Soranoha

ステッキ

ステッキ

寺田 寅彦

初めは四本足、次に二本足、最後に三本足で歩くものは何かというなぞの発明された時代には、今のように若い者がステッキなどついて歩く習慣はなかったものと思われる。杖つえがつきものになっている魔法使いはたいていばあさんかじいさんであるが、しかし彼らの杖はだいぶ使用の目的が違っていて、孫悟空そんごくうのなんとか棒と同様にきわめて精巧な科学的内容をもっていたものと思われる。シナの仙人せんにんの持っていた杖は道術にも使われたであろうが、山歩きに必要な金剛杖こんごうづえの役にも立ったであろう。羊飼いは子供でも長い杖を持っているが、あれはなんの用にたつものか自分は知らない。牧羊者の祖先が山地の住民であったためか、それとも羊を追い回しおおかみでも追い払うために使われたものか、ともかくもいわゆるステッキとはだいぶちがったものである。それから雲助の息杖いきづえというものがある、あれの使用法などは研究してみたらだいぶおもしろそうなものであるが、今日では芝居か映画のほかには山中へ行かなければ容易に見られないものになった。あれも現代におけるステッキの概念にはあてはまらないもので、昔の交通機関としての山駕籠やまかごという機械の部分品と考えるべきものであろう。

自分たちの子供の時分には、田舎いなかのおばあさんというものは、大概腰のところでからだが百二十度ないし九十度ぐらいに折れ曲がっていたもので、歩くにはどうしても杖を第三の足にしないと重力に対するつりあいがとれなかったものである。実に悲惨な格好をしていたものであった。木枯らしの吹くたそがれ時などに背中へ小さなふろしき包みなど背負ってとぼとぼ野道を歩いている姿を見ると、ひどく感傷的になってわあっと泣き出したいような気持ちになったものである。もういっそう悲惨なのは田んぼ道のそばの小みぞの中をじゃぶじゃぶ歩きながら枯れ木のような足に吸いついた蛭ひるを取っては小さなもめんの袋へ入れているそういうばあさんであった。こうして採集した蛭を売って二銭三銭の生活費をかせいでいたのである。思い出すだけでも世界が暗くなるくらいで、杖つえという杖の中でもこういうばあさんの杖などは最もみじめな杖であろう。 

親類のじいさんで中風ちゅうぶうをしてから十年も生きていたのがあった。それが寒い時候にはいつでも袖無そでなしの道服を着て庭の日向ひなたの椅子いすに腰をかけていながら片手に長い杖を布切れで巻いたのを持って、そうしていつまでもじっとしたままで小半日ぐらいのあいだ坊主頭を日に照らしていた。あたまの上にはたいてい蠅はえが一匹ぐらいとまっていた。そういう夢のような幼時の記憶があるが、このように腰をかけながらついている杖などは杖としての珍しい用途であろう。力学的に考えるとやはりからだの安定を保つために必要な支柱の役をしていたに相違ない。

しかしこういうあらゆる杖に比べると、いわゆるステッキほどわけのわからない品物はないと思われる。屈強の青壮年が体重をささえるために支柱とするはずはないからである。もっとも銀座アルプスのデパートの階段などを上る時は多少の助けになるかもしれないが、そういう時でも彼らは必ずしもステッキの先端を床に触れているとは限らないのである。

西洋でいつのころから今のようなステッキが行なわれだしたものか知らないが、ロココの時代には貴婦人がたがリボン付きの長い杖をついている絵がある。またそのころのやさ男が粉をふりかけた鬘かずらのしっぽをリボンで結んで、細身のステッキを小脇こわきにかかえ込んで胸をそらして澄ましている木版絵などもある。とにかくあのころ以後はずっと行なわれて今日に至ったものであろう。いずれにしても人間がみんな働くのに忙しくて両方の手がいつもふさがっているような時代には全然用のないものであったに相違ない。人間の社会生活が進歩した結果として、何もしないで楽に遊んでいられる人間が多数に存在するようになると、今まで使っていた手が暇になって、全く言葉どおりに手持ちぶさたを感じる。そうかといって太平のシャンゼリゼーの大通りやボアの小道を散歩するのに、まさか弓矢や人殺し用の棍棒こんぼうや台所用のパン棒を携えるわけにも行かないから、その代わりに何かしら手ごろな棒きれを持つことになったのではないかとも想像される。とにかく昔のシナでは杖つえの字は「持」の字と同じで手に持つものならなんでも「杖」であったらしい。

しかし、太平の世の中でもまれには都大路に白昼追いはぎが出たり、少し貸してくれなどという相手も出現するから、そういう時にはこれがたちまちにして原始民時代の武器として甦生そせいするという可能性も備えているのである。実際自分らの子供の時分に自由党のけんかの頻繁ひんぱんであったころは鍬くわの柄をかつぎ回ったりまたいわゆる仕込み杖という物騒なステッキを持ち歩くことが流行して、ついには子供用のおもちゃの仕込み杖さえできていたくらいである。西洋でも映画「三文オペラ」の親方マッキ・メッサーがやはり仕込み杖を持っているのである。

とにかく、他に実務的な携帯品があったのでは、せっかくのステッキもただのじじむさい杖になってしまう。よごれた折り鞄かばんなどを片手にぶらさげてはいけないのである。やはり全く遊ぶよりほかに用のない人がステッキ、そうしてステッキだけをかかえていないと板につかないようである。ゴルフのなんとかいうあの棒などもそうである。歴史は繰り返すとすれば今に貴婦人たちやモガたちが等身大のリボン付きのステッキにハンドバッグでもつるしたのを持って銀座を歩くようになるとおもしろい見物みものであろう。

ついでながら、桿状菌かんじょうきんバクテリアの語源がギリシア語のステッキであるのはちょっとおもしろい。病魔のステッキが体内をあばれ回るのである。

日本で製造して売っている金具付きのステッキはみんな少し使っていると金具がもげたり、はじけたり、へこんだりしてだめである。ここ数年来の経験でこの事実を確かめることができた。もっともステッキに限らず大概の国産商品がそうであり、ちゃんとした器械類でさえも長持ちのするのは珍しい。ステッキが用のない人のぜいたく品ならば、なるべく早くいけなくなって、始終新しく取り換えるほうがいいかもしれない。実際新しいステッキを買うとあと一週間ぐらいは勉強ができるという人もいるくらいである。しかし国産の時計や呼び鈴などのすぐ悪くなるのは全く始末が悪く日本の名誉のために情けなくなる。 

年を取るとやはり杖つえが役に立つ。毎日あがる階段で杖の役に立つ程度によってその日のからだのぐあいのよしあしがわかる。健康のバロメーターになる。字引きで見ると杖の字は昔は尺度の意味であったという話があるから、昔もやはりメーターの一種であったのである。(昭和七年十一月、週刊朝日)

底本 / Source edition

底本:「寺田寅彦全集 第六巻」岩波書店
1961(昭和36)年3月7日第1刷発行
初出:「週刊朝日」
1932(昭和7)年11月号
入力:Cyobirin
校正:佳代子
2003年10月2日作成
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書誌 / Bibliography
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寺田 寅彦「ステッキ」(新字新仮名)、底本『寺田寅彦全集 第六巻』岩波書店、1961年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 033198_000042, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

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