Soranoha

情意の干満

じょういのかんまん

豊島 与志雄

海の潮にも似たる干満を、私は自分の情意に感ずる。

*

書物を読み、絵画を見、音楽を聴き、人の話に耳を傾け……而もそれが如何に平凡なものであろうとも、一つの句、一つの色、一つの音、一つの声が、全体の凡庸愚劣卑俗から遊離し昇華して、私の心を打つ。私には全体の見通しがつかず、独立した個々の一部が、偉大なる天才の手に委ねられて、万華鏡の硝子の破片のように――ダイヤのように――閃めく。言葉を信ずべからず、如何なる人の口より発せられたるかを先ず批判せよ、とは真理であるが、ここにはその真理は成り立たない。凡てが誠実の口から発せられる。私の魂は皮膚を剥がれた赤肌である。私は屡々涙ぐんでいる自分をさえ見出す。こういう時私は、批評家ではない。唾棄すべきものをも感嘆するからである。猶更、創作家ではない。反故以下のものをも書きちらすからである。こういう時私は、生活を考えてはいけない。皮相な妥協に甘んずるからである。猶更、社会を考えてはいけない。感傷的な人道主義に陥るからである。私の凡ての精神活動は涙で曇らされる。この涙の曇りを、私はルーソーに見出す。ドストエフスキーに見出す。ルイ・フィリップに見出す。ニイチェにさえも、否大抵の人に多少とも……。そして私の眼には、通俗版画のなかの、キリストを仰ぎ見る使徒たちの眼付が、まざまざと映ってくる。ああいう眼付で彼等はキリストを眺めた筈はない。然し今私は、それに似た眼付で凡てのものを眺める。

情意の干潮の時なのだ。

恋人よ、私は君のことを考える。君のやさしい目差しを、君の微笑みを、君の温かい息を、更に、君の存在のなつかしい香りを……。それが、曇り日の夜明の色とぬるま湯の感触とを帯びて、拡がり拡がり、私の世界を包んでしまう。私の周囲に深く立ち罩め、私の視線を遮ぎり、私の心の奥底にしみこんでくる。書を読む私の眼はいつしか空間に放たれ、物を書く私の手はいつしか机上に置き忘れられて、私はぼんやり君のことを夢みている。夢想のなかの君が現実であるか仮象であるか、私は知らない。何れにせよ、私にとっては、君であることに変りはない、君の存在であることに変りはない。無数の思い出と予想とが、空想の自由さと柔軟さを以て浮んでくる。私はそのなかを夢遊病的に彷徨し、催眠状態で君を見戍る。自ら気付いて驚き覚むることもあるけれど、それは瞬時の隙間で、また君の「色香」に包まれる。言葉からあらゆる慣習の衣を剥ぎ取り原始的赤裸に還元した意味での、君の「色香」に……。斯く君をのみ想うことを、恋人よ、許し給え。

*

恋人よ、私はいつしか君のことを忘れている……寧ろ、君を取失っている。探せども見廻せども、君の姿は見えない。それを、漸くにして見出した時の、喜びも束の間、おう何と小さく杳かに頼りなげに、君は淡く薄らいでいくことか。思い出は色褪せ、予感はかすみ、君の色香は空焚きの香の薫りにも如かない。君の存在が私にとって、一の力であることに変りはないが、その力も今は、直接君から来るのではなくて、私が君を想うということから来るらしい。十方普遍の存在ではなくて、ただ一人の――可愛い――人間として、君は私の眼に映る。それは私のとぎれとぎれの瞬間を満すだけで、私の心はまた他の方へ向いている。為すべき仕事が多く、考うるべき事柄が多く……私は忙しくて熱に浮かされている。強いて君のことを想えば、何となく心がてれて、気恥しい思いがする。愛に変りはないけれど、愛は今、影のなかに、カーテンの奥に、静かに垂れ籠めている。君よ安らかなれ、と私が斯く遙かに云うのを、恋人よ、許し給え。

情意の満潮の時なのだ。

何を読んでも、何を聴いても、何を眺めても、一切が悉く低劣卑賤に思われる。部分的な美は、全体の醜のなかに呑みこまれる。傑れた思想や作品にめぐり逢っても、畢竟、斯かるものでこの人生を如何せんやという思いが強い。私は人生のことを考えるのである。人間の生活、その悲惨や桎梏や欲望や希望、その現実と理想とを、私は考えるのである。直接的なもの現実的なものと、間接的なもの理想的なものとの乖離が、不安な焦慮を齎す。現在に対して絶望が頭をもたげ、未来に対して信念が薄らぐ。斯かる一切のものが何の役に立つか。強力な実践的なものが必要なのだ。宝石の光は巖石の重量に及ばない。本日天気晴朗なれども波高し、というのが日本海軍の海戦記の常套語だと聞く。私の心中も、本日天気晴朗なれども波高し。こういう時私は、批評家ではない。珠玉をも瓦礫のなかに蹴やるからである。猶更、創作家ではない。思いあがった浮薄な文字を羅列するか、或は凡てが無意義に思えるからである。こういう時私は、社会を考えてはいけない。ニヒリズムか或はファシズムに陥り易いからである。私の魂は総毛を逆立てている。私の精神活動は熱で曇らされて、明晰な観照を妨げられる。この熱の曇りを、私はトルストイに見出す、バルブュスに見出す。マルクスにさえも、否、大抵の人に多少とも……。そして私は、クロポトキンのあの精神的温容を想う。民衆を眺めるキリストの温眼を想う。

*

さらば如何なる時に、私は批評家となり、殊に、創作家となり得るのか。ポール・ヴァレリーは云う――「赤裸な思想情緒は、赤裸な人間と同様に弱い。衣を着せなければならない。」誰が、何が、そして如何なる時に、私の情意に衣を着せてくれるのか。――私は赤裸を好む。その赤裸は、感冒を知らない原始人の強靭な皮膚を持つ赤裸である。何物が私にその皮膚を与えてくれるのか。

恋人よ、君と二人きりで海岸をそぞろ歩きした時のことを、私は思い出す。空は蒼く冴え返り、太陽の光は一面の白布となって大地に展べていた。晩秋の真昼。潮は満つともなく引くともなく、深々と湛えて、水平線の彼方の沖から、冷かな微風が渡ってくる。その微風の方へ、渚の漣の音楽に耳を貸しながら、私達は眼をやっていた。そのまま肉体が融け初めて、精神が地上のものを運びつつ、虚空へ大きく拡がりゆく気配……。その時ふと、私達は眼を見合った。「幸福を地上に……。」と――私達はその瞬間不幸ではなかったが――互の眼が囁く、私は君の心を求め、君は私の心を求めて……。あの瞬間を、恋人よ、忘れないようにしようではないか。

情意の深淵を、私は想う。

底本 / Source edition

底本:「豊島与志雄著作集 第六巻(随筆・評論・他)」未来社
1967(昭和42)年11月10日第1刷発行
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2006年4月24日作成
2008年9月17日修正
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書誌 / Bibliography
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豊島 与志雄「情意の干満」(新字新仮名)、底本『豊島与志雄著作集 第六巻(随筆・評論・他)』未来社、1967年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 042526_000906, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

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