一、ペンネンネンネンネン・ネネムの独立

〔冒頭原稿数枚焼失〕のでした。実際、東のそらは、お「キレ」さまの出る前に、<ruby><rb>琥珀</rb><rt>こはく</rt></ruby>色のビールで<ruby><rb>一杯</rb><rt>いっぱい</rt></ruby>になるのでした。ところが、そのまま夏になりましたが、ばけものたちはみんな<ruby><rb>騒</rb><rt>さわ</rt></ruby>ぎはじめました。

そのわけ〔十七字不明〕<span data-tei-rend="bosen 傍線 right" style="text-decoration-line: underline; text-decoration-style: solid">ばけもの麦</span>も一向みのらず、大〔六字不明〕が咲いただけで一つぶも実になりませんでした。秋になっても全くその通〔七字不明〕<ruby><rb>栗</rb><rt>くり</rt></ruby>の木さえ、ただ青いいがばかり、〔八字不明〕<ruby><rb>飢饉</rb><rt>ききん</rt></ruby>になってしまいました。

その年は暮れましたが、次の春になりますと飢饉はもうとてもひどくなってしまいました。

ネネムのお父さん、森の中の青ばけものは、ある日頭をかかえていつまでもいつまでも考えていましたが、急に起きあがって、

「おれは森へ行って何かさがして来るぞ。」と<ruby><rb>云</rb><rt>い</rt></ruby>いながら、よろよろ家を出て行きましたが、それなりもういつまで待っても帰って来ませんでした。たしかにばけもの世界の天国に、行ってしまったのでした。

ネネムのお母さんは、毎日目を光らせて、ため息ばかり<ruby><rb>吐</rb><rt>つ</rt></ruby>いていましたが、ある日ネネムとマミミとに、

「わたしは野原に行って何かさがして来るからね。」と云って、よろよろ家を出て行きましたが、やはりそれきりいつまで待っても帰って参りませんでした。たしかにお母さんもその天国に呼ばれて行ってしまったのでした。

ネネムは小さなマミミとただ二人、寒さと<ruby><rb>飢</rb><rt>う</rt></ruby>えとにガタガタふるえて<ruby><rb>居</rb><rt>お</rt></ruby>りました。

するとある日戸口から、

「いや、今日は。私はこの地方の飢饉を<ruby><rb>救</rb><rt>たす</rt></ruby>けに来たものですがね、さあ何でも<ruby><rb>喰</rb><rt>た</rt></ruby>べなさい。」と云いながら、一人の目の<ruby><rb>鋭</rb><rt>するど</rt></ruby>いせいの高い男が、大きな<ruby><rb>籠</rb><rt>かご</rt></ruby>の中に、ワップルや<ruby><rb>葡萄</rb><rt>ぶどう</rt></ruby>パンや、そのほかうまいものを<ruby><rb>沢山</rb><rt>たくさん</rt></ruby>入れて入って来たのでした。

二人はまるで籠を引ったくるようにして、ムシャムシャムシャムシャ、沢山喰べてから、やっと、

「おじさんありがとう。ほんとうにありがとうよ。」なんて云ったのでした。

男は大へん目を光らせて、二人のたべる<ruby><rb>処</rb><rt>ところ</rt></ruby>をじっと見て居りましたがその時やっと口を開きました。

「お前たちはいい子供だね。しかしいい子供だというだけでは何にもならん。わしと<ruby><rb>一緒</rb><rt>いっしょ</rt></ruby>においで。いいとこへ連れてってやろう。<ruby><rb>尤</rb><rt>もっと</rt></ruby>も男の子は強いし、それにどうも<ruby><rb>膝</rb><rt>ひざ</rt></ruby>やかかとの骨が固まってしまっているようだから仕方ないが、おい、女の子。おじさんとこへ来ないか。一日いっぱい葡萄パンを喰べさしてやるよ。」

ネネムもマミミも何とも返事をしませんでしたが男はふいっとマミミをお<ruby><rb>菓子</rb><rt>かし</rt></ruby>の籠の中へ入れて、

「おお、ホイホイ、おお、ホイホイ。」と云いながら<ruby><rb>俄</rb><rt>にわ</rt></ruby>かにあわてだして風のように家を出て行きました。

何のことだかわけがわからずきょろきょろしていたマミミ〔一字不明〕、戸口を出てからはじめてわっと泣き出しネネムは、

「どろぼう、どろぼう。」と泣きながら<ruby><rb>叫</rb><rt>さけ</rt></ruby>んで追いかけましたがもう男は森を<ruby><rb>抜</rb><rt>ぬ</rt></ruby>けてずうっと向うの黄色な野原を走って行くのがちらっと見えるだけでした。マミミの声が小さな白い三角の光になってネネムの胸にしみ<ruby><rb>込</rb><rt>こ</rt></ruby>むばかりでした。

ネネムは泣いてどなって森の中をうろうろうろうろはせ歩きましたがとうとう<ruby><rb>疲</rb><rt>つか</rt></ruby>れてばたっと<ruby><rb>倒</rb><rt>たお</rt></ruby>れてしまいました。

それから何日<ruby><rb>経</rb><rt>た</rt></ruby>ったかわかりません。

ネネムはふっと目をあきました。見るとすぐ頭の上のばけもの栗の木がふっふっと湯気を<ruby><rb>吐</rb><rt>は</rt></ruby>いていました。

その幹に鉄のはしごが両方から二つかかって二人の男が登って何かしきりにつなをたぐるような<ruby><rb>網</rb><rt>あみ</rt></ruby>を投げるようなかたちをやって居りました。

ネネムは起きあがって見ますとお「キレ」さまはすっかりふだんの様になっておまけにテカテカして何でも今朝あたり顔をきれいに<ruby><rb>剃</rb><rt>そ</rt></ruby>ったらしいのです。

それにかれ草がほかほかして<span data-tei-rend="bosen 傍線 right" style="text-decoration-line: underline; text-decoration-style: solid">ばけものわらび</span>などもふらふらと生え出しています。ネネムは飛んで行ってそれをむしゃむしゃたべました。するとネネムの頭の上でいやに平べったい声がしました。

「おい。子供。やっと目がさめたな。まだお前は飢饉のつもりかい。もうじき夏になるよ。すこしおれに手伝わないか。」

見るとそれは実に立派なばけもの<ruby><rb>紳士</rb><rt>しんし</rt></ruby>でした。<ruby><rb>貝殻</rb><rt>かいがら</rt></ruby>でこしらえた<ruby><rb>外套</rb><rt>がいとう</rt></ruby>を着て<ruby><rb>水煙草</rb><rt>みずたばこ</rt></ruby>を片手に持って立っているのでした。

「おじさん。もう飢饉は過ぎたの。手伝いって何を手伝うの。」

「<ruby><rb>昆布</rb><rt>こんぶ</rt></ruby>取りさ。」

「ここで昆布がとれるの。」

「取れるとも。見ろ。折角やってるじゃないか。」

なるほどさっきの二人は一生けん命網をなげたりそれを<ruby><rb>繰</rb><rt>く</rt></ruby>ったりしているようでしたが網も糸も一向見えませんでした。

「あれでも昆布がとれるの。」

「あれでも昆布がとれるのかって。いやな子供だな。おい、<ruby><rb>縁起</rb><rt>えんぎ</rt></ruby>でもないぞ。取れもしないところにどうして工場なんか建てるんだ。取れるともさ。現におれはじめ沢山のものがそれでくらしを立てているんじゃないか。」

ネネムはかすれた声でやっと

「そうですか。おじさん。」と云いました。

「それにこの森はすっかりおれの森なんだからさっきのように勝手にわらびなんぞ取ることは<ruby><rb>疾</rb><rt>と</rt></ruby>うに差し止めてあるんだぞ。」

ネネムは大変いやな気がしました。紳士は又云いました。

「お前もおれの仕事に手伝え。一日一ドルずつ手間をやるぜ。そうでもしなかったらお前は飯を食えまいぜ。」

ネネムは泣き出しそうになりましたがやっとこらえて云いました。

「おじさん。そんなら<ruby><rb>僕</rb><rt>ぼく</rt></ruby>手伝うよ。けれどもどうして昆布を取るの。」

「ふん。そいつは<ruby><rb>勿論</rb><rt>もちろん</rt></ruby>教えてやる。いいか、そら。」紳士はポケットから小さく<ruby><rb>畳</rb><rt>たた</rt></ruby>んだ<ruby><rb>洋傘</rb><rt>こうもりがさ</rt></ruby>の骨のようなものを出しました。

「いいか。こいつを延ばすと子供の使うはしごになるんだ。いいか。そら。」

紳士はだんだんそれを引き延ばしました。間もなく長さ十<ruby><rb>米</rb><rt>メートル</rt></ruby>ばかりの細い細い絹糸でこさえたようなはしごが出来あがりました。

「いいかい。こいつをね。あの栗の木に<ruby><rb>掛</rb><rt>か</rt></ruby>けるんだよ。ああ云う<ruby><rb>工合</rb><rt>ぐあい</rt></ruby>にね。」紳士はさっきの二人の男を指さしました。二人は相かわらず見えない網や糸をまっさおな空に投げたり引いたりしています。

紳士ははしごを栗の<ruby><rb>樹</rb><rt>き</rt></ruby>にかけました。

「いいかい。今度はおまえがこいつをのぼって行くんだよ。そら、登ってごらん。」

ネネムは仕方なくはしごにとりついて登って行きましたがはしごの段々がまるで針金のように細くて手や、足に<ruby><rb>喰</rb><rt>く</rt></ruby>い込んでちぎれてしまいそうでした。

「もっと登るんだよ。もっと。そら、もっと。」下では紳士が叫んでいます。ネネムはすっかり頂上まで登りました。栗の木の頂上というものはどうも実に寒いのでした。それに気がついて見ると自分の手からまるで<ruby><rb>蜘蛛</rb><rt>くも</rt></ruby>の糸でこしらえたようなあやしい網がぐらぐらゆれながらずうっと青空の方へひろがっているのです。そのぐらぐらはだんだん<ruby><rb>烈</rb><rt>はげ</rt></ruby>しくなってネネムは危なく下に落ちそうにさえなりました。

「そら、網があったろう。そいつを空へ投げるんだよ。手がぐらぐら云うだろう。そいつはね、風の中の<span data-tei-rend="bosen 傍線 right" style="text-decoration-line: underline; text-decoration-style: solid">ふか</span>や<span data-tei-rend="bosen 傍線 right" style="text-decoration-line: underline; text-decoration-style: solid">さめ</span>がつきあたってるんだ。おや、お前はふるえてるね。意気地なしだなあ。投げるんだよ、投げるんだよ。そら、投げるんだよ。」

ネネムは何とも云えず<ruby><rb>厭</rb><rt>いや</rt></ruby>な心持がしました。けれども仕方なく力<ruby><rb>一杯</rb><rt>いっぱい</rt></ruby>にそれをたぐり寄せてそれからあらんかぎり上の方に投げつけました。すると目がぐるぐるっとして、ご<ruby><rb>機嫌</rb><rt>きげん</rt></ruby>のいいおキレさままでがまるで黒い土の<ruby><rb>球</rb><rt>たま</rt></ruby>のように見えそれからシュウとはしごのてっぺんから下へ落ちました。もう死んだとネネムは思いましたがその次にもう耳が抜けたとネネムは思いました。というわけはネネムはきちんと地面の上に立っていて紳士がネネムの耳をつかんでぶりぶり云いながら立っていました。

「お前もいくじのないやつだ。何というふにゃふにゃだ。<ruby><rb>俺</rb><rt>おれ</rt></ruby>が今お前の耳をつかんで止めてやらなかったらお前は今ごろは頭がパチンとはじけていたろう。おれはお前の大恩人ということになっている。これから失礼をしてはならん。ところでさあ、登れ。登るんだよ。夕方になったらたべものも送ってやろう。夜になったら綿のはいったチョッキもやろう。さあ、登れ。」

「夕方になったら下へ降りて来るんでしょう。」

「いいや。そんなことがあるもんか。とにかく昆布がとれなくちゃだめだ。どれ<ruby><rb>一寸</rb><rt>ちょっと</rt></ruby>網を見せろ。」

紳士はネネムの手にくっついた網をたぐり寄せて中をあらためました。網のずうっとはじの方に一寸四方ばかりの茶色なヌラヌラしたものがついていました。紳士はそれを取って

「ふん、たったこれだけか。」と云いながらそれでも少し笑ったようでした。そしてネネムは又はしごを上って行きました。

やっと頂上へ着いて又力一杯空に網を投げました。それからわくわくする足をふみしめふみしめ網を引き寄せて見ましたが中にはなんにもはいっていませんでした。

「それ、しっかり投げろ。なまけるな。」下では紳士が叫んでいます。ネネムはそこで又投げました。やっぱりなんにもありません。又投げました。やっぱり昆布ははいりません。

つかれてヘトヘトになったネネムはもう何でも構わないから下りて行こうとしました。すると<ruby><rb>愕</rb><rt>おどろ</rt></ruby>いたことにははしごがありませんでした。

そしてもう夕方になったと見えてばけものぞらは緑色になり変なばけものパンが下の方からふらふらのぼって来てネネムの前にとまりました。紳士はどこへ行ったか<ruby><rb>影</rb><rt>かげ</rt></ruby>もかたちもありません。

向うの木の上の二人もしょんぼりと頭を垂れてパンを食べながら考えているようすでした。その木にも鉄のはしごがもう見えませんでした。

ネネムも仕方なくばけものパンを<ruby><rb>噛</rb><rt>か</rt></ruby>じりはじめました。

その時紳士が来て、

「さあ、たべてしまったらみんな早く網を投げろ。昆布を一<ruby><rb>斤</rb><rt>きん</rt></ruby>とらないうちは綿のはいったチョッキをやらんぞ。」とどなりました。

ネネムは叫びました。

「おじさん。僕もうだめだよ。おろしてお<ruby><rb>呉</rb><rt>く</rt></ruby>れ。」

紳士が下でどなりました。

「何だと。パンだけ食ってしまってあとはおろしてお呉れだと。あんまり勝手なことを云うな。」

「だってもううごけないんだもの。」

「そうか。それじゃ動けるまでやすむさ。」と紳士が云いました。ネネムは栗の木のてっぺんに<ruby><rb>腰</rb><rt>こし</rt></ruby>をかけてつくづくとやすみました。

その時栗の木が湯気をホッホッと<ruby><rb>吹</rb><rt>ふ</rt></ruby>き出しましたのでネネムは少し暖まって楽になったように思いました。そこで又元気を出して網を空に投げました。空では丁度星が青く光りはじめたところでした。

ところが今度の網がどうも実に重いのです。ネネムはよろこんでたぐり寄せて見ますとたしかに大きな大きな昆布が一枚ひらりとはいって居りました。

ネネムはよろこんで

「おじさん。さあ投げるよ。とれたよ。」

と云いながらそれを下へ落しました。

「うまい、うまい。よし。さあ綿のチョッキをやるぜ。」

チョッキがふらふらのぼって来ました。ネネムは急いでそれを着て云いました。

「おじさん。一ドル呉れるの。」

紳士が下の浅黄色のもやの中で云いました。

「うん。一ドルやる。しかしパンが一日一ドルだからな。一日十斤以上こんぶを取ったらあとは一斤十セントで買ってやろう。そのよけいの分がおまえのもうけさ。ためて置いていつでも<ruby><rb>払</rb><rt>はら</rt></ruby>ってやるよ。その代り十斤に足りなかったら足りない分がお前の損さ。その分かしにして置くよ。」

ネネムは実にがっかりしました。向うの木の二人の男はもういくら星あかりにすかして見ても居ないようでした。きっとあんまり仕事がつらくて<ruby><rb>消滅</rb><rt>しょうめつ</rt></ruby>してしまったのでしょう。さてネネムは決心しました。それからよるもひるも栗の木の湯気とばけものパンと見えない網と紳士と昆布と、これだけを相手にして実に十年というものこの仕事をつづけました。これらの<ruby><rb>対手</rb><rt>あいて</rt></ruby>の中でもパンと昆布とがまず大将でした。はじめの四年は毎日毎日借りばかり次の五年でそれを払いおしまいの三ヶ月でお金がたまりました。そこで下に降りてたまった三百ドルをふところにしてばけもの世界のまちの方へ歩き出しました。

二、ペンネンネンネンネン・ネネムの立身

ペンネンネンネンネン・ネネムは十年のあいだ木の上に直立し続けた<ruby><rb>為</rb><rt>ため</rt></ruby>にしきりに痛む<ruby><rb>膝</rb><rt>ひざ</rt></ruby>を<ruby><rb>撫</rb><rt>な</rt></ruby>でながら、森を出て参りました。森の出口に小さな雑貨商がありましたので、ネネムは店にはいって、まっ黒な上着とズボンを一つ買いました。それから急いでそれを着ながら考えました。

「何か学問をして書記になりたいもんだな。もう投げるようなたぐるようなことは考えただけでも命が縮まる。よしきっと書記になるぞ。」

ペンネンネンネンネン・ネネムはお<ruby><rb>銭</rb><rt>あし</rt></ruby>を払って店を出る時ちらっと向うの姿見にうつった自分の姿を見ました。

着物が夜のようにまっ黒、縮れた赤毛が頭から<ruby><rb>肩</rb><rt>かた</rt></ruby>にふさふさ垂れまっ青な<ruby><rb>眼</rb><rt>め</rt></ruby>はかがやきそれが自分だかと疑った位立派でした。

ネネムは<ruby><rb>嬉</rb><rt>うれ</rt></ruby>しくて<ruby><rb>口笛</rb><rt>くちぶえ</rt></ruby>を吹いてただ一息に三十ノットばかり走りました。

「ハンムンムンムンムン・ムムネの市まで、もうどれ位ありましょうか。」とペンネンネンネンネン・ネネムが、向うからふらふらやって来た黄色な影法師のばけ物にたずねました。

「そうだね。一寸ここまでおいで。」その黄色な<ruby><rb>幽霊</rb><rt>ゆうれい</rt></ruby>は、ネネムの四角な<ruby><rb>袖</rb><rt>そで</rt></ruby>のはじをつまんで、一本の<span data-tei-rend="bosen 傍線 right" style="text-decoration-line: underline; text-decoration-style: solid">ばけものりんご</span>の木の下まで連れて行って、自分の片足をりんごの木の根にそろえて置いて云いました。

「あなたも片足をここまで出しなさい。」

ネネムは急いでその通りしますとその黄色な幽霊は、<ruby><rb>屈</rb><rt>かが</rt></ruby>んで片っ方の目をつぶって、足さきがりんごの木の根とよくそろっているか検査したあとで云いました。

「いいか。ハンムンムンムンムン・ムムネ市の入口までは、丁度この足さきから六ノット六チェーンあるよ。それでは<ruby><rb>途中</rb><rt>とちゅう</rt></ruby>気をつけておいで。」そしてくるっとまわって向うへ行ってしまいました。

ネネムはそのうしろから、ていねいにお辞儀をして、

「ああありがとうございます。六ノット六チェーンならば、私が一時間一ノット一チェーンずつあるきますと六時間で参れます。一時間三ノット三チェーンずつあるきますと二時間で参れます。すっかり見当がつきまして、こんなうれしいことはありません。」と云いながら、もう一つ頭を下げました。赤毛はじゃらんと下に<ruby><rb>垂</rb><rt>さ</rt></ruby>がりましたけれども、実は黄色の幽霊はもうずうっと向うのばけもの世界のかげろうの立つ畑の中にでもはいったらしく、影もかたちもありませんでした。

そこでネネムは又あるき出しました。すると又向うから<ruby><rb>無暗</rb><rt>むやみ</rt></ruby>にぎらぎら光る<ruby><rb>鼠</rb><rt>ねずみ</rt></ruby>色の男が、赤いゴム<ruby><rb>靴</rb><rt>ぐつ</rt></ruby>をはいてやって参りました。そしてネネムをじろじろ見ていましたが、<ruby><rb>突然</rb><rt>とつぜん</rt></ruby>そばに走って来て、ネネムの右の手首をしっかりつかんで云いました。

「おい。お前は森の中の<ruby><rb>昆布</rb><rt>こんぶ</rt></ruby>採りがいやになってこっちへ出て来た様子だが、一体これから何が目的だ。」

ネネムはこれはきっと<ruby><rb>探偵</rb><rt>たんてい</rt></ruby>にちがいないと思いましたので、<ruby><rb>堅</rb><rt>かた</rt></ruby>くなって答えました。

「はい。私は書記が目的であります。」

するとその男は左手で短いひげをひねって一寸考えてから云いました。

「ははあ、書記が目的か。して見ると何だな。お前は森の中であんまりばけものパンばかり喰ったな。」

ネネムはすっかり<ruby><rb>図星</rb><rt>ずぼし</rt></ruby>をさされて、面くらって左手で頭を<ruby><rb>掻</rb><rt>か</rt></ruby>きました。

「はい実は少少たべすぎたかと存じます。」

「そうだろう。きっとそうにちがいない。よろしい。お前の身分や考えはよく<ruby><rb>諒解</rb><rt>りょうかい</rt></ruby>した。行きなさい。わしはムムネ市の刑事だ。」

ネネムはそこでやっと安心してていねいにおじぎをして又町の方へ行きました。

丁度一時間と六分かかって、三ノット三チェーンを歩いたとき、ネネムは一人の百姓のおかみさんばけものと会いました。その人は遠くからいかにも不思議そうな顔をして来ましたが、とうとう泣き出してかけ寄りました。

「まあ、クエクや。よく帰っておいでだね。まあ、お前はわたしを忘れてしまったのかい。ああなさけない。」

ネネムは少し面くらいましたが、ははあ、これはきっと人ちがいだと気がつきましたので急いで云いました。

「いいえ、おかみさん。私はクエクという人ではありません。私はペンネンネンネンネン・ネネムというのです。」

するとその<ruby><rb>橙</rb><rt>だいだい</rt></ruby>色の女のばけものはやっと気がついたと見えて<ruby><rb>俄</rb><rt>にわ</rt></ruby>かに泣き顔をやめて云いました。

「これはどうもとんだ失礼をいたしました。あなたのおなりがあんまりせがれそっくりなもんですから。」

「いいえ。どう<ruby><rb>致</rb><rt>いた</rt></ruby>しまして。私は今度はじめてムムネの市に出る<ruby><rb>処</rb><rt>ところ</rt></ruby>です。」

「まあ、そうでしたか。うちのせがれも丁度あなたと同じ年ころでした。まあ、お<ruby><rb>髪</rb><rt>くし</rt></ruby>のちぢれ<ruby><rb>工合</rb><rt>ぐあい</rt></ruby>から、お耳のキラキラする工合、何から何までそっくりです。それにまあ、<span data-tei-rend="bosen 傍線 right" style="text-decoration-line: underline; text-decoration-style: solid">なめくじばけもの</span>のような<ruby><rb>柔</rb><rt>やわ</rt></ruby>らかなおあしに、<ruby><rb>硬</rb><rt>かた</rt></ruby>いはがねのわらじをはいて、なにが御志願でいらしゃるのやら。おお、うちのせがれもこんなわらじでどこを今ごろ、ポオ、ポオ、ポオ、ポオ。」とそのおかみさんばけものは泣き出しました。ネネムは困って、

「ね、おかみさん。あなたのむすこさんは、もうきっとどこかの書記になってるんでしょう。きっとじきお<ruby><rb>迎</rb><rt>むか</rt></ruby>いをよこすにちがいありません。そんなにお泣きなさらなくてもいいでしょう。私は急ぎますからこれで失礼いたします。」と云いながらクラリオネットのようなすすり泣きの声をあとに、急いでそこを立ち去りました。

さてそれから十五分でネネムはムムネの市までもう三チェーンの所まで来ました。ネネムはそこで<ruby><rb>髪</rb><rt>かみ</rt></ruby>をすっかり直して、それから<ruby><rb>路</rb><rt>みち</rt></ruby>ばたの水銀の流れで顔を洗い、市にはいって行く<ruby><rb>支度</rb><rt>したく</rt></ruby>をしました。

それからなるべく心を落ちつけてだんだん市に近づきますと、さすがはばけもの世界の首府のけはいは、早くもネネムに感じました。

ノンノンノンノンノンといううなりは地の〔以下原稿数枚分焼失〕

「今授業中だよ。やかましいやつだ。用があるならはいって来い。」とどなりましたので、学校の建物はぐらぐらしました。

ネネムはそこで思い切って、なるべく足音を立てないように二階にあがってその教室にはいりました。教室の広いことはまるで野原です。さまざまの形、とうがらしや、<ruby><rb>臼</rb><rt>うす</rt></ruby>や、<ruby><rb>鋏</rb><rt>はさみ</rt></ruby>や、赤や白や、実にさまざまの学生のばけものがぎっしりです。向うには大きな<ruby><rb>崖</rb><rt>がけ</rt></ruby>のくらいある黒板がつるしてあって、せの高さ百尺あまりのさっきの先生のばけものが、講義をやって居りました。

「それでその、もしも塩素が赤い色のものならば、これは最も明らかな不合理である。黄色でなくてはならん。して見ると黄色という事はずいぶん大切なもんだ。黄という字はこう書くのだ。」

先生は黒板を向いて、両手や鼻や口や<ruby><rb>肱</rb><rt>ひじ</rt></ruby>やカラアや髪の毛やなにかで一ぺんに三百ばかり黄という字を書きました。生徒はみんな大急ぎで筆記帳に黄という字を<ruby><rb>一杯</rb><rt>いっぱい</rt></ruby>書きましたがとても先生のようにうまくは出来ません。

ネネムはそっと一番うしろの席に<ruby><rb>座</rb><rt>すわ</rt></ruby>って、<ruby><rb>隣</rb><rt>とな</rt></ruby>りの赤と白のまだらのばけもの学生に低くたずねました。

「ね、この先生は何て云うんですか。」

「お前知らなかったのかい。フゥフィーボー博士さ。化学の。」とその赤いばけものは<ruby><rb>馬鹿</rb><rt>ばか</rt></ruby>にしたように目を光らせて答えました。

「あっ、そうでしたか。この先生ですか。名高い人なんですね。」とネネムはそっとつぶやきながら自分もふところから<ruby><rb>鉛筆</rb><rt>えんぴつ</rt></ruby>と手帳を出して筆記をはじめました。

その時教室にパッと<ruby><rb>電燈</rb><rt>でんとう</rt></ruby>がつきました。もう夕方だったのです。博士が向うで叫んでいます。

「しからば何が<ruby><rb>故</rb><rt>ゆえ</rt></ruby>に夕方緑色が判然とするか。けだしこれはプウルウキインイイの現象によるのである。プウルウキインイイとはこう書く。」

博士はみみずのような横文字を一ぺんに三百ばかり書きました。ネネムも一生けん命書きました。それから博士は俄かに手を大きくひろげて

「げにも、かの天にありて<ruby><rb>濛々</rb><rt>もうもう</rt></ruby>たる星雲、地にありてはあいまいたるばけ物律、これはこれ宇宙を支配す。」と云いながらテーブルの上に飛びあがって<ruby><rb>腕</rb><rt>うで</rt></ruby>を組み堅く口を結んできっとあたりを見まわしました。

学生どもはみんな興奮して

「ブラボオ。フゥフィーボー先生。ブラボオ。」と<ruby><rb>叫</rb><rt>さけ</rt></ruby>んでそれからバタバタ、ノートを閉じました。ネネムもすっかり<ruby><rb>釣</rb><rt>つ</rt></ruby>り<ruby><rb>込</rb><rt>こ</rt></ruby>まれて、

「ブラボオ。」と叫んで堅く堅く決心したように口を結びました。この時先生はやっとほんのすこうし笑って一段声を低くして云いました。

「みなさん。これからすぐ卒業試験にかかります。一人ずつ私の前をお通りなさい。」と云いました。

学生どもは、そこで一人ずつ順々に、先生の前を通りながらノートを開いて見せました。

先生はそれを一寸見てそれから一言か二言質問をして、それから<ruby><rb>白墨</rb><rt>はくぼく</rt></ruby>でせなかに「及」とか「落」とか「同情及」とか「退校」とか書くのでした。

書かれる間学生はいかにもくすぐったそうに首をちぢめているのでした。書かれた学生は、いかにも気がかりらしく、そっと肩をすぼめて<ruby><rb>廊下</rb><rt>ろうか</rt></ruby>まで出て、友達に読んで<ruby><rb>貰</rb><rt>もら</rt></ruby>って、よろこんだり泣いたりするのでした。ぐんぐんぐんぐん、試験がすんで、いよいよネネム一人になりました。ネネムがノートを出した時、フゥフィーボー博士は大きなあくびをやりましたので、ノートはスポリと先生に吸い込まれてしまいました。先生はそれを別段気にかけるでもないらしく、コクッと<ruby><rb>呑</rb><rt>の</rt></ruby>んでしまって云いました。

「よろしい。ノートは大へんによく出来ている。そんなら問題を答えなさい。<ruby><rb>煙突</rb><rt>えんとつ</rt></ruby>から出るけむりには何種類あるか。」

「四種類あります。もしその種類を申しますならば、黒、白、青、無色です。」

「うん。無色の<ruby><rb>煙</rb><rt>けむり</rt></ruby>に気がついた所は、実にどうも<ruby><rb>偉</rb><rt>えら</rt></ruby>い。そんなら形はどうであるか。」

「風のない時はたての棒、風の強い時は横の棒、その他はみみずなどの形。あまり煙の少ない時はコルク<ruby><rb>抜</rb><rt>ぬ</rt></ruby>きのようにもなります。」

「よろしい。お前は今日の試験では一等だ。何か望みがあるなら云いなさい。」

「書記になりたいのです。」

「そうか。よろしい。わしの<ruby><rb>名刺</rb><rt>めいし</rt></ruby>に向うの番地を書いてやるから、そこへすぐ今夜行きなさい。」

ネネムは名刺を<ruby><rb>呉</rb><rt>く</rt></ruby>れるかと思って待っていますと、博士はいきなり白墨をとり直してネネムの胸に、「セム二十二号。」と書きました。

ネネムはよろこんで<ruby><rb>叮寧</rb><rt>ていねい</rt></ruby>におじぎをして先生の<ruby><rb>処</rb><rt>ところ</rt></ruby>から一足退きますと先生が低く、

「もう<ruby><rb>藁</rb><rt>わら</rt></ruby>のオムレツが出来あがった<ruby><rb>頃</rb><rt>ころ</rt></ruby>だな。」と<ruby><rb>呟</rb><rt>つぶ</rt></ruby>やいてテーブルの上にあった<ruby><rb>革</rb><rt>かわ</rt></ruby>のカバンに白墨のかけらや講義の<ruby><rb>原稿</rb><rt>げんこう</rt></ruby>やらを、みんな<ruby><rb>一緒</rb><rt>いっしょ</rt></ruby>に投げ込んで、<ruby><rb>小脇</rb><rt>こわき</rt></ruby>にかかえ、さっき顔を出した窓からホイッと向うの向うの黒い家をめがけて飛び出しました。そしてネネムはまちをこめた黄色の<ruby><rb>夕暮</rb><rt>ゆうぐれ</rt></ruby>の中の物干台にフゥフィーボー博士が無事に<ruby><rb>到着</rb><rt>とうちゃく</rt></ruby>して家の中に入って行くのをたしかに見ました。

そこでネネムは教室を出てはしご段を降りますと、そこには学生が実に沢山泣いていました。全く三千六百五十三回、<ruby><rb>則</rb><rt>すなわ</rt></ruby>ち<ruby><rb>閏</rb><rt>うるう</rt></ruby>年も入れて十年という間、日曜も夏休みもなしに落第ばかりしていては、これが泣かないでいられましょうか。けれどもネネムは全くそれとは<ruby><rb>違</rb><rt>ちが</rt></ruby>います。

元気よく大学校の門を出て、自分の胸の番地を指さして通りかかったくらげのようなばけものに、どう行ったらいいかをたずねました。

するとそのばけものは、ひどく叮寧におじぎをして、

「ええ。それは世界裁判長のお<ruby><rb>邸</rb><rt>やしき</rt></ruby>でございます。ここから二チェーンほどおいでになりますと、大きな<ruby><rb>粘土</rb><rt>ねんど</rt></ruby>でかためた家がございます。すぐおわかりでございましょう。どうか私もよろしくお引き立てをねがいます。」と云って<ruby><rb>又</rb><rt>また</rt></ruby>叮寧におじぎをしました。

ネネムはそこで一時間一ノット一チェーンの速さで、そちらへ進んで参りました。たちまち道の右側に、その粘土作りの大きな家がしゃんと立って、世界裁判長<ruby><rb>官邸</rb><rt>かんてい</rt></ruby>と看板がかかって居りました。

「ご免なさい。ご免なさい。」とネネムは赤い髪を<ruby><rb>掻</rb><rt>か</rt></ruby>きながら云いました。

すると家の中からペタペタペタペタ沢山の沢山のばけものどもが出て参りました。

みんなまっ黒な長い服を着て、<ruby><rb>恭々</rb><rt>うやうや</rt></ruby>しく礼をいたしました。

「私は大学校のフゥフィーボー先生のご<ruby><rb>紹介</rb><rt>しょうかい</rt></ruby>で参りましたが世界裁判長に一寸お目にかかれましょうか。」

するとみんなは口をそろえて云いました。

「それはあなたでございます。あなたがその裁判長でございます。」

「なるほど、そうですか。するとあなた方は何ですか。」

「私どもはあなたの部下です。判事や検事やなんかです。」

「そうですか。それでは私はここの主人ですね。」

「さようでございます。」

こんなような訳でペンネンネンネンネン・ネネムは一ぺんに世界裁判長になって、みんなに囲まれて裁判長室の海綿でこしらえた<ruby><rb>椅子</rb><rt>いす</rt></ruby>にどっかりと座りました。

すると一人の判事が恭々しく申しました。

「今晩開廷の運びになっている件が二つございますが、いかがでございましょうお<ruby><rb>疲</rb><rt>つか</rt></ruby>れでいらっしゃいましょうか。」

「いいや、よろしい。やります。しかし裁判の方針はどうですか。」

「はい。裁判の方針はこちらの世界の人民が向うの世界になるべく顔を出さぬように致したいのでございます。」

「わかりました。それではすぐやります。」

ネネムはまっ白なちぢれ毛のかつらを<ruby><rb>被</rb><rt>かぶ</rt></ruby>って黒い長い服を着て裁判室に出て行きました。部下がもう三十人ばかり席についています。

ネネムは正面の一番高い処に座りました。向うの<ruby><rb>隅</rb><rt>すみ</rt></ruby>の小さな戸口から、ばけものの番兵に引っぱられて出て来たのはせいの高い<ruby><rb>眼</rb><rt>め</rt></ruby>の<ruby><rb>鋭</rb><rt>するど</rt></ruby>い灰色のやつで、片手にほうきを持って居りました。一人の検事が声高く書類を読み上げました。

「ザシキワラシ。二十二<ruby><rb>歳</rb><rt>さい</rt></ruby>。アツレキ三十一年二月七日、表、日本岩手県<ruby><rb>上閉伊</rb><rt>かみへい</rt></ruby>郡<ruby><rb>青笹</rb><rt>あおざさ</rt></ruby>村<ruby><rb>字</rb><rt>あざ</rt></ruby>瀬戸二十一番戸伊藤万太の宅、八畳座敷中に故なくして<ruby><rb>擅</rb><rt>ほしいまま</rt></ruby>に出現して万太の長男千太、八歳を気絶せしめたる件。」

「よろしい。わかった。」とネネムの裁判長が云いました。

「姓名<ruby><rb>年齢</rb><rt>ねんれい</rt></ruby>、その通りに<ruby><rb>相違</rb><rt>そうい</rt></ruby>ないか。」

「相違ありません。」

「その方はアツレキ三十一年二月七日、伊藤万太方の八畳座敷に故なくして擅に出現したることは、しかとその通りに相違ないか。」

「全く相違ありません。」

「出現後は何を致した。」

「ザシキをザワッザワッと<ruby><rb>掃</rb><rt>は</rt></ruby>いて居りました。」

「何の<ruby><rb>為</rb><rt>ため</rt></ruby>に掃いたのだ。」

「風を入れる為です。」

「よろしい。その点は実に公益である。本官に<ruby><rb>於</rb><rt>おい</rt></ruby>て大いに同情を<ruby><rb>呈</rb><rt>てい</rt></ruby>する。しかしながらすでに<ruby><rb>妄</rb><rt>みだ</rt></ruby>りに人の居ない座敷の中に出現して、<ruby><rb>箒</rb><rt>ほうき</rt></ruby>の音を発した為に、その音に<ruby><rb>愕</rb><rt>おど</rt></ruby>ろいて一寸のぞいて見た子供が気絶をしたとなれば、これは明らかな出現罪である。<ruby><rb>依</rb><rt>よ</rt></ruby>って今日より七日間当ムムネ市の街路の掃除を命ずる。今後はばけもの世界長の許可なくして、妄りに向う側に出現することはならん。」

「かしこまりました。ありがとうございます。」

「実に名断だね。どうも実に今度の長官は偉い。」と判事たちは<ruby><rb>互</rb><rt>たがい</rt></ruby>にささやき合いました。

ザシキワラシはおじぎをしてよろこんで引っ込みました。

次に来たのは<ruby><rb>鳶</rb><rt>とび</rt></ruby>色と白との粘土で顔をすっかり<ruby><rb>隈取</rb><rt>くまど</rt></ruby>って、口が耳まで<ruby><rb>裂</rb><rt>さ</rt></ruby>けて、胸や足ははだかで、<ruby><rb>腰</rb><rt>こし</rt></ruby>に厚い<ruby><rb>簑</rb><rt>みの</rt></ruby>のようなものを巻いたばけものでした。一人の判事が書類を読みあげました。

「ウウウウエイ。三十五歳。アツレキ三十一年七月一日夜、表、アフリカ、コンゴオの林中の空地に於て故なくして<ruby><rb>擅</rb><rt>ほしいまま</rt></ruby>に出現、<ruby><rb>舞踏</rb><rt>ぶとう</rt></ruby>中の土地人を<ruby><rb>恐怖</rb><rt>きょうふ</rt></ruby>散乱せしめたる件。」

「よろしい、わかった。」とネネムは云いました。

「姓名年齢その通りに相違ないか。」

「へい。その通りです。」

「その方はアツレキ三十一年七月一日夜、アフリカ、コンゴオの林中空地に於て、故なくして擅に出現、<ruby><rb>折柄</rb><rt>おりから</rt></ruby>月明によって歌舞、歓をなせる所の一群を恐怖散乱せしめたことは、しかとその通りにちがいないか。」

「全くその通りです。」

「よろしい。何の目的で出現したのだ。<ruby><rb>既</rb><rt>すで</rt></ruby>に法律上故なく擅となってあるが、その方の意中を今一応<ruby><rb>尋</rb><rt>たず</rt></ruby>ねよう。」

「へい。その実は、あまり<ruby><rb>面白</rb><rt>おもしろ</rt></ruby>かったもんですから。へい。どうも相済みません。あまり面白かったんで。ケロ、ケロ、ケロ、ケロロ、ケロ、ケロ。」

「<ruby><rb>控</rb><rt>ひか</rt></ruby>えろ。」

「へい。全くどうも相済みません。<ruby><rb>恐</rb><rt>おそ</rt></ruby>れ入りました。」

「うん。お前は、<ruby><rb>最</rb><rt>もっとも</rt></ruby>明らかな出現罪である。依って明日より二十二日間、ムッセン街道の見まわりを命ずる。今後ばけものの世界長の許可なくして、<ruby><rb>妄</rb><rt>みだ</rt></ruby>りに向側に出現いたしてはならんぞ。」

「かしこまりました。ありがとうございます。」そのばけものも引っ込みました。

「実に名断だ。いい判決だね。」とみんなささやき合いました。その時向うの窓がガタリと開いて

「どうだ、いい裁判長だろう。みんな感心したかい。」と云う声がしました。それはさっきの灰色の一メートルある顔、フゥフィーボー先生でした。

「ブラボオ。フゥフィーボー博士。ブラボオ。」と判事も検事もみんな<ruby><rb>怒鳴</rb><rt>どな</rt></ruby>りました。その時はもう博士の顔は消えて窓はガタンとしまりました。

そこでネネムは自分の<ruby><rb>室</rb><rt>へや</rt></ruby>に帰って白いちぢれ毛のかつらを<ruby><rb>除</rb><rt>と</rt></ruby>りました。それから<ruby><rb>寝</rb><rt>ね</rt></ruby>ました。

あとはあしたのことです。

三、ペンネンネンネンネン・ネネムの<ruby><rb>巡視</rb><rt>じゅんし</rt></ruby>

ばけもの世界裁判長になったペンネンネンネンネン・ネネムは、次の朝六時に起きて、すぐ部下の検事を一人呼びました。

「今日は何時に公判の運びになっているか。」

「本日もやはり晩の七時から二件だけございます。」

「そうか。よろしい。それでは今朝は八時から世界長に<ruby><rb>挨拶</rb><rt>あいさつ</rt></ruby>に出よう。それからすぐ巡視だ。みんなその<ruby><rb>支度</rb><rt>したく</rt></ruby>をしろ。」

「かしこまりました。」

そこでペンネンネンネンネン・ネネムは、<ruby><rb>燕麦</rb><rt>オート</rt></ruby>を一<ruby><rb>把</rb><rt>わ</rt></ruby>と、<ruby><rb>豆汁</rb><rt>まめじる</rt></ruby>を二リットルで軽く朝飯をすまして、それから三十人の部下をつれて世界長の官邸に行きました。

ばけもの世界長は、もう大広間の正面に座って待っています。世界長は身のたけ百九十尺もある中世代の<ruby><rb>瑪瑙木</rb><rt>めのうぼく</rt></ruby>でした。

ペンネンネンネンネン・ネネムは、恭々しく進んで<ruby><rb>片膝</rb><rt>かたひざ</rt></ruby>を床につけて頭を下げました。

「ペンネンネンネンネン・ネネム裁判長はおまえであるか。」

「さようでございます。永久に忠勤を<ruby><rb>誓</rb><rt>ちか</rt></ruby>い<ruby><rb>奉</rb><rt>たてまつ</rt></ruby>ります。」

「うん。しっかりやって<ruby><rb>呉</rb><rt>く</rt></ruby>れ。ゆうべの裁判のことはもう聞いた。それに今朝はこれから巡視に出るそうだな。」

「はい。恐れ入ります。」

「よろしい。どうかしっかりやって呉れ。」

「かしこまりました。」

そこでペンネンネンネンネン・ネネムは又うやうやしく世界長に礼をして、<ruby><rb>後戻</rb><rt>あともど</rt></ruby>りして退きました。三十人の部下はもう世界長の首尾がいいので大喜びです。

ペンネンネンネンネン・ネネムも<ruby><rb>大機嫌</rb><rt>だいきげん</rt></ruby>でそれから町を巡視しはじめました。

ばけもの世界のハンムンムンムンムン・ムムネ市の<ruby><rb>盛</rb><rt>さか</rt></ruby>んなことは、今日とて少しも変りません。億百万のばけものどもは、通り過ぎ通りかかり、行きあい行き過ぎ、発生し<ruby><rb>消滅</rb><rt>しょうめつ</rt></ruby>し、<ruby><rb>聨合</rb><rt>れんごう</rt></ruby>し<ruby><rb>融合</rb><rt>ゆうごう</rt></ruby>し、再現し進行し、それはそれは、実にどうも見事なもんです。ネネムもいまさらながら、つくづくと感服いたしました。

その時向うから、トッテントッテントッテンテンと、チャリネルという楽器を<ruby><rb>叩</rb><rt>たた</rt></ruby>いて、小さな赤い旗をたてた車が、ほんの少しずつこっちへやって来ました。見物のばけものがまるで赤山のようにそのまわりについて参ります。

ペンネンネンネンネン・ネネムは、行きあいながらふと見ますと、その赤い旗には、白くフクジロと染め抜いてあって、その横にせいの高さ三尺ばかりの、顔がまるでじじいのように<ruby><rb>皺</rb><rt>しわ</rt></ruby>くちゃな<ruby><rb>殊</rb><rt>こと</rt></ruby>に鼻が一尺ばかりもある<ruby><rb>怖</rb><rt>こわ</rt></ruby>い子供のようなものが、小さな半ずぼんをはいて立ち、車を引っ張っている黒い<ruby><rb>硬</rb><rt>かた</rt></ruby>いばけものから、「フクジロ印」という商標のマッチを、五つばかり受け取っていました。ネネムは何をするのかと思ってもっと見ていますと、そのいやなものはマッチを持ってよちよち歩き出しました。

赤山のようなばけものの見物は、わいわいそれについて行きます。一人の若いばけものが、うしろから押されてちょっとそのいやなものにさわりましたら、そのフクジロといういやなものはくるりと振り向いて、いきなりピシャリとその若ばけものの<ruby><rb>頬</rb><rt>ほっ</rt></ruby>ぺたを<ruby><rb>撲</rb><rt>なぐ</rt></ruby>りつけました。

それからいやなものは向うの<ruby><rb>荒物</rb><rt>あらもの</rt></ruby>屋に行きました。その荒物屋というのは、ばけもの歯みがきや、ばけもの<ruby><rb>楊子</rb><rt>ようじ</rt></ruby>や、<ruby><rb>手拭</rb><rt>てぬぐい</rt></ruby>やずぼん、<ruby><rb>前掛</rb><rt>まえかけ</rt></ruby>などまで、すべてばけもの用具一式を売っているのでした。

フクジロがよちよちはいって行きますと、荒物屋のおかみさんは、<ruby><rb>怖</rb><rt>こわ</rt></ruby>がって<ruby><rb>逃</rb><rt>に</rt></ruby>げようとしました。おかみさんだって顔がまるで<ruby><rb>獏</rb><rt>ばく</rt></ruby>のようで、立派なばけものでしたが、小さくてしわくちゃなフクジロを見ては、もうすっかりおびえあがってしまったのでした。

「おかみさん。フクジロ・マッチ買ってお呉れ。」

おかみさんはやっと気を落ちつけて云いました。

「いくらですか。ひとつ。」

「十円。」

おかみさんは泣きそうになりました。

「さあ買ってお呉れ。買わなかったら<ruby><rb>踊</rb><rt>おどり</rt></ruby>をやるぜ。」

「買います、買います。踊の方はいりません。そら、十円。」おかみさんは青くなってブルブルしながら<ruby><rb>銭函</rb><rt>ぜにばこ</rt></ruby>からお金を集めて十円出しました。

「ありがとう。ヘン。」と云いながらそのいやなものは店を出ました。

そして今度は、となりのばけもの酒屋にはいりました。見物はわいわいついて行きます。酒屋のはげ頭の<span data-tei-rend="bosen 傍線 right" style="text-decoration-line: underline; text-decoration-style: solid">おじいさんばけもの</span>も、やっぱりぶるぶるしながら十円出しました。

その<ruby><rb>隣</rb><rt>となり</rt></ruby>はタン屋という店でしたが、ここでも主人が黄色な顔を緑色にしてふるえながら、十円でマッチ一つ買いました。

「これはいかん。実にけしからん。こう云ういやなものが町の中を勝手に歩くということはおれの<ruby><rb>恥辱</rb><rt>ちじょく</rt></ruby>だ。いいからひっくくってしまえ。」とペンネンネンネンネン・ネネムは部下の検事に命令しました。一人の検事がすぐ進んで行ってタン屋の店から出て来るばかりのそのいやなものをくるくる<ruby><rb>十重</rb><rt>とえ</rt></ruby>ばかりにひっくくってしまいました。ペンネンネンネンネン・ネネムがみんなを<ruby><rb>押</rb><rt>お</rt></ruby>し分けて前に出て云いました。

「こら。その方は自分の顔やかたちのいやなことをいいことにして、一つ一銭のマッチを十円ずつに家ごと押しつけてあるく。悪いやつだ。<ruby><rb>監獄</rb><rt>かんごく</rt></ruby>に連れて行くからそう思え。」

するとそのいやなものは泣き出しました。

「巡査さん。それはひどいよ。<ruby><rb>僕</rb><rt>ぼく</rt></ruby>はいくらお金を<ruby><rb>貰</rb><rt>もら</rt></ruby>ったって自分で一銭もとりはしないんだ。みんな親方がしまってしまうんだよ。許してお呉れ。許してお呉れ。」

ネネムが云いました。

「そうか。するとお前は毎日ただ引っぱり<ruby><rb>廻</rb><rt>まわ</rt></ruby>されて<ruby><rb>稼</rb><rt>かせ</rt></ruby>がせられる<ruby><rb>丈</rb><rt>だ</rt></ruby>けだな。」

「そうだよ、そうだよ。僕を<ruby><rb>太夫</rb><rt>たいふ</rt></ruby>さんだなんて云いながら、ひどい目にばかりあわすんだよ。ご飯さえ<ruby><rb>碌</rb><rt>ろく</rt></ruby>に呉れないんだよ。早く親方をつかまえてお呉れ。早く、早く。」今度はそのいやなものが<ruby><rb>俄</rb><rt>にわ</rt></ruby>かに元気を出しました。

そこで

「あの車のとこに居るものを引っくくれ。」とネネムが云いました。丁度出て来た巡査が三人ばかり飛んで行って、車にポカンと腰掛けて居た黒い硬いばけものを、くるくるくるっと<ruby><rb>縛</rb><rt>しば</rt></ruby>ってしまいました。ネネムはいやなものと<ruby><rb>一緒</rb><rt>いっしょ</rt></ruby>にそっちへ行きました。

「こら。きさまはこんなかたわなあわれなものをだしにして、一銭のマッチを十円ずつに売っている。さあ監獄へ連れて行くぞ。」

親方が泣き出しそうになって口早に云いました。

「お役人さん。そいつぁあんまり無理ですぜ。わしぁ一日<ruby><rb>一杯</rb><rt>いっぱい</rt></ruby>あるいてますがやっと<ruby><rb>喰</rb><rt>く</rt></ruby>うだけしか貰わないんです。あとはみんな親方がとってしまうんです。」

「ふん、そうか。その親方はどこに居るんだ。」

「あすこに居ます。」

「どれだ。」

「あのまがり角でそらを向いてあくびをしている人です。」

「よし。あいつをしばれ。」まがり角の男は、しばられてびっくりして、口をパクパクやりました。ネネムは二人を連れてそっちへ歩いて行って云いました。

「こらきさまは悪いやつだ。何も文句を<ruby><rb>云</rb><rt>い</rt></ruby>うことはない。監獄にはいれ。」

「これはひどい。一体どうしたのです。ははあ、フクジロもタンイチもしばられたな。その事ならなあに私はただこうやって<ruby><rb>監督</rb><rt>かんとく</rt></ruby>に云いつかって車を見ている<ruby><rb>丈</rb><rt>だけ</rt></ruby>でございます。私は日給三十銭の外に一銭だって貰やしません。」

「ふん。どうも実にいやな事件だ。よし、お前の監督はどこに居るか、云え。」

「向うの電信柱の下で立ったまま<ruby><rb>居睡</rb><rt>いねむ</rt></ruby>りをしているあの人です。」

「そうか。よろしい。向うの電信ばしらの下のやつを<ruby><rb>縛</rb><rt>しば</rt></ruby>れ。」巡査や検事がすぐ飛んで行こうとしました。その時ネネムは、ふともっと向うを見ますと、<ruby><rb>大抵</rb><rt>たいてい</rt></ruby>五間<ruby><rb>隔</rb><rt>お</rt></ruby>きぐらいに、あくびをしたりうでぐみをしたり、ぼんやり立っているものがまだまだたくさん続いています。そこでネネムが云いました。

「<ruby><rb>一寸</rb><rt>ちょっと</rt></ruby>待て。まだ向うにも監督が沢山居るようだ。よろしい。順ぐりにみんなしばって来い。一番おしまいのやつを逃がすなよ。さあ行け。」

十人ばかりの検事と十人ばかりの巡査がふうとけむりのように向うへ走って行きました。見る見る監督どもが、みんなペタペタしばられて十五分もたたないうちに三十人というばけものが一列にずうっとつづいてひっぱられて来ました。

「一番おしまいのやつはこいつか。」とネネムが緑色の大へんハイカラなばけものをゆびさしました。

「そうです。」みんなは声をそろえて云います。

「よろしい。こら。その方は、あんなあわれなかたわを使って一銭のマッチを十円に売っているとは一体どう云うわけだ。それに三十二人も人を使って、あくまで自分の悪いことをかくそうとは実にけしからん。さあどうだ。」

ところが緑色のハイカラなばけものは口を<ruby><rb>尖</rb><rt>とが</rt></ruby>らして、一向恐れ入りません。

「これはけしからん。私はそんなことをした覚えはない。私は百二十年前にこの方に九円だけ貸しがあるので今はもう五千何円になっている。わしはこの方のあとをつけて歩いて毎日、<ruby><rb>日</rb><rt>にっ</rt></ruby>プで三十円ずつとる商売なんだ。」と云いながら自分の前のまっ赤なハイカラなばけものを指さしました。

するとその赤色のハイカラが云いました。

「その通りだ。私はこの人に毎日三十円ずつ<ruby><rb>払</rb><rt>はら</rt></ruby>う。払っても払っても元金は<ruby><rb>殖</rb><rt>ふ</rt></ruby>えるばかりだ。それはとにかく私は又この前のお方に百四十年前に非常な貸しがあるのでそれをもとでに毎日この人について歩いて実は五十円ずつとっているのだ。マッチの罪とかなんとか一向私はしらない。」と云いながら自分の前の青い色のハイカラなばけものを指さしました。すると青いのが云いました。

「その通りだ。わしは毎日五十円ずつ払う。そしてわしはこの前のお方に二百年前かなりの貸しがあるのでそれをもとでに毎日ついて歩いて百円ずつとるだけなのだ。」

指されたその前の黄色なハイカラが云いました。

「そうだ。その通りだ。そしてわしはこの前のお方に昔すてきなかしがあるので、毎日ついて歩いて三百円ずつとるのだ。」

「ふうん。大分わかって来たぞ。あとはもう貸した年と今とる金だかだけを云え。」とネネムが申しました。

「二百五十年五百円」「三百年、千円」「三百一年、千七円」「三百二年、千八円」「三百三年、千九円」「三百四年、千十円。」

ネネムはすばやく勘定しました。

「もうわかった。第三十番。電信柱の下の立ちねむり。おまえは千三十円とっているだろう。」

「全くさようでございます。ご明察恐れ入ります。」

その時さっきの角のところに立って、あくびをしていた監督が云いました。

「どうです。そうでしょう。私は毎日千三十円三十銭だけとって、千三十円だけこの人に納めるのです。」

ネネムが云いました。

「そうか。すると一体<ruby><rb>誰</rb><rt>たれ</rt></ruby>がフクジロを使って歩かせているのだ。」

「私にはわかりません。私にはわかりません。」とみんなが一度に云いました。そこでネネムも一寸<ruby><rb>困</rb><rt>こま</rt></ruby>りましたがしばらくたってから申しました。

「よし。そんならフクジロのマッチを売っていることを知っているものは手をあげ。」

硬い黒いタンイチはじめ順ぐりに十人だけ手をあげました。

「よろしい。すると十人目の貴さまが一番悪い。監獄にはいれ。」

「いいえ。どういたしまして。私はただフクジロのマッチを売っていることを遠くから見ているだけでございます。それを十円に売るなんて、めっそうな、私は一向に存じません。」

「どうもこれはずいぶん<ruby><rb>不愉快</rb><rt>ふゆかい</rt></ruby>な事件だね。よろしい。そんならフクジロがマッチを十円で売るということを知っているものは手をあげ。」

硬い黒いタンイチからただ三人でした。

「するとお前だ。監獄にはいれ。」とネネムが云いました。

「それはさっきも申しあげました。私はただ命令で見ていただけです。」

「するとお前は十円に売ることは知っている、けれどもただ云いつかっているだけだというのだな、それから次のお前は云いつけてはいる。けれども十円に売れなんて云ったおぼえもなし又十円に売っているとも思わない、ただまあ、フクジロがよちよち家を出たりはいったりして、それでよくこんなにもうかるもんだと思っていたと、こうだろう。」

「全くご名察の通り。」と二人が一緒に云いました。

「よろしい。もうわかった。お前がたに云い<ruby><rb>渡</rb><rt>わた</rt></ruby>す。これは順ぐりに悪いことがたまって来ているのだ。百年も二百年もの前に貸した金の利息を、そんなハイカラななりをして、毎日ついてあるいてとるということは、けしからん。<ruby><rb>殊</rb><rt>こと</rt></ruby>にそれが三十人も続いているというのは実にいけないことだ。おまえたちはあくびをしたりいねむりをしたりしながら毎日を<ruby><rb>暮</rb><rt>くら</rt></ruby>して食事の時間だけすぐ近くの料理屋にはいる、それから急いで出て来て前の者がまだあまり遠くへ行っていないのを見てやっと安心するなんという実にどうも不届きだ。それからおれがもうけるんじゃないと云うので、悪いことをぐんぐんやるのもあまりよくない。だからみんな悪い。みんなを罪にしなければならない。けれどもそれではあんまりかあいそうだから、どうだ、みんな一ぺんに今の仕事をやめてしまえ。そこでフクジロはおれがどこかの<ruby><rb>玩具</rb><rt>おもちゃ</rt></ruby>の工場の小さな<ruby><rb>室</rb><rt>へや</rt></ruby>で、ただ一人仕事をして、時々お<ruby><rb>菓子</rb><rt>かし</rt></ruby>でもたべられるようにしてやろう。あとのものはみんな<ruby><rb>頑丈</rb><rt>がんじょう</rt></ruby>そうだから自分で勝手に仕事をさがせ。もしどうしても自分でさがせなかったらおれの所に相談に来い。」

「かしこまりました。ありがとうございます。」みんなはフクジロをのこして赤山のような人をわけてちりぢりに<ruby><rb>逃</rb><rt>に</rt></ruby>げてしまいました。そこでネネムは一人の検事をつけてフクジロを<ruby><rb>張子</rb><rt>はりこ</rt></ruby>の<ruby><rb>虎</rb><rt>とら</rt></ruby>をこさえる工場へ送りました。

見物人はよろこんで、

「えらい裁判長だ。えらい裁判長だ。」とときの声をあげました。そこでネネムは<ruby><rb>又</rb><rt>また</rt></ruby><ruby><rb>巡視</rb><rt>じゅんし</rt></ruby>をはじめました。

それから少し行きますと通りの右側に大きな<ruby><rb>泥</rb><rt>どろ</rt></ruby>でかためた家があって世界警察長<ruby><rb>官邸</rb><rt>かんてい</rt></ruby>と看板が出て居りました。

「一寸はいって見よう。」と云いながらネネムは<ruby><rb>玄関</rb><rt>げんかん</rt></ruby>に立ちました。その家中が<ruby><rb>俄</rb><rt>にわ</rt></ruby>かにザワザワしてそれから警察長がさきに立って案内しました。一通り中の設備を見てからネネムは警察長と向い合って一つのテーブルに座りました。警察長は新聞のくらいある<ruby><rb>名刺</rb><rt>めいし</rt></ruby>を出してひろげてネネムに<ruby><rb>恭々</rb><rt>うやうや</rt></ruby>しくよこしました。見ると、

ケンケンケンケンケンケン・クエク警察長

と書いてあります。ネネムは

「はてな、クエクと、どうも聞いたような名だ。一寸突然ですがあなたはこの近在の農家のご出身ですか。」と云いました。

すると警察長はびっくりしたらしく、

「全くご明察の通りです。」と答えました。

「それではあなたは無断で家から逃げておいでになりましたね。お母さんが大へん泣いておいでですよ。」とネネムが云いました。

「いや、全く。実は昨晩も電報を打ちましたようなわけで、実はその、逃げたというわけでもありません。丁度一昨昨日の朝、一寸した用事で家から大学校の小使室まで参りましたのですが、ついそのフゥフィーボー博士の講義につり込まれまして昨日まで三日というもの、<ruby><rb>聴</rb><rt>き</rt></ruby>いたり落第したり、考えたりいたしました。昨晩やっと<ruby><rb>及第</rb><rt>きゅうだい</rt></ruby>いたしましてこちらに<ruby><rb>赴任</rb><rt>ふにん</rt></ruby>いたしました。」

「ハッハッハ。そうですか。それは結構でした。もう電報をおかけでしたか。」

「はい。」

そこでネネムも全く感服してそれから警察長の家を出てそれから又グルグルグルグル巡視をして、おひるごろ、ばけもの世界裁判長の官邸に帰りました。おひるのごちそうは<ruby><rb>藁</rb><rt>わら</rt></ruby>のオムレツでした。

四、ペンネンネンネンネン・ネネムの安心

ばけもの世界裁判長、ペンネンネンネンネン・ネネムの評判は、今はもう非常なものになりました。この世界が、はじめ一<ruby><rb>疋</rb><rt>ぴき</rt></ruby>のみじんこから、だんだん<ruby><rb>枝</rb><rt>えだ</rt></ruby>がついたり、足が出来たりして発達しはじめて以来、こんな名判官は実にはじめてだとみんなが申しました。

シャァロンというばけものの高利貸でさえ、ああ実にペンネンネンネンネン・ネネムさまは名判官だ、ダニーさまの再来だ、いやダニーさまの発達だとほめた位です。

ばけもの世界長からは、毎日一つずつ位をつけて来ましたし、<ruby><rb>勲章</rb><rt>くんしょう</rt></ruby>を<ruby><rb>贈</rb><rt>おく</rt></ruby>ってよこしましたので、今はその位を読みあげるだけに二時間かかり、勲章はネネムの<ruby><rb>室</rb><rt>へや</rt></ruby>の<ruby><rb>壁</rb><rt>かべ</rt></ruby>一杯になりました。それですから、何かの<ruby><rb>儀式</rb><rt>ぎしき</rt></ruby>でネネムが式辞を読んだりするときは、その位を読むのがつらいので、それをあらかじめ三十に分けて置いて、三十人の部下に一ぺんにがやがやと読み上げて<ruby><rb>貰</rb><rt>もら</rt></ruby>うようにしていましたが、それでさえやはり四分はかかりました。勲章だってその通りです。どうしてネネムの胸につけ切れるもんではありませんでしたから、ネネムの大礼服の上着は、胸の<ruby><rb>処</rb><rt>ところ</rt></ruby>から長さ十<ruby><rb>米</rb><rt>メートル</rt></ruby>ばかりの切れがずうと続いて、それに勲章をぞろっとつけて、その帯のようなものを、三十人の部下の人たちがぞろぞろ持って行くのでした。さてネネムは、この様な大へんな<ruby><rb>名誉</rb><rt>めいよ</rt></ruby>を得て、そのほかに、みなさんももうご存知でしょうが、フゥフィーボー博士のほかに、<ruby><rb>誰</rb><rt>たれ</rt></ruby>も決して喰べてならない藁のオムレツまで、ネネムは喰べることを許されていました。それですから、誰が考えてもこんな幸福なことがない<ruby><rb>筈</rb><rt>はず</rt></ruby>だったのですが、実はネネムは一向面白くありませんでした。それというのは、あのネネムが八つの<ruby><rb>飢饉</rb><rt>ききん</rt></ruby>の年、お菓子の<ruby><rb>籠</rb><rt>かご</rt></ruby>に入れられて、「おおホイホイ、おおホイホイ。」と云いながらさらって行かれたネネムの妹のマミミのことが、一寸も頭から離れなかった<ruby><rb>為</rb><rt>ため</rt></ruby>です。

そこでネネムは、ある日、テーブルの上の<ruby><rb>鈴</rb><rt>リン</rt></ruby>をチチンと鳴らして、部下の検事を一人、呼びました。

「一寸君にたずねたいことがあるのだが。」

「何でございますか。」

「<ruby><rb>膝</rb><rt>ひざ</rt></ruby>やかかとの骨の、まだ<ruby><rb>堅</rb><rt>かた</rt></ruby>まらない小さな女の子をつかう商売は、一体どんな商売だろう。」

検事はしばらく考えてから答えました。

「それはばけもの<ruby><rb>奇術</rb><rt>きじゅつ</rt></ruby>でございましょう。ばけもの奇術師が、よく十二三位までの女の子を、変身術だと申して、ええこんどは犬の形、ええ今度は<ruby><rb>兎</rb><rt>うさぎ</rt></ruby>の形などと、ばけものをしんこ細工のように延ばしたり円めたり、耳を<ruby><rb>附</rb><rt>つ</rt></ruby>けたり又とったり<ruby><rb>致</rb><rt>いた</rt></ruby>すのをよく見受けます。」

「そうか。そして、そんなやつらは一体世界中に何人位あるのかな。」

「左様。一昨年の調べでは、奇術を職業にしますものは、五十九人となって<ruby><rb>居</rb><rt>お</rt></ruby>りますが、<ruby><rb>只今</rb><rt>ただいま</rt></ruby>は大分減ったかと存ぜられます。」

「そうか。どうもそんなしんこ細工のようなことをするというのは、この世界がまだなめくじでできていたころの遺風だ。一寸視察に出よう。事によると禁止をしなければなるまい。」

そこでネネムは、部下の検事を<ruby><rb>随</rb><rt>したが</rt></ruby>えて、今日もまちへ出ました。そして検事の案内で、まっすぐに奇術大一座のある処に参りました。奇術は今や丁度まっ最中です。

ネネムは、検事と<ruby><rb>一緒</rb><rt>いっしょ</rt></ruby>に中へはいりました。楽隊が<ruby><rb>盛</rb><rt>さか</rt></ruby>んにやっています。ギラギラする<ruby><rb>鋼</rb><rt>はがね</rt></ruby>の小手だけつけた青と白との二人のばけものが、電気<ruby><rb>決闘</rb><rt>けっとう</rt></ruby>というものをやっているのでした。<ruby><rb>剣</rb><rt>けん</rt></ruby>がカチャンカチャンと云うたびに、青い火花が、まるで<ruby><rb>箒</rb><rt>ほうき</rt></ruby>のように剣から出て、二人の顔を<ruby><rb>物凄</rb><rt>ものすご</rt></ruby>く照らし、見物のものはみんなはらはらしていました。

「仲々<ruby><rb>勇壮</rb><rt>ゆうそう</rt></ruby>だね。」とネネムは云いました。

そのうちにとうとう、一人はバアと音がして<ruby><rb>肩</rb><rt>かた</rt></ruby>から胸から<ruby><rb>腰</rb><rt>こし</rt></ruby>へかけてすっぽりと<ruby><rb>斬</rb><rt>き</rt></ruby>られて、からだがまっ二つに分れ、バランチャンと<ruby><rb>床</rb><rt>ゆか</rt></ruby>に<ruby><rb>倒</rb><rt>たお</rt></ruby>れてしまいました。

斬った方は肩を<ruby><rb>怒</rb><rt>いか</rt></ruby>らせて、三べん刀を高くふり<ruby><rb>廻</rb><rt>まわ</rt></ruby>し、<ruby><rb>紫色</rb><rt>むらさきいろ</rt></ruby>の<ruby><rb>烈</rb><rt>はげ</rt></ruby>しい火花を<ruby><rb>揚</rb><rt>あ</rt></ruby>げて、楽屋へはいって行きました。

すると倒れた方のまっ二つになったからだがバタッと又一つになって、見る見る傷口がすっかりくっつき、ゲラゲラゲラッと笑って起きあがりました。そして頭をほんのすこし下げてお辞儀をして、

「まだ傷口がよくくっつきませんから、<ruby><rb>粗末</rb><rt>そまつ</rt></ruby>なおじぎでごめんなさい。」と云いながら、又ゲラゲラゲラッと笑って、これも楽屋へはいって行きました。

ボロン、ボロン、ボロロン、とどらが鳴りました。一つの白いきれを<ruby><rb>掛</rb><rt>か</rt></ruby>けた<ruby><rb>卓子</rb><rt>テーブル</rt></ruby>と、<ruby><rb>椅子</rb><rt>いす</rt></ruby>とが持ち出されました。眼のまわりをまっ黒に<ruby><rb>塗</rb><rt>ぬ</rt></ruby>った若いばけものが、わざと少し口を<ruby><rb>尖</rb><rt>とが</rt></ruby>らして、テーブルに<ruby><rb>座</rb><rt>すわ</rt></ruby>りました。白い前掛をつけたばけものの給仕が、さしわたし四尺ばかりあるまっ白の<ruby><rb>皿</rb><rt>さら</rt></ruby>を、恭々しく持って来て卓子の上に置きました。

「フォーク！」と椅子にかけた若ばけものがテーブルを<ruby><rb>叩</rb><rt>たた</rt></ruby>きつけてどなりました。

「へい。これはとんだ無調法を致しました。ただ今、すぐ持って参ります。」と云いながら、その給仕は二尺ばかりあるホークを持って参りました。

「ナイフ！」と又若ばけものはテーブルを叩いてどなりました。

「へい。これはとんだ無調法を致しました。ただ今、すぐ持って参ります。」と云いながらその給仕は、幕のうしろにはいって行って、長さ二尺ばかりあるナイフを持って参りました。ところがそのナイフをテーブルの上に置きますと、すぐ刃がくにゃんとまがってしまいました。

「だめだ、こんなもの。」とその椅子にかけたばけものは、ナイフを床に投げつけました。

ナイフはひらひらと床に落ちて、パッと赤い火に燃えあがって消えてしまいました。

「へい。これは無調法致しました。ただ今のはナイフの広告でございました。本物のいいのを持って参ります。」と云いながら給仕は引っ<ruby><rb>込</rb><rt>こ</rt></ruby>んで行きました。

するとどうもネネムも検事もだれもかれもみんな<ruby><rb>愕</rb><rt>おどろ</rt></ruby>いてしまったことは、いつの間にか、どうして出て来たのか、すてきに大きな青いばけものがテーブルに置かれた皿の上に、あぐらをかいて、椅子に座った若ばけものを見おろしてすまし込んでいるのでした。青いばけものは、しずかにみんなの方を向きました。眼のまわりがまっ赤です。<ruby><rb>俄</rb><rt>にわか</rt></ruby>に見物がどっと<ruby><rb>叫</rb><rt>さけ</rt></ruby>びました。

「テン・テンテンテン・テジマア！　うまいぞ。」

「ほう、<ruby><rb>素敵</rb><rt>すてき</rt></ruby>だぞ。テジマア！」

テジマアと呼ばれた皿の上の大きなばけものは、顔をしずかに又廻して、椅子に座ったわかばけものの方を向きました。そして二人はまるで二匹の<ruby><rb>獅子</rb><rt>しし</rt></ruby>のように、じっとにらみ合いました。見物はもうみんな総立ちです。

「テジマア！　負けるな。しっかりやれ。」

「しっかりやれ。テジマア！　負けると食われるぞ。」こんなような大さわぎのあとで、こんどはひっそりとなりました。そのうちに椅子に座った若ばけものは<ruby><rb>眼</rb><rt>め</rt></ruby>が痛くなったらしく、とうとうまばたきを一つやりました。皿の上のテジマアはじりじりと顔をそっちへ寄せて行きます。若ばけものは又五つばかりつづけてまばたきをして、とうとうたまらなくなったと見えて、両手で眼を<ruby><rb>覆</rb><rt>おお</rt></ruby>いました。皿の上のテジマアは落ちついてにゅうと顔を差し出しました。若ばけものは、がたりと椅子から落ちました。テジマアはすっくりと皿の上に立ちあがって、それからひらりと皿をはね下りて、自分が椅子にどっかり座りそれから床の上に倒れている若ばけものを、雑作もなく皿の上につまみ上げました。

その時給仕が、たしかに<ruby><rb>金</rb><rt>かね</rt></ruby>でできたらしいナイフを持って来て、テーブルの上に置きました。テジマアは<ruby><rb>一寸</rb><rt>ちょっと</rt></ruby>うなずいて、ポッケットから<ruby><rb>財布</rb><rt>さいふ</rt></ruby>を出し、半紙判の<ruby><rb>紙幣</rb><rt>しへい</rt></ruby>を一枚引っぱり出して給仕にそれを<ruby><rb>握</rb><rt>にぎ</rt></ruby>らせました。

「今度の<ruby><rb>旦那</rb><rt>だんな</rt></ruby>は気前が実にいいなあ。」とつぶやきながら、ばけもの給仕は幕の中にはいって行きました。そこでテジマアは、ナイフをとり上げて皿の上のばけものを、もにゃもにゃもにゃっと切って、ホークに<ruby><rb>刺</rb><rt>さ</rt></ruby>して、むにゃむにゃむにゃっと<ruby><rb>喰</rb><rt>く</rt></ruby>ってしまいました。

その時「バア」と声がして、その食われた筈の若ばけものが、床の下から<ruby><rb>躍</rb><rt>おど</rt></ruby>りだしました。

「君よくたっしゃで居て<ruby><rb>呉</rb><rt>く</rt></ruby>れたね。」と云いながら、テジマアはそのわかばけものの手を取って、五六ぺんぶらぶら<ruby><rb>振</rb><rt>ふ</rt></ruby>りました。

「テジマア、テジマア！」

「うまいぞ、テジマア！」みんなはどっとはやしました。

<ruby><rb>舞台</rb><rt>ぶたい</rt></ruby>の上の二人は、手を握ったまま、ふいっとおじぎをして、それから、

「バラコック、バララゲ、ボラン、ボラン、ボラン」と変な歌を高く歌いながら、幕の中に引っ込んで行きました。

ボロン、ボロン、ボロロンと、どらが又鳴りました。

舞台が月光のようにさっと青くなりました。それからだんだんのんびりしたいかにも春らしい桃色に変りました。

まっ黒な着物を着たばけものが右左から十人ばかり大きなシャベルを持ったりきらきらするフォークをかついだりして出て来て

「おキレの<ruby><rb>角</rb><rt>つの</rt></ruby>はカンカンカン

ばけもの麦はベランべランベラン

ひばり、チッチクチッチクチー

フォークのひかりはサンサンサン。」

とばけもの世界の農業の歌を歌いながら畑を耕したり種子を<ruby><rb>蒔</rb><rt>ま</rt></ruby>いたりするようなまねをはじめました。たちまち床からベランベランベランと大きな緑色のばけもの麦の木が生え出して見る間に立派な茶色の<ruby><rb>穂</rb><rt>ほ</rt></ruby>を出し小さな白い花をつけました。舞台は燃えるように赤く光りました。

「おキレの角はケンケンケン

ばけもの麦はザランザララ

とんびトーロロトーロロトー、

<ruby><rb>鎌</rb><rt>かま</rt></ruby>のひかりは　シンシンシン。」

とみんなは<ruby><rb>足踏</rb><rt>あしぶ</rt></ruby>みをして歌いました。たちまち穂は立派な実になって頭をずうっと垂れました。黒いきもののばけものどもはいつの間にか大きな鎌を持っていてそれをサクサク<ruby><rb>刈</rb><rt>か</rt></ruby>りはじめました。歌いながら<ruby><rb>踊</rb><rt>おど</rt></ruby>りながら刈りました。見る見る麦の<ruby><rb>束</rb><rt>たば</rt></ruby>は山のように舞台のまん中に積みあげられました。

「おキレの角はクンクンクン

ばけもの麦はザック、ザック、ザ、

からすカーララ、カーララ、カー、

<ruby><rb>唐箕</rb><rt>とうみ</rt></ruby>のうなりはフウララフウ。」

みんなはいつの間にか棒を持っていました。そして麦束はポンポン叩かれたと思うと、もうみんな<ruby><rb>粒</rb><rt>つぶ</rt></ruby>が落ちていました。<span data-tei-rend="bosen 傍線 right" style="text-decoration-line: underline; text-decoration-style: solid"><ruby><rb>麦稈</rb><rt>むぎから</rt></ruby></span>は青いほのおをあげてめらめらと燃え、あとには黄色な麦粒の小山が残りました。みんなはいつの間にかそれを<ruby><rb>摺臼</rb><rt>すりうす</rt></ruby>にかけていました。大きな唐箕がもう<ruby><rb>据</rb><rt>す</rt></ruby>えつけられてフウフウフウと廻っていました。

舞台が俄かにすきとおるような<ruby><rb>黄金</rb><rt>きん</rt></ruby>色になりました。立派なひまわりの花がうしろの方にぞろりとならんで光っています。それから青や紺や黄やいろいろの<ruby><rb>色硝子</rb><rt>いろガラス</rt></ruby>でこしらえた羽虫が波になったり<ruby><rb>渦巻</rb><rt>うずまき</rt></ruby>になったりきらきらきらきら飛びめぐりました。

うしろのまっ黒なびろうどの幕が両方にさっと開いて顔の紺色な<ruby><rb>髪</rb><rt>かみ</rt></ruby>の火のようなきれいな女の子がまっ白なひらひらしたきものに宝石を<ruby><rb>一杯</rb><rt>いっぱい</rt></ruby>につけてまるで青や黄色のほのおのように踊って飛び出しました。見物はもうみんなきちがい<ruby><rb>鯨</rb><rt>くじら</rt></ruby>のような声で

「ケテン！　ケテン！」とどなりました。

女の子は笑ってうなずいてみんなに<ruby><rb>挨拶</rb><rt>あいさつ</rt></ruby>を返しながら舞台の前の方へ出て来ました。

黒いばけものはみんなで麦の粒をつかみました。

女の子も五六つぶそれをつまんでみんなの方に投げました。それが落ちて来たときはみんなまっ白な<ruby><rb>真珠</rb><rt>しんじゅ</rt></ruby>に変っていました。

「さあ、投げ。」と云いながら十人の黒いばけものがみな<ruby><rb>真似</rb><rt>まね</rt></ruby>をして投げました。バラバラバラバラ真珠の雨は見物の頭に落ちて来ました。

女の子は笑って何かかすかに<ruby><rb>呪</rb><rt>まじな</rt></ruby>いのような歌をやりながらみんなを指図しています。

ペンネンネンネンネン・ネネムはその女の子の顔をじっと見ました。たしかにたしかにそれこそは妹のペンネンネンネンネン・マミミだったのです。ネネムはとうとう<ruby><rb>堪</rb><rt>こら</rt></ruby>え兼ねて高く叫びました。

「マミミ。マミミ。おれだよ。ネネムだよ。」

女の子はぎょっとしたようにネネムの方を見ました。それから何か叫んだようでしたが声がかすれてこっちまで届きませんでした。ネネムは又叫びました。

「おれだ。ネネムだ。」

マミミはまるで頭から足から火がついたようにはねあがって舞台から飛び下りようとしましたら、黒い助手のばけものどもが麦をなげるのをやめてばらばら走って来てしっかりと<ruby><rb>押</rb><rt>おさ</rt></ruby>えました。

「マミミ。おれだ。ネネムだよ。」ネネムは舞台へはねあがりました。

幕のうしろからさっきのテジマアが黄色なゆるいガウンのようなものを着ていかにも落ち着いて出て参りました。

「さわがしいな。どうしたんだ。はてな。このお方はどうして舞台へおあがりになったのかな。」

ネネムはその顔をじっと見ました。それこそはあの<ruby><rb>飢饉</rb><rt>ききん</rt></ruby>の年マミミをさらった黒い男でした。

「<ruby><rb>黙</rb><rt>だま</rt></ruby>れ。忘れたか。おれはあの飢饉の年の森の中の子供だぞ。そしておれは今は世界裁判長だぞ。」

「それは大へんよろしい。それだからわしもあの時男の子は強いし<ruby><rb>大丈夫</rb><rt>だいじょうぶ</rt></ruby>だと云ったのだ。女の子の方は見ろ。この位立派になっている。もうスタアと云うものになってるぞ。お前も裁判長ならよく裁判して礼をよこせ。」

「しかしお前は<ruby><rb>何故</rb><rt>なぜ</rt></ruby>しんこ細工を興業するか。」

「いや。いやいややや。それは実に<ruby><rb>野蛮</rb><rt>やばん</rt></ruby>の遺風だな。この世界がまだなめくじでできていたころの遺風だ。」

「するとお前の<ruby><rb>処</rb><rt>ところ</rt></ruby>じゃしんこ細工の興業はやらんな。」

「<ruby><rb>勿論</rb><rt>もちろん</rt></ruby>さ。おれのとこのはみんな美学にかなっている。」

「いや。お前は<ruby><rb>偉</rb><rt>えら</rt></ruby>い。それではマミミを返して呉れ。」

「いいとも。連れて行きなさい。けれども本人が望みならまた<ruby><rb>寄越</rb><rt>よこ</rt></ruby>して呉れ。」

「うん。」

どうです。とうとうこんな変なことになりました。これというのもテジマアの<span data-tei-rend="bosen 傍線 right" style="text-decoration-line: underline; text-decoration-style: solid">ばけもの格</span>が高いからです。

とにかくそこでペンネンネンネンネン・ネネムはすっかり安心しました。

五、ペンネンネンネンネン・ネネムの出現

ペンネンネンネンネン・ネネムは独立もしましたし、立身もしましたし、<ruby><rb>巡視</rb><rt>じゅんし</rt></ruby>もしましたし、すっかり安心もしましたから、だんだんからだも<ruby><rb>肥</rb><rt>ふと</rt></ruby>り声も大へん重くなりました。

大抵の裁判はネネムが出て行って、どしりと<ruby><rb>椅子</rb><rt>いす</rt></ruby>にすわって物を云おうと一寸<ruby><rb>唇</rb><rt>くちびる</rt></ruby>をうごかしますと、もうちゃんときまってしまうのでした。

さて、ある日曜日、ペンネンネンネンネン・ネネムは三十人の部下をつれて、銀色の<ruby><rb>袍</rb><rt>ほう</rt></ruby>をひるがえしながら丘へ行きました。

クラレという<ruby><rb>百合</rb><rt>ゆり</rt></ruby>のような花が、まっ白にまぶしく光って、丘にもはざまにもいちめん咲いて居りました。ネネムは草に座って、つくづくとまっ青な空を見あげました。

部下の判事や検事たちが、その両側からぐるっと<ruby><rb>環</rb><rt>わ</rt></ruby>になってならびました。

「どうだい。いい天気じゃないか。

ここへ来て見るとわれわれの世界もずいぶんしずかだね。」ネネムが云いました。

みんなの<ruby><rb>影法師</rb><rt>かげぼうし</rt></ruby>が草にまっ黒に落ちました。

「ちかごろは<ruby><rb>噴火</rb><rt>ふんか</rt></ruby>もありませんし、<ruby><rb>地震</rb><rt>じしん</rt></ruby>もありませんし、どうも空は青い一方ですな。」

判事たちの中で一番位の高いまっ赤な、ばけものが云いました。

「そうだね全くそうだ。しかし昨日サンムトリが大分鳴ったそうじゃないか。」

「ええ新報に出て居りました。サンムトリというのはあれですか。」

二番目にえらい判事が向うの青く光る三角な山を指しました。

「うん。そうさ。<ruby><rb>僕</rb><rt>ぼく</rt></ruby>の計算によると、どうしても近いうちに<ruby><rb>噴</rb><rt>ふ</rt></ruby>き出さないといかんのだがな。何せ、サンムトリの底の<ruby><rb>瓦斯</rb><rt>ガス</rt></ruby>の圧力が九十億気圧以上になってるんだ。それにサンムトリの一番弱い所は、八十億気圧にしか<ruby><rb>耐</rb><rt>た</rt></ruby>えない<ruby><rb>筈</rb><rt>はず</rt></ruby>なんだ。それに噴火をやらんというのはおかしいじゃないか。僕の計算にまちがいがあるとはどうもそう思えんね。」

「ええ。」

上席判事やみんなが<ruby><rb>一緒</rb><rt>いっしょ</rt></ruby>にうなずきました。その時向うのサンムトリの青い光がぐらぐらっとゆれました。それからよこの方へ少しまがったように見えましたが、<ruby><rb>忽</rb><rt>たちま</rt></ruby>ち山が<ruby><rb>水瓜</rb><rt>すいか</rt></ruby>を割ったようにまっ二つに開き、黄色や<ruby><rb>褐色</rb><rt>かっしょく</rt></ruby>の<ruby><rb>煙</rb><rt>けむり</rt></ruby>がぷうっと高く高く噴きあげました。

それから<ruby><rb>黄金</rb><rt>きん</rt></ruby>色の<ruby><rb>熔岩</rb><rt>ようがん</rt></ruby>がきらきらきらと流れ出して見る間にずっと<ruby><rb>扇形</rb><rt>おうぎがた</rt></ruby>にひろがりました。見ていたものは

「ああやったやった。」

とそっちに手を延して高く叫びました。

「やったやった。とうとう噴いた。」

とペンネンネンネンネン・ネネムはけだかい<ruby><rb>紺青</rb><rt>こんじょう</rt></ruby>色にかがやいてしずかに云いました。

その時はじめて地面がぐらぐらぐら、波のようにゆれ

「ガーン、ドロドロドロドロドロ、ノンノンノンノン。」と耳もやぶれるばかりの音がやって来ました。それから風がどうっと<ruby><rb>吹</rb><rt>ふ</rt></ruby>いて行って忽ちサンムトリの煙は向うの方へ曲り空はますます青くクラレの花はさんさんとかがやきました。上席判事が云いました。

「裁判長はどうも実に偉い。今や<ruby><rb>地殻</rb><rt>ちかく</rt></ruby>までが裁判長の神聖な裁断に服するのだ。」

二番目の判事が云いました。

「実にペンネンネンネンネン・ネネム裁判長は<ruby><rb>超怪</rb><rt>ちょうかい</rt></ruby>である。私はニイチャの哲学が<ruby><rb>恐</rb><rt>おそ</rt></ruby>らくは裁判長から暗示を受けているものであることを主張する。」

みんなが一度に<ruby><rb>叫</rb><rt>さけ</rt></ruby>びました。

「ブラボオ、ネネム裁判長。ブラボオ、ネネム裁判長。」

ネネムはしずかに笑って居りました。その得意な顔はまるで青空よりもかがやき、上等の<ruby><rb>瑠璃</rb><rt>るり</rt></ruby>よりも<ruby><rb>冴</rb><rt>さ</rt></ruby>えました。そればかりでなく、みんなのブラボオの声は高く天地にひびき、地殻がノンノンノンノンとゆれ、やがてその波がサンムトリに届いたころ、サンムトリがその<ruby><rb>影響</rb><rt>えいきょう</rt></ruby>を受けて火柱高く第二の<ruby><rb>爆発</rb><rt>ばくはつ</rt></ruby>をやりました。

「ガーン、ドロドロドロドロ、ノンノンノンノン。」

それから風がどうっと吹いて行って、火山弾や熱い灰やすべてあぶないものがこの立派なネネムの方に落ちて来ないように山の向うの方へ追い<ruby><rb>払</rb><rt>はら</rt></ruby>ったのでした。ネネムはこの時は正によろこびの絶頂でした。とうとう立ちあがって高く歌いました。

「おれは昔は森の中の<ruby><rb>昆布</rb><rt>こんぶ</rt></ruby>取り、

その昆布<ruby><rb>網</rb><rt>あみ</rt></ruby>が空にひろがったとき

風の中のふかやさめがつきあたり

おれの手がぐらぐらとゆれたのだ。

おれはフウフィーヴオ博士の<ruby><rb>弟子</rb><rt>でし</rt></ruby>

博士はおれの出した筆記帳を

あくびと一しょにスポリと<ruby><rb>呑</rb><rt>の</rt></ruby>みこんだ。

それから博士は窓から飛んで出た。

おれはむかし奇術師のテジマアに

おれの妹をさらわれていた。

その奇術師のテジマアのところで

おれの妹はスタアになっていた。

いまではおれは<ruby><rb>勲章</rb><rt>くんしょう</rt></ruby>が百ダアス

<ruby><rb>藁</rb><rt>わら</rt></ruby>のオムレツももうたべあきた。

おれの裁断には地殻も服する

サンムトリさえ<ruby><rb>西瓜</rb><rt>すいか</rt></ruby>のように割れたのだ。」

さあ三十人の部下の判事と検事はすっかりつり込まれて一緒に立ち上がって、

「ブラボオ、ペンネンネンネンネン・ネネム

ブラボオ、ペンペンペンペンペン・ペネム。」

と叫びながら踊りはじめました。

「フィーガロ、フィガロト、フィガロット。」

クラレの花がきらきら光り、クラレの<ruby><rb>茎</rb><rt>くき</rt></ruby>がパチンパチンと折れ、みんなの影法師はまるで戦のように乱れて動きました。向うではサンムトリが第三回の爆発をやっています。

「ガアン、ドロドロドロドロ、ノンノンノンノン。」

<ruby><rb>黄金</rb><rt>きん</rt></ruby>の<ruby><rb>熔岩</rb><rt>ようがん</rt></ruby>、まっ黒なけむり。

「フィーガロ、フィガロト、フィガロット。

ペンネンネンネンネン・ネネム裁判長

その<ruby><rb>威</rb><rt>い</rt></ruby>オキレの金角とならび

まひるクラレの花の丘に立ち

遠い青びかりのサンムトリに命令する。

青びかりの三角のサンムトリが

たちまち火柱を空にささげる。

風が来てクラレの花がひかり

ペンネンネンネンネン・ネネムは高く笑う。

ブラボオ。ペンネンネンネンネン・ネネム

ブラボオ、ペンペンペンペンペン・ペネム。」

その時サンムトリが丁度第四回の爆発をやりました。

「ガアン、ドロドロドロドロ、ノンノンノンノンノン。」

ネネムをはじめばけものの検事も判事もみんな<ruby><rb>夢中</rb><rt>むちゅう</rt></ruby>になって歌ってはねて<ruby><rb>踊</rb><rt>おど</rt></ruby>りました。

「フィーガロ、フィガロト、フィガロット。

風が青ぞらを<ruby><rb>吼</rb><rt>ほ</rt></ruby>えて行けば

そのなごりが地面に下って

クラレの花がさんさんと光り

おれたちの<ruby><rb>袍</rb><rt>ほう</rt></ruby>はひるがえる。

さっきかけて行った風が

いまサンムトリに届いたのだ。

そのまっ黒なけむりの柱が

向うの方に<ruby><rb>倒</rb><rt>たお</rt></ruby>れて行く。

フィーガロ、フィガロト、フィガロット。

ブラボオ、ペンネンネンネンネン・ネネム

ブラボオ、ペンペンペンペンペン・ペネム。

おれたちの叫び声は地面をゆすり

その波は一分に二十五ノット

サンムトリの熱い<ruby><rb>岩漿</rb><rt>がんしょう</rt></ruby>にとどいて

とうとうも一度爆発をやった。

フィーガロ、フィガロト、フィガロット。

フィーガロ、フィガロト、フィガロット。」

ネネムは踊ってあばれてどなって笑ってはせまわりました。

その時どうしたはずみか、足が少し悪い方へそれました。

悪い方というのはクラレの花の咲いたばけもの世界の野原の<ruby><rb>一寸</rb><rt>ちょっと</rt></ruby>うしろのあたり、うしろと云うよりは少し前の方でそれは人間の世界なのでした。

「あっ。裁判長がしくじった。」

と<ruby><rb>誰</rb><rt>たれ</rt></ruby>かがけたたましく叫んでいるようでしたが、ネネムはもう頭がカアンと鳴ったまままっ黒なガツガツした岩の上に立っていました。

すぐ前には本当に<ruby><rb>夢</rb><rt>ゆめ</rt></ruby>のような細い細い<ruby><rb>路</rb><rt>みち</rt></ruby>が灰色の<ruby><rb>苔</rb><rt>こけ</rt></ruby>の中をふらふらと通っているのでした。そらがまっ白でずうっと高く、うしろの方はけわしい坂で、それも間もなくいちめんのまっ白な雲の中に消えていました。

どこにたった今歌っていたあのばけもの世界のクラレの花の咲いた野原があったでしょう。実にそれはネパールの国からチベットへ入る<ruby><rb>峠</rb><rt>とうげ</rt></ruby>の頂だったのです。

ネネムのすぐ前に三本の<ruby><rb>竿</rb><rt>さお</rt></ruby>が立ってその上に細長い<ruby><rb>紐</rb><rt>ひも</rt></ruby>のようなぼろ切れが<ruby><rb>沢山</rb><rt>たくさん</rt></ruby>結び付けられ、風にパタパタパタパタ鳴っていました。

ネネムはそれを見て思わずぞっとしました。

それこそはたびたび聞いた<ruby><rb>西蔵</rb><rt>チベット</rt></ruby>の<ruby><rb>魔除</rb><rt>まよ</rt></ruby>けの<ruby><rb>幡</rb><rt>はた</rt></ruby>なのでした。ネネムは<ruby><rb>逃</rb><rt>に</rt></ruby>げ出しました。まっ黒なけわしい岩の<ruby><rb>峯</rb><rt>みね</rt></ruby>の上をどこまでもどこまでも逃げました。

ところがすぐ向うから二人の<ruby><rb>巡礼</rb><rt>じゅんれい</rt></ruby>が細い声で歌を歌いながらやって参ります。ネネムはあわててバタバタバタバタもがきました。何とかして早くばけもの世界に<ruby><rb>戻</rb><rt>もど</rt></ruby>ろうとしたのです。

巡礼たちは早くもネネムを見つけました。そしてびっくりして地にひれふして何だかわけのわからない<ruby><rb>呪文</rb><rt>じゅもん</rt></ruby>をとなえ出しました。

ネネムはまるでからだがしびれて来ました。そしてだんだん気が遠くなってとうとうガーンと気絶してしまいました。

ガーン。

それからしばらくたってネネムはすぐ耳のところで

「裁判長。裁判長。しっかりなさい、裁判長。」という声を聞きました。おどろいて眼を明いて見るとそこはさっきのクラレの野原でした。

三十人の部下たちがまわりに集まって実に心配そうにしています。

「ああ僕はどうしたんだろう。」

「<ruby><rb>只今</rb><rt>ただいま</rt></ruby>空から落ちておいででございました。ご気分はいかがですか。」

上席判事が<ruby><rb>尋</rb><rt>たず</rt></ruby>ねました。

「ああ、ありがとう。もうどうもない。しかしとうとう僕は出現してしまった。

僕は今日は自分を裁判しなければならない。

ああ僕は辞職しよう。それからあしたから百日、ばけものの大学校の<ruby><rb>掃除</rb><rt>そうじ</rt></ruby>をしよう。ああ、何もかにもおしまいだ。」

ネネムは思わず泣きました。三十人の部下も一緒に大声で泣きました。その声はノンノンノンノンと地面に波をたて、それが向うのサンムトリに届いたころサンムトリが赤い火柱をあげて第五回の爆発をやりました。

「ガアン、ドロドロドロドロ。」

風がどっと吹いて折れたクラレの花がプルプルとゆれました。〔以下原稿なし〕