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        <title type="main" xml:lang="ja">教祖の文学</title>
        <title type="reading" xml:lang="ja-Hira">きょうそのぶんがく</title>
        <title type="sub" xml:lang="ja">――小林秀雄論――</title>
        <title type="sub-reading" xml:lang="ja-Hira">――こばやしひでおろん――</title>
        <author><persName xml:lang="ja"><surname>坂口</surname><forename>安吾</forename><idno type="aozora-person-id">001095</idno></persName><persName xml:lang="ja-Hira"><surname>さかぐち</surname><forename>あんご</forename></persName><persName xml:lang="ja-Latn"><surname>Sakaguchi</surname><forename>Ango</forename></persName></author>
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        <bibl><title>坂口安吾全集　05</title><publisher>筑摩書房</publisher><date>1998（平成10）年6月20日</date><note type="input-edition">1998（平成10）年6月20日初版第1刷</note><note type="proof-edition">1998（平成10）年6月20日初版第1刷</note></bibl>
        <bibl type="first-publication">「新潮　第四四巻第六号」1947（昭和22）年6月1日</bibl>
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      <classDecl><taxonomy xml:id="ndc"><bibl>日本十進分類法 (Nippon Decimal Classification), as recorded by <title>青空文庫</title> in its 分類番号 field.</bibl></taxonomy><taxonomy xml:id="aozora-orthography"><bibl><title>青空文庫</title> 文字遣い種別: the orthographic style Aozora Bunko records for the transcription.</bibl></taxonomy></classDecl>
      <refsDecl xml:id="source-spans"><p>A note of type source-span has an xml:id of the form source-START-END, giving the extent in UTF-8 bytes of the decoded primary text identified in sourceDesc. <ptr target="https://w3id.org/soranoha/ns/tei"/></p></refsDecl>
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      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-528-1451">去年、小林秀雄が水道橋のプラットホームから墜落して不思議な命を助かつたといふ話をきいた。泥酔して一升ビンをぶらさげて酒ビンと一緒に墜落した由で、この話をきいた時は私の方が心細くなつたものだ。それは私が小林といふ人物を煮ても焼いても食へないやうな骨つぽい、そしてチミツな人物と心得、あの男だけは自動車にハネ飛ばされたり川へ落つこつたりするやうなことがないだらうと思ひこんでゐたからで、それは又、私といふ人間が自動車にハネ飛ばされたり川へ落つこつたりしすぎるからのアコガレ的な盲信でもあつた。思へば然しかう盲信したのは私の甚しい軽率で、私自身の過去の事実に於いて、最もかく信ずべからざる根拠が与へられてゐたのである。</seg></p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-1451-3220">十六七年前のこと、越後の親戚に仏事があり、私はモーニングを着て東京の家をでた。上野駅で偶然小林秀雄と一緒になつたが、彼は新潟高校へ講演に行くところで、二人は上越線の食堂車にのりこみ、私の下車する越後川口といふ小駅まで酒をのみつゞけた。私のやうに胃の弱い者には食堂車ぐらゐ快適な酒はないので、常に身体がゆれてゐるから消化して胃にもたれることがなく、気持よく酔ふことができる。私も酔つたが、小林も酔つた。小林は仏頂面に似合はず本心は心のやさしい親切な男だから、私が下車する駅へくると、あゝ俺が持つてやるよと云つて、私の荷物をぶらさげて先に立つて歩いた。そこで私は小林がドッコイショと踏段へおいた荷物を、ヤ、ありがたう、とぶらさげて下りて別れたのである。山間の小駅はさすがに人間の乗つたり降りたりしないところだと思つて私は感心したが、第一、駅員もゐやしない。人ッ子一人ゐない。これは又徹底的にカンサンな駅があるもので、人間が乗つたり降りたりしないものだから、ホームの幅が何尺もありやしない。背中にすぐ貨物列車がある。そのうちに小林の乗つた汽車が通りすぎてしまふと、汽車のなくなつた向ふ側に、私よりも一段高いホンモノのプラットホームが現はれた。人間だつてたくさんウロウロしてゐらあ。あのときは呆れた。私がプラットホームの反対側へ降りたわけではないので、小林秀雄が私を下ろしたのである。</seg></p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-3220-3621">だから私はもう十六七年前のあのときから、小林秀雄が水道橋から墜落しかねない人物だといふことを信じてもよい根拠が与へられてゐたのであつたが、私は全然あべこべなことを思ひこんでゐたのは、私が甚だ軽率な読書家で、小林の文章にだまされて心眼を狂はせてゐたからに外ならない。</seg></p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-3621-4850">思ふに小林の文章は心眼を狂はせるに妙を得た文章だ。私は小林と碁を打つたことがあるが、彼は五目置いて（ほんとはもつと置く必要があるのだが、五ツ以上は恰好が悪いやと云つて置かないのである）けつして喧嘩といふことをやらぬ。置碁の定石の御手本通りのやりかたで、地どり専門、横槍を通すやうな打方はまつたくやらぬ。こつちの方がムリヤリいぢめに行くのが気の毒なほど公式的そのものの碁を打つ。碁といふものは文章以上に性格をいつはることができないもので、文学の小林は独断先生の如くだけれども、本当は公式的な正統派なんだと私はその時から思つてゐた。然し彼の文章の字面からくる迫真力といふものは、やつぱり私の心眼を狂はせる力があつて、それは要するに、彼の文章を彼自身がさう思ひこんでゐるといふこと、そして当人が思ひこむといふことがその文学をして実在せしめる根柢的な力だといふことを彼が信条とし、信条通りに会得したせゐではないかと私は思ふ。</seg></p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-4850-5503">彼の昔の評論、志賀直哉論をはじめ他の作家論など、今読み返してみると、ずゐぶんいゝ加減だと思はれるものが多い。然し、あのころはあれで役割を果してゐた。彼が幼稚であつたよりも、我々が、日本が、幼稚であつたので、日本は小林の方法を学んで小林と一緒に育つて、近頃ではあべこべに先生の欠点が鼻につくやうになつたけれども、実は小林の欠点が分るやうになつたのも小林の方法を学んだせゐだといふことを、彼の果した文学上の偉大な役割を忘れてはならない。</seg></p>
      <p>「それは少しも遠い時代ではない。何故なら僕は殆どそれを信じてゐるから。そして又、僕は、無理な諸観念の跳梁しないさういふ時代に、世阿弥が美といふものをどういふ風に考へたかを思ひ、<ruby type="furigana" rend="right" source="#source-5767-5785"><rb>其処</rb><rt>そこ</rt></ruby>に何の疑はしいものがない事を確めた。「物数を極めて、工夫を尽して後、花の失せぬところを知るべし」美しい「花」がある。「花」の美しさといふ様なものはない。彼の「花」の観念の曖昧さに就いて頭を悩ます現代の美学者の方が、化かされてゐるに過ぎない」（当麻）</p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-6159-6413">彼が世阿弥の方法だと言つてゐるところがそつくり彼の方法なのであり、彼が世阿弥に就いて思ひこんでゐる態度が、つまり彼が自分の文学に就いて読者に要求してゐる態度でもある。</seg></p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)">僕がそれを信じてゐるから、とくる。世阿弥の美についての考へに疑はしいものがないから、観念の曖昧自体が実在なんだ、といふ。美しい「花」がある。「花」の美しさといふものはない。</p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)">私は然しかういふ気の利いたやうな言ひ方は好きでない。本当は言葉の遊びぢやないか。私は中学生のとき漢文の試験に「日本に多きは人なり。日本に少きも<ruby type="furigana" rend="right" source="#source-6892-6907"><rb>亦</rb><rt>また</rt></ruby>人なり」といふ文章の解釈をだされて癪にさはつたことがあつたが、こんな気のきいたやうな軽口みたいなことを言つてムダな苦労をさせなくつても、日本に人は多いが、本当の人物は少い、とハッキリ言へばいゝぢやないか。かういふ風に明確に表現する態度を尊重すべきであつて日本に人は多いが人は少い、なんて、駄洒落にすぎない表現法は抹殺するやうに心掛けることが大切だ。</p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)">美しい「花」がある。「花」の美しさといふものはない、といふ表現は、人は多いが人は少いとは違つて、これはこれで意味に即してもゐるのだけれども、然し小林に曖昧さを弄ぶ性癖があり、気のきいた表現に自ら思ひこんで取り澄してゐる態度が根柢にある。</p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-7790-8105">彼が世阿弥について、いみじくも、美についての観念の曖昧さも世阿弥には疑はしいものがないのだから、と言つてゐるのが、つまり全く彼の文学上の観念の曖昧さを彼自身それに就いて疑はしいものがないといふことで支へてきた</seg><ruby type="furigana" rend="right" source="#source-8105-8129"><rb>這般</rb><rt>しやはん</rt></ruby><seg source="#source-8129-8215">の奥義を物語つてゐる。全くこれは小林流の奥義なのである。</seg></p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-8215-8712">あげくの果に、小林はちかごろ奥義を極めてしまつたから、人生よりも一行のお筆先の方が真実なるものとなり、つまり武芸者も奥義に達してしまふともう剣などは握らなくなり、道のまんなかに荒れ馬がつながれてゐると別の道を廻つて君子危きに近よらず、これが武芸の奥義だといふ、悟道に達して、何々教の教祖の如きものとなる。小林秀雄も教祖になつた。</seg></p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-8712-9104">然し剣術は本来ブンナグル練磨であり、相手にブンナグラレル先に相手をブンナグル術で、悟りをひらく道具ではなかつた。けれども小林秀雄のところへ剣術を習ひに行くと、剣術など勉強せずに、危きに近よらぬ工夫をしろ、それが剣術だと教へてくれる。これが小林流といふ文学だ。</seg></p>
      <p>「生きてゐる人間なんて仕方のない代物だな。何を考へてゐるのやら、何を言ひだすのやら、仕出かすのやら、自分の事にせよ、他人事にせよ、解つた<ruby type="furigana" rend="right" source="#source-9308-9323"><rb>例</rb><rt>ため</rt></ruby>しがあつたのか。鑑賞にも観察にも堪へない。其処に行くと死んでしまつた人間といふものは大したものだ。何故あゝはつきりとしつかりとしてくるんだらう。まさに人間の形をしてゐるよ。してみると、生きてゐる人間とは、人間になりつゝある一種の動物かな」（無常といふこと）とくる。</p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-9721-9799">だから、歴史には死人だけしか現はれてこない。だから</seg><ruby type="furigana" rend="right" source="#source-9799-9811"><rb>退</rb><rt>の</rt></ruby><seg source="#source-9811-9814">ッ</seg><ruby type="furigana" rend="right" source="#source-9814-9826"><rb>引</rb><rt>ぴ</rt></ruby><seg source="#source-9826-9925">きならぬ人間の相しか現はれぬし、動じない美しい形しか現はれない、と</seg><ruby type="furigana" rend="right" source="#source-9925-9949"><rb>仰有</rb><rt>おつしや</rt></ruby><seg source="#source-9949-10323">る。生きてゐる人間を観察したり仮面をはいだり、罰が当るばかりだと仰有るのである。だから小林のところへ文学を習ひに行くと人生だの文学などは雲隠れして、彼はすでに奥義をきはめ、やんごとない教祖であり、悟道のこもつた深遠な一句を与へてくれるといふわけだ。</seg></p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)">生きてゐる人間などは何をやりだすやら解つたためしがなく鑑賞にも観察にも堪へない、といふ小林は、だから死人の国、歴史といふものを信用し、「歴史の必然」などといふことを仰有る。</p>
      <p>「歴史の必然」か。なるほど、歴史は必然であるか。</p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-10660-11043">西行がなぜ出家したか、などいふことをいくら突きとめようたつて、謎は謎、そんなところから何も出てきやしない、実朝がなぜ船をつくつたか、そんなことはどうでもいゝ、右大臣であつたことも、将軍であつたことも、問題ではない、たゞ詩人だけを見ればいゝのだと仰有る。</seg></p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-11043-11759">だから坂口安吾といふ三文々士が女に惚れたり飲んだくれたり時には坊主にならうとしたり五年間思ひつめて接吻したら慌ててしまつて絶交状をしたゝめて失恋したり、近頃は又デカダンなどと益々もつて何をやらかすか分りやしない。もとより鑑賞に堪へん。第一奴めが何をやりをつたにしたところで、そんなことは奴めの何物でもない。かう仰有るにきまつてゐる。奴めが何物であるか、それは奴めの三文小説を読めば分る。教祖にかゝつては三文々士の実相の如き手玉にとつてチョイと投げすてられ、惨又惨たるものだ。</seg></p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-11759-12340">ところが三文々士の方では、女に惚れたり飲んだくれたり、専らその方に心掛けがこもつてゐて、死後の名声の如き、てんで問題にしてゐない。教祖の師匠筋に当つてゐる、アンリベイル先生の余の文学は五十年後に理解せられるであらう、とんでもない、私は死後に愛読されたつてそれは実にたゞタヨリない話にすぎないですよ、死ねば私は終る。私と共にわが文学も終る。なぜなら私が終るですから。私はそれだけなんだ。</seg></p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-12340-13008">生きてる奴は何をやりだすか分らんと仰有る。まつたく分らないのだ。現在かうだから次にはかうやるだらうといふ必然の筋道は生きた人間にはない。死んだ人間だつて生きてる時はさうだつたのだ。人間に必然がない如く、歴史の必然などといふものは、どこにもない。人間と歴史は同じものだ。たゞ歴史はすでに終つてをり、歴史の中の人間はもはや何事を行ふこともできないだけで、然し彼らがあらゆる可能性と偶然の中を縫つてゐたのは、彼らが人間であつた限り、まちがひはない。</seg></p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-13008-13571">歴史には死人だけしか現はれてこない、だから退ッ引きならぬギリギリの人間の相を示し、不動の美しさをあらはす、などとは大嘘だ。死人の行跡が退ッ引きならぬギリギリなら、生きた人間のしでかすことも退ッ引きならぬギリギリなのだ。もし又生きた人間のしでかすことが退ッ引きならぬギリギリでなければ、死人の足跡も退ッ引きならぬギリギリではなかつたまでのこと、生死二者変りのあらう筈はない。</seg></p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-13571-14332">つまり教祖は独創家、創作家ではないのである。教祖は本質的に鑑定人だ。教祖がちかごろ骨董を愛すといふのは無理がないので、すでに私がその碁に於いて看破した如く彼は天性の公式主義者であり、定石主義者であり、保守家であり、常識家であつて、死人はともかく死んでをり、もう足をすべらして墜落することがないから安心だが、生きた奴とくると、何をしでかすか分らず、教祖の如く何をしでかす魂胆がなくとも、足をすべらしてプラットホームから落つこちる、どこに伏兵がひそんでゐるか分らない。実にどうも生きるといふことはヤッカイだ。</seg></p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-14332-14895">だから教祖の流儀には型、つまり公式とか約束といふものが必要で、死んだ奴とか歴史はもう足をすべらすことがないので型の中で料理ができるけれども、生きてる奴はいつ約束を破るか見当がつかないので、かういふ奴は鑑賞に堪へん。歴史の必然などといふ妖怪じみた調味料をあみだして、料理の腕をふるふ。生きてる奴の料理はいやだ、あんなものは煮ても焼いてもダメ、鑑賞に堪へん。調味料がきかない。</seg></p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-14895-15113">あまり自分勝手だよ、教祖の料理は。おまけにケッタイで、類のないやうな味だけれども、然し料理の根本は保守的であり、型、公式、常識そのものなのだ。</seg></p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-15113-16234">生きてる人間といふものは、（実は死んだ人間でも、だから、つまり）人間といふものは、自分でも何をしでかすか分らない、自分とは何物だか、それもてんで知りやしない、人間はせつないものだ、然し、ともかく生きようとする、何とか手探りででも何かましな物を探し縋りついて生きようといふ、せつぱつまれば全く何をやらかすか、自分ながらたよりない。疑りもする、信じもする、信じようとし思ひこまうとし、体当り、遁走、まつたく悪戦苦闘である。こんなにして、なぜ生きるんだ。文学とか哲学とか宗教とか、諸々の思想といふものがそこから生れて育つてきたのだ。それはすべて生きるためのものなのだ。生きることにはあらゆる矛盾があり、不可決、不可解、てんで先が知れないからの悪戦苦闘の武器だかオモチャだか、ともかくそこでフリ廻さずにゐられなくなつた棒キレみたいなものの一つが文学だ。</seg></p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-16234-16497">人間は何をやりだすか分らんから、文学があるのぢやないか。歴史の必然などといふ、人間の必然、そんなもので割り切れたり、鑑賞に堪へたりできるものなら、文学などの必要はないのだ。</seg></p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-16497-16700">だから小林はその魂の根本に於いて、文学とは完全に縁が切れてゐる。そのくせ文学の奥義をあみだし、一宗の教祖となる、これ実に邪教である。</seg></p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)">西行も実朝も地獄を見た。陰惨な罪業深い地獄、物悲しい優しい美しい地獄。そして西行の一生は「いかにすべき我心」また、孤独といふ得体の知れぬものについての言葉なき苦吟をやめたことがなかつたし、実朝は殺されたが然し実朝の心はこれを自殺と見たかも知れぬ、と言ふ。まさしく、その通りだ。邪教も亦、真理を説くか。<ruby type="furigana" rend="right" source="#source-17153-17174"><rb>璽光</rb><rt>じこう</rt></ruby><seg source="#source-17174-17180">様が</seg><ruby type="furigana" rend="right" source="#source-17180-17228"><rb>天照大神</rb><rt>あまてらすおおみかみ</rt></ruby><seg source="#source-17228-17260">の生れ変りの如くに。</seg></p>
      <p>「西行はなぜ出家したか、その原因に就いて西行研究家は多忙なのであるが、僕には興味がないことだ。凡そ詩人を解するには、その努めて現はさうとしたところを極めるがよろしく、努めて忘れようとして隠さうとしたところを詮索したとて、何が得られるものでもない」（西行）</p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-17643-17879">そして近代文学といふ奴は仮面を脱げ、素面を見せよ、そんなことばかり喚いて駈けだして、女々しい毒念が方図もなくひろがつて、罰が当つてしまつたんだ、と仰有る。</seg></p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-17879-18277">然り、詩人を解すには、詩を読むだけで沢山だ。こんなこともした、こんな一面もあつた、と詮索して同類発見を喜んだところで詩人を解したわけでもなく、まさしく詩を読むことだけが詩人を解す方法なのだ。小林は詩を解す、といふ。然り、鑑賞はそれだけでよい。鑑賞家といふものは。</seg></p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-18277-18750">然し、こゝに作家といふものがある。彼の読書は学ぶのだ。学ぶとは争ふことだ。そして、作家にとつては、作品は書くのみのものではなく、作品とは又、生きることだ。小林が西行や実朝の詩を読んでゐるのも彼等の生きた翳であり、彼等が生きることによつて見つめねばならなかつた地獄を、小林も亦読みとることによつて感動してゐるのだ。</seg></p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-18750-19415">仮面を脱げ、素面を見せよ、といふことはそれを作品の上に於いて行つたから罰が当つただけで、小説といふ作品の場合に於いては、作家は思想家であると同時に戯作者でなければならぬ。仮面を脱いで素面を見せることは小説ではない。これを小説だと思へば罰が当るのは是非もない。然し作家の私生活に於いて、作家は仮面をぬぎ、とことんまで裸の自分を見つめる生活を知らなければ、その作家の思想や戯作性などタカが知れたもので、鑑賞に堪へうる代物ではないにきまつてゐる。</seg></p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-19415-20227">小説は（芸術は）自我の発見だといふ。自我の創造だといふ。作家が自分といふものを知つてしまへば、作品はそれによつて限定され、定められた通路しか通れなくなる。然し本当の小説といふものは、それを書き終るときに常に一つの自我を創造し、自我を発見すべきものだ、と、これは文学技師アンドレ・ジッド氏の御意見だ。ちなみにジッド氏は文学に通暁し、あらゆる技法を心得、縦横に知識を用ひ、術をつくし、ある時は型を破つて、小説をつくる技師であるが、本当の小説家だとは私は思つてゐない。ジッド氏が自身の小説に於いて、自我を創造、発見したか、私は疑問に思つてゐる。</seg></p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-20227-20481">わが教祖、小林氏も芸術は自我の創造発見だと言ふのである。紙に向つた時には何もない。書くことによつて、創造され、見出されて行くものだ、と言ふのだ。私も大いに賛成である。</seg></p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-20481-21116">然し、紙に向つて何もないといふことは自分に就いて何も知らないといふことではない。ある限度までは知つてゐる。自分といふものをある限度まで知悉しない人間が、小説を書ける筈のものではない。一応自分といふもの、又、人間といふものに通じてゐなくて、小説の書けるわけはないのだ。尚、そのうへに発見するのであり、創造するのだ。なぜなら、作家といふものは、今ある限度、限定に対して堪へ得ないといふことが、作家活動の原動力でもあるからだ。</seg></p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-21116-22042">モオツァルトの作品は殆どすべて世間の愚劣な偶然な或ひは不正な要求に応じてあわたゞしい心労のうちになつたもので、予め目的を定め計画を案じて作品に熟慮専念するやうな時間はなかつたが、モオツァルトは不平もこぼさず、不正な要求に応じて大芸術を残した。天才は外的偶然を内的必然と観ずる能力が具はつてゐるものだ、と言ふ。それはモオツァルトには限らない。チエホフの戯曲も不正な要求に応じて数日にして作られ、近松の戯曲もさうだ。ドストエフスキーも借金に追はれて馬車馬の如く書きまくり、読者の嗜好に応じてスタヴロオギンの歩き道まで変へて行くといふ己れを捨てた凝り方だ。いかにも外的偶然を内的必然と化す能力が天才の作品を生かすものだ。</seg></p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-22042-22812">然しながら、作品に就いて目的を定め計画を案じ熟慮専念する時間がなくとも、少くとも小説作者の場合に於いては、一応人間に通じてゐることは絶対の条件であり、人間通の裏附は自我の省察で保たれるもの、そして常に一つの作品を書き終つたところから、新らたに出発するものだ。一つの作品は発見創造と同時に限界をもたらすから、作家はそこにふみとゞまつてはゐられず、不満と自己叛逆を起す。ふみとゞまつた時には作家活動は終りであり、制作の途中に於いても作家をして没頭せしめる力は限界をふみこし発見に自ら驚くことの新鮮なたのしさによる。</seg></p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-22812-23060">生きた人間を自分の文学から締め出してしまつた小林は、文学とは絶縁し、文学から失脚したもので、一つの文学的出家遁世だ。私が彼を教祖といふのは思ひつきの言葉ではない。</seg></p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-23060-23995">彼はもう文学を鑑賞し詩人を解するだけだ。歴史の必然とか人間の必然といふ自分勝手な角度によつて、彼はもう文学や詩人と争ひ、格闘することがないのである。争ふとか格闘するといふことは、自分を偶然の方へ賭けることだから、彼はもう偶然などは俺にはいらないといふ悟りをひらいてゐるのだ。詩人のつとめて隠さうとし忘れようとしたものを暴くのは鑑賞のためや詩人を解するためではなく、自分の仮面をはがさうとする同じ働きが他へ向けられただけのことで、普遍的な真理といふやうなものを暴くんぢやない。仮面を脱ぐといふことも真理を暴くといふのぢやなくて、たゞさうせずにゐられぬからだといふやうな罰の当つた苦悩格闘、そんなものはもう小林には用はない。</seg></p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-23995-24579">常に物が見えてゐる。人間が見えてゐる。見えすぎてゐる。どんな思想も意見も彼を動かすに足りぬ。そして、見て、書いただけだ。それが徒然草といふ空前絶後の批評家の作品なのだと小林は言ふ。これはつまり小林流の奥義でもあり、批評とは見える眼だ、そして小林には人間が見えすぎてをり、どんな思想も意見も、見える目をくもらせず彼を動かすことはできない。彼は見えすぎる目で見て、鑑定したまゝを書くだけだ。</seg></p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)">私は然し小林の鑑定書など全然信用してやしないのだ。西行や実朝の歌や徒然草が何物なのか。三流品だ。私はちつとも面白くない。私も一つ見本をださう。これはたゞ素朴きはまる詩にすぎないが、私は然し西行や実朝の歌、徒然草よりもはるかに好きだ。宮沢賢治の「眼にて言ふ」といふ遺稿だ。</p>
      <div type="layout" source="#source-24991-26216" style="padding-inline-start: 2em">
        <p><seg source="#source-25026-25043">だめでせう</seg></p>
        <p><seg source="#source-25043-25066">とまりませんな</seg></p>
        <p><seg source="#source-25066-25110">がぶがぶ湧いてゐるですからな</seg></p>
        <p><seg source="#source-25110-25139">ゆふべからねむらず</seg></p>
        <p><seg source="#source-25139-25180">血も出つゞけなもんですから</seg></p>
        <p><seg source="#source-25180-25221">そこらは青くしんしんとして</seg></p>
        <p><seg source="#source-25221-25262">どうも間もなく死にさうです</seg></p>
        <p><seg source="#source-25262-25303">けれどもなんといい風でせう</seg></p>
        <p><seg source="#source-25303-25332">もう清明が近いので</seg></p>
        <p><seg source="#source-25332-25344">もみぢの</seg><ruby type="furigana" rend="right" source="#source-25344-25365"><rb>嫩芽</rb><rt>わかめ</rt></ruby><seg source="#source-25365-25391">と毛のやうな花に</seg></p>
        <p><seg source="#source-25391-25423">秋草のやうな波を立て</seg></p>
        <p><seg source="#source-25423-25449">あんなに青空から</seg></p>
        <p><seg source="#source-25449-25484">もりあがつて湧くやうに</seg></p>
        <p><seg source="#source-25484-25519">きれいな風がくるですな</seg></p>
        <p><seg source="#source-25519-25584">あなたは医学会のお帰りか何かは判りませんが</seg></p>
        <p><seg source="#source-25584-25625">黒いフロックコートを召して</seg></p>
        <p><seg source="#source-25625-25693">こんなに本気にいろいろ手あてもしていたゞけば</seg></p>
        <p><seg source="#source-25693-25749">これで死んでもまづは文句もありません</seg></p>
        <p><seg source="#source-25749-25787">血がでてゐるにかゝはらず</seg></p>
        <p><seg source="#source-25787-25834">こんなにのんきで苦しくないのは</seg></p>
        <p><ruby type="furigana" rend="right" source="#source-25834-25858"><rb>魂魄</rb><rt>こんぱく</rt></ruby><seg source="#source-25858-25908">なかばからだをはなれたのですかな</seg></p>
        <p><seg source="#source-25908-25940">たゞどうも血のために</seg></p>
        <p><seg source="#source-25940-25984">それを言へないのがひどいです</seg></p>
        <p><seg source="#source-25984-26016">あなたの方から見たら</seg></p>
        <p><seg source="#source-26016-26069">ずゐぶんさんたんたるけしきでせうが</seg></p>
        <p><seg source="#source-26069-26104">わたくしから見えるのは</seg></p>
        <p><seg source="#source-26104-26142">やつぱりきれいな青ぞらと</seg></p>
        <p><seg source="#source-26142-26180">すきとほつた風ばかりです</seg></p>
      </div>
      <div>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-26220-26504">半分死にかけてこんな詩を書くなんて罰当りの話だけれども、徒然草の作者が見えすぎる不動の目で見て書いたといふ物の実相と、この罰当りが血をふきあげながら見た青空と風と、まるで品物が違ふのだ。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-26504-27103">思想や意見によつて動かされるといふことのない見えすぎる目。そんな目は節穴みたいなもので物の死相しか見てゐやしない。つまり小林の必然といふ化け物だけしか見えやしない。平家物語の作者が見たといふ月、ボンクラの目に見えやしないと小林がいふそんな月が一体そんなステキな月か。平家物語なんてものが第一級の文学だなんて、バカも休み休み言ひたまへ。あんなものに心の動かぬ我々が罰が当つてゐるのだとは阿呆らしい。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-27103-27441">本当に人の心を動かすものは、毒に当てられた奴、罰の当つた奴でなければ、書けないものだ。思想や意見によつて動かされるといふことのない見えすぎる目などには、宮沢賢治の見た青ぞらやすきとほつた風などは見ることができないのである。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-27441-27594">生きてゐる奴は何をしでかすか分らない。何も分らず、何も見えない、手探りでうろつき廻り、悲願をこめギリ</seg><choice source="#source-27594-27600"><orig>／＼</orig><reg>〱</reg></choice><seg source="#source-27600-28265">のところを這ひまはつてゐる罰当りには、物の必然などは一向に見えないけれども、自分だけのものが見える。自分だけのものが見えるから、それが又万人のものとなる。芸術とはさういふものだ。歴史の必然だの人間の必然などが教へてくれるものではなく、偶然なるものに自分を賭けて手探りにうろつき廻る罰当りだけが、その賭によつて見ることのできた自分だけの世界だ。創造発見とはさういふもので、思想によつて動揺しない見えすぎる目などに映る陳腐なものではないのである。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)">美しい「花」がある、「花」の美しさといふものはない、などといふモヤモヤしたものではない。死んだ人間が、そして歴史だけが退ッ引きならぬぎりぎりの人間の姿を示すなどとは大嘘の<ruby type="furigana" rend="right" source="#source-28523-28550"><rb>骨張</rb><rt>こつちよう</rt></ruby><seg source="#source-28550-28670">で、何をしでかすか分らない人間が、全心的に格闘し、踏み切る時に退ッ引きならぬぎり</seg><choice source="#source-28670-28676"><orig>／＼</orig><reg>〱</reg></choice><seg source="#source-28676-28858">の相を示す。それが作品活動として行はれる時には芸術となるだけのことであり、よく物の見える目は鑑定家の目にすぎないものだ。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-28858-29397">文学は生きることだよ。見ることではないのだ。生きるといふことは必ずしも行ふといふことでなくともよいかも知れぬ。書斎の中に閉ぢこもつてゐてもよい。然し作家はともかく生きる人間の退ッ引きならぬギリギリの相を見つめ自分の仮面を一枚づつはぎとつて行く苦痛に身をひそめてそこから人間の詩を歌ひだすのでなければダメだ。生きる人間を締めだした文学などがあるものではない。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-29397-30236">小説は十九世紀で終つたといふ、こゝに於いて教祖はまさしく邪教であり、お筆先きだ。時代は変る、無限に変る。日本の今日の如きはカイビャク以来の大変りだ。別に大変りをしなくとも、時代は常に変るもので、あらゆる時代に、その時代にだけしか生きられない人間といふものがをり、そして人間といふものは小林の如くに奥義に達して悟りをひらいてはをらぬもので、専一に生きることに浮身をやつしてゐるものだ。そして生きる人間はおのづから小説を生み、又、読む筈で、言論の自由がある限り、万古末代終りはない。小説は十九世紀で終りになつたゾヨ、これは璽光様の文学的ゴセンタクといふものだ。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)">人生とは銘々が銘々の手でつくるものだ。人間はかういふものだと諦めて、奥義にとぢこもり悟りをひらくのは無難だが、さうはできない人間がある。「万事たのむべからず」かう見込んで出家遁世、よく見える目で徒然草を書くといふのは落第生のやることで、人間は必ず死ぬ、どうせ死ぬものなら早く死んでしまへといふやうなことは成り立たない。恋は必ず破れる、女心男心は秋の空、必ず仇心が湧き起り、去年の恋は今年は色がさめるものだと分つてゐても、だから恋をするなとは言へないものだ。それをしなければ生きてゐる意味がないやうなもので、生きるといふことは全くバカげたことだけれども、ともかく力いつぱい生きてみるより仕方がない。</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-31135-31614">人生はつくるものだ。必然の姿などといふものはない。歴史といふお手本などは生きるためにはオソマツなお手本にすぎないもので、自分の心にきいてみるのが何よりのお手本なのである。仮面をぬぐ、裸の自分を見さだめ、そしてそこから踏み切る、型も先例も約束もありはせぬ、自分だけの独自の道を歩くのだ。自分の一生をこしらへて行くのだ。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-31614-31901">小林にはもう人生をこしらへる情熱などといふものはない。万事たのむべからず、そこで彼はよく見える目で物を人間をながめ、もつぱら死相を見つめてそこから必然といふものを探す。彼は骨董の鑑定人だ。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-31901-31994">花鳥風月を友とし、骨董をなでまはして充ち足りる人には、人間の</seg><ruby type="furigana" rend="right" source="#source-31994-32009"><rb>業</rb><rt>ごう</rt></ruby><seg source="#source-32009-32119">と争ふ文学は無縁のものだ。小林は人間孤独の相と云ひ、地獄を見る、と言ふ。</seg></p>
      </div>
      <div type="layout" source="#source-32119-32704" style="padding-inline-start: 2em">
        <p><seg source="#source-32154-32270">あはれあはれこの世はよしやさもあらばあれ来む世もかくや苦しかるべき　（西行）</seg></p>
        <p><seg source="#source-32270-32368">花みればそのいはれとはなけれども心のうちぞ苦しかりける　（西行）</seg></p>
        <p><seg source="#source-32368-32466">風になびく富士の煙の空にきえて行方も知らぬ我が思ひかな　（西行）</seg></p>
        <p><seg source="#source-32466-32567">ほのほのみ虚空にみてる阿鼻地獄行方もなしといふもはかなし　（実朝）</seg></p>
        <p><seg source="#source-32567-32668">吹く風の涼しくもあるかおのづから山の蝉鳴きて秋は来にけり　（実朝）</seg></p>
      </div>
      <div>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-32706-32885">秀歌である。たしかに人間孤独の相を見つめつゞけて生きた人の作品に相違なく、又、純潔な魂の見た風景であつたに相違ない。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-32885-32995">然し孤独を観ずるなどといふことが、いつたい人生にとつて何物であるのか。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)">芸術は長し、人生は短しと言ふ。なるほど人間は死ぬ。然し作品は残る。この時間の長短は然し人生と芸術との価値をはかる物差とはならないものだ。作家にとつて大切なのは言ふまでもなく自分の一生であり人生であつて、作品ではなかつた。芸術などは作家の人生に於いてはたかゞ商品にすぎず、又は遊びにすぎないもので、そこに作者の多くの時間がかけられ、心労苦吟が賭けられ、時には作者の肉をけづり命を奪ふものであつても、作者がそこに没入し得る力となつてゐるものはそれが作者の人生のオモチャであり、他の何物よりも心を充たす遊びであつたといふ外に何物があるのか。そして又、それは「不正なる」取引によりたゞ金を得るための具でもあり、女に惚れたり浮気をしたりするためのモトデを稼ぐ商品であつた。</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-33993-34835">余の作品は五十年後に理解せられるであらう。私はそんな言葉を全然信用してゐやしない。かりにアンリベイル先生はたしかにさう思ひこんでゐたにしたところで、芸術は長し人生は短し、そんなマジナヒみたいな文句を鵜呑みにし真にうけてゐるだけで、実生活では全然それを信じてゐないのが人の心といふものである。死んでしまへば人生は終りなのだ。自分が死んでも自分の子供は生きてゐるし、いつの時代にも常に人間は生きてゐる。然しそんな人間と、自分といふ人間は別なものだ。自分といふ人間は、全くたつた一人しかゐない。そして死んでしまへばなくなつてしまふ。はつきり、それだけの人間なんだ。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-34835-35044">だから芸術は長しだなんて、自分の人生よりも長いものだつて、自分の人生から先の時間はこれはハッキリもう自分とは無縁だ。ほかの人間も無縁だ。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-35044-35814">だから自分といふものは、常にたつた一つ別な人間で、銘々の人がさうであり、歴史の必然だの人間の必然だのそんな変テコな物差ではかつたり料理のできる人間ではない。人間一般は永遠に存し、そこに永遠といふ観念はありうるけれども、自分といふ人間には永遠なんて観念はミヂンといへども有り得ない。だから自分といふ人間は孤独きはまる悲しい生物であり、はかない生物であり、死んでしまへば、なくなる。自分といふ人間にとつては、生きること、人生が全部で、彼の作品、芸術の如きは、たゞ手沢品中の最も彼の愛した遺品といふ外の何物でもない。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-35814-36302">人間孤独の相などとは、きまりきつたこと、当りまへすぎる事、そんなものは屁でもない。そんなものこそ特別意識する必要はない。さうにきまりきつてゐるのだから。仮面をぬぎ裸になつた近代が毒に当てられて罰が当つてゐるのではなく、人間孤独の相などといふものをほじくりだして深刻めかしてゐる小林秀雄の方が毒にあてられ罰が当つてゐるのだ。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-36302-36742">自分といふ人間は他にかけがへのない人間であり、死ねばなくなる人間なのだから、自分の人生を精いつぱい、より良く、工夫をこらして生きなければならぬ。人間一般、永遠なる人間、そんなものゝ肖像によつて間に合はせたり、まぎらしたりはできないもので、単純明快、より良く生きるほかに、何物もありやしない。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-36742-36909">文学も思想も宗教も文化一般、根はそれだけのものであり、人生の主題眼目は常にたゞ自分が生きるといふことだけだ。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-36909-37256">良く見える目、そして良く人間が見え、見えすぎたといふ兼好法師はどんな人間を見たといふのだ。自分といふ人間が見えなければ、人間がどんなに見えすぎたつて何も見てゐやしないのだ。自分の人生への理想と悲願と努力といふものが見えなければ。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-37256-37735">人間は悲しいものだ。切ないものだ。苦しいものだ。不幸なものだ。なぜなら、死んでなくなつてしまふのだから。自分一人だけがさうなんだから。銘々がさういふ自分を背負つてゐるのだから、これはもう、人間同志の関係に幸福などありやしない。それでも、とにかく、生きるほかに手はない。生きる以上は、悪くより、良く生きなければならぬ。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-37735-38136">小説なんて、たかゞ商品であるし、オモチャでもあるし、そして、又、夢を書くことなんだ。第二の人生といふやうなものだ。有るものを書くのぢやなくて、無いもの、今ある限界を踏みこし、小説はいつも背のびをし、駈けだし、そして跳びあがる。だから墜落もするし、尻もちもつくのだ。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-38136-38492">美といふものは物に即したもの、物そのものであり、生きぬく人間の生きゆく先々に支へとなるもので、よく見える目といふものによつて見えるものではない。美は悲しいものだ。孤独なものだ。無慙なものだ。不幸なものだ。人間がさういふものなのだから。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-38492-39346">小林はもう悲しい人間でも不幸な人間でもない。彼が見てゐるのは、たかゞ人間の孤独の相にすぎないので、生きる人間の苦悩といふものは、もう無縁だ。そして満足してゐる。骨董を愛しながら。鑑定しながら。そして奥義をひらいて達観し、よく見えすぎる目で人間どもを眺めてゐる。思想にも意見にも動きやしない。だからもう生きてゐる人間どものやうに、何かわけの分らぬことをしでかすやうなことはないのだ。そのくせ彼は水道橋のプラットホームから落つこつたが、彼の見えすぎる目、孤独な魂は何と見たか。なにつまらねえ、たとへ死んだつて、オレ自身の心は自殺と見たつていゝぢやないか。なんでもねえや。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-39346-39486">自殺なんて、なんだらう。そんなものこそ、理窟も何もいりやしない。風みたいに無意味なものだ。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-39486-39707">女のふくらはぎを見て雲の上から落つこつたといふ久米の仙人の墜落ぶりにくらべて、小林の墜落は何といふ相違だらう。これはたゞもう物体の落下にすぎん。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-39707-39894">小林秀雄といふ落下する物体は、その孤独といふ詩魂によつて、落下を自殺と見、虚無といふ詩を歌ひだすことができるかも知れぬ。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-39894-40184">然しまことの文学といふものは久米の仙人の側からでなければ作ることのできないものだ。本当の美、本当に悲壮なる美は、久米の仙人が見たのである。いや、久米の仙人の墜落自体が美といふものではないか。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-40184-40646">落下する小林は地獄を見たかも知れぬ。然し落下する久米の仙人はたゞ花を見ただけだ。その花はそのまゝ地獄の火かも知れぬ。そして小林の見た地獄は紙に書かれた餅のやうな地獄であつた。彼はもう何をしでかすか分らない人間といふ奴ではなくて教祖なのだから。人間だけが地獄を見る。然し地獄なんか見やしない。花を見るだけだ。</seg></p>
      </div>
    </body>
    <back>
      <div type="source">
        <note type="source-attribution" source="#source-40654-40961"><seg type="source-line">底本：「坂口安吾全集　05」筑摩書房</seg><lb/><seg type="source-line" style="padding-inline-start: 3em">1998（平成10）年6月20日初版第1刷発行</seg><lb/><seg type="source-line">底本の親本：「新潮　第四四巻第六号」</seg><lb/><seg type="source-line" style="padding-inline-start: 3em">1947（昭和22）年6月1日発行</seg><lb/><seg type="source-line">初出：「新潮　第四四巻第六号」</seg><lb/><seg type="source-line" style="padding-inline-start: 3em">1947（昭和22）年6月1日発行</seg></note>
        <note type="transcriber-note" source="#source-40961-41276"><seg type="source-line">入力：tatsuki</seg><lb/><seg type="source-line">校正：宮元淳一</seg><lb/><seg type="source-line">2006年3月22日作成</seg><lb/><seg type="source-line">青空文庫作成ファイル：</seg><lb/><seg type="source-line">このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫（http://www.aozora.gr.jp/）で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。</seg></note>
        <note type="source-span" xml:id="source-10660-11043" n="35"/>
        <note type="source-span" xml:id="source-11043-11759" n="36"/>
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