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        <title type="main" xml:lang="ja">地方文化の確立について</title>
        <title type="reading" xml:lang="ja-Hira">ちほうぶんかのかくりつについて</title>
        <author><persName xml:lang="ja"><surname>坂口</surname><forename>安吾</forename><idno type="aozora-person-id">001095</idno></persName><persName xml:lang="ja-Hira"><surname>さかぐち</surname><forename>あんご</forename></persName><persName xml:lang="ja-Latn"><surname>Sakaguchi</surname><forename>Ango</forename></persName></author>
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        <bibl><title>坂口安吾全集　04</title><publisher>筑摩書房</publisher><date>1998（平成10）年5月22日</date><note type="input-edition">1998（平成10）年5月22日初版第1刷</note><note type="proof-edition">1998（平成10）年5月22日初版第1刷</note></bibl>
        <bibl type="first-publication">「月刊にひがた　第一巻第三号」新潟日報社、1946（昭和21）年2月25日</bibl>
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      <classDecl><taxonomy xml:id="ndc"><bibl>日本十進分類法 (Nippon Decimal Classification), as recorded by <title>青空文庫</title> in its 分類番号 field.</bibl></taxonomy><taxonomy xml:id="aozora-orthography"><bibl><title>青空文庫</title> 文字遣い種別: the orthographic style Aozora Bunko records for the transcription.</bibl></taxonomy></classDecl>
      <refsDecl xml:id="source-spans"><p>A note of type source-span has an xml:id of the form source-START-END, giving the extent in UTF-8 bytes of the decoded primary text identified in sourceDesc. <ptr target="https://w3id.org/soranoha/ns/tei"/></p></refsDecl>
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      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-268-514">農村は淳朴であるといふことが過去の常識であつたけれども、近頃では農民ぐらゐ我利々々なものはないと云つて都会の連中は恨んでゐる。どちらが果して真実であるかといへば、</seg><ruby type="furigana" rend="right" source="#source-514-529"><rb>之</rb><rt>これ</rt></ruby><seg source="#source-529-1449">は大きな問題で、然し、先づ我々が第一に反省しなければならないことは、農村は淳朴だときめてかゝつて一向に深い考察を加へなかつた思考の不足に禍根があつたといふことである。常識とはかういふものだ。我々は常識を思考の根底とし、その上に生活を営んでゐるが、常識は決して深い洞察から生れたものではなく、長い歴史的な思考の地盤であつたといふばかりで、その思考の根底が深く正しいものであることを意味してゐない。農村は淳朴だときめてかゝつて疑ふことのなかつたのが奇怪であり、かういふところに日本国民全般に思考力が不足してをり文化の低さがあつたので、我々は先づ身辺の貧弱な、又偽瞞にみちた数々の常識に正しい考察を加へることが必要だ。</seg></p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-1449-2315">元来日本の歴史は土の歴史で、大化改新によつて土地国有が断行せられ口分田の制度が行はれて以来、荘園の発生に伴ふ貴族や寺院の隆盛から武家の勃興、すべて土地の力によつて歴史が動いてゐる。さうして、荘園がなぜ発生したかといへば、その最も有力な一因は農民達の脱税行為によるもので、貴族や寺院の領地が国司不入であるために、名目上土地を寄進して脱税をはかる、又は荘園の小作となつて脱税をはかる、このために広大なる貴族の領地が発生するに至つたものであつた。いはゞ日本の歴史を動かしたものは土地であり、その土地は農民に握られ、しひたげられた農民達が、実は日本の歴史を動かす原動力になつてゐた。</seg></p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-2315-3301">歴史家は土地制度の欠陥が貴族をふとらせたり武士を発生させたと言ふのであるが、見方を変へると、土地制度の欠陥を利用した農民達の狡猾さが日本を動かす原動力になつてゐたと見ることもできる。言ふまでもなく、農民達をしてかく狡猾な脱税方法を案出せしめたものは過当な課税であり国司や地頭の貪慾によるものであるが、ともかく彼等はあらゆる方法を用ひて脱税した。今日残存する奈良朝頃の戸籍簿を見ればいづれも重税の対象となる壮丁達の人口が極めて少く記載せられてをり、戸籍を誤魔化してゐるのでなければ浮浪人となつて出稼ぎし課税をまぬかれてゐる証拠なのである。重税と国司の貪慾、それをくゞる脱税法の案出、之が元来日本農村の性格であつて、淳朴などとよぶべき性質のものではなかつた。</seg></p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)">人を見たら泥棒と思へ、といふのが昔の農村の生活であつて、事実、群盗横行し、旅人は素性の良くないものと決めてかゝるのが賢明であつたから、旅人に宿などはかさない風である。たまたま旅人が死んだりすると、連れに死体を運ばせて村境から追ひだし、葬ることも許さなかつたといふ。彼らの信用できるのは自分達の部落だけで、公共的な観念が欠けてをり、何かと云へば「だまされた」とか「だまされるな」と先づ考へる。泣く子と地頭には勝たれないで、御無理御尤もであるから、自主的に自分の責任で事を行ふといふことがなく、常に受身で、その結果が「だまされた」とか「だまされるな」といふことになるのであるが、かかる農村の要心深い受身の性格は一見淳朴のやうではあるが、反面甚だ個人主義的なものであり一身の安穏のためには他の痛苦を考へない。この欠点は今日も尚連綿として農村の血管を流れてゐると思ふ。</p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)">近頃の農村では「だまされた」といふ言葉が立派な弁明であるかのやうに頻りに用ひられてゐるのであるが、自らの責任に於て自主的に判断することが出来ないといふのは、まことに不名誉な話である。自主的に自らの態度を定め責任を以て対処するだけの自覚がなくては原始の土人に異ならず「だまされた」といふ弁明によつて新らたな責任を回避しようとするに至つては上古さながらの狡猾なる農村の性格が露呈せられたものと言ふべきであらう。</p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-5060-5479">全く農村には生活感情や損得の計算はあるけれども思想だの文化といふものは殆どない。公共の観念や自主的な自覚が確立されなければ、思想も文化もある筈がないので、農村の思想だの農民文化だのと簡単に言ふ人があるが、農村に思想や文化があるとすれば、思想以前、文化以前の形態に於てであらう。</seg></p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-5479-6541">私は暫らく京都に住んでゐたことがあつた。古い文化の都市であり、又、学生の街であるが、全く活気のない都市である。そのうちに気附いたことは、この街には一流の精神がないといふことであつた。つまり本当に自主的な精神がない。常に東京といふものを念頭に置き、東京ではかうだといふ風に考へて自分の態度を決定する。関西のお嬢さん達には東京に見当らぬやうな突飛な行動をする人があり、私は偶然さういふ代表的なお嬢さん数人と友達であつたが、その人達の行動が突飛であるのも実は一流の精神が欠けてゐるからであり、東京の女はかうだと想像した上で、それに負けないつもりでやつてゐるのではないか、本当の自覚が足りないのではないか、と考へずにゐられなかつた。東京の娘達は何を模倣する必要もないのであるから、すべてに自主的な思考を持つてをり、</seg><ruby type="furigana" rend="right" source="#source-6541-6565"><rb>落附</rb><rt>おちつき</rt></ruby><seg source="#source-6565-6804">があると思はずにゐられない。例を大学の先生にとつても、京都の先生達は常に東京を念頭に置いて考へることに馴らされ、やつぱり自主的な自覚が足りないやうに思はれた。</seg></p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-6804-6831">古い文化をもち、</seg><ruby type="furigana" rend="right" source="#source-6831-6846"><rb>曾</rb><rt>かつ</rt></ruby><seg source="#source-6846-7316">て王朝の地であり今日も尚東京と東西相並ぶ学問の都市である京都ですら、然りである。第一流の精神の欠如、自主的な自覚の不足といふことは、地方文化の全般的な通弊であり、この一点に革命的な生気がもたらされぬ限り、地方文化が独立して発育をとげる見込みはない。東京の亜流である限り地方文化といふ独自な創造は有り得ぬのである。</seg></p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-7316-8515">然しながら、地方都市が概ね東京の亜流の精神にすぎないことに比べると、農村は都市と対蹠的なものであるために、独自な思想や独自な文化、独特な農民精神といふやうなものが在るやうな気もするのであるが、生活の形態が都市と変つてゐるからといふ理由だけでは独自な文化は現れぬ。戦争中は当時の指導者達によつて、農村の精神に還れ、などといふことが叫ばれたのであるが、それは牛馬の如く柔順に働け、美衣美食をもとめるな、といふやうな意味であり、当時の指導者達は文化の退歩をいはゞ目標としてゐたのである。事実彼等は文化を目の敵に弾圧を加へ、さればこそ農民精神に還れだの農村文化などといふ奇怪な言葉が生れたのであつて、このことは十数年前の公式的な左翼主義者が、都会の文化や伝統的な文化を直ちにブルヂョア文化と片づけ、職工達の小学校だけの教養や農村の貧しい教養をプロレタリヤ的だと云つて謳歌した反動性と同じ性質のものである。</seg></p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)">農村の古い習俗や踊りだの唄などが古い土俗であるからと云つて、農村本来の純粋なものであるとは云へぬ。農村の習俗の多くはその排他性から生れたものであり、それが今日農村だけの特殊な行事として残つてゐるのも多くは排他性とか保守性に由来し、要するに彼等自らの歪められた教養に由来することが多いのであつて、決して農村の「あらねばならぬ」正しい姿を暗示してはゐない。</p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-9048-9099">私が小学校の頃、新潟の当時木橋の</seg><ruby type="furigana" rend="right" source="#source-9099-9132"><rb>万代橋</rb><rt>ばんだいばし</rt></ruby><seg source="#source-9132-9623">がこはされて河幅がせばめられて鉄の橋が架けられることになり、日本一の木橋がなくなり郷土の自慢が一つへることに身を切られる思ひがしたものであるが、この子供心の奇妙な悲歎は私のみが経験したものではなかつたであらう。そしてかゝる保守的な感傷は農村に於ては大人達の心にすら宿り、それが頑固な片意地にまで発育してゐるのではないかと思ふ。</seg></p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-9623-10960">農村は祖先伝来の土そのものを母胎とし、土そのものに連綿伝来の血が通つてゐるのは農村の性格ではあるけれども、伝統と排他性とを混乱せしめてはならぬ。排他性によつて守られた伝統は純粋なものではなく、不具者であり畸形なるものであつて、正当なる発育を歪め、とゞめてゐる。正しい伝統は当然自ら発育すべきものであるに拘らず、排他的な伝統はこの発育をとどめてをり、日本に於ける農村の伝統的な生活形態とよばれるものは全く排他的性格によつて歪められたものであると言はねばならぬ。民俗学や土俗学の愛好者達が農村の古い習俗に眼を向けて探究をすゝめることは結構であるが、その偏愛の結果が土俗への愛着や保存に向けられるのは奇妙な話であり、発見せられたる畸形の素因は取り除かれ、新しい正当な発育に導かれなければならない。動物園の檻の中の動物のやうに一部の学者や都市人の観覧のために旧態を墨守するのは途方もない話で、然し、農村自体の感情のうちにも自ら動物園の動物化を招いてゐる反進歩性が牢固として存在することも見逃せぬ。</seg></p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-10960-11619">小学生の私が木橋の万代橋がこはされるのに悲しい思ひをしたなどとは滑稽千万な話であるが、この滑稽が今日農村の諸方にまだ頻りに行はれてはゐないか。広い視野をもつて自らを省れば、この滑稽にはすぐ気のつく性質のものであるのに、農村の視野にはベールがかゝつてゐるのである。このベールを取りのぞくことが第一だ。それには素直な心がいる。人を信頼しなければならぬ。だまされることを怖れるな。自らの誠意によつて人を屈服せしめるだけの自覚がなければならぬ。</seg></p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)">農村の排他性は私はむしろ悪徳であると考へてゐる。彼等は「だまされた」といふけれども、彼等が人を信頼することを知らないところに病根があるのだと考へてゐる。彼等は自分以外の人々はもつと悪質だと想像して、実は他の誰よりも悪質なことをする。彼等はその言訳に他の連中はもつと悪い事をしてゐるのだときめこんでをり、自分の悪質さをてんで自覚してをらぬのだ。農村の諸方に現れる類型的な民事裁判の例、証文なしで借りておいてその親友を裏切つたり、畑の垣根を少しづつづらしたり、彼等は如何に親友や隣人を裏切つてゐるか。彼等は人を信頼しないが、彼等自身が同様に信頼すべからざる性質をもち、自分の質の悪さを自覚せず、他の美しさを知らないだけに始末が悪い。</p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)">すべてその因由は視野の狭さ、教養の低さ、文化の低さであり、排他的な農村の性格がもたらした悲しむべき畸形であつて、進歩的な性格と文化を把握したならば、彼等は過去に於てさうであつた如く、未来に於ても日本を導く最も強力な原動力たるべき人なのである。現在すでにさうではないが。現在日本の農村に高い徳義があつたなら、それが日本の徳義を決定するだけの中枢的な役割をしめてゐる。だが、彼らの口からもれる呟きはたゞ「だまされた」といふことだけで、その呟きによつて自己の悪質な行為を合理化しようとしてゐるだけだ。そして彼等は歴史の流れが彼等に与へた最も進歩的な役割を抛棄してゐるのである。農民がかゝる悪質な性格を残したまゝ新日本の中枢を占めるに至つたなら、日本の悲劇これより大なるはない。</p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-13576-14133">公式的な左翼主義者は人間あるひは人性に就て目をつぶり、農村や工場の搾取といふ一点だけを強調し、搾取のために人間まで歪められたのであり、搾取さへなくなれば人間の楽園が訪れるやうなことを言ふ。かかる軽率な論断は罪悪的なものであり、政治の改革によつて搾取は一朝にして取り除くことができるけれど人間の殻はさうはいかぬ。人間には数千年の歴史が複雑なヒダをつくつてゐるからである。</seg></p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-14133-14948">軍国日本が今日の敗北をまねいたのは軍人に文化がなかつたからで、彼らに文化があつたなら、第一戦争などはしなかつたらう。国民儀礼といふあの馬鹿々々しい行事を発明し、お母さんと叫んで死ぬ兵隊に天皇陛下万歳と叫ばせようといふのであるが、彼等は日本文化を二千何百年前の神代時代の原始へ退歩させてゐた。けれども公式的な左翼主義者の文化に対する考へも、大体似たやうなものである。彼等は農村や工場の現在の教養を文化の温床と断定し、それが便利であるために、他の真実な困難な道をごまかしてゐる。かうして、又、新しい世代が偽瞞によつて始まらうとしてゐるのである。</seg></p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-14948-15850">文化は政治のまきぞへを食ふべき性質のものではない。否、文化はその独自の立場から政治の反省をもとむべき性質のものである。戦争中、文化は鉄砲を胸ぐらに突きつけられて変節せざるを得なかつたが、既に鉄砲を洗ひざらひ海へ流し去つた今日の日本に於ては文化が他の暴力に屈せしめられる心配がなくなつたのだ。新しい日本を育てる力は文化だけだ。文化のみが発育の母胎であることは古今に変りがないのだが、今日の日本の如く、文化がその全威力を許されたといふことは、日本の歴史では先例がない。このとき我々が文化への正当な認識と教養とを怠るなら、我々はせつかくの光明を自ら吹き消して暗中へ退歩する愚を犯すことゝなるのみであらう。</seg></p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-15850-16428">地方文化の確立が叫ばれるのも地方に特に文化が必要といふのではなく、全日本に文化が必要であり、全日本おしなべて高度の文化、といふ意味に於て、地方々々に真実のそして高度の文化の必要が叫ばれてゐるのであるが、然らば文化とは何ぞや、と云へば、私は文化に就て答へるよりも、その母胎たるべきもの、自主の自覚、及び、自我の誠実なる内省を以て答へたい。之なくしては真実の文化は育たず、又、生れない。</seg></p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)">先づ我々は自分の好き嫌ひをハッキリ表現することが必要だ。自分の責任に於て取捨選択をしなければならぬ。「だまされた」などと惨めな言葉は永遠に用ひずに済みたいものである。次に、かゝる自主的な選択が我執によつて固定せず、常に誠実な内省を加へて、自ら発育することを信条としなければならぬ。要は之だけのことである。</p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-16889-17294">そして地方精神の悪弊、亜流の精神を取り去り、自らの思考を全日本的な宇宙的な高さに於てもとめることを忘れてはならないと思ふ。この意味に於て、私は先づ地方文化の確立に就ては、東京の亜流となるな、自ら独自の創造をなせといふ月並な文句が、然し真実必要な言葉であると信じてゐる。</seg></p>
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        <note type="source-attribution" source="#source-17302-17659"><seg type="source-line">底本：「坂口安吾全集　04」筑摩書房</seg><lb/><seg type="source-line" style="padding-inline-start: 3em">1998（平成10）年5月22日初版第1刷発行</seg><lb/><seg type="source-line">底本の親本：「月刊にひがた　第一巻第三号」新潟日報社</seg><lb/><seg type="source-line" style="padding-inline-start: 3em">1946（昭和21）年2月25日発行</seg><lb/><seg type="source-line">初出：「月刊にひがた　第一巻第三号」新潟日報社</seg><lb/><seg type="source-line" style="padding-inline-start: 3em">1946（昭和21）年2月25日発行</seg></note>
        <note type="transcriber-note" source="#source-17659-17973"><seg type="source-line">入力：tatsuki</seg><lb/><seg type="source-line">校正：宮元淳一</seg><lb/><seg type="source-line">2006年5月5日作成</seg><lb/><seg type="source-line">青空文庫作成ファイル：</seg><lb/><seg type="source-line">このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫（http://www.aozora.gr.jp/）で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。</seg></note>
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