Soranoha

我鬼

がき

坂口 安吾

秀吉は意志で弱点を抑へてゐた、その自制は上り目の時には楽しい遊戯である。盛運の秀吉は金持喧嘩せず、心気悠揚として作意すらも意識せられず、長所だけで出来あがつた自分自身のやうであつた。彼は短気であつたが、あべこべに腹が立たなくなり、馬鹿にされ、踏みつけられ、裏切られ、それでも平気で、つまり実質的な自信があつた。家康に卑屈なほどのお世辞を使ひ、北条の悪意のこもつた背信に平然三年間も人事のやうに柳に風、すべては昇運の勢である。けれども、実際は狭量で、変質的に嫉妬深く、小さなことを根にもつて執拗に又逆上的に復讐する男であつた。その気質を家康は知つてゐた。それに対処する方法は、親しんで狎れず、といふことで、一定の距離を置き、その距離を礼節で填うめる方法だつた。

朝鮮遠征は一代の失敗だつた。秀吉は信長以上の人物を知らないので、信長のすべてを学んで長をとり短をすてたが、朝鮮遠征も信長晩年の妄想で、その豪壮な想念がまだ血の若い秀吉の目を打つた。それは信長晩年の夢の一つといふだけで、たゞ漠然たる思ひであり、戦場を国の外へひろげるだけのたゞ情熱の幻想であり、国家的な理想とか、歴史的な必然性といふものはない。秀吉は日本を平定して情熱が尚余つてゐたので、往昔ふと目を打たれた信長の幻想を自分のかねての宿志のやうにやりだしたのだが、彼は余勢に乗りすぎてゐた。明とは如何なる国であるか、歴史も地理も知らない。たゞ情熱の幻想に溺れ、根柢的に無計画、無方針であつた。

遠征に賛成の大名は一人もなかつた。気宇の壮、さういふものへの同感はなほ漠然と残つてゐても、戦乱に倦み疲れてゐた。風俗人情の異る土地を占領しても平穏多幸に統治し得るとは思はれぬ。大名達は恩賞の新領地を旧主の情誼から切離して手なづけるだけでも手をやいてゐる。三成も家康も不満であつた。三成は淀君を通して遠征をやめさせようと試みたが駄目だつた。その三成も家康も、国内事情と思想から割りだした不満はあつたが、明とは如何なる国であるか、やつぱり知つてゐなかつた。

鶴松が死んだ。五十をすぎ、再び授り得ようとは考へられない子供であつた。秀吉は気絶し、鶴松を思ひだすたび日に幾度となくギャアと泣いて気を失ふ。食事も喉を通らず、たまたま茶碗をとりあげても、鶴松を思ひだすと茶碗をポロリととり落してこぼれた御飯へ顔を突つこみギャアと泣いて俯伏うつぶしてしまふ。

お通夜の席で秀吉は黙祷の途中にやにはに狂気の如く髷まげを切つてなきがらにさゝげて泣きふした。つゞいて焼香の家康が黙祷を終つて小束こづかをぬいて大きな手で頭を抑へてヂョリヂョリとやりだしたので一座の面々目を見合せた。各々覚悟をかためて焼香のたびに髷をきる。天下の公卿諸侯が一夜にザンバラ髪になり、童の霊前には髷の山がきづかれた。

秀吉は翌朝有馬温泉へ発つた。家にゐては思ひだして、たまらない。秀吉が頭を円めて諸国遍歴に旅立つさうだといふ噂が世上に流れた。有馬の滞在三週間、帰城して即日朝鮮遠征のふれをだした。悲しみに気が狂つて朝鮮遠征をやりだしたと大名共まで疑つたほどだ。

朝鮮軍は鉄砲を持たないから戦争は一方的で京城まで抵抗らしい抵抗もなく平地を走るやうなものであつたが、明の援軍が到着すると、さうはいかない。対峙して一進一退、戦局は停頓する。日本海軍は朝鮮海軍の亀甲戦術に大敗北、京城への海路輸送の制海権を失つたから、釜山航路がひとつだけ、こゝへ陸揚げして陸路京城へ運送するには車が足りない馬が足りない人手が足りない。日本軍の過ぎるところ掠奪暴行、威令は行はれず、統治管理の方針がないので、人民は逃避して、畑には耕す者がなく、町々の家屋には人影がなく、徴発の食糧も人手もなかつた。全軍栄養失調で、太平洋の孤島へ進出した日本軍と同じこと、冬があるだけ苦痛が一つ多かつた。

始めのうちは名護屋へつめて戦果に酔つてゐた秀吉も、一度京坂の地へ引きあげると、もう名護屋へ戻る気がしなかつた。西の空を思ひだしても不快であつた。

秀頼が生れた。

生れた秀頼をいつぺん捨子にして拾ひあげるのは長生きの迷信で、拾つた子供だから俺の子供ではない、そもじもさう思はねばならぬと淀君へ宛てゝくどく手紙をかく秀吉であつた。閻魔をだますに余念もなく、子への盲愛が他の一切の情熱に変つた。

秀吉の切望は秀次の関白を秀頼に譲らせたいといふことだ。生れたばかりの秀頼を秀次の娘(これも生れたばかり)と許婚の約をむすばせる。そのとき秀次は熱海に湯治の最中であつた。そこへ使者がきて秀吉の旨を伝へたが、勝手にするがいゝさ、秀次は陰気な顔をそむけたばかりで、却つて帰洛の予定を延して旅寝の陰鬱な遊興に沈湎した。

京大坂で豪華な日夜をくりひろげてゐる秀吉は、然し凋落の跫音あしおとに戦いてゐた。朝鮮出兵の悔恨が、虚勢の裏側で暗い陰をひろげてゐる。その結末の収束と責任と暗い予感が虫のやうに食ひこんでゐた。たゞ成行にまかせて成算も見透しも計画すらもないこと、彼はそれを誰に咎められることもなく怖れる必要もなかつたが、何物かに、怖れずにゐられなかつた。それが先づぬきさしならぬ凋落であつた。

如何にして秀頼に関白を譲らせるか。勢運の秀吉は我慾を通す必要がなく、人々がおのづから我慾をみたしてくれたが、凋落の秀吉は我慾と争ひ、否応なく小さな自分を見つめなければならなかつた。自制の鎖は断ち切れようとし、我慾の中に明滅する小さな自分の姿に怖れた。然し、秀吉の小さな惨めな人間をさらに冷めたく凝視してゐる一人の青年がゐたのだ。秀次であつた。

秀次は関白になることなどは考へてゐなかつた。彼は秀吉の養子のうちで最も秀吉に愛されてをらず、十七の年には長久手の合戦に家来を置き去りに逃げ延びて、秀吉の怒りにふれて殺す命を助けてもらつた。小器用でこざかしくて性格的に秀吉の反撥を買ふ。彼はおど〱と育ち、彼と秀吉との接触は彼の長所がいつも反撥され憎まれることであり、性格以外に深い根柢のないものだつた。学問すらも、教養すらも、性格的に反撥され、反撥する秀吉自体の教養は秀次を納得させるものではなかつた。秀次は秀吉の小さな人間だけを相手におど〱と育ち、天下者の貫禄に疑ひを持ち、その卑小さを蔑んだ。

鶴松が死ぬ。秀吉はもはや実子の生れる筈がないと思つた。彼の愛する養子秀秋は暗愚であつた。秀吉は利巧者より愚か者が好きであり、その偏向は家来に就ても同様で、豪傑肌の愚直な武骨者が好きなのだ。さすがに天下の関白に暗愚な秀秋を据えかねて秀次に与へたのだが、成行のすべてが秀吉に満足なものではなかつたのである。

はからざる関白となり、天下の諸侯公卿は昨日と変つて別の如くに拝賀する。秀次は現実の与へる自分の姿を見出した。自分の心も見出した。その現実は秀吉の与へてくれたものだつたが、現実から育つ心に過去はない。彼は関白秀次であつた。

秀次は大名を相手に将棋をさすにも、関白と思つてわざと負けるのではあるまいな、さうでない誓言をとり、それから将棋をさしはじめる。一応人の心はよく分り、特に秀吉の小さな自我に虐げられ痛めつけられた人の不満はよく分つた。彼はそれらの犠牲者達に、たとへば戦功がありながら鬼才を憎まれて恩賞のない黒田如水に自分の所領から三千石の沐浴料をさいてやつたり、不運不遇の大小名に秀吉の間違ひを修正する意味で黄金を与へたり領地をやつたりする。彼は秀吉の小さな欠点を修正して、それとは別なところにある秀吉の大きさよりも、自分を大きく感じて満足した。彼は古いにしえの武将の書き残したもの逸事などから、秀吉にない素質を見ると大袈裟に感動し、つまらぬ武将の一面を賞讃して秀吉への否定をたのしんでゐた。その秀吉への反逆は憎悪と軽蔑で表されてゐたが、内心は秀吉の大きな影に圧倒せられ、力量の完全なる敗北感と、そして偉大なる魂に甘へる心、秀吉の大きな慈愛の抱擁と認められ愛され賞讃されたい悲しい秘密でみたされてゐた。彼すらも悲しい秘密に気付くことは稀だつた。そして秀吉への対立感と、秀吉の小さな自我への軽蔑によつて、憎み否定し満足してゐた。

文事や風流への傾倒にも秀吉を修正する満足があつた。然し人々は彼が秀吉の小さな欠点を修正して満足し、それとは別のところにある大きな秀吉を不当に抹殺してゐる小ざかしさを憐れみ蔑んだ。そして秀吉への修正的な好意を受ける大名達は喜ぶよりも煙たがり、内心はうるさがつてゐるのであつた。

秀頼が淀君の腹に宿つたときから、秀次はその宿命に暗い陰のさしたことをすでに漠然と戦いてゐた。彼は秀吉の外征すらも自分に対する陥穽がその本当の意味ではないかと疑つた。彼が異国に執着するのはそこへ自分を封ずるためであり、ていよく日本から追ひだすためだと考へる。それは筋の立たない妄想であつたが、人の企みは首尾一貫筋を要するものではなく、偶発し、事態の変に応じて育つものである。時々遠征から戻つてきて祗候する大名達は彼が老齢の太閤に変つて遠征軍の指揮を引受けて申出ることをほのめかしたが、そこが秀吉の思ふ壺だと考へた。然し、実際の心情は現実の快楽に執着しすぎ、戦野の労苦に堪へる心がなかつたのだ。その言訳の妄想だつたが、俺が異国へ行く、あとの日本は親子水入らずさ、悪魔的な陰鬱な笑ひをもらす秀次には、憎悪と裏切りの快感だけが心の底に埃のやうにつもつてゐた。

彼の心は連日の深酒と荒淫で晴れ間のない空の如くに陰鬱であつた。諸国の美女をあつめても心は晴れず、魂は沈みこむばかりであつた。不健康は顔にあらはれ、面色は黄濁し、小皺がつもり、口が常にだらしなく開き、顔の長さが顎から下へ延びて垂れてゐるやうな様子であつた。眼だけが陰気に光つてゐた。彼は生きた人体の解剖に興味を持ち、孕み女の生き腹をさき、盲人をやにはに斬つてうろたへぶりをたのしみ、死ぬ人間の取りみだしたけたゝましさ見ぐるしさに沈鬱な魂をわづかに波立たせた。食事の飯に砂粒があつたといふので料理人をひきだして口中へ砂をつめて血を吐くまで噛ませ、貴様は砂が好きなさうな、もそつと噛め、俯伏すのを引起して片腕をスポリと斬落して、どうぢや、命が助かりたいか、ハイ、助かりたう厶ござります、左様か、然らばかうしてとらせる、残る片腕をスパリと斬落す、どうぢや、まだ、助かりたいか、料理人はクワッと眼を見開いて、馬鹿野郎、貴様の口は鮟鱇に似て年中だらしなく開いてゐるから砂があるのは当り前だ。秀次は気違ひのやうにその首を斬落した。

★

熱海温泉で秀吉の苛立つ様を思ひ描いてことさら逗留を延してゐた秀次は、小さな鬱を散ずるあまり大きな敵を自ら作つた後悔に苦しんだ。彼は自ら秀吉を敵と思はねばならなかつた。すべてを悪意に解釈して、それを憎まねばならなかつた。然し彼は秀吉の冷めたい心、その怖ろしい眼の色を知つてゐた。彼はその眼を思ひだして、いはれなく絶望せずにゐられなかつた。

彼が関白の格式で公式に太閤を招待する饗宴がまだ延び延びになつてゐた。そしてやうやく定められた饗宴の当日に使者がきて、訪問中止を伝へた。世上では秀次が秀吉を殺さなければ、秀吉が秀次を殺すであらうと噂され、秀次の計画が裏をかゝれたのだと取沙汰した。然し世上の流説は秀次の身辺ではさらに激烈な事実であつた。彼の侍臣は常に彼にさゝやいた。殺さなければ、殺される。然し、秀次は応じなかつた。彼は小心な才子であり、自己の限界を知つてゐた。秀吉を殺しても天下はとれぬ。太閤あつての関白であり、太閤あつての味方であつた。彼は侍臣のさゝやきに、また世上の流説にとりまかれ、然し、ひそかに、殺さなければ殺されないと必死に希つてゐるのであつた。

彼は絶望しなかつた。絶望してはならないのだ。日を改めて秀吉を招待する。彼は必死であつた。殺さない、それを秀吉に分らせたい。もし秀吉が疑つたら、彼は気違ひになりさうだ。そして秀吉が疑ることを考へると殺したいほど憎かつた。秀吉の数日の滞在を慰めるための催しも、饗宴の食物も、彼は一々指図した。彼は心をこめてゐた。熱中した。そして苛立つ毎日に人を殺したくなるのであつたが、太閤がそれを好まぬことを知ると、それも我慢するのであつた。

秀吉は饗宴に応じ、連日のもてなしに満足したが、異変にそなへて部屋々々には武器をかくした秀吉の軍兵たちがつめてゐた。三日目の夜、狂言の舞台を移すために人足達が立騒いだとき、町の人々はたうとうやつたと考へた。

秀吉は名護屋で能の稽古をはじめた。人見知りせずやりたてる流儀であるから長足の進歩をとげ、秀吉自身も案外な上達ぶりであつた。得意想ふべし、暇さへあれば稽古に余念がなく、天覧に供し、大名に見せ、妻妾侍女に見せ、果は京都の町家の女子衆も一人あまさず悩殺してやらうといふので一般に公開して見物させ、頻りの興行、ほめる者には即座に着てゐる着物まで脱いでくれてやる。彼の「芸術」への情熱と没入は言ふまでもなく余技であり趣味であり冗談ごとですらあつたのに、所詮うぬぼれは自尊心で、秘められた凋落の不安と自信の喪失は、冗談ごとのうぬぼれにいはれのない奇妙ないのちをこめてゐた。

大坂城で能の興行が行はれ、秀次も招ぜられて出席した。秀吉の仕舞は喝采をあびたが、もとめに応じて立上つた秀次の演技は更に満座の嘆賞をさらつた。秀次は特別仕舞に巧者であり、我流の秀吉や武骨な大名どもに比べれば雲泥のみがきのかゝつた芸だつた。太閤の不満と嫉妬と憎しみはかきたてられ、その眼の底に隠しきれずに氷つてゐた。つゞいて織田信雄がもとめられて演じたが、信雄は信長の遺子であり、怖れを知らぬ青年の頃は家康と結んで秀吉と戦ひ、後に厭まれて秋田へ流され、家門の尊貴のみによつては自立し得ざる力の世界、現実の冷めたさを見つめてきた。今は召されて秀吉のお伽衆の一人であつたが、彼の心は卑屈にゆがみ、浮世の悲しさが泌しみついてゐた。信雄は秀吉の燃える憎悪の眼にふるへた。彼はとりわけ下手くそに演じた。秀吉の同情は切実だつた。彼は即座に六千石の墨附を与へて労をねぎらひ、傍へよびよせて父信長に愛された頃の思ひ出を語り、その取立ての厚恩、海よりも深く山よりも高い恩義を思へばそなたを辺地へ流したことは苛酷な仕打のやうであるが、今日のそなたの心掛けが見たい為のことであり、その忠勤の心差こころざし一つで益々所領をとらしてやりたい微意であつた、と語りながらポロ〱と涙を流した。

秀次ははからざる秀吉の嫉妬と憎悪に心が消えた。この招待の返礼に、そして太閤の意外な憎悪のつぐなひのために、善美のかぎりの饗宴へ招きたいと思つた。秀吉も承諾したので、あれこれ指図して待ちかまへると、当日になつて、今日はだめだが、明日にしようといふ。その日になると、又、明日だ、と言ふ。その明日も亦また今日はだめだといふ返事で、そして最後に当分延期だと流れてしまつた。秀吉の目の消えぬ憎悪が伝へられる返事の裏から秀次に見えた。やがて憎悪は冷笑に変り、血に飢えてカラ〱笑つて見えるのだつた。秀次の心には憎悪と戦慄が掻き乱れて狂つたが、殺さなければ殺されない、その秘められた一縷の希ひも絶望にすら思はれた。彼はむやみに人を殺した。深酒に酔ひ痴れ、荒淫に身を投げ沈鬱の底に重い魂が沈んでゐた。彼の心は悲しい殺気にみちてゐた。彼は武術の稽古を始めた。秀吉を殺すためのやうであつたが、襲撃にそなへ身をまもるための小さな切ない希ひであつた。出歩く彼は身辺に物々しい鉄砲組の大部隊を放さなかつた。いつ殺されるか分らない。然し、殺さなければ殺されない、その希ひは益々必死に胸にはゞたき、見つめる虚空に意外な声があふれでた。叔父さん、私はあなたを愛してゐます。こんなにも切なく。私のやうな素直な弱い人間を。神様。

★

秀吉は大度寛容の如くであるが、実際は小さなことを根にもつて執拗な、逆上的な復讐をする人だつた。千利久も殺した。蒲生家も断絶させた。切支丹禁教も二隻の船がもとだつた。その最後の逆上までに長い自制の道程があり、その長さ苦しさだけ逆上も亦強かつた。

秀吉は大義名分を愛す男であつた。彼は自分の心を怖れた。秀頼への愛に盲めしひて関白を奪ふ心を怖れた。人の思惑はどうでもよかつた。自分をだますことだけが必要だつた。能の嫉妬は憎悪の陰から秀頼の姿を消した。その憎しみにかこつけて、あらゆる憎悪が急速に最後の崖にたかまつてゐた。

彼は突然世上の浮説を根拠にして秀次の謀叛に誓問の使者をたて、釈明をもとめた。秀次はその要求に素直であつた。直ちに斎戒沐浴し白衣を着け神下しをして異心の存せざる旨誓紙を書いた。彼は必死であつた。生きねばならぬ一念のみが全部であつた。彼は現世の快楽に執着した。その執着の一念であつた。

秀吉は秀次の性格を知つてゐた。こざかしい男であるが、小心で、己れを知り、秀吉の愛に飢えてゐるのだ。五人の使者から身の毛もよだつ神下しの状景をきゝ一念こらして誓紙に真心をこめてみせる秀次の様子をきくと、彼はほろりと涙もろくなるのであつた。彼は誓紙を手にとると唐突に亢奮して膝をたて感動のためにふるへてゐた。彼は誓紙を侍臣に示して、関白の忠義のまごゝろは見とゞけた。これを見よ、世上の浮説は笑ふべきかな。血は水よりも濃し。まして誠意誠実の関白に異心のあらう筈はない。口さがない百万人の人の言葉はどうあらうとも、一人の肉身の心の中は信じなければならぬものよ。そなたらもこれを今後の鑑かがみにせよ、秀吉は見廻し眺めて大音に喚いたが、尚亢奮はをさまらず誓紙をぶら下げて部屋々々を歩き、行き会ふ者に、女中にまで誓紙を示して、心に棘のある者のみが人の心に邪念を想ふ、神も照覧あれ、秀次の心に偽りはない、叫ぶ眼に顔があふれた。

けれどもすでに使者を立て異心なきあかしを求めた秀吉は心の堰を切つてゐた。誓紙を握つてホロリとする秀吉は、切られた堰の激しさがその激しさの切なさ故に自らむせぶ心の影のくるめきに過ぎなかつた。一週間。その時間が切られた堰の逆上的な奔騰に達するまでの時間であつた。五人の使者がでた。使者の一人は戦場名うての豪傑の大名だつた。喚問に応じなければその場で秀次の首をはねる役だつた。さうすれば彼もその場で腹を切らねばならぬ。豪傑も慌てゝゐた。道の途中に知人のまんじゆう屋があつた。そこへ馬を寄せて形見の小袖をやり家族へ遺書を托して馬を急がせた。然し秀次は素直に応じた。豪傑は又まんじゆう屋の店へ寄り、さつきは失礼、いやどうも今日は天気のまぶしいこと、豪傑は汗をふいた。

秀次は登城する、秀吉は会はなかつた。もはや会ふにも及ばずと口上を伝へ、即刻高野へ登山すべしと云ふ。秀次は観念して直ちに剃髪、袈裟をつけて泊りを重ねて高野へ急ぐ。切腹の使者があとを追つた。

秀吉の一生の堰が一時にきられた。奔流のしぶきにもまれて彼のからだがくる〱流れた。耳もきこえず、目も見えず、たつた一つのものだけが残つてゐた。秀頼。秀頼。秀頼。彼は気違ひだつた。秀次の愛妾達とその各々の子供達三十余名が大八車につみこまれ三条河原にひきだされて芋のやうに斬り殺され、河原の隅に穴がほられて、高野から運び下された秀次の死骸と合せて投げこまれて、石が一つのせられた。その石には悪逆塚と刻ほらせてあつた。

秀吉は子供の頃を考へる。彼は悪童であつた。放恣であつた。然し、そのころが、今よりも大人のやうな気がするのだ。何かの鞭を怖れてゐた。怖れのために控えてゐたが、やりたいことはやつてゐた。秀吉は悟らないのだ。人間は子供の父になることによつて、子供よりも愚な子供になることを。

秀次を殺してみたが、秀次よりも大きな影がさらに行く手にたちこめてゐた。家康の影であつた。それは全く影だつた。つかまへることができないのだ。秀次の身体といのちは彼の我意と憎しみが掴んで引裂くことができた。然し、家康の影は、彼の現身うつしみと対応せず、その凋落の跫音と差しむかひ、朝鮮役の悔恨や又諸々の悔恨の影の向ふに立つてゐた。悪童の秀吉は見えざる母の鞭の影と争つたが、その影のやうに遥かであつた。

秀吉は病床に伏し、枯木のやうに痩せ、しなびてゐた。骨をつゝむ皺だらけの皮のほかに肉があるとも見えなかつたが、不思議に心が澄んでゐた。たゞ妄執の一念だけが住んでゐた。

五大老、五奉行に誓紙をかゝせ、神明に誓ひ、秀頼への忠誠、違背あるまじきこと、血判の血しぶきは全紙に飛びちり、ぽた〱落ちた。それを棺に入れ、抱いて眠るつもりであつた。肉の朽ち白骨と化すごとく、紙も亦土に還るであらう。

秀吉は病床の枯木の骨を抱き起させ、前田利家の手をとり、おしいたゞいて、大納言、頼みまするぞ、頼みまするぞ。利家はたつた一人の親友だつた。枯木のうちに、不思議に涙はあるものだつた。

秀吉はふと目をひらいた。もつと大きな目をひらくために努力してゐるやうだつた。そして突然顔が目だけであるやうに大きくうつろな穴をあけた。古いすゝけた紙のやうに濁つて鈍く光つてゐた。朝鮮の兵隊たちを、あとはよく聞きとることが出来なかつた。殺すな、と言つたやうだつた。そして眼がだんだん閉ぢた。秀吉は死んでゐた。

底本 / Source edition

底本:「坂口安吾全集 04」筑摩書房
1998(平成10)年5月22日初版第1刷発行
底本の親本:「社会 創刊号」鎌倉書房
1946(昭和21)年9月20日発行
初出:「社会 創刊号」鎌倉書房
1946(昭和21)年9月20日発行
入力:tatsuki
校正:宮元淳一
2006年5月5日作成
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書誌 / Bibliography
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坂口 安吾「我鬼」(新字旧仮名)、底本『坂口安吾全集 04』筑摩書房、1998年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 042897_001095, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

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