆきましたが、しばらく何かその男とこそこそ話をしていましたが、やがて私の枕元に参りまして、『頭領が見えました、何かあなたにお話ししたいことがあるそうです』

なんの頭領だろうと思っていますうちに、その男はずかずか私の枕元に参りまして、

『お<ruby><rb>初</rb><rt>はつ</rt></ruby>にお目にかかります、私ことは大工<ruby><rb>助次郎</rb><rt>すけじろう</rt></ruby>と申しますもので、藤吉初めお俊がこれまでいろいろお世話様になりましたにつきましては、お礼の申し上げようもございません、別してお俊が厚いお情をこうむりました儀につきましては藤吉に代りまして私より十分の御礼を申し上げます。つきましては、お俊儀は今日ただ今より私が世話することになりましたにつきましては早速お宅を立ち退くことにいたします、さようあしからず御承知を願い置きます』と切り口上でベラベラとしゃべり立てました、私は文句が出ないのでございます。

それからお俊と頭領がどたばた荷ごしらいをするようでしたが、間もなくお俊が私の<ruby><rb>傍</rb><rt>そば</rt></ruby>に参りまして、『いろいろわけがあるのだから、悪く思っちゃアいけませんよ、さようなら、お大事に』

二人は出て行きました。私は泣くこともわめくこともできません、これは皆な罰だと思いますと、母のやつれた姿や、<ruby><rb>孕</rb><rt>はら</rt></ruby>んだまま置き去りにして来たお幸の姿などが眼の前に現われるのでございます。

役所は<ruby><rb>免</rb><rt>や</rt></ruby>められ、眼はとうとう片方が見えなくなり片方は少し見えても物の役には立たず、そのうち少しの<ruby><rb>貯蓄</rb><rt>たくわえ</rt></ruby>はなくなってしまいました。それから今の姿におちぶれたのでございますが、今ではこれを悲しいとも思いません、ただ自分で吹く尺八の音につれて恋いしい母のことを思い出しますと、いっそ死んでしまったらと思うこともございますが死ぬることもできないのでございます」

＊　　　　　＊　　　　　＊

盲人は去るにのぞんでさらに一曲を吹いた。自分はほとんどその哀音悲調を聴くに堪えなかった。恋の曲、懐旧の情、流転の哀しみ、うたてやその底に<ruby><rb>永久</rb><rt>とこしえ</rt></ruby>の恨みをこめているではないか。

月は西に落ち、盲人は去った。翌日は彼の姿を鎌倉に見ざりし。