金持ちになれる真理となれない真理――転がりこんで来た<ruby><rb>金玉</rb><rt>かねだま</rt></ruby>を、これは正当な所得ではございませんとかえして貧乏する。いまどきそんなことはないかもしれないが、私のうちがそれだった。

御維新のあとのごたごたが納まっても、なかなか<ruby><rb>細</rb><rt>こま</rt></ruby>かしいことは<ruby><rb>何時</rb><rt>いつ</rt></ruby>までも残っていたのであろう。<ruby><rb>転</rb><rt>ころ</rt></ruby>がりこんで来た金玉を押返してしまった人たちが、ある日こんなことをいっていた。

「たいした土地になった。」

「だから<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">とって</span>おおきになればいいのに。」

それは小伝馬町に面した<ruby><rb>大牢</rb><rt>たいろう</rt></ruby>の一角を、無償で父にくれようといった当時のことを母が<ruby><rb>詰</rb><rt>なじ</rt></ruby>ったのだ。

丁度首<ruby><rb>斬</rb><rt>き</rt></ruby>り場のあたりだったというところの柳の木が、<ruby><rb>厠</rb><rt>はばかり</rt></ruby>の小窓から見える<ruby><rb>古帳面屋</rb><rt>ふるちょうめんや</rt></ruby>の友達のうちから帰って来て、あたしが話したつづきからだった。

「西島屋のならびをずっとくれるといったのだが、おら<ruby><rb>不快</rb><rt>いや</rt></ruby>だからな。」

「お父さんは欲がないから、断ってしまったのだとお言いなのだよ。今じゃたいした土地なのにねえ。」

母は、土一升金一升のまんなかで、しかも<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">めぬき</span>の土地の角地面の地主さんになれなかった<ruby><rb>怨</rb><rt>うら</rt></ruby>みを時たまこぼす。

「あすこはな、不浄場といってたが、悪い奴ばかりはいないのだ。今と違ってどんなに無実の罪で死んだものがあるかしれやしない。おれは<ruby><rb>斬罪</rb><rt>ざんざい</rt></ruby>になる者の<ruby><rb>号泣</rb><rt>なきごえ</rt></ruby>を聞いているからいやだ。<ruby><rb>逃</rb><rt>のが</rt></ruby>れよう、逃れようという気が、首を斬られてからも、ヒョイと前へ出るのだ。しでえことをしたもんで、後から縄をひっぱっている。前からは、<ruby><rb>髷</rb><rt>まげ</rt></ruby>をひっぱって、引っぱる。いやでも首を伸す時に、ちょいとやるんだ。まあ、あんな場処はほしくねえな。」

父が<ruby><rb>流行</rb><rt>はやり</rt></ruby>の長い刀をぶっこんでいた時分、<ruby><rb>明渡</rb><rt>あけわた</rt></ruby>された江戸城の守備についていた時、苑内<ruby><rb>紅葉山</rb><rt>もみじやま</rt></ruby>に配置してある鹿の置物を<ruby><rb>狙</rb><rt>ねら</rt></ruby>い<ruby><rb>撃</rb><rt>うち</rt></ruby>にしたものもあるとかいうほどだから、乱暴者に違いなかったであろうに、その人がそういうのだ。その後打首が廃され、絞首になる時その器具を造るのを調べさせられて用いた夜、どうしても寝具合がわるく、三晩も<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">うなっ</span>たので、役人なんざまっぴらごめんだと、<ruby><rb>噛</rb><rt>かじ</rt></ruby>りつきたがるはずの椅子を<ruby><rb>投</rb><rt>ほう</rt></ruby>りだしてしまった。そんな折の関係と土地ッ子なので、あの広大な土地を<ruby><rb>無償</rb><rt>ただ</rt></ruby>でくれようというのだったろう。無償とはいわないで、長谷川この土地はお前の名にしておけといわれたのだったそうだ。その当時の政府要路に深い縁のない父でさえそうだったから、その他の懐が、ふくれほうだいだったのは言うまでもなかろう。岩崎は丸の内一帯の大地主だ、丸の内といえば諸大名の官宅のあった土地だ。

その時、祖母も言った。

「浜町の三河様の<ruby><rb>邸</rb><rt>やしき</rt></ruby>あとも、くれるといったのだそうだよ。」

その時の断りかたがまたふるっている。折角ですが老母がいやがりますから――あすこは<ruby><rb>糞船</rb><rt>くそぶね</rt></ruby>の一ぱい寄るところで――と。三河様の邸跡は大樹が<ruby><rb>森々</rb><rt>しんしん</rt></ruby>として、細川邸とつづき塀越しに大川の水がすぐ目の前にあり、月見に有名な土地で、中洲は繁華になった。

大橋と、両国橋の間の中洲には、懲役人が赤い着物を着て、小船にのって土運びをしていた。女橋と男橋がかかって、土地開きをしたころの夏の人気は、人形町通りから、埋たての中洲へと集っていた。ただもう<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">めちゃくちゃ</span>に賑かだった。おでんやは<ruby><rb>鍋</rb><rt>なべ</rt></ruby>の廻りに真黒に人が立ち、氷やは腰をかける席がないほどの<ruby><rb>繁昌</rb><rt>はんじょう</rt></ruby>だ。氷やといっても今のように<ruby><rb>小体</rb><rt>こてい</rt></ruby>な店ではない。なかなか広い店で、巾の広い<ruby><rb>牀几</rb><rt>しょうぎ</rt></ruby>が沢山並んでいた。涼しげな、大きな滝を忍ばせる<ruby><rb>硝子</rb><rt>ガラス</rt></ruby>の<ruby><rb>簾</rb><rt>すだれ</rt></ruby>――<ruby><rb>聯</rb><rt>れん</rt></ruby>がさがって<ruby><rb>提灯</rb><rt>ちょうちん</rt></ruby>や、花<ruby><rb>瓦斯</rb><rt>ガス</rt></ruby>の光りが<ruby><rb>映</rb><rt>うつ</rt></ruby>りゆらめき、いせいのよいビラが張りわたされ、ねじ鉢巻のあにいが二、三人手を揃えてガリガリ氷を<ruby><rb>掻</rb><rt>か</rt></ruby>きとばしていた。小女が赤いたすきで<ruby><rb>忙</rb><rt>せわ</rt></ruby>しそうに客の間を走っていた。

いま、デパートの食堂へゆくと、ふと思出すのは、様子はかわっているが、あたしの子供の時分の、えびすやとか、ほていやとかいった呉服屋や、そのわきにあった、おしるこや<ruby><rb>萩</rb><rt>はぎ</rt></ruby>の<ruby><rb>餅</rb><rt>もち</rt></ruby>の店のことで、店さきの高いところから、長い<ruby><rb>暖簾</rb><rt>のれん</rt></ruby>がかけてあって、紺地に大きく彩色したえびすだのほていだのがついていた。その頃<ruby><rb>流行</rb><rt>はやり</rt></ruby>たてだったであろう噴水があって大きな金魚がいた。だが、<ruby><rb>食</rb><rt>たべ</rt></ruby>ものは簡単だ。お餅か、お団子位だ。浅草の金竜山にしても<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">あん</span>と、<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">きなこ</span>と、<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">ごま</span>のついた餅、芝の<ruby><rb>太々餅</rb><rt>だいだいもち</rt></ruby>もおなじくであり、大橋ぎわのおだんご、谷中<ruby><rb>芋坂</rb><rt>いもざか</rt></ruby>のおだんご、そのほか数えたらいくらでもあるが――

中洲は納涼にもってこいだから、川開きの時分の賑いは別段だった。夏祭りと両国の花火は夏の年中行事と市民にはなっていたのだろう、あんぽんたんも昼寝からむりに覚されて、行水の<ruby><rb>盥</rb><rt>たらい</rt></ruby>のなかへ入れられ、お船へのせて花火を見せるからと、だましだましいやがるのに着物をきせられた。

あたしの家で船を仕立るのか――たぶん、前出の金兵衛おじさんの船が来ていたのだったろうと思う。まだ日の高いうちから、金兵衛さんが紺の<ruby><rb>透通</rb><rt>すきとお</rt></ruby>った着物を着て、<ruby><rb>白扇</rb><rt>はくせん</rt></ruby>であおいで風通しのいい座敷に座っていると、顔見知りの老船頭だの、大工の<ruby><rb>棟梁</rb><rt>とうりょう</rt></ruby>のところの<ruby><rb>伊三</rb><rt>いさ</rt></ruby>という<ruby><rb>甥</rb><rt>おい</rt></ruby>だのがかわるがわるに、一升<ruby><rb>樽</rb><rt>だる</rt></ruby>だのその他のものを運んだ。ものわかりのいいその人たちが、庭の、敷石のところに立って、座敷の人と<ruby><rb>応対</rb><rt>うけこたえ</rt></ruby>していたのが、ばかにクッキリと今の私の目にも浮かぶ。

船のつけてあるところは、三河様よりこっちよりの細川邸の<ruby><rb>清正公様</rb><rt>せいしょうこうさま</rt></ruby>のそとのところだった。夕潮が<ruby><rb>猪牙船</rb><rt>ちょき</rt></ruby>の横っぱらをザブンザブンとゆすっていた。

「まず！　<ruby><rb>一杯</rb><rt>ひとつ</rt></ruby>！」

おとなたちはおいしそうにお<ruby><rb>猪口</rb><rt>ちょこ</rt></ruby>を口にもっていった。と、河の中の交際がはじまる。

「いよ――」

遠くの方から挨拶をしあうと、両方の船頭が腕に力をギイッと入れる。

「あれは材木町の船だ。」

竹河岸の材木やは、家内中で派手な<ruby><rb>船遊山</rb><rt>ふなゆさん</rt></ruby>をやっている。暮れないうちの花火は、この船遊山の景物なのである。人々は水をたのしみ、空を仰ぎ、せまい家内や、近所の目から開放された気保養を、涼風とともに満々とうけ入れ、ゆるゆると楽しむのだった。

<ruby><rb>河上</rb><rt>かみ</rt></ruby>の方から出てきた船は、<ruby><rb>下流</rb><rt>しも</rt></ruby>の<ruby><rb>佃</rb><rt>つくだ</rt></ruby>の方まで流してゆく。下流の方から出てきた船は竹屋を越えて綾瀬の方まで涼風におしおくられてゆく。そして夕暗といっしょに両方がまた<ruby><rb>漕</rb><rt>こ</rt></ruby>ぎよせてくる。両国橋の上下に――

そのころ、五、六歳のアンポンタンの感想は――というとむずかしいが、おしっこのことだった。小船にはそういう設備がない。男の人は簡単にすませるが、といっても、まだ暮れきらない大川に、一ぱい船があってはそう勇敢な人ばかりはない。まして<ruby><rb>謹</rb><rt>つつ</rt></ruby>ましいその時代の女たちの困りようは察しられる。岸近い船はわたりをかけて、<ruby><rb>尾上河岸</rb><rt>おのえがし</rt></ruby>あたりのいきな家にたのむが、<ruby><rb>河心</rb><rt>かわなか</rt></ruby>のはそうはいかない。気のきいた船頭が、幕や<ruby><rb>苫</rb><rt>とま</rt></ruby>で囲いをして用をたさせると、まるで、源平両陣から<ruby><rb>那須与一</rb><rt>なすのよいち</rt></ruby>の<ruby><rb>扇</rb><rt>おうぎ</rt></ruby>の<ruby><rb>的</rb><rt>まと</rt></ruby>でも見るように、は入る人が代るたびごとにヤアヤアと<ruby><rb>囃</rb><rt>はや</rt></ruby>す。人間て、なんて<ruby><rb>癪</rb><rt>しゃく</rt></ruby>なものだと、いって見ればそんな風にアンポンタンは片腹痛かった。

「おや？　この子は笑ったよ、何がおかしかったのだ。」

おじさんたちにはわからない。ちいさな、てんしんらんまんたる幼子だからこそ、赤ン坊でいえば虫が笑わせるといった笑い――この場合では<ruby><rb>嘲笑</rb><rt>ちょうしょう</rt></ruby>を禁じ得なかったのだ。

「ヤア<ruby><rb>爺</rb><rt>じい</rt></ruby>さん！」

とかなんとか、笑った男が笑われて幕の囲いにはいり、テレくさそうに出てくるのだ。ばかな<ruby><rb>奴</rb><rt>やつ</rt></ruby>ら！　その水で<ruby><rb>盃</rb><rt>さかずき</rt></ruby>をそそぎ、その流れで<ruby><rb>手拭</rb><rt>てぬぐい</rt></ruby>をしぼって頭や胸を拭く、三尺へだたれば<ruby><rb>清</rb><rt>きよ</rt></ruby>しなんて、いい気なものだ。

「玉や――」

みんなが口をあいて空を仰ぎ見る。だがなんと、暗い河の水の油のように重くぎらぎらすることぞ！　<ruby><rb>水面</rb><rt>みず</rt></ruby>を見ると怖い。

アンポンタンは父親の<ruby><rb>膝</rb><rt>ひざ</rt></ruby>を<ruby><rb>枕</rb><rt>まくら</rt></ruby>にしてボンヤリしていた。もう、そろそろ船が動きだした。あたしは大きくなってからもそうだが、賑やかなあとのさびしさがたまらなくきらいだった。ことに川開きは、空の火も家々の燈も、船の灯も、バタバタと消えて、<ruby><rb>即</rb><rt>たちま</rt></ruby>ちにして<ruby><rb>如法暗夜</rb><rt>にょほうあんや</rt></ruby>の沈黙がくるからたまらなく嫌だ。遠くの方へ流れてゆく小さなさびしい<ruby><rb>火影</rb><rt>ほかげ</rt></ruby>と三味線の音――小さい者は泣くにもなけない不思議なわびしさに閉じこめられてしまう。

そのまだ、それほど船がバラバラにならない前、すっと<ruby><rb>摺</rb><rt>す</rt></ruby>れちがった屋根船から、

「あら――さんだ！」

というと、これをお着せなさい、川風はさむいわとでもいったのであろう、<ruby><rb>艶</rb><rt>えん</rt></ruby>な声がしてフワリと私の上に<ruby><rb>投</rb><rt>ほう</rt></ruby>りこまれたものは、軽いフワフワした薄綿の<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">ねんねこ</span>だった。多分帰りの夜風を用心して入れてきたものだろう。私はピョコンと父の膝から頭をあげた。先方は<ruby><rb>紅提燈</rb><rt>あかちょうちん</rt></ruby>が沢山ぶらさがっているので船の中はあかるい。私たちよりずっと高いところにいるように、膝の方まで見えた。意気な<ruby><rb>年増</rb><rt>としま</rt></ruby>というのだろう、女ばかりがいた。みんな<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">はで</span>な声を出した。

あたしは終りの花火なんか、あとがさびしいから見ないで、その<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">ねんねこ</span>にふっさりと包まれて父の膝に<ruby><rb>狸寝</rb><rt>たぬきね</rt></ruby>をしていた。子供というもの案外<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">ばか</span>にならないと思うのは、今の自分よりよっぽど不正直で要領を得ている。そして元柳ばしぎわに船をつけてもらうと、抱っこしたまま、いい匂いのものにくるまれて、<ruby><rb>薬研堀</rb><rt>やげんぼり</rt></ruby>の囲いものの家へ投りこまれた。

話はそれたが三河様というのは、

風ふくな、ナア吹くな、

三河様の屋根で、

銀羽根ひろって……

と羽根つきながら風が出てくると<ruby><rb>呪</rb><rt>まじな</rt></ruby>いに唄う大川端の<ruby><rb>下邸跡</rb><rt>しもやしきあと</rt></ruby>である。向岸には大橋の火の見<ruby><rb>櫓</rb><rt>やぐら</rt></ruby>があって、江戸風景にはなじみ深い景色である。細川下邸の清正公門前の大きな<ruby><rb>椎</rb><rt>しい</rt></ruby>の木の並んだ下には、少壮時代の前かけがけ姿の<ruby><rb>清方</rb><rt>きよかた</rt></ruby>さんが長く住まわれて、門柱に「かぶらき」と書いた仮名文字の表札がかけてあった。それより前のことだが、清正公様の<ruby><rb>傍</rb><rt>わき</rt></ruby>に歯をいたくなく抜いてくれる家があるというのでいったら、小さな家で、古い障子を二枚たてて、歯みがきを売っている汚いおじいさんが抜いてくれた。大きな<ruby><rb>樹</rb><rt>き</rt></ruby>の<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">うれ</span>に、小さい<ruby><rb>蚊虫</rb><rt>かむし</rt></ruby>がフヨフヨと飛んでいる夕暮れでうす暗い障子のかげで、はげた黒ぬりの<ruby><rb>耳盥</rb><rt>みみだらい</rt></ruby>を片手にもたせて、上をむきなさいといわれた。おじいさんの<ruby><rb>膝頭</rb><rt>ひざがしら</rt></ruby>に頭のうしろをもたせかけ、<ruby><rb>仰向</rb><rt>あおむ</rt></ruby>けにさせられると、その腐ったような顔とむきあった。おじいさんは<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">やっとこ</span>みたいなものをもっている。怖いから眼をつぶったら、ガクリと音がして<ruby><rb>揺</rb><rt>うご</rt></ruby>いていた歯がぬけた。ポコンと穴があいて、血がいくらでも出る。口もゆすがせないで、きたない手でおじいさんは白い粉の<ruby><rb>薬</rb><rt>くす</rt></ruby>りをつけてくれた。残りを小袋に入れて渡して、血がとまらなかったらつけろといった。お代が弐銭だというので、なんぼなんでも安くってびっくりした。蔵前の長井兵助の家は、店で歯磨きや<ruby><rb>楊子</rb><rt>ようじ</rt></ruby>を売っていて、大きな長い刀が飾ってあった。ヤッと掛声してすぐに抜いた。代は五銭の時と十銭の時があった。浅草公園でお<ruby><rb>馴染</rb><rt>なじみ</rt></ruby>だから、大概長井兵助へゆくのだが、お友達におしえられてこの汚いおじいさんの家へいってしまった。

花火の晩といえば、ある年、丁度花火の盛りな時刻に光りものが通った。二升もはいる大<ruby><rb>薬缶</rb><rt>やかん</rt></ruby>ほどの、鈍く光ったものが、地の上二、三尺の高さで、プカリプカリと流れていった。アンポンタンの<ruby><rb>家</rb><rt>うち</rt></ruby>の小さい女中は、裏の方にある<ruby><rb>厠</rb><rt>はばかり</rt></ruby>から出たとき、すぐそばをスーッと流れていったのでキャッと声をたてた。祖母は<ruby><rb>金玉</rb><rt>かねだま</rt></ruby>だといった。<ruby><rb>金盥</rb><rt>かなだらい</rt></ruby>か<ruby><rb>鍋</rb><rt>なべ</rt></ruby>でふせなければだめなのだといった。都会の夏の夜でさえ無気味なものが、人里はなれた原っぱなんぞでぶつかったらどんなだろう。

花火の風船のように飛んでしまった。はじめの<ruby><rb>牢屋</rb><rt>ろうや</rt></ruby>の原へ帰ろう。中洲に賑いをとられない前は、牢屋の原が小屋がけ見世もの場でさかっていた。つとめて土地の不浄を払おうとしたのであろう。表通りの鉄道馬車路を商家にし、不浄門（死体をかつぎ出した裏門）のあった通りと、<ruby><rb>大牢</rb><rt>ろう</rt></ruby>のあった方の<ruby><rb>溝</rb><rt>みぞ</rt></ruby>を埋めて、その側の表に面した方へ、<ruby><rb>新高野山大安楽寺</rb><rt>こうぼうさま</rt></ruby>と<ruby><rb>身延山久遠寺</rb><rt>にちれんさま</rt></ruby>と、<ruby><rb>村雲別院</rb><rt>むらくもさま</rt></ruby>と、<ruby><rb>円光大師寺</rb><rt>えんこうだいしさま</rt></ruby>の四ツの<ruby><rb>寺院</rb><rt>おてら</rt></ruby>を<ruby><rb>建立</rb><rt>こんりゅう</rt></ruby>し、<ruby><rb>以前</rb><rt>もと</rt></ruby>の表門の口が憲兵<ruby><rb>屯所</rb><rt>とんしょ</rt></ruby>で、ぐるりをとりまいたが、寺院がそう立揃わないうちは、真中の空地に綱わたりや、野天の<ruby><rb>軽業</rb><rt>かるわざ</rt></ruby>がかかっていた。

その中でも、<ruby><rb>蝋燭屋</rb><rt>ろうそくや</rt></ruby><ruby><rb>一蝶</rb><rt>いっちょう</rt></ruby>という仕掛け怪談話が非常にうけた。そまつなつくりではあったが、<ruby><rb>寄席在</rb><rt>よせい</rt></ruby>よりも広いくらいな地どりで、だんだん半永久に造り直していって、すっかり座れるようになっていた。寄席と違うのは、客席の前の方――入口近くでも曲芸をやり高座でもやるのだ。<ruby><rb>籠</rb><rt>かご</rt></ruby>抜け――あるいは白刃を縦横に突通し、ある時は蝋燭の灯を透間なく、横筒の蛇籠のように長い籠にならべて、その中を桃色の鉢巻きをした子供が、<ruby><rb>繻子</rb><rt>しゅす</rt></ruby>の着物に<ruby><rb>袴</rb><rt>はかま</rt></ruby>をつけて、掛声もろとも難なく飛抜ける。その鮮かな曲芸と、曲芸師の身なりが、<ruby><rb>漸</rb><rt>ようや</rt></ruby>くポツポツ拾いよみしていた、<ruby><rb>曲亭馬琴</rb><rt>きょくていばきん</rt></ruby>の『八犬伝』のなかの<ruby><rb>犬阪毛野</rb><rt>いぬさかけの</rt></ruby>を思わせて、アンポンタンの空想ずきを非常に楽しませてくれた。もとより寄席ではない見世ものだから、その曲芸は客を誘うために、あるていどまで、<ruby><rb>外</rb><rt>おもて</rt></ruby>に立見する客へも見せるから、人気はすばらしかった。怪談の前になると、立っているものも続々はいってきた。

高座の仕掛けは、その頃はやった何段返しとかいうので、<ruby><rb>後景</rb><rt>はいけい</rt></ruby>が幾段にも変るのだった。場内が暗くなると行燈のそばに幽霊が立っている。青テルの<ruby><rb>人魂</rb><rt>ひとだま</rt></ruby>が燃えゆれる――

「かあいやそなたは迷うたナァ」

と<ruby><rb>真打</rb><rt>しんう</rt></ruby>ちの一蝶親方が舞台がかりでいうと、

「うらめしや……」

なんとかと幽霊がいうていた。だが、あたしは<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">ぞくぞく</span><ruby><rb>怖</rb><rt>こわ</rt></ruby>がった。いま考えると、なかなか<ruby><rb>策師</rb><rt>さくし</rt></ruby>だったといえる。江戸人の――いえ、当時の日本人の誰にも感じられる、<ruby><rb>厭</rb><rt>いや</rt></ruby>な連想をもった、場処がらである。江戸三百年、どんなに<ruby><rb>無辜</rb><rt>むこ</rt></ruby>の民が泣いたか知れない、<ruby><rb>脅</rb><rt>おび</rt></ruby>やかされた牢屋のあとだ。ことに世の中が変動する前には、安政の大疑獄以来、幾多有為の士を、再び<ruby><rb>天日</rb><rt>てんぴ</rt></ruby>の下にかえさず<ruby><rb>呑</rb><rt>の</rt></ruby>んでしまった牢屋の所在地だ。<ruby><rb>鬼哭啾々</rb><rt>きこくしゅうしゅう</rt></ruby>、人の心は、そこの土を踏むだけで傷みに<ruby><rb>顫</rb><rt>ふる</rt></ruby>える。その心理を利用したのだ。<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">たね</span>はどんなチャチなものでもかまわない。<ruby><rb>掴</rb><rt>つか</rt></ruby>んだものが生きている。見る方、聴く方の、お客の方から働らきかけてくる神経の<ruby><rb>戦</rb><rt>おのの</rt></ruby>きがある――そして、<ruby><rb>下座</rb><rt>げざ</rt></ruby>にはおあつらえむきの禅の<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">つとめ</span>（鳴ものの名称）和讃やらお題目やら、お線香の匂いはひとりでに流れてくる。

人情の弱点の怖いもの見たさ、客は昼も夜も満員――夜は通りの四つ角の夜店と、陽気な桜湯の縁台が、若衆たちのちぢまった肝ったまをホッと救う――