Soranoha

眉の記

まゆのき

上村 松園

眉目秀麗にしてとか、眉ひいでたる若うどとか、怒りの柳眉を逆だててとか、三日月のような愁いの眉をひそめてとか、ほっと愁眉をひらいてとか……

古人は目を心の窓と言ったと同時に眉を感情の警報旗にたとえて、眉についていろいろの言いかたをして来たものである。

目は口ほどにものを言い……と言われているが、実は眉ほど目や口以上にもっと内面の情感を如実に表現するものはない。

うれしいときはその人の眉は悦びの色を帯びて如何にも甦春の花のように美しくひらいているし、哀しいときにはかなしみの色を泛かべて眉の門はふかく閉ざされている。

目はとじてしまえばそれが何を語っているかは判らないし、口を噤んでしまえば何もきくことは出来ない。

しかし眉はそのような場合にでも、その人の内面の苦痛や悦びの現象を見てとることが出来るのである。

私はかつて麻酔剤をかけられて手術をうけたあとの病人を見舞ったことがあるが、その人はもちろん目を閉じたままベッドに仰臥していたが、麻酔がもどるにつれて、その苦痛を双の眉の痙攣に現わして堪えしのんでいるのをみて、これなどいささか直訳的ではあるが、眉は目や口以上にその人の気持ちを現わす窓以上の窓だなと思ったことであった。

同時に以前よんだ泉鏡花の「外科医」という小説を思い出したのである。

ながねん想いこがれていた若い国手に麻酔剤なしで意地の手術をうけたかの貴婦人も、手術をうけながら苦痛をこらえ、いささかの苦痛もないかのように装うてはいたものの、美しい双の眉だけはおそらく千言万句の言葉を現わし、その美しい眉は死以上の苦しみをみせていたことであろうと思った。

美人画を描く上でも、いちばんむつかしいのはこの眉であろう。

口元や鼻目、ことに眉となるとすこしでも描きそこなうと、とんだことになるものである。

しりさがりの感じをあたえると、その人物はだらしのないものになってしまうし、流線の末が上にのぼればさむらいのようになって折角の美人も台なしである。

細すぎてもならず、毛虫のように太くてもならず、わずか筆の毛一本の線の多い少ないで、その顔全体に影響をあたえることはしばしば経験するところである。

眉が仕上げのうえにもっとも注意を払う部のひとつであるゆえんである。

眉も女性の髪や帯と同様にそのひとの階級を現わすものである。

王朝時代は王朝時代でちゃんと眉に階級をみせていた。眉のひきかた剃りかたにも、おのずとそのひとひとの身分が現われてい、同時にそれぞれ奥ゆかしい眉を示していたものである。

上﨟女房――御匣殿みくしげどの・尚侍ないしのかみ・二位三位の典侍すけ・禁色をゆるされた大臣の女・孫――の眉と、下位の何某の婦の眉と同じということはない。

むかしは女性の眉をみただけで、あれはどのような素姓の女性であるかということが判った。そこにもまた日本の女性のよさがあったのであるとも言えよう。もちろん素姓のことは眉をみるまでもなく、その人の髪や帯その他のきこなしを一見しただけで判るには判ったのであるが……

もっとも今の女性でも、眉の形でそのひとがどのような女性であるかが判らないでもない。

しかし往古の女性のような日本的美感の伴わないものの多いのは残念である。

せっかく親から享けたあたら眉毛を剃り落し、嫁入り前の若い身で一たん青眉にし、その上へすすきの葉のようにほそい放物線を描いたりしているのは、あまり美的なものとは言えないのである。

その放物線の果てがどこで終るのかと心配になるほど髪の生えぎわまでものばしている描き眉にいたっては、国籍をさえ疑いたくなるのである。そのようにして自分の顔の調和をこわさなくてはならぬ女性というのは、一体どういう考えを自分の顔にたいして持っているのであろう。ああいう眉に日本女性の美しさは微塵も感じない。

感じないはずで、その拠って来たところのものがアメリカ女優の模倣であるから、日本の女性にしっくり合わないのは当然すぎるほど当然の理なのである。

私はもちろん美しい新月のように秀でた自前の眉に美と愛着は感じてはいるが、その秀でた美しい自前の眉毛を剃り落したあの青眉にたまらない魅力を感じているひとりなのである。

青眉というのは嫁入りして子供が出来ると、必ず眉を剃り落してそうしたものである。

これは秀でた美しい眉とまた違った風情を添えるものである。

結婚して子供が出来ると青眉になるなどは、如何にも日本的で奥ゆかしく聖なる眉と呼びたいものである。

いつの頃からかこの青眉の風習が消え失せて、今では祇園とかそういった世界のお内儀さんにときどき見受けることがあるが、若いひとの青眉はほとんど見られない。まして一般の世界にこの青眉の美をほとんど見出すことは出来ない。

青眉は子供が出来て母になったしるしにそうする――言い代えれば母の眉とも称うべきもので実にめでたい眉なのである。

十八、九で嫁入りして花ざかりの二十歳ぐらいで母になり、青眉になっている婦人を見るとたまらない瑞々しさをその青眉に感じるのである。

そして剃りたての青眉はたとえていえば闇夜の蚊帳にとまった一瞬の螢光のように、青々とした光沢をもっていてまったくふるいつきたいほどである。

そのうえ青眉になると、急に打って変って落ちつきのある女性に見えるのである。もちろん母となった故もあろうけれど……

私は青眉を想うたびに母の眉をおもい出すのである。

母の眉は人一倍あおあおとし瑞々しかった。母は毎日のように剃刀をあてて眉の手入れをしていた。いつまでもその青さと光沢を失うまいとして、眉を大切にしていた母のある日の姿は今でも目をつぶれば瞼の裏に浮かんでくる。

私は幼いころのいちばんものごとの記憶のしみ込む時代に母の青眉をみて暮していた故か、その後青眉の婦人を描くときには必ず記憶の中の母の青眉を描いた。

私のいままで描いた絵の青眉の女の眉は全部これ母の青眉であると言ってよい。

青眉の中には私の美しい夢が宿っている。

底本 / Source edition

底本:「青眉抄・青眉抄拾遺」講談社
1976(昭和51)年11月10日発行
入力:鈴木厚司
校正:小林繁雄
2004年5月8日作成
青空文庫作成ファイル:
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上村 松園「眉の記」(新字新仮名)、底本『青眉抄・青眉抄拾遺』講談社、1976年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 043008_000355, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

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