Soranoha

日記

にっき

宮本 百合子

一月五日(月曜)

山岡にかえって来る。

一月十九日(月曜)

久しぶりにて、金子茂、河崎なつ、石本、新妻氏等と一緒に偕楽園で食事をし、かえりに林町にゆく。

一月三十日(金曜)

夥おびただしき降雪。

祖母上[#中條運]のメモリーとして短いものを書き始む、『新小説』に送るつもり。

一月三十一日(土曜)

晴、この日記を買って来てつけることにする。

かなりとびとびにはなるがやはり書くものがないと淋しい。

二月七日(土曜)

「祖母のために」を終る。斎藤龍太郎氏あてに送る。

二月九日(月曜)

母と市村座。

この前の月、吉・菊[#中村吉右衛門、尾上菊五郎]連合のをYと二人で見たので、同じ場所のため或感情あり。彼女もさそって来たかった。

菊五郎相変らずうまし。かえってから、母上と、菊、吉、の芸風について話がはずんだ。

二月十三日(金曜)

今日は自分の誕生日であった。起き、二人でロシア語を勉強してから、Y、私へのおくりものを買いにと出かけてゆく。八時頃、千疋やの大きな紙包を下げて戻った。一目見、片方のは花と判ったがもう一方の大きな四角は何だか判らず、二階であけて見たら、桜文鳥の番つがいが出た。思いがけず、鳥とは思いがけず! 近所から一寸した料理をとり夕飯をおそくたべた。食後、楽しく喋り、いろいろして居るうちに、三時すぎ。眠ったのは四時頃であったろう。楽しい平和な一日であった。自分の誕生日をこの位しんから愉快に晴々と送ったことがこれ迄一度でもあっただろうか、という事を頻りに考えた。面白い。今日は西洋人のいやがる十三日 Friday だ。それでも自分にはこんなによい日。

〔欄外に〕「イスカリオテのユダ」。

二月十五日(日曜)

ロランジの音楽会だかティケットをきのう山岡にかえした手紙に入れてやってしまったし、Yは行かないというのでやめにし、起きるとすぐ倉知にことわらせる。『日日』の広告で原町に家があるというのを知り二人で出かける。随分歩いたが、思わしい家でなく、Y、東中野に人見氏を訪ねるという。もう一軒大塚坂下町九〇にある家を念のため見ようと出かけ案外よいので、それにきめる。引越しをして居るところで入っては見られなかったが、六・六・四・二という間どり。六と六との間が壁だというので大変によろし。湯殿をつけて四十八円位。家賃も手張らず。前に高師[#東京高等師範学校]の果樹園があり狭い通りだが郊外的だ。山岡にかえり、久しぶりで入浴、本を片よせてやすむ。

〔欄外に〕

アンドレーエフの「イスカリオテのユダ」。訳のわるい故か、アンドレーエフの作として、あの独特の簡明さ、クリアー・カットを感じられず。ユダの性格の見かた、焦点はよいが、もう一歩どこか物足りず。ビブリカル・テーマはあのような作家にとっても困難なものと思われる。

二月十六日(月曜)

仕事の下ごしらえをやって居たら、Yより速達。此方に来ず野上さんにゆく、よかったら来いと。午後四時すぎ。暫く考えたがさそわれ、出かける。護国寺、道カン山下で降りてからいそいだこと! 首が先にあるき、足があとにのこる有様。愉快に十一時頃まで話しYの方にかえる。かえりに小雨が降って来た。

野上さんでの話。武者小路のこと、鼓のこと、「ゲエテとの対話」について。現代人ということ――夏目漱石先生の息のこと。Mr. ホワイマントのこと。

二月十八日(水曜)

仕事の筋がきを作る。始め、どこから出てよいか一寸わからず。船の上からか、又はH町の家についてからか。

二月十九日(木曜)

船の上からでは冗漫になるだろう。家にかえってからの方がよろしいと思う。

二月二十日(金曜)

頭がはっきりせず、殆ど不安を感じて居たら、お客。安心し、さっぱりした。今井氏という人来。どういうものか、一家の主人と見えず、番頭番頭して居る。夕方から林町にゆく。スエ子又喘息で三四日床について居た由。国男も製図があるので来て居る。こんどは、ルネッサンスのシャンデリアと、記念建造物。来月十五日頃までと云って居る。H、Sとのいきさつ。益〻双方から熱せられ困って居るらし。どうなることか。父上少し疲れた故か老人に見え淋しかった。1877 と年号のついて居るフランスの剣(兵士用)で作った暖炉用火カキ、その他一揃を買って来られた。父上は年号がついて居るのに興味をもたれたらしいが趣味の点から見るとよろしくなし。

二月二十一日(土曜)

昨夜スエ子九度八分の発熱。夜なかにちょくちょく目をさまし、水をくれと云う。私は生理的の理由で平常より睡いので苦しい思いをした。

おそく起き、食事をして居たら俊ちゃん来。四時頃出かけ、途中で松や、瓜生、本やによりエッケルマン「ゲエテとの対話」第二巻、ベルグソン「笑の研究」を買う。重い両手一杯の荷もつ。小石川にかえるつもりであったがY体わるく、あっちへゆかれないというので、牛込にかえる。かえったら、しょぼくない風で机に向って居た。やがて元気になり、夕飯の仕度をしてくれたが、おそくまで起きて居たのでおなかを減し困った。Y、万国史、自分、「ゲエテとの対話」。

二月二十二日(日曜)

朝いつまでもひどく静か。起きて見たらば深く雪が積って居た。猶盛に降って居る。ホテルのロランジ氏のお弟子の音楽会へ行く人が沢山はあるまいと気の毒に思った。

夜、Yにロシア語の稽古をして貰う。段々アルファベットだけも(ママ)親しくなって来た。

Yはロシア語の万国史をよんで居る。

二月二十三日(月曜)

山内封介氏ロシアに立つ。今日小石川にかえる予定だったのだがいやになり、やめ、のりを大塚の大屋にやって様子をきかす。二十六日にはすっかり修繕すむという。もう少しで引こせ落付くと思うので、なお意志よわくなるのだ。夜東京駅まで送る。かえりに神楽坂を散歩し、あのうまいスシやを見つけたが居ず、間に合わせに別のを少しつまむ。かえってから、ロシア語。Y、万国史、イジプトのところをよみよみ教えてくれる。この頃「ゲーテとの対話」を(第二巻)よんで居る。色彩論についてあの偉大なゲーテが神経質になるところ、その他面白い。面白いが自分は、ゲーテの性格の或方面――処世術家としての彼――に時々不快に似たものを感じる。

〔欄外に〕

普通選挙案が上程された。政友本党が反対する。が、その反対にも上程の動機にも、双方、真の文化的情熱から生じる熱を欠いて居ること夥し。不快。日本の政治界の深さ大さの欠乏を著しく感ず。進んだ女はこんな政治やの仲間に入ることを却って恥とする位だろう。

二月二十四日(火曜)晴

起きたらすぐ山岡にかえる――が夜になった。山岡でぽっつり夕飯をたべることを考えると、ついかえるのがいやになって一緒にした。俥を云いつけてかえる。

夜野上氏、石本氏に手紙を書く。野上さんへの手紙、フロから出たてだったので、うまくまとまらず、永い時間を費した。

なかなか寒し。

二月二十五日(水曜)

よく眠り快く起床。林町から九時頃電話があったので、とし子にかけさす。要領を得ず。又あとで細君にかけさす。□(一字不明)北から使で、スエ子が病気重くカンゴフをよんだから来い、と云う口上。困った。出がけに、会に電話をかけてYに林町にかけて貰うことにし行く。ハシカであった。何よりだ。祖母上の御遺骨について本田老人[#本田龍助、百合子の大叔父]の云ったことが途中の電車の中でフト頭を掠め、いやな心持がした。五時すぎかえる。下に辻本という娘来て居、三津木貞子氏が暮に子息を失い、今老松館に止って居たので一昨日つれて来た由を話す。思いがけず。五時に来ると云うYがまだ見えず、妙に心配だ。何も無かったのだろうな。心配でたまらず。何故だろう。六時すぎて、Y疲れて来る。家は駄目な由。大家が借りて貰いたさによいような話をしたものと見える。やめ。やめて却って私としては安心なようだ。――明日さわがずにすむから。それについて、林町に電話をかけた。父上。私が今日林町に三十四十分頃しか居なかったと不人情と怒られた。「いそがしいので」「此方だっていそがしいですよ」と云われる。淋しい心持がした。四時前から五時迄居たのだ。

二月二十六日(木曜)曇 寒い。

朝起きて間もなく、近所に家があるときき、Y一人でゆく、駄目駄目然し盲学校の近所に一つ別なのがあると云うので二人で出る。あっちこっち歩いて居るうちに偶然大町桂月と埴原久和代氏の家を見た。二つとも実にひどい。感あり。細い、ひどくぬかる路を歩いて居て、Y下駄の緒を切る。彼女らしく一向グチを云わず。私、当分歩けるように結えて帰る。浮世絵を一寸見た後彼女かえる。夕飯まで間の時間。老松館に居るという三津木貞氏を呼ぶ。一緒にウナギを食べ乍ら、話す。思って居たより詰らず少し張合抜けがした。何もよんでも居ない。生活力も欠(ママ)しく知識も乏しいと云う、貧弱な感がした。九時頃かえられる。あと、いよいよ仕事にかかる。

〔欄外に〕

仕事案外よく進み、三枚半。

二月二十七日(金曜)

仕事少々(二枚)難産でうまくゆかず。困って居たところへ、新潮の『婦人の国』の記者来。永く喋って四時頃かえる。おなかがペコペコ。下で、御飯を一膳貰いたべようとして居るところへY、来。中野や彼方此方に家を見つけて来たと、ヘトヘトにつかれて居た。夕飯まで話し、食後、Yかえりがけに雪の降り出した中を一緒に、大学分院のそばに家を見にゆく。だめ、かえりかけにフト電柱に貸家とはりがみのしてあるのを見つけ、ブラックマア・ホームの横を入ったところできく。外見はよろし。明日来ると云ってかえる。よさそうなので二人とも亢奮してしまった。夜、下で見合いの下見分のようなことあり、老松館の娘がゆく先の知人が来たのだ。自分仕事について考える。

二月二十八日(土曜)晴

朝早くからYが私を起こす。一緒に昨夜の家を見にゆく。門内の様子もよく、庭も、間どりもまあよく、思いがけない掘出しものと云える。この間じゅう彼那あんなに気をつけて居たのになく、こうして不意とよいのがある。所有主上海に居る由、ちっとも貸家フシンでないから心持よいと云ったらない。青山の家など80でフロバさえなかった。建かたもわるく庭もなかった。これは70、しきたった三つ。本当にうれし。自分の家の出来たのはうれし。うれし。のびのびし、さっそうとする。Y、いそいで家にかえり今日半分だけ引越すことにする。実に思いがけないことであった。

〔欄外に〕

二月下旬、春の先駆で天候不順。よく晴れて居るが北風激しく寒いこと夥し。昨夜の雪が、一吹き風が吹く毎にパアット吹雪のようにとびちって顔や肩にかかる。しかし雨だれの音はやさしい。道路表面がとけ下が凍って居る。

三月一日(日曜)

自分仕事があるから机と椅子だけ引越し、すぐ仕事にかかる筈であったが、一つ家でそれは出来ず。思い切ってすっかり本を運んでしまった。大体手不足であったから、女三人へとへとになる。夕方秀雄氏[#北村秀雄、湯浅芳子の従弟]、京都からの、このわた、下駄、松葉カレイをお土産で来訪。ゆっくり夕飯をし愉快ではあったが、夜本を片づける積りであった予定はくずれる。

折角よい家だのに、差配の家の工場、となりのおくれ髪どめ作りの工場にはさまれて居るのを発見。

〔欄外に〕

昨夜Y、いろいろの話のことから、私に情熱は在るが愛の深さは自分より劣ると云った。

その言葉忘られず。

自分の結婚したやり方など全く情熱的であった。そしてそれを完成されなかったのは愛の不足と云えなくもない点あり。実に忘られない一句。

三月二日(月曜)

本箱にすっかり入れてしまうとこの位のものかと思う。出て居るときの沢山さ!

今夜でやっと片がついた。疲れたこと、疲れたこと。御話にならず。Y、殆ど嘔吐を催す。自分もまけず劣らずだ。生憎右手の工場で電気のエンジンを廻し出し、そのブーブーという音頭に響きやり切れず。夕刻やんで吻ほっとした。どうか毎日一日中やってくれるのでないことを祈る。

〔欄外に〕

心の問題を話しどうしてYがAでなかったかと悲し。この悲しみは深い。自分は、Aにあれだけ傾倒した。Yだけの鋭さを若しAが持って居てくれたら、私はよくなれ、互の生活に安ぜられたのであったのに。

三月三日(火曜)

朝ゆっくり眠り、おなかがすいたので起床。二階で、Yと二人家政上のいろいろ打ち合わせをする。彼女実に細かに精算し予算をたて、生活をよろこんで居るのがありありとわかる。自分よりその点深く。私は仕事に追われて居る故もあり、種々心にかかる一種の憂愁があるので彼女のようにゆかず。家を新たに持つうれしさは、もう味いつくしたのかと淋し。斯う云う風に生活をやり始めても、本当に先のときとは違う。おひなさまというので、国男、美学の本をかりかたがた三越のおこわの折を持って来てくれた。引越したばかりで相当にお客あり。小さい用箪笥の引出しから、アメリカでとった写真をYに見す。彼女しげしげと見、「変ったなあ」と、実に悲しい顔をす。その顔を見たら自分も悲しくなり涙ぐんだ。夜、茶の間に居たらやはりそのつづきが心に出たと見えY、「何て丸くなったんだ、肥った故もあるんだな」と云う。「まるで恨んで居るようじゃあないの」と高く笑った。Y、「――殆ど恨んで居る」と実に真剣に、ひたと私を見て云った。苦しくなり涙を出した。五年の間の生活がわるかった、それが照り返して居るのかと。――理知は、人間の経験に対する彼女のセンチメンタルな感じ方を否定するが、心持はかなりひどく影響された。

〔欄外に〕

二階日当よく廊下の籐椅子によりかかって居ると、春らしさにうっとりする程だ。ゆれる樹の葉に日の光る、麗うららかさがもう冬のとは違う。そのつややかさ。

三月四日(水曜)

こちらの家に引越してから、少しカゼ気。どうもなおらず困る。仕事をやる。始めの方気に入らないと思って居た通りわるし。すっかり書きなおす。山本実彦来。原稿をおくらすことについて話す。十一日か、ぎりぎりでもう一日、十二日までということ。彼は、野人的男だ。

夜、三時すぎまでやる。十一枚。

Y、今日は大活動。三越にゆき、私のためによいスタンドを買って来てくれる。ひどく光線の工合がよいので、ついつかれて居たのに机につき、あれだけやってしまった。

三月五日(木曜)晴 大風

普選案上り、二日夜十時すぎ衆議院は通過したが、貴族院で今大もめである。どうなることか。なかなか鋭い――政府の裏を見ぬいた反駁質問が出、面白い。

仕事昼間六枚。こんどの部屋光りの工合、落付き工合実によい。ただ、となりで始終トタンをいじる音がするのは情けなし。但四時以後はすっかりしずかになって快し。

三月十一日(水曜)

きょう『改造』への原稿47を送り出す。題よいのが思い当らず困った末、「小さい雲」とす。嵐前に出る雲に何か特別なよい名はないものかとYに本まで買って来て貰ったがなし。ついに、平凡なのになる。

今度は引越しや何かでごたついたので、苦しいことであった。

〔欄外に〕

頭がわるい! 驚いた。一月間違えてつけるとは。

三月十二日(木曜)

今度のは予定より短かかった故か、仕事を仕切ったという感なく、あとにまだ制作慾が残って居る。つづきをやりたし。

三宅さんに約束のもの、読売のたのまれもの、心がかり。いや。

三月十三日(金曜)晴 寒

眼鏡の工合がわるいので困って居ながら、いつと云ってゆきたい日なし。Yのもひどいので、今日思い立ち、甲野氏へゆく。度が進んで、右は2、左は1.5。今かけて居るのは右が一・五だから、どうも工合がよくないのだ。指定の中村という眼鏡やに命ず。Yのは両方とも3。北村商店による。凮月のおカシをたべ、日本橋甚兵衛で夕食。(二人)Y御自慢の若竹うまし。はももこりこりしたところがうまく満足した。銀座まで歩き、プレイガイドで邦楽座の二等二枚。Y金のなる機という可笑しな、然し面白い貯金箱を見つけて買う。

〔欄外に〕

毎日強い風。今日胸つき坂に出る路で改造の若者に会い、いそぐというので仕方なく往来に立ったまま、ざっと校正をした。

三月十四日(土曜)

久しぶりで林町にゆく、今度は本当に久しぶりだ。これ迄この位永くゆかなかったことはない。母上、例のため、つかれたようにぼんやりして居られる。

ラディオをすえつけたので皆、夕飯後は二時間ばかりそのために一室に集る。まだアンプリファイアがないので音が小さくかなり神経がつかれる。

泥棒の入った話で持ちきりであった。なかなかの豪胆もの。英男まで見たのだという。あの晩泊って居ないで助かった!

泊。眠るときYどうして居るかと思う。若し泥が、私の居ないときに入りでもしたらYのために可哀想と心配した。母上、一寸したことで、バターを注文して貰うことをたのんだら、Yの分までこっちでフタンするのはいやだからね、はっきりして置かないと、と云わる。情けなくなり、そのまま沈黙。母上はいつも私をかばうつもりで、私の純牛乳に水をわろうとするのだ。好意はわかるが、いや、いや。父上、おそく亢奮して帰宅。今議会へケンチク士法案を出したいとてアッセンして居る由、佐野利器が利己心からジャマするとフンガイして居られた。

三月十五日(日曜)雨

九段画廊に中村氏遺作展覧会アリ、今日ギリ。国男と行コウと楽しんで居たのに雨で雨具なしなのでやむを得ず一日家にぐずつき、夕刻スエ子をつれ、俥でかえる。スエ子きのう買ってやった『赤い鳥』を熱心によみ、うちに来ても茶の間に坐ったなりよみつづけて居た。この間星野氏へ紹介した小川氏とし子と礼に来る。そのうち、尾瀬敬止の始めたロシア芸術協会の発会式に行ったYかえる。三人で食事。スエ子けんたんで愉快。ただ彼女の性質には、天成のノビリティーというものが少いように感じる。私の間違いか。

三月十七日(火曜)晴

思いがけぬ寝坊。十二時すぎゆっくり食事をすませたところに国男が来、おともがある、誰だかあてて見ろ、という。植木のかげに、かくれて居るひさし髪の頂見ゆ。母上。水道橋に来たついでによったと云われる。この家へは始めてなので、歓迎した。フト気づくと三時少し前だというので大いにあわてキものをかえ、日比谷まで車で送って貰う。山本有三「同志の人々」、作品としては乙、演出としても乙、ただ、吉エモンの科白、よく彼のみの力で切なものがあった。鳩の平右衛門一寸面白し。平の good nature なところ、吉の地でゆく。畳に指で文字をかいてフンガイして見せるところよし。但、最終の一幕は蛇足モクアミも蛇足をつけるのかな。

〔欄外に〕

賤ハタ、なみ、髪結新三、「カツオは半分貰ってゆく」有名な文句を始めて見たが、あれは、前あてでよろしからず、菊の新三、あすこで俄に痴呆となる。今月は大体に云って中の出来だ。

三月十八日(水曜)

Yは会、ロシア芸術協会へ廻る。自分は、林町に九谷の壺写生に出かける。ひどいひどい風。裾のとぶのを押えにコートをきてゆく。父上風邪の由在宅。ワットマンに二時間ばかりで描く。newton で色がよく出来うれしかった。これでやっと責をはたしたということになる。

父上、しきりに泊ってゆけとすすめられ、ことわるに苦しかった。Yは待って居ようし、するので意を決し、十時出。丁度三時すぎから三河島日暮里に大火。家を出たら、嵐模様で白雲がドンドン空をかけ、焔赤くこれにうつり物凄く人出も多く、不安であった。Y一歩先にかえって居たよし。画を見せ、ほめられ満足。

三月十九日(木曜)

のりについて私共は益〻信用を失った。Y彼女の荷もつをしらべろという。いやなことだ。実にいやなことだ。が、無くなったものを皆あれもそうか、これもそうかと思うのはなおいやとY主張する。そうも云える。Y見る。細かい、一寸したもの出て来る。変な気持がした。あとで、すっかり荷もつを入れかえて、又元の女中部屋に戻す(四畳に来て居たから)のり使いからかえり荷を勿論すぐあけただろう。どんな気がしたか。自分ならもう二目と主人は見られないと思う。辛い。のり、割に平然として居る。あとで少し泣いて居たらし。一つ家に、信じないもの同士のすむ恐ろしさ。つくづくいやで居心地わるかった。

三月二十日(金曜)晴

朝昼けんたいの食事が終りかけて居たところに、『婦人の国』の富沢来。スケッチをとってゆく。気稟きひんのない絵を描く。但、口は達者で、大いにひとを飲んだ気なり。小生意気な男。

程なく、小山という叔母、のりをつれて来る。Yのかえる迄三時間近くあいてをす。人に会いつづけでうんざり。のりをつれてかえる。のり揚々としてかえった。Yと感情的に打ち合うものがあったらしい。Yも気に入らないとなると、あまり大ヨウでないからな。夜、今度の『改造』の作品について話が出、やや感情的になった。Yは、趣味として私がとったような行動を結婚に対した場合きらう。私が、大変リファインして居るようで居てずぼらな肉的なところがあるらしい、ということ等。或点これは自分も肯定する。然し、私は其ばかりではない。決して。ただ彼女と私との違った点はこうだ――彼女は散々デタラメをした、私以上、然しそれをちゃんとデタラメと知ってやって居た。私は客観すると、デタラメでも何でも自分がムキだとデタラメと思わず、意気込んでやった。その違い。

〔欄外に〕

眼鏡出来て来る。

三月二十一日(土曜)晴

のりは性質のよくない女であった。然しやっぱりいないよりはましだ。今朝二人とも、ゆっくり外を眺めるゆとりもなく、そうじ、洗いものをやる。じき午後になってしまった。Y、買ものに出かけ、美しい連翹れんぎょうとチュウリップ一本とを買って来た。連翹の黄色が岳(ママ)の表装とよい調和だろうと云って居た、がさして見ると案外。壁の色がわるいのだ。夜、網野、丹野氏来、一緒に食事をし、十二時近くまで喋り、ヴィクターをきく。第五シムフォニー。Y、第九の豊富さがないという。そう云われると、成程円熟さ、偉大な静穏という点、此方は充分でないものがあるとも云える。

三月二十二日(日曜)晴

二人で台所をやり、食事をすましてから、華岳氏の箇人展を高島やに見にゆく。暖い日なり。石切橋のところで河を眺めて居ると、春の光を明に感じた。日にゆれて水のかげが暗い橋ゲタに写って居、もののくさる匂いが高くする。華岳氏の絵思ったよりわるかった。よいのはほんの二つばかり。仏画を描く線は手に入ったものだが、血の弱いせいか、不動のようなものを描いては力足らず。小品ばかりがよい。かえりに河岸で食料品を買いこみまっすぐかえる。家、門に錠をおろした丈なのでゆっくり出来ず。夕食をしかけて居るとトシ子手伝いに来てくれる。大だすかり。Yの校正を手つだう。小熊さんの童話、原稿でよむより活字になると稀薄さの増すのは何故か。

「ゲーテとの対話」、当時のドイツがオペラ上演にどれだけ未だ拙であったか知れ面白く感じた。エッケルマン、善良にイタリーのオペラの上手さに感服して居る。そのドイツとイタリーが現代では逆だ。テムペラメントの違いはおそろしいと考える。

三月二十三日(月曜)細雨

自分生理的の原因でこの三四日ナアヴァスだ。昨夜おそく就寝一ねむりしたと思うと急に門前で犬が鳴き出したので、目がさめる。不安で不安でやりきれず、家中見廻って長椅子に暫く腰かけて居たが到頭二階にゆく。Yも目さめて居、三十分ばかりでかえる。又ねむったが六時頃、Y、もうあれから眠れなかったと起きて来、二人で一ぜんの御飯をわけてたべ又眠る。とし子働くのはよいがやかましく、いら立つ。Yも勉強したいのに会へ行かなければならないのでこれもナアヴァス。二人ナアヴァス。可笑し。夕方スエ子、K[#国男]、母上来。スエ子泊ってゆくことになる。夜、小南いろいろとどけて来る菓子その他。

スエ子、珍しいのではしゃぎ、かつなれないので、どこにゆくのでも私のあとをついて来る。眠るのに四ジョウにする。初めて泊った記憶、彼女が大きくなってからも思い出すだろうか。

三月二十四日(火曜)曇

朝おそくなり、起きぬけに仕度す。今夜中江百合子氏によばれて夜食事Y独り故どうかして出がけに顔を見てゆきたいと、二階に上って見る。グーグー、スースー眠って居る。下に来、とやかくして居るうちに目をさまして来る。ゴコク寺で、中外に電話をかけ、事務所にかけようとしたがお話中。ゆく。建築士会にお出かけで留守。電話をかけてくれ、海上デ会い、丸ビル精養軒でスエ子と三人食事す。国府津[#神奈川県国府津の海岸に中條家の別荘があった]の話、隠居所の話などする。三時頃スエ子を肴町まで送り小南に渡し、中江さんのところにゆく。長屋門のついた古い、陰気な、活気乏しき家、春江、関、K、いろいろ関さんが主になって話す。生活の苦しいこと、学校のこと、音楽の先生のことなど。女の話、女の話。十一時頃かえる。――但関さんの生活の苦しさについて云ったことの中で忘られない文句アリ。

チャイコフスキーのユーモレスク、フィールドのノクターンをきき動かされた。特にユーモレスクに。

Y、まちかねて居、殆ど不キゲン。私が居ないと、火が消えたようになるらしい。考え、自分、YならYを待ちかねて居てかえって来られるとすぐうれしくなり、待って居た間のいやなことなど忽ち忘れてしまう。Yなど、すぐさっとそう行かない。又これを書き乍ら、考う。自分は今こうしてYの淋しがりを公平に認めて居るが、Aとの生活の間何故それは出来なかったのだろうか。一つの原因は、Aに超人間的なつよさ、堂々さ、寛大さを求めたということ、二つには、彼がその淋しさやなにかを率直に云ってくれず何だか変にして居るのがいやで、彼に同情を当然持つべきときさえ持ち得なかった点。彼も苦しい心持を多く味ったのだ!

三月二十五日(水曜)

とし子こんどは珍しく働く。有難い。が朝やかましくていや。朝飯後、二階で校正を手つだい乍ら、青木健作の「一筋の道」をよむ。

成程、一生懸命に書いて居ることは判る。密度にムラなし。然しカンジンのところで、何か足りず、描写は平凡になってしまい、何も感銘出来ず。夜、『婦人公論』に送る自分のスケッチを描く。この二日ばかり「ゲーテとの対話」中デモニッシュ(悪霊的)ということについてゲーテの云って居ること、思いつづけて居る形だ。この力、この力、このデモニッシュなものに支配されること――支配される丈の素因の内在して居るか居ないかが、芸術家にとっては大問題だ。

デモンにつかれたものに丈ある感覚――芸術に対しての触手――、なりひびき揺り動かす何ものか。

三月二十六日(木曜)曇

Yと一緒に大曲りまで出かけ、私、伝通院近くの代書人のところにゆく。左側、一軒は大勢の男が机を並べて居る。その先の一軒、淋しく一人きり。そこを選ぶ。そして、書式だけを(離婚届)書かせる。二十銭也、二十銭、ホウ、二十銭で、この紙ペラで、法律上、私は永劫彼の妻でなくなるのか。小石川局からスケッチを送り出す。

〔欄外に〕

エッケルマン「メヒストフェレスにも悪霊的なところがありはしませんか」

ゲーテ「ない。メヒストフェレスはあまり消極的である。しかし悪霊は全然積極的な活動力の中に顕われる」

三月二十七日(金曜)

多分午後三時と思いゆく。丁度式の始ったところであった。両親、大瀧親子、倉知、春江、俊夫、緑郎[#倉知緑郎、百合子の従弟]、私、下島、倉知の連中は食事をしてゆく。食後、cross word のことで皆楽しむ。

母上、西洋間に居、私の『改造』に出したものについて、彼此云われ、父上まで一緒に怒って少し不合理なことを云われた。情けなし。

母、どれ程澄子が憎いのか、私に気に入らないところがあると、澄子を引合いに出される。恐ろしい程だ。天の心から見たら、一人の人間にあれ程憎悪をもって居ると云うこと丈も余り祝福はされまい。Kと、三時頃までHの態度について話す。そのとき、私の云ったこと。

Sに対する傾倒はHに対する反動ではないか。Sは十六歳、夢中な Passion、情慾にたわわだ。Hは現実的で思慮して居ながら自分の感情に負けて居るはがゆさがあるから。故にSだけとしたら案外なのではないか等。

〔欄外に〕今日御祖母上の百ヵ日。

三月二十八日(土曜)

春陽会明日迄、見ないのは惜しい故、午後、Yと会い、見る。皆相当粒ぞろいではあるがつきぬけるようなもの一つもない。小さく、器用にまとまって居る。芸術の容易でなさ! 絵に限らない。

野上さんの小説「参」短篇三つで女性の生活――性的影響のもとにある心――を描こうとしたものだが、愛がこもって居ないので全然失敗だ。「助教授Bの幸福」にあったようなものが見えないでもない。わるい。三を参シンとこって読むのも臭い。

三月二十九日(日曜)雨

雨が降ったので予定の散歩も出来ず、Y、ごろごろ。のらのらして居るのが自分は苦しかった、悲しい心持でふざける。夜、「堺利彦伝」をよむ、面白し。彼が自分の性的生活について恥しがり黙りたがって居るところなど好意がもてる。

三月三十日(月曜)

Y、落付かず。一種の神経的惨虐性風なものを示す。不愉快を感じた。彼女も哀れな存在だ。強いようで弱い、弱い、決してつよくない。自分に対する抵抗力が決して私以上に強くない。小さき激しさ。然し、心づいて見ると彼女は今、少しナアヴァスになる時節だ。一寸の峠。

『改造』を一寸よむ。Y、会。自分、石本、野上氏に永い手紙をかき、Aに送る離婚届をかく。なれないもの故一寸したところで間違え、ひどく手間どった。淋しい仕事、淋しい仕事。Aのことを思うと、二人の心足らぬものと自分達(Aと自分)を思い悲しい。本当に心足らぬもの。

三月三十一日(火曜)

「洗心雑話」をよむ。「剪られた花」と一緒に買ったもの(Yと夕方雑司ヶ谷墓地に長野さんの墓詣りす。かえりY湯に入る。自分護国寺の方に歩き本やによってその間をつぶす、それで買えた)芸術を産むのは聖心だという考、これはかりそめにも芸術に携るものの知って居ることだ。が、体の練磨という項で、感覚の芸術的訓練に言及して居る。これは深く教えられるところがあった。我々は普通の場合、芸術的価値から云えば自然でも何でも見て見ぬ程度で暮すことが多い。それを心の精神の鈍りとするところ――雨が降る、マンゼンと雨の音をきく。その雨の音に、やねにふる雨、木に降る雨、その木の中でも楓にふる雨、八つ手にふる雨の音が混り合いとけ込んで居ることをききわけようとしない。その懈怠。Y、「飢餓王」の翻訳、自分三宅さんの仕事。

四月一日(水曜)

ねむくねむく朝Yが起き出した様子をきいてうんざり泣きたいようになった。そこでとし子にしずかにしてくれとたのみ、十一時まで眠る。起きるとY、まだトウストもたべず、文鳥を一羽逃したと庭を見て居る。逃げた文鳥、すぐ縁側の近くまで来るが、それ以上近よらず。逃げのこった一羽燋立いらだつ風でカゴの中から外を見ては鳴いて居た、その様子を見守り感ずることあり。明日野上さん来訪の予定、かたがた日本橋へ買い出しにゆく。その前に、仕事。三枚半。

四月二日(木曜)

暖い、うっとりしたような日だ。野上さん来、鼓の袋を縫いかけ、エンジ色に黒と白で海棠か何かの模様があるのをいじって居られた。お土産にお祝の時計。いろいろ文学の話――主として、芥川氏がこれからどう広がってゆき得るか、所謂新文芸のこと、里見弴の自己陶酔に対する批評、野上さん自身の作の態度、私の作の態度等。「おせっかい」をよんでの感想なのだが、里見弴が中戸川二人に対するだけの鋭い反省を自己に加えず、たださばけたおじさんとなって納っていく心持になって居ることを、野上さんはっきり批評し、大いにそうと思う。彼女が昨今、自分が作をするときああいう客観的態度のみをとるのは、いつか自分のことについて書くとき、その冷やかさ、ようしゃなさを、自分にふりむけたいからだ、という。このこと、あとまで頭にのこる。心がけとしては立派だ。しかし芸術の作品は心がけによって得た冷やかさ、鋭さ、反省のみで完成されるか? その一方に傾きすぎた修業のため、他面に、芸術家として大切な何ものかを失いはして居ないか。

彼女近眼で眼鏡をかけない理由、

(一)、くっきりした輪廓は失う代り絵画的に明暗と飽和した色彩とを見るため、

(二)、第一印象が鋭く、芸術的になるため、

(三)、抽象世界が豊富になるため、等。

野上さんの言葉で忘られないもの

「夫婦生活で一番いけないのは不自然になることですよ」これは結婚したものでなければわからない心持だ。

四月三日(金曜)

英、国、春、スエ子等来。相(ママ)鴨を御馳走する。皆満足、Y、まで愉快に仲間に入り、なわとびや円い輪を描いて一人ずつつかまえてゆく鬼ごっこやをする。

夜、三宅さんに上る原稿別な小品を思いつけ、書き始む。三時過まで。

四月四日(土曜)

昨夜のつづき終って送る。十枚

四月五日(日曜)

おそく起床。Y風呂。そろそろ仕度をして外出。京橋南紺屋町にY用事があるから。

大根河岸の方から京橋に出二人で歩いて居ると四辻のところを丹野さん、網野さん歩いてゆくのに会う。すぐ四人でつれ立ちこれからどうしようということになり、築地小劇場にゆく。二度目なり。ゴーゴリの「検察官」をやって居る。古い時代の作らしく五場あるが、もっと短くもなる。それは原作についてだが、演出上から云うと、市長、並夫人ひどく下手。汐見、臆病なのらくら息子から急に上手に検察官を気どるところ、もう少し心的なモティブをどこかで示すとなおよかったろう。大体ここでも、喜劇という既定概念にとらわれて皆が誇張してやって居るのがいやであった。正劇としてやって居る間にしみ出る皮肉滑稽こそ面白いのに。小山内氏でもこの位の監督ブリなのかな。

四月六日(月曜)

起きて暫く机につき、午後Yと二人で胸つき坂を下り、水道橋の歯科に行く。杉山と云う花沢氏の助手、私の誠之時代一級下であった由、すっかり青年歯医者となって居、一本だけ抜いて呉れる。痛みはしないが、頭をこづくように力を入れ、いやな音がし、まるで暴力的だ。少し頭が変になってしまった。母上にそこで会う。今夜、A、林町に来る由。近頃頻りにAのことを思い、淋しいあわれな人と思う。心が妙に自発的でなく、こじくれて朗らかでないために、私共の生活はうまくゆかなかったと思う。例えばYを比べれば、Yの我ままらしい風はどうだ! まるで私を勝手に動かすように外では見えるが、実際は彼女が私の泰然さの上ではねて居るだけだ。我ままらしさなど、晴々とよろこび、憂える心があると何でもない。

Aは我ままも陰性にし、憤りも陰性にし、ついつい妙なことになってしまったのだ。寥さびしい妙な心持、良人であり、妻であり、離れることなど永劫なさそうに思えたものが、いつかこのように遠い、淋しい他人同士になるとは。ただの他人より淋しい他人同士になるとは。

四月七日(火曜)

この頃春さきの故か、又は違った原因からか、頭はっきりせず、とかく Sensual になって困る。昨夜から、この次の仕事の順を立てるために日記を見て居る。

一九二〇年からのを。それからその次の年にかけて。心の変りかたがよくわかる。苦しんで居たのだな。実に。あの時分の沢山の涙を思い出す。情けなし。この頃のような生活さえ人生にはあるのに。――絶えず岩に打つかって居る波のように切ない、不満な生活であった。今、私は生活を一緒にするものとして、Yの心持にいろいろ人としての欠点は認めるが、興味の一致、理解し得るよろこび、心を偽らないのびやかさは充分もつ。その点幸福を感じて居る。

〔欄外に〕

秋庭俊彦氏来。眼、鼻から頬にかけて深いたて皺がぐっとあり、暗い、暗い感じの人。Yの母違いの弟[#湯浅貞雄]上京。Y「私の父の息子が来るそうだ」

四月八日(水曜)

平田善行氏に久しくたのまれて居た原稿六枚送る。

いやな、いやな天気なり。低気アツ。私は頭がからりとせず目がまわりそうに不快だ。

四月九日(木曜)

昨夜の雨から打って変ったさむさ。Y、アンドレーエフをやる。自分次の仕事の下拵を殆ど終る。

よい月。硝子戸をとおし、部屋に流れる光。日記をつけようとして見たら満月とある。成程!

この間築地小劇場に行ったとき、「皇帝ジョーンス」と、アンドレエフの「黒き仮面」を買って来た。自分はジョーンスが自身の黒人の血にまけて、反徒に征服されてしまうところ、面白いと思った。Y、アンドレエフの方をさきによみ、くらべものにならず、という。自分、これは二つの異種のもので、アンドレエフのは、精神、オーネルの方のは本能、をとりあつかったものとして見るべきと思う。作とし、「皇帝ジョーンス」にはむだ、やや平凡なところが多くはあるが。

四月十日(金曜)

仕事を始めたが一枚半ばかりで妙なのに心づき中止。外囲りから書き出したように感じたのだ。いきなり伸子の心持に迫らず。「小さい雲」のわるい点もそれであったと思う。ぐっと一つかみに、心持に迫ること。これが第一。大切な。先、けんぺきを見出すことの大切さを感じた、あれの又一部分的心づきなり。

四月十一日(土曜)

となりの家、ペンキのぬりかえ、やねのなおしで大勢職人出入。今朝大キナトタン板を屋根から放り出す音と云ったら! 仕事まだ書かず、潮の満ちて来るのを感ず、沈め、沈め、潮流をはっきり見出せ。

〔欄外に〕

Y、アンドレエフ進みうれしそうに快活だ。庭ばかり見て、桜の咲いたことを知らず、隣の庭を見てもう花時分と知った。桜は私もYも余りこのまない。

四月二十一日(火曜)

夜、安成二郎来。外国電報で、ウィンの郊外に居る久野久子氏がホテルの三階からとび降りて自殺未遂をしたと云う。自分手がつめたくなった。先生は、自動車に轢かれてから言語障害を生じたようであった。音楽も愛すのに我を忘れうっとり身を投じるのではなく、征服的にかかって行かれた。神経衰弱で、高いところに居、ふらふらとなったのだろうとY、云う。そうかもしれず。どっち道腕など怪我し、なおられてあれ以上の不具となったらどうして生きて行かれるか。ショックを受けた。

仕事、やっとかかれる。一終り

〔欄外に〕

ボリソフより来た本の中にチェホフが妻君にやった手紙あり、中に、妻を、ソバアカ、ソバアカと愛して呼んで居る。ヤー チェベア、ソバアカ、オーチェン リブリュー〔私はお前を大変愛している〕。

四月二十二日(水曜)

仕事六枚うれし。

夕方母上来。無電が到頭久野氏死亡をつたえた由。到頭、到頭! 深い感慨あり。今幸仕事が出来て居るからよいがさもないと自分はかなり打撃を受けたと思う。子供の時分の思い出が甦る。始めて母上と行ったとき、あの部屋、教則本、ヴェートウヴェンのソナタ。

「どうして結婚なんぞしたんです? 馬鹿な!」

英男さんが世話して作ったフランス水仙、黄紅のチュウリップ母上持って来て下さる。九州へ父上と行かれるかもしれぬ由。ゆくべしゆくべし。一緒に行って置かれるうちに行ってお置きなさい。

〔欄外に〕

Yの妹[#神沢フミ]の良人神沢という人嗜眠性脳炎の由。Y、夕食後心痛しあわれであった。

ふと本箱の間よりAが安積によこした手紙出づ。心痛む。かなし。

四月二十三日(木曜)

昨夜より雨。この頃比較的雨多し。

仕事二枚ばかり。左右のとなりやかまし。左ではブリキをたたく。右ではモーターのあの神経をすりへらすような音、たまらず。

五月六日(水曜)

仕事六十一枚までゆく。

五月八日(金曜)

「蘇芳の花」六十五枚、『改造』に送る。

五月九日(土曜)

京都に立つ。

三本木、信楽しがらき、中井氏の紹介、いかにも素人くさい、ごみごみした、楽な家なり。

玄関で中井夫人に会い、一緒に出、新三浦で食事(水だき)Y、何となくそわつき電話をかけ、お琴をよぶ。

お琴、うすでな、一寸利口な、腹に毒のなさそうな女、二十九位と思われる。客にだまされた話をする。黒重が女房をもらい自慢でどこでもつれ歩くことを喋る。かえってねる。

五月十日(日曜)

宇治、黄檗、平等院、興聖寺

かえりに中井氏宅にて飯、(桃山)

〔欄外に〕

新茶、大走り(静岡の茶)を宇治で買う。

○宇治川(橋から上流を眺めた景色)

○お客と舞妓

五月十一日(月曜)

奈良、ナラホテル 眺望よき室

室内装飾の趣味のわるさ

博物館

問答師の作

百済観音

中井氏に会い、ホテルで晩餐。

公園の藤、馬酔木あしび、ホテルにかえる道

中井氏たべあましのパンを鹿にやる

鹿、アンパンを食うものと見えたり、

鹿いつも夫婦づれで歩く由。

〔欄外に〕

○わらびもち

○黒牛と赤紐

○猿沢の池を見下す柳茶屋

五月十二日(火曜)

東大寺、龍松寺、筒井氏に案内されて三月堂、不空羂索を見る、その調和の破れて居る点についていろいろ研究。

○東大寺、大仏の蓮弁の毛彫、須ミセンの図を見る。蓮弁にのぼってそばで見られよかったが、どうも大勢が下からサイ銭をなげ拝して居る仏の蓮弁にはいのぼること、のぼらない人間の感情を思って心苦し。

○戒壇院、ここは、まるで荒れて居る。

四天王、多聞、広目のよさで訪ねられる。

〔欄外に〕

武さしので食事、かえりおそくなり、くらい夜道を二人でかえる、ほんの少し心細かった、いやな若僧。

二月堂のところにあるお百度ふむ竹ぎれ、夕照。

五月十三日(水曜)

法華寺 十一面観音。

唐招提寺 金堂

千手観音、鑑真

薬師寺。三重の塔、美しき美しき水煙。

俥で廻り、郡山から法隆寺に来る。

五月十四日(木曜)

大黒や、不親切なり、そしてボル、よろしくない。(元禄踊の屏風はわるくなかった。)法隆寺、本堂の壁画、西の仏と側立の美、実に美しい。印度的だ。自分はコーレアンの作とは信ぜず、ラジプット・ペインティングの中に集められたものとごく似たもの(線の活々しさ、純粋さ、)豊満さ、特に眼、唇の特長などを認める、ただ純インドのあの圧迫的くらさは少し。忘れ得ぬ印象を得た。夢殿。八角、八葉の蓮花の意味、余り周囲のつまって居るのが殆ど不思議。秘仏、傍から見、そのうっとりと心をひきつける美に酔う。正面には或神秘的奇怪さあり。

〔欄外に〕

中宮寺、観音。

推古の特色を現した衣文、童女的美あどけなさ。

ひる頃法隆寺で雨に会い、自動車で駅までゆく。京都へかえり、ステーション上ル、新で食事。

五月十五日(金曜)

葵祭り。このためにかえったのだが奈良で勉強し、充実した芸術品を見て来たので、空虚でつまらず。行列に立つ人間、まるで形式的だから。

銀閣寺、大雅堂の秋の山水に印象を受ける。

蕪村の茶がけ

化けそうな傘かす寺や山時雨?

〔図〕fig4833_01.png
短冊の絵入る

神経的なような今の人間のような字なり、襖絵は感服せず。

京極を歩き、文楽をきく、錣しころ太夫が頭、二十四孝、吃又どもまた。(これ大いによろし)

八重垣姫をつかった文五郎神秘さがかけ、狐火の辺おし。

〔欄外に〕

相阿彌の庭、よろしからず、特に西湖になぞらえた銀沙灘など、妙なものなり、

五月十六日(土曜)

加茂川辺に新築のYの父上[#湯浅善吉]の家を訪問。

植物園にゆく、ひろくて、愉快、東京のよりも快活でよろし。

かえりにすっぽん、すっぽんづらの爺。

Yの姉[#岡田シヅ]の家に廻る。

五月十七日(日曜)

Yの父上のところで御馳走。

はもの子、いかの生身

かえりに磯田や

五月二十日(水曜)

博物館、智積院。

博物館で古い仏像と、書などを沢山見、

智積院で山楽の屏風を見る。桃山時代の室内装飾がナポレオンのアンピール式に、豪華なのに興味を感ず。山楽のは、柳に白百合を配したのを最もこのむ。柳の凄さ、細葉のあついかげなどよく現れて居る。途中で切ったと見え、別なのがはりつけて補足してあった。智積院からYが元子供のとき居たと云う大仏の辺を通って、わらんじやにゆく、中井氏夫妻の招待なり。茶室もまがいなれば料理もわるし。蝋燭を見る丈に高い金を払うようなもの。かえりに問屋町Yの兄上[#湯浅誠三郎]の家による。

〔欄外に〕

龍安寺(庭見物)

龍安寺の庭を見にゆく。龍安寺は衣笠山の先にある。

相阿彌造、玄関から入って左手に白砂をしいて、岩だけ海を想わせる形に置いた庭を見た時感あり。銀閣寺よりは遙によろし。

五月二十一日(木曜)

大阪文楽をききにゆく。

〔欄外に〕ノウエン

五月二十二日(金曜)

帰京。

五月二十三日(土曜)

林町にゆく。父上、母上、十五日頃より、九州へ旅行。

留守K、H、S、だけ。

小南、銀行に行ってしらべたが金は間違いようないと云われましたという。それに対して、私はじゃあお前覚えないか、とは云えず。――なかなか見かけによらぬ少年なり。

五月二十四日(日曜)

泊って一時頃神田の丸善でYに会い、日活に蜂雀を見る。グロリア・スワンソン、ネグリ以下なり。一つ喜劇で面白いのがあった。日本の女流に喜劇役者ない、皆せいぜい奇麗なところを御覧に入れたいものばかりなり、それではまだまだ。

見て居るうちに雷と一緒に豪雨。出るとからりとはれ、道も案外乾き、街路が奇麗で人気少なく遠くまで不思議に見通しのきく、美しい夜であった。カイホウ楼で食事。

五月二十六日(火曜)曇

「神と人との間」を読む。美欠けて居る、芸術品としての。

六月四日(木曜)

『文芸日本』に「宝に食われる」

六月六日(土曜)

細川舞台に特別能

放下僧

道成寺を見る。

桜間金太郎の

白拍子、あの足の美、橋がかりのところにいつ現れたともなく立って居た幻想的美。急々舞のところの緊張、とび込み、あの小鼓、あのかけ声。

六月七日(日曜)

『不同調』に

「わからないこと」六枚。

六月十日(水曜)

レッシングの「エミリア・ガロッチ」をよむ。

六月十五日(月曜)

『写真報知』のために二十二枚

「田舎風なヒューモレスク」を送る。

六月十六日(火曜)

母上、野上夫妻、内田百間来。

六月十八日(木曜)

「シラノ・ド・ベルジュラク」

六月二十日(土曜)

珍しく胃ケイレンにて朝苦しむ。

折角たのしみにして居た岡本かの子さんの『浴身』の会にゆけず。

六月二十一日(日曜)

殆ど一日臥床。

六月二十二日(月曜)

母上見舞に来て下さる。

Y、どうかして夜、陰鬱になり、涙をこぼす。そして、私に林町の隠居に行ったらどうかという。胸がぞっとするように感じた。若し母が生きて居たら、君となんぞと暮さない、母と一緒に暮すという。原因わからず、苦しい切ない思いがした。自分はこの生活に満足を感じ、これこそ本当の生活だ、これでしっかりやってゆけば、と思って居るのに、Yはどうして斯う時々生活に安定を失い、変になるのかと。自分がわるいのかと思ったが、Yは私の関係したことではないと云う。(あとで、この原因がわかった。Y、母が来て居られた時、不愉快な、当てこすりのようなことを云われて気にして居たのに、キタに用を命じるとき、ふと理由ない遠慮を感じた、「何故そんな卑屈な心持にならなければならないか、ああ自分の家が欲しい、二人のでない、自分きりの」と思ったのであった。)Yとすれば、彼女のように真心で私のためを思い愛して居るのに、母から妙な毒舌や、何だか寄生虫的見かたをされるのは心外だと思うは無理なし。親しいような、へだてのあるような半分馬鹿にしたような扱いかたには堪えないという、もっともなり。

自分は、妙な因縁に生れた。私の愛すものは決して愛せない母をもつ娘。

六月二十三日(火曜)

Yと歌舞伎座、余り面白くなし。

孤城落月も大したものではなし。

岡本さん来られた由。

六月二十四日(水曜)

岩波で原稿紙を買い、丸善により、岡本さんのところにゆく。よろこばれ、引きとめられ生田花世氏に会う。いそいでかえったが八時。Y、ひとりぽつねんと、茶の間の柱によりかかって何かよみよみ待って居た。すまなく思った。Y、おこり、食事の間もおこり、怒りつづける。折角一緒に夕飯をゆっくりうまくたべようと思って居たのにと。涙を出して怒る。怒ったのが本当なり。自分はそのときこそ少し憤りすぎると思ったが、怒られる心持を思うとうれし。有難し。モヤー[#моя=私の愛する人(呼びかけ)、湯浅芳子のこと]、ミーラヤ、ドロガーヤ!〔私の愛しい人よ!〕

六月二十五日(木曜)

午後一時の急行で安積に来る。祖母上御埋骨式の準備なり。母上、自分、スエ子。

いつもなら、郡山を出はずれて、貯水池辺にかかると、晴々と爽やかになり、うれしさが湧くのに、消沈し侘し。妙だ。去年、Yと二人で歩いたり、Aが辛い心持で往復したことなどがはっきり思い出されるからか?

すぐYへ手紙を書き、昌子にたのんでやる、あした出すように。――Yとはなれると俄に話し対手のない寂しさ、もの足りなさを感ず。あげく、夜、又、胃が苦しく痛んだ。だれもたのめず。ひとりで、背を押え、あけがた眠る。ああ痛いなと思い、こんな持病が出来たのか、やれやれと思い、Yは伊豆に行ったろうか、自分も温泉につかりたいな、どっぷりとつかってあったまったら痛いのもなおろう、などうつらうつらと思う。

六月二十六日(金曜)

人の出入りひどく、さわがしいことと云ったらなし。母上、そのラッシュが幾分愉快らし。自分、沈んだ気分でなるたけ、上段ににげて居る。二つの命令の出ることはよくないから。

Yへの手紙、まだ疲労がぬけない。食慾なく、僅かのカユをたべる。

六月二十七日(土曜)

父上、御遺骨を捧げて来着。

陰気に、やや沈んで見えた。心持よくわかる。

Yへ手紙を書く。

その後の様子が知れないので、どうしてどこに居るのかと不安なり。

六月二十八日(日曜)晴

亡祖母上の埋骨式、

引くりかえるような騒ぎなり。

酔っぱらって、溜息をつき、袴に足を突込んではよたよたした神官安藤。

まるでそぐわない伶人

疲労。

祖母を愛したものはなかったのだな、一人も彼女についての思い出を語るものなし。

自分、墓所に槇の木一対を奉る。

六月二十九日(月曜)不定な天気

今日始めて幾分かゆっくり。自然なども美しく眺めた。然し、去年の思い出があざやかすぎ、複雑すぎる。

Yが居ないと寂しくもある、円いものの半ぺらないような。

母上、この頃昔から見れば金持ちになったのになかなかしわし。やるだけのこともされず、はたで気の毒に思うが致し方なし。夜、関の母を門わきに入れることについて、鈴木にひどく高飛車な、やや出たら目理屈をこねられる。私だったら一日だってそんな情知らずの家に居るものか! と思うような。母は愛が少いのだな、愛がない、愛がない。

六月三十日(火曜)晴

十一時四十分の急行で、父上と二人で帰京。駅まで、大勢送りに来た。父上が居られると皆のつとめること! 気の毒かつ笑止なり。

よい工合に割合涼し。汽車はこんで、宇都宮まで並べず。並ぶとしきりに喋り出され、長崎旅行のこと、生活のこと、外国のこと、その他、沢山。夕刻かえり、林町で夕飯、自動車で父と、国男一緒に送って下さる。母が留守だと父上まるで淋しそうにうろついて居られる。今夜も、

「一緒に行こう、英男かだれか行かないか」

「きいて御覧なさいませよ」

「お前云って御覧、姉に云われた方がきくよ」

西洋間でヴィクターをかけて居る国男に、父上のそう云われた心持を説明して誘う。国男も父上のやさしさにひかれて、いそがしいのに来た。父上、自分ではいそがしいとわかって居る息子らを誘い切れず「さあー」と云われては押しきれないので、私を仲介にされた。

「この頃は息子共と歩くのがすきでね」

と云われた。

七月一日(水曜)晴

私共は久しぶりに会うと、亢奮し、互に離れたがらず。今日Y、ひどくぽんぽいたを訴う。腸ではない。さてはと思って居ると、案の定なり。夜、彼女の背中に灸をすえる。これまでひとにあんな――もぐさをつけることなどひどく、原始的野蛮的でいやと思ったが、やって見ると、一緒の快さあり。かすかなる惨虐性の満足と云うべきものか。

Y、鎌倉―大船近い明月谷に一つ、魚河岸の甚兵衛所有の家を(四十円)かして貰うよう話して十円手つけを置いて来たとのこと、よろし。この頃、となり、エンジンのやかましいこと、お話にならず。泣きたい程。

〔欄外に〕

Kimono よみ終る。芸術的にはなって居ず、日本に対する理解もまるで滅茶滅茶なり。下らない。白鳥氏が有名にしたようなもの。

七月二日(木曜)晴

左の上、一本ひどくしみる歯あり、空気までしみるからやり切れず。

仕事の下拵。今度のはむずかし。説明にならず、活々として描写にするためには、コンストラクションの上で大いに考えるべきことあり、まだはっきりせず。

夜、チェホフの手紙をよみ、いろいろ感服する。チェホフを日本人は少し Sweet sorrow 或は微苦笑の味を加えすぎて理解しては居まいか。

同時に、ドストイェフスカヤの移民をよみかけたが駄目、駄作的閃きが始めからある。ドストイェフスキーのような素質は、文学的タレントの遺産として、所有者になかなか困難させるものだ。――不完全さが大いにあるから、天質に――

〔欄外に〕

ハイシャに行くので早起きすると、Yも一緒におき食事。Y、気分はっきりしないから家に居ると云って居たのに急に思い立って出勤――思い立っての出勤!

七月三日(金曜)曇 驟雨、夜

朝ハイシャにゆくので、十時頃に起床。昨夜、Y夜中に目をさまし、話しかけたので自分もはっきりし、二時間位喋った。起きるとき、まだ眠い。Y、私が起き一緒に喋るのでよろこび「我々は実際よいコムビネーションだな」という。コムビネーションという語は私が自分達につけたのが始り。歯医者で、右の下の歯を一本抜く。注射したのだが、痛く、手をばたばたさせた。首が引っこぬけそうな心持。ぬかれたあと、手が震え、困った。疲労。かえりに江戸川から俥で来、老松館に三津木氏を一寸たずね、かえって髪を洗う。いやなことを疲れついでに皆してしまう覚悟。一昨日が『文芸春秋』、今日『文芸日本』、昨日『不同調』、ゴシップ雑誌が文学の本道に何の拘りありや。

〔欄外に〕

月夜、

涼しく心地よき夜なり。Y、日本橋からとって来させたラディオをもって、海老原とかいう男のところに出かく。

○仕事の下ごしらえ。十二時頃Yかえり、大学分院の坂で内田百間氏に会い貰って来たと、桜坊一つまみをくれる。美味。

「べこ[#百合子の愛称]にやろうと思って、がっとつかんで来た」

七月四日(土曜)

ハイシャ

江戸川まで一緒に出かけ、Y、ラディオやによってアンテナにつかう線その他を買う。自分銀角に電話をかけ、テレフェンケンを命ず。かえって見ると、Y、キタお手伝いさん、椅子をもち出してあらかた天井に張ってしまって居た。夕刻リシーバーが来たのできく、よく聞える。ホウ、聴えると大騒ぎ。

七月五日(日曜)曇

野上さんに誘われたお能の日。桜間金太郎が杜若かきつばたをやる。Y行きたがらず、山内封介が来るというので、私だけゆく。丁度杜若のシテの出のところ。場所は、野上さんのところの方が、道成寺の時のよりよく、橋がかりが美しく見えた。杜若は、絵画的美。道成寺はよほど意志的であった。狂言附子を後一つ見てかえる。山内氏夕刻来。good nature な人だが、いかにも協和性にとんだ神経をもって居る。例えば労農ロシアでは、政治に対する不平など一言も云ってはいけないという、そういう不自由さを私共は堪えがたく思うが、彼は、郷に入っては郷にしたがえと安に暮すが如く。

〔欄外に〕

明月谷の家いよいよかりることとなった。半永久で三十五円。Yの家なり。Y、自分の家というものが欲しいと云ってここを見つけたのだ。自分の家――自分の家。Yの家はカマクラに置き私は東京にアパアトメントでもかりて、二つにする――一緒に動くのだが。

そういう計画が出来た。

七月六日(月曜)

ひる頃ハイシャに出かけようとして居ると国男来、林町に忘れて来た手袋をもって来てくれた。ひる食前という。一緒に三人で出かけ、Yは会、自分とK、松月で食事をし、かえりに東電、ラディオ放送局に廻って、ハイシャ。今日は北村氏不在で、助手、変に女性的丁寧な言葉をつかう、不快。

七月七日(火曜)

ハイシャに出かけようとして居ると、江井来、父上おなかこわしで臥床見舞に来てとのこと。車があいて居るので、幸、先にハイシャにゆき、かえりにお茶の水の文化アパアトメントに廻った。やっと事務所をさがし、プランを見たりして居ると、森本厚吉氏が居合わせ、会う。いろいろ話し、便利らし。四坪半位の部屋が五十円位とのこと、その代りすっかり、あっちのアパアトメント式だ。彼の計画は所謂文化式で、単に、住宅を提供する以上、よき日本文化の中心を作りたいという位の抱負であるらしい。その点ちっとうるさそうだ。が、まだ建物さえ十月位でなければ出来ない、費用など、まだ勿論不明、申込。

〔欄外に〕

父上のおなか大したことなし。病気より甘えの方がひどく、よく来てくれたよく来てくれたとよろこばれる。小南国にかえる。気の毒な哀れな気がした。

七月八日(水曜)

暑し。今年はじめての暑気。昨日鎌倉に立つ仕度を始めたが、殆ど胸がわるくなるほど暑し。夕刻、雷雨。ぐっと涼しくなる。Yとコウザンで食事、買物を一寸して。十二時少し前にかえる。

七月九日(木曜)晴

Y、会の締切がのこって居たので会により、自分キタと三越、山本に廻ってステーションにゆく。一時四十五分で来る。大船は赤帽一人、而もその赤帽は、客が手招きしても物ぐさに見ない振でのたのたして居るという呑気な駅、俥やも亦、お喋りで滑稽、明月谷は大船から小一里単調な田舎道、円覚寺から先がやっと鎌倉らしい。

家は葺(ママ)ぶき、掃除してなくひどし。松田竹の嶋人を訪ぬ。熊本の男、ホラふき、親分気ドリ、大きな鼻、沢山の深くない趣味、このまない男の部だ。細君粋がった口のききよう、その他。とにかく、親切に世話をしてくれ、泊れるようになった。

〔欄外に〕

庭に小さい花壇アリ、横手は、梅が三本ある三十坪以上の空地、裏は山で岩やあり。間どり八・六・二・三・二(この二畳は物置にしかつかえず)自分は玄関の二畳が部屋。

七月十日(金曜)雨

梅雨的にふりくらす。八畳の方に七輪を入れ空気をかわかす。自分は仕事が心がかりだが机もないので仕方なし。

安積などの田舎になると、東京からすっかりはなれるので、落付くが、この辺だといつも東京に心をひかれるようで却って落付かない。東京を恋しく思う。寧ろ。Yもその通りな由。

藤村の「伸び仕度」をよむ。男親の手で育った娘が、段々成長し、始めて経水を見るその前後のことが、詩的な、さびた、ごく日本的筆致で書いてある。あとの、老年のストリンドベルクのことを書いた本の紹介が面白かった。

〔欄外に〕

柳やに風呂へはいり、食事しにゆく。女中二人とも、酌婦的だ。主人は面白い男。古風な木版本をよみ、息子か誰か経をよむのが聞えた。

七月十一日(土曜)不定

大工が弟子と来てあちこちの戸じまりをなおす。机を柳やがもって来る。我々障子はりをする。

つかれた。自分、自分だけで落付く書斎のないことが不安でいやになった。ずっと此方に落付くのであったら、例え二畳でもちゃんと自分だけの部屋を拵えて置かないと、頭まで落付かず、しまりなくなるようで辛し。

七月十二日(日曜)雨

きのうの夕方はれたと思ったのに夜中より又降雨。わびし。けれども、机が出来、二畳に納り、Yも机についたので、まあやっと家らしくなる。

七月十六日(木曜)

過日一寸よみかけて居たニイチェ書簡集をよみ終る。人としてのニイチェに親しみを覚え、彼の超人的哲学の源泉を、ひどくヒューメンなもの、テムペラメントに起因する――純論理に発足した体系ではなく――詩的、音楽的精神飛躍と思うようになった。自分の著書を、音楽家ブラームスなど、愛読してくれるそうだと書いても居る。彼が、あんな烈しい病苦を意志で、それこそチェホフが「単純に美しく」自己の病苦にうちかったようにうちかち、恢復期のむさぼるような愛、感受性の敏さ、生命力の自覚をもって自己の認識を記録した、その生活力のリズムが、書くものに強く反響して居る。チェホフが「火は私の衷に急激に火花を散したり燃え上ったりすることなく、徐ろに、平均に燃えて居る」というのと正反対だ。忘られぬ一つの言葉、「ひとは最も自分を利用することを忘れてはならぬ、病苦さえも」

そして、彼は、確かに自分の病苦さえ、負ける迄は誰がしたよりも賢く立派に利用した。その自己の利用ということについて、更に考えがのびる。

自己の内にあるもの、得た知識、それ等をどうひき出し、どういう形に、いつまとめるかをはっきり知って居るものが、芸術家としても豊富になる。豊富さとは、徒に、読こみ、ためこむ、その蓄積一面より、いかに貯え、いかに出すか、その間の活々した流動にあると思う。大いに考えるべきことだ。大きく、よき芸術家となるには、どう自分を素直に敏感にするかという修業の一方に、どう賢く自分を利用し得るかを研究することが大切と思う。

七月十八日(土曜)晴

梅雨もあがったらしい。すっかり晴れ渡り爽やかに暑い。瀧田氏が又悪いということを新聞で見たので、見舞をかく。山本へも、九月号への原稿のことについて。林町へも。

Yの机と椅子二つ来る。すっかりスタンドをつけて夜納る。坐って何かしなければなるまいかと思って居たのに助かる。本当にたすかって楽になった。

夜、チェホフの手紙をよむ。千八百九〇年サガレンに出かける頃のところ、すぐその前に、自分にとって何も面白くなくなった、気分をかえるために何とかする必要があると書いて居る。サガレンに出かける動機も、数ヵ月全然違った環境で暮したいイムパルスによってと見える。

〔欄外に〕

富岡鉄斎翁の伝は近来になく面白いものだ。画人伝中の白眉、正宗得三郎氏が、書いて居ることによって特に面白い。色彩などユニークであったらしい。強くてやや原始的で神秘な。

七月十九日(日曜)

仕事に着手 三枚

七月二十日(月曜)

三枚

七月二十一日(火曜)

数行出、こねるこねるこねるこねる

Y、ひとりで東京にゆく

大船まで、女もちにし、黒カバンをもって送ってゆく。

かえりにホタルを沢山見る。

釣をやる。みみず、一尾の鯉 jr.

七月二十二日(水曜)

仕事九枚、

七月二十三日(木曜)

三枚⅔

七月二十四日(金曜)

Y、どうぞ今日かえって来てくれるように! 夜、淋しくてねつきがわるく困る。

神経のために不経ザイなり。

八月五日(水曜)

仕事「崖の上」七十二枚。Y、明日東京にゆくので持って行って貰う。

八月八日(土曜)

「崖の上」皆で百十一枚になる。

自分で東京にもって来、中央郵便局から出す。あつい風の吹く日なり。スウツケースY、Y(ママ)、の方を持つ。電車でかえった。Y、そんな荷物をもって電車で来たのか、いやな心持がする、自動車にのっておいで、これから、と云う。

自分、母からもこのような言葉はかけられたことなし。ああ、Y。

九月一日(火曜)

鎌倉よりすっかり引上げて来る。

九月二十一日(月曜)

林町の両親と帝劇に女優劇、デニショウン舞踊を見にゆく。

福岡貢、下らない、血まみれ芝居を、又も又もとむしかえしてやる気が知れず。実に愚なものなり。

デニショウンよろし。パブロヴァのとき感じた不満――あの軽業的体操がなく、もっと活々、素朴で、感動的だ。衣服のエフェクト、光、ひどく巧く、利用しすぎる位利用して居る。然しよかった。

九月二十七日(日曜)

野上さん夫婦と能

一噌の笛、五郎の鼓、河崎氏の大カワ、この三人による音楽は、実に立派だ。恍惚とさせるものあり。

邯鄲かんたんを金太郎。盧生夢さめてのところ、落寞たる感が場に漲った。これなど名手の演出というべきものであろう。かえりに、東品楼で食事。ホワイアントが、火山に小山とびこむ小石かな、という俳句をよんだという話で大笑い。

九月二十九日(火曜)雨

九月三十日(水曜)

豪雨、二日つづき、この雨、一ころ一寸閃いた秋の爽やかな日ざしかげもなし。

まるで、寝て雨のコンスタントな強い音をきいて居ると、世界水一杯、水づかりのように感じられる。

もう一日もつづいたら、家のねだからふやけて蕈のようにくされそうに思う。

〔欄外に〕

この頃家やかましくて仕事につけず。困り、よろず案内に広告を出す。静かなところに引越したら、ああ引越しさえ仕たら! と思う。

十月一日(木曜)

晴れ、あつし。

昨夜、松村みね子訳かなしき女王の中、髪あかきダフウトをひどく音楽かつ絵画的で(北欧的さが)面白いと思った。大変面白い。作者フィオナ・マリラオドはこのような作にすぐれて居ると思う。宗教的神秘の多くふくまれたものは、このようでは行かないのがあるのではないか。よくわからないが。まだ。

昨日、一昨日の大雨は、五十年来であった由。あっちこっちの崖くずれで、家つぶれ人死にあり。

十月二日(金曜)

「ジャン・ジョレス」。深い感銘をもって読む。そして斯う思う。人間は不思議な生物だ。これほどの人でも生きて居たときは、喪ったときに感じるだけの偉大さ、偉大な存在の感を周囲のものが常に持ちつづけては居ない。そこに、人間の、どこまででも偉大になれ、壮美になれ得る可能性と獣のような無感覚とがある。

十月三日(土曜)

Y、ブブノワ。

八時に小野さんのところまで迎えにゆき大塚へ出、本郷へ出て郁文堂を見る。Yチェホフの晩年の作「峡谷にて」、のあるのを買って来る。高いそうだ。高い高いとぐちる。可笑し。かえってよく見、よかったと云うのだもの。

十月四日(日曜)

百花園にゆく。

百花園には花のほかの見ものあり。

清浦とりまきの陣笠、芸者、夫婦ものの貧しいの、妾の子をつれた六十近い男など。かえりに前川、月、橋の工事、浅草の立ち見でシーホークを見る。あまりよろしくなし。僅の金でこれだけたのしむ、Yのマネージなり。

「マイステル」。面白いのでY、とってよむ。自分すきを見て又奪いかえす、Yとる。自分とって今度はよんでしまった。

「マイステル」、ゲーテがどんなに精力家で、かつ自由な経験をもった人かがわかる。なのに現れて来る女性、ことごとくよし。ミニヨンなど、ギリシア的悲壮美に満ちて居る。あれ丈女を書くのでも一通りではない。

十月五日(月曜)

まだ床に居るうちに秋庭氏来。

早稲田・市俄古シカゴチームを見ようとて誘う。自分ゆきたし。Y、仕事があるのでしぶる。しかしゆく。面白し。ひどく面白いが力んで骨が折れる。余りはっと思わせる球は出なかった。久米氏、白きパンツ、空色に近い上着、キャップにケーンという老中学生のいでたちで来て居た。

実にいろいろな男、女は少し。ああいうところへゆくのも人間の種類と見てよろし。かえりにどしゃぶりの雨となる。

十月六日(火曜)

ふるみふらずみ、

Y会、自分四谷事務所へゆき、かえりに会による。Y、つかれたのか頭が重い由、岩波で鎌倉へ送って貰った原稿紙の金を払い、大同に廻る。余り本なし。奥に春日氏の声す。一誠堂でオックスフォードがない。フレーズ辞書もなし。ここで野上さんに会う。ドウデエの Passion of the south を見つけて買う。訳者、余り大した人ではなさそうなり。

十月七日(水曜)

『読売』のために、「茶色っぽい町」十一枚を送る。

Y、チェホフの手紙を又よみなおしてくれという。よみつつ、彼女は又先の方を原書でよみ、話す。チェホフのやさしさ、などについて。自分悲しくなった。――このようにチェホフについて話す我々の互の心持も又なくやさしいものだ。彼女をおいて、私にはこのように話し、このようにたのしむ人をもたない。この生活は永久につづくであろうかという無常感だ。Y、弱い。自分は、センチメンタルになることをゆるせば、愛を本当に知らされた人にいつか別れるという苦痛を今から恐怖する不幸な人間だ。

十月八日(木曜)

雨、

我々は互に飽るということがない。

この互にたのしむことは恐しい位だ。何故なら、私はよく、外の世界の存在を忘却するほどだから。

十月九日(金曜)

雨

縁側の机のところに居、鴎外全集中、四十五年頃の翻訳「正体」をよむ。構成派的の耽美がこの時代にもうドイツにはあったものと思われる。深く刻みつけられた。機械に対するの神秘、神経異常を。

〔欄外に〕

林町へ久しくゆかない。先月の二十一日に会ったぎりだからもう二十日ほどになる。

行きたい。

しかしゆきたくない。この心持何故だろう。スエ子、英、国男、皆ちゃんとした各〻の部屋も持たず、母上は人生の晩秋の一さかりを自動車で歩き廻る――陰気になる。純潔ではあるが思慮教養なき家庭、林町はそうだ。

十月十日(土曜)

雨

ああこの雨には驚く。

はばのうしろの壁にすっかりかびが生えてしまった。

Y、昨夜おそくまで(二時まで)本をよみすぎ亢奮して眠れなかった由。おつき合いで、私まで早くおきたり又一寸睡ったりしたので、つかれたようで変。

急にY、火曜に京都へゆこうという。五六日の予定

十月十三日(火曜)

京都へ出発。三等急行

今度は湯浅さんの加茂の家に世話になるため。

興津辺の海珍しく波高し。汽車の中に、この春京都に行ったとき、電車の中で会ったモーニングに、日本の布のウェイストをつけた男、赤っぽい色や緑の

〔図〕fig4833_02.png
縦長の丸六つの絵入る
形つなぎの着物をきた女とのって居るのに会った。その男、明治辺の大学生をつかまえ(それが天保銭なり)しきりに威張り、不快なほど威張って喋った。

三人子供をつれた夫婦、細君気に張がなくてべたべた。女の子、こわれた安人形のよう、浜名湖を通るとき両親は眠って居るし、恐怖に襲れ、突立って四方の水を眺め乍ら、堪らなそうに「あぶないよう、あぶないようっ」と泣き出した。父ねむい眼で、娘を抱き、胸の下に入れた。娘それですっかり安心し、だかれてすやすやと眠って居る。愛らしき光景。

貞雄さん迎に来て居てくれた。

十月十四日(水曜)晴

実によい天気、よい天気!

コスモスの花美しく見えた。Yと二人で、ブランコなどをして楽しむ。からりとしてよい天気、家もよし、愉快。貞雄の母[#湯浅アサ]という人も、しごく女らしい女という質で、私のような局外者には悪意がもてなかった。午後山科へ、Yの母の妹に当る人をたずねてゆく。病気見舞に。ヒステリー的食慾不振なのだ。山科閑居というが山科は大してよいところでもなし。

十月十五日(木曜)晴

宇治にゆく。黄檗はやめ、電車のステーションからすぐ左へとってずっと興聖寺わきまで行った。が、春より冷え冷えとしすぎてよくなし。流れが此方側は速すぎもする。渡しで、一円ばかりさかのぼり(一円がところ、と爺云った)かえって彼方側につく。彼方から、興聖寺の方を見た方がよい。樹木と山があるから。

平等院、春の印象、感じを強めた。――直観の美が何か足りないものを感じるという。――

かえりに桃山に廻り中井氏に泊る。

少し川風がさむすぎたと見え、二人とも喉が変。特にYは。

〔欄外に〕

中井氏へ泊る。中井氏を私はどうも大してすきになれず。Yをひどくなめてかかりデリカシーを欠いたものの云いようをするのがいやだ。Yの真心を認めず、いつも冗談という風なの。それは勿論Yにも責任の半はあるが。

十月十六日(金曜)

中井氏の家は〔以下空白〕

かえりに図書館と、物産陳列場で川島氏と二科で一寸目を牽いた里見氏[#里見勝蔵]の展覧会を見た。本野精吾氏に会う。川島氏の絵はおだやかだが、水などの描き方によいところあり、一つ欲しいと思う位。

十月十七日(土曜)

Yのかぜひどし一日家居。

十月十八日(日曜)

植物園にゆく。

十月二十六日(月曜)

土田さんのところに出かける。簡単な道を下らないところで迷って困った。安藤さんも来て居。愉快ではあったが、何だか少し、寸法の合わないようなところもあり。生活の話だけ。土田氏という人、まるで無勘定なので、高嶺家の厄介になり、その点夫人つらいこと、又、高嶺氏の長兄、新しい夫人と外国で暮し、家の三人の子供には余り愛のないことなど。安藤さんは、よく気がつき、下町らしく、面白し。私のことを、心配し気の毒がり、何と云っていいか、会うまで苦しかったと、女らしいことを話した。三人の中では、一番幸福な人だ。

十月二十七日(火曜)

野上さんが来るという速達があったので、Yも一日家に居、夕刻は坂の下まで迎に行ったが来ず。

十月二十八日(水曜)

野上さん来。あっちこっち廻って来たので疲れた由。余りぼんやりして居るので心配になった位であった。

「マイステル」中ミニヨンの話などする。スターンはやめて、レオナルドと同じ頃のイタリーの鋳金家の自叙伝を訳そうとするという話があった。彼女、翻訳は全く上手く、創作につかえると翻訳をしたがると自分でも云って居られたが、それが又却って彼女のためにはよしあしらしく感ず。Y、会へ出かける用もあって落付かず。ひどくひどく不キゲンでその為に、私が涙を出した位であった。

野上さん「私は東京親戚というものもないからこんなことの出来るのはここだけよ」とお国風のおすしを拵えて下すった。美味いし手器用でよかった。

十月三十日(金曜)

今日瀧田氏の葬儀、告別式本郷にある。出かけた。かえりに家に廻る。少し足りないような書生、自分も座布団に坐り、手をもみ、口の端のこわれた、花柳病のありそうな男、然し、性質はよさそうで、故瀧田氏をしんからおしむらしく話した。つい先頃結婚して秋田に行った長女泣いて玄関から入らなかったと。又「先生は鯉がすきでねえ、鯉ばかり眺めて居おったが――鯉ばかりのこってしまってねえ」と。夜そんな話をして居るとフトY、東京毛織の塚口という男の死亡広告を見、深く動かされたらしかった。この男は、彼女との間にいきさつがあった人の由。死んでしまった。色即是空という感を私まで抱いた。彼のためにYの感じただろうすべての感情! 不思議という心持がする。

林町でモ服とかえた。かえり肴町マデスエ子と来、お下げどめを買ってやる。

〔欄外に〕

母上国府津。今夜父上と一緒に(父上九州より)かえる由。

十月三十一日(土曜)

林町の連中自動車で日光へゆく。

自動車が出来てから活動的になったこと! 元の母上に、きのう国府津からかえって、今日日光へゆくなど、考えられたろうか。いいあんばいだ。広く生活するのはよろしい。自分、何とフシギなものだろう。親たちと一緒に生活したり、友達と広くつき合ったりしたいといつもいつも思い乍ら、又いつもいつも他の事情のため、ヒカク的家にこもった生活をする。この頃はそれで貧弱な感じこそしないが。妙なものだ。――年をとったら、本当に自由に悠々自適して暮したい――華やかな生活――情的に――した女性が、晩年、一人で、他から煩わされる何ものをも謝して、すきなとき人を訪れものをよみして生活するのを望む心持頷ける。今こそ斯う思うが、さてそうなると、「この人間的、余りに人間的」な自分は、又浮世の絆を求めるか? いろいろ考える。

十一月二日(月曜)

この頃、階下の六畳は暗い。去年の二月頃も此那に暗かったのだろうか。少し曇った日は不快で仕事出来ず。

十一月三日(火曜)晴

『女性』にやるのを一通り仕舞いかけのところに北村秀雄来。お琴の妹が来て居るので落合うつもりで出た由、その女とはかけ違ってとうとう会わず。私もやっとすんだので、長崎料理をたべに出かけた。大して美味くもなし。勿論小人数でシッポク料理という毛剃的興味のあるものはたべられなかったが。銀座を歩き十二時すぎにかえる。

秀雄この頃京都に馴染ある芸者あり。珍しいから五月蠅い。何ぞというとそれについてのしゃれ、自慢が出る、好意はもてるのだが勿論。

Y、「あとをつけたいようないい女は居ないね」

「うん、皆以下や」

「なんや、だれ以下や、うるさいな」

の如く。

〔欄外に〕

Y、秀雄が来一寸酒の勢ではしゃぎすぎると翌日少し機嫌わるし。リアクショナル。

十一月四日(水曜)

『女性』のために小説、「小村淡彩」を三十四枚書き終る。

庭に、野ばなしの菊あり、もと、懸崖であったと見え、横たおしになり乍ら蕾がついて居たが、愛らしい花を開かせた。秋の風情あってよろし。

ひるに、秋刀魚をたべたら、腸に、赤い虫が居た。Y、紅屋に薬をかいにやりのむ。下ザイ。心地わるいこと(はらの)限なし。夜眠れず。いろいろ空想する。この頃自分頻りに国男の子供が生れるのを待って居る。自分のところに、小さい子をとめるベッドやおもちゃをそなえてやりたいなどと。一寸テーマになる感情だ。

十一月五日(木曜)晴

よく晴れた日。昨夜よく眠らず、六時頃アダリンをのんだので、おきたのは十二時。腹工合ひどくわるかったので、いやな夢を見た。

父上が、腹部の痛みで、もう死なれるかもしれないという。自分悲しく、悲しく、実にリアルにその悲痛を感じ、敷居に額をこすりつけて泣いた。おきて、ああ夢であってよかった、と云った。Y、やはり夢を見る。

三宅さんが来てパンをたべ。おはちを買う夢。Y、内藤さんのところにゆき自分ついてゆき高樹町の家を見る。ペケ、麻布に広告があるのでゆき、交番で、島田という家をきく。

「ああ坊さんですね」

「――家を見に来たんですが」Y

「二三軒あいてますよ」

「へえ、どうして一時にあいたんでしょう」

「証明は出来ないが、何でも」巡査にやにや笑う

「元墓地であったそうで、夜中に今晩は、今晩はと云って起しに来るそうです」

「じゃあいやだわ! よくきいた、よくきいた。」

十一月六日(金曜)晴

実によき日、少し風があるが。

庭に咲いた菊を剪って、コップにさし、Y、と自分との机の上に飾った。

中公の伊藤氏来。瀧田氏の追回を書いてくれと云って来た。4枚位。

Y、ブブノワ。

十一月七日(土曜)

博物館の仏画展覧会をヷーリャ・ブブノワと見る。ブブノワ、よき人なれども一向芸術家でない。直観というものが殆どないようだ。画立派。特に第二室にあった有名な観音、象にのった、並その左どなりの仏界マンダラ等忘れがたし。帝展す通り。あの調子のよわさ。中へ入ると空気が稀薄になったようだ。いけず。印象氏の画力作と思うが心を打つものなし。清方氏よし。縁衣よし。かえりに網野さんのところによる。新居。チェホフ回想文集、ゴーリキー、クープリンによる、をかりて来る。

十一月八日(日曜)

小野アンナのヴァイオリンを聴く。不可

有島さんの家の古東洋画陳列を見る。

果物□(一字不明)などの小品になかなかよいものあり、大きいのは感心せず。近いので、一時間ばかり山田わか氏を訪問、始めて。

それから青山会館に行った。

十一月九日(月曜)

仕事。Y、会。

Y、会からのかえり、美しい、美しいバラの花を二輪買って来た。二人に一つずつ。私には、Yが花を買って来て呉れるうれしさを何と云ってよいか判らない。

山岡に居たときも、彼女はよくいい花を見つけて来てくれた。

十一月十日(火曜)

中央のための「狭き一側面」を送る。七枚。

仕事の下拵え

十一月十一日(水曜)小雨 寒

ジルマルシェックスのピアノを工業クラブで聴く。

次の仕事の下拵え大半

ジルマルシェックスのピアノをきいて思ったこと、音をマス……マスとまとめること、全体のゆるやかなリズムでなく。つまり

〔図〕fig4833_03.png
手書きの波線の図
でなく
〔図〕fig4833_04.png
手書きの「○―○―○」のような図
という風。文字でもこれは出来る。

リサイタルで、国男と春江とに会う。

Y、Kが始めからきらいな由、ずっと不快そうにして居気がかりであった。Kが、きっと情が深くないだろうと云う。又、単純でない、朗かでないと。成程、そういうところは、確に在る。

「あのひとも、ムッテリアンだな、ああいう家族から全くどうして君のような人が出たかと思う」

自分、Kとは子供のうちから仲よく暮し、いつもフェボラブルな批評しか出来ない。Yにそう云われ、鋭い彼女のことだからきっとそういうところもあるかと思うが、愛はかわらず。やはり国ちゃんだ。妙なもの。皆が生れてからのカン境による狭さプレジュダイスをもって居る。なさけないものなり。

十一月十二日(木曜)

Y、会。朝がすむとすぐ出かける。

自分仕事だんだんはっきりし始める。ただ始めのところ、これまでと同じようになってはいけないと些か工夫を廻す。

十一月十三日(金曜)雨

すっかり下が暗いので、二階の六畳の方に机を入れ、暫時居候。いよいよ書き出す。割合、素直にゆき四枚。

Y、ブブノワ、そのためによんだ、チェホフの短篇を話してくれる。英語でよむのとは大分違うらしい。それを聞いて思ったこと、

○短篇というのは、決して些事のみを一寸書くのが短篇ではなし。人生の鋭い

〔図〕fig4833_05.png
手書きの「∧」のような図
をきっと捕え、大きな思索的背景をもって、単純に書くことだ。

○人生の複雑さを表すのに、いつも大きいことばかりが道具ではない。小さい小さいこと、子供がコップを破こわすことでも重大な意味あり。

○自分が作の表に理屈を生のまま出す。これは、未熟の証拠だ。然し、私に理屈が在り思想が在るのがわるいのではない。私の大切な大切な、背骨だ。これを失ったら、私の立場は、危い。

十一月十四日(土曜)晴

今日はすっかり晴れ、愉快な日が下の机の上にさす。下で仕事。Y、一日家居、やはり勉強。自分この頃うれしいことあり。それは、Yが大変心持が平和になり、カンシャクを起すことが減り、私の辛い腹立ちをすることもなくなって来たことだ。恐しいもの。人間は何か精神的な目標をもって緊張して居るときには、心の平静を保つ。これは、考えると畏しさの増すものだ。

Y、実に複雑な人。自分はYでどれだけ教えられるところがあるか知れない。自分に対する正直さ、見栄のなさ、中流的テライのないところ、それ等がひどく鋭い直観的批評家と彼女をする。

〔欄外に〕

仕事八枚

この二三日ですっかり秋色酣たけなわになった。

Y、勉強から降りて来、髪の毛がどういう工合にか額のところにかかって居、集注ののこった顔のとき、美し。ユニークに見える。輝きがあって

十一月二十五日(水曜)

夜三沢さん来、仏教の話をする。

華厳経のこと、大乗、小乗、寿量経、ボサツのこと。在家の居士。

ボサツ、生活形式は何をしてもよし、心さえボサツならばと。

おそくまで話す。

十一月二十六日(木曜)

ドラマリーグにてレヴィツキーのピアノリサイタルをきく。よし、よし、大いにYも自分も亢奮した。かえりにアミノさんと三人銀座をずっと歩く。Y、小鳥料理を欲しがりどこもないので松月により小鴨の料理をたべる。

Y、今日半谷の父君のたのみにてウラジオから何ヴェルスト〔露里〕かあるところのキラーの山の事情について来るロシア人の通訳みたいなことの相談のために、樋口という人のところにゆく。体が平常でないのでさぞ疲れたろう。

〔欄外に〕

Y、キゲンよくなり、自分も楽しくよく仕事が出来るようになった。

この間三四日いやな日、いやな日

十一月二十七日(金曜)

仕事七十三枚、但、中枢になるところ大いになおす必要あり。

十二月六日(日曜)

仕事すっかり仕舞う。但あと一つのまとまりになるところまでは書き切れず二月号に同じ題で出すことになる。

林町三時から祖母上の一年祭、かえりに皆偕楽園で食事。

林町へとまる。

国男、S、Hとのことを話す。

思って居たよりその苦痛をまともに受けて居る。

笹川春雄氏のひどい卑陋な態度の話。

十二月七日(月曜)

Yの誕生日。よい天気の日で結構なり。林町から俥をかりて、あっちこっち歩き廻り、やっとおくりものをととのえて三時頃かえる。それから花を飾ったりなどしてY、五時すぎにかえる。大よろこび。

おくりもの、クッション、インクスタンド、バラの花。

秀雄来、賑やかに食事す。

十二月八日(火曜)

安成二郎、『子を打つ』の会へゆく。

いろいろなことを感ず。本当のよい芸術より野心、有名にあこがれること。

かえりに本郷通りを歩いて青木堂により、チーズ、ビスケット等買う。

郁文堂に新しいものなし。Y、自分の売ったチェホフがあるのを見つけ、一冊ふえて居るね、とふざけた。可笑し。

星さき氏来。

きたかえる。

〔欄外に〕

二日、普通でない食事がつづいたので胃工合わるく、朝いたんでひどい目に会った。今年これで二度目。注意を要す。

十二月九日(水曜)

キタが居なくなったので、一種のんびりしたようなり。可笑しなもの。

ブブノワ来るかと思い、ちゃんとその仕度をしたが来ず。まだ戸をしめて居たうちに網野氏、伊藤さん等来たらしく名刺あり。夜伊藤さんから手紙、柳さんのところに仕事があったとのこと。殆ど予想外なり。よろし。よろし。

十二月十日(木曜)

Y、会。自分会へ迎えにゆき秀雄さんのところにゆく。夕飯。Yの大島あり。大よろこび。人形町の通りを歩き、銘仙を見るがよいのなし。十二時頃かえる。

晴れつづき。

山茶花さざんかの花、

散紅葉、

光った卵色と鳩羽色の夕映。その前に黒く浮く、樹木、家。

○晴れた午後三時頃、ぼーっと銀座のビルディングをこめて居る靄

〔欄外に〕

正月の富士山。概念で見ると実にやり切れなくコムヴェンショナルだが。

十二月二十七日(日曜)

晴、

湯ヶ島へ出発。朝俥の都合わるく、飯田橋まで行って自動車にのりかえなどし、やっと、乗ったら直ぐ動く程度で間に合った。

修善寺より乗合。客引きが客を奪う様、昔の宿場よろしくの光景なり。すっかり暗くなり、自動車をおりて、落合楼に下る坂に出ると、正面に輪廓丸い二つの山、龍子の墨絵のようにマッシイブに迫って力強く見え、目まいがした程であった。落合楼、川に挾れてあり、よい宿やだ。我々の部屋もよし。但、二間くれたくないようなり。

〔欄外に〕

もちつきの音がした。

十二月二十八日(月曜)

実にすばらしい天気。紺碧の空、軟い錆金色の草山、色づいたまま散らない蔓類の葉、細い竹やぶ、杉、柑橘類、大島椿の白い幹。伊豆はよいところという印象深し。瀬古の瀧の方に散歩し、心持よい木下道を歩く。あぶないつり橋も渡る。大体、山の間に追いこまれたようなところのせいか、開けず、温泉場らしい淫蕩な空気なくていい。南画的樹木が多いのが又興味あり。仕事などもたず、五日も散歩しては湯に入り、のんきにしたし。湯殿三つあり、大きい方はコン浴だが、二つ小さい方はとじまりが出来るので大いによし。この点だけも私は大満足だ。

〔欄外に〕

朝起きると隣に尺八を吹く人あり。少し悲観。部屋を、となりの六畳二つにして貰い引越す。

十二月二十九日(火曜)

仕事にとりかかる。

坐って机で書くので、何だか落付かず苦しい。

隣室の尺八、盛なのでじき談判をやり、夜だけ静にして貰うことにす。

落合川を渡る吊橋、それから一寸した庭、玄関、その上に二つ並んだ部屋が私達のところだ。二階が別棟になって居るので比較的静かだ。

十二月三十日(水曜)

仕事

十二月三十一日(木曜)

三ガ日は私も遊びたいからと云って、今夜十二時すぎまで仕事す。

女中夜なかに、前のつり橋を渡って髪結いに出かける下駄の音だけがどうやら大晦日らしい。

昨年の今日は、三時頃までYと神楽坂を歩いて居た。

今日と松の内を暮そうとして来る客大分殺到す。子供沢山。あっちこっちで子供の声がする。

〔家廟祭祀行事〕

十二月十八日  祖母上

〔旅行記録〕

京都

奈良

鎌倉明月谷

京都

〔図〕fig4833_06.png
〔金銭出納録〕の表

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〔金銭出納録〕の表

〔図〕fig4833_07.png
〔金銭出納録〕の表

底本 / Source edition

底本:「宮本百合子全集 第二十四巻」新日本出版社
1980(昭和55)年7月20日初版
1986(昭和61)年3月20日第4刷
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※「ロシア語および若干の外国語については、本文中に邦訳を付し、〔 〕でその箇所を明示した。」との記載が、底本解題(大森寿恵子)にあります。
入力:柴田卓治
校正:青空文庫(校正支援)
2014年7月16日作成
2015年8月27日修正
青空文庫作成ファイル:
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リリース / Release
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TEI
/works/004833_000311/tei
プレーンテキスト / Plain text
/works/004833_000311/plaintext
書誌 / Bibliography
/works/004833_000311/

宮本 百合子「日記──11 一九二五年(大正十四年)」(新字新仮名)、底本『宮本百合子全集 第二十四巻』新日本出版社、1980年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 004833_000311, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

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