Soranoha

西大寺の伎芸天女

さいだいじのぎげいてんにょ

薄田 泣菫

私は西大寺をたづねて、一わたり愛染堂の寶物を見終つた。

「寶物はもうこれでお終ひどす。」

と、ぶつきら棒に言ひすてたまま、年つ喰ひの、ちんちくりんな西大寺の小僧は、先へ立つてさつと廊下へ出掛けて行つたが、つとまた後がへりをして、

「あ、忘れとりました。此處におゐでやすのが、伎藝天女さんどす。」

薄闇い片隅に向き直つて、小生意氣に大人のやうにぐつと顎をしやくつて見せる。

それは佛像だの、位牌だの、ごたくさと置き竝べたなかに、煤塗すすまみれになつたちつぽけな御厨子で蝶番ひの脱れかかつた隙間から覗いてみると、何やら得態の分らぬ佛體がつくねんと立つてゐる。屈み腰になつてじつと見入らうとするのを、突立つたままもどかしさうに見てゐた小僧は、さすがに氣の毒になつたかして、

「あ、一寸好い事がおすさかい。」

と言つて、すばしこく香盤の側へ飛んで行つたかと思ふと、にこにこもので燐寸マツチを弄くりながら歸つて來た。默つて一本を磨ると、黄いろい光明がぱあつとあたりに射した。

塗の剥れかかつた扉の影を半身に受けながら、輪郭のはつきりした顏が、くつきりと御厨子の暗に浮出して來た。切長の眼は心もち伏目に、ひ弱な火影の煽るに連れて、おどおどした、どうやら少しはにかんだ調子が見える。私はその容子が知人の誰かに似てゐるやうに思つて、まじまじと見入つてゐると、火は容赦なく段々と手元に燃え移つて來たかして、小僧は、

「あつ………………」

と仰山に叫んで、慌てて指につまんだ燃えさしを取り落したので、佛の顏はまたもうす暗い闇ににじみ込んでしまつた。

灯はまた點された。

「どうぞこころもち下げて…………」

と言ふと、小僧は面倒臭いといつた風に、ぐいと手元に押下げる。

…………胸から腰へかけての肉づきは、ふつくりとして如何にも氣持がよい。名高い秋篠寺のそれとは異つて、これは定つた型のやうに左手に天華を捧げ、右手はずつと膝に垂れて、心もち裾をからげてゐる。やはらかい衣の皺襞はするりと腰を滑つて、波のやうに足もとに流れてゐる。色彩の配合を見ようとして、煤ばんだ扉に額を押付けると、灯はまた消えかかる。臆病な小僧はやにはに燃殼を振り捨ててしまつた。――うす暗い闇に黴臭い香氣が、微かに鼻に沁み込んで來る。

私の見たところでは、この佛には別に際立つてこれといふ程の秀れた技術も無ければ、人の心を引き入れるやうな力にも乏しい。が、それでも一度は人間の生活と技能の力の源泉となつた事もあつたのである。しかし今となつては、その力のすべてはまたもとの人間自らに歸つて來て、人はもうさげすんだといつた風な――さうでなくとも、詰らないといつたやうな眼つきをして、この佛達に向ふやうになつて來た。思ふに人間には永久に若からうとする心の傾向が有る。偶像破壞はこれに伴ふ必然の努力で、私達の生活とその周圍とを通じて、どんな時にも、どんな處にも絶えず繰返されてゐる。してみれば、私は道樂者の物好きな眼で、天女の姿を見入つたほかに、も一度虐殺者の氣持をもつて、このみじめな犧牲を見直さなければならぬ。――さうだ、さうでなくて、どこに新人の觀察があらうと、私はまた後を振りかへつた。

「どうかも一度……」

小僧はふくれつ面をして、口の内でぶつくさ呟きながら、やけに火を磨つた。ぱつと明りが射すと、佛の姿は流星のやうに現れて、やがてまたふつと消えてしまつた。さつきから肚の中で少し艴むくれてゐた、この年つ喰ひの惡戲者は、三度目の明りは磨るが早いか、すつかり燃え切らないうちに、さつさと放り捨ててしまつたので、燃殼の床にけし飛んだのを、きよときよとした顏つきで、皮膚の硬つぱしさうな踵でそつと踏み消してゐる。

死にかかつた佛の御蔭で、あのちんちくりんな躯を養つてゐる西大寺の小僧は、とんだ所でまぐれあたりに御爲奉公をした譯で、第三の明りでは、私はなんともつかぬあやふやな感じを得たに止まつた。が、しかし世の中はすべてかうしたもので、蝉や小禽の死骸が、滅多に私達の眼に見つからないやうに、神も佛も人知れずこつそり亡くなつてゐるので、お蔭で私達も氣持を惡くせずに濟むのかも知れない。して見れば私は二重にお慈悲を蒙つたやうな次第……………………

私は默つて寺を出て來た。

底本 / Source edition

底本:「現代日本紀行文学全集 西日本編」ほるぷ出版
1976(昭和51)年8月1日初版発行
底本の親本:「薄田泣菫全集 第八巻」創元社
1939(昭和14)年刊行
初出:「新小説」
1908(明治41)年10月
入力:林 幸雄
校正:門田裕志
2003年3月24日作成
青空文庫作成ファイル:
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書誌 / Bibliography
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薄田 泣菫「西大寺の伎芸天女」(旧字旧仮名)、底本『現代日本紀行文学全集 西日本編』ほるぷ出版、1976年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 016038_000150, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

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