ふぢばなのもとの根ざしは知らねども

枝をかはせる白と紫　　　　（晶子）

六条院の姫君が太子の宮へはいる<ruby><rb>仕度</rb><rt>したく</rt></ruby>でだれも繁忙をきわめている時にも、兄の宰相中将は物思いにとらわれていて、ぼんやりとしていることに自身で気がついていた。自身で自身がわからない気もする中将であった。どうしてこんなに<ruby><rb>執拗</rb><rt>しつよう</rt></ruby>にその人を思っているのであろう、これほど苦しむのであれば、二人の恋愛を認めてよいというほどに<ruby><rb>伯父</rb><rt>おじ</rt></ruby>が弱気になっていることも聞いていたのであるから、もうずっと以前から進んで昔の関係を復活さえさせればよかったのである。しかしできることなら、伯父のほうから正式に婿として迎えようと言って来る日までは昔の雪辱のために待っていたいと<ruby><rb>煩悶</rb><rt>はんもん</rt></ruby>しているのである。<ruby><rb>雲井</rb><rt>くもい</rt></ruby>の<ruby><rb>雁</rb><rt>かり</rt></ruby>のほうでも父の大臣の<ruby><rb>洩</rb><rt>も</rt></ruby>らした恋人の結婚話から苦しい物思いをしていた。もしもそんなことになったならもう永久に自分などは顧みられないであろうと思うと悲しかった。接近をしようとはせずに、しかもこの二人のしているのは熱烈な相思の恋であった。内大臣も<ruby><rb>甥</rb><rt>おい</rt></ruby>の価値をしいて認めようとせずに、結婚問題には冷淡な態度をとり続けてきたのであったが、雲井の雁の心は今も依然とその人にばかり傾いているのを知っては、親心として宰相中将の他家の息女と結婚するのを<ruby><rb>坐視</rb><rt>ざし</rt></ruby>するに忍びなくなった。話が進行してしまって、<ruby><rb>中務</rb><rt>なかつかさ</rt></ruby>の宮でも結婚の準備ができたあとでこちらの話を言い出しては中将を苦しめることにもなるし、自身の家のためにも不面目なことになって世上の話題にされやすい。秘密にしていても昔あった関係はもう人が皆知っていることであろう、何かの口実を作って、やはり自分のほうから負けて出ねばならないとまで大臣は決心するに至った。表面は何もないふうをしていても、あのことがあってからは心から親しめない間柄になっているのであるから、突然言い出すのも<ruby><rb>如何</rb><rt>いかが</rt></ruby>なものであると大臣ははばかられた。新しい婿迎えの形式をとるのも他人が見ておかしく思うことであろうから、そんなふうにはせずによい機会に直接話してみたほうがよいかもしれないなどと思っていたが、三月の<ruby><rb>二十日</rb><rt>はつか</rt></ruby>は大宮の<ruby><rb>御忌日</rb><rt>おんきじつ</rt></ruby>であって、極楽寺へ一族の<ruby><rb>参詣</rb><rt>さんけい</rt></ruby>することがあった。内大臣は子息たちを皆引き連れて行っていて、すばらしく権勢のある家のことであるから多数の高官たちも<ruby><rb>法会</rb><rt>ほうえ</rt></ruby>に参列したが、宰相中将はそうした高官たちに<ruby><rb>遜色</rb><rt>そんしょく</rt></ruby>のない堂々とした<ruby><rb>風采</rb><rt>ふうさい</rt></ruby>をしていて、<ruby><rb>容貌</rb><rt>ようぼう</rt></ruby>なども今が盛りなようにもととのっているのであるから、高雅な最も<ruby><rb>貴</rb><rt>とうと</rt></ruby>い若い<ruby><rb>朝臣</rb><rt>あそん</rt></ruby>と見えた。恨めしかったあの時以来、いつも内大臣と<ruby><rb>逢</rb><rt>あ</rt></ruby>うのは晴れがましいことに思われて、<ruby><rb>今日</rb><rt>きょう</rt></ruby>なども<ruby><rb>親戚</rb><rt>しんせき</rt></ruby>じゅうの長者としての敬意だけを十分に見せて、そしてきわめて冷静に落ち着いた態度をとっている宰相中将に、今日の内大臣は特に関心が持たれた。仏前の<ruby><rb>誦経</rb><rt>ずきょう</rt></ruby>などは源氏からもさせた。中将は最も愛された祖母の宮の法事であったから、経巻や仏像その他の供養のことにも<ruby><rb>誠心</rb><rt>まごころ</rt></ruby>をこめた奉仕ぶりを見せた。夕方になって参会者の次々に帰るころ、木の花は大部分終わりがたになって散り乱れた庭に<ruby><rb>霞</rb><rt>かすみ</rt></ruby>もよどんで春の末の哀愁の深く身にしむ<ruby><rb>景色</rb><rt>けしき</rt></ruby>を、大臣は顔を上げて母宮のおいでになった昔の日を思いながら、雅趣のある姿でながめていた。宰相中将も身にしむ夕べの気に仏事中よりもいっそうめいった心持ちになって、

「雨になりそうだ」

などと退散して行く人たちの言い合っている声も聞きながらなお庭のほうばかりがながめられた。好機会であるとも大臣は思ったのか、源中将の<ruby><rb>袖</rb><rt>そで</rt></ruby>を引き寄せて、

「どうしてあなたはそんなに私を憎んでいるのですか。今日の御法会の仏様の縁故で私の罪はもう許してくれたまえ。老人になってどんなに肉身が恋しいかしれない私に、あまり厳罰をあなたが加え過ぎるのも恨めしいことです」

などと言うと、中将は<ruby><rb>畏</rb><rt>かしこ</rt></ruby>まって、

「お<ruby><rb>亡</rb><rt>かく</rt></ruby>れになりました方の御遺志も、あなたを御信頼申して、庇護されてまいるようにということであったように心得ておりましたが、私をお許しくださいません御様子を拝見するものですから御遠慮しておりました」

と言っていた。天侯が悪くなって雨風の中をこの人たちはそれぞれ急ぎ立てられるように家へ帰った。宰相中将は大臣がどうして平生と違った言葉を自分にかけたのであろうと、無関心でいる時のない恋人の家のことであるから、何でもないことも耳にとまって、いろいろな想像を描いていた。

長い年月の間純情をもって雲井の雁を思っていた宰相中将の心が通じたのか、内大臣は昔のその人とは思われないほど<ruby><rb>謙遜</rb><rt>けんそん</rt></ruby>な娘の親の心になって宰相中将を招くのにわざとらしくない機会を、しかも最もふさわしいような機会のあるのを願っていたが、四月の初めに庭の<ruby><rb>藤</rb><rt>ふじ</rt></ruby>の花が美しく咲いて、すぐれた紫の<ruby><rb>花房</rb><rt>はなぶさ</rt></ruby>のなびき合うながめを、もてはやしもせずに過ごしてしまうのが残念になって、音楽の遊びを家でした時に、藤の花が夕方になっていっそう鮮明に美しく見えるからといって、長男の<ruby><rb>頭</rb><rt>とうの</rt></ruby>中将を使いにして源中将を迎えにやった。

「極楽寺の花<ruby><rb>蔭</rb><rt>かげ</rt></ruby>ではお話もゆっくりとする間のありませんでしたことが遺憾でなりませんでした。それでもしお<ruby><rb>閑暇</rb><rt>ひま</rt></ruby>があるようでしたらおいでくださいませんか」

というのが大臣の伝えさせた言葉である。手紙には、

わが宿の藤の色濃き<ruby><rb>黄昏</rb><rt>たそがれ</rt></ruby>にたづねやはこぬ春の<ruby><rb>名残</rb><rt>なごり</rt></ruby>を

とあった。歌われてあるとおりにすぐれた藤の花の枝にそれは付けてあった。使いを受けた中将は心のときめくのを覚えた。そして恐縮の意を返事した。

なかなかに折りやまどはん藤の花たそがれ時のたどたどしくば

というのである。

「気おくれがして歌になりませんよ。直してください」

と宰相中将は<ruby><rb>従兄</rb><rt>いとこ</rt></ruby>に言った。

「お供して行きましょう」

「窮屈な<ruby><rb>随身</rb><rt>ずいじん</rt></ruby>はいやですよ」

と言って、源中将は従兄を帰した。中将は父の源氏の居間へ行って、頭中将が使いに来たことを言って内大臣の歌を見せた。

「ほかの意味があってお招きになるのかもしれない。そんなふうな態度に出てくればおもしろくなかった旧恨というものも消されるだろう。どうだね」

と源氏は言った。婿の親として源氏はこんなに自尊心が強かった。

「そんな意味でもないでしょう。<ruby><rb>対</rb><rt>たい</rt></ruby>の前の藤が例年よりもみごとに咲いていますからこのごろの<ruby><rb>閑暇</rb><rt>ひま</rt></ruby>なころに音楽の合奏でもしようとされるのでしょう」

と宰相中将は父に言うのであった。

「特使がつかわされたのだから早く行くがよい」

と源氏は許した。中将はああは言っていても、心のうちは期待されることと、一種の不安とが一つになって苦しかった。

「その<ruby><rb>直衣</rb><rt>のうし</rt></ruby>の色はあまり濃くて安っぽいよ。非参議級とかまだそれにならない若い人などに<ruby><rb>二藍</rb><rt>ふたあい</rt></ruby>というものは似合うものだよ。きれいにして行くがよい」

と源氏は自身用に作らせてあったよい直衣に、その下へ着る<ruby><rb>小袖</rb><rt>こそで</rt></ruby>類もつけて中将の供をして来ていた侍童に持たせてやった。中将は自身の居間のほうで念の入った化粧をしてから<ruby><rb>黄昏</rb><rt>たそがれ</rt></ruby>時も過ぎて、待つほうで気のもまれる時刻に内大臣家へ行った。<ruby><rb>公達</rb><rt>きんだち</rt></ruby>が中将をはじめとして七、八人出て来て宰相中将を座に招じた。皆きれいな公子たちであるが、その中にも源中将は最もすぐれた<ruby><rb>美貌</rb><rt>びぼう</rt></ruby>を持っていた。<ruby><rb>気高</rb><rt>けだか</rt></ruby>い貴人らしいところがことに目にたった。内大臣は若い<ruby><rb>甥</rb><rt>おい</rt></ruby>のために座敷の中の<ruby><rb>差図</rb><rt>さしず</rt></ruby>などをこまごまとしていた。大臣は夫人や若い女房などに、

「のぞいてごらん。ますますきれいになった人だよ。とりなしが静かで、堂々として鮮明な美しさは源氏の大臣以上だろう。お父様のほうはただただ<ruby><rb>艶</rb><rt>えん</rt></ruby>で、<ruby><rb>愛嬌</rb><rt>あいきょう</rt></ruby>があって、見ている者のほうも自然に<ruby><rb>笑顔</rb><rt>えがお</rt></ruby>が作られるようで、人生の苦というようなものを忘れ去ることのできる力があった。公務を執ることなどはそうまじめにできなかったものだ。しかもこれが道理だと思われたものだ。この人のほうは学問が十分にできているし、性質がしっかりとしていてりっぱな官吏だと世間から認められているらしいよ」

などと言っていたが、身なりを正しく直して宰相中将に面会した。まじめな話は<ruby><rb>挨拶</rb><rt>あいさつ</rt></ruby>に続いて少ししただけであとは藤の宴に移った。

「春の花というものは、どの花だって咲いた最初に目ざましい気のしないものはないが、長くは人を楽しませずにどんどんと散ってしまうのが恨めしい気のするころに、藤の花だけが一歩遅れて、夏にまたがって咲くという点でいいものだと心が<ruby><rb>惹</rb><rt>ひ</rt></ruby>かれて、私はこの花を愛するのですよ。色だって人の深い愛情を象徴しているようでいいものだから」

と言って微笑している大臣の顔も品がよくてきれいであった。月が出ても藤の色を明らかに見せるほどの明りは持たないのであるが、ともかくも藤を愛する宴として酒杯が取りかわされ、音楽の遊びをした。しばらくして大臣は酔った振りになって宰相中将に酒をしいようとした。源中将は酔いつぶされまいとして、それを辞し続けていた。

「あなたは末世に過ぎた学才のある人物でいながら、年のいった者を<ruby><rb>憐</rb><rt>あわれ</rt></ruby>んでくれないのは恨めしい。書物にもあるでしょう、家の礼というものが。<ruby><rb>甥</rb><rt>おい</rt></ruby>は<ruby><rb>伯父</rb><rt>おじ</rt></ruby>を愛して敬うべきものですよ。孔子の教えには最もよく通じていられるはずなのだが、私を悩まし抜かれたとそう恨みが言いたい」

などと言って、それは酒に酔って感傷的になっているのか源中将を少しばかり困らせた。

「伯父様を決して粗略には思っておりません。御恩のあるお<ruby><rb>祖父</rb><rt>じい</rt></ruby>様の代わりと思いますだけでも、私の一身を伯父様の犠牲にしてもいいと信じているのですが、どんなことがお気に入らなかったのでしょう。もともと頭がよくないのでございますから、自身でも気づかずに失礼をしていたのでございましょう」

とうやうやしく源中将は言うのであった。よいころを見て大臣は<ruby><rb>機嫌</rb><rt>きげん</rt></ruby>よくはしゃぎ出して「藤のうら葉の」（春日さす藤のうら葉のうちとけて君し思はばわれも頼まん）と歌った。命ぜられて<ruby><rb>頭</rb><rt>とうの</rt></ruby>中将が色の濃い、ことに<ruby><rb>房</rb><rt>ふさ</rt></ruby>の長い藤を折って来て源中将の杯の台に置き添えた。源中将は杯を取ったが、酒の<ruby><rb>注</rb><rt>つ</rt></ruby>がれる迷惑を顔に現わしている時、大臣は、

紫にかごとはかけん藤の花まつより過ぎてうれたけれども

と歌った。杯を持ちながら頭を下げて謝意を表した源中将はよい形であった。

いく返り露けき春をすぐしきて花の<ruby><rb>紐</rb><rt>ひも</rt></ruby>とく折に<ruby><rb>逢</rb><rt>あ</rt></ruby>ふらん

と歌った源中将は杯を頭中将にさした。

たをやめの袖にまがへる藤の花見る人からや色もまさらん

頭中将の歌である。二男以下にもその型で杯がまわされ「みさかな」の歌がそれぞれ出たわけであるが、酔っている人たちの作ったものであったから、以上の三首よりよいというものもなかった。七日の夕月夜の中に池がほの白く浮かんで見えた。大臣の言葉のように、春の花が皆散ったあとで若葉もありなしの木の<ruby><rb>梢</rb><rt>こずえ</rt></ruby>の寂しいこのごろに、横が長く出た松の、たいして大木でないのへ咲きかかった藤の花は非常に美しかった。例の美音の<ruby><rb>弁</rb><rt>べん</rt></ruby>の少将がなつかしい声で<ruby><rb>催馬楽</rb><rt>さいばら</rt></ruby>の「<ruby><rb>葦垣</rb><rt>あしがき</rt></ruby>」を歌うのであった。

「すばらしいね」

と大臣は<ruby><rb>戯談</rb><rt>じょうだん</rt></ruby>を言って、「年経にけるこの家の」と<ruby><rb>上手</rb><rt>じょうず</rt></ruby>に声を添えた。おもしろい夕月夜の藤の宴に宰相中将の憂愁は余す所なく解消された。夜がふけてから源中将は酔いに悩むふうを作って、

「あまり酔って苦しくてなりません。無事に帰りうる自信も持てませんからあなたの寝室を拝借できませんか」

と頭中将に言っていた。大臣は、

「ねえ<ruby><rb>朝臣</rb><rt>あそん</rt></ruby>、寝床をどこかで借りなさい。<ruby><rb>老人</rb><rt>としより</rt></ruby>は酔っぱらってしまって失礼だからもう引き込むよ」

と言い捨てて居間のほうへ行ってしまった。頭中将が、

「花の<ruby><rb>蔭</rb><rt>かげ</rt></ruby>の旅寝ですね。どうですか、あとで迷惑になる案内役ではないかしら」

「寄りかかって松と同じ精神で咲く藤なのですから、これは軽薄な花なものですか。とにかくそんな縁起でもない言葉は使わないでおきましょう」

と言って、中将の先導をなお求める宰相中将であった。頭中将は負けたような気がしないでもなかったが、源中将はりっぱな公子であったから、ぜひ妹との結婚を成立させたいとはこの人の念願だったことであって、満足を感じながら<ruby><rb>従弟</rb><rt>いとこ</rt></ruby>を妹の所へ導いた。宰相中将はこうした立場を与えられるに至った夢のような運命の変わりようにも自己の優越を感じた。<ruby><rb>雲井</rb><rt>くもい</rt></ruby>の<ruby><rb>雁</rb><rt>かり</rt></ruby>はすっかり恥ずかしがっているのであったが、別れた時に比べてさらに美しい<ruby><rb>貴女</rb><rt>きじょ</rt></ruby>になっていた。

「みじめな失恋者で終わらなければならなかった私が、こうして許しを受けてあなたの<ruby><rb>良人</rb><rt>おっと</rt></ruby>になり得たのは、あなたに対する熱誠がしからしめたのですよ。だのにあなたは無関心に冷ややかにしておいでになる」

と男は恨んだ。

「少将の歌われた『<ruby><rb>葦垣</rb><rt>あしがき</rt></ruby>』の歌詞を聞きましたか。ひどい人だ。『<ruby><rb>河口</rb><rt>かはぐち</rt></ruby>の』（河口の関のあら<ruby><rb>垣</rb><rt>がき</rt></ruby>や守れどもいでてわが寝ぬや忍び忍びに）と私は返しに<ruby><rb>謡</rb><rt>うた</rt></ruby>いたかった」

女はあらわな言葉に<ruby><rb>羞恥</rb><rt>しゅうち</rt></ruby>を感じて、

「浅き名を言ひ流しける河口はいかがもらしし関のあら垣

いけないことでしたわ」

と言う様子が娘らしい。男は少し笑って、

「もりにけるきくだの関の河口の浅きにのみはおはせざらなん

長い年月に<ruby><rb>堆積</rb><rt>たいせき</rt></ruby>した苦悩と、今夜の酒の酔いで私はもう何もわからなくなった」

と酔いに託して帳台の内の人になった。宰相中将は夜の明けるのも気がつかない長寝をしていた。女房たちが気をもんでいるのを見て、大臣は、

「得意になった朝寝だね」

と言っていた。そしてすっかり明るくなってから源中将は帰って行った。この中将の寝起き姿を見た人は美しく思ったことであろう。

第一夜の翌朝の手紙も以前の続きで忍んで送られたのであるが、はばかる必要のない日になって、かえって雲井の雁が返事の書けないふうであるのを、<ruby><rb>蓮葉</rb><rt>はすっぱ</rt></ruby>な女房たちは<ruby><rb>肱</rb><rt>ひじ</rt></ruby>を突き合って笑っている所へ大臣が出て来て手紙を読んでみた。雲井の雁はますます<ruby><rb>羞恥</rb><rt>しゅうち</rt></ruby>に堪えられなくなった。

やはり昔と同じように冷ややかなあなたに逢っていよいよ自分が哀れな者に思われるのですが、おさえられぬ恋からまたこの手紙を書くのです。

<ruby><rb>咎</rb><rt>とが</rt></ruby>むなよ忍びにしぼる手もたゆみ今日あらはるる<ruby><rb>袖</rb><rt>そで</rt></ruby>のしづくを

などと手紙はなれなれしく書いてあった。大臣は<ruby><rb>笑顔</rb><rt>えがお</rt></ruby>をして、

「字が非常に<ruby><rb>上手</rb><rt>じょうず</rt></ruby>になったね」

などと言っていることも昔とはたいした変わりようである。返事の歌を<ruby><rb>詠</rb><rt>よ</rt></ruby>みにくそうにしている娘を見て、

「どうしたというものだ。見苦しい」

と言って、雲井の雁が父をはばかる気持ちも察して大臣は去ってしまった。手紙の使いは<ruby><rb>派手</rb><rt>はで</rt></ruby>な<ruby><rb>纏頭</rb><rt>てんとう</rt></ruby>を得た。そして頭中将が<ruby><rb>饗応</rb><rt>きょうおう</rt></ruby>の役を勤めたのであった。始終隠して手紙を届けに来た人は、はじめて真人間として扱われる気がした。これは<ruby><rb>右近</rb><rt>うこん</rt></ruby>の<ruby><rb>丞</rb><rt>じょう</rt></ruby>で宰相中将の手もとに使っている男であった。

源氏も内大臣邸であった前夜のことを知った。宰相中将が平生よりも輝いた顔をして出て来たのを見て、

「<ruby><rb>今朝</rb><rt>けさ</rt></ruby>はどうしたか、もう手紙は書いたか。<ruby><rb>聡明</rb><rt>そうめい</rt></ruby>な人も恋愛では締まりのないことをするようにもなるものだが、最初の関係を尊重して、しかもあくせくとあせりもせず自然に解決される時を待っていた点で、平凡人でないことを認めるよ。内大臣があまりに強硬な態度をとり過ぎて、ついにはすっかり負けて出たということで世間は何かと評をするだろう。しかしあまり優越感を持ち過ぎて慢心的に放縦なほうへ転向することのないようにしなくてはならない。今度の態度は寛大であっても、大臣の性格は、生一本でなくて気むずかしい点があるのだからね」

などとまた源氏は教訓した。円満な結果を得て、宰相中将につりあいのよい妻のできたことで源氏は満足しているのである。宰相中将は子のようにも見えなかった。少し年上の兄というほどに源氏は見えるのである。別々に見る時は同じ顔を写し取ったように思われる中将と源氏の並んでいるのを見ると、二人の<ruby><rb>美貌</rb><rt>びぼう</rt></ruby>には異なった特色があった。源氏は薄色の<ruby><rb>直衣</rb><rt>のうし</rt></ruby>の下に、白い<ruby><rb>支那</rb><rt>しな</rt></ruby>風に見える地紋のつやつやと出た<ruby><rb>小袖</rb><rt>こそで</rt></ruby>を着ていて、今も以前に変わらず<ruby><rb>艶</rb><rt>えん</rt></ruby>に美しい。宰相中将は少し父よりは濃い直衣に、下は<ruby><rb>丁字</rb><rt>ちょうじ</rt></ruby>染めのこげるほどにも<ruby><rb>薫物</rb><rt>たきもの</rt></ruby>の香を<ruby><rb>染</rb><rt>し</rt></ruby>ませた物や、白やを重ねて着ているのが、顔をことさら引き立てているように見えた。今日は御所からもたらされて<ruby><rb>灌仏</rb><rt>かんぶつ</rt></ruby>が六条院でもあることになっていたが、導師の来るのが遅くなって、日が暮れてから各夫人付きの童女たちが見物のために南の町へ送られてきて、それぞれ変わった<ruby><rb>布施</rb><rt>ふせ</rt></ruby>が夫人たちから出されたりした。御所の灌仏の作法と同じようにすべてのことが行なわれた。殿上役人である<ruby><rb>公達</rb><rt>きんだち</rt></ruby>もおおぜい参会していたが、そうした人たちもかえって六条院でする作法のほうを晴れがましく考えられて、気おくれが出るふうであった。宰相中将は落ち着いてもいられなかった。化粧をよくして身なりを引き繕って新婦の所へ出かけるのであった。情人として扱われてはいないが、少しの関係は持っている若い女房などで恨めしく思っているのもあった。苦難を積んで<ruby><rb>護</rb><rt>まも</rt></ruby>って来た年月が背景になっている若夫婦の間には水が<ruby><rb>洩</rb><rt>も</rt></ruby>るほどの<ruby><rb>間隙</rb><rt>かんげき</rt></ruby>もないのである。内大臣も婿にしていよいよ宰相中将の美点が<ruby><rb>明瞭</rb><rt>めいりょう</rt></ruby>に見えて非常に大事がった。負けたほうは自分であると意識することで大臣の自尊心は傷つけられたのであるが、中将の娘に対する誠実さは、今までだれとの結婚談にも耳をかさず独身で通して来た点でも認められると思うことで、不満の償われることは十分であった。<ruby><rb>女御</rb><rt>にょご</rt></ruby>よりもかえって雲井の雁のほうが幸福ではなやかな女性と見えるのを夫人や、そのほうの女房たちは不快がったのであるが、そんなことなどは何でもない。雲井の雁の実母である<ruby><rb>按察使</rb><rt>あぜち</rt></ruby>大納言の夫人も、娘がよい婿を得たことで喜んだ。

源氏の姫君の太子の宮へはいることはこの<ruby><rb>二十日</rb><rt>はつか</rt></ruby>過ぎと日が決定した。姫君のために紫夫人は<ruby><rb>上賀茂</rb><rt>かみがも</rt></ruby>の<ruby><rb>社</rb><rt>やしろ</rt></ruby>へ<ruby><rb>参詣</rb><rt>さんけい</rt></ruby>するのであったが、いつものように院内の夫人を誘ってみた。<ruby><rb>花散里</rb><rt>はなちるさと</rt></ruby>、<ruby><rb>明石</rb><rt>あかし</rt></ruby>などである。その人たちは紫夫人といっしょに出かけることはかえって自身の貧弱さを紫夫人に比べて人に見せるものであると思ってだれも参加しなかったから、たいして目に立つような参詣ぶりではなかったが、車が二十台ほどで、前駆も人数を多くはせずに人を精選してあった。それは祭りの日であったから、参詣したあとで一行は見物<ruby><rb>桟敷</rb><rt>さじき</rt></ruby>にはいって勅使の行列を見た。六条院の他の夫人たちのほうからも女房だけを車に乗せて祭り見物に出してあった。その車が皆桟敷の前に立て並べられたのである。あれはだれのほう、それは何夫人のほうの車と遠目にも知れるほど<ruby><rb>華奢</rb><rt>かしゃ</rt></ruby>が尽くされてあった。源氏は<ruby><rb>中宮</rb><rt>ちゅうぐう</rt></ruby>の母君である、六条の<ruby><rb>御息所</rb><rt>みやすどころ</rt></ruby>の見物車が左大臣家の人々のために押しこわされた時の<ruby><rb>葵</rb><rt>あおい</rt></ruby>祭りを思い出して夫人に語っていた。

「権勢をたのんでそうしたことをするのはいやなことだね。相手を見くびった人も、人の恨みにたたられたようになって<ruby><rb>亡</rb><rt>な</rt></ruby>くなってしまったのですよ」

と源氏はその点を<ruby><rb>曖昧</rb><rt>あいまい</rt></ruby>に言って、

「残した人だってどうだろう、中将は人臣で少しずつ出世ができるだけの男だが、中宮は類のない御身分になっていられる。その時のことから言えば何という変わり方だろう。人生は元来そうしたものなのですよ。無常の世なのだから、生きている間はしたいようにして暮らしたいとは思うが、私の死んだあとであなたなどがにわかに寂しい暮らしをするようなことがあっては、かえって今<ruby><rb>派手</rb><rt>はで</rt></ruby>なことをしておかないほうがその場合に見苦しくないからと私はそんなことも思って、十分まで物はせずにいる」

などと言ったのち源氏は高官なども<ruby><rb>桟敷</rb><rt>さじき</rt></ruby>へ伺候して来るので男子席のほうへ出て行った。<ruby><rb>今日</rb><rt>きょう</rt></ruby><ruby><rb>近衛</rb><rt>このえ</rt></ruby>の将官として加茂へ参向を命ぜられた勅使は<ruby><rb>頭</rb><rt>とうの</rt></ruby>中将であった。内侍使いは<ruby><rb>藤典侍</rb><rt>とうないしのすけ</rt></ruby>である。勅使の出発する内大臣家へ人々はまず集まったのであった。宮中からも東宮からも今日の勅使には特別な下され物があった。六条院からも贈り物があって、勅使の頭中将の背景の大きさが思われた。宰相中将はいでたちのせわしい場所へ使いを出して典侍へ手紙を送った。思い合った恋人どうしであったから、正当な夫人のできたことで典侍は悲観しているのである。

何とかや今日のかざしよかつ見つつおぼめくまでもなりにけるかな

想像もしなかったことです。

というのであった。自分のためには晴れの日であることに男が関心を持っていたことだけがうれしかったか、あわただしい中で、もう車に乗らねばならぬ時であったが、

かざしてもかつたどらるる草の名は<ruby><rb>桂</rb><rt>かつら</rt></ruby>を折りし人や知るらん

<ruby><rb>博士</rb><rt>はかせ</rt></ruby>でなければわからないでしょう。

と返事を書いた。ちょっとした手紙ではあったが、気のきいたものであると宰相中将は思った。この人とだけは隠れた恋人として結婚後も関係が続いていくらしい。

姫君が東宮へ上がった時に母として始終紫の<ruby><rb>女王</rb><rt>にょおう</rt></ruby>がついて行っていねばならないはずであるが、女王はそれに堪えまい、これを機会に<ruby><rb>明石</rb><rt>あかし</rt></ruby>を姫君につけておくことにしようかと源氏は思った。紫夫人も、それが自然なことで、いずれそうした日のなければならない母と子が今のように引き分けられていることを明石夫人は悲しんでいるであろうし、姫君も幼年時代とは違ってもう今はそのことを飽き足らぬことと悲しんでいるであろう、双方から一人の自分が恨まれることは苦しいと思うようになった。

「この機会に真実のお母様をつけておあげなさいませ。まだ小さいのですから心配でなりませんのに、女房たちといっても若い人が多いのでございますからね。また<ruby><rb>乳母</rb><rt>めのと</rt></ruby>たちといっても、ああした人たちの周到さには限度があるのですものね、母がいなければと思いますが、私がそうずっとつききっていられないあいだあいだはあの方がいてくだすったら安心ができると思います」

と女王は<ruby><rb>良人</rb><rt>おっと</rt></ruby>に言った。源氏は自身の心持ちと夫人の言葉とが一致したことを喜んで、明石へその話をした。明石は非常にうれしく思い、長い間の願いの実現される気がして、自身の女房たちの<ruby><rb>衣裳</rb><rt>いしょう</rt></ruby>その他の用意を、紫夫人のするのに劣らず<ruby><rb>派手</rb><rt>はで</rt></ruby>に<ruby><rb>仕度</rb><rt>したく</rt></ruby>し始めた。姫君の祖母の尼君は姫君の出世をどこまでも観望したいと願っていた。そしてもう一度だけ顔を見たいと思う心から生き続けているのを、明石は哀れに思っていた。その機会だけは得られまいと思うからである。最初は紫夫人が付き添って行った。紫夫人には<ruby><rb>輦車</rb><rt>れんしゃ</rt></ruby>も許されるであろうが、自身には御所のある場所を歩いて行かねばならない不体裁のあることなども、明石は自身のために<ruby><rb>歎</rb><rt>なげ</rt></ruby>かずに源氏夫婦が<ruby><rb>磨</rb><rt>みが</rt></ruby>きたてて太子に奉る姫君に、自分という生母のあることが玉の<ruby><rb>瑕</rb><rt>きず</rt></ruby>と見られるに違いないと心苦しがっていた。姫君が上がる式に人目を驚かすような<ruby><rb>華奢</rb><rt>かしゃ</rt></ruby>はしたくないと源氏は質素にしたつもりであったが、やはり並み並みのこととは見えなかった。限りもなく美しく姫君を仕立てて、紫夫人は真心からかわいくながめながらも、これを生母に譲らねばならぬようなことがなくて、真実の子として持ちたかったという気がした。源氏も宰相中将もこの一点だけを飽き足らず思った。

三日たって紫の女王は退出するのであったが、代わるために明石が御所へ来た。そして東宮の<ruby><rb>御息所</rb><rt>みやすどころ</rt></ruby>の<ruby><rb>桐壺</rb><rt>きりつぼ</rt></ruby>の<ruby><rb>曹司</rb><rt>ぞうし</rt></ruby>で二夫人ははじめて面会したのである。

「こんなに大人らしくおなりになった方で、私たちは長い以前からの知り合いであることが証明されるのですから、もう他人らしい遠慮はしないでおきたいと思います」

となつかしいふうに紫夫人は言って、いろいろな話をした。これが初めで二夫人の友情は堅く結ばれていくであろうと思われた。明石のものを言う様子などに、あれだけにも源氏の愛を<ruby><rb>惹</rb><rt>ひ</rt></ruby>く力のあるのは道理である、すばらしい人であると夫人にはうなずかれるところがあった。今が盛りの<ruby><rb>気高</rb><rt>けだか</rt></ruby>い貴女と見える女王の美に明石は驚いていて、たくさんな女性の中で最も源氏から愛されて、第一夫人の栄誉を与えているのは道理のあることであると思ったが、同時に、この人と並ぶ夫人の地位を得ている自分の運命も悪いものでないという自信も持てたのであったが、入り代わって帰る女王はことさらはなばなしい人に付き添われ、輦車も許されて出て行く様子などは陛下の女御の勢いに変わらないのを見ては、さすがに<ruby><rb>溜息</rb><rt>ためいき</rt></ruby>もつかれた。

きれいな姫君を夢の中のような気持ちでながめながらも明石の涙はとまらなかった。しかしこれはうれしい涙であった。今までいろいろな場合に悲観して死にたい気のした命も、もっともっと長く生きねばならぬと思うような、朗らかな気分になることができて、いっさいが<ruby><rb>住吉</rb><rt>すみよし</rt></ruby>の神の恩恵であると感謝されるのであった。理想的な教養が与えられてあって、足りない点などは何もないと見える姫君は、絶大な勢力のある源氏を父としているほかに、すぐれた麗質も備えていることで、若くいらせられる東宮ではあるがこの人を最も御<ruby><rb>愛寵</rb><rt>あいちょう</rt></ruby>あそばされた。東宮に侍している他の<ruby><rb>御息所</rb><rt>みやすどころ</rt></ruby>付きの女房などは、源氏の正夫人でない生母が付き添っていることをこの御息所の<ruby><rb>瑕</rb><rt>きず</rt></ruby>のように<ruby><rb>噂</rb><rt>うわさ</rt></ruby>するのであるが、それに影響されるようなことは何もなかった。はなやかな空気が<ruby><rb>桐壺</rb><rt>きりつぼ</rt></ruby>に作られて、芸術的なにおいをこの曹司で<ruby><rb>嗅</rb><rt>か</rt></ruby>ぎうることを喜んで、殿上役人などもおもしろい遊び場と思い、ここのすぐれた女房を恋の対象にしてよく来るようになった。女房たちのとりなし、人への態度も洗練されたものであった。紫夫人も何かのおりには出て来た。それで明石との間がおいおい打ち解けていった。しかも明石はなれなれしさの過ぎるほどにも出過ぎたことなどはせず、紫夫人はまた相手を<ruby><rb>軽蔑</rb><rt>けいべつ</rt></ruby>するようなことは少しもせずに怪しいほど<ruby><rb>雅致</rb><rt>がち</rt></ruby>のある友情が<ruby><rb>聡明</rb><rt>そうめい</rt></ruby>な二女性の間にかわされていた。源氏も、もう長くもいられないように思う自身の生きている間に、姫君を東宮へ奉りたいと思っていたことが、予期以上に都合よく実現されたし、それは彼自身に考えのあってのことではあるが、配偶者のない、たよりない男と見えた宰相中将も結婚して幸福になったことに安心して、もう出家をしてもよい時が来たと思われるのであった。紫夫人は気がかりであるが、養女の中宮がおいでになるから、何よりもそれが確かな寄りかかりである、また、姫君のためにも形式上の母は女王のほかにないわけであるから、仕えるのに誠意を持つことであろうからと源氏は思っているのであった。<ruby><rb>花散里</rb><rt>はなちるさと</rt></ruby>のためには宰相中将がいるからよいとそれも安心していた。

翌年源氏は四十になるのであったから、四十の賀宴の用意は朝廷をはじめとして所々でしていた。

その秋三十九歳で源氏は<ruby><rb>準太上</rb><rt>じゅんだじょう</rt></ruby>天皇の位をお得になった。官から支給されておいでになる物が多くなり、年官年爵の特権数がおふえになったのである。それでなくても自由でないことは何一つないのでおありになったが、古例どおりに院司などが、それぞれ任命されて、しかもどの場合の院付きの役人よりも有為な、勢いのある人々が選ばれたのであった。こんなことになって心安く御所へ行くことのおできにならないことになったのを六条院は物足らずお思いになった。この御処置をあそばしてもまだ帝は不満足に<ruby><rb>思召</rb><rt>おぼしめ</rt></ruby>され、世間をはばかるために位をお譲りになることのできぬことを朝夕お<ruby><rb>歎</rb><rt>なげ</rt></ruby>きになった。

内大臣が太政大臣になって、宰相中将は中納言になった。任官の礼廻りをするために出かける中納言はいっそう光彩の添うた気がして、身のとりなし、<ruby><rb>容貌</rb><rt>ようぼう</rt></ruby>の美に欠けた点のないのを、<ruby><rb>舅</rb><rt>しゅうと</rt></ruby>の大臣は見て、後宮の競争に負けた形になっているような宮仕えをさせるよりも、こうした婿をとるほうがよいことであるという気になった。<ruby><rb>雲井</rb><rt>くもい</rt></ruby>の<ruby><rb>雁</rb><rt>かり</rt></ruby>の<ruby><rb>乳母</rb><rt>めのと</rt></ruby>の<ruby><rb>大輔</rb><rt>たゆう</rt></ruby>が、

「姫君は六位の男と結婚をなさる御運だった」

とつぶやいた夜のことが中納言にはよく思い出されるのであったから、美しい白菊が紫を帯びて来た枝を大輔に渡して、

「あさみどりわか葉の菊をつゆにても濃き紫の色とかけきや

みじめな立場にいて聞いたあなたの言葉は忘れないよ」

と朗らかに微笑して言った。<ruby><rb>乳母</rb><rt>めのと</rt></ruby>は恥ずかしくも思ったが、気の毒なことだったとも思いおかわいらしい恨みであるとも思った。

「二葉より名だたる園の菊なればあさき色わく露もなかりき

どんなに憎らしく<ruby><rb>思召</rb><rt>おぼしめ</rt></ruby>したでしょう」

と物<ruby><rb>馴</rb><rt>な</rt></ruby>れたふうに言って心苦しがった。納言になったために来客も多くなり、この<ruby><rb>住居</rb><rt>すまい</rt></ruby>が不便になって、源中納言はお<ruby><rb>亡</rb><rt>な</rt></ruby>くなりになった祖母の宮の三条殿へ引き移った。少し荒れていたのをよく修理して、宮の住んでおいでになった御殿の装飾を新しくして夫婦のいる所にした。二人にとっては昔を取り返しえた気のする家である。庭の木の小さかったのが大きくなって広い<ruby><rb>蔭</rb><rt>かげ</rt></ruby>を作るようになっていたり、ひとむら<ruby><rb>薄</rb><rt>すすき</rt></ruby>が思うぞんぶんに<ruby><rb>拡</rb><rt>ひろ</rt></ruby>がってしまったりしたのを整理させ、流れの水草を<ruby><rb>掻</rb><rt>か</rt></ruby>き取らせもして快いながめもできるようになった。

美しい夕方の庭の<ruby><rb>景色</rb><rt>けしき</rt></ruby>を二人でながめながら、冷たい手に引き分けられてしまった少年の日の恋の思い出を語っていたが、恋しく思われることもまた多かった。当時の女房たちは自分をどう思って見たであろうと雲井の雁は恥ずかしく思っていた。祖母の宮に付いていた女房で、今までまだそれぞれの<ruby><rb>部屋</rb><rt>へや</rt></ruby>に住んでいた女房などが出て来て、新夫婦がここへ住むことになったのを喜んでいた。

源中納言、

なれこそは岩もるあるじ見し人の行くへは知るや宿の<ruby><rb>真清水</rb><rt>ましみづ</rt></ruby>

夫人、

なき人は影だに見えずつれなくて心をやれるいさらゐの水

などと言い合っている時に、太政大臣は宮中から出た帰途にこの家の前を通って、<ruby><rb>紅葉</rb><rt>もみじ</rt></ruby>の色に促されて立ち寄った。宮がお住まいになった当時にも変わらず、幾つの<ruby><rb>棟</rb><rt>むね</rt></ruby>に分かれた建物を<ruby><rb>上手</rb><rt>じょうず</rt></ruby>にはなやかに住みなしているのを見て大臣の心はしんみりと<ruby><rb>濡</rb><rt>ぬ</rt></ruby>れていった。中納言は美しい顔を少し赤らめて<ruby><rb>舅</rb><rt>しゅうと</rt></ruby>の前にいた。美しい若夫婦ではあるが、女のほうはこれほどの<ruby><rb>容貌</rb><rt>ようぼう</rt></ruby>がほかにないわけはないと見える程度の美人であった。男はあくまでもきれいであった。老いた女房などは大臣の来訪に得意な気持ちになって、古い古い時代の話などをし出すのであった。そこに出たままになっていた二人の歌の書いた紙を取って、大臣は読んだが、しおれたふうになった。

「ここの水に聞きたいことが私にもあるが、今日は縁起を祝ってそれを言わないことにしよう」

と言って、大臣は、

そのかみの老い木はうべも朽ちにけり植ゑし小松も<ruby><rb>苔</rb><rt>こけ</rt></ruby><ruby><rb>生</rb><rt>お</rt></ruby>ひにけり

この歌を告げた。中納言の<ruby><rb>乳母</rb><rt>めのと</rt></ruby>の宰相の君は、あの当時の大臣の処置に憤慨して、今も恨めしがっているのであったから、得意な気持ちで大臣に言った。

いづれをも<ruby><rb>蔭</rb><rt>かげ</rt></ruby>とぞ頼む二葉より根ざしかはせる松の末々

この感想がどの女房の歌にも出てくるのを中納言は快く思った。雲井の雁はむやみに顔が赤くなって恥ずかしくてならなかった。

十月の二十日過ぎに六条院へ<ruby><rb>行幸</rb><rt>みゆき</rt></ruby>があった。興の多い日になることを予期されて、主人の院は<ruby><rb>朱雀</rb><rt>すざく</rt></ruby>院をも御招待あそばされたのであったから、珍しい盛儀であると世人も思ってこの日を待っていた。六条院では遺漏のない準備ができていた。午前十時に行幸があって、初めに馬場殿へ<ruby><rb>入御</rb><rt>にゅうぎょ</rt></ruby>になった。<ruby><rb>左馬寮</rb><rt>さまりょう</rt></ruby>、<ruby><rb>右馬寮</rb><rt>うまりょう</rt></ruby>の馬が前庭に並べられ、<ruby><rb>左近衛</rb><rt>さこんえ</rt></ruby>、<ruby><rb>右近衛</rb><rt>うこんえ</rt></ruby>の武官がそれに添って列立した形は五月の<ruby><rb>節会</rb><rt>せちえ</rt></ruby>の作法によく似ていた。午後二時に南の寝殿へお移りになったのであるが、その通御の道になる<ruby><rb>反橋</rb><rt>そりはし</rt></ruby>や<ruby><rb>渡殿</rb><rt>わたどの</rt></ruby>には<ruby><rb>錦</rb><rt>にしき</rt></ruby>を敷いて、あらわに思われる所は幕を引いて隠してあった。東の池に船などを<ruby><rb>浮</rb><rt>う</rt></ruby>けて、御所の<ruby><rb>鵜</rb><rt>う</rt></ruby>飼い役人、院の鵜飼いの者に鵜を<ruby><rb>下</rb><rt>お</rt></ruby>ろさせてお置きになった。小さい<ruby><rb>鮒</rb><rt>ふな</rt></ruby>などを鵜は取った。<ruby><rb>叡覧</rb><rt>えいらん</rt></ruby>に供えるというほどのことではなく、お通りすがりの興におさせになったのである。山の<ruby><rb>紅葉</rb><rt>もみじ</rt></ruby>はどこのも美しいのであるが、西の町の庭はことさらにすぐれた色を見せているのを、南の町との間の廊の壁をくずさせ、中門をあけて、お目をさえぎる物を省いて御覧にお供えになったのであった。二つの<ruby><rb>御座</rb><rt>おまし</rt></ruby>が上に設けられてあって、主人の院の御座が下がって作られてあったのを、<ruby><rb>宣旨</rb><rt>せんじ</rt></ruby>があってお直させになった。これこそ限りもない光栄であるとお見えになるのであるが、<ruby><rb>帝</rb><rt>みかど</rt></ruby>の<ruby><rb>御心</rb><rt>みこころ</rt></ruby>にはなお一段六条院を尊んでお扱いになれないことを残念に<ruby><rb>思召</rb><rt>おぼしめ</rt></ruby>した。

池の魚を載せた台を左近少将が持ち、<ruby><rb>蔵人所</rb><rt>くろうどどころ</rt></ruby>の<ruby><rb>鷹飼</rb><rt>たかが</rt></ruby>いが北野で狩猟してきた一つがいの鳥を右近少将がささげて、寝殿の東のほうから南の庭へ出て、<ruby><rb>階段</rb><rt>きざはし</rt></ruby>の左右に<ruby><rb>膝</rb><rt>ひざ</rt></ruby>をついて献上の趣を奏上した。太政大臣が命じてそれを<ruby><rb>大御肴</rb><rt>おおみさかな</rt></ruby>に調べさせた。親王がた、高官たちの<ruby><rb>饗膳</rb><rt>きょうぜん</rt></ruby>にも、常の様式を変えた珍しい料理が供えられたのである。人々は陶然と酔って夕べに近いころ、<ruby><rb>伶人</rb><rt>れいじん</rt></ruby>が召し出された。大楽というほどの大がかりなものでなく、感じのよいほどの奏楽の前で御所の侍童たちが舞った。<ruby><rb>朱雀</rb><rt>すざく</rt></ruby>院の<ruby><rb>紅葉</rb><rt>もみじ</rt></ruby>の賀の日がだれにも思い出された。「<ruby><rb>賀王恩</rb><rt>がおうおん</rt></ruby>」という曲が奏されて、太政大臣の子息の十歳ぐらいの子が非常におもしろく舞った。帝は御衣を<ruby><rb>脱</rb><rt>ぬ</rt></ruby>いで賜い、父の太政大臣が階前でお礼の舞踏をした。主人の院はお折らせになった菊を大臣へお授けになるのであったが、<ruby><rb>青海波</rb><rt>せいがいは</rt></ruby>の時を思い出しておいでになった。

色まさる<ruby><rb>籬</rb><rt>まがき</rt></ruby>の菊もをりをりに<ruby><rb>袖</rb><rt>そで</rt></ruby>打ちかけし秋を恋ふらし

当時ごいっしょに舞った大臣は、自身も人にすぐれた幸福は得ていながらも、帝の御子であらせられた院の到達された所と自身とは非常な相違のあることに気がついた。<ruby><rb>時雨</rb><rt>しぐれ</rt></ruby>は彼の出て来るおりをうかがっていたようにはらはらと降りそそいだ。

「紫の雲にまがへる菊の花濁りなき世の星かとぞ見る

最もふさわしい時に咲いた花でございます」

と大臣は院へ申し上げた。夕風が<ruby><rb>蒔</rb><rt>ま</rt></ruby>き敷く紅葉のいろいろと、遠い<ruby><rb>渡殿</rb><rt>わたどの</rt></ruby>に敷かれた<ruby><rb>錦</rb><rt>にしき</rt></ruby>の濃淡と、どれがどれとも見分けられない庭のほうに、美しい貴族の家の子などが、<ruby><rb>白橡</rb><rt>しろつるばみ</rt></ruby>、<ruby><rb>臙脂</rb><rt>えんじ</rt></ruby>、赤紫などの上着を着て、ほんの額だけにみずらを結い、短い曲をほのかに舞って紅葉の<ruby><rb>木蔭</rb><rt>こかげ</rt></ruby>へはいって行く、こんなことが夜の<ruby><rb>闇</rb><rt>やみ</rt></ruby>に消されてしまうかと惜しまれた。奏楽所などは<ruby><rb>大形</rb><rt>おおぎょう</rt></ruby>に作ってはなくて、すぐに御前での<ruby><rb>管絃</rb><rt>かんげん</rt></ruby>の合奏が始まった。御書所の役人に御物の楽器が召された。夜がおもしろく<ruby><rb>更</rb><rt>ふ</rt></ruby>けたころに楽器類が御前にそろった。「<ruby><rb>宇陀</rb><rt>うだ</rt></ruby>の法師」の昔のままの音を<ruby><rb>朱雀</rb><rt>すざく</rt></ruby>院は珍しくお聞きになり、身にしむようにもお感じになった。

秋をへて時雨ふりぬる里人もかかる<ruby><rb>紅葉</rb><rt>もみじ</rt></ruby>の折りをこそみね

現今の御境遇を寂しがっておいでになるような御製である。

帝が、

世の常の紅葉とや見るいにしへのためしにひける庭の錦を

と朱雀院へ御説明的に申された。帝の御容貌はますますお美しくおなりになるばかりであった。今ではまったく六条院と同じお顔にお見えになるのであるが、侍している源中納言の顔までが同じ物に見えるのは、この人として過分なしあわせであった。<ruby><rb>気高</rb><rt>けだか</rt></ruby>い美が思いなしによるのかいささか劣って見えた。鮮明にきわだってきれいな所などはこの人がよけいに持っているように見えた。この人は笛の役をしたのである。合奏は非常におもしろく進んでいった。歌の役を勤める殿上人は階段の所に集まっていたが、その中で<ruby><rb>弁</rb><rt>べん</rt></ruby>の少将の声が最もすぐれていた。

前生の善果を持って生まれてきたような人たちというべきであろう。