Soranoha

最近の菊池寛氏

さいきんのきくちかんし

豊島 与志雄

――菊池君は屡々瞬きをする。人の云った言葉に対して、自分の云った言葉に対して、または周囲の事物に対して、心のうちに何等かの愛情が動く時、あの眼鏡の奥の、小さな底深い可愛いい眼が、ぱっぱっと瞬きをする。一体、人の感情の動きは、口許の陰影や、頬の筋肉や、顔の色や、眼の輝きなどに、現われることが多いものであるが、菊池君に於ては、最も多く――と云うより寧ろ唯一に、眼の瞬きとなって現われるようである。云い換えれば、菊池君の感情は、その眼瞼の運動神経と、最も直接の関係連絡を持ってるようである。

――菊池君は人と話をする時、相手の顔を見ることが最も少い。議論や問答の間に於てさえ、菊池君の眼は相手の顔に注がれずに、況んや相手の眼には猶更注がれずに、何処かわきの方に、多くは斜め下の方に、ぼんやり向けられてることが多い。菊池君が傲慢だとか横柄だとか思われることがあるのは、こういう所から来る誤解も手伝ってると思う。然し考えてみると、相手の顔や眼をじっと見ながら口を利く方が、よっぽど傲慢で横柄であるかも知れない。但し、菊池君の眼はわきに向けられてることが多いけれど、それはただぼんやりわきに向いてるだけで、極り悪がって足下を見てるのとは違って、実は一方では相手の顔付や様子を見てるのかも知れない。そういう二重の働きをしてるとすれば、菊池君の眼もまた偉なる哉である。

――菊池君の声は、多分に女性的な響きを持っている。所がこの女性的な響きは、自己弁護――と云っては大袈裟だが、だって君それは……という程度の弁辞的口実を口にする時に出て来る。一歩転じて、堂々と所信を披瀝する時や、相手の所論を強く攻撃する時などには、その女性的な響きが、張り切った鋭い矢音となる。之を云い換えれば、菊池君の声の響きは、感情の色合を多分に現わしている。

――菊池君は卒直である。何等の掛引なしに、事物を正面からじかに眺めて、じかに物を云う人である。自分が無名作家であれば、その無名作家たるの地位をはっきり認め、無名作家として物を云い、自分が文壇の大家であれば、その大家たるの地位をはっきり認め、大家として物を云う。其処には、自負や謙譲がはいり込む余地はない。この意味で、菊池君は卒直なレアリストである。そして、自分自身に対しても卒直なレアリストである菊池君が、他人に対してもそうであるのは云うまでもない。この男は無名作家だ、この男は中堅作家だ、この男は一流の大家だと、文壇の者共にはっきり折紙をつけるのは、菊池君にして初めて出来得ることである。

――菊池君は聡明である。多くの人が、菊池君の作品を常識的だと云い、或は常識の裏だと云うが、この常識的だという感じや、常識の裏だという感じは、聡明な心の反映である。特殊な感情や特殊な雰囲気は、聡明な魂にとっては、結局特殊に過ぎなくて、一歩堕すれば痴人の夢となる。尋常なものを尋常な眼で最もよく見て取ること、それが聡明な心の働きである。そして、尋常なものを尋常な眼で最もよく見て取る所に、力強い把握力が生れ、普遍性が生れる。

以上五つの印象をよせ集めると、菊池寛の縮図が出来る。この縮図を拡大して巨大なものにしたのが、実物の菊池寛である。

底本 / Source edition

底本:「豊島与志雄著作集 第六巻(随筆・評論・他)」未来社
1967(昭和42)年11月10日第1刷発行
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2005年12月7日作成
青空文庫作成ファイル:
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書誌 / Bibliography
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豊島 与志雄「最近の菊池寛氏」(新字新仮名)、底本『豊島与志雄著作集 第六巻(随筆・評論・他)』未来社、1967年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 042472_000906, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

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