Soranoha

春菜

はるな

薄田 泣菫

一

郷里にゐる弟のところから、粗末な竹籠の小荷物が、押潰されたやうになつたまま送りとどけられて来た。

その途端、鼻を刺すやうな激しい臭みが、籠の目を洩れて、そこらにぷんぷんと散ばつて往つた。それを嗅ぎつけると、私はほくそ笑みながら、すぐに自分の手で荷物の縄目を解きにかかつた。

包の中からは採りたてかと思はれるやうな、新鮮な韮の幾束かが転がり出してきた。私はその一つを手に取り上げた。

「春だなあ。韮の葉がもうこんなに伸びてる。」

私の郷里の備中地方では、よく韮を食べる。真夏になつてあの地方の小村を通りかかる人達は、そこらの農家の垣根だとか、菜園の片隅だとかいつたやうなところに、細かく群り咲いた白い花が、しなしなと風に揺られてゐるのを見かけるだらう。あれが韮なのだ。

海で漁猟するものの網に、鰆があがるころとなると、大地の温みに長い冬の眠から覚めたこの小さな蔬菜は、その扁べつたく、柔かな葉先で、重い畔土のかたまりを押し分けて、毎日のやうに寸を伸して来る。貧しい生活の農民たちが、鰆の白子でも買つて、それを汁の実にしようとする場合には、誰も彼もがいひ合せたやうに、なくてならないものとして、韮の若葉を浮かしに摘み取ることを忘れない。それほどまでにこの葷菜と魚の白子とは、汁にしてよく性が合ひ、味が合ふのだ。

二

むかし、支那の晋代に人並はづれた酒好きで、一度飲むと、三日も酔が醒めないところから、三日僕射といふ綽名を取つた周顗といふ人があつた。この人の子孫に周顒といふ清貧な隠者がゐた。

この周顒が思ひ立つて、隠遁生活を送るべく、鍾山の山深く閉籠つたことがあつた。その知人の一人で、幼いころから宰相の器として世間に重んじられてゐた王倹といふのが、ある時顒にこんなことをきいたものだ。

「あなたは山に籠つてから、めつたに外へ出られぬやうだが、山では何をめし上つてゐられますな。」

「さよう。山での食物なら、先づ赤米、白塩、緑葵、紫蓼――といつたやうなところで……」

隠遁者が色づくしの美い名前を数へ立てると、それを傍で聞いてゐたある人が、横から口を出し、

「山では蔬菜ばかしをめしあがつてゐるらしいが、そのなかで何が一番お口に合ひましたな。」

鍾山の隠者は、自分の好物を訊かれたをりに、子供がして見せるやうなはにかんだ表情をした。

「春初の早韮と、秋末の晩菘と――私の好きなのは、この二つです。」

韮のうまさは、この山中の人がいつたやうに、実際春先に土を破つて出る若芽にかぎるもののやうだ。その舌触りの滑かさにおいて、味の甘さにおいて、またこの葷菜のみが持つ腋香のやうな体臭においてさへも、春先のものは、他の季節のそれに比べると、まるで別物のやうな風味の濃かさを感じさせてくれる。

三

詩人杜甫が、ある秋の日友人阮昉から韮三十束を贈られたことがあつた。彼はその作物のなかで、

「韮の束は刈り立ての青葉のやうに新鮮で、

その根の円つこさは、玉の箸のやうだ。

私は老いて身うちが冷えるが、これさへあつたら健かでゐられよう。」

と、いつて喜んでゐるが、その季節が秋だつたのからして察すると、蔬菜は旬しゆんはづれで、春のものに比べて、食べ劣りがしたに相違ない。そんなことを思ふと、このか弱い、吹けば飛びそうな小菜のひとつびとつに、生命の蘇りとともに滋味を与へることを忘れなかつた「春」の心遣ひがしみじみと感じられないではゐられない。

ただ不思議でならないのは、私がこの葷菜を初めて口にしたころは、その臭みが鼻について仕方がなかつたものだが、とかくして食べ馴れてゐるうちに、いつのまにかその臭みが苦にならないのみか、どうかするとなつかしまれ出してさへも来たといふことだ。聞くところによると、マレエ半島産のヅリアンといふ果実は、味にかけてはすばらしく甘いが、そのいやな臭みがとてもたまらないので、大抵の人はしりごみをするさうだが、辛抱して食べ馴れてゐるうちに、その悪臭までもが、なくてならないもののやうになつて来るといふことだ。――物に馴れるといふことは、そんなものかも知れない。

底本 / Source edition

底本:「日本の名随筆59 菜」作品社
1987(昭和62)年9月25日第1刷発行
1997(平成9)年5月20日第8刷発行
底本の親本:「独楽園」創元社
1934(昭和9)年4月発行
入力:門田裕志
校正:大野 晋
2004年11月4日作成
青空文庫作成ファイル:
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書誌 / Bibliography
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薄田 泣菫「春菜」(新字旧仮名)、底本『日本の名随筆59 菜』作品社、1987年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 004897_000150, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

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