Soranoha

新女大学

しんおんなだいがく

福沢 諭吉

一 夫それ女子は男子に等しく生れて父母に養育せらるゝの約束なれば、其成長に至るまで両親の責任軽からずと知る可べし。多産又は病身の母なれば乳母を雇うも母体衛生の為めに止むを得ざれども、成る可くば実母の乳を以て養う可し。母体平生の健康大切なる所以ゆえんなり。小児は牛乳を以て養う可しと言い、財産家は乳母を雇うこと易しとて、母に乳あるも態わざと之を授さずけずして恰あたかも我子の生立を傍観する者なきにあらず。大なる心得違にして、自然の理に背く者と言う可し。

一 婦人の妊娠出産は勿論もちろん、出産後小児に乳を授け衣服を着せ寒暑昼夜の注意心配、他人の知らぬ所に苦労多く、身体も為めに瘠やせ衰おとろうる程の次第なれば、父たる者は其苦労を分ち、仮令たとい戸外の業務あるも事情の許す限りは時を偸ぬすんで小児の養育に助力し、暫くにても妻を休息せしむ可し。世間或は人目を憚はばかりて態と妻を顧みず、又或は内実これを顧みても表面に疏外そがいの風を装よそおう者あり。たわいもなき挙動なり。夫が妻の辛苦を余処よそに見て安閑あんかんたるこそ人倫の罪にして恥ず可きのみならず、其表面を装うが如きは勇気なき痴漢バカモノと言う可し。

一 女子少しく成長すれば男子に等しく体育を専一せんいつとし、怪我せぬ限りは荒き事をも許して遊戯せしむ可し。娘の子なるゆえにとて自宅に居ても衣裳に心を用い、衣裳の美なるが故に其破れ汚れんことを恐れ、自然に運動を節して自然に身体の発育を妨ぐるの弊へいあり。大なる心得違なり。小児遊戯の年齢には粗衣粗服、破れても汚れても苦しからぬものを着せて、唯活溌の運動を祈る可し。又食物も気を付けて無害なる滋養品を与うるは言うまでもなきことながら、食物一方に依頼して子供を育てんとするは是亦これまた心得違なり。如何に食物を良くするも、其食物に相応する丈だけの体動なくしては、食物こそ却て発育の害なれ。田舎の小民の子が粗食大食勝手次第にして却て健康なる者多し。京都大阪辺の富豪家に虚弱なる子あれば、之を八瀬大原やせおおはらの民家に託して養育する者ありと言う。田舎の食物の粗なるは勿論のことなれども、田舎の物を食して田舎風に運動遊戯すれば、身体に利する所は都会の美食に勝るものあるが故なり。左されば小児を丈夫に養育せんとならば、仮令たとい巨万の富あるも先ず其家を八瀬大原にして、之に生理学問上の注意を加う可きのみ。

一 尚なお成長すれば文字を教え針持つ術を習わし、次第に進めば手紙の文句、算露盤の一通りを授けて、日常の衣服を仕立て家計の出納すいとうを帳簿に記して勘定の出来るまでは随分易やすきことに非ず。父母の心して教う可き所なり。又台所の世帯万端、固もとより女子の知る可き事なれば、仮令い下女下男数多あまた召使う身分にても、飯の炊きようは勿論、料理献立、塩噌えんその始末に至るまでも、事細こまかに心得置く可し。自分親みずから手を下さゞるにもせよ、一家の世帯は夢中に持てぬものなれば、娘の時より之に慣るゝこと大切なりと知る可し。

一 前条は学問と言う可き程のことにあらず、貴賤貧富に論なく女子教育の通則として、扨学問の教育に至りては女子も男子も相違あることなし。第一物理学を土台にして夫れより諸科専門の研究に及ぶ可し。之を喩たとえば日本の食物は米飯を本もとにし、西洋諸国はパンを本にして、然る後に副食物あるが如く、学問の大本は物理学なりと心得、先ず其大概を合点して後に銘々の好む所に従い勉む可きを勉む可し。極端を論ずれば兵学の外に女子に限りて無用の学なしと言う可き程の次第なれども、其勉学の程度に至りては大に注意す可きものあり。第一女子は家の内事を司つかさどるの務つとめあるが故に学事勉強の暇いとま少なし。是れは財産の問題にして、金さえあれば家事を他人に託して独り学を勉む可しと言うも、女子の身体、男子に異なるものありて、月に心身の自由を妨げらるゝのみならず、妊娠出産に引続き小児の哺乳養育は女子の専任にして、為めに時を失うこと多ければ、学問上に男子と併行す可らざるは自然の約束と言うも可なり。殊に我日本国に於ては、古来女性の学問教育を等閑なおざりに附して既に其習慣を成したることなれば、今日遽にわかに之を起して遽に高尚の門に入れんとするも、言う可くして行わる可らざるの所望なれば、我輩は今後十年二十年の短日月に多きを求めず、他年の大成は他年の人の責任に遺して今日は今日の急を謀り、兎にも角にも今の女子をして文明普通の常識を得せしめんと欲する者なり。物理生理衛生法の初歩より地理歴史等の大略を知るは固より大切なることにして、本草ほんぞうなども婦人には面白き嗜たしなみならん。殊に我輩が日本女子に限りて是非とも其智識を開発せんと欲する所は、社会上の経済思想と法律思想と此この二者に在り。女子に経済法律とは甚だ異いなるが如くなれども、其思想の皆無なるこそ女子社会の無力なる原因中の一大原因なれば、何は扨置き普通の学識を得たる上は同時に経済法律の大意を知らしむること最も必要なる可し。之を形容すれば文明女子の懐剣かいけんと言うも可なり。

一 女性は最も優美を貴たっとぶが故に、学問を勉強すればとて、男書生の如く朴訥ぼくとつなる可らず、無遠慮なる可らず、不行儀なる可らず、差出がましく生意気なる可らず。人に交わるに法あり。事に当りて論ず可きは大に論じて遠慮に及ばずと雖いえども、等しく議論するにも其口調に緩急かんきゅう文野ぶんやの別あれば、其辺は格別に注意す可き所なり。口頭の談論は紙上の文章の如し。等しく文を記して同一様の趣意を述ぶるにも、其文に優美高尚なるものあり、粗野過激なるものあり、直筆激論、時として有力なることなきに非ざれども、文に巧なる人が婉曲えんきょくに筆を舞わして却て大に読者を感動せしめて、或る場合には俗に言う真綿で首を締めるの効を奏することあり。男子の文章既に斯かくの如し。況まして女子の談論に於てをや。仮初かりそめにも過激粗暴なる可らず。其顔色を和らげ其口調を緩かにし、要は唯条理を明にして丁寧反覆、思う所を述ぶるに在るのみ。即ち女子の品位を維持するの道にして、大丈夫も之に接して遜ゆずる所なきを得ず。世間に所謂女学生徒などが、自から浅学寡聞かぶんを忘れて、差出がましく口を開いて人に笑わるゝが如きは、我輩の取らざる所なり。

一 既に優美を貴たっとぶと言えば、遊芸は自おのずから女子社会の専有にして、音楽は勿論、茶の湯、挿花いけばな、歌、誹諧、書画等の稽古は、家計の許す限り等閑にす可らず。但し今の世間に女学と言えば、専ら古き和文を学び三十一文字みそひともじの歌を詠じて能事のうじ終おわるとする者なきに非ず。古文古歌固より高尚にして妙味ある可しと雖いえども、之を弄ぶは唯是れ一種の行楽事にして、直に取て以て人生居家の実際に利用す可らず。之を喩えば音楽、茶の湯、挿花の風流を台所に試みて無益なるが如し。然しかのみならず古文古歌の故事は往々浮華に流れて物理の思想に乏しく、言葉は優美にして其実は婬風に逸いっするもの多し。例えば世の中に普通なる彼の百人一首の如き、夢中に読んで夢中に聞けばこそ年少女子の為めに無害なれども、若しも一々これを解釈して詳つまびらかに今日の通俗文に翻訳したらば、婬猥いんわい不潔、聞くに堪えざること俗間の都々一どどいつに等しきものある可し。唯都々一は三味線に撥ばちを打付ぶちつけてコリャサイなど囃立はやしたつるが故に野鄙やひに聞ゆれども、三十一文字も三味線に合してコリャサイの調子に唄えば矢張り野鄙なる可し。古歌必ずしも崇拝するに足らず。都々一も然しかり。長唄、清元も然り。都すべて是れ坊主の読むお経の文句を聞くが如く、其意味を問わずして其声を耳にするのみ、果して其意味を解釈するも事に益することなきは実際に明あきらかなる所にして、例えば和文和歌を講じて頗る巧なりと称する女学史流が、却て身辺の大事を忘却して自身の病に医を択ぶの法を知らず、老人小児を看病して其方法を誤り、甚しきは手相家相九星八卦等、あられもせぬ事に苦労して禍福を祈るが如き、世間に其例少なからざるを見て知る可し。畢竟するに無学迷信の罪と言うの外なし。左れば古来世に行わるゝ和文字やまともんじの事も単に之を美術の一部分として学ぶは妙なりと雖も、女子唯一の学問と認めて畢生ひっせい勉強するが如きは我輩の感服せざる所なり。

一 女子の徳育には相当の書籍もある可し、父母長者の物語もある可しと雖も、書籍読むよりも物語聞くよりも、更に手近くして有力なる教は父母の行状に在り。徳教は耳より入らずして目より入るとは我輩の常に唱うる所にして、之を等閑なおざりにす可らず。父母の品行方正にして其思想高尚なれば自おのずから家風の美を成し、子女の徳義は教えずとても自然に美なる可し。左れば父母たる者の身を慎しみ家を治むるは独り自分の利益のみに非ず、子孫の為めに遁のがる可べからざる義務なりと知る可し。

一 家の美風その箇条は様々なる中にも、最も大切なるは家族団欒だんらん相互に隠すことなきの一事なり。子女が何かの事に付き母に語れば父にも亦これを語り、父の子に告ぐることは母も之を知り、母の話は父も亦知るようにして、非常なる場合の外は一切万事に秘密なく、家内恰あたかも明放しにして、親子の間始めて円滑なる可し。是れは自分の意なれども父上には語る可らず、何々は自分一人の独断なり母上には内証などの談は、毎度世間に聞く所なれども、斯くては事柄の善悪に拘かかわらず、既に骨肉の間に計略を運めぐらすことにして、子女養育の道に非ざるなり。

一 女子既に成長して家庭又学校の教育も了おわれば男子と結婚す。結婚は生涯の一大事にして、其法、西洋諸国にては当局の男女相見て相択び、互に往来し互に親しみ、いよ〱決心して然る後父母に告げ、其同意を得て婚式を行うと言う。然るに日本に於ては趣を異にし、男子女子の為めに配偶者を求むるは父母の責任にして、其男女が年頃に達すれば辛苦して之を探索し、長し短し取捨百端、いよ〱是れならばと父母の間に内決して、先ず本人の意向如何を問い、父母の決したる所に異存なしと答えて、事始めて成るの風なり。故に表面より見れば子女の結婚は父母の意に成り、本人は唯成を仰ぐのみの如くなれども、其実は然らず。父母は唯発案者にして決議者に非ず、之を本人に告げて可否を問い、仮初かりそめにも不同心とあらば決して強しうるを得ず。直ただちに前議を廃して第二者を探索するの例なれば、外国人などが日本流の婚姻を見て父母の意に成ると言うは、実際を知らざる者の言にして取るに足らず。譬たとえば封建の時代に武家は百姓町人を斬棄てると言いながら実際に斬棄てたる者なきが如く、正式に名を存するのみにして習慣の許さゞる所なり。但し天地は広し、真実の父母が銭の為めに娘を売る者さえある世の中ならば、所謂いわゆる親の威光を以て娘の嫁入を強うる者もあらん。昔の馬鹿侍が酔狂に路傍の小民を手打にすると同様、情け知らずの人非人として世に擯斥ひんせきせらる可きが故に、斯かかる極端の場合は之を除き、全体を概して言えば婚姻法の実際に就き女子に大なる不平はなかる可し。

一 父母が女子の為めに配偶者を求むるは至極の便利にして、其間に本人の自由を妨ぐることなきに似たれども、今一歩を進むれば社会全体に男女交際法の区域を広くし、之を高尚にし、之を優美にし、所謂和して乱れざるの佳境に進めて自由自在ならしめんこと、我輩の常に願う所なり。斯くなる上は、女子が父母に婚姻を勧めらるゝとき、自分の見聞広ければ配偶の可否を答うるも易く、又或は其身躬から意に適したる者を認め得たるときも、極内々に父母に語るか、又は窃ひそかに人を以て言わしむるかして、親子共に非常の便利ある可し。固もとより願わしき事なれども、如何せん、是れは唯今日の希望にして、今日の実際に行う可らず。強いて実行せんとすれば、其便利は以て弊害を償つぐなうに足らざることある可し。我輩の窃ひそかに恐るゝ所なり。蓋けだし男女交際法の尚なお未熟なる時代には、両性の間、単に肉交にくこうあるを知て情交あるを知らず、例えば今の浮世男子が芸妓などを弄ぶが如き、自から男女の交際とは言いながら、其調子の極めて卑陋ひろうにして醜猥しゅうわい無礼なるは、気品高き情交の区域を去ること遠し。仮令い直接に身を汚さゞる者あるも、帰する所は肉交の波瀾中に浮沈するものと言わざるを得ず。左れば今日両性の気品を高尚にして其交際を広くし、随て結婚の契約をも自由自在ならしめんとするには、唯社会改良の時節を待つのみ。否な、徒いたずらに其時節到来を待つに非ず、天下有志の善男善女が躬践きゅうせん実行して実例を示し、以て其時節を作らんこと、我輩の希望し勧告する所なり。

一 女子の結婚は男子に等しく、他家に嫁するあり、実家に居て壻養子するあり、或は男女共に実家を離れて新家を興すことあり。其事情は如何ようにても、既に結婚したる上は、夫婦は偕老同穴、苦楽相共の契約を守りて、仮初にも背そむく可らず。女子が生涯娘なれば身は却て安気なる可きに、左りとては相済まずとて結婚したるこそ苦労の種を求めたるに似たれども、男女家に居るは天然の命ずる所にして、其居家の楽しみは以て苦しみを償うて余りある可し。故に結婚は独身時代の苦楽を倍にするの約束にして、快楽も多き代りに苦労も亦多し。夫婦正しく一身同体、妻の病気には夫の身を苦しめ、夫の恥辱には妻の心を痛ましめ、其感ずる所に些少さしょうの相違あることなし。世の男女或は此賭易みやすき道理を知らずして、結婚は唯快楽の一方のみと思い却て苦労の之に伴うを忘れて、是に於てか男子が老妻を捨てゝ妾を飼い、婦人が家の貧苦を厭いとうて夫を置去りにするなどの怪事あり。畢竟結婚の契約を重んぜざる人非人にこそあれ。慎しむ可き所のものなり。

一 女子の結婚、就中なかんずくその他家に嫁したる結婚の後、その家の舅姑に事つかうるの法如何は古来世論の喋々ちょうちょうする所にして、又実際に於ても女同士なる姑と嫁との間に衝突の起るは珍らしからず。仮令たとい或は表面に衝突せざるも、内心相互に含む所ありて打解けざるは、日本国中の毎家殆んど普通と言うも可なり。天下の姑悉ことごとく皆みな悪婦にあらず、天下の嫁悉皆悪女子にあらざるに、其人柄の良否に論なく其間の概して穏ならざるは、畢竟人の罪に非ず勢の然らしむる所、一歩を進めて論ずれば世教習慣の然らしむる所なりと言わざるを得ず。其世教に教うる所を聞けば、嫁の舅姑に事うるは実の父母の如くせよ、実の父母よりも更らに厚くして更らに親しみ敬えと教うると同時に、舅姑に向ては嫁を愛すること真実の娘の如くせよと言う。此事果して実際に行わるれば好都合なれども、天然の人情は如何ともす可らず。父母に非ざる者を父母とし、娘に非ざる者を娘とすることは叶わずして、是に於てか相互の交際は、万事に就き心の底より出でずして、動ややもすれば表面の儀式に止まること多し。仮令い或は其一方が真実打解けて親まんとするも、先方の心に何か含む所あるか、又は含む所あらんと推察すれば、何分にも近づき難きが故に、俗に言う触らぬ神に祟たたりなしの趣意に従い、一通りの会釈挨拶を奇麗にして、思う所の真面目しんめんぼくをば胸の中に蔵おさめ置くより外にせん術すべもなし。即ち双方の胸に一物いちもつあることにして、其一物は固より悪事ならざるのみか、真実の深切、誠意誠心の塊にても、既に隠すとありては双方共に常に釈然たるを得ず、之を彼の骨肉の親子が無遠慮に思う所を述べて、双方の間に行違もあり誤解もありて、親に叱られ子に咎められながら、果ては唯一場の笑に附して根もなく葉もなく、依然たる親子の情を害することなきものに比すれば、迚とても同年の論に非ず。左れば舅姑と嫁との間は、其人品の如何に拘らず其家風の如何に論なく、双方をして真に骨肉の親子の如くならしめんとするも、千一万一の異例の外、先ず以て人情世界に行われ難き所望にして、本もとはと言えば古来流行の女子教育法に制せられ、遂に社会全般の習慣を成して、舅姑も嫁も共に苦労することなれば、斯く無理なる所望して失敗するよりも、行われざる事は行われずとして他に好手段を求め、人情の根本より割出して家の幸福を全うせんこと我輩の望む所なり。

一 文字の如く舅姑は舅姑にして嫁は嫁なり。元来親に非ず子に非ざれば、其親子に非ざる真実の真面目に従て和合の法を講ずるこそ人情の本来なれ。我輩の特に注意する所のものなり。之を近づくれば固より相引き之を遠ざけても益ますます相引かんとするは夫婦の間なれども、之を近づくれば常に相衝つき之を遠ざくれば却て相引かんとするは舅姑と嫁との間なり。故に女子結婚の上は夫婦共に父母を離れて別に新家を設くるこそ至当なれども、結婚の法一様ならず、家の貧富、職業の事情も同じからざれば、結婚必ず別門戸は行われ難しとするも、せめて新夫婦が竈かまどを別にする丈けは我輩の飽くまでも主張する所なり。例えば家の相続男子に嫁を貰うか、又は娘に相続の養子する場合にも、新旧両夫婦は一家に同居せずして、其一組は近隣なり又は屋敷中の別戸なり、又或は家計の許さゞることあらば同一の家屋中にても一切の世帯を別々にして、詰る所は新旧両夫婦相触るゝの点を少なくすること至極の肝要なり。新婦の為めに老夫婦は骨肉の父母に非ざる尚なお其上に、年齢も異なり、衣服飲食百般の事に就て思想好嗜こうしの同じからざるは当然の事にして、其異なる所のものをして相互に触れしむるときは、自然の約束に従て相衝かざるを得ず。都すべて是れ双方の感情を害する媒介たるに反し、遠く相離れて相互に見るが如く見ざるが如くして、相互に他の内事秘密に立入らざれば、新旧恰も独立して自から家計経営の自由を得るのみならず、其遠ざかるこそ相引くの道にして、遠目に見れば相互に憎からず、舅姑と嫁との間も知らず識らず和合して、家族団欒の幸福敢て期す可し。即ち新夫婦相引く者をして益ますます引かしめ、新旧相衝くの患うれいを避けて遠く相引かしむるの法なり。世間無数の老人夫婦が倅せがれに嫁を迎え娘に養子を貰い、無理に一家の中に同居して時に衝突を起せば、乃すなわち言く、是れ程に手近く傍に置て優しく世話するにも拘らず動ややもすれば不平の色ありとて、愚痴を洩す者多し。毎度聞く所なれども、何ぞ計らん、其その手近くせられて優しきお世話を蒙るこそ苦痛の種なれ。畢竟人の罪に非ず、習慣の然らしむる所にして、新旧夫婦共に自から不愉快と知りながら、近く相接して自から苦しむ。居家法の最も拙なるものと言う可し。

一 新夫婦は家の事情の許す限り老夫婦と同居せざるものとして、扨さてその新婦人が舅姑に接するの法を如何いかがす可きやと言うに、新婦の為めに夫は実の父母にも劣らぬ最親の人なる可し。其最親の人の最も尊敬し最も親愛する老父母即ち舅姑のことなれば、仮令い自分の父母に非ざるも、夫を思うの至情より割出して、之に厚うするは当然のことなり。夫の常に愛玩する物は犬馬器具の微に至るまでも之を大切にするは妻たる者の情ならずや。況いわんや譬たとえんものもなき夫を産みたる至尊至親の老父母に於てをや。其保養を厚うし其感情を和らげ、仮初にも不愉快の年を発おこさしむることなきよう心を用う可し。殊に老人は多年の経験もあることなれば、万事に付き妨げなき限りは打明けて語り打明けて相談す可し。之を煩わすに似たれども、其相談は老人を疏外せざるの実を表するものにして、却て意を慰むるに足る可し。曾て或る洋学者が妻を娶り、其妻も少し許ばかり英語を解して夫婦睦じく家に居り、一人の老母あれども何事も相談せざるのみか知らせもせずに、夫婦の専断に任せて、母は有れども無きが如し。或るとき家の諸道具を片付けて持出すゆえ、母が之を見て其次第を嫁に尋ぬれば、今日は転宅なりと言うにぞ、老人の驚き一方ならず、此人はまだ極老に非ず、心身共に達者にして能く事を弁ずれども、夫婦両人は常に老人をうるさく思い、朝夕の万事互に英語を以て用を達するの風なりしゆえ、転宅の其朝に至るまで何事も老人の耳に入らずして一切夢中、何時いつの間まにか荷物同様新宅に運搬せられたることなり。倅の不敬乱暴無法は申すまでもなく、嫁の不埒ふらちも亦悪にくむ可し。無教育なる下等の暗黒社会なれば尚お恕ゆるす可きなれども、苟いやしくも上流の貴女紳士に此奇怪談は唯驚く可きのみ。思うに此英語夫婦の者共は、転宅の事を老人に語るも無益むやくなり、到底その意に任せて左右せしむ可き事に非ずとて、夫婦喃々なんなんの間に決したることならんなれども、是れぞ所謂老人の口腹を養うを知て其情を養うの道を知らざる者なり。不敬不埒と言うよりも常識を失う朱愚と言う可し、大倫を弁わきまえざる人非人と言う可し。女子の注意して心に銘ず可き所のものなり。

一 小児養育は婦人の専任なれば、仮令い富貴の身分にても天然の約束に従て自から乳を授く可し。或は自身の病気又は衛生上の差支より乳母を雇うことあるも、朝夕の注意は決して怠る可らず。既に哺乳の時を過ぎて後も、子供の飲食衣服に心を用いて些細の事までも見遁みのがしにせざるは、即ち婦人の天職を奉ずる所以ゆえんにして、其代理人はなき筈なり。飲食衣服は有形の物にして誰れの手を以て与うるも同様なるに似たれども、其これを与うるの間に母徳無形の感化力は有形物に優ること百千倍なるを忘る可らず。蚕かいこを養うにも家人自からすると雇人に打任せるとは其生育に相違ありと言う。況んや自分の産みたる子供に於てをや。人任せの不可なるは言わずして明白なる可し。世間の婦人或は此道理を知らず、多くの子を持ちながら其着物の綻ほころびを縫うは面倒なり、其食事の世話は煩わしとて之を下女の手に託し、自分は友達の附合、物見遊山などに耽ふけりて、悠々閑々たる者あるこそ気の毒なれ。元来を言えば婦人の遊楽決して咎む可らず。鬱散養生とあれば花見も宜し湯治も賛成なり、或は集会宴席の附合も自から利益なれども、其外出するや子供を家に残して夫婦の留守中、下女下男の預りにて、初生児は無理に牛乳に養わるゝと言う。恰も雇人に任せたる蚕の如し。其生育如何は自問して自答に難からざる可し。在昔ムカシ大名高家の子供に心身暗弱あんじゃくの者多かりしも、貴婦人が子を産むを知て子を養育する法を忘れたるが故なり。篤とくと勘考す可き所のものなり。故に我輩は婦人の外出を妨げて之を止むるに非ず、寧ろ之を勧めて其活溌ならんことを願う者なれども、子供養育の天職を忘れて浮かれ浮かるゝが如きは決して之を許さず。此点に就ては西洋流の交際法にも感服せざるもの甚だ多し。又婦人は其身の境遇よりして家に居り家事を司どるが故に、生理病理に就て多少の心得なくて叶わぬことなり。家人の病気に手療治などは思いも寄らず、堅く禁ずる所なれども、急病又は怪我などのとき、医者を迎えて其来るまでの間にも頓智あり工風くふうあり、徒いたずらに狼狽うろたえて病人の為めに却て災を加うること多し。用心す可き事なり。例えば小児が腹痛すればとて例の妙薬黒焼など薬剤学上に訳けの分らぬものを服用せしむ可らず、事こと急なれば医者の来るまで腰湯パップ又は久しく通じなしと言えば灌腸を試むる等、外用の手当は恐る〱用心して施す可きも、内服薬は一切禁制にして唯医者の来診を待つ可し。或は高き処から落ちて気絶したる者あらば酒か焼酎を呑ませ、又切疵ならば取敢えず消毒綿を以て縛り置く位にして、其外に余計の工夫は無用なり。或人が剃刀かみそりの疵に袂草たもとぐさを着けて血を止めたるは好けれども、其袂草の毒に感じて大患に罹りたることあり。畢竟無学の罪なり。呉々も心得置く可きことなり。是等の事に就ては世間に原書もあり翻訳書もあり、之を読むは左までの苦労にあらず、婦人の為めには却て面白かる可し。

一 下女下男を召使うは随分骨の折れることにして、使われる者は力を労し使う者は心を労す。主人の方こそ却て苦労多かる可し、下女下男にも人物様々、時としては忠実至極の者なきに非ざれども、是れは別段のことゝして、本来彼等が無資産無教育なる故にこそ人の家に雇わるゝことなれば、主人たる者は其人物如何に拘らず能く之を教え之を馴らし、唯親切を専らにして夫それ〲の家事に当らしむると同時に、到底自分の思う通りにはならぬものと最初より胸中に覚悟して多を望む可らず。此れも下女の不行届、其れも下男の等閑なおざりなど、逐一計え立て徒いたずらに心配苦労して益なき事に疳癪を起すは、唯ただ愚ぐと言う可きのみ。現在の下女下男を宜しからずと思わば、既往数年の事を想起し、其数年の間に如何なる男女が果して最上にして自分の意に適したるや、其者は誰々と指を屈したらば、おの〱一得一失にして、十分の者は甚だ少なかる可し。既往斯かくの如くなれば現今も斯の如し。将来も亦また斯の如くならんと勘弁す可し。婢僕ひぼくの過誤失策を叱るは、叱らるゝ者より叱る者こそ見苦しけれ。主人の慎しむ可き所なり。

一 婦人は家を治めて内の経済を預り、云わば出るを為すのみにして入るを知らざる者の如くなれども、左りとては甚だ不安心なり。夫とて万歳の身に非ず、老少より言えば夫こそ先きに世を去る可き順なれば、若し万一も早く夫に別れて、多勢の子供を始め家事万端を婦人の一手に引受くるが如き不幸もあらんには、其時に至り亡人なきひとの存命中、戸外に何事を経営して何人に如何なる関係あるや、金銭上の貸借は如何、その約束は如何など、詳細の事実を知らずして、仮令い帳簿を見ても分明ぶんみょうならず、之が為めに様々の行違いを生じて、甚しきは訴訟の沙汰に及ぶことさえ世間に珍らしからず。畢竟ひっきょう婦人が家計の外部に注意せざりし落度おちどにこそあれば、夫婦同居、戸外の経営は都すべて男子の責任とは言いながら、其経営の大体に就ては婦人も之を心得置き、時々の変化盛衰に注意するは大切なることにして、我輩の言う女子に経済の思想を要すとは此辺の意味なり。

一 女子が如何に教育せられて如何に書を読み如何に博学多才なるも、其気品高からずして仮初にも鄙陋不品行の風あらんには、淑女の本領は既に消滅したりと言う可し。我輩が茲ここに鄙陋不品行の風と記したるは、必ずしも其人が実際に婬醜の罪を犯したる其罪を咎むるのみに非ず、平生の言行野鄙にして礼儀上に忌む可きを知らず、動ややもすれば談笑の間にもあられぬ言葉を漏らして、当人よりも却て聞く者をして赤面せしむるが如き、都て不品行の敗徳として賤しむ可き所のものなり。例えば芸妓など言う賤しき女輩が衣裳を着飾り、酔客の座辺に狎なれて歌舞周旋しゅうせんする其中に、漫語放言、憚る所なきは、活溌なるが如く無邪気なるが如く、又事実に於て無邪気無辜むこなる者もあらんなれども、之を目して座中の婬婦と言わざるを得ず。芸妓の事は固より人外として姑しばらく之を擱おき、事柄は別なれども、上流社会に於ても知らずして自から誤るものあり。近来教育の進歩に随て言葉の数も増加し、在昔学者社会に限りて用いたる漢語が今は俗間普通の通語と為りしもの多き中にも、我輩の耳障みみざわりなるは子宮の文字なり。従前婦人病と言えば唯、漠然血の道とのみ称し、其事の詳つまびらかなるは唯医師の言を聞くのみにして、素人の間には曾て言う者もなく聞く者もなかりしに、近年は日常交際の談話に公然子宮の語を用いて憚る所なく、売薬の看板にさえ其文字を見るのみならず、甚しきは婦人の口より洩るゝなどの奇談も時としてはなきに非ず。唯仰天ぎょうてんす可きのみ。抑そもそも子宮の字は洋語の Uterus(ユーテルス)に当り、相互直訳の文字にして、西洋諸国に於ては医師社会に限りて之を用い、診察治療の必要に迫れば極内々に患者又は其家人に之を告ぐるのみ。医事に関する要談の外に、西洋国人の口よりユーテルスの語を聞かんと欲するも決して得べからず。況んや婦人の口よりするに於てをや。生命を賭しても発言せざる可し。然るに日本人は之を口外して平気なりと言う。当人の知らぬことゝは言いながら羞かしきことならずや。尚お此外にも今の世間に見苦しく聞き苦しきことは一にして足らず。畢竟婦人の罪とのみ言う可らず、社会の先達たる学者教育家の不深切と、政府の筋の無学不注意に由来することゝ知る可し。

一 教育の進歩と共に婦人が身柄にあるまじきことを饒舌しゃべり、甚だしきは奇怪千万なる語を用いて平気なるは、浅見自から知らざるの罪にして唯憐む可きのみ。其原因様々なる中にも、少小の時より教育の方針を誤りて自尊自重の徳義を軽んじ、万有自然の数理を等閑にし、徒に浮華に流れて虚文を弄ぶが如き、自から禍源の大なるものと言う可し。例えば学校の女生徒が少しく字を知り又洋書など解し得ると同時に、所謂詠歌国文に力を籠こめ、又は小説戯作など読んで余念なきものあり。文を学ぶには国文小説も甚だ有益なれども、年少わかき時には外に勉む可きもの尚お多し。詠歌には巧なれども自身独立の一義に就ては夢想したることもなく、数十百部の小説本を読みながら一冊の生理書をも見たることもなき女史こそ多けれ。況して小説戯作は往々人の情を刺すこと劇はげしくして、血気の春とも言う可き妙年女子の為めには先ず以て有害にこそあれば、文学の必要よりしていよ〱之を読まんとならば、其種類を選ぶこと大切なる可し。

一 婦人の気品を維持することいよ〱大切なりとすれば、敢て他を犯さずして自から自身を重んず可し。滔々とうとうたる古今の濁水じょくすい社会には、芸妓もあれば妾奉公する者もあり、又は妾より成揚なりあがり芸妓より出世して立派に一家の夫人たる者もあり、都て是等は人間以外の醜物にして、固もとより淑女貴婦人の共に伍を為す可き者に非ず、賤いやしみても尚お余りある者なれども、其これを賤しむの意を外面に顕あらわすは婦人の事に非ず。我は清し、汝は濁る、我は高し、汝は卑しと言わぬ許りの顔色して、明らさまに之を辱しむるが如きは、唯空しく自身の品格を落すのみにして益なき振舞なれば、深く慎しむ可きことなり。或は交際の都合に由りて余儀なく此輩と同席することもあらんには、礼儀を乱さず温顔以て之に接して侮あなどることなきと同時に、窃ひそかに其無教育破廉恥を憐むこそ慈悲の道なれ。要は唯其人の内部に立入ることを為さずして度外に捨置き、事情の許す限り之を近づけざるに在るのみ。

一 夫妻同居して妻たる者が夫に対して誠を尽す可きは言うまでもなき事にして、両者一心同体、共に苦楽を与ともにするの契約は、生命を賭して背く可べからずと雖も、元来両者の身の有様を言えば、家事経営に内外の別こそあれ、相互に尊卑の階級あるに非ざれば、一切万事対等の心得を以て自から屈す可らず、又他をして屈伏せしむ可らず。即ち結婚の契約より生じたる各自の権利あるが故なり。故に婦人は柔順を尊ぶと言う。固もとより女性にょしょうの本色にして、大に男子に異なり、又異ならざるをえず。我輩の飽くまでも勧告奨励する所にして、女徳の根本、唯一の本領なりと雖も、其柔順とは言語挙動の柔順にして、卑屈盲従の意味に非ず。大節に臨んでは父母の命めいを拒こばみ夫の所業に争うことある可し。例えば家計云々の為めに娘を苦界に沈めんとし、又は利益の為めに相手を選ばずして結婚せしめんとするが如き、都すべて父母の利心に生じて子を弄ぶものなれば、仮令い親子の間にても断然その命を拒絶して可なり。親子の間既に斯の如くなれば夫婦の間も亦然り。夫が戸外の経営に失敗して貧窮に沈むが如きは、是れは夫婦諸共の不幸にして、双方の間に一点の苦情ある可らず。一沈一浮共に苦楽を同うす可しと雖も、其夫の品行修おさまらずして内に妾を飼い外に花柳に戯れ、敢て獣行を恣ほしいままにして内を顧みざるが如きは、対等の配偶者を侮辱し虐待するの罪にして断じて許す可らず。内君たる者は死力を尽して之を争う可し。世間或は之を見て婦人の嫉妬など言う者もあらんなれども、凡俗の評論取るに足らず、男子の獣行を恣ほしいままにせしむるは男子その者の罪に止まらず、延ひいて一家の不和不味と為り、兄弟姉妹相互の隔意と為り、其獣行翁の死後には単に子孫に病質を遺して其身体を虚弱ならしむるのみならず、不徳の悪風も亦共に遺伝して、家人和合の幸福は固より望む可らず。甚だしきは骨肉相争い、親戚陰に謀り、家名の相続、財産の分配等、争論百出、所謂御家騒動の大波瀾を生じて人に笑わるゝの事例さえなきに非ず。而して其不和争擾そうじょうの衝しょうに当る者は其時の未亡人即ち今日の内君にして、禍源は一男子の悪徳に由来すること明々白々なれば、苟いやしくも内を治むる内君にして夫の不行跡を制止すること能わざるは、自身固有の権利を放棄して其天職を空うする者なりと言わるゝも、弁解の辞はある可らず。嫉妬云々の俗評を憚りて萎縮するが如き婦人畢生の恥辱と言う可し。

一 偕老同穴は夫婦の約束なれども、如何せん老少不定ろうしょうふじょうは天の命ずる所にして、偕老果して偕老ならずして夫の早く世を去ることあり。斯かかる不幸に際して跡に遺る婦人の年齢が四十五十にも達して、加うるに子供の数も多からんには、寡を守りて家に居る可きなれども、僅に二、三十以上まだ四十にも足らぬ身を以て寡居かきょは甚だ宜しからず。我輩の持論は其再縁を主張する者なれども、日本社会の風潮甚だ冷淡にして、学者間にも再縁論を論ずる者少なきのみか、寡居を以て恰も婦人の美徳と認め、貞婦二夫に見まみえずなど根拠もなき愚説を喋々して、却て再縁を妨ぐるの風あるこそ遺憾なれ。古人の言う二夫云々は、有夫の婦人が同時に第二の男子に接するの意味ならん。即ち今の有婦の男子が花柳に戯るゝが如き不品行を警いましめたるものならんなれども、人間の死生は絶対の天命にして人力の及ぶ所に非ず。昨日の至親ししんも今日は無なり。既に無に帰したる上は之を無として、生者は生者の謀はかりごとを為す可し。死に事つかうること生に事うるが如しとは人の情なれども、人情は以て人事の実を左右す可らず。例えば死者を祭るに供物を捧ぐるは生者の情なれども、其情如何に濃こまやかなるも亡き人をして飲食せしむることは叶わず。左れば生者が死者に対して情を尽すは言うまでもなく、懐旧の恨は天長地久も啻ただならず、此恨このうらみ綿々絶ゆる期ごなしと雖も、冥土人間じんかん既に処を殊ことにすれば、旧を懐うの人情を以て今に処するの人事を妨ぐ可らず。一瞥心機を転じて身外しんがいの万物を忘れ、其旧を棄てゝ新惟これ謀るは人間大自在の法にして、我輩が飽くまでも再縁論を主張する由縁なり。殊に男女の再縁は世界中の普通なるに、独り我日本国に於ては之を男子に自由にして女子に窮窟にす。自から両者対等の権力に影響なきを得ず。是れ亦我輩の等閑に看過せざる所のものなり。

右第一条より第二十三条に至るまで、概して我国古来の定論に反するのみならず、前には旧女大学の条々を論破し去て、更らに新女大学の新主義を唱うることなれば、新旧方円相容れずして世間に多少の反対論もある可し。旧説は両性の関係を律するに専ら形式を以てせんとし、我輩は人生の天然に従て其交情を全まっとうせんとするものなれば、所謂儒流の故老輩が百千年来形式の習慣に養われて恰も第二の性を成し、男尊女卑の陋習ろうしゅうに安んじて遂に悟ることを知らざるも固より其処そのところなり、文明の新説を聞て釈然たらざるも怪しむに足らずと雖いえども、今の新日本国には自から新人の在るあり、我輩は此新人を友にして親友と共に事を与ともにせんとする者なれば、彼等の反対は恐るゝに足らず。啻ただに白頭の故老のみならず、青年以上有為の士人中にも、一切万事有形も無形も文明主義の一以て之を貫くと敢て公言して又実際に之を実行しながら、独り男女両性の関係に就ては旧儒教流の陋醜を利用して、自から婬猥不倫の罪を免れんとする者あるこそ可笑しけれ。文明の学者士君子にして、腐儒の袖の下に隠れ儒説に保護せられて、由て以て文明社会を瞞着まんちゃくせんとする者と言う可し。其窮唯憐む可きのみ。或は此腐儒説の被保人等が窮余に説を作りて反対を試みんとすることもあらんか、甚だ妙なり。我輩は満天下の人を相手にしても一片の禿筆とくひつ以て之を追求して仮す所なかる可し。左れば此旧女大学の評論、新女大学の新論は、字々皆日本婦人の為めにするものにして、之を百千年来の蟄状鬱憂に救い、彼等をして自尊自重以て社会の平等線に立たしめんとするの微意びいにして、啻に女性の利益のみに非ず、共に男子の身を利し家を利し子孫を利し、一害なくして百利百福を求むるの法なれば、女子幼少の時より能く此趣意の大概を言い聞かせ、文字を知るに至れば此書を授けて自から読ましめ、不審あらば懇ねんごろに其意味を解き聞かせて誤ること勿なからしめよ。古今父母の情は一なり、其子の男子たると女子たるとに拘らず、其兄たり弟たり姉たり妹たるを問わず、之を愛するの情は正しく同一様にして兎の毛ほどの差等もなかる可し。左れば此至親至愛の子供の身の行末を思案し、兄弟姉妹の中、誰れか仕合せ能くして誰れか不仕合せならんと胸中に打算して、此子が不仕合せなりと定まりたらば両親の苦痛は如何ばかりなる可きや。子供の心身の暗弱四肢耳目の不具は申すまでもなく、一本の歯一点の黶あざにも心を悩まして日夜片時も忘るゝを得ず。俗に言う子供の馬鹿ほど可愛く片輪ほど憐れなりとは、親の心の真面目しんめんぼくを写したるものにして、其心は即ち子供の平等一様に幸福ならんことを念ずるの心なり。故に其子の男女長少に論なく、一様に之を愛して仮初にも偏頗へんぱなきは、父母の本心、真実正銘の親心なるに、然るに茲ここに女子の行末を案じて不安心の節あるやなしやと問えば、唯大不安心と言うの外なし。娘を人の家に嫁せしめて舅姑の機嫌に心配あり、兄公女公こじゅうと親類の附合も面倒なり、幸に是等は円く治まるとしても、肝心の夫こそ掛念けねん至極の相手なれ。其性行正しく妻に接して優しければ高運なれども、或は然らず世間に珍らしからぬ獣行男子にして、内君を無視し遊冶ゆうや放蕩の末、遂には公然妾を飼うて内に引入れ、一家妻妾群居の支那流を演ずるが如き狂乱の振舞もあらば之を如何せん。従前の世情に従えば唯黙して其狂乱に屈伏するか、然らざれば身を引て自から離縁せらるゝの外に手段なかる可し。娘の嫁入は恰も富籤とみくじを買うが如し。中あたるも中らざるも運は天に在り。否な、夫の心次第にて、極楽もあり地獄もあり、苦楽喜憂恰も男子手中の玩弄物と言うも可なり。斯くまでに不安心なる女子の身の上に就き、父母たる者が其行末を案じて為めに安身立命の法を講ずるは親子天然の至情ならずや。即ち女子の為めに文明教育の大切なる所以ゆえんなり。仮令い博識の大学者たらざるも、人事の大概に通達して先ず自身の何者たるを知り、其男子に対するの軽重を測り、男女平等不軽不重の原則を明にし、内に深く身権を持張して自尊自重敢て動揺せざるまでの見識を得せしむるは、子を愛する父母の義務なる可し。又旧女大学の末文に、百万銭を出して女子を嫁せしむるは十万銭を出して子を教うるに若かず云々の意を記したるは敬服の至りなれども、我輩は一歩を進めて娘の結婚には衣装万端支度の外に相当の財産分配を勧告する者なり。生計不如意ふにょいの家は扨置き、筍も資力あらん者は、仮令い娘を手放して人の妻にするも、万一の場合に他人を煩さずして自立する丈けの基本財産を与えて生涯の安心を得せしむるは、是亦これまた父母の本意なる可し。古風の教に婦人の三従と称し、幼にして父母に従い、嫁して夫に従い、老して子に従うと言うが如き、徳義一偏より言えば或は不可なきが如くなれども、定めなき世の心波情海を渡らんとするには人事の浮沈常ならずして、彼の夫に従い子に従うと言う其従順は化して屈伏盲従の姿と為り、万事不如意に苦しむの例なきに非ず。主人の貪欲不人情、竈かまどの下の灰までも乃公だいこうの物なりと絶叫して傍若無人ならんには、如何に従順なる婦人も思案に余ることある可し。此時に当り婦人の身に附きたる資力は自から強うするの便りにして、徐々に謀はかりごとを為すこと易し。仮令たとい斯くまでの極端に至らざるも、婦人の私に自力自立の覚悟あれば、夫婦相対して夫に求むることも少なく、之を求めて得ざるの不平もなく、筆端或は皮肉に立入りて卑陋ひろうなるが如くなれども、其これを求めざるは両者の間に意見の衝突を少なくするの一助たる可し。古語に衣食足りて礼譲興ると言う。婦人に資力なきは喩えば衣食足らざるものゝ如し。父母たる者が之に財産を分与するは、我愛女に衣食を豊にして夫婦の礼を知らしむるの道なりと知る可し。但し婦人に財産を与えても自から之を処理するの法を知らざれば、幾千万の金も有て無きが如し。既に之を所有すれば其安全を謀り其用法を工夫し、世間の事情を察し又人の言を聞き、妄みだりに疑う可らず妄りに信ず可らず、詰り自分一人の責任にこそあれば、之に処するの法決して易からず。西洋諸国良家の女子には此辺の事に就て漠然たらざる者多しと言う。等閑に看過す可らざる所のものなり。

新女大学終

左の一篇の記事は、女大学評論並に新女大学を時事新報に掲載中、福沢先生の親しく物語られたる次第を、本年四月十四日の新報に記したるものなり。本著発表の由縁を知るに足るべきを以て茲に附記することゝせり。

明治三十二年九月時事新報記者 識

福沢先生の女学論発表の次第

時事新報の紙上に順次掲載しつゝある福沢先生の女大学評論は、昨日にて既に第五回に及びたり。先生が此論を起草せられたる由来は、序文にも記したる如く一朝一夕の思い付きに非あらず、恰あたかも先天の思想より発したるものなれども、昨年に至り遽に筆を執て世に公にすることに決したるは自から謂われなきに非ず。親しく先生の物語られたる次第を記さんに、先生は夙つとに此一事に心を籠こめ、二十五歳の年、初めて江戸に出でたる以来、時々貝原翁の女大学を繙ひもとき自から略評を記したるもの幾冊の多きに及べる程にて、其腹稿は既に幾十年の昔に成りたれども、当時の社会を見れば世間一般の気風兎角とかく落付かず、恰も物に狂する如くにして、真面目まじめに女学論など唱うるも耳を傾けて静に之を聞くもの有りや無しや甚だ覚束おぼつかなき有様なるにぞ、只これを心に蓄うるのみにして容易に発せず、以て時機の到来を待ちたりしに、爾来じらい世運の進歩に随い人の心も次第に和ぐと共に、世間の観察議論も次第に精密に入るの傾きある其中にも、日本社会にて空前の一大変革は新民法の発布なり。就中なかんずく親族編の如きは、古来日本に行われたる家族道徳の主義を根底より破壊して更らに新主義を注入し、然かも之を居家処世の実際に適用す可しと言う非常の大変化にして、所謂世道人心の革命とも見る可きものなるに、其民法の草案は発布前より早く流布して広く世人の目に触れたるにも拘わらず、其規定に対して曾て異論を唱うるものなきのみか、十二議会にはいよ〱之を議決して昨年七月より実施せらるゝことゝは為りぬ。先生は此有様を見て恰も強有力なる味方を得たるの思いして、愉快自から禁ずる能わざると同時に、又一方を顧みれば新条約実施の期限は本年七月と定まり、僅々一年の後には外国人も内地に雑居して日本人と郷党隣人の交際を為すに至る可しと言う。従来の儘ままなる我国男女間の関係を彼等の眼前に示して其醜態を満世界に評判せらるゝは、国光こっこう上の一大汚点、日本国民として断じて忍ぶを得ず。之を矯正する一日を遅くすれば則ち一日の恥を永うす可し。世人の改新を促して自から謹ましめ以て国の体面を清潔にするは、何は扨置き目下の緊急事なりとて、いよ〱宿論発表の時機到来を認め、昨年八月中より遽に筆を執り、僅々三十日足らずの間に稿を脱したる次第なりと言う。左れば女大学評論及び新女大学の二篇は、先生先天の思想に発して腹稿は既に幾十年前に成りたるに拘わらず、之を公にするの機会を得ざりしものが、時勢の進歩とや言わん、人心の変化とや言わん、一方に新民法の発布は先生をして恰も有力なる味方を得たるの思いあらしめ、又内地雑居の切迫はいよ〱其蓄蘊を発するの必要を感ぜしめて、爰に始めて此論を公にするに至りしものなり。昨日の紙上に掲載したる女大学評論の第五回中新民法の事に論及したる所あるを以て、聊か其次第を記して読者の参考に供すと言う。

底本 / Source edition

底本:「女大学評論・新女大学」講談社学術文庫、講談社
2001(平成13)年1月10日第1刷発行
底本の親本:「福澤諭吉全集 第六巻」岩波書店
1959(昭和34)年10月1日発行
初出:「時事新報」時事新報社
1899(明治32)年から連載
※「甚しき」と「甚だしき」の混在は、底本通りにしました。
入力:片瀬しろ
校正:田中哲郎
2006年11月7日作成
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書誌 / Bibliography
/works/043064_000296/

福沢 諭吉「新女大学」(新字新仮名)、底本『女大学評論・新女大学』講談社学術文庫、講談社、2001年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 043064_000296, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

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