Soranoha

絶縁体

ぜつえんたい

豊島 与志雄

一

市木さんといえば、近所の人たちはたいてい知っていた。それも、近所づきあいをするとか、気軽に話しかけるとか、いうのではなかった。また、市木さんが世間的に有名だからでもなかった。往来で出逢って、会釈し合うこともなかった。だが、市木さんという名前がもちだされると、人々の間に、微笑めいた眼色や、好奇らしい眼色が、自然にかもし出された。というのは、市木さんは頭が少し変だ、というほどではなくとも、少くとも変人だと思われていたのである。だから、市木さんが知られていたのは、その名前と顔だけだと言ってもよく、また、成年の男たちよりも、女や子供たちに多く知られていた。

市木さんは世間的に有名などころか、いったいどういう職業のひとか、誰も知らなかった。それももっともで、何の職業も持っていなかったのである。家にとじこもってることが多かったが、家の中で何をしているのか、誰にも分らなかった。来客も殆んどなかった。その家は古めかしく、建附なども定めしがたぴししてることだろうと思われたし、板塀は所々破損していた。雨ざらしの門柱に、市木正信というまずい字の表札が出ていたが、たぶん本人の自筆であったろう。それも風雨に黒ずんでいた。そしてこの正信という名の方は誰の頭にも留まらず、ただ市木さんというだけで知られていた。

市木さんはもう六十歳近い年配だと見えるのだったが、そのわりには幼い一男一女があった。男の子は小学校に通っており、女の子は女学校に通っていた。どちらも粗末な服装で、肱のあたりに四角な布が無造作に縫いつけてあったりした。市木さん自身で修繕してやったものらしかった。三人きりの家族で、妻も女中もいなかった。

日用品や食物の買い出しに、市木さんは自分で出かけた。だがその様子は、用事があって外出してるのだとは見えないし、散歩をしてるのとも違い、ただ飄々と歩いてるとしか思えなかった。

額は少し禿げ上っていたが、半白の頭髪は濃く長く、頸筋にそよいでいて、いつも無帽だった。大柄な眼鼻立ちで、頬の肉附きはよく、髯はなかった。夏はシャツ一枚、他の季節には褐色のジャンパーを着、冬には黒いオーバーをひっかけ、いつも短いズボンに下駄ばきだった。出かけるのは晴れた日に限っていて、雨降りにその姿を見かける者はなかった。

そしてたいてい、竹編みの大きな籠を、長い紐で肩からぶらさげていた。その籠の中に、たいてい、スケッチブックを入れていた。それからたいてい、太い杖か一管の尺八を持っていた。竹籠は買物のためであって、いろいろな品物でふくらんでることがあった。スケッチブックはめったに使われることがなかったが、なにか興趣ひかれる事物に出逢った場合のための用意だったろう。それから、杖はよいとして、尺八に至っては誰にも合点いかなかった。然し、近隣の人々は、深夜、嚠喨たる尺八の音を度々聞かされていたし、たぶん、手馴れてるままに彼はそれを携えていたのであろう。

そのような姿で、市木さんは飄々乎と歩いていた。近所の人々に出逢っても、会釈もせず、振り向きもしなかった。人々の方でも、微妙な気持ちから、なんとなく素知らぬ風を装うのだった。市木さんはいつも真正面を向いていて、左右に眼を配ることなく、後ろを振り返ることがなかった。周囲に全然無関心のようだった。

幅の広い街路などには、子供たちが集まって騒いでることがあった。そういう所も、市木さんはすーっと、然しゆっくりと、真直に通りすぎていった。子供たちはへんに静まって、市木さんの後ろ姿を見送り、それからまた騒々しい遊びを始めるのだった。

市木さんは頑丈そうな体躯だったが、力もたいへん強いとの噂があった。柔道にも熟達してるとの噂があった。噂の出所は明かでなく、また真偽のほども不明だった。けれども、その噂は如何にも真実らしく感ぜられたし、それも一因となって、女や子供たちから敬遠される風だった。

或る秋の颱風後、倒れた板塀を市木さんが独力で立て直してるのを、二人のお上さんが見た。前日から颱風警報が出ていたが、夜になって風雨が強まり、夜半には可なりの暴風雨となり、翌朝はまだ風はあったがからりと晴れていた。颱風がすぐ近くを通過したわけではなく、被害も大したものではなかったが、それでも、街路には木片や生々しい木の枝葉が散らばり、古い板塀などは所々に傾いたり倒れたりしていた。市木さんの板塀もずいぶん古いもので、門柱のわきが傾き、その先が二間ばかり倒れていた。それを市木さんは一人で立て直していた。

倒れてる塀の頭を両手で持ち上げ、徐々に押し起して、用意しておいた丸太ん棒で左右二ヶ所の支えをし、なお押し起して、少し傾きかげんのところで支えをしてしまう。塀の支柱は一度修理されていてまだ丈夫なので、その根本を地面に埋めて塀を真直に直す。それからあちこちに、細長い厚板を横ざまに打ち付けて、塀を強固にするのである。初めの、塀を押し起すところが、危険でもあり力がいる。一人でそんなことをやってる市木さんを、通りがかりのお上さんが、二人も見た。どう見ても、市木さんは強力な人に違いなかった。

けれども、市木さんはいつも取り澄していて、或は無関心であって、怖い人だという印象を与えたことはなかった。強いて言えば、ただいくらか薄気味わるい人だったのである。笑うこともなければ、怒ることもなかった。

それでも、市木さんがほんとに怒ったらしいのを、私は一度見た。

市木さんと隔意なく話をし交際したのは、近所で私一人だった。そうなったのも、実は、妙な機縁からであった。

私は市木さんの裏手の家に住んでいた。市木さんの前の道が直角に折れ曲ってるその道から、狭い路地があって、路地の突き当りに、私の家がある。小さな平家だが、わりにゆったりした庭がついている。庭は板塀ぐらいの高さの竹垣で仕切られていて、その竹垣の先に市木さんの二階家があった。つまり、市木さんの家の裏手と、私の家の横手の庭とが、隣り合せになっていた。市木さんはその家の所有者で、私の家は借家だった。

両者の間の竹垣は、朽ちはててぼろぼろになっていたが、それが、やはりあの颱風のために、半ば壊れてしまった。市木さんは表の坂塀は修理したが、裏の竹垣はもう修理のきかない状態であった。そしてその竹垣は、市木さんの家に所属するものだった。

いったい、家と家との間にある板塀とか竹垣とかいうものは、妙なことだが、両方に共有のものではなく、どちらか一方に所属するものらしい。そちらが先に作ったからか、或は境界の一線の内側にあるからであろう。

私の家の庭先にある竹垣は、市木さんのものだったから、壊れたからとて私がうっかり手をつけるわけにはゆかなかった。市木さんの方でも放りっぱなしだった。そして三日ばかりたってから、市木さんはその竹垣をすっかり取り壊してしまった。いよいよ作り替えるのだな、と私は思ったが、そうではなかった。

竹垣を取り払ってから、市木さんは私の庭へはいって来た。

「ちょっと、お宅の囲いを見せて頂きますよ。」

そう断っておいてから、市木さんは私の家をぐるりと一廻りして、あちこち検分した。

「お宅の囲いは、どこも壊れてるところはない。これなら大丈夫です。」

言い捨てて帰っていった。

私は呆気にとられた。市木さんは私の家の家主でもないのに、板塀やトタン塀などを検分して廻るとは、全く余計なお世話なのだ。もし壊れてるところがあるとすれば、どうしてくれるつもりなのだろう。あの表の塀と同じように、修理してくれるつもりだろうか。

だが、そうでもなさそうだった。というのは、竹垣を取り払ったあとは、そのままになっていたのである。植木屋にでも頼んで新たに作らせるつもりなのが、その職人の都合で延び延びになってるのかと、私は思ったけれど、そうではなかった。幾日待っても、竹垣は作られなかった。

そのため、私の方は困った状態に置かれた。市木さんの家と私の家とは素通しになってしまったのである。市木さんの方では、私の方に面してるのは裏口で、そこの木戸はいつも閉め切ってあり、片方は狭い庭の横手で、檜葉や八手の植込みがあり、私の方から覗いても一向差支えない様子だった。だが私の方は、先方が庭の正面になっており、庭のこちらは縁側で、障子を開け放せば、座敷の中まで先方からまる見えになる。しかも、こちらは平家で先方は二階家なのだ。どうにかしなければなるまい、と私は考えた。

考えてるうちに、ふと思い当ることがあった。板塀とか竹垣とかいうものは、それが無くては都合がわるい方で作るべきなのかも知れない。往来に面してる場合ばかりでなく、家と家との間でもそうなのだろう。そして、市木さんが私の家の囲いを見て廻ったのも、或は、あの竹垣の作成を私の方へ譲るという謎だったのかも知れない。いっそのこと、市木さんに直接話してみるのが、早道だった。

折を見て私は、八手の茂みをくぐって市木さんの庭へ行き、そこの縁側から声をかけてみた。室内から返事があって、暫く待つと、市木さんが出て来た。硝子戸を開けて、市木さんがそこに座布団を出したから、私は腰を掛けた。縁側には陽が当っていた。

さて、どういう風に話しだしてよいものか、私はちと弱った。市木さんが変人だということを聞いていたし、額が少し禿げ上ってる大柄な顔立ちと、肩まで垂れさがってる長髪とに、なんだか威圧される気持ちだった。簡明に打ち明けるのがよさそうだった。

「実は、お宅との間にありました、あの竹垣のことですが……。」

「ははあ、あれですか、取り払ってさっぱりしましたなあ。ぼろぼろにくさっていて、眼障りでしたろう。」

「いえ、眼障りということもありませんでしたが、無くなってみると、へんなもので……もしお宜しかったら、わたくしの方で新たに作ろうかとも思っておりますが、如何でしょうかしら。」

「なあに、それには及びませんよ。わたしの方も囲いは丈夫に出来ているし、あなたの方も囲いは丈夫に出来ているから、心配はありません。」

「それはそうですけれど、わたくしの方から、あなたの方がまる見えなものですから……。」

「まる見え、それはいけませんな。」

「ですから……。」

「つまり、見るからいけないんで、見なければいいんです。」

「見なければいいと仰言っても、眼を向ければ、素通しに見えますでしょう。」

「だから、眼を向けなければいいんです。」

なんだか私は教訓でもされてるような工合になってしまった。この調子では、先方から私の方がよけいにまる見えだとは、言い出しにくくなった。それにまた、いったい市木さんは、私の家と自分の家とを一緒くたに考えて、両方とも外の囲いが丈夫ならそれでよいと思ってるのだろうか。その点をつっ込むより外に手はなかった。

「見える見えないは、まあどうでも宜しいんですが、あなたの家とわたくしの家と、両方の間に、何の区切りもないというのは、どうもへんじゃありますまいか。」

「なるほど、あなたの家はあなたの家、わたしの家はわたしの家、それは賛成ですな。」

そこで初めて意見が一致して、市木さんは自分から、竹垣を拵えようと言い出した。

そうときまると、市木さんはぐずついていなかった。早速、どこからか材料を買い込んできて、自分で竹垣を作った。ところが、前の竹垣と違って、こんどは、低い四つ目垣だった。所々に木の棒を打ち込み、それに丸竹を棕櫚縄で結びつけたもので、それが実に目の荒い四つ目の、高さ二尺ばかりに過ぎなかった。両方の地所に区切りをつけただけで、どちらからも見通せることに変りはなく、私は容易にそれを跨ぎ越せるのだった。それでも、市木さんは満足そうだった。

「これで、出来上った。退屈な時は、ここから跨ぎ越して、遊びにいらっしゃい。」

私の方を見て、眼で笑った。

一仕事すましたという満足感が、市木さんにはあったろう。然しまた、私に対する好意というようなものを、その眼の中に私は感じた。童話を書いたり飜訳物をしたりして貧しい生計を立ててる私の職業を、市木さんはたぶん知らなかったろうが、官吏でもなく会社員でもない私の人柄に、なんとなく好感を懐いたらしいことが、後になって私にも分ったのである。

或る日、市木さんが写生してるところへ私は行き会った。神社の境内をぬける道のほとりで、そこに大きな枯木があって、上方の枝は切り取られてる幹に、ところどころ、太い瘤々が盛り上っていた。その樹幹を、市木さんは例のスケッチブックに、鉛筆で写し取っていた。

私はそこへ行って、横から覗いてみた。市木さんは振り向きもせず、一心に描いていた。私が見てもどうも上手な絵とは思えなかった。やがて市木さんは、ちょっと小首を傾げて、それから私の方を向いた。

「あの幹は、いくら書いても倦きませんよ。」

そして画帖をめくって見せた。瘤々の盛り上ってる樹幹が、幾つも写生してあった。それをぱらぱらめくって見せただけで、私の意見は求めず、すぐに竹籠へつっ込んでしまった。

しぜんに、二人は並んで歩きだした。私は家へ帰るところだったし、市木さんもそうだったらしい。

「油や水彩など、そういう絵もお書きになりますか。」

「いや、そういうものは書きません。墨絵もわたしは書きません。」

市木さんに言わすれば、色彩とか濃淡とかを用いることは、自然を画家自身のものとすることになるのだった。いくら自然自体を取扱おうとしても、色彩や濃淡によって必ず画家自身のものとなる。だから市木さんは、鉛筆でしか書かない。鉛筆で書くことによって最もよく、自然を自然自体として表現出来る。市木さんは自然を自分のものとしようとは思わず、ただ自然自体として楽しむのである。

市木さんのそういう見解は、私には納得がいかなかったし、一種の負け惜しみのようにも思えた。だが、私の注意を惹いたことが一つあった。市木さんは言った。

「わたしは自分自身をも、自然自体の一つとしたいのですが、なかなかその境地まではゆけませんな。」

ぶらぶら歩いて、市木さんの家の前まで来た。市木さんは私の方を顧みた。

「ちょっとお待ちなさい。今すぐ開けます。」

まるで、私が立ち寄ることにきまってるかのようだった。私は躊躇した。市木さんは鍵を取り出して、格子戸についてる錠前をあけた。

「さあおはいりなさい。」

何か用があるのかも知れないと思って、ついてゆくと、縁側に招ぜられた。そこに腰掛けて、茶と羊羹との馳走になった。宇治から贈ってきたというその玉露を、市木さんは自慢したが、私にはただ甘渋いだけで、味のよさは分らなかった。

別に用があるわけでもなさそうだったから、私はほどよく辞しかけた。

「あ、こちらこちら。こちらからいらっしゃい。」

表門の方へ行こうとする私を呼びとめて、市木さんは裏の方を指し示した。私は頬笑み、そしてお時儀をして、裏手の低い四つ目垣を跨ぎ越して家に帰った。

それが最初で、それからは、竹の垣根を跨いで市木さんのところへ行くことになった。仕事に倦きると、ぶらりと出かけて、縁側で無駄話をしながら、煙草を一本ふかすぐらいの時間で帰って来た。市木さんの方でも、垣根を跨いでやって来ることがあった。私の家の庭はわりにゆったりしてるといってもそう広いものではなく、市木さんの家の庭は狭っこいものだったが、時折、垣根を跨ぎ越して往き来してみると、ちょっと物珍らしい気も起って、低い垣根が却って便宜なようにも思えるのだった。

往き来するといっても、月に一度か二度に過ぎなかった。市木さんの方では、私の庭にはいって来ても、私には声をかけず、そこらをぶらついて帰っていった。私か妻かがその姿に気づいて招じると、縁側に腰を下すこともあったが、お茶を一杯飲むだけですぐに立ち上った。

私の方では、垣根を越せば、たいてい市木さんに声をかけた。市木さんは階下にいる時はいつも出て来たが、二階にいる時は、二階の硝子戸をあけて顔を出し、今は誰にも逢いたくないから失礼します、と言ってすぐに引っ込んだ。私は苦笑して、そこらをぶらついてから帰った。市木さんが二階で何をしているのか、私には見当もつかなかった。

その低い垣根のおかげで、市木さんがほんとに怒ったらしいところを、私は一度見たのである。

或る朝のこと、縁側に立って冬の陽差しを眺めていると、市木さんの家で、激しい物音が何度か続けてした。堅い器物がぶつかった音とは違い、なんだか肉体的な響きが感ぜられた。二人の子供はもう学校に出かけてる頃で、市木さん一人きりの筈だし、なにかの発作でも起して、または誤って、引っくり返ったのではあるまいか。私は心配になり、垣根を跨ぎ越して行ってみた。庭から声をかけると、硝子戸の中の縁側に市木さんは突っ立っていた。真赤な顔をして、唇をかみしめていた。私の方を睥むようにじろりと見て、硝子戸を開け、足元を指し示した。そこに、猫が横たわっていた。だらりと伸びて、もう息絶えてるらしかった。

「こいつ、成敗してやりましたよ。」

そして市木さんは猫の死体を睥みつけた。

私はなんだかぞっとした。

市木さんは猫を二匹飼っていた。まだ親猫にはなりきっていないが、だいぶ大きくなっていた。二匹とも三毛、といっても、白地に赤毛と黒毛が丸い玉をなしてる立派な三毛ではなく、だいたいは白地だが、それに赤毛と黒毛がいい加減に生え別れてる普通のものだった。娘さんがほしがって貰って来たものだとか、私は聞いていた。市木さんの足元に今のびてる猫は、私にも見覚えのあるその一匹だった。

市木さんの説明によると、その猫は、いつの頃からか野良猫のような性質に変った。二日も三日もいなくなったかと思うと、こそこそと家にはいって来て、飯を食いちらして、また出て行った。それだけならよいが、あちこちに尿をひっかけて、駆けだして逃げて行った。市木さんの姿を見ると、すぐに逃げだした。炬燵にも寄りつかず、寒空のもとにどこをうろついてるのか分らなかった。一番いけないのは、家にはいって来て、人の気配をそっと窺ってることだった。襖の陰とか、柱の陰とか、廊下の曲り角などに、じっと蹲まり、顔だけ出して、こっちの様子を窺いすましていた。まるでスパイ根性だった。

一匹の猫は温良な性質だったが、一匹の方だけ、どうしてそうなったのか。市木さんはほんとに腹を立てた。折檻してやろうと思ったが、なかなか捕まらなかった。ようやく縁側の隅で捕まえると、手を引っ掻き噛みついて暴れた。それを市木さんは板の間に叩きつけてやった。力がはいりすぎて、猫はぐったりとなった。そうなるともう騎虎の勢いで、市木さんはなお何度も猫を叩きつけ、打ち殺してしまったのである。

市木さんの話は冷淡な調子だったが、底に熱いものが籠っていた。

「ひとの様子を、じっと覗き窺うなど、以ての外の根性です。成敗されても仕方ないことでしょう。」

前に、竹垣のことについて、見るのがいけない、眼を向けるのがいけない、と市木さんが言ったのを、私はふと思い出したのだった。そして猫のことも、やや合点がいった。

猫の死体を、市木さんは庭の片隅に埋めた。

それが、当分の間、私は薄気味わるくて、市木さんの庭へ行くことをやめた。

猫や犬の死体を葬ってくれる寺がある筈なのに、市木さんはなぜ庭の隅に猫の死体を埋めたのだろう。まさか埋葬料を倹約したわけではなかったろう。

というのは、私の妻がへんな噂を聞き込んで来たのである。市木さんの家には、黄金の延棒が秘蔵されているというのだった。

市木さんはいつもみすぼらしい身扮をしていたし、子供たちも実に粗末な服装をしていたし、生活も至って質素だったのに、金の延棒があるという噂が、まことしやかに伝えられたということには、何か意味があるようだった。近所のお上さんたちの間だけの他愛もない噂だったが、実状にふさわしくないその噂が、何の矛盾もなく、受け容れられていたのである。

二

或る年の春さき市木さんの娘の弘子さんが病死した。あまり突然のことなので、伝え聞いた人々も面喰った。

三日ばかり寝ついたきりだったとか。初めは感冒のようだったが、高熱が出て、物を呑み下すのが困難になり、次で呼吸も困難になった。医者が呼び迎えられた時は、もう、喉の粘膜に白い義膜が厚く拡がり、心臓も弱っていた。注射や其他の手当も効目がなかった。悪性のジフテリアで、弘子さんほどの年齢には珍らしいことだった。

近所の住人はたいてい、戦争中から戦後にかけて入れ替っていて、以前の隣組制度の誼みもなく、市木さんの方でも近所づきあいを一切しなかったが、然し、市木さんの家の不幸に対して素知らぬ顔も出来なかった。代表格で数人のひとが世話をやき、それから私が最も立ち働いた。

市木さんは泰然自若としてる風に見えた。そして何事も自己流で押し切った。表に忌中の簾を出すことを承知しなかった。弘子の死去を広告するには及ばないと言った。僧侶も神官も呼ばなかった。ただ霊前に線香は立てた。葬儀屋が持ってきた位牌に、自分で筆を執って、市木弘子霊位と書いた。それから花屋に出かけてゆき、色とりどりの美しい生花を一対買った。が他人からの供物は一切断って、押し返した。香奠の包みはとにかく、線香とか菓子とかいう物品は、本人に持ち帰って貰うわけにはゆかず、私が大骨を折って説得し、それだけは納めさせた。火葬場へは自分一人が行けば充分だと言い、漸く私だけ同行を許された。つまり、凡てが出来る限り簡単に明確に取り行われた。

それが済むと、深閑とした日々が市木さんに続いたようだった。そして十日ばかりたって、例の竹垣を跨いで私が行ってみると、市木さんは座敷の床の間を指し示した。そこの小机の上の、位牌と線香立とのわきに、香奠の包みが二つ置いてあった。故人の女学校の担任の先生からのものと、級友たちからのものだった。

「どうも、多勢には一人ではかないませんな。」

そう言って市木さんは眼玉をぐるりと動かした。先生や生徒たちと応対してる市木さんのことを想像すると、私はなんだか可笑しかった。市木さんは当初、死亡通知など一切出さないと言っていたが、其後思い直して、学校へは通知し、なお数名の親戚知友へ通知状を出したと、弁解するように打ち明けた。

「つまり、死亡通知を出すことによって、故人をすっかりわたし一人のものにすることが出来ると、分ってきたからです。」

その論理は私にはよく呑みこめなかったが、市木さんが故人のことを深く思いつめてることは、はっきり感ぜられた。

市木さんは故人の写真をどこにも飾らなかったが、その面影は私の頭にも残っていた。背は高い方で、痩せていて、学校から帰るとたいてい和服に着換えていた。あちこち継のあたってる銘仙の着物で、早く亡くなった母親の遺物なのであろうか、黒っぽいじみな柄であって、それに枇杷色の兵児帯をしめていた。髪は子供っぽく編んで背中に垂らしていた。少し出額の細面の顔立だったが、それがいつも没表情で、なんだか能面みたいに見えた。泣くことも笑うこともなさそうだった。しかも、表情のない能面みたいなその顔が、へんになまなましく、時によっては、はっとさせられるような感銘を与えた。

そういう面影を、市木さんはどういう風に受け取っていたのであろうか。死亡通知を出すことによって故人をすっかり自分のものにするとは、どういう意味だったろう。

ところで、その死亡通知のために、私は妙な場面に立ち会わされたのである。

或る日の午後、市木さんは竹垣を跨いでやって来て、珍らしいことには私へ声をかけた。出ていってみると、市木さんは縁側近くに突っ立っていた。

「ちょっと来て下さい。そして酒を一杯つき合って下さい。どうも面白くない奴が来ましてね、酒がまずくなった。」

市木さんは昼間から独酌してることも稀ではなかったが、私がその席へ招かれたのは初めてだった。ところが、行ってみると、一人の来客があった。洋服を着た五十年配の肥った男で、頭髪を短く刈りこんでいて、小会社の重役かなんかのように見えた。面白くない奴とはこの客だな、と私はとっさに感じた。そしてなんだか議論の中途らしい空気だった。

その客は、市木さんの亡妻の縁故者で、土居というひとだった。市木さんは私に杯をさしながら、ぶっきら棒に言った。

「土居さんはね、わたしが、弘子の葬式もりっぱにせず、ぞんざいに扱ったと、疑っておられるようです。あなたからひとつそうでないことを証明してやって下さい。」

市木さんはもう喧嘩腰だった。私は酒の相手に招かれたのではなく、実は証人として呼びつけられたもののようだった。

土居さんは鼈甲縁の眼鏡の奥から眼玉を光らせながら、落着いた調子で弁明した。

「いや、葬式がどうこうというのではありませんよ。そりゃあ、あなたの娘さんだから、どういう葬式をなさろうと、あなたの自由です。けれども、先程から何度も申したように、亡くなられた当時、わたくし共へも、それからまたほかへも、一応は通知して頂くのが、世間の儀礼というものではありますまいか。そして仏さまにもお別れをさせ、葬儀にも立ち会わせる、それがつまりは、仏さまへの供養ともなり、御近所の方々への義理を立てることにもなるのです。あなたのお話を承っておりますと、ただ御近所の方々に任せっきりで、わたくし共はまるで無視されたとしか思えません。そういう御料見ならば、それでも結構、わたくし共でもそういう料見をすえましょう。然し、弘子さんは可哀そうでした。どこへも、後になってからしか知らせなさらなかったのですね。縁故の者で、葬儀に立ち会った者は一人もなかったのですね。わたくしはちょっと旅行していまして、帰って来ると通知状が来ていました。しかも、十日も過ぎてからの、謂わば一片の報告にすぎません。家内はふだん御交際がなかったものですから、思い惑っていました。わたくしは外の用事を差し置いて、駆けつけて来たのですが、もう遺骨もない始末じゃありませんか。そりゃあ、あなたの無信仰は、あなたなりの主義がおありのことでしょうし、わたくしから異議は申しません。然し、弘子さんの亡骸にお別れする機会ぐらいは、わたくし共にも与えて下さるのが、当然のことではありますまいか。」

土居さんは言い終えて、杯をあおった。先程から断片的に抗議したことを、私にも聞かせるため、一纒めに要約したらしかった。

市木さんは顔色ひとつ動かさなかった。煙草をふかしながら、杯を取り上げたりしていたが、ぽつりと言った。

「弘子の死体にせよ、火葬後の遺骨にせよ、それは弘子とは別物ですからな。」

土居さんは呆気にとられたようだった。それから急に、頬を紅潮さした。

「それでは、あなたは、弘子さんとその亡骸や遺骨は別物だと、本気で仰言るんですね。ひとは死んでしまえば、その死体は当人とは別物だと仰言るんですね。よく分りました。そういうお考えでしたら、不吉なことを申すようですが、あなたが万一お亡くなりになった際にも、あなたとあなたの亡骸とは別物だと、そういう取扱いをしても、一向差支えありませんね。」

「それは結構です。わたしに無関係なことですからな。」

まるで歯が立たない感じだった。それきり言葉が途切れた。いつぞや、市木さんが猫の死骸を庭の隅に埋めたことを、私は思い起した。市木さんが冗談を言ってるのだとは思えなかった。

市木さんは長火鉢の銅壺で酒の燗をし、その銚子を次々に三人の前へ並べた。もう酌をしてくれなかったから、私たちは手酌で飲んだ。肴としては、すずめ焼と蒲鉾と海苔が出ていた。

長い沈黙の後に、土居さんはふと気付いたらしく、食卓の上を見渡して話題を変えた。今後のことについてである。

弘子はまだ女学校の生徒だったとはいえ、女のことだから、家事の手伝いなどにはだいぶ役立った筈だ。それが亡くなったからには、今後のことも考えなければなるまい。市木さんはもう再婚は無理だとしても、女中でもおいたらどうだろうか。そういうことを土居さんは言った。自分たちがついているのに、近所の人たちの手前もあるし……ということを強調した。

市木さんの返事は、ただ、一切構わないで貰いたいという一事に尽きた。

土居さんはまた憤慨しかけた。

「構わないでくれと、あなたはいつも仰言るが、それでは世間に通用しませんよ。弘子さんの葬式にしたって、ずいぶん、御近所の方々の世話におなりなすったでしょう。もう昔のことですが、奥さんが亡くなられた後、わたくしは何度も再婚をお勧めしましたが、あの時も、構わないでくれの一点張り……。こんどもまたそうです。年とったあなたと小さなお子さんと、二人きりで、これからどうして暮してゆくおつもりですか。」

「それは、わたしの手一つでやれます。」

「ふだんはそれでお宜しいでしょうが、あなたが病気で寝込みでもなすったら、どうなさいますか。こんどだって、弘子さんの遺骨を信州の田舎へ運ぶについて、誰か留守番が必要だったでしょう。」

「いや、それは、小包郵便で送りました。」

「え、遺骨を小包郵便で……。」

それには聞いていて私も驚いた。弘子さんの遺骨が信州の田舎にいってることを、私はその席で初めて知ったのだが、その方法が小包郵便に依るとは、意想外だった。いったい、そんなことが許されるものだろうか。土居さんも顔色を変えた。

「あなたというひとは、まるでめちゃですね。遺骨をどこかに打ち捨てるのと同じじゃありませんか。無事に先方へ届きましたか。」

「届きましたとも。鄭重な返事が来ましたよ。御疑念があるなら、証拠をお見せしましょう。」

市木さんは立ち上って、用箪笥の抽出から一通の手紙を取り出し、土居さんに見せた。土居さんはそれを、注意深く二度繰り返し読んだ。そして私の方へ廻した。

手紙は、信州の田舎の、市木家の菩提寺の住職から来たものだった。市木さんの亡妻と弘子さんとのための永代供養料としての二万円を、確かに受け取ったこと、それから次で、弘子さんの遺骨も到着したから懇ろに弔ったことなど、毛筆で荘重に誌されていた。

土居さんは訳が分らなくなったらしかった。私とてもそうだった。本人とその死体とは別物だという説、遺骨を小包郵便などで送りつける仕方、永代供養料としての多額な金の寄進、それらのことの間にどういう脈絡があるのか、市木さんの真意が掴めなかった。

考え込んでいた土居さんは、何かに胸を衝かれたかのように顔を挙げた。

「あなたは、金を寄進することによって、凡てを帳消しにする。つまり、金銭で贖ってやれと、そういうおつもりなんでしょう。」

「ははあ、あなたらしいお考えですな。」

土居さんはひどく渋い顔をした。そして酒を何杯か飲み、もはや問答無用というような眼付で市木さんを睥みすえ、私の方へは目礼をして、他に急用があるからと言って辞し去った。

市木さんは玄関まで送ってゆき、戻ってきて座に就きながら言った。

「金銭の奴隷が、とうとう尻尾を出しましたな。あれだからわたしはああいう連中が嫌いですよ。」

私は探るように言ってみた。

「永代供養料の金額が、ちと多すぎるとでも、思われたのではありますまいか。」

「いや、多すぎはしません。遺骨二つをわたし自身から切り離すための、その代償ですからな。」

私はなにか冷いものを身に浴びた気がした。そしてなお市木さんの酒の相手になりながら、前に坐ってるその長髪の老人は、果して、気が少し変なひとか、或はたいへん賢明なひとか、どちらだろうかと疑った。いずれにしても、独自な精神のひとには違いなかった。

酔ってくると、市木さんは尺八を持ち出してきて、追分節を吹いて聞かせた。いや、私に聞かせるというよりも寧ろ、自分でその音色に聴き入ってるがようだった。

三

市木さんの日常は次第に、孤独な静穏なものに立ち戻っていった。買物や其他の用達しに、いつもの姿で飄々乎と出歩き、それ以外はたいてい家に引き籠って、ひっそりとしていた。

けれども、弘子さんの死去によって、淋しい影が深くなったのも事実だった。何よりもやはり、人手が一つ足りなくなった。飯をたくことから煮物まで炊事一切、また掃除や洗濯など、市木さんは自分でやっていたが、弘子さんがおれば相当な手伝いになっただろうが、それが無くなってしまったのである。それから精神的な打撃も深い筈だった。然し、市木さんはそれらのことをよく持ち耐えて、平然としてるようだった。

夏になって、学校も休暇になると、男の子の信吾が、庭を掃いたり草を挘ったりする姿も見えた。これも姉さんと同じく、痩せがたのおとなしい子で、顔の表情がひどく少なかった。表へ出て他の子供たちと遊ぶことも殆んどなく、家の中で静かに何かしていた。

晩になると、時折、読書してるらしい市木さんの高い声が、その二階から聞えることがあった。或る時、ちょっと注意を惹かれるふしがあって、私は例の竹垣を跨ぎ越し、市木さんの庭にはいってゆき、二階の下に佇んだ。市木さんは高い声で読んでいた。

聞いているうちに、私にもすぐに分った。それは、私が書いた童話だったのである。

場所はどこでもよいが、まあ西洋のつもりである。その或る所に、むかし、羊飼いの少年がいて、石ころでも何でも金貨にしてしまう不思議な皮袋を手に入れ、それを持って、都を見物に出かけました。幾日かの旅の後、都に着きました。大きな立派な家が立ち並び、人がぞろぞろ通っていました。夕方になると、一面に灯がともり、美しく着飾った人が多くなりました。少年は、腹がすいていましたので、ある立派なホテルにはいってゆきました。すると、白い服を着た男がいて、少年のみすぼらしい服装を見て、言いました。「ここは、お前さんのような者の来るところではない。食事がしたいのなら、ほかをたずねてごらん。」少年は外へ出て、も一つの立派なホテルにはいってゆきますと、また同じことを言われました。少年は外へ出て、ぼんやり歩いてゆきました。大きな川のふちに出て、その少し先の薄暗い広場に、小さな噴水がありました。きたない身なりをした老人が、噴水の水を飲んでいました。少年は尋ねました。「その水は、誰でも飲んでいいのですか。」老人は答えました。「飲んでいいとも。だが、うまい水ではないよ。」その水を、少年はうまそうに飲みました。それから、立派なホテルから追い出された話をしますと、老人は笑って言いました。「それは、そうしたもんだよ。」それで少年は、皮袋から金貨を出して見せて、何か食べさせてくれるところはあるまいかと尋ねました。老人はびっくりして、そんな金貨があれば食事はどこでも出来ると言いました。それで、少年はその老人を誘い、また腹のすいてる人たちをたくさん誘って、ある小さな料理屋へ行き、みんなで楽しく食事をしました……。

その少年の名前がエキモスというので、私にはすぐ自分の作品だと分った。長い童話の一節で、だいたい右のような話だった。市木さんはそれを信吾に読んできかせてるに違いなかった。親子というよりは寧ろ祖父と孫とのような二人が、電燈の明りの下に寄り添ってる情景が、私の頭に映った。そしてふっと、立ち聞きしたのが悪かったという気持ちになり、足音をぬすんで家に帰った。

だが、その童話を私の作品だと市木さんが知らない筈はなかった。知っていて黙っていたのである。其後も、私は自分の童話については黙っていたが、市木さんの方からも何とも言い出さなかった。

この童話の件のような外的な事柄については、市木さんは別に隠し立てをするというわけではなかったろうが、ひどく物ぐさな無口だった。その代り、内心の考えを私に打明けることは多くなった。

或る夕方、市木さんは路傍の草原に腰を落ちつけ、両足を前方に投げ出して、夕陽を眺めていた。スケッチブックを突っ込んだ竹籠を肩にかけ、太い杖をわきに置き、杖のそばには瓢箪が一つ転がっていた。見馴れないその瓢箪が、なんだか薄くなったような長髪と共に、妙にうらぶれた印象を私に与えた。

私は歩み寄って、遠慮なく声をかけた。

「あなたの持ち物に、瓢箪が一つ殖えましたね。」

市木さんは私の方を仰ぎ見て、半端な笑みを浮べた。

「酒がはいってる時は可愛いが、酒がなくなるとつまらなくなりますなあ。」

私はなんとなくそこに屈みこんだ。焼跡の草原で、コンクリートや煉瓦の破片がごろごろしていた。

西空には低く、真黒な雲が重畳していて、その上縁がぎらぎら輝き、その少し上方の深い青空に、太陽がぽかりと浮き出し、銀盆となってぐるぐる回転していた。太陽の方が雲に没するか、雲の方が太陽を覆い隠すか、どちらになるとも分らない状況で、見ていると眼が昏みそうだった。

「スケッチなさらないのですか。」

「いや、とても。」

それきり言葉は途切れた。雲の方がだんだん低くなり、太陽との間が大きくなってゆくようだった。

暫くたってから、市木さんはふいに言いだした。

「へんなことを思い出しましたよ。」

川の水面の渦のことだった。幼い頃、田舎で、渦をじっと眺めていたことがあった。堰のあたりなど、下方に水の漏れる穴でもあったのか、満々と湛えた水面に、大きな渦が巻いていた。周辺はゆるやかな動きだが、それが次第に速くなり、中心に近づくほど急激に回転して凹み、深い穴となって、きゅーっきゅーっと巻き込んでいた。草の葉など投げ込んでみると、初めはゆっくりと遠廻りをし、次第に速い狭い円弧を描き、しまいには中心の凹みに落ち込んで、忽ち吸い込まれてしまった。その渦を眺めていると、身の引き緊る思いがするのだった。

そういうことは私にも、子供の頃に覚えがあった。

「だが、それを今はっきり思い出してみると、違った意味に取れますなあ。つまり、違った感じになるんです。渦は渦ですが、人の心理の渦、それから社会的な渦、そういうものがはっきり見えてきますよ。」

市木さんの表現は簡単でそして特殊であって、私にも充分には理解しにくかったが、要するに次のようなことらしかった。即ち、人間の心理にも一種の渦巻があって、その中心に落ち込んではもうどうにもならない。社会的な関係に於ても一種の渦巻があって、その中心に落ち込んではもうどうにもならない。人はいつも危険な渦巻の崖縁に立ってるようなものである……。

「だから、わたしは用心しております。」

市木さんの用心とは、つまり、孤独な精神と生活とを守ることにあったらしく、そしてその孤独を守るために、市木さんはあらゆる交渉や関係を断ち切ろうとしてるらしく、私には推定された。

然し、その時受けた私の印象からすれば、市木さんは自分の考えを私に訴えることよりも、寧ろ、無意識的にせよ、私になにか教訓を垂れるつもりだったようでもある。私の錯覚だったろうか。

夕陽を眺めながら、渦巻の話をし、そして二人は立ち上った。途中は黙々として、そのまま別れた。

ところが、それからまだ大して経たないうちに、困ったことになった。

近所の一区劃だけ合同して、便所を水洗式に改造しようとの議が起った。これは当局からも奨励されたことであり、某請負人が奉仕的に事に当るとの由だった。この奉仕的というのについては、陰に或る不正が存在するとの噂もないではなかったが、まあだいたい衆議はまとまりかけた。表の大きな街路には下水道が完成していたから、それに通ずる土管を地下に設ければよかった。一区劃といっても、二十戸ばかりのもので、そして小さな家が多かったから、費用は一戸当り六千円から一万五千円程度でよかった。ただ住宅所有者や借家居住者が入り交っており、同居人もあり、借家の家主もまちまちだったので、費用は各戸の世帯主が負担するという立前になった。それについては、区劃内に比較的大きな家屋を持っていて、費用も別格となっている平野さんから、一時払いに難渋なひとには、金を立替えておくから月賦で返済して貰えばよいと、好意ある申し出があった。

それで、だいたいきまりかけたが、故障が一つあった。市木さんが承諾しなかったのである。最初から不服なので、後廻しにしたのだが、やはり承諾しなかった。嫌だという一言の返事だけで、相談のしようもなかった。もっとも、その一軒だけを飛ばして工事することも出来たが、折角足並の揃いかけたところだし、全部まとまるものならまとめたかったし、また、その一例によって、不服を言い出す者が他に出て来ないとも限らなかった。

そのことのため、近所の世話役とも言える人柄の竹田さんが、私のところへ頼みに来た。

「市木さんと懇意なのは、まあ、近所であなた一人だし、なんとか骨折ってみて下さいませんでしょうか。」

便所改造のことについては、私も承諾者の一人だったし、市木さんが不承知の旨も薄々は聞いていた。然し、市木さんを説得することは無理なような気がした。私は断りたかった。それを押っ被せるように、竹田さんは余事をべらべら饒舌り立て、私の返事も待たず匇々に帰って行った。

私は仕方なく、まあ一度は市木さんに話してみることにした。

例の竹垣を跨ぎ越して、市木さんのところに行き、声をかけてみると、二階から返事があった。これはいけない、今は誰にも逢いたくないと言われるのかな、と思っていると、市木さんは二階から顔を出して、構わないから上りなさいとの言葉だった。

弘子さんの葬式の前後、私は二階へ通ったこともあるし、勝手は知っていた。

縁側から上ってゆき、ちらと眼をやると、座敷には布団が敷いてあった。少しく軋る階段を上ってゆくと、二階の室にも布団が敷いてあった。市木さんはそこの縁側に足を投げ出して足首を揉んでいた。傍には繃帯が散らかっていた。

「どうかなすったんですか。」

「なあに、足首をちょっと捻挫しましてね。」

市木さんは足首を丹念に揉み、それからイヒチオールを塗り、油紙をあてて繃帯をした。

その間、私は煙草をふかしながら、室内をぼんやり眺めた。葬式の時と少しも変っていなかった。壁には木炭や鉛筆の風景スケッチが幾枚か鋲でとめられていた。中型の書棚には書物が並んでいて、物理や幾何や天文などに関する本と、哲学の本や童話の本が、妙な取り合せで並んでいた。大きな机には、大判の罫紙や白紙が積み重っていて、さまざまな線が縦横に引かれており、たぶん市木さんの特殊な研究用のものだろうが、何の研究だかは私には分らなかった。市木さんの不干渉主義とでも言えるものに、私はいくらか感染していたわけではないが、少くとも市木さんに向っては、何の研究ですかなどとは尋ね難く、市木さんの方でも黙っているのだった。

市木さんは足首の手当をすますと、そこらを丁寧に片付けて、私にウイスキーを勧め、自分でも飲んだ。

「足が不自由なものですから、肴は何もありませんよ。」

「いえ、結構です。でも、御不自由でしょう。」

「なあに大したことはありません。寝たり起きたり、ぶらぶらしておりますよ。面白いことには、昼間は二階に寝てる方が気持がいいし、夜分は下に寝てる方が気持ちがいいし、へんなものですなあ。」

そんな話をしながら、私はまた、先般の竹垣の件と同様、水洗便所の件も早く片付けたくなった。どうも、何か用件を持っていると、それを片付けないうちは、市木さん相手には落着けないのだった。先方があまり落着きすぎてるせいかも知れなかった。

私は率直に、竹田さんから頼まれたことを話し、水洗便所の件を切り出した。市木さんはちらと眉根を寄せてから、事もなげに言った。

「あれはいけませんな。日本の電燈は、停電するように出来ている。日本の水道は、断水するように出来ている。日本の道路は、躓いて転ぶように出来ている。だから、わたしのこの足のような始末です。水洗便所の不始末は、足首と違って、手がつけられませんからな。だから、わたしは断りましたよ。」

市木さんの意向こそ、決定的で、手がつけられない感じだった。私はそれで役目を果したつもりで、二度と話し出さないことにした。

しばし間を置いて、市木さんはふいに言った。

「いったい、ひとの家のことをあれこれ干渉する根性がいけませんよ。こんど竹田さんが来たら、そう言ってやりましょう。」

そういう点になると、私はなお自分の意見を持ち出しかねた。実は、市木さんの足の捻挫を知った時、妻に煮物でもさせて持って行かせようかと咄嗟に思ったのだが、それも余計な干渉だと言って怒られそうな気がした。

私は市木さんの孤独主義に感嘆しながら、眼の前に投げ出されてるその足先を痛ましく眺めた。繃帯ごしに見ても、だいぶ大きく脹れ上ってるのが分った、ばかりでなく、脛のあたりにもなんだか軽い浮腫があるようにも思えた。

市木さんはウイスキーのグラスを挙げながら、私の視線に気付いたらしく、脛を叩いた。

「少し浮腫もあるでしょう。腎臓がわるいのかも知れませんな。」

「医者にお診せなすったんですか。」

「いや、医者なんか役に立ちはしませんよ。癒るものなら、しぜんに癒るし、癒らないものなら、しぜんに死ぬだけのことですからな。」

むちゃな理窟ではあるが、然し、市木さんにとってはそれが信念にまでなってるらしかった。だから、腎臓がわるいかも知れないと思っても、ウイスキーなんか平気で飲めたのであろう。酒の相手など長くしていてはいけないと思って、私は程よく辞し去った。市木さんは引留めはしなかったが、びっこひきながら、階段を降りて下の縁側まで見送ってくれた。

私は暗い気持ちになった。

然し、その気持ちもやがて晴れた。一ヶ月ばかり経つと、市木さんの足の捻挫はすっかり回癒し、腎臓の故障もなかったらしく、以前の通り元気になった。

それにしても、その健康はいつまで持続するであろうか。たしかに独自な精神のひとではあるが、所詮は近代人でない市木さんのことが、私は案じられてならなかった。

――市木さんは現在まだ生きている。

底本 / Source edition

底本:「豊島与志雄著作集 第五巻(小説5[#「5」はローマ数字、1-13-25]・戯曲)」未来社
1966(昭和41)年11月15日第1刷発行
初出:「世界」
1952(昭和27)年3月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:tatsuki
校正:門田裕志、小林繁雄
2007年2月23日作成
青空文庫作成ファイル:
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TEI
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プレーンテキスト / Plain text
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書誌 / Bibliography
/works/042675_000906/

豊島 与志雄「絶縁体」(新字新仮名)、底本『豊島与志雄著作集 第五巻(小説Ⅴ・戯曲)』未来社、1966年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 042675_000906, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

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