Soranoha

男…は疲れている

おとこ…はつかれている

宮本 百合子

現在の、特に日本の、不調和な社会状態のうちに生活しているわれわれ、殊に、外部的交渉をおおく持つ男性が、心的、物質的に疲労しているということは、否めない一つの事実でしょう。不安定は、一般の経済状態を考えただけで、勤労と休息とのつり合が、如何程まで破れているかあきらかだと思います。これに対して、物価調節、各家庭に対する節約宣伝のような、やや消極的方面の問題、また積極的には女性の自給自立、労銀等の問題から、根本に近い、社会主義上の諸問題が、惹起されます。これ等は、おもに流動する貨幣のみちびきかた、適当な配分を考究して、金によって支配される、生活に必須な物質方面から、人間生活を正当なものに落ち付けて行こうとするのではないでしょうか。けれども、私が、深く疑問に思うことは、それ等の諸問題が学理的に解決されただけで、男性のみならず、総て、現代の人間が持つ、疲労、浅い精神の活動状態が、恢復されるかどうか、という点です。言をかえていえば、それ等社会学、経済学的原則が実行に移されようとする時、乾坤一擲、新たな生命を以て、しんからうまれ変らなければならない根性が、人間の、人生に向かう態度のうちにあるのではないだろうか。その根性がある為に、時代から時代へと、今日まで社会の状態は不自然になり、自己の無反省な慾望の築き上げた塔に、かえって、今幽閉されることになったのではないか、と思うのです。なぜなら、昔から、人類がやっと文字を発明した時代から、真個に人間の生きている意味、子から子へと絶えない愛を以てまもり、懐きあこがれる、真理の追求の為に、身を捧げて人生に対した少数の人々は、決して、「わたしは人生につかれた、暮しがつらい」とはいいませんでした。うまれた甲斐には、ねらうべき点を、間ちがえず見つめ、生活内部の軽重ということを、はっきり知っていた。彼れ等の一人も、ため込む為に、金がほしいとは思わなかったでしょう。あの女を俺のものにするには、金がいる、とも考えはしなかったでしょう。或る程度までは、自然というか或いは自然律と人間との相互的関係とでもいうべきものがゆるやかで、人間の僭望、また下慾があまやかされて来た。けれども、今は、それ等が余り過度に根を張り、まず種を蒔いたもの――おおくの人間――自身が苦るしくてたえられない有様となって来たのではないでしょうか。どうにかして、真個の人間の生活に入らなければ生命がつづかない、これでは息がつけない、という所まで切迫して来た。若し、人類が、各人一つの心臓と共に、真剣な霊魂を与えられているなら、真実なものをつかもうとし、自分等の経た、少くとも或る部分のあやまりには気付かずにいられなくなって来たのです。それゆえ、殆ど、地球上全部の人間が、私は、今、新たな、もっと恒久普遍な価値を、生活の標準として見出だそうとつとめているのだと思います。一方からいうと、生活が苦るしく、疲れ、倒れるもののある位、当然であり、大きい目で見、謙譲に考えて、やむを得ない事であると感じます。一人として、過度な緊張からくる一種の疲労を感じないもののない程、我々人間は、人間の小細工でこしらえすぎた過去の文化に対して連帯責任を持っているし、他面から考えれば、そんなことを、都会人らしい感傷と女々しさでくどくどいっていられない、大切の時機に面しているとも思います。男や女という差別なく、たがいにしっかりたすけ合って、どうにか、この混乱のうちをぬけなければなりません。途中に、倒れるもののあるのは、この場合仕方がない。ただ、この先、おのおのの心のうちから、時々慈善事業に寄付でもすれば、富はいくら独専してもかまわない。悧巧に、経済状態を考え、子等さえ過剰にしなければ、自分の情慾に、何のはじも感じないでよい、というような、物の考えかたを根本から立てなおす為、私共は、力のかぎり、あきらかな光明と、素朴な叡智とをのぞみ、求めて行かなければならないのです。平静に思うと、真の愛と勇気とを以て人生に向かう時、私共の心から、つかれたもの、おとろえたものの存在が決してわすれられることはなくとも、意識の、真っ先に立って行く手を遮りはしないと思います。病人は実にあわれで見る目も苦るしい。けれども私共自身は、出来るだけ病から自分をまもらなければならない。或る人々の疲弊に対し、実にひとごとでなく感じ、考え、状態をよりよくする為につとめても、あのおのの心がけは、出来るだけすこやかに、たしかに、しかして、深い人生のよろこびの源となろうとするのが、真の道ではないかと思います。〔一九二二年十月〕

底本 / Source edition

底本:「宮本百合子全集 第三十巻」新日本出版社
1986(昭和61)年3月20日初版発行
初出:「東京日日マガジン」(「東京日日新聞」日曜附録)
1922(大正11)年10月29日号
入力:柴田卓治
校正:土屋隆
2007年8月14日作成
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書誌 / Bibliography
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宮本 百合子「男…は疲れている」(新字新仮名)、底本『宮本百合子全集 第三十巻』新日本出版社、1986年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 015955_000311, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

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