一

<ruby><rb>彼</rb><rt>カ</rt></ruby>の人の眠りは、<ruby><rb>徐</rb><rt>シヅ</rt></ruby>かに覺めて行つた。まつ黒い夜の中に、更に冷え壓するものゝ澱んでゐるなかに、目のあいて來るのを、覺えたのである。

した　した　した。耳に傳ふやうに來るのは、水の垂れる音か。ただ凍りつくやうな暗闇の中で、おのづと睫と睫とが離れて來る。

膝が、肱が、徐ろに埋れてゐた感覺をとり戻して來るらしく、<ruby><rb>彼</rb><rt>カ</rt></ruby>の<ruby><rb>人</rb><rt>ヒト</rt></ruby>の頭に響いて居るもの――。全身にこはゞつた筋が、僅かな響きを立てゝ、掌・足の裏に到るまで、<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">ひきつれ</span>を起しかけてゐるのだ。

さうして、なほ深い闇。ぽつちりと目をあいて見𢌞す瞳に、まづ<ruby><rb>壓</rb><rt>アツ</rt></ruby>しかゝる黒い巖の天井を意識した。次いで、氷になつた岩<ruby><rb>牀</rb><rt>ドコ</rt></ruby>。兩脇に垂れさがる荒岩の壁。した〱と、<ruby><rb>岩傳</rb><rt>イハヅタ</rt></ruby>ふ雫の音。

時がたつた――。眠りの深さが、はじめて頭に浮んで來る。長い眠りであつた。けれども亦、淺い夢ばかりを見續けて居た氣がする。うつら〱思つてゐた考へが、現實に繋つて、あり〱と、目に沁みついてゐるやうである。

あゝ<ruby><rb>耳面刀自</rb><rt>ミヽモノトジ</rt></ruby>。

<ruby><rb>甦</rb><rt>ヨミガヘ</rt></ruby>つた語が、彼の人の記憶を、更に彈力あるものに、響き返した。

耳面刀自。おれはまだお前を……思うてゐる。おれはきのふ、こゝに來たのではない。それも、をとゝひや、其さきの日に、こゝに眠りこけたのでは、決してないのだ。おれは、もつと〱長く寢て居た。でも、おれはまだ、お前を思ひ續けて居たぞ。<ruby><rb>耳面刀自</rb><rt>ミヽモノトジ</rt></ruby>。こゝに來る前から……こゝに寢ても、……其から、覺めた今まで、一續きに、一つ事を考へつめて居るのだ。

古い――祖先以來さうしたやうに、此世に在る間さう暮して居た――<ruby><rb>習</rb><rt>ナラハ</rt></ruby>しからである。彼の人は、<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">のくつと</span>起き直らうとした。だが、筋々が<ruby><rb>斷</rb><rt>キ</rt></ruby>れるほどの痛みを感じた。骨の節々の挫けるやうな、疼きを覺えた。……さうして尚、ぢつと、――ぢつとして居る。<ruby><rb>射干玉</rb><rt>ヌバタマ</rt></ruby>の闇。黒玉の大きな石壁に、刻み込まれた白々としたからだの樣に、嚴かに、だが、すんなりと、手を伸べたまゝで居た。

耳面刀自の記憶。たゞ其だけの深い凝結した記憶。其が次第に<ruby><rb>蔓</rb><rt>ヒロガ</rt></ruby>つて、過ぎた日の樣々な姿を、短い聯想の紐に貫いて行く。さうして明るい意思が、彼の人の<ruby><rb>死枯</rb><rt>シニガ</rt></ruby>れたからだに、再立ち直つて來た。

耳面刀自。おれが見たのは、唯一目――唯一度だ。だが、おまへのことを聞きわたつた年月は、久しかつた。おれによつて來い。耳面刀自。

記憶の裏から、反省に似たものが浮び出て來た。

おれは、このおれは、何處に居るのだ。……それから、こゝは何處なのだ。其よりも第一、此おれは<ruby><rb>誰</rb><rt>ダレ</rt></ruby>なのだ。其をすつかり、おれは忘れた。

だが、待てよ。おれは覺えて居る。あの時だ。鴨が<ruby><rb>聲</rb><rt>ネ</rt></ruby>を聞いたのだつけ。さうだ。<ruby><rb>譯語田</rb><rt>ヲサダ</rt></ruby>の家を引き出されて、<ruby><rb>磐余</rb><rt>イハレ</rt></ruby>の池に行つた。堤の上には、遠捲きに人が一ぱい。あしこの萱原、そこの<ruby><rb>矮叢</rb><rt>ボサ</rt></ruby>から、首がつき出て居た。皆が、大きな<ruby><rb>喚</rb><rt>オラ</rt></ruby>び聲を、擧げて居たつけな。あの聲は殘らず、おれをいとしがつて居る、半泣きの<ruby><rb>喚</rb><rt>ワメ</rt></ruby>き聲だつたのだ。

其でもおれの心は、澄みきつて居た。まるで、池の水だつた。あれは、秋だつたものな。はつきり聞いたのが、水の上に浮いてゐる鴨<ruby><rb>鳥</rb><rt>ドリ</rt></ruby>の<ruby><rb>聲</rb><rt>コヱ</rt></ruby>だつた。今思ふと――待てよ。其は何だか一目惚れの女の哭き聲だつた氣がする。――をゝ、あれが耳面刀自だ。其瞬間、肉體と一つに、おれの心は、急に締めあげられるやうな刹那を、通つた氣がした。俄かに、樂な廣々とした世間に、出たやうな感じが來た。さうして、ほんの暫らく、<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">ふつ</span>とさう考へたきりで……、空も見ぬ、土も見ぬ、花や、木の色も消え去つた――おれ自分すら、おれが何だか、ちつとも訣らぬ世界のものになつてしまつたのだ。

あゝ、其時きり、おれ自身、このおれを、忘れてしまつたのだ。

足の<ruby><rb>踝</rb><rt>クルブシ</rt></ruby>が、膝の<ruby><rb>膕</rb><rt>ヒツカヾミ</rt></ruby>が、腰の<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">つがひ</span>が、頸のつけ根が、<ruby><rb>顳顬</rb><rt>コメカミ</rt></ruby>が、ぼんの窪が――と、段々上つて來るひよめきの爲に蠢いた。自然に、ほんの偶然強ばつたまゝの膝が、折り屈められた。だが、依然として――<ruby><rb>常闇</rb><rt>トコヤミ</rt></ruby>。

をゝさうだ。伊勢の國に居られる貴い<ruby><rb>巫女</rb><rt>ミコ</rt></ruby>――おれの姉<ruby><rb>御</rb><rt>ゴ</rt></ruby>。あのお人が、おれを呼び活けに來てゐる。

姉御。こゝだ。でもおまへさまは、尊い<ruby><rb>御</rb><rt>オン</rt></ruby>神に仕へてゐる人だ。おれのからだに、<ruby><rb>觸</rb><rt>サハ</rt></ruby>つてはならない。そこに居るのだ。ぢつとそこに、蹈み<ruby><rb>止</rb><rt>トマ</rt></ruby>つて居るのだ。――あゝおれは、死んでゐる。死んだ。殺されたのだ……忘れて居た。さうだ。此は、おれの墓だ。

いけない。そこを<ruby><rb>開</rb><rt>ア</rt></ruby>けては。塚の通ひ路の、扉をこじるのはおよし。……よせ。よさないか。姉の馬鹿。

なあんだ。誰も、來ては居なかつたのだな。あゝよかつた。おれのからだが、<ruby><rb>天日</rb><rt>テンピ</rt></ruby>に<ruby><rb>暴</rb><rt>サラ</rt></ruby>されて、見る〱、腐るところだつた。だが、をかしいぞ。かうつと――あれは昔だ。あのこじあける音がするのも、昔だ。姉御の聲で、塚道の扉を叩きながら、言つて居たのも<ruby><rb>今</rb><rt>インマ</rt></ruby>の事――だつたと思ふのだが。昔だ。

おれのこゝへ來て、間もないことだつた。おれは知つてゐた。十月だつたから、鴨が鳴いて居たのだ。其鴨みたいに、首を捻ぢちぎられて、何も訣らぬものになつたことも。<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">かうつと</span>――姉御が、墓の戸で哭き<ruby><rb>喚</rb><rt>ワメ</rt></ruby>いて、歌をうたひあげられたつけ。「<ruby><rb>巖石</rb><rt>イソ</rt></ruby>の<ruby><rb>上</rb><rt>ウヘ</rt></ruby>に生ふる<ruby><rb>馬醉木</rb><rt>アシビ</rt></ruby>を」と聞えたので、<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">ふと</span>、冬が過ぎて、春も<ruby><rb>闌</rb><rt>タ</rt></ruby>け初めた頃だと知つた。おれの<ruby><rb>骸</rb><rt>ムクロ</rt></ruby>が、もう半分融け出した時分だつた。その<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">あと</span>、「たをらめど……見すべき君がありと言はなくに」。さう言はれたので、はつきりもう、死んだ人間になつた、と感じたのだ。……其時、手で、今してる樣にさはつて見たら、驚いたことに、おれのからだは、著こんだ著物の下で、<ruby><rb>腊</rb><rt>ホジヽ</rt></ruby>のやうに、ぺしやんこになつて居た――。

<ruby><rb>臂</rb><rt>カヒナ</rt></ruby>が動き出した。片手は、まつくらな<ruby><rb>空</rb><rt>クウ</rt></ruby>をさした。さうして、今一方は、そのまゝ、岩<ruby><rb>牀</rb><rt>ドコ</rt></ruby>の上を掻き搜つて居る。

うつそみの人なる我や。明日よりは、<ruby><rb>二上</rb><rt>フタカミ</rt></ruby>山を<ruby><rb>愛兄弟</rb><rt>イロセ</rt></ruby>と思はむ

<ruby><rb>誄歌</rb><rt>ナキウタ</rt></ruby>が聞えて來たのだ。姉御があきらめないで、も一つつぎ足して、歌つてくれたのだ。其で知つたのは、おれの墓と言ふものが、二上山の上にある、と言ふことだ。

よい姉御だつた。併し、其歌の後で、又おれは、何もわからぬものになつてしまつた。

其から、どれほどたつたのかなあ。どうもよつぽど、長い間だつた氣がする。伊勢の巫女樣、尊い姉御が來てくれたのは、居睡りの夢を醒された感じだつた。其に比べると、今度は深い睡りの<ruby><rb>後</rb><rt>アト</rt></ruby>見たいな氣がする。あの音がしてる。昔の音が――。

手にとるやうだ。目に見るやうだ。心を鎭めて――。鎭めて。でないと、この考へが、復散らかつて行つてしまふ。おれの昔が、あり〱と訣つて來た。だが待てよ。……其にしても一體、こゝに居るおれは、だれなのだ。だれの子なのだ。だれの<ruby><rb>夫</rb><rt>ツマ</rt></ruby>なのだ。其をおれは、忘れてしまつてゐるのだ。

兩の臂は、頸の𢌞り、胸の上、腰から膝をまさぐつて居る。さうしてまるで、生き物のするやうな、深い溜め息が洩れて出た。

大變だ。おれの著物は、もうすつかり朽つて居る。おれの<ruby><rb>褌</rb><rt>ハカマ</rt></ruby>は、ほこりになつて飛んで行つた。どうしろ、と言ふのだ。此おれは、著物もなしに、寢て居るのだ。

筋ばしるやうに、彼の人のからだに、血の馳け𢌞るに似たものが、過ぎた。肱を支へて、上半身が、闇の中に起き上つた。

をゝ寒い。おれを、どうしろと仰るのだ。尊いおつかさま。おれが惡かつたと言ふのなら、あやまります。著物を下さい。著物を――。おれのからだは、地べたに凍りついてしまひます。

彼の人には、聲であつた。だが、聲でないものとして、消えてしまつた。聲でない<ruby><rb>語</rb><rt>コトバ</rt></ruby>が、何時までも續いてゐる。

くれろ。おつかさま。著物がなくなつた。すつぱだかで出て來た赤ん坊になりたいぞ。赤ん坊だ。おれは。こんなに、寢床の上を這ひずり𢌞つてゐるのが、だれにも訣らぬのか。こんなに、手足をばた〲やつてゐるおれの、見える奴が居ぬのか。

その唸き聲のとほり、彼の人の<ruby><rb>骸</rb><rt>ムクロ</rt></ruby>は、まるで<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">だゞ</span>をこねる赤子のやうに、足もあがゞに、身あがきをば、くり返して居る。明りのさゝなかつた墓穴の中が、時を經て、薄い氷の膜ほど<ruby><rb>透</rb><rt>ス</rt></ruby>けてきて、物のたゝずまひを、幾分朧ろに、見わけることが出來るやうになつて來た。どこからか、月光とも思へる薄あかりが、さし入つて來たのである。

どうしよう。どうしよう。おれは。――大刀までこんなに、錆びついてしまつた……。

二

月は、依然として照つて居た。山が高いので、光りにあたるものが少かつた。山を照し、谷を輝かして、剩る光りは、又空に跳ね返つて、殘る隈々までも、鮮やかにうつし出した。

足もとには、澤山の峰があつた。黒ずんで見える峰々が、入りくみ、絡みあつて、深々と畝つてゐる。其が見えたり隱れたりするのは、この夜更けになつて、俄かに出て來た霞の<ruby><rb>所爲</rb><rt>セヰ</rt></ruby>だ。其が又、此冴えざえとした月夜を、<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">ほ</span>つ<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">とり</span>と、暖かく感じさせて居る。

廣い<ruby><rb>端山</rb><rt>ハヤマ</rt></ruby>の<ruby><rb>群</rb><rt>ムラガ</rt></ruby>つた<ruby><rb>先</rb><rt>サキ</rt></ruby>は、白い砂の光る河原だ。目の下遠く續いた、輝く<ruby><rb>大佩帶</rb><rt>オホオビ</rt></ruby>は、石川である。その南北に渉つてゐる長い光りの筋が、北の端で急に廣がつて見えるのは、<ruby><rb>凡河内</rb><rt>オホシカフチ</rt></ruby>の邑のあたりであらう。其へ、山<ruby><rb>間</rb><rt>アヒ</rt></ruby>を出たばかりの<ruby><rb>堅鹽</rb><rt>カタシホ</rt></ruby>川―大和川―が落ちあつて居るのだ。そこから、<ruby><rb>乾</rb><rt>イヌヰ</rt></ruby>の方へ、光りを照り返す平面が、幾つも列つて見えるのは、<ruby><rb>日下江</rb><rt>クサカエ</rt></ruby>・<ruby><rb>永瀬江</rb><rt>ナガセエ</rt></ruby>・<ruby><rb>難波江</rb><rt>ナニハエ</rt></ruby>などの水面であらう。

寂かな夜である。やがて鷄鳴近い山の姿は、一樣に露に濡れたやうに、しつとりとして靜まつて居る。谷にちら〱する雪のやうな輝きは、目の下の山田谷に多い、小櫻の遲れ咲きである。

一本の路が、眞直に通つてゐる。二上山の<ruby><rb>男嶽</rb><rt>ヲノカミ</rt></ruby><ruby><rb>女嶽</rb><rt>メノカミ</rt></ruby>の間から、急に<ruby><rb>降</rb><rt>サガ</rt></ruby>つて來るのである。<ruby><rb>難波</rb><rt>ナニハ</rt></ruby>から<ruby><rb>飛鳥</rb><rt>アスカ</rt></ruby>の都への古い間道なので、日によつては、晝は相應な人通りがある。道は白々と廣く、夜目には、芝草の<ruby><rb>蔓</rb><rt>ハ</rt></ruby>つて居るのすら見える。<ruby><rb>當麻路</rb><rt>タギマヂ</rt></ruby>である。一降りして又、大<ruby><rb>降</rb><rt>クダ</rt></ruby>りにかゝらうとする處が、中だるみに、やゝ<ruby><rb>坦</rb><rt>ヒラタ</rt></ruby>くなつてゐた。梢の尖つた<ruby><rb>栢</rb><rt>カヘ</rt></ruby>の木の森。半世紀を經た位の木ぶりが、一樣に揃つて見える。月の光りも薄い木陰全體が、勾配を背負つて造られた圓塚であつた。月は、瞬きもせずに照し、山々は深く眶を閉ぢてゐる。

こう　こう　こう。

<ruby><rb>先刻</rb><rt>サツキ</rt></ruby>から、聞えて居たのかも知れぬ。あまり寂けさに馴れた耳は、新な聲を聞きつけよう、としなかつたのであらう。だから、今珍しく響いて來た感じもないのだ。

こう　こう　こう――こう　こう　こう。

確かに人聲である。鳥の夜聲とは、はつきりかはつた<ruby><rb>韻</rb><rt>ヒヾキ</rt></ruby>を曳いて來る。聲は、暫らく止んだ。靜寂は以前に増し、冴え返つて張りきつてゐる。

この山の峰つゞきに見えるのは、南に幾重ともなく重つた、葛城の峰々である。<ruby><rb>伏越</rb><rt>フシゴエ</rt></ruby><ruby><rb>櫛羅</rb><rt>クシラ</rt></ruby><ruby><rb>小巨勢</rb><rt>コヾセ</rt></ruby>と段々高まつて、果ては空の中につき入りさうに、二上山と、この塚にのしかゝるほど、眞黒に立ちつゞいてゐる。

當麻路をこちらへ降つて來るらしい影が、見え出した。二つ三つ五つ……八つ九つ。九人の姿である。急な降りを一氣に、この河内路へ馳けおりて來る。

九人と言ふよりは、九柱の神であつた。白い著物・白い<ruby><rb>鬘</rb><rt>カツラ</rt></ruby>、手は、足は、すべて旅の<ruby><rb>裝束</rb><rt>イデタチ</rt></ruby>である。頭より上に出た杖をついて――。この<ruby><rb>坦</rb><rt>タヒラ</rt></ruby>に來て、森の前に立つた。

こう　こう　こう。

誰の口からともなく、一時に出た叫びである。山々の<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">こだま</span>は、驚いて一樣に、忙しく聲を合せた。だが山は、忽一時の騷擾から、元の<ruby><rb>緘默</rb><rt>シヾマ</rt></ruby>に戻つてしまつた。

こう　こう。お出でなされ。藤原<ruby><rb>南家</rb><rt>ナンケ</rt></ruby><ruby><rb>郎女</rb><rt>イラツメ</rt></ruby>の<ruby><rb>御魂</rb><rt>ミタマ</rt></ruby>。

こんな奧山に、迷うて居るものではない。早く、もとの身に戻れ。こう　こう。

お身さまの<ruby><rb>魂</rb><rt>タマ</rt></ruby>を、今、山たづね尋ねて、尋ねあてたおれたちぞよ。こう　こう　こう。

九つの杖びとは、心から神になつて居る。彼らは、杖を地に置き、鬘を解いた。鬘は此時、唯眞白な布に過ぎなかつた。其を、長さの限り振り捌いて、一樣に塚に向けて振つた。

こう　こう　こう。

かう言ふ動作をくり返して居る間に、自然な感情の欝屈と、休息を欲するからだの疲れとが、九體の神の心を、人間に返した。彼らは見る間に、白い布を頭に捲きこんで鬘とし、杖を手にとつた旅人として、立つてゐた。

をい。<ruby><rb>無言</rb><rt>シヾマ</rt></ruby>の<ruby><rb>勤</rb><rt>ツト</rt></ruby>めも此までぢや。

をゝ。

八つの聲が答へて、彼等は訓練せられた所作のやうに、忽一度に、草の上に<ruby><rb>寛</rb><rt>クツロ</rt></ruby>ぎ、再杖を横へた。

これで大和も、河内との境ぢやで、もう魂ごひの<ruby><rb>行</rb><rt>ギヤウ</rt></ruby>もすんだ。今時分は、郎女さまのからだは、<ruby><rb>廬</rb><rt>イホリ</rt></ruby>の中で魂をとり返して、ぴち〱しく居られようぞ。

こゝは、何處だいの。

知らぬかいよ。大和にとつては大和の國、河内にとつては河内の國の<ruby><rb>大關</rb><rt>オホゼキ</rt></ruby>。二上の<ruby><rb>當麻路</rb><rt>タギマヂ</rt></ruby>の<ruby><rb>關</rb><rt>セキ</rt></ruby>――。

別の<ruby><rb>長老</rb><rt>トネ</rt></ruby>めいた者が、説明を<ruby><rb>續</rb><rt>ツ</rt></ruby>いだ。

四五十年あとまでは、唯關と言ふばかりで、何の<ruby><rb>標</rb><rt>シルシ</rt></ruby>もなかつた。其があの、近江の滋賀の宮に馴染み深かつた、其よ。大和では、<ruby><rb>磯城</rb><rt>シキ</rt></ruby>の<ruby><rb>譯語田</rb><rt>ヲサダ</rt></ruby>の<ruby><rb>御館</rb><rt>ミタチ</rt></ruby>に居られたお方。池上の堤で命召されたあのお方の<ruby><rb>骸</rb><rt>ムクロ</rt></ruby>を、罪人に<ruby><rb>殯</rb><rt>モガリ</rt></ruby>するは、災の元と、<ruby><rb>天若日子</rb><rt>アメワカヒコ</rt></ruby>の昔語りに任せて、其まゝ此處にお搬びなされて、お<ruby><rb>埋</rb><rt>イ</rt></ruby>けになつたのが、此塚よ。

以前の聲が、まう一層皺がれた響きで、話をひきとつた。

其時の仰せには、罪人よ。<ruby><rb>吾子</rb><rt>ワコ</rt></ruby>よ。吾子の<ruby><rb>爲了</rb><rt>シヲフ</rt></ruby>せなんだ<ruby><rb>荒</rb><rt>アラ</rt></ruby>び心で、吾子よりももつと、わるい猛び心を持つた者の、大和に來向ふのを、待ち押へ、<ruby><rb>塞</rb><rt>サ</rt></ruby>へ防いで居ろ、と仰せられた。

ほんに、あの頃は、まだおれたちも、<ruby><rb>壯盛</rb><rt>ワカザカ</rt></ruby>りぢやつたに。今ではもう、五十年昔になるげな。

今一人が、相談でもしかける樣な、口ぶりを揷んだ。

さいや。あの時も墓作りに雇はれた。その後も、當麻路の修覆に召し出された。此お墓の事は、よく知つて居る。ほんの苗木ぢやつた<ruby><rb>栢</rb><rt>カヘ</rt></ruby>が、此ほどの森になつたものな。<ruby><rb>畏</rb><rt>コハ</rt></ruby>かつたぞよ。此墓のみ<ruby><rb>魂</rb><rt>タマ</rt></ruby>が、河内<ruby><rb>安宿部</rb><rt>アスカベ</rt></ruby>から石<ruby><rb>擔</rb><rt>モ</rt></ruby>ちに來て居た男に、憑いた時はなう。

九人は、完全に<ruby><rb>現</rb><rt>ウツ</rt></ruby>し世の庶民の心に、なり還つて居た。山の上は、昔語りするには、あまり寂しいことを忘れて居たのである。時の更け過ぎた事が、彼等の心には、現實にひし〱と、感じられ出したのだらう。

もう此でよい。戻らうや。

よかろ　よかろ。

皆は、鬘をほどき、杖を棄てた白衣の修道者、と言ふだけの<ruby><rb>姿</rb><rt>ナリ</rt></ruby>になつた。

だがの。皆も知つてようが、このお塚は、<ruby><rb>由緒</rb><rt>ユヰシヨ</rt></ruby><ruby><rb>深</rb><rt>フカ</rt></ruby>い、氣のおける處ゆゑ、まう一度、魂ごひをしておくまいか。

<ruby><rb>長老</rb><rt>トネ</rt></ruby>の語と共に、修道者たちは、再<ruby><rb>魂呼</rb><rt>タマヨバ</rt></ruby>ひの<ruby><rb>行</rb><rt>ギヤウ</rt></ruby>を初めたのである。

こう　こう　こう。

をゝ……。

異樣な聲を出すものだ、と初めは誰も、自分らの中の一人を疑ひ、其でも變に、おぢけづいた心を持ちかけてゐた。も一度、

こう　こう　こう。

其時、塚穴の深い奧から、冰りきつた、而も今息を吹き返したばかりの聲が、明らかに和したのである。

をゝう……。

九人の心は、ばら〲の九人の心々であつた。からだも亦ちり〲に、山田谷へ、竹内谷へ、大阪越えへ、又當麻路へ、峰にちぎれた白い雲のやうに、消えてしまつた。

唯疊まつた山と、谷とに響いて、一つの聲ばかりがする。

をゝう……。

三

萬法藏院の北の山陰に、昔から小な庵室があつた。昔からと言ふのは、村人がすべてさう信じて居たのである。荒廢すれば繕ひ〱して、人は住まぬ<ruby><rb>廬</rb><rt>イホリ</rt></ruby>に、孔雀明王像が据ゑてあつた。<ruby><rb>當麻</rb><rt>タギマ</rt></ruby>の村人の中には、稀に、此が山田寺である、と言ふものもあつた。さう言ふ人の傳へでは、萬法藏院は、山田寺の荒れて後、飛鳥の宮の仰せを受けてとも言ひ、又御自身の<ruby><rb>御發起</rb><rt>ゴホツキ</rt></ruby>からだとも言ふが、一人の尊いみ子が、昔の地を占めにお出でなされて、大伽藍を建てさせられた。其際、山田寺の舊構を殘すため、寺の四至の中、北の隅へ、當時立ち朽りになつて居た堂を移し、規模を小くして造られたもの、と傳へ言ふのであつた。

さう言へば、山田寺は、<ruby><rb>役君小角</rb><rt>エノキミヲヅカ</rt></ruby>が、山林佛教を創める最初の<ruby><rb>足代</rb><rt>アシヽロ</rt></ruby>になつた處だと言ふ傳へが、吉野や、葛城の<ruby><rb>山伏行人</rb><rt>ヤマブシギヤウニン</rt></ruby>の間に行はれてゐた。何しろ、萬法藏院の大伽藍が燒けて百年、荒野の道場となつて居た、目と鼻との間に、こんな古い建て物が、殘つて居たと言ふのも、不思議なことである。

夜は、もう更けて居た。谷川の<ruby><rb>激</rb><rt>タギ</rt></ruby>ちの音が、段々高まつて來る。二上山の二つの峰の間から、流れくだる水なのだ。

廬の中は、暗かつた。爐を焚くことの少い此<ruby><rb>邊</rb><rt>ヘン</rt></ruby>では、<ruby><rb>地下</rb><rt>ヂゲ</rt></ruby>百姓は、夜は眞暗な中で、寢たり、坐つたりしてゐるのだ。でもこゝには、本尊が祀つてあつた。夜を守つて、佛の前で起き明す爲には、<ruby><rb>御燈</rb><rt>ミアカシ</rt></ruby>を照した。

孔雀明王の姿が、あるかないかに、ちろめく光りである。

姫は寢ることを忘れたやうに、坐つて居た。

萬法藏院の上座の僧綱たちの考へでは、まづ奈良へ使ひを出さねばならぬ。<ruby><rb>横佩家</rb><rt>ヨコハキケ</rt></ruby>の人々の心を、思うたのである。次には、女人<ruby><rb>結界</rb><rt>ケツカイ</rt></ruby>を犯して、境内深く這入つた罪は、郎女自身に<ruby><rb>贖</rb><rt>アガナ</rt></ruby>はさねばならなかつた。落慶のあつたばかりの淨域だけに、一時は、<ruby><rb>塔頭々々</rb><rt>タツチウ〻〻</rt></ruby>の人たちの、青くなつたのも、道理である。此は、財物を施入する、と謂つたぐらゐではすまされぬ。長期の物忌みを、寺近くに居て果させねばならぬと思つた。其で、今日晝の程、奈良へ向つて、<ruby><rb>早使</rb><rt>ハヤヅカ</rt></ruby>ひを出して、<ruby><rb>郎女</rb><rt>イラツメ</rt></ruby>の姿が、寺中に現れた<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">ゆくたて</span>を、仔細に告げてやつたのである。

其と共に姫の身は、此庵室に暫らく留め置かれることになつた。たとひ、都からの迎へが來ても、結界を越えた贖ひを果す日數だけは、こゝに居させよう、と言ふのである。

<ruby><rb>牀</rb><rt>ユカ</rt></ruby>は低いけれども、かいてあるにはあつた。其替り、天井は無上に高くて、而も萱のそゝけた屋根は、破風の脇から、むき出しに、空の星が見えた。風が唸つて過ぎたと思ふと、其高い隙から、どつと吹き込んで來た。ばら〲落ちかゝるのは、煤がこぼれるのだらう。明王の前の灯が、<ruby><rb>一時</rb><rt>イツトキ</rt></ruby>かつと、明るくなつた。

その光りで照し出されたのは、あさましく<ruby><rb>荒</rb><rt>スサ</rt></ruby>んだ座敷だけでなかつた。荒板の牀の上に、<ruby><rb>薦筵</rb><rt>コモムシロ</rt></ruby>二枚重ねた姫の座席。其に向つて、ずつと離れた壁ぎはに、板敷に<ruby><rb>直</rb><rt>ヂカ</rt></ruby>に坐つて居る老婆の姿があつた。

壁と言ふよりは、<ruby><rb>壁代</rb><rt>カベシロ</rt></ruby>であつた。天井から弔りさげた<ruby><rb>竪薦</rb><rt>タツゴモ</rt></ruby>が、幾枚も幾枚も、ちぐはぐに重つて居て、どうやら、風は防ぐやうになつて居る。その壁代に張りついたやうに坐つて居る女、先から<ruby><rb>欬嗽</rb><rt>シハブキ</rt></ruby>一つせぬ靜けさである。

貴族の家の郎女は、一日もの言はずとも、寂しいとも思はぬ習慣がついて居た。其で、この山陰の一つ家に居ても、溜め息一つ洩すのではなかつた。<ruby><rb>晝</rb><rt>ヒ</rt></ruby>の内此處へ送りこまれた時、一人の姥のついて來たことは、知つて居た。だが、あまり長く音も立たなかつたので、人の居ることは忘れて居た。今ふつと明るくなつた<ruby><rb>御燈</rb><rt>ミアカシ</rt></ruby>の色で、その姥の姿から、顏まで一目で見た。どこやら、覺えのある人の氣がする。さすがに、姫にも人懷しかつた。ようべ家を出てから、<ruby><rb>女性</rb><rt>ニヨシヨウ</rt></ruby>には、一人も逢つて居ない。今そこに居る<ruby><rb>姥</rb><rt>ウバ</rt></ruby>が、何だか昔の知り人のやうに感じられたのも、無理はないのである。見覺えのあるやうに感じたのは、だが、其親しみ故だけではなかつた。

<ruby><rb>郎女</rb><rt>イラツメ</rt></ruby>さま。

<ruby><rb>緘默</rb><rt>シヾマ</rt></ruby>を破つて、却てもの寂しい、<ruby><rb>乾聲</rb><rt>カラゴエ</rt></ruby>が響いた。

郎女は、御存じおざるまい。でも、聽いて見る氣はおありかえ。お生れなさらぬ前の世からのことを。それを知つた姥でおざるがや。

一旦、口がほぐれると、老女は止めどなく、喋り出した。姫は、この姥の顏に見知りのある氣のした訣を、悟りはじめて居た。藤原<ruby><rb>南家</rb><rt>ナンケ</rt></ruby>にも、常々、此年よりとおなじやうな<ruby><rb>媼</rb><rt>オムナ</rt></ruby>が出入りして居た。郎女たちの居る<ruby><rb>女部屋</rb><rt>ヲンナベヤ</rt></ruby>までも、何時もづか〲這入つて來て、憚りなく古物語りを語つた、あの<ruby><rb>中臣志斐媼</rb><rt>ナカトミノシヒノオムナ</rt></ruby>――。あれと、おなじ表情をして居る。其も、尤であつた。志斐老女が、<ruby><rb>藤氏</rb><rt>トウシ</rt></ruby>の<ruby><rb>語部</rb><rt>カタリベ</rt></ruby>の一人であるやうに、此も亦、この當麻の村の舊族、<ruby><rb>當麻眞人</rb><rt>タギマノマヒト</rt></ruby>の「<ruby><rb>氏</rb><rt>ウヂ</rt></ruby>の<ruby><rb>語部</rb><rt>カタリベ</rt></ruby>」、亡び殘りの一人であつたのである。

藤原のお家が、今は四筋に分れて居りまする。ぢやが、大織冠さまの代どころでは、ありは致しませぬ。淡海公の時も、まだ一流れのお家でおざりました。併し其頃やはり、藤原は、中臣と二つの筋に岐れました。中臣の氏人で、藤原の里に榮えられたのが、藤原と、家名の申され初めでおざりました。

藤原のお流れ。今ゆく先も、<ruby><rb>公家攝録</rb><rt>クゲセフロク</rt></ruby>の家柄。中臣の筋や、おん神仕へ。<ruby><rb>差別々々</rb><rt>ケヂメ〻〻</rt></ruby>明らかに、<ruby><rb>御代々々</rb><rt>ミヨヽヽ</rt></ruby>の宮<ruby><rb>守</rb><rt>マモ</rt></ruby>り。ぢやが、今は今昔は昔でおざります。藤原の遠つ<ruby><rb>祖</rb><rt>オヤ</rt></ruby>、中臣の氏の神、<ruby><rb>天押雲根</rb><rt>アメノオシクモネ</rt></ruby>と申されるお方の事は、お聞き及びかえ。

今、奈良の宮におざります　日の御子さま。其前は、藤原の宮の　日のみ子さま。又其前は、<ruby><rb>飛鳥</rb><rt>アスカ</rt></ruby>の宮の　日のみ子さま。大和の<ruby><rb>國中</rb><rt>クニナカ</rt></ruby>に、宮遷し、宮<ruby><rb>奠</rb><rt>サダ</rt></ruby>め遊した<ruby><rb>代々</rb><rt>ヨヽ</rt></ruby>の　日のみ子さま。長く久しい<ruby><rb>御代々々</rb><rt>ミヨヽヽ</rt></ruby>に仕へた、中臣の家の神<ruby><rb>業</rb><rt>ワザ</rt></ruby>。<ruby><rb>郎女</rb><rt>イラツメ</rt></ruby>さま。お聞き及びかえ。遠い代の昔語り。耳明らめてお聽きなされ。中臣・藤原の遠つ<ruby><rb>祖</rb><rt>オヤ</rt></ruby>あめの<ruby><rb>押雲根命</rb><rt>オシクモネ</rt></ruby>。遠い昔の　日のみ子さまのお<ruby><rb>喰</rb><rt>メ</rt></ruby>しの、<ruby><rb>飯</rb><rt>イヒ</rt></ruby>と、み<ruby><rb>酒</rb><rt>キ</rt></ruby>を作る御料の水を、大和<ruby><rb>國中</rb><rt>クニナカ</rt></ruby>殘る隈なく搜し<ruby><rb>覓</rb><rt>モト</rt></ruby>めました。その頃、國原の水は、<ruby><rb>水澁</rb><rt>ソブ</rt></ruby>臭く、<ruby><rb>土</rb><rt>ツチ</rt></ruby>濁りして、日のみ子さまのお<ruby><rb>喰</rb><rt>メ</rt></ruby>しの<ruby><rb>料</rb><rt>シロ</rt></ruby>に叶ひません。<ruby><rb>天</rb><rt>テン</rt></ruby>の神　<ruby><rb>高天</rb><rt>タカマ</rt></ruby>の<ruby><rb>大御祖</rb><rt>オホミオヤ</rt></ruby>教へ給へと祈らうにも、國<ruby><rb>中</rb><rt>ナカ</rt></ruby>は國低し。山々も<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">まんだ</span><ruby><rb>天</rb><rt>テン</rt></ruby>遠し。大和の國とり圍む青垣山では、この二上山。空行く雲の<ruby><rb>通</rb><rt>カヨ</rt></ruby>ひ<ruby><rb>路</rb><rt>ヂ</rt></ruby>と、昇り立つて祈りました。その時、<ruby><rb>高天</rb><rt>タカマ</rt></ruby>の<ruby><rb>大御祖</rb><rt>オホミオヤ</rt></ruby>のお示しで、中臣の<ruby><rb>祖</rb><rt>オヤ</rt></ruby><ruby><rb>押雲根命</rb><rt>オシクモネ</rt></ruby>、天の水の<ruby><rb>湧</rb><rt>ワ</rt></ruby>き<ruby><rb>口</rb><rt>グチ</rt></ruby>を、此二上山に<ruby><rb>八</rb><rt>ヤ</rt></ruby>ところまで見とゞけて、其後久しく　日のみ子さまのおめしの湯水は、代々の中臣自身、此山へ汲みに參ります。お聞き及びかえ。

<ruby><rb>當麻眞人</rb><rt>タギマノマヒト</rt></ruby>の、氏の物語りである。さうして其が、中臣の神わざと繋りのある點を、座談のやうに語り進んだ姥は、ふと口をつぐんだ。

外には、瀬音が荒れて聞えてゐる。中臣・藤原の遠祖が、<ruby><rb>天二上</rb><rt>アメノフタカミ</rt></ruby>に求めた<ruby><rb>天八井</rb><rt>アメノヤヰ</rt></ruby>の水を集めて、峰を流れ降り、岩にあたつて漲り<ruby><rb>激</rb><rt>タギ</rt></ruby>つ川なのであらう。瀬音のする方に向いて、姫は、<ruby><rb>掌</rb><rt>タナソコ</rt></ruby>を合せた。

併しやがて、ふり向いて、仄暗くさし寄つて來てゐる姥の姿を見た時、言はうやうない畏しさと、せつかれるやうな忙しさを、一つに感じたのである。其に、志斐姥の、本式に物語りをする時の表情が、此老女の顏にも現れてゐた。今、<ruby><rb>當麻</rb><rt>タギマ</rt></ruby>の<ruby><rb>語部</rb><rt>カタリベ</rt></ruby>の<ruby><rb>姥</rb><rt>ウバ</rt></ruby>は、神憑りに入るらしく、わな〱震ひはじめて居るのである。

四

ひさかたの　　<ruby><rb>天二上</rb><rt>アメフタカミ</rt></ruby>に、

<ruby><rb>我</rb><rt>ア</rt></ruby>が登り　　　見れば、

とぶとりの　　<ruby><rb>明日香</rb><rt>アスカ</rt></ruby>

ふる里の　　　<ruby><rb>神南備山</rb><rt>カムナビ</rt></ruby><ruby><rb>隱</rb><rt>ゴモ</rt></ruby>り、

家どころ　　　<ruby><rb>多</rb><rt>サハ</rt></ruby>に見え、

<ruby><rb>豐</rb><rt>ユタ</rt></ruby>にし　　　　<ruby><rb>屋庭</rb><rt>ヤニハ</rt></ruby>は見ゆ。

<ruby><rb>彌彼方</rb><rt>イヤヲチ</rt></ruby>に　　　見ゆる<ruby><rb>家群</rb><rt>イヘムラ</rt></ruby>

藤原の　　　　<ruby><rb>朝臣</rb><rt>アソ</rt></ruby>が宿。

遠々に　　　　<ruby><rb>我</rb><rt>ア</rt></ruby>が見るものを、

たか〲に　<ruby><rb>我</rb><rt>ア</rt></ruby>が待つものを、

<ruby><rb>處女子</rb><rt>ヲトメゴ</rt></ruby>は　　　出で<ruby><rb>通</rb><rt>コ</rt></ruby>ぬものか。

よき<ruby><rb>耳</rb><rt>ミヽ</rt></ruby>を　　　聞かさぬものか。

青馬の　　　　<ruby><rb>耳面刀自</rb><rt>ミヽモノトジ</rt></ruby>。

刀自もがも。　<ruby><rb>女弟</rb><rt>オト</rt></ruby>もがも。

その子の　　　はらからの子の

處女子の　　　一人

一人だに、　　わが<ruby><rb>配偶</rb><rt>ツマ</rt></ruby>に<ruby><rb>來</rb><rt>コ</rt></ruby>よ。

ひさかたの　　<ruby><rb>天二上</rb><rt>アメフタカミ</rt></ruby>

二上の<ruby><rb>陽面</rb><rt>カゲトモ</rt></ruby>に、

生ひをゝり　　<ruby><rb>繁</rb><rt>シ</rt></ruby>み咲く

<ruby><rb>馬醉木</rb><rt>アシビ</rt></ruby>の　　　にほへる子を

<ruby><rb>我</rb><rt>ア</rt></ruby>が　　　　　<ruby><rb>捉</rb><rt>ト</rt></ruby>り兼ねて、

馬醉木の　　　あしずりしつゝ

<ruby><rb>吾</rb><rt>ア</rt></ruby>はもよ<ruby><rb>偲</rb><rt>シヌ</rt></ruby>ぶ。藤原處女

歌ひ了へた姥は、大息をついて、ぐつたりした。其から暫らく、山のそよぎ、川瀬の響きばかりが、耳についた。

姥は居ずまひを直して、嚴かな<ruby><rb>聲音</rb><rt>コワネ</rt></ruby>で、<ruby><rb>誦</rb><rt>カタ</rt></ruby>り出した。

とぶとりの　飛鳥の都に、日のみ子樣のおそば近く侍る尊いおん方。さゝなみの大津の宮に人となり、<ruby><rb>唐土</rb><rt>モロコシ</rt></ruby>の<ruby><rb>學藝</rb><rt>ザエ</rt></ruby>に<ruby><rb>詣</rb><rt>イタ</rt></ruby>り深く、<ruby><rb>詩</rb><rt>カラウタ</rt></ruby>も、此國ではじめて作られたは、大友皇子か、其とも此お方か、と申し傳へられる<ruby><rb>御方</rb><rt>オンカタ</rt></ruby>。

近江の都は離れ、飛鳥の都の再榮えたその頃、あやまちもあやまち。日のみ子に弓引くたくみ、恐しや、企てをなされると言ふ噂が、立ちました。

<ruby><rb>高天原廣野姫尊</rb><rt>タカマノハラヒロヌヒメノミコト</rt></ruby>、おん怒りをお發しになりまして、とう〱池上の堤に引き出してお討たせになりました。

其お方がお死にの<ruby><rb>際</rb><rt>キハ</rt></ruby>に、深く〱思ひこまれた一人のお人がおざりまする。<ruby><rb>耳面刀自</rb><rt>ミヽモノトジ</rt></ruby>と申す、大織冠のお娘御でおざります。前から深くお思ひになつて居た、と云ふでもありません。唯、此郎女も、大津の宮離れの時に、都へ呼び返されて、寂しい暮しを續けて居られました。等しく大津の宮に愛着をお持ち遊した右の御方が、愈々、<ruby><rb>磐余</rb><rt>イハレ</rt></ruby>の池の草の上で、お命召されると言ふことを聞いて、一目見てなごり惜しみがしたくてこらへられなくなりました。藤原から池上まで、おひろひでお出でになりました。小高い柴の一むらある中から、御樣子を窺うて歸らうとなされました。其時ちらりと、かのお人の、最期に近いお目に止りました。其ひと目が、此世に殘る執心となつたのでおざりまする。

もゝつたふ　<ruby><rb>磐余</rb><rt>イハレ</rt></ruby>の池に鳴く鴨を　今日のみ見てや、雲隱りなむ

この思ひがけない心殘りを、お詠みになつた歌よ、と私ども<ruby><rb>當麻</rb><rt>タギマ</rt></ruby>の<ruby><rb>語部</rb><rt>カタリベ</rt></ruby>の物語りには、傳へて居ります。

その耳面刀自と申すは、淡海公の妹君、郎女の<ruby><rb>祖父</rb><rt>オホヂ</rt></ruby>君<ruby><rb>南家</rb><rt>ナンケ</rt></ruby><ruby><rb>太政</rb><rt>ダイジヤウ</rt></ruby>大臣には、叔母君にお當りになつてゞおざりまする。

人間の<ruby><rb>執心</rb><rt>シフシン</rt></ruby>と言ふものは、<ruby><rb>怖</rb><rt>コハ</rt></ruby>いものとはお思ひなされぬかえ。

其亡き骸は、大和の國を守らせよ、と言ふ御諚で、此山の上、河内から來る<ruby><rb>當麻路</rb><rt>タギマヂ</rt></ruby>の脇にお<ruby><rb>埋</rb><rt>イ</rt></ruby>けになりました。其が<ruby><rb>何</rb><rt>ナン</rt></ruby>と、此世の惡心も何もかも、忘れ果てゝ<ruby><rb>清々</rb><rt>スガヽヽ</rt></ruby>しい心になりながら、唯そればかりの一念が、殘つて居ると、申します。藤原四流の中で、一番美しい郎女が、今におき、耳面刀自と、其<ruby><rb>幽界</rb><rt>カクリヨ</rt></ruby>の目には、見えるらしいのでおざりまする。女盛りをまだ婿どり<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">なさらぬげ</span>の郎女さまが、其力におびかれて、この<ruby><rb>當麻</rb><rt>タギマ</rt></ruby>までお出でになつたのでなうて、何でおざりませう。

當麻路に墓を造りました<ruby><rb>當時</rb><rt>ソノカミ</rt></ruby>、石を搬ぶ若い衆にのり移つた<ruby><rb>靈</rb><rt>タマ</rt></ruby>が、あの長歌を謳うた、と申すのが傳へ。

<ruby><rb>當麻語部媼</rb><rt>タギマノカタリノオムナ</rt></ruby>は、南家の郎女の脅える樣を想像しながら、物語つて居たのかも知れぬ。唯さへ、この深夜、場所も場所である。如何に止めどなくなるのが、「ひとり<ruby><rb>語</rb><rt>ガタ</rt></ruby>り」の癖とは言へ、語部の<ruby><rb>古婆</rb><rt>フルバヾ</rt></ruby>の心は、自身も思はぬ意地くね惡さを藏してゐるものである。此が、神さびた職を寂しく守つて居る者の優越感を、充すことにも、なるのであつた。

大貴族の郎女は、人の語を疑ふことは教へられて居なかつた。それに、信じなければならぬもの、とせられて居た語部の物語りである。詞の端々までも、眞實を感じて、聽いて居る。

言ふとほり、昔びとの<ruby><rb>宿執</rb><rt>シユクシフ</rt></ruby>が、かうして自分を導いて來たことは、まことに違ひないであらう。其にしても、<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">ついしか</span>見ぬお姿――尊い御佛と申すやうな相好が、其お方とは思はれぬ。

春秋の彼岸中日、入り方の光り輝く雲の上に、まざ〱と見たお姿。此<ruby><rb>日本</rb><rt>ヤマト</rt></ruby>の國の人とは思はれぬ。だが、自分のまだ知らぬこの國の<ruby><rb>男子</rb><rt>ヲノコヾ</rt></ruby>たちには、あゝ言ふ方もあるのか知らぬ。<ruby><rb>金色</rb><rt>コンジキ</rt></ruby>の鬣、金色の髮の豐かに垂れかゝる片肌は、白々と<ruby><rb>袒</rb><rt>ヌ</rt></ruby>いで美しい肩。ふくよかなお顏は、鼻隆く、眉秀で、夢見るやうに<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">まみ</span>を伏せて、右手は乳の邊に擧げ、脇の下に垂れた左手は、ふくよかな掌を見せて、……あゝ雲の上に朱の唇、匂ひやかにほゝ笑まれると見た……その俤。

日のみ子さまの御側仕へのお人の中には、あの樣な人もおいでになるものだらうか。我が<ruby><rb>家</rb><rt>ヤ</rt></ruby>の父や、<ruby><rb>兄人</rb><rt>セウト</rt></ruby>たちも、世間の男たちとは、とりわけてお美しい、と女たちは噂するが、其すら似もつかぬ……。

尊い<ruby><rb>女性</rb><rt>ニシヨウ</rt></ruby>は、下賤な人と、口をきかぬのが當時の世の掟である。何よりも、其語は、下ざまには通じぬもの、と考へられてゐた。それでも、此古物語りをする姥には、貴族の語もわかるであらう。郎女は、恥ぢながら問ひかけた。

そこの人。ものを聞かう。此身の語が、聞きとれたら、答へしておくれ。

その飛鳥の宮の　日のみ子さまに仕へた、と言ふお方は、昔の罪びとらしいに、其が又何とした訣で、姫の前に立ち現れては、<ruby><rb>神々</rb><rt>カウヾヽ</rt></ruby>しく見えるであらうぞ。

此だけの語が言ひ淀み、淀みして言はれてゐる間に、姥は、郎女の内に動く心もちの、凡は、<ruby><rb>氣</rb><rt>ケ</rt></ruby>どつたであらう。暗いみ<ruby><rb>燈</rb><rt>アカシ</rt></ruby>の光りの代りに、其頃は、もう東白みの明りが、部屋の内の物の形を、朧ろげに顯しはじめて居た。

我が<ruby><rb>説明</rb><rt>コトワケ</rt></ruby>を、お聞きわけられませ。神代の昔びと、<ruby><rb>天若日子</rb><rt>アメワカヒコ</rt></ruby>。天若日子こそは、<ruby><rb>天</rb><rt>テン</rt></ruby>の神々に弓引いた罪ある神。其すら、其<ruby><rb>後</rb><rt>ゴ</rt></ruby>、人の世になつても、氏貴い家々の娘<ruby><rb>御</rb><rt>ゴ</rt></ruby>の<ruby><rb>閨</rb><rt>ネヤ</rt></ruby>の戸までも、忍びよると申しまする。世に言ふ「<ruby><rb>天若</rb><rt>アメワカ</rt></ruby>みこ」と言ふのが、其でおざります。

天若みこ。物語りにも、うき<ruby><rb>世語</rb><rt>ヨガタ</rt></ruby>りにも申します。お聞き及びかえ。

姥は暫らく口を閉ぢた。さうして言ひ出した聲は、顏にも、年にも似ず、一段、はなやいで聞えた。

「もゝつたふ」の歌、殘された飛鳥の宮の<ruby><rb>執心</rb><rt>シフシン</rt></ruby>びと、世々の藤原の<ruby><rb>一</rb><rt>イチ</rt></ruby>の媛に祟る天若みこも、顏清く、聲心惹く天若みこのやはり、一人でおざりまする。

お心つけられませ。物語りも早、これまで。

其まゝ石のやうに、老女はぢつとして居る。冷えた夜も、<ruby><rb>朝影</rb><rt>アサカゲ</rt></ruby>を感じる頃になると、幾らか温みがさして來る。

萬法藏院は、村からは遠く、山によつて立つて居た。曉早い鷄の聲も、聞えぬ。もう梢を離れるらしい塒鳥が、近い<ruby><rb>端山</rb><rt>ハヤマ</rt></ruby>の<ruby><rb>木群</rb><rt>コムラ</rt></ruby>で、<ruby><rb>羽振</rb><rt>ハブ</rt></ruby>きの音を立て初めてゐる。

五

おれは<ruby><rb>活</rb><rt>イ</rt></ruby>きた。

闇い空間は、明りのやうなものを漂してゐた。併し其は、蒼黒い靄の如く、たなびくものであつた。

巖ばかりであつた。壁も、<ruby><rb>牀</rb><rt>トコ</rt></ruby>も、<ruby><rb>梁</rb><rt>ハリ</rt></ruby>も、巖であつた。自身のからだすらが、既に、巖になつて居たのだ。

屋根が壁であつた。壁が牀であつた。巖ばかり――。<ruby><rb>觸</rb><rt>サハ</rt></ruby>つても觸つても、巖ばかりである。手を伸すと、更に堅い巖が、掌に觸れた。脚をひろげると、もつと廣い<ruby><rb>磐石</rb><rt>バンジヤク</rt></ruby>の<ruby><rb>面</rb><rt>オモテ</rt></ruby>が、感じられた。

纔かにさす薄光りも、黒い巖石が皆吸ひとつたやうに、<ruby><rb>岩窟</rb><rt>イハムロ</rt></ruby>の中に見えるものはなかつた。唯<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">けはひ</span>――彼の人の探り歩くらしい空氣の微動があつた。

思ひ出しだぞ。おれが誰だつたか、――訣つたぞ。

おれだ。此おれだ。大津の宮に仕へ、飛鳥の宮に呼び戻されたおれ。<ruby><rb>滋賀津彦</rb><rt>シガツヒコ</rt></ruby>。其が、おれだつたのだ。

歡びの激情を迎へるやうに、<ruby><rb>岩窟</rb><rt>イハムロ</rt></ruby>の中のすべての突角が<ruby><rb>哮</rb><rt>タケ</rt></ruby>びの反響をあげた。彼の人は、立つて居た。一本の木だつた。だが、其姿が見えるほどの、はつきりした光線はなかつた。明りに照し出されるほど、まとまつた<ruby><rb>現</rb><rt>ウツ</rt></ruby>し<ruby><rb>身</rb><rt>ミ</rt></ruby>をも、持たぬ<ruby><rb>彼</rb><rt>カ</rt></ruby>の人であつた。

唯、岩屋の中に<ruby><rb>矗立</rb><rt>シユクリツ</rt></ruby>した、立ち枯れの木に過ぎなかつた。

おれの名は、誰も傳へるものがない。おれすら忘れて居た。長く久しく、おれ自身にすら忘れられて居たのだ。<ruby><rb>可愛</rb><rt>イト</rt></ruby>しいおれの名は、さうだ。語り傳へる子があつた筈だ。語り傳へさせる筈の<ruby><rb>語部</rb><rt>カタリベ</rt></ruby>も、出來て居たゞらうに。――なぜか、おれの心は寂しい。空虚な感じが、しく〱と胸を刺すやうだ。

――<ruby><rb>子代</rb><rt>コシロ</rt></ruby>も、<ruby><rb>名代</rb><rt>ナシロ</rt></ruby>もない、おれにせられてしまつたのだ。さうだ。其に違ひない。この物足らぬ、大きな穴のあいた氣持ちは、其で、するのだ。おれは、此世に居なかつたと同前の人間になつて、<ruby><rb>現</rb><rt>ウツ</rt></ruby>し身の人間どもには、忘れ<ruby><rb>了</rb><rt>ホ</rt></ruby>されて居るのだ。憐みのないおつかさま。おまへさまは、おれの妻の、おれに<ruby><rb>殉死</rb><rt>トモジ</rt></ruby>にするのを、見殺しになされた。おれの妻の生んだ<ruby><rb>粟津子</rb><rt>アハツコ</rt></ruby>は、罪びとの子として、何處かへ連れて行かれた。野山のけだものゝ<ruby><rb>餌食</rb><rt>ヱジキ</rt></ruby>に、くれたのだらう。可愛さうな妻よ。哀な<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">むすこ</span>よ。

だが、おれには、そんな事などは、何でもない。おれの名が傳らない。<ruby><rb>劫初</rb><rt>ゴフシヨ</rt></ruby>から末代まで、此世に出ては消える、<ruby><rb>天</rb><rt>アメ</rt></ruby>の<ruby><rb>下</rb><rt>シタ</rt></ruby>の<ruby><rb>青人草</rb><rt>アヲヒトグサ</rt></ruby>と一列に、おれは、此世に、影も形も殘さない草の葉になるのは、いやだ。どうあつても、不承知だ。

惠みのないおつかさま。お前さまにお縋りするにも、其おまへさますら、もうおいでゞない此世かも知れぬ。

くそ――<ruby><rb>外</rb><rt>ソト</rt></ruby>の世界が知りたい。世の中の樣子が見たい。

だが、おれの耳は聞える。其なのに、目が見えぬ。この耳すら、世間の語を聞き別けなくなつて居る。闇の中にばかり<ruby><rb>瞑</rb><rt>ツブ</rt></ruby>つて居たおれの目よ。も一度くわつと<ruby><rb>睜</rb><rt>ミヒラ</rt></ruby>いて、現し世のありのまゝをうつしてくれ、……土龍の目なと、おれに貸しをれ。

聲は再、寂かになつて行つた。獨り言する其聲は、彼の人の耳にばかり聞えて居るのであらう。

<ruby><rb>丑刻</rb><rt>ウシ</rt></ruby>に、靜謐の頂上に達した<ruby><rb>現</rb><rt>ウツ</rt></ruby>し<ruby><rb>世</rb><rt>ヨ</rt></ruby>は、其が過ぎると共に、俄かに物音が起る。月の、空を行く音すら聞えさうだつた四方の山々の上に、まづ木の葉が音もなくうごき出した。次いではるかな谿のながれの色が、白々と見え出す。更に遠く、大和<ruby><rb>國中</rb><rt>クニナカ</rt></ruby>の、何處からか起る一番鷄のつくる<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">とき</span>。

曉が來たのである。里々の男は、今、女の家の<ruby><rb>閨戸</rb><rt>ネヤド</rt></ruby>から、ひそ〱と歸つて行くだらう。月は早く傾いたけれど、光りは深夜の色を保つてゐる。午前二時に朝の來る生活に、村びとも、宮びとも、忙しいとは思はずに、起きあがる。短い曉の目覺めの後、又、物に倚りかゝつて、新しい眠りを繼ぐのである。

山風は頻りに、吹きおろす。枝・木の葉の相<ruby><rb>軋</rb><rt>ヒシ</rt></ruby>めく音が、やむ間なく聞える。だが其も暫らくで、山は元の<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">ひつそ</span>としたけしきに還る。唯、すべてが薄暗く、すべてが隈を持つたやうに、朧ろになつて來た。

<ruby><rb>岩窟</rb><rt>イハムロ</rt></ruby>は、沈々と<ruby><rb>黝</rb><rt>クラ</rt></ruby>くなつて冷えて行く。

した　した。水は、岩肌を絞つて垂れてゐる。

<ruby><rb>耳面刀自</rb><rt>ミヽモノトジ</rt></ruby>。おれには、子がない。子がなくなつた。おれは、その榮えてゐる世の中には、跡を<ruby><rb>貽</rb><rt>ノコ</rt></ruby>して來なかつた。子を生んでくれ。おれの子を。おれの名を語り傳へる子どもを――。

岩<ruby><rb>牀</rb><rt>ドコ</rt></ruby>の上に、再白々と横つて見えるのは、身じろぎもせぬからだである。唯その眞裸な骨の上に、鋭い感覺ばかりが活きてゐるのであつた。

まだ反省のとり戻されぬ<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">むくろ</span>には、心になるものがあつて、心はなかつた。

耳面刀自の名は、唯の記憶よりも、更に深い印象であつたに違ひはない。自分すら忘れきつた、彼の人の出來あがらぬ心に、骨に沁み、干からびた髓の<ruby><rb>心</rb><rt>シン</rt></ruby>までも、唯<ruby><rb>彫</rb><rt>ヱ</rt></ruby>りつけられたやうになつて、殘つてゐるのである。

萬法藏院の<ruby><rb>晨朝</rb><rt>ジンテウ</rt></ruby>の鐘だ。夜の<ruby><rb>曙色</rb><rt>アケイロ</rt></ruby>に、一度<ruby><rb>騷立</rb><rt>サワダ</rt></ruby>つた物々の胸をおちつかせる樣に、鳴りわたる鐘の<ruby><rb>音</rb><rt>ネ</rt></ruby>だ。<ruby><rb>一</rb><rt>イツ</rt></ruby>ぱし白みかゝつて來た東は、更にほの暗い<ruby><rb>明</rb><rt>ア</rt></ruby>け<ruby><rb>昏</rb><rt>グ</rt></ruby>れの寂けさに返つた。

南家の郎女は、一莖の草のそよぎでも聽き取れる<ruby><rb>曉凪</rb><rt>アカツキナ</rt></ruby>ぎを、自身擾すことをすまいと言ふ風に、身じろきすらもせずに居る。

<ruby><rb>夜</rb><rt>ヨル</rt></ruby>の<ruby><rb>間</rb><rt>マ</rt></ruby>よりも暗くなつた<ruby><rb>盧</rb><rt>イホリ</rt></ruby>の中では、明王像の立ち<ruby><rb>處</rb><rt>ド</rt></ruby>さへ見定められぬばかりになつて居る。

何處からか吹きこんだ朝山<ruby><rb>颪</rb><rt>オロシ</rt></ruby>に、御<ruby><rb>燈</rb><rt>アカシ</rt></ruby>が消えたのである。<ruby><rb>當麻語部</rb><rt>タギマカタリ</rt></ruby>の姥も、薄闇に蹲つて居るのであらう。姫は再、この老女の事を忘れてゐた。

たゞ一刻ばかり前、這入りの戸を搖つた物音があつた。一度　二度　三度。更に數度。音は次第に激しくなつて行つた。樞がまるで、おしちぎられでもするかと思ふほど、音に力のこもつて來た時、ちようど、鷄が鳴いた。其きりぴつたり、戸にあたる者もなくなつた。

新しい物語が、一切、語部の口にのぼらぬ世が來てゐた。けれども、<ruby><rb>頑</rb><rt>カタクナ</rt></ruby>な<ruby><rb>當麻氏</rb><rt>タギマウヂ</rt></ruby>の語部の<ruby><rb>古姥</rb><rt>フルウバ</rt></ruby>の爲に　我々は今一度、去年以來の物語りをしておいても、よいであらう。まことに其は、<ruby><rb>昨</rb><rt>キゾ</rt></ruby>の日からはじまるのである。

六

門をはひると、俄かに松風が、吹きあてるやうに響いた。

一町も先に、固まつて見える堂伽藍――そこまでずつと、砂地である。白い地面に、廣い葉の青いまゝでちらばつて居るのは、朴の木だ。

まともに、寺を壓してつき立つてゐるのは、<ruby><rb>二上山</rb><rt>フタカミヤマ</rt></ruby>である。其眞下に<ruby><rb>𣵀槃佛</rb><rt>ネハンブツ</rt></ruby>のやうな姿に横つてゐるのが、麻呂子山だ。其頂がやつと、講堂の屋の棟に、乘りかゝつてゐるやうにしか見えない。

<ruby><rb>女人</rb><rt>ニヨニン</rt></ruby>の身は、何も知つて居る訣はなかつた。だが、俊敏な此旅びとの胸に其に似たほのかな綜合の、出來あがつて居たのは疑はれぬ。暫らくの間、その薄緑の山色を仰いで居た。其から、朱塗りの、激しく光る建て物へ、目を移して行つた。

此寺の落慶供養のあつたのは、つい四五日<ruby><rb>前</rb><rt>アト</rt></ruby>であつた。まだあの日の喜ばしい騷ぎの<ruby><rb>響</rb><rt>トヨ</rt></ruby>みが、どこかにする樣に、麓の村びと等には、感じられて居る程である。

山<ruby><rb>颪</rb><rt>オロシ</rt></ruby>に吹き<ruby><rb>暴</rb><rt>サラ</rt></ruby>されて、荒草深い山裾の斜面に、<ruby><rb>萬法藏院</rb><rt>マンホフザウヰン</rt></ruby>の細々とした<ruby><rb>御燈</rb><rt>ミアカシ</rt></ruby>の、煽られて居たのに見馴れた人たちは、この幸福な<ruby><rb>轉變</rb><rt>テンペン</rt></ruby>に、目を睜つて居るだらう。此郷に<ruby><rb>田莊</rb><rt>ナリドコロ</rt></ruby>を殘して、奈良に數代住みついた豪族の主人も、その日は、歸つて來て居たつけ。此は、天竺の狐の爲わざではないか、其とも、この葛城郡に、昔から殘つてゐる<ruby><rb>幻術師</rb><rt>マボロシ</rt></ruby>のする迷はしではないか。あまり<ruby><rb>莊嚴</rb><rt>シヨウゴン</rt></ruby>を極めた建て物に、故知らぬ反感まで唆られて、廊を踏み鳴らし、柱を叩いて見たりしたものも、その<ruby><rb>供人</rb><rt>トモビト</rt></ruby>のうちにはあつた。數年前の春の初め、野燒きの火が燃えのぼつて來て、唯一宇あつた<ruby><rb>萱堂</rb><rt>カヤドウ</rt></ruby>が、忽痕もなくなつた。そんな小さな事件が起つて、注意を促してすら、そこを、曾て<ruby><rb>美</rb><rt>ウルハ</rt></ruby>はしい福田と、寺の創められた<ruby><rb>代</rb><rt>ヨ</rt></ruby>を、思ひ出す者もなかつた程、それは〱、微かな遠い昔であつた。

以前、疑ひを持ち初める里の子どもが、其堂の名に、不審を起した。<ruby><rb>當麻</rb><rt>タギマ</rt></ruby>の村にありながら、山田<ruby><rb>寺</rb><rt>デラ</rt></ruby>と言つたからである。山の<ruby><rb>背</rb><rt>ウシロ</rt></ruby>の河内の國<ruby><rb>安宿部郡</rb><rt>アスカベゴホリ</rt></ruby>の山田谷から移つて二百年、寂しい道場に過ぎなかつた。其でも一時は、<ruby><rb>倶舍</rb><rt>クシヤ</rt></ruby>の寺として、榮えたこともあつたのだつた。

飛鳥の御世の、貴い御方が、此寺の本尊を、お夢に見られて、おん子を遣され、堂舍をひろげ、住侶の數をお殖しになつた。おひ〱境内になる土地の<ruby><rb>地形</rb><rt>ヂギヤウ</rt></ruby>の進んでゐる最中、その若い貴人が、急に亡くなられた。さうなる筈の、<ruby><rb>風水</rb><rt>フウスヰ</rt></ruby>の<ruby><rb>相</rb><rt>ソウ</rt></ruby>が、「まろこ」の身を招き寄せたのだらう。よしよし、墓はそのまゝ、其村に築くがよい、との仰せがあつた。其み墓のあるのが、あの麻呂子山だと言ふ。まろ子といふのは、尊い御一族だけに用ゐられる語で、おれの子といふほどの、意味であつた。ところが、其おことばが縁を引いて、此郷の山には、其後亦、貴人をお埋め申すやうな事が、起つたのである。

だが、さう言ふ物語りはあつても、それは唯、此里の<ruby><rb>語部</rb><rt>カタリベ</rt></ruby>の<ruby><rb>姥</rb><rt>ウバ</rt></ruby>の口に、さう傳へられてゐる、と言ふに過ぎぬ<ruby><rb>古</rb><rt>フル</rt></ruby>物語りであつた。<ruby><rb>纔</rb><rt>ワヅ</rt></ruby>かに百年、其短いと言へる時間も、文字に縁遠い生活には、さながら太古を考へると、同じ昔となつてしまつた。

旅の若い<ruby><rb>女性</rb><rt>ニヨシヤウ</rt></ruby>は、型摺りの大樣な美しい模樣をおいた著る物を襲うて居る。笠は、淺い<ruby><rb>縁</rb><rt>ヘリ</rt></ruby>に、深い<ruby><rb>縹色</rb><rt>ハナダ</rt></ruby>の布が、うなじを隱すほどに、さがつてゐた。

日は仲春、空は雨あがりの、爽やかな朝である。<ruby><rb>高原</rb><rt>カウゲン</rt></ruby>の寺は、人の住む所から、<ruby><rb>自</rb><rt>オノヅカ</rt></ruby>ら遠く建つて居た。唯凡、百の僧俗が、<ruby><rb>寺</rb><rt>ジ</rt></ruby>中に起き伏して居る。其すら、引き續く供養饗宴の疲れで、今日はまだ、遲い朝を、姿すら見せずにゐる。

その女人は、日に向つてひたすら輝く伽藍の𢌞りを、殘りなく歩いた。寺の南<ruby><rb>境</rb><rt>ザカヒ</rt></ruby>は、み墓山の裾から、東へ出てゐる長い崎の盡きた所に、大門はあつた。其中腹と、東の鼻とに、西塔・東塔が立つて居る。丘陵の道をうねりながら登つた旅びとは、東の塔の下に出た。

雨の後の水氣の、立つて居る大和の野は、すつかり澄みきつて、<ruby><rb>若晝</rb><rt>ワカヒル</rt></ruby>のきら〱しい景色になつて居る。右手の目の下に、集中して見える丘陵は<ruby><rb>傍岡</rb><rt>カタヲカ</rt></ruby>で、ほの〲と北へ流れて行くのが、葛城川だ。平原の眞中に、旅笠を伏せたやうに見える遠い小山は、<ruby><rb>耳無</rb><rt>ミヽナシ</rt></ruby>の山であつた。其右に高くつつ立つてゐる深緑は、畝傍山。更に遠く日を受けてきらつく水面は、<ruby><rb>埴安</rb><rt>ハニヤス</rt></ruby>の池ではなからうか。其東に平たくて低い背を見せるのは、聞えた<ruby><rb>香具</rb><rt>カグ</rt></ruby>山なのだらう。旅の<ruby><rb>女子</rb><rt>ヲミナゴ</rt></ruby>の目は、山々の姿を、一つ〱に辿つてゐる。<ruby><rb>天</rb><rt>アメノ</rt></ruby>香具山をあれだと考へた時、あの下が、若い<ruby><rb>父母</rb><rt>チヽハヽ</rt></ruby>の育つた、其から、叔父叔母、又一族の人々の、行き來した、藤原の里なのだ。

もう此上は見えぬ、と知れて居ても、ひとりで、爪先立てゝ伸び上る氣持ちになつて來るのが抑へきれなかつた。

香具山の南の裾に輝く<ruby><rb>瓦舍</rb><rt>カハラヤ</rt></ruby>は、<ruby><rb>大官大寺</rb><rt>ダイクワンダイジ</rt></ruby>に違ひない。其から更に眞南の、山と山との間に、薄く霞んでゐるのが、<ruby><rb>飛鳥</rb><rt>アスカ</rt></ruby>の村なのであらう。父の父も、母の母も、其又父母も、皆あのあたりで生ひ立たれたのであらう。この國の<ruby><rb>女子</rb><rt>ヲミナゴ</rt></ruby>に生れて、一足も<ruby><rb>女部屋</rb><rt>ヲンナベヤ</rt></ruby>を出ぬのを、美徳とする時代に居る身は、親の里も、祖先の土も、まだ踏みも知らぬ。あの<ruby><rb>陽炎</rb><rt>カゲロウ</rt></ruby>の立つてゐる平原を、此足で、隅から隅まで歩いて見たい。

かう、その<ruby><rb>女性</rb><rt>ニヨシヤウ</rt></ruby>は思うてゐる。だが、何よりも大事なことは、此<ruby><rb>郎女</rb><rt>イラツメ</rt></ruby>――貴女は、昨日の暮れ方、奈良の家を出て、こゝまで歩いて來てゐるのである。其も、唯のひとりでゞあつた。

家を出る時、ほんの暫し、心を掠めた――父君がお聞きになつたら、と言ふ考へも、もう氣にはかゝらなくなつて居る。乳母があわてゝ探すだらう、と言ふ心が起つて來ても、却つてほのかな、こみあげ笑ひを誘ふ位の事になつてゐる。

山はづつしりとおちつき、野はおだやかに畝つて居る。かうして居て、何の物思ひがあらう。この<ruby><rb>貴</rb><rt>アテ</rt></ruby>な娘<ruby><rb>御</rb><rt>ゴ</rt></ruby>は、やがて後をふり向いて、山のなぞへについて、次第に首をあげて行つた。

二上山。あゝこの山を仰ぐ、言ひ知らぬ胸騷ぎ。――藤原・飛鳥の里々山々を眺めて覺えた、今の先の心とは、すつかり違つた胸の<ruby><rb>悸</rb><rt>トキメ</rt></ruby>き。旅の郎女は、脇目も觸らず、山に見入つてゐる。さうして、靜かな思ひの充ちて來る滿悦を、深く覺えた。昔びとは、確實な表現を知らぬ。だが謂はゞ、――平野の里に感じた喜びは、<ruby><rb>過去生</rb><rt>クワコシヤウ</rt></ruby>に向けてのものであり、今此山を仰ぎ見ての驚きは<ruby><rb>未來世</rb><rt>ミライセ</rt></ruby>を思ふ心躍りだ、とも謂へよう。

塔はまだ、嚴重に<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">やらひ</span>を組んだまゝ、人の立ち入りを<ruby><rb>禁</rb><rt>イマシ</rt></ruby>めてあつた。

でも、ものに拘泥することを教へられて居ぬ姫は、何時の間にか、塔の<ruby><rb>初</rb><rt>シヨ</rt></ruby>重の欄干に、自分のよりかゝつて居るのに、氣がついた。

さうして、しみ〲と山に見入つて居る。まるで瞳が、吸ひこまれるやうに。山と自分とに<ruby><rb>繋</rb><rt>ツナガ</rt></ruby>る深い交渉を、又くり返し思ひ初めてゐた。

郎女の家は、奈良東城、右京三條第七坊にある。<ruby><rb>祖父</rb><rt>オホヂ</rt></ruby><ruby><rb>武智麻呂</rb><rt>ムチマロ</rt></ruby>のこゝで亡くなつて後、父が移り住んでからも、大分の年月になる。父は、<ruby><rb>男壯</rb><rt>ヲトコザカリ</rt></ruby>には、<ruby><rb>横佩</rb><rt>ヨコハキ</rt></ruby>の<ruby><rb>大將</rb><rt>ダイシヨウ</rt></ruby>と謂はれる程、一ふりの大刀のさげ方にも、工夫を凝らさずには居られぬ<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">だて</span><ruby><rb>者</rb><rt>モノ</rt></ruby>であつた。<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">なみ</span>の人の竪にさげて佩く大刀を、<ruby><rb>横</rb><rt>ヨコタ</rt></ruby>へて弔る佩き方を案出した人である。新しい奈良の都の住人は、まださうした官吏としての、華奢な服裝を<ruby><rb>趣向</rb><rt>コノ</rt></ruby>むまでに到つて居なかつた頃、姫の若い父は、近代の時世裝に思ひを凝して居た。その家に<ruby><rb>覲</rb><rt>タヅ</rt></ruby>ねて來る古い留學生や、<ruby><rb>新來</rb><rt>イマキ</rt></ruby>の歸化僧などに尋ねることも、張文成などの新作の物語りの類を、問題にするやうなのとも、亦違うてゐた。

さうした闊達な、やまとごゝろの、赴くまゝにふるまうて居る間に、<ruby><rb>才</rb><rt>ザエ</rt></ruby>優れた<ruby><rb>族人</rb><rt>ウカラビト</rt></ruby>が、彼を乘り越して行くのに氣がつかなかつた。姫には叔父彼――豐成には、さしつぎの弟、仲麻呂である。

その父君も、今は筑紫に居る。尠くとも、姫などはさう信じて居た。家族の半以上は、<ruby><rb>太宰帥</rb><rt>ダザイノソツ</rt></ruby>のはな〲しい生活の裝ひとして、連れられて行つてゐた。宮廷から賜る<ruby><rb>資人</rb><rt>トネリ</rt></ruby>・<ruby><rb>傔仗</rb><rt>タチ</rt></ruby>も、大貴族の家の門地の高さを示すものとて、美々しく着飾らされて、皆任地へついて行つた。さうして、奈良の家には、その年は亦とりわけ、寂しい若葉の夏が來た。

寂かな屋敷には、響く物音もない時が、多かつた。この家も世間どほりに、女部屋は、日あたりに疎い北の屋にあつた。その西側に、小な<ruby><rb>蔀戸</rb><rt>シトミド</rt></ruby>があつて、其をつきあげると、方三尺位な牕になるやうに出來てゐる。さうして、其内側には、夏冬なしに簾が垂れてあつて、戸のあげてある時は、外からの隙見を禦いだ。

それから<ruby><rb>外𢌞</rb><rt>ソトマハ</rt></ruby>りは、家の廣い外郭になつて居て、<ruby><rb>大炊屋</rb><rt>オホヒヤ</rt></ruby>もあれば、湯殿<ruby><rb>火燒</rb><rt>ヒタ</rt></ruby>き屋なども、下人の住ひに近く、立つてゐる。<ruby><rb>苑</rb><rt>ソノ</rt></ruby>と言はれる菜畠や、ちよつとした果樹園らしいものが、女部屋の窓から見える、唯一の景色であつた。

武智麻呂<ruby><rb>存生</rb><rt>ゾンジヤウ</rt></ruby>の頃から、此屋敷のことを、世間では、南家と呼び慣はして來てゐる。此頃になつて、仲麻呂の威勢が高まつて來たので、何となく其古い通稱は、人の口から薄れて、其に替る稱へが、行はれ出した樣だつた。三條三坊第二保をすつかり占めた大屋敷を、<ruby><rb>一垣内</rb><rt>ヒトカキツ</rt></ruby>――<ruby><rb>一字</rb><rt>ヒトアザナ</rt></ruby>と見做して、<ruby><rb>横佩墻内</rb><rt>ヨコハキカキツ</rt></ruby>と言ふ者が著しく、殖えて來たのである。

その太宰府からの音づれが、久しく絶えたと思つてゐたら、都とは目と鼻の<ruby><rb>難波</rb><rt>ナニハ</rt></ruby>に、いつか還り住んで、遙かに筑紫の政を聽いてゐた<ruby><rb>帥</rb><rt>ソツ</rt></ruby>の殿であつた。其父君から遣された家の子が、<ruby><rb>一車</rb><rt>ヒトクルマ</rt></ruby>に積み餘るほどな家づとを、家に殘つた家族たち殊に、姫君にと言つてはこんで來た。

山國の狹い平野に、一代々々都遷しのあつた長い歴史の後、こゝ五十年、やつと一つ處に落ちついた奈良の都は、其でもまだ、なか〱整ふまでには、行つて居なかつた。

官廳や、大寺が、によつきり〱、立つてゐる外は、貴族の屋敷が、處々むやみに場をとつて、その相間々々に、板屋や瓦屋が、交りまじりに續いてゐる。其外は、廣い水田と、畠と、存外多い荒蕪地の間に、人の寄りつかぬ塚や<ruby><rb>岩群</rb><rt>イハムラ</rt></ruby>が、ちらばつて見えるだけであつた。兎や、狐が、大路小路を驅け𢌞る樣なのも、毎日のこと。つい此頃も、<ruby><rb>朱雀大路</rb><rt>シユジヤクオホヂ</rt></ruby>の植ゑ木の梢を、夜になると、<ruby><rb>鼯鼠</rb><rt>ムサヽビ</rt></ruby>が飛び歩くと言ふので、一騷ぎした位である。

横佩家の<ruby><rb>郎女</rb><rt>イラツメ</rt></ruby>が、<ruby><rb>稱讃淨土佛攝受經</rb><rt>シヨウサンジヤウドブツセフジユギヤウ</rt></ruby>を寫しはじめたのも、其頃からであつた。父の心づくしの贈り物の中で、一番、姫君の心を<ruby><rb>饒</rb><rt>ニギ</rt></ruby>やかにしたのは、此新譯の阿彌陀經<ruby><rb>一卷</rb><rt>イチクワン</rt></ruby>であつた。

國の版圖の上では、東に<ruby><rb>偏</rb><rt>カタヨ</rt></ruby>り過ぎた山國の首都よりも、太宰府は、遙かに開けてゐた。大陸から渡る新しい文物は、皆一度は、この<ruby><rb>遠</rb><rt>トホ</rt></ruby>の<ruby><rb>宮廷領</rb><rt>ミカド</rt></ruby>を通過するのであつた。唐から渡つた書物などで、太宰府ぎりに、都まで出て來ないものが、なか〱多かつた。

學問や、藝術の味ひを知り初めた志の深い人たちは、だから、大唐までは望まれぬこと、せめて大宰府へだけはと、筑紫下りを念願するほどであつた。

<ruby><rb>南家</rb><rt>ナンケ</rt></ruby>の<ruby><rb>郎女</rb><rt>イラツメ</rt></ruby>の手に入つた稱讃淨土經も、大和一國の<ruby><rb>大寺</rb><rt>オホテラ</rt></ruby>と言ふ大寺に、まだ一部も藏せられて居ぬものであつた。

姫は、<ruby><rb>蔀戸</rb><rt>シトミド</rt></ruby>近くに、時としては机を立てゝ、寫經してゐることもあつた。夜も、侍女たちを寢靜まらしてから、<ruby><rb>油火</rb><rt>アブラビ</rt></ruby>の下で、一心不亂に書き寫して居た。

百部は、夙くに寫し果した。その後は、千部手寫の發願をした。冬は春になり、夏山と繁つた春日山も、既に<ruby><rb>黄葉</rb><rt>モミヂ</rt></ruby>して、其がもう散りはじめた。蟋蟀は、晝も苑一面に鳴くやうになつた。佐保川の水を<ruby><rb>堰</rb><rt>セ</rt></ruby>き入れた庭の池には、<ruby><rb>遣</rb><rt>ヤ</rt></ruby>り水傳ひに、川千鳥の啼く日すら、續くやうになつた。

今朝も、深い霜朝を何處からか、鴛鴦の<ruby><rb>夫婦鳥</rb><rt>ツマドリ</rt></ruby>が來て浮んで居ります、と<ruby><rb>童女</rb><rt>ワラハメ</rt></ruby>が告げた。

五百部を越えた頃から、姫の身は、目立つてやつれて來た。ほんの纔かの眠りをとる間も、ものに驚いて覺めるやうになつた。其でも、八百部の聲を聞く時分になると、衰へたなりに、健康は定まつて來たやうに見えた。やゝ蒼みを帶びた皮膚に、心もち細つて見える髮が、愈々黒く映え出した。

八百八十部、九百部。郎女は侍女にすら、ものを言ふことを厭ふやうになつた。さうして、晝すら何か夢見るやうな目つきして、うつとり<ruby><rb>蔀戸</rb><rt>シトミド</rt></ruby>ごしに、西の空を見入つて居るのが、皆の注意をひくほどであつた。

實際、九百部を過ぎてからは筆も一向、はかどらなくなつた。二十部・三十部・五十部。心ある女たちは、文字の見えない自身たちの<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">ふがひなさ</span>を悲しんだ。郎女の苦しみを、幾分でも分けることが出來ように、と思ふからである。

南家の郎女が、宮から召されることになるだらうと言ふ噂が、京・洛外に廣がつたのも、其頃である。屋敷中の人々は、<ruby><rb>上</rb><rt>ウヘ</rt></ruby>近く<ruby><rb>事</rb><rt>ツカ</rt></ruby>へる人たちから、<ruby><rb>垣内</rb><rt>カキツ</rt></ruby>の隅に住む<ruby><rb>奴隷</rb><rt>ヤツコ</rt></ruby>・<ruby><rb>婢奴</rb><rt>メヤツコ</rt></ruby>の末にまで、顏を<ruby><rb>輝</rb><rt>カヾヤ</rt></ruby>かして、此とり沙汰を迎へた。でも姫には、誰一人其を聞かせる者がなかつた。其ほど、此頃の郎女は氣むつかしく、<ruby><rb>外目</rb><rt>ヨソメ</rt></ruby>に見えてゐたのである。

千部手寫の望みは、さうした大願から立てられたものだらう、と言ふ者すらあつた。そして誰ひとり、其を否む者はなかつた。

南家の姫の美しい膚は、益々透きとほり、潤んだ目は、愈々大きく黒々と見えた。さうして、時々聲に出して<ruby><rb>誦</rb><rt>ジユ</rt></ruby>する經の<ruby><rb>文</rb><rt>モン</rt></ruby>が、物の<ruby><rb>音</rb><rt>ネ</rt></ruby>に譬へやうもなく、さやかに人の耳に響く。聞く人は皆、自身の耳を疑うた。

去年の春分の日の事であつた。入り日の光りをまともに受けて、姫は正座して、西に向つて居た。日は、此屋敷からは、稍<ruby><rb>坤</rb><rt>ヒツジサル</rt></ruby>によつた遠い山の<ruby><rb>端</rb><rt>ハ</rt></ruby>に沈むのである。西空の棚雲の紫に輝く上で、<ruby><rb>落日</rb><rt>ラクジツ</rt></ruby>は俄かに<ruby><rb>轉</rb><rt>クルメ</rt></ruby>き出した。その速さ。雲は炎になつた。日は<ruby><rb>黄金</rb><rt>ワウゴン</rt></ruby>の<ruby><rb>丸</rb><rt>マルガセ</rt></ruby>になつて、その音も聞えるか、と思ふほど鋭く𢌞つた。雲の底から立ち昇る青い光りの風――、姫は、ぢつと見つめて居た。やがて、あらゆる光りは薄れて、雲は霽れた。夕闇の上に、目を疑ふほど、鮮やかに見えた山の姿。二上山である。その二つの峰の間に、あり〱と<ruby><rb>莊嚴</rb><rt>シヤウゴン</rt></ruby>な人の俤が、瞬間顯れて消えた。<ruby><rb>後</rb><rt>アト</rt></ruby>は、眞暗な闇の空である。山の<ruby><rb>端</rb><rt>ハ</rt></ruby>も、雲も何もない方に、目を<ruby><rb>凝</rb><rt>コラ</rt></ruby>して、何時までも端坐して居た。郎女の心は、其時から愈々澄んだ。併し、極めて寂しくなり<ruby><rb>勝</rb><rt>マサ</rt></ruby>つて行くばかりである。

ゆくりない日が、半年の後に再來て、姫の心を<ruby><rb>無上</rb><rt>ムシヨウ</rt></ruby>の歡喜に引き立てた。其は、同じ年の秋、彼岸<ruby><rb>中日</rb><rt>チユウニチ</rt></ruby>の夕方であつた。姫は、いつかの春の日のやうに、坐してゐた。朝から、姫の白い額の、故もなく<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">ひよめいた</span>長い日の、<ruby><rb>後</rb><rt>ノチ</rt></ruby>である。二上山の峰を包む雲の上に、中秋の日の爛熟した光が、くるめき出したのである。雲は火となり、日は<ruby><rb>八尺</rb><rt>ハツシヤク</rt></ruby>の鏡と燃え、青い響きの吹雪を、吹き捲く嵐――。

雲がきれ、光りのしづまつた山の端は、細く金の外輪を靡かして居た。其時、男嶽・女嶽の峰の間に、あり〱と浮き出た　髮　頭　肩　胸――。姫は又、あの俤を見ることが、出來たのである。

南家の<ruby><rb>郎女</rb><rt>イラツメ</rt></ruby>の幸福な噂が、春風に乘つて來たのは、次の春である。姫は別樣の心躍りを、一月も前から感じて居た。さうして、日を<ruby><rb>數</rb><rt>ト</rt></ruby>り初めて、ちようど、今日と言ふ日。彼岸中日、<ruby><rb>春分</rb><rt>シユンブン</rt></ruby>の空が、朝から晴れて、雲雀は天に翔り過ぎて、歸ることの出來ぬほど、青雲が深々とたなびいて居た。郎女は、九百九十九部を寫し終へて、千部目にとりついて居た。

日一日、のどかな温い春であつた。經卷の最後の行、最後の字を書きあげて、ほつと息をついた。あたりは俄かに、薄暗くなつて居る。目をあげて見る<ruby><rb>蔀窓</rb><rt>シトミド</rt></ruby>の外には、しと〱と――音がしたゝつて居るではないか。姫は立つて、手づから簾をあげて見た。雨。

苑の青菜が濡れ、土が黒ずみ、やがては瓦屋にも、音が立つて來た。

姫は、立つても<ruby><rb>坐</rb><rt>ヰ</rt></ruby>ても居られぬ、焦躁に悶えた。併し日は、益々暗くなり、夕暮れに次いで、夜が來た。

茫然として、姫はすわつて居る。人聲も、雨音も、荒れ模樣に<ruby><rb>加</rb><rt>クハヽ</rt></ruby>つて來た風の響きも、もう、姫は聞かなかつた。

七

南家の郎女の<ruby><rb>神隱</rb><rt>カミカク</rt></ruby>しに遭つたのは、其夜であつた。家人は、翌朝空が霽れ、山々がなごりなく見えわたる時まで、氣がつかずに居た。

<ruby><rb>横佩墻内</rb><rt>ヨコハキカキツ</rt></ruby>に住む限りの者は、男も、女も、<ruby><rb>上</rb><rt>ウハ</rt></ruby>の空になつて、洛中洛外を馳せ求めた。さうした<ruby><rb>奔</rb><rt>ハシ</rt></ruby>り<ruby><rb>人</rb><rt>ビト</rt></ruby>の多く見出される場處と言ふ場處は、殘りなく搜された。春日山の奧へ入つたものは、伊賀境までも踏み込んだ。高圓山の墓原も、佐紀の沼地・雜木原も、又は、南は<ruby><rb>山村</rb><rt>ヤマムラ</rt></ruby>、北は奈良山、泉川の見える處まで馳せ𢌞つて、戻る者も、戻る者も皆<ruby><rb>空</rb><rt>カラ</rt></ruby>足を踏んで來た。

姫は、何處をどう歩いたか、覺えがない。唯、家を出て、西へ〱と辿つて來た。降り募るあらしが、姫の衣を濡した。姫は、誰にも教はらないで、裾を<ruby><rb>脛</rb><rt>ハギ</rt></ruby>まであげた。風は、姫の髮を吹き亂した。姫は、いつとなく、<ruby><rb>髻</rb><rt>モトヾリ</rt></ruby>をとり束ねて、襟から着物の中に、<ruby><rb>含</rb><rt>クヽ</rt></ruby>み入れた。夜中になつて、風雨が止み、星空が出た。

姫の行くてには常に、二つの峰の竝んだ山の立ち姿がはつきりと聳えて居た。毛孔の竪つやうな畏しい聲を、度々聞いた。ある時は、鳥の音であつた。其後、頻りなく斷續したのは、山の獸の叫び聲であつた。大和の内も、都に遠い廣瀬・<ruby><rb>葛城</rb><rt>カツラギ</rt></ruby>あたりには、人居などは、ほんの忘れ殘りのやうに、山陰などにあるだけで、あとは曠野。それに――、<ruby><rb>本村</rb><rt>ホンムラ</rt></ruby>を遠く離れた、時はづれの、人棲まぬ<ruby><rb>田居</rb><rt>タヰ</rt></ruby>ばかりである。

片破れ月が、<ruby><rb>上</rb><rt>アガ</rt></ruby>つて來た。其が却て、あるいてゐる道の<ruby><rb>邊</rb><rt>ホトリ</rt></ruby>の凄さを、照し出した。其でも、星明りで辿つて居るよりは、よるべを覺えて、足が先へ先へと出た。月が中天へ來ぬ前に、もう東の空が、<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">ひいわり</span><ruby><rb>白</rb><rt>シラ</rt></ruby>んで來た。夜のほの〲明けに、姫は、目を疑ふばかりの現實に行きあつた。――横佩家の侍女たちは何時も、夜の起きぬけに、一番最初に目撃した物事で、日のよしあしを、占つて居るやうだつた。さう言ふ女どものふるまひに、特別に氣は牽かれなかつた郎女だけれど、よく其人々が、「<ruby><rb>今朝</rb><rt>ケサ</rt></ruby>の<ruby><rb>朝目</rb><rt>アサメ</rt></ruby>がよかつたから」「何と言ふ情ない朝目でせう」などゝ、そは〱と興奮したり、むやみに塞ぎこんだりして居るのを、見聞きしてゐた。

郎女は、生れてはじめて、「朝目よく」と謂つた語を、内容深く感じたのである。目の前に赤々と、<ruby><rb>丹塗</rb><rt>ニヌ</rt></ruby>りに照り輝いて、朝日を反射して居るのは、寺の大門ではないか。さうして、門から、更に中門が見とほされて、此もおなじ丹塗りに、きらめいて居る。

山裾の勾配に建てられた堂・塔・伽藍は、更に奧深く、<ruby><rb>朱</rb><rt>アケ</rt></ruby>に、青に、金色に、光りの棚雲を、幾重にもつみ重ねて見えた。朝目の<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">すがしさ</span>は、其ばかりではなかつた。其寂寞たる光りの海から、高く<ruby><rb>抽</rb><rt>ヌキ</rt></ruby>でゝ見える二上の山。<ruby><rb>淡海</rb><rt>タンカイ</rt></ruby>公の孫、<ruby><rb>大織冠</rb><rt>タイシヨククワン</rt></ruby>には曾孫。<ruby><rb>藤氏族長</rb><rt>トウシゾクチヨウ</rt></ruby>太宰帥、<ruby><rb>南家</rb><rt>ナンケ</rt></ruby>の豐成、其<ruby><rb>第一孃子</rb><rt>ダイイチヂヨウシ</rt></ruby>なる姫である。屋敷から、一歩はおろか、女部屋を<ruby><rb>膝行</rb><rt>ヰザ</rt></ruby>り出ることすら、たまさかにもせぬ、<ruby><rb>郎女</rb><rt>イラツメ</rt></ruby>のことである。<ruby><rb>順道</rb><rt>ジユンタウ</rt></ruby>ならば、今頃は既に、藤原の氏神河内の<ruby><rb>枚岡</rb><rt>ヒラヲカ</rt></ruby>の<ruby><rb>御神</rb><rt>オンカミ</rt></ruby>か、春日の<ruby><rb>御社</rb><rt>ミヤシロ</rt></ruby>に、<ruby><rb>巫女</rb><rt>ミコ</rt></ruby>の<ruby><rb>君</rb><rt>キミ</rt></ruby>として仕へてゐるはずである。家に居ては、男を寄せず、耳に男の聲も聞かず、男の目を避けて、仄暗い女部屋に起き臥しゝてゐる人である。世間の事は、何一つ聞き知りも、見知りもせぬやうに、おふしたてられて來た。

寺の淨域が、奈良の<ruby><rb>内外</rb><rt>ウチト</rt></ruby>にも、幾つとあつて、横佩<ruby><rb>墻内</rb><rt>カキツ</rt></ruby>と<ruby><rb>讃</rb><rt>タヽ</rt></ruby>へられてゐる屋敷よりも、もつと廣大なものだ、と聞いて居た。さうでなくても、經文の上に傳へた淨土の<ruby><rb>莊嚴</rb><rt>シヤウゴン</rt></ruby>をうつすその建て物の樣は、想像せぬではなかつた。だが<ruby><rb>目</rb><rt>マ</rt></ruby>のあたり見る尊さは、唯息を呑むばかりであつた。之に似た驚きの經驗は、曾て一度したことがあつた。姫は今其を思ひ起して居る。簡素と、豪奢との違ひこそあれ、驚きの歡喜は、印象深く殘つてゐる。

今の　太上天皇樣が、まだ宮廷の御あるじで居させられた頃、<ruby><rb>八歳</rb><rt>ハツサイ</rt></ruby>の南家の<ruby><rb>郎女</rb><rt>イラツメ</rt></ruby>は、<ruby><rb>童女</rb><rt>ワラハメ</rt></ruby>として、<ruby><rb>初</rb><rt>ハツ</rt></ruby>の<ruby><rb>殿上</rb><rt>テンジヨウ</rt></ruby>をした。<ruby><rb>穆々</rb><rt>ボクヽヽ</rt></ruby>たる宮の内の明りは、ほのかな香氣を含んで、流れて居た。晝すら<ruby><rb>眞夜</rb><rt>マヨ</rt></ruby>に等しい、<ruby><rb>御帳臺</rb><rt>ミチヤウダイ</rt></ruby>のあたりにも、尊いみ聲は、<ruby><rb>昭々</rb><rt>セウヽヽ</rt></ruby>と珠を搖る如く響いた。物わきまへもない筈の、八歳の童女が感泣した。

「南家には、惜しい子が、女になつて生れたことよ」と仰せられた、と言ふ畏れ多い風聞が、暫らく貴族たちの間に、くり返された。其後十二年、南家の娘は、<ruby><rb>二十</rb><rt>ハタチ</rt></ruby>になつてゐた。幼いからの<ruby><rb>聰</rb><rt>サト</rt></ruby>さにかはりはなくて、玉・<ruby><rb>水精</rb><rt>スヰシヤウ</rt></ruby>の美しさが益々加つて來たとの噂が、年一年と高まつて來る。

姫は、大門の<ruby><rb>閾</rb><rt>シキミ</rt></ruby>を越えながら、<ruby><rb>童女殿上</rb><rt>ワラハメテンジヤウ</rt></ruby>の昔の<ruby><rb>畏</rb><rt>カシコ</rt></ruby>さを、追想して居たのである。長い<ruby><rb>甃道</rb><rt>イシキミチ</rt></ruby>を踏んで、中門に屆く間にも、誰一人出あふ者がなかつた。恐れを知らず育てられた大貴族の郎女は、<ruby><rb>虔</rb><rt>ツヽマ</rt></ruby>しく併しのどかに、<ruby><rb>御</rb><rt>ミ</rt></ruby>堂・々々を<ruby><rb>拜</rb><rt>ヲガ</rt></ruby>んで、岡の東塔に來たのである。

こゝからは、北大和の平野は見えぬ。見えたところで、郎女は、奈良の家を考へ浮べることも、しなかつたであらう。まして、家人たちが、神隱しに遭うた姫を、探しあぐんで居ようなどゝは、思ひもよらなかつたのである。唯うつとりと、塔の<ruby><rb>下</rb><rt>モト</rt></ruby>から近々と仰ぐ、二上山の山肌に、<ruby><rb>現</rb><rt>ウツ</rt></ruby>し<ruby><rb>世</rb><rt>ヨ</rt></ruby>の目からは見えぬ姿を<ruby><rb>惟</rb><rt>オモ</rt></ruby>ひ<ruby><rb>觀</rb><rt>ミ</rt></ruby>ようとして居るのであらう。

此時分になつて、寺では、人の動きが繁くなり出した。<ruby><rb>晨朝</rb><rt>ジンテウ</rt></ruby>の勤めの間も、うと〱して居た僧たちは、爽やかな朝の眼を睜いて、<ruby><rb>食堂</rb><rt>ジキダウ</rt></ruby>へ降りて行つた。<ruby><rb>奴婢</rb><rt>ヌヒ</rt></ruby>は、其々もち場持ち場の掃除を勵む爲に、ようべの雨に洗つたやうになつた、境内の沙地に出て來た。

そこにござるのは、どなたぞな。

岡の陰から、恐る〱頭をさし出して問うた一人の<ruby><rb>寺奴</rb><rt>ヤツコ</rt></ruby>は、あるべからざる事を見た樣に、自分自身を咎めるやうな聲をかけた。女人の身として、這入ることの出來ぬ結界を犯してゐたのだつた。姫は答へよう、とはせなかつた。又答へようとしても、かう言ふ時に使ふ語には、馴れて居ぬ人であつた。

若し又、適當な語を知つて居たにしたところで、今はそんな事に、考へを紊されては、ならぬ時だつたのである。

姫は唯、山を見てゐた。依然として山の底に、ある俤を觀じ入つてゐるのである。<ruby><rb>寺奴</rb><rt>ヤツコ</rt></ruby>は、二<ruby><rb>言</rb><rt>コト</rt></ruby>とは問ひかけなかつた。一晩のさすらひでやつれては居ても、服裝から見てすぐ、どうした身分の人か位の判斷は、つかぬ筈はなかつた。又暫らくして、四五人の跫音が、びた〲と岡へ上つて來た。年のいつたのや、若い僧たちが、ばら〲と走つて、塔のやらひの外まで來た。

こゝまで出て御座れ。そこは、男でも這入るところではない。<ruby><rb>女人</rb><rt>ニヨニン</rt></ruby>は、とつとゝ出てお行きなされ。

姫は、やつと氣がついた。さうして、人とあらそはぬ癖をつけられた貴族の家の子は、重い足を引きながら、竹垣の傍まで來た。

見れば、奈良のお方さうなが、どうして、そんな處にいらつしやる。

それに又、どうして、こゝまでお出でだつた。伴の人も連れずに――。

口々に問うた。男たちは、咎める口とは別に、心はめい〱、貴い女性をいたはる氣持ちになつて居た。

山ををがみに……。

まことに唯<ruby><rb>一詞</rb><rt>ヒトコト</rt></ruby>。<ruby><rb>當</rb><rt>タウ</rt></ruby>の姫すら思ひ設けなんだ<ruby><rb>詞</rb><rt>コトバ</rt></ruby>が匂ふが如く出た。

貴族の家庭の語と、<ruby><rb>凡下</rb><rt>ボンゲ</rt></ruby>の家々の語とは、すつかり變つて居た。だから言ひ方も、感じ方も、其うへ、語其ものさへ、郎女の語が、そつくり寺の所化<ruby><rb>輩</rb><rt>ハイ</rt></ruby>には、通じよう筈がなかつた。

でも、其でよかつたのである。其でなくて、語の内容が、其まゝ受けとられようものなら、南家の姫は、即座に氣のふれた女、と思はれてしまつたであらう。

それで、<ruby><rb>御館</rb><rt>ミタチ</rt></ruby>はどこぞな。

みたち……。

おうちは……。

おうち……。

おやかたは、と問ふのだよ――。

をゝ。家はとや。右京藤原南家……。

俄然として、群集の上にざはめきが起つた。四五人だつたのが、あとから後から登つて來た僧たちも加つて、二十人以上にもなつて居た。其が、口々に喋り出したものである。

ようべの嵐に、まだ殘りがあつたと見えて、日の明るく照つて居る此小<ruby><rb>晝</rb><rt>ビル</rt></ruby>に、又風が、ざはつき出した。この岡の崎にも、見おろす谷にも、其から二上山へかけての<ruby><rb>尾根</rb><rt>ヲネ</rt></ruby>尾根にも、ちらほら白く見えて、花の木がゆすれて居る。山の<ruby><rb>此方</rb><rt>コナタ</rt></ruby>にも小櫻の花が、咲き出したのである。

此時分になつて、奈良の家では誰となく、こんな事を考へはじめてゐた。此はきつと、里方の女たちの<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">よく</span>する、春の野遊びに出られたのだ。――何時からとも知らぬ<ruby><rb>習</rb><rt>ナラハ</rt></ruby>しである。春秋の、日と夜と<ruby><rb>平分</rb><rt>ヘイブン</rt></ruby>する其頂上に當る日は、一日、日の影を逐うて歩く風が行はれて居た。どこまでもどこまでも、野の果て、山の末、海の渚まで、日を送つて行く女衆が多かつた。さうして、夜に入つてくた〱になつて、家路を戻る。此爲來りを何時となく、女たちの咄すのを聞いて、姫が、女の<ruby><rb>行</rb><rt>ギヤウ</rt></ruby>として、この野遊びをする氣になられたのだ、と思つたのである。かう言ふ、考へに落ちつくと、ありやうもない考へだと訣つて居ても、皆の心が一時、ほうと輕くなつた。ところが、其日も晝さがりになり、段々<ruby><rb>夕光</rb><rt>ユフカゲ</rt></ruby>の、催して來る時刻が來た。昨日は、駄目になつた日の入りの景色が、今日は<ruby><rb>中日</rb><rt>チユウニチ</rt></ruby>にも劣るまいと思はれる華やかさで輝いた。横佩家の人々の心は、再重くなつて居た。

八

奈良の都には、まだ時をり、<ruby><rb>石城</rb><rt>シキ</rt></ruby>と謂はれた石垣を殘して居る家の、見かけられた頃である。度々の<ruby><rb>太政官符</rb><rt>ダイジヤウグワンプ</rt></ruby>で、其を家の<ruby><rb>周</rb><rt>マハ</rt></ruby>りに造ることが、禁ぜられて來た。今では、宮廷より外には、<ruby><rb>石城</rb><rt>シキ</rt></ruby>を完全にとり𢌞した豪族の家などは、よく〱の地方でない限りは、見つからなくなつて居る筈なのである。

其に一つは、宮廷の御在所が、御一代々々々に替つて居た千數百年の歴史の後に、<ruby><rb>飛鳥</rb><rt>アスカ</rt></ruby>の都は、宮殿の位置こそ、數町の間をあちこちせられたが、おなじ山河一帶の内にあつた。其で凡、都遷しのなかつた形になつたので、<ruby><rb>後</rb><rt>アト</rt></ruby>から〱地割りが出來て、相應な<ruby><rb>都城</rb><rt>トジヤウ</rt></ruby>の姿は備へて行つた。其數朝の間に、舊族の屋敷は、段々、家構へが整うて來た。

葛城に、元のまゝの家を持つて居て、都と共に一代ぎりの、屋敷を構へて居た<ruby><rb>蘇我臣</rb><rt>ソガノオミ</rt></ruby>なども、飛鳥の都では、次第に家作りを擴げて行つて、<ruby><rb>石城</rb><rt>シキ</rt></ruby>なども高く、幾重にもとり𢌞して、凡永久の館作りをした。其とおなじ樣な氣持ちから、どの氏でも、大なり小なり、さうした<ruby><rb>石城</rb><rt>シキ</rt></ruby>づくりの屋敷を、構へるやうになつて行つた。

蘇我臣<ruby><rb>一流</rb><rt>ヒトナガ</rt></ruby>れで最榮えた島の<ruby><rb>大臣家</rb><rt>オトヾケ</rt></ruby>の亡びた時分から、石城の構へは<ruby><rb>禁</rb><rt>ト</rt></ruby>められ出した。

この國のはじまり、天から授けられたと言ふ、宮廷に傳はる神の<ruby><rb>御詞</rb><rt>ミコトバ</rt></ruby>に背く者は、今もなかつた。が、書いた物の力は、其が、どのやうに由緒のあるものでも、其ほどの威力を感じるに到らぬ時代がまだ續いて居た。

其飛鳥の都も、<ruby><rb>高天原廣野姫尊樣</rb><rt>タカマノハラヒロヌヒメノミコトサマ</rt></ruby>の思召しで、其から一里北の藤井个原に遷され、藤原の都と名を替へて、新しい<ruby><rb>唐樣</rb><rt>モロコシヤウ</rt></ruby>の<ruby><rb>端正</rb><rt>キラヽヽ</rt></ruby>しさを盡した宮殿が、建ち竝ぶ樣になつた。近い飛鳥から、<ruby><rb>新渡來</rb><rt>イマキ</rt></ruby>の<ruby><rb>高麗馬</rb><rt>コマ</rt></ruby>に跨つて、馬上で通ふ<ruby><rb>風流士</rb><rt>タハレヲ</rt></ruby>もあるにはあつたが、多くはやはり、<ruby><rb>鷺栖</rb><rt>サギス</rt></ruby>の阪の北、香具山の麓から西へ、新しく地割りせられた<ruby><rb>京城</rb><rt>ケイジヤウ</rt></ruby>の<ruby><rb>坊々</rb><rt>マチヽヽ</rt></ruby>に屋敷を構へ、家造りをした。その次の御代になつても、藤原の都は、日に益し、宮殿が建て増されて行つて、こゝを<ruby><rb>永宮</rb><rt>トコミヤ</rt></ruby>と遊ばす思召しが伺はれた。その安堵の心から、家々の<ruby><rb>外</rb><rt>ソト</rt></ruby>には、石城を𢌞すものが、又ぼつ〲出て來た。さうして、そのはやり風俗が、見る〱うちに、また氏々の族長の家圍ひを、あらかた石にしてしまつた。その頃になつて、<ruby><rb>天眞宗豐祖父尊樣</rb><rt>アメマムネトヨオホヂノミコトサマ</rt></ruby>がおかくれになり、<ruby><rb>御母</rb><rt>ミオヤ</rt></ruby>　<ruby><rb>日本根子天津御代豐國成姫</rb><rt>ヤマトネコアマツミヨトヨクニナスヒメ</rt></ruby>の<ruby><rb>大尊樣</rb><rt>オホミコトサマ</rt></ruby>がお立ち遊ばした。その四年目思ひもかけず、奈良の都に宮遷しがあつた。ところがまるで、追つかけるやうに、藤原の宮は固より、目ぬきの家竝みが、不意の出火で、其こそ、あつと言ふ間に、痕形もなく、<ruby><rb>空</rb><rt>ソラ</rt></ruby>の<ruby><rb>有</rb><rt>モノ</rt></ruby>となつてしまつた。もう此頃になると、<ruby><rb>太政官符</rb><rt>ダジヤウグワンプ</rt></ruby>に、更に<ruby><rb>嚴</rb><rt>キビ</rt></ruby>しい<ruby><rb>添書</rb><rt>コトワキ</rt></ruby>がついて出ずとも、氏々の人は皆、目の前のすばやい人事自然の交錯した<ruby><rb>轉變</rb><rt>テンペン</rt></ruby>に、目を瞠るばかりであつたので、久しい<ruby><rb>石城</rb><rt>シキ</rt></ruby>の問題も、其で、解決がついて行つた。

古い<ruby><rb>氏種姓</rb><rt>ウヂスジヤウ</rt></ruby>を言ひ立てゝ、神代以來の家職の神聖を誇つた者どもは、其家職自身が、新しい藤原奈良の都には、次第に意味を失つて來てゐる事に、氣がついて居なかつた。

最早くそこに心づいた、姫の祖父<ruby><rb>淡海</rb><rt>タンカイ</rt></ruby>公などは、古き神祕を誇つて來た家職を、末代まで傳へる爲に、別に家を立てゝ中臣の名を保たうとした。さうして、自分・子供ら・孫たちと言ふ風に、いちはやく、新しい<ruby><rb>官人</rb><rt>ツカサビト</rt></ruby>の生活に入り立つて行つた。

ことし、四十を二つ三つ越えたばかりの<ruby><rb>大伴家持</rb><rt>オホトモノヤカモチ</rt></ruby>は、父<ruby><rb>旅人</rb><rt>タビト</rt></ruby>の其年頃よりは、もつと優れた男ぶりであつた。併し、世の中はもう、すつかり變つて居た。見るもの<ruby><rb>障</rb><rt>サハ</rt></ruby>るもの、彼の心を<ruby><rb>苛</rb><rt>イラ</rt></ruby>つかせる種にならぬものはなかつた。淡海公の、小百年前に實行して居る事に、今はじめて自分の心づいた<ruby><rb>鈍</rb><rt>オゾ</rt></ruby>ましさが、憤らずに居られなかつた。さうして、自分とおなじ風の性向の人の成り行きを、まざ〲省みて、慄然とした。現に、時に誇る藤原びとでも、まだ昔風の夢に<ruby><rb>泥</rb><rt>ナヅ</rt></ruby>んで居た南家の横佩右大臣は、さきをとゝし、太宰<ruby><rb>員外帥</rb><rt>ヰングワイノソツ</rt></ruby>に<ruby><rb>貶</rb><rt>オト</rt></ruby>されて、都を離れた。さうして今は、難波で謹愼してゐるではないか。自分の親旅人も、三十年前に踏んだ道である。世間の<ruby><rb>氏上家</rb><rt>ウヂノカミケ</rt></ruby>の<ruby><rb>主人</rb><rt>アルジ</rt></ruby>は、大方もう、<ruby><rb>石城</rb><rt>シキ</rt></ruby>など<ruby><rb>築</rb><rt>キヅ</rt></ruby>き<ruby><rb>𢌞</rb><rt>マハ</rt></ruby>して、大門小門を繋ぐと謂つた要害と、裝飾とに、興味を失ひかけて居るのに、何とした自分だ。おれはまだ現に、出來るなら、宮廷のお目こぼしを頂いて、石に圍はれた家の中で、家の子どもを集め、<ruby><rb>氏人</rb><rt>ウヂビト</rt></ruby>たちを<ruby><rb>召</rb><rt>ヨ</rt></ruby>びつどへて、<ruby><rb>弓場</rb><rt>ユバ</rt></ruby>に精勵させ、<ruby><rb>捧術</rb><rt>ホコユケ</rt></ruby>・<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">大刀かき</span>に<ruby><rb>出精</rb><rt>シユツセイ</rt></ruby>させよう、と謂つたことを空想して居る。さうして<ruby><rb>年々</rb><rt>トシヾヽ</rt></ruby>頻繁に、氏神其外の神々を祭つてゐる。其度毎に、家の<ruby><rb>語部</rb><rt>カタリベ</rt></ruby>大伴<ruby><rb>語造</rb><rt>カタリヤツコ</rt></ruby>の<ruby><rb>嫗</rb><rt>オムナ</rt></ruby>たちを呼んで、之に<ruby><rb>捉</rb><rt>ツカマ</rt></ruby>へ<ruby><rb>處</rb><rt>ドコロ</rt></ruby>もない<ruby><rb>昔代</rb><rt>ムカシヨ</rt></ruby>の物語りをさせて、<ruby><rb>氏人</rb><rt>ウヂビト</rt></ruby>に傾聽を強ひて居る。何だか、<ruby><rb>空</rb><rt>クウ</rt></ruby>な事に力を入れて居たやうに思へてならぬ寂しさだ。

だが、其氏神祭りや、祭りの<ruby><rb>後宴</rb><rt>ゴエン</rt></ruby>に、<ruby><rb>大勢</rb><rt>オホセイ</rt></ruby>の<ruby><rb>氏人</rb><rt>ウヂビト</rt></ruby>の集ることは、とりわけやかましく言はれて來た、三四年以來の<ruby><rb>法度</rb><rt>ハツト</rt></ruby>である。

こんな溜め息を洩しながら、大伴氏の舊い習しを守つて、どこまでも、宮廷守護の爲の武道の傳襲に、努める外はない家持だつたのである。

越中守として踏み歩いた<ruby><rb>越路</rb><rt>コシヂ</rt></ruby>の泥のかたが、まだ<ruby><rb>行縢</rb><rt>ムカバキ</rt></ruby>から落ちきらぬ内に、もう<ruby><rb>復</rb><rt>マタ</rt></ruby>、都を離れなければならぬ時の、迫つて居るやうな氣がして居た。其中、此針の筵の上で、<ruby><rb>兵部少輔</rb><rt>ヒヤウブセフ</rt></ruby>から、<ruby><rb>大輔</rb><rt>タイフ</rt></ruby>に昇進した。そのことすら、益々脅迫感を強める方にばかりはたらいた。

今年五月にもなれば、東大寺の四天王像の<ruby><rb>開眼</rb><rt>カイゲン</rt></ruby>が行はれる筈で、奈良の都の貴族たちには、すでに寺から内見を願つて來て居た。さうして、忙しい世の中にも、暫らくはその評判が、すべてのいざこざをおし鎭める程に、人の心を浮き立たした。<ruby><rb>本朝</rb><rt>ホンテウ</rt></ruby>出來の像としては、まづ、此程物凄い<ruby><rb>天部</rb><rt>テンブ</rt></ruby>の姿を拜んだことは、はじめてだ、と言ふものもあつた。神代の<ruby><rb>荒</rb><rt>アラ</rt></ruby>神たちも、こんな<ruby><rb>形相</rb><rt>ギヤウサウ</rt></ruby>でおありだつたらう、と言ふ噂も聞かれた。

まだ<ruby><rb>公</rb><rt>オホヤケ</rt></ruby>の供養もすまぬのに、人の口はうるさいほど、頻繁に流説をふり撒いてゐた。あの多聞天と、廣目天との顏つきに、思ひ當るものがないか、と言ふのであつた。此はこゝだけの咄だよ、と言つて話したのが、次第に廣まつて、家持の耳までも聞えて來た。なるほど、<ruby><rb>憤怒</rb><rt>フンヌ</rt></ruby>の<ruby><rb>相</rb><rt>サウ</rt></ruby>もすさまじいにはすさまじいが、あれがどうも、當今大倭一だと言はれる男たちの顏、そのまゝだと言ふのである。貴人は言はぬ、かう言ふ種類の噂は、<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">えて</span>供をして見て來た<ruby><rb>道々</rb><rt>ミチヽヽ</rt></ruby>の<ruby><rb>博士</rb><rt>ハカセ</rt></ruby>たちと謂つた、心<ruby><rb>蔑</rb><rt>サモ</rt></ruby>しいものゝ、言ひさうな事である。

多聞天は、<ruby><rb>大師</rb><rt>タイシ</rt></ruby>藤原<ruby><rb>惠美中卿</rb><rt>ヱミチユウケイ</rt></ruby>だ。あの柔和な、五十を越してもまだ、三十代の美しさを失はぬあの方が、近頃おこりつぽくなつて、よく下官や、<ruby><rb>仕</rb><rt>ツカ</rt></ruby>へ<ruby><rb>人</rb><rt>ビト</rt></ruby>を叱るやうになつた。あの<ruby><rb>圓滿</rb><rt>ウマ</rt></ruby>し<ruby><rb>人</rb><rt>ビト</rt></ruby>が、どうしてこんな顏つきになるだらう、と思はれる表情をすることがある。其<ruby><rb>面</rb><rt>オモ</rt></ruby>もちそつくりだ、と尤らしい言ひ分なのである。

さう言へば、あの方が<ruby><rb>壯盛</rb><rt>ワカザカ</rt></ruby>りに、<ruby><rb>捧術</rb><rt>ホコユケ</rt></ruby>を<ruby><rb>嗜</rb><rt>コノ</rt></ruby>んで、今にも事あれかしと謂つた顏で、立派な<ruby><rb>甲</rb><rt>ヨロヒ</rt></ruby>をつけて、のつし〱と長い物を<ruby><rb>杖</rb><rt>ツ</rt></ruby>いて歩かれたお姿が、あれを見てゐて、ちらつくやうだなど、と相槌をうつ者も出て來た。其では、廣目天の方はと言ふと、

さあ、其がの――。

と誰に言はせても、ちよつと言ひ澁るやうに、困つた顏をして見せる。

實は、ほんの人の噂だがの。噂だから、保證は出來ぬがの。義淵僧正の弟子の道鏡法師に、似てるぞなと言ふがや。……けど、<ruby><rb>他人</rb><rt>ヒト</rt></ruby>に言はせると、――あれはもう、二十幾年にもなるかいや――筑紫で伐たれなされた<ruby><rb>前太宰少貳</rb><rt>ゼンダザイノセウニ</rt></ruby>―藤原廣嗣―の<ruby><rb>殿</rb><rt>トノ</rt></ruby>に<ruby><rb>生寫</rb><rt>シヤウウツ</rt></ruby>しぢや、とも言ふがいよ。

わしにも、どちらとも言へんがの。どうでも、見たことのあるお人に似て居さつしやるには、似てゐさつしやるげな……。

何しろ、此二つの<ruby><rb>天部</rb><rt>テンブ</rt></ruby>が、互に敵視するやうな目つきで、睨みあつて居る。噂を氣にした住侶たちが、色々に置き替へて見たが、どの隅からでも、互に相手の姿を、<ruby><rb>眦</rb><rt>マナジリ</rt></ruby>を裂いて見つめて居る。とう〱あきらめて、自然にとり沙汰の消えるのを待つより爲方がない、と思ふやうになつたと言ふ。

若しや、天下に大亂でも起きなければえゝが――。

こんな咡きは、何時までも續きさうに、時と共に倦まずに語られた。

<ruby><rb>前</rb><rt>セン</rt></ruby>少貳殿でなくて、<ruby><rb>弓削新發意</rb><rt>ユゲシンボチ</rt></ruby>の方であつてくれゝば、いつそ安心だがなあ。あれなら、事を起しさうな房主でもなし。起したくても、起せる身分でもないぢやまで――。

言ひたい<ruby><rb>傍題</rb><rt>ハウダイ</rt></ruby>な事を言つて居る人々も、たつた此一つの話題を持ちあぐね初めた頃、噂の中の大師<ruby><rb>惠美</rb><rt>ヱミノ</rt></ruby>朝臣の姪の横佩家の<ruby><rb>郎女</rb><rt>イラツメ</rt></ruby>が、神隱しに遭うたと言ふ、人の口の端に<ruby><rb>旋風</rb><rt>ツジカゼ</rt></ruby>を起すやうな事件が、湧き上つたのである。

九

<ruby><rb>兵部大輔</rb><rt>ヒヤウブタイフ</rt></ruby>大伴家持は、偶然この噂を、極めて早く耳にした。ちようど、<ruby><rb>春分</rb><rt>シユンブン</rt></ruby>から二日目の朝、朱雀大路を南へ、馬をやつて居た。二人ばかりの<ruby><rb>資人</rb><rt>トネリ</rt></ruby>が<ruby><rb>徒歩</rb><rt>カチ</rt></ruby>で、驚くほどに足早について行く。此は、晋唐の新しい文學の影響を受け過ぎるほど、享け入れた文人かたぎの彼には、數年來珍しくもなくなつた癖である。かうして、何處まで行くのだらう。唯、朱雀の竝み木の柳の花がほゝけて、霞のやうに飛んで居る。向うには、低い山と、細長い野が、のどかに<ruby><rb>陽炎</rb><rt>カゲロ</rt></ruby>ふばかりである。

資人の一人が、<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">とつと</span>ゝ追ひついて來たと思ふと、主人の鞍に顏をおしつける樣にして、新しい耳を聞かした。今行きすがうた知り人の口から、聞いたばかりの噂である。

それで、何か――。娘御の行くへは知れた、と言ふのか。

はい……。いゝえ。何分、その男がとり急いで居りまして。

この間拔け。話はもつと上手に聽くものだ。

柔らかく叱つた。そこへ<ruby><rb>今</rb><rt>モ</rt></ruby>一人の<ruby><rb>伴</rb><rt>トモ</rt></ruby>が、追ひついて來た。息をきらしてゐる。

ふん。<ruby><rb>汝</rb><rt>ワケ</rt></ruby>は聞き出したね。<ruby><rb>南家</rb><rt>ナンケ</rt></ruby>の<ruby><rb>孃子</rb><rt>ヲトメ</rt></ruby>は、どうなつた――。

出<ruby><rb>端</rb><rt>ハナ</rt></ruby>に油かけられた<ruby><rb>資人</rb><rt>トネリ</rt></ruby>は、表情に隱さず心の中を表した此頃の人の、自由な咄し方で、まともに鼻を蠢して語つた。

當麻の邑まで、をとゝひ<ruby><rb>夜</rb><rt>ヨ</rt></ruby>の中に行つて居たこと、寺からは、昨日午後、横佩<ruby><rb>墻内</rb><rt>カキツ</rt></ruby>へ知らせが屆いたこと其外には、何も聞きこむ間のなかつたことまで。家持の聯想は、環のやうに繋つて、暫らくは馬の上から見る、街路も、人通りも、唯、物として通り過ぎるだけであつた。

南家で持つて居た藤原の<ruby><rb>氏上</rb><rt>ウヂノカミ</rt></ruby>職が、兄の家から、弟仲麻呂―押勝―の方へ移らうとしてゐる。來年か、<ruby><rb>再來年</rb><rt>サライネン</rt></ruby>の<ruby><rb>枚岡</rb><rt>ヒラヲカ</rt></ruby>祭りに、參向する氏人の長者は、自然かの大師のほか、人がなくなつて居る。<ruby><rb>惠美家</rb><rt>ヱミケ</rt></ruby>からは、嫡子<ruby><rb>久須麻呂</rb><rt>クスマロ</rt></ruby>の爲、自分の家の第一孃子をくれとせがまれて居る。先日も、久須麻呂の名の歌が屆き、自分の方でも、娘に代つて返し歌を作つて遣した。<ruby><rb>今朝</rb><rt>ケサ</rt></ruby>も今朝、又折り返して、男からの<ruby><rb>懸想文</rb><rt>ケサウブミ</rt></ruby>が、來てゐた。

その<ruby><rb>壻候補</rb><rt>ムコガネ</rt></ruby>の父なる人は、五十になつても、若かつた頃の容色に頼む心が失せずにゐて、兄の家娘にも執心は持つて居るが、如何に何でも、あの郎女だけには、とり次げないで居る。此は、横佩家へも出入りし、大伴家へも<ruby><rb>初中終</rb><rt>シヨツチユウ</rt></ruby>來る<ruby><rb>古刀自</rb><rt>フルトジ</rt></ruby>の、人のわるい内證話であつた。其を聞いて後、家持自身も、何だか好奇心に似たものが、どうかすると頭を<ruby><rb>擡</rb><rt>モタ</rt></ruby>げて來て困つた。仲麻呂は今年、五十を出てゐる。其から見れば、ひとまはりも若いおれなどは、思ひ出にまう一度、此<ruby><rb>匂</rb><rt>ニホ</rt></ruby>やかな<ruby><rb>貌花</rb><rt>カホバナ</rt></ruby>を、<ruby><rb>垣内</rb><rt>カキツ</rt></ruby>の<ruby><rb>坪苑</rb><rt>ツボ</rt></ruby>に移せぬ限りはない。こんな當時の男が、皆持つた心<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">をどり</span>に、はなやいだ、明るい氣がした。

だが併し、あの郎女は、藤原四家の<ruby><rb>系統</rb><rt>スヂ</rt></ruby>で一番、<ruby><rb>神</rb><rt>カム</rt></ruby>さびた<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">たち</span>を持つて生れた、と謂はれる娘御である。今、<ruby><rb>枚岡</rb><rt>ヒラヲカ</rt></ruby>の<ruby><rb>御神</rb><rt>オンカミ</rt></ruby>に仕へて居る<ruby><rb>齋</rb><rt>イツ</rt></ruby>き<ruby><rb>姫</rb><rt>ヒメ</rt></ruby>の罷める時が來ると、あの<ruby><rb>孃子</rb><rt>ヲトメ</rt></ruby>が替つて立つ筈だ。其で、貴い所からのお召しにも應じかねて居るのだ。……結局、誰も彼も、あきらめねばならぬ時が來るのだ。神の物は、神の物――。横佩家の娘御は、神の手に落ちつくのだらう。

ほのかな感傷が、家持の心を淨めて過ぎた。おれは、どうもあきらめが、よ過ぎる。<ruby><rb>十</rb><rt>トヲ</rt></ruby>を出たばかりの幼さで、母は死に、父は疾んで居る太宰府へ降つて、<ruby><rb>夙</rb><rt>ハヤ</rt></ruby>くから、海の<ruby><rb>彼方</rb><rt>アナタ</rt></ruby>の作り物語りや、<ruby><rb>唐詩</rb><rt>モロコシウタ</rt></ruby>のをかしさを知り<ruby><rb>初</rb><rt>ソ</rt></ruby>めたのが、病みつきになつたのだ。死んだ父も、さうした物は、或は、おれよりも嗜きだつたかも知れぬほどだが、もつと物に<ruby><rb>執着</rb><rt>シフヂヤク</rt></ruby>が深かつた。現に、大伴の家の行く末の事なども、父はあれまで、心を惱まして居た。おれも考へれば、たまらなくなつて來る。其で、氏人を集めて喩したり、歌を作つて訓諭して見たりする。だがさうした後の氣持ちの爽やかさは、どうしたことだ。洗ひ去つた樣に、心がすつとしてしまふのだつた。まるで、初めから家の事など考へて居なかつた、とおなじすが〲しい心になつてしまふ。

あきらめと言ふ事を、知らなかつた人ばかりではないか。……昔物語りに語られる神でも、人でも、傑れた、と傳へられる限りの方々は――。それに、おれはどうしてかうだらう。

家持の心は併し、こんなに悔恨に似た心持ちに沈んで居るに繋らず、段々氣にかゝるものが、薄らぎ出して來てゐる。

ほう　これは、<ruby><rb>京極</rb><rt>キヤウハテ</rt></ruby>まで來た。

朱雀<ruby><rb>大路</rb><rt>オホヂ</rt></ruby>も、こゝまで來ると、縱横に通る地割りの太い路筋ばかりが、白々として居て、どの區畫にも〱、家は建つて居ない。去年の草の立ち枯れたのと、今年生えて稍莖を立て初めたのとがまじりあつて、屋敷地から喰み出し、道の上までも延びて居る。

こんな家が――。

驚いたことは、そんな草原の中に、唯一つ大きな構への家が、建ちかゝつて居る。遲い朝を、もう餘程、今日の爲事に這入つたらしい<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">木の道</span>の者たちが、骨組みばかりの家の中で、立ちはたらいて居るのが見える。家の建たぬ前に、既に屋敷𢌞りの<ruby><rb>地形</rb><rt>ヂギヤウ</rt></ruby>が出來て、見た目にもさつぱりと、垣をとり𢌞して居る。

土を積んで、石に代へた垣、此頃言ひ出した<ruby><rb>築土垣</rb><rt>ツキヒヂガキ</rt></ruby>といふのは、此だな、と思つて、ぢつと目をつけて居た。見る〱、さうした新しい<ruby><rb>好尚</rb><rt>コノミ</rt></ruby>のおもしろさが、家持の心を奪うてしまつた。

<ruby><rb>築土垣</rb><rt>ツキヒヂガキ</rt></ruby>の處々に、きりあけた口があつて、其に、門が出來て居た。さうして、其處から、頻りに人が繋つては出て來て、石を曳く。木を<ruby><rb>搬</rb><rt>モ</rt></ruby>つ。土を搬び入れる。重苦しい<ruby><rb>石城</rb><rt>シキ</rt></ruby>。懷しい昔構へ。今も、家持のなくなしたくなく考へてゐる屋敷𢌞りの石垣が、思うてもたまらぬ重壓となつて、彼の胸に、もたれかゝつて來るのを感じた。

おれには、だが、この築土垣を<ruby><rb>擇</rb><rt>ト</rt></ruby>ることが出來ぬ。

家持の乘<ruby><rb>馬</rb><rt>メ</rt></ruby>は再、憂欝に閉された主人を背に、引き返して、五條まで上つて來た。此邊から、右京の方へ折れこんで、<ruby><rb>坊角</rb><rt>マチカド</rt></ruby>を𢌞りくねりして行く樣子は、此主人に馴れた<ruby><rb>資人</rb><rt>トネリ</rt></ruby>たちにも、胸の測られぬ氣を起させた。二人は、時々顏を見合せ、目くばせをしながら尚、了解が出來ぬ、と言ふやうな表情を交しかはし、馬の後を走つて行く。

こんなにも、變つて居たのかねえ。

ある<ruby><rb>坊角</rb><rt>マチカド</rt></ruby>に來た時、馬をぴたと止めて、獨り言のやうに言つた。

……<ruby><rb>舊</rb><rt>フル</rt></ruby>草に　<ruby><rb>新</rb><rt>ニヒ</rt></ruby>草まじり　生ひば　生ふるかに――だな。

近頃見つけた<ruby><rb>歌儛所</rb><rt>カブシヨ</rt></ruby>の古記録「<ruby><rb>東歌</rb><rt>アヅマウタ</rt></ruby>」の中に見た一首がふと、此時、彼の言ひたい氣持ちを、代作して居てくれてゐたやうに、思ひ出された。

さうだ。「おもしろき<ruby><rb>野</rb><rt>ヌ</rt></ruby>をば　<ruby><rb>勿</rb><rt>ナ</rt></ruby>燒きそ」だ。此でよいのだ。

けゞんな顏を<ruby><rb>仰</rb><rt>アフム</rt></ruby>けてゐる<ruby><rb>伴人</rb><rt>トモビト</rt></ruby>らに、柔和な笑顏を向けた。

さうは思はぬか。立ち朽りになつた家の間に、どし〲新しい屋敷が出來て行く。

都は何時までも、家は建て詰まぬが、其でもどちらかと謂へば、減るよりも殖えて行つてゐる。此邊は以前、今頃になると、蛙めの、あやまりたい程鳴く田の原が、續いてたもんだ。

仰るとほりで御座ります。春は蛙、夏はくちなは、秋は蝗まろ。此邊はとても、歩けたところでは御座りませんでした。

今一人が言ふ。

建つ家もたつ家も、この立派さは、まあどうで御座りませう。其に、どれも此も、此頃急にはやり出した<ruby><rb>築土垣</rb><rt>ツキヒヂガキ</rt></ruby>を<ruby><rb>築</rb><rt>キヅ</rt></ruby>きまはしまして。何やら、以前とはすつかり變つた處に、參つた氣が致します。

馬上の主人も、今まで其ばかり考へて居た所であつた。だが彼の心は、瞬間明るくなつて、先年三形王の御殿での<ruby><rb>宴</rb><rt>ウタゲ</rt></ruby>に<ruby><rb>誦</rb><rt>クチズサ</rt></ruby>んだ即興が、その時よりも、今はつきりと内容を持つて、心に浮んで來た。

うつり行く時見る毎に、心<ruby><rb>疼</rb><rt>イタ</rt></ruby>く　昔の人し　思ほゆるかも

目をあげると、東の方春日の<ruby><rb>杜</rb><rt>モリ</rt></ruby>は、谷陰になつて、こゝからは見えぬが、<ruby><rb>御蓋</rb><rt>ミカサ</rt></ruby>山・<ruby><rb>高圓</rb><rt>タカマド</rt></ruby>山一帶、頂が晴れて、すばらしい春日和になつて居た。

あきらめがさせるのどけさなのだ、とすぐ氣がついた。でも、彼の心の<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">ふさぎのむし</span>は<ruby><rb>迹</rb><rt>アト</rt></ruby>を潜めて、唯、まるで今歩いてゐるのが、<ruby><rb>大日本平城京</rb><rt>オホヤマトヘイセイケイ</rt></ruby>の土ではなく、<ruby><rb>大唐</rb><rt>ダイトウ</rt></ruby>長安の大道の樣な錯覺の起つて來るのが押へきれなかつた。此馬がもつと、毛竝みのよい純白の馬で、跨つて居る自身も亦、若々しい二十代の貴公子の氣がして來る。神々から引きついで來た、重苦しい家の歴史だの、夥しい數の氏人などから、すつかり截り離されて、自由な空にかけつて居る自分でゞもあるやうな、豐かな心持ちが、暫らくは拂つても〱、消えて行かなかつた。

おれは若くもなし。第一、海東の<ruby><rb>大日本人</rb><rt>オホヤマトビト</rt></ruby>である。おれには、憂欝な家職が、ひし〱と、肩のつまるほどかゝつて居るのだ。こんなことを考へて見ると、寂しくてはかない氣もするが、すぐに其は、自身と關係のないことのやうに、心は<ruby><rb>饒</rb><rt>ニギ</rt></ruby>はしく和らいで來て、爲方がなかつた。

をい、<ruby><rb>汝</rb><rt>ワケ</rt></ruby>たち。大伴<ruby><rb>氏上家</rb><rt>ウヂノカミケ</rt></ruby>も、築土垣を引き𢌞さうかな。

とんでもないことを仰せられます。

二人の聲が、おなじ感情から迸り出た。

年の増した方の<ruby><rb>資人</rb><rt>トネリ</rt></ruby>が、切實な胸を告白するやうに言つた。

私どもは御譜第では御座りません。でも、大伴と言ふお名は、<ruby><rb>御門御垣</rb><rt>ミカドミカキ</rt></ruby>と、關係深い稱へだ、と承つて居ります。大伴家からして、門垣を今樣にする事になつて<ruby><rb>御覽</rb><rt>ゴラウ</rt></ruby>じませ。御一族の末々まで、あなた樣をお<ruby><rb>呪</rb><rt>ノロ</rt></ruby>ひ申し上げることでおざりませう。其どころでは、御座りません。第一、ほかの氏々――大伴家よりも、ぐんと歴史の新しい、人の世になつて初まつた家々の氏人までが、御一族を<ruby><rb>蔑</rb><rt>ナイガシロ</rt></ruby>に致すことになりませう。

こんな事を言はして置くと、折角澄みかゝつた心も、又曇つて來さうな氣がする。家持は忙てゝ、資人の口を<ruby><rb>緘</rb><rt>ト</rt></ruby>めた。

うるさいぞ。誰に言ふ語だと思うて、言うて居るのだ。やめぬか。<ruby><rb>雜談</rb><rt>ジヤウダン</rt></ruby>だ。雜談を眞に受ける奴が、あるものか。

馬はやつぱり、しつと〱と、歩いて居た。築土垣　築土垣。又、築土垣。こんなに何時の間に、家構へが替つて居たのだらう。家持は、なんだか、<ruby><rb>晩</rb><rt>オソ</rt></ruby>かれ早かれ、ありさうな氣のする次の都――どうやらかう、もつとおつぴらいた平野の中の<ruby><rb>新京城</rb><rt>シンケイジヤウ</rt></ruby>にでも來てゐるのでないかと言ふ氣が、ふとしかゝつたのを、危く喰ひとめた。

築土垣　築土垣。もう、彼の心は動かなくなつた。唯、よいとする氣持ちと、よくないと思はうとする意思との間に、氣分だけが、あちらへ寄りこちらへよりしてゐるだけであつた。

何時の間にか、<ruby><rb>平群</rb><rt>ヘグリ</rt></ruby>の丘や、色々な塔を持つた<ruby><rb>京西</rb><rt>キヤウニシ</rt></ruby>の寺々の見渡される、三條邊の町尻に來て居ることに、氣がついた。

これは〱。まだこゝに、殘つてゐたぞ。

珍しい發見をしたやうに、彼は馬から身を<ruby><rb>飜</rb><rt>カヘ</rt></ruby>しておりた。二人の資人はすぐ、馳け寄つて手綱を控へた。

家持は、門と門との間に、細かい柵をし圍らし、目隱しに<ruby><rb>枳殼</rb><rt>カラタチバナ</rt></ruby>の<ruby><rb>叢生</rb><rt>ヤブ</rt></ruby>を作つた家の外構への一個處に、まだ<ruby><rb>石城</rb><rt>シキ</rt></ruby>が可なり廣く、人丈にあまる程に築いてあるそばに、近寄つて行つた。

荒れては居るが、こゝは<ruby><rb>横佩墻内</rb><rt>ヨコハキカキツ</rt></ruby>だ。

さう言つて、暫らく息を詰めるやうにして、石垣の荒い面を見入つて居た。

さうに御座ります。此<ruby><rb>石城</rb><rt>シキ</rt></ruby>からしてついた名の、横佩墻内だと申しますとかで、せめて一ところだけは、と強ひてとり毀たないとか申します。何分、<ruby><rb>帥</rb><rt>ソツ</rt></ruby>の殿のお都入りまでは何としても、此儘で置くので御座りませう。さやうに、人が申し聞けました。はい。

何時の間にか、三條三坊まで來てしまつてゐたのである。

おれは、こんな處へ來ようと言ふ考へはなかつたのに――。だが、やつぱり、おれにはまだ〲、若い色好みの心が、失せないで居るぞ。何だか、自分で自分をなだめる樣な、反省らしいものが出て來た。

其にしても、靜か過ぎるではないか。

さやうで。で御座りますが、郎女のお行くへも知れ、乳母もそちらへ行つたとか、今も人が申しましたから、落ちついたので御座りませう。

詮索ずきさうな顏をした若い方が、口を出す。

いえ。第一、こんな場合は、騷ぐといけません。騷ぎにつけこんで、惡い<ruby><rb>魂</rb><rt>タマ</rt></ruby>や、<ruby><rb>靈</rb><rt>モノ</rt></ruby>が、うよ〱とつめかけて來るもので御座ります。この<ruby><rb>御館</rb><rt>ミタチ</rt></ruby>も、古いおところだけに、心得のある<ruby><rb>長老</rb><rt>オトナ</rt></ruby>の一人や、二人は、難波へも下らずに、留守に居るので御座りませう。

もうよい〱。では戻らう。

十

をとめの<ruby><rb>閨戸</rb><rt>ネヤド</rt></ruby>をおとなふ<ruby><rb>風</rb><rt>フウ</rt></ruby>は、何も、珍しげのない國中の<ruby><rb>爲來</rb><rt>シキタ</rt></ruby>りであつた。だが其にも、曾てはさうした風の、一切行はれて居なかつたことを、主張する村々があつた。何時のほどにか、さうした村が、他村の、別々に守つて來た風習と、その古い爲來りとをふり替へることになつたのだ、と言ふ。かき上る段になれば、何の<ruby><rb>雜作</rb><rt>ザフサ</rt></ruby>もない<ruby><rb>石城</rb><rt>シキ</rt></ruby>だけれど、あれを大昔からとり𢌞して居た村と、さうでない村とがあつた。こんな風に、しかつめらしい説明をする<ruby><rb>宿老</rb><rt>トネ</rt></ruby>たちが、どうかすると居た。多分やはり、<ruby><rb>語部</rb><rt>カタリベ</rt></ruby>などの昔語りから、來た話なのであらう。踏み越えても這入れ<ruby><rb>相</rb><rt>サウ</rt></ruby>に見える石垣だが、大昔<ruby><rb>交</rb><rt>カハ</rt></ruby>された誓ひで、目に見えぬ<ruby><rb>鬼神</rb><rt>モノ</rt></ruby>から、人間に到るまで、あれが形だけでもある限り、入りこまぬ事になつてゐる。こんな約束が、人と<ruby><rb>鬼</rb><rt>モノ</rt></ruby>との間にあつて後、村々の人は<ruby><rb>石城</rb><rt>シキ</rt></ruby>の中に、ゆつたりと棲むことが出來る樣になつた。さうでない村々では、何者でも、垣を躍り越えて這入つて來る。其は、別の何かの<ruby><rb>爲方</rb><rt>シカタ</rt></ruby>で、防ぐ外はなかつた。祭りの夜でなくても、村なかの男は何の憚りなく、垣を踏み越えて處女の<ruby><rb>蔀戸</rb><rt>シトミ</rt></ruby>をほと〱と叩く。<ruby><rb>石城</rb><rt>シキ</rt></ruby>を<ruby><rb>圍</rb><rt>カコ</rt></ruby>うた村には、そんなことは、一切なかつた。だから、<ruby><rb>美</rb><rt>クハ</rt></ruby>し<ruby><rb>女</rb><rt>メ</rt></ruby>の家に、<ruby><rb>奴隷</rb><rt>ヤツコ</rt></ruby>になつて住みこんだ<ruby><rb>古</rb><rt>イニシヘ</rt></ruby>の<ruby><rb>貴</rb><rt>アデ</rt></ruby>びともあつた。娘の父にこき使はれて、三年五年、いつか處女に會はれよう、と忍び過した、身にしむ戀物語りもあるくらゐだ。<ruby><rb>石城</rb><rt>シキ</rt></ruby>を掘り崩すのは、何處からでも<ruby><rb>鬼神</rb><rt>モノ</rt></ruby>に入りこんで來い、と呼びかけるのと同じことだ。京の年よりにもあつたし、田舍の村々では、之を言ひ立てに、ちつとでも、石城を殘して置かうと爭うた人々が、多かつたのである。

さう言ふ家々では、實例として恐しい證據を擧げた。卅年も昔、――天平八年嚴命が降つて、何事も命令のはか〲しく行はれぬのは、<ruby><rb>朝臣</rb><rt>テウシン</rt></ruby>が先つて行はぬからである。<ruby><rb>汝等</rb><rt>ミマシタチ</rt></ruby>進んで、石城を毀つて、新京の時世裝に叶うた家作りに改めよ、と仰せ下された。藤氏四流の如き、今に舊態を<ruby><rb>易</rb><rt>カ</rt></ruby>へざるは、最其位に在るを顧みざるものぞ、とお咎めが降つた。此時一度、凡、石城はとり毀たれたのである。ところが、其と時を同じくして、<ruby><rb>疱瘡</rb><rt>モガサ</rt></ruby>がはやり出した。越えて翌年、益々盛んになつて、四月北家を手初めに、京家南家と、主人から、まづ此<ruby><rb>時疫</rb><rt>シエキ</rt></ruby>に亡くなつて、八月にはとう〱、式家の宇合卿まで仆れた。家に、防ぐ筈の石城が失せたからだ、と天下中の人が騷いだ。其でまた、とり壞した家も、ぼつ〲<ruby><rb>舊</rb><rt>モト</rt></ruby>に戻したりしたことであつた。

こんなすさまじい事も、あつて過ぎた夢だ。けれどもまだ、まざ〲と人の心に燒きついて離れぬ、<ruby><rb>現</rb><rt>ウツヽ</rt></ruby>の恐しさであつた。

其は其として、昔から家の娘を守つた邑々も、段々<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">えたい</span>の知れぬ村の風に<ruby><rb>感染</rb><rt>カマ</rt></ruby>けて、忍び<ruby><rb>夫</rb><rt>ヅマ</rt></ruby>の手に任せ<ruby><rb>傍題</rb><rt>ハウダイ</rt></ruby>にしようとしてゐる。さうした<ruby><rb>求婚</rb><rt>ツマドヒ</rt></ruby>の風を傳へなかつた氏々の間では、此は、忍び難い流行であつた。其でも男たちは、のどかな風俗を喜んで、何とも思はぬやうになつた。が、家庭の中では、母・妻・<ruby><rb>乳母</rb><rt>オモ</rt></ruby>たちが、いまだにいきり立つて、さうした風儀になつて行く世間を、呪ひやめなかつた。

手近いところで言うても、大伴宿禰にせよ。藤原朝臣にせよ。さう謂ふ<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">妻どひ</span>の式はなくて、數十代宮廷をめぐつて、仕へて來た邑々のあるじの家筋であつた。

でも何時か、さうした氏々の間にも、妻迎への式には、

八千矛の神のみことは、とほ〲し、<ruby><rb>高志</rb><rt>コシ</rt></ruby>の國に、<ruby><rb>美</rb><rt>クハ</rt></ruby>し<ruby><rb>女</rb><rt>メ</rt></ruby>をありと聞かして、<ruby><rb>賢</rb><rt>サカ</rt></ruby>し<ruby><rb>女</rb><rt>メ</rt></ruby>をありと<ruby><rb>聞</rb><rt>キコ</rt></ruby>して……

から謠ひ起す<ruby><rb>神語歌</rb><rt>カミガタリウタ</rt></ruby>を、語部に歌はせる風が、次第にひろまつて來るのを、防ぎとめることが出來なくなつて居た。

南家の<ruby><rb>郎女</rb><rt>イラツメ</rt></ruby>にも、さう言ふ<ruby><rb>妻覓</rb><rt>ツママ</rt></ruby>ぎ人が――いや<ruby><rb>人群</rb><rt>ヒトムレ</rt></ruby>が、とりまいて居た。唯、あの型ばかり取り殘された<ruby><rb>石城</rb><rt>シキ</rt></ruby>の爲に、何だか屋敷へ入ることが、物忌み―<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">たぶう</span>―を犯すやうな<ruby><rb>危殆</rb><rt>ヒアヒ</rt></ruby>な心持ちで、誰も彼も、柵まで又、門まで來ては、かいまみしてひき還すより上の勇氣が、出ぬのであつた。

<ruby><rb>通</rb><rt>カヨ</rt></ruby>はせ<ruby><rb>文</rb><rt>ブミ</rt></ruby>をおこすだけが、せめてもの<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">てだて</span>ゞ、其さへ無事に、姫の手に屆いて、見られてゐると言ふ、自信を持つ人は、一人としてなかつた。事實、大抵、女部屋の<ruby><rb>老女</rb><rt>トシ</rt></ruby>たちが、引つたくつて渡させなかつた。さうした文のとりつぎをする<ruby><rb>若人</rb><rt>ワカウド</rt></ruby>―若女房―を呼びつけて、荒けなく叱つて居る事も、度々見かけられた。

<ruby><rb>其方</rb><rt>オモト</rt></ruby>は、この姫樣こそ、藤原の氏神にお仕へ遊ばす、清らかな<ruby><rb>常處女</rb><rt>トコヲトメ</rt></ruby>と申すのだ、と言ふことを知らぬのかえ。神の咎めを憚るがえゝ。宮から恐れ多いお召しがあつてすら、<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">ふつ</span>においらへを申しあげぬのも、それ故だとは考へつかぬげな。やくたい者。とつとゝ失せたがよい。そんな文とりついだ手を、<ruby><rb>率</rb><rt>イザ</rt></ruby>川の一の瀬で淨めて來くさらう。<ruby><rb>罰</rb><rt>バチ</rt></ruby>知らずが……。

こんな風に<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">わなり</span>つけられた者は、併し、二人や三人ではなかつた。横佩家の女部屋に住んだり、通うたりしてゐる若人は、一人殘らず一度は、經驗したことだと謂つても、<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">うそ</span>ではなかつた。

だが、郎女は、<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">つひに</span>一度そんな事のあつた樣子も、知らされずに來た。

上つ方の<ruby><rb>郎女</rb><rt>イラツメ</rt></ruby>が、<ruby><rb>才</rb><rt>ザエ</rt></ruby>をお習ひ遊ばすと言ふことが御座りませうか。それは近代、ずつと<ruby><rb>下</rb><rt>シモ</rt></ruby>ざまの<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">をなご</span>の致すことゝ承ります。父君がどう仰らうとも、<ruby><rb>父御</rb><rt>テヽゴ</rt></ruby>樣のお話は御一代。お家の習しは、神さまの<ruby><rb>御意趣</rb><rt>オムネ</rt></ruby>、とお思ひつかはされませ。

氏の掟の前には、<ruby><rb>氏上</rb><rt>ウヂノカミ</rt></ruby>たる人の考へをすら、否みとほす事もある姥たちであつた。

其老女たちすら、郎女の天禀には、舌を捲きはじめて居た。

もう、自身たちの教へることもなうなつた。

かう思ひ出したのは、數年も前からである。内に居る、<ruby><rb>身狹乳母</rb><rt>ムサノチオモ</rt></ruby>・<ruby><rb>桃花鳥野乳母</rb><rt>ツキヌノマヽ</rt></ruby>・<ruby><rb>波田坂上</rb><rt>ハタノサカノヘノ</rt></ruby>刀自、皆故知らぬ喜びの不安から、歎息し續けてゐた。時々伺ひに出る中臣<ruby><rb>志斐嫗</rb><rt>シヒノオムナ</rt></ruby>・<ruby><rb>三上水凝刀自女</rb><rt>ミカミノミヅコリノトジメ</rt></ruby>なども、來る毎、目を見合せて、ほうつとした顏をする。どうしよう、と相談するやうな人たちではない。皆無言で、自分等の力の及ばぬ所まで來た、姫の魂の成長にあきれて、目をみはるばかりなのだ。

<ruby><rb>才</rb><rt>ザエ</rt></ruby>を習ふなと言ふなら、まだ聞きも知らぬこと、教へて<ruby><rb>賜</rb><rt>タモ</rt></ruby>れ。

素直な郎女の求めも、姥たちにとつては、骨を刺しとほされるやうな痛さであつた。

何を仰せられまする。以前から、何一つお教へなど申したことがおざりませうか。<ruby><rb>目下</rb><rt>メシタ</rt></ruby>の者が、目上のお方さまに、お教へ申すと言ふやうな考へは、神樣がお聞き屆けになりません。教へる者は目上、ならふ者は目下、と此が、神の代からの掟でおざりまする。

志斐<ruby><rb>嫗</rb><rt>オムナ</rt></ruby>の負け色を救ふ爲に、<ruby><rb>身狹乳母</rb><rt>ムサノチオモ</rt></ruby>も口を揷む。

唯知つた事を申し上げるだけ。其を聞きながら、御心がお育ち遊ばす。さう思うて、姥たちも、覺えたゞけの事は、郎女樣のみ<ruby><rb>魂</rb><rt>タマ</rt></ruby>を<ruby><rb>搖</rb><rt>イブ</rt></ruby>る樣にして、歌ひもし、語りもして參りました。教へたなど仰つては、私めらが、<ruby><rb>罰</rb><rt>バチ</rt></ruby>を蒙らねばなりません。

こんな事をくり返して居る間に、刀自たちにも、自分らの恃む知識に對する、單純な自覺が出て來た。此は一層、郎女の望むまゝに、<ruby><rb>才</rb><rt>ザエ</rt></ruby>を<ruby><rb>習</rb><rt>ナラハ</rt></ruby>した方が、よいのではないかと言ふ氣が、段々して來たのである。

まことに其爲には、ゆくりない事が、幾重にも重つて起つた。姫の帳臺の後から、遠くに居る父の心盡しだつたと見えて、二卷の<ruby><rb>女手</rb><rt>ヲンナデ</rt></ruby>の寫經らしい物が出て來た。姫にとつては、肉縁はないが、<ruby><rb>曾祖母</rb><rt>ヒオホバ</rt></ruby>にも當る橘夫人の法華經、又其<ruby><rb>御胎</rb><rt>オハラ</rt></ruby>にいらせられる―筋から申せば、大叔母<ruby><rb>御</rb><rt>ゴ</rt></ruby>にもお當り遊ばす、今の　皇太后樣の樂毅論。此二つの卷物が、美しい裝ひで、棚を<ruby><rb>架</rb><rt>カ</rt></ruby>いた上に載せてあつた。

横佩大納言と謂はれた頃から、父は此二部を、自分の魂のやうに大事にして居た。ちよつと出る旅にも、大きやかな箱に納めて、一人分の<ruby><rb>資人</rb><rt>トネリ</rt></ruby>の荷として、持たせて行つたものである。其魂の書物を、姫の守りに留めておきながら、誰にも言はずにゐたのである。さすがに<ruby><rb>我強</rb><rt>ガヅヨ</rt></ruby>い刀自たちも、此見覺えのある、美しい箱が出て來た時には、暫らく撲たれたやうに、顏を見合せて居た。さうして<ruby><rb>後</rb><rt>ノチ</rt></ruby>、<ruby><rb>後</rb><rt>アト</rt></ruby>で恥しからうことも忘れて、皆聲をあげて泣いたものであつた。

郎女は、父の心入れを聞いた。姥たちの見る目には、併し豫期したやうな興奮は、認められなかつた。唯一<ruby><rb>途</rb><rt>ヅ</rt></ruby>に素直に、心の底の美しさが匂ひ出たやうに、靜かな、美しい眼で、人々の感激する樣子を、驚いたやうに見まはして居た。

其からは、此二つの<ruby><rb>女手</rb><rt>ヲンナデ</rt></ruby>の「<ruby><rb>本</rb><rt>ホン</rt></ruby>」を、一心に習ひとほした。偶然は友を<ruby><rb>誘</rb><rt>ヒ</rt></ruby>くものであつた。一月も立たぬ中の事である。早く、此都に移つて居た<ruby><rb>飛鳥寺</rb><rt>アスカデラ</rt></ruby>―<ruby><rb>元興寺</rb><rt>グワンコウジ</rt></ruby>―から<ruby><rb>卷數</rb><rt>クワンズ</rt></ruby>が屆けられた。其には、難波にある帥の殿の<ruby><rb>立願</rb><rt>リフグワン</rt></ruby>によつて、佛前に讀誦した經文の名目が、書き列ねてあつた。其に添へて、一卷の縁起文が、此御館へ屆けられたのである。

父藤原豐成朝臣、亡父贈太政大臣七年の忌みに當る日に志を<ruby><rb>發</rb><rt>オコ</rt></ruby>して、書き綴つた「佛本傳來記」を、其後二年立つて、<ruby><rb>元興寺</rb><rt>グワンコウジ</rt></ruby>へ納めた。飛鳥以來、藤原氏とも關係の深かつた寺なり、本尊なのである。あらゆる念願と、報謝の心を籠めたもの、と言ふことは察せられる。其一卷が、どう言ふ<ruby><rb>訣</rb><rt>ワケ</rt></ruby>か、二十年もたつてゆくりなく、横佩家へ戻つて來たのである。

郎女の手に、此卷が渡つた時、姫は端近く<ruby><rb>膝行</rb><rt>ヰザ</rt></ruby>り出て、元興寺の方を禮拜した。其後で、

難波とやらは、どちらに當るかえ。

と尋ねて、示す方角へ、活き〱した顏を向けた。其目からは、珠數の珠の<ruby><rb>水精</rb><rt>スヰシヤウ</rt></ruby>のやうな涙が、こぼれ出てゐた。

其からと言ふものは、來る日もくる日も、此元興寺の縁起文を手寫した。内典・外典其上に又、<ruby><rb>大日本</rb><rt>オホヤマト</rt></ruby>びとなる父の書いた<ruby><rb>文</rb><rt>モン</rt></ruby>。指から腕腕から胸、胸から又心へ、沁み〱と深く、魂を育てる智慧の這入つて行くのを、覺えたのである。

<ruby><rb>大日本日高見</rb><rt>オホヤマトヒタカミ</rt></ruby>の國。國々に傳はるありとある<ruby><rb>歌諺</rb><rt>ウタコトワザ</rt></ruby>、又<ruby><rb>其舊辭</rb><rt>ソノモトツゴト</rt></ruby>。第一には、中臣の氏の神語り。藤原の家の古物語り。多くの語り<ruby><rb>詞</rb><rt>ゴト</rt></ruby>を、絶えては考へ繼ぐ如く、語り進んでは途切れ勝ちに、<ruby><rb>呪々</rb><rt>ノロヽヽ</rt></ruby>しく、くね〱しく、獨り語りする語部や、<ruby><rb>乳母</rb><rt>オモ</rt></ruby>や、<ruby><rb>嚼母</rb><rt>マヽ</rt></ruby>たちの唱へる詞が、今更めいて、寂しく胸に蘇つて來る。

をゝ、あれだけの習しを覺える、たゞ其だけで、此世に生きながらへて行かねばならぬ<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">みづから</span>であつた。

父に感謝し、次には尊い<ruby><rb>大叔母</rb><rt>オホヲバ</rt></ruby>君、其から見ぬ世の<ruby><rb>曾祖母</rb><rt>オホオバ</rt></ruby>の尊に、何とお禮申してよいか、量り知れぬものが、心にたぐり上げて來る。だが<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">まづ</span>、父よりも誰よりも、御禮申すべきは、み佛である。この<ruby><rb>珍貴</rb><rt>ウヅ</rt></ruby>の<ruby><rb>感覺</rb><rt>サトリ</rt></ruby>を授け給ふ、限り知られぬ<ruby><rb>愛</rb><rt>メグ</rt></ruby>みに充ちた<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">よき人</span>が、此世界の外に、居られたのである。郎女は、<ruby><rb>塗香</rb><rt>ヅカウ</rt></ruby>をとり寄せて、まづ髮に塗り、手に塗り、衣を薫るばかりに匂はした。

十一

ほゝき　ほゝきい　ほゝほきい―……。

きのふよりも、澄んだよい日になつた。春にしては、驚くばかり濃い日光が、地上にかつきりと、木草の影を落して居た。ほか〱した日よりなのに、其を見てゐると、どこか、薄ら寒く感じるほどである。時々に過ぎる雲の翳りもなく、晴れきつた空だ。高原を拓いて、<ruby><rb>間引</rb><rt>マビ</rt></ruby>いた疎らな<ruby><rb>木原</rb><rt>コハラ</rt></ruby>の上には、もう澤山の羽蟲が出て、のぼつたり<ruby><rb>降</rb><rt>サガ</rt></ruby>つたりして居る。たつた一羽の鶯が、よほど前から、一處を移らずに、鳴き續けてゐるのだ。家の<ruby><rb>刀自</rb><rt>トジ</rt></ruby>たちが、物語る口癖を、さつきから思ひ出して居た。出雲宿禰の分れの家の<ruby><rb>孃子</rb><rt>ヲトメ</rt></ruby>が、多くの男の言ひ寄るのを煩しがつて、身をよけよけして、何時か、山の林の中に分け入つた。さうして其處で、まどろんで居る中に、<ruby><rb>悠々</rb><rt>ウラヽヽ</rt></ruby>と長い春の日も、暮れてしまつた。孃子は、家路と思ふ徑を、あちこち歩いて見た。脚は茨の棘にさゝれ、袖は、木の<ruby><rb>楚</rb><rt>ズハエ</rt></ruby>にひき裂かれた。さうしてとう〱、里らしい家<ruby><rb>群</rb><rt>ムラ</rt></ruby>の見える小高い岡の上に出た時は、裳も、著物も、肌の出るほど、ちぎれて居た。空には、夕月が光りを増して來てゐる。孃子はさくり上げて來る感情を、聲に出した。

ほゝき　ほゝきい。

何時も、悲しい時に泣きあげて居た、あの聲ではなかつた。「をゝ此身は」と思つた時に、自分の顏に觸れた袖は、袖ではないものであつた。枯れ<ruby><rb>原</rb><rt>フ</rt></ruby>の冬草の、山肌色をした小な翼であつた。思ひがけない聲を、尚も出し續けようとする口を、押へようとすると、自身すらいとほしんで居た柔らかな唇は、どこかへ行つてしまつて、替りに、さゝやかな管のやうな喙が來てついて居る――。悲しいのか、せつないのか、何の考へさへもつかなかつた。唯、身悶えをした。すると<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">ふはり</span>と、からだは宙に浮き上つた。留めようと、袖をふれば振るほど、身は次第に、高く翔り昇つて行く。五日月の照る空まで……。その<ruby><rb>後</rb><rt>ゴ</rt></ruby>、今の世までも、

ほゝき　ほゝきい　ほゝほきい。

と鳴いてゐるのだ、と幼い耳に<ruby><rb>染</rb><rt>シ</rt></ruby>みつけられた、物語りの出雲の孃子が、そのまゝ、自分であるやうな氣がして來る。

郎女は、<ruby><rb>徐</rb><rt>シヅ</rt></ruby>かに<ruby><rb>兩袖</rb><rt>モロソデ</rt></ruby>を、胸のあたりに重ねて見た。家に居た時よりは、<ruby><rb>褻</rb><rt>ナ</rt></ruby>れ、<ruby><rb>皺立</rb><rt>シワダ</rt></ruby>つてゐるが、小鳥の<ruby><rb>羽</rb><rt>ハネ</rt></ruby>には、なつて居なかつた。手をあげて唇に觸れて見ると、喙でもなかつた。やつぱり、<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">ほつとり</span>とした、感觸を、指の腹に覺えた。

ほゝき<ruby><rb>鳥</rb><rt>ドリ</rt></ruby>―鶯―になつて居た方がよかつた。<ruby><rb>昔語</rb><rt>ムカシガタ</rt></ruby>りの孃子は、男を避けて、山の<ruby><rb>楚原</rb><rt>シモトハラ</rt></ruby>へ入り込んだ。さうして、飛ぶ鳥になつた。この身は、何とも知れぬ人の俤にあくがれ出て、鳥にもならずに、こゝにかうして居る。せめて<ruby><rb>蝶飛蟲</rb><rt>テフトリ</rt></ruby>にでもなれば、ひら〱と空に舞ひのぼつて、あの山の頂へ、俤びとをつきとめに行かうもの――。

ほゝき　ほゝきい。

自身の咽喉から出た聲だ、と思つた。だがやはり、廬の外で鳴くのであつた。

郎女の心に動き初めた<ruby><rb>叡</rb><rt>サト</rt></ruby>い光りは、消えなかつた。今まで手習ひした書卷の何處かに、どうやら、<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">法喜</span>と言ふ字のあつた氣がする。法喜――飛ぶ鳥すらも、美しいみ佛の詞に、<ruby><rb>感</rb><rt>カマ</rt></ruby>けて鳴くのではなからうか。さう思へば、この鶯も、

ほゝき　ほゝきい。

嬉しさうな<ruby><rb>高音</rb><rt>タカネ</rt></ruby>を、段々張つて來る。

物語りする刀自たちの話でなく、<ruby><rb>若人</rb><rt>ワカウド</rt></ruby>らの言ふことは、時たま、世の中の<ruby><rb>瑞々</rb><rt>ミヅヽヽ</rt></ruby>しい<ruby><rb>消息</rb><rt>セウソコ</rt></ruby>を傳へて來た。奈良の家の<ruby><rb>女部屋</rb><rt>ヲンナベヤ</rt></ruby>は、裏方五つ<ruby><rb>間</rb><rt>マ</rt></ruby>を通した、廣いものであつた。郎女の帳臺の立ち<ruby><rb>處</rb><rt>ド</rt></ruby>を一番奧にして、四つの間に、刀自・若人、凡三十人も居た。若人等は、この頃、氏々の<ruby><rb>御館</rb><rt>ミタチ</rt></ruby>ですることだと言つて、苑の池の蓮の莖を切つて來ては、<ruby><rb>藕絲</rb><rt>ハスイト</rt></ruby>を引く工夫に、一心になつて居た。横佩家の池の面を埋めるほど、珠を捲いたり、解けたりした蓮の葉は、まばらになつて、水の反射が蔀を越して、女部屋まで來るばかりになつた。莖を折つては、纎維を引き出し、其片糸を幾筋も合せては、絲に<ruby><rb>縒</rb><rt>ヨ</rt></ruby>る。

郎女は、女たちの凝つてゐる手藝を、ぢつと見て居る日もあつた。ほうほうと切れてしまふ<ruby><rb>藕絲</rb><rt>ハスイト</rt></ruby>を、八<ruby><rb>合</rb><rt>コ</rt></ruby>・十二<ruby><rb>合</rb><rt>コ</rt></ruby>・<ruby><rb>二十合</rb><rt>ハタコ</rt></ruby>に縒つて、根氣よく、細い綱の樣にする。其を<ruby><rb>績</rb><rt>ウ</rt></ruby>み<ruby><rb>麻</rb><rt>ヲ</rt></ruby>の<ruby><rb>麻</rb><rt>ヲ</rt></ruby><span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">ごけ</span>に繋ぎためて行く。奈良の<ruby><rb>御館</rb><rt>ミタチ</rt></ruby>でも、<ruby><rb>蠶</rb><rt>カフコ</rt></ruby>は飼つて居た。實際、刀自たちは、夏は殊にせはしく、そのせゐで、<ruby><rb>不譏嫌</rb><rt>フキゲン</rt></ruby>になつて居る日が多かつた。

刀自たちは、初めは、そんな<ruby><rb>韓</rb><rt>カラ</rt></ruby>の<ruby><rb>技人</rb><rt>テビト</rt></ruby>のするやうな事は、と目もくれなかつた。だが時が立つと、段々興味を惹かれる樣子が見えて來た。

こりや、おもしろい。絹の絲と、<ruby><rb>績</rb><rt>ウ</rt></ruby>み<ruby><rb>麻</rb><rt>ヲ</rt></ruby>との間を行く樣な妙な絲の――。此で、切れさへしなければなう。

かうして<ruby><rb>績</rb><rt>ツム</rt></ruby>ぎ<ruby><rb>蓄</rb><rt>タ</rt></ruby>めた藕絲は、皆一纒めにして、寺々に納めようと、言ふのである。寺には、<ruby><rb>其々</rb><rt>ソレヽヽ</rt></ruby>の<ruby><rb>技女</rb><rt>ギヂヨ</rt></ruby>が居て、其絲で、<ruby><rb>唐土樣</rb><rt>モロコシヤウ</rt></ruby>と言ふよりも、天竺風な織物に織りあげる、と言ふ評判であつた。女たちは、唯<ruby><rb>功徳</rb><rt>クドク</rt></ruby>の爲に絲を<ruby><rb>績</rb><rt>ツム</rt></ruby>いでゐる。其でも、其が幾<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">かせ</span>。<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">幾たま</span>と言ふ風に貯つて來ると、言ひ知れぬ愛著を覺えて居た。だが、其がほんとは、どんな織物になることやら、其處までは想像も出來なかつた。

若人たちは莖を折つては、巧みに糸を引き切らぬやうに、長く〱と抽き出す。又其、粘り氣の少い<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">さくい</span>ものを、まるで絹糸を縒り合せるやうに、手際よく絲にする間も、ちつとでも口やめる事なく、うき世語りなどをして居た。此は勿論、貴族の家庭では、出來ぬ掟になつて居た。なつては居ても、<ruby><rb>物珍</rb><rt>モノメ</rt></ruby>でする盛りの若人たちには、口を塞いで<ruby><rb>緘默行</rb><rt>シヾマ</rt></ruby>を守ることは、死ぬよりもつらい<ruby><rb>行</rb><rt>ギヤウ</rt></ruby>であつた。刀自らの油斷を見ては、ぼつ〲話をしてゐる。其きれ〲が、聞かうとも思はぬ郎女の耳にも、ぼつ〲這入つて<ruby><rb>來</rb><rt>キ</rt></ruby>勝ちなのであつた。

鶯の鳴く聲は、あれで、<ruby><rb>法華經々々々</rb><rt>ホケキヤウヽヽヽヽヽ</rt></ruby>と言ふのぢやて。

ほゝ、どうして、え――。

天竺のみ佛は、<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">をなご</span>は、助からぬものぢや、と説かれ〱して來たがえ、其果てに<ruby><rb>女</rb><rt>ヲナゴ</rt></ruby>でも救ふ道が開かれた。其を説いたのが、法華經ぢやと言ふげな。

――こんなこと、をなごの身で言ふと、さかしがりよと思はうけれど、でも、世間では、さう言ふもの――。

ぢやで、法華經々々々と經の名を唱へるだけで、この世からして、あの世界の苦しみが助かるといの。

ほんまにその、天竺のをなごが、あの鳥に<ruby><rb>化</rb><rt>ナ</rt></ruby>り變つて、み經の名を呼ばゝるのかえ。

郎女には、いつか小耳に揷んだ其話が、その後、何時までも消えて行かなかつた。その頃ちようど、<ruby><rb>稱讃淨土佛攝受經</rb><rt>シヨウサンジヤウドブツセフジユギヤウ</rt></ruby>を、千部寫さうとの願を<ruby><rb>發</rb><rt>オコ</rt></ruby>して居た時であつた。其が、はかどらぬ。何時までも進まぬ。茫とした耳に、此<ruby><rb>世話</rb><rt>ヨバナシ</rt></ruby>が再また、紛れ入つて來たのであつた。

ふつと、こんな氣がした。

ほゝき鳥は、先の世で、<ruby><rb>御經</rb><rt>オンキヤウ</rt></ruby>手寫の願を立てながら、え<ruby><rb>果</rb><rt>ハタ</rt></ruby>さいで、死にでもした、いとしい女子がなつたのではなからうか。……さう思へば、若しや今、千部に滿たずにしまふやうなことがあつたら、我が<ruby><rb>魂</rb><rt>タマ</rt></ruby>は何になることやら。やつぱり、鳥か、蟲にでも生れて、<ruby><rb>切</rb><rt>セツ</rt></ruby>なく鳴き續けることであらう。

つひに一度、ものを考へた事もないのが、此國のあて人の娘であつた。磨かれぬ智慧を抱いたまゝ、何も知らず思はずに、過ぎて行つた幾百年、幾萬の貴い<ruby><rb>女性</rb><rt>ニヨシヤウ</rt></ruby>の間に、<ruby><rb>蓮</rb><rt>ハチス</rt></ruby>の花がぽつちりと、莟を<ruby><rb>擡</rb><rt>モタ</rt></ruby>げたやうに、物を考へることを知り<ruby><rb>初</rb><rt>ソ</rt></ruby>めた郎女であつた。

をれよ。鶯よ。あな<ruby><rb>姦</rb><rt>カマ</rt></ruby>や。人に、物思ひをつけくさる。

荒々しい聲と一しよに、立つて、表戸と<ruby><rb>直角</rb><rt>カネ</rt></ruby>になつた草壁の<ruby><rb>蔀戸</rb><rt>シトミド</rt></ruby>をつきあげたのは、<ruby><rb>當麻語部</rb><rt>タギマノカタリ</rt></ruby>の<ruby><rb>媼</rb><rt>オムナ</rt></ruby>である。北側に當るらしい其外側は、牕を壓するばかり、篠竹が繁つて居た。澤山の<ruby><rb>葉筋</rb><rt>ハスヂ</rt></ruby>が、日をすかして一時にきら〱と、光つて見えた。

郎女は、暫らく幾本とも知れぬその光りの筋の、閃き過ぎた色を、<ruby><rb>眶</rb><rt>マブタ</rt></ruby>の裏に、見つめて居た。をとゝひの日の入り方、山の端に見た輝きが、思はずには居られなかつたからである。

また<ruby><rb>一時</rb><rt>イツトキ</rt></ruby>、<ruby><rb>盧堂</rb><rt>イホリドウ</rt></ruby>を𢌞つて、音するものもなかつた。日は段々<ruby><rb>闌</rb><rt>タ</rt></ruby>けて、<ruby><rb>小晝</rb><rt>コビル</rt></ruby>の<ruby><rb>温</rb><rt>ヌク</rt></ruby>みが、ほの暗い郎女の居處にも、ほつとりと感じられて來た。

寺の<ruby><rb>奴</rb><rt>ヤツコ</rt></ruby>が、三四人先に立つて、僧綱が五六人其に、大勢の所化たちのとり捲いた一群れが、廬へ來た。

これが、<ruby><rb>古</rb><rt>フル</rt></ruby>山田寺だ、と申します。

勿體ぶつた、しわがれ聲が聞えて來た。

そんな事は、どうでも――。まづ、<ruby><rb>郎女</rb><rt>イラツメ</rt></ruby>さまを――。

噛みつくやうにあせつて居る<ruby><rb>家長老</rb><rt>イヘオトナ</rt></ruby><ruby><rb>額田部子古</rb><rt>ヌカタベノコフル</rt></ruby>の<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">がなり</span>聲がした。同時に、表戸は引き剥がされ、其に隣つた、幾つかの<ruby><rb>竪薦</rb><rt>タツゴモ</rt></ruby>をひきちぎる音がした。

づうと這ひ寄つて來た<ruby><rb>身狹乳母</rb><rt>ムサノチオモ</rt></ruby>は、郎女の前に<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">居たけ</span>を聳かして、掩ひになつた。外光の直射を防ぐ爲と、一つは男たちの前、殊には、庶民の目に、<ruby><rb>貴人</rb><rt>アデビト</rt></ruby>の姿を<ruby><rb>暴</rb><rt>サラ</rt></ruby>すまい、とするのであらう。

<ruby><rb>伴</rb><rt>トモ</rt></ruby>に立つて來た<ruby><rb>家人</rb><rt>ケニン</rt></ruby>の一人が、大きな木の<ruby><rb>叉枝</rb><rt>マタブリ</rt></ruby>をへし折つて來た。さうして、旅用意の<ruby><rb>卷帛</rb><rt>マキギヌ</rt></ruby>を、幾垂れか、其場で之に結び下げた。其を<ruby><rb>牀</rb><rt>ユカ</rt></ruby>につきさして、即座の<ruby><rb>竪帷</rb><rt>タツバリ</rt></ruby>―几帳―は調つた。<ruby><rb>乳母</rb><rt>オモ</rt></ruby>は、其前に座を占めたまゝ、何時までも動かなかつた。

十二

怒りの瀧のやうになつた額田部子古は、奈良に還つて、公に訴へると言ひ出した。大和國にも斷つて、寺の奴ばらを追ひ放つて貰ふとまで、いきまいた。<ruby><rb>大師</rb><rt>タイシ</rt></ruby>を<ruby><rb>頭</rb><rt>カシラ</rt></ruby>に、横佩家に深い筋合ひのある貴族たちの名をあげて、其方々からも、何分の御吟味を願はずには置かぬ、と凄い顏をして、住侶たちを脅かした。

郎女は、貴族の姫で入らせられようが、寺の淨域を穢し、結界まで破られたからは、直にお還りになるやうには計はれぬ。寺の四至の境に在る所で、長期の物忌みして、その<ruby><rb>贖</rb><rt>アガナ</rt></ruby>ひはして貰はねばならぬ、と寺方も、言ひ分はひつこめなかつた。

理分にも非分にも、これまで、南家の權勢でつき通して來た<ruby><rb>家長老</rb><rt>オトナ</rt></ruby>等にも、寺方の扱ひと言ふものゝ、世間どほりにはいかぬ事が<ruby><rb>訣</rb><rt>ワカ</rt></ruby>つて居た。

<ruby><rb>乳母</rb><rt>オモ</rt></ruby>に相談かけても、一代さう言ふ世事に與つた事のない此人は、そんな問題には、<ruby><rb>詮</rb><rt>カヒ</rt></ruby>ない唯の、<ruby><rb>女性</rb><rt>ニヨシヤウ</rt></ruby>に過ぎなかつた。

<ruby><rb>先刻</rb><rt>サツキ</rt></ruby>からまだ立ち去らずに居た當麻語部の嫗が、口を出した。

其は、寺方が、理分でおざるがや。お隨ひなされねばならぬ。

其を聞くと、身狹乳母は、激しく、<ruby><rb>田舍語部</rb><rt>ヰナカカタリベ</rt></ruby>の老女を叱りつけた。男たちに言ひつけて、疊にしがみつき、柱にかき縋る<ruby><rb>古婆</rb><rt>フルバヾ</rt></ruby>を掴み出させた。さうした威高さは、さすがに<ruby><rb>自</rb><rt>オノヅカ</rt></ruby>ら備つてゐた。

何事も、この身などの考へではきめられぬ。<ruby><rb>帥</rb><rt>ソツ</rt></ruby>の<ruby><rb>殿</rb><rt>トノ</rt></ruby>に承らうにも、國遠し。まづ<ruby><rb>姑</rb><rt>シバ</rt></ruby>し、郎女樣のお心による外はないもの、と思ひまする。

其より外には、<ruby><rb>方</rb><rt>ハウ</rt></ruby>もつかなかつた。奈良の御館の人々と言つても、多くは、此人たちの意見を聽いてする人々である。よい思案を、考へつきさうなものも居ない。難波へは、直樣、使ひを立てることにして、とにもかくにも、當座は、姫の考へに任せよう、と言ふことになつた。

郎女樣。如何お考へ遊ばしまする。おして、奈良へ還れぬでも御座りませぬ。尤、寺方でも、<ruby><rb>候人</rb><rt>サブラヒヾト</rt></ruby>や、<ruby><rb>奴隷</rb><rt>ヤツコ</rt></ruby>の人數を揃へて、妨げませう。併し、<ruby><rb>御館</rb><rt>ミタチ</rt></ruby>のお勢ひには、何程の事でも御座りませぬ。では御座りまするが、お前さまのお考へを承らずには、何とも計ひかねまする。御思案お洩し遊ばされ。

謂はゞ、難題である。あて人の娘御に、出來よう筈のない返答である。<ruby><rb>乳母</rb><rt>オモ</rt></ruby>も、<ruby><rb>子古</rb><rt>コフル</rt></ruby>も、凡は無駄な伺ひだ、と思つては居た。ところが、郎女の答へは、<ruby><rb>木魂返</rb><rt>コダマガヘ</rt></ruby>しの樣に、<ruby><rb>躊躇</rb><rt>タメラ</rt></ruby>ふことなしにあつた。其上、此ほどはつきりとした答へはない、と思はれる位、凛としてゐた。其が、すべての者の不滿を壓倒した。

姫の咎は、姫が<ruby><rb>贖</rb><rt>アガナ</rt></ruby>ふ。此寺、此二上山の下に居て、身の<ruby><rb>償</rb><rt>ツグナ</rt></ruby>ひ、心の償ひした、と姫が得心するまでは、還るものとは<ruby><rb>思</rb><rt>オモ</rt></ruby>やるな。

郎女の聲・詞を聞かぬ日はない<ruby><rb>身狹乳母</rb><rt>ムサノチオモ</rt></ruby>ではあつた。だが<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">つひしか</span>此ほどに、頭の髓まで沁み入るやうな、さえ〲とした語を聞いたことのない、<ruby><rb>乳母</rb><rt>チオモ</rt></ruby>だつた。

寺方の言ひ分に讓るなど言ふ問題は、小い事であつた。此爽やかな育ての君の判斷力と、惑ひなき詞に感じてしまつた。たゞ、涙。かうまで<ruby><rb>賢</rb><rt>サカ</rt></ruby>しい魂を窺ひ得て、頬に傳ふものを拭ふことも出來なかつた。子古にも、郎女の詞を傳達した。さうして、自分のまだ曾て覺えたことのない感激を、力深くつけ添へて聞かした。

ともあれ此上は、難波津へ。

難波へと言つた自分の語に、氣づけられたやうに、子古は思ひ出した。今日か明日、新羅問罪の爲、筑前へ下る官使の一行があつた。難波に留つてゐる帥の殿も、次第によつては、再太宰府へ出向かれることになつてゐるかも知れぬ。手遲れしては一大事である。此足ですぐ、北へ𢌞つて、大阪越えから河内へ出て、難波まで、馬の叶ふ處は馬で走らう、と決心した。

萬法藏院に、唯一つ飼つて居た馬の借用を申し入れると、此は快く聽き入れてくれた。今日の日暮れまでには、立ち還りに、難波へ行つて來る、と齒のすいた口に叫びながら、郎女の<ruby><rb>竪帷</rb><rt>タツバリ</rt></ruby>に向けて、庭から匍伏した。子古の發つた後は、又のどかな春の日に戻つた。<ruby><rb>悠々</rb><rt>ウラヽヽ</rt></ruby>と照り暮す山々を見せませう、と乳母が言ひ出した。木立ち山陰から盜み見する者のないやうに、<ruby><rb>家人</rb><rt>ケニン</rt></ruby>らを、一町・二町先まで見張りに出して、郎女を、外に誘ひ出した。

<ruby><rb>暴風雨</rb><rt>アラシ</rt></ruby>の夜、<ruby><rb>添下</rb><rt>ソフノシモ</rt></ruby>・廣瀬・葛城の野山を、<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">かち</span>あるきした娘御ではなかつた。乳母と今一人、若人の肩に手を置きながら、歩み出た。

日の光りは、霞みもせず、陽炎も立たず、唯をどんで見えた。昨日眺めた野も、斜になつた日を受けて、物の影が細長く靡いて居た。青垣の樣にとりまく山々も、愈々遠く裾を曳いて見えた。

早い菫―げんげ―が、もうちらほら咲いてゐる。遠く見ると、その赤々とした紫が一續きに見えて、夕燒け雲がおりて居るやうに思はれる。足もとに一本、おなじ花の咲いてゐるのを見つけた郎女は、膝を叢について、ぢつと眺め入つた。

これはえ――。

すみれ、と申すとのことで御座ります。

かう言ふ風に、物を知らせるのが、あて人に仕へる人たちの、爲來りになつて居た。

<ruby><rb>蓮</rb><rt>ハチス</rt></ruby>の花に似てゐながら、もつと<ruby><rb>細</rb><rt>コマ</rt></ruby>やかな、――繪にある佛の花を見るやうな――。

ひとり言しながら、ぢつと見てゐるうちに、花は、廣い<ruby><rb>萼</rb><rt>ウテナ</rt></ruby>の上に乘つた佛の前の大きな花になつて來る。其がまた、ふつと、目の前のさゝやかな花に戻る。

夕風が<ruby><rb>冷</rb><rt>ヒヤ</rt></ruby>ついて參ります。内へと遊ばされ。

乳母が言つた。見渡す山は、皆影濃くあざやかに見えて來た。

近々と、谷を隔てゝ、端山の林や、<ruby><rb>崖</rb><rt>ナギ</rt></ruby>の幾重も重つた上に、<ruby><rb>二上</rb><rt>フタカミ</rt></ruby>の<ruby><rb>男嶽</rb><rt>ヲノカミ</rt></ruby>の頂が、赤い日に染つて立つてゐる。

今日は、又あまりに靜かな<ruby><rb>夕</rb><rt>ユフベ</rt></ruby>である。山ものどかに、夕雲の中に這入つて行かうとしてゐる。

まうし〱。もう外に居る時では御座りません。

十三

「朝目よく」うるはしい<ruby><rb>兆</rb><rt>シルシ</rt></ruby>を見た昨日は、郎女にとつて、知らぬ經驗を、後から後から展いて行つたことであつた。たゞ<ruby><rb>人</rb><rt>ヒト</rt></ruby>の考へから言へば、苦しい現實のひき續きではあつたのだが、姫にとつては、心驚く事ばかりであつた。一つ〱變つた事に逢ふ度に、「何も知らぬ身であつた」、と姫の心の底の聲が揚つた。さうして、その事毎に、挨拶をしてはやり過したい氣が、一ぱいであつた。今日も其續きを、くはしく見た。

なごり惜しく過ぎ行く<ruby><rb>現</rb><rt>ウツ</rt></ruby>し世のさま〲。郎女は、今目を閉ぢて、心に一つ〱收めこまうとして居る。ほのかに通り行き、<ruby><rb>將</rb><rt>ハタ</rt></ruby>著しく<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">はためき</span>過ぎたもの――。宵闇の深くならぬ先に、<ruby><rb>廬</rb><rt>イホリ</rt></ruby>のまはりは、すつかり手入れがせられて居た。燈臺も大きなのを、寺から借りて來て、煌々と、油<ruby><rb>火</rb><rt>ビ</rt></ruby>が燃えて居る。明王像も、女人のお出での場處には、すさまじいと言ふ者があつて、どこかへ搬んで行かれた。其よりも、郎女の爲には、帳臺の<ruby><rb>設備</rb><rt>シツラ</rt></ruby>はれてゐる安らかさ。今宵は、夜も、暖かであつた。<ruby><rb>帷帳</rb><rt>トバリ</rt></ruby>を周らした中は、ほの暗かつた。其でも、山の<ruby><rb>鬼神</rb><rt>モノ</rt></ruby>、野の<ruby><rb>魍魎</rb><rt>モノ</rt></ruby>を避ける爲の燈の渦が、ぼうと梁に張り渡した<ruby><rb>頂板</rb><rt>ツシイタ</rt></ruby>に<ruby><rb>搖</rb><rt>ユラ</rt></ruby>めいて居るのが、たのもしい氣を深めた。帳臺のまはりには、乳母や、若人が寢たらしい。其ももう、<ruby><rb>一時</rb><rt>ヒトヽキ</rt></ruby>も前の事で、皆すや〱と寢息の音を立てゝ居る。姫の心は、今は輕かつた。

たとへば、俤に見たお人には逢はずとも、その俤を見た山の麓に來て、かう安らかに身を横へて居る。

燈臺の明りは、郎女の額の上に、高く朧ろに見える光の輪を作つて居た。月のやうに圓くて、幾つも上へ〱と、<ruby><rb>月輪</rb><rt>グワチリン</rt></ruby>の重つてゐる如くも見えた。其が、隙間風の爲であらう。時々薄れて行くと、一つの月になつた。ぽうつと明り立つと、幾重にも隈の疊まつた、大きな圓かな光明になる。

幸福に充ちて、忘れて居た姫の耳に、今宵も谷の響きが聞え出した。更けた夜空には、今頃やつと、遲い月が出たことであらう。

物の音。――つた　つたと來て、ふうと<ruby><rb>佇</rb><rt>タ</rt></ruby>ち止るけはひ。耳をすますと、元の寂かな夜に――<ruby><rb>激</rb><rt>タギ</rt></ruby>ち<ruby><rb>降</rb><rt>クダ</rt></ruby>る谷のとよみ。

つた　つた　つた。

又、ひたと<ruby><rb>止</rb><rt>ヤ</rt></ruby>む。

この狹い廬の中を、何時まで歩く、跫音だらう。

つた。

郎女は刹那、思ひ出して帳臺の中で、身を固くした。次に<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">わぢ〱</span>と<ruby><rb>戰</rb><rt>ヲノヽ</rt></ruby>きが出て來た。

<ruby><rb>天若御子</rb><rt>アメワカミコ</rt></ruby>――。

ようべ、<ruby><rb>當麻語部嫗</rb><rt>タギマノカタリノオムナ</rt></ruby>の聞した物語り。あゝ其お方の、來て窺ふ夜なのか。

――青馬の　<ruby><rb>耳面刀自</rb><rt>ミヽモノトジ</rt></ruby>。

刀自もがも。<ruby><rb>女弟</rb><rt>オト</rt></ruby>もがも。

その子の　はらからの子の

<ruby><rb>處女子</rb><rt>ヲトメゴ</rt></ruby>の　一人

一人だに　わが<ruby><rb>配偶</rb><rt>ツマ</rt></ruby>に來よ

まことに畏しいと言ふことを覺えぬ郎女にしては、初めてまざ〲と、壓へられるやうな<ruby><rb>畏</rb><rt>コハ</rt></ruby>さを知つた。あゝあの歌が、胸に<ruby><rb>生</rb><rt>イ</rt></ruby>き<ruby><rb>蘇</rb><rt>カヘ</rt></ruby>つて來る。忘れたい歌の文句が、はつきりと意味を持つて、姫の唱へぬ口の詞から、胸にとほつて響く。乳房から迸り出ようとするときめき。

<ruby><rb>帷帳</rb><rt>トバリ</rt></ruby>がふはと、風を含んだ樣に皺だむ。

<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">つい</span>と、凍る樣な冷氣――。

郎女は目を瞑つた。だが――瞬間睫の間から<ruby><rb>映</rb><rt>ウツ</rt></ruby>つた細い白い指、まるで骨のやうな――<ruby><rb>帷帳</rb><rt>トバリ</rt></ruby>を掴んだ片手の白く光る指。

なも　阿彌陀ほとけ。あなたふと　阿彌陀ほとけ。

何の反省もなく、唇を洩れた詞。この時、姫の心は、急に寛ぎを感じた。

さつと――汗。全身に流れる冷さを覺えた。<ruby><rb>畏</rb><rt>コハ</rt></ruby>い感情を持つたことのないあて人の姫は、<ruby><rb>直</rb><rt>スグ</rt></ruby>に動顛した心を、とり直すことが出來た。

なう〱。あみだほとけ……。

今一度口に出して見た。をとゝひまで、手寫しとほした、<ruby><rb>稱讃淨土經</rb><rt>シヤウサンジヤウドキヤウ</rt></ruby>の<ruby><rb>文</rb><rt>モン</rt></ruby>が胸に浮ぶ。郎女は、昨日までは一度も寺道場を覗いたこともなかつた。父君は家の内に道場を構へて居たが簾越しにも聽<ruby><rb>聞</rb><rt>モン</rt></ruby>は許されなかつた。<ruby><rb>御經</rb><rt>オンキヤウ</rt></ruby>の<ruby><rb>文</rb><rt>モン</rt></ruby>は手寫しても、固より意趣は、よく訣らなかつた。だが、處々には、かつ〲氣持ちの汲みとれる所があつたのであらう。さすがに、まさかこんな時、突嗟に口に上らう、とは思うて居なかつた。

白い骨、譬へば白玉の竝んだ骨の指、其が何時までも目に殘つて居た。<ruby><rb>帷帳</rb><rt>トバリ</rt></ruby>は元のまゝに垂れて居る。だが、白玉の指ばかりは細々と、其に絡んでゐるやうな氣がする。

悲しさとも、懷しみとも知れぬ心に、深く、郎女は沈んで行つた。山の端に立つた俤びとは、<ruby><rb>白々</rb><rt>シロヾヽ</rt></ruby>とした掌をあげて、姫をさし招いたと覺えた。だが今、近々と見る其手は、海の渚の白玉のやうに、からびて寂しく、目にうつる。

長い渚を歩いて行く。郎女の髮は、左から右から吹く風に、あちらへ靡き、こちらへ亂れする。浪はたゞ、足もとに寄せてゐる。渚と思うたのは、海の<ruby><rb>中道</rb><rt>ナカミチ</rt></ruby>である。浪は兩方から打つて來る。どこまでも〱、海の道は續く。郎女の足は、砂を踏んでゐる。その砂すらも、段々水に掩はれて來る。砂を踏む。踏むと思うて居る中に、ふと其が、白々とした照る玉だ、と氣がつく。姫は身を<ruby><rb>屈</rb><rt>コヾ</rt></ruby>めて、白玉を拾ふ。拾うても〱、玉は皆、<ruby><rb>掌</rb><rt>タナソコ</rt></ruby>に置くと、粉の如く碎けて、吹きつける風に散る。其でも、玉を拾ひ續ける。玉は<ruby><rb>水隱</rb><rt>ミガク</rt></ruby>れて、見えぬ樣になつて行く。姫は悲しさに、もろ手を以て<ruby><rb>掬</rb><rt>スク</rt></ruby>はうとする。<ruby><rb>掬</rb><rt>ムス</rt></ruby>んでも〱、水のやうに<ruby><rb>手股</rb><rt>タナマタ</rt></ruby>から流れ去る白玉――。玉が再、砂の上につぶ〱竝んで見える。<ruby><rb>忙</rb><rt>アワタヾ</rt></ruby>しく拾はうとする姫の<ruby><rb>俯</rb><rt>ウツム</rt></ruby>いた背を越して、流れる浪が泡立つてとほる。

姫は――やつと、白玉を取りあげた。輝く、大きな玉。さう思うた刹那、郎女の身は、大浪にうち仆される。浪に漂ふ身……衣もなく、<ruby><rb>裳</rb><rt>モ</rt></ruby>もない。抱き持つた等身の白玉と一つに、水の上に照り輝く<ruby><rb>現</rb><rt>ウツ</rt></ruby>し身。

ずん〱とさがつて行く。<ruby><rb>水底</rb><rt>ミナゾコ</rt></ruby>に<ruby><rb>水漬</rb><rt>ミヅ</rt></ruby>く白玉なる郎女の身は、やがて又、<ruby><rb>一幹</rb><rt>ヒトモト</rt></ruby>の白い珊瑚の<ruby><rb>樹</rb><rt>キ</rt></ruby>である。脚を根、手を枝とした水底の木。頭に生ひ靡くのは、玉藻であつた。玉藻が、深海のうねりのまゝに、搖れて居る。やがて、水底にさし入る月の光り――。ほつと息をついた。

まるで、<ruby><rb>潜</rb><rt>カヅ</rt></ruby>きする<ruby><rb>海女</rb><rt>アマ</rt></ruby>が<ruby><rb>二十尋</rb><rt>ハタヒロ</rt></ruby>・<ruby><rb>三十尋</rb><rt>ミソヒロ</rt></ruby>の<ruby><rb>水</rb><rt>ミナ</rt></ruby>底から浮び上つて<ruby><rb>嘯</rb><rt>ウソフ</rt></ruby>く樣に、深い息の音で、自身明らかに目が覺めた。

あゝ夢だつた。當麻まで來た夜道の記憶は、まざ〲と殘つて居るが、こんな苦しさは覺えなかつた。だがやつぱり、をとゝひの道の續きを辿つて居るらしい氣がする。

水の面からさし入る月の光り。さう思うた時は、ずん〲海面に浮き出て來た。さうして悉く、跡形もない夢だつた。唯、姫の仰ぎ寢る<ruby><rb>頂板</rb><rt>ツシイタ</rt></ruby>に、あゝ、水にさし入つた月。そこに以前のまゝに、幾つも<ruby><rb>暈</rb><rt>カサ</rt></ruby>の疊まつた月輪の形が、<ruby><rb>搖</rb><rt>ユラ</rt></ruby>めいて居る。

なう〱　阿彌陀ほとけ……。

再、口に出た。光りの暈は、今は愈々明りを増して、輪と輪との境の<ruby><rb>隈々</rb><rt>クマヾヽ</rt></ruby>しい處までも見え出した。黒ずんだり、薄暗く見えたりした隈が、次第に凝り初めて、明るい光明の中に、胸・肩頭髮、はつきりと形を<ruby><rb>現</rb><rt>ゲン</rt></ruby>じた。白々と<ruby><rb>袒</rb><rt>ヌ</rt></ruby>いだ美しい肌。淨く伏せた<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">まみ</span>が、郎女の寢姿を見おろして居る。かの<ruby><rb>日</rb><rt>ヒ</rt></ruby>の<ruby><rb>夕</rb><rt>ユフベ</rt></ruby>、山の<ruby><rb>端</rb><rt>ハ</rt></ruby>に見た俤びと――。乳のあたりと、膝元とにある手――その<ruby><rb>指</rb><rt>オヨビ</rt></ruby>、白玉の<ruby><rb>指</rb><rt>オヨビ</rt></ruby>。

姫は、起き直つた。天井の光りの輪が、元のまゝに、たゞ仄かに事もなく搖れて居た。

十四

<ruby><rb>貴人</rb><rt>ウマビト</rt></ruby>はうま人どち、やつこは<ruby><rb>奴隷</rb><rt>ヤツコ</rt></ruby>どち、と言ふからの――。

何時見ても、<ruby><rb>大師</rb><rt>タイシ</rt></ruby>は、<ruby><rb>微塵</rb><rt>ミヂン</rt></ruby>曇りのない、<ruby><rb>圓</rb><rt>マド</rt></ruby>かな<ruby><rb>相好</rb><rt>サウガウ</rt></ruby>である。其に、ふるまひのおほどかなこと。若くから<ruby><rb>氏上</rb><rt>ウヂノカミ</rt></ruby>で、數十<ruby><rb>家</rb><rt>ケ</rt></ruby>の一族や、日本國中數萬の<ruby><rb>氏人</rb><rt>ウヂビト</rt></ruby>から立てられて來た<ruby><rb>家持</rb><rt>ヤカモチ</rt></ruby>も、ぢつと對うてゐると、その靜かな威に、壓せられるやうな氣がして來る。

言はしておくがよい。<ruby><rb>奴隷</rb><rt>ヤツコ</rt></ruby>たちは、とやかくと口さがないのが、其爲事よ。此身とお身とは、おなじ<ruby><rb>貴人</rb><rt>ウマビト</rt></ruby>ぢや。おのづから、話も合はうと言ふもの。此身が、段々なり<ruby><rb>上</rb><rt>ノボ</rt></ruby>ると、うま人までがおのづと<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">やつこ</span>心になり居つて、いや嫉むの、そねむの。

家持は、此が多聞天か、と心に問ひかけて居た。だがどうも、さうは思はれぬ。同じかたどつて作るなら、と<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">つい</span>聯想が逸れて行く。八年前、越中國から歸つた當座の、世の中の豐かな騷ぎが、思ひ出された。あれからすぐ、大佛<ruby><rb>開眼</rb><rt>カイゲン</rt></ruby>供養が行はれたのであつた。其時、近々と仰ぎ奉つた尊容、<ruby><rb>八十種好</rb><rt>ハチジフシユガウ</rt></ruby>具足した、と謂はれる其相好が、誰やらに似てゐる、と感じた。其がその時は、どうしても思ひ浮ばずにしまつた。その時の印象が、今ぴつたり、的にあてはまつて來たのである。

かうして對ひあつて居る主人の顏なり、姿なりが、其まゝあの<ruby><rb>廬遮那</rb><rt>ルサナ</rt></ruby>ほとけの俤だ、と言つて、誰が否まう。

お身も、少し咄したら、えゝではないか。<ruby><rb>官位</rb><rt>カウブリ</rt></ruby>はかうぶり。昔ながらの氏は氏――。なあ、さう思はぬか。紫微中臺の、兵部省のと、位づけるのは、うき世の事だは。

<ruby><rb>家</rb><rt>ウチ</rt></ruby>に居る時だけは、やはり<ruby><rb>神代以來</rb><rt>カミヨイライ</rt></ruby>の<ruby><rb>氏上</rb><rt>ウヂノカミ</rt></ruby>づきあひが、えゝ。

新しい唐の制度の模倣ばかりして、<ruby><rb>漢土</rb><rt>モロコシ</rt></ruby>の<ruby><rb>才</rb><rt>ザエ</rt></ruby>が、<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">やまと</span>心に入り替つたと謂はれて居る此人が、こんな嬉しいことを言ふ。家持は、感謝したい氣がした。理會者・同感者を、思ひまうけぬ處に見つけ出した嬉しさだつたのである。

お身は、宋玉や、王褒の書いた物を大分持つて居ると言ふが、太宰府へ行つた時に、手に入れたのぢやな。あんな若い年で、<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">わせ</span>だつたのだなう。お身は――。お身の氏では、<ruby><rb>古麻呂</rb><rt>コマロ</rt></ruby>。身の家に近しい者でも奈良麻呂。あれらは漢魏はおろか、今の唐の小説なども、ふり向きもせんから、言ふがひない話ぢやは。

兵部大輔は、やつと話のつきほを捉へた。

お身さまのお話ぢやが、わしは、賦の類には飽きました。どうもあれが、この四十面さげてもまだ、涙もろい歌や、詩の出て來る元になつて居る――さうつく〲思ひますぢやて。ところで近頃は、<ruby><rb>方</rb><rt>カタ</rt></ruby>を換へて、張文成を拾ひ讀みすることにしました。この方が、なんぼか――。

大きに、其は、身も賛成ぢや。ぢやが、お身がその年になつても、まだ<ruby><rb>二十</rb><rt>ハタチ</rt></ruby>代の若い心や、瑞々しい顏を持つて居るのは、宋玉のおかげぢやぞ。まだなか〱隱れては歩き<ruby><rb>居</rb><rt>ヲ</rt></ruby>る、と人の噂ぢやが、嘘ぢやなからう。身が保證する。おれなどは、張文成ばかり古くから讀み過ぎて、早く精氣の盡きてしまうた心持ちがする。――ぢやが全く、文成はえゝなう。あの<ruby><rb>仁</rb><rt>ジン</rt></ruby>に會うて來た者の話では、<ruby><rb>豬肥</rb><rt>ヰノコヾ</rt></ruby>えのした、唯の<ruby><rb>漢土</rb><rt>モロコシ</rt></ruby>びとぢやつたげなが、心はまるで、やまとのものと、一つと思ふが、お身なら、<ruby><rb>諾</rb><rt>ウベナ</rt></ruby>うてくれるだらうの。

文成に限る事ではおざらぬが、あちらの物は、讀んで居て、知らぬ事ばかり教へられるやうで、時々ふつと思ひ返すと、こんな思はざつた考へを、いつの間にか、持つてゐる――そんな空恐しい氣さへすることが、ありますて。お身さまにも、そんな<ruby><rb>經驗</rb><rt>オボエ</rt></ruby>は、おありでがな。

大ありおほ有り。毎日々々、其よ。しまひに、どうなるのぢや。こんなに智慧づいては、と思はれてならぬことが――。ぢやが、<ruby><rb>女子</rb><rt>ヲミナゴ</rt></ruby>だけには、まづ當分、女部屋のほの暗い中で、こんな智慧づかぬ、のどかな心で居させたいものぢや。第一其が、われ〱男の爲ぢやて。

家持は、此了解に富んだ貴人に向つては、何でも言つてよい、青年のやうな氣が湧いて來た。

さやう〱。智慧を持ち初めては、あの<ruby><rb>欝</rb><rt>イブセ</rt></ruby>い女部屋には、ぢつとして居ませぬげな。第一、<ruby><rb>横佩墻内</rb><rt>ヨコハキカキツ</rt></ruby>の――

此はいけぬ、と思つた。同時に、此<ruby><rb>臆</rb><rt>オク</rt></ruby>れた氣の出るのが、自分を<ruby><rb>卑</rb><rt>ヒク</rt></ruby>くし、大伴氏を、昔の位置から自ら蹶落す心なのだ、と感じる。

<ruby><rb>好</rb><rt>エヽ</rt></ruby>、<ruby><rb>好</rb><rt>エヽ</rt></ruby>。遠慮はやめやめ。氏上づきあひぢやもの。ほい又出た。おれはまだ、藤原の氏上に任ぜられた訣やぢあ、なかつたつけの。

瞬間、暗い顏をしたが、直にさつと眉の間から、輝きが出て來た。

身の<ruby><rb>女姪</rb><rt>メヒ</rt></ruby>が神隱しにあうたあの話か。お身は、あの謎見たいな<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">いきさつ</span>を、さう<ruby><rb>解</rb><rt>ト</rt></ruby>るかね。ふん。いやおもしろい。女姪の姫も、定めて喜ぶぢやらう。實はこれまで、内々消息を遣して、小あたりにあたつて見た、と言ふ口かね、お身も。

大きに。

今度は輕い心持ちが、大膽に押勝の話を受けとめた。

お身さまが<ruby><rb>經驗</rb><rt>タメシ</rt></ruby>ずみぢやで、其で、郎女の<ruby><rb>才高</rb><rt>ザエダカ</rt></ruby>さと、男擇びすることが訣りますな――。

此は――。<ruby><rb>額</rb><rt>ヒタヒ</rt></ruby>ざまに切りつけるぞ――。免せ〱と言ふところぢやが、――あれはの、生れだちから違ふものな。藤原の氏姫ぢやからの。<ruby><rb>枚岡</rb><rt>ヒラヲカ</rt></ruby>の<ruby><rb>齋</rb><rt>イツ</rt></ruby>き姫にあがる<ruby><rb>宿世</rb><rt>スクセ</rt></ruby>を持つて生れた者ゆゑ、人間の男は、彈く、彈く、彈きとばす。近よるまいぞよ。はゝはゝゝ。

大師は、笑ひをぴたりと止めて、家持の顏を見ながら、きまじめな表情になつた。

ぢやがどうも――。聽き及んでのことゝ思ふが、家出の前まで、阿彌陀經の千部寫經をして居たと言ふし、樂毅論から兄の殿の書いた元興寺縁起も、其前に手習もしたらしいし、まだ〲孝經などは、<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">これぽつち</span>の頃に習うた、と言ふし、なか〱の<ruby><rb>女博士</rb><rt>ヲナゴハカセ</rt></ruby>での。楚辭や、小説にうき身をやつす身や、お身は近よれぬはなう。霜月・師走の<ruby><rb>垣毀雪女</rb><rt>カイコボチヲナゴ</rt></ruby>ぢやもの。――どうして其だけの<ruby><rb>女子</rb><rt>ヲミナゴ</rt></ruby>が、神隱しなどに逢はうかい。

第一、場處が、あの當麻で見つかつたと言ひますからの――。

併し其は、藤原に全く縁のない處でもない。天二上は、<ruby><rb>中臣壽詞</rb><rt>ナカトミノヨゴト</rt></ruby>にもあるし……。<ruby><rb>齋</rb><rt>イツ</rt></ruby>き<ruby><rb>姫</rb><rt>ヒメ</rt></ruby>もいや、人の妻と呼ばれるのもいや――で、尼になる氣を起したのでないか、と考へると、もう不安で不安でなう。のどかな氣持ちばかりでも居られぬて――。

押勝の眉は集つて來て、皺一つよせぬ美しい、この老いの見えぬ貴人の顏も、思ひなし、ひずんで見えた。

何しろ、<ruby><rb>嫋女</rb><rt>タワヤメ</rt></ruby>は國の寶ぢやでなう。出來ることなら、人の物にはせず、神の物にしておきたいところぢやが、――人間の<ruby><rb>高望</rb><rt>タカノゾ</rt></ruby>みは、さうばかりもさせてはおきをらぬがい――。ともかく、むざ〲尼寺へやる訣にはいかぬ。

ぢやが、お身さま。一人出家すれば、と云ふ詞が、この頃はやりになつて居りますが……。

九族が天に生じて、何になるといふのぢや。寶は何百人かゝつても、作り出せるものではないぞよ。<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">どだい</span><ruby><rb>兄公殿</rb><rt>アニキドノ</rt></ruby>が、少し佛<ruby><rb>凝</rb><rt>ゴ</rt></ruby>りが過ぎるでなう――。自然<ruby><rb>内</rb><rt>ウチ</rt></ruby>うらまで、そんな氣風がしみこむやうになつたかも知れぬぞ――。時に、お身のみ館の<ruby><rb>郎女</rb><rt>イラツメ</rt></ruby>も、そんな育てはしてあるまいな。其では、<ruby><rb>家</rb><rt>ウチ</rt></ruby>の久須麻呂が泣きを見るからの。

人の惡いからかひ笑みを浮べて、話を無理にでも脇へ釣り出さうと努めるのは、考へるのも切ない胸の中が察せられる。

<ruby><rb>兄公殿</rb><rt>アニキドノ</rt></ruby>は氏上に、身は<ruby><rb>氏助</rb><rt>ウヂノスケ</rt></ruby>と言ふ訣なのぢやが、肝腎齋き姫で、枚岡に居させられる叔母御は、もうよい年ぢや。去年春日祭りに、女使ひで上られた姿を見て、<ruby><rb>神</rb><rt>カン</rt></ruby>さびたものよ、と思うたぞ。<ruby><rb>今</rb><rt>モ</rt></ruby>一代此方から進ぜなかつたら、齋き姫になる娘の多い北家の方がすぐに取つて替つて、氏上に据るは。

兵部大輔にとつても、此は<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">もう</span>、<ruby><rb>他事</rb><rt>ヒトゴト</rt></ruby>ではなかつた。おなじ大伴幾流の中から、四代續いて氏上職を持ち<ruby><rb>堪</rb><rt>コタ</rt></ruby>へたのも、第一は宮廷の御恩徳もあるが、世の中の<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">よせ</span>が重かつたからである。其には、一番大事な條件として、美しい齋き姫が、後から後と此家に出て、とぎれることがなかつた爲でもある。大伴の家のは、表向き壻どりさへして居ねば、子があつても、齋き姫は勤まる、と言ふ定めであつた。今の阪上郎女は、二人の<ruby><rb>女子</rb><rt>ヲミナゴ</rt></ruby>を持つて、やはり齋き姫である。此は、うつかり出來ない。<ruby><rb>此方</rb><rt>コチラ</rt></ruby>も藤原同樣、叔母御が<ruby><rb>齋姫</rb><rt>イツキ</rt></ruby>で、まだそんな年でない、と思うてゐるが、又どんなことで、他流の氏姫が、後を襲ふことにならぬとも限らぬ。大伴・<ruby><rb>佐伯</rb><rt>サヘキ</rt></ruby>の數知れぬ家々・人々が、外の大伴へ、頭をさげるやうになつてはならぬ。かう考へて來た家持の心の動搖などには、思ひよりもせぬ風で、

こんな話は、よそほかの氏上に言ふべきことでないが、<ruby><rb>兄公殿</rb><rt>アニキドノ</rt></ruby>があゝして、此先何年、難波にゐても、太宰府に居ると言ふが<ruby><rb>表面</rb><rt>オモテ</rt></ruby>だから、氏の祭りは、枚岡・春日と、二處に二度づゝ、其外、<ruby><rb>週</rb><rt>マハ</rt></ruby>り年には、時々鹿島香取の<ruby><rb>東路</rb><rt>アヅマヂ</rt></ruby>のはてにある<ruby><rb>舊社</rb><rt>モトヤシロ</rt></ruby>の祭りまで此方で勤めねばならぬ。實際よそほかの氏上よりも、<ruby><rb>此方</rb><rt>コチラ</rt></ruby>の氏助ははたらいてゐるのだが、――だから、自分で、氏上の氣持ちになつたりする。――もう一層なつてしまふかな。お身はどう思ふ。こりや、答へる訣にも行くまい。氏上に押し直らうとしたところで、今の身の考へ一つを抂げさせるものはない。上樣方に於かせられて、お叱りの<ruby><rb>御沙汰</rb><rt>ゴサタ</rt></ruby>を下しおかれぬ限りは――。

京中で、此惠美屋敷ほど、庭を嗜んだ家はないと言ふ。門は、左京二條三坊に、北に向いて開いて居るが、主人家族の住ひは、南を廣く<ruby><rb>空</rb><rt>ア</rt></ruby>けて、深々とした<ruby><rb>山齋</rb><rt>ヤマ</rt></ruby>が作つてある。其に入りこみの多い池を周らし、池の中の島も、飛鳥の宮風に造られて居た。東の<ruby><rb>中</rb><rt>ナカ</rt></ruby>み<ruby><rb>門</rb><rt>カド</rt></ruby>、西の<ruby><rb>中</rb><rt>ナカ</rt></ruby>み<ruby><rb>門</rb><rt>カド</rt></ruby>まで備つて居る。どうかすると、庭と申さうより、<ruby><rb>寛々</rb><rt>クワンヽヽヽ</rt></ruby>とした空き地の廣くおありになる宮よりは、もつと手入れが屆いて居さうな氣がする。

庭を立派にして住んだ、<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">うま</span>人たちの末々の樣が、兵部大輔の胸に來た。瞬間、憂欝な氣持ちがかぶさつて來て、前にゐる大師の顏を見るのが、氣の毒な樣に思はれる。

案じるなよ。庭が行き屆き過ぎて居る、と思うてるのだらう。そんなことはないさ。庭はよくても、亡びた人ばかりはないさ。淡海公の御館はどうだ。どの筋でも引き繼がずに、今に荒してはあるが、あの立派さは。<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">それ</span>あの山部の何とか言つた、<ruby><rb>地下</rb><rt>ヂゲ</rt></ruby>の<ruby><rb>召</rb><rt>メ</rt></ruby>し<ruby><rb>人</rb><rt>ビト</rt></ruby>の歌よみが、おれの三十になつたばかりの頃、「昔見し<ruby><rb>舊</rb><rt>フル</rt></ruby>き堤は、年深み…年深み、池の渚に、<ruby><rb>水草</rb><rt>ミクサ</rt></ruby>生ひにけり」とよんだ位だが、<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">其後</span>が、これ此樣に四流にも岐れて榮えてゐる。もつとあるぞ――。なに、庭などによるものぢやないは。

<ruby><rb>恃</rb><rt>タノ</rt></ruby>む所の深い此あて人は、庭の風景の、目立つた個處々々を指摘しながら、其據る所を、<ruby><rb>日本</rb><rt>ヤマト</rt></ruby>・<ruby><rb>漢土</rb><rt>モロコシ</rt></ruby>に渉つて説明した。

長い廊を、數人の<ruby><rb>童</rb><rt>ワラハ</rt></ruby>が續いて來る。

日ずかしです。お召しあがり下されませう。

改つて、簡單な饗應の挨拶をした。まらうどに、早く酒を獻じなさい、と言つてゐる間に、美しい<ruby><rb>采女</rb><rt>ウネメ</rt></ruby>が、盃を額より高く捧げて出た。

をゝ、それだけ受けて頂けばよい。舞ひぶりを一つ、見て貰ひなさい。

家持は何を考へても、先を越す敏感な主人に對して、唯虚心で居るより外はなかつた。

<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">うねめ</span>は、大伴の氏上へは、まだくださらぬのだつたね。藤原では、存知でもあらうが、先例が早くからあつて、淡海公が、近江の宮から頂戴した故事で、頂く習慣になつて居ります。

時々、こんな畏まつたもの言ひもまじへる。兵部大輔は、自身の語づかひにも、<ruby><rb>初中終</rb><rt>シヨツチユウ</rt></ruby>氣扱ひをせねばならなかつた。

氏上もな、身が<ruby><rb>執</rb><rt>シフ</rt></ruby>心で、兄公殿を太宰府へ追ひまくつて、後にすわらうとするのだ、と言ふ奴があるといの――。やつぱり「奴はやつこどち」ぢやの。さう思ふよ。時に<ruby><rb>女姪</rb><rt>メヒ</rt></ruby>の姫だが――。

さすがの聰明第一の大師も、酒の量は少かつた。其が、今日は幾分いけた、と見えて、話が循環して來た。家持は、一度はぐらかされた<ruby><rb>緒口</rb><rt>イトグチ</rt></ruby>に、とりついた氣で、

横佩<ruby><rb>墻内</rb><rt>カキツ</rt></ruby>の<ruby><rb>郎女</rb><rt>イラツメ</rt></ruby>は、どうなるでせう。社・寺、それとも宮――。どちらへ向いても、神さびた一生。あつたら惜しいものでおありだ。

氣にするな。氣にするな。氣にしたとて、どう出來るものか。此は――もう、人間の手へは、戻らぬかも知れんぞ。

末は、獨り言になつて居た。さうして、急に考へ深い目を凝した。池へ落した水音は、<ruby><rb>未</rb><rt>ヒツジ</rt></ruby>がさがると、寒々と聞えて來る。

早く、躑躅の照る時分になつてくれぬかなあ。一年中で、この庭の一番よい時が、待ちどほしいぞ。

大師藤原惠美押勝朝臣の聲は、若々しい、純な欲望の外、何の響きもまじへて居なかつた。

十五

つた　つた　つた。

郎女は、<ruby><rb>一向</rb><rt>ヒタスラ</rt></ruby>、あの音の歩み寄つて來る畏しい夜更けを、待つやうになつた。をとゝひよりは昨日、昨日よりは今日といふ風に、其跫音が間遠になつて行き、此頃は<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">ふつに</span>音せぬやうになつた。その氷の山に對うて居るやうな、骨の疼く戰慄の快感、其が失せて行くのを虞れるやうに、姫は夜毎、鷄のうたひ出すまでは、殆、祈る心で待ち續けて居る。

絶望のまゝ、幾晩も仰ぎ寢たきりで、目は晝よりも<ruby><rb>寤</rb><rt>サ</rt></ruby>めて居た。其間に起る夜の間の現象には、一切心が留らなかつた。現にあれほど、郎女の心を有頂天に引き上げた<ruby><rb>頂板</rb><rt>ツシ</rt></ruby>の<ruby><rb>面</rb><rt>オモテ</rt></ruby>の光り輪にすら、<ruby><rb>明盲</rb><rt>アキジ</rt></ruby>ひのやうに、注意は惹かれなくなつてゐる。こゝに來て、<ruby><rb>疾</rb><rt>ト</rt></ruby>くに、七日は過ぎ、十日・半月になつた。山も、野も、春のけしきが整うて居た。野茨の花のやうだつた小櫻が散り過ぎて、其に次ぐ山櫻が、谷から峰かけて、斷續しながら咲いてゐるのも見える。<ruby><rb>麥原</rb><rt>ムギフ</rt></ruby>は、驚くばかり伸び、里人の野爲事に出た姿が、終日、そのあたりに動いてゐる。

都から來た人たちの中、何時までこの山陰に、春を起き臥すことか、と佗びる者が殖えて行つた。廬堂の近くに掘り立てた板屋に、かう長びくと思はなかつたし、まだどれだけ續くかも知れぬ此生活に、家ある者は、妻子に會ふことばかりを考へた。親に養はれる者は、家の父母の外にも、隱れた戀人を思ふ心が、切々として來るのである。女たちは、かうした場合にも、平氣に近い感情で居られる長い暮しの習しに馴れて、何か、と爲事を考へてはして居る。女方の小屋は、男のとは別に、もつと廬に接して建てられて居た。

<ruby><rb>身狹乳母</rb><rt>ムサノチオモ</rt></ruby>の思ひやりから、男たちの多くは、唯さへ小人數な奈良の<ruby><rb>御館</rb><rt>ミタチ</rt></ruby>の番に行け、と言つて還され、<ruby><rb>長老</rb><rt>オトナ</rt></ruby>一人の外は、唯<ruby><rb>雜用</rb><rt>ザフヨウ</rt></ruby>をする童と、<ruby><rb>奴隷</rb><rt>ヤツコ</rt></ruby>位しか殘らなかつた。

<ruby><rb>乳母</rb><rt>オモ</rt></ruby>や、若人たちも、薄々は帳臺の中で夜を久しく起きてゐる、郎女の樣子を感じ出して居た。でも、なぜさう夜深く溜め息ついたり、うなされたりするか、知る筈のない昔<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">かたぎ</span>の女たちである。

やはり、郎女の<ruby><rb>魂</rb><rt>タマ</rt></ruby>があくがれ出て、心が空しくなつて居るもの、と單純に考へて居る。ある女は、魂ごひの爲に、山尋ねの<ruby><rb>咒術</rb><rt>オコナヒ</rt></ruby>をして見たらどうだらう、と言つた。

乳母は一口に言ひ消した。姫樣、當麻に御安著なされた其夜、奈良の御館へ計はずに、私にした<ruby><rb>當麻眞人</rb><rt>タギマノマヒト</rt></ruby>の家人たちの山尋ねが、わるい結果を呼んだのだ。當麻語部とか謂つた<ruby><rb>蠱物</rb><rt>マジモノ</rt></ruby>使ひのやうな婆が、出しやばつての差配が、こんな事を惹き起したのだ。

その節、山の<ruby><rb>峠</rb><rt>タワ</rt></ruby>の塚で起つた不思議は、噂になつて、この<ruby><rb>貴人</rb><rt>ウマビト</rt></ruby>一家の者にも、知れ渡つて居た。あらぬ者の魂を呼び出して、郎女樣におつけ申しあげたに違ひない。もう〱、輕はずみな<ruby><rb>咒術</rb><rt>オコナヒ</rt></ruby>は、思ひとまることにしよう。かうして、<ruby><rb>魂</rb><rt>タマ</rt></ruby>の<ruby><rb>游離</rb><rt>アクガ</rt></ruby>れ出た處の近くにさへ居れば、やがては、元のお身になり戻り遊されることだらう。こんな風に考へて、乳母は唯、氣長に氣ながに、と女たちを諭し〱した。

こんな事をして居る中に、早一月も過ぎて櫻の後、暫らく寂しかつた山に、躑躅が燃え立つた。足も行かれぬ崖の上や、巖の腹などに、<ruby><rb>一群々々</rb><rt>ヒトムラヽヽヽヽ</rt></ruby>咲いて居るのが、奧山の春は今だ、となのつて居るやうである。

ある日は、山へ〱と、里の娘ばかりが上つて行くのを見た。凡數十人の若い女が、何處で宿つたのか、其次の日、てんでに赤い山の花を髮にかざして、降りて來た。廬の庭から見あげた若女房の一人が、山の<ruby><rb>躑躅林</rb><rt>ツヽジバヤシ</rt></ruby>が練つて降るやうだ、と聲をあげた。

ぞよ〱と廬の前を通る時、皆頭をさげて行つた。其中の二三人が、つくねんとして暮す若人たちの慰みに呼び入れられて、板屋の端へ來た。當麻の田居も、今は苗代時である。やがては田植ゑをする。其時は、見に出やしやれ。こんな身でも、其時はずんと、をなごぶりが上るぞな、と笑ふ者もあつた。

こゝの田居の中で、植ゑ初めの田は、腰折れ田と言うて、都までも聞えた物語りのある田ぢやげな。

若人たちは、又例の<ruby><rb>蠱物姥</rb><rt>マヂモノウバ</rt></ruby>の古語りであらう、とまぜ返す。ともあれ、かうして、山ごもりに上つた娘だけに、今年の田の<ruby><rb>早處女</rb><rt>サウトメ</rt></ruby>が當ります。其しるしが此ぢや、と大事さうに、頭の躑躅に觸れて見せた。

もつと變つた話を聞かせぬかえと誘はれて、身分に高下はあつても、同じ若い同士のことゝて、色々な田舍咄をして行つた。其を<ruby><rb>後</rb><rt>ノチ</rt></ruby>に<ruby><rb>乳母</rb><rt>オモ</rt></ruby>たちが聽いて、氣にしたことがあつた。山ごもりして居ると、小屋の上の崖をどう〲と踏みおりて來る者がある。ようべ、眞夜中のことである。一樣にうなされて、苦しい息をついてゐると、音はそのまゝ、眞下へ眞下へ、降つて行つた。がら〲と、岩の<ruby><rb>崩</rb><rt>ク</rt></ruby>える響。――ちようど其が、此廬堂の眞上の<ruby><rb>高處</rb><rt>タカ</rt></ruby>に當つて居た。こんな處に道はない筈ぢやが、と今朝起きぬけに見ると、案の<ruby><rb>定</rb><rt>ヂヤウ</rt></ruby>、赤岩の<ruby><rb>大崩崖</rb><rt>オホナギ</rt></ruby>。ようべの音は、音ばかりで、ちつとも痕は殘つて居なかつた。

其で思ひ合せられるのは、此頃ちよく〱、子から丑の間に、里から見えるこのあたりの<ruby><rb>峰</rb><rt>ヲ</rt></ruby>の<ruby><rb>上</rb><rt>ヘ</rt></ruby>に、光り物がしたり、時ならぬ<ruby><rb>一時颪</rb><rt>イツトキオロシ</rt></ruby>の凄い唸りが、聞えたりする。今まで<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">つひに</span>聞かぬこと。里人は唯かう、恐れ謹しんで居る、とも言つた。

こんな話を殘して行つた里の娘たちも、苗代田の畔に、めい〱のかざしの躑躅花を揷して歸つた。其は晝のこと、田舍は田舍らしい閨の中に、今は寢ついたであらう。夜はひた更けに、更けて行く。

晝の恐れのなごりに、寢苦しがつて居た女たちも、おびえ疲れに寢入つてしまつた。頭上の崖で、寢鳥の鳴き聲がした。郎女は、まどろんだとも思はぬ目を、ふつと開いた。續いて今ひと響き、<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">びし</span>としたのは、鳥などの、翼<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">ぐるめ</span>ひき裂かれたらしい音である。だが其だけで、山は音どころか、生き物も絶えたやうに、虚しい空間の闇に、時間が立つて行つた。郎女の<ruby><rb>額</rb><rt>ヌカ</rt></ruby>の上の天井の光りの<ruby><rb>暈</rb><rt>カサ</rt></ruby>が、ほの〲と白んで來る。明りの隈はあちこちに<ruby><rb>偏倚</rb><rt>カタヨ</rt></ruby>つて、光りを竪にくぎつて行く。と見る間に、ぱつと明るくなる。そこに大きな花。蒼白い菫。その花びらが、幾つにも分けて見せる隈、佛の花の<ruby><rb>青蓮華</rb><rt>シヤウレンゲ</rt></ruby>と言ふものであらうか。郎女の目には、何とも知れぬ淨らかな花が、車輪のやうに、宙にぱつと開いてゐる。仄暗い蕋の處に、むら〱と雲のやうに、動くものがある。黄金の蕋をふりわける。其は黄金の髮である。髮の中から匂ひ出た莊嚴な顏。閉ぢた目が、憂ひを持つて、見おろして居る。あゝ肩・胸・顯はな肌。――冷え〲とした白い肌。をゝ　おいとほしい。

郎女は、自身の聲に、目が覺めた。夢から續いて、口は尚夢のやうに、語を逐うて居た。

おいとほしい。お寒からうに――。

十六

山の躑躅の色は、樣々ある。一つ色のものだけが、一時に咲き出して、一時に<ruby><rb>萎</rb><rt>シボ</rt></ruby>む。さうして、凡一月は、後から後から替つた色のが匂ひ出て、禿げた岩も、一冬のうら枯れをとり返さぬ柴木山も、若夏の青雲の下に、はでなかざしをつける。其間に、藤の短い花房が、白く又紫に垂れて、老い木の幹の高さを、せつなく、寂しく見せる。下草に交つて、<ruby><rb>馬醉木</rb><rt>アシビ</rt></ruby>が雪のやうに咲いても、花めいた心を、誰に起させることもなしに、過ぎるのがあはれである。

もう此頃になると、山は厭はしいほど緑に埋れ、谷は深々と、繁りに隱されてしまふ。<ruby><rb>郭公</rb><rt>クワツコウ</rt></ruby>は早く鳴き嗄らし、時鳥が替つて、日も夜も鳴く。

草の花が、どつと怒濤の寄せるやうに咲き出して、山全體が花原見たやうになつて行く。里の麥は刈り急がれ、田の原は一樣に青みわたつて、もうこんなに伸びたか、と驚くほどになる。家の<ruby><rb>庭苑</rb><rt>ソノ</rt></ruby>にも、立ち替り咲き替つて、栽ゑ木、草花が、何處まで盛り續けるかと思はれる。だが其も一盛りで、坪はひそまり返つたやうな時が來る。池には葦が伸び、蒲が<ruby><rb>秀</rb><rt>ホ</rt></ruby>き、<ruby><rb>藺</rb><rt>ヰ</rt></ruby>が抽んでゝ來る。遲々として、併し忘れた頃に、俄かに<ruby><rb>伸</rb><rt>ノ</rt></ruby>し上るやうに育つのは、蓮の葉であつた。

前年から今年にかけて、海の彼方の新羅の亡状が、目立つて棄て置かれぬものに見えて來た。太宰府からは、軍船を新造して新羅征伐の設けをせよ、と言ふ命のお降しを、度々都へ請うておこして居た。此忙しい時に、偶然流人太宰府員外帥として、難波に居た横佩家の豐成は、思ひがけぬ日々を送らねばならなかつた。

都の姫の事は、子古の口から聽いて知つたし、又、京・難波の間を往來する頻繁な公私の使ひに、文をことづてる事は易かつたけれども、どう處置してよいか、途方に昏れた。ちよつと見は何でもない事の樣で、實は重大な、家の大事である。其だけに、常の優柔不斷な心癖は、益々つのるばかりであつた。

寺々の知音に寄せて、當麻寺へ、よい樣に命じてくれる樣に、と書いてもやつた。又處置方について伺うた横佩墻内の家の<ruby><rb>長老</rb><rt>トネ</rt></ruby>・刀自たちへは、ひたすら汝等の主の女郎を護つて居れ、と言ふやうな、抽象風なことを、答へて來たりした。

次の消息には、何かと具體した仰せつけがあるだらう、と待つて居る間に、日が立ち、月が過ぎて行くばかりである。其間にも、姫の失はれたと見える魂が、お身に戻るか、其だけの望みで、人々は、山村に止つて居た。物思ひに、屈託ばかりもして居ぬ若人たちは、もう池のほとりにおり立つて、伸びた蓮の莖を切り集め出した。其を見て居た寺の<ruby><rb>婢女</rb><rt>メヤツコ</rt></ruby>が、其はまだ若い、まう半月もおかねばと言つて、寺領の一部に、<ruby><rb>蓮根</rb><rt>ハスネ</rt></ruby>を取る爲に作つてあつた<ruby><rb>蓮田</rb><rt>ハチスダ</rt></ruby>へ、案内しよう、と言ひ出した。

あて人の家自身が、それ〱、農村の<ruby><rb>大家</rb><rt>オホヤケ</rt></ruby>であつた。其が次第に、<ruby><rb>官人</rb><rt>ツカサビト</rt></ruby>らしい姿に更つて來ても、家庭の生活には、何時までたつても、何處か農家らしい樣子が、殘つて居た。家構へにも、屋敷の<ruby><rb>廣場</rb><rt>ニハ</rt></ruby>にも、家の中の<ruby><rb>雜用具</rb><rt>ザフヨウグ</rt></ruby>にも。第一、女たちの生活は、<ruby><rb>起居</rb><rt>タチヰ</rt></ruby><span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">ふるまひ</span>なり、服裝なりは、優雅に優雅にと變つては行つたが、やはり昔の農家の<ruby><rb>家内</rb><rt>ヤウチ</rt></ruby>の匂ひがつき纒うて離れなかつた。刈り上げの秋になると、夫と離れて暮す年頃に達した夫人などは、よく其家の遠い<ruby><rb>田莊</rb><rt>タドコロ</rt></ruby>へ行つて、數日を過して來るやうな習しも、絶えることなく、くり返されて居た。

だから、刀自たちは固より若人らも、<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">つくねん</span>と女部屋の薄暗がりに、明し暮して居るのではなかつた。てんでに、自分の出た村方の手藝を覺えて居て、其を、仕へる君の爲に<ruby><rb>爲出</rb><rt>シイダ</rt></ruby>さう、と出精してはたらいた。

裳の襞を作るのに<ruby><rb>珍</rb><rt>ナ</rt></ruby>い<ruby><rb>術</rb><rt>テ</rt></ruby>を持つた女などが、何でもないことで、とりわけ重寶がられた。袖の先につける<ruby><rb>鰭袖</rb><rt>ハタソデ</rt></ruby>を美しく爲立てゝ、其に、珍しい縫ひとりをする女なども居た。こんなのは、どの家庭にもある話でなく、かう言ふ若人をおきあてた家は、一つのよい<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">見てくれ</span>を世間に持つ事になるのだ。一般に、染めや、裁ち縫ひが、家々の顏見合はぬ女どうしの競技のやうに、もてはやされた。摺り染めや、<ruby><rb>擣</rb><rt>ウ</rt></ruby>ち染めの技術も、女たちの間には、目立たぬ進歩が年々にあつたが、<ruby><rb>浸</rb><rt>ヒ</rt></ruby>で染めの爲の染料が、韓の<ruby><rb>技工人</rb><rt>テビト</rt></ruby>の影響から、途方もなく變化した。紫と謂つても、茜と謂つても、皆、昔の樣な、染め<ruby><rb>漿</rb><rt>シホ</rt></ruby>の<ruby><rb>處置</rb><rt>トリアツカヒ</rt></ruby>はせなくなつた。さうして、染め上りも、艶々しく、はでなものになつて來た。表向きは、かうした色の禁令が、次第に行きわたつて來たけれど、家の女部屋までは、<ruby><rb>官</rb><rt>カミ</rt></ruby>の目も屆くはずはなかつた。

家庭の主婦が、居まはりの人を促したてゝ、自身も精勤してするやうな爲事は、あて人の家では、刀自等の受け持ちであつた。若人たちも、田畠に出ぬと言ふばかりで、家の中での爲事は、まだ<ruby><rb>見參</rb><rt>マヰリマミエ</rt></ruby>をせずにゐた田舍暮しの時分と、大差はなかつた。とりわけ違ふのは、其家々の神々に仕へると言ふ、誇りはあるが、小むつかしい事がつけ加へられて居る位のことである。外出には、下人たちの見ぬ樣に、笠を深々とかづき、其下には、更に薄帛を垂らして出かけた。

<ruby><rb>一</rb><rt>イツ</rt></ruby>時たゝぬ中に、<ruby><rb>婢女</rb><rt>メヤツコ</rt></ruby>ばかりでなく、自身たちも、田におりたつたと見えて、泥だらけになつて、若人たち十數人は、戻つて來た。皆手に手に、張り切つて發育した、蓮の莖を抱へて、廬の前に竝んだのには、常々<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">くすり</span>とも笑はぬ<ruby><rb>乳母</rb><rt>オモ</rt></ruby>たちさへ、腹の皮をよつて<ruby><rb>切</rb><rt>セツ</rt></ruby>ながつた。

<ruby><rb>郎女</rb><rt>イラツメ</rt></ruby>樣。御<ruby><rb>覽</rb><rt>ラウ</rt></ruby>じませ。

<ruby><rb>竪帳</rb><rt>タツバリ</rt></ruby>を手でのけて、姫に見せるだけが、やつとのことであつた。

ほう――。

何が笑ふべきものか、何が憎むに値するものか、一切知らぬ<ruby><rb>上﨟</rb><rt>ジヤウラフ</rt></ruby>には、唯常と變つた皆の姿が、羨しく思はれた。

この身も、その田居とやらにおり立ちたい――。

めつさうなこと、仰せられます。

めつさうな。きまつて、誇張した顏と口との表現で答へることも、此ごろ、この小社會で行はれ出した。何から何まで縛りつけるやうな、<ruby><rb>身狹乳母</rb><rt>ムサノチオモ</rt></ruby>に對する反感も、此<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">ものまね</span>で幾分、いり合せがつく樣な氣がするのであらう。

其日からもう、若人たちの絲縒りは初まつた。夜は、閨の闇の中で寢る女たちには、稀に男の聲を聞くこともある、奈良の<ruby><rb>垣内</rb><rt>カキツ</rt></ruby>住ひが、戀しかつた。朝になると又、何もかも忘れたやうになつて<ruby><rb>績</rb><rt>ウ</rt></ruby>み貯める。

さうした絲の、六かせ七かせを持つて出て、郎女に見せたのは、其數日後であつた。

<ruby><rb>乳母</rb><rt>オモ</rt></ruby>よ。この絲は、蝶鳥の翼よりも美しいが、蜘蛛の<ruby><rb>巣</rb><rt>イ</rt></ruby>より弱く見えるがよ――。

郎女は、久しぶりでにつこりした。勞を犒ふと共に、考への足らぬのを憐むやうである。

刀自は、驚いて姫の詞を堰き止めた。

なる程、此は<ruby><rb>脆</rb><rt>サク</rt></ruby>過ぎまする。

女たちは、板屋に戻つても、長く、健やかな喜びを、皆して語つて居た。

全く<ruby><rb>些</rb><rt>スコ</rt></ruby>しの惡意もまじへずに、言ひたいまゝの氣持ちから、

田居とやらへおりたちたい――、

を反覆した。

刀自は、若人を呼び集めて、

もつと、きれぬ絲を作り出さねば、物はない。

と言つた。女たちの中の一人が、

それでは、刀自に、何ぞよい御思案が――。

さればの――。

昔を守ることばかりは<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">いかつい</span>が、新しいことの考へは唯、<ruby><rb>尋常</rb><rt>ヨノツネ</rt></ruby>の婆の如く、愚かしかつた。

ゆくりない聲が、郎女の口から洩れた。

この身の考へることが、出來ることか試して見や。

うま人を輕侮することを、神への忌みとして居た昔人である。だが、かすかな<ruby><rb>輕</rb><rt>カル</rt></ruby>しめに似た氣持ちが、皆の心に動いた。

夏引きの<ruby><rb>麻生</rb><rt>ヲフ</rt></ruby>の<ruby><rb>麻</rb><rt>アサ</rt></ruby>を<ruby><rb>績</rb><rt>ウ</rt></ruby>むやうに、そして、もつと日ざらしよく、細くこまやかに―。

郎女は、目に見えぬものゝ<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">さとし</span>を、心の上で綴つて行くやうに、語を吐いた。

板屋の前には、俄かに、蓮の莖が乾し竝べられた。さうして其が乾くと、谷の澱みに持ち下りて浸す。浸しては晒し、晒しては水に<ruby><rb>漬</rb><rt>ヒ</rt></ruby>でた幾日の後、筵の上で槌の音高く、こも〲、<ruby><rb>交々</rb><rt>コモヾヽ</rt></ruby>と叩き柔らげた。

その勤しみを、郎女も時には、端近くゐざり出て見て居た。咎めようとしても、思ひつめたやうな目して見入つて居る姫を見ると、刀自は口を開くことが出來なくなつた。

日晒しの莖を、<ruby><rb>八針</rb><rt>ヤツハリ</rt></ruby>に裂き、其を又、幾針にも裂く。郎女の物言はぬまなざしが、ぢつと若人たちの手もとをまもつて居る。

果ては、刀自も言ひ出した。

私も、<ruby><rb>績</rb><rt>ウ</rt></ruby>みませう。

<ruby><rb>績</rb><rt>ウ</rt></ruby>みに績み、又績みに績んだ。<ruby><rb>藕絲</rb><rt>ハスイト</rt></ruby>のまるがせが、日に〱殖えて、<ruby><rb>廬堂</rb><rt>イホリダウ</rt></ruby>の中に、次第に高く積まれて行つた。

もう今日は、みな月に入る日ぢやの――。

<ruby><rb>暦</rb><rt>コヨミ</rt></ruby>の事を言はれて、刀自は<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">ぎよつ</span>とした。ほんに、今日こそ、<ruby><rb>氷室</rb><rt>ヒムロ</rt></ruby>の<ruby><rb>朔日</rb><rt>ツイタチ</rt></ruby>ぢや。さう思ふ下から齒の根のあはぬやうな惡感を覺えた。大昔から、暦は<ruby><rb>聖</rb><rt>ヒジリ</rt></ruby>の與る道と考へて來た。其で、男女は唯、<ruby><rb>長老</rb><rt>トネ</rt></ruby>の言ふがまゝに、時の來又去つた事を<ruby><rb>教</rb><rt>ヲソ</rt></ruby>はつて、村や、家の行事を進めて行くばかりであつた。だから、教へぬに日月を語ることは、極めて<ruby><rb>聰</rb><rt>サト</rt></ruby>い人の事として居た頃である。愈々魂をとり戻されたのか、と<ruby><rb>瞻</rb><rt>マモ</rt></ruby>りながら、はら〱して居る乳母であつた。唯、郎女は<ruby><rb>復</rb><rt>マタ</rt></ruby>、秋分の日の近づいて來て居ることを、心にと言ふよりは、身の内に、そく〱と感じ初めて居たのである。蓮は、池のも、田居のも、極度に<ruby><rb>長</rb><rt>タ</rt></ruby>けて、莟の大きくふくらんだのも、見え出した。<ruby><rb>婢女</rb><rt>メヤツコ</rt></ruby>は、今が刈りしほだ、と教へたので、若人たちは、皆手も足も泥にして、又田に立ち暮す日が續いた。

十七

彼岸中日　秋分の夕。朝曇り後晴れて、海のやうに深碧に凪いだ空に、晝過ぎて、白い雲が頻りにちぎれ〱に飛んだ。其が<ruby><rb>門渡</rb><rt>トワタ</rt></ruby>る船と見えてゐる内に、<ruby><rb>暴風</rb><rt>アラシ</rt></ruby>である。空は愈々青澄み、昏くなる頃には、藍の樣に色濃くなつて行つた。見あげる山の端は、横雲の空のやうに、茜色に輝いて居る。

大山颪。木の葉も、枝も、顏に吹きつけられる程の物は、皆活きて青かつた。板屋は吹きあげられさうに、煽りきしんだ。若人たちは、悉く郎女の廬に上つて、刀自を中に、心を一つにして、ひしと顏を寄せた。たゞ互の顏の見えるばかりの緊張した氣持ちの間に、刻々に移つて行く風。西から<ruby><rb>眞正面</rb><rt>マトモ</rt></ruby>に吹きおろしたのが、暫らくして北の方から落して來た。やがて、風は山を離れて、平野の方から、山に向つてひた吹きに吹きつけた。峰の松原も、<ruby><rb>空樣</rb><rt>ソラザマ</rt></ruby>に枝を掻き上げられた樣になつて、悲鳴を續けた。谷から<ruby><rb>峰</rb><rt>ヲ</rt></ruby>の<ruby><rb>上</rb><rt>ヘ</rt></ruby>に生え<ruby><rb>上</rb><rt>ノボ</rt></ruby>つて居る萱原は、一樣に上へ〱と<ruby><rb>糶</rb><rt>セ</rt></ruby>り昇るやうに、葉裏を返して<ruby><rb>扱</rb><rt>コ</rt></ruby>き上げられた。

家の中は、もう暗くなつた。だがまだ見える庭先の明りは、黄に<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">かつきり</span>と、物の一つ〱を、鮮やかに見せて居た。

郎女樣が――。

誰かの聲である。皆、頭の毛が空へのぼる程、ぎよつとした。其が、何だと言はれずとも、すべての心が、一度に了解して居た。言ひ難い恐怖にかみづつた女たちは、誰一人聲を出す者も居なかつた。

身狹乳母は、今の今まで、姫の側に寄つて、後から姫を抱へて居たのである。皆の人のけはひで、覺め難い夢から覺めたやうに、目をみひらくと、あゝ、何時の間にか、姫は嫗の<ruby><rb>兩</rb><rt>モロ</rt></ruby>腕兩膝の間には、居させられぬ。一時に、慟哭するやうな感激が來た。だが長い訓練が、老女の心をとり戻した。凛として、反り返る樣な力が、湧き上つた。

<ruby><rb>誰</rb><rt>タ</rt></ruby>ぞ、弓を――。<ruby><rb>鳴弦</rb><rt>ツルウチ</rt></ruby>ぢや。

人を待つ間もなかつた。彼女自身、<ruby><rb>壁代</rb><rt>カベシロ</rt></ruby>に寄せかけて置いた白木の<ruby><rb>檀弓</rb><rt>マユミ</rt></ruby>をとり上げて居た。

それ皆の衆――。<ruby><rb>反閇</rb><rt>アシブミ</rt></ruby>ぞ。もつと<ruby><rb>聲高</rb><rt>コワダカ</rt></ruby>に――。あっし、あっし、それ、あっしあっし……。

若人たちも、一人々々の心は、疾くに飛んで行つてしまつて居た。唯一つの聲で、<ruby><rb>警􃌽</rb><rt>ケイヒツ</rt></ruby>を發し、<ruby><rb>反閇</rb><rt>ハンバイ</rt></ruby>した。

あっし　あっし。

あっし　あっし　あっし。

狹い廬の中を蹈んで𢌞つた。脇目からは、<ruby><rb>遶道</rb><rt>ネウダウ</rt></ruby>する群れのやうに。

郎女樣は、こちらに御座りますか。

萬法藏院の<ruby><rb>婢女</rb><rt>メヤツコ</rt></ruby>が、息をきらして走つて來て、何時もなら、許されて居ぬ無作法で、近々と廬の<ruby><rb>砌</rb><rt>ミギリ</rt></ruby>に立つて叫んだ。

なに――。

皆の口が、一つであつた。

郎女樣か、と思はれるあて人が――、み寺の<ruby><rb>門</rb><rt>カド</rt></ruby>に立つて居さつせるのを見たで、知らせにまゐりました。

今度は、<ruby><rb>乳母</rb><rt>オモ</rt></ruby>一人の聲が答へた。

なに、み寺の門に。

婢女を先に、行道の群れは、小石を飛す嵐の中を、早足に練り出した。

あっし　あっし　あっし……。

聲は、遠くからも聞えた。大風をつき拔く樣な<ruby><rb>鋭聲</rb><rt>トゴエ</rt></ruby>が、野<ruby><rb>面</rb><rt>ヅラ</rt></ruby>に傳はる。萬法藏院は、實に<ruby><rb>寂</rb><rt>セキ</rt></ruby>として居た。山風は物忘れした樣に、鎭まつて居た。夕闇はそろ〱、かぶさつて來て居るのに、山裾のひらけた處を占めた寺庭は、白砂が、晝の明りに輝いてゐた。こゝからよく見える<ruby><rb>二上</rb><rt>フタカミ</rt></ruby>の頂は、廣く、赤々と夕映えてゐる。

姫は、山田の道場の牕から仰ぐ空の狹さを悲しんでゐる間に、何時かこゝまで來て居たのである。淨域を穢した物忌みにこもつてゐる身、と言ふことを忘れさせぬものが、其でも心の隅にあつたのであらう。門の閾から、伸び上るやうにして、山の<ruby><rb>際</rb><rt>ハ</rt></ruby>の空を見入つて居た。

暫らくおだやんで居た嵐が、又山に𢌞つたらしい。だが、寺は物音もない<ruby><rb>黄昏</rb><rt>タソガレ</rt></ruby>だ。

<ruby><rb>男嶽</rb><rt>ヲノカミ</rt></ruby>と<ruby><rb>女嶽</rb><rt>メノカミ</rt></ruby>との間になだれをなした大きな<ruby><rb>曲線</rb><rt>タワ</rt></ruby>が、又次第に兩方へ<ruby><rb>聳</rb><rt>ソヽ</rt></ruby>つて行つてゐる、此二つの峰の<ruby><rb>間</rb><rt>アヒダ</rt></ruby>の廣い<ruby><rb>空際</rb><rt>ソラギハ</rt></ruby>。薄れかゝつた茜の雲が、急に輝き出して、<ruby><rb>白銀</rb><rt>ハクギン</rt></ruby>の炎をあげて來る。山の<ruby><rb>間</rb><rt>マ</rt></ruby>に充滿して居た夕闇は、光りに照されて、紫だつて動きはじめた。

さうして暫らくは、外に動くものゝない明るさ。山の空は、唯白々として、照り出されて居た。

肌　肩　脇　胸　豐かな姿が、山の<ruby><rb>尾上</rb><rt>ヲノヘ</rt></ruby>の松原の上に現れた。併し、俤に見つゞけた其顏ばかりは、ほの暗かつた。

今すこし<ruby><rb>著</rb><rt>シル</rt></ruby>く　み姿顯したまへ――。

郎女の口よりも、皮膚をつんざいて、あげた叫びである。山腹の紫は、雲となつて<ruby><rb>靉</rb><rt>タナビ</rt></ruby>き、次第々々に<ruby><rb>降</rb><rt>サガ</rt></ruby>る樣に見えた。

明るいのは、山<ruby><rb>際</rb><rt>ギハ</rt></ruby>ばかりではなかつた。地上は、<ruby><rb>砂</rb><rt>イサゴ</rt></ruby>の數もよまれるほどである。

しづかに　しづかに雲はおりて來る。萬法藏院の香殿・講堂・塔婆樓閣・山門僧房・庫裡、悉く金に、朱に、青に、晝より<ruby><rb>著</rb><rt>イチジル</rt></ruby>く見え、<ruby><rb>自</rb><rt>ミヅカ</rt></ruby>ら光りを發して居た。庭の砂の上にすれ〱に、雲は搖曳して、そこにあり〱と半身を顯した尊者の姿が、手にとる樣に見えた。匂ひやかな笑みを含んだ顏が、はじめて、まともに郎女に向けられた。伏し目に半ば閉ぢられた目は、此時、姫を認めたやうに、<ruby><rb>清</rb><rt>スヾ</rt></ruby>しく見ひらいた。輕くつぐんだ脣は、この<ruby><rb>女性</rb><rt>ニヨシヤウ</rt></ruby>に向うて、物を告げてゞも居るやうに、ほぐれて見えた。

郎女は尊さに、目の<ruby><rb>低</rb><rt>タ</rt></ruby>れて來る思ひがした。だが、此時を過してはと思ふ一心で、<ruby><rb>御</rb><rt>ミ</rt></ruby>姿から、目をそらさなかつた。

あて人を讃へるものと、思ひこんだあの詞が、又心から迸り出た。

なも　阿彌陀ほとけ。あなたふと　阿彌陀ほとけ。

瞬間に明りが薄れて行つて、まのあたりに見える雲も、雲の上の尊者の姿も、ほのぼのと暗くなり、段々に高く、又高く上つて行く。

姫が、目送する間もない程であつた。忽、二上山の山の<ruby><rb>端</rb><rt>ハ</rt></ruby>に溶け入るやうに消えて、まつくらな空ばかりの、たなびく夜になつて居た。

あっし　あっし。

足を蹈み、<ruby><rb>前</rb><rt>サキ</rt></ruby>を<ruby><rb>驅</rb><rt>オ</rt></ruby>ふ聲が、耳もとまで近づいて來てゐた。

十八

當麻の邑は、此頃、一本の草、<ruby><rb>一塊</rb><rt>ヒトクレ</rt></ruby>の石すら、光りを持つほど、賑ひ充ちて居る。

<ruby><rb>當麻眞人家</rb><rt>タギマノマヒトケ</rt></ruby>の氏神<ruby><rb>當麻彦</rb><rt>タギマヒコ</rt></ruby>の社へ、祭り時に外れた昨今、急に、氏上の拜禮があつた。故上總守<ruby><rb>老</rb><rt>オユ</rt></ruby>眞人以來、暫らく絶えて居たことである。

其上、まう二三日に迫つた<ruby><rb>八月</rb><rt>ハツキ</rt></ruby>の<ruby><rb>朔日</rb><rt>ツイタチ</rt></ruby>には、奈良の宮から、勅使が來向はれる筈になつて居た。當麻氏から出られた<ruby><rb>大夫人</rb><rt>ダイフジン</rt></ruby>のお生み申された宮の御代に、あらたまることになつたからである。

廬堂の中は、前よりは更に狹くなつて居た。郎女が、奈良の御館からとり寄せた<ruby><rb>高機</rb><rt>タカハタ</rt></ruby>を、<ruby><rb>設</rb><rt>タ</rt></ruby>てたからである。機織りに長けた女も、一人や二人は、若人の中に居た。此女らの動かして見せる<ruby><rb>筬</rb><rt>ヲサ</rt></ruby>や<ruby><rb>梭</rb><rt>ヒ</rt></ruby>の扱ひ方を、姫はすぐに<ruby><rb>會得</rb><rt>ヱトク</rt></ruby>した。機に上つて日ねもす、時には<ruby><rb>終夜</rb><rt>ヨモスガラ</rt></ruby>、織つて見るけれど、蓮の絲は、すぐに<ruby><rb>圓</rb><rt>ツブ</rt></ruby>になつたり、<ruby><rb>斷</rb><rt>キ</rt></ruby>れたりした。其でも、倦まずにさへ織つて居れば、何時か織りあがるもの、と信じてゐる樣に、脇目からは見えた。

乳母は、人に見せた事のない憂はしげな顏を、此頃よくしてゐる。

何しろ、<ruby><rb>唐土</rb><rt>モロコシ</rt></ruby>でも、天竺から渡つた物より手に入らぬ、といふ<ruby><rb>藕絲織</rb><rt>ハスイトオ</rt></ruby>りを遊ばさう、と言ふのぢやものなう。

話相手にもしなかつた若い者たちに、時々うつかりと、こんな事を、言ふ樣になつた。

かう絲が無駄になつては。

今の間にどし〲<ruby><rb>績</rb><rt>ウ</rt></ruby>んで置かいでは―。

<ruby><rb>乳母</rb><rt>チオモ</rt></ruby>の語に、若人たちは又、廣々とした野や田の面におり立つことを思うて、心がさわだつた。

さうして、女たちの刈りとつた蓮積み車が、廬に戻つて來ると、何よりも先に、田居への降り道に見た、當麻の邑の騷ぎの噂である。

郎女樣のお<ruby><rb>從兄</rb><rt>イトコ</rt></ruby>惠美の<ruby><rb>若子</rb><rt>ワクゴ</rt></ruby>さまのお<ruby><rb>母</rb><rt>ハラ</rt></ruby>樣も、當麻眞人のお<ruby><rb>出</rb><rt>デ</rt></ruby>ぢやげな――。

惠美の<ruby><rb>御館</rb><rt>ミタチ</rt></ruby>の叔父君の世界、見るやうな世になつた。

兄御を、帥の殿に落しておいて、御自身はのり越して、内相の、<ruby><rb>大師</rb><rt>タイシ</rt></ruby>の、とおなりのぼりの御心持ちは、どうあらうなう――。

あて人に仕へて居ても、女はうつかりすると、人の評判に時を移した。

やめい　やめい。お耳ざはりぞ。

しまひには、乳母が叱りに出た。だが、<ruby><rb>身狹刀自</rb><rt>ムサノトジ</rt></ruby>自身のうちにも、もだ〲と咽喉につまつた物のある感じが、殘らずには居なかつた。さうして、そんなことにかまけることなく、何の訣やら知れぬが、一心に絲を<ruby><rb>績</rb><rt>ウ</rt></ruby>み、機を織つて居る育ての姫が、いとほしくてたまらぬのであつた。

晝の中多く出た虻は、潜んでしまつたが、蚊は仲秋になると、益々あばれ出して來る。日中の興奮で、皆は正體もなく寢た。身狹までが、姫の起き明す燈の明りを避けて、隅の物陰に、深い鼾を立てはじめた。

郎女は、<ruby><rb>斷</rb><rt>キ</rt></ruby>れては織り、織つては斷れ、手がだるくなつてもまだ<ruby><rb>梭</rb><rt>ヒ</rt></ruby>を放さうともせぬ。

だが、此頃の姫の心は、滿ち足らうて居た。あれほど、<ruby><rb>夜々</rb><rt>ヨルヽヽ</rt></ruby>見て居た<ruby><rb>俤人</rb><rt>オモカゲビト</rt></ruby>の姿も見ずに、安らかな氣持ちが續いてゐるのである。

「此機を織りあげて、はやうあの素肌のお身を、掩うてあげたい。」

其ばかり考へて居る。世の中になし遂げられぬものゝあると言ふことを、あて人は知らぬのであつた。

ちよう　ちよう　はた　はた。

はた　はた　ちよう……。

筬を流れるやうに、手もとにくり寄せられる絲が、動かなくなつた。引いても<ruby><rb>扱</rb><rt>コ</rt></ruby>いても通らぬ。筬の齒が幾枚も<ruby><rb>毀</rb><rt>コボ</rt></ruby>れて、絲筋の上にかゝつて居るのが見える。

郎女は、溜め息をついた。乳母に問うても、知るまい。女たちを起して聞いた所で、滑らかに動かすことはえすまい。

どうしたら、よいのだらう。

姫ははじめて、顏へ<ruby><rb>偏</rb><rt>カタヨ</rt></ruby>つてかゝつて來る髮のうるさゝを感じた。筬の櫛目を覗いて見た。梭もはたいて見た。

あゝ、何時になつたら、したてた<ruby><rb>衣</rb><rt>コロモ</rt></ruby>をお肌へふくよかにお貸し申すことが出來よう。

もう外の叢で鳴き出した、蟋蟀の聲を、瞬間思ひ浮べて居た。

どれ、およこし遊ばされ。かう直せば、動かぬこともおざるまい――。

どうやら聞いた氣のする聲が、機の外にした。

あて人の姫は、何處から來た人とも疑はなかつた。唯、さうした好意ある人を、豫想して居た時なので、

見てたもれ。

機をおりた。

女は、尼であつた。髮を切つて尼そぎにした女は、其も二三度は見かけたことはあつたが、剃髮した尼には會うたことのない姫であつた。

はた　はた　ちよう　ちよう。

元の通りの音が、整つて出て來た。

蓮の絲は、かう言ふ風では、織れるものではおざりませぬ。もつと寄つて御覽じ――。これかう――おわかりかえ。

當麻語部姥の聲である。だが、そんなことは、郎女の心には、問題でもなかつた。

おわかりなさるかえ。これかう――。

姫の心は、<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">こだま</span>の如く<ruby><rb>聰</rb><rt>サト</rt></ruby>くなつて居た。此<ruby><rb>才伎</rb><rt>テワザ</rt></ruby>の<ruby><rb>經緯</rb><rt>ユキタテ</rt></ruby>は、すぐ呑み込まれた。

織つてごらうじませ。

姫が、高機に代つて入ると、尼は機陰に身を倚せて立つ。

はた　はた　ゆら　ゆら。

音までが、變つて澄み上つた。

<ruby><rb>女鳥</rb><rt>メトリ</rt></ruby>の　わがおほきみの<ruby><rb>織</rb><rt>オロ</rt></ruby>す機。<ruby><rb>誰</rb><rt>タ</rt></ruby>が<ruby><rb>爲</rb><rt>タ</rt></ruby>ねろかも――、御存じ及びでおざりませうなう。昔、かう、<ruby><rb>機殿</rb><rt>ハタドノ</rt></ruby>の牕からのぞきこうで、問はれたお方樣がおざりましたつけ。――その時、その貴い<ruby><rb>女性</rb><rt>ニヨシヤウ</rt></ruby>がの、

たか行くや　<ruby><rb>隼別</rb><rt>ハヤブサワケ</rt></ruby>の<ruby><rb>御被服料</rb><rt>ミオスヒガネ</rt></ruby>――さうお答へなされたとなう。

この<ruby><rb>中</rb><rt>ヂユウ</rt></ruby>申し上げた<ruby><rb>滋賀津彦</rb><rt>シガツヒコ</rt></ruby>は、やはり隼別でもおざりました。<ruby><rb>天若日子</rb><rt>アメワカヒコ</rt></ruby>でもおざりました。<ruby><rb>天</rb><rt>テン</rt></ruby>の<ruby><rb>日</rb><rt>ヒ</rt></ruby>に矢を射かける――。

併し、極みなく美しいお人でおざりましたがよ。<ruby><rb>截</rb><rt>キ</rt></ruby>りはたり　ちようちよう。それ―、早く織らねば、やがて、岩牀の凍る冷い冬がまゐりますがよ――。

郎女は、ふつと覺めた。あぐね果てゝ、機の上にとろ〱とした間の夢だつたのである。だが、梭をとり直して見ると、

はた　はた　ゆら　ゆら。ゆら　はたゝ。

美しい織物が、筬の目から迸る。

はた　はた　ゆら　ゆら。

思ひつめてまどろんでゐる中に、郎女の智慧が、一つの閾を越えたのである。

十九

望の夜の月が冴えて居た。若人たちは、今日、郎女の織りあげた<ruby><rb>一反</rb><rt>ヒトムラ</rt></ruby>の<ruby><rb>上帛</rb><rt>ハタ</rt></ruby>を、夜の更けるのも忘れて、<ruby><rb>見讃</rb><rt>ミハヤ</rt></ruby>して居た。

この月の光りを受けた美しさ。

<ruby><rb>縑</rb><rt>カドリ</rt></ruby>のやうで、<ruby><rb>韓織</rb><rt>カラオリ</rt></ruby>のやうで、――やつぱり、此より外にはない、清らかな<ruby><rb>上帛</rb><rt>ハタ</rt></ruby>ぢや。

乳母も、遠くなつた眼をすがめながら、譬へやうのない美しさと、づゝしりとした手あたりを、若い者のやうに樂しんでは、撫でまはして居た。二度目の機は、初めの日數の<ruby><rb>半</rb><rt>ナカラ</rt></ruby>であがつた。<ruby><rb>三反</rb><rt>ミムラ</rt></ruby>の<ruby><rb>上帛</rb><rt>ハタ</rt></ruby>を織りあげて、姫の心には、新しい不安が頭をあげて來た。<ruby><rb>五反</rb><rt>イツムラ</rt></ruby>目を織りきると、機に上ることをやめた。さうして、日も夜も、針を動した。

長月の空は、三日の月のほのめき出したのさへ、寒く眺められる。この夜寒に、俤人の肩の白さを思ふだけでも、堪へられなかつた。

裁ち縫ふわざは、あて人の子のする事ではなかつた。唯、<ruby><rb>他人</rb><rt>ヒト</rt></ruby>の手に觸れさせたくない。かう思ふ心から、解いては縫ひ、縫うてはほどきした。<ruby><rb>現</rb><rt>ウツ</rt></ruby>し<ruby><rb>世</rb><rt>ヨ</rt></ruby>の幾人にも當る大きなお身に合ふ衣を、縫ふすべを知らなかつた。せつかく織り上げた<ruby><rb>上帛</rb><rt>ハタ</rt></ruby>を、<ruby><rb>裁</rb><rt>タ</rt></ruby>つたり<ruby><rb>截</rb><rt>キ</rt></ruby>つたり、段々布は狹くなつて行く。

女たちも、唯姫の手わざを見て居るほかはなかつた。何を縫ふものとも考へ當らぬ囁きに、日を暮すばかりである。

其上、日に増し、外は冷えて來る。人々は一日も早く、奈良の御館に歸ることを願ふばかりになつた。郎女は、暖かい晝、薄暗い廬の中で、うつとりとしてゐた。その時、<ruby><rb>語部</rb><rt>カタリ</rt></ruby>の尼が歩み寄つて來るのを、又まざ〲と見たのである。

何を思案遊ばす。<ruby><rb>壁代</rb><rt>カベシロ</rt></ruby>の樣に縱横に裁ちついで、其まゝ身に纒ふやうになさる外はおざらぬ。それ、こゝに紐をつけて、肩の上でくゝりあはせれば、晝は衣になりませう。紐を解き敷いて、折り返し<ruby><rb>被</rb><rt>カブ</rt></ruby>れば、やがて夜の<ruby><rb>衾</rb><rt>フスマ</rt></ruby>にもなりまする。天竺の<ruby><rb>行人</rb><rt>ギヤウニン</rt></ruby>たちの著る<ruby><rb>僧伽梨</rb><rt>ソウギヤリ</rt></ruby>と言ふのが、其でおざりまする。早くお縫ひあそばされ。

だが、氣がつくと、やはり晝の夢を見て居たのだ。裁ちきつた布を綴り合せて縫ひ初めると、二日もたゝぬ間に、大きな一面の綴りの<ruby><rb>上帛</rb><rt>ハタ</rt></ruby>が出來あがつた。

郎女樣は、月ごろかゝつて、唯の壁代をお織りなされた。

あつたら、惜しやの。

<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">はり</span>が拔けたやうに、<ruby><rb>若人</rb><rt>ワカウド</rt></ruby>たちが聲を落して言うて居る時、姫は悲しみながら、次の營みを考へて居た。

「これでは、あまり寒々としてゐる。<ruby><rb>殯</rb><rt>モガリ</rt></ruby>の庭の<ruby><rb>棺</rb><rt>ヒツギ</rt></ruby>にかける<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">ひしきもの</span>―喪氈―、とやら言ふものと、見た目にかはりはあるまい。」

二十

もう、世の人の心は賢しくなり過ぎて居た。獨り語りの物語りなどに、<ruby><rb>信</rb><rt>シン</rt></ruby>をうちこんで聽く者のある筈はなかつた。聞く人のない森の中などで、よく、つぶ〱と物言ふ者がある、と思うて近づくと、其が、語部の家の者だつたなど言ふ話が、どの村でも笑ひ咄のやうに言はれるやうな世の中になつて居た。<ruby><rb>當麻語部</rb><rt>タギマノカタリベ</rt></ruby>の嫗なども、都の<ruby><rb>上﨟</rb><rt>ジヤウラウ</rt></ruby>の、もの疑ひせぬ清い心に、知る限りの事を語りかけようとした。だが、忽違つた氏の語部なるが故に、追ひ<ruby><rb>退</rb><rt>ノ</rt></ruby>けられたのであつた。

さう言ふ聽きてを見あてた刹那に、持つた執心の深さ。その後、自身の家の中でも、又<ruby><rb>廬堂</rb><rt>イホリダウ</rt></ruby>に近い木立ちの陰でも、或は其處を見おろす山の上からでも、郎女に向つてする、ひとり語りは續けられて居た。

今年八月、當麻の氏人に縁深いお方が、めでたく世にお上りなされたあの時こそ、再<ruby><rb>己</rb><rt>オノ</rt></ruby>が世が來た、と<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">ほくそ笑み</span>をした――が、氏の神祭りにも、<ruby><rb>語部</rb><rt>カタリベ</rt></ruby>を<ruby><rb>請</rb><rt>シヤウ</rt></ruby>じて、神語りを語らさうともせられなかつた。ひきついであつた、勅使の參向の節にも、呼び出されて、當麻氏の古物語りを奏上せい、と仰せられるか、と思うて居た<ruby><rb>豫期</rb><rt>アラマシ</rt></ruby>も、空頼みになつた。

此はもう、自身や、自身の<ruby><rb>祖</rb><rt>オヤ</rt></ruby>たちが、長く覺え傳へ、語りついで來た間、かうした事に行き逢はうとは考へもつかなかつた<ruby><rb>時代</rb><rt>トキヨ</rt></ruby>が來たのだ、と思うた瞬間、何もかも、見知らぬ世界に<ruby><rb>追放</rb><rt>ヤラ</rt></ruby>はれてゐる氣がして、唯驚くばかりであつた。娯しみを失ひきつた<ruby><rb>語部</rb><rt>カタリベ</rt></ruby>の古婆は、もう飯を喰べても、味は失うてしまつた。水を飮んでも、口をついて、獨り語りが<ruby><rb>囈語</rb><rt>ウハゴト</rt></ruby>のやうに出るばかりになつた。

秋深くなるにつれて、衰への、目立つて來た姥は、知る限りの物語りを、喋りつゞけて死なう、と言ふ腹をきめた。さうして、郎女の耳に近い處を、<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">ところ</span>をと覓めて、さまよひ歩くやうになつた。

郎女は、奈良の家に送られたことのある、大唐の<ruby><rb>彩色</rb><rt>ヱノグ</rt></ruby>の數々を思ひ出した。其を思ひついたのは、夜であつた。今から、横佩墻内へ馳けつけて、<ruby><rb>彩色</rb><rt>ヱノグ</rt></ruby>を持つて還れ、と命ぜられたのは、女の中に、唯一人殘つて居た<ruby><rb>長老</rb><rt>オトナ</rt></ruby>である。つひしか、こんな言ひつけをしたことのない郎女の、性急な命令に驚いて、女たちは復、何か事の起るのではないか、とおど〲して居た。だが、<ruby><rb>身狹乳母</rb><rt>ムサノチオモ</rt></ruby>の計ひで、<ruby><rb>長老</rb><rt>オトナ</rt></ruby>は澁々、夜道を、奈良へ向つて急いだ。あくる日、<ruby><rb>繪具</rb><rt>ヱノグ</rt></ruby>の屆けられた時、姫の聲ははなやいで、<ruby><rb>興奮</rb><rt>ハヤ</rt></ruby>りかに響いた。

女たちの噂して居た、袈裟で謂へば、五十條の<ruby><rb>大衣</rb><rt>ダイエ</rt></ruby>とも言ふべき、<ruby><rb>藕絲</rb><rt>グウシ</rt></ruby>の上帛の上に、郎女の目はぢつとすわつて居た。やがて筆は、愉しげにとり上げられた。<ruby><rb>線描</rb><rt>スミガ</rt></ruby>きなしに、うちつけに<ruby><rb>繪具</rb><rt>ヱノグ</rt></ruby>を塗り進めた。美しい<ruby><rb>彩畫</rb><rt>タミヱ</rt></ruby>は、七色八色の虹のやうに、郎女の目の前に、輝き増して行く。

姫は、緑青を盛つて、層々うち重る樓閣伽藍の屋根を表した。數多い柱や、廊の立ち續く姿が、<ruby><rb>目赫</rb><rt>メカヾヤ</rt></ruby>くばかり、朱で<ruby><rb>彩</rb><rt>タ</rt></ruby>みあげられた。むら〱と靉くものは、<ruby><rb>紺青</rb><rt>コンジヤウ</rt></ruby>の雲である。紫雲は一筋長くたなびいて、中央根本堂とも見える屋の上から、<ruby><rb>畫</rb><rt>カ</rt></ruby>きおろされた。雲の上には<ruby><rb>金泥</rb><rt>コンデイ</rt></ruby>の光り輝く靄が、漂ひはじめた。姫の命を搾るまでの念力が、筆のまゝに動いて居る。やがて<ruby><rb>金色</rb><rt>コンジキ</rt></ruby>の<ruby><rb>雲氣</rb><rt>ウンキ</rt></ruby>は、次第に凝り成して、照り充ちた<ruby><rb>色身</rb><rt>シキシン</rt></ruby>――<ruby><rb>現</rb><rt>ウツ</rt></ruby>し世の人とも見えぬ尊い姿が顯れた。

郎女は唯、<ruby><rb>先</rb><rt>サキ</rt></ruby>の日見た、萬法藏院の<ruby><rb>夕</rb><rt>ユフベ</rt></ruby>の幻を、筆に追うて居るばかりである。堂・塔伽藍すべては、當麻のみ寺のありの姿であつた。だが、<ruby><rb>彩畫</rb><rt>タミヱ</rt></ruby>の上に湧き上つた<ruby><rb>宮殿</rb><rt>クウデン</rt></ruby>樓閣は、<ruby><rb>兜率天宮</rb><rt>トソツテングウ</rt></ruby>のたゝずまひさながらであつた。しかも、其<ruby><rb>四十九重</rb><rt>シジフクヂウ</rt></ruby>の寶宮の<ruby><rb>内院</rb><rt>ナイヰン</rt></ruby>に現れた尊者の<ruby><rb>相好</rb><rt>サウガウ</rt></ruby>は、あの夕、近々と目に見た俤びとの姿を、心に<ruby><rb>覓</rb><rt>ト</rt></ruby>めて描き顯したばかりであつた。

刀自・若人たちは、一刻々々、時の移るのも知らず、身ゆるぎもせずに、姫の前に開かれて來る光りの霞に、唯見<ruby><rb>呆</rb><rt>ホヽ</rt></ruby>けて居るばかりであつた。

<ruby><rb>郎女</rb><rt>イラツメ</rt></ruby>が、筆をおいて、にこやかな<ruby><rb>笑</rb><rt>ヱマ</rt></ruby>ひを、<ruby><rb>圓</rb><rt>マロ</rt></ruby>く<ruby><rb>跪坐</rb><rt>ツイヰ</rt></ruby>る此人々の背におとしながら、のどかに併し、音もなく、山田の廬堂を立去つた刹那、心づく者は一人もなかつたのである。まして、戸口に消える<ruby><rb>際</rb><rt>キハ</rt></ruby>に、ふりかへつた姫の輝くやうな頬のうへに、細く傳ふものゝあつたのを知る者の、ある訣はなかつた。

姫の俤びとに貸す爲の衣に描いた<ruby><rb>繪樣</rb><rt>ヱヤウ</rt></ruby>は、そのまゝ曼陀羅の<ruby><rb>相</rb><rt>スガタ</rt></ruby>を具へて居たにしても、姫はその中に、唯一人の<ruby><rb>色身</rb><rt>シキシン</rt></ruby>の幻を描いたに過ぎなかつた。併し、殘された刀自・若人たちの、うち<ruby><rb>瞻</rb><rt>マモ</rt></ruby>る畫面には、見る〱<ruby><rb>數千地涌</rb><rt>スセンヂユ</rt></ruby>の菩薩の姿が、浮き出て來た。其は、幾人の人々が、同時に見た、<ruby><rb>白日夢</rb><rt>ハクジツム</rt></ruby>のたぐひかも知れぬ。