Soranoha

熊の足跡

くまのあしあと

徳冨 蘆花

勿來

連日の風雨でとまつた東北線が開通したと聞いて、明治四十三年九月七日の朝、上野から海岸線の汽車に乘つた。三時過ぎ關本驛で下り、車で平潟ひらがたへ。

平潟は名だたる漁場である。灣の南方を、町から當面の出島をかけて、蝦蛄しやこの這ふ樣にずらり足杭を見せた棧橋が見ものだ。雨あがりの漁場、唯もう腥なまぐさい、腥い。靜海亭せいかいていに荷物を下ろすと、宿の下駄傘を借り、車で勿來關址なこそのせきあと見物に出かける。

町はづれの隧道とんねるを、常陸ひたちから入つて磐城いはきに出た。大波小波鞺々だう〱と打寄する淋しい濱街道を少し往つて、唯と有る茶店さてんで車を下りた。奈古曾なこその石碑の刷物、松や貝の化石、畫はがきなど賣つて居る。車夫くるまやに鶴子を負おぶつてもらひ、余等は滑る足元に氣をつけ〱鐵道線路を踏切つて、山田の畔くろを關跡の方へと上る。道も狹せに散るの歌に因ちなむで、芳野櫻を澤山植ゑてある。若木ばかりだ。路、山に入つて、萩、女郎花をみなへし、地楡われもかう、桔梗ききやう、苅萱かるかや、今を盛りの滿山の秋を踏み分けて上る。車夫が折つてくれた色濃い桔梗の一枝を鶴子は握つて負られて行く。

濱街道の茶店から十丁程上ると、關の址に來た。馬の脊の樣な狹い山の上のやゝ平凹ひらくぼになつた鞍部あんぶ、八幡太郎弓かけの松、鞍かけの松、など云ふ老大な赤松黒松が十四五本、太平洋の風に吹かれて、翠みどりの梢に颯々の音を立てゝ居る。五六百年の物では無い。松の外に格別古い物はない。石碑は嘉永かえいのものである。茶屋がけがしてあるが、夏過ぎた今日、もとより遊人いうじんの影も無く、茶博士さはかせも居ない。弓弭ゆはづの清水しみづを掬むすんで、弓かけ松の下に立つて眺める。西は重疊ちようでふたる磐城いはきの山に雲霧白く渦まいて流れて居る。東は太平洋、雲間漏る夕日の鈍い光を浮べて唯とろりとして居る。鰹舟かつをぶねの櫓拍子が仄かに聞こえる。昔奧州へ通ふ濱街道は、此山の上を通つたのか。八幡太郎も花吹雪の中を馬で此處を通つたのか。歌は殘つて、關の址と云ふ程の址はなく、松風ばかり颯々と吟じて居る。人の世の千年は實に造作もなく過ぎて了ふ。茫然と立つて居ると、苅草を背一ぱいにゆりかけた馬を追うて、若い百姓が二人峠の方から下りて來て、余等の前を通つて、また向の峯へ上つて往つた。

日の暮に平潟ひらがたの宿に歸つた。湯はぬるく、便所はむさく、魚は鮮あたらしいが料理がまづくて腥く、水を飮まうとすれば潟臭かたくさく、加之しかも夥しい蚊が眞黒にたかる。早々蚊帳に逃げ込むと、夜半に雨が降り出して、頭の上に漏つて來るので、遽あわてゝ床を移すなど、わびしい旅の第一夜であつた。

淺蟲

九月九日から十二日まで、奧州淺蟲あさむし温泉滯留。

背後うしろを青森行の汽車が通る。枕の下で、陸奧灣むつわんの緑玉潮りよくぎよくてうがぴた〱言ものいふ。西には青森の人煙指ゆびさす可く、其背うしろに津輕富士の岩木いはき山が小さく見えて居る。

青森から藝妓連げいしやづれの遊客が歌うて曰く、一夜添うてもチマはチマ。

五歳いつゝの鶴子初めて鴎を見て曰く、阿母おかあさん、白い烏が飛んで居るわねえ。

旅泊のつれ〲に、濱から拾うて來た小石で、子供一人成人おとな二人でおはじきをする。余が十歳の夏、父母に伴はれて舟で薩摩境の祖父を見舞に往つた時、唯たつた二十五里の海上を、風が惡くて天草の島に彼此十日も舟がかりした。昔話も聞き盡し、永い日を暮らしかねて、六十近い父と、五十近い母と、十歳の自分で、小石を拾うておはじきをした。今日不器用な手に小石を數へつゝ、不圖其事を思ひ出した。

海岸を歩けば、帆立貝の殼が山の如く積んである。淺蟲で食つたものの中で、帆立貝の柱の天麩羅はうまいものであつた。海濱隨處に玫瑰まいくわいの花が紫に咲き亂れて汐風に香る。

野糞のぐそ放ひる外が濱邊や玫瑰花まいくわいくわ

大沼

(一)

津輕つがる海峽を四時間に駛せて、余等を青森から函館へ運んでくれた梅ヶ香丸は、新造の美しい船であつたが、船に弱い妻は到頭醉うて了うた。一夜函館埠頭の朴きと旅館に休息しても、まだ頭が痛いと云ふ。午後の汽車で、直ぐ大沼へ行く。

函館停車場は極粗朴な停車場である。待合室では、眞赤に喰ひ醉うた金襴の袈裟の坊さんが、佛蘭西フランス人らしい髯の長い宣教師を捉へて、色々管を捲いて居る。宣教師は笑ひながら好い加減にあしらつて居る。

札幌さつぽろ行の列車は、函館はこだての雜沓をあとにして、桔梗、七飯なゝえと次第に上つて行く。皮をめくる樣に頭が輕くなる。臥牛山ぐわぎうざんを心しんにした巴形ともゑなりの函館が、鳥瞰圖てうかんづを展べた樣に眼下に開ける。

「眼に立つや海青々と北の秋」左の窓から見ると、津輕海峽の青々とした一帶の秋潮を隔てゝ、遙に津輕の地方が水平線上に浮いて居る。本郷へ來ると、彼醉僧すゐそうは汽車を下りて、富士形の黒帽子を冠り、小形の緑絨氈みどりじうたんのカバンを提げて、蹣跚まんさんと改札口を出て行くのが見えた。江刺えさしへ十五里、と停車場の案内札に書いてある。函館から一時間餘にして、汽車は山を上り終へ、大沼驛を過ぎて大沼公園に來た。遊客の爲に設けた形かたばかりの停車場である。ここで下車。宿引が二人待つて居る。余等は導かれて紅葉館の旗を艫ともに立てた小舟に乘つた。宿引は一禮して去り、船頭は軋ぎいと櫓聲を立てゝ漕ぎ出す。

黄金色に藻の花の咲く入江を出ると、廣々とした沼の面、絶えて久しい赤禿の駒が岳が忽眼前に躍り出た。東の肩からあるか無いかの煙が立上のぼつて居る。余が明治三十六年の夏來た頃は、汽車はまだ森までしかかゝつて居なかつた。大沼公園にも粗末な料理屋が二三軒水際みぎはに立つて居た。駒が岳の噴火も其後の事である。然し汽車は釧路くしろまで通うても、駒が岳は噴火しても、大沼其ものは舊に仍つて晴々した而して寂かな眺である。時は九月の十四日、然し沼のあたりのイタヤ楓はそろ〱染めかけて居る。處々楢ならや白樺しらかばにからむだ山葡萄の葉が、火の樣に燃えて居る。空氣は澄み切つて、水は鏡の樣だ。夫婦島めをとじまの方に帆舟が一つ駛はしつて居る。櫓聲靜に我舟の行くまゝに、鴨が飛び、千鳥が飛ぶ。やがて舟は一の入江に入つて、紅葉館の下に着いた。女中が出迎へる。夥しくイタヤ楓の若木を植ゑた傾斜を上つて、水に向ふ奧の一間に案内された。

都の紅葉館は知らぬが、此紅葉館は大沼に臨み、駒が岳に面し、名の如く無數の紅葉樹に圍まれて、瀟洒さつぱりとした紅葉館である。殊に夏の季節も過ぎて、今は宿もひつそりして居る。薪を使つて鑛泉に入つて、古めかしいランプの下、物靜かな女中の給仕で沼の鯉、鮒の料理を食べて、物音一つせぬ山の上、水の際の靜かな夜の眠に入つた。

眞夜中にごろ〱と雷が鳴つた。雨戸の隙から電が光つた。而して颯ざあと雨の音がした。起きて雨戸を一枚繰つて見たら、最早もう月が出て、沼の水に螢の樣に星が浮いて居た。

(二)

明方にはまたぽつ〱降つて居たが、朝食を食ふと止むだ。小舟で釣に出かける。汽車の通ふセバツトの鐵橋の邊あたりに來ると、また一しきりざあと雨が來た。鐵橋の蔭に舟を寄せて雨宿りする間もなく、雨は最早過ぎて了うた。此邊は沼の中でもやゝ深い。小沼の水が大沼に流れ入るので、水は川の樣に動いて居る。いくら釣つても、目ざす鮒はかゝらず、ゴタルと云ふ魦はぜの樣な小魚ばかり釣れる。舟を水草みづくさの岸に着けさして、イタヤの薄紅葉の中を彼方此方あちこちと歩いて見る。下生したばえを奇麗に拂つた自然の築山、砂地の踏心地もよく、公園の名はあつても、あまり人巧の入つて居ないのがありがたい。駒が岳のよく見える處で、三脚を据ゑて、十八九の青年が水彩寫生をして居た。駒が岳に雲が去來して、沼の水も林も倏忽たちまちの中に翳かげつたり、照つたり、見るに面白く、寫生に困難らしく思はれた。時が移るので、釣を斷念し、また舟に上つて島めぐりをする。大沼の周圍めぐり八里、小沼を合せて十三里、昔は島の數が大小百四十餘もあつたと云ふ。中禪寺の幽凄いうせいでもなく、霞が浦の淡蕩たんたうでもなく、大沼は要するに水を淡水にし松を楢白樺其他の雜木にした松島である。沼尻は瀑たきになつて居る。沼には鯉、鮒、鰌どぜうほか産しない。今年銅像を建てたと云ふ大山島、東郷島がある。昔此邊の領主であつたと云ふ武家の古い墓が幾基いくつも立つて居る島もあつた。夏は好い遊び場であらう。今は寂しいことである。それでも、學生の漕いで行く小さなボートの影や、若い夫婦の遊山舟も一つ二つ見えた。舟を唯有とある岸に寄せて、殊に美しい山葡萄の紅葉を摘むで宿に歸つた。

午後は畫はがきなど書いて、館の表門から陸路停車場に投函に往つた。軟らかな砂地に下駄を踏み込んで、葦やさまざまの水草の茂つた入江の假橋を渡つて行く。やゝ色づいた樺、楢、イタヤ、などの梢から尖つた頭の赭い駒が岳が時々顏を出す。寂しい景色である。北海道の氣が總身にしみて感ぜられる。

夕方館の庭から沼に突き出た岬の𡽶はなで、細君が石に腰かけて記念に駒が岳の寫生をはじめた。余は鶴子と手帖の上を見たり、附近あたりの林で草花を折つたり。秋の入り日の瞬またゝく間に落ちて、山影水光見るが中に變つて行く。夕日の名殘をとどめて赭く輝やいた駒が岳の第一峯が灰がかつた色に褪めると、つい前の小島も紫から紺青に變つて、大沼の日は暮れて了うた。細君はまだスケツチの筆を動かして居る。黯青あんせいに光る空。白く光る水。時々ポチヤンと音して、魚がはねる。水際みぎはの林では、宿鳥ねどりが物に驚いてがさがさ飛び出す。ブヨだか蚊だか小さな聲で唸つて居る。

「到頭出來なかつた」

ぱたんと畫具箱の葢をして、細君は立ち上つた。鶴子を負ふ可く、蹲しやがむで後にまはす手先に、ものが冷やりとする。最早露が下りて居るのだ。

札幌へ

九月十六日。大沼を立つ。駒が岳を半周して、森に下つて、噴火灣の晴潮を飽かず汽車の窓から眺める。室蘭むろらん通ひの小さな汽船が波にゆられて居る。汽車は駒が岳を背うしろにして、ずうと噴火灣に沿うて走る。長萬部をしやまんべ近くなると、灣を隔てゝ白銅色の雲の樣なものをむら〱と立てゝ居る山がある。有珠山うずさんです、と同室の紳士は教へた。

灣をはなれて山路にかゝり、黒松内くろまつないで停車蕎麥を食ふ。蕎麥の風味が好い。蝦夷えぞ富士〻〻〻〻と心がけた蝦夷富士を、蘭越驛らんこしえきで仰ぐを得た。形容端正、絶頂まで樹木を纏うて、秀潤しうじゆんの黛色たいしよく滴したゝるばかり。頻しきりに登つて見たくなつた。車中知人O君の札幌農科大學に歸るに會つた。夏期休暇に朝鮮漫遊して、今其歸途である。余市よいちに來て、日本海の片影を見た。余市は北海道林檎の名産地。折からの夕日に、林檎畑は花の樣な色彩を見せた。あまり美しいので、賣子が持て來た網嚢あみぶくろ入のを二嚢買つた。

O君は小樽をたるで下り、余等は八時札幌に着いて、山形屋に泊つた。

中秋

十八日。朝、旭川あさひがはへ向けて札幌を立つ。

石狩平原いしかりへいげんは、水田已に黄ばむで居る。其間に、九月中旬まだ小麥の收穫をして居るのを見ると、また北海道の氣もちに復かへつた。

十時、汽車は隧道とんねるを出て、川を見下ろす高い崖上の停車場にとまつた。神居古潭かむゐこたんである。急に思立つて、手荷物諸共遽あわてゝ汽車を下りた。

改築中で割栗石わりぐりいし狼藉とした停車場を出で、茶店さてんで人を雇うて、鶴子と手荷物を負はせ、急勾配の崖を川へ下りた。暗緑色の石狩川が汪々わう〱と流れて居る。兩岸から鐵線はりがねで吊つたあぶなげな假橋が川を跨げて居る。橋の口に立札がある。文言を讀めば、曰く、五人以上同時に渡る可からず。

恐おづ〱橋板を踏むと、足の底がふわりとして、一足毎に橋は左右に前後に上下に搖れる。飛騨山中、四國の祖谷いや山中などの藤蔓の橋の渡り心地がまさに斯樣こんなであらう。形ばかりの銕線はりがねの欄てすりはあるが、つかまつてゆる〱渡る氣にもなれぬ。下の流れを見ぬ樣にして一息に渡つた。橋の長さ二十四間。渡り終つて一息ついて居ると、炭俵を負うた若い女が山から下りて來たが、佇む余等に横目をくれて、飛ぶが如く彼吊橋を渡つて往つた。

山下道を川に沿うて溯さかのぼること四五丁餘、細い煙突から白い煙を立てゝ居る木羽葺こつぱぶきのきたない家に來た。神居古潭かむゐこたんの鑛泉宿である。取りあへず裏二階の無縁疊へりなしだゝみの一室に導かれた。やがて碁をうつて居た旭川の客が歸つて往つたので、表二階の方に移つた。硫黄いわうの臭がする鑛泉に入つて、二階にくつろぐ。麥稈帽むぎわらばうの書生三人、庇髮の女學生二人、隣室に遊びに來たが、次ぎの汽車で直ぐ歸つて往つた。石狩川の音が颯々さあ〱と響く。川向ふの山腹の停車場で、鎚音高く石を割つて居る。囂がうと云ふ響をこだまにかへして、稀に汽車が向山を通つて行く。寂しい。晝飯に川魚をと注文したら、石狩川を前に置いて、罐詰の筍たけのこの卵とぢなど食はした。

飯後はんご神居古潭を見に出かける。少し上流の方には夫婦岩めをといはと云ふ此邊の名勝があると云ふ。其方へは行かず、先刻さつき渡つた吊橋の方へ行つて見る。橋の上手には、楢の大木が五六本川面へ差かゝつて居る。其蔭に小さな小屋がけして、杣そまが三人停車場改築工事の木材を挽ひいて居る。橋の下手には、青石峨々たる岬角かふかくが、橋の袂から斜に川の方へ十五六間突出て居る。余は一人尖つた巖角がんかくを踏み、荊棘けいきよくを分け、岬の突端に往つた。岩間には其處此處水溜があり、紅葉した蔓草つるくさが岩に搦むで居る。出鼻に立つて眺める。川向ふ一帶、直立三四百尺もあらうかと思はるゝ雜木山が、水際から屏風を立てた樣に聳えて居る。其中腹を少しばかり切り拓いて、こゝに停車場が取りついて居る。檣ほばしらの樣な支柱を水際の崖から隙間もなく並べ立てゝ、其上に停車場は片側乘つて居るのである。停車場の右も左も隧道とんねるになつて居る。汽車が百足むかでの樣に隧道を這ひ出して來て、此停車場に一息つくかと思ふと、またぞろぞろ這ひ出して、今度は反對の方に黒く見えて居る隧道の孔に吸はるる樣に入つて行く。向ふ一帶の雜木山は、秋まだ淺くして、見る可き色もない。眼は終に川に落ちる。丁餘の上流では白波の瀬をなして騷いだ石狩川も、こゝでは深い青黝あをぐろい色をなして、其處此處に小さな渦を卷き〱彼吊橋の下を音もなく流れて來て、一部は橋の袂から突出た巖に礙さまたげられてこゝに淵を湛へ、餘の水は其まゝ押流して、余が立つて居る岬角を摩すつて、また下手對岸の蒼黒い巖壁にぶつかると、全川の水は捩ぢ曲げられた樣に左に折れて、また滔々と流して行く。去年の出水には、石狩川が崖上の道路を越して鑛泉宿まで來たさうだ。此窄せまい山の峽を深さ二丈も其上もある泥水が怒號して押下つた當時の凄じさが思はれる。今は其れ程の水勢は無いが、水を見つめて居ると流石に凄い。橋下の水深は、平常ふだん二十餘尋。以前は二間もある海の鯊さめがこゝまで上つて來たと云ふ。自然兒のアイヌがさゝげた神居古潭かむゐこたんの名も似つかはしく思はれる。

夕飯後、ランプがついて戸がしまると、深い深い地の底にでも落ちた樣で、川音がます〱耳について寂しい。宿から萩の餅を一盂ひとはちくれた。今宵は中秋十五夜であつた。北海道の神居古潭で中秋に逢ふも、他日の思出の一であらう。雨戸を少しあけて見たら、月は生憎雲をかぶつて、朦朧まうろうとした谷底を石狩川が唯颯さあ、颯さあと鳴つて居る。

名寄

九月十九日。朝神居古潭かむゐこたんの停車場から乘車。金襴の袈裟、紫衣しえ、旭川へ行く日蓮宗の人達で車室は一ぱいである。旭川で乘換へ、名寄なよろに向ふ。旭川からは生路せいろである。

永山ながやま、比布ぴつぷ、蘭留らんると、眺望ながめは次第に淋しくなる。紫蘇しそともつかず、麻でも無いものを苅つて畑に乾してあるのを、車中の甲乙たれかれが評議して居たが、薄荷はつかだと丙が説明した。

やがて天鹽てしほに入る。和寒わつさむ、劍淵けんぶち、士別しべつあたり、牧場かと思はるゝ廣漠たる草地一面霜枯れて、六尺もある虎杖いたどりが黄葉美しく此處其處に立つて居る。所謂泥炭地である。車内の客は何れも惜しいものだと舌鼓うつ。

余放吟して曰く、

泥炭地耕すべくもあらぬとふさはれ美し虎杖いたどりの秋

士別では、共樂座など看板を上げた木葉葺こつぱぶきの劇場が見えた。

午後三時過ぎ、現在の終點驛名寄なよろ着。丸石旅館に手荷物を下ろし、茶一ぱい飮んで、直ぐ例の見物に出かける。

旭川平原をずつと縮めた樣な天鹽川の盆地に、一握りの人家を落した新開町。停車場前から、大通りを鍵の手に折れて、木羽葺が何百か並むで居る。多いものは小間物屋、可なり大きな眞宗の寺、天理教會、清素な耶蘇教會堂も見えた。店頭みせさきで見つけた眞桑瓜を買うて、天鹽川に往つて見る。可なりの大川、深くもなさゝうだが、川幅一ぱい茶色の水が颯々さあ〱と北へ流れて居る。鐵線はりがねを引張つた渡舟がある。余等も渡つて、少し歩いて見る。多いものはブヨばかり。倒れ木に腰かけて、路をさし覆ふ七つ葉の蔭で、眞桑瓜まくはうりを剥いた。甘味の少ないは、爭はれぬ北である。最早日が入りかけて、薄ら寒く、秋の夕の淋しさが人少なの新開町を押かぶせる樣に四方から包むで來る。二ふたたび川を渡つて、早々宿に歸る。町の眞中を乘馬の男が野の方から駈かけを追うて歸つて來る。馬蹄の音が名寄中に響き渡る。

宿の主人は讚岐さぬきの人で、晩食の給仕に出た女中は愛知の者であつた。隣室には、先刻馬を頼むで居た北見の農場に歸る男が、客と碁をうつて居る。按摩の笛が大道を流して通る。

春光臺

明治三十六年の夏、余は旭川まで一夜泊の飛脚旅行に來た。其時の旭川は、今の名寄よりも淋しい位の町であつた。降りしきる雨の中を車で近文ちかぶみに往つて、土産話にアイヌの老酋らうしうの家を訪うて、イタヤのマキリなぞ買つて歸つた。余は今車の上から見𢌞して、當年のわびしい記憶を喚起よびおこさうとしたが、明治四十三年の旭川から七年前の旭川を見出すことは成功しなかつた。

余等は市街を出ぬけ、石狩川を渡り、近文のアイヌ部落を遠目に見て、第七師團の練兵場を横ぎり、車を下りて春光臺しゆんくわうだいに上つた。春光臺は江戸川を除いた旭川の鴻こうの臺だいである。上川原野かみかはげんやを一目に見て、旭川の北方に連壘の如く蟠居ばんきよして居る。丘上は一面水晶末の樣な輝々きら〱する白砂、そろそろ青葉の縁ふちを樺に染めかけた大きな檞樹かしはのきの間を縫うて、幾條の路がうねつて居る。直ぐ眼下は第七師團である。黒くろずむだ大きな木造の建物、細長い建物、一尺の馬が走つたり、二寸の兵が歩いたり、赤い旗が立つたり、喇叭らつぱが鳴つたりして居る。日露戰爭凱旋當時、此丘上をかのうへに盛大な師團招魂祭があつて、芝居、相撲、割れる樣な賑合にぎはひの中に、前夜戀人の父から絶縁の一書を送られて血を吐く思の胸を抱いて師團の中尉寄生木やどりぎの篠原良平が見物に立まじつたも此春光臺であつた。

余は見𢌞はした。丘の上には余等の外に人影も無く、秋風がばさり〱檞かしはの葉を搖うごかして居る。

春光臺腸はらわた斷たちし若人を

偲びて立てば秋の風吹く

余等は春光臺を下りて、一兵卒に問うて良平が親友小田中尉の女氣無しの官舍を訪ひ、暫らく良平を語つた。それから良平が陸軍大學の豫備試驗に及第しながら都合上後𢌞はしにされたを憤いきどほつて、硝子窓を打破つたと云ふ、最後に住むだ官舍の前を通つた。其は他の下級將校官舍の如く、板塀に圍はれた見すぼらしい板葺の家で、垣の内には柳が一本長々と枝を垂れて居た。失戀の彼が苦しまぎれに渦卷の如く無暗に歩き𢌞つた練兵場は、曩日なうじつの雨で諸處水溜りが出來て、紅と白の苜蓿うまごやしの花が其處此處に叢むらをなして咲いて居た。

釧路

(一)

旭川に二夜ふたよ寢て、九月二十三日の朝釧路くしろへ向ふ。釧路の方へは全くの生路である。

昨日石狩嶽に雪を見た。汽車の内も中々寒い。上川原野かみかはげんやを南方へ下つて行く。水田が黄ばむで居る。田や畑の其處此處に燒け殘りの黒い木の株が立つて居るのを見ると、開け行く北海道にまだ死に切れぬアイヌの悲哀かなしみが身にしみる樣だ。下富良野しもふらので青い十勝岳とかちだけを仰ぐ。汽車はいよいよ夕張と背合はせの山路に入つて、空知川そらちがはの上流を水に添うて溯さかのぼる。砂白く、水は玉よりも緑である。此邊は秋已に深く、萬樹霜を閲けみし、狐色になつた樹々の間に、イタヤ楓は火の如く、北海道の銀杏なる桂は黄の焔を上げて居る。旭川から五時間餘走つて、汽車は狩勝驛かりかちえきに來た。石狩十勝の境である。余は窓から首を出して左の立札を見た。

狩勝停車場

海抜一千七百五十六呎フイート、一二

狩勝トンネル

延長參千九呎フイート六吋インチ

釧路くしろ百十九哩まいる八分ぶ

旭川七十二哩三分

札幌百五十八哩六分

函館三百三十七哩五分

室蘭二百二十哩

三千呎フイートの隧道とんねるを、汽車は石狩から入つて十勝へ出た。此れからは千何百呎の下りである。最初蝦夷松椴松の翠みどりに秀であるひは白く立枯るゝ峯を過ぎて、障るものなき邊あたりへ來ると、軸物の大俯瞰圖のする〱と解けて落ちる樣に、眼は今汽車の下りつゝある霜枯の萱山かややまから、青々とした裾野につゞく十勝の大平野を何處までもずうと走つて、地と空と融け合ふ邊あたりにとまつた。其處に北太平洋が潛むで居るのである。多くの頭が窓から出て眺める。汽車は尾花の白く光る山腹を、波状を描いて蛇の樣にのたくる。北東の方には、石狩、十勝、釧路、北見の境上に蟠わだかまる連嶺が青く見えて來た。南の方には、日高境の青い高山が見える。汽車は此等の山を右の窓から左の窓へと幾囘か轉換して、到頭平野に下りて了うた。

當分は檞かしはの林が迎へて送る。追々大豆畑が現はれる。十勝は豆の國である。旭川平原や札幌深川間の汽車の窓から見る樣な水田は、まだ十勝に少ない。帶廣おびひろは十勝の頭腦、河西かさい支廳の處在地、大きな野の中の町である。利別としべつから藝者雛妓おしやくが八人乘つた。今日網走あばしり線の鐵道が㓐別りくんべつまで開通した其開通式に赴くのである。池田驛は網走線の分岐點、球燈、國旗、滿頭飾をした機關車なども見えて、眞黒な人だかりだ。汽車はこゝで乘客の大部分を下ろし、汪々わう〱たる十勝川の流れに暫くは添うて東へ走つた。時間が晩おくれて、浦幌うらほろで太平洋の波の音を聞いた時は、最早車室の電燈がついた。此處から線路は直角をなして北上し、一路斷續海の音を聞きつゝ、九時近くくたびれ切つて釧路に着いた。車に搖られて、十九日の缺月を横目に見ながら、夕汐白く漫々たる釧路川に架した長い長い幣舞ぬさまひ橋を渡り、輪島屋と云ふ宿に往つた。

(二)

あくる日飯を食ふと見物に出た。釧路町は釧路川口の兩岸に跨またがつて居る。停車場所在の側は平民町で、官廳、銀行、重なる商店、旅館等は、大抵橋を渡つた東岸にある。東岸一帶は小高い丘をなして自おのづから海風をよけ、幾多の人家は水の畔はたから上段かけて其蔭に群がり、幾多の舟船は其蔭に息いこうて居る。余等は辨天社から燈臺の方に上つた。釧路川と太平洋に挾まれた半島の岬端で、東面すれば太平洋、西面すれば釧路灣、釧路川、釧路町を眼下に見て、當面には海と平行して長く延いた丘の上、水色に冴えた秋の朝空に間あはひ隔てゝ二つ列むだ雄阿寒をあかん、雌阿寒めあかんの秀色を眺める。灣には煙立つ汽船、漁舟が浮いて居る。幣舞ぬさまひ橋には蟻の樣に人が渡つて居る。北海道東部第一の港だけあつて、氣象頗雄大である。今日人を尋ぬ可く午前中に釧路を去らねばならぬので、見物は匇々そこ〱にして宿に歸る。

茶路

北太平洋の波の音の淋しい釧路くしろの白糠しらぬか驛で下りて、宿の亭主を頼み村役場に往つて茶路ちやろに住むと云ふM氏の在否を調べて貰ふと、先には居たが、今は居ない、行方は一切分からぬと云ふ。兎も角も茶路に往つて尋ねる外はない。妻兒を宿に殘して、案内者を頼み、ゲートル、運動靴、洋傘かさ一柄いつぺい、身輕に出かける。時は最早午後の二時過ぎ。茶路までは三里。歸りはドウセ夜に入ると云ふので、余はポツケツトに懷中電燈を入れ、案内者は夜食の握飯と提灯を提げて居る。

海の音を背うしろに、鐵道線路を踏切つて、西へ槍の柄の樣に眞直につけられた大路を行く。左右は一面じめ〱した泥炭地で、反魂香はんごんかうの黄や澤桔梗の紫や其他名を知らぬ草花が霜枯れかゝつた草を彩どつて居る。煙草の火でも落すと一月も二月もぷす〱燻くすぶつて居ます、と案内者が云ふ。路の一方にはトロツコのレールが敷かれてある。其處此處で人夫がレールや枕木を取りはづして居る。

「如何どうするのかね」

「何、安田の炭鑛へかゝつてたんですがね。エ、二里ばかり、あ、あの山の陰になつてます。エ、最早廢よしちやつたんです」

案内者は斯かう云つて、仲に立つた者が此レールを請負つて、一間ばかりの橋一つにも五十圓の、枕木一本が幾圓のと、不當な儲をした事を話す。枕木は重にドス楢で、北海道に栗は少なく、釧路などには栗が三本と無いが、ドス楢は堅硬にして容易に朽ちず栗にも劣らぬさうである。

案内者は水戸みとの者であつた。五十そこらの氣輕さうな男。早くから北海道に渡つて、近年白糠に來て、小料理屋をやつて居る。

「隨分色々な者が入り込むで居るだらうね」

「エ、其りや色々な手合が來てまさア」

「隨分破落戸ならずものも居るだらうね」

「エ、何、其樣そうでもありませんが。――一人困つた奴が居ましてな。よく強淫をやりアがるんです。成る可く身分の好い人のかみさんだの娘だのをいくんです。身分の好い人だと、成丈外聞のない樣にしますからな。何時ぞやも、農家の娘でね、十五六のが草苅りに往つてたのを、奴が捉つらまへましてな。丁度其處に木を伐りに來た男が見つけて、大騷ぎになりました。――其奴ですか。到頭村から追ひ出されて、今では大津に往つて、漁場を稼いで居るつてことです」

山が三方から近く寄つて來た。唯有とある人家に立寄つて、井戸の水をもらつて飮む。桔〔「槹」の「白」に代えて「自」〕はねつるべの釣瓶つるべはバケツで、井戸側は徑わたり三尺もある桂の丸木の中をくりぬいたのである。一丈餘もある水際までぶつ通しらしい。而して水はさながら水晶である。まだ此邊までは耕地は無い。海上のガス即ち霧が襲うて來るので、根菜類は出來るが、地上に育つものは穀物蔬菜何も出來ず、どうしても三里内地に入らねば麥も何も出來ないのである。

鹿の角を澤山背負うて來る男に會うた。茶路川の水涸れた川床が左に見えて來た。

二里も來たかと思ふ頃、路は殆んど直角に右に折れて居る。最早茶路の入口だ。路傍に大きな草葺の家がある。

「一寸休むで往きましようかな」と云つて、案内者が先に立つて入る。

大きな爐をきつて、自在に大藥罐の湯がたぎつて居る。煤けた屋根裏からつりさげた藁苞わらつとに、燒いた小魚の串がさしてある。柱には大きなぼン〱が掛つて居る。廣くとつた土間の片隅は棚になつて、茶碗、皿、小鉢の類が多くのせてある。

額の少し禿げた天神髯の五十位の男が出て來た。案内者と二三の會話がある。

「茶路は誰を御訪ねなさるンですかね」

余はMの名を云つた。

「あ、Mさんですか。Mさんなれば最早もう茶路には居ません。昨年越しました。今は釧路に居ます。釧路の西幣舞にしぬさまひ町です。葬儀屋をやつてます。エ、エ、俺わたしとは極ごく懇意で、つい先月も遊びに往つて來ました」

と云つて、主は戸棚から一括した手紙はがきを取り出し、一枚づゝめくつて、一枚のはがきを取り出して見せた。まさしく其人の名がある。

「かみさんも一緒ですかね?」

實は彼は内地の郷里に妻子を置いて、渡道したきり、音信不通だが、風のたよりに彼地で妻を迎へて居ると云ふことが傳へられて居るのであつた。

「エ、かみさんも一緒に居ます。子供ですか、子供は居ません。たしか大きいのが滿洲に居るとか云ふことでしたつけ」

案外早く埓が明いたので、余は禮を云つて、直ぐ白糠しらぬかへ引かへした。

「分かつてようございました。エ、彼人あのひとですか、たしか淡路あはぢの人だと云ひます。飯屋をして、大分儲けると云ふことです」と案内者は云うた。

白糠しらぬかの宿に歸ると、秋の日が暮れて、ランプの蔭に妻兒が淋しく待つて居た。夕飯を食つて、八時過ぎの終列車で釧路に引返へす。

北海道の京都

釧路で尋ぬるM氏に會つて所要を果し、翌日池田を經て㓐別りくんべつに往つて此行第一の目的なる關寛翁訪問を果し、滯留六日、旭川一泊、小樽一泊して、十月二日二ふたたび札幌に入つた。

往きに一晝二夜、復へりに一晝夜、皮相を瞥見した札幌は、七年前に見た札幌とさして相違を見出す事が出來なかつた。耶蘇教信者が八萬の都府とふに八百からあると云ふ。唯一臺來た自動車を市の共議で排斥したと云ふ。二日の夜は獨立教會でT牧師の説教を聞いて山形屋に眠り、翌日はT君、O君等と農科大學を見に往つた。博物館で見た熊の胃から出たアルコール漬の父親の手子供の手は、余の頭を痛くした。明治十四五年まで此札幌の附近にまだ熊が出沒したと思へば、北海道も開けたものである。宮部博士の説明で二三植物標本を見た。樺太の日露國境の邊で採收して新に命名された紫のサカイツツジ、其名は久しく聞いて居た冬蟲夏草とうちうかさう、木の髓を腐らす猿の腰かけ等。それから某君によりて昆蟲の標本を示され、美しい蝶、命短い蜉蝣ふいうの生活等につき面白い話を聞いた。楡にれの蔭うつ大學の芝生、アカシヤの茂る大道の並木、北海道の京都札幌は好い都府である。

余等は其日の夜汽車で札幌を立ち、あくる一日を二たび大沼公園の小雨こさめに遊び暮らし、其夜函館に往つて、また梅が香丸で北海道に惜しい別れを告げた。

津輕

青森に一夜明して、十月六日の朝弘前ひろさきに往つた。

津輕つがるは今林檎王國の榮華時代である。弘前の城下町を通ると、ケラを被て目かご背負うた津輕女つがるめも、草履はいて炭馬をひいた津輕男も、林檎喰ひ〱歩いて居る。代官町の大一と云ふ店で、東京に二箱仕出す。奧深い店は、林檎と、箱と、巨鋸屑おがくづと、荷造りする男女で一ぱいであつた。

古い士族町、新しい商業町、場末のボロ町を通つて、岩木川を渡り、城北三里板柳村の方へ向うた。まだ雪を見ぬ岩木山いはきやまは、十月の朝日に桔梗の花の色をして居る。山を繞つて秋の田が一面に色づいて居る。街道は斷續榲桲まるめろの黄な村、林檎の紅い畑を過ぎて行く。二時間ばかりにして、岩木川の長橋を渡り、田舍町には家並の揃うて豐らしい板柳いたやな村に入つた。

板柳村のY君は、林檎園の監督をする傍、新派の歌をよみ文藝を好む人である。一二度粕谷の茅廬にも音づれた。余等はY君の家に一夜厄介になつた。文展で評判の好かつた不折ふせつの「陶器つくり」の油繪、三千里の行脚あんぎやして此處にも滯留した碧梧桐「花林檎」の額、子規、碧、虚の短册、與謝野夫妻、竹柏園社中の短册など見た。十五町歩の林檎園に、撰屑よりくづの林檎の可惜あたら轉がるのを見た。種々の林檎を味はうた。夜はY君の友にして村の重立たる人々にも會うた。余はタアナア水彩畫帖をY君に贈り、其フライリーフに左の出たらめを書きつけた。

林檎朱あけに榲桲まるめろ黄なる秋の日を

岩木山下いはきさんかに君とかたらふ

あくる朝は早く板柳いたやな村を辭した。岩木川の橋を渡つて、昨夜會面した諸君に告別し、Y君の案内により大急ぎで舞鶴城へかけ上り、津輕家祖先の甲胃の銅像の邊から岩木山を今一度眺め、大急ぎで寫眞をとり、大急ぎで停車場にかけつけた。Y君も大鰐おほわにまで送つて來て、こゝに袂を分つた。余等はこれから秋田、米澤、福島を經て歸村す可く汽車の旅をつゞけた。

底本 / Source edition

底本:「現代日本紀行文学全集 北日本編」ほるぷ出版
1976(昭和51)年8月1日初版発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※底本では作者名を「徳富蘆花」としています。
入力:林 幸雄
校正:門田裕志、小林繁雄
2005年8月20日作成
青空文庫作成ファイル:
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リリース / Release
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TEI
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プレーンテキスト / Plain text
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書誌 / Bibliography
/works/018326_000280/

徳冨 蘆花「熊の足跡」(旧字旧仮名)、底本『現代紀行文学全集 北日本編』ほるぷ出版、1976年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 018326_000280, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

引用のしかた / How to cite