Soranoha

恋文

こいぶみ

高田 保

某日某所で、『ものは附』の遊びをやつた。『長いものは』といふのが題だつたのだが、『他人の恋文』といふ答へが出ると、判定で意見が分れた。他人の恋文と来れば誰だつて面白がつて読むことだから、これはちつとも長くないといふ説と、他人の恋文などとはくそ面白くもない。だからハガキ一枚にしろ長いぢやないかといふ説とだつた。どつちも本当なので、中々結着がつかず、『長いものは他人の恋文についての談議』といふことではどうかとなり、大笑ひをしたのを覚えてゐる。

が、それにしても、恋文といふものは他人に見せるものか? 常識としてはまあ見せぬ筈のものだらう。だがそれがとかく見つかり易い。見つかると騒動になる。現在ならば何事も「しかしそんなこと自由ぢやないか」と一言取り澄ましてセリフをいへばそれきりだらうが、昔だとこれが「不義者みつけたア」といふ喚きになつて、その証拠の一通があつちに行きこつちに渡り、それだけで全通し何幕といふ大狂言が出来上つたりしたものである。それほどの筋にならずとも、胸元を抑へられて、小突き廻はされるぐらいの小波瀾は、到底まぬがれ得ないところで、かうなると大の男である亭主も、小の女である女房の前に頭が上がらない。昔の封建日本は男性横暴だつたといふが、必ずしもさうでなかつたことは、維新のころの駐日英国公使だつたオルコック氏の『大君の都』といふ書物をみるとわかる。それにはこの亭主平謝まりの図が細密に描かれて「恋文発覚の図(ラヴレタア・ディスカヴァド)」と説明されてゐる。

秘めてゐるつもり、隠して抜かりのないつもりが、明日ありと思ふ心の仇桜で、いつどんなことになるかわかつたものではない。あるオペラ一座が『カルメン』を上演した。御承知のとほりあの中では、ミカエラが手紙をもつて現はれる。ホセをみつけてそれを渡す。お母さんからのお手紙よといふ。ホセは開いて、あゝ、懐かしの母上からと唄ふ。あの場面のときだが、ミカエラ役の女優ははたと当惑してしまつた。その手紙をもつて出るのをうつかり忘れてしまつたからである。あゝ、どうしたらいゝだらう? ところが一通持つてゐるにはゐた。がそれは小道具の手紙ではない。彼女自身が肌身につけて持つてゐた本当の手紙である。実は彼女の恋人からの大切な恋文だつたのだが、いまとなつてはそれを肌身から離して、代用させるより外はない。あゝ許し給へや恋人よ、と彼女はやむなく眼をつむるやうにしてそれを取り出した。そしてホセ役の男優に渡したのである。もしもこの男優が、かねてからこのミカエラ役の女優に横恋慕でもしてゐたのだつたら、大きにここが話の山になるところだらうが、とにかくホセ役の方ではいつもと同じに心得て封を切らうとして気がついた。するとミカエラが小声で、読まないでよと、いふ。読まなければ演技が出来ない。すでに封の切れてゐるのを切る風をして中をとり出す。ね、後生だから読まないでよと、いよいよ切なげにミカエラの小声がいふ。が、開けばたちまち眼に入るのだから仕方ない。読むともなく読むと、あゝこれは一体何たることだらう。天下の二枚目ともあるオペラ一座のテナァ唄ひが、満員のお客の前で、他人の恋文を読まされてゐるといふ訳か、とさうおもふと、途端に妙に咽喉がつまつて声が出なくなつた――といふ話、嘘ではない。あのときぐらゐ切なかつたこともないと、そのミカエラ女優は私に話した。が、さういつたあとで、でもあれを持つてゐたので、とにも角にも穴をあけずに済んだのよ。やつぱり恋人のおかげだつたわ。かうなるともう私も黙つて謝まるより外はない。

芝居の世界には何かと珍談がある。恋文を貰ふことなど、役者ともなれば自然多いことだし、多ければ自然扱ひも粗略になることだし、舞台に出る真際などに受取つて、ついそれを衣裳のポケットに突つ込んだまゝ忘れるなどといふことはざらにあるといつてもいゝだらう。狂言が変れば全部衣裳方の手に戻り、改めて手入れなどしてからまた出されるのだが、そのまゝ、ポケットの中に残つて、別な役者の手でそれが読まれたりする場合だつてないわけではない。そんなことからどんな飛んでもない事件が起つたりするか、これは諸君の御想像におまかせする。

可笑しいのは小道具に使はれる恋文である。鹿爪らしい顔をして舞台の役者はそれを読んでゐるが、実際は何が書いてあるか知れたものではない。毎日狂言方が書いたりするのだが、どうかするとその役者への貸金などの催促が書き込まれてゐて、すつかり腐らせられてしまつたといふやうなこともあるが、勿論これは真面目な劇団の話ではない。

恋人は捨てきれるが、恋文はちよつと捨てきれぬものだ――といふ。経験のない方々にはおわかりにならんだらうが、経験ずみの方々は、にやりとお笑ひになるだらう。とかく人情といふやつは可笑しなものである。

ある男、やはりそれを捨てきれず、錠のかゝる手箱に入れて持つてゐた。そのうちに結婚。他人からすゝめられて思はぬ人と家庭を作つたわけだが、何事も打ち明けるといつてもその手箱の中だけは見せられない。これはわが家の秘録でめつたには開けられぬものだとだけ説明して置いた。

さてある日、勤め先の会社へ電話がかゝつて来た。隣りから火事が出て大変なことになりましたと、その新妻からの知らせである。それはと驚いて駈けて帰る途中、あれも焼けたかこれもかといろいろ考へる。買ひたての電蓄、マホガニー張りの洋箪笥、登山靴、ピッケル、それから大切なライカがあつた、等々、走馬灯のやうにくるくると浮んでみえる。やつと火事場へ着いた。すると、新妻がその胸元にしつかり、一つの小さなものを抱きしめながら立つてゐた、あなた、これだけは、これだけは何よりも先きに持ち出して守つてをりましたわ。例の手箱である。

腹が立つたよ、と、その男はわらひながらこの話をしたものである。駈けつける途中、一度だつてそんなものは思ひ出しもしやしなかつたのに、といふのである。残つたところでそんなものは一文の値打ちもありやしないのにと、腹が立つた途端に、その新妻がすつかりいとしくなつてしまつた。何にもしらず、それを守り得たことを大きな手柄のやうに悦んでゐるのをみると、といふのだつたが、これはさもあつたらうと思ふ。以来この夫婦は、恋愛結婚のごとく情愛すこぶる濃やかなものとなつた。が、その手箱の始末はどうなつたか。

これはまた別なある男、捨てかねたがしかし、いつまでそのまゝにもして置きかねた。そこであれこれ思案の末に、それで風呂を沸かしたといふ。大した分量だとまづそれに驚かされるが、恋文風呂、果して首尾よくいゝ気持に温まれたかどうか、御本人はいゝ気持だつたらうが、それを貰ひ風呂した奴はどうだつたか、悪性の風邪など引き込んだかも知れない。

おなじく沸かすなら、茶の方が洒落れてゐるだらう。昔は恋人であつた彼女が、その旦那さんと一緒に訪ねて来たといふのである。よくお揃ひでお出で下すつたとその男はいそいそとそれを迎へ、まあお茶でもと七厘の下へ焚きつけたのが、昔のその彼女からの恋文の束だつたなどといふのはどうか。作り話と聞えるだらうが、これも実話である。やがて日が暮れ暗くなつて帰るとき、そこの石段のところ足許が危いから、たいまつを灯しませうと、これもそれをぐるぐると巻いて燃やしつけて送り出したと、さる友人の偽はらぬ打ち明け話なのである。それでその女の人は、それと気づいてゐたのかと尋くと、さあどうだらうなと、友人は笑つただけだつた。

旦那さんを連れて、昔の恋人だつた男の許を訪ねる。などといふ女性心理、これはどうも男にはわからない。が、こんな場合、男は男同士、妙な友情を感じあつたりするものではある。これは女にはわからん機微かもしれぬ。かうなると、所詮、男は男で、女は女といふことになるか。

ベートォヴェン、彼はよく女に恋した。恋した熱情をガソリンにして音楽を作り上げたといつてもいゝ、有名な『月光曲』もさうである。ところで、この『月光曲』を彼に作らせた女の人は、単純なフラッパァであつたらしく、まもなく彼の許から遠のいて、ある伯爵と結婚してしまつた。その後ベートォヴェンは以前よりも一層有名な音楽家になる。ワイマール大公やその他当時の貴族たちの尊敬をうける。そこで彼女は伯爵をつれて彼の許を訪れた。伯爵のために何かと骨を折つて貰はうといふ虫のいゝ魂胆からである。人のいゝベートォヴェンは、その通りにしてやつたらしい。とにかく彼と伯爵との間には友情が結ばれた。だが彼は、その伯爵夫人をひどく『軽蔑』してゐたといはれてゐる。『恋愛』から『軽蔑』へと、これほどの大きな転落もないだらう。

覆水無収日

去婦無還時

相逢但一笑

且為立遅々

といふ詩が中国の小説の中に出てくる。こぼれた水は戻るまい。逃げた女は帰るまい。逢つても笑つたきりである。しづかに立つたきりである。といふほどの意味だとおもふが、朱買臣の妻といふ話が中国にある。朱買臣といふのは貧乏人の子だつたが、ひどく学問好きで、本を読むことを好んだ。営々と稼ぐことを忘れてゐたから貧乏がよけいひどかつた。その妻その貧乏を恥ぢ、つひに彼を罵つて去る。ところが朱買臣はその勉強の甲斐あつて科挙に及第した。出世して大官となる。昔の妻を探し求めると、彼女は身を落して道路工事の女土方になつてゐた。引き取らうとすると、おのが愚を悔んで自ら縊れて死んでしまつたといふのである。ベートォヴェンに軽蔑された伯爵夫人よりもこの方が数等しをらしいかも知れない。

小説の中では、別れた女は酒屋へ嫁いで酒を売つてゐることになつてゐる。進士になつた男が通りかゝつてそれを見る。轎を駐め、傘をさしかけさせ、公服を着て堂々とその店に入る。女はそれと知つて顔を固くしたものの、「あなたはあなたでお役人、わたしはわたしでお酒売り」と、とり澄ましていつたきりだつた、となつてゐる。まことに見上げた態度なのだが、その先を読むと衆人に罵倒されて耐へられず、遂にはやはり自ら縊ることになつてゐる。世間といふやつはどうも、どこの国でも、女に対してはお節介すぎるらしい。いやアメリカだけは別かな?

底本 / Source edition

底本:「日本の名随筆 別巻36 恋文」作品社
1994(平成6)年2月25日第1刷発行
1999(平成11)年7月10日第2刷発行
底本の親本:「高田保著作集 第四巻」創元社
1952(昭和27)年11月
入力:雪華
校正:土屋隆
2004年3月28日作成
青空文庫作成ファイル:
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書誌 / Bibliography
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高田 保「恋文」(新字旧仮名)、底本『日本の名随筆 別巻36 恋文』作品社、1994年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 024440_001073, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

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