アンポンタンはぼんやりと人の顔を眺める癖があったので、

「いやだねおやっちゃん、私の顔に<ruby><rb>出車</rb><rt>だし</rt></ruby>でも通るのかね。」

さすがの藤木さんもテレて、その頃の<ruby><rb>月並</rb><rt>つきなみ</rt></ruby>な警句をいった。

小伝馬町の牢屋の原を<ruby><rb>廻</rb><rt>めぐ</rt></ruby>る四角四面の町々に、アンポンタンの友達の<ruby><rb>分譜</rb><rt>ぶんぷ</rt></ruby>があり、学んだ学校があり、長唄稽古所があり、親の<ruby><rb>知合</rb><rt>しりあい</rt></ruby>の家もあったから、私がポカンと立止って眺めているなにかしらが多くあった。もともと牢屋の原の居廻りは、日本橋という主都の中央でありながら、今でいえば<ruby><rb>新開</rb><rt>しんかい</rt></ruby>の町だけに、神田区上町との間に流れる<ruby><rb>溝</rb><rt>どぶ</rt></ruby>川の河岸についた、もとの大牢の裏手の方は<ruby><rb>淋</rb><rt>さび</rt></ruby>しいパラッとした町で、<ruby><rb>呆</rb><rt>ほう</rt></ruby>けたような空気だった。そのかわりに今いえば日本橋区内の<ruby><rb>何処</rb><rt>どこ</rt></ruby>でもに見られない新職業があった。古鉄屑屋の前に立って、暗い土間の隅の釜で、活字が鉛に解かされてゆくのを<ruby><rb>何時</rb><rt>いつ</rt></ruby>までも眺めたりしていた。<ruby><rb>古莚</rb><rt>ふるむしろ</rt></ruby>に山と積んだ、汚ない細かい<ruby><rb>鉄屑</rb><rt>かなくず</rt></ruby>が<ruby><rb>塵埃</rb><rt>ごみ</rt></ruby>と一緒に<ruby><rb>箕</rb><rt>み</rt></ruby>で釜の中へはかりこまれると、ギラギラした銀色の重い水に解けてゆくのを、いくら見ていても<ruby><rb>厭</rb><rt>あ</rt></ruby>きなかった。それが泥の中へこぼされると、なまこ型にかたまるのも面白かった。またある板がこいの中を<ruby><rb>覗</rb><rt>のぞ</rt></ruby>くと、そこは地獄のように炎が<ruby><rb>嚇々</rb><rt>かっかく</rt></ruby>と燃ていて、裸の小僧さんが棒のさきへ何かつけて吹くと、<ruby><rb>洋燈</rb><rt>ランプ</rt></ruby>のホヤになるので息をのんで覗いていた。小さな瓶や、大きな瓶もすぐ出来上るのを見ていたが、暑さと苦しそうなのが、この見物とは反対に、こしらえている小僧さんたちにすまなく思わせた。

表通りには鉄道馬車の線路のある日本の中央の幹線道路でありながら、<ruby><rb>牢獄</rb><rt>ろうごく</rt></ruby>のあった時代からはかなり過ぎているのに、人通りがなくて、道巾の広い通りには野道のように草が生えていた。ガラス工場などは板屋根だからよけいに草が茂っていたが、<ruby><rb>瓦葺</rb><rt>かわらぶき</rt></ruby>の屋根にも青々とした草が黄色い花をつけていた。

藤木氏がチンコッきりをしていたのもその近所だった。はじめ私が発見した時、私は藤木氏なんぞ目にも入れなかった。<ruby><rb>忙</rb><rt>せわ</rt></ruby>しなく煙草の葉を揃える人の手元や、ジャキジャキと煙草の葉を<ruby><rb>刻</rb><rt>きざ</rt></ruby>んでいる職人の<ruby><rb>手許</rb><rt>てもと</rt></ruby>を夢中になって眺めていた。

その日の夕方、いつものように来て、藤木さんは母に<ruby><rb>呟</rb><rt>こぼ</rt></ruby>していた。

「今日ってきょうは弱ったのなんのって、汗が出たね。だんまりはいいがね、いつまでもいつまでも立って見ているのだからね。こっちのほうがなにか言わなくちゃならない気がして――」

だが真から心配そうにもいった。

「あんな道草していて、<ruby><rb>稽古</rb><rt>けいこ</rt></ruby>にほんとにゆくのかしら？」

その翌日あたしは、藤木さんのチンコッきりを立って見ていてはいけないと<ruby><rb>誡</rb><rt>いまし</rt></ruby>められた。そのついでに母と誰かが話していたのだが、チンコッきりおじさんは、職人としても<ruby><rb>好</rb><rt>よ</rt></ruby>くないのだそうだ。細君の方は目が高くて、煙草の葉を<ruby><rb>選</rb><rt>よ</rt></ruby>るのにたしかで早い、大事な内職人なので、その方を手離したくないために、役にたたない御亭主も雇っておいてくれる。<ruby><rb>家</rb><rt>うち</rt></ruby>でも口やかましい人が外に出ていてくれるのだから、大切に、おがむようにして出してやる。店の方でも細君の方に沢山仕事をさせたいので、機嫌をとっておいてくれるので、それでも三日目位にはあきてしまうのだと言った。

藤木さんはその頃が貧窮のどん底だったが、細君の前だけでは、封建的殿様ぶりを発揮して、怒鳴ってばかりいた。<ruby><rb>蜜柑</rb><rt>みかん</rt></ruby>箱にキンタマ火鉢を入れたのが長火鉢かわりの<ruby><rb>生活</rb><rt>くらし</rt></ruby>でいて、

「貴様なんぞはボテイフリの<ruby><rb>嬶</rb><rt>かかあ</rt></ruby>にでもなれ。」

というのが口癖で、<ruby><rb>魚売</rb><rt>さかなや</rt></ruby>は自分よりよほど身分違い――さも低級でもあるように<ruby><rb>賤</rb><rt>いや</rt></ruby>しめて<ruby><rb>罵</rb><rt>ののし</rt></ruby>る<ruby><rb>習慣</rb><rt>くせ</rt></ruby>があったのだ。貞淑な細君は、そんな事を言われても<ruby><rb>尤</rb><rt>もっと</rt></ruby>ものように押だまって辛棒強く働いていた。手跡はお家流をよく書き、腰折れの一首もものし、貧乏の中に風流を解するゆとりもあり、<ruby><rb>容貌</rb><rt>きりょう</rt></ruby>は木魚の顔のおじいさんの娘なりに、似てはいたが醜くはなかった。

娘のおあさは色の黒いところと、人のよい正直者の表標のような光りをもつくせに、ちょいと見は鋭く見える眼つきを父親からもらって、母親からは祖父ゆずりのお<ruby><rb>出額</rb><rt>でこ</rt></ruby>を与えられた。髪の毛の濃い小ぢんまりした小さな娘だった。

ある日、藤木夫妻と娘とが、私の祖母と母の前に並んで座っていた。あたしもそばへ行って座った。丁度父が<ruby><rb>外</rb><rt>おもて</rt></ruby>から帰って来て客のまたせてある<ruby><rb>室</rb><rt>へや</rt></ruby>へゆきがけに通ると、母が<ruby><rb>縋</rb><rt>すが</rt></ruby>るように言った。

「おあさが<ruby><rb>小蒔屋</rb><rt>こまきや</rt></ruby>へ行くことにきまりまして――」

「そうか、金助の<ruby><rb>家</rb><rt>うち</rt></ruby>か？」

「さようでございます、<ruby><rb>清元</rb><rt>きよもと</rt></ruby>が大層気に入りまして――踊りも<ruby><rb>質</rb><rt>たち</rt></ruby>がいいと<ruby><rb>仰</rb><rt>おっ</rt></ruby>しゃってくださいますので――」

藤木の細君がいった。

小蒔屋――<ruby><rb>柳橋</rb><rt>やなぎばし</rt></ruby>の芸妓屋の名だった。家へも来るが、両国広小路――電車道路となったが――の、両国橋にむかって右側に、「<ruby><rb>芭蕉</rb><rt>ばしょう</rt></ruby>」という大きな薬種屋があって、芭蕉の葉が一葉大きく青く彫刻した看板が棟にあげてある店だった。その薬種屋は「正久の一」という名人の<ruby><rb>鍼灸医</rb><rt>はりい</rt></ruby>の家で広い店二階に一ぱい患者が詰めかけていた。正久さんは盲目だが上品な老人で、<ruby><rb>供</rb><rt>とも</rt></ruby>がついて祖母のために療治に来てくれたが、なにしろ患者が多いので祖母の方から通う日も多かった。そこの待合せは所がら芸妓やや<ruby><rb>料理店</rb><rt>おちゃや</rt></ruby>の人が多く、藤木夫婦の望みと<ruby><rb>抱妓</rb><rt>かかえ</rt></ruby>をほしがっている小蒔屋との交渉が、おもいがけなく私の祖母から出来上ってしまったのだった。

おあさのために御馳走がならべられて、口々に<ruby><rb>褒</rb><rt>ほ</rt></ruby>めた。

「おあさは孝行ものだ、親孝行だ。」

父までが藤木さんに<ruby><rb>杯口</rb><rt>ちょく</rt></ruby>を与えながらいった。

「おれの<ruby><rb>家</rb><rt>うち</rt></ruby>でも女の子が多いから、芸妓やをはじめると<ruby><rb>資金</rb><rt>もとで</rt></ruby><ruby><rb>入</rb><rt>い</rt></ruby>らずだが――」

<ruby><rb>十</rb><rt>とお</rt></ruby>ばかりの<ruby><rb>従姉</rb><rt>いとこ</rt></ruby>と、私はだんまりで、二人ともこぼれない涙に<ruby><rb>瞳</rb><rt>め</rt></ruby>が光っていた。おなじようにムンヅリしていたが、子供心にも思うことは違っていたのかもしれない。私は子供心には言いあらわせない反抗心がグイグイと胸をつきあげていた。その時、父も<ruby><rb>厭</rb><rt>いや</rt></ruby>だった、褒めそやす母は一層憎かった。ふだんは好きな祖母も、そんな世話をしたかと思うと悲しかった。もとより、<ruby><rb>芸妓</rb><rt>げいしゃ</rt></ruby>は美しいものとして、その<ruby><rb>他</rb><rt>ほか</rt></ruby>の悪いことは知っていようはずもないのに、なぜだか、なんとも言えない泣きたい思いを堪えていた。

「親孝行なんて、親孝行なんて――」

なあんだ――ただそう叫びたかった。みんなにむしゃぶりつきたい、わけのわからないむしゃくしゃだった。

「そんな親孝行なんぞしたくもない。」

そう言いたかったのだ、お金で――金のねうちを知らない子供には、物品とおなじように金で子供を売ってしまう親がただ憎かったのだ。それを褒めそやす自分の親たちがなお憎かった、厭だった。子供はもっともっと親をよく思っているのに――私はやりどころのないわびしさを従姉にむけて<ruby><rb>睨</rb><rt>ね</rt></ruby>めつけた。従姉は、蝶々<ruby><rb>髷</rb><rt>まげ</rt></ruby>を光らせて、私の眼を避けてうつむいた。上から釣るされている大洋燈の<ruby><rb>灯</rb><rt>ひ</rt></ruby>に、蝶々の<ruby><rb>簪</rb><rt>かんざし</rt></ruby>がペカペカした。

この<ruby><rb>下地</rb><rt>したじ</rt></ruby>ッ子が、二、三年たってから、盆暮れの<ruby><rb>宿下</rb><rt>やどお</rt></ruby>りに母親につれられて来て、柳橋へ帰るかえりに寄った。<ruby><rb>緋</rb><rt>ひ</rt></ruby>の<ruby><rb>板〆縮緬</rb><rt>いたじめぢりめん</rt></ruby>に<ruby><rb>鶯</rb><rt>うぐいす</rt></ruby>色の<ruby><rb>繻子</rb><rt>しゅす</rt></ruby>の<ruby><rb>昼夜帯</rb><rt>はらあわせ</rt></ruby>を、ぬき<ruby><rb>衣紋</rb><rt>えもん</rt></ruby>の背中にお太鼓に結んで、<ruby><rb>反</rb><rt>そ</rt></ruby>った<ruby><rb>唐人髷</rb><rt>とうじんまげ</rt></ruby>に結ってきたが、帰りしなには、<ruby><rb>差櫛</rb><rt>くし</rt></ruby>や<ruby><rb>珊瑚珠</rb><rt>たま</rt></ruby>のついた<ruby><rb>鼈甲</rb><rt>べっこう</rt></ruby>の簪を懐紙につつんで帯の間へ大事そうにしまいこみ、<ruby><rb>褄</rb><rt>つま</rt></ruby>さきを帯止めにはさんで、お<ruby><rb>尻</rb><rt>しり</rt></ruby>をはしょった。

私はさびしい気持でそれを眺めていた。私の着物を従姉が着るのでよけい親しみが深かったのに、なんとなくその日の従姉は私から離れていってしまっていた。おあさちゃんの体の方が借りものになって、着物や簪の方が<ruby><rb>巾</rb><rt>はば</rt></ruby>をきかせていた。

その頃になって、藤木さんの<ruby><rb>世帯</rb><rt>しょたい</rt></ruby>は、すこしばかりゆとりが出来た様子になった。根岸の<ruby><rb>鶯谷</rb><rt>うぐいすだに</rt></ruby>の奥の<ruby><rb>植木師</rb><rt>うえきや</rt></ruby>の庭つづきの、<ruby><rb>小態</rb><rt>こてい</rt></ruby>な寮の寮番のような事をしながら、相変らずチンコッきりと煙草の<ruby><rb>葉選</rb><rt>はよ</rt></ruby>りの内職だった。妹娘は<ruby><rb>常磐津</rb><rt>ときわず</rt></ruby>を仕込んでいたが、勝川のおばさんの方へ多くいっていた。

<ruby><rb>音無川</rb><rt>おとなしがわ</rt></ruby>を――<ruby><rb>現今</rb><rt>いま</rt></ruby>では汚れた溝川になっているが――前にした、静かな往来にむかって、百姓<ruby><rb>家</rb><rt>や</rt></ruby>の角に、竹で網んだ<ruby><rb>片折戸</rb><rt>かたおりど</rt></ruby>をもった、粗末ではあるが<ruby><rb>閑寂</rb><rt>かんじゃく</rt></ruby>な小屋に、湯川氏のおばあさんが、ポツンと一人住んでいたころなので、私が子供のくせに<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">ふさぎ</span>の虫を起すと、母は<ruby><rb>出養生</rb><rt>でようじょう</rt></ruby>の意味で、あの心持ちの至極のんびりしたおばあさんの家へ私をやってくれるのであった。

前にはざわざわ<ruby><rb>細流</rb><rt>ながれ</rt></ruby>がつぶやいている。向うの<ruby><rb>藪</rb><rt>やぶ</rt></ruby>には赤い<ruby><rb>椿</rb><rt>つばき</rt></ruby>が咲いて、春の日は流れにポタンと花がおちる。夏ははちすの花が<ruby><rb>早抹</rb><rt>あさあけ</rt></ruby>に深い<ruby><rb>靄</rb><rt>もや</rt></ruby>の中にさいて、藪の<ruby><rb>蜘蛛</rb><rt>くも</rt></ruby>の巣にも花にも朝露がキラキラと光って空がはれていった。藪には土橋をかけて、<ruby><rb>冠木門</rb><rt>かぶきもん</rt></ruby>の大百姓の<ruby><rb>広庭</rb><rt>ひろにわ</rt></ruby>と、奥深く大きな<ruby><rb>茅屋根</rb><rt>かややね</rt></ruby>が見えていた。お<ruby><rb>行</rb><rt>ぎょう</rt></ruby>の松にむかった方には<ruby><rb>狩野</rb><rt>かのう</rt></ruby>という絵師の家が、<ruby><rb>鬱蒼</rb><rt>こんもり</rt></ruby>した中に建っていた。

お行の松は、湯川のおばあさんの茅屋からは左斜めの向側にあって、板小屋の不動堂とその後に寒竹の茂みのある<ruby><rb>幽邃</rb><rt>ゆうすい</rt></ruby>な一区域になって、音無川が道路とへだてていた。裏の百姓家も植木師をかねていたので、おばあさんの<ruby><rb>小屋</rb><rt>こいえ</rt></ruby>の台所の方も、<ruby><rb>雁来紅</rb><rt>はげいとう</rt></ruby>、<ruby><rb>天竺葵</rb><rt>あおい</rt></ruby>、<ruby><rb>鳳仙花</rb><rt>ほうせんか</rt></ruby>、<ruby><rb>矢車草</rb><rt>やぐるまそう</rt></ruby>などが低い垣根越しに見えて、鶏の高く<ruby><rb>刻</rb><rt>とき</rt></ruby>をつくるのがきこえた。おばあさんの片折戸のせまい空地も<ruby><rb>弟切</rb><rt>おとぎ</rt></ruby>り<ruby><rb>草</rb><rt>そう</rt></ruby>が<ruby><rb>苔</rb><rt>こけ</rt></ruby>のように生えて、水引草、<ruby><rb>秋海棠</rb><rt>しゅうかいどう</rt></ruby>、おしろいの花もこぼれて咲いていた。

あたしにはその家がめずらしくってたまらなかった。車馬の<ruby><rb>轟</rb><rt>とどろ</rt></ruby>きはめったに聞こえず、人が尋ねてくるではなし、昼間家の中を<ruby><rb>青蛙</rb><rt>あおがえる</rt></ruby>が飛んでいるし、道ばたの小家に<ruby><rb>簾</rb><rt>すだれ</rt></ruby>を釣って、朝、夜明から戸をあけて<ruby><rb>蚊帳</rb><rt>かや</rt></ruby>は釣りっぱなしで寝ていると、まだほの暗い中を人声がして前の川で顔を洗っている。

「おばあさん、あれはなに？」

ときくと、あの顔の大きなおばあさんは、あたしが大人のような返事をして、

「<ruby><rb>吉原</rb><rt>よしわら</rt></ruby>がえりだろうよ、朝がえりだね、ふられて帰る果報者ってね。」

「降られてはいやしないよ、お天気だよ。」

とアンポンタンとちゃんぽんな問答をする。そうかと思うと、

「<ruby><rb>入谷</rb><rt>いりや</rt></ruby>へ朝顔を見にゆこうかね、それは<ruby><rb>美事</rb><rt>みごと</rt></ruby>だよ。」

「<ruby><rb>田圃</rb><rt>たんぼ</rt></ruby>へ<ruby><rb>蓮</rb><rt>はす</rt></ruby>の咲くのを見に行こうよう、おばあさん。ポンポンて音がするってね？」

「この子はまあ、田圃が好きで、お百姓のお嫁さんにしなければなるまいかねえ。」

あたしは顔も洗わずに、湿った土の上へ一足、片折戸を開けて飛出すと、向うの大百姓の家のお嫁さんが<ruby><rb>生姜</rb><rt>しょうが</rt></ruby>を<ruby><rb>堰</rb><rt>せき</rt></ruby>でせっせと洗っていた。名物の<ruby><rb>谷中</rb><rt>やなか</rt></ruby>生姜は葉が青く生々していて、黒い土がおとされると、真白な根のきわにほの赤い皮が、<ruby><rb>風呂</rb><rt>おゆ</rt></ruby>から出た奇麗な人の血色のように鮮かに目立った。ボンヤリ見ている私は手伝いたくてウズウズしている。小僧さんが<ruby><rb>天秤棒</rb><rt>てんびんぼう</rt></ruby>が<ruby><rb>撓</rb><rt>たわ</rt></ruby>むほど、<ruby><rb>籠</rb><rt>かご</rt></ruby>に一ぱいの大きな<ruby><rb>瓜</rb><rt>うり</rt></ruby>を担いで来て、<ruby><rb>土橋</rb><rt>どばし</rt></ruby>をギチギチ急いで渡ってた。

町の子のあたしが、笹舟を流すことを知ったのも、麦笛を吹いたのも、<ruby><rb>夜蒔</rb><rt>よま</rt></ruby>きの瓜の講釈をきいたのも、田圃へ<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">どじょう</span>を突きに行ったのも、根岸の里住居のたまものだった。おばあさんは切れの<ruby><rb>巾着</rb><rt>きんちゃく</rt></ruby>の中味を勘定して、あたしのおやつや好きな<ruby><rb>塩鮭</rb><rt>しおじゃけ</rt></ruby>の一切れを買いにいった。まだ上野山下の青石横町にいる時分に、あたしは<ruby><rb>雨上</rb><rt>あまあが</rt></ruby>りに三枚橋下へ小魚を<ruby><rb>掬</rb><rt>すく</rt></ruby>いにいったり、山内へ<ruby><rb>椎</rb><rt>しい</rt></ruby>の実を拾いにいって、夜になるとおばあさんの不思議な話をききながら<ruby><rb>煎</rb><rt>い</rt></ruby>ってもらって、椎の実の味を知った。秋のはじめになると、

「<ruby><rb>蓮</rb><rt>はす</rt></ruby>の実はいらないか、蓮の実いらないか。」

と短く折った蓮の<ruby><rb>蕋</rb><rt>しべ</rt></ruby>を抱えて、売ってくれる子とも<ruby><rb>馴染</rb><rt>なじみ</rt></ruby>になって、蓮の実の味も知った。そんな事は日本橋油町<ruby><rb>辺</rb><rt>あた</rt></ruby>りの子供の誰一人知ってはいなかった。

田圃道を歩きながら、おばあさんは<ruby><rb>錦絵</rb><rt>にしきえ</rt></ruby>のような話をはじめる。

「根岸にはお大名の<ruby><rb>別荘</rb><rt>しもやしき</rt></ruby>が沢山あるけれど、加賀様のお姫さまがたは揃ってお美しかった。お前さん、<ruby><rb>桜</rb><rt>はな</rt></ruby>の咲くころに、お<ruby><rb>三方</rb><rt>さんかた</rt></ruby>もお<ruby><rb>四方</rb><rt>よかた</rt></ruby>も揃ってお<ruby><rb>出</rb><rt>いで</rt></ruby>になると、まるで田舎源氏の挿絵のようさね。」

「おばあさん、お姫様はピラピラをさげてる？」

「お<ruby><rb>袿</rb><rt>かけ</rt></ruby>は召ていないが、お振袖で、<ruby><rb>曙染</rb><rt>あけぼのぞめ</rt></ruby>で、それはそれは奇麗ですよ、お前さんに見せたいね。ほんと！　桜の花よりものいう花がきれいさ。」

あたしにはまたちょいとこの<ruby><rb>会話</rb><rt>はなし</rt></ruby>が分らなくなる。<ruby><rb>牛乳</rb><rt>ちち</rt></ruby>を<ruby><rb>呑</rb><rt>の</rt></ruby>ましてくれる<ruby><rb>家</rb><rt>うち</rt></ruby>の<ruby><rb>門</rb><rt>かど</rt></ruby>に来た。

「ここらはもう<ruby><rb>三河島</rb><rt>みかわしま</rt></ruby>田圃。」

とおばあさんがいったから、三河島の方へ寄っていたのであろう。<ruby><rb>一構</rb><rt>ひとかまえ</rt></ruby>の百姓家は牧場になっていた。牛の牧場なんてそれまで見た事もない私だった。優しい眼をした黄と白の<ruby><rb>斑牛</rb><rt>まだらうし</rt></ruby>が寝そべっていて、可愛い<ruby><rb>仔牛</rb><rt>こうし</rt></ruby>がいたが、生きた牛の<ruby><rb>添</rb><rt>そば</rt></ruby>にいった事はないし、臆病な私は<ruby><rb>怖</rb><rt>こわ</rt></ruby>かった。若いキリリとした<ruby><rb>女房</rb><rt>おかみ</rt></ruby>さんが、堀井戸に釣るしてあった<ruby><rb>鑵</rb><rt>かん</rt></ruby>からコップへ牛乳を<ruby><rb>酌</rb><rt>く</rt></ruby>んでくれた。濃い、甘い、冷たい牛乳だった。

「お砂糖がはいっているよ。」

と私が<ruby><rb>悦</rb><rt>よろこ</rt></ruby>んでいうと、おかみさんとお亭主が笑っていった。

「お砂糖はいれてないけれど、絞りたての<ruby><rb>甘</rb><rt>うま</rt></ruby>いのをあげたのさ。」

こんな<ruby><rb>風</rb><rt>ふう</rt></ruby>におばあさんはよく私を連れて<ruby><rb>他家</rb><rt>よそ</rt></ruby>へいった。私が本を読みたがると、<ruby><rb>何処</rb><rt>どこ</rt></ruby>からか聞きだしてきてくれて、私を貸本屋へつれてゆくといった。

毎日二時過ぎると小さなお<ruby><rb>釜</rb><rt>かま</rt></ruby>でお湯を<ruby><rb>湧</rb><rt>わか</rt></ruby>して、<ruby><rb>盥</rb><rt>たらい</rt></ruby>へ行水のお湯をとってくれた。私は裏からも表からも<ruby><rb>見透</rb><rt>みすか</rt></ruby>しの場処でのんきに盥の中へ座る。雨蛙にもお湯をぶっかける。大きな山<ruby><rb>蟻</rb><rt>あり</rt></ruby>が逃出すのを面白がる。<ruby><rb>或</rb><rt>ある</rt></ruby>時は<ruby><rb>蟇</rb><rt>ひきがえる</rt></ruby>と<ruby><rb>睨</rb><rt>にら</rt></ruby>めっこしながら盥の中にかしこまっている。涼しい風にくしゃみをするとおばあさんが声をかける。

「さあ、もういいよ。」

汗知らずをまだらにはたきつけて貸本屋さんへ出かける――

貸本屋も御隠居処なのである。寒竹の垣根つづきの細道を、寒竹の竹の子を抜きながらゆくと何処でか<ruby><rb>藪鶯</rb><rt>やぶうぐいす</rt></ruby>が鳴いている。カラカラと、<ruby><rb>辷</rb><rt>すべ</rt></ruby>りのいい門の戸をあけると、<ruby><rb>踏石</rb><rt>ふみいし</rt></ruby>だけ残して、いろとりどりな松葉<ruby><rb>牡丹</rb><rt>ぼたん</rt></ruby>が一面。軒下に下っている鈴をならすと、切髪の<ruby><rb>綺麗</rb><rt>きれい</rt></ruby>な女隠居が出てきて、両手を揃えて丁寧におじぎをした。

『妙々車』『浅間嶽』などが私の膝の前に高く積み重ねられた。私は幾度か見たものもあればまだ一度も開いたことのないものもあった。小さな私が一心を<ruby><rb>魅</rb><rt>と</rt></ruby>られてしまっている時にこの二人の閑人――老婆がどんな話をしていたのか、思出すことも出来ない。

「これだけ拝借して、一日三銭でよいと<ruby><rb>仰</rb><rt>おっ</rt></ruby>しゃったよ。」

湯川のおばあさんは帰り道でそういった。私の本の見方が、大人より大切にして、キチンと座って読んでいるのに、先方の老女が感心して安くしてくれたのだと、――それにしても、あんまり<ruby><rb>少額</rb><rt>すけ</rt></ruby>ないお礼に驚いた。

「宅にあるのを、みんな読ましておあげなさい。お<ruby><rb>好</rb><rt>すき</rt></ruby>なものを見せないなんて、わからない<ruby><rb>親御</rb><rt>おやご</rt></ruby>さんだ。」

そうも言ったのだそうだ。けれどその家にはくさ草紙よりほかなかった。

夕暮が来て、草双紙にもあきると、おばあさんを誘ってまた田圃に出た。<ruby><rb>蛍</rb><rt>ほたる</rt></ruby>がチラホラ飛んでいる。小さな棺を担がした人がスタスタ通ってゆく。前の<ruby><rb>堰</rb><rt>せき</rt></ruby>では農具を洗っている。<ruby><rb>鍬</rb><rt>くわ</rt></ruby>が<ruby><rb>暗</rb><rt>やみ</rt></ruby>にも光る――その<ruby><rb>側</rb><rt>そば</rt></ruby>で、大きな瓜を二ツに裂いている。

「この種をも一度<ruby><rb>蒔</rb><rt>ま</rt></ruby>くので、<ruby><rb>熟</rb><rt>う</rt></ruby>れすぎたから塩押しにするのだ。」

と教えてくれる。三河島田圃の方の空が明るくて、賑やかな物音のする<ruby><rb>心地</rb><rt>ここち</rt></ruby>がすると、あっちが吉原だと言った。昼間よりも、田圃みちを人が通っている。

谷中<ruby><rb>芋坂</rb><rt>いもざか</rt></ruby>の名物<ruby><rb>羽二重</rb><rt>はぶたえ</rt></ruby><ruby><rb>団子</rb><rt>だんご</rt></ruby>がアンポンタンのお茶受けに好きだった。その団子屋の近くは藤木さんの住居になった寮だ。腰障子の土間の広い、荒っぽい<ruby><rb>材組</rb><rt>きぐみ</rt></ruby>で、柱なんぞも太かったが、簡素な造りで、藤木さんは手拭ゆかたを着て、<ruby><rb>目白</rb><rt>めじろ</rt></ruby>をおとりにして木立に小鳥籠が<ruby><rb>幾個</rb><rt>いくつ</rt></ruby>かかけてあった。<ruby><rb>瑠璃</rb><rt>るり</rt></ruby>の朝顔が大輪に咲くのを自慢した。

朝顔を見にいった朝は、なんでも朝飯を食べていってくれと夫婦していった。それは私に代表させた私一家へ対しての、<ruby><rb>夫婦</rb><rt>ふたり</rt></ruby>の感謝だったのかも知れない。子供だけれど潔癖だからと、白い御飯を光るように<ruby><rb>炊</rb><rt>た</rt></ruby>いてだした。お豆腐の上に、まっ青な、<ruby><rb>香</rb><rt>かおり</rt></ruby>の高い<ruby><rb>紫蘇</rb><rt>しそ</rt></ruby>の葉がきざんで乗せてあるのが私をよろこばせた。

「妙なものが好きだ。」

<ruby><rb>夫婦</rb><rt>ふたり</rt></ruby>は私のお<ruby><rb>膳</rb><rt>ぜん</rt></ruby>の前にいて、<ruby><rb>煽</rb><rt>あお</rt></ruby>いでくれながらいった。

「お豆腐のきらいなのは知っているから、どうしたら好いかと心配したのだった。青いものが好きだから気に入るかと思って――」

木の枝にかけわたした竹<ruby><rb>棹</rb><rt>ざお</rt></ruby>に<ruby><rb>蔓</rb><rt>つる</rt></ruby>がまきついて、<ruby><rb>唐茄子</rb><rt>とうなす</rt></ruby>が二ツなっていた。

「朝顔につるべとられて――とかなんとかいうが、おやっちゃん、<ruby><rb>宅</rb><rt>うち</rt></ruby>じゃあね、あれごらん、唐茄子に<ruby><rb>乾棹</rb><rt>ほしざお</rt></ruby>とられてだよ。」

藤木さんは秀逸らしくいって、

「だけど、<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">うん</span>と大きくして、油町へもってったって、こいつあ<ruby><rb>一個</rb><rt>ひとつ</rt></ruby>でも、とてもあまるって、あの人数でも<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">うな</span>らせるほど大きくするんだ。」

「桃の中から桃太郎が出るから、唐茄子から何が出るか、あたくしゃあ楽しみだよ。」

と湯川おばあさんがいった。

「<ruby><rb>違</rb><rt>ちげ</rt></ruby>えねえ、<ruby><rb>飴</rb><rt>あめ</rt></ruby>の中からお多福さんが出たよだ――さあさあ、これなる唐茄子から何が出ますか<ruby><rb>代価</rb><rt>だい</rt></ruby>は見てのおもどり――ハッ来た、とくりゃあたいしたものだが、文福茶釜じゃあるめえし、鍋に入れたからって踊りだしゃあしまい。」

藤木さんがそんな<ruby><rb>戯談</rb><rt>じょうだん</rt></ruby>をいった時に、唐茄子の中にははいっていたものがあったのだった。あんまり大きくなるが様子が変だからと、<ruby><rb>庖丁</rb><rt>ほうちょう</rt></ruby>を入れたら小蛇が<ruby><rb>断</rb><rt>き</rt></ruby>れて出た。

幾年か<ruby><rb>経</rb><rt>た</rt></ruby>った。千葉の方にいた私の母の妹が、藤木の家が気楽だからと荷物をおいて宿にしていた。土佐の藩士で造幣局に出て、失職して千葉の監獄の監守になり、後に台湾で<ruby><rb>骨董</rb><rt>こっとう</rt></ruby>商と金貸をした（虎と蛇の薬をもって来た）人の細君だった。――その時分<ruby><rb>漸</rb><rt>ようや</rt></ruby>く奉還金の残りが公債証書で渡されるとかいって悦びあっていた間柄だった――気むずかしい毒舌家の藤木さんが、一番気のあった<ruby><rb>女</rb><rt>ひと</rt></ruby>だった。<ruby><rb>極</rb><rt>ご</rt></ruby>く早いお茶の水の卒業生だった彼女が学校を出て、大丸横町の岡田学校というのへ月俸金四円也で奉職したのは、私なぞの知らないころだったが、わからずやの私の母は、妹が毎日<ruby><rb>袴</rb><rt>はかま</rt></ruby>をはいて大門通りを通り、近所の小学校へつとめに来られては肩味がせまいという理由のもとに抗議をもうしこんだ。そのためにあんなおじさんのところへお嫁入りをさせられたのだと、明治十何年か時代のモダン女性は、平凡に――あんまり平凡になりすぎた運命をよく嘆いていた。

ある日<ruby><rb>坂本</rb><rt>さかもと</rt></ruby>に昼火事があって、藤木さんは<ruby><rb>義妹</rb><rt>いもうと</rt></ruby>の一人子を肩にして見物していたが、火勢が盛んなので義妹にも見せたくなって呼びにかえった。自分の見世物のように、勢いよく燃えあがっている火事を眺めさせていると、根岸の方に飛火があると騒ぎだした。とって返して見ると見当がわるい、自分たちの方角だ。おやおやと<ruby><rb>駈</rb><rt>か</rt></ruby>けつけて見ると、住居の<ruby><rb>茅</rb><rt>かや</rt></ruby>屋根が燃て、近所の人たちが消ていてくれた。

飛火は消えた。どうやら半焼――それも戸棚の中だけですんだというので、狂気のように家の中にはいって見ると、戸棚の中味だけがすっかり焼けつくして――やっと、どうにかなりかけた藤木の<ruby><rb>品</rb><rt>もの</rt></ruby>ばかりでなく、田舎からはこんで来た義妹の家財は一物も満足なのはなく、一緒にして<ruby><rb>鞄</rb><rt>かばん</rt></ruby>へ入れておいてもらった両家の<ruby><rb>家禄奉還金</rb><rt>かろくほうかんきん</rt></ruby>の書類も灰になってしまっていた。