片山<ruby><rb>国嘉</rb><rt>くにか</rt></ruby>博士が名代の禁酒論者であるのは知らぬ者はない。博士の説によると、不良少年、白痴、巾着切……などいふ<ruby><rb>輩</rb><rt>てあひ</rt></ruby>は、大抵酒飲みの子に生れるもので、世間に酒が無かつたら、天国はつい手の<ruby><rb>達</rb><rt>とゞ</rt></ruby>きさうなところまで引張り寄せる事が出来るらしい。

尤も亡くなつた上田敏博士などは、酒が<ruby><rb>肉体</rb><rt>からだ</rt></ruby>によくないのは判つてゐる。だが、素敵に精神の助けになるのは争はれない。自分は肉体と精神と<ruby><rb>孰方</rb><rt>どちら</rt></ruby>を愛するかといへば、言ふ迄もなく精神を愛するから酒は<ruby><rb>止</rb><rt>や</rt></ruby>められないと口癖のやうに言つてゐた。

その禁酒論者の片山博士の<ruby><rb>子息</rb><rt>むすこ</rt></ruby>に、医学士の<ruby><rb>国幸</rb><rt>くにゆき</rt></ruby>氏がある。<ruby><rb>阿父</rb><rt>おとつ</rt></ruby>さんとは打つて変つた酒飲みで、酒さへあれば、天国などは質に入れても<ruby><rb>可</rb><rt>い</rt></ruby>いといふ<ruby><rb>性</rb><rt>たち</rt></ruby>で毎日浴びる程酒を飲んでは太平楽を言つてゐた。

阿父さんの博士もこれには閉口したらしかつたが、それでも、

「俺は俺、忰は忰さ。忰が一人酒を飲んだところで、俺が禁酒会員を二人<ruby><rb>拵</rb><rt>こさ</rt></ruby>へたら<ruby><rb>填合</rb><rt>うめあは</rt></ruby>せはつく筈だ。」

と<ruby><rb>絶念</rb><rt>あきらめ</rt></ruby>をつけて、せつせと禁酒の伝道を怠らなかつた。

ところがその国幸医学士がこの頃になつてばつたり酒を止めて一向盃を手に取らうとしない。飲み友達が<ruby><rb>何</rb><rt>ど</rt></ruby>うしたのだと訊くと、宣教師のやうな青い顔をして、

「第一酒は身体によくないからね。それから……」

と何だか言ひ渋るのを、

「それから……何うしたんだね。」

と畳みかけると医学士は軒の鳩ぽつぽや「世間」に立聞きされない様に急に声を低めて、

「あゝして親爺が禁酒論者なのに、忰の僕が飲んだくれぢや世間体が悪いからね。」

と<ruby><rb>甚</rb><rt>ひど</rt></ruby>く<ruby><rb>悄気</rb><rt>しよげ</rt></ruby>てゐたさうだ。

禁酒論者へ報告する。まんざら捨てたものではない。酒飲みからも、国幸医学士のやうなかうした孝行者も出る世の中だ。