Soranoha

小桜姫物語

こざくらひめものがたり

浅野 和三郎

舌代

本物語は謂わば家庭的に行われたる霊界通信の一にして、そこには些の誇張も夾雑物もないものである。が、其の性質上記の如きところより、之を発表せんとするに当りては、亡弟も可なり慎重な態度を採り。霊告による祠の所在地、並に其の修行場などを実地に踏査する等、いよいよ其の架空的にあらざる事を確かめたる後、始めて之を雑誌に掲載せるものである。

霊界通信なるものは、純真なる媒者の犠牲的行為によってのみ信を措くに足るものが得らるるのであって、媒者が家庭的であるか否かには、大なる関係がなさそうである。否、家庭的なものの方が寧ろ不純物の夾雑する憂なく、却って委曲を尽し得べしとさえ考えらるるのである。

それは兎に角として、また内容価値の如何も之を別として、亡弟が心を籠めて遣せる一産物たるには相違ないのである。今や製本成り、紀念として之を座右に謹呈するに当たり、この由来の一端を記すこと爾り。

昭和十二年三月淺野正恭

序

霊界通信――即ち霊媒の口を通じ或は手を通じて霊界居住者が現界の我々に寄せる通信、例を挙ぐれば Gerldine Cummins の Beyond Human Personality は所謂「自動書記」の所産である。此書中に含まるる論文は故フレデリク・マイヤーズ――詩人として令名があるが、特に心霊科学に多大の努力貢献をした人――が霊界よりカムミンスの手を仮りて書いたものと信ずる旨をオリバ・ロッヂ卿、ローレンス・ヂョンス卿が証言した。(昨年十二月十八日の〟The Two Words〝所掲)

カムミンスの他の自動書記は是迄四五種ある。其文体は各々相違して居る。又彼の自著小説があるが、是は全く右数種の自動書記と相違している。心霊科学に何等の実験がなく、潜在意識の所産などなどと説く懐疑者の迷を醒ますに足ると思う。

小櫻姫物語は解説によれば鎌倉時代の一女性がT夫人の口を借り数年に亘って話たるものを淺野和三郎先生が筆記したのである。但し『T夫人の意識は奥の方に微かに残っている』から私の愚見に因れば多少の Fiction は或はあり得ぬとは保障し難い。

しかしこれらを斟酌しても本書は日本に於いては破天荒の著書である。是を完成し終った後、先生は二月一日突然発病し僅々三十五時間で逝いた。二十余年に亘り、斯学の為めに心血を灑ぎ、あまりの奮闘に精力を竭尽して斃れた先生は斯学における最大の偉勲者であることは曰う迄もない。

私は昨年三月二十二日、先生と先生の令兄淺野正恭中将と岡田熊次郎氏とにお伴して駿河台の主婦の友社来賓室に於て九條武子夫人と語る霊界の座談会に列した。主婦の友五月号に其の筆記が載せられた。

日本でこの方面の研究は日がまだ浅い、この研究に従事した福来友吉博士が無知の東京帝大理学部の排斥により同大学を追われたのは二十余年前である。英国理学の大家、エレクトロン首先研究者、クルクス管の発明者、ローヤル・ソサィティ会長の故クルックス、ソルボン大学教授リシエ博士(ノーベル勲章受領者)、同じくローヤル・ソサィティ会長オリバ・ロッヂ卿……これら諸大家の足許にも及ばぬ者が掛かる偉大な先進の努力と研究とのあるを全く知らず、先入が主となるので、井底の蛙の如き陋見から心霊現象を或は無視し或は冷笑するのは気の毒千万である。淺野先生が二十余年に亘る研究の結果の数種の著述心霊講座、神霊主義と共に本書は日本に於ける斯学にとりて重大な貢献である。

仙台に於いて土井晩翠

解説

――本書を繙ひもとかるる人達の為に――

淺野和三郎

本篇ほんぺんを集成しゅうせいしたるものは私わたくしでありますが、私自身わたくしじしんをその著者ちょしゃというのは当あたらない。私わたくしはただ入神中にゅうしんちゅうのT女じょの口くちから発はっせらるる言葉ことばを側はたで筆録ひつろくし、そして後あとで整理せいりしたというに過すぎません。

それなら本篇ほんぺんは寧むしろT女じょの創作そうさくかというに、これも亦また事実じじつに当あてはまっていない。入神中にゅうしんちゅうのT女じょの意識いしきは奥おくの方ほうに微かすかに残のこってはいるが、それは全然ぜんぜん受身うけみの状態じょうたいに置おかれ、そして彼女かのじょとは全然ぜんぜん別個べっこの存在そんざい――小櫻姫こざくらひめと名告なのる他たの人格じんかくが彼女かのじょの体躯たいくを司配しはいして、任意にんいに口くちを動うごかし、又また任意にんいに物ものを視みせるのであります。従したがってこの物語ものがたりの第だい一の責任者せきにんしゃはむしろ右みぎの小櫻姫こざくらひめかも知しれないのであります。

つまるところ、本書ほんしょは小櫻姫こざくらひめが通信者つうしんしゃ、T女じょが受信者じゅしんしゃ、そして私わたくしが筆録者ひつろくしゃ、総計そうけい三人にんがかりで出来でき上あがった、一種しゅ特異とくいの作品さくひん、所謂いわゆる霊界れいかい通信つうしんなのであります。現在げんざい欧米おうべいの出版界しゅっぱんかいには、斯こう言いった作品さくひんが無数むすうに現あらわれて居おりますが、本邦ほんぽうでは、翻訳書ほんやくしょ以外いがいにはあまり類例るいれいがありません。

T女じょに斯こうした能力のうりょくが初はじめて起おこったのは、実じつに大正たいしょう五年ねんの春はるの事ことで、数かぞえて見みればモー二十年ねんの昔むかしになります。最初さいしょ彼女かのじょに起おこった現象げんしょうは主しゅとして霊視れいしで、それは殆ほとんど申分もうしぶんなきまでに的確てきかく明瞭めいりょう、よく顕幽けんゆうを突破とっぱし、又また遠近えんきんを突破とっぱしました。越こえて昭和しょうわ四年ねんの春はるに至いたり、彼女かのじょは或ある一ひとつの動機どうきから霊視れいしの他ほかに更さらに霊言れいげん現象げんしょうを起おこすことになり、本人ほんにんとは異ちがった他たの人格じんかくがその口頭機関こうとうきかんを占領せんりょうして自由自在じゆうじざいに言語げんごを発はっするようになりました。『これで漸ようやくトーキーができ上あがった……』私達わたくしたちはそんな事ことを言いって歓よろこんだものであります。『小櫻姫こざくらひめの通信つうしん』はそれから以後いごの産物さんぶつであります。

それにしても右みぎの所謂いわゆる『小櫻姫こざくらひめ』とは何人なんびとか? 本文ほんぶんをお読よみになれば判わかる通とほり、この女性じょせいこそは相州そうしゅう三浦みうら新井城主あらいじょうしゅの嫡男ちゃくなん荒次郎あらじろう義光よしみつの奥方おくがたとして相当そうとう世よに知しられている人ひとなのであります。その頃ころ三浦みうら一族ぞくは小田原おだわらの北條氏ほうじょうしと確執かくしつをつづけていましたが、武運ぶうん拙つたなく、籠城ろうじょう三年ねんの後のち、荒次郎あらじろうをはじめ一族ぞくの殆ほとんど全部ぜんぶが城しろを枕まくらに打死うちじにを遂とげたことはあまりにも名高なだかき史的事蹟してきじせきであります。その際さい小櫻姫こざくらひめがいかなる行動こうどうに出でたかは、歴史れきしや口碑こうひの上うえではあまり明あきららかでないが、彼女自身かのじょじしんの通信つうしんによれば、落城後らくじょうご間まもなく病やまいにかかり、油壺あぶらつぼの南岸なんがん、浜磯はまいその仮寓かぐうでさびしく帰幽きゆうしたらしいのであります。それかあらぬか、同地どうちの神明社内しんめいしゃないには現げんに小桜神社こざくらじんじゃ(通称つうしょう若宮様わかみやさま)という小社しょうしゃが遺のこって居おり、今尚いまなお里人りじんの尊崇そんすうの標的まとになって居おります。

次つぎに当然とうぜん問題もんだいになるのは小櫻姫こざくらひめとT女じょとの関係かんけいでありますが、小櫻姫こざくらひめの告つぐる所ところによれば彼女かのじょはT女じょの守護霊しゅごれい、言いわばその霊的れいてき指導者しどうしゃで、両者りょうしゃの間柄あいだがらは切きっても切きれぬ、堅かたき因縁いんねんの羈絆きずなで縛しばられているというのであります。それに就つきては本邦ほんぽう並ならびに欧米おうべいの名なある霊媒れいばいによりて調査ちょうさをすすめた結果けっか、ドーも事実じじつとして之これを肯定こうていしなければならないようであります。

尚なお面白おもしろいのは、T女じょの父ちちが、海軍将校かいぐんしょうこうであった為ために、はしなくも彼女かのじょの出生地しゅっしょうちがその守護霊しゅごれいと関係かんけい深ふかき三浦半島みうらはんとうの一角かく、横須賀よこすかであったことであります。更さらに彼女かのじょはその生涯しょうがいの最もっとも重要じゅうようなる時期じき、十七歳さいから三十三歳さいまでを三浦半島みうらはんとうで暮くらし、四百年ねん前ぜん彼女かのじょの守護霊しゅごれいが親したしめる山河さんがに自分じぶんも親したしんだのでありました。これは単たんなる偶然ぐうぜんか、それとも幽冥ゆうめいの世界せかいからのとりなしか、神かみならぬ身みには容易よういに判断はんだんし得うる限かぎりではありません。

最後さいごに一言ごんして置おきたいのは筆録ひつろくの責任者せきにんしゃとしての私わたくしの態度たいどであります。小櫻姫こざくらひめの通信つうしんは昭和しょうわ四年ねん春はるから現在げんざいに至いたるまで足掛あしかけ八年ねんに跨またがりて現あらわれ、その分量ぶんりょうは相当そうとう沢山たくさんで、すでに数冊すうさつのノートを埋うずめて居おります。又またその内容ないようも古今ここんに亘わたり、顕幽けんゆうに跨またがり、又また或ある部分ぶぶんは一般的ぱんてき、又また或ある部分ぶぶんは個人的こじんてきと言いった具合ぐあいに、随分ずいぶんまちまちに入いり乱みだれて居おります。従したがってその全部ぜんぶを公開こうかいすることは到底とうてい不可能ふかのうで、私わたくしとしては、ただその中なかから、心霊的しんれいてきに観みて参考さんこうになりそうな個所かしょだけを、成なるべく秩序ちつじょを立たてて拾ひろい出だして見みたに過すぎません。で、材料ざいりょうの取捨しゅしゃ選択せんたくの責せめは当然とうぜん私わたくしが引受ひきうけなければなりませんが、しかし通信つうしんの内容ないようは全然ぜんぜん原文げんぶんのままで、私意しいを加くわへて歪曲わいきょくせしめたような個所かしょはただの一箇所かしょもありません。その点てんは特とくに御留意ごりゅういを願ねがいたいと存ぞんじます。

(十一、十、五)

一、その生立

修行しゅぎょうも未熟みじゅく、思慮しりょも足たりない一人ひとりの昔むかしの女性じょせいがおこがましくもここにまかり出でる幕まくでないことはよく存ぞんじて居おりまするが、斯こうも再々さいさいお呼よび出だしに預あずかり、是非ぜひくわしい通信つうしんをと、つづけざまにお催促さいそくを受うけましては、ツイその熱心ねっしんにほだされて、無下むげにおことわりもできなくなって了しまったのでございます。それに又また神かみさまからも『折角せっかくであるから通信つうしんしたがよい』との思召おぼしめしでございますので、今回こんかいいよいよ思おもい切きってお言葉ことばに従したがうことにいたしました。私わたくしとしてはせいぜい古ふるい記憶きおくを辿たどり、自分じぶんの知しっていること、又また自分じぶんの感かんじたままを、作つくらず、飾かざらず、素直すなおに申述もうしのべることにいたします。それがいささかなりとも、現世げんせの方々かたがたの研究けんきゅうの資料たしともなればと念ねんじて居おります。何卒どうぞあまり過分かぶんの期待のぞみをかけず、お心安こころやすくおきき取とりくださいますように……。

ただ私わたくしとして、前まえ以もってここに一ひとつお断ことわりして置おきたいことがございます。それは私わたくしの現世生活げんせせいかつの模様もようをあまり根掘ねほり葉掘はほりお訊たずねになられぬことでございます。私わたくしにはそれが何なによりつらく、今更いまさら何なんの取得とりえもなき、昔むかしの身上みのうえなどを露つゆほども物語ものがたりたくはございませぬ。こちらの世界せかいへ引移ひきうつってからの私わたくしどもの第だい一の修行しゅぎょうは、成なるべく早はやく醜みにくい地上ちじょうの執着しゅうちゃくから離はなれ、成なるべく速すみやかに役やくにも立たたぬ現世げんせの記憶きおくから遠とおざかることでございます。私わたくしどもはこれでもいろいろと工夫くふうの結果けっか、やっとそれができて参まいったのでございます。で、私わたくしどもに向むかって身上噺みのうえばなしをせいと仰おッしゃるのは、言いわば辛かろうじて治なおりかけた心こころの古疵ふるきずを再ふたたび抉えぐり出だすような、随分ずいぶん惨むごたらしい仕打しうちなのでございます。幽明ゆうめいの交通こうつうを試こころみらるる人達ひとたちは常つねにこの事ことを念頭ねんとうに置おいて戴いただきとう存ぞんじます。そんな訳わけで、私わたくしの通信つうしんは、主おもに私わたくしがこちらの世界せかいへ引移ひきうつってからの経験けいけん……つまり幽界ゆうかいの生活せいかつ、修行しゅぎょう、見聞けんぶん、感想かんそうと言いったような事柄ことがらに力ちからを入いれて見みたいのでございます。又またそれがこの道みちにたずさわる方々かたがたの私わたくしに期待きたいされるところかと存ぞんじます。むろん精神せいしんを統一とういつして凝乎じっと深ふかく考かんがえ込こめば、どんな昔むかしの事柄ことがらでもはっきり想おもい出だすことができないではありませぬ。しかもその当時とうじの光景こうけいまでがそっくりそのまま形態かたちを造つくってありありと眼めの前まえに浮うかび出でてまいります。つまり私わたくしどもの境涯きょうがいには殆ほとんど過去かこ、現在げんざい、未来みらいの差別さべつはないのでございまして。……でも無理むりにそんな真似まねをして、足利時代あしかがじだいの絵巻物えまきものをくりひろげてお目めにかけて見みたところで、大たいした価値ねうちはございますまい。現在げんざいの私わたくしとしては到底とうていそんな気分きぶんにはなりかねるのでございます。

と申もうしまして、私わたくしが今いまいきなり死しんでからの物語ものがたりを始はじめたのでは、何なにやらあまり唐突とうとつ……現世このよと来世あのよとの連絡つながりが少すこしも判わからないので、取とりつくしまがないように思おもわれる方かたがあろうかと感かんぜられますので、甚はなはだ不本意ふほんいながら、私わたくしの現世げんせの経歴けいれきのホンの荒筋丈あらすじだけをかいつまんで申上もうしあげることに致いたしましょう。乗のりかけた船ふねとやら、これも現世げんせと通信つうしんを試こころみる者ものの免まぬがれ難がたき運命うんめい――業ごうかも知しれませぬ……。

私わたくしは――実じつは相州そうしゅう荒井あらいの城主じょうしゅ三浦道寸みうらどうすんの息そく、荒次郎あらじろう義光よしみつと申もうす者ものの妻つまだったものにございます。現世げんせの呼名よびなは小櫻姫こざくらひめ――時代じだいは足利時代あしかがじだいの末期まっき――今いまから約やく四百余年よねんの昔むかしでございます。もちろんこちらの世界せかいには昼夜ちゅうやの区別くべつも、歳月つきひのけじめもありませぬから、私わたくしはただ神かみさまから伺うかがって、成なるほどそうかと思おもう丈だけのことに過すぎませぬ。四百年ねんといえば現世げんせでは相当そうとう長ながい星霜つきひでございますが、不思議ふしぎなものでこちらではさほどにも感かんじませぬ。多分たぶんそれは凝乎じっと精神こころを鎮しずめて、無我むがの状態じょうたいをつづけて居おる期間あいだが多おおい故せいでございましょう。

私わたくしの生家さとでございますか――生家さとは鎌倉かまくらにありました。父ちちの名なは大江廣信おおえひろのぶ――代々だいだい鎌倉かまくらの幕府ばくふに仕つかへた家柄いえがらで、父ちちも矢張やはりそこにつとめて居おりました。母ははの名なは袈裟代けさよ、これは加納家かのうけから嫁とついでまいりました。両親りょうしんの間あいだには男おとこの児こはなく、たった一粒種ひとつぶだねの女おんなの児こがあったのみで、それが私わたくしなのでございます。従したがって私わたくしは小供こどもの時ときから随分ずいぶん大切たいせつに育そだてられました。別べつに美うつくしい程ほどでもありませぬが、体躯からだは先まず大柄おおがらな方ほうで、それに至いたって健康たっしゃでございましたから、私わたくしの処女時代むすめじだいは、全まったく苦労くろう知しらずの、丁度ちょうど春はるの小禽ことりそのまま、楽たのしいのんびりした空気くうきに浸ひたっていたのでございます。私わたくしの幼おさない時分じぶんには祖父ぢぢも祖母ばばもまだ存命ぞんめいで、それはそれは眼めにも入いれたいほど私わたくしを寵愛ちょうあいしてくれました。好よい日和ひよりの折おりなどには私わたくしはよく二三の腰元こしもとどもに傅かしずかれて、長谷はせの大仏だいぶつ、江えの島しまの弁天べんてんなどにお詣まいりしたものでございます。寄よせてはかえす七里りヶ浜はまの浪打際なみうちぎわの貝拾かいひろいも私わたくしの何なにより好すきな遊あそびの一ひとつでございました。その時分じぶんの鎌倉かまくらは武家ぶけの住居やしきの建たち並ならんだ、物静ものしずかな、そして何なにやら無骨ぶこつな市街まちで、商家しょうかと言いっても、品物しなものは皆みな奥深おくふかく仕舞しまい込こんでありました。そうそう私わたくしはツイ近頃ちかごろ不図ふとした機会おりに、こちらの世界せかいから一度ど鎌倉かまくらを覗のぞいて見みましたが、赤瓦あかがわらや青瓦あほがわらで葺ふいた小ちいさな家屋かおくのぎっしり建たて込こんだ、あのけばけばしさには、つくづく呆あきれて了しまいました。

『あれが私わたくしの生うまれた同おなじ鎌倉かまくらかしら……。』私わたくしはひとりそうつぶやいたような次第しだいで……。

その頃ころの生活せいかつ状態じょうたいをもっと詳くわしく物語ものがたれと仰おっしゃいますか――致方いたしかたがございませぬ、お喋しゃべりの序ついでに、少すこしばかり想おもい出だして見みることにいたしましょう。もちろん、順序じゅんじょなどは少すこしも立たって居おりませぬから何卒どうぞそのおつもりで……。

二、その頃の生活

先まずその頃ころの私達わたくしたちの受うけた教育しつけにつきて申上もうしあげてみましょうか――時代じだいが時代じだいゆえ、教育しつけはもう至いたって簡単かんたんなもので、学問がくもんは読書よみかき、習字てならい、又また歌道かどう一ひと通とおり、すべて家庭かていで修おさめました。武芸ぶげいは主おもに薙刀なぎなたの稽古けいこ、母ははがよく薙刀なぎなたを使つかいましたので、私わたくしも小供こどもの時分じぶんからそれを仕込しこまれました。その頃ころは女おんなでも武芸ぶげい一ひと通とおりは稽古けいこしたものでございます。処女時代むすめじだいに受うけた私わたくしの教育しつけというのは大体だいたいそんなもので、馬術ばじゅつは後のちに三浦家みうらけへ嫁入よめいりしてから習ならいました。最初さいしょ私わたくしは馬うまに乗のるのが厭いやでございましたが、良人おっとから『女子じょしでもそれ位くらいの事ことは要いる』と言いわれ、それから教おしえてもらいました。実地じっちに行やって見みると馬うまは至いたって穏和おとなしいもので、私わたくしは大たいへん乗馬じょうばが好すきになりました。乗馬袴じょうばはかまを穿はいて、すっかり服装ふくそうがかわり、白鉢巻しろはちまきをするのです。主おもに城内じょうないの馬場ばばで稽古けいこしたのですが、後のちには乗馬じょうばで鎌倉かまくらへ実家帰さとがえりをしたこともございます。従者じゅうしゃも男子だんしのみでは困こまりますので、一人ひとりの腰元こしもとにも乗馬じょうばの稽古けいこを致いたさせました。その頃ころちょっと外出がいしゅつするにも、少すくなくとも四五人にんの従者ともは必かならずついたもので……。

今度こんどはその時分じぶんの物見遊山ものみゆさんのお話はなしなりといたしましょうか。物見遊山ものみゆさんと申もうしてもそれは至いたって単純たんじゅんなもので、普通ふつうはお花見はなみ、汐干狩しおひがり、神社仏閣詣じんじゃぶっかくもうで……そんな事ことは只今ただいまと大たいした相違そういもないでしょうが、ただ当時とうじの男子だんしにとりて何なによりの娯楽たのしみは猪狩ししがり兎狩うさぎがり等などの遊あそびでございました。何いずれも手てに手てに弓矢ゆみやを携たずさえ、馬うまに跨またがって、大たいへんな騒さわぎで出掛でかけたものでございます。父ちちは武人ぶじんではないのですが、それでも山狩やまがりが何なによりの道楽どうらくなのでした。まして筋骨きんこつの逞たくましい、武家育ぶけそだちの私わたくしの良人おっとなどは、三度どの食事しょくじを一度どにしてもよい位くらいの熱心ねっしんさでございました。『明日あすは大楠山おおくすやまの巻狩まきがりじゃ』などと布達おふれが出でると、乗馬じょうばの手入ていれ、兵糧へいろうの準備したく、狩子かりこの勢揃せいぞろい、まるで戦争いくさのような大騒おおさわぎでございました。

そうそう風流ふうりゅうな、優やさしい遊あそびも少すこしはありました。それは主しゅとして能狂言のうきょうげん、猿楽さるがくなどで、家来達けらいたちの中なかにそれぞれその道みちの巧者こうしゃなのが居おりまして、私達わたくしたちも時々ときどき見物けんぶつしたものでございます。けれども自分じぶんでそれをやった覚おぼえはございませぬ。京きょうとは異ちがって東国とうごくは大体だいたい武張ぶばった遊あそび事ごとが流行はやったものでございますから……。

衣服いふく調度類ちょうどるいでございますか――鎌倉かまくらにもそうした品物しなものを売うり捌さばく商人あきうどの店みせがあるにはありましたが、さきほども申もうした通とおり、別べつに人目ひとめを引ひくように、品物しなものを店頭てんとうに陳列ちんれつするような事ことはあまりないようでございました。呉服物ごふくものなども、良よい品物しなものは皆みな特別とくべつに織おらせたもので、機織はたおりがなかなか盛さかんでございました。尤もっともごく高価こうかの品しなは鎌倉かまくらでは間まに合あわず、矢張やはりはるばる京きょうに誂あつらえたように記憶きおくして居おります。

それから食物しょくもつ……これは只今ただいまの世よの中なかよりずっと簡単かんたんなように見受みうけられます。こちらの世界せかいへ来きてからの私達わたくしたちは全然ぜんぜん飲食いんしょくをいたしませぬので、従したがってこまかいことは判わかりませぬが、ただ私わたくしの守護しゅごしているこの女おんな(T夫人ふじん)の平生へいせいの様子ようすから考かんがえて見みますと、今いまの世よの調理法ちょうりほうが大たいへん手数てすうのかかるものであることはうすうす想像そうぞうされるのでございます。あの大たいそう甘あまい、白しろい粉こな……砂糖さとうとやら申もうすものは、もちろん私達わたくしたちの時代じだいにはなかったもので、その頃ころのお菓子かしというのは、主おもに米こめの粉こなを固かためた打菓子うちがしでございました。それでも薄うっすりと舌したに甘あまく感かんじたように覚おぼえて居おります。又また物ものの調味ちょうみには、あの甘草かんぞうという薬草やくそうの粉末こなを少すこし加くわえましたが、ただそれは上流うえの人達ひとたちの調理ちょうりに限かぎられ、一般ぱんに使用しようするものではなかったように記憶きおくして居おります。むろん酒さけもございました……濁にごっては居おりませぬが、しかしそう透明すきとおったものでもなかったように覚おぼえて居おります。それから飲料いんりょうとしては桜さくらの花漬はなづけ、それを湯呑ゆのみに入いれて白湯さゆをさして客きゃくなどにすすめました。

斯こう言いったお話はなしは、あまりつまらな過すぎますので、何卒どうぞこれ位くらいで切きり上あげさせて戴いただきましょう。私わたくしのようなあの世よの住人じゅうにんが食物しょくもつや衣類いるいなどにつきて遠とおい遠とおい昔むかしの思おもい出で語がたりをいたすのは何なにやらお門違かどちがいをしているようで、何分なにぶんにも興味きょうみが乗のらないで困こまってしまいます……。

三、輿入れ

やがて私わたくしの娘時代むすめじだいにも終おわりを告つぐべき時節じせつがまいりました。女おんなの一生しょうの大事だいじはいうまでもなく結婚けっこんでございまして、それが幸不幸こうふこう、運不運うんふうんの大おおきな岐路わかれみちとなるのでございますが、私わたくしとてもその型かたから外はずれる訳わけにはまいりませんでした。私わたくしの三浦みうらへ嫁とつぎましたのは丁度ちょうど二十歳はたちの春はるで山桜やまざくらが真盛まっさかりの時分じぶんでございました。それから荒井城内あらいじょうないの十幾年いくねんの武家生活ぶけせいかつ……随分ずいぶん楽たのしかった思おもい出での種子たねもないではございませぬが、何なにを申もうしてもその頃ころは殺伐さつばつな空気くうきの漲みなぎった戦国時代せんごくじだい、北條某ほうじょうなにがしとやら申もうす老獪ずるい成上なりあがり者ものから戦闘たたかいを挑いどまれ、幾度いくたびかのはげしい合戦かっせんの挙句あげくの果はてが、あの三年ねん越ごしの長ながの籠城ろうじょう、とうとう武運ぶうん拙つたなく三浦みうらの一族ぞくは、良人おっとをはじめとして殆ほとんど全部ぜんぶ城しろを枕まくらに打死うちじにして了しまいました。その時分じぶんの不安ふあん、焦燥しょうそう、無念むねん、痛心つうしん……今いまでこそすっかり精神こころの平静へいせいを取とり戻もどし、別べつにくやしいとも、悲かなしいとも思おもわなくなりましたが、当時とうじの私わたくしどもの胸むねには正まさに修羅しゅらの業火ごうかが炎々えんえんと燃もえて居おりました。恥はずかしながら私わたくしは一時じは神様かみさまも怨うらみました……人ひとを呪のろいもいたしました……何卒どうぞその頃ころの物語ものがたり丈だけは差控さしひかえさせて戴いただきます……。

大江家おおえけの一人娘ひとりむすめが何故なぜ他家よそへ嫁とついだか、と仰おおせでございますか……あなたの誘さそい出だしのお上手じょうずなのにはほんとうに困こまって了しまいます……。ではホンの話はなしの筋道すじみちだけつけて了しまうことに致いたしましょう。現世げんせの人間にんげんとしては矢張やはり現世げんせの話はなしに興味きょうみを有もたるるか存ぞんじませぬが、私わたくしどもの境涯きょうがいからは、そう言いった地上ちじょうの事柄ことがらはもう別べつに面白おもしろくも、おかしくも何なんともないのでございます……。

私わたくしが三浦家みうらけへの嫁入よめいりにつきましては別べつに深ふかい仔細しさいはございませぬ。良人おっとは私わたくしの父ちちが見込みこんだのでございます。『たのもしい人物じんぶつじゃ。あれより外ほかにそちが良人おっとと冊かしづくべきものはない……』ただそれっきりの事柄ことがらで、私わたくしはおとなしく父ちちの仰おおせに服従ふくじゅうしたまででございます。現代いまのよの人達ひとたちから頭脳あたまが古ふるいと思おもわれるか存ぞんじませぬが、古ふるいにも、新あたらしいにも、それがその時代じだいの女おんなの道みちだったのでございます。そして父ちちのつもりでは、私達わたくしたち夫婦ふうふの間あいだに男児だんしが生うまれたら、その一人ひとりを大江家おおえけの相続者そうぞくしゃに貰もらい受うける下心したごころだったらしいのでございます。

見合みあいでございますか……それは矢張やはり見合みあいもいたしました。良人おっとの方ほうから実家さとへ訪たずねてまいったように記憶きおくして居おります。今いまも昔むかも同おなじこと、私わたくしは両親りょうしんから召よばれて挨拶あいさつに出でたのでございます。その頃ころ良人おっとはまだ若わこうございました。たしか二十五歳さい、横縦よこたて揃そろった、筋骨きんこつの逞たくまましい大柄おおがらの男子おとこで、色いろは余あまり白しろい方ほうではありません。目鼻立めはなだち尋常じんじょう、髭ひげはなく、どちらかといえば面長おもながで、眼尻めじりの釣つった、きりっとした容貌かおだちの人ひとでした。ナニ歴史れきしに八十人力にんりきの荒武者あらむしゃと記しるしてある……ホホホホ良人おっとはそんな怪物ばけものではございません。弓馬きゅうばの道みちに身みを入いれる、武張ぶばった人ひとではございましたが、八十人力にんりきなどというのは嘘うそでございます。気立きだても存外ぞんがい優やさしかった人ひとで……。

見合みあいの時ときの良人おっとの服装ふくそうでございますか――服装ふくそうはたしか狩衣かりぎぬに袴はかまを穿はいて、お定さだまりの大小だいしょう二腰ふたこし、そして手てには中啓ちゅうけいを持もって居おりました……。

婚礼こんれいの式しきのことは、それは何卒どうぞおきき下くださらないで……格別かくべつ変かわったこともございません。調度類ちょうどるいは前以まえもって先方せんぽうへ送おくり届とどけて置おいて、後あとから駕籠かごにのせられて、大おおきな行列ぎょうれつを作つくって乗のり込こんだまでの話はなしで……式しきはもちろん夜分やぶんに挙あげたのでございます。すべては皆みな夢ゆめのようで、今更いまさらその当時とうじを想おもい出だして見みたところで何なんの興味きょうみも起おこりません。こちらの世界せかいへ引越ひきこして了しまへば、めいめい向むきが異ちがって、ただ自分じぶんの歩あゆむべき途みちを一心しん不乱ふらんに歩あゆむ丈だけ、従したがって親子おやこも、兄弟きょうだいも、夫婦ふうふも、こちらではめったにつきあいをしているものではございません。あなた方がたもいずれはこちらの世界せかいへ引移ひきうつって来こられるでしょうが、その時ときになれば私わたくしどもの現在げんざいの心持こころもちがだんだんお判わかりになります。『そんな時代じだいもあったかナ……』遠とおい遠とおい現世げんせの出来事できごとなどは、ただ一片ぺんの幻影げんえいと化かして了しまいます。現世げんせの話はなしは大概たいがいこれで宜よろしいでしょう。早はやくこちらの世界せかいの物語ものがたりに移うつりたいと思おもいますが……。

ナニ私わたくしが死しぬる前後ぜんごの事情じじょうを物語ものがたれと仰おっしゃるか……。それではごく手短てみじかにそれだけ申上もうしあげることに致いたしましょう。今度こんどこそ、いよいよそれっきりでおしまいでございます……。

四、落城から死

足掛あしかけ三年ねんに跨またがる籠城ろうじょう……月つきに幾度いくどとなく繰くり返かえされる夜打ようち、朝駆あさがけ、矢合やあわせ、切きり合あい……どっと起おこる喊ときの声こえ、空そらを焦こがす狼火のろし……そして最後さいごに武運ぶうんいよいよ尽つきてのあの落城らくじょう……四百年後ねんごの今日こんにち思おもい出だしてみる丈だけでも気きが滅入めいるように感かんじます。

戦闘たたかいが始はじまってから、女子供おんなこどもはむろん皆みな城内じょうないから出だされて居おりました。私わたくしの隠かくれていた所ところは油壺あぶらつぼの狭せまい入江いりえを隔へだてた南岸なんがんの森もりの蔭かげ、そこにホンの形かたばかりの仮家かりやを建たてて、一族ぞくの安否あんぴを気きづかいながら侘わびずまいをして居おりました。只今ただいま私わたくしが祀まつられているあの小桜神社こざくらじんじゃの所在地しょざいち――少すこし地形ちけいは異ちがいましたが、大体だいたいあの辺あたりだったのでございます。私わたくしはそこで対岸たいがんのお城しろに最後さいごの火ひの手ての挙あがるのを眺ながめたのでございます。

『お城しろもとうとう落おちてしまった……最早もはや良人おっともこの世よの人ひとではない……憎にくッくき敵てき……女おんなながらもこの怨うらみは……。』

その時ときの一念ねんは深ふかく深ふかく私わたくしの胸むねに喰くい込こんで、現世げんせに生いきている時ときはもとよりのこと、死しんでから後のちも容易よういに私わたくしの魂たましいから離はなれなかったのでございます。私わたくしがどうやらその後ご人並ひとなみみの修行しゅぎょうができて神心かみごころが湧わいてまいりましたのは、偏ひとえに神様かみさまのおさとしと、それから私わたくしの為ために和なごやかな思念おもいを送おくってくだされた、親したしい人達ひとたちの祈願きがんの賜たまものなのでございます。さもなければ私わたくしなどはまだなかなか済すくわれる女性じょせいではなかったかも知しれませぬ……。

兎とにも角かくにも、落城後らくじょうごの私わたくしは女おんなながらも再挙さいきょを図はかるつもりで、僅わずかばかりの忠義ちゅうぎな従者じゅしゃに護まもられて、あちこちに身みを潜ひそめて居おりました。領地内りょうちないの人民じんみんも大たいへん私わたくしに対たいして親切しんせつにかばってくれました。――が、何なにを申もうしましても女おんなの細腕ほそうで、力ちからと頼たのむ一族ぞく郎党ろうとうの数かずもよくよく残のこり少すくなになって了しまったのを見みましては、再挙さいきょの計劃けいかくの到底とうてい無益むやくであることが次第次第しだいしだいに判わかってまいりました。積つもる苦労くろう、重かさなる失望しつぼう、ひしひしと骨身ほねみにしみる寂さびしさ……私わたくしの躯からだはだんだん衰弱すいじゃくしてまいりました。

幾月いくつきかを過すごす中うちに、敵てきの監視みはりもだんだん薄うすらぎましたので、私わたくしは三崎みさきの港みなとから遠とおくもない、諸磯もろいそと申もうす漁村ぎょそんの方ほうに出でてまいりましたが、モーその頃ころの私わたくしには世よの中なかが何なにやら味気あじけなく感かんじられて仕しょうがないのでした。

実家さとの両親りょうしんは大たいへんに私わたくしの身みの上うえを案あんじてくれまして、しのびやかに私わたくしの仮宅かりずまいを訪おとずれ、鎌倉かまくらへ帰かえれとすすめてくださるのでした。『良人おっともなければ、家いえもなく、又また跡あとをつぐべき子供こどもとてもない、よくよくの独ひとり身み、兎とも角かくも鎌倉かまくらへ戻もどって、心静こころしずかに余生よせいを送おくるのがよいと思おもうが……。』いろいろ言葉ことばを尽つくしてすすめられたのでありますが、私わたくしとしては今更いまさら親元おやもとへもどる気持きもちにはドーあってもなれないのでした。私わたくしはきっぱりと断ことわりました。――

『思召おぼしめしはまことに有難ありがとうございまするが、一たん三浦家みうらけへ嫁とつぎました身みであれば、再ふたたびこの地ちを離はなれたくは思おもいませぬ。私わたくしはどこまでも三崎みさきに留とどまり、亡なき良人おっとをはじめ、一族ぞくの後あとを弔とむらいたいのでございます……。』

私わたくしの決心けっしんの飽あくまで固かたいのを見みて、両親りょうしんも無下むげに帰家きかをすすめることもできず、そのまま空むなしく引取ひきとって了しまわれました。そして間まもなく、私わたくしの住宅すまいとして、海うみから二三丁ちょう引込ひっこんだ、小高こだかい丘おかに、土塀どべいをめぐらした、ささやかな隠宅いんたくを建たててくださいました。私わたくしはそこで忠実ちゅうじつな家来けらいや腰元こしもとを相手あいてに余生よせいを送おくり、そしてそこでさびしくこの世よの気息いきを引ひき取とったのでございます。

落城後らくじょうごそれが何年なんねんになるかと仰おッしゃるか――それは漸ようやく一年余ねんあまり私わたくしが三十四歳さいの時ときでございました。まことに短命たんめいな、つまらない一生涯しょうがいでありました。

でも、今いまから考かんがえれば、私わたくしにはこれでも生前せいぜんから幾いくらか霊覚れいかくのようなものが恵めぐまれていたらしいのでございます。落城後らくじょうご間まもなく、城跡しろあとの一部ぶに三浦みうら一族ぞくの墓はかが築きずかれましたので、私わたくしは自分じぶんの住居じゅうきょからちょいちょい墓参ぼさんをいたしましたが、墓はかの前まえで眼めを瞑つむって拝おがんで居おりますと、良人おっとの姿すがたがいつもありありと眼めに現あらわれるのでございます。当時とうじの私わたくしは別べつに深ふかくは考かんがえず、墓はかに詣まいれば誰だれにも見みえるものであろう位くらいに思おもっていました。私わたくしが三浦みうらの土地とちを離はなれる気きがしなかったのも、つまりはこの事ことがあった為ためでございました。当時とうじの私わたくしに取とりましては、死しんだ良人おっとに逢あうのがこの世よに於おける、殆ほとんど唯一ゆいいつの慰安いあん、殆ほとんど唯一ゆいいつの希望きぼうだったのでございます。『何なんとしても爰ここから離はなれたくない……』私わたくしは一図ずにそう思おもい込こんで居おりました。私わたくしは別べつに婦道ふどうが何どうの、義理ぎりが斯こうのと言いって、六ヶむずかしい理窟りくつから割わり出だして、三浦みうらに踏ふみとどまった訳わけでも何なんでもございませぬ。ただそうしたいからそうしたまでの話はなしに過すぎなかったのでございます。

でも、私わたくしが死しぬるまで三浦家みうらけの墳墓ふんぼの地ちを離はなれなかったという事ことは、その領地りょうちの人民じんみんの心こころによほど深ふかい感動かんどうを与あたえたようでございました。『小櫻姫こざくらひめは貞女ていじょの亀鑑かがみである』などと、申もうしまして、私わたくしの死後しごに祠堂やしろを立たて神かみに祀まつってくれました。それが現今いまも残のこっている、あの小桜神社こざくらじんじゃでございます。でも右みぎ申上もうしあげたとおり、私わたくしは別べつに貞女ていじょの亀鑑かがみでも何なんでもございませぬ。私わたくしはただどこまでも自分じぶんの勝手かってを通とうした、一本気ぽんぎの女性じょせいだったに過すぎないのでございます。

五、臨終

気きのすすまぬ現世時代げんせじだいの話はなしも一ひと通とおり片かたづいて、私わたくしは何なにやら身みが軽かるくなったように感かんじます。そちらから御覧ごらんになったら私達わたくしたちの住すむ世界せかいは甚はなはだたよりのないように見みえるかも知しれませぬが、こちらから現世げんせを振ふりかえると、それは暗くらい、せせこましい、空虚うつろな世界せかい――何どう思おもい直なおして見みても、今更いまさらそれを物語ものがたろうという気分きぶんにはなり兼かねます。とりわけ私わたくしの生涯しょうがいなどは、どなたのよりも一層そうつまらない一生しょうだったのでございますから……。

え、まだ私わたくしの臨終りんじゅうの前後ぜんごの事情じじょうがはっきりしていないと仰おっしゃるか……そういえばホンにそうでございます。では致方いたしかたがございません、これから大急おおいそぎで、一ひと通とおりそれを申上もうしあげて了しまうことに致いたしましょう。

前まえにも述のべたとおり、私わたくしの躯からだはだんだん衰弱すいじゃくして来きたのでございます。床とこについてもさっぱり安眠あんみんができない……箸はしを執とっても一向こう食物しょくもつが喉のどに通とおらない……心こころの中なかはただむしゃくしゃ……、口惜くやしい、怨うらめしい、味気あじきない、さびしい、なさけない……何なにが何なにやら自分じぶんにもけじめのない、さまざまの妄念もうねん妄想もうそうが、暴風雨あらしのように私わたくしの衰おとろえた躰からだの内うちをかけめぐって居いるのです。それにお恥はずかしいことには、持もって生うまれた負まけずぎらいの気性きしょう、内実ないじつは弱よわいくせに、無理むりにも意地いじを通とうそうとして居いるのでございますから、つまりは自分じぶんで自分じぶんの身みを削けずるようなもの、新あたしい住居じゅうきょに移うつってから一年ねんとも経たたない中うちに、私わたくしはせめてもの心遣こころやりなる、あのお墓参はかまいりさえもできないまでに、よくよく憔悴やみほうけて了しまいました。一ひと口くちに申もうしたらその時分じぶんの私わたくしは、消きえかかった青松葉あおまつばの火ひが、プスプスと白しろい煙けむりを立たてて燻くすぶっているような塩梅あんばいだったのでございます。

私わたくしが重おもい枕まくらに就ついて、起居たちいも不自由ふじゆうになったと聞きいた時ときに、第一だいいちに馳はせつけて、なにくれと介抱かいほうに手てをつくしてくれましたのは矢張やはり鎌倉かまくらの両親りょうしんでございました。『斯こうかけ離はなれて住すんで居いては、看護みとりに手てが届とどかんで困こまるのじゃが……。』めっきり小鬢こびんに白しろいものが混まじるようになった父ちちは、そんな事ことを申もうして何なにやら深ふかい思案しあんに暮くれるのでした。大方おおかた内心ないしんでは私わたくしの事ことを今いまからでも鎌倉かまくらに連つれ戻もどりたかったのでございましたろう。気性きしょうの勝かった母ははは、口くちに出だしては別べつに何なんとも申もうしませんでしたが、それでも女おんなは矢張やはり女おんな、小蔭こかげへまわってそっと泪なみだを拭ぬぐいて長太息といきを漏もらしているのでございました。

『いつまでも老おいたる両親りょうしんに苦労くろうをかけて、自分じぶんは何なんという親不孝者おやふこうものであろう。いっそのことすべてをあきらめて、おとなしく鎌倉かまくらへ戻もどって専心せんしん養生ようじょうにつとめようかしら……。』そんな素直すなおな考かんがえも心こころのどこかに囁ささやかないでもなかったのですが、次つぎの瞬間しゅんかんには例れいの負まけぎらいが私わたくしの全身ぜんしんを包つつんで了しまうのでした。『良人おっとは自分じぶんの眼めの前まえで打死うちじにしたではないか……憎にくいのはあの北條ほうじょう……縦令たとえ何事なにごとがあろうとも、今更いまさらおめおめと親許おやもとなどに……。』

鬼おにの心こころになり切きった私わたくしは、両親りょうしんの好意こういに背そむき、同時どうじに又また天てんをも人ひとをも怨うらみつづけて、生甲斐いきがいのない日子ひにちを算かぞえていましたが、それもそう長ながいことではなく、いよいよ私わたくしにとりて地上ちじょう生活せいかつの最後さいごの日ひが到着とうちゃくいたしました。

現世げんせの人達ひとたちから観みれば、死しというものは何なにやら薄気味うすきみのわるい、何なにやら縁起えんぎでもないものに思おもわれるでございましょうが、私わたくしどもから観みれば、それは一疋ぴきの蛾がが繭まゆを破やぶって脱ぬけ出でるのにも類るいした、格別かくべつ不思議ふしぎとも無気味ぶきみとも思おもわれない、自然しぜんの現象すがたに過すぎませぬ。従したがって私わたくしとしては割合わりあいに平気へいきな気持きもちで自分じぶんの臨終りんじゅうの模様もようをお話はなしすることができるのでございます。

四百年ねんも以前いぜんのことで、大変たいへん記憶きおくは薄うすらぎましたが、ざっと私わたくしのその時ときの実感じっかんを述のべますると――何なによりも先まず目立めだって感かんじられるのは、気きがだんだん遠とおくなって行ゆくことで、それは丁度ちょうど、あのうたた寝ねの気持きもち――正気せいきのあるような、又また無ないような、何なんとも言いえぬうつらうつらした気分きぶんなのでございます。傍そばからのぞけば、顔かおが痙攣ひきつれたり、冷つめたい脂汗あぶらあせが滲にじみ出でたり、死しぬる人ひとの姿すがたは決けっして見みよいものではございませぬが、実際じっさい自分じぶんが死しんで見みると、それは思おもいの外ほかに楽らくな仕事しごとでございます。痛いたいも、痒かゆいも、口惜くやしいも、悲かなしいも、それは魂たましいがまだしっかりと躯からだの内部なかに根ねを張はっている時ときのこと、臨終りんじゅうが近ちかづいて、魂たましいが肉にくのお宮みやを出でたり、入はいったり、うろうろするようになりましては、それ等らの一切さいはいつとはなしに、何所どこかえ消きえる、というよりか、寧むしろ遠とおのいて了しまいます。誰だれかが枕辺まくらべで泣ないたり、叫さけんだりする時ときにはちょっと意識いしきが戻もどりかけますが、それとてホンの一瞬しゅんの間あいだで、やがて何なにも彼かも少すこしも判わからない、深ふかい深ふかい無意識むいしきの雲霧もやの中なかへとくぐり込こんで了しまうのです。私わたくしの場合ばあいには、この無意識むいしきの期間きかんが二三日にちつづいたと、後あとで神かみさまから教おしえられましたが、どちらかといえば二三日にちというのは先まず短みじかい部類ぶるいで、中なかには幾年いくねん幾いく十年ねんと長ながい長ながい睡眠ねむりをつづけているものも稀まれにはあるのでございます。長ながいにせよ、又また短みじかいにせよ、兎とに角かくこの無意識むいしきから眼めをさました時ときが、私わたくしたちの世界せかいの生活せいかつの始はじまりで、舞台ぶたいがすっかりかわるのでございます。

六、幽界の指導者

いよいよこれから、こちらの世界せかいのお話はなしになりますが、最初さいしょはまだ半分はんぶん足あしを現世げんせにかけているようなもので、矢張やはり娑婆しゃば臭くさい、おきき苦ぐるしい事実ことばかり申上もうしあげることになりそうでございます。――ナニその方ほうが人間味にんげんみがあって却かえって面白おもしろいと仰おっしゃるか……。御冗談ごじょうだんでございましょう。話はなすものの身みになれば、こんな辛つらい、恥はずかしいことはないのです……。

これは後あとで神様かみさまからきかされた事ことでございますが、私わたくしは矢張やはり、自力じりきで自然しぜんに眼めを覚さましたというよりか、神かみさまのお力ちからで眼めを覚さまして戴いただいたのだそうでございます。その神かみさまというのは、大国主神様おおくにぬしのかみさまのお指図さしずを受うけて、新あたらしい帰幽者きゆうしゃの世話せわをして下くださる方かたなのでございます。これにつきては後あとで詳くわしく申上もうしあげますが、兎とに角かく新あらたに幽界ゆうかいに入はいったもので、斯こう言いった神かみの神使つかい、西洋せいようで申もうす天使エンゼルのお世話せわに預あずからないものは一人ひとりもございませんので……。

幽界ゆうかいで眼めを覚さました瞬間しゅんかんの気分きぶんでございますか――それはうっとりと夢ゆめでも見みているような気持きもち、そのくせ、何なにやら心こころの奥おくの方ほうで『自分じぶんの居いる世界せかいはモー異ちがっている……。』と言いった、微かすかな自覚じかくがあるのです。四辺あたりは夕暮ゆうぐれの色いろにつつまれた、いかにも森閑しんかんとした、丁度ちょうど山寺やまでらにでも臥ねて居いるような感かんじでございます。

そうする中うちに私わたくしの意識いしきは少すこしづつ回復かいふくしてまいりました。

『自分じぶんはとうとう死しんで了しまったのか……。』

死しの自覚じかくが頭脳あたまの内部なかではっきりすると同時どうじに、私わたくしは次第しだいに激はげしい昂奮こうふんの暴風雨あらしの中なかにまき込こまれて行ゆきました。私わたくしが先まず何なによりつらく感かんじたのは、後あとに残のこした、老おいたる両親りょうしんのことでした。散々さんざん苦労くろうばかりかけて、何なんの報むくゆるところもなく、若わかい身上みそらで、先立さきだってこちらへ引越ひきこして了しまった親不孝おやふこうの罪つみ、こればかりは全まったく身みを切きられるような思おもいがするのでした。『済すみませぬ済すみませぬ、どうぞどうぞお許ゆるしくださいませ……』何回なんかい私わたくしはそれを繰くり返かえして血ちの涙なみだに咽むせんだことでしょう!

そうする中うちにも私わたくしの心こころは更さらに他ほかのさまざまの暗くらい考かんがえに掻かき乱みだされました。『親おやにさえ背そむいて折角せっかく三浦みうらの土地とちに踏ふみとどまりながら、自分じぶんは遂ついに何なんの仕出しでかしたこともなかった! 何なんという腑甲斐ふがいなさ……何なんという不運ふうんの身みの上うえ……口惜くやしい……悲かなしい……情なさけない……。』何なにが何なにやら、頭脳あたまの中なかはただごちゃごちゃするのみでした。

そうかと思おもえば、次つぎの瞬間しゅんかんには、私わたくしはこれから先さきの未知みちの世界せかいの心細こころぼそさに慄ふるい戦おののいているのでした。『誰人だれも迎むかえに来きてくれるものはないのかしら……。』私わたくしはまるで真暗闇まっくらやみの底無そこなしの井戸いどの内部なかへでも突つき落おとされたように感かんずるのでした。

ほとんど気きでも狂くるうかと思おもわれました時ときに、ひょくりと私わたくしの枕辺まくらべに一人ひとりの老人ろうじんが姿すがたを現あらわしました。身みには平袖ひらそでの白衣びゃくいを着きて、帯おびを前まえで結むすび、何なにやら絵えで見覚みおぼえの天人てんにんらしい姿すがた、そして何なんともいえぬ威厳いげんと温情おんじょうとの兼かね具そなわった、神々こうごうしい表情ひょうじょうで凝乎じっと私わたくしを見みつめて居おられます。『一体たいこれは何誰どなたかしら……』心こころは千々ちぢに乱みだれながらも、私わたくしは多少たしょうの好奇心こうきしんを催もよおさずに居おられませんでした。

このお方かたこそ、前さきに私わたくしがちょっと申上もうしあげた大国主神様おおくにぬしのかみさまからのお神使つかいなのでございます。私わたくしはこのお方かたの一ひと方かたならぬ導みちびきによりて、辛からくも心こころの闇やみから救すくい上あげられ、尚なおその上うえに天眼通てんがんつうその他たの能力のうりょくを仕込しこまれて、ドーやらこちらの世界せかいで一人ひとり立だちができるようになったのでございます。これは前まえにものべた通とおり、決けっして私わたくしにのみ限かぎったことではなく、どなたでも皆みな神様かみさまのお世話せわになるのでございますが、ただ身魂みたまの因縁いんねんとでも申もうしましょうか、めいめいの踏ふむべき道筋みちすじは異ちがいます。私わたくしなどは随分ずいぶんきびしい、険けわしい道みちを踏ふまねばならなかった一人ひとりで、苦労くろうも一ひとしお多おおかったかわりに、幾分いくぶんか他よその方かたより早はやく明あかるい世界せかいに抜ぬけ出でることにもなりました。ここで念ねんの為ために申上もうしあげて置おきますが、私わたくしを指導しどうしてくだすった神様かみさまは、お姿すがたは普通ただの老人としよりの姿すがたを執とって居おられますが、実じつは人間にんげんではございませぬ。つまり最初さいしょから生いき通どおしの神かみ、あなた方がたの自然霊しぜんれいというものなのです。斯こう言いった方かたのほうが、新あたらしい帰幽者きゆうしゃを指導しどうするのに、まつわる何なんの情実じょうじつもなくて、人霊じんれいよりもよほど具合ぐあいが宜よろしいと申もうすことでございます。

七、祖父の訪れ

私わたくしがお神使つかいの神様かみさまから真先まっさきに言いいきかされたお言葉ことばは、今いまではあまりよく覚おぼえても居おりませぬが、大体だいたいこんなような意味いみのものでございました。――

『そなたはしきりに先刻さっきから現世げんせの事ことを思おもい出だして、悲嘆ひたんの涙なみだにくれているが、何事なにごとがありても再ふたたび現世げんせに戻もどることだけは協かなわぬのじゃ。そんなことばかり考かんがえていると、良よい境涯ところへはとても進すすめぬぞ! これからは俺わしがそなたの指導役しどうやく、何事なにごともよくききわけて、尊とうとい神かみさまの裔孫みすえとしての御名みなを汚けがさぬよう、一時じも早はやく役やくにもたたぬ現世げんせの執着しゅうちゃくから離はなれるよう、しっかりと修行しゅぎょうをして貰もらいますぞ! 執着しゅうじゃくが残のこっている限かぎり何事なにごともだめじゃ……。』

が、その場合ばあいの私わたくしには、斯こうした神様かみさまのお言葉ことばなどは殆ほとんど耳みみにも入はいりませんでした。私わたくしはいろいろの難題なんだいを持もち出だしてさんざん神様かみさまを困こまらせました。お恥はずかしいことながら、罪滅つみほろぼしのつもりで一つ二つここで懺悔ざんげいたして置おきます。

私わたくしが持もちかけた難題なんだいの一ひとつは、早はやく良人おっとに逢あいたいという註文ちゅうもんでございました。『現世げんせで怨うらみが晴はらせなかったから、良人おっとと二人ふたり力ちからを合あわせて怨霊おんりょうとなり、せめて仇敵かたきを取とり殺ころしてやりたい……。』――これが神かみさまに向むかってのお願ねがいなのでございますから、神かみさまもさぞ呆あきれ返かえって了しまわれたことでしょう。もちろん、神様かみさまはそんな註文ちゅうもんに応おうじてくださる筈はずはございませぬ。『他人ひとを怨うらむことは何なにより罪つみ深ふかい仕業しわざであるから許ゆるすことはできぬ。又また良人おっとには現世げんせの執着しゅうじゃくが除とれた時ときに、機会おりを見みて逢あわせてつかわす……。』いとも穏おだやかに大体だいたいそんな意味いみのことを諭さとされました。もう一ひとつ私わたくしが神様かみさまにお願ねがいしたのは、自分じぶんの遺骸いがいを見みせて呉くれとの註文ちゅうもんでございました。当時とうじの私わたくしには、せめて一度どでも眼前がんぜんに自分じぶんの遺骸いがいを見みなければ、何なにやら夢ゆめでも見みて居いるような気持きもちで、あきらめがつかなくて仕方しかたがないのでした。神かみさまはしばし考かんがえていられたが、とうとう私わたくしの願ねがいを容いれて、あの諸磯もろいその隠宅いんたくの一ひと間まに横よこたわったままの、私わたくしの遺骸いがいをまざまざと見みせてくださいました。あの痩やせた、蒼白あおじろい、まるで幽霊ゆうれいのような醜みにくい自分じぶんの姿すがた――私わたくしは一ひと目め見みてぞっとして了しまいました。『モー結構けっこうでございます。』覚おぼえずそう言いって御免ごめんを蒙こうむって了しまいましたが、この事ことは大たいへん私わたくしの心こころを落おちつかせるのに効能ききめがあったようでございました。

まだ外ほかにもいろいろありますが、あまりにも愚おろかしい事ことのみでございますので、一ひと先まずこれで切きり上あげさせて戴いただきます。現在げんざいの私わたくしとて、まだまだ一向こう駄眼だめでございますが、帰幽当座きゆうとうざの私わたくしなどはまるで醜みにくい執着しゅうじゃくの凝塊かたまり、只今ただいま想おもい出だしても顔かおが赭あからんで了しまいます……。

兎とに角かく神様かみさまも斯こんなききわけのない私わたくしの処置しょちにはほとほとお手てを焼やかれたらしく、いろいろと手てをかえ、品しなをかえて御指導ごしどうの労ろうを執とってくださいましたが、やがて私わたくしの祖父じじ……私わたくしより十年ねんほど前まえに歿なくなりました祖父じじを連つれて来きて、私わたくしの説諭せつゆを仰おおせつけられました。何なにしろとても逢あわれないものと思おもい込こんでいた肉親にくしんの祖父じじが、元もとの通とおりの慈愛じあいに溢あふれた温容おんようで、泣なき悶もだえている私わたくしの枕辺まくらべにひょっくりとその姿すがたを現あらわしたのですから、その時ときの私わたくしのうれしさ、心強こころづよさ!

『まあお爺じいさまでございますか!』私わたくしは覚おぼえず跳とび起おきて、祖父じじの肩かたに取とり縋すがって了しまいました。帰幽後きゆうご私わたくしの暗くらい暗くらい心胸こころに一点てんの光明あかりが射さしたのは実じつにこの時ときが最初さいしょでございました。

祖父じじはさまざまに私わたくしをいたわり、且かつ励はげましてくれました。――

『そなたも若わかいのに歿なくなって、まことに気きの毒どくなことであるが、世よの中なかはすべて老少不定ろうしょうふじょう、寿命じゅみょうばかりは何なんとも致方いたしかたがない。これから先さきはこの祖父じじも神かみさまのお手伝てつだいとして、そなたの手引てびきをして、是非ぜひともそなたを立派りっぱなものに仕上しあげて見みせるから、こちらへ来きたとて決けっして決けっして心細こころぼそいことも、又また心配しんぱいなこともない。請合うけあって、他ほかの人達ひとたちよりも幸福しあわせなものにしてあげる……。』

祖父じじの言葉ことばには格別かくべつこれと取とり立たてていうほどのこともないのですが、場合ばあいが場合ばあいなので、それは丁度ちょうどしとしとと降おる春雨はるさめの乾かわいた地面じべたに浸しみるように、私わたくしの荒すさんだ胸むねに融とけ込こんで行ゆきました。お蔭かげで私わたくしはそれから幾分いくぶん心こころの落付おちつきを取とり戻もどし、神かみさまの仰おおせにもだんだん従したがうようになりました。人ひとを見みて法ほうを説とけとやら、こんな場合ばあいには矢張やはり段違だんちがいの神様かみさまよりも、お馴染なじみみの祖父じじの方ほうが、却かえって都合つごうのよいこともあるものと見みえます。私わたくしの祖父じじの年齢としでございますか――たしか祖父じじは七十余あまりで歿なくなりました。白哲いろじろで細面ほそおもての、小柄こがらの老人ろうじんで、歯はは一本ぽんなしに抜ぬけて居いました。生前せいぜんは薄うすい頭髪かみを茶筌ちゃせんに結ゆっていましたが、幽界こちらで私わたくしの許もとに訪おとずれた時ときは、意外いがいにもすっかり頭顱あたまを丸まるめて居おりました。私わたくしと異ちがって祖父じじは熱心ねっしんな仏教ぶっきょうの信仰者しんこうしゃだった為ためでございましょう……。

八、岩窟

話はなしが少すこし後あとに戻もどりますが、この辺へんで一ひとつ取とりまとめて私わたくしの最初さいしょの修行場しゅぎょうば、つまり、私わたくしがこちらの世界せかいで真先まっさきに置おかれました境涯きょうがいにつきて、一ひと通とおり申述もうしのべて置おくことに致いたしたいと存ぞんじます。実じつは私自身わたくしじしんも、初はじめてこちらの世界せかいに眼めを覚さました当座とうざは、只ただ一図いちずに口惜くやしいやら、悲かなしいやらで胸むねが一ぱいで、自分じぶんの居おる場所ばしょがどんな所ところかというような事ことに、注意ちゅういするだけの心こころの余裕よゆうとてもなかったのでございます。それに四辺あたりが妙みょうに薄暗うすくらくて気きが滅入めいるようで、誰だれしもあんな境遇きょうぐうに置おかれたら、恐おそらくあまり朗ほがらかな気分きぶんにはなれそうもないかと考かんがえられるのでございます。

が、その中うち、あの最初さいしょの精神こころの暴風雨あらしが次第しだいに収おさまるにつれて、私わたくしの傷きずつけられた頭脳あたまにも少すこしづつ人心地ひとごこちが出でてまいりました。うとうとしながらも私わたくしは考かんがえました。――

『私わたくしは今いま斯こうして、たった一人法師ひとりぼっちで寝ねているが、一たいここは何どんな所ところかしら……。私わたくしが死しんだものとすれば、ここは矢張やはり冥途めいどとやらに相違そういないであろうが、しかし私わたくしは三途ずの川かわらしいものを渡わたった覚おぼえはない……閻魔様えんまさまらしいものに逢あった様子ようすもない……何なにが何なにやらさっぱり腑ふに落おちない。モー少すこし光明あかりが射さしてくれると良よいのだが……。』

私わたくしは少すこし枕まくらから頭部あたまを擡もたげて、覚束おぼつかない眼めつきをして、あちこち見𢌞みまわしたのでございます。最初さいしょは、何なにやら濛気もやでもかかっているようで、物もののけじめも判わかりかねましたが、その中うち不図ふと何所どこからともなしに、一条じょうの光明あかりが射さし込こんで来くると同時どうじに、自分じぶんの置おかれている所ところが、一ひとつの大おおきな洞穴ほらあな――岩屋いわやの内部なかであることに気きづきました。私わたくしは、少すくなからずびっくりしました。――

『オヤオヤ! 私わたくしは不思議ふしぎな所ところに居おる……私わたくしは夢ゆめを見みているのかしら……それとも爰ここは私わたくしの墓場はかばかしら……。』

私わたくしは全まったく途方とほうに暮くれ、泣なくにも泣なかれないような気持きもちで、ひしと枕まくらに噛かじりつくより外ほかに詮術せんすべもないのでした。

その時とき不意ふいに私わたくしの枕辺まくらべ近ちかくお姿すがたを現あらわして、いろいろと難有ありがたい慰なぐさめのお言葉ことばをかけ、又また何なにくれと詳くわしい説明せつめいをしてくだされたのは、例れいの私わたくしの指導役しどうやくの神様かみさまでした。痒かゆい所ところへ手てが届とどくと申もうしましょうか、神様かみさまの方ほうでは、いつもチャーンとこちらの胸むねの中なかを見みすかしていて、時ときと場合ばあいにぴったり当あてはまった事ことを説とききかせてくださるのでございますから、どんなに判わかりの悪わるい者ものでも最後しまいにはおとなしく耳みみを傾かたむけることになって了しまいます。私わたくしなどは随分ずいぶん我執がしゅうの強つよい方ほうでございますが、それでもだんだん感化かんかされて、肉身にくしんのお祖父様ぢいさまのようにお慕したい申上もうしあげ、勿体もったいないとは知しりつつも、私わたくしはいつしかこの神様かみさまを『お爺じいさま』とお呼よび申上もうしあげるようになって了しまいました。前まえにも申上もうしあげたとおり私わたくしのような者ものがドーやら一人にん前まえのものになることができましたのは、偏ひとえにお爺じいさまのお仕込しこみの賜たまものでございます。全まったく世よの中なかに神様かみさまほど難有ありがたいものはございませぬ。善よきにつけ、悪あしきにつけ、影身かげみに添そいて、人知ひとしれず何彼なにかとお世話せわを焼やいてくださるのでございます。それがよく判わからないばかりに、兎角とかく人間にんげんはわが侭ままが出でたり、慢心まんしんが出でたりして、飛とんだ過失あやまちをしでかすことにもなりますので……。これはこちらの世界せかいに引越ひっこして見みると、だんだん判わかってまいります。

うっかりつまらぬ事ことを申上もうしあげてお手間てまを取とらせました。私わたくしは急いそいで、あの時とき、神様かみさまが幽界ゆうかいの修行しゅぎょうの事こと、その他たに就ついて私わたくしに言いいきかせて下くだされたお話はなしの要点ようてんを申上もうしあげることに致いたしましょう。それは大体だいたい斯こうでございました。――

『そなたは今いま岩屋いわやの内部なかに居いることに気きづいて、いろいろ思おもい惑まどって居いるらしいが、この岩屋いわやは神界しんかいに於おいて、そなたの修行しゅぎょうの為ために特とくにこしらえてくだされた、難有ありがたい道場どうじょうであるから、当分とうぶん比所ここでみっしり修行しゅぎょうを積つみ、早はやく上うえの境涯きょうがいへ進すすむ工夫くふうをせねばならぬ。勿論もちろんここは墓場はかばではない。墓はかは現界げんかいのもので、こちらの世界せかいに墓はかはない……。現在げんざいそなたの眼めにはこの岩屋いわやが薄暗うすくらく感かんずるであろうが、これは修行しゅぎょうが積つむにつれて自然しぜんに明あかるくなる。幽界ゆうかいでは、暗くらいも、明あかるいもすべてその人ひとの器量次第きりょうしだい、心こころの明あかるいものは何所どこに居いても明あかるく、心こころの暗くらいものは、何所どこへ行いっても暗くらい……。先刻せんこくそなたは三途ずの川かわや、閻魔様えんまさまの事ことを考かんがえていたらしいが、あれは仏者ぶっしゃの方便ほうべんである。嘘うそでもないが又また事実じじつでもない。あのようなものを見みせるのはいと容易たやすいがただ我国わがくにの神かみの道みちとして、一切さい方便ほうべんは使つかわぬことにしてある……。そなたはただ一人ひとりこの道場どうじょうに住すむことを心細こころぼそいと思おもうてはならぬ。入口いりぐちには注連縄しめなわが張はってあるので、悪魔あくま外道げどうの類たぐいは絶対ぜったいに入はいることはできぬ。又またたとえ何事なにごとが起おこっても、神かみの眼まなこはいつも見張みはっているから、少すこしも不安ふあんを感かんずるには及およばぬ……。すべて修行場しゅぎょうばは人ひとによりてめいめい異ちがう。家屋かおくの内部なかに置おかるるものもあれば、山やまの中なかに置おかるる者ものもある。親子おやこ夫婦ふうふの間柄あいだがらでも、一所しょには決けっして住すむものでない。その天分てんぶんなり、行状おこないなりが各自めいめい異ちがうからである。但ただし逢あおうと思おもえば差支さしつかえない限かぎりいつでも逢あえる……。』

一応おうお話はなしが終おわった時ときに、神様かみさまはやおら私わたくしの手てを執とって、扶たすけ起おこしてくださいました。『そなたも一ひとつ元気げんきを出だして、歩あるいて見みるがよい。病気びょうきは肉体からだのもので、魂たましいに病気びょうきはない。これから岩屋いわやの模様もようを見みせてつかわす……。』

私わたくしはついふらふらと起おき上あがりましたが、不思議ふしぎにそれっきり病人びょうにんらしい気持きもちが失うせて了しまい、同時どうじに今迄いままで敷しいてあった寝具類しんぐるいも烟けむりのように消きえて了しまいました。私わたくしはその瞬間しゅんかんから現在げんざいに至いたるまで、ただの一度ども寝床ねどこの上うえに臥ねたいと思おもった覚おぼえはございませぬ。

それから私わたくしは神様かみさまに導みちびかれて、あちこち歩あるいて見みて、すっかり岩屋いわやの内外ないがいの模様もようを知しることができました。岩屋いわやは可かなり巨おおきなもので、高たかさと幅はばさは凡およそそ三四間けん、奥行おくゆきは十間けん余あまりもございましょうか。そして中央まんなかの所ところがちょっと折おれ曲まがって、斜ななめに外そとに出でるようになって居おります。岩屋いわやの所在地しょざいちは、相当そうとうに高たかい、岩山いはやまの麓ふもとで、山やまの裾すそをくり抜ぬいて造つくったものでございました。入口いりぐちに立たって四辺あたりを見みると、見渡みわたす限かぎり山やまばかりで、海うみも川かわも一ひとつも見みえません。現界げんかいの景色けしきと比くらべて別べつに格段かくだんの相違そういもありませぬが、ただこちらの景色けしきの方ほうがどことなく浄きよらかで、そして奥深おくふかい感かんじが致いたしました。

岩屋いわやの入口いりぐちには、神様かみさまの言いわれましたとおり、果はたたして新あたしい注連縄しめなわが一筋ひとすじ張はってありました。

九、神鏡

一ひと通とおり見物けんぶつが済すむと、私達わたくしたちは再ふたたび岩屋いわやの内部なかへ戻もどって来きました。すると神様かみさまは私わたくしに向むかい、早速さっそく修行しゅぎょうのことにつきて、噛かんでくくめるようにいろいろと説ときさとしてくださるのでした。

『これからのそなたの生活せいかつは、現世げんせのそれとはすっかり趣おもむきが変かわるから一時じも早はやくそのつもりになってもらわねばならぬ。現世げんせの生活せいかつにありては、主おもなるものが衣食住いしょくじゅうの苦労くろう、大概たいがいの人間にんげんはただそれっきりの事ことにあくせくして一生しょうを過すごして了しまうのであるが、こちらでは衣食住いしょくじゅうの心配しんぱいは全然ぜんぜんない。大体だいたい肉体にくたいあっての衣食住いしょくじゅうで、肉体にくたいを棄すてた幽界ゆうかいの住人じゅうにんは、できる丈だけ早はやくそうした地上ちじょうの考かんがえを頭脳あたまの中なかから払はらいのける工夫くふうをせなければならぬ。それからこちらの住人じゅうにんとして何なにより慎つつしまねばならぬは、怨うらみ、そねみ、又またもろもろの欲望よくぼう……そう言いったものに心こころを奪うばわれるが最後さいご、つまりは幽界ゆうかいの亡者もうじゃとして、いつまで経たっても浮うかぶ瀬せはないことになる。で、こちらの世界せかいで、何なによりも大切たいせつな修行しゅぎょうというのは精神せいしんの統一とういつで、精神統一せいしんとういつ以外いがいには殆ほとんど何物なにものもないといえる。つまりこれは一心しん不乱ふらんに神様かみさまを念ねんじ、神様かみさまと自分じぶんとを一体たいにまとめて了しまって、他ほかの一切さいの雑念ぞうねん妄想もうそうを払はらいのける工夫くふうなのであるが、実地じっちに行やって見みると、これは思おもいの外ほかに六ヶむつかしい仕事しごとで、少すこしの油断ゆだんがあれば、姿すがたはいかに殊勝しゅしょうらしく神様かみさまの前まえに坐すわっていても、心こころはいつしか悪魔あくまの胸むねに通かよっている。内容なかみよりも外形うわべを尚たっとぶ現世げんせの人ひとの眼まなこは、それで結構けっこうくらませることができても、こちらの世界せかいではそのごまかしはきかぬ。すべては皆みな神かみの眼めに映うつり、又また或ある程度ていどお互たがいの眼めにも映うつる……。で、これからそなたも早速さっそくこの精神統一せいしんとういつの修行しゅぎょうにかからねばならぬが、もちろん最初さいしょから完全まったきを望のぞむのは無理むりで、従したがって或ある程度ていどの過失あやまちは見逃みのがしもするが、眼めにあまる所ところはその都度つどきびしく注意ちゅういを与あたえるから、そなたもその覚悟かくごで居いてもらいたい。又また何なにぞ望のぞみがあるなら、今いまの中うちに遠慮えんりょなく申出もうしでるがよい。無理むりのないことであるならすべて許ゆるすつもりであるから……。』

漸ようやく寝床ねどこを離はなれたと思おもえば、モーすぐこのようなきびしい修行しゅぎょうのお催促さいそくで、その時ときの私わたくしは随分ずいぶん辛つらいことだ、と思おもいました。その後ごこちらで様子ようすを窺うかがって居おりますと、人ひとによりては随分ずいぶん寛ゆるやかな取扱とりあつかいを受うけ、まるで夢ゆめのような、呑気のんきらしい生活せいかつを送おくっているものも沢山たくさん見受みうけられますが、これはドーいう訳わけか私わたくしにもよく判わかりませぬ。私わたくしなどはとりわけ、きびしい修行しゅぎょうを仰おおせつけられた一人ひとりのようで、自分じぶんながら不思議ふしぎでなりませぬ。矢張やはりこれも身魂みたまの因縁いんねんとやら申もうすものでございましょうか……。

それは兎とも角かくも、私わたくしは神様かみさまから何なにぞ望のぞみのものを言いえと言いわれ、いろいろと考かんがえ抜ぬいた末すえにたった一ひとつだけ註文ちゅうもんを出だしました。

『お爺じいさま、何どうぞ私わたくしに一ひとつの御神鏡ごしんきょうを授さずけて戴いただき度とう存ぞんじます。私わたくしはそれを御神体ごしんたいとしてその前まえで精神せいしん統一とういつの修行しゅぎょうを致いたそうと思おもいます。何なにかの目標めあてがないと、私わたくしにはとても神様かみさまを拝おがむような気分きぶんになれそうもございませぬ……。』

『それは至極しごく尤もっともな願ねがいじゃ、直ただちにそれを戴いただいてつかわす。』

お爺じいさまは快こころよく私わたくしの願ねがいを入いれ、ちょっとあちらを向むいて黙祷もくとうされましたが、モー次つぎの瞬間しゅんかんには、白木しらきの台座だいざの附ついた、一体たいの御鏡みかがみがお爺じいさまの掌てのひらに載のっていました。右みぎの御鏡みかがみは早速さっそく岩屋いわやの奥おくの、程ほどよき高たかさの壁かべの凹所くぼみに据すえられ、私わたくしの礼拝らいはいの最もっとも神聖しんせいな目標もくひょうとなりました。それからモー四百余年よねん、私わたくしの境涯きょうがいはその間あいだに幾度いくども幾度いくども変かわりましたが、しかし私わたくしは今いまも尚なおその時とき戴いただいた御鏡みかがみの前まえで静座せいざ黙祷もくとうをつづけて居おるのでございます。

十、親子の恩愛

参考さんこうの為ために少すこし幽界ゆうかいの修行しゅぎょうの模様もようをききたいと仰おっしゃいますか……。宜よろしうございます。私わたくしの存ぞんじていることは何なになりとお話はなし致いたしますが、しかし現界げんかいで行やるのと格別かくべつの相違そういもございますまい。私達わたくしたちとて矢張やはり御神前ごしんぜんに静座せいざして、心こころに天照大御神様あまてらすおおみかみさまの御名みなを唱となえ、又また八百万やおよろずの神々かみがみにお願ねがいして、できる丈だけきたない考かんがえを払はらいのける事ことに精神こころを打うち込こむのでございます。もとより肉体にくたいはないのですから、現世げんせで行やるような、斎戒沐浴さいかいもくよくは致いたしませぬ。ただ斎戒沐浴さいかいもくよくをしたと同一どういつの浄きよらかな気持きもちになればよいのでございまして……。

それで、本当ほんとうに深ふかい深ふかい統一状態とういつじょうたいに入はいったとなりますと、私わたくしどもの姿すがたはただ一ひとつの球たまになります。ここが現世げんせの修行しゅぎょうと幽界ゆうかいの修行しゅぎょうとの一ばん目立めだった相違点そういてんかも知しれませぬ。人間にんげんではどんなに深ふかい統一とういつに入はいっても、躯からだが残のこります。いかに御本人ごほんにんが心こころで無むと観かんじましても、側そばから観みれば、その姿すがたはチャーンと其所そこに見みえて居おります。しかるに、こちらでは、真実ほんとうの精神統一せいしんとういつに入はいれば、人間にんげんらしい姿すがたは消きえ失うせて、側そばからのぞいても、たった一ひとつの白しろっぽい球たまの形かたちしか見みえませぬ。人間にんげんらしい姿すがたが残のこって居おるようでは、まだ修行しゅぎょうが積つんでいない何なによりの証拠しょうこなのでございます。『そなたの、その醜みぐるしい姿すがたは何なんじゃ! まだ執着しゅうじゃくが強過つよすぎるぞ……。』私わたくしは何度なんど醜みぐるしい姿すがたをお爺様じいさまに見みつけられてお叱言こごとを頂戴ちょうだいしたか知しれませぬ。自分じぶんでも、こんな事ことでは駄目だめであると思おもい返かえして、一生しょう懸命けんめい神様かみさまを念ねんじて、飽あくまで浄きよらかな気分きぶんを続つづけようとあせるのでございますが、あせればあせるほど、チラリチラリと暗くらい影かげが射さして来きて統一とういつを妨さまたげて了しまいます。私わたくしの岩屋いわやの修行しゅぎょうというのは、つまり斯こうした失敗しっぱいとお叱言こごとの繰くりかえしで、自分じぶんながらほとほと愛想あいそが尽つきる位くらいでございました。私わたくしというものはよくよく執着しゅうじゃくの強つよい、罪つみの深ふかい、女性じょせいだったのでございましょう。――この生活せいかつが何年位なんねんくらい続つづいたかとのお訊たずねでございますか……。自分じぶんでは一切さい夢中むちゅうで、さほどに永ながいとも覚おぼえませんでしたが、後あとでお爺じいさまから伺うかがいますと、私わたくしの岩屋いわやの修行しゅぎょうは現世げんせの年数ねんすうにして、ざっと二十年余ねんあまりだったとの事ことでございます。

現世的げんせてき執着しゅうじゃくの中なかで、私わたくしにとりて、何なによりも断たち切きるのに骨ほねが折おれましたのは、前まえ申もうすとおり矢張やはり、血ちを分わけた両親りょうしんに対たいする恩愛おんあいでございました。現世げんせで何一なにひとつ孝行こうこうらしい事こともせず、ただ一人ひとり先立さきだってこちらの世界せかいに引越ひきこして了しまったのかと考かんがえますと、何なんともいえずつらく、悲かなしく、残のこり惜おしく、相済あいすまなく、坐いても立たっても居おられないように感かんぜられるのでございました。人間にんげん何なにがつらいと申もうしても、親おやと子ことが順序じゅんじょをかえて死しぬるほど、つらいことはないように思おもわれます。無論むろん私わたくしには良人おっとに対たいする執着しゅうじゃくもございました。しかし良人おっとは私わたくしよりも先さきに歿なくなって居おり、それに又また神かみさまが、時節じせつが来くれば逢あわしてもやると申まうされましたので、そちらの方ほうの断念あきらめは割合わりあい早はやくつきました。ただ現世げんせに残のこした父母ふぼの事ことはどうあせりましてもあきらめ兼かねて悩なやみ抜ぬきました。そんな場合ばあいには、神様かみさまも、精神統一せいしんとういつも、まるきりあったものではございませぬ。私わたくしはよく間近まじかの岩いわへ齧かじりついて、悶もだえ泣なきに泣なき入いりました。そんな真似まねをしたところで、一たん死しんだ者ものが、とても現世げんせへ戻もどれるものでない事ことは充分じゅうぶん承知しょうちしているのですが、それで矢張やはり止やめることができないのでございます。

しかも何なにより困こまるのは、現世げんせに残のこっている父母ふぼの悲嘆なげきが、ひしひしと幽界ゆうかいまで通つうじて来くることでございました。両親りょうしんは怠おこたらず、私わたくしの墓はかへ詣もうでて花はなや水みずを手向たむけ、又また十日か祭さいとか、五十日にち祭さいとか申もうす日ひには、その都度つど神職しんしょくを招まねいて鄭重ていちょうなお祭祀まつりをしてくださるのでした。修行未熟しゅぎょうみじゅくの、その時分じぶんの私わたくしには、現界げんかいの光景こうけいこそ見みえませんでしたが、しかし両親りょうしんの心こころに思おもっていられることは、はっきりとこちらに感かんじて参まいるばかりか、『姫ひめや姫ひめや!』と呼よびながら、絶たえ入いるばかりに泣なき悲かなしむ母ははの音声おんじょうまでも響ひびいて来くるのでございます。あの時分じぶんのことは今いま想おもい出だしても自おのずと涙なみだがこぼれます……。

斯こう言いった親子おやこの情愛じょうあいなどと申もうすものは、いつまで経たってもなかなか消きえて無なくなるものではないようで、私わたくしは現在げんざいでも矢張やはり父ちちは父ちちとしてなつかしく、母ははは母ははとして慕したわしく感かんじます。が、不思議ふしぎなもので、だんだん修行しゅぎょうが積つむにつれて、ドーやら情念こころの発作ほっさを打消うちけして行ゆくのが上手じょうずになるようでございます。それがつまり向上こうじょうなのでございましょうかしら……。

十一、守刀

躯からだがなくなって、こちらの世界せかいに引移ひきうつって来きても、現世げんせの執着しゅうじゃくが容易よういに除とれるものでない事ことは、すでに申上もうしあげましたが、序ついでにモー少すこしここで自分じぶんの罪過つみを申上もうしあげて置おくことに致いたしましょう。口頭くちさきですっかり悟さとったようなことを申もうすのは何なんでもありませぬが、実地じっちに当あたって見みると思おもいの外ほかに心こころの垢あかの多おおいのが人間にんげんの常つねでございます。私わたくしも時々ときどきこちらの世界せかいで、現世生活中げんせせいかつちゅうに大たいへん名高なだかかった方々かたがたにお逢あいすることがございますが、そうきれいに魂みたまが磨みがかれた方かたばかりも見当みあたりませぬ。『あんな名僧めいそう知識ちしきと謳うたわれた方かたがまだこんな薄暗うすぐらい境涯ところに居いるのかしら……。』時々ときどき意外いがいに感かんずるような場合ばあいもあるのでございます。

さてお約束やくそくの懺悔ざんげでございますが、私わたくしにとりて、何なにより身みにしみているのを一ひとつお話はなし致いたしましょう。それは私わたくしの守刀まもりがたなの物語ものがたりでございます。忘わすれもしませぬ、それは私わたくしが三浦家みうらけへ嫁入よめいりする折おりのことでございました、母ははは一振ひとふりりの懐剣かいけんを私わたくしに手渡わたし、

『これは由緒ゆいしょある御方おかたから母ははが拝領はいりょうの懐剣かいけんであるが、そなたの一生しょうの慶事よろこびの紀念きねんに、守刀まもりがたなとしてお譲ゆずりします。肌身はだみ離はなさず大切たいせつに所持しょじしてもらいます……。』

両眼りょうがんに涙なみだを一ぱい溜ためて、赤心まごころこめて渡わたされた紀念きねんの懐剣かいけん――それは刀身なかみといい、又また装具つくりといい、まことに申分もうしぶんのない、立派りっぱなものでございましたが、しかし私わたくしに取とりましては、懐剣かいけんそのものよりも、それがなつかしい母ははの形見かたみであることが、他ほかの何物なにものにもかえられぬほど大切たいせつなのでございました。私わたくしは一生涯しょうがいその懐剣かいけんを自分じぶんの魂たましいと思おもって肌身はだみに附つけて居いたのでした。

いよいよ私わたくしの病勢びょうせいが重おもって、もうとても難むずかしいと思おもわれました時ときに、私わたくしは枕辺まくらべに坐すわって居おられる母ははに向むかって頼たのみました。『私わたくしの懐剣かいけんは何卒どうぞこのまま私わたくしと一緒しょに棺かんの中なかに納おさめて戴いただきとうございますが……。』すると母ははは即座そくざに私わたくしの願ねがいを容いれて、『その通とおりにしてあげますから安心あんしんするように……。』と、私わたくしの耳元みみもとに口くちを寄よせて力強ちからづよく囁ささやいてくださいました。

私わたくしがこちらの世界せかいに眼めを覚さました時ときに、私わたくしは不図ふと右みぎの事柄ことがらを想おもい出だしました。『母はははあんなに固かたく請合うけあってくだされたが、果はたして懐剣かいけんが遺骸いがいと一緒しょに墓はかに収おさめてあるかしら……。』そう思おもうと私わたくしはどうしてもそれが気懸きがかりで気懸きがかりで耐たまらなくなりました。とうとう私わたくしはある日ひ指導役しどうやくのお爺様じいさまに一伍一什ぶしじゅうを物語ものがたり、『若もしもあの懐剣かいけんが、私わたくしの墓はかに収おさめてあるものなら、どうぞこちらに取寄とりよせて戴いただきたい。生前せいぜんと同様どうようあれを守刀まもりがたなに致いたし度とうございます……。』とお依たのみしました。今いまの世よの方々かたがたには守刀まもりがたななどと申もうしても、或あるいは頭あたまに力強ちからづよく響ひびかぬかも存ぞんじませぬが、私わたくしどもの時代じだいには、守刀まもりがたなはつまり女おんなの魂たましい、自分じぶんの生命いのちから二番目ばんめの大切たいせつな品物しなものだったのでございます。

神様かみさまもこの私わたくしの願ねがいを無理むりからぬ事ことと思召おぼしめされたか、快こころよくお引受ひきうけしてくださいました。そして例れいのとおり、ちょっと精神せいしんの統一とういつをして私わたくしの墓はかを透視とうしされましたが、すぐにお判わかりになったものと見みえ『フムその懐剣かいけんなら確たしかに彼所かしこに見みえている。宜よろしい神界しんかいのお許ゆるしを願ねがって、取寄とりよせてつかわす……。』

そう言いわれたかと見みると、次つぎの瞬間しゅんかんには、お爺じいさまの手ての中なかに、私わたくしの世よにも懐なつかしい懐剣かいけんが握にぎられて居おりました。無論むろんそれは言いわば刀かたなの精せいだけで、現世げんせの刀かたなではないのでございましょうが、しかしいかに査しらべて見みても、金粉きんぷんを散ちらした、濃こい朱塗しゅぬりの装具つくりといい、又またそれを包つつんだ真紅しんくの錦襴きんらんの袋ふくろといい、生前せいぜん現世げんせで手慣てなれたものに寸分すんぶんの相違そういもないのでした。私わたくしは心こころからうれしくお爺様じいさまに厚あつくお礼れいを申上もうしあげました。

私わたくしは右みぎの懐剣かいけんを現在げんざいとても大切たいせつに所持しょじして居おります。そして修行しゅぎょうの時ときにはいつも之これを御鏡みかがみの前まえへ備そなえることにして居おるのでございます。

これなどは、一段だんも二段だんも上うえの方かたから御覧ごらんになれば、やはり一種しゅの執着しゅうじゃくと言いわるるかも存ぞんじませぬが、私わたくしどもの境涯きょうがいでは、どうしてもまだ斯こうした執着しゅうじゃくからは離はなれ切きれないのでございます。

十二、愛馬との再会

岩屋いわやの修行中しゅぎょうちゅうに、モー一ひとつちょっと面白おもしろい話はなしがございますから、序ついでに申上もうしあげることに致いたしましょう。それは私わたくしが、こちらで自分じぶんの愛馬あいばに再会さいかいしたお話はなしでございます。

前まえにもお話はなし致いたしましたが、私わたくしは三浦家みうらけへ嫁入よめいりしてから初はじめて馬術ばじゅつの稽古けいこをいたしました。最初さいしょは馬うまに乗のるのが何なにやら薄気味うすきみ悪わるいように思おもわれましたが、行やって居おります内うちにだんだんと乗馬じょうばが好すきになったと言いうよりも、寧むしろ馬うまが可愛かわいくなって来きたのでございます。乗のり馴ならした馬うまというものは、それはモー不思議ふしぎなほど可愛かわいくなるもので、事ことによると経験けいけんのないお方かたには、その真実ほんとうの味あじわいはお判わかりにならぬかも知しれません。

私わたくしの愛馬あいばと申もうしますのは、良人おっとがいろいろと捜さがした上うえに、最後さいごに、これならば、と見立みたててくれたほどのことがございまして、それはそれは優やさしい、美事みごとな牡馬めうまでございました。背材せたけはそう高たかくはございませぬが、総体そうたいの地色ぢいろは白しろで、それに所々ところどころに黒くろの斑点まだらの混まじった美うつくしい毛並けなみは今更いまさら自慢じまんするではございませぬが、全まったく素晴すばらしいもので、私わたくしがそれに乗のって外出そとでをした時ときには、道行みちゆく者ものも足あしを停とめて感心かんしんして見惚みとれる位くらいでございました。ナニ乗者のりてに見惚みとれたのではないかと仰おっしゃるか……。御冗談ごじょうだんばかり、そんな酔狂すいきょうな者ものは只ただの一人ひとりだってございません。私わたくしの馬うまに見惚みとれたのでございます……。

そうそうこの馬うまの命名めいめいにつきましては、良人おっとと私わたくしとの間あいだに、なかなかの悶着もんちゃくがございました。私わたくしは優やさしい名前なまえがよいと思おもいまして、さんざん考かんがえ抜ぬいた末すえにやっと『鈴懸すずかけ』という名なを思おもいついたのでございます。すると良人おっとは私わたくしと意見いけんが違ちがいまして、それは余あまり面白おもしろくない、是非ぜひ『若月わかつき』にせよと言いい張はって、何なんと申もうしても肯きき入いれないのです。私わたくしは内心ないしん不服ふふくでたまりませんでしたが、もともと良人おっとが見立みたててくれた馬うまではあるし、とうとう『若月わかつき』と呼よぶことになって了しまいました。『今度こんどは私わたくしが負まけて置おきます。しかしこの次つぎに良よい馬うまが手てに入はいった時ときはそれは是非ぜひ鈴懸すずかけと呼よばせていただきます……。』私わたくしはそんなことを良人おっとに申もうしたのを覚おぼえて居おります。しかしそれから間まもなく、あの北條ほうじょうとの戦闘いくさが起おこったので、私わたくしの望のぞみはとうとう遂とげられずに終おわりました。

とに角かく名前なまえにつきては最初さいしょ斯こんないきさつがありましたものの、私わたくしは若月わかつきが好すきで好すきで耐たまらないのでした。馬うまの方ほうでも亦また私わたくしによく馴染なじんで、私わたくしの姿すがたが見みえようものなら、さもうれしいと言いった表情ひょうじょうをして、あの巨おおきな躯からだをすり附つけて来くるのでした。

落城後らくじょうご私わたくしがあちこち流浪るろうをした時ときにも、若月わかつきはいつも私わたくしに附添つきそって、散々さんざん苦労くろうをしてくれました。で、私わたくしの臨終りんじゅうが近ちかづきました時ときには、私わたくしは若月わかつきを庭前にわさきへ召よんで貰もらって、この世よの訣別わかれを告つげました。『汝おまえにもいろいろ世話せわになりました……。』心こころの中なかでそう思おもった丈だけでしたが、それは必かならず馬うまにも通つうじたことであろうと考かんがえられます。これほど可愛かわいがった故せいでもございましょう、私わたくしが岩屋いわやの内部なかで精神統一せいしんとういつの修行しゅぎょうをしている時ときに、ある時とき思おもいも寄よらず、若月わかつきの姿すがたが私わたくしの眼めにはっきりと映うつったのでございます。

『事ことによると若月わかつきは最もう死しんだのかも知しれぬ……。』

そう感かんじましたので、お爺じいさまにお訊たずねして見みますと、果はたしてこちらの世界せかいに引越ひきこして居いるとの事ことに、私わたくしは是非ぜひ一ひと目め昔むかしの愛馬あいばに逢あって見みたくて耐たまらなくなりました。

『甚はなはだ勝手かってなお願ねがいながら、一度ど若月わかつきの許もとへ連つれて行いってくださる訳わけにはまいりますまいか……。』

『それはいと易やすいことじゃ。』と例れいの通とおりお爺じいさまは親切しんせつに答こたへてくださいました。『馬うまの方ほうでもひどくそなたを慕したっているから一度どは逢あって置おくがよい。これから一緒しょに連つれて行いって上あげげる……。』

幽界ゆうかいでは、何所どこをドー通とうって行ゆくのか、途中とちゅうのことは殆ほとんど判わかりませぬ。そこが幽界ゆうかいの旅たびと現世げんせの旅たびとの大たいした相違点そういてんでございますが、兎とも角かくも私達わたくしたちは、瞬またたく間まに途中とちゅうを通とおり抜ぬけて、或ある一ひとつの馬うまの世界せかいへまいりました。そこには見渡みわたす限かぎり馬うまばかりで、他ほかの動物いきものは一ひとつも居おりません。しかし不思議ふしぎなことには、どの馬うまもどの馬うまも皆みな逞たくましい駿馬しゅんめばかりで、毛並けなみみのもじゃもじゃした、イヤに脚あしばかり太ふとい駄馬だばなどは何処どこにも見みかけないのでした。

『私わたくしの若月わかつきも爰ここに居いるのかしら……。』

そう思おもい乍ながら、不図ふと向むかうの野原のはらを眺ながめますと、一頭とうの白馬はくばが群むれれを離はなれて、飛とぶが如ごとくに私達わたくしたちの方ほうへ馳かけ寄よってまいりました。それはいうまでもなく、私わたくしの懐なつかかしい、愛馬あいばでございました。

『まァ若月わかつき……汝おまえ、よく来きてくれた……。』

私わたくしは心こころから嬉うれしく、しきりに自分じぶんにまつわり附つく愛馬あいばの鼻はなを、いつまでもいつまでも軽かるく撫なでてやりました。その時ときの若月わかつきのうれしげな面持おももち……私わたくしは覚おぼえず泪なみだぐんで了しまったのでございました。

しばらく馬うまと一緒しょに遊あそんで、私わたくしは大たいへん軽かるい気持きもちになって戻もどって来きましたが、その後ご二度どと行いって見みる気きにもなれませんでした。人間にんげんと動物どうぶつとの間あいだの愛情あいじょうにはいくらかあっさりしたところがあるものと見みえます……。

十三、母の臨終

岩屋いわやの修行中しゅぎょうちゅうに誰だれかの臨終りんじゅうに出会であったことがあるか、とのお訊たずねでございますか。――それは何度なんども何度なんどもあります。私わたくしの父ちちも、母ははも、それから私わたくしの手元てもとに召めし使つかっていた、忠実ちゅうじつな一人ひとりの老僕ろうぼくなども、私わたくしが岩屋いわやに居おる時ときに前後ぜんごして歿ぼっしまして、その都度つど私わたくしはこちらから、見舞みまいに参まいったのでございます。何いずれあなたとしては、幽界ゆうかいから観みた臨終りんじゅうの光景ありさまを知しりたいと仰おッしゃるのでございましょう。宜よろしうございます。では、標本みほんのつもりで、私わたくしの母ははの歿なくなった折おりの模様もようを、ありのままにお話はなし致いたしましょう。わざわざ査しらべるのが目的もくてきで、行やった仕事しごとではないのですから、むろんいろいろ見落みおとしはございましょう。その点てんは充分じゅうぶんお含ふくみを願ねがって置おきます。機会きかいがありましたら、誰だれかの臨終りんじゅうの実況じっきょうを査しらべに出掛でかて見みても宜よろしうございます。ここに申上もうしあげるのはホンの当時とうじの私わたくしが観みたまま感かんじたままのお話はなしでございます。

それは私わたくしが歿なくなってから、最もうよほど経たった時とき……かれこれ二十年ねん近ちかくも過すぎた時ときでございましょうか、ある日ひ私わたくしが例れいの通とおり御神前ごしんぜんで修行しゅぎょうして居おりますと、突然とつぜん母ははの危篤きとくの報知しらせが胸むねに感かんじて参まいったのでございます。斯こうした場合ばあいには必かならず何等なんらかの方法ほうほうで報知しらせがありますもので、それは死しぬる人ひとの思念おもいが伝つたわる場合ばあいもあれば、又また神様かみさまから特とくに知しらせて戴いただく場合ばあいもあります。その他ほかにもまだいろいろありましょう。母ははの臨終りんじゅうの際さいには、私わたくしは自力じりきでそれを知しったのでございました。

私わたくしはびっくりして早速さっそく鎌倉かまくらの、あの懐なつかしい実家さとへと飛とんで行ゆきましたが、モーその時ときはよくよく臨終りんじゅうが迫せまって居おりまして、母ははの霊魂たましいはその肉体にくたいから半分はんぶん出でたり、入はいったりしている最中さいちゅうでございました。人間にんげんの眼めには、人ひとの臨終りんじゅうというものは、ただ衰弱すいじゃくした一ひとつの肉体にくたいに起おこる、あの悲惨ひさんな光景ありさましか映うつりませぬが、私わたくしにはその外ほかにまだいろいろの光景ありさまが見みえるのでございます。就中なかんづく一番ばん目立めだつのは肉体にくたいの外ほかに霊魂たましい――つまりあなた方がたの仰おっしゃる幽体ゆうたいが見みえますことで……。

御承知ごしょうちでもございましょうが、人間にんげんの霊魂たましいというものは、全然ぜんぜん肉体にくたいと同おなじような形態かたちをして肉体にくたいから離はなれるのでございます。それは白しろっぽい、幾分いくぶんふわふわしたもので、そして普通ふつうは裸体はだかでございます。それが肉体にくたいの真上まうえの空中くうちゅうに、同おなじ姿勢しせいで横臥おうがしている光景ありさまは、決けっしてあまり見みよいものではございませぬ。その頃ころの私わたくしは、もう幾度いくたびも経験けいけんがありますので、さほどにも思おもいませんでしたが、初はじめて人間にんげんの臨終りんじゅうに出会であった時ときは、何なんとまァ変怪へんなものかしらんと驚おどろいて了しまいました。

最もう一ひとつおかしいのは肉体にくたいと幽体ゆうたいとの間あいだに紐ひもがついて居いることで、一番ばん太ふといのが腹はらと腹はらとを繋つなぐ白しろい紐ひもで、それは丁度ちょうど小指位こゆびぐらいの太ふとさでございます。頭部あたまの方ほうにもモー一本ぽん見みえますが、それは通例つうれい前まえのよりもよほど細ほそいようで……。無論むろん斯こうして紐ひもで繋つながれているのは、まだ絶息ぜっそくし切きらない時ときで、最後さいごの紐ひもが切きれた時ときが、それがいよいよその人ひとの死しんだ時ときでございます。

前まえ申もうすとおり、私わたくしが母ははの枕辺まくらべに参まいりましたのは、その紐ひもが切きれる少すこし前まえでございました。母はははその頃ころモー七十位ぐらい、私わたくしが最後さいごにお目めにかかった時ときとは大変たいへんな相違そういで、見みる影かげもなく、老おいさらぼいて居おりました。私わたくしはすぐ耳元みみもとに近ちかづいて、『私わたくしでございます……』と申もうしましたが、人間同志にんげんどうしで、枕元まくらもとで呼よびかわすのとは異ちがい、何なにやらそこに一重ひとえ隔へだてがあるようで、果はたしてこちらの意思おもいが病床びょうしょうの母ははに通つうじたか何どうかと不安ふあんに感かんじられました。――尤もっともこれは地上ちじょうの母ははに就ついて申上もうしあげることで、肉体にくたいを棄すてて了しまってからの母ははの霊魂たましいとは、むろん自由自在じゆうじざいに通つうじたのでございます。母ははは帰幽後きゆうご間まもなく意識いしきを取とりもどし、私わたくしとは幾度いくたびも幾度いくたびも逢あって、いろいろ越こし方かたの物語ものがたりに耽ふけりました。母ははは、死しぬる前まえに、父ちちや私わたくしの夢ゆめを見みたと言いって居おりましたが、もちろんそれはただの夢ゆめではないのです。つまり私達わたくしたちの意思おもいが夢ゆめの形式かたちで、病床びょうしょうの母ははに通つうじたものでございましょう……。

それは兎とに角かく、あの時とき私わたくしは母ははの断末魔だんまつまの苦悶くもんの様さまを見みるに見兼みかねて、一生しょう懸命けんめい母ははの躯からだを撫なでてやったのを覚おぼえています。これは只ただの慰なぐさめの言葉ことばよりも幾分いくぶんかききめがあったようで、母はははそれからめっきりと楽らくになって、間まもなく気息いきを引ひきとったのでございました。すべて何事なにごとも赤心まごころをこめて一心しんにやれば、必かならずそれ丈だけの事ことはあるもののようでございます。

母ははの臨終りんじゅうの光景ありさまについて、モー一ひとつ言いい残のこしてならないのは、私わたくしの眼めに、現世げんせの人達ひとたちと同時どうじに、こちらの世界せかいの見舞者みまいての姿すがたが映うつったことでございます。母ははの枕辺まくらべには人間にんげんは約やく十人にん余あまり、何いずれも眼めを泣なきはらして、永ながの別わかれを惜おしんでいましたが、それ等らの人達ひとたちの中なかで私わたくしが生前せいぜん存ぞんじて居おりましたのはたった二人ふたりほどで、他たは見覚みおぼえのない人達ひとたちばかりでした。それからこちらの世界せかいからの見舞者みまいては、第だい一が、母ははよりも先さきへ歿なくなった父ちち、つづいて祖父じじ、祖母ばば、肉身にくしんの親類しんるい縁者えんじゃ、親したしいお友達ともだち、それから母ははの守護霊しゅごれい、司配霊しはいれい、産土うぶすなの御神使おつかい、……一々数かぞえたらよほどの数すうに上のぼったでございましょう。兎とに角かく現世げんせの見舞者みまいてよりはずっと賑にぎやかでございました。第だい一、双方そうほうの気分きぶんがすっかり異ちがいます。一方ほうは自分達じぶんたちの仲間なかまから親したしい人ひとを失うしなうのでございますから、沈しずみ切きって居おりますのに、他方たほうは自分達じぶんたちの仲間なかまに親したしき人ひとを一人ひとり迎むかえるのでございますから、寧むしろ勇いさんでいるような、陽気ようきな面持おももちをしているのでございます。こんな事ことは、私わたくしの現世生活中げんせせいかつちゅうには全まったく思おもいも寄よらぬ事柄ことがらでございまして……。

他たにも気きづいた点てんがまだないではありませぬが、拙へたな言葉ことばでとても言いい尽つくせぬように思おもわれますので、母ははの臨終りんじゅうの物語ものがたりは、一ひと先まずこれ位くらいにして置おきましょう。

十四、守護霊との対面

第だい一期きの修行中しゅぎょうちゅうに経験けいけんした、重おもなる事柄ことがらにつきては、以上いじょうで大体だいたい申上もうしあげたつもりでございますが、ただもう一ひとつここで是非ぜひとも言いい添そえて置おかねばならないと思おもいますのは私わたくしの守護霊しゅごれいの事ことでございます。誰だれにも一人ひとりの守護霊しゅごれいが附ついて居おることは、心霊しんれいに志こころざす方々かたがたの御承知ごしょうちの通とおりでございますが、私わたくしにも勿論もちろん一人ひとりの守護霊しゅごれいが附ついて居おり、そしてその守護霊しゅごれいとの関係かんけいはただ現世げんせのみに限かぎらず、肉体にくたいの死後しごも引ひきつづいて、切きっても切きれぬ因縁いんねんの絆きずなで結むすばれて居いるのでございます。もっとも、そうした事柄ことがらがはっきり判わかりましたのはよほど後のちの事ことで、帰幽当時きゆうとうじの私わたくしなどは、自分じぶんに守護霊しゅごれいなどと申もうすものが有あるか、無ないかさえも全然ぜんぜん知しらなかったのでございます。で、私わたくしがこちらの世界せかいで初はじめて自分じぶんの守護霊しゅごれいにお目めにかかった時ときは、少すくなからず意外いがいに感かんじまして、従したがってその時ときの印象いんしようは今いまでもはっきりと頭脳あたまに刻きざまれて居おります。

ある日ひ私わたくしが御神前ごしんぜんで、例いつもの通とおり深ふかい精神統一せいしんとういつの状態じょうたいに入はいって居いた時ときでございます、意外いがいにも一人ひとりの小柄こがらの女性じょせいがすぐ眼めの前まえに現あらわれ、いかにも優やさしく、私わたくしを見みてにっこりと微笑ほほえまれるのです。打見うちみる所ところ、年齢としは二十歳余はたちあまり、顔かおは丸顔まるがおの方ほうで、緻致きりょうはさしてよいとも言いわれませぬが、何所どことなく品位ひんいが備そなわり、雪ゆきなす富士額ふしびたいにくっきりと黛まゆずみが描えがかれて居おります。服装ふくそうは私わたくしの時代じだいよりはやや古ふるく、太ふとい紐ひもでかがった、広袖ひろそでの白衣びゃくいを纏まとい、そして下したに緋ひの袴はかまを穿はいて居いるところは、何どう見みても御所ごしよに宮仕みやづかえして居いる方かたのように窺うかがわれました。

意外いがいなのは、この時とき初はじめてお目めに懸かかったばかりの、全然ぜんぜん未知みちのお方かたなのにも係かかわらず、私わたくしの胸むねに何なんともいえぬ親したしみの念ねんがむくむくと湧わいて出でたことで……。それにその表情ひょうじょう、物ものごしがいかにも不思議ふしぎ……先方せんぽうは丸顔まるがお、私わたくしは細面ほそおもて、先方せんぽうは小柄こがら、私わたくしは大柄おおがら、外形がいけいはさまで共通きょうつうの個所かしょがないにも係かかわらず、何所どことも知しれず二人ふたりの間あいだに大変たいへん似にたところがあるのです。つまりは外面うわべはあまり似にないくせに、底そこの方ほうでよく似にて居いると言いった、よほど不思議ふしぎな似方にかたなのでございます。

『あの、どなた様さまでございますか……。』

漸ようやく心こころを落おちつけて私わたくしの方ほうから訊たずねました。すると先方せんぽうは不相変あいかわらずにこやかに――

『あなたは何なにも知しらずに居おられたでしょうが、実じつは自分じぶんはあなたの守護霊しゅごれい……あなたの一身上いっしんじょうの事柄ことがらは何なにも彼かも良よう存ぞんじて居おるものなのです。時節じせつが来こぬ為ために、これまで蔭かげに控ひかえて居いましたが、これからは何事なにごとも話はなし相手あいてになって上あげます。』

私わたくしは嬉うれしいやら、恋こいしいやら、又また不思議ふしぎやら、何なにが何なにやらよくは判わからぬ複雑ふくざつな感情かんじょうでその時とき初はじめて自分じぶんの魂たましいの親おやの前まえに自身じしんを投なげ出だしたのでした。それは丁度ちょうど、幼おさない時ときから別わかれ別わかれになっていた母ははと子こが、不図ふとどこかでめぐり合あった場合ばあいに似通にかよったところがあるかも知しれませぬ。何いずれにしてもこの一事じは私わたくしにとりてまことに意外いがいな、又またまことに意義いぎのある貴とうとい経験けいけんでございました。

激はげしい昂奮こうふんから冷さめた私わたくしは、もちろん私わたくしの守護霊しゅごれいに向むかっていろいろと質問しつもんの矢やを放はなち、それでも尚なお腑ふに落おちぬ個所ところがあれば、指導役しどうやくのお爺様じいさまにも根掘ねほり葉掘はほり問といつめました。お蔭かげで私わたくしの守護霊しゅごれいの素性すじょうはもとより、人間にんげんと守護霊しゅごれいの関係かんけい、その他たに就つきて大凡おおよその事ことが漸ようやく会得えとくされるようになりました。――あの、それを残のこらず爰ここで物語ものがたれと仰おっしゃるか……宜よろしうございます。何なにも御道おみちの為ためとあれば、私わたくしの存ぞんじて居いる限かぎりは逐一ちくいち申上もうしあげて了しまいましょう。話はなしが少すこし堅かとうございまして、何なにやら青表紙臭あおびょうしくさくなるかも存ぞんじませぬが、それは何卒なにとぞ大目おおめに見逃みのががして戴いただきます。又また私わたくしの申上もうしあげることにどんな誤謬あやまちがあるかも計はかりかねますので、そこはくれぐれもただ一つの参考さんこうにとどめて戴いただきたいのでございます。私わたくしはただ神様かみさまやら守護霊様しゅごれいさまからきかされたところをお取次とりつぎするのですから、これが誤謬あやまりのないものだとは決けっして言いい張はるつもりはございませぬ……。

十五、生みの親魂の親

成なるるべく話はなしの筋道すじみちが通とおるよう、これからすべてを一と纏まとめにして、私わたくしが長ながい年月としつきの間あいだにやっとまとめ上あげた、守護霊しゅごれいに関かんするお話はなしを順序じゅんじょよく申上もうしあげて見みたいと存ぞんじます。それにつきては、少すこし奥おくの方ほうまで溯さかのぼって、神様かみさまと人間にんげんとの関係かんけいから申上もうしあげねばなりませぬ。

昔むかしの諺ことわざに『人ひとは祖そに基もとづき、祖そは神かみに基もとづく』とやら申もうして居おりますが、私わたくしはこちらの世界せかいへ来きて見みて、その諺ことわざの正ただしいことに気きづいたのでございます。神かみと申もうしますのは、人間にんげんがまだ地上ちじょうに生うまれなかった時代じだいからの元もとの生神いきがみ、つまりあなた方がたの仰おっしゃる『自我じがの本体ほんたい』又または高級こうきゅうの『自然霊しぜんれい』なのでございます。畏おそれ多おおくはございますが、我国わがくにの御守護神ごしゅごしんであらせられる邇々藝命様ににぎのみことさまを始はじめ奉たてまつり、邇々藝命様ににぎのみことさまに随したがって降臨こうりんされた天児屋根命あまのこやねのみこと、天太玉命あまのふとだまのみことなどと申もうす方々かたがたも、何いずれも皆みなそうした生神様いきがみさまで、今いまも尚なお昔むかしと同おなじく地ちの神界しんかいにお働はたらき遊あそばしてお出いでになられます。その本来ほんらいのお姿すがたは白しろく光ひかった球たまの形かたちでございますが、余よほど真剣しんけんな気持きもちで深ふかい統一状態とういつじょうたいに入はいらなければ、私わたくしどもにもそのお姿すがたを拝はいすることはできませぬ。まして人間にんげんの肉眼にくがんなどに映うつる気きづかいはございませぬ。尤もっともこの球たまの形かたちは、凝じっとお鎮しずまり遊あそばした時ときの本来ほんらいのお姿すがたでございまして、一たんお働はたらきかけ遊あそばしました瞬間しゅんかんには、それぞれ異ことなった、世よにも神々こうごうしい御姿おすがたにお変かわり遊あそばします。更さらに又また何なにかの場合ばあいに神々かみがみがはげしい御力おちからを発揮はっきされる場合ばあいには荘厳そうごんと言いおうか、雄大ゆうだいと申もうそうか、とても筆紙ひっしに尽つくされぬ、あの怖おそろしい竜姿りゅうしをお現あらわしになられます。一つの姿すがたから他たの姿すがたに移うつり変かわることの迅はやさは、到底とうてい造つくり附つけの肉体にくたいで包つつまれた、地上ちじょうの人間にんげんの想像そうぞうの限かぎりではございませぬ。

無論むろんこれ等らの元もとの生神様いきがみさまからは、沢山たくさんの御分霊ごぶんれい……つまり御子様おこさまがお生うまれになり、その御分霊ごぶんれいから更さらに又また御分霊ごぶんれいが生うまれ、神界しんかいから霊界れいかい、霊界れいかいから幽界ゆうかいへと順々じゅんじゅんに階段かいだんがついて居おります。つまりすべてに亘わたりて連絡れんらくはとれて居おり乍ながら、しかしそのお受持うけもちがそれぞれ異ちがうのでございます。こちらの世界せかいをたった一つの、無差別むさべつの世界せかいと考かんがえることは大変たいへんな間違まちがいで、例たとえば邇々藝命様ににぎのみことさまに於おかれましても、一番ばん奥おくの神界しんかいに於おてお指図さしず遊あそばされる丈だけで、その御命令ごめいれいはそれぞれの世界せかいの代表者だいひょうしゃ、つまりその御分霊ごぶんれいの神々かみがみに伝つたわるのでございます。おこがましい申分もうしぶんかは存ぞんじませぬが、その点てんの御理解ごりかいが充分じゅうぶんでないと、地上ちじょうに人類じんるいの発生はっせいした径路いきさつがよくお判わかりにならぬと存ぞんじます。稀薄きはくで、清浄せいじょうで、殆ほとんど有あるか無なきかの、光ひかりの凝塊かたまりと申上もうしあげてよいようなお形態からだをお有もち遊あそばされた高たかい神様かみさまが、一足そく跳とびに濃こく鈍にぶい物質ぶっしつの世界せかいへ、その御分霊ごぶんれいを植うえ附つけることは到底とうていできませぬ。神界しんかいから霊界れいかい、霊界れいかいから幽界ゆうかいへと、だんだんにそのお形態からだを物質ぶっしつに近ちかづけてあったればこそ、ここに初はじめて地上ちじょうに人類じんるいの発生はっせいすべき段取だんどりに進すすみ得えたのであると申もうすことでございます。そんな面倒めんどうな手続てつづきを踏ふんであってさえも、幽ゆうから顕けんに、肉体にくたいのないものから肉体にくたいのあるものに、移うつり変かわるには、実じつに容易よういならざる御苦心ごくしんと、又また殆ほとんど数かぞえることのできない歳月としつきを閲けみしたということでございます。一番ばん困こまるのは物質ぶっしつというものの兎角とかく崩くずれ易やすいことで、いろいろ工夫くふうして造つくって見みても、皆みな半途はんとで流ながれて了しまい、立派りっぱに魂たましいの宿やどになるような、完全かんぜんな人体じんたいは容易よういに出来上できあがらなかったそうでございます。その順序じゅんじょ、方法ほうほう、又また発生はっせいの年代等ねんだいとうに就つきても、或ある程度ていどまで神様かみさまから伺うかがって居おりますが、只今ただいまそれを申上もうしあげている遑いとまはございませぬ。いずれ改あらためて別べつの機会きかいに申上もうしあげることに致いたしましょう。

兎とに角かく、現在げんざいの人間にんげんと申もうすものが、最初さいしょ神かみの御分霊ごぶんれいを受うけて地上ちじょうに生うまれたものであることは確たしかでございます。もっとくわしくいうと、男女なんによ両柱ふたはしらの神々かみがみがそれぞれ御分霊ごぶんれいを出だし、その二つが結合けつごうして、ここに一つの独立どくりつした身魂みたまが造つくられたのでございます。その際さい何どうして男性だんせい女性じょせいの区別くべつが生しょうずるかと申もうすことは、世よにも重大じゅうだいなる神界しんかいの秘事ひじでございますが、要ようするにそれは男女なんによ何いずれかが身魂みたまの中枢ちゅうすうを受持うけもつかできまる事ことだそうで、よく気きをつけて、天地てんちの二神しん誓約うけいの段くだりに示しめされた、古典こてんの記録きろくを御覧ごらんになれば大体だいたいの要領ようりょうはつかめるとのことでございます。

さて最初さいしょ地上ちじょうに生うまれ出いでた一人ひとりの幼児おさなご――無論むろんそれは力ちからも弱よわく、智慧ちえもとぼしく、そのままで無事ぶじに生長せいちょうし得うる筈はずはございませぬ。誰だれかが傍そばから世話せわをしてくれなければとても三日かとは生いきて居おられる筈はずはございませぬ。そのお世話掛せわがかりがつまり守護霊しゅごれいと申もうすもので、蔭かげから幼児おさなごの保護ほごに当あたるのでございます。もちろん最初さいしょは父母ふぼの霊れい、殊ことに母ははの霊れいの熱心ねっしんなお手伝てつだいもありますが、だんだん生長せいちょうすると共ともに、ますます守護霊しゅごれいの働はたらきが加くわわり、最後しまいには父母ふぼから離はなれて立派りっぱに一本ぽん立だちの身みとなって了しまいます。ですから生うまれた子供こどもの性質せいしつや容貌ようぼうは、或ある程度ていど両親りょうしんに似にて居いると同時どうじに、又また大変たいへんに守護霊しゅごれいの感化かんかを受うけ、時ときとすれば殆ほとんど守護霊しゅごれいの再来さいらいと申もうしても差支さしつかえない位くらいのものも少すくなくないのでございます。古事記こじきの神代しんだいの巻まきに、豐玉姫とよたまひめからお生うまれになられたお子様こさまを、妹いもうとの玉依姫たまよりひめが養育よういくされたとあるのは、つまりそう言いった秘事ひじを暗示あんじされたものだと承うけたまはります。

申もうすまでもなく子供こどもの守護霊しゅごれいになられるものは、その子供こどもの肉親にくしんと深ふかい因縁いんねんの方かた……つまり同一系統どういつけいとうの方かたでございまして、男子だんしには男性だんせいの守護霊しゅごれい、女子じょしには女性じょせいの守護霊しゅごれいが附つくのでございます。人類じんるいが地上ちじょうに発生はっせいした当初とうしょは、専もっぱら自然霊しぜんれいが守護霊しゅごれいの役目やくめを引ひき受うけたと申もうすことでございますが、時代じだいが過すぎて、次第しだいに人霊じんれいの数かずが加くわわると共ともに、守護霊しゅごれいはそれ等らの中なかから選えらばれるようになりました。むろん例外れいがいはありましょうが、現在げんざいでは数百年前すうひゃくねんぜん乃至ないし千年ねん二千年ねん前ぜんに帰幽きゆうした人霊じんれいが、守護霊しゅごれいとして主おもに働はたらいているように見受みうけられます。私わたくしなどは帰幽後きゆうご四百年余ねんあまりで、さして新あたらしい方ほうでも、又またさして古ふるい方ほうでもございませぬ。

こんな複雑こみいった事柄ことがらを、私わたくしの拙つたない言葉ことばでできる丈だけ簡単かんたんにかいつまんで申上もうしあげましたので、さぞお判わかりにくい事ことであろうかと恐縮きょうしゅくして居いる次第しだいでございますが、わたくしの言葉ことばの足たりないところは、何卒なにとぞあなた方がたの方ほうでよきようにお察さっしくださるようお願ねがい致いたします。

十六、守護霊との問答

岩屋いわやの修行中しゅぎょうちゅうに私わたくしが自分じぶんの守護霊しゅごれいと初はじめて逢あったお話はなしを申上もうしあげたばかりに、ツイ斯こんな長談議ながだんぎを致いたして了しまいました。斯こんな拙つたない話はなしが幾分いくぶんたりともあなた方がたの御参考ごさんこうになればこの上うえもなき僥倖しあわせでございます。

序ついでに、その際さい私わたくしと私わたくしの守護霊しゅごれいとの間あいだに行おこなわれた問答もんどうの一部ぶを一応おうお話はなし致いたして置おきましょう。格別かくべつ面白おもしろくもございませぬが、私わたくしにとりましてはこれでも忘わすれ難がたい想おもい出での種子たねなのでございます。

問『あなたが私わたくしの守護霊しゅごれいであると仰おっしゃるなら、何故なぜもっと早はやくお出でましにならなかったのでございますか? 今迄いままで私わたくしはお爺様じいさまばかりを杖つえとも柱はしらとも依たよりにして、心細こころぼそい日ひを送おくって居おりましたが、若もしもあなたのような優やさしい御方おかたが最初さいしょからお世話せわをして下くださったら、どんなにか心強こころづよいことであったでございましたろう……。』

答『それは一応おう尤もっともなる怨言うらみごとであれど、神界しんかいには神界しんかいの掟おきてというものがあるのです。あのお爺様じいさまは昔むかしから産土神うぶすなのお神使つかいとして、新あらたに帰幽きゆうした者ものを取扱とりあつかうことにかけてはこの上うえもなくお上手じょうずで、とても私わたくしなどの足元あしもとにも及およぶことではありませぬ。私わたくしなどは修行しゅぎょうも未熟みじゅく、それに人情味にんじょうみと言いったようなものが、まだまだ大たいへんに強過つよすぎて、思おもい切きってきびしい躾しつけを施ほどこす勇気ゆうきのないのが何なによりの欠点けってんなのです。あなたの帰幽きゆう当時とうじの、あの烈はげしい狂乱きょうらんと執着しゅうじゃく……とても私わたくしなどの手てに負おえたものではありませぬ。うっかりしたら、お守役もりやくの私わたくしまでが、あの昂奮こうふんの渦うずの中なかに引ひき込こまれて、徒いたずらに泣ないたり、怨うらんだりすることになったかも知しれませぬ。かたがた私わたくしとしては態わざとさし控ひかえて蔭かげから見守みまもって居いる丈だけにとどめました。結局けっきょくそうした方ほうがあなたの身みの為ためになったのです……。』

問『では今いままでただお姿すがたを見みせないという丈だけで、あなた様さまは私わたくしの狂乱きょうらんの状態じょうたいを蔭かげからすっかり御覧ごらんになっては居おられましたので……。』

答『それはもちろんのことでございます。あなたの一身上いっしんじょうの事柄ことがらは、現世げんせに居おった時ときのことも、又またこちらの世界せかいに移うつってからの事ことも、一切いっさい知しり抜ぬいて居おります。それが守護霊しゅごれいというものの役目やくめで、あなたの生活せいかつは同時どうじに又また大体だいたい私わたくしの生活せいかつでもあったのです。私わたくしの修行しゅぎょうが未熟みじゅくなばかりに、随分ずいぶんあなたにも苦労くろうをさせました……。』

問『まあ勿体もったいないお言葉ことば、そんなに仰おおせられますと私わたくしは穴あなへも入はいりたい思おもいがいたします……。それにしてもあなた様さまは何なんと仰おっしゃる御方おかたで、そしていつ頃ごろの時代じだいに現世げんせにお生うまれ遊あそばされましたか……。』

答『改あらためて名告なのるほどのものではないのですが、斯こうした深ふかい因縁いんねんの絆きずなで結むすばれている上うえからは、一ひと通とおり自分じぶんの素性すじょうを申上もうしあげて置おくことに致いたしましょう。私わたくしはもと京きょうの生うまれ、父ちちは粟屋左兵衞あわやさひょうえと申もうして禁裡きんりに仕つかえたものでございます。私わたくしの名なは佐和子さわこ、二十五歳さいで現世げんせを去さりました。私わたくしの地上ちじょうに居おった頃ころは朝廷ちょうていが南みなみと北きたとの二ふたつに岐わかれ、一方ぽうには新田にった、楠木くすのきなどが控ひかえ、他方たほうには足利あしかがその他た東国とうごくの武士ぶしどもが附つき随したがい、殆ほとんど連日れんじつ戦闘たたかいのない日ひとてもない有様ありさまでした……。私わたくしの父ちちは旗色はたいろの悪わるい南朝方なんちょうがたのもので、従したがって私わたくしどもは生前せいぜんに随分ずいぶん数々かずかずの苦労くろう辛酸しんさんを嘗なめました……。』

問『まあそれはお気きの毒どくなお身みの上うえ……私わたくしの身みに引ひきくらべて、心こころからお察さっし致いたします……。それにしても二十五歳さいで歿なくなられたとの事ことでございますが、それまでずっとお独身ひとりみで……。』

答『独身ひとりみで居おりましたが、それには深ふかい理由わけがあるのです……。実じつは……今更いまさら物語ものがたるのもつらいのですが、私わたくしには幼おさない時ときから許嫁いいなつけの人ひとがありました。そして近ちかい内うちに黄道吉日こうどうきちにちを択えらんで、婚礼こんれいの式しきを挙あげようとしていた際さいに、不図ふと起おこりましたのがあの戦乱せんらん、間まもなく良人おっととなるべき人ひとは戦場せんじょうの露つゆと消きえ、私わたくしの若わかき日ひの楽たのしい夢ゆめは無残むざんにも一朝ちょうにして吹ふき散ちらされて了しまいました……。それからの私わたくしはただ一個この魂たましいの脱ぬけた生いきた骸むくろ……丁度ちょうど蝕むしばまれた花はなの蕾つぼみのしぼむように、次第しだいに元気げんきを失うしなって、二十五の春はるに、さびしくポタリと地面じべたに落おちて了しまったのです。あなたの生涯しょうがいも随分ずいぶんつらい一生しょうではありましたが、それでも私わたくしのにくらぶれば、まだ遥はるかに花はなも実みもあって、どれ丈だけ幸福しあわせだったか知しれませぬ。上うえを見みれば限かぎりもないが、下したを見みればまだ際限さいげんもないのです。何事なにごとも皆みな深ふかい深ふかい因縁いんねんの結果けっかとあきらめて、お互たがいに無益むやくの愚痴ぐぢルビの「ぐぢ」はママなどはこぼさぬことに致いたしましょう。お爺様じいさまの御指導ごしどうのお蔭かげで近頃ちかごろのあなたはよほど立派りっぱにはなりましたが、まだまだあきらめが足たりないように思おもいます。これからは私わたくしもちょいちょい見みまわりにまいり、ともども向上こうじょうを図はかりましょう……。』

その日ひの問答もんどうは大体だいたい斯こんなところで終おわりましたが、斯こうした一人ひとりのやさしい指導者しどうしゃが見みつかったことは、私わたくしにとりて、どれ丈だけの心強こころづよさであったか知しれませぬ。その後ご私わたくしの守護霊しゅごれいは約束やくそくのとおり、しばしば私わたくしの許もとに訪おとずれて、いろいろと有難ありがたい援助たすけを与あたえてくださいました。私わたくしは心こころから私わたくしのやさしい守護霊しゅごれいに感謝かんしゃして居いるものでございます。

十七、第二の修行場

私わたくしの最初さいしょの修行場しゅぎょうば――岩屋いわやの中なかでの物語ものがたりは一ひと先まずこの辺へんでくぎりをつけまして、これから第だい二の山やまの修行場しゅぎょうばの方ほうに移うつることに致いたしましょう。修行場しゅぎょうばの変更へんこうなどと申もうしますと、現世式げんせしきに考かんがえれば、随分ずいぶん億劫おつくうな、何なにやらどさくさした、うるさい仕事しごとのように思おもわれましょうが、こちらの世界せかいの引越ひきこしは至極しごくあっさりしたものでございます。それは場所ばしょの変更へんこうと申もうすよりは、むしろ境涯きょうがいの変更へんこう、又または気分きぶんの変更へんこうと申もうすものかも知しれませぬ。現げんにあの岩屋いわやにしても、最初さいしょは何なにやら薄暗うすぐらい陰鬱いんうつな処ところのように感かんぜられましたが、それがいつとはなしにだんだん明あかるくなって、最後しまいには全然ぜんぜん普通ふつうの明あかるさ、些すこしも穴あなの内部なかという感かんじがしなくなり、それに連つれて私自身わたくしじしんの気持きもちもずっと晴はれやかになり、戸外そとへ出掛でかけて漫歩そぞろあるきでもして見みたいというような風ふうになりました。たしかにこちらでは気分きぶんと境涯きょうがいとがぴッたり一致ちしているもののように感かんぜられます。

ある日ひ私わたくしがいつになく統一とういつの修行しゅぎょうに倦あきて、岩屋いわやの入口いりぐちまで何なんとはなしに歩あゆみ出でた時ときのことでございました。ひょっくりそこへ現あらわれたのが例れいの指導役しどうやくのお爺じいさんでした。――

『そなたは戸外そとへ出でたがっているようじゃナ。』

図星ずぼしをさされて私わたくしは少すこしきまりが悪わるく感かんじました。

『お爺じいさま、何どういうものか今日けふは気きが落付おちつかないで困こまるのでございます……。私わたくしはどこかへ遊あそびに出掛でかけたくなりました。』

『遊あそびに出でたい時ときには出でればよいのじゃ。俺わしがよい場所ばしょへ案内あんないしてあげる……。』

お爺じいさんまでが今日けふはいつもよりも晴々はればれしい面持おももちで誘さそって下くださいますので、私わたくしも大たいへんうれしい気分きぶんになって、お爺じいさんの後あとについて出掛でかけました。

岩屋いわやから少すこし参まいりますと、モーそこはすぐ爪先上つまさきあがりになって、右みぎも左ひだりも、杉すぎや松まつや、その他たの常盤木ときわぎのしんしんと茂しげった、相当そうとう険けわしい山やまでございます。あの、現界げんかいの景色けしきと同一どういつかと仰おつッしゃるか……左様さようでございます。格別かくべつ異ちがっても居おりませぬが、ただ現界げんかいの山やまよりは何なにやら奥深おくぶかく、神かみさびて、ものすごくはないかと感かんじられる位くらいのものでございます。私達わたくしたちの辿たどる小路こみちのすぐ下したは薄暗うすぐらい谿谷たにになって居いて、樹叢しげみの中なかをくぐる水音みずおとが、かすかにさらさらと響ひびいていましたが、気きの故せいか、その水音みずおとまでが何なんとなく沈しずんで聞きこえました。

『モー少すこし行いった所ところに大たいへんに良よい山やまの修行場しゅぎょうばがある。』とお爺じいさんは道々みちみち私わたくしに話はなしかけます。

『多分たぶんそちの気きに入いるであろうと思おもうが、兎とも角かくも一応おう現場げんじょうへ行いって見みるとしようか……。』

『何卒どうぞお願ねがい致いたします……。』

私わたくしはただちょっと見物けんぶつする位くらいのつもりで軽かるく御返答ごへんじをしたのでした。

間まもなく一つの険けわしい坂さかを登のぼりつめると、其処そこはやや平坦へいたんな崖地がけちになっていました。そして四辺あたりにはとても枝えだぶりのよい、見上みあげるような杉すぎの大木たいぼくがぎッしりと立たち並ならんで居ありましたが、その中なかの一番ばん大おおきい老木ろうぼくには注連縄しめなわが張はってあり、そしてその傍かたわらに白木造しらきづくりの、小ちいさい建物たてものがありました。四方しほうを板囲いたがこいにして、僅わずかに正面しょうめんの入口いりぐちのみを残のこし、内部なかは三坪つぼばかりの板敷いたじき、屋根やねは丸味まるみのついたこけら葺ぶき、どこにも装飾そうしょくらしいものはないのですが、ただすべてがいかにも神かむさびて、屋根やねにも、柱はしらにも、古ふるい苔こけが厚あつく蒸むして居おり、それが塵ちり一ひとつなき、飽あくまで浄きよらかな環境かんきょうとしっくり融とけ合あって居おりますので、実じつに何なんともいえぬ落付おちつきがありました。私わたくしは覚おぼえず叫さけびました。

『まァ何なんという結構けっこうな所ところでございましょう! 私わたくし、こんなところで暮くらしとうございます……。』

するとお爺じいさんは満足まんぞくらしい微笑びしょうを老顔ろうがんに湛たたへて、徐おもむろに言いわれました。――

『実じつはここがそちの修行場しゅぎょうばなのじゃ。モー別べつに下したの岩屋いわやに帰かえるにも及およばぬ。早速さっそく内部なかへ入はいって見みるがよい。何なにも彼かも一切さい取とり揃そろえてあるから……。』

私わたくしはうれしくもあれば、また意外いがいでもあり、言いわるるままに急いそいで建物たてものの内部なかへ入はいって見みますと、中央ちゅうおう正面しょうめんの白木しらきの机つくえの上うえには果はたして日頃ひごろ信仰しんこうの目標まとである、例れいの御神鏡みかがみがいつの間まにか据すえられて居おり、そしてその側わきには、私わたくしの母ははの形見かたみの、あのなつかしい懐剣かいけんまでもきちんと載のせられてありました。

私わたくしはわれを忘わすれて御神前ごしんぜんに拝跪はいきして心こころから感謝かんしゃの言葉ことばを述のべたことでございました。

大体だいたいこれが岩屋いわやの修行場しゅぎょうばから山やまの修行場しゅぎょうばへ引越ひきこした時ときの実況じっきょうでございます。現世げんせの方かたから見みれば一片ぺんの夢物語ゆめものがたりのように聴きこえるでございましょうが、そこが現世げんせと幽界ゆうかいとの相違そういなのだから何なんとも致方いたしかたがございませぬ。私わたくしどもとても、幽界ゆうかいに入はいったばかりの当座とうざは、何なにやらすべてがたよりなく、又また飽気あっけなく思おもわれて仕方しかたがなかったもので……。しかしだんだん慣なれて来くると矢張やはりこちらの生活せいかつの方ほうが結構けっこうに感かんじられて来きました。僅わずか半里はんりか一里りの隣となりの村むらに行ゆくのにさえ、やれ従者ともだ、輿物のりものだ、御召換おめしがえだ……、半日はんにちもかかって大騒おおさわぎをせねばならぬような、あんな面倒臭めんどうくさい現世げんせの生活せいかつを送おくりながら、よくも格別かくべつの不平ふへいも言いわずに暮くらせたものである……。私わたくしはだんだんそんな風ふうに感かんずるようになったのでございます。何いずれ、あなた方がたにも、その味あじがやがてお判わかりになる時ときが参まいります……。

十八、竜神の話

山やまの修行場しゅぎょうばへ移うつってからの私わたくしは、何なんとはなしに気分きぶんがよほど晴はれやかになったらしいのが自分じぶんにも感かんぜられました。主おもなる仕事しごとは矢張やはり御神前ごしんぜんに静座せいざして精神統一せいしんとういつをやるのでございますが、ただ合間あいま合間あいまに私わたくしはよく室外そとへ出でて、四辺あたりの景色けしきを眺ながめたり、鳥とりの声こえに耳みみをすませたりするようになりました。

前まえにも申上もうしあげた通とおり、私わたくしの修行場しゅぎょうばの所在地しょざいちは山やまの中腹ちゅうふくの平坦地たいらちで、崖がけの上うえに立たって眺ながめますと、立木たちきの隙間すきまからずっと遠方えんぽうが眼めに入はいり、なかなかの絶景ぜっけいでございます。どこにも平野へいやらしい所ところはなく、見渡みわたすかぎり山やま又また山やま、高たかいのも低ひくいのも、又また色いろの濃こいのも淡うすいのも、いろいろありますが、どれも皆みな樹木じゅもくの茂しげった山やまばかり、尖とがった岩山いわやまなどはただの一ひとつも見みえません。それ等らが十重とえ二十重はたえに重かさなり合あって絵巻物えまきものをくり拡ひろげているところは、全まったく素晴すばらしい眺ながめで、ツイうっとりと見みとれて、時ときの経たつのも忘わすれて了しまう位くらいでございます。

それから又またあちこちの木々きぎの茂しげみの中なかに、何なんともいえぬ美うつくしい鳥とりの音ねが聴きこえます。それは、昔むかし鎌倉かまくらの奥山おくやまでよくきき慣なれた時鳥ほととぎすの声こえに幾分いくぶん似にたところもありますが、しかしそれよりはもッと冴さえて、賑にぎやかで、そして複雑こみいった音色ねいろでございます。ただ一人ひとりの話はなし相手あいてとてもない私わたくしはどれ丈だけこの鳥とりの音ねに慰なぐさめられたか知しれませぬ。どんな種類しゅるいの鳥とりかしらと、或ある時とき念ねんの為ためにお爺じいさんに伺うかがって見みましたら、それはこちらの世界せかいでもよほど珍めずらしい鳥とりで、現界げんかいには全然ぜんぜん棲すんでいないと申もうすことでございました。尤もっとも音色ねいろが美うつくしい割わりに毛並けなみは案外あんがいつまらない鳥とりで、ある時とき不図ふと近ちかくの枝えだにとまっているところを見みると、大おほきさは鳩位はとぐらい、幾分いくぶん現界げんかいの鷹たかに似にて、頚部けいぶに長ながい毛けが生はえていました。幽界ゆうかいの鳥とりでも矢張やはり声こえと毛並けなみとは揃そろわぬものかしらと感心かんしんしたことでございました。

もう一ひとつ爰ここの景色けしきの中なかで特とくに私わたくしの眼めを惹ひいたものは、向むかって右手みぎての山やまの中腹ちゅうふくに、青葉おおばがくれにちらちら見みえる一ひとつの丹塗にぬりのお宮みやでございました。それはホンの三尺じゃく四方ほう位くらいの小ちいさい社やしろなのですが、見渡みわたす限かぎりただ緑みどりの一色ひといろしかない中なかに、そのお宮丈みやだけがくッきりと朱あかく冴さえているので大たいへんに目立めだつのでございます。私わたくしの心こころは次第しだいに、そのお宮みやにひきつけられるようになりました。

で、ある日ひお爺じいさんが見舞みまわれた時とき私わたくしは訊たずねました。――

『お爺じいさま、あそこに大たいそう美うつくしい、丹塗にぬりのお宮みやが見みえますが、あれはどなた様さまをお祀まつりしてあるのでございますか。』

『あれは竜神様りゅうじんさまのお宮みやじゃ。これからは俺わしにばかり依たよらず、直接じかに竜神様りゅうじんさまにもお依たのみするがよい……。』

『竜神様りゅうじんさまでございますか?』私わたくしは大たいへん意外いがいに感かんじまして、

『一体たいそれは何どういう神様かみさまでございますか?』

『そろそろそちも竜神りゅうじんとの深ふかい関係かんけいを知しって置おかねばなるまい。よほど奥深おくふかい事柄ことがらであるから、とても一度どで腑ふには落おちまいが、その中うちだんだん判わかって来くる……。』

お爺じいさんはあたかも寺子屋てらこやのお師匠ししょうさんと言いった面持おももちで、いろいろ講釈こうしゃくをしてくださいました。お爺じいさまは斯こんな風ふうに説とき出だされました。――

『竜神りゅうじんというのは一ひと口くちに言いえば元もとの活神いきがみ、つまり人間にんげんが現世このよに現あらわれる前まえから、こちらの世界せかいで働はたらいている神々かみがみじゃ。時ときとして竜りゅうの姿すがたを現あらわすから竜神りゅうじんには相違そういないが、しかしいつもあんな恐おそろしい姿すがたで居いるのではない。時ときと場合ばあいでやさしい神かみの姿すがたにもなれば、又また一ひとつの丸まるい球たまにもなる。現げんに俺わしなども竜神りゅうじんの一人ひとりであるが、そちの指導役しどうやくとして現あらわれる時ときは、いつも斯このような、老人ろうじんの姿すがたになっている……。ところで、この竜神りゅうじんと人間にんげんとの関係かんけいであるが、人間にんげんの方ほうでは、何なにも知しらずに、最初さいしょから自分じぶん一ひとつの力ちからで生うまれたもののように思おもって居いるが、実じつは人間にんげんは竜神りゅうじんの分霊ぶんれい、つまりその子孫しそんなのじゃ。ただ竜神りゅうじんはどこまでもこちらの世界せかいの者もの、人間にんげんは地ちの世界せかいの者ものであるから、幽ゆうから顕けんへの移うつりかわりの仕事しごとはまことに困難こんなんで、長ながい長ながい歳月としつきを経へて漸ようやくのことでモノになったのじゃ。詳くわしいことは後あとで追々おいおい話はなすとして、兎とに角かく人間にんげんは竜神りゅうじんの子孫しそん、汝そちとても元もとへ溯さかのぼれば、矢張やはりさる尊とうとい竜神様りゅうじんさまの御末裔みすえなのじゃ。これからはよくその事ことを弁わきまえて、あの竜神様りゅうじんさまのお宮みやへお詣まいりせねばならぬ。又また機会おりを見みて竜宮界りゅうぐうかいへも案内あんないし、乙姫様おとひめさまにお目通めどおりをさしてもあげる。』

お爺じいさんのお話はなしは、何なにやらまわりくどいようで、なかなか当時とうじの私わたくしの腑ふに落おち兼かねたことは申もうすまでもありますまい。殊ことにおかしかったのが、竜宮界りゅうぐうかいだの、乙姫様おとひめさまだのと申もうすことで、私わたくしは思おもわず笑わらい出だして了しまいました。――

『まァ竜宮りゅうぐうなどと申もうすものが実際じっさいこの世よにあるのでございますか。――あれは人間にんげんの仮構事つくりごとではないでしょうか……。』

『決けっしてそうではない。』とお爺じいさんは飽あくまで真面目まじめに、『人間界にんげんかいに伝つたわる、あの竜宮りゅうぐうの物語ものがたりは実際じっさいこちらの世界せかいで起おこった事実じじつが、幾分いくぶん尾鰭おひれをつけて面白おもしろおかしくなっているまでじゃ。そもそも竜宮りゅうぐうと申もうすのは、あれは神々かみがみのおくつろぎ遊あそばす所ところ……言いわば人間界にんげんかいの家庭かていの如ごときものじゃ。前まえにものべた通とおり、こちらの世界せかいは造つくりつけの現界げんかいとは異ことなり、場所ばしょも、家屋かおくも、又また姿すがたも、皆みな意思おもいのままにどのようにもかえられる。で、竜宮界りゅうぐうかいのみを竜神りゅうじんの世界せかいと思おもうのは大おおきな間違まちがいで、竜神りゅうじんの働はたらく世界せかいは、他たに限かぎりもなく存在そんざいするのである。が、しかし神々かみがみにとりて何なによりもうれしいのは矢張やはりあの竜宮界りゅうぐうかいである。竜宮界りゅうぐうかいは主おもに乙姫様おとひめさまのお指図さしずで出来上できあがった、家庭的かていてきの理想境りそうきょうなのじゃ。』

『乙姫様おとひめさまと仰おッしゃると……。』

『それは竜宮界りゅうぐうかいで一番ばん上うえの姫神様ひめかみさまで、日本にほんの昔むかしの物語ものがたりに豐玉姫とよたまひめとあるのがつまりその御方おかたじゃ。神々かみがみのお好このみがあるので、他ほかにもさまざまの世界せかいがあちこちに出来できてはいるが、それ等らの中なかで、何なんと申もうしても一番ばん立たち優まさっているのは矢張やはりこの竜宮界りゅうぐうかいじゃ。すべてがいかにも清きよらかで、優雅ゆうがで、そして華美はでな中なかに何なんともいえぬ神々こうごうしいところがある。とても俺わしの口くちで述のべ尽つくせるものではない。そちも成なるべく早はやく修行しゅぎょうを積つんで、実地じっちに竜宮界りゅうぐうかいへ行いって、乙姫様おとひめさまにもお目通めとおりを願ねがうがよい……。』

『私わたくしのようなものにもそれが協かないましょうか……。』

『それは勿論もちろん協かなう……イヤ協かなわねばならぬ深ふかい因縁いんねんがある。何なにを隠かくそう汝そちはもともと乙姫様おとひめさまの系統すじを引ひいているので、そちの竜宮行りゅうぐうゆきは言いわば一種しゅの里帰さとがえりのようなものじゃ……。』

お爺じいさんの述のべる所ところはまだしッくり私わたくしの胸むねにはまりませんでしたが、しかしそれが一ひト方かたならず私わたくしの好奇心こうきしんをそそったのは事実じじつでございました。それからの私わたくしは絶たえず竜宮界りゅうぐうかいの事こと、乙姫様おとひめさまの事ことばかり考かんがえ込こむようになり、私わたくしの幽界生活ゆうかいせいかつに一ひとつの大切たいせつなる転換期てんかんきとなりました。

が、私わたくしの竜宮行りゅうぐうゆきはそれからしばらく過すぎてからの事ことでございました。

十九、竜神の祠

順序じゅんじょとして、これからポツポツ竜宮界りゅうぐうかいのお話はなしを致いたさねばならなくなりましたが、もともと口くちの拙つたない私わたくしが、私わたくしよりももっと口くちの拙つたない女おんなの口くちを使つかって通信つうしんを致いたすのでございますから、さぞすべてがつまらなく、一向こうに多愛たあいのない夢物語ゆめものがたりになって了しまいそうで、それが何なにより気きがかりでございます。と申もうして、この話はなしを省はぶいて了しまえば私わたくしの幽界生活ゆうかいせいかつの記録きろくに大おおきな孔あなが開あくことになって筋道すじみちが立たたなくなるおそれがございます。まあ致方いたしかたがございませぬ、せいぜい気きをつけて、私わたくしの実地じっちに観みたまま、感かんじたままをそっくり申上もうしあげることに致いたしましょう。

ここでちょっと申添もうしそえて置おきたいのは、私わたくしの修行場しゅぎょうばの右手みぎての山やまの半腹はんぷくに在ある、あの小ちいさい竜神りゅうじんの祠やしろのことでございます。私わたくしは竜宮行りゅうぐうゆきをする前まえに、所中しょっちゅうそのお祠やしろへ参拝さんぱいしたのでございますが、それがつまり私わたくしに取とりて竜宮行りゅうぐうゆきの準備じゅんびだったのでございました。私わたくしはそこで乙姫様おとひめさまからいろいろと有難ありがたい教訓おしえやら、お指図さしずやら、又またおやさしい慰なぐさめのお言葉ことばやらを戴いただきました。お蔭かげで私わたくしは自分じぶんでも気きがつくほどめきめきと元気げんきが出でてまいりました。『その様子ようすなら汝そちも近ちかい内うちに乙姫様おとひめさまのお目通めどおりができそうじゃ……。』指導役しどうやくのお爺じいさんもそんなことを言いって私わたくしを励はげましてくださいました。

ここで私わたくしが竜神様りゅうじんさまのお祠やしろへ行いって、いろいろお指図さしずを受うけたなどと申もうしますと、現世げんせの方々かたがたの中なかには何なにやら異様いようにお考かんがえになられる者ものがないとも限かぎりませぬが、それは現世げんせの方々かたがたが、まだ神社じんじゃというものの性質せいしつをよく御存ごぞんじない為ためかと存ぞんじます。お宮みやというものは、あれはただお賽銭さいせんを上あげげて、拍手かしわでを打うって、首かうべを下さげて引ひきさがる為ために出来できている飾物かざりものではないようでございます。赤心まごころ籠こめて一生しょう懸命けんめいに祈願きがんをすれば、それが直ただちに神様かみさまの御胸みむねに通つうじ、同時どうじに神様かみさまからもこれに対たいするお応答こたえが降くだり、時ときとすればありありとそのお姿すがたまでも拝おがませて戴いただけるのでございます……。つまり、すべては魂たましいと魂たましいの交通こうつうを狙ねらったもので、こればかりは実じつに何なんともいえぬほど巧うまい仕組しくみになって居いるのでございます。私わたくしが山やまの修行場しゅぎょうじょうに居おりながら、何どうやら竜宮界りゅうぐうかいの模様もようが少すこしづつ判わかりかけたのも、全まったくこの難有ありがたい神社じんじゃ参拝さんぱいの賜たまものでございました。もちろん地上ちじょうの人間にんげんは肉体にくたいという厄介やっかいなものに包つつまれて居おりますから、いかに神社じんじゃの前まえで精神せいしんの統一とういつをなされても、そう容易よういに神様かみさまとの交通こうつうはできますまいが、私わたくしどものように、肉体にくたいを棄すててこちらの世界せかいへ引越ひきこしたものになりますと、殆ほとんどすべての仕事しごとはこの仕掛しかけのみによりて行おこなわれるのでございます。ナニ人間にんげんの世界せかいにも近頃ちかごろ電話でんわだの、ラヂオだのという、重宝ちょうほうな機械きかいが発明はつめいされたと仰おっしゃるか……それは大たいへん結構けっこうなことでございます。しかしそれなら尚更なおさら私わたくしの申上もうしあげる事ことがよくお判わかりの筈はずで、神社じんじゃの装置そうちもラジオとやらの装置そうちも、理窟りくつは大体だいたい似にたものかも知しれぬ……。

まあ大たいへんつまらぬ事ことを申上もうしあげて了しまいました。では早速さっそくこれから竜宮行りゅうぐうゆきの模様もようをお話はなしさせて戴いただきます……。

二十、竜宮へ鹿島立

こちらの世界せかいの仕事しごとは、何なにをするにも至極しごくあっさりしていまして、すべてが手取てっとり早ばやく運はこばれるのでございますが、それでもいよいよこれから竜宮行りゅうぐうゆきと決きまった時ときには、そこに相当そうとうの準備じゅんびの必要ひつようがありました。何なにより肝要だいじなのは斎戒沐浴さいかいもくよく……つまり心身しんしんを浄きよめる仕事しごとでございます。もちろん私わたくしどもには肉体にくたいはないのでございますから、人間にんげんのように実地じっちに水みずなどをかぶりは致いたしませぬ。ただ水みずをかぶったような清浄せいじょうな気分きぶんになればそれで宜よろしいので、そうすると、いつの間まにか服装みなりまでも、自然しぜんに白衣びゃくいに変かわって居いるのでございます。心こころと姿すがたとがいつもぴったり一致ちするのが、こちらの世界せかいの掟おきてで、人間界にんげんかいのように心こころと姿すがたとを別々べつべつに使つかい分わけることばかりはとてもできないのでございます。

兎とも角かくも私わたくしは白衣びゃくい姿すがたで、先まず御神前ごしんぜんに端坐たんざ祈願きがんし、それからあの竜神様りゅうじんさまのお祠やしろへ詣もうでて、これから竜宮界りゅうぐうかいへ参まいらせて戴いただきますと御報告ごほうこく申上もうしあげました。先方せんぽうから何なんとか返答へんじがあったかと仰おっしゃるか……それは無論むろんありました。『歓よろこんであなたのお出いでをお待まちして居おります……。』とそれはそれは鄭重ていちょうな御挨拶ごあいさつでございました。

竜神様りゅうじんさまのお祠やしろから自分じぶんの修行場しゅぎょうじょうへ戻もどって見みると、もう指導役しどうやくのお爺じいさんが、そこでお待まちになって居おられました。

『準備じゅんびができたらすぐに出掛でかけると致いたそう。俺わしが竜宮りゅうぐうの入口いりくちまで送おくってあげる。それから先さきは汝そち一人ひとりで行ゆくのじゃ。何なにも修行しゅぎょうの為ためである。あまり俺わしに依たよる気きになっては面白おもしろうない……。』

そう言いわれた時ときに、私わたくしは何なにやら少すこし心細こころぼそく感かんじましたが、それでもすぐに気きを取とり直なおして旅たび仕度じたくを整ととのえました。私わたくしのその時ときの旅たび姿すがたでございますか……。それは現世げんせの旅姿たびすがたそのまま、言いわばその写うつしでございます。かねて竜宮界りゅうぐうかいは世よにも奇麗きれいな、華美はでなところと伺うかがって居おりますので、私わたくしもそのつもりになり、白衣びゃくいの上うえに、私わたくしの生前せいぜん一番ばん好すきな色模様いろもようの衣裳いしょうを重かさねました。それは綿わたの入はいった、裾すその厚あついものでございますので、道中どうちゅうは腰こしの所ところで紐ひもで結ゆわえるのでございます。それからもう一ひとつ道中どうちゅう姿すがたに無なくてはならないのが被衣かつぎ……私わたくしは生前せいぜんの好このみで、白しろの被衣かつぎをつけることにしました。履物はきものは厚あつい草履ぞうりでございます。

お爺じいさんは私わたくしの姿すがたを見みて、にこにこしながら『なかなか念ねんの入はいった道中姿どうちゅうすがたじゃナ。乙姫様おとひめさまもこれを御覧ごらんなされたらさぞお歓よろこびになられるであろう。俺わしなどはいつも一張羅ちょうらじゃ……。』

そんな軽口かるくちをきかれて、御自身ごじしんはいつもと同どう一の白衣びゃくいに白しろの頭巾ずきんをかぶり、そして長ながい長ながい一本ぽんの杖つえを持もち、素足すあしに白鼻緒しろはなおの藁草履わらぞうりを穿はいて私わたくしの先さきに立たたれたのでした。序ついでにお爺じいさんの人相書にんそうがきをもう少すこしくわしく申上もうしあげますなら、年齢としの頃ころは凡おおよそ八十位くらい、頭髪とうはつは真白まっしろ、鼻下びかから顎あごにかけてのお髭ひげも真白まっしろ、それから睫毛まつげも矢張やはり雪ゆきのように真白まっしろ……すべて白しろづくめでございます。そしてどちらかと云いへば面長おもながで、眼鼻立めはなだちのよく整ととのった、上品じょうひんな面差おもざしの方ほうでございます。私わたくしはまだ仙人せんにんというものをよく存ぞんじませぬが、若もし本当ほんとうに仙人せんにんがあるとしたら、それは私わたくしの指導役しどうやくのお爺じいさんのような方かたではなかろうかと考かんがえるのでございます。あの方かたばかりはどこからどこまで、きれいに枯かれ切きって、すっかりあくぬけがして居おられます。

山やまの修行場しゅぎょうばを後あとにした私達わたくしたちは、随分ずいぶん長ながい間あいだ険けわしい山道やまみちをば、下したへ下したへ下したへと降くだってまいりました。道みちはお爺じいさんが先さきに立たつて案内あんないして下くださるので、少すこしも心配しんぱいなことはありませぬが、それでもところどころ危あぶなつかしい難所なんしょだと思おもったこともございました。又また道中どうちゅうどこへ参まいりましても例れいの甲高かんだかい霊鳥れいちようの鳴声なきごえが前後ぜんご左右さゆうの樹間このまから雨あめの降ふるように聴きこえました。お爺じいさんはこの鳥とりの声こえがよほどお好すきと見みえて、『こればかりは現界げんかいではきかれぬ声こえじゃ。』と御自慢ごじまんをして居おられました。

漸ようやく山やまを降おり切きったと思おもうと、たちまちそこに一ひとつの大おおきな湖水こすいが現あらわれました。よほど深ふかいものと見みえまして、湛たたえた水みずは藍あいを流ながしたように蒼味あおみを帯おび、水面すいめんには対岸たいがんの鬱蒼うっそうたる森林しんりんの影かげが、くろぐろと映うつって居いました。岸きしはどこもかしこも皆みな割わったような巌いわで、それに松まつ、杉すぎその他たの老木ろうぼくが、大蛇だいじゃのように垂たれ下さがっているところは、風情ふぜいが良よいというよりか、寧むしろもの凄すごく感かんぜられました。

『どうじゃ、この湖水こすいの景色けしきは……汝そちは些ちと気きに入いらんであろうが……。』

『私わたくしはこんな陰気いんきくさい所ところは厭いやでございます。でもここは何なんぞ縁由いわれ のある所ところでございますか?』

『ここはまだ若わかい、下級かきゅうの竜神達りゅうじんたちの修行しゅぎょうの場所ばしょなのじゃ。俺わしは時々ときどき見𢌞みまわりに来くるので、善ようこの池いけの勝手かってを知しっている。何なにも修行しゅぎょうじゃ、汝そちもここでちょっと統一とういつをして見みるがよい。沢山たくさんの竜神達りゅうじんたちの姿すがたが見みえるであろう……。』

あまり良よい気持きもちは致いたしませんでしたが、修行しゅぎょうとあれば辞いなむこともできず、私わたくしはとある巌いわの上うえに坐すわって統一状態とういつじょうたいに入はいって見みますと、果はたして湖水こすいの中なかは肌はだの色いろの黒くろっぽい、あまり品ひんの良よくない竜神りゅうじんさんでぎっしり填つまっていました。角つののあるもの、無ないもの、大おおきなもの、小ちいさなもの、眠ねむっているもの、暴あばれているもの……。初はじめてそんな無気味ぶきみな光景ありさまに接せつした私わたくしは、覚おぼえずびっくりして眼めを開あけて叫さけびました。――

『お爺じいさま、もう沢山たくさんでございます。何どうぞもっと晴はれやかな所ところへお連つれ下くださいませ……。』

二十一、竜宮街道

しばらく湖水こすいの畔へりを伝つたって歩あるいて居いる中うちに、山やまがだんだん低ひくくなり、やがて湖水こすいが尽つきると共ともに山やまも尽つきて、広々ひろびろとした、少すこしうねりのある、明あかるい野原のはらにさしかかりました。私達わたくしたちはその野原のはらを貫つらぬく細道ほそみちをどこまでもどこまでも先さきへ急いそぎました。

やがて前面ぜんめんに、やや小高こだかい砂丘すなやまの斜面しゃめんが現あらわれ、道みちはその頂辺てっぺんの所ところに登のぼって行ゆきます。『何なにやら由井ゆいヶ浜はまらしい景色けしきである……。』私わたくしはそんなことを考かんがえながら、格別かくべつ険けわしくもないその砂丘すなやまを登のぼりつめましたが、さてそこから前面ぜんめんを見渡みわたした時ときに、私わたくしはあまりの絶景ぜっけいに覚おぼえずはっと気息いきづまりました。砂丘すなやまのすぐ真下ましたが、えも言いわれぬ美うつくしい一ひとツの入江いりえになっているのではありませぬか!

刷毛はけで刷はいたような弓ゆみなりになった広ひろい浜はま……のたりのたりと音おともなく岸辺きしべに寄よせる真青まっさおな海うみの水みず……薄絹うすぎぬを拡ひろげたような、はてしもなくつづく浅霞あさかすみ……水みずと空そらとの融とけ合あうあたりにほのぼのと浮うく遠山とおやまの影かげ……それはさながら一幅ぷくの絵巻物えまきものをくりひろげたような、実じつに何なんとも言いえぬ絶景ぜっけいでございました。

明あけても暮くれても、眼めに入いるものはただ山やまばかり、ひたすら修行しゅぎょう三昧ざんまいに永ながい歳月としつきを送おくった私わたくしでございますから、尚更なおさらこの海うみの景色けしきが気きに入いったのでございましょう、しばらくの間あいだ私わたくしは全まったくすべてを打忘うちわすれて、砂丘すなやまの上うえに立たち尽つくして、つくづくと見惚みとれて了しまったのでございました。

『どうじゃ、なかなかの良よい眺ながめであろうが……。』

そう言いわれて私わたくしはやっと自分じぶんに戻もどりました。

『お爺じいさま、わたくし、こんななごやかな、良よい景色けしきは、まだ一度ども見みたためしがございませぬ……。ここは何なんと申もうすところでございますか?』

『これが竜宮界りゅうぐうかいの入口いりぐちなのじゃ。ここから竜宮りゅうぐうはそう遠とおくない……。』

『竜宮りゅうぐうは矢張やはり海うみの底そこにあるのでございますか?』

『イヤイヤあれは例れいによりて人間にんげんどもの勝手かってな仮構事つくりごとじゃ。乙姫様おとひめさまは決けっして魚族さかなの親戚みうちでもなければ又また人魚にんぎょの叔母様おばさまでもない……。が、もともと竜宮りゅうぐうは理想りそうの別世界べっせかいなのであるから、造つくろうと思おもえば海うみの底そこにでも、又またその他ほかの何処どこにでも造つくれる。そこが現世げんせの造つくりつけの世界せかいと大たいへんに異ちがう点てんじゃ……。』

『左様さようでございますか……。』

何なにやらよくは腑ふに落おち兼かねましたが、私わたくしはそう御返答ごへんじするより外ほかに致方いたしかたがないのでした。

『さて』とお爺じいさんは、しばらく経たってから、いと真面目まじめな面持おももちで語かたり出いでました。『俺わしの役目やくめはここまで汝そちを案内あんないすればそれで済すんだので、これから先さきは汝そち一人ひとりで行ゆくのじゃ。あれ、あの入江いりえのほとりから、少すこし左ひだりに外それたところに見みゆる真平まったいらな街道かいどう、あれをどこまでもどこまでも辿たどって行ゆけば、その突つき当あたりがつまり竜宮りゅうぐうで、道みちを間違まちがいえるような心配しんぱいは少すこしもない……。又また竜宮りゅうぐうへ行いってからは、どなたにお目めにかかるか知しれぬが、何いずれにしても、ただ先方せんぽうのお話はなしを伺うかがう丈だけでは面白おもしろうない。気きのついたこと、腑ふに落おちぬことは、少すこしの遠慮えんりょもなく、どしどしお訊たずねせんければ駄目だめであるぞ。すべて神界しんかいの掟おきてとして、こちらの求もとめる丈だけしか教おしえられぬものじゃ。で、何事なにごとも油断ゆだんなく、よくよく心こころの眼まなこを開あけて、乙姫様おとひめさまから愛想あいそをつかされることのないよう心懸こころがけてもらいたい……。では俺わしはこれで帰かえりますぞ……。』

そう言いって、つと立たち上あがったかと思おもうと、もうお爺じいさんの姿すがたはどこにも見みえませんでした。

例れいによりてその飽気あっけなさ加減かげんと言いったらありません。私わたくしはちょっと心こころさびしく感かんじましたが、それはほんの一瞬間しゅんかんのことでございました。私わたくしは斯こんな場合ばあいにいつも肌はだから離はなさぬ、例れいの母ははの紀念かたみの懐剣かいけんを、しっかりと帯おびの間あいだにさし直なおして、急いそいで砂丘すなやまを降おりて、お爺じいさんから教おしえられた通とおり、あの竜宮街道りゅうぐうかいどうを真直まっすぐに進すすんだのでした。

その後ごも私わたくしは幾度いくどとなくこの竜宮街道りゅうぐうかいどうを通とおりましたが、何度なんど通とおって見みても心地ごこちのよいのはこの街道かいどうなのでございます。それは天然てんねんの白砂はくさをば何なにかで程ほどよく固かためたと言いったような、踏ふみ心地ここちで、足触あしざわりの良よさと申もうしたら比類たぐいがありませぬ。そして何所どこに一点てんの塵ちりとてもなく、又また道みちの両側りょうがわに程ほどよく配合あしらった大小だいしょうさまざまの植込うえこみも、実じつに何なんとも申上もうしあげかねるほど奇麗きれいに出来できて居おり、とても現世げんせではこんな素晴すばらしい道路どうろは見みられませぬ。その街道かいどうが何どの位くらい続つづいているかとお訊たずねですか……さァどれ位くらいの道程みちのりかは、ちょっと見当けんとうがつきかねますが、よほど遠とおいこと丈だけは確たしかでございます。街道かいどうの入口いりぐちの辺あたりから前方ぜんぽうを眺ながめても、霞かすみが一帯たいにかかっていて、何なにも眼めに入いりませぬが、しばらく過すぎると有あるか無なきかのように、薄うっすりと山やまの影かげらしいものが現あらわれ、それから又またしばらく過すぎると、何なにやらほんのりと丹塗にぬりの門もんらしいものが眼めに映うつります。その辺へんからでも竜宮りゅうぐうの御殿ごてんまではまだ半里位はんみちくらいはたっぷりあるのでございます……。何分なにぶん絵心えごころも何なにも持もち合あわせない私わたくしの力ちからでは、何なんのとりとめたお話はなしもできないのが、大たいへんに残念ざんねんでございます。あの美うつくしい道中どうちゅうの眺ながめの、せめて十分ぶんの一なりとも皆様みなさまにお伝つたえしたいのでございますが……。

二十二、唐風からふうの御殿

しばらくしてから私わたくしはとうとう竜宮界りゅうぐうかいの御門ごもんの前まえに立たっていましたが、それにしても私わたくしは四辺あたりの光景ありさまがあまりにも現実的げんじつてきなのをむしろ意外いがいに思おもったのでございました。お爺じいさんの御話おはなしから考かんがえて見みましても、竜宮りゅうぐうはドウやら一ひとつの蜃気楼しんきろう、乙姫様おとひめさまの思召おぼしめしでかりそめに造つくり上あげげられる一ひとつの理想りそうの世界せかいらしく思おもわれますのに、実地じっちに当あたって見みますと、それはどこにあぶなげのない、いかにもがッしりとした、正真正銘しょうしんしょうめいの現実げんじつの世界せかいなのでございます。『若もしもこれが蜃気楼しんきろうなら世よの中なかに蜃気楼しんきろうでないものは一ひとつもありはしない……。』私わたくしは心こころの中うちでそう考かんがえたのでございました。

竜宮界りゅうぐうかいの大体だいたいの見みた感かんじでございますが――さァ一ひと口くちに申もうしたら、それはお社やしろと言いうよりかも、寧むしろ一ひとつの大おおきな御殿ごてんと言いった感かんじ、つまり人間味にんげんみが、たっぷりしているのでございます。そして何処どこやらに唐風からふうなところがあります。先まずその御門ごもんでございますが、屋根やねは両端りょうたんが上方うえにしゃくれて、大たいそう光沢つやのある、大型おおがたの立派りっぱな瓦かわらで葺ふいてあります。門柱もんちゅうその他たはすべて丹塗にぬり、別べつに扉とびらはなく、その丸味まるみのついた入口いりぐちからは自由じゆうに門内もんないの模様もようが窺うかがわれます。あたりには別べつに門衛もんえいらしいものも見掛みかけませんでした。

で、私わたくしは思おもい切きってその門もんをくぐって行ゆきましたが、門内もんないは見事みごとな石畳いしだたみの舗道ほどうになって居おり、あたりに塵ちり一ひとつ落おちて居おりませぬ。そして両側りょうがわの広々ひろびろとしたお庭にわには、形かたちの良よい松まつその他たが程ほどよく植うえ込こみになって居おり、奥おくはどこまであるか、ちょっと見当けんとうがつかぬ位くらいでございます。大体だいたいは地上ちじょうの庭園ていえんとさしたる相違そういもございませぬが、ただあんなにも冴さえた草木そうもくの色いろ、あんなにも香かんばしい土つちの匂においは、地上ちじょうの何所どこにも見受みうけることはできませぬ。こればかりは実地じっちに行いって見みるより外ほかに、描えがくべき筆ふでも、語かたるべき言葉ことばもあるまいと考かんがえられます。

御門ごもんから御殿ごてんまではどの位くらいありましょうか、よほど遠とおかったように思おもわれます。御殿ごてんの玄関げんかんは黒塗くろぬりりの大おおきな式台しきだい造づくり、そして上方うえの庇ひさし、柱はしら、長押なげしなどは皆みな眼めのさめるような丹塗にぬり、又また壁かべは白塗しろぬりでございますから、すべての配合はいごうがいかにも華美はでで、明朗ほがらかで、眼めがさめるように感かんじられました。

私わたくしはそこですっかり身みづくろいを直なおしました。むろん心こころでただそう思おもいさえすればそれで宜よろしいので、そうすると今いままでの旅装束たびしょうぞくがその場ばできちんとした謁見おめみえの服装ふくそうに変かわるのでございます。そんな事ことでもできなければ、たッた一人ひとりで、腰元こしもとも連つれずに、竜宮りゅうぐうの乙姫おとひめさまをお訪たずねすることはできはしませぬ。

『御免ごめんくださいませ……。』

私わたくしは思おもい切きってそう案内あんないを乞こいました。すると、年としの頃ころ十五位くらいに見みえる、一人ひとりの可愛かわいらしい小娘こむすめがそこへ現あらわれました。服装ふくそうは筒袖式つつそでしきの桃色ももいろの衣服きもの、頭髪かみを左右さゆうに分わけて、背部うしろの方ほうでくるくるとまるめて居いるところは、何どう見みても御国風みくにふうよりは唐風からふうに近ちかいもので、私わたくしはそれが却かえつって妙みょうに御殿ごてんの構造つくりにしっくりと当あてはまって、大たいへん美うつくしいように感かんぜられました。

『私わたくしは小櫻こざくらと申もうすものでございますが、こちらの奥方おくがたにお目通めどおりをいたし度たく、わざわざお訪たずねいたしました……。』

乙姫様おとひめさまとお呼よび申もうすのも何なにやらおかしく、さりとて神様かみさまの御名みなを申上もうしあぐるのも、何なにやら改あらたまり過すぎるように感かんじられ、ツイうっかり奥方おくがたと申上もうしあげて了しまいました。こちらへ来きても矢張やはり私わたくしには現世時代げんせじだいの呼よび癖くせがついてまわって居いたものと見みえます。それでも取次とりつぎの小娘こむすめには私わたくしの言葉ことばがよく通つうじたらしく、『承知しょうち致いたしました。少々しょうしょうお待まちくださいませ。』と言いって、踵きびすをかえして急いそいで奥おくへ入はいって行ゆきました。

『乙姫様おとひめさまに首尾しゅびよくお目通めどおりが叶かなうかしら……。』

私わたくしは多少たしょうの不安ふあんを感かんじながら玄関げんかん前まえに佇たたずみました。

二十三、豐玉姫と玉依姫

間まもなく以前いぜんの小娘こむすめが再ふたたび現あらわれました。

『何どうぞおあがりくださいませ……。』

言いわれるままに私わたくしは小娘こむすめに導みちびかれて、御殿ごてんの長ながい長ながい廊下ろうかを幾曲いくまがり、ずっと奥おくまれる一ひと間まに案内あんないされました。室へやは十畳じょう許ばかりの青畳あおだたみを敷しきつめた日本間にほんまでございましたが、さりとて日本風にほんふうの白木造しらきづくりでもありませぬ。障子しょうじ、欄間らんま、床柱とこばしらなどは黒塗くろぬりり、又また縁えんの欄干てすり、庇ひさし、その他た造作ぞうさくの一部ぶは丹塗にぬり、と言いった具合ぐあいに、とてもその色彩いろどりが複雑ふくざつで、そして濃艶のうえんなのでございます。又またお床とこの間まには一幅ぷくの女神様めがみさまの掛軸かけじがかかって居おり、その前まえには陶器製とうきせいの竜神りゅうじんの置物おきものが据すえてありました。その竜神りゅうじんが素晴すばらしい勢いきおいで、かっと大おおきな口くちを開あけて居いたのが今いまも眼めの前まえに残のこって居おります。

開あけ放はなった障子しょうじの隙間すきまからはお庭にわもよく見みえましたが、それが又また手数てかずの込こんだ大たいそう立派りっぱな庭園ていえんで、樹草じゅそう泉石せんせきのえも言いわれぬ配合はいごうは、とても筆紙ひっしにつくせませぬ。京きょうの銀閣寺ぎんかくじ、金閣寺きんかくじの庭園ていえんも数奇すきの限かぎりを尽つくした、大たいそう贅沢ぜいたくなものとかねてきき及およんで居おりますので、或ある時とき私わたくしはこちらからのぞいて見みたことがございますが、竜宮界りゅうぐうかいのお庭にわに比くらべるとあれなどはとても段違だんちがいのように見受みうけられました。いかに意匠いしょうをこらしても、矢張やはり現世げんせは現世げんせだけの事ことしかできないものと見みえます……。

ナニそのお室へやで乙姫様おとひめさまにお目めにかかったか、と仰おッしゃるか――ホホホ大たいそうお待まち兼かねでございますこと……。ではお庭にわの話はなしなどはこれで切きり上あげて、早速さっそく乙姫様おとひめさまにお目通めどおりをしたお話はなしに移うつりましょう。――尤もっとも私わたくしがその時ときお目めにかかりましたのは、玉依姫様たまよりひめさまの方ほうで、豐玉姫様とよたまひめさまではございませぬ。申もうすまでもなく竜宮界りゅうぐうかいで第だい一の乙姫様おとひめさまと仰おッしゃるのが豐玉姫様とよたまひめさま、第だい二の乙姫様おとひめさまが玉依姫様たまよりひめさま、つまりこの両方ふたかたは御姉妹ごきょうだいの間柄あいだがらということになって居おるのでございますが、何分なにぶんにも竜宮界りゅうぐうかいの事ことはあまりにも奥おくが深ふかく、私わたくしにもまだ御両方おふたかたの関係かんけいがよく判わかって居おりませぬ。お二人ふたりが果はたして本当ほんとうに御姉妹ごきょうだいの間柄あいだがらなのか、それとも豐玉姫とよたまひめの御分霊ごぶんれいが玉依姫たまよりひめでおありになるのか、何どうもその辺へんがまだ充分じゅうぶん私わたくしの腑ふに落おちないのでございます。ただしそれが何どうあろうとも、この御二方おふたかたが切きっても切きれぬ、深ふかい因縁いんねんの姫神ひめがみであらせられることは確たしかでございます。私わたくしは其その後ご幾度いくたびも竜宮界りゅうぐうかいに参まいり、そして幾度いくたびも御両方おふたかたにお目めにかかって居おりますので、幾分いくぶんその辺へんの事情じじょうには通つうじて居いるつもりでございます。

この豐玉姫様とよたまひめさまと言いわれる御方おかたは、第だい一の乙姫様おとひめさまとして竜宮界りゅうぐうかいを代表だいひょう遊あそばされる、尊とうとい御方おかただけに、矢張やはりどことなく貫禄おもみがございます。何なんとなく、竜宮界りゅうぐうかいの女王様じょうおうさまと言いった御様子ごようすが自然しぜんにお躯からだに備そなわって居おられます。お年齢としは二十七八又または三十位くらいにお見受みうけしますが、もちろん神様かみさまに実際じっさいのお年齢としはありませぬ。ただ私達わたくしたちの眼めにそれ位くらいに拝おがまれるというだけで……。それからお顔かおは、どちらかといえば下しもぶくれの面長おもなが、眼鼻立めはなだちの中うちで何所どこかが特とくに取とり立たてて良よいと申もうすのではなしに、どこもかしこもよく整ととのった、まことに品位ひんいの備そなわった、立派りっぱな御標致ごきりょう、そしてその御物越おんものごしは至いたってしとやか、私わたくしどもがどんな無躾ぶしつけな事柄ことがらを申上もうしあげましても、決けっしてイヤな色いろ一ひとつお見みせにならず、どこまでも親切しんせつに、いろいろと訓おしえてくださいます。その御同情ごどうじょうの深ふかいこと、又またその御気性ごきしょうの素直すなおなことは、どこの世界せかいを捜さがしても、あれ以上いじょうの御方おかたが又またとあろうとは思おもわれませぬ。それでいて、奥おくの方ほうには凛りんとした、大たいそうお強つよいところも自おのずと備そなわっているのでございます。

第だい二の乙姫様おとひめさまの方ほうは、豐玉姫様とよたまひめさまに比くらべて、お年齢としもずっとお若わかく、やっと二十一か二か位くらいに思おもわれます。お顔かおはどちらかといえば円顔まるがお、見みるからに大たいそうお陽気ようきで、お召物めしものなどはいつも思おもい切きった華美造はでつくり、丁度ちょうど桜さくらの花はなが一時じにぱっと咲さき出いでたというような趣おもむきがございます。私わたくしが初はじめてお目めにかかった時ときのお服装なりは、上衣うわぎが白しろの薄物うすもので、それに幾枚いくまいかの色物いろものの下着したぎを襲かさね、帯おびは前まえで結むすんでダラリと垂たれ、その外ほかに幾条いくすじかの、ひらひらした長ながいものを捲まきつけて居おられました。これまで私わたくしどもの知しっている服装ふくそうの中なかでは、一番ばん弁天様べんてんさまのお服装みなりに似にて居いるように思おもわれました。

兎とに角かくこの両方ふたかたは竜宮界りゅうぐうかい切きっての花形はながたであらせられ、お顔かおもお気性きしょうも、何所どこやら共通きょうつうの所ところがあるのでございますが、しかし引ひきつづいて、幾代いくだいかに亘わたりて御分霊ごぶんれいを出だして居おられる中うちには、御性質ごせいしつの相違そういが次第次第しだいしだいに強つよまって行ゆき、末すえの人間界にんげんかいの方ほうでは、豐玉姫系とよたまひめけいと玉依姫系たまよりひめけいとの区別くべつが可かなりはっきりつくようになって居おります。概がいして豐玉姫とよたまひめの系統けいとうを引ひいたものは、あまりはしゃいだところがなく、どちらかといえばしとやかで、引込思案ひっこみじあんでございます。これに反はんして玉依姫系統たまよりひめけいとうの方かたは至いたって陽気ようきで、進すすんで人中ひとなかにも出でかけてまいります。ただ人並ひとなみみすぐれて情義深なさけふかいことは、お両方ふたかたに共通きょうつうの美点みてんで、矢張やはり御姉妹ごきょうだいの血筋ちすじは争あらそわれないように見受みうけられます……。

あれ、又またしても話はなしが側路わきみちへそれて先走さきばしって了しまいました。これから後あとへ戻もどって、私わたくしが初はじめて玉依姫様たまよりひめさまにお目めにかかった時ときの概況がいきょうを申上もうしあげることに致いたしましょう。

二十四、なさけの言葉

先刻さっきも申上もうしあげたとおり、私わたくしは小娘こむすめに導みちびかれて、あの華麗きれいな日本間にほんまに通とおされ、そして薄絹製うすぎぬせいの白しろの座布団ざぶとんを与あたえられて、それへ坐すわったのでございますが、不図ふと自分じぶんの前面まえのところを見みると、そこには別べつに一枚まいの花模様はなもようの厚あつい座布団ざぶとんが敷しいてあるのに気きづきました。『きっと乙姫様おとひめさまがここへお坐すわりなさるのであろう。』――私わたくしはそう思おもいながら、乙姫様おとひめさまに何なんと御挨拶ごあいさつを申上もうしあげてよいか、いろいろと考かんがえ込こんで居おりました。

と、何なにやら人ひとの気配けはいを感かんじましたので頭あたまをあげて見みますと、天てんから降ふったか、地ちから湧わいたか、モーいつの間まにやら一人ひとりの眩まばゆいほど美うつくしいお姫様ひめさまがキチンと設もうけの座布団ざぶとんの上うえにお坐すわりになられて、にこやかに私わたくしの事ことを見守みまもってお出いでなさるのです。私わたくしはこの時ときほどびっくりしたことはめったにございませぬ。私わたくしは急いそいで座布団ざぶとんを外はずして、両手りょうてをついて叩頭おじぎをしたまま、しばらくは何なんと御挨拶ごあいさつの言葉ことばも口くちから出でないのでした。

しかし、玉依姫様たまよりひめさまの方ほうでは何所どこまでも打解うちとけた御様子ごようすで、尊とうとい神様かみさまと申上もうしあげるよりはむしろ高貴こうきの若奥方わかおくがたと言いったお物越ものごしで、いろいろと優やさしいお言葉ことばをかけくださるのでした。――

『あなたが竜宮りゅうぐうへお出いでなさることは、かねてからお通信たよりがありましたので、こちらでもそれを楽たのしみに大たいへんお待まちしていました。今日きょうはわたくしが代かわってお逢あいしますが、この次つぎは姉君様あねぎみさまが是非ぜひお目めにかかるとの仰おおせでございます。何事なにごともすべてお心易こころやすく、一切さいの遠慮えんりょを棄すてて、訊きくべきことは訊きき、語かたるべきことは語かたってもらいます。あなた方がたが地ちの世界せかいに降くだり、いろいろと現界げんかいの苦労くろうをされるのも、つまりは深ふかき神界しんかいのお仕組しくみで、それがわたくし達たちにも又またとなき良よい学問がくもんとなるのです。きけばドウやらあなたの現世げんせの生活せいかつも、なかなか楽らくなものではなかったようで……。』

いかにもしんみりと、溢あふるるばかりの同情どうじょうを以もって、何なにくれと話はなしかけてくださいますので、いつの間まにやら私わたくしの方ほうでも心こころの遠慮えんりょが除とり去さられ、丁度ちょうど現世げんせで親したしい方かたと膝ひざを交まじえて、打解うちとけた気分きぶんでよもやまの物語ものがたりに耽ふけると言いったようなことになりました。帰幽以来きゆういらい何なん十年ねんかになりますが、私わたくしが斯こんな打寛うちくつろいだ、なごやかな気持きもちを味あじわったのは実じつにこの時ときが最初さいしょでございました。

それから私わたくしは問とわれるままに、鎌倉かまくらの実家じっかのこと、嫁入よめいりした三浦家みうらけのこと、北條ほうじょうとの戦闘たたかいのこと、落城後らくじょうごの侘住居わびすまいのことなど、有ありのままにお話はなししました。玉依姫様たまよりひめさまは一々首肯うなづきながら私わたくしの物語ものがたりに熱心ねっしんに耳みみを傾かたむけてくだされ、最後さいごに私わたくしが独ひとりさびしく無念むねんの涙なみだに暮くれながら若わかくて歿なくなったことを申上もうしあげますと、あの美うつくしいお顔かおをばいとど曇くもらせて涙なみださえ浮うかべられました。――

『それはまァお気毒きのどくな……あなたも随分ずいぶんつらい修行しゅぎょうをなさいました……。』

たッた一ひと言ことではございますが、私わたくしはそれをきいて心こころから難有ありがたいと思おもいました。私わたくしの胸むねに積つもり積つもれる多年たねんの鬱憤うっぷんもドウやらその御一言ごいちごんできれいに洗あらい去さられたように思おもいました。

『斯こんなお優やさしい神様かみさまにお逢あいすることができて、自分じぶんは何なんと幸福しあわせな身みの上うえであろう。自分じぶんはこれから修行しゅぎょうを積つんで、斯こんな立派りっぱな神様かみさまのお相手あいてをしてもあまり恥はずかしくないように、一時じも早はやく心こころの垢あかを洗あらい浄きよめねばならない……。』

私わたくしは心こころの底そこで固かたくそう決心けっしんしたのでした。

二十五、竜宮雑話

一ひと通とおり私わたくしの身上噺みのうえばなしが済すんだ時ときに、今度こんどは私わたくしの方ほうから玉依姫様たまよりひめさまにいろいろの事ことをお訊たずねしました。何なにしろ竜宮界りゅうぐうかいの初上はつのぼり、何一なにひとつ弁わきまえてもいない不束者ふつつかもののことでございますから、随分ずいぶんつまらぬ事ことも申上もうしあげ、あちらではさぞ笑止しょうしに思召おぼしめされたことでございましたろう。何なにをお訊たずねしたか、今いまではもう大分だいぶ忘わすれて了しまいましたが、標本みほんのつもりで一ひとつ二ふたつ想おもい出だして見みることに致いたしましょう。

真先まっさきに私わたくしがお訊たずねしたのは浦島太郎うらしまたろうの昔噺むかしばなしのことでございました。――

『人間にんげんの世界せかいには、浦島太郎うらしまたろうという人ひとが竜宮りゅうぐうへ行いって乙姫おとひめさまのお婿様むこさまになったという名高なだかいお伽噺とぎばなしがございますが、あれは実際じっさいあった事柄ことがらなのでございましょうか……。』

すると玉依姫様たまよりひめさまはほほとお笑わらい遊あそばしながら、斯こう訓おしえてくださいました。――

『あの昔噺むかしばなしが事実じじつそのままでないことは申もうすまでもなけれど、さりとて全まったく跡方あとかたもないというのではありませぬ。つまり天津日継あまつひつぎの皇子みこ彦火々出見命様ひこほほでみのみことさまが、姉君あねぎみの御婿君おんむこぎみにならせられた事実じじつを現世げんせの人達ひとたちが漏もれきいて、あんな不思議ふしぎな浦島太郎うらしまたろうのお伽噺とぎばなしに作つくり上あげげたのでございましょう。最後さいごに出でて来くる玉手箱たまてばこの話はなし、あれも事実じじつではありませぬ。別べつにこの竜宮りゅうぐうに開あければ紫むらさきの煙けむりが立たちのぼる、玉手箱たまてばこと申もうすようなものはありませぬ。あなたもよく知しるとおり、神かみの世界せかいはいつまで経たっても、露つゆかわりのない永遠えいえんの世界せかい、彦火々出見命様ひこほほでみのみことさまと豐玉姫様とよたまひめさまは、今いまも昔むかしと同おなじく立派りっぱな御夫婦ごふうふの御間柄おんあいだがらでございます。ただ命様みことさまには天津日継あまつひつぎの大切たいせつな御用ごようがおありになるので、めったに御夫婦ごふうふ揃そろってこの竜宮界りゅうぐうかいにお寛くつろぎ遊あそばすことはありませぬ。現げんに只ただ今いまも命様みことさまには何なにかの御用ごようを帯おびて御出おでましになられ、乙姫様おとひめさまは、ひとりさびしくお不在るすを預あずかって居おられます。そんなところが、あのお伽噺とぎばなしのつらい夫婦ふうふの別離わかれという趣向しゅこうになったのでございましょう……。』

そう言いって玉依姫たまよりひめには心持こころもちお顔かおを赧あかく染そめられました。

それから私わたくしは斯こんな事こともお訊ききしました。――

『斯こうして拝見はいけん致いたしますと竜宮りゅうぐうは、いかにもきれいで、のんきらしく結構けっこうに思おもわれますが、矢張やはり神様かみさまにもいろいろつらい御苦労ごくろうがおありなさるのでございましょう?』

『よい所ところへお気きがついてくれました。』と玉依姫様たまよりひめさまは大たいそうお歓よろこびになってくださいました。

『寛くつろいで他ひとにお逢あいする時ときには、斯こんな奇麗きれいな所ところに住すんで、斯こんな奇麗きれいな姿すがたを見みせて居おれど、わたくし達たちとていつも斯こうしてのみはいないのです。人間にんげんの修行しゅぎょうもなかなか辛つらくはあろうが、竜神りゅうじんの修行しゅぎょうとて、それにまさるとも劣おとるものではありませぬ。現世げんせには現世げんせの執着しゅうじゃくがあり、霊界れいかいには霊界れいかいの苦労くろうがあります。わたくしなどは今いまが修行しゅぎょうの真最中まっさいちゅう、寸時いっときもうかうかと遊あそんでは居おりませぬ。あなたは今いま斯こうしている私わたくしの姿すがたを見みて、ただ一人ひとりのやさしい女性じょせいと思おもうであろうが、実じつはこれは人間にんげんのお客様きゃくさまを迎むかえる時ときの特別とくべつの姿すがた、いつか機会おりがあったら、私わたくしの本当ほんとうの姿すがたをお見みせすることもありましょう。兎とに角かく私達わたくしたちの世界せかいにはなかなか人間にんげんに知しられない、大おおきな苦労くろうがあることをよく覚おぼえていてもらいます。それがだんだん判わかってくれば、現世げんせの人間にんげんもあまり我侭わがままを申まうさぬようになりましょう……。』

こんな真面目まじめなお話はなしをなさる時ときには、玉依姫様たまよりひめさまのあの美うつくしいお顔かおがきりりと引ひきしまって、まともに拝おがむことができないほど神々こうごうしく見みえるのでした。

私わたくしがその日ひ玉依姫様たまよりひめさまから伺うかがったことはまだまだ沢山たくさんございますが、それはいつか別べつの機会きかいにお話はなしすることにして、ただ爰ここで是非ぜひ附つけ加くわえて置おきたいことが一ひとつございます。それは玉依姫たまよりひめの霊統れいとうを受うけた多おおくの女性じょせいの中なかに弟橘姫おとたちばなひめが居おられることでございます。『あの人ひとはわたくしの分霊ぶんれいを受うけて生うまれたものであるが、あれが一ばん名高なだかくなって居おります……。』そう言いわれた時ときには大たいそうお得意とくいの御模様おんもようが見みえていました。

一ひと通とおりおききしたいことをおききしてから、お暇乞いとまごいをいたしますと『又また是非ぜひ何どうぞ近ちかい中うちに……。』という有難ありがたいお言葉ことばを賜たまわりました。私わたくしは心こころから朗ほがらかな気分きぶんになって、再ふたたび例れいの小娘こむすめに導みちびかれて玄関げんかんに立たち出いで、そこからはただ一気きに途中とちゅうを通過つうかして、無事ぶじに自分じぶんの山やまの修行場しゅぎょうばに戻もどりました。

二十六、良人との再会

前回ぜんかいの竜宮行りゅうぐうゆきのお話はなしは何なんとなく自分じぶんにも気乗きのりがいたしましたが、今度こんどはドーも億劫おっくうで、気きおくれがして、成なろうことなら御免ごめんを蒙こうむりたいように感かんじられてなりませぬ。帰幽後きゆうご生前せいぜんの良人おっととの初対面しょたいめんの物語ものがたり……婦女おんなの身みにとりて、これほどの難題なんだいはめったにありませぬ。さればとて、それが話はなしの順序じゅんじょであれば、無理むりに省はぶいて仕舞しまう訳わけにもまいりませず、本当ほんとうに困こまって居いるのでございまして……。ナニ成なるべく詳くわしく有ありのままを話はなせと仰おっしゃるか。そんなことを申まうされると、尚更なおさら談話はなしがし難にくくなって了しまいます。修行未熟しゅぎょうみじゅくな、若わかい夫婦ふうふの幽界ゆうかいに於おける初はじめての会合かいごう――とても他人ひとさまに吹聴ふいちょうするほど立派りっぱなものでないに決きまって居おります。おきき苦ぐるしい点てんは成なるべく発表はっぴょうなさらぬようくれぐれもお依たのみして置おきます……。

いつかも申上もうしあげた通とおり、私わたくしがこちらの世界せかいへ参まいりましたのは、良人おっとよりも一年ねん余あまり遅おくれて居おりました。後あとで伺うかがいますと、私わたくしが死しんだことはすぐ良人おっとの許もとに通知しらせがあったそうでございますが、何分なにぶん当時とうじ良人おっとはきびしい修行しゅぎょうの真最中まっさいちゅうなので、自分じぶんの妻つまが死しんだとて、とてもすぐ逢あいに行ゆくというような、そんな女々めめしい気分きぶんにはなれなかったそうでございます。私わたくしは又また私わたくしで、何なにより案あんじられるのは現世げんせに残のこして置おいた両親りょうしんのことばかり、それに心こころを奪うばわれて、自分じぶんよりも先さきへ死しんで了しまっている良人おっとのことなどはそれほど気きにかからないのでした。『時節じせつが来きたら何いずれ良人おっとにも逢あえるであろう……。』そんな風ふうにあっさり考かんがえていたのでした。

右みぎのような次第しだいで、帰幽後きゆうご随分ずいぶん永ながい間あいだ、私達わたくしたち夫婦ふうふは分わかれ分わかれになったきりでございました。むろん、これがすべての男女だんじょに共通きょうつうのことなのか何どうかは存ぞんじませぬ。これはただ私達わたくしたちがそうであったと申もうす丈だけのことで……。

そうする中うちに私わたくしは岩屋いわやの修行場しゅぎょうばから、山やまの修行場しゅぎょうばに進すすみ、やがて竜宮界りゅうぐうかいの訪問ほうもんも済すんだ頃ころになりますと、私わたくしのような執着しゅうじゃくの強つよい婦女おんなにも、幾分いくぶん安心あんしんができて来きたらしいのが自覚じかくされるようになりました。すると、こちらからは別べつに何なんともお願ねがいした訳わけでも何なんでもないのに、ある日ひ突然とつぜん神様かみさまから良人おっとに逢あわせてやると仰おおせられたのでございます。『そろそろ逢あってもよいであろう。汝そちの良人おっとは汝そちよりもモー少すこし心こころの落付おちつきができて来きたようじゃ……。』指導役しどうやくのお爺じいさんが、いとどまじめくさってそんなことを言いわれるので、私わたくしは気きまりが悪わるくて仕方しかたがなく、覚おぼえず顔かおを真紅まっかに染そめて、一たんはお断ことわりしました。――

『そんなことはいつでも宜よろしうございます。修行しゅぎょうの後戻あともどりがすると大変たいへんでございますから……。』

『イヤイヤ一度どは逢あわせることに、先方むこうの指導霊しどうれいとも手筈はずをきめて置おいてある。良人おっとと逢あった位くらいのことで、すぐ後戻あともどりするような修行しゅぎょうなら、まだとても本物ほんものとは言いわれぬ。斯こんなことをするのも、矢張やはり修行しゅぎょうの一ひとつじゃ。神かみとして無理むりにはすすめぬから、有ありのままに答こたえるがよい。何どうじゃ逢あって見みる気きはないか?』

『それでは、宜よろしきようにお願ねがいいたしまする……。』

とうとう私わたくしはお爺じいさんにそう御返答ごへんとうをして了しまいました。

二十七、会合の場所

私わたくしの修行場しゅぎょうばを少すこし下したへ降おりた山やまの半腹はんぷくに、小こぢんまりとした一ひとつの平地へいちがございます。周囲ぐるりには程ほどよく樹木じゅもくが生はえて、丁度ちょうど置石おきいしのように自然石じねんせきがあちこちにあしらってあり、そして一面めんにふさふさした青苔あおごけがぎっしり敷しきつめられて居いるのです。そこが私達わたくしたち夫婦ふうふの会合かいごうの場所ばしょと決きめられました。

あなたも御承知ごしょうちの通とおり、こちらの世界せかいでは、何なにをやるにも、手間暇間てまひまは要いりません。思おもい立たったが吉日きちじつで、すぐに実行じっこうに移うつされて行ゆきます。

『話はなしが決きまった上うえは、これからすぐに出掛でかけるとしよう……。』

お爺じいさんは眉まゆ一ひとつ動うごかされず、済すまし切きって先さきに立たたれますので、私わたくしも黙だまってその後あとについて出掛でかけましたが、しかし私わたくしの胸むねの裡うちは千々ちぢに砕くだけて、足あしの運はこびが自然しぜん遅おくれ勝がちでございました。

申もうすまでもなく、十幾年いくねんの間あいだ現世げんせで仲なかよく連つれ添そった良人おっとと、久ひさしぶりで再会さいかいするというのでございますから、私わたくしの胸むねには、夫婦ふうふの間あいだならでは味あじわわれぬ、あの一種しゅ特別とくべつのうれしさが急きゅうにこみ上あげて来きたのは事実じじつでございます。すべて人間にんげんというものは死しんだからと言いって、別べつにこの夫婦ふうふの愛情あいじょうに何なんの変かわりがあるものではございませぬ。変かわっているのはただ肉体にくたいの有無うむだけ、そして愛情あいじょうは肉体にくたいの受持うけもちではないらしいのでございます。

が、一方ぽうにかくうれしさがこみあぐると同時どうじに、他方たほうには何なにやら空恐そらおそろしいような感かんじが強つよく胸むねを打うつのでした。何なにしろここは幽界ゆうかい、自分じぶんは今いま修行しゅぎょうの第だい一歩ぽをすませて、現世げんせの執着しゅうじゃくが漸ようやくのことで少すこしばかり薄うすらいだというまでのよくよくの未熟者みじゅくもの、これが幾いく十年ねんぶりかで現世げんせの良人おっとに逢あった時ときに、果はたして心こころの平静へいせいが保たもてるであろうか、果はたして昔むかしの、あの醜みぐるしい愚痴ぐちやら未練みれんやらが首こうべを擡もたげぬであろうか……何どう考かんがえて見みても自分じぶんながら危あぶなッかしく感かんじられてならないのでした。

そうかと思おもうと、私わたくしの胸むねのどこやらには、何なにやら気きまりがわるくてしょうのないところもあるのでした。久ひさし振ぶりで良人おっとと顔かおを合あわせるのも気きまりがわるいが、それよりも一層そう恥はずかしいのは神かみさまの手前てまえでした。あんな素知そしらぬ顔かおをして居おられても、一から十まで人ひとの心こころの中なかを洞察みぬかるる神様かみさま、『この女おんなはまだ大分だいぶ娑婆しゃばの臭くさみが残のこっているナ……。』そう思おもっていられはせぬかと考かんがえると、私わたくしは全まったく穴あなへでも入はいりたいほど恥はずかしくてならないのでした。

それでも予定よていの場所ばしょに着つく頃ころまでには、少すこしは私わたくしの肚はらが据すはってまいりました。『縦令たとえ何事なにごとありとも涙なみだは出だすまい。』――私わたくしは固かたくそう決心けっしんしました。

先方むこうへついて見みると、良人おっとはまだ来きて居おりませんでした。

『まあよかった……。』その時とき私わたくしはそう思おもいました。いよいよとなると、矢張やはりまだ気きおくれがして、少すこしでも時刻じこくを延のばしたいのでした。

お爺じいさんはと見みれば何所どこに風かぜが吹ふくと言いった面持おももちで、ただ黙々もくもくとして、あちらを向むいて景色けしきなどを眺ながめていられました。

二十八、昔語り

良人おっとがいよいよ来着らいちゃくしたのは、それからしばしの後あとで、私わたくしが不図ふと側見わきみをした瞬間しゅんかんに、五十余あまりと見みゆる一人ひとりの神様かみさまに附添つきそわれて、忽然こつぜんとして私わたくしのすぐ前面まえに、ありし日ひの姿すがたを現あらわしたのでした。

『あッ矢張やはり元もとの良人おっとだ……。』

私わたくしは今更いまさらながら生死せいしの境さかいを越こえて、少すこしも変かわっていない良人おっとの姿すがたに驚嘆きょうたんの眼めを見張みはらずにはいられませんでした。服装ふくそうまでも昔むかしながらの好このみで、鼠色ねずみいろの衣裳いしょうに大紋だいもん打うった黒くろの羽織はおり、これに袴はかまをつけて、腰こしにはお定さだまりの大小だいしょう二本ほん、大たいへんにきちんと改あらたまった扮装いでたちなのでした。

これが現世げんせでの出来事できごとだったら、その時とき何なにをしたか知しれませぬが、さすがに神様かみさまの手前てまえ、今更いまさら取とり乱みだしたところを見みられるのが恥はずかしうございますから、私わたくしは一生しょう懸命けんめいになって、平気へいきな素振そぶりをしていました。良人おっとの方ほうでも少すこしも弱味よわみを見みせず、落付おちつき払はらった様子ようすをしていました。

しばし沈黙ちんもくがつづいた後あとで、私わたくしから言葉ことばをかけました。――

『お別わかれしてから随分ずいぶん長ながい歳月としつきを経へましたが、図はからずも今いまここでお目めにかかることができまして、心こころから嬉うれしうございます。』

『全まったく今日こんにちは思おもい懸がけない面会めんかいであった。』と良人おっともやがて武人ぶじんらしい、重おもい口くちを開ひらきました。

『あの折おりは思おもいの外ほかの乱軍らんぐん、訣別わかれの言葉ことば一ひとつかわす隙ひまもなく、あんな事ことになって了しまい、そなたも定さだめし本意ほいないことであったであろう……。それにしてもそなたが、斯こうも早はやくこちらの世界せかいへ来くるとは思おもわなかった。いつまでも安泰あんたいに生いき長ながらえて居いてくれるよう、自分じぶんとしては蔭かげながら祈願きがんしていたのであったが、しかし過すぎ去さったことは今更いまさら何なんとも致方いたしかたがない。すべては運命うんめいとあきらめてくれるよう……。』

飾気かざりけのない良人おっとの言葉ことばを私わたくしは心こころからうれしいと思おもいました。

『昔むかしの事ことはモー何なんとも仰おっしゃってくださいますな。あたにお別わかれしてからの私わたくしは、お墓はか参まいりが何なによりの楽たのしみでございましたが、矢張やはり寿命じゅみょうと見みえて、直じきにお後あとを慕したうことになりました。一時じの間あいだこそ随分ずいぶんくやしいとも、悲かなしいとも思おもいましたが、近頃ちかごろは、ドーやらあきらめがつきました。そして思おもいがけない今日きょうのお目通めどおり、こんなうれしい事ことはございませぬ……。』

かれこれと語かたり合あっている中うちにも、お互たがいの心こころは次第しだい次第しだいに融とけ合あって、さながらあの思出おもいで多おおき三浦みうらの館やかたで、主人あるじと呼よび、妻つまと呼よばれて、楽たのしく起居おきふしを偕ともにした時代じだいの現世げんせらしい気分きぶんが復活ふっかつして来きたのでした。

『いつまで立話たちはなしでもなかろう。その辺へんに腰こしでもかけるとしようか。』

『ほんにそうでございました。丁度ちょうどここに手頃てごろの腰掛こしかけがございます。』

私達わたくしたちは三尺じゃくほど隔へだてて、右みぎと左ひだりに並ならんでいる、木きの切株きりかぶに腰こしをおろしました。そこは監督かんとくの神様達かみさまたちもお気きをきかせて、あちらを向むいて、素知そしらぬ顔かおをして居おられました。

対話はなしはそれからそれへとだんだん滑なめらかになりました。

『あなたは生前せいぜんと少すこしもお変かわりがないばかりか、却かえって少すこしお若わかくなりはしませぬか。』

『まさかそうでもあるまいが、しかしこちらへ来きてから何年なんねん経たっても年齢としを取とらないというところが不思議ふしぎじゃ。』と良人おっとは打笑うちわらい、『それにしてもそなたは些ちと老ふけたように思おもうが……。』

『あなたとお別わかれしてから、いろいろ苦労くろうをしましたので、自然しぜん窶やつれが出でたのでございましょう。』

『それは大たいへん気きの毒どくなことであった。が、斯こうなっては最早もはや苦労くろうのしようもないから、その中うち自然しぜん元気げんきが出でて来くるであろう。早はやくそうなってもらいたい。』

『承知しょうち致いたしました。みっちり修行しゅぎょうを積つんで、昔むかしよりも若々わかわかしくなってお目めにかけます……。』

さして取とりとめのない事柄ことがらでも、斯こうして親したしく語かたり合あって居おりますと、私達わたくしたちの間あいだには言いうに言いわれぬ楽たのしさがこみ上あげて来くるのでした。

二十九、身上話

ここで一ひとつ変かわっているのは、私達わたくしたちが殆ほとんど少すこしも現世時代げんせじだいの思おもい出で話ばなしをしなかったことで、若もしひょっとそれを行やろうとすると、何なにやら口くちが填つまって了しまうように感かんじられるのでした。

で、自然しぜん私達わたくしたちの対話はなしは死しんでから後のちの事柄ことがらに限かぎられることになりました。私わたくしが真先まっさきに訊きいたのは良人おっとの死後しごの自覚じかくの模様もようでした。――

『あなたがこちらでお気きがつかれた時ときはどんな塩梅あんばいでございましたか?』

『俺わしは実じつはそなたの声こえで眼めを覚さましたのじゃ。』と良人おっとはじっと私わたくしを見守みまもり乍ながらポツリポツリ語かたり出だしました。『そなたも知しる通とおり、俺わしは自尽じじんして果はてたのじゃが、この自殺じさつということは神界しんかいの掟おきてとしてはあまりほめたことではないらしく、自殺者じさつしゃは大抵たいてい皆みな一たんは暗くらい所ところへ置おかれるものらしい。俺わしも矢張やはりその仲間なかまで、死しんでからしばらくの間あいだ何事なにごとも知しらずに無我夢中むがむちゅうで日ひを過すごした。尤もっとも俺わしのは、敵てきの手てにかからない為ための、言いわば武士ぶしの作法さほうに協かなった自殺じさつであるから、罪つみは至いたって軽かるかったようで、従したがって無自覚むじかくの期間きかんもそう長ながくはなかったらしい。そうする中うちにある日ひ不図ふとそなたの声こえで名なを呼よばれるように感かんじて眼めを覚さましたのじゃ。後あとで神様かみさまから伺うかがえば、これはそなたの一心しん不乱ふらんの祈願きがんが、首尾しゅびよく俺わしの胸むねに通つうじたものじゃそうで、それと知しった時ときの俺わしのうれしさはどんなであったか……。が、それは別べつの話はなし、あの時ときは何なにをいうにも四辺あたりが真暗まっくらでどうすることもできず、しばらく腕うでを拱こまねいてぼんやり考かんがえ込こんでいるより外ほかに道みちがなかった。が、その中うちうっすりと光明あかりがさして来きて、今日きょう送おくって来きてくだされた、あのお爺じいさんの姿すがたが眼めに映うつった。ドーじゃ、眼めが覚さめたか?――そう言葉ことばをかけられた時ときのうれしさ! 俺わしはてっきり自分じぶんを救すくってくれた恩人おんじんであろうと思おもって、お名前なまえは? と訊たずねると、お爺じいさんはにっこりして、汝そちは最早もはや現世げんせの人間にんげんではない。これから俺わしの申もうすところをきいて、十分ぶんに修行しゅぎょうを積つまねばならぬ。俺わしは産土うぶすなの神かみから遣つかわされた汝そちの指導者しどうしゃである、と申もうしきかされた。その時とき俺わしははっとして、これは最もう愚図愚図ぐずぐずしていられないと思おもった。それから何年なんねんになるか知しれぬが、今いまでは少すこし幽界ゆうかいの修行しゅぎょうも積つみ、明あかるい所ところに一軒けんの家屋かおくを構かまえて住すまわして貰もらっている……。』

私わたくしは良人おっとの素朴そぼくな物語ものがたりを大たいへんな興味きょうみを以もってききました。殊ことに私わたくしの生存中せいぞんちゅうの心こころばかりの祈願きがんが、首尾しゅびよく幽明ゆうめいの境さかいを越こえて良人おっとの自覚じかくのよすがとなったというのが、世よにもうれしい事ことの限かぎりでした。

入いれ代かわって今度こんどは良人おっとの方ほうで、私わたくしの経歴けいれきをききたいということになりました。で、私わたくしは今いま丁度ちょうどあなたに申上もうしあげるように、帰幽後きゆうごのあらましを物語ものがたりました。私わたくしが生いきている時ときから霊視れいしがきくようになり、今いまでは坐すわったままで何なんでも見みえると申もうしますと、『そなたは何なんと便利べんりなものを神様かみさまから授さずかっているであろう!』と良人おっとは大たいへんに驚おどろきました。又また私わたくしがこちらで愛馬あいばに逢あった話はなしをすると、『あの時ときは、そなたの希望きぼうを容いれないで、勝手かってな名前なまえをつけさせて大たいへんに済すまなかった。』と良人おっとは丁寧ていねいに詫わびました。その外ほかさまざまの事ことがありますが、就中なかんづく良人おっとが非常ひじょうに驚おどろきましたのは私わたくしの竜宮行りゅうぐうゆきの物語ものがたりでした。『それは飛とんでもない面白おもしろい話はなしじゃ。ドーもそなたの方ほうが俺わしよりも資格しかくがずっと上うえらしいぞ。俺わしの方ほうが一向こうぼんやりしているのに、そなたはいろいろ不思議ふしぎなことをしている……。』と言いって、大たいそう私わたくしを羨うらやましがりました。私わたくしも少すこし気きの毒どく気味ぎみになり、『すべては霊魂みたまの関係かんけいから役目やくめが異ちがうだけのもので、別べつに上下じょうげの差さがある訳わけではないでしょう。』と慰なぐさめて置おきました。

私達わたくしたちはあまり対話はなしに身みが入はいって、すっかり時刻ときの経たつのも忘わすれていましたが、不図ふと気きがついて見みると何処どこへ行ゆかれたか、二人ふたりの神かみさん達たちの姿すがたはその辺あたりに見当みあたらないのでした。

私達わたくしたちは期きせずして互たがいに眼めと眼めを見合みあわせました。

三十、永遠の愛

思おもい切きって私わたくしはここに懺悔ざんげしますが、四辺あたりに神かみさん達たちの眼めが見張みはっていないと感付かんづいた時ときに、私わたくしの心こころが急きゅうにむらむらとあらぬ方向ほうこうへ引ひきづられて行いったことは事実じじつでございます。

『久ひさしぶりでめぐり合あった夫婦ふうふの仲なかだもの、せめて手ての先尖位さきぐらいは触ふれても見みたい……。』

私わたくしの胸むねはそうした考かんがえで、一ぱいに張はりつめられて了しまいました。

物もの堅がたい良人おっとの方ほうでも、うわべはしきりに耐こらえ耐こらえて居おりながら、頭脳あたまの内部なかは矢張やはりありし昔むかしの幻影げんえいで充みち充みちているのがよく判わかるのでした。

とうとう堪こらえきれなくなって、私わたくしはいつしか切株きりかぶから離はなれ、あたかも磁石じしゃくに引ひかれる鉄片てつきれのように、一歩ぽ良人おっとの方ほうへと近ちかづいたのでございます……。

が、その瞬間しゅんかん、私わたくしは急きゅうに立たち止どまって了しまいました。それは今いままではっきりと眼めに映うつっていた良人おっとの姿すがたが、急きゅうにスーッと消きえかかったのに驚おどかされたからでございます。

『この眼めがどうかしたのかしら……。』

そう思おもって、一歩ぽ退しりぞいて見直みなおしますと、良人おっとは矢張やはり元もとの通とおりはっきりした姿すがたで、切株きりかぶに腰こしかけて居いるのです。

が、再ふたび一歩ぽ前まえへ進すすむと、又またもやすぐに朦朧もうろうと消きえかかる……。

二度ど、三度ど、五度ど、幾度いくたびくりかえしても同おなじことなのです。

いよいよ駄目だめと悟さとった時ときに、私わたくしはわれを忘わすれてその場ばに泣なき伏ふして了しまいました……。

×      ×      ×      ×

『何どうじゃ少すこしは悟さとれたであろうが……。』

私わたくしの肩かたに手てをかけて、そう言いわれる者ものがあるので、びっくりして涙なみだの顔かおをあげて振ふり返かえって見みますと、いつの間まに戻もどられたやら、それは私わたくしの指導役しどうやくのお爺じいさんなのでした。私わたくしはその時とき穴あながあったら入はいりたいように感かんじました。

『最初さいしょから申もうしきかせた通とおり、一度ど逢あった位くらいですぐ後戻あともどりする修行しゅぎょうはまだ本物ほんものとは言いわれない。』とお爺じいさんは私達わたくしたち夫婦ふうふに向むかって諄々じゅんじゅんと説とききかせて下くださるのでした。『汝達そちたちには、姿すがたはあれど、しかしそれは元もとの肉体にくたいとはまるっきり異ちがったものじゃ。強しいて手てと手てを触ふれて見みたところで、何なにやらかさかさとした、丁度ちょうど張子細工はりこざいくのような感かんじがするばかり、そこに現世げんせで味あじわったような甘味うまみも面白味おもしろみもあったものではない。尚なお汝そちは先刻さっき、良人おっとの後あとについて行いって、昔むかしながらの夫婦生活ふうふせいかつでも営いとなみたいように思おもったであろうが……イヤ隠かくしても駄目だめじゃ、神かみの眼まなこはどんなことでも見抜みぬいているから……しかしそんな考かんがえは早はやくすてねばならぬ。もともと二人ふたりの住すむべき境涯きょうがいが異ちがっているのであるから、無理むりにそうした真似まねをしても、それは丁度ちょうど鳥とりと魚うおとが一緒しょに住すまおうとするようなもので、ただお互たがいに苦くるしみを増ますばかりじゃ。そち達たちは矢張やはり離はなれて住すむに限かぎる。――が、俺わしが斯こう申もうすのは、決けっして夫婦間ふうふかんの清きよい愛情あいじょうまでも棄すてよというのではないから、その点てんは取とり違ちがいをせぬように……。陰陽いんようの結むすびは宇宙うちゅう万有ばんゆうの切きっても切きれぬ貴とうとい御法則みのり、いかに高たかい神々かみがみとてもこの約束やくそくからは免まぬがれない。ただその愛情あいじょうはどこまでも浄きよめられて行ゆかねばならぬ。現世げんせの夫婦ふうふなら愛あいと欲よくとの二筋ふたすじで結むすばれるのも止やむを得えぬが、一たん肉体にくたいを離はなれた上うえは、すっかり欲よくからは離はなれて了しまわねばならぬ。そち達たちは今正いままさにその修行しゅぎょうの真最中まっさいちゅう、少すこし位くらいのことは大目おおめに見逃みのがしてもやるが、あまりにそれに走はしったが最後さいご、結局けっきょく幽界ゆうかいの落伍者らくごしゃとして、亡者扱もうじゃあつかいを受うけ、幾いく百年ねん、幾いく千年ねんの逆戻ぎゃくもどりをせねばならぬ。俺達わしたちが受持うけもっている以上いじょう、そち達たちに断だんじてそんな見苦みぐるしい真似まねわさせられぬ。これからそち達たちはどこまでも愛あいし合あってくれ。が、そち達たちはどこまでも浄きよい関係かんけいをつづけてくれ……。』

×      ×      ×      ×

それから少時しばらくの後のち、私達わたくしたちはまるで生うまれ変かわったような、世よにもうれしい、朗ほがらかな気分きぶんになって、右みぎと左ひだりとに袂たもとを別わかったことでございました。

ついでながら、私わたくしと私わたくしの生前せいぜんの良人おっととの関係かんけいは今いまも尚なお依然いぜんとして続つづいて居おり、しかもそれはこのまま永遠えいえんに残のこるのではないかと思おもわれます。が、むろんそれが互たがいに許ゆるし合あった魂たまと魂たまとの浄きよき関係かんけいであることは、改あらためて申上もうしあげるまでもないと存ぞんじます。

三十一、香織女

良人おっととの再会さいかいの模様もようを物語ものがたりました序ついでに、同おなじ頃ころ私わたくしがこちらで面会めんかいを遂とげた二三の人達ひとたちのお話はなしをつづけることに致いたしましょう。縁えんもゆかりもない今いまの世よの人達ひとたちには、さして興味きょうみもあるまいと思おもいますが、私自身わたくしじしんには、なかなか忘わすれられない事柄ことがらだったのでございます。

その一ひとつは私わたくしがまだ実家さとに居いた頃ころ、腰元こしもとのようにして可愛かわいがって居いた、香織かおりという一人ひとりの女性じょせいとの会合かいごうの物語ものがたりでございます。香織かおりは私わたくしよりは年齢としが二つ三つ若わかく、顔立かおだちはあまり良よくもありませぬが、眼元めもとの愛あいくるしい、なかなか悧溌りはつな児こでございました。身元みもとは長谷部某はせべなにがしと呼よぶ出入でいりの徒士かぢルビの「かぢ」はママの、たしか二番目ばんめの娘むすめだったかと覚おぼえて居おります。

私わたくしが三浦みうらへ縁えんづいた時ときに、香織かおりは親元おやもとへ戻もどりましたが、それでも所中しょっちゅう鎌倉かまくらからはるばる私わたくしの所ところへ訪たずねてまいり、そして何年なんねん経たっても私わたくしの事ことを『姫ひいさま姫ひいさま』と呼よんで居おりました。その中うち香織かおりも縁えんあって、鎌倉かまくらに住すんでいる、一人ひとりの侍さむらいの許もとに嫁とつぎ、夫婦仲ふうふなかも大たいそう円満えんまんで、その間あいだに二人ふたりの男おとこの児こが生うまれました。気質きだてのやさしい香織かおりは大たいへんその子供達こどもたちを可愛かわいがって、三浦みうらへまいる時ときは、一緒しょに伴つれて来きたことも幾度いくたびかありました。

そんな事ことはまるで夢ゆめのようで、詳くわしい事ことはすっかり忘わすれましたが、ただ私わたくしが現世げんせを離はなれる前まえに、香織かおりから心こころからの厚あつい看護みとりを受うけた事こと丈だけは、今いまでも深ふかく深ふかく頭脳あたまの底そこに刻きざみつけられて居おります。彼女かのじょは私わたくしの母ははと一緒しょに、例れいの海岸かいがんの私わたくしの隠かくれ家がに詰つめ切きって、それはそれは親身しんみになってよく尽つくしてくれ、私わたくしの病気びょうきが早はやく治なおるようにと、氏神様うじがみさまへ日参にっさんまでしてくれるのでした。

ある日ひなどは病床びょうしょうで香織かおりから頭髪かみを解といて貰もらったこともございました。私わたくしの頭髪かみは大たいへんに沢山たくさんで、日頃ひごろ母ははの自慢じまんの種たねでございましたが、その頃ころはモー床とこに就つき切きりなので、見みる影かげもなくもつれて居いました。香織かおりは櫛くしで解とかしながらも、『折角せっかくこうしてきれいにしてあげても、このままつくねて置おくのが惜おしい。』と言いってさんざんに泣なきました。傍そばで見みていた母ははも、『モー一度ど治なおって、晴衣はれぎを着きせて見みたい……。』と言いって、泣なき伏ふして了しまいました。斯こんな話はなしをしていると、私わたくしの眼めには今いまでもその場ばの光景ありさまが、まざまざと映うつってまいります……。

いよいよ最もう駄目だめと観念かんねんしました時ときに、私わたくしは自分じぶんが日頃ひごろ一ばん大切たいせつにしていた一襲かさねの小袖こそでを、形見かたみとして香織かおりにくれました。香織かおりはそれを両手りょうでにささげ、『たとえお別わかれしても、いつまでもいつまでも姫ひめさまの紀念かたみに大切たいせつに保存ほぞんいたします……。』と言いいながら、声こえも惜おしまず泣なき崩くずれました。が、私わたくしの心こころは、モーその時分じぶんには、思おもいの外ほかに落付おちついて了しまって、現世げんせに別わかれるのがそう悲かなしくもなく、黙だまって眼めを瞑つぶると、却かえって死しんだ良人おっとの顔かおがスーッと眼前がんぜんに現あらわれて来くるのでした。

兎とに角かくこんなにまで深ふかい因縁いんねんのあった女性じょせいでございますから、こちらの世界せかいへ来きても矢張やはり私わたくしのことを忘わすれない筈はずでございます。ある日ひ私わたくしが御神前ごしんぜんで統一とういつの修行しゅぎょうをして居おりますと、急きゅうに躯からだがぶるぶると慓ふるえるように感かんじました。何気なにげなく背後うしろを振ふり返かえって見みると、年としの頃ころやや五十許ばかりと見みゆる一人ひとりの女性じょせいが坐すわって居おりました。それが香織かおりだったのでございます。

三十二、無理な願

『何なにやら昔むかしの香織かおりらしい面影おもかげが残のこって居おれど、それにしては随分ずいぶん老ふけ過すぎている……。』私わたくしが、そう考かんがえて躊躇ちゅうちょして居おりますと、先方むこうでは、さも待まち切きれないと言いった様子ようすで、膝ひざをすり寄よせてまいりました。――

『姫ひいさまわたくしをお忘わすれでございますか……香織かおりでございます……。』

『矢張やはりそうであったか。――私わたくしはそなたがまだ息災そくさいで現世げんせに暮くらして居いるものとばかり思おもっていました。一たいいつ歿なくなったのじゃ……。』

『もう、かれこれ十年ねん位くらいにもなるでございましょう。私わたくしのようなつまらぬものは、とてもこちらで姫ひいさまにお目めにかかれまいとあきらめて居おりましたが、今日きょう図はからずも念願ねんがんがかない、こんなうれしいことはございませぬ。よくまァ御無事ごぶじで……些ちッとも姫ひいさまは往時むかしとお変かわりがございませぬ。お懐なつかしう存ぞんじます……。』現世げんせらしい挨拶あいさつをのべながら、香織かおりはとうとう私わたくしの躯からだにしがみついて、泣なき入いりました。私わたくしもそうされて見みれば、そこは矢張やはり人情にんじょうで、つい一緒しょになって泣ないて了しまいました。

心こころの昂奮たかぶりが一応おう鎮しずまってから、私達わたくしたちの間あいだには四方八方よもやまの物語ものがたりが一ひとしきりはずみました。――

『そなたは一たい、何処どこが悪わるくて歿なくなったのじゃ?』

『腹部おなかの病気びょうきでございました。針はりで刺さされるようにキリキリと毎日まいにち悩なやみつづけた末すえに、とうとうこんなことになりまして……。』

『それは気きの毒どくであったが、何どうしてそなたの死しぬことが、私わたくしの方ほうへ通つうじなかったのであろう……。普通ふつうなら臨終りんじゅうの思念おもいが感かんじて来こない筈はずはないと思おもうが……。』

『それは皆みなわたくしの不心得ふこころえの為ためでございます。』と香織かおりは面目めんぼくなげに語かたるのでした。『日頃ひごろわたくしは、死しねば姫ひいさまの形見かたみの小袖こそでを着きせてもらって、すぐお側そばに行いってお仕つかえするのだなどと、口癖くちぐせのように申もうしていたのでございますが、いざとなってさッぱりそれを忘わすれて了しまったのでございます。どこまでも執着しゅうじゃくの強つよい私わたくしは、自分じぶんの家族みうちのこと、とりわけ二人ふたりの子供こどものことが気きにかかり、なかなか死切しにきれなかったのでございます。こんな心懸こころがけの良よくない女子おなごの臨終りんじゅうの通報しらせが、どうして姫ひいさまのお許もとにとどく筈はずがございましょう。何なにも彼かも皆みな私わたくしが悪わるかった為ためでございます。』

正直者しょうじきものの香織かおりは、涙なみだながらに、臨終りんじゅうに際さいして、自分じぶんの心懸こころがけの悪わるかったことをさんざん詫わびるのでした。しばらくして彼女かのじょは言葉ことばをつづけました。――

『それでもこちらへ来きて、いろいろと神様かみさまからおさとしを受うけたお蔭かげで、わたくしの現世げんせの執着しゅうじゃくも次第しだいに薄うすらぎ、今いまでは修行しゅぎょうも少すこし積つみました。が、それにつれて、日ひましに募つのって来くるのは姫ひいさまをお慕したい申もうす心こころで、こればかりは何どうしても我慢がまんがしきれなくなり、幾度いくど神様かみさまに、逢あわせていただきたいとお依たのみしたか知しれませぬ。でも神かみさまは、まだ早はやい早はやいと仰おおせられ、なかなかお許ゆるしが出でないのでございます。わたくしはあまりのもどかしさに、よくないことと知しりながらもツイ神様かみさまに喰くってかかり、さんざん悪口あくこうを吐ついたことがございました。それでも神様かみさまの方ほうでは、格別かくべつお怒いかりにもならず、内々ないない姫ひいさまのところをお調しらべになって居おられたものと見みえまして、今度こんどいよいよ時節じせつが来きたとなりますと、御自身ごじしんで私わたくしを案内あんないして、連つれて来きて下くだすったのでございます。――姫ひいさま、お願ねがいでございます、これからは、どうぞお側そばにわたくしを置おいてくださいませ。わたくしは、昔むかしのとおり姫ひいさまのお身みのまわりのお世話せわをして上あげたいのでございます……。』

そう言いって香織かおりは又またもや私わたくしに縋すがりつくのでした。

これには私わたくしもほとほと持もちあつかいました。

『神界しんかいの掟おきてとしてそればかりは許ゆるされないのであるが……。』

『それは又また何どういう訳わけでございますか? わたくしは是非ぜひこちらへ置おいて戴いただきたいのでございます。』

『それは現世げんせですることで、こちらの世界せかいでは、そなたも知しる通とおり、衣服きものの着きがえにも、頭髪おぐしの手入ていれにも、少すこしも人手ひとでは要いらぬではないか。それに何なんとも致方いたしかたのないのはそれぞれの霊魂みたまの因縁いんねん、めいめいきちんと割わり当あてられた境涯ところがあるので、たとえ親子おやこ夫婦ふうふの間柄あいだがらでも、自分勝手じぶんかってに同棲どうせいすることはできませぬ。そなたの芳志こころざしはうれしく思おもいますが、こればかりはあきらめてたもれ。逢あおうと思おもえばいつでも逢あえる世界せかいであるから何処どこに住すまなければならぬということはない筈はずじゃ。それほど私わたくしのことを思おもってくれるのなら、そんな我侭わがままを言いうかわりに、みっしり身相応みそうおうの修行しゅぎょうをしてくれるがよい。そして思おもい出だしたらちょいちょい私わたくしの許とこに遊あそびに来きてたもれ……。』

最初さいしょの間あいだ、香織かおりはなかなか腑ふに落おちぬらしい様子ようすをしていましたが、それでも漸ようやくききわけて、尚なおしばらく語かたり合あった上うえで、その日ひは暇いとまを告つげて自分じぶんの所ところへ戻もどって行ゆきました。

今いまでも香織かおりとは絶たえず通信つうしんも致いたしまするし、又またたまには逢あいも致いたします。香織かおりはもうすっかり明あかるい境涯きょうがいに入いり、顔かおなども若返わかがえって、自分じぶんにふさわしい神様かみさまの御用ごようにいそしんで居おります。

三十三、自殺した美女

今度こんどは入いれ代かわって、或ある事情じじょうの為ために自殺じさつを遂とげた一人ひとりの女性にょせいとの会見かいけんのお話はなしを致いたしましょう。少々しょうしょう陰気いんきくさい話はなしで、おききになるに、あまり良よいお気持きもちはしないでございましょうが、斯こう言いった物語ものがたりも現世げんせの方々かたがたに、多少たしょうの御参考ごさんこうにはなろうかと存ぞんじます。

その方かたは生前せいぜん私わたくしと大たいへんに仲なかの良よかったお友達ともだちの一人ひとりで、名前なまえは敦子あつこ……あの敦盛あつもりの敦あつという字じを書かくのでございます。生家せいかは畠山はたけやまと言いって、大たいそう由緒ゆいしょある家柄いえがらでございます。その畠山家はたけやまけの主人あるじと私わたくしの父ちちとが日頃ひごろ別懇べっこんにしていた関係かんけいから、私わたくしと敦子あつこさまとの間あいだも自然しぜん親したしかったのでございます。お年齢としは敦子あつこさまの方ほうが二ふたつばかり下したでございました。

お母かあさまが大たいへんお美うつくしい方かたであった為ため、お母かあさま似にの敦子あつこさまも眼めの覚さめるような御縹緻ごきりょうで、殊ことにその生際はえぎわなどは、慄ふるえつくほどお綺麗きれいでございました。『あんなにお美うつくしい御縹緻ごきりょうに生うまれて敦子あつこさまは本当ほんとうに仕合しあわせだ……。』そう言いってみんなが羨うらやましがったものでございますが、後あとで考かんがえると、この御縹緻ごきりょうが却かえってお身みの仇あだとなったらしく、矢張やはり女おんなは、あまり醜みにくいのも困こまりますが、又またあまり美うつくしいのもどうかと考かんがえられるのでございます。

敦子あつこさまの悩なやみは早はやくも十七八の娘盛むすめざかりから始はじまりました。諸方しょほうから雨あめの降ふるようにかかって来くる縁談えんだん、中なかには随分ずいぶんこれはというのもあったそうでございますが、敦子あつこさまは一ひとつなしに皆みな断ことわって了しまうのでした。これにはむろん訳わけがあったのでございます。親戚しんせきの、幼馴染おさななじみの一人ひとりの若人わこうど……世間せけんによくあることでございますが、敦子あつこさまは早はやくから右みぎの若人わこうどと思おもい思おもわれる仲なかになり、末すえは夫婦めおとと、内々ないない二人ふたりの間あいだに堅かたい約束やくそくができていたのでございました。これが望のぞみどおり円満えんまんに収おさまれば何なんの世話せわはないのでございますが、月つきに浮雲むらくも、花はなに風かぜとやら、何なにか両家りょうけの間あいだに事情じじょうがあって、二人ふたりは何どうあっても一緒しょになることができないのでした。

こんな事ことで、敦子あつこさまの婚期こんきは年ねん一年いちねんと遅おくれて行ゆきました。敦子あつこさまは後のちにはすっかり棄鉢気味やけきみになって、自分じぶんは生涯しょうがい嫁よめには行いかないなどと言いい張はって、ひどく御両親ごりょうしんを困こまらせました。ある日ひ敦子あつこさまが私わたくしの許もとへ訪おとずれましたので、私わたくしからいろいろ言いいきかせてあげたことがございました。『御自分同志ごじぶんどうしが良よいのは結構けっこうであるが、斯こういうことは、矢張やはり御両親ごりょうしんのお許諾ゆるしを得えた方ほうがよい……。』どうせ私わたくしの申もうすことはこんな堅苦かたぐるしい話はなしに決きまって居おります。これをきいて敦子あつこさまは別べつに反対はんたいもしませんでしたが、さりとて又また成なる程ほどと思おもいかえしてくれる模様もようも見みえないのでした。

それでも、その後のち幾年いくねんか経たって、男おとこの方ほうがあきらめて、何所どこからか妻つまを迎むかえた時ときに、敦子あつこさまの方ほうでも我がが折おれたらしく、とうとう両親りょうしんの勧すすめに任まかせて、幕府ばくふへ出仕しゅししている、ある歴々れきれきの武士ぶしの許もとへ嫁とつぐことになりました。それは敦子あつこさまがたしか二十四歳さいの時ときでございました。

縁談えんだんがすっかり整ととのった時ときに、敦子あつこさまは遥はるばる三浦みうらまで御挨拶ごあいさつに来こられました。その時とき私わたくしの良人おっともお目めにかかりましたが、後あとで、『あんな美人びじんを妻つまに持もつ男子だんしはどんなに仕合しあわせなことであろう……。』などと申もうした位くらいに、それはそれは美うつくしい花嫁はなよめ姿すがたでございました。しかし委細いさいの事情じじょうを知しって居いる私わたくしには、あの美うつくしいお顔かおの何所どこやらに潜ひそむ、一種しゅの寂さびしさ……新婚しんこんを歓よろこぶというよりか、寧むしろつらい運命うんめいに、仕方しかたなしに服従ふくじゅうしていると言いったような、やるせなさがどことなく感かんじられるのでした。

兎とも角かくこんな具合ぐあいで、敦子あつこさまは人妻ひとづまとなり、やがて一人ひとりの男おとこの児こが生うまれて、少すくなくとも表面うわべには大たいそう幸福こうふくらしい生活せいかつを送おくっていました。落城後らくじょうご私わたくしがあの諸磯もろいその海辺うみべに佗住居わびずまいをして居いた時分じぶんなどは、何度なんども何度なんども訪おとずれて来きて、何なにかと私わたくしに力ちからをつけてくれました。一度どは、敦子あつこさまと連つれ立だちて、城跡しろあとの、あの良人おっとの墓はかに詣もうでたことがございましたが、その道みちすがら敦子あつこさまが言いわれたことは今いまも私わたくしの記憶きおくに残のこって居おります。――

『一たい恋こいしい人ひとと別わかれるのに、生別いきわかれと死別しにわかれとではどちらがつらいものでしょうか……。事ことによると生別いきわかれの方ほうがつらくはないでしょうか……。あなたの現在げんざいのお身上みのうえもお察さっし致いたしますが、少すこしは私わたくしの身みの上うえも察さっしてくださいませ。私わたくしは一ひとつの生いきた屍しかばね、ただ一人ひとりの可愛かわいい子供こどもがあるばかりに、やっとこの世よに生いきていられるのです。若もしもあの子供こどもがなかったら、私わたくしなどは夙とうの昔むかしに……。』

現世げんせに於おける私わたくしと敦子あつこさまとの関係かんけいは大体だいたいこんなところでお判わかりかと存ぞんじます。

三十四、破れた恋

それから程ほど経へて、敦子あつこさまが死しんだこと丈だけは何なにかの機会おりに私わたくしに判わかりました。が、その時ときはそう深ふかくも心こころにとめず、いつか逢あえるであろう位くらいに軽かるく考かんがえていたのでした。それより又また何年なんねん経たちましたか、或ある日ひ私わたくしが統一とういつの修行しゅぎょうを終おえて、戸外おもてに出でて、四辺あたりの景色けしきを眺ながめて居おりますと、私わたくしの守護霊しゅごれい……この時ときは指導役しどうやくのお爺じいさんでなく、私わたくしの守護霊しゅごれいから、私わたくしに通信つうしんがありました。『ある一人ひとりの女性じょせいが今いまあなたを訪たずねてまいります。年としの頃ころは四十余あまりの、大たいそう美うつくしい方かたでございます。』私わたくしは誰だれかしらと思おもいましたが、『ではお目めにかかりましょう。』とお答こたえしますと、程ほどなく一人ひとりのお爺じいさんの指導霊しどうれいに連つれられて、よく見覚みおぼえのある、あの美うつくしい敦子あつこさまがそこへひょっくりと現あらわれました。

『まァお久ひさしいことでございました。とうとうあなたと、こちらでお会あいすることになりましたか……。』

私わたくしが近ちかづいて、そう言葉ことばをかけましたが、敦子あつこさまは、ただ会釈えしゃくをしたのみで、黙だまって下方したを向むいた切きり、顔かおの色いろなども何所どこやら暗くらいように見みえました。私わたくしはちょっと手持無沙汰てもちぶさたに感かんじました。

すると案内あんないのお爺じいさんが代かわって簡単かんたんに挨拶あいさつしてくれました。――

『この人ひとは、まだ御身おみに引ひき合あわせるのには少すこし早過はやすぎるかとは思おもわれたが、ただ本人ほんにんが是非ぜひ御身おみに逢あいたい、一度ど逢あわせてもらえば、気持きもちが落おちついて、修行しゅぎょうも早はやく進すすむと申もうすので、御身おみの守護霊しゅごれいにも依たのんで、今日きょうわざわざ連つれてまいったような次第しだい……御身おみとは生前せいぜん又またとなく親したしい間柄あいだがらのように聞きき及およんでいるから、いろいろとよく言いいきかせて貰もらいたい……。』

そう言いってお爺じいさんは、そのままプイと帰かえって了しまいました。私わたくしはこれには、何なんぞ深ふかい仔細しさいがあるに相違そういないと思おもいましたので、敦子あつこさまの肩かたに手てをかけてやさしく申もうしました。――

『あなたと私わたくしとは幼おさない時代ときからの親したしい間柄あいだがら……殊ことにあなたが何回なんかいも私わたくしの佗住居わびずまいを訪おとずれていろいろと慰なぐさめてくだされた、あの心尽こころづくしは今いまもうれしい思おもい出での一ひとつとなって居おります。その御恩ごおんがえしというのでもありませぬが、こちらの世界せかいで私わたくしの力ちからに及およぶ限かぎりのことは何なになりとしてあげます。何どうぞすべてを打明うちあけて、あなたの相談相手そうだんあいてにしていただきます。兎とも角かくもこちらへお入はいりくださいませ。ここが私わたくしの修行場しゅぎょうばでございます……。』

敦子あつこさまは最初さいしょはただ泣なき入いるばかり、とても話はなしをするどころではなかったのですが、それでも修行場しゅぎょうばの内部なかへ入はいって、そこの森しんとした、浄きよらかな空気くうきに浸ひたっている中うちに、次第しだいに心こころが落おちついて来きて、ポツリポツリと言葉くちを切きるようになりました。

『あなたは、こんな神聖しんせいな境地ところで立派りっぱな御修行ごしゅぎょう、私わたくしなどはとても段違だんちがいで、あなたの足元あしもとにも寄よりつけはしませぬ……。』

こんな言葉ことばをきっかけに、敦子あつこさまは案外あんがいすらすらと打明話うちあけばなしをすることになりましたが、最初さいしょ想像そうぞうしたとおり、果はたして敦子あつこさまの身みの上うえには、私わたくしの知しっている以上いじょうに、いろいろこみ入いった事情じじょうがあり、そして結局けっきょく飛とんでもない死方しにかた――自殺じさつを遂とげて了しまったのでした。敦子あつこさまは、斯こんな風ふうに語かたり出いでました。――

『生前せいぜんあなたにも、あるところまでお漏もらししたとおり、私達わたくしたち夫婦ふうふの仲なかというものは、うわべとは大たいへんに異ちがい、それはそれは暗くらい、冷つめたいものでございました。最初さいしょの恋こいに破やぶれた私わたくしには、もともと他所よそへ縁えんづく気持きもちなどは少すこしもなかったのでございましたが、ただ老おいた両親りょうしんに苦労くろうをかけては済すまないと思おもったばかりに、死しぬるつもりで躯からだだけは良人おっとにささげましたものの、しかし心こころは少すこしも良人おっとのものではないのでした。愛情あいじょうの伴ともなわぬ冷つめたい夫婦ふうふの間柄あいだがら……他人ひとさまのことは存ぞんじませぬが、私わたくしにとりて、それは、世よにも浅あさましい、つまらないものでございました……。嫁入よめいりしてから、私わたくしは幾度いくたび自害じがいしようとしたか知しれませぬ。わたくしが、それもえせずに、どうやら生いき永ながらえて居おりましたのは、間まもなく私わたくしが身重みおもになった為ためで、つまり私わたくしというものは、ただ子供こどもの母ははとして、惜おしくもないその日ひその日ひを送おくっていたのでございました。』

『こんな冷つめたい妻つまの心こころが、何なんでいつまで良人おっとの胸むねにひびかぬ筈はずがございましょう。ヤケ気味ぎみになった良人おっとはいつしか一人ひとりの側室そばめを置おくことになりました。それからの私達わたくしたちの間あいだには前まえにもまして、一層そう大おおきな溝みぞができて了しまい、夫婦ふうふとはただ名なばかり、心こころと心こころとは千里りもかけ離はなれて居いるのでした。そうする中うちにポックリと、天てんにも地ちにもかけ換がえのない、一粒種ひとつぶだねの愛児あいじに先立さきだたれ、そのまま私わたくしはフラフラと気きがふれたようになって、何なんの前後ぜんごの考かんがえもなく、懐剣かいけんで喉のどを突ついて、一図ずに小供こどもの後あとを追おったのでございました……。』

敦子あつこさまの談話はなしをきいて居おりますと、私わたくしまでが気きが変へんになりそうに感かんぜられました。そして私わたくしには敦子あつこさまのなされたことが、一応おう尤もっともなところもあるが、さて何なにやら、しっくり腑ふに落おちないところもあるように考かんがえられて仕方しかたがないのでした。

三十五、辛い修行

それから引ひきつづいて敦子あつこさまは、こちらの世界せかいに目覚めざめてからの一伍一什いちぶしじゅうを私わたくしに物語ものがたってくれましたが、それは私達わたくしたちのような、月並つきなみな婦女おんなの通とうった路みちとは大たいへんに趣おもむきが異ちがいまして、随分ずいぶん苦労くろうも多おおく、又また変化へんかにも富とんで居いるものでございました。私わたくしは今いまここでその全部ぜんぶをお漏もらしする訳わけにもまいりませんが、せめて現世げんせの方かたに多少たしょう参考さんこうになりそうなところだけは、成なるべく漏もれなくお伝つたえしたいと存ぞんじます。

敦子あつこさまが、こちらで最初さいしょ置おかれた境涯きょうがいは随分ずいぶんみじめなもののようでございました。これが敦子あつこさま御自身ごじしんの言葉ことばでございます。――

『死後しご私わたくしはしばらくは何事なにごとも知しらずに無自覚むじかくで暮くらしました。従したがってその期間あいだがどれ位くらいつづいたか、むろん判わかる筈はずもございませぬ。その中うち不図ふと誰だれかに自分じぶんの名なを呼よばれたように感かんじて眼めを開ひらきましたが、四辺あたりは見渡みわたすかぎり真暗闇まっくらやみ、何なにが何なにやらさっぱり判わからないのでした。それでも私わたくしはすぐに、自分じぶんはモー死しんでいるな、と思おもいました。もともと死しぬる覚悟かくごで居おったのでございますから、死しということは私わたくしには何なんでもないものでございましたが、ただ四辺あたりの暗くらいのにはほとほと弱よわって了しまいました。しかもそれがただの暗くらさとは何なんとなく異ちがうのでございます。例たとえば深ふかい深ふかい穴蔵あなぐらの奥おくと言いったような具合ぐあいで、空気くうきがしっとりと肌はだに冷つめたく感かんじられ、そして暗くらい中なかに、何なにやらうようよ動うごいているものが見みえるのです。それは丁度ちょうど悪夢あくむに襲おそわれているような感かんじで、その無気味ぶきみさと申もうしたら、全まったくお話はなししになりませぬ。そしてよくよく見みつめると、その動うごいて居いるものが、何いずれも皆みな異様いようの人間にんげんなのでございます。――頭髪かみを振ふり乱みだしているもの、身みに一糸しを纏まとわない裸体はだかのもの、血ちみどろに傷きずついて居いるもの……ただの一人ひとりとして満足まんぞくの姿すがたをしたものは居おりませぬ。殊ことに気味きみの悪わるかったのは私わたくしのすぐ傍そばに居おる、一人ひとりの若わかい男おとこで、太ふとい荒縄あらなわで、裸身はだかみをグルグルと捲まかれ、ちっとも身動みうごきができなくされて居おります。すると、そこへ瞋いかりの眥まなじりを釣つり上あげた、一人ひとりの若わかい女おんなが現あらわれて、口惜くやしい口惜くやしいとわめきつづけながら、件くだんの男おとこにとびかかって、頭髪かみを毮むしったり、顔面かおを引ひっかいたり、足あしで蹴けったり、踏ふんだり、とても乱暴らんぼうな真似まねをいたします。私わたくしはその時とき、きっとこの女ひとはこの男おとこの手てにかかって死しんだのであろうと思おもいましたが、兎とに角かくこんな苛責かしゃくの光景ありさまを見みるにつけても、自分じぶんの現世げんせで犯おかした罪悪つみがだんだん怖こはくなってどうにも仕方しかたなくなりました。私わたくしのような強情かたくななものが、ドーやら熱心ねっしんに神様かみさまにお縋すがりする気持きもちになりかけたのは、偏ひとえにこの暗闇くらやみの内部なかの、世よにもものすごい懲戒みせしめの賜たまものでございました……。』

敦子あつこさまの物語ものがたりはまだいろいろありましたが、だんだんきいて見みると、あの方かたが何なにより神様かみさまからお叱しかりを受うけたのは、自殺じさつそのものよりも、むしろそのあまりに強情かたくなな性質せいしつ……一たん斯こうと思おもえば飽あくまでそれを押おし通とうそうとする、我侭わがままな気性きしょうの為ためであったように思おもわれました。敦子あつこさまはこんな事ことも言いいました。――

『私わたくしは生前せいぜん何事なにごとも皆みな気随きずい気侭きままに押おしとおし、自分じぶんの思おもいが協かなわなければこの世よに生甲斐いきがいがないように考かんがえて居おりました。一生しょうの間あいだに私わたくしが自分じぶんの胸むねの中なかを或ある程度ていどまで打明うちあけたのは、あなたお一人位ひとりくらいのもので、両親りょうしんはもとよりその他たの何人なんびとにも相談そうだん一ひとつしたことはございませぬ。これが私わたくしの身みの破滅はめつの基もといだったのでございます。その性質せいしつはこちらの世界せかいへ来きてもなかなか脱ぬけず、御指導ごしどうの神様かみさまに対たいしてさえ、すべてを隠かくそう隠かくそうと致いたしました。すると或時あるとき神様かみさまは、汝そちの胸むねに懐いだいていること位ぐらいは、何なにも彼かもくわしく判わかっているぞ、と仰おおせられて、私わたくしが今いままで極秘ごくひにして居おった、ある一ひとつの事柄ことがら……大概たいがいお察さっしでございましょうが、それをすつぱりと言いい当あてられました。これにはさすがの私わたくしも我慢がまんの角つのを折おり、とうとう一切さいを懺悔ざんげしてお恕ゆるしを願ねがいました。その為ために私わたくしは割合わりあいに早はやくあの地獄じごくのような境地ところから脱ぬけ出でることができました。尤もっとも私わたくしの先祖せんぞの中なかに立派りっぱな善行ぜんこうのものが居おったお蔭かげで、私わたくしの罪つみまでがよほど軽かるくされたと申もうすことで……。何いずれにしても私わたくしのような強情かたくなな者ものは、現世げんせに居おっては人ひとに憎にくまれ、幽界ゆうかいへ来きては地獄じごくに落おとされ、大たいへんに損そんでございます。これにつけて、私わたくしは一ひとつ是非ぜひあなたに折入おりいってお詫わびしなければならぬことがございます。実じつはこのお詫わびをしたいばかりに、今日きょうわざわざ神様かみさまにお依たのみして、つれて来きて戴いただきましたような次第しだいで……。』

敦子あつこさまはそう言いって、私わたくしに膝ひざをすり寄よせました。私わたくしは何事なにごとかしらと、襟えりを正ただしましたが、案外あんがいそれはつまらないことでございました。――

『あなたの方ほうで御記憶ごきおくがあるかドーかは存ぞんじませぬが、ある日ひ私わたくしがお訪たずねして、胸むねの思おもいを打うちあけた時とき、あなたは私わたくしに向むかい、自分同志じぶんどうしが良よいのも結構けっこうだが、斯こういうことは矢張やはり両親りょうしんの許諾ゆるしを得うる方ほうがよい、と仰おっしゃいました。何なにを隠かくしましょう、私わたくしはその時とき、この人ひとには、恋こいする人ひとの、本当ほんとうの気持きもちは判わからないと、心こころの中うちで大たいへんにあなたを軽視みおろしたのでございます。

――しかし、こちらの世界せかいへ来きて、だんだん裏面うらから、人間にんげんの生活せいかつを眺ながめることが、できるようになって見みると、自分じぶんの間違まちがっていたことがよく判わかるようになりました。私わたくしは矢張やはり悪魔あくまに魅みいられて居いたのでございました。――私わたくしは改あらためてここでお詫わびを致いたします。何どうぞ私わたくしの罪つみをお恕ゆるし遊あそばして、元もとのとおりこの不束ふつつかな女おんなを可愛かわいがって、行末ゆくすえかけてお導みちびきくださいますよう……。』

×      ×      ×      ×

この人ひとの一生いっしょうには随分ずいぶん過失あやまちもあったようで、従したがって帰幽後きゆうごの修行しゅぎょうには随分ずいぶんつらいところもありましたが、しかしもともとしっかりした、負まけぬ気性きしょうの方かただけに、一歩一歩いっぽいっぽと首尾しゅびよく難局なんきょくを切きり抜ぬけて行ゆきまして、今いまではすっかり明あかるい境涯きょうがいに達たっして居おります。それでも、どこまでも自分じぶんの過去こしかたをお忘わすれなく、『自分じぶんは他人ひとさまのように立派りっぱな所ところへは出でられない。』と仰おっしゃって、神様かみさまにお願ねがいして、わざと小ちいさな岩窟いわやのような所ところに籠こもって、修行しゅぎょうにいそしんで居おられます。これなどは、むしろ私わたくしどもの良よい亀鑑てほんかと存ぞんじます。

三十六、弟橘姫

あまりに平凡へいぼんな人達ひとたちの噂うわさばかりつづきましたから、その埋合うめあわせという訳わけではございませぬが、今度こんどはわが国くにの歴史れきしにお名前なまえが立派りっぱに残のこっている、一人ひとりの女性じょせいにお目めにかかったお話はなしを致いたしましょう。外ほかでもない、それは大和武尊様やまとたけるのみことさまのお妃きさきの弟橘姫様おとたちばなひめさまでございます……。

私達わたくしたちの間あいだをつなぐ霊的れいてき因縁いんねんは別べつと致いたしましても、不思議ふしぎに在世中ざいせちゅうから私わたくしは弟橘姫様おとたちばなひめさまと浅あさからぬ関係かんけいを有もって居おりました。御存ごぞんじの通とおり姫ひめのお祠やしろは相模さがみの走水はしりみずと申もうすところにあるのですが、あそこは私わたくしの縁えんづいた三浦家みうらけの領地内りょうちないなのでございます。で、三浦家みうらけではいつも社殿しゃでんの修理しゅうりその他たに心こころをくばり、又またお祭まつりでも催もよおされる場合ばあいには、必かならず使者ししゃを立たてて幣帛へいはくを献ささげました。何なににしろ婦女おんなの亀鑑かがみとして世よに知しられた御方おかたの霊場れいじょうなので、三浦家みうらけでも代々だいだいあそこを大切たいせつに取扱とりあつかって居いたらしいのでございます。そして私自身わたくしじしんもたしか在世中ざいせちゅうに何回なんかいか走水はしりみずのお祠やしろに参拝さんぱい致いたしました……。

ナニその時分じぶんの記憶きおくを物語ものがたれと仰おっしゃるか……随分ずいぶん遠とおい遠とおい昔むかしのことで、まるきり夢ゆめのような感かんじがするばかり、とてもまとまったことは想おもい出だせそうもありませぬ。たしか走水はしりみずという所ところは浦賀うらがの入江いりえからさまで遠とおくもない、海うみと山やまとの迫せり合あった狭せまい漁村ぎょそんで、そして姫ひめのお祠やしろは、その村むらの小高こだかい崖がけの半腹はんぷくに建たって居おり、石段いしだんの上うえからは海うみを越こえて上総かずさ房州ぼうしゅうが一ひと目めに見渡みわたされたように覚おぼえて居おります。

そうそういつか私わたくしがお詣まいりしたのは丁度ちょうど春はるの半なかばで、あちこちの山やまや森もりには山桜やまざくらが満開まんかいでございました。走水はしりみずは新井あらいの城しろから三四里りばかりも隔へだった地点ところなので、私わたくしはよく騎馬きばで参まいったのでした。馬うまはもちろん例れいの若月わかつきで、従者じゅうしゃは一人ひとりの腰元こしもとの外ほかに、二三人にんの家来けらいが附ついて行いったのでございます。道みちは三浦みうらの東海岸ひがしかいがんに沿そった街道かいどうで、たしか武山たけやまとか申もうす、可成かなり高たかい一ひとつの山やまの裾すそをめぐって行ゆくのですが、その日ひは折おりよく空そらが晴はれ上あがっていましたので、馬上ばじょうから眺ながむる海うみと山やまとの景色けしきは、まるで絵巻物えまきものをくり拡ひろげたように美うつくしかったことを今いまでも記憶きおくして居おります。全まったくあの三浦みうらの土地とちは、海うみの中なかに突つき出でた半島はんとうだけに、景色けしきにかけては何処どこにもひけは取とりませぬようで……。尤もっともそれは現世げんせでの話はなしでございます。こちらの世界せかいには竜宮界りゅうぐうかいのようなきれいな所ところがありまして、三浦半島みうらはんとうの景色けしきがいかに良よいと申もうしても、とてもくらべものにはなりませぬ。

領主りょうしゅの奥方おくがたが御通過ごつうかというので百姓ひゃくしょうなどは土下座どげざでもしたか、と仰おっしゃるか……ホホまさかそんなことはございませぬ。すれ違ちがう時ときにちょっと道端みちばたに避よけて首くびをさげる丈だけでございます。それすら私わたくしには気きづまりに感かんじられ、ツイ外そとへ出でるのが億劫おっくうで仕方しかたがないのでした。幸さいわいこちらの世界せかいへ参まいってから、その点てんの気苦労きぐろうがすっかりなくなったのは嬉うれしうございますが、しかしこちらの旅たびはあまり、あっけなくて、現世げんせでしたように、ゆるゆると道中どうちゅうの景色けしきを味あじわうような面白味おもしろみはさっぱりありませぬ……。

こんな夢物語ゆめものがたりをいつまで続つづけたとて致方いたしかたがございませぬから、良よい加減かげんに切きり上あげますが、兎とに角かく弟橘姫様おとたちばなひめさまに対たいする敬慕けいぼの念ねんは在世中ざいせちゅうから深ふかく深ふかく私わたくしの胸むねに宿やどって居いたことは事実じじつでございました。『尊みことのお身代みがわりとして入水にゅうすいされた時ときの姫ひめのお心持こころもちはどんなであったろう……。』祠前しぜんに額ぬかづいて昔むかしを偲しのぶ時ときに、私わたくしの両眼りょうがんからは熱あつい涙なみだがとめどなく流ながれ落おちるのでした。

ところがいつか竜宮界りゅうぐうかいを訪おとずれた時ときに、この弟橘姫様おとたちばなひめさまが玉依姫様たまよりひめさまの末裔みすえ――御分霊ごぶんれいを受うけた御方おかたであると伺うかがいましたので、私わたくしの姫ひめをお慕したい申もうす心こころは一層いっそう強つよまってまいりました。『是非ぜひとも、一度いちどお目めにかかって、いろいろお話はなしを承うけたまわり、又またお力添ちからぞえを願ねがわねばならぬ……。』――そう考かんがえると矢やも楯たてもたまらぬようになり、とうとうその旨むねを竜宮界りゅうぐうかいにお願ねがいすると、竜宮界りゅうぐうかいでも大たいそう歓よろこばれ、すぐその手続てつづきをしてくださいました。

私わたくしがこちらで弟橘姫様おとたちばなひめさまにお目通めどおりすることになったのはこんな事情じじょうからでございます。

三十七、初対面

竜宮界りゅうぐうかいからかねて詳くわしい指図さしずを受うけて居おりましたので、その時ときの私わたくしは思おもい切きってたった一人ひとりで出掛でかけました。初対面しょたいめんのこと故ゆえ、服装ふくそうなども失礼しつれいにならぬよう、日頃ひごろ好このみの礼装れいそうに、例れいの被衣かつぎを羽織はおりました。

ヅーッと何処どこまでもつづく山路やまじ……大たいへん高たかい峠とうげにかかったかと思おもうと、今度こんどは降くだり坂ざかになり、右みぎに左ひだりにくねくねとつづらに折おれて、時ときに樹木じゅもくの間あいだから蒼あおい海原うなばらがのぞきます。やがて行ゆきついた所ところはそそり立だつ大おおきな巌いわと巌いわとの間あいだを刳えぐりとったような狭せまい峡路はざまで、その奥おくが深ふかい深ふかい洞窟どうくつになって居おります。そこが弟橘姫様おとたちばなひめさまの日頃ひごろお好このみの御修行場ごしゅぎょうばで、洞窟どうくつの入口いりぐちにはチャーンと注連縄しめが張はられて居おりました。むろん橘姫様たちばなひめさまはいつもここばかりに引籠ひきこもって居おられるのではないのです。現世げんせに立派りっぱなお祠やしろがあるとおり、こちらの世界せかいにも矢張やはりそう言いったものがあり、御用ごようがあればすぐそちらへお出でましになられるそうで……。

『御免遊ごめんあそばしませ……。』

口くちにこそ出だしませんが、私わたくしは心こころでそう思おもって、会釈えしゃくして洞窟いわやの内部なかへ歩あゆみ入いりますと、早はやくもそれと察さっして奥おくの方かたからお出でましになられたのは、私わたくしが年来ねんらいお慕したい申もうしていた弟橘姫様おとたちばなひめさまでございました。打うち見みるところお年齢としはやっと二十四五、小柄こがらで細面ほそおもての、大たいそう美うつくしい御縹緻ごきりょうでございますが、どちらかといえば少すこし沈しずんだ方ほうで、きりりとやや釣つり気味ぎみの眼元めもとには、すぐれた御気性ごきしょうがよく伺うかがわれました。御召物おめしものは、これは又また私わたくしどもの服装ふくそうとはよほど異ちがいまして、上衣うわぎはやや広ひろい筒袖つつそでで、色合いろあいは紫むらさきがかって居おりました、下衣したぎは白地しろじで、上衣うわぎより二三寸ずん下したに延のび、それには袴はかまのように襞ひだが取とってありました。頭髪おぐしは頭あたまの頂辺てっぺんで輪わを造つくったもので、ここにも古代こだいらしい匂においが充分じゅうぶんに漂ただよって居おりました。又またお履物はきものは黒塗くろぬりりの靴くつ見みたいなものですが、それは木きの皮かわか何なんぞで編あんだものらしく、そう重おもそうには見みえませんでした……。

『私わたくしは斯こういうものでございますが、現世げんせに居おりました時ときから深ふかくあなた様さまをお慕したい申もうし、殊ことに先日せんじつ乙姫おとひめさまから委細いさいを承うけたまわりましてから、一層いっそうお懐なつかしく、是非ぜひ一度いちどお目通めどおりを願ねがわずには居いられなくなりました、一向いっこう何事なにごとも弁わきまえぬ不束者ふつつかものでございますが、これからは末長すえながくお教おしえを受うけさせて戴いただきとう存ぞんじまする……。』

『かねて乙姫様おとひめさまからのお言葉ことばにより、あなたのお出いでを心待こころまちにお待まち申もうして居おりました。』とあちら様さまでも大たいそう歓よろこんで私わたくしを迎むかえてくださいました。『自分じぶんとて、ただ少すこし早はやくこちらの世界せかいへ引移ひきうつったという丈だけ、これからはともどもに手てを引ひき合あって、修行しゅぎょうすることに致いたしましょう。何どうぞこちらへ……。』

その口数くちかずの少すくない、控ひかえ目めな物ものごしが、私わたくしには何なにより有難ありがたく思おもわれました。『矢張やはり歴史れきしに名高なだかい御方おかただけのことがある。』私わたくしは心こころの中なかで独ひとりそう感心かんしんしながら、誘さそわるるままに岩屋いわやの奥深おくふかく進すすみ入いりました。

私わたくし自身じしんも山やまの修行場しゅぎょうばへ移うつるまでは、矢張やはり岩屋いわや住ずまいをいたしましたが、しかし、ここはずっと大おおがかりに出来できた岩屋いわやで、両側りょうがわも天井てんじょうももの凄すごいほどギザギザした荒削あらけずりの巌いわになって居いました。しかし外面おもてから見みたのとは違ちがって、内部なかはちっとも暗くらいことはなく、ほんのりといかにも落付おちついた光ひかりが、室へや全体ぜんたいに漲みなぎって居おりました。『これなら精神統一せいしんとういつがうまくできるに相違そういない。』餅屋もちやは餅屋もちやと申もうしますか、私わたくしは矢張やはりそんなことを考かんがえるのでした。

ものの二丁ちょうばかりも進すすんだ所ところが姫ひめの御修行ごしゅぎょうの場所ばしょで、床一面ゆかいちめんに何なにやらふわっとした、柔やわらかい敷物しきものが敷しきつめられて居おり、そして正面しょうめんの棚たな見みたいにできた凹所くぼみが神床かんどこで、一ひとつの円まるい御神鏡ごしんきょうがキチンと据すえられて居いるばかり、他ほかには何一なにひとつ装飾そうしょくらしいものは見当みあたりませんでした。

私達わたくしたちは神床かんどこの前面ぜんめんに、左ひだりと右みぎに向むき合あって座ざを占しめました。その頃ころの私わたくしは最もう大分だいぶん幽界ゆうかいの生活せいかつに慣なれて来きていましたものの、兎とに角かく自分じぶんより千年せんねんあまりも以前いぜんに帰幽きゆうせられた、史上しじょうに名高なだかい御方おかたと斯こうして膝ひざを交まじえて親したしく物語ものがたるのかと思おもうと、何なにやら夢ゆめでも見みて居いるように感かんじられて仕方しかたがないのでした。

三十八、姫の生立

私達わたくしたちの間あいだには、それからそれへと、物語ものがたりがとめどなくはずみました。霊みたまの因縁いんえんと申もうすものはまことに不思議ふしぎな力ちからを有もっているものらしく、これが初対面しょたいめんであり乍ながら、相互おたがいの間あいだの隔へだての籬かきはきれいに除とり去さられ、さながら血ちを分わけた姉妹きょうだいのように、何なにも彼かもすっかり心こころの底そこを打うち明あけたのでございました。

私わたくしというものは御覧ごらんの通とおり何なんの取柄とりえもない、短みじかい生涯しょうがいを送おくったものでございますが、それでも弟橘姫様おとたちばなひめさまは私わたくしの現世時代げんせじだいの浮沈うきしずみに対たいして心こころからの同情どうじょうを寄よせて、親身しんみになってきいてくださいました。『あなたも随分ずいぶん苦労くろうをなさいました……。』そう言いって、私わたくしの手てを執とって涙なみだを流ながされた時ときは、私わたくしは忝かたじけないやら、難有ありがたいやらで胸むねが一いっぱいになり、われを忘わすれて姫ひめの御膝おひざに縋すがりついて了しまいました。

が、そんな話はなしはただ私わたくしだけのことで、あなた方がたには格別かくべつ面白おもしろくも、又またおかしくもございますまいが、ただ其折そのおり弟橘姫様おとたちばなひめさま御自身ごじしんの口くちづから漏もらされた遠とおき昔むかしの思おもい出で話ばなし――これはせめてその一端いったんなりとここでお伝つたえして置おきたいと存ぞんじます。何なににしろ日本にほんの歴史れきしを飾かざる第一だいいちの花形はながたといえば、女性じょせいでは弟橘姫様おとたちばなひめさま、又また男性だんせいでは大和武尊様やまとたけるのみことさまでございます。このお二人ふたりにからまる事蹟じせきが少すこしでも現世げんせの人達ひとたちに伝つたわることになれば、私わたくしの拙つたなき通信つうしんにも初はじめて幾いくらかの意義いぎが加くわわる訳わけでごさいます。私わたくしにとりてこんな冥加至極みょうがしごくなことはございませぬ。尤もっとも私わたくしの申上もうしあぐるところが果はたして日本にほんの古ふるい書物しょもつに載のせてあることと合あっているか、いないか、それは私わたくしにはさっぱり判わかりませぬ。私わたくしはただ自分じぶんが伺うかがいましたままをお伝つたえする丈だけでございますから、その点てんはよくよくお含ふくみの上うえで取拾しゅしゃして戴いただき度とう存ぞんじます。

それからもう一ひとつ爰ここでくれぐれもお断ことわりして置おきたいのは、私わたくしがお取次とりつぎすることが、決けっして姫ひめ御自身ごじしんのお言葉ことばそのままでなく、ただ意味いみだけを伝つたえることでございます。当時とうじの言語ことばは含蓄がんちくが深ふかいと申もうしますか、そのままではとても私わたくしどもの腑ふに落おちかぬるところがあり、私わたくしとしては、不躾ぶしつけと知しりつつも、何度なんども何度なんども問といかえして、やっとここまで取とりまとめたのでございます。で、多少たしょうは私わたくしのきき損そこね、思おもい違ちがいがないとも限かぎりませぬから、その点てんも何卒なにとぞ充分じゅうぶんにお含ふくみ下くださいますよう……。

『あなた様さまの御生立おんおいたちを伺うかがわして戴いただき度とう存ぞんじまするが……。』

機会きかいを見みて私わたくしはそう切きり出だしました。すると姫ひめはしばらく凝乎じっと考かんがえ込こまれ、それから漸ようやく唇くちびるを開ひらかれたのでございました。――

『いかにも遠とおい昔むかしのこと、所ところの名なも人ひとの名なも、急きゅうには胸むねに浮うかびませぬ。――私わたくしの生うまれたところは安芸あきの国府こくふ、父ちちは安藝淵眞佐臣あきぶちまさをみ……代々だいだいこの国くにの司つかさを承うけたまわって居おりました。尤もっとも父ちちは時ときの帝みかどから召めし出いだされ、いつもお側そばに仕つかえる身みとて、一年いちねんの大部だいぶは不在勝るすがち、国元くにもとにはただ女おんな小供こどもが残のこって居いるばかりでございました……。』

『御ごきょうだいもおありでございましたか。』

『自分じぶんは三人さんにんのきょうだいの中なかの頭かしら、他ほかは皆みな男子おとこでございました。』

『いつもお国元くにもとのみにお暮くらしでございましたか?』

『そうのみとも限かぎりませぬ。偶たまには父ちちのお伴ともをして大和やまとにのぼり、帝みかどのお目通めどおりをいたしたこともございます……。』

『アノ大和武尊様やまとたけるのみことさまとも矢張やはり大和やまとの方ほうでお目めにかかられたのでございまするか?』

『そうではありませぬ……。国元くにもとの館やかたで初はじめてお目めにかかりました……。』

山間さんかんの湖水こすいのように澄すみ切きった、気高けだかい姫ひめのお顔かおにも、さすがにこの時ときは情思こころの動うごきが薄うすい紅葉もみじとなって散ちりました。私わたくしは構かまわず問といつづけました。――

『何卒なにとぞその時ときの御模様おんもようをもう少すこしくわしく伺うかがわせていただく訳わけにはまいりますまいか? あれほどまでに深ふかい深ふかい夫婦めおとの御縁ごえんが、ただかりそめの事ことで結むすばれる筈はずはないと存ぞんじますが……。』

『さァ……何所どこから話はなしの糸口いとぐちを手繰たぐり出だしてよいやら……。』

姫ひめはしばらくさし俯うづむいて考かんがえ込こんで居おられましたが、その中うち次第しだいにその堅かたい唇くちびるが少すこしづつ綻ほころびてまいりました。お話はなしの前後ぜんごをつづり合あわせると、大体だいたいそれは次つぎのような次第しだいでございました……。

三十九、見合い

それはたしかに、ある年としの夏なつの初はじめ、館やかたの森もりに蝉時雨せみしぐれが早瀬はやせを走はしる水みずのように、喧かまびずしく聞きこえている、暑あつい真昼過まひるすぎのことであったと申もうします――館やかたの内部うちは降ふって湧わいたような不時ふじの来客らいきゃくに、午睡ひるねする人達ひとたちもあわててとび起おき、上うえを下したへの大騒おおさわぎを演えんじたのも道理どうり、その来客らいきゃくと申もうすのは、誰だれあろう、時ときの帝みかどの珍うずの皇子みこ、当時とうじ筑紫路つくしじから出雲路いずもじにかけて御巡遊中ごじゅんゆうちゅうの小碓命様おうすのみことさまなのでございました。御随行おともの人数にんずは凡およそ五六十人にん、いずれも命みことの直属ちょくぞくの屈強くっきょうの武人つわものばかりでございました。序ついでにちょっと附つけ加くわえて置おきますが、その頃ころ命みことの直属ちょくぞくの部下ぶかと申もうしますのは、いつもこれ位くらいの小人数こにんずうでしかなかったそうで、いざ戦闘たたかいとなれば、何いずれの土地とちに居おられましても、附近あたりの武人もののふどもが、後あとから後あとから馳はせ参さんじて忽たちまち大軍たいぐんになったと申もうします。『わざわざ遠方とおくからあまたの軍兵つわものを率ひきいて御出征おいでになられるようなことはありませぬ……。』橘姫たちばなひめはそう仰おっしゃって居おられました。何所どこへまいるにもいつも命みことの御随伴おともをした橘姫たちばなひめがそう申もうされることでございますから、よもやこれに間違まちがいはあるまいと存ぞんじます。

それは兎とに角かく、不意ふいの来客らいきゃくとしては五六十人にんはなかなかの大人数おおにんずうでございます。ましてそれが日本国中にほんこくじゅうにただ一人ひとりあって、二人ふたりとはない、軍いくさの神様かみさまの御同勢ごどうせいとありましては大たいへんでございます。恐おそらく森もりの蝉時雨せみしぐれだって、ぴったり鳴なき止やんだことでございましょう。ただその際さい何なにより好都合こうつごうであったのは、姫ひめの父君ちちぎみが珍めずらしく国元くにもとへ帰かえって居おられたことで、御自身ごじしん采配さいはいを振ふって家人がじんを指図さしずし、心限こころかぎりの歓待もてなしをされた為ために、少すこしの手落ておちもなかったそうでございます。それについて姫ひめは少すこしくお言葉ことばを濁にごして居おられましたが、何どうやら小碓命様おうすのみことさまのその日ひの御立寄おたちよりは必かならずしも不意打ふいうちではなく、かねて時ときの帝みかどから御内命ごないめいがあり、言いわば橘姫様たちばなひめさまとお見合みあいの為ために、それとなくお越こしになられたらしいのでございます。

何いずれにしても姫ひめはその夕ゆうべ、両親りょうしんに促うながされ、盛装せいそうしてお側そばにまかり出いで、御接待ごせったいに当あたられたのでした。『何分なにぶんにも年若としわかき娘むすめのこととて恥はずかしさが先立さきだち、格別かくべつのお取持とりもちもできなかった……。』姫ひめはあっさりと、ただそれっきりしかお口くちには出だされませんでしたが、何どうやらお二人ふたりの間あいだを維つないだ、切きっても切きれぬ固かたい縁えにしの糸いとは、その時ときに結むすばれたらしいのでございます。実際じっさい又また何いずれの時代じだいをさがしても、この御二人おふたりほどお似合にあいの配偶めおとはめったにありそうにもございませぬ。申もうすもかしこけれど、お婿様むこさまは百代だいに一人ひとりと言いわれる、すぐれた御器量ごきりょうの日ひの御子みこ、又またお妃きさきは、しとやかなお姿すがたの中うちに凛々りりしい御気性ごきしょうをつつまれた絶世ぜっせいの佳人かじん、このお二人ふたりが一ひと目め見みてお互たがいにお気きに召めさぬようなことがあったら、それこそ不思議ふしぎでございます。お年輩ねんぱいも、たしか命みことはその時とき御おん二十四、姫ひめは御おん十七、どちらも人生じんせいの花盛はなざかりなのでございました。

これは余談よだんでございますが、私わたくしがこちらの世界せかいで大和武尊様やまとたけるのみことさまに御目通おめどおりした時ときの感かんじを、ここでちょっと申上もうしあげて置おきたいと存ぞんじます。あんな武勇ぶゆう絶倫ぜつりんの御方おかたでございますから、お目めにかからぬ中うちは、どんなにも怖こわい御方おかたかと存ぞんじて居おりましたが、実際じっさいはそれはそれはお優やさしい御風貌ごようすなのでございます。むろん御筋骨ごきんこつはすぐれて逞たくましうございますが、御顔おかおは色白いろじろの、至いたってお奇麗きれいな細面ほそおもて、そして少すこし釣気味つりぎみのお目元めもとにも、又またきりりと引ひきしまったお口元くちもとにも、殆ほとんど女性じょせいらしい優やさしみを湛たたえて居おられるのでございます。『成なるほどこの方かたなら少女姿おとめすがたに仮装つくられてもさして不思議ふしぎはない筈はず……。』失礼しつれいとは存ぞんじながら私わたくしはその時とき心こころの中うちでそう感かんじたことでございました。

それはさて置おき、命みことはその際さいは二晩ふたばんほどお泊とまりになって、そのままお帰かえりになられましたが、やがて帝みかどのお裁可ゆるしを仰あおぎて再ふたたび安芸あきの国くににお降くだり遊あそばされ、その時ときいよいよ正式せいしきに御婚儀ごこんぎを挙あげられたのでございました。尤もっとも軍務ぐんむ多端たたんの際さいとて、その式しきは至いたって簡単かんたんなもので、ただ内輪うちわでお杯事さかずきごとをされただけ、間まもなく新婚しんこんの花嫁様はなよめさまをお連つれになって征途せいとに上のぼられたとのことでございました。『斯こういう場合ばあいであるから何所いずくへまいるにも、そちを連つれる。』命みことはそう仰おおせられたそうで、又また姫ひめの方ほうでも、いとしき御方おんかたと苦労くろう艱難かんなんを共ともにするのが女おんなの勤つとめと、固かたく固かたく覚悟かくごされたのでした。

四十、相摸の小野

幾年いくとせかに跨またがる賊徒ぞくと征伐せいばつの軍いくさの旅路たびじに、さながら影かげの形かたちに伴ともなう如ごとく、ただの一日にちとして脊せの君きみのお側そばを離はなれなかった弟橘姫おとたちばなひめの涙なみだぐましい犠牲ぎせいの生活せいかつは、実じつにその時ときを境界さかいとして始はじめられたのでした。或ある年としの冬ふゆは雪沓ゆきぐつを穿はいて、吉備国きびのくにから出雲国いずものくにへの、国境くにざかいの険路けんろを踏ふみ越こえる。又また或ある年としの夏なつには焼やくような日光ひを浴あびつつ阿蘇山あそざんの奥深おくふかくくぐり入いりて賊ぞくの巣窟そうくつをさぐる。その外ほか言葉ことばにつくせぬ数々かずかずの難儀なんぎなこと、危険きけんなことに遇あわれましたそうで、歳月つきひの経たつと共ともに、そのくわしい記憶きおくは次第しだいに薄うすれては行いっても、その時とき胸むねにしみ込こんだ、感かんじのみは今いまも魂たましいの底そこから離はなれずに居いるとの仰おおせでございました。

こんな苦くるしい道中どうちゅうのことでございますから、御服装おみなりなどもそれはそれは質素しっそなもので、足あしには藁沓わらぐつ、身みには筒袖つつそで、さして男子だんしの旅装束たびしょうぞくと相違そういしていないのでした。なれども、姫ひめは最初さいしょから心こころに固かたく覚悟かくごして居おられることとて、ただの一度ども愚痴ぐちめきたことはお口くちに出だされず、それにお体からだも、かぼそいながら至いたって御丈夫おじょうぶであった為ため、一行こうの足手纏あしてまといになられるようなことは決けっしてなかったと申もうすことでございます。

かかる艱苦かんくの旅路たびじの裡うちにありて、姫ひめの心こころを支ささうる何なによりの誇ほこりは、御自分ごじぶん一人ひとりがいつも命みことのお伴ともと決きまって居いることのようでした。『日本にっぽん一の日ひの御子みこから又またなきものに愛いつくしまれる……。』そう思おもう時ときに、姫ひめの心こころからは一切さいの不満ふまん、一切さいの苦労くろうが煙けむりのように消きえて了しまうのでした。当時とうじの習慣しゅうかんでございますから、むろん命みことの御身辺ごしんぺんには夥多あまたの妃達きさきたちがとりまいて居おられました。それ等らの中なかには橘姫たちばなひめよりも遥はるかに家柄いえがらの高たかいお方かたもあり、又また縹緻きりょう自慢じまんの、それはそれは艶麗あでやかな美女びじょも居いないのではないのでした。が、それ等らは言いわば深窓しんそうを飾かざる手活ていけの花はな、命みことのお寛くつろぎになられた折おりの軽かるいお相手あいてにはなり得えても、いざ生命懸いのちがけの外そとのお仕事しごとにかかられる時ときには、きまり切きって橘姫たちばなひめにお声こえがかかる。これでは『仮令たとえ死しんでも……。』という考かんがえが橘姫たちばなひめの胸むねの奥深おくふかく刻きざみ込こまれた筈はずでございましょう。

だんだん伺うかがって見みると、数かず限かぎりもない御ご一代だい中ちゅうで、最大さいだいの御危難ごきなんといえば、矢張やはり、あの相摸国さがみのくにでの焼打やきうちだったと申もうすことでございます。姫ひめはその時ときの模様丈もようだけは割合わりあいにくわしく物語ものがたられました。――

『あの時ときばかりは、いかに武運ぶうんに恵めぐままれた御方おんかたでも、今日きょうが御最後ごさいごかと危あやぶまれました。自分じぶんは命みことのお指図さしずで、二人ふたりばかりの従者ともにまもられて、とある丘おかの頂辺いただきに避さけて、命みことの御身おんみの上うえを案あんじわびて居おりましたが、その中うち四方ほうから急きゅうにめらめらと燃もえ拡ひろがる野火のび、やがて見渡みわたす限かぎりはただ一面めんの火ひの海うみとなって了しまいました。折おりから猛はげしい疾風はやてさえ吹ふき募つのって、命みことのくぐり入いられた草叢くさむらの方ほうへと、飛とぶが如ごとくに押おし寄よせて行ゆきます。その背後はいごは一帯たいの深ふかい沼沢さわで、何所どこへも退路にげみちはありませぬ。もうほんの一ひとと煽あおりですべては身みの終おわり……。そう思おもうと私わたくしはわれを忘わすれて、丘おかの上うえから駆かけ降おりようとしましたが、その瞬間しゅんかん、忽たちまちゴーッと耳みみもつぶれるような鳴動うなりと共ともに、今いままでとは異ちがって、西にしから東ひがしへと向むきをかえた一陣じんの烈風れっぷう、あなやと思おもう間まもなく、猛火もうかは賊ぞくの隠かくれた反対はんたいの草叢くさむらへ移うつってまいりました……。その時ときたちまち、右手みぎてに高たかく、御秘蔵ごひぞうの御神剣ごしんけんを打ふり翳かざし、漆うるしの黒髪くろかみを風かぜに靡なびかせながら、部下ぶかの軍兵つわものどもよりも十歩ぽも先さきんじて、草原くさはらの内部なかから打うって出いでられた命みことの猛たけき御姿おんすがた、あの時ときばかりは、女子おなごの身みでありながら覚おぼえず両手りょうてを空そらにさしあげて、声こえを限かぎりにわあッと叫さけんで了しまいました……。後あとで御伺おうかがいすると、あの場合ばあい、命みことが御難儀ごなんぎを脱のがれ得えたのは、矢張やはりあの御神剣ごしんけんのお蔭かげだったそうで、燃もゆる火ひの中なかで命みことがその御鞘おんさやを払はわれると同時どうじに、風向かざむきが急きゅうに変かわったのだと申もうすことでございます。右みぎの御神剣ごしんけんと申もうすのは、あれは前年ぜんねんわざわざ伊勢いせへ参まいられた時ときに、姨君おばぎみから授さずけられた世よにも尊とうとい御神宝ごしんぽうで、命みことはいつもそれを錦にしきの袋ふくろに納おさめて、御自身ごじしんの肌身はだみにつけて居おられました。私わたくしなどもただ一度どしか拝おがまして戴いただいたことはございませぬ……。』

これが大体だいたい姫ひめのお物語ものがたりでございます。その際さい命みことには、火焔かえんの中なかに立たちながらも、しきりに姫ひめの身みの上うえを案あんじわびられたそうで、その忝かたじけない御情意おこころざしはよほど深ふかく姫ひめの胸むねにしみ込こんで居いるらしく、こちらの世界せかいに引移ひきうつって、最もう千年ねんにも余あまるというのに、今いまでも当時とうじを想おもい出いだせば、自おのずと涙なみだがこぼれると言いって居おられました。

かくまで深ふかいお二人ふたりの間あいだでありながら、お児様こさまとしては、若建王わかたけるおうと呼よばれる御方おかたがただ一人ひとり――それも旅たびから旅たびへといつも御不在勝ごふざいがちであった為ために、御自分ごじぶんの御手おてで御養育ごよういくはできなかったと申もうすことでございました。つまり橘姫たちばなひめの御ご一生しょうはすべてを脊せの君きみに捧ささげつくした、世よにも若々わかわかしい花はなの一生しょうなのでございました。

四十一、海神の怒り

私わたくしが伺うかがった橘姫たちばなひめのお物語ものがたりの中なかには、まだいろいろお伝つたえしたいことがございますが、とても一度どに語かたりつくすことはできませぬ。何いずれ又また良よい機会おりがありましたら改あらためてお漏もらしすることとして、ただあの走水はしりみずの海うみで御入水ごにゅうすい遊あそばされたお話はなしだけは、何どうあっても省はぶく訳わけにはまいりますまい。あれこそはひとりこの御夫婦ごふうふの御ご一代だいを飾かざる、尤もっとも美うつくしい事蹟じせきであるばかりでなく、又また日本にほんの歴史れきしの中なかでの飛とび切きりの美談びだんと存ぞんじます。私わたくしは成なるべく姫ひめのお言葉ことばそのままをお取次とりつぎすることに致いたします。

『わたくし達たちが海辺うみべに降おり立たったのはまだ朝あさの間まのことでございました。風かぜは少すこし吹ふいて居おりましたが、空そらには一点てんの雲くももなく、五六里りもあろうかと思おもわるる広ひろい内海いりうみの彼方かなたには、総ふさの国くにの低ひくい山々やまやまが絵えのようにぽっかりと浮うかんで居おりました。その時ときの私達わたくしたちの人数にんずはいつもよりも小勢こぜいで、かれこれ四五十名めいも居おったでございましょうか。仕立したてた船ふねは二艘そう、どちらも堅牢けんろうな新船あらふねでございました。

『一同どうが今日きょうの良よき船出ふなでを寿ことほぎ合あったのもほんの束つかの間ま、やや一里りばかりも陸おかを離はなれたと覚おぼしき頃ころから、天候てんこうが俄にわかに不穏ふおんの模様もように変かわって了しまいました。西北せいほくの空そらからどっと吹ふき寄よせる疾風はやて、見みる見みる船ふねはグルリと向むきをかえ、人々ひとびとは滝たきなす飛沫しぶきを一ぱいに浴あびました。それにあの時ときの空模様そらもようの怪あやしさ、赭黒あかぐろい雲くもの峰みねが、右みぎからも左ひだりからも、もくもくと群むらがり出いでて満天まんてんに折おり重かさなり、四辺あたりはさながら真夜中まよなかのような暗くらさに鎖とざされたと思おもう間まもなく、白刃しらはを植うえたような稲妻いなづまが断間たえまなく雲間あいだに閃ひらめき、それにつれてどっと降ふりしきる大粒おおつぶの雨あめは、さながら礫つぶてのように人々ひとびとの面おもてを打うちました。わが君きみをはじめ、一同どうはしきりに舟子達かこたちを励はげまして、暴あれ狂くるう風浪ふうろうと闘たたかいましたが、やがて両りょう三人にんは浪なみに呑のまれ、残余のこりは力ちからつきて船底ふなぞこに倒たおれ、船ふねはいつ覆くつがえるか判わからなくなりました。すべてはものの半刻はんときと経たたぬ、ほんの僅わずかの間まのことでございました。

『かかる場合ばあいにのぞみて、人間にんげんの依たのむところはただ神業かみわざばかり……。私わたくしは一心しん不乱ふらんに、神様かみさまにお祈祷いのりをかけました。船ふねのはげしき動揺どうようにつれて、幾度いくたびとなく投なげ出ださるる私わたくしの躯からだ――それでも私わたくしはその都度つど起おき上あがりて、手てを合あわせて、熱心ねっしんに祈いのりつづけました。と、忽たちまち私わたくしの耳みみにはっきりとした一ひとつの囁ささやき、『これは海神かいじんの怒いかり……今日限きょうかぎり命みことの生命せいめいを奪とる……。』覚おぼえずはっとして現実うつつにかえれば、耳みみに入いるはただすさまじき浪なみの音おと、風かぜの叫さけび――が、精神こころを鎮しずめると又またもや右みぎの怪あやしき囁ささやきがはっきりと耳みみに聞きこえてまいります……。

『二度ど、三度ど、五度ど……幾度いくたびくりかえしてもこれに間違まちがいのないことが判わかった時ときに、私わたくしはすべてを命みことに打うち明あけました。命みことは日頃ひごろの、あの雄々おおしい御気性ごきしょうとて「何なんの愚おろかなこと!」とただ一言ごんに打うち消けして了しまわれましたが、ただいかにしても打うち消けし得えないのは、いつまでも私わたくしの耳みみにきこゆるあの不思議ふしぎの囁ささやきでございました。私わたくしはとうとう一存ぞんで、神様かみさまにお縋すがりしました。「命みことは御国みくににとりてかけがえのない、大切だいじの御身おみの上うえ……何卒なにとぞこの数かずならぬ女おんなの生命いのちを以もって命みことの御生命おんいのちにかえさせ玉たまえ……。」二度ど、三度どこの祈いのりを繰くりかえして居いる内うちに、私わたくしの胸むねには年来ねんらいの命みことの御情思おんなさけがこみあげて、私わたくしの両眼りょうがんからは涙なみだが滝たきのように溢あふれました。一首しゅの歌うたが自おのずと私わたくしの口くちを突ついて出でたのもその時ときでございます。真嶺さね刺さし、相摸さがむの小野おのに、燃もゆる火ひの、火中ほなかに立たちて、問といし君きみはも……。

『右みぎの歌うたを歌うたい終おわると共ともに、いつしか私わたくしの躯からだは荒あれ狂くるう波間なみまに跳おどって居おりました、その時ときちらと拝はいしたわが君きみのはっと愕おどろかれた御面影おんおもかげ――それが現世げんせでの見納みおさめでございました。』

×      ×      ×      ×

橘姫たちばなひめの御物語おんものがたりは一ひと先まずこれにて打うち切きりといたしますが、ただ私わたくしとして、ちょっとここで申添もうしそえて置おきたいと思おもいますのは、海神かいじんの怒いかりの件けんでございます。大和武尊やまとたけるのみことさまのような、あんな御立派ごりっぱなお方かたが、何故なぜなれば海神かいじんの怒いかりを買かわれたか?――これは恐おそらくどなたも御不審ごふしんの点てんかと存ぞんじまするが、実じつは私わたくしもこれにつきて、指導役しどうやくのお爺じいさんにその訳わけを伺うかがったことがあるのでございます。その時ときお爺じいさんは斯こう答こたえられました。――

『それは斯こういう次第しだいじゃ。すべて物ものには表おもてと裏うらとがある。命みことが日本国にほんこくにとりて並ならびなき大恩人だいおんじんであることはいうまでもなけれど、しかし殺ころされた賊徒ぞくとの身みになって見みれば、命みことほど、世よにも憎にくいものはない。命みことの手てにかかって滅ほろぼされた賊徒ぞくとの数かずは何万なんまんとも知しれぬ。で、それ等らが一団だんの怨霊おんりょうとなって隙すきを窺うかがい、たまたま心こころよからぬ海神かいじんの援たすけけを獲えて、あんな稀有けうの暴風雨あらしをまき起おこしたのじゃ。あれは人霊じんれいのみでできる仕業しわざでなく、又また海神かいじんのみであったら、よもやあれほどのいたずらはせなかったであろう。たまたま斯こうした二ふたつの力ちからが合致がっちしたればこそ、あのような災難さいなんが急きゅうに降ふって湧わいたのじゃ。当時とうじの橘姫たちばなひめにはもとよりそうした詳くわしい事情じじょうの判わかろう筈はずもない。姫ひめがあれをただ海神かいじんの怒いかりとのみ感かんじたのはいささか間違まちがって居いるが、それはそうとして、あの場合ばあいの姫ひめの心胸むねにはまことに涙なみだぐましい真剣しんけんさが宿やどっていた。あれほどの真心まごころが何なんですぐ神々かみがみの御胸みむねに通つうぜぬことがあろう。それが通つうじたればこそ大和武尊やまとたけるのみことには無事ぶじに、あの災難さいなんを切きりぬけることが出来できたのじゃ。橘姫たちばなひめは矢張やはり稀まれに見みるすぐれた御方おかたじゃ。』

私わたくしはこの説明せつめいが果はたしてすべてを尽つくしているか否いなかは存ぞんじませぬ。ただ皆みなさまの御参考ごさんこうまでに、私わたくしの伺うかがったところを附つけ加くわえて置おくだけでございます。

四十二、天狗界探検

あまり面会談めんかいだんばかりつづいたようでございますから、今度こんどは少すこし模様もようをかえて、その頃ころ修行しゅぎょうの為ために私わたくしがこちらで探検たんけんに参まいりました、珍めずらしい境地ところのお話はなしをすることにいたしましょう。こちらの世界せかいには、現世げんせとは全まったく異ちがった、それはそれは変かわったものが住すんで居いるところがあるのでございます。それがあまりにも飛とび離はなれ過すぎていますので、あなた方がたは事ことによると半信半疑はんしんはんぎ、よもやとお考かんがえになられるか存ぞんじませぬが、これが事実じじつであって見みれば、自分じぶんの考かんがえで勝手かってに手加減てかげんを加くわえる訳わけにもまいりませぬ。あなた方がたがそれを受うけ入いれるか、入いれないかは全まったく別べつとして、兎とも角かくも私わたくしの眼めに映えいじたままを率直あからさまに述のべて見みることに致いたします。

『今日きょうは天狗てんぐの修行場しゅぎょうばに連つれて行ゆく……。』

ある日ひ例れいの指導役しどうやくのお爺じいさんが私わたくしにそう言いわれます。私わたくしには天狗てんぐなどというものを別べつに見みたいという考かんがえもないのでございましたが、それが修行しゅぎょうの為ためとあればお断ことわりするのもドーかと思おもい、浮うかぬ気分きぶんで、黙だまってお爺じいさんの後あとについて、山やまの修行場しゅぎょうばを出掛でかけました。

いつもとは異ことなり、その日ひは修行場しゅぎょうばの裏山うらやまから、奥おくへ奥おくへ奥おくへとどこまでも険阻けんそな山路やまみちを分わけ入いりました。こちらの世界せかいでは、どんな山坂やまさかを登のぼり降くだりしても格別かくべつ疲労ひろうは感かんじませぬが、しかし何なにやらシーンと底冷そこびえのする空気くうきに、私わたくしは覚おぼえず総毛立そうげだって、躯からだがすくむように感かんじました。

『お爺じいさま、ここはよほどの深山しんざんなのでございましょう……私わたくしはぞくぞくしてまいりました……。』

『寒さむく感かんずるのは山やまが深ふかいからではない。ここはもうそろそろ天狗界てんぐかいに近ちかいので、一帯たいの空気くうきが自おのずと異ちがって来きたのじゃ。大体だいたい天狗界てんぐかいは女人禁制にょにんきんせいの場所ばしょであるから汝そちにはあまり気持きもちが宜よろしくあるまい……。』

『よもや天狗てんぐさんが怒おこって私わたくしを浚さらって行ゆくようなことはございますまい……。』

『その心配しんぱいは要いらぬ。今日きょうは神界しんかいからのお指図さしずを受うけて尋たずねるのであるから、立派りっぱなお客様扱きゃくさまあつかいを受うけるであろう。二度どと斯こうした所ところに来くることもあるまいから、よくよく気きをつけて天狗界てんぐかいの状況ようすをさぐり、又また不審ふしんの点てんがあったら遠慮えんりょなく天狗てんぐの頭目かしらに訊たずねて置おくがよいであろう……。』

やがて古ふるい古ふるい杉すぎ木立こだちがぎっしりと全山ぜんざんを蔽おおいつくして、昼ひる尚なお暗くらい、とてもものすごい所ところへさしかかりました。私わたくしはますます全身ぜんしんに寒気さむけを感かんじ、心こころの中うちでは逃にげて帰かえりたい位くらいに思おもいましたが、それでもお爺じいさんが一向こう平気へいきでズンズン足あしを運はこびますので、漸やっとの思おもいでついて参まいりますと、いつしか一軒けんの家屋かおくの前まえへ出でました。それは丸太まるたを切きり組くんで出来できた、やっと雨露うろを凌しのぐだけの、極きわめてざっとした破屋あばらやで、広ひろさは畳たたみならば二十畳じょうは敷しける位くらいでございましょう。が、もちろん畳たたみは敷しいてなく、ただ荒削あらけずりの厚板張あついたばりになって居おりました。

『ここが天狗てんぐの道場どうじょうじゃ。人間にんげんの世界せかいの剣術道場けんじゅつどうじょうによく似にて居いるであろうが……。』

そんなことを言いってお爺じいさんは私わたくしを促うながして右みぎの道場どうじょうへ歩あゆみ入いりました。

と見みると、室内しつないには白衣びゃくいを着きた五十余よ歳さいと思おもわるる一人ひとりの修験者しゅけんじゃらしい人物じんぶつが居いて、鄭重ていちょうに腰こしをかがめて私達わたくしたちを迎むかえました。

『良ようこそ……。かねてのお達たっしで、あなた方がたのお出いでをお待まち受うけして居おりました。』

私わたくしは直ただちにこれが天狗てんぐさんの頭目かしらであるな、と悟さとりましたが、かねて想像そうぞうして居いたのとは異ちがって、格別かくべつ鼻はなが高たかい訳わけでもなく、ただ体格たいかくが普通人ふつうじんより少すこし大おおきく、又また眼めの色いろが人ひとを射いるように強つよい位くらいの相違そういで、そしてその総髪そうはつにした頭あたまの上うえには例れいの兜巾ときんがチョコンと載のって居おりました。

『女人禁制にょにんきんせいの土地柄とちがら、格別かくべつのおもてなしとてでき申もうさぬ。ただいささか人間離にんげんばなれのした、一風ぷう変かわっているところがこの世界せかいの御馳走ごちそうで……。』

案外あんがいにさばけた挨拶あいさつをして、笑顔えがおを見みせてくれましたので、私わたくしも大たいへんに心こころが落おちつき、天狗てんぐさんというものは割合わりあいにやさしい所ところもあるものだと悟さとりました。

『今日こんにちはとんだお邪魔じゃまを致いたしまする。では御免遊ごめんあそばしませ……。』

私わたくしは履物はきものを脱ぬいで、とうとう天狗てんぐさんの道場どうじょうに上あがり込こんで了しまいました。

四十三、天狗の力業

斯こんな風ふうに物語ものがたると、すべてがいかにも人間界にんげんかいの出来事できごとのように見みえて、をかしなものでございますが、もちろんこの天狗てんぐさんは、私達わたくしたちに見みせる為ために、態わざと人間にんげんの姿すがたに化ばけて、そして人間にんげんらしい挨拶あいさつをして居いたのでございます。道場どうじょうだって同おなじこと、天狗てんぐさんに有形ゆうけいの道場どうじょうは要いらない筈はずでございますが、種たねがなくては掴つかまえどころがなさ過すぎますから、人間界にんげんかいの剣術けんじゅつの道場どうじょうのようなものを仮かりに造つくり上あげて私達わたくしたちに見みせたのでございましょう。すべて天狗てんぐに限かぎらず、幽界ゆうかいの住人じゅうにんは化ばけるのが上手じょうずでございますから、あなた方がたも何卒どうぞそのおつもりで、私わたくしの物語ものがたりをきいて戴いただき度とう存ぞんじます。さもないと、すべてが一篇ぺんのお伽噺とぎばなしのように見みえて、さっぱり値打ねうちがないものになりそうでございます。

それはそうと、私達わたくしたちがその時とき面会めんかいした天狗てんぐさんの頭目かしらというのは、仲間なかまでもなかなか力ちからのある傑物えらものだそうでございまして、お爺じいさんが何なにか一ひとつ不思議ふしぎな事ことを見みせてくれと依たのみますと、早速さっそく二ふたつ返事へんじで承諾しょうだくしてくれました。

『われわれの芸げいと申もうすは先まずざっと斯こんなもので……。』

言いうより早はやく天狗てんぐさんは電光いなづまのように道場どうじょうから飛とび出だしたと思おもう間まもなく、忽たちまちするすると庭前ていぜんに聳そびえている、一本ぽんの杉すぎの大木たいぼくに駆かけ上あがりました。それは丁度ちょうど人間にんげんが平地へいちを駆かけると同おなじく、指端ゆびさき一ひとつ触ふれずに、大木たいぼくの幹みきをば蹴けって、空そらへ向むけて駆かけ上あがるのでございますが、その迅はやさ、見事みごとさ、とても筆ふでや言葉ことばにつくせる訳わけのものではありませぬ。私わたくしは覚おぼえず坐席ざせきから立たち上あがって、呆あきれて上方うえを見上みあげましたが、その時ときはモー天狗てんぐさんの姿すがたが頂辺てっぺんの枝えだの茂しげみの中なかに隠かくれて了しまって、どこに居いるやら判わからなくなって居いました。

と、やがて梢こずえの方ほうで、バリバリという高たかい音おとが致いたします。

『木きの枝えだを折おっているナ……。』

お爺じいさんがそう言いわれている中うちに、天狗てんぐさんは直径ちょくけい一尺いっしゃくもありそうな、長ながい大おおきな杉すぎの枝えだを片手かたてにして、二三十丈じょうの虚空こくうから、ヒラリと身みを躍おどらして私わたくしの見みている、すぐ眼めの前まえに降おり立たちました。

『いかがでござる……人間にんげんよりも些ちと腕うでぶしが強つよいでござろうが……。』

いとど得意とくいな面持おももちで天狗てんぐさんはそう言いって、つづいて手てにせる枝えだをば、あたかもそれが芋殻いもがらでもあるかのように、片端かたっぱしからいき毮むしっては棄すて、引ひき毮むしっては棄すて、すっかり粉々こなごなにして了しまいました。

が、私わたくしとしては天狗てんぐさんの力量りきりょうに驚おどろくよりも、寧むしろその飽あくまで天真爛漫てんしんらんまんな無邪気むじゃきさに感服かんぷくして了しまいました。

『あんな鹿爪しかつめらしい顔かおをしているくせに、その心こころの中なかは何なんという可愛かわいいものであろう! これなら神様かみさまのお使者つかいとしてお役やくに立たつ筈はずじゃ……。』

私わたくしは心こころの裡うちでそんなことを考かんがえました。私わたくしが天狗てんぐさんを好すきになったのは全まったくこの時ときからでございます。尤もっとも天狗てんぐと申もうしましても、それには矢張やはり沢山たくさんの階段かいだんがあり、質たちのよくない、修行しゅぎょう未熟みじゅくの野天狗のてんぐなどになると、神様かみさまの御用ごようどころか、つまらぬ人間にんげんを玩具おもちゃにして、どんなに悪戯いたずらをするか知しれませぬ。そんなのは私わたくしとしても勿論もちろん大嫌だいきらいで、皆様みなさまも成なるべくそんな悪性あくせいの天狗てんぐにはかかり合あわれぬことを心こころからお願ねがい致いたします。が、困こまったことに、私わたくしどもがこちらから人間にんげんの世界せかいを覗のぞきますと、つまらぬ野天狗のてんぐの捕虜とりこになっている方々かたがたが随分ずいぶん沢山たくさん居おられますようで……。大おおきなお世話せわかは存ぞんじませぬが、私わたくしは蔭かげながら皆様みなさまの為ために心こころを痛いためて居おるのでございます。くれぐれも天狗てんぐとお交際つきあいになるなら、できるだけ強つよい、正ただしい、立派りっぱな天狗てんぐをお選えらびなさいませ。まごころから神様かみさまにお願ねがいすれば、きっとすぐれたのをお世話せわして下くださるものと存ぞんじます……。

四十四、天狗の性来

さてこの天狗てんぐと申もうすものの性来せいらい――これはどこまで行いっても私わたくしどもには一ひとつの大おおきな謎なぞで、査しらべれば査しらべるほど腑ふに落おちなくなるようなところがございます。兎とも角かく、私わたくしがあの時とき、天狗てんぐの頭目かしらに就ついて問といただしたところに基もとづき、ざっとそのお話はなしを致いたして見みることにしましょう。

先まず天狗てんぐの姿すがたから申もうし上あげましょう。前まえにものべた通とおり、天狗てんぐは時ときと場合ばあいで、人間にんげんその他たいろいろなものの姿すがたに上手じょうずに化ばけます。かく申もうす私わたくしなども最初さいしょはうっかりその手てに乗のせられましたもので……。しかし近頃ちかごろではもうそんな拙へたな真似まねはいたしません。天狗てんぐがどんな立派りっぱな姿すがたに化ばけていても、すぐその正体しょうたいを看破かんぱして了しまいます。大体だいたいに於おいて申もうしますと、天狗てんぐの正体しょうたいは人間にんげんよりは少すこし大おおきく、そして人間にんげんよりは寧むしろ獣けものに似にて居おり、普通ふつう全身ぜんしんが毛けだらけでございます。天狗てんぐの中なかのごくごく上等じょうとうのもののみが人間にんげんに近ちかい姿すがたをして居おりますようで……。

但ただしこれは姿すがたのある天狗てんぐに就ついて申もうしたのでございます。天狗てんぐの中なかには姿すがたを有もたないのもございます。それは青味あおみがかった丸まるい魂たまで、直径ちょくけいは三寸ずん位くらいでございましょうか。現げんに私わたくしどもが天狗界てんぐかいの修行場しゅぎょうばに居おった時ときにも、三つ四つ樹きの枝えだにひっついて光ひかって居おりました。

『あれはモーすっかり修行しゅぎょうが積つんで、姿すがたを棄すてた天狗達てんぐたちでござる……。』

天狗てんぐの頭目かしらはそう私わたくしに説明せつめいしてくれました。

天狗てんぐの姿すがたも不思議ふしぎでございますが、その生立おいたちは一層そう不思議ふしぎでございます。天狗てんぐには別べつに両親りょうしんというものがなく、人間にんげんが地上ちじょうに発生はっせいした、遠とおい遠とおい原始時代げんしじだいに、斯こういうものも必要ひつようであろうという神様かみさまの思召おぼしめしで言いわば一種しゅの副産物ふくさんぶつとして生うまれたものだと申もうすことでございます。天狗てんぐの頭目かしらも『自分達じぶんたちは人間にんげんになり切きれなかった魂たましいでござる……。』と、あっさり告白こくはくして居おりました。私わたくしはそれをきいた時ときに、何なにやら天狗てんぐさんに対たいして気きの毒どくに感かんじられたのでございました。

兎とも角かくも斯こんな手続てつづきで生うまれたのでございますから、天狗てんぐというものは全部ぜんぶ中性ちゅうせい……つまり男性だんせいでも、又また女性じょせいでもないのでございます。これでは天狗てんぐの気持きもちが容易よういに人間にんげんにのみ込こめない筈はずでございます。人間にんげんの世界せかいは、主従しゅじゅう、親子おやこ、夫婦ふうふ、兄弟きょうだい、姉妹等しまいなどの複雑こみいった関係かんけいで、色いろとりどりの綾模様あやもようを織おり出だして居おりますが、天狗てんぐの世界せかいはそれに引ひきかえて、どんなにも一本ぽん調子ちょうし、又またどんなにも殺風景さっぷうけいなことでございましょう。天狗てんぐの生活せいかつに比くらべたら、女人禁制にょにんきんせいの禅寺ぜんでら、男子禁制だんしきんせいの尼寺あまでらの生活せいかつでも、まだどんなにも人情味にんじょうみたっぷりなものがありましょう。『全まったく不思議ふしぎな世界せかいがあればあるもの……。』私わたくしはつくづくそう感かんじたのでございました。

斯かく天狗てんぐは本来ほんらい中性ちゅうせいではありますが、しかし性質せいしつからいえば、非常ひじょうに男おとこらしく武張ぶばったのと、又また非常ひじょうに女おんならしく優やさしいのとの区別くべつがあり、化ばける姿すがたもそれに準じゅんじて、或あるいは男おとこになったり、或あるいは女おんなになったりするとのことでございます。日本にっぽんと申もうす国くには古来こらい尚武しょうぶの気性きしょうに富とんだお国柄くにがらである為ため、武芸ぶげい、偵察ていさつ、戦争いくさの駈引等かけひきとうにすぐれた、つまり男性的だんせいてきの天狗てんぐさんは殆ほとんど全部ぜんぶこの国くにに集あつまって了しまい、いざとなれば目覚めざましい働はたらきをしてくれますので、その点てん大たいそう結構けっこうでございますが、ただ愛あいとか、慈悲じひとか言いったような、優やさしい女性式じょせいしきの天狗てんぐは、あまりこの国くにには現あらわれず、大部分だいぶぶん外国がいこくの方ほうへ行いって了しまっているようでございます。西洋せいようの人ひとが申もうす天使てんし――あれにはいろいろ等差とうさがあり、偶たまには高級こうきゅうの自然霊しぜんれいを指さしている場合ばあいもありますが、しかしちょいちょい病床びょうしょうに現あらわれたとか、画家えかきの眼めに映うつったとかいうのは、大たいてい女性化じょせいかした天狗てんぐさんのようでございます。

大体だいたい天狗てんぐの働はたらきはそう大おおきいものではないらしく、普通ふつうは人間にんげんに憑かかって小手先こてさきの仕事しごとをするのが何なにより得意とくいだと申もうすことでございます。偶たまには局部的きょくぶてきの風位かぜくらいは起おこせても、大おおきな自然現象しぜんげんしょうは大抵たいてい皆みな竜神りゅうじんさんの受持うけもちにかかり、とても天狗てんぐにはその真似まねができないと申もうすことでございます。

最後さいごに私わたくしがあの時とき天狗てんぐさんの頭目かしらからきかされた、人浚ひとさらいの秘伝ひでんをお伝つたえして置おきましょう。

『人ひとを浚さらうということが本当ほんとうにできるものでございますか?』

そう私わたくしが訊たずねますと、天狗てんぐの頭目かしらはいとど得意とくいの面持おももちで、斯こんな風ふうに説明せつめいしてくれたのでした。――

『あれは本当ほんとうといえば本当ほんとう、ゴマカシといえばゴマカシでござる。われわれは肉体にくたいぐるみ人間にんげんを遠方えんぽうへ連つれて行ゆくことはめったにござらぬ。肉体にくたいは通例つうれい附近ふきんの森蔭もりかげや神社やしろの床下ゆかしたなどに隠かくし置おき、ただ引ひき抽ぬいた魂たましいのみを遠方えんぽうに連つれ出だすものでござる。人間にんげんというものは案外あんがい感かんじの鈍にぶいもので、自分じぶんの魂たましいが体からだから出でたり、入はいったりすることに気きづかず、魂たましいのみで経験けいけんしたことを、宛あたかも肉体にくたいぐるみ実地じっちに見聞けんぶんしたように勘違かんちがいして、得意とくいになって居いるもので……。側わきでそれを見みるのはよほど滑稽こっけいな感かんじがするものでござる……。』

四十五、竜神の修行場

天狗界てんぐかいの探検たんけんに引ひきつづいて、私わたくしは指導役しどうやくのお爺じいさんから、竜神りゅうじんの修行場しゅぎょうばの探検たんけんを命めいぜられました。――

『いつかは竜宮界りゅうぐうかいへの道みちすがら、ちょっと竜神りゅうじんの修行場しゅぎょうばをのぞかしたこともあるが、あれではあまりにあっけなかった。もう一度ど汝そちを彼所かしこへ連つれて行ゆくとしょう。あの修行場しゅぎょうばには一人ひとりの老練ろうれんな監督者かんとくしゃが居いるから、不審ふしんの点てんは何なになりとそれに訊たずねるがよい。』

『そのお方かたも矢張やはり竜神りゅうじんさんでございますか……。』

『無論むろんそうじゃ。が、俺わしと同様どうよう、人間にんげんと面会めんかいする時ときは人間にんげんの姿すがたに化ばけけて居いる……。』

一度ど行いったことのある境地ところでございますから、道中どうちゅうの見物けんぶつは一切いっさいヌキにして、私達わたくしたちは一ひと思おもいに、あのものすごい竜神りゅうじんの湖水こすいの辺ほとりへ出でて了しまいました。こちらの世界せかいでは遅おそく歩あるくも、速はやく歩あるくも、すべて自分じぶんの勝手かってで、そこはまことに便利べんりでございます。

と見みると、水辺すいえんの、とある巨大おおきな巌いわの上うえには六十前後ぜんごと見みゆる、一人ひとりの老人ろうじんが、佇たたずんで私達わたくしたちの来くるのを待まって居おりました。服装みなりその他ほか大体だいたいは私わたくしの案内役あんないやくのお爺じいさんに似にたり寄よったり、ただいくらか肉附にくづきがよく、年輩ねんぱいも二つ三つ若わかいように見みえました。それが監督かんとくの竜神りゅうじんさんであることはここに断ことわるまでもありますまい。

一応おう簡単かんたんな挨拶あいさつを済すませてから、私わたくしは早速さっそく右みぎの監督かんとくのお爺じいさんに話はなしかけました。――

『修行場しゅぎょうばの模様もようはいつか拝見はいけんさせて戴いただきましたので、今日きょうはむしろ竜神りゅうじんさんの生活せいかつにつきて、いろいろ腑ふに落おちかねる点てんを伺うかがいたいのでございますが……。』

『何なになりと訊たずねて貰もらいます。研究けんきゅうの為ためとあれば、俺わしの方ほうでもそのつもりで、差支さしつかえなき限かぎり何なにも彼かも打うち明あけて話はなすことにしましょう。竜神りゅうじんの世界せかいは人間界にんげんかいとは大分だいぶに勝手かってが異ちがうから、訊く方ほうでも成なるべくまごつかぬように……。』

あっさりとさばけた態度たいどで、そう言いわれましたので、私わたくしの方ほうでもすっかり安心あんしんして、思おもい浮うかぶまま無遠慮ぶえんりょにいろいろな事ことをおききしました、その時ときの問答もんどうの全部ぜんぶをここでお伝つたえする訳わけにもまいり兼かねますが、ただあなた方がたの御参考ごさんこうになりそうな個所ところは、成なるべく洩もれなく拾ひろい出だしましょう。

問『竜神りゅうじんの子供こどもは現在げんざいでも矢張やはり生うまれているのでございますか?』

答『人間にんげんの世界せかいで子供こどもが生うまれるように、こちらでもズンズン殖ふえます……。』

問『生うまれたての若わかい竜神りゅうじんの躯からだはどんな躯からだでございますか?』

答『別べつに変かわった躯からだでもないが、しかし人間にんげんからいえばつまり一の幽体ゆうたい、もちろん肉眼にくがんで見みることはできぬ。大おおきさは普通ふつう三尺じゃくもあろうか……しかし伸縮しんしゅくは自由自在じゆうじざいであるから、言いわば大おおきさが有あって無ないようなものじゃ……。』

問『蛇へびとは何どう異ちがいますか?』

答『蛇へびはもともと地上ちじょうの下級動物かきゅうどうぶつ、形かたちも、性質せいしつも、資格しかくも竜神りゅうじんとは全まったく別物べつものじゃ。蛇へびがいかに功労こうろう経へたところで竜神りゅうじんになれる訳わけのものでない……。』

問『竜神りゅうじんさんは矢張やはり人間にんげんの御先祖ごせんぞなのでございますか?』

答『左様さよう、先祖せんぞといえば先祖せんぞであるが、寧むしろ人間にんげんの遠祖えんそ、人間にんげんの創造者つくりぬしと言いったがよいであろう。つまり竜神りゅうじんがそのまま人間にんげんに変化へんげしたのではない。竜神りゅうじんがその分霊ぶんれいを地上ちじょうに降くだして、ここに人類じんるいという、一ひとつの新あたらしい生物いきものを造つくり出だしたのじゃ。』

問『只今ただいまでも竜神りゅうじんさんはそう言いったお仕事しごとをなさいますか?』

答『イヤこれは最初さいしょ人類じんるいを創造つくり出だす時ときの、ごく遠とおい大古たいこの神業かみわざであって、今日こんにちでは最早もはやその必要ひつようはなくなった。そなたも知しるとおり人間にんげんの男女だんじょは立派りっぱに人間にんげんの子こを生うんで居いるであろうが……。』

そう言いってお爺じいさんはにっこりともせず、正面しょうめんから私わたくしに鋭するどい一瞥いちべつを与あたえられました。

四十六、竜神の生活

私わたくしはひるまず質問しつもんをつづけました。――

問『竜神りゅうじんにも人間にんげんのように死しぬことがございますか?』

答『人間界にんげんかいにて考かんがえているような、所謂いわゆる死しというものはもちろんない。あれは物質ぶっしつの世界せかいのみに起おこる、一ひとつのうるさい手続てつづきなのじゃ。――が、竜神りゅうじんの躯からだにも一ひとつの変化へんかが起おこるのは事実じじつである。そなたも知しる蛇へびの脱殻ぬけがら――丁度ちょうどあれに似にた薄うすい薄うすい皮かわが、竜神りゅうじんの躯からだから脱ぬけて落おちるのじゃ。竜神りゅうじんは通例つうれいしッとりした沼地ぬまちのような所ところでその皮かわを脱ぬぎすてる……。』

問『竜神りゅうじんさんの分霊ぶんれいが人体じんたいに宿やどることは、今日きょうでは絶対ぜったいに無ないのでございますか?』

答『竜神りゅうじんの分霊ぶんれいが直接ちょくせつ人体じんたいに宿やどって、人間にんげんとして生うまれるということは絶対ぜったいにないと言いってよい……。が、一人ひとりの幼児おさなごが母胎ぼたいに宿やどった時ときに、同一系統どういつけいとうの竜神りゅうじんがその幼児おさなごの守護霊しゅごれい又または司配霊しはいれいとして働はたらくことは決けっして珍めずらしいことでもない。それが竜神りゅうじんとして大切たいせつな修業しゅぎょうの一ひとつでもあるのじゃ……。』

問『竜神りゅうじんにも成年期せいねんきがございますか。』

答『それはある。竜神りゅうじんとて修行しゅぎょうを積つまねば一人前いちにんまえにはなれない……。』

問『大体だいたい成年期せいねんきは何歳位いくつぐらいでございますか?』

答『これはいかにも無理むりな質問といじゃ。本来ほんらいこちらの世界せかいに年齢ねんれいはないのじゃから……。が、人間にんげんの年齢ねんれいに直なおして見みたら、はっきりとは判わからぬが、凡およそそ五六百年位ねんぐらいのところであろうか……。』

問『矢張やはり人間にんげんのように婚礼こんれいの式しきなどもございますもので……。』

答『人間界にんげんかいの儀式ぎしきとは異ちがうが、矢張やはり夫婦めおとになる時ときには定きまった礼儀れいぎがあり、そして上うえの竜神様りゅうじんさまからのお指図さしずを受うける……。』

問『矢張やはり一夫ぷ一婦ぷが規則きそくでございますか?』

答『無論むろんそれが規則きそくじゃ。修行しゅぎょうの積つんだ、高たかい竜神りゅうじんとなれば、決けっしてこの規律きりつに背そむくようなことはせぬ。しかし乍ながら霊格れいかくの低ひくい竜神りゅうじんの間あいだにはそうのみも言いわれぬ節ふしがある……。』

問『生うまれるのは矢張やはり一体いったいづつでございますか?』

答『一体いったいが普通ふつうじゃ、双生児ふたごなどはめったにない……。』

問『お産さんということもありますもので……。』

答『妊娠にんしんする以上いじょうお産さんもある。その際さい、女性じょせいの竜神りゅうじんは大抵たいていどこかに姿すがたを隠かくすもので……。』

問『一対ついの夫婦ふうふの間あいだに生うまれる子供こどもの数かずはどれ位くらいでございましょうか?』

答『それは判わからぬ。通例つうれいよほど沢山たくさんで、幾人いくにんと勘定かんじょうはしかねるのじゃ。』

問『年齢としを取とれば矢張やはり子供こどもを生うまぬようになるものでございますか?』

答『年齢としを取とるからではない、浄化じょうかするから子供こどもを生うまぬようになるのじゃ……。』

問『浄化じょうかしたのと、浄化じょうかしないのとの区別くべつは、何どうして見分みわけられますか? 矢張やはり色いろでございますか?』

答『左様さよう、色いろで一番ばんよく判わかる。最初さいしょ生うまれたての竜神りゅうじんは皆みな茶ちゃッぽい色いろをして居いる。その次つぎは黒くろ、その黒味くろみが次第しだいに薄うすれて消炭色けしずみいろになり、そして蒼味あおみが加くわわって来くる。そなたも知しる通とおり、多おおく見受みうける竜神りゅうじんは大たいてい蒼黒あおぐろい色いろをして居おるであろうが……。それが一段だん向上こうじょうすると浅黄色あさぎいろになり、更さらに又また向上こうじょうすると、あらゆる色いろが薄うすらいで了しまって、何なんともいえぬ神々こうごうしい純白色じゅんぱくしょくになって来くる。白竜はくりゅうになるのには大たいへんな修行しゅぎょう、大たいへんな年代ねんだいを重かさねねばならぬ……。』

問『夫婦めおとになるのは大たいていどの辺へんの色いろでございますか?』

答『色いろには拠よらぬ。黒くろは黒同志くろどうしで夫婦めおとになり、そしていつまで経たっても黒くろが脱ぬけないのも少すくなくない……。』

問『男女だんじょの区別くべつは主おもに何処どこで判わかりますか?』

答『角つのが一番ばんの目標めじるしじゃ。角つののあるのは男おとこ、角つののないのは女おんな……。』

問『夫婦めおとの竜神りゅうじんは矢張やはり同棲どうせいするものでございますか?』

答『竜神りゅうじんにとりて、一緒いっしょに棲すむ、棲すまぬは問題もんだいでない。竜神りゅうじんの生活せいかつは自由自在じゆうじざい、人間にんげんのように少すこしも場所ばしょなどには縛しばられない。』

問『生うまれたばかりの子供こどもは何どうして居おりまするか?』

答『しばらくは母親ははおやの手元てもとに置おかれるが、やがて修業場しゅぎょうばの方ほうで引取ひきとるのじゃ。』

問『何どういう訳わけで池いけを修行場しゅぎょうばにしてあるのでございますか?』

答『池いけは一種しゅの行場ぎょうばじゃ。人間界にんげんかいの御禊みそぎと同おなじく、水みずで浄きよめられる意味いみにもなって居いるのでナ……。』

四十七、竜神の受持

いかに訊たずねても訊たずねても、竜神りゅうじんの生活せいかつは何なにやら薄うすい幕まくを隔へだてたようで、シックリとは腑ふに落おちない個所ところがございます。相当そうとう長ながい間あいだこちらの世界せかいに住すんで居いる私達わたくしたちですらそう感かんずるのでございますから、現世げんせの方々かたがたとしては尚更なおさらのことで、容易よういに竜神りゅうじんの存在そんざいが信しんじられない筈はずだとお察さっしすることができます。――と申もうして竜神りゅうじんさんの物語ものがたりを握にぎりつぶせば、私わたくしとして虚欺うその通信つうしんを送おくることになり、それも気きがとがめてなりませぬ。で、皆みなさまの信しんずる、信しんじないはしばらく別べつとして、もう少すこし私わたくしがその時とき監督かんとくのお爺じいさんからきかされたところを物語ものがたらせていただきます。――

問『竜神りゅうじんさんのお仕事しごとというのは大体だいたいどんなものでございますか?』

答『竜神りゅうじんの受持うけもちはなかなか大おおきく、広ひろく、そして複雑ふくざつで、とてもそのすべてを語かたりつくすことはできぬ。ごく大おおまかに言いったら、人間にんげんの世界せかいで天然現象てんねんげんしょうと称となえて居いるものは、悉ことごとく竜神りゅうじんの受持うけもちであると思おもえばよいであろう。すべて竜神りゅうじんには竜神りゅうじんとしての神聖しんせいな任務つとめがあり、それが直接ちょくせつ人間界にんげんかいの利益ためになろうが、なるまいが、どうあっても遂行すいこうせねばならぬことになっている。風雨ふうう、寒暑かんしょ、五穀こくの豊凶ほうきょう、ありとあらゆる天変地異てんぺんちい……それ等らの根抵こんていには悉ことごとく竜神界りゅうじんかいの気息いきがかかって居おるのじゃ……。』

問『産土神うぶすなのかみその他ほかの御祭神ごさいしんは皆みな竜神様りゅうじんさまでございますか?』

答『奥おくの方かたは何いずれも竜神りゅうじんで固かためてある……。』

問『外国がいこくにも産土うぶすなはあるのでございますか?』

答『無論むろん外国がいこくにもある。ただ外国がいこくには産土うぶすなの社やしろがないまでのことじゃ。産土うぶすなの神かみがあって、生死せいし、疾病しっぺい、諸種しょしゅの災難等さいなんとうの守護しゅごに当あたってくれればこそ、地上ちじょうの人間にんげんは初はじめてその日ひその日ひの生活せいかつが営いとなめるのじゃ。』

問『各神社かくじんじゃには竜神様りゅうじんさまの外ほかにもいろいろ眷族けんぞくがあるのでございますか?』

答『むろん沢山たくさんの眷族けんぞくがある。人霊じんれい、天狗てんぐ、動物霊どうぶつれい……必要ひつように応おうじていろいろ揃そろえてある……。』

問『産土神うぶすなのかみは皆みな男おとこの神様かみさまでございますか?』

答『産土うぶすなの主宰神しゅさいしんは悉ことごとく男性だんせいに限かぎるようじゃ。しかし幼児ようじの保姆ほぼなどにはよく女性じょせいの人霊じんれいが使つかわれるようで……。』

問『仏教ぶっきょうの信者しんじゃなどは死後しご何どうなるのでございますか?』

答『いかなる教おしえを信しんじても産土うぶすなの神かみの司配しはいを受うけることに変かわりはないが、ただ仏ほとけの救すくいを信しんじ切きって居いるものは、その迷夢まよいの覚さめるまで、しばらく仏教ぶっきょうの僧侶そうりょなどに監督かんとくを任まかせることもある。――イヤしかしそなたの質問といは大分だいぶん俺わしの領分外りょうぶんがいの事柄ことがらに亘わたって来きた。産土うぶすなのことなら、俺わしよりもそなたの指導役しどうやくの方ほうが詳くわしいであろう。俺わしには成なるべく竜神りゅうじんの修行場しゅぎょうばのことだけ訊きいてもらいたいのじゃが……。』

問『ツイいろいろの事ことをお訊たずねして相済あいすまぬことでございました。実じつは平生へいせい指導役しどうやくのお爺様じいさまからも、いろいろ承うけたまわって居おるのでございまするが、何なにやら腑ふに落おちかねるところもありますので、丁度ちょうど良よい折おりと考かんがえて念ねんを押おして見みたような次第しだいで……。』

答『それも悪わるいとは申もうさぬが、しかし一升しょうの桝ますには一升しょうの分量ぶんりょうしか入はいらぬ道理どうりで、そなたの器量うつわが大おおきくならぬ限かぎり、いかにあせってもすべてが腑ふに落おちるという訳わけには参まいらぬ。今日きょうはしばらくこの辺へんでとどめて置おいては何どうじゃナ?』

問『又またとないよい機会おりでございますから、最もう一つ二つ訊たずねさせていただき度とうございます。――――あの弁財天べんざいてんと申上もうしあげるのは、あれは皆みな女性じょせいの竜神様りゅうじんさまでございますか?』

答『その通とおり……。神かみに祀まつられている以上いじょう、何いずれも皆みな立派りっぱに修行しゅぎょうの積つめる女神めがみばかりで、土地とちの守護しゅごもなされば、又また人間にんげんの願事ねがいごとも、それが正ただしいことであれば、歓よろこんで協かなえてくださる……。』

問『水天宮すいてんぐうと申もうすのも矢張やはり……。』

答『あれは海上かいじょうを守護しゅごされる竜神りゅうじん……。』

問『最後さいごにもう一ひとつ伺うかがわせて戴いただきます。あなた様さまはどんなお身分みぶんの御方おかたで……。』

答『俺わしか……俺わしは妻つまもなく、又また子こもなく永久えいきゅうに独身ひとりみの老おいたる竜神りゅうじんじゃ……。竜神りゅうじんの中なかには斯こう言いった変かわり者ものも時ときとしてないではない。現げんにそなたの指導役しどうやくの老人ろうじんなども矢張やはり俺わしのお仲間なかまじゃ。――どりャ一応おう修行場しゅぎょうばの見𢌞みまわりをすると致いたそう。今日きょうはこれまで……。』

言いいも終おわらずこの白衣びゃくいの老人ろうじんの姿すがたはスーッと湖水こすいの底そこに幻まぼろしのように消きえて行ゆきました。

四十八、妖精の世界

竜神界りゅうじんかい、天狗界てんぐかいと、まるきり人間にんげんには見当けんとうのとれそうもない、別世界べっせかいのお話はなしを致いたした序ついでに、一ひとつ思おもい切きってもっと見当けんとうのとれない或ある世界せかいの物語ものがたりをさせていただきましょう。外ほかでもない、それは妖精ようせいの世界せかいのお話はなしでございます。

『研究けんきゅうの為ために汝そちに見みせてやらねばならぬ不思議ふしぎな世界せかいがまだ残のこっている。』と、或ある日ひ指導役しどうやくのお爺じいさんが私わたくしに申もうされました。『人間にんげんは草くさや木きをただ草くさや木きとのみ考かんがえるから、矢鱈やたらに花はなを挘むしったり、枝えだを折おったり、甚はなはだしく心こころなき真似まねをするのであるが、実じつを言いうと、草くさにも木きにも皆みな精せい……つまり魂たましいがあるのじゃ。精せいがあればこそあんなにも生せいを楽たのしみ、あんなにも美うつくしい姿態すがたを造つくりて、限かぎりなく子孫しそんを伝つたえて行ゆくのじゃ。今日きょうは汝そちを右みぎの妖精達ようせいたちに引ひき合あわせてやるから、成なるべく無邪気むじゃきな気持きもちで、彼等かれらに逢あってもらいたい。妖精ようせいというものは姿すがたも可愛かわいらしく、心こころも稚わかく、少すこしくこちらで敵意てきいでも示しめすと、皆みな怖こわがって何所いずことも知しれず姿すがたを消けして了しまう。人間界にんげんかいで妖精ようせいの姿すがたを見みる者ものが、大たいてい無邪気むじゃきな小児しょうにに限かぎるのもその故せいじゃ。今日きょうの見物けんぶつは天狗界てんぐかいや竜神界りゅうじんかいの大おおがかりな探検たんけんとはよほど勝手かってが異ちがうぞ……。』

斯こんな事ことを話はなしてくれながら、お爺じいさんは私わたくしを促うながして山やまの修行場しゅぎょうばを出掛でかけたと思おもうと、そのまま一気きに途中とちゅうを飛とび越こして、忽たちまち一望ぼう眼めも遥はるかなる、広ひろい広ひろい野原のはらに出でて了しまいました。見みればそこら中じゅうが、きれいな草地くさちで、そして恰好かっこうの良よいさまざまの樹草じゅそう……松まつ、梅うめ、竹たけ、その他たがあちこちに点綴てんせつして居いるのでした。

『ここは妖精ようせいの見物けんぶつには誂向あつらえむきの場所ばしょじゃ。大たいていの種類しゅるいが揃そろって居いるであろう。よく気きをつけて見みるがよい。』

そう注意ちゅういされている中うちに、もう私わたくしの眼めには蝶々ちょうちょうのような羽翼はねをつけた、大おおきさはやっと二三寸ずんから三四寸位すんくらいの、可愛かわいらしい小人こびとの群むれがちらちら映うつって来きたのでした。

『まあ何なんという不思議ふしぎな世界せかいがあればあったものでございましょう!』と私わたくしはわれを忘わすれて、夢中むちゅうになって叫さけびました。『お爺じいさま、彼所あそこに見みゆる十五、六歳さい位くらいの少女しょうじょは何なんとと品位ひんの良よい様子ようすをして居いることでございましょう。衣裳いしょうも白しろ、羽根はねも白しろ、そして白しろい紐ひもで額ひたいに鉢巻はちまきをして居おります……。あれは何なんの精せいでございますか?』

『あれは梅うめの精せいじゃ。若木わかきの梅うめであるから、その精せいも矢張やはり少女しょうじょの姿すがたをして居いる……。』

『木きの精せいでも矢張やはり年齢としをとりまするか?』

『年齢としをとるのは妖精ようせいも人間にんげんも同一どういつじゃ。老木ろうぼくの精せいは、形かたちは小ちいさくとも、矢張やはり老人ろうじんの姿すがたをして居いる……。』

『そして矢張やはり男女だんじょの区別くべつがありまするか?』

『無論むろん男女だんじょの区別くべつがあって、夫婦生活ふうふせいかつを営いとなむのじゃ……。』

そう言いっている中うちに、件くだんの梅うめの精せいは、しばらく私達わたくしたちの方ほうを珍めずらしそうに眺ながめて居いましたが、こちらに害意がいいがないと知しって安心あんしんしたものか、やがてスーッと、丁度ちょうど蜻蛉とんぼのように、空そらを横切よこきって、私わたくしの足元あしもとに飛とび来きたり、その無邪気むじゃきな、朗ほがらかな顔かおに笑えみを湛たたえて、下したから私わたくしを見上みあげるのでした。

不図ふと気きがついて見みると、その小人こびとの躰中からだじゅうから発散はっさんする、何なんともいえぬ高尚こうしょうな香気におい! 私わたくしはいつしかうっとりとして了しまいました。

『もしもし梅うめの精せいさん、あなたは何なんとまあ良よい香においを立たてていなさるのです……。』

そう言いいながら、私わたくしは成なるべく先方むこうを驚おどろかさないように、徐しずかに徐しずかに腰こしを降おろして、この可愛かわいい少女しょうじょとさし向むかいになりました。

四十九、梅の精

梅うめの精せいは思おもいの外ほかわるびれた様子ようすもなく、私わたくしの顔かおをしげしげ凝視みつめて佇たって居おります。

『梅うめの精せいさん、あなた、お年齢としはおいくつでございます?』

生前せいぜんの癖くせで、私わたくしは真先まっさきにそんな事ことを訊きいて了しまいました。

『年齢とし? わたしそんなものは存ぞんじませぬ……。』

梅うめの精せいは銀ぎんの鈴すずのようなきれいな声こえで、そう答こたえてキョトンとしました。

私わたくしは自分じぶんながら拙へたなことを訊きいたとすぐ後悔こうかいしましたが、しかしこれで妖精ようせいとすらすら談話はなしのできることが判わかって、嬉うれしくてなりませんでした。私わたくしはつづいて、いろいろ話はなしかけました。――

『ホンに、あなた方がたに年齢としなどはない筈はずでございました……。でもあなた方がたにも矢張やはり、両親りょうしんもあれば兄妹きょうだいもあるのでしょうね?』

『私わたくしのお母かァさまは、それはそれはやさしい、良よいお母かァさまでございます……。兄妹きょうだいは、あんまり沢山たくさんで数かずが分わかりませぬ……。』

『あなたはよく怖こわがらずに、私わたくしの所ところへ来きてくれましたね。』

『でも姨おばさまは私わたくしを可愛かわいがってくださいますもの……。』

『可愛かわいがってくれる人ひとと、くれない人ひととが判わかりますか?』

『はっきり判わかります。私達わたくしたちは気きの荒あらい、惨むごい人間にんげんが大嫌だいきらいでございます。そんな人間にんげんだと私達わたくしたちは決けっして姿すがたを見みせませぬ。だって、格別かくべつ用事ようじもないのに、折角せっかく私達わたくしたちが咲さかした花はなを枝えだごと折おったり、何なにかするのですもの……。』

そう言いって、梅うめの精せいはそのきれいな眉まゆに八の字じを寄よせましたが、私わたくしにはそれが却かえって可愛かわいらしくてなりませんでした。

『でも、人間にんげんは、この枝振えだぶりが気きに入いらないなどと言いって、時々ときどき鋏はさみでチョンチョン枝えだを摘つむことがあるでしょう。そんな時ときにあなた方がたは矢張やはり腹はらが立たちますか?』

『別べつに腹はらが立たちもしませぬ……。枝振えだぶりを直なおす為ために伐きるのと、悪戯いたずらで伐きるのとは、気持きもちがすっかり異ちがいます。私達わたくしたちにはその気持きもちがよく判わかるのです……。』

『では花瓶かびんに活いける為ために枝えだを伐きられても、あなた方がたはそう気きまずくは思おもわないでしょう?』

『それは思おもいませぬ……。私達わたくしたちを心こころから可愛かわいがってくださる人間にんげんに枝えだの一本ほんや二本ほん歓よろこんでさしあげます……。』

『果実みを採とられる気持きもちも同おなじですか?』

『私達わたくしたちが丹精たんせいして作つくったものが、少すこしでも人間にんげんのお役やくに立たつと思おもえば、却かえってうれしうございます……。』

『木きによっては、根元ねもとから伐きり倒たおされる場合ばあいもありますが、その時ときあなた方がたは何どうなさる?』

『そりゃよい気持きもちは致いたしませぬ。しかし伐きられるものを、私達わたくしたちの力ちからで何どうすることもできませぬ。すぐあきらめて、木きが倒たおれる瞬間しゅんかんにそこを立たちのいて了しまいます……。』

『あなた方がたの中なかにも、人間にんげんが好すきなものと嫌きらいなもの、又また性質せいしつのさびしいものと陽気ようきなものと、いろいろ相違そういがあるでしょうね?』

『それは様々さまざまでございます。中なかには随分ずいぶんひねくれた、気きむつかしい性質たちのものがあり、どうかすると人間にんげんを目めの仇かたきに致いたします……。』

何なんと申もうしましても、人間にんげんと妖精ようせいとでは、距離きょりが大分だいぶかけ離はなれていて、談話はなしがしっくりと腑ふに落おちないところもございますが、それでも、こうしている中うちに、幾分いくぶんか先方むこうの心持こころもちが呑のみ込こめたように思おもわれてまいりました。それから私わたくしはよきほどに梅うめの精せいとの対話はなしを切きり上あげ、他ほかの妖精達ようせいたちの査しらべにかかりましたが、人間にんげんから観みれば何いずれも大同小異だいどうしょういの妖あやしい小人こびとというのみで、一々細こまかいことは判わかりかねました。標本みほんとして私わたくしはそれ等らの中なかで少すこし毛色けいろの異かわったものの人相書にんそうがきを申上もうしあげて置おくことにいたしましょう。

梅うめの精せいの次つぎに私わたくしが目めをとめたのは、松まつの精せいで、男松おまつは男おとこの姿すがた、女松めまつは女おんなの姿すがた、どちらも中年者ちゅうねんしゃでございました。梅うめの精せいよりかも遥はるかに威厳いげんがあり、何所どこやらどっしりと、きかぬ気性きしょうを具そなえているようでございました。しかし、その大おおきさは矢張やはり五寸すん許ばかり、蒼味あおみがかった茶ちゃっぽい唐服からふくを着きて、そしてきれいな羽根はねを生はやして居いるのでした。

松まつや梅うめの精せいに比くらべると竹たけの精せいはずっと痩やせぎすで、何なにやら少すこし貧相ひんそうらしく見みえましたが、しかし性質せいしつはこれが一番ばん穏和おとなしいようでございました。で、若もし松竹梅しょうちくばいと三つ並ならべて見みたら、強つよいのと弱よわいのとの両極端りょうきょくたんが松まつと竹たけとで、梅うめはその中間ちゅうかんに位くらいして居いるようでございます。

それから菫すみれ、蒲公英たんぽぽ、桔梗ききょう、女郎花おみなえし、菊きく……一年生ねんせいの草花くさばなの精せいは、何いずれも皆みな小供こどもの姿すがたをしたものばかり、形態なりは小柄こがらで、眼めのさめるような色いろ模様もようの衣裳いしょうをつけて居おりました。それ等らが大おおきな群むれを作つくって、大空おおぞら狭せましと乱みだれ飛とぶところは、とても地上ちじょうでは見みられぬ光景ありさまでございます。中なかでどれが一番ばんきれいかと仰おっしゃるか……さあ草花くさばなの精せいの中なかでは矢張やはり菊きくの精せいが一番ばん品位ひんがよく、一番ばん巾はばをきかしているようでございました……。

五十、銀杏の精

一ひと通とおり野原のはらの妖精ようせい見物けんぶつを済すませますと、指導役しどうやくのお爺じいさんは、私わたくしに向むかって言いわれました。――

『この辺あたりに見掛みかける妖精達ようせいたちは概がいして皆みな年齢としの若わかいものばかり、性質せいしつも無邪気むじゃきで、一向こう多愛たあいもないが、同おなじ妖精ようせいでも、五百年ねん、千年ねんと功労こうろう経へたものになると、なかなか思慮しりょ分別ふんべつもあり、うっかりするとヘタな人間にんげんは敵かなわぬことになる。例たとえばあの鎌倉かまくら八幡宮はちまんぐうの社頭しゃとうの大銀杏おおいちょうの精せい――あれなどはよほど老成ろうせいなものじゃ……。』

『お爺じいさま、あの大銀杏おおいちょうならば私わたくしも生前せいぜんによく存ぞんじて居おります。何どうぞこれからあそこへお連つれ下くださいませ……。一度どその大銀杏おおいちょうの精せいと申もうすのに逢あって置おき度とうございます。』

『承知しょうち致いたした。すぐ出掛でかけると致いたそう……。』

どこを何どう通過つうかしたか、途中とちゅうは少すこしも判わかりませぬが、私達わたくしたちは忽たちまちあの懐なつかしい鎌倉かまくら八幡宮はちまんぐうの社前しゃぜんに着つきました。巾はばの広ひろい石段いしだん、丹塗にぬりの楼門ろうもん、群むらがる鳩はとの群むれ、それからあの大おおきな瘤こぶだらけの銀杏いちょうの老木ろうぼく……チラとこちらから覗のぞいた光景ありさまは、昔むかしとさしたる相違そういもないように見受みうけられました。

私達わたくしたちは一応おう参拝さんぱいを済すませてから、直ただちに目的もくてきの銀杏いちょうの樹きに近寄ちかよりますと、早はやくもそれと気きづいたか、白茶色しろちゃいろの衣裳いしょうをつけた一人ひとりの妖精ようせいが木蔭こかげから歩あゆみ出いで、私達わたくしたちに近ちかづきました。身みの丈たけは七八寸すん、肩かたには例れいの透明とうめいな羽根はねをはやして居おりましたが、しかしよくよく見みれば顔かおは七十余あまりの老人ろうじんの顔かおで、そして手てに一条じょうの杖つえをついて居おりました。私わたくしは一ひと目め見みて、これが銀杏いちょうの精せいだと感かんづきました。

『今日きょうはわざわざこれなる女性じょせいを連つれて来きました。』と指導役しどうやくのお爺じいさんは老妖精ろうようせいに挨拶あいさつしました。『御手数おてかずでも、何なにかと教おしえてあげてください……。』

『ようこそ御出おいでくだされた。』と老妖精ろうようせいは笑顔えがおで私わたくしを迎むかえてくれました。『そなたは気きづかなかったであろうが、実じつはそなたがまだ可愛かわいらしい少女姿しょうじょすがたでこの八幡宮はちまんぐうへ御詣おまいりなされた当時とうじから、俺わしはようそなたを存ぞんじて居おる……。人間にんげんの世界せかいと申もうすものは瞬またたく間まに移うつり変かわれど、俺わしなどは幾年いくねん経たっても元もとのままじゃ……。』

枯かれた、落附おちついた調子ちょうしでそう言いって、老おいたる妖精ようせいはつくづくと私わたくしの顔かおを打うちまもるのでございました。私わたくしも何なにやら昔馴染むかしなじみの老人ろうじんにでもめぐり逢あったような気きがして、懐なつかしさが胸むねにこみ上あげて来くるのでした。

老妖精ろうようせいは一層そうしんみりとした調子ちょうしで、談話はなしをつづけました。

『実じつを申もうすと俺わしはこの八幡宮はちまんぐうよりももっと古ふるく、元もとはここからさして遠とおくもない、とある山中さんちゅうに住すんで居いたのじゃ。然しかるにある年とし八幡宮はちまんぐうがこの鶴岡つるがおかに勧請かんじょうされるにつけ、その神木しんぼくとして、俺わしが数かずある銀杏いちょうの中うちから選えらび出だされ、ここに移うつし植うえられることになったのじゃ。それから数かぞえてももうずいぶんの星霜つきひが積つもったであろう。一たん神木しんぼくとなってからは、勿体もったいなくもこの通とおり幹みきの周囲しゅういに注連縄しめなわが張はりまわされ、誰一人たれひとり手てさえ触ふれようとせぬ。中なかには八幡宮はちまんぐうを拝おがむと同時どうじに俺わしに向むかって手てを合あわせて拝おがむものさえもある……。これと申もうすも皆みな神様かみさまの御加護ごかご、お蔭かげで他所よその銀杏いちょうとは異ことなり、何年なんねん経たてど枝えだも枯かれず、幹みきも朽くちず、日本国中にほんこくじゅうで無類むるいの神木しんぼくとして、今いまもこの通とおり栄さかえて居いるような次第しだいじゃ。』

『長ながい歳月としつきの間あいだには随分ずいぶんいろいろの事ことを御覧ごらんになられたでございましょう……。』

『それは覧みました……。そなたも知しらるる通とおり、この鎌倉かまくらと申もうすところは、幾度いくどとなく激はげしい合戦かっせんの巷ちまたとなり、時ときにはこの銀杏いちょうの下したで、御神前ごしんぜんをも憚はばからぬ一人ひとりの無法者むほうものが、時ときの将軍しょうぐんに対たいして刃傷沙汰にんじょうさたに及およんだ事こともある……。そうした場合ばあい、人間にんげんというものはさてさて惨むごいことをするものじゃと、俺わしはどんなに歎なげいたことであろう……。』

『でもよくこの銀杏いちょうの樹きに暴行ぼうこうを加くわえるものがなかったものでございます……。』

『それは神木しんぼくである御蔭おかげじゃ。俺わしの外ほかにこの銀杏いちょうには神様かみさまの御眷族ごけんぞくが多数おおぜい附ついて居おられる。若もしいささかでもこれに暴行ぼうこうを加くわえようものなら、立所たちどころに神罰しんばつが降くだるであろう。ここで非命ひめいに斃たおれた、かの実朝公さねともこうなども、今いまはこの樹きに憑かかって、守護しゅごに当あたって居おられる……。イヤ丁度ちょうど良よい機会おりじゃ。そなたも一応おうそれ等らの方々かたがたにお目めにかかるがよいであろう。何いずれも爰ここにお揃そろいになって居おられる……。』

そう言いわれて驚おどろいて振ふり返かえって見みると、甲冑かっちゅうを附つけた武将達ぶしょうたちだの、高級こうきゅうの天狗様てんぐさまだのが、数人すうにん樹きの下したに佇たたずみて、笑顔えがおで私達わたくしたちの様子ようすを見守みまもって居おられましたが、中なかでも強つよく私わたくしの眼めを惹ひいたのは、世よにも気高けだかい、若々わかわかしい実朝公さねともこうのお姿すがたでした……。

×      ×      ×      ×

さなきだに不思議ふしぎな妖精界ようせいかいの探検たんけんに、こんな意外いがいの景物けいぶつまでも添そえられ、心こころから驚おどろき入いることのみ多おおかった故せいか、その日ひの私わたくしはいつに無なく疲労つかれを覚おぼえ、夢見心地ゆめみごこちでやっと修行場しゅぎょうばへ引ひき上あげたことでございました。

五十一、第三の修行場

私わたくしの山やまの修行しゅぎょうは随分ずいぶん長ながくつづきましたが、やがて又またこの修行場しゅぎょうばにも別わかれを告つぐべき時節じせつがまいりました。

『汝そちの修行しゅぎょうもここで一段落だんらくついたようじゃ。これから別べつの修行場しゅぎょうばへ連つれてまいる……。』

或ある日ひ指導役しどうやくのお爺じいさんからそう言いい渡わたされましたが、実じつをいうと私わたくしの方ほうでも近頃ちかごろはそろそろ山やまに倦あきが来ききて、どこぞ別べつのところへ移うつって見みたいような気分きぶんがして居いたのでございました。私わたくしは二つ返事へんじでお爺じいさんの言葉ことばに従したがいました。

引越ひっこしは例れいによって至極しごくお手軽てがるでございました。私わたくしが自身じしんで持参じさんしたのはただ母ははの形見かたみの守刀まもりがたなだけで、いざ出発しゅっぱつと決きまった瞬間しゅんかんに、今いままで住すんで居いた小屋こやも、器具類きぐるいもすうっと消きえ失うせ、その跡あとには早はやくも青々あおあおとした蘇苔こけが隙間すきまなく蒸むして居いるのでした。何なにがあっけないと申もうして、斯こんなあっけない仕事しごとはめったにあるものでなく、相当そうとう幽界ゆうかいの生活せいかつに慣なれた私わたくしでさえ、いささか物足ものたりなさを感かんじない訳わけにもまいりませんでした。

が、お爺じいさんの方ほうでは、何処どこに風かぜが吹ふくと言いった面持おももちで、振ふり向むきもせず、ずんずん先さきへ立たって歩あるき出だされましたので、私わたくしも黙だまってその後あとに跟ついてまいりますと、いつしか道みちが下くだり坂さかになり、くねくねした九十九折つづらおりをあちらへ繞めぐり、こちらへ𢌞まわっている中うちに、何所どこともなくすざまじい水音みずおとが響ひびいてまいりました。

『お爺じいさま、あれは瀑布たきの音おとでございますか?』

『そうじゃ。今度こんどの修行場しゅぎょうばはあの瀑布たきのすぐ傍そばにあるのじゃ。』

『まあ瀑布たきの修行場しゅぎょうば……。どんなに結構けっこうなところでございましょう。私わたくしも、何所どこか水みずのある所ところで修行しゅぎょうしたいような気分きぶんになって居おりました。』

『それだから今度こんどの瀑布たきの修行場しゅぎょうばとなったのじゃ。汝そちも知しる通とおり、こちらの世界せかいの掟おきてにはめったに無理むりなところはない……。』

そう話はなし合あっている中うちに、いつしか私達わたくしたちは飛沫しぶきを立たてて流ながるる、二間けんばかりの渓流たにかわのほとりに立たっていました。右みぎも左ひだりも削けずったような高たかい崖がけ、そこら中じゅうには見上みあげるような常盤木ときわぎが茂しげって居おり、いかにもしっとりと気分きぶんの落おちついた場所ばしょでした。

不図ふと気きがついて見みると、下方したを流ながるる渓流たにがわの上手かみては十間けん余あまりの懸崕けんがいになって居おり、そこに巾はばさが二三間けんぐらいの大おおきな瀑布たきが、ゴーッとばかりすさまじい音おとを立たてて、木この葉はがくれに白布はくふを懸かけて居おりました。

私わたくしはどこに一点てんの申分もうしぶんなき、四辺あたりの清浄せいじょうな景色けしきに見惚みとれて、覚おぼえず感歎かんたんの声こえを放はなちましたが、しかしとりわけ私わたくしを驚おどろかせたのは、瀑壺たきつぼから四五間けんほど隔へだてた、とある平坦たいらな崖地がけちの上うえに、私わたくしが先刻せんこくまで住すんでいた、あの白木造しらきづくりの小屋こやがいつの間まにか移うつされて居いたことでした。

『まあ斯こんなところに……。』

私わたくしは呆あきれてそう叫さけびましたが、しかしお爺じいさんは例れいによってそんな事ことは当然あたりまえだと言いった風情ふぜいで、ニコリともせず斯こう言いわれるのでした。――

『これから汝そちはここでみっしり修行しゅぎょうするのじゃ。俺わしはこれで帰かえる……。』

言いうが早はやいか、お爺じいさんの白衣びゃくいの姿すがたはぷいと烟けむりのように消きえて、私わたくしはただひとりポッネンと、この閑寂かんじゃくな景色けしきの中なかに取とり残のこされました。

五十二、瀑布の白竜

たった一人ひとりで、そんな山奥やまおくの瀑壺たきつぼの辺へりに暮くらすことになって、さびしくはなかったかと仰おっしゃるか……。ちっともさびしいだの、気味きみがわるいだのということはございませぬ。そんな気持きもちに襲おそわれるのは死しんでから間まのない、何なにも判わからぬ時分じぶんのこと、少すこしこちらで修行しゅぎょうがつんでまいりますと、自分じぶんの身辺しんぺんはいつも神様かみさまの有難ありがたい御力おちからに衛まもられているような感かんじがして、何所どこに行いっても安心あんしんして居おられるのでございます。しかも今度こんどの私わたくしの修行場しゅぎょうばは、山やまの修行場しゅぎょうばよりも一段だん格かくの高たかい浄地じょうちで、そこには大たいそうお立派りっぱな一体たいの竜神様りゅうじんさまが鎮しずまって居おられたのでした。

ある時とき私わたくしが一心いつしんに統一とういつの修行しゅぎょうをして居おりますと、誰だれか背後うしろの方ほうで私わたくしの名なを呼よぶものがあるのです。『指導役しどうやくのお爺じいさんかしら……。』そう思おもって不図ふと振ふりかえて見みると、そこには六十前後ぜんごと見みゆる、すぐれて品位ひんのよい、凛々りりしいお顔かおの、白衣びゃくいの老人ろうじんが黒くろっぽい靴くつを穿はいて佇たたずんでいました。私わたくしは一ひと目め見みて、これはきっと貴とうとい神かみさまだとさとり、丁寧ていねいに御挨拶ごあいさつを致いたしました。それがつまりこの瀑布たきの白竜はくりゅうさまなのでございました。

『俺わしは古ふるくからこの瀑布たきを預あずかっている老人としよりの竜神りゅうじんじゃが、此度このたび縁えんあって汝そなたを手元てもとに預あずかることになって甚はなはだ歓よろこばしい。一度ど汝そなたに逢あって置おかうと思おもって、今日きょうはわざわざ老人としよりの姿すがたに化ばけて出現でてまいった。人間にんげんと談話はなしをするのに竜体りゅうたいではちと対照うつりが悪わるいのでな……。』

そう言いって私わたくしの顔かおを見みて微笑ほほえまれました。私わたくしはこんな立派りっぱな神様かみさまが時々ときどき姿すがたを現あらわして親切しんせつに教おしえてくださるかと思おもうと、忝かたじけないやら、心強こころつよいやら、自おのずと涙なみだがにじみ出でました。――

『これからは何卒なにとぞよしなに御指導ごしどうくださいますよう……。』

『俺わしの力量ちからに及およぶことなら何なんなりと申出もうしでるがよい。すでに竜宮界りゅうぐうかいからも、そなたの為ためによく取計とりはからえとのお指図さしずじゃ。遠慮えんりょなく訊ききたいことを訊きいてもらいたい。』

親身しんみになっていろいろとやさしく言いわれますので、私わたくしの方ほうでもすっかり安心あんしんして、勿体もったいないとは思おもいつつも、いつしか懇意こんいな叔父おじさまとでも対座たいざしているような、打解うちとけた気分きぶんになって了しまいました。

『あの大たいそう無躾ぶしつけなことを伺うかがいますが、あなた様さまはよほど永ながくここにお住居すまいでございますか。』

『さァ人間界にんげんかいの年数ねんすうに直なおしたら何年位なんねんぐらいになろうかな……。』と老竜神ろうりゅうじんはにこにこし乍ながら『少すくなく見積みつもっても三万年位まんねんぐらいにはなるであろうかな。』

『三万年まんねん!』と私わたくしはびっくりして、『その間あいだには随分ずいぶんいろいろの変かわった事件じけんが起おこったでございましょう……。』

『もともとこちらの世界せかいのことであるから、さまで変かわった事件ことも起おこらぬ。最初さいしょここへ参まいった時ときに蒼黒あおぐろかった俺わしの躯からだがいつの間まにか白しろく変かわった位くらいのものじゃ。その中うち俺わしの真実ほんとうの姿すがたを汝そなたに見みせて上あげるとしょう……。』

『それは何時いつでございましょうか。只今ただいますぐに拝おがまして戴いただきとう存ぞんじまするが……。』

『イヤすぐという訳わけにはまいらぬ。汝そなたの修行しゅぎょうがもう少すこし積つんで、これならばと思おもわれる時ときに見みせるとしょう。』

その時ときはそんな対話はなしをした丈だけでお分わかれしましたが、私わたくしとしては一時ときも早はやくこの瀑布たきの竜神様りゅうじんさまの本体ほんたいを拝おがみたいばかりに、それからというものは、一心しん不乱ふらんに精神統一せいしんとういつの修行しゅぎょうをつづけました。又また場所ばしょが場所丈ばしょだけに、近頃ちかごろの統一状態とういつじょうたいは以前いぜんよりもずっと深ふかく、ずっと混まじりなくなったように自分じぶんにも感かんじられました。

それからどれ位くらい経たった時ときでございましょうか、ある日ひ俄にわかに私わたくしの眼めの前まえに、一道どうの光明こうみょうがさながら洪水こうずいのように、どっと押おし寄よせてまいりました。一たんは、はっと愕おどろきましたが、それが何なにかのお通報しらせであろうと気きがついて心こころを落おちつけますと、つづいて瀑布たきの方向ほうこうに当あたって、耳みみがつぶれるばかりの異様いようの物音ものおとがひびきます。

私わたくしは直ただちに統一とういつを止やめて、急いそいで滝壺たきつぼの上うえに走はしり出でて見みますと、果はたしてそこには一体たいの白竜はくりゅう……爛々らんらんと輝かがやく両眼りょうがん、すっくと突とき出だされた二本ほんの大おおきな角つの、銀しろがねをあざむく鱗うろこ、鋒ほこを植うえたような沢山たくさんの牙きば……胴どうの周囲まわりは二尺しゃく位くらい、身長みのたけは三間げん余あまり……そう言いった大おおきな、神々こうごうしいお姿すがたが、どっと落おち来くる飛沫しぶきを全身ぜんしんに浴あびつつ、いかにも悠々ゆうゆうたる態度たいどで、巌角いわかどを伝つたわって、上うえへ上うえへと攀よじ登のぼって行ゆかれる……。

眼まのあたり、斯こうした荘厳無比そうごんむひの光景ありさまに接せっした私わたくしは、感極かんきわまりて言葉ことばも出いでず、覚おぼえず両手りょうてを合あわせて、その場ばに立たち尽つくしたことでございました。

私わたくしは前まえにも幾度いくたびか竜体りゅうたいを目撃もくげきして居おりますが、この時ときほど間近まじかく見み、この時ときほど立派りっぱなお姿すがたを拝おがんだことはございませぬ。その時ときの光景ありさまはとても私わたくしの拙つたない言葉ことばで尽つくすことはできませぬ。何卒どうぞ然しかるべくお察さっしをお願ねがいします……。

五十三、雨の竜神

瀑布たきの修行場しゅぎょうばでは、私わたくしが実際じっさい瀑布たきにかかったかと仰おっしゃるか……。かかりは致いたしませぬ。私わたくしはただ瀑布たきの音おとに溶とけ込こむようにして、心こころを鎮しずめて坐すわって居いたまでで、そうすると何なんともいえぬ無我むがの境さかいに誘さそはれて行ゆき、雑念ざつねんなどは少すこしもきざしませぬ。肉体にくたいのある者ものには水みずに打うたれるのも或あるいは結構けっこうでございましょうが、私わたくしどもにはあまりその効能ききめがないようで……。又また指導役しどうやくのお爺じいさんも『瀑布たきにはかからんでも、その気分きぶんになればそれでよい……。』とのお言葉ことばでございました。

或あの日ひ私わたくしが統一とういつの修行しゅぎょうに疲つかれて、瀑壺たきつぼの所ところへ出でてぼんやり水みずを眺ながめて居おりますと、ここの竜神様りゅうじんさまが、又またもや例れいの白衣姿びゃくいすがたで、白木しらきの長ながい杖つえをつきながら、ひょっくり私わたくしの傍そばへお現あらわれになりました。

『丁度ちょうどよい機会おりであるから、汝そなたを上うえの山やまへ連つれて行いって、一ひとつ大たいへんに面白おもしろいものを見みせて上あげようと思おもうが……。』

『面白おもしろいものと言いってそれは何なんでございますか?』

『自分じぶんについて来くれば判わかる。汝そなたは折角せっかく修行しゅぎょうの為ためにここへ寄越よこされているのであるから、この際さいできる丈だけ何彼なにかを見聞けんぶんして置おくがよいであろう……。』

もとより拒こばむべき筋合すじあいのものでございませぬから、私わたくしは早速さっそく身支度みじたくしてこの親切しんせつな、老おいたる竜神りゅうじんさんの後あとについて出掛でかけることになりました。

瀑布たきの右手みぎてにくねくねと附ついている狭せまい山道やまみち、私達わたくしたちはそれをば上うえへ上うえへと登のぼって行ゆきました。見みるとその辺あたりは老木ろうぼくがぎっしり茂しげっている、ごくごく淋さびしい深山しんざんで、そして不思議ふしぎに山彦こだまのよく響ひびく処ところでございました。漸ようやく山林地帯さんりんちたいを出抜でぬけると、そこは最もう山やまの頂辺てっぺんで、芝草しばくさが一面めんに生はえて居おり、相当そうとうに見晴みはらしのきくところでございました。

『実じつは今日きょうここで汝そなたに雨降あめふりの実況じっきょうを見みせるつもりなのじゃ。と申もうして別べつに俺わしが直接じかにやるのではない。雨あめには雨あめの受持かかりがある……。』

そう言いって瀑布たきのお爺じいさんは、眼めを閉とじてちょっと黙祷もくとうをなさいましたが、間まもなくゴーッという音おとがして、それがあちこちの山々やまやまにこだまして、ややしばらく音おとが止やみませんでした。

と見みると、向むかうに一人ひとりの若わかい男子おとこの姿すがたが現あらわれました。年としの頃ころは三十許ばかり、身みには丸味まるみがかった袖そでの浅黄あさぎの衣服いふくを着つけ、そして膝ひざの辺あたりでくくった、矢張やはり浅黄色あさぎいろの袴はかまを穿はき、足あしは草履ぞうりに足袋たびと言いった、甚はなはだ身軽みがるな扮装いでたちでした。頭髪かみは茶筌ちゃせんに結ゆっていました。

『これは雨あめの竜神りゅうじんさんが化ばけけて来きたのに相違そういない……。』一ひと目め見みた時ときに私わたくしはすぐそう感かんづきました。不思議ふしぎなもので、いつ覚おぼえたともなく、その頃ころの私わたくしにはそれ位くらいの見みわけがつくのでした。

お爺じいさんは言葉ことば少ずくなに私わたくしをこの若者わかものに引ひき合あわせた上うえで、

『今日きょうは御苦労ごくろうであるが、俺わしのところの修行者しゅぎょうじゃに一ひとつ雨あめを降ふらせる実況じっきょうを見みせて貰もらいたいのじゃが……。』

『承知しょうち致いたしました。』

若者わかものは快こころよく引ひき受うけ、直ただちにその準備したくにかかりました。尤もっとも準備したくと言いっても別べつにそううるさい手続てつづきのあるのでも何なんでもございませぬ。ただ上うえの神界しんかいに真心まごころこめて祈願きがんする丈だけで、その祈願きがんが叶かなえば神界しんかいから雨あめを賜たまわることのようでございます。つまり自然界しぜんかいの仕事しごとは幾段いくだんにも奥おくがあり、いかに係かかりの竜神りゅうじんさんでも、御自分ごじぶんの力ちからのみで勝手かってに雨あめを降ふらしたり、風かぜを起おこしたりはできないようでございます。

それはさて措おき、年としの若わかい雨あめの竜神りゅうじんさんは、瀑布たきの竜神りゅうじんさんと一緒しょになって、口くちの中なかで何なにか唱となえごとをしながら、ややしばらく祈願きがんをこめていましたが、それが終おわると同時どうじに、ぷいとその姿すがたを消けしました。

『あれは今いま竜体りゅうたいに戻もどったのじゃ。』とお爺じいさんが説明せつめいしてくれました。『竜体りゅうたいに戻もどらぬと仕事しごとが出来できぬのでな……。その中うち直じきに始はじまるであろうから、しばらくここで待まつがよい。』

そんなことを言いっている中うちにも、何なにやら通信つうしんがあるらしく、お爺じいさんはしきりに首肯うなづいて居おられます。

『何なにか差支さしつかえでも起おきたのでございますか?』

『いやそうではない。実じつは神界しんかいから、雨あめを降ふらせるに就ついては、同時どうじに雷かみなりの方ほうも見みせてやれとのお達たっしが参まいったのじゃ。それで今いまその手筈てはずをしているところで……。』

『まあ雷かみなりでございますか……。是非ぜひそれも見みせて戴いただき度とうございます……。』

五十四、雷雨問答

それから間まもなく、私わたくしは随分ずいぶんと激はげしい雷雨らいうの実況じっきょうを見みせて戴いただいたのでございますが、外観がいかんからいえばそれは現世げんせで目撃もくげきした雷雨らいうの光景こうけいとさしたる相違そういもないのでした。先まず遥はるか向むかうの深山みやまでゴロゴロという音おとがして、同時どうじに眼めも眩くらむばかりの稲妻いなづまが光ひかる。その中うち、空そらが真暗まっくらくなって、あたりの山々やまやまが篠突しのつくような猛雨もううの為ために白しろく包つつまれる……ただそれきりのことに過すぎませぬ。

が、内容なかみからいえば、それは現世げんせではとても思おもいもよらぬような、不思議ふしぎな、そして物凄ものすごい光景こうけいなのでございました。

『雨雲あまぐもの中なかをよく見みるがよい。眼めを離はなしてはならぬ。』

お爺じいさんからそう注意ちゅういされるまでもなく、私わたくしはもう先刻さっきから一心不乱いっしんふらんに深ふかい統一とういつに入はいって、黒雲くろくもの中なかを睨にらみつめて居いたのですが、たちまち一体いったいの竜神りゅうじんの雄姿ゆうしがそこに鮮あざやかに見出みいだされました。私わたくしは思おもわず叫さけびました。――

『あれあれ薄うすい鼠色ねずみいろの男おとこの竜神りゅうじんさんが、大おおきな口くちを開あけて、二本ほんの角つのを振ふり立たてて、雲くもの中なかをひどい勢いきおいで駆かけて行ゆかれる……。』

『それが先刻さっき爰ここに見みえた、あの若者わかものなのじゃ。』

『あれ、向むかうの峰みねを掠かすめて、白しろい、大おおきな竜神りゅうじんさんが、眼めにもとまらぬ迅はやさで横よこに飛とんで行ゆかれる……あの凄すごい眼めの色いろ……。』

『それが雷かみなりの竜神りゅうじんの一人ひとりじゃ。力量ちからはこの方かたが一段だんも二段だんも上うえじゃ……。』

『あれ、雨あめの竜神りゅうじんさんが、こちらを向むいて、何なにやら相図あいずをして向むかうの方ほうに飛とんで行ゆかれます……。』

『それは、そろそろ雨あめを切上きりあげる相図あいずをしているのじゃ。もう間まもなく雨あめも雷かみなりも止やむであろう……。』

果はたして間まもなく雷雨らいうは、拭ぬぐうが如ごとく止やみ、山やまの上うえは晴はれた、穏おだやかな最初さいしょの景色けしきに戻もどりました。私わたくしは夢ゆめから覚さめたような気分きぶんで、しばらくは言葉くちもきけませんでした。

ややありて私わたくしは瀑布たきの竜神りゅうじんさんに向むかい、今日きょう見みせられた事柄ことがらに就ついていろいろお訊たずねしましたが、いかに訊たずねても訊たずねても矢張やはり私わたくしの器うつわだけのことしか判わかる筈はずもなく、従したがってあまり御参考ごさんこうにもならぬかと存ぞんじますが、兎とも角かくその時ときの問答もんどうの一部ぶをお伝つたえして置おきます。――

問『雨あめを降ふらすのと、雷かみなりを起おこすのとでは、いつもその受持うけもちが異ちがうのでございますか?』

答『それは無論むろんそうじゃ。俺達わしたちの世界せかいにもそれぞれ受持うけもちがある……。』

問『どのような手続てつづきで、あんな雨あめや雷かみなりが起おこるのでございますか?』

答『さあそれは甚はなはだ六ヶむずかしい……。一ひと口くちに言いって了しまへば念力ねんりきじゃが、むろんただそう言いったのみでは足たらぬ。天地てんちの間あいだにはそこに動うごかすことのできぬ自然しぜんの法則さだめがあり、竜神りゅうじんでも、人間にんげんでも、その法則さだめに背そむいては何事なにごともできぬ。念力ねんりきは無論むろん大切たいせつで、念力ねんりきなしには小雨こさめ一ひとつ降ふらせることもできぬが、しかしその念力ねんりきは、何なには措おいても自然しぜんの法則さだめに協かなうことが肝要かんようじゃ。先刻せんこく雨あめを降ふらせるにつきても、俺達わしたちが第だい一に神界しんかいのお許ゆるしを受うけたのはそこじゃ。大おおきな仕事しごとになればなるほど、ますます奥おくが深ふかくなる。俺達わしたちは言いわば神かみと人ひととの中間ちゅうかんの一ひとつの活いきた道具だうぐじゃ……。』

問『先刻せんこくの雨あめと雷かみなりとは、何いずれもお一人ひとりづつで行やられたお仕事しごとでございましたか?』

答『雨あめの方ほうはただ一人ひとりの竜神りゅうじんの仕事しごとじゃった。汝そなた一人ひとりの為ために降ふらせたまでの俄雨にわかあめであるから、従したがってその仕掛しかけもごく小ちいさい……。が、雷かみなりの方ほうはあれで二人ふたりがかりじゃ。こればかりは、いかなる場合ばあいにも二人ふたりは要いる。一方ほうは火竜かりゅう、他方たほうは水竜すいりゅう――つまり陽ようと陰いんとの別べつな働はたらきが加くわわるから、そこに初はじめてあの雷鳴らいめいだの、稲妻いなづまだのが起おこるので、雨あめに比くらべると、この仕事しごとの方ほうが遥はるかに手数てすうがかかるのじゃ……。』

五十五、母の訪れ

私わたくしが滝たきの修行場しゅぎょうばへ滞在たいざいした期間きかんはさして長ながくもなかった上うえに、あそこは言いわば精神統一せいしんとういつの特別とくべつの行場ぎょうばでございましたので、これはと言いって特とくに申上もうしあげるほどの面白おもしろい出来事できごともございませぬ。私わたくしはあの滝たきの音おとをききながら、いつもその音おとの中なかに溶とけこむような気分きぶんで、自分じぶんの存在ありかも忘わすれて、うっとりとしていることが多おおいのでございました。お蔭様かげさまでそうした修行しゅぎょうの結果けっか、私わたくしの統一とういつは以前いぜんにましてずっと深ふかまり、物ものを視みるにも、あれから大たいへんに楽らくになったように、自分じぶんにも感かんじられてまいりました。こちらの世界せかいへ来きてもすべては修行しゅぎょう次第しだいで、呑気のんきに遊あそんでいたのでは、決けっして力量ちからがつくものではないようでございます。実じつをいうと私わたくしなどは、可かなり執着しゅうじゃくも強つよく、しかも自分じぶんでは成なるべく呑気のんきに構かまえていたい方ほうなのですが、魂みたまの因縁いんねんと申もうしましょうか、上うえの神様かみさまからのお指図さしずで、いつも一ひとつの修行しゅぎょうから次つぎの修行しゅぎょうへと追おい立たてられてまいりました為ために、やっと人並ひとなみになれたのでございます。考かんがえて見みると随分ずいぶんお恥はずかしい次第しだいで……。

それはそうと滝たきの修行中しゅぎょうちゅうにも、一ひとつ二ふたつの思おもい出での種子たねがない訳わけでもございませぬ。その一ひとつは私わたくしの母ははがわざわざ訪たずねて来きてくれたことで、それが帰幽後きゆうごに於おける母子おやこの最初さいしょの対面たいめんでございました。

この対面たいめんにつきては前以まえもって指導役しどうやくのお爺じいさんからちょっと前触さきぶれがありました。『汝そちの母人ははびとも近頃ちかごろは漸ようやく修行しゅぎょうが積つんで、外出そとでも自由じゆうにできるようになったので、是非ぜひ一度ど汝そちに逢あわそうかと思おもっている。何いずれ近ちかい内うちにこちらに見みえるであろう……。』――私わたくしはそれをきいた時ときは嬉うれしさで胸むねが一ぱいでございました。そして母ははに逢あったらこれも語かたろう、あれも訊ききたいと、生前せいぜん死後しごにかけての積つもり積つもれるさまざまの事件じけんが、丁度ちょうど嵐あらしのように私わたくしの頭脳あたまの中なかに、一度どに押おし寄よせて来きたのでした。

それにつけても私わたくしの眼めに特とくに力強ちからづよく浮うかび出いでたのは、前まえにも申上もうしあげた、母ははの臨終りんじゅうの光景ありさまでした。あの見みる影かげもなく、老おいさらばえる面影おもかげ、あの断末魔だんまつまのはげしい苦悶くもん、あの肉体にくたいと幽体ゆうたいとをつなぐ無気味むきみな二本ほんの白しろい紐ひも、それからあの臨終りんじゅうの床とこの辺あたりをとりまいた現幽両界げんゆうりょうかいの多おおくの人達ひとたちの集あつまり……。私わたくしはその当時とうじを憶おもい出だして、覚おぼえず涙なみだに暮くれつつも、近ちかく訪おとずれるこちらの世界せかいの母ははがどんな様子ようすをしていられるかを、あれか、これかと際限さいげんもなく想像そうぞうするのでした。

すると、それから間まもなく、森閑しんかんと鎮しずまり返かえった私わたくしの修行場しゅぎょうばの庭にわに、何なにやら人ひとの訪おとずれる気配けはいがしましたので、不図ふと振ふり向むいて見みると、それは一人ひとりの指導役しどうやくの老人ろうじんに導みちかれた、私わたくしのなつかしい母親ははおやなのでした。

『お母かあさま‼』

『姫ひめ‼』

双方そうほうから馳はせ寄よった二人ふたりは互たがいに縋すがりついて了しまいました。

現在げんざいの母ははの様子ようすは、臨終りんじゅうの時ときの様子ようすとはびっくりするほど変かわって了しまい、顔かおもすっかり朗ほがらかになり、年齢としもたしかに十歳とおばかり若返わかがえって居おりました。母ははの方ほうでも私わたくしが諸磯もろいその佗住居わびずまいにくすぼり返かえっていた時ときに比くらべて、あまりに若々わかわかしく、あまりに元気げんきらしいのを見みて、自分じぶんの事ことのように心こころから歓よろこんでくれました。

『これほどあなたが立派りっぱな修行しゅぎょうを積つんでいるとは思おもわなかった。あなたの体からだからは丁度ちょうど神かみさまのように光明ひかりが射さします……。』

そんなことを言いいながら、右みぎから左ひだりからしげしげと私わたくしの姿すがたを見みまもるのでした。これも生うみの母ははなればこそ、と思おもえば、自おのずと先立さきだつものは泪なみだでございました。

不図ふと気きがついて見みると、庭先にわさきまで案内あんないの労ろうを執とってくだすった母ははの指導役しどうやくのお爺じいさんは、いつの間まにやら姿すがたを消けして、すべてを私達わたくしたち母子おやこの為なすところに任まかせられたのでした。

五十六、つきせぬ物語り

逢あった上うえは心行こころゆくまましんみりと語かたり合あおうと待まち構かまえていたのですが、さていよいよ斯こうして母ははと膝ひざを突つき合あわせて見みると、ひたぶるに胸むねが迫せまるばかりで、思おもって居いることの十が一も言葉ことばに出いでず、ともすれば泣なきたくなって仕方しかたがないのでした。

『こんなことでは余あまりにみつともない。今日きょうは面白おもしろく語かたり合あわねばならぬ……。』

私わたくしは一生しょう懸命けんめい、成なるべく涙なみだを見みせぬように努つとめましたが、それは母ははの方ほうでも同様どうようで、そっと涙なみだを拭ふいては笑顔えがおでかれこれと談話はなしをつづけるのでした。

『あなたはこちらでどんな境地ところを通とうって来きたのですか?』母ははは真先まっさきにそう訊たずねました。『最初さいしょからここではないようにきいて居おりますが……。』

『私わたくしはこちらで修行場しゅぎょうばが三度どほどかわりました。最初さいしょは岩屋いわやの修行場しゅぎょうば、そこはなかなか永なごうございました。その次つぎが山やまの修行場しゅぎょうば、その時代じだいに竜宮界りゅうぐうかいその他たいろいろの珍めずらしい所ところへ連つれて行ゆかれ、又また良人おっとをはじめ多おおくの人達ひとたちにも逢あわせていただきました。現在げんざいこの滝たきの修行場しゅぎょうばへ移うってからはまだ幾いくらにもなりませぬ……。』

『あなたはまあ何なんという結構けっこうな事ことばかりして来こられたことでしょう‼』と母ははは心こころから感心かんしんしました。『この母ははなどは岩屋いわやの修行しゅぎょうだの、山やまの修行しゅぎょうだのと、そんな変かわったことはただの一ひとつもして来きはしませぬ。まして竜宮界りゅうぐうかいなどと言いっては夢ゆめにだって見みたこともない……。あなたはたしかに特別とくべつの御用ごようを有もって生うまれた人ひとに相違そういない……。私わたくしの指導役しどうやくの神かみさまもそんなことを言いって居おられました……。』

『まさかそうでもございますまいが……。』

『イヤたしかにそうです。いつか時節じせつが来きたら、あなたにはきっと何なんぞ大事だいじのお仕事しごとが授さずけられますよ。何どうぞそのつもりで、今後こんごもしっかり修行しゅぎょうに精せいを出だしてください。母ははなどは、他ほかの多おおくの人達ひとたちと同おなじく、こちらに参まいってから、産土神様うぶすなのかみさまのお手元てもとで、ある一室しつを宛あてがわれ、そこで静しずかに修行しゅぎょうをつづけているだけなのです……。』

『父上ちちうえとは御ご一緒しょではございませんか。』

『一緒しょではありませぬ。現世げんせに居いた時分じぶんは、夫婦ふうふは同おなじ場所ばしょに行ゆかれるものかと考かんがえて居おりましたが、こちらへ来きて見みると同棲どうせいなどは思おもいも寄よりませぬ。魂みたまの関係かんけいとやらで、良人おっとは良人おっと、妻つまは妻つまと、チャーンと区別くべつがついているのです。もっとも私達わたくしたちの境涯きょうがいでも逢あおうと思おもえばいつでも逢あわれ、対話はなしをしようと思おもえばいつでも対話はなしはできますが……。斯こんなことをいうとあなたから笑わらわれるか知しれませぬが、私わたくしは一度ど指導役しどうやくの神様かみさまに向むかい、あまり心細こころぼそいから、せめて良人おっととだけは一緒しょに住すまわせて戴いただきたいと、お願ねがいしたことがあるのです。それでも神様かみさまは何どうあっても私わたくしの願ねがいをおきき入いれになってくださらないので、その時ときの私わたくしの力落ちからおとしと云いったらなかったものです。私わたくしは今いまでも時々ときどきはいつの時代じだいになったら、夫婦ふうふ、親子おやこ、兄弟きょうだいが昔むかしのように楽たのしく同居どうきょすることができるのかしらと思おもわれてなりませぬ。あなたにはそんなことがないのですか?』

『ないでもございませぬが、近頃ちかごろ統一とういつが深ふかくなった為ためか、だんだんそうした考かんがえが薄うすらいでまいりました。相当そうとうに修行しゅぎょうが積つんだら、一緒しょに棲すむとか、棲すまないとか申もうすことは、さして苦労くろうにならないようになって了しまうのではないでしょうか。竜宮界りゅうぐうかいの上うえの神様達かみさまたちの御様子ごようすを見みても、いつも夫婦ふうふ親子おやこが同棲どうせいして居おられることはないようでございます。それぞれ御用ごようが異ちがうので、平生へいぜいは別々べつべつになってお働はたらきになり、偶たまにしか御ご一緒しょになって、お寛くつろぎ遊あそばすことがないと申もうします……。』

『神様かみさまでも矢張やはりそうなのでございますかね……。そうして見みるとこの母ははなどはまだ現世げんせの執着しゅうじゃくが多分たぶんに残のこっている訳わけで、これからはあなたにあやかり、余あまり愚痴ぐちは申もうさぬことに気きをつけましょう。今日きょうは本当ほんとうによいことを伺うかがいました。あなたがそんなにまで修行しゅぎょうが出来できたのを見みると、私わたくしは心こころからうれしい……。』

そう言いいながらも母ははの眼めには、涙なみだが一つぱい溜たまって居いるのでした。

五十七、有難い親心

それから訊たずねらるるままに、私わたくしは母ははに向むかって、帰幽後きゆうごこちらの世界せかいで見聞けんぶんしたくさぐさの物語ものがたりを致いたしましたが、いつも一室しつに閉とじこもって、単調たんちょうなその日ひその日ひを送おくって居おる母ははにとりては、一々びっくりすることのみ多おおいらしいのでした。最後さいごに私わたくしが、最近さいきん滝たきの竜神りゅうじんさんの本体ほんたいを拝おがましていただいた話はなしを致いたしますと、母ははの愕おどろきは頂点てうてんに達たっしました。

『私わたくしはこちらの世界せかいへ来きて居おりながら、ただの一度どもまだ竜神りゅうじんさんの御本体ごほんたいを拝おがましていただいたことがない。今日きょうはあなたを訪おとずれた紀念きねんに、是非ぜひこちらの竜神りゅうじんさまにお目通めどおりをしたい。あなたから篤とくとお依たのみしてくださらぬか……。』

これには私わたくしもいささか当惑とうわくして了しまいました。果はたして滝たきの竜神りゅうじんさんが快こころよく母ははの依たのみを諾きいてくださるか何どうか、私わたくしにもまったく見当けんとうがとれないのでした。

『とも角かくも、私わたくしから折入おりいってお願ねがいして見みることにいたしましょう。しばらくお待まちくださいませ……。』

私わたくしは単身たんしん瀑壺たきつぼの側そばを通とうって上うえのお宮みやに詣もうで、母ははの願望ねがいをかなえさせてくださるようお依たのみしました。

滝たきの竜神りゅうじんさんはいつものように老人ろうじんの姿すがたでお現あらわれになり、微笑びしょうを浮うかべて斯こう言いわれるのでした。――

『汝達そちたちの談話はなしはよう俺わしにも聴きこえて居いました。人間にんげんの母子おやこの情愛じょうあいと申もうすものは、大たいてい皆みなああしたものらしく、俺達わしたちの世界せかいのようになかなかあっさりはして居おらんな。それで汝そちの母人ははびとは、今日きょう爰ここへ来きた序ついでに俺わしの本体ほんたいを見物けんぶつして、それを土産みやげに持もって帰かえりたいということのようであるが、これは少々しょうしょう困こまった註文ちゅうもんじゃ。俺わしの方ほうで勿体もったいぶる訳わけではないが、汝そちの母人ははびとの修行しゅぎょうの程度ていどでは、俺わしがいかに見みせたいと思おもってもまだとてもまともに俺わしの姿すがたを見みることはできぬのじゃ……。が、折角せっかくの依たのみとあって見みれば何なんとか便宜べんぎを図はかって上あげずばなるまい。兎とも角かくも母人ははびとを瀑壺たきつぼのところへ連つれてまいるがよかろう……。』

私わたくしは早速さっそく修行場しゅぎょうばから母ははを瀑壺たきつぼの辺ほとりに連つれ出だしました。そして二人ふたりで、両手りょうてを合あわせて一心しんに祈願きがんをこめて居おりますと、やがてどっと逆落さかおとしに落おち来くる滝たきの飛沫しぶきの中なかに、二間けん位くらいの白しろい女性じょせいの竜神りゅうじんの優やさしい姿すがたが現あらわれて、巌角いわかどを伝つたってすーッと上方うえに消きえ去さりました。

『あれは俺わしの子供こどもの一人ひとりじゃが……。』

そう言いわれて、驚おどろいて振ふりかえると、滝たきの竜神りゅうじんさんが、いつもの老人ろうじんの姿すがたで、にこにこしながら、私達わたくしたちの背後うしろに来きて、佇たたずんで居おられるのでした。

私わたくしは厚あつく今日きょうのお礼れいをのべて母ははを引ひき合あわせました。竜神りゅうじんさんはいとど優やさしく、いろいろと母ははを労いたわってくださいましたので、母ははもすっかり安心あんしんして、丁度ちょうど現世げんせでするように私わたくしの身みの上うえを懇々こんこんとお依たのみするのでした。

『不束ふつつかな娘むすめでございますが、何どうぞ今後こんごとも宜よろしうお導みちびきくださいますよう……。さぞ何なにかとお世話せわが焼やけることでございましょう……。』

『イヤあなたは良よいお子こさんを有もたれて、大たいへんにお幸福しあわせじゃ。』竜神りゅうじんさんというよりもむしろ人間にんげんらしい挨拶あいさつぶり。『近頃ちかごろは大分だいぶ修行しゅぎょうも積つまれてもう一ひと息いきというところじゃ。人間にんげんには執着しゅうじゃくが強つよいので、それを棄すてるのがなかなかの苦労くろう、ここまで来くるのには決けっして生なまやさしい事ことではない……。』

『これから先さきは娘むすめは何どういう風ふうになるのでございますか。まだ他ほかにもいろいろ修行しゅぎょうがあるのでございましょうか?』

『イヤそろそろ修行しゅぎょうに一段落だんらくつくところじゃ。本人ほんにんが生前せいぜん大たいへんに気きに入いった海辺うみべがあるので、これからそこへ落付おちつかせることになって居おる……。』

『左様さようでございますか。どんなに本人ほんにんにとりまして満足まんぞくなことでございましょう。』と母ははは自分じぶんのことよりも、私わたくしの前途ぜんとにつきて心こころを遣つかってくれるのでした。『それについては、私わたくしがあまりたびたび訪たずねるのは、却かえって修行しゅぎょうの邪魔じゃまになりましょうから、成なるべく自分じぶんの住所じゅうしょを離はなれずに、ただ折々おりおりの消息たよりをきいて楽たのしむことに致いたしましょう。その内うち折おりを見みてこの娘この良人おっとなりと訪たずねさせていただき度とうございます。そうすれば修行しゅぎょうをするにも何どんなに張合はりあいがあることでございましょう……。』

『イヤそれはもうしばらく待まってもらいたい。』と滝たきの竜神りゅうじんさんはあわて気味ぎみに母ははを制せいしました。『あの人ひとにはあの人ひととしての仕事しごとがあり、めいめい為することが異ちがいます。良人おっとを招よぶのは海辺うみべの修行場しゅぎょうばへ移うつってからのことじゃ……。』

『矢張やはりそんな訳わけのものでございますか……。私わたくしどもにはこちらの世界せかいのことがまだよくのみ込こめないので、ときどき飛とんだ失策しっさくをいたします。何分なにぶん神様かみさまの方ほうで宜よろしきように……。』

『その点てんは何どうぞ安心あんしんなさるように……。ではこれでお別わかれします。』

滝たきの竜神りゅうじんさんがプイと姿すがたを消けし、それと入いれ代かわりに母ははの指導役しどうやくのお爺じいさんが早速さっそく姿すがたを現あらわしましたので、母ははは名残惜なごりおしげに、それでも大たいして泪なみだも見みせず、間まもなく別わかれを告つげて帰かえり行ゆきました。

『矢張やはり生うみの母ははは有難ありがたい……。』

見送みおくる私わたくしの眼めからはこらへこらへた溜涙ためなみだが一度どに滝たきのように流ながれました。

五十八、可憐な少女

母ははに逢あってからの私わたくしは、しばらくの間あいだ気分きぶんが何なんとなく落おちつかず、統一とういつの修行しゅぎょうをやって見みても、ツイふらふらと鎌倉かまくらで過すごした処女時代むすめじだいの光景ありさまを眼めの中なかに浮うかべて見みるようなことが多おおいのでした。『こんなことでは本当ほんとうの修行しゅぎょうにも何なんにもなりはしない。気晴きばらしに少すこし戸外おもてへ出でて見みましょう……。』とうとう私わたくしは単身ひとりで滝たきの修行場しゅぎょうばを出でかけ、足あしのまにまに、谷川たにがわを伝つたって、下方したへ下方したへと降おりて行ゆきました。

戸外おもては矢張やはり戸外おもてらしく、私わたくしは直じきに何なんともいえぬ朗ほがらかな気持きもちになりました。それに一歩ぽ一歩ぽと川かわの両岸りょうがんがのんびりと開ひらけて行ゆき、そこら中じゅうにはきれいな野生やせいの花はなが、所ところせきまで咲さき匂におっているのです。『まあ見事みごとな百合ゆりの花はな……。』私わたくしは覚おぼえずそう叫さけんで、巌間いわまから首くびをさし出だしていた半開はんかいの姫百合ひめゆりを手折たおり、小娘こむすめのように頭髪かみに挿さしたりしました。

私わたくしがそうした無邪気むじゃきな乙女心おとめごころに戻もどっている最中さいちゅうでした、不図ふと附近あたりに人ひとの気配けはいがするのに気きがついて、愕おどろいて振ふり返かえって見みますと、一本ほんの満開まんかいの山椿やまつばきの木蔭こかげに、年齢としの頃ころはやっと十歳とおばかりの美うつくしい少女しょうじょが、七十歳さい位くらいと見みゆる白髪しらがの老人ろうじんに伴ともなわれて佇たっていました。

『あれは山椿やまつばきの精せいではないかしら……。』

一たんはそう思おもいましたが、眼めを定さだめてよくよく見みると、それは妖精ようせいでも何なんでもなく、矢張やはり人間にんげんの小供こどもなのでした。その娘こはよほど良よい家柄いえがらの生うまれらしく、丸まるポチャの愛あいくるしい顔かおにはどことなく気品きひんが備そなわって居おり、白練しろねりの下衣したぎに薄うすい薄うすい肉色にくいろの上衣うわぎを襲かさね、白しろのへこ帯おびを前まえで結むすんでだらりと垂たれた様子ようすと言いったら飛とびつきたいほど優美ゆうびでした。頭髪かみは項うなじの辺あたりで切きって背後うしろに下さげ、足あしには分厚ぶあつの草履ぞうりを突つかっけ、すべてがいかにも無造作むざうさで、どこをさがしても厭味いやみのないのが、むしろ不思議ふしぎな位くらいでございました。

兎とに角かく日頃ひごろただ一人ひとり山やまの中なかに閉とじこもり、めったに外界がいかいと接せっする機会おりのない私わたくしにとりて、斯こうした少女しょうじょとの不意ふいの会合かいごうは世よにももの珍めずらしい限かぎりでございました。私わたくしは不躾ぶしつけとか、遠慮えんりょとか言いったようなことはすっかり忘わすれて了しまい、早速さっそく近ちかづいて附添つきそいのお爺じいさんに訊たずねました。――

『あの、このお児こさまは、どこのお方かたでございますか?』

『これはもと京きょうの生うまれじゃが、』と老人ろうじんは一向こう済すました面持おももちで『ごく幼おさない時分じぶんに父母ふぼに訣わかれ、そしてこちらの世界せかいに来きてからかくまで生長せいちょうしたものじゃ……。』

『まあこちらの世界せかいで大おおきくなられたお方かた……私わたくし、まだ一度どもそう言いったお方かたにお目めにかかったことがございませぬ。もしお差支さしつかえがなければ、これから私わたくしの滝たきの修行場しゅぎょうばまでお出掛でかけくださいませぬか。ここからそう遠とおくもございませぬ……。』

『あなたの事ことはかねて滝たきの竜神りゅうじんさんから伺うかがって居おります……。ではお言葉ことばに従したがってこれからお邪魔じゃまを致いたそうか……。雛子ひなこ、この姨おばさまに御挨拶ごあいさつをなさい。』

そう言いわれると少女しょうじょはにっこりして丁寧ていねいに頭かしらをさげました。

私わたくしはいそいそとこの二人ふたりの珍客ちんきゃくを伴ともないて、滝たきの修行場しゅぎょうばへと向むかったのでした。

五十九、水さかずき

お客きゃくさまが見みえた時ときに、こちらの世界せかいで何なにが一ばん物足ものたりないかといえば、それは食物たべもののないことでございます。それも神様かみさまのお使者つかいや、大人おとなならば兎とも角かくも、斯こうした小供こどもさんの場合ばあいには、いかにも手持無沙汰てもちぶさたで甚はなはだ当惑とうわくするのでございます。

致方いたしかたがないから、あの時とき私わたくしは御愛想ごあいそうに滝たきの水みずを汲くんで二人ふたりに薦すすめたのでした。――

『他ほかに何なにもさし上あげるものとてございませぬ。どうぞこの滝たきのお水みずなりと召めし上あがれ……。これならどんなに多量たんとでもございます……。』

『これはこれは何なによりのおもてなし……雛子ひなこ、そなたも御馳走ごちそうになるがよいであろう。世界中せかいじゅうで何なにが美味おいしいと申もうしても、結局けっきょく水みずに越こしたものはござらぬ……。』

指導役しどうやくのお爺じいさんはそんな御愛想おあいそうを言いいながら、教おしえ子ごの少女しょうじょに水みずをすすめ、又また御自分ごじぶんでも、さも甘うまそうに二三杯ばい飲のんでくださいました。私わたくしの永ながい幽界生活中ゆうかいせいかつちゅうにもお客様きゃくさまと水杯みずさかずきを重かさねたのは、たしかこの時とき限きりのようで、想おもい出だすと自分じぶんながら可笑おかしく感かんぜられます。

それはそうとこの少女しょうじょの身みの上うえは、格別かくべつ変かわった来歴らいれきと申もうすほどのものでもございませぬが、その際さい指導役しどうやくの老人ろうじんからきかされたところは、多少たしょうは現世げんせの人々ひとびとの御参考ごさんこうにもなろうかと存ぞんじますので、あらましお伝つたえすることに致いたしましょう。

老人ろうじんの物語ものがたるところによれば、この少女しょうじょの名なは雛子ひなこ、生うまれて六歳さいのいたいけざかりにこちらの世界せかいに引ひき移うつったものだそうで、その時代じだいは私わたくしよりもよほど後おくれ、帰幽後きゆうござっと八十年ねん位くらいにしかならぬとのことでございました。父親ちちおやは相当そうとう高たかい地位ちいの大宮人おおみやびとで、名なは狭間信之はざまのぶゆき、母親ははおやの名なはたしか光代みつよ、そして雛子ひなこは夫婦ふうふの仲なかの一粒種ひとつぶだねのいとし児こだったのでした。

指導役しどうやくのお爺じいさんはつづいてかく物語ものがたるのでした。――

『御身おんみも知しるとおり、こちらの世界せかいでは心こころの純潔じゅんけつな、迷まよいの少すくないものはそのまま側路わきみちに入いらず、すぐに産土神うぶすなのかみのお手元てもとに引ひきとられる。殊ことに浮世うきよの罪穢つみに汚けがされていない小供こどもは例外れいがいなしに皆みなそうで、その為ためこの娘こなども、帰幽後きゆうごすぐに俺わしの手てで世話せわすることになったのじゃ。しかるに困こまったことにこの娘この両親りょうしんは、きつい仏教ぶっきょう信者しんじゃであった為ため、わが児こが早はやく極楽浄土ごくらくじょうどに行ゆけるようにと、朝あさに晩ばんにお経きょうを上あげてしきりに冥福めいふくを祈いのって居いるのじゃ……。この娘こ自身じしんはすやすやと眠ねむっているから格別かくべつ差支さしつかえもないが、この娘この指導役しどうやくをつとめる俺わしにはそれが甚はなはだ迷惑めいわく、何なんとか良よい工夫くふうはないものかと頭脳あたまを悩なやましたことであった。むろん人間にんげんには、賢愚けんぐ、善悪ぜんあく、大小だいしょう、高下こうげ、さまざまの等差とうさがあるので、仏教ぶっきょうの方便ほうべんも穴勝あながち悪わるいものでもなく、迷まよいの深ふかい者もの、判わかりのわるい者ものには、しばらくこちらで極楽浄土ごくらくじょうどの夢ゆめなりと見みせて仏式ぶっしきで修行しゅぎょうさせるのも却かえってよいでもあろう。――が、この娘ことしてはそうした方便ほうべんの必要ひつようは毛頭もうとうなく、もともと純潔じゅんけつな小供こどもの修行しゅぎょうには、最初さいしょから幽界ゆうかいの現実げんじつに目覚めざめさせるに限かぎるのじゃ。で、俺わしは、この娘こがいよいよ眼めを覚さますのを待まち、服装ふくそうなどもすぐに御国みくに振ぶりの清きよらかなものに改あらためさせ、そしてその姿すがたで地上ちじょうの両親りょうしんの夢枕ゆめまくらに立たたせ、自分じぶんは神かみさまに仕つかえている身みであるから、仏教ぶっきょうのお経きょうを上あげることは止やめてくださるようにと、両親りょうしんの耳みみにひびかせてやったのじゃ。最初さいしょの間あいだは二人ふたりとも半信半疑はんしんはんぎであったものの、それが三度ど五度どと度重たびかさなるに連つれて、漸ようやくこれではならぬと気きがついて、しばらくすると、現世げんせから清きよらかな祝詞のりとの声こえがひびいて来くるようになりました……。イヤ一人ひとりの小供こどもを満足まんぞくに仕上しあげるにはなかなか並大抵なみたいていの苦心くしんではござらぬ。幽界ゆうかいに於おいても矢張やはり知識ちしきの必要ひつようはあるので、現世げんせと同おなじように書物しょもつを読よませたり、又また小供こどもには小供こどもの友達ともだちもなければならぬので、その取持とりもちをしてやったり、精神統一せいしんとういつの修行しゅぎょうをさせたり、神様かみさまのお道みちを教おしえたり、又また時々ときどきはあちこち見学けんがくにも連つれ出だして見みたり、心こころから好すきでなければとても小供こどもの世話せわは勤つとまる仕事しごとではござらぬ。が、お蔭かげでこの娘こも近頃ちかごろはすっかりこちらの世界せかいの生活せいかつに慣なれ、よく俺わしの指図さしずをきいてくれるので大たいへんに助たすかって居おります。今日きょうなども散歩さんぽに連つれ出だした道みちすがら図はからずもあなたにめぐり逢あい、この娘この為ためには何なによりの修行しゅぎょう……あなたからも何なんとか言葉ことばをかけて見みてくだされ……。』

そう言いって指導役しどうやくの老人ろうじんはあたかも孫まごにでも対たいする面持おももちで、自分じぶんの教おしえ子ごを膝元ひざもとへ引ひき寄よせるのでした。

『雛子ひなこさん』と私わたくしも早速さっそく口くちを切きりました。『あなたはお爺じいさんと二人切ふたりきりでさびしくはないのですか?』

『ちっともさびしいことはございません。』といかにもあっさりした返答へんとう。

『まァお偉えらいこと……。しかし時々ときどきはお父とうさまやお母かあさまにお逢あいしたいでしょう。いつかお逢あいしましたか?』

『たった一度どしか逢あいません……。お爺じいさんが、あまり逢あっては良いけないと仰おっしゃいますから……。わたしそんなに逢あいたくもない……。』

何なにをきかれてもこの娘この答こたえは簡単かんたん明瞭めいりょう、幽界ゆうかいで育そだった小供こどもには矢張やはりどこか異ちがったところがあるのでした。

『これなら修行しゅぎょうも案外あんがいに楽らくであろう……。』

私わたくしはつくづく肚はらの中なかでそう感かんじたことでした。

六十、母性愛

その日ひはそれ位くらいのことで別わかれましたが、後あとで又またちょいちょいこの二人ふたりの来訪らいほうを受うけ、とうとうそれが縁えんで、私わたくしは一度どこちらの世界せかいでこの娘この母親ははおやとも面会めんかいを遂とげることになりました。なかなかしとやかな婦人ふじんで、しきりに娘むすめのことばかり気きにかけて居おりました。その際さい私達わたくしたちの間あいだに交かわされた問答もんどうの中なかには、多少たしょう皆様みなさまの御参考ごさんこうになるところがあるように思おもわれますので、序ついでにその要点ようてんだけここに申もうし添そへて置おきましょう。

問『あなた様さまは御生前ごせいぜんに大たいそう厚あつい仏教ぶっきょうの信者しんじゃだったそうでございますが……。』

答『私わたくしどもは別べつに平生へいぜい厚あつい仏教ぶっきょうの信者しんじゃというのでもなかったのでございますが、可愛かわいい小供こどもを亡うしなった悲歎ひたんのあまり、阿弥陀様あみださまにお縋すがりして、あの娘こが早はやく極楽浄土ごくらくじょうどに行ゆけるようにと、一心しん不乱ふらんにお経きょうを上あげたのでございました。こちらの世界せかいの事情じじょうが少すこし判わかって見みると、それがいかに浅墓あさはかな、勝手かってな考かんがえであるかがよく判わかりますが、あの時分じぶんの私達わたくしたち夫婦ふうふはまるきり迷まよいの闇やみにとざされ、それがわが娘この済すくわれるよすがであると、愚おろかにも思おもい込こんで居いたのでした。――あべこべに私わたくしども夫婦ふうふはわが娘この手てて済すくわれました。夫婦ふうふが毎夜まいよ夢ゆめの中なかに続つづけざまに見みるあの神々こうごうしい娘むすめの姿すがた……私わたくしどもの曇くもった心こころの鏡かがみにも、だんだんとまことの神かみの道みちが朧気おぼろげながら映うつってまいり、いつとはなしに御神前ごしんぜんで祝詞のりとを上あげるようになりました。私わたくしどもは全まったく雛子ひなこの小ちいさな手てに導みちびかれて神様かみさまの御許みもとに近ちかづくことができたのでございます。私わたくしがこちらの世界せかいへまいる時ときにも、真先まっさきに迎むかえに来きてくれたのは矢張やはりあの娘こでございました。その折おり私わたくしは飛とび立たつ思おもいで、今いま行ゆきますよ……と申もうした事ことはよく覚おぼえて居おりますが、修行しゅぎょう未熟みじゅくの身みの悲かなしさ、それから先さきのことはさっぱり判わからなくなって了しまいました。後あとで神かみさまから伺うかがえば、私わたくしはそれから十年ねん近ちかくも眠ねむっていたとのことで、自分じぶんながらわが身みの腑甲斐ふがいなさに呆あきれたことでございました……。』

問『いつお娘こさまとはお逢あいなされましたか……。』

答『自分じぶんが気きがついた時とき、私わたくしはてっきりあの娘こが自分じぶんの傍そばに居いてくれるものと思おもい込こみ、しきりにその名なを呼よんだのでございます。――が、いかに呼よべど叫さけべど、あの娘こは姿すがたを見みせてくれませぬ。そして不図ふと気きがついて見みると、見みも知しらぬ一人ひとりの老人ろうじんが枕辺まくらべに佇たって、凝乎じっと私わたくしの顔かおを見みつめて居いるのでございます。やがて件くだんの老人ろうじんが徐おもむろに口くちを開ひらいて、そなたの子供こどもは今いまここに居いないのじゃから、いかに呼よんでも駄目だめじゃ。修行しゅぎょうが積つんだら逢あわせてあげぬでもない……。そんなことを言いわれたのでございます。その時とき私わたくしは、何なんという不愛想ぶあいそうな老人ろうじんがあればあるものかと心こころの中なかで怨うらみましたが、後あとで事情じじょうが判わかって見みると、この方かたがこちらの世界せかいで私わたくしを指導しどうしてくださる産土神うぶすながみのお使者つかいだったのでございました……。兎とも角かくも、修行しゅぎょう次第しだいでわが娘こに逢あわしてもらえることが判わかりましたので、それからの私わたくしは、不束ふつつかな身みに及およぶ限かぎりは、一生しょう懸命けんめいに修行しゅぎょうを励はげみました。そのお蔭かげで、とうとう日頃ひごろの願望ねがいの協かなう時ときがまいりました。どこをドウ通とうったのやら途中とちゅうのことは少すこしも判わかりませぬが、兎とも角かく私わたくしは指導役しどうやくの神かみさまに連つれられて、あの娘この住居すまいへ訪たずねて行いったのでございます。あの娘この歿なくなったのは六歳むっつの時ときでございましたが、それがこちらの世界せかいで大分だいぶに大おおきく育そだっていたのには驚おどろきました。稚おさな顔がおはそのままながら、どう見みても十歳位とおくらいには見みえるのでございます。私わたくしはうれしいやら、悲かなしいやら、夢中むちゅうであの娘こを両腕りょううでにひしとだきかかえたのでございます……。が、それまでが私わたくしの嬉うれしさの絶頂ぜっちょうでございました。私わたくしは何なにやら奇妙きみょうな感かんじ……予かねて考かんがえていたのとはまるきり異ちがった、何なにやらしみじみとせぬ、何なにやら物足ものたりない感かんじに、はっと愕おどろかされたのでございます……。』

問『つまり軽かるくて温ぬくみがなく、手てで触さわってもカサカサした感かんじではございませんでしたか……。』

答『全まったくお言葉ことばの通とおり……折角せっかく抱だいてもさっぱり手応てごたえがないのでございます。私わたくしにはいかに考かんがえても、こればかりは現世げんせの生活せいかつの方ほうがよほど結構けっこうなように感かんじられて致方いたしかたがございませぬ。神様かみさまのお言葉ことばによれば、いつか時節じせつがまいれば、親子おやこ、夫婦ふうふ、兄弟きょうだいが一緒しょに暮くらすことになるとのことでございますが、あんな工合ぐあいでは、たとえ一緒しょに暮くらしても、現世げんせのように、そう面白おもしろいことはないのではございますまいか……。』

二人ふたりの問答もんどうはまだいろいろありますが、一ひと先まずこの辺へんで端折はしょることにいたしましょう。現世げんせ生活せいかつにいくらか未練みれんの残のこっている、つまらぬ女性達じょせいたちの繰くり言ことをいつまで申上もうしあげて見みたところで、そう興味きょうみもございますまいから……。

六十一、海の修行場

前まえにも申上もうしあげた通とおり、私わたくしが滝たきの修行場しゅぎょうばに居おりました期間きかんは割合わりあいに短みじかく、又またこれと言いって珍めずらしい話はなしもありませぬ。私わたくしは大体だいたい彼所あそこでただ統一とういつの修行しゅぎょうばかりやっていたのでございますから……。

滝たきの修行時代しゅぎょうじだいがどれ位くらいつづいたかと仰おっしゃるか……。さァ自分じぶんにはさっぱりその見当けんとうがつきませぬが、指導役しどうやくのお爺じいさんのお話はなしでは、あれでも現世げんせの三十年ねん位くらいには当あたるであろうとの事ことでございました。三十年ねんと申もうすと現世げんせではなかなか長ながい歳月つきひでございますが、こちらでは時ときを量はかる標準めあてが無ない故せいか、一向こうそれほどにも感かんじないのでございまして……。

それはそうと、私わたくしの滝たきの修行場しゅぎょうば生活せいかつもやがて終おわりを告つぐべき時ときがめぐってまいりました。ある日ひ私わたくしが御神前ごしんぜんで深ふかい深ふかい統一とういつに入はいって居おりますと、ひょっくり滝たきの竜神りゅうじんさんが、例れいの白衣姿びゃくいすがたですぐ間近まじかくお現あらわれになり、斯こう仰おおせられるのでございました。――

『そなたの統一とういつもその辺へんまで進すすめば先まず大丈夫だいじょうぶ、大概たいがいの仕事しごとに差支さしつかえることもあるまい。従したがってそなたがこの上うえここに居おる必要ひつようもなくなった訳わけ……ではこれでお別わかれじゃ……。』

言いいも終おわらず、プイと姿すがたをお消けしになり、そしてそれと入いれ代かわりに私わたくしの指導役しどうやくのお爺じいさんが、いつの間まにやら例れいの長ながい杖つえをついて入口いりぐちに立たって居おられました。

私わたくしはびっくりして訊たずねました。――

『お爺じいさま、これから何所どこぞへお引越ひきこしでございますか?』

『そうじゃ……今度こんどの修行場しゅぎょうばはきっと汝そちの気きに入いるぞ……。すぐ出掛でかけるとしよう……。』

不相変あいかわらずあっさりしたものでございます。しかし、私わたくしの方ほうでも近頃ちかごろはいくらかこちらの世界せかいの生活せいかつに慣なれてまいりましたので、格別かくべつ驚おどろきも、怪あやしみもせず、ただ母ははの紀念かたみの守刀まもりがたなを身みにつけた丈だけで、心静こころしずかに坐ざを起たちました。

が、それにつづいて起おこった局面きょくめんの急転回きゅうてんかいには、さすがの私わたくしも少すこし呆あきれない訳わけにはまいりませんでした。お暇乞いとまごいの為ために私わたくしが滝たきの竜神りゅうじんさんの祠堂ほこらに向むかって合掌がっしょう瞑目めいもくしたのはホンの一瞬間しゅんかん、さて眼めを開あけると、もうそこはすでに滝たきの修行場しゅぎょうばでも何なんでもなく、一望ぼう千里りの大海原おおうなばらを前まえにした、素晴すばらしく見晴みはらしのよい大おおきな巌いわの頂点てっぺんに、私わたくしとお爺じいさんと並ならんで立たっていたのでした。

『ここが今度こんどの汝そちの修行場しゅぎょうばじゃ。何どうじゃ気きに入いったであろうが……。』

びっくりした私わたくしが御返答ごへんじをしようとする間まもあらせず、お爺じいさんの姿すがたが又々またまた烟けむりのように側そばから消きえて無なくなって了しまいました。

重かさね重がさねの早業はやわざに、私わたくしは開あいた口くちが容易よういに塞ふさがりませんでしたが、漸ようやく気きを落おちつけて四辺あたりの景色けしきを見𢌞みまわした時ときに、私わたくしは三みたび驚おどろかされて了しまいました。何故なぜかと申もうすに、巌いわの上うえから見渡みわたす一帯たいの景色けしきが、どう見みても昔馴染むかしなじみの三浦みうらの西海岸にしかいがんに何所どこやら似通にかよって居いるのでございますから……。

六十二、現世のお浚

私わたくしはうれしいのやら、悲かなしいのやら、自分じぶんにもよくは判わからぬ気分きぶんでしばらくあたりの景色けしきに見みとれて居いましたが、不図ふと自分じぶんの住居すまいのことが気きになって来きました。

『お爺じいさんは私わたくしの住居すまいについて何なんとも仰おっしゃられなかったが、一たいそれはどこにあるのかしら……。』

私わたくしは巌いわの上うえからあちこち見みまわしました。

脚下きゃっかは一帯たいの白砂はくさで、そして自分じぶんの立たっている巌いわの外ほかにも幾いくつかの大おおきな巌いわがあちこちに屹立きつりつして居おり、それにはひねくれた松まつその他たの常盤木ときわぎが生はえて居いましたが、不図ふと気きがついて見みると、中なかで一ばん大おおきな彼方むこうの巌山いわやまの裾すそに、一ひとつの洞窟ほらあならしいものがあり、これに新あたらしい注連縄しめなわが張はりめぐらしてあるのでした。

『きっとあれが私わたくしの住居すまいに相違そういない……。』

私わたくしは急いそいで巌いわから降おりてそこへ行いって見みると、案あんに違たがわず巌山いわやまの底そこに八畳じょう敷じきほどの洞窟どうくつが天然てんねん自然しぜんに出来できて居おり、そして其所そこには御神体ごしんたいをはじめ、私わたくしが日頃ひごろ愛用あいようの小机こづくえまでがすでにキチンと取とり揃そろえられてありました。

一ひと目め見みて私わたくしは今度こんどの住居すまいが、心しんから好すきになって了しまいました。洞窟どうくつと言いっても、それはよくよく浅あさいもので明あかるさは殆ほとんど戸外そとと変かわりなく、そして其所そこから海うみまでの距離きょりがたった五六間けん、あたりにはきれいな砂すなが敷しきつめられていて、所々ところどころに美うつくしい色彩いろどりの貝殻かいがらや香においの強つよい海藻かいそうやらが散ちらばっているのです。

『まるきり三浦みうらの海岸かいがんそっくり……こんな場所ばしょなら、私わたくしはいつまでここに住すんでもよい……。』

私わたくしは室へやを出でたり、入はいったり、しばらく坐すわることも打忘うちわすれて小娘こむすめのようにはしゃいだことでした。

今日こんにちから振ふり返かえって考かんがえると、この海うみの修行場しゅぎょうばは私わたくしの為ために神界しんかいで特とくに設もうけて下くだすったお浚さらいの場所ばしょともいうべきものなのでございました。境遇ところは人ひとの心こころを映うつすとやら、自分じぶんが現世時代げんせじだいに親したしんだのとそっくりの景色けしきの中なかに犇ひしと抱いだかれて、別べつに為なすこともなくたった一人ひとりで暮くらして居おりますと、考かんがえはいつとはなしに遠とおい遠とおい昔むかしに馳はせ、ありとあらゆる、どんな細こまかい事柄ことがらまでもはっきりと心こころの底そこに甦よみがえって来くるのでした。紅あかい色いろの貝殻かいがら一ひとつ、かすかにひびく松風まつかぜ一ひとつが私わたくしにとりてどんなにも数多かずおおき思おもい出での種子たねだったでございましょう! それは丁度ちょうど絵巻物えまきものを繰くり拡ひろげるように、物心ものごころついた小娘時代こむすめじだいから三十四歳さいで歿みまかるまでの、私わたくしの生涯しょうがいに起おこった事柄ことがらが細大さいだい漏もれなく、ここで復習おさらいをさせられたのでした。

で、この海うみの修行場しゅぎょうばは私わたくしにとりて一ひとつの涙なみだの棄すて場所ばしょでもありました。最初さいしょ四辺あたりの景色けしきが気きに入いってはしゃいだのはホンの束つかの間ま、後あとはただ思おもい出だしては泣なき、更さらに思おもい出だしては泣なき、よくもあれで涙なみだが涸かれなかったと思おもわれるほど泣ないたのでございました。元来がんらい私わたくしは涙なみだもろい女おんな、今いまでも未まだ泣なく癖くせがとまりませぬが、しかしあの時ときほど私わたくしがつづけざまに泣ないたこともなかったように覚おぼえて居おります。

が、思おもい出だす丈だけ思おもい出だし、泣なきたい丈だけ泣なきつくした時ときに、後あとには何なんともいえぬしんみりと安やすらかな気分きぶんが私わたくしを見舞みまってくれました。こんないくじのない者ものに幾分いくぶんか心こころの落おちつきが出でて来きたように思おもわれるのは、たしかにあの海うみの修行場しゅぎょうばで一生涯しょうがいのお浚さらいをしたお蔭かげであると存ぞんじます。私わたくしは今いまでもあれが私わたくしにとりて何なにより難有ありがたい修行場しゅぎょうばであったと感謝かんしゃせずには居おられませぬ。尚なおここはただ昔むかしの思おもい出での場所ばしょであったばかりでなく、現世時代げんせじだいに関係かんけいのあった方々かたがたとの面会めんかいの場所ばしょでもあり、私わたくしは随分ずいぶんいろいろな人達ひとたちとここでお逢あいしました。標本みほんとして私わたくしが彼所あそこで実家さとの忠僕ちゅうぼく及および良人おっとに逢あった話はなしなりと致いたしましょうか。格別かくべつ面白おもしろいこともございませぬが……。

六十三、昔の忠僕

私わたくしがある日ひ海岸かいがんで遊あそんで居おりますと、指導役しどうやくのお爺じいさんが例れいの長ながい杖つえを突つきながら彼方むこうからトボトボと歩あるいて来こられました。何どうした風かぜの吹ふきまわしか、その日ひは大たいへん御機嫌ごきげんがよいらしく、老顔ろうがんに微笑えみを湛たたえて斯こう言いわれるのでした。――

『今日きょうは思おもい掛がけない人ひとを連つれて来くるが、誰だれであるか一ひとつ当あてて見みるがよい……。』

『そんなこと、私わたくしにはできはしませぬ……できる筈はずがございませぬ。』

『コレコレ、汝そちは何なんの為ために多年たねん精神統一せいしんとういつの修行しゅぎょうをしたのじゃ。統一とういつというものは斯こうした場合ばあいに使つかうものじゃ……。』

『左様さようでございますか。ではちょっとお待まち下くださいませ……。』

私わたくしは立たちながら眼めを瞑つむって見みると、間まもなく眼めの底そこに頭髪かみの真白まっしろな、痩やせた老人ろうじんの姿すがたがありありと映うつって来きました。

『八十歳さい位くらいの年寄としよりでございますが、私わたくしには見覚みおぼえがありませぬ……。』

『今いまに判わかる……。ちょっと待まって居いるがよい。』

お爺じいさんはいとも気軽きがるにスーッと巌山いわやまをめぐって姿すがたを消けして了しまいました。

しばらくするとお爺じいさんは私わたくしが先刻せんこく霊眼れいがんで見みた一人ひとりの老人ろうじんを連つれて再ふたたびそこへ現あらわれました。

『何どうじゃ実物じつぶつを視みてもまだ判わからんかナ。――これは汝そちのお馴染なじみの爺じいや……数間かずまの爺じいやじゃ……。』

そう言いわれた時ときの私わたくしの頭脳あたまの中なかには、旧ふるい旧ふるい記憶きおくが電光でんこうのように閃ひらめきました。――

『まァお前まえは爺じいやであったか! そう言いえば成なるほど昔むかしの面影おもかげが残のこっています。――第だい一その小鼻こばなの側わきの黒子ほくろ……それが何なにより確たしかな目標めじるしです……。』

『姫ひいさま、俺わしは今日きょうのようにうれしい事ことはござりませぬ。』と数間かずまの爺じいやは砂上さじょうに手てをついてうれし涙なみだに咽むせびながら『夙とうから姫ひいさまに逢あわせてもらいたいと神様かみさまに御祈願おきがんをこめていたのでござりますが、霊界れいかいの掟おきてとしてなかなかお許ゆるしが降おりず、とうとう今日こんにちまでかかって了しまいましたのじゃ。しかしお目めにかかって見みればいつに変かわらぬお若わかさ……俺わしはこれで本望ほんもうでござりまする……。』

考かんがえて見みれば、私達わたくしたちの対面たいめんは随分ずいぶん久ひさしぶりの対面たいめんでございました。現世げんせで別わかれた切きり、かれこれ二百年ねん近ちかくにもなっているのでございますから……。数間かずまの爺じいやのことは、ツイうっかりしてまだ一度どもお風評うわさを致いたしませんでしたが、これは、むかし鎌倉かまくらの実家さとに仕つかえていた老僕ろうぼくなのでございます。私わたくしが三浦みうらへ嫁とついだ頃ころは五十歳さい位くらいでもあったでしょうが、夙とうに女房にょうぼうに先立さきだたれ、独身どくしんで立たち働はたらいている、至いたって忠実ちゅうじつな親爺おやじさんでした。三浦みうらへも所中しょっちゅう泊とまりがけで訪たずねてまいり、よく私わたくしの愛馬あいばの手入ていれなどをしてくれたものでございます。そうそう私わたくしが現世げんせの見納みおさめに若月わかつきを庭前にわさきへ曳ひかせた時とき、その手綱たづなを執とっていたのも、矢張やはりこの老人ろうじんなのでございました。

だんだんきいて見みると、爺じいやが死しんだのは、私わたくしよりもざっと二十年ねんばかり後のちだということでございました。『俺わしは生涯しょうがい病気びょうきという病気びょうきはなく、丁度ちょうど樹木じゅもくが自然しぜんと立枯たちがれするように、安やすらかに現世げんせにお暇いとまを告つげました。身分みぶんこそ賎いやしいが、後生ごしょうは至いたって良よかった方ほうでござります……。』そんなことを申もうして居おりました。

こんな善良ぜんりょうな人間にんげんでございますから、こちらの世界せかいへ移うつって来きてからも至いたって大平無事たいへいぶじ、丁度ちょうど現世げんせでまめまめしく主人しゅじんに仕つかえたように、こちらでは後生大事ごしょうだいじに神様かみさまに仕つかえ、そして偶たまには神様かみさまに連つれられて、現世げんせで縁故えんこの深ふかかった人達ひとたちの許もとへも尋たずねて行ゆくとのことでございました。

『この間あいだ御両親様ごりょうしんさまにもお目めにかからせて戴いただきましたが、イヤその時ときは欣よろこんでよいのやら、又または悲かなしんでよいのやら……現世げんせの気持きもちとは又また格別かくべつでござりました……。』

爺じいやの口くちからはそう言いった物語ものがたりがいくつもいくつも出でました。最後さいごに爺じいやは斯こんなことを言いい出だしました。

『俺わしはこちらでまだ三浦みうらの殿様とのさまに一度どもお目めにかかりませぬが、今日きょうは姫ひいさまのお手引てびきで、早速さっそく日頃ひごろの望のぞみを協かなえさせて戴いただく訳わけにはまいりますまいか。』

『さァ……。』

私わたくしがいささか躊躇ためらって居おりますと、指導役しどうやくのお爺じいさんが直ただちに側そばから引ひきとって言いわれました。――

『それはいと易やすいことじゃが、わざわざこちらから出掛でかけずとも、先方むこうからこちらへ来きて貰もらうことに致いたそう。そうすれば爺じいやも久ひさしぶりで御夫婦ごふうふお揃そろいの場面ばめんが見みられるというものじゃ。まさか夫婦ふうふが揃そろっても、以前いぜんのように人間臭にんげんくさい執着しゅうじゃくを起おこしもしまいと思おもうが、どうじゃその点てんは請合うけあってくれるかナ?』

『お爺じいさまモー大丈夫だいじょうぶでございますとも……。』

とうとう良人おっとの方ほうからこの海うみの修行場しゅぎょうばへ訪たずねて来くることになって了しまいました。

六十四、主従三人

間まもなく良人おっとの姿すがたがすーッと浪打際なみうちぎわに現あらわれました。服装ふくそうその他たは不相変あいかわらずでございますが、しばらく見みぬ間まに幾いくらか修行しゅぎょうが積つんだのか、何所どことなく身みに貫禄かんめがついて居おりました。

『近頃ちかごろは大たいへんに御無沙汰ごぶさたを致いたしました。いつも御機嫌ごきげんで何なにより結構けっこうでございます……。』

『お互たがいにこちらでは別べつに風邪かぜも引ひかんのでナ、アハハハハハ。そなたも近頃ちかごろは大たいそう若返わかがえったようじゃ……。』

二三問答もんどうを交かはして居いる中うちに、数間かずまの爺じいやもそこへ現あらわれ、私わたくしの良人おっとと久ひさしぶりの対面たいめんを遂とげました。その時ときの爺じいやの歓よろこびは又また格別かくべつ、『お二人ふたりで斯こうしてお揃そろいの所ところを見みると、まるで元もとの現世げんせへ戻もどったような気きが致いたしまする……。』そんなこと言いって洟はなをすするのでした。

そうする中うちにも、何人たれがどう世話せわして下くだすったのやら、砂すなの上うえには折畳おりたたみの床几しょうぎが三つほど据すえつけられてありました。しかもその中うちの二ふたつは間近まじかく向むき合あい、他たの一脚きゃくは少すこし下さがって背後うしろの方ほうへ……。何どう見みたって私達わたくしたち三人にんの為ために特別とくべつに設もうけてくれたとしか思おもえない恰好かっこうなのでございます。

『どりァ遠慮えんりょなく頂戴ちょうだい致いたそうか。』良人おっともひどく気きを良よくしてその一ひとつに腰こしを降おろしました。

『こちらへ来きてから床几しょうぎに腰こしをかけるのはこれが初はじめてじゃが、なかなか悪わるい気持きもちは致いたさんな……。』

然しかるべく床几しょうぎに腰こしを降おろした主従しゅじゅう三人にんは、それからそれへと際限さいげんもなく水入みずいらずの昔語むかしがたりに耽ふけりましたが、何なににしろ現世げんせから幽界ゆうかいへかけての長ながい歳月としつきの間あいだに、積つもり積つもった話はなしの種たねでございますから、いくら語かたっても語かたっても容易よういに尽つきる模様もようは見みえないのでした。その間あいだには随分ずいぶん泣なくことも、又また笑わらうこともありましたが、ただ有難ありがたいことに、以前いぜん良人おっとと会あった時ときのような、あの現世げんせらしい、変へんな気持きもちだけは、最早もはや殆ほとんど起おこらないまでに心こころがきれいになっていました。私わたくしは平気へいきで良人おっとの手てを握にぎっても見みました。

『随分ずいぶん軽かるいお手てでございますね。』

『イヤ斯こうカサカサして居いてはさっぱりじゃ。こんな張子細工はりこざいくでは今更いまさら同棲どうせいしてもはじまるまい。』

私達わたくしたち夫婦ふうふの間あいだにはそんな戯談じょうだんが口くちをついて出でるところまであっさりした気分きぶんが湧わいて居いました。爺じいやの方ほうでは一層そう枯かれ切きったもので、ただもううれしくて耐たまらぬと言いった面持おももちで、黙だまって私達わたくしたちの様子ようすを打うち守まもっているのでした。

ただ一ひとつ良人おっとにとりての禁物きんもつは三崎みさきの話はなしでした。あちらに見みゆる遠景えんけいが丁度ちょうど油壺あぶらつぼの附近ふきんに似にて居おりますので、うっかり話頭はなしが籠城時代ろうじょうじだいの事ことに向むかいますと、良人おっとの様子ようすが急きゅうに沈しずんで、さも口惜くやしいと言いったような表情ひょうじょうを浮うかべるのでした。『これは良いけない……。』私わたくしは急いそいで話はなしを他たに外そらしたことでございました。

困こまったのは、この時とき良人おっとも爺じいやもなかなか帰かえろうとしないことで、現世げんせでいうなら二人ふたりが二三日にち私わたくしの修行場しゅぎょうばに滞在たいざいするようなことになりました。尤もっとも、それはただ気持きもちだけの話はなしでございます。こちらには昼ひるも夜よるもないのですから、現世げんせのようにとても幾日いくにちとはっきり数かぞえる訳わけには行ゆかないのでございます。その辺へんがどうも話はなしが大たいへんにしにくい点てんでございまして……。

×      ×      ×      ×

海うみの修行場しゅぎょうばの話はなしはこれで切きり上あげますが、兎とに角かくこの修行場しゅぎょうばは私わたくしにとりて最後さいごの仕上しあげの場所ばしょで、そして私わたくしはこの時ときに神様かみさまから修行しゅぎょう終了しゅうりょうの仰おおせを戴いただいたのでございます。同時どうじに現世げんせの方ほうではすでに私わたくしの為ために一ひとつの神社じんじゃが建立こんりゅうされて居おり、私わたくしは間まもなくこの修行場しゅぎょうばからその神社じんじゃの方ほうへと引移ひきうつることになったのでございます。

それに就つきての経緯いきさつは何いずれ改あらためてこの次つぎに申上もうしあげることに致いたしましょう。

六十五、小桜神社の由来

ツイうっかりお約束やくそくをして了しまいましたので、これから私わたくしが小桜神社こざくらじんじゃとして祀まつられた次第しだいを物語ものがたらなければならぬ段取だんどりになりましたが、実じつは私わたくしとしてこんな心苦こころぐるしいことはないのでございます。御覧ごらんのとおり私わたくしなどは別べつにこれと申もうしてすぐれた器量きりょうの女性おんなでもなく、又また修行しゅぎょうと言いったところで、多寡たかが知しれて居いるのでございます。こんなものがお宮みやに祀まつられるというのはたしかに分ぶんに過すぎたことで、私わたくし自身じしんもそれはよく承知しょうちしているのでございます。ただそれが事実じじつである以上いじょう、拠よんどころなく申上もうしあげるようなものの、決けっして決けっして私わたくしが良よい気きになって居いる訳わけでも何なんでもないことを、くれぐれもお含ふくみになって戴いただきとう存ぞんじます。私わたくしにとりてこんなしにくい話はなしはめったにないのでございますから……。

だんだん事ことの次第しだいをしらべますると、話はなしはずっと遠とおい昔むかし、私わたくしがまだ現世げんせに生いきて居いた時代じだいに遡さかのぼるのでございます。前まえにもお話はなししたとおり、良人おっとの討死後うちじにご私わたくしは所中しょちゅうそのお墓詣はかまいりを致いたしました。何なににしろお墓はかの前まえへ行いって瞑目めいもくすれば、必かならず良人おっとのありし日ひの面影おもかげがありありと眼めに映うつるのでございますから、当時とうじの私わたくしにとりてそれが何なによりの心こころの慰なぐさめで、よほどの雨風あめかぜでもない限かぎり、めったに墓参ぼさんを怠おこたるようなことはないのでした。『今日きょうも又またお目めにかかって来こようかしら……。』私わたくしとしてはただそれ位ぐらいのあっさりした心持こころもちで出掛でかけたまでのことでございました。この墓詣はかまいりは私わたくしが病やまいの床とこにつくまでざっと一年ねんあまりもつづいたでございましょうか……。

ところが意外いがいにもこの墓参ぼさんが大たいへんに里人さとびとの感激かんげきの種子たねとなったのでございます。『小櫻姫こざくらひめは本当ほんとうに烈女れつじょの亀鑑かがみだ。まだうら若わかい身みでありながら再縁さいえんしようなどという心こころは微塵みじんもなく、どこまでも三浦みうらの殿様とのさまに操みさおを立たて通とうすとは見上みあげたものである。』そんな事ことを言いいまして、途中とちゅうで私わたくしとすれ違ちがう時ときなどは、土地とちの男おとこも女おんなも皆みな泪なみだぐんで、いつまでもいつまでも私わたくしの後姿うしろすがたを見送みおくるのでございました。

里人さとびとからそんなにまで慕したってもらいました私わたくしが、やがて病やまいの為ために殪たおれましたものでございますから、その為ために一層そう人気にんきが出でたとでも申もうしましょうか、いつしか私わたくしのことを世よにも類たぐいなき烈婦れっぷ……気性きしょうも武芸ぶげいも人並ひとなみすぐれた女丈夫じょじょうぶででもあるように囃はやし立たてたらしいのでございます。その事ことは後あとで指導役しどうやくのお爺じいさんから伺うかがって自分じぶんながらびっくりして了しまいました。私わたくしは決けっしてそんなに偉えらい女性おんなではございませぬ。私わたくしはただ自分じぶんの気きが済すむように、一と筋すじに女子おんなとして当あたり前まえの途みちを踏ふんだまでのことなのでございまして……。

尤もっとも、最初さいしょは別べつに私わたくしをお宮みやに祀まつるまでの話はなしが出でた訳わけではなく、時々ときどき思おもい出だしては、野良のらへの往来ゆきかえりに私わたくしの墓はかに香花こうげを手向たむける位くらいのことだったそうでございますが、その後のち不図ふととした事ことが動機どうきとなり、とうとう神社じんじゃというところまで話はなしが進すすんだのでございました、まことに人ひとの身みの上うえというものは何なにが何なにやらさっぱり見当けんとうがとれませぬ。生いきて居いる時ときにはさんざん悪口わるぐちを言いわれたものが、死しんでから口くちを極きはめて讃ほめられたり、又またその反対あべこべに、生前せいぜん栄華えいがの夢ゆめを見みたものが、墓場はかばに入いってからひどい辱はずかしめを受うけたりします。そしてそれが少すこしも御本人ごほんにんには関係かんけいのない事柄ことがらなのですから、考かんがえて見みればまことに不思議ふしぎな話はなしで、煎せんじつむれば、これは矢張やはり何なにやら人間以上にんげんいじょうの奇くしびな力ちからが人知ひとしれず奥おくの方ほうで働はたらいているのではないでしょうか。少すくなくとも私わたくしの場合ばあいにはそうらしく感かんじられてならないのでございます……。

六十六、三浦を襲った大海嘯おおつなみ

さて只今ただいま申上もうしあげました不図ふととした動機どうきというのは、或ある年とし三浦みうらの海岸かいがんを襲おそった大海嘯おおつなみなのでございました。それはめったにない位くらいの大おおきな時化しけで、一時じは三浦みうら三崎みさき一帯たいの人家じんかが全滅ぜんめつしそうに思おもわれたそうでございます。

すると、その頃ころ、諸磯もろいその、或ある漁師りょうしの妻つまで、平常ふだんから私わたくしの事ことを大たいへんに尊信そんしんしてくれている一人ひとりの婦人ふじんがありました。『小櫻姫こざくらひめにお願ねがいすれば、どんな事ことでも協かなえて下くださる……。』そう思おもい込こんでいたらしいのでございます。で、いよいよ暴風雨あらしが荒あれ出だしますと、右みぎの婦人ふじんが早速さっそく私わたくしの墓はかに駆かけつけて一心しん不乱ふらんに祈願きがんしました。――

『このままにして置おきますと、三浦みうらの土地とちは皆みな流ながれて了しまいます。小櫻姫こざくらひめさま、何どうぞあなた様さまのお力ちからで、この災難さいなんを免まぬがれさせて戴いただきます。この土地とちでお縋すがりするのはあなた様さまより外ほかにはござりませぬ。』

丁度ちょうどその時とき私わたくしは海うみの修行場しゅぎょうばで不相変あいかわらず統一とういつの修行しゅぎょう三昧まいに耽ふけって居おりましたので、右みぎの婦人ふじんの熱誠ねっせいこめた祈願きがんがいつになくはっきりと私わたくしの胸むねに通つうじて来きました。これには私わたくしも一と方かたならず驚おどろきました。――

『これは大たいへんである。三浦みうらは自分じぶんにとりて切きっても切きれぬ深ふかい因縁いんねんの土地とち、このまま土地とちの人々ひとびとを見殺みごろしにはできない。殊ことにあそこには良人おっとをはじめ、三浦みうら一族ぞくの墓はかもあること……。一つ竜神りゅうじんさんに一生しょう懸命けんめい祈願きがんして見みましょう……。正ただしい願ねがいであるならきっと御神助ごしんじよが降くだるに相違そういない……。』

それから私わたくしは未熟みじゅくな自分じぶんにできる限かぎりの熱誠ねっせいをこめて、三浦みうらの土地とちが災厄さいやくから免まぬがれるようにと、竜神界りゅうじんかいに祈願きがんを籠こめますと、間まもなくあちらから『願ねがいの趣おもむき聴きき届とどける……。』との難有ありがたいお言葉ことばが伝つたわってまいりました。

果はたして、さしものに猛たけり狂くるった大時化おおしけが、間まもなく収おさまり、三浦みうらの土地とちはさしたる損害そんがいもなくして済すんだのでしたが、三浦以外みうらいがいの土地とち、例たとえば伊豆いずとか、房州ぼうしゅうとかは百年ねん来らい例ためしがないと言いわれるほどの惨害ざんがいを蒙こうむったのでした。

斯こうした時ときには又また妙みょうに不思議ふしぎな現象ことが重かさなるものと見みえまして、私わたくしの姿すがたがその夜よ右みぎの漁師りょうしの妻つまの夢枕ゆめまくらに立たったのだそうでございます。私わたくしとしては別べつにそんなことをしようという所思つもりはなく、ただ心こころにこの正直しょうじきな婦人ふじんをいとしい女性じょせいと思おもった丈だけのことでしたが、たまたま右みぎの婦人ふじんがいくらか霊能れいのうらしいものを有もっていた為ために、私わたくしの思念おもいが先方せんぽうに伝つたわり、その結果けっか夢ゆめに私わたくしの姿すがたまでも見みることになったのでございましょう。そうしたことは格別かくべつ珍めずらしい事ことでも何なんでもないのですが、場合ばあいが場合ばあいとて、それが飛とんでもない大騒おおさわぎになって了しまいました。――

『小櫻姫こざくらひめはたしかに三浦みうらの土地とちの守護神様まもりがみさまだ。三浦みうらの土地とちが今度こんど不思議ふしぎにも助たすかったのは皆みな小櫻姫こざくらひめのお蔭かげだ。現げんに小櫻姫こざくらひめのお姿すがたが誰某なにがしの夢枕ゆめまくらに立たったということだ……。難有ありがたいことではないか……。』

私わたくしとすればただ土地とちの人達ひとたちに代かわって竜神りゅうじんさんに御祈願ごきがんをこめたまでのことで、私自身わたくしじしんに何なんの働はたらきのあった訳わけではないのでございますが、そうした経緯いきさつは無邪気むじゃきな村人むらびとに判わかろう筈はずもございません。で、とうとう私わたくしを祭神さいしんとした小桜神社こざくらじんじゃが村人全体むらびとぜんたいの相談そうだんの結果けっかとして、建立こんりゅうされる段取だんどりになって了しまいました。

右みぎの事情じじょうが指導役しどうやくのお爺じいさんから伝つたえられた時ときに私わたくしはびっくりして了しまいました。私わたくしは真紅まっかになって御辞退ごじたいしました。――

『お爺じいさま、それは飛とんでもないことでございます。私わたくしなどはまだ修行中しゅぎょうちゅうの身み、力量ちからといい、又また行状おこないといい、とてもそんな資格しかくのあろう筈はずがございませぬ。他ほかの事ことと異ちがい、こればかりは御辞退ごじたい申上もうしあげます……。』

が、お爺じいさんはいつかな承知しょうちなさらないのでした。――

『そなたが何なんと言いおうと、神界しんかいではすでに人民じんみんの願ねがいを容いれ、小桜神社こざくらじんじゃを建たてさせることに決きめた。そなたの器量ちからは神界しんかいで何なにもかも御存ごぞんじじゃ。そなたはただ誠心せいしん誠意せいいで人ひとと神かみとの仲介なかだちをすればそれでよい。今更いまさら我侭わがままを申もうしたとて何なんにもならんぞ……。』

『左様さような訳わけのものでございましょうか……。』

私わたくしとしては内心ないしん多大ただいの不安ふあんを感かんじながら、そうお答こたえするより外ほかに詮術せんすべがないのでございました。

六十七、神と人との仲介

以上いじょうのべたところで一と通とおり話はなしの筋道すじみちだけはお判わかりになったことと存ぞんじます。神かみに祀まつられたといえば、ちょっと大変たいへんなことのように思おもわれましょうが、内容なかみは決けっしてそれほどのことではないのでございまして……。

大体だいたい日本にほんの言葉ことばが、肉眼にくがんに見みえないものを悉ことごとく神かみと言いって了しまうから、甚はなはだまぎらわしいのでございます。神かみという一字じの中なかには飛とんでもない階段かいだんがあるのでございます。諺ことわざにも上うえには上うえとやら、一つの神界しんかいの上うえには更さらに一だん高たかい神界しんかいがあり、その又また上うえにも一層そう奥おくの神界しんかいがあると言いった塩梅あんばいに、どこまで行ゆっても際限さいげんがないらしいのでございます。現在げんざいの私わたくしどもの境涯きょうがいからいえば、最高さいこうのところは矢張やはり昔むかしから教おしえられて居いるとおり、天照大御神様あまてらすおおみかみさまの知しろしめす高天原たかまがはらの神界しんかい――それが事実上じじつじょうの宇宙うちゅうの神界しんかいなのでございます。そこまでは、一心しん不乱ふらんになって統一とういつをやればどうやら私わたくしどもにも接近せっきんされぬでもありませぬが、それから奥おくはとても私わたくしどもの力量ちからには及およびませぬ。指導役しどうやくのお爺じいさんに伺うかがって見みましても、あまり要領ようりょうは獲えられませぬ……。つまり無ない訳わけではないが、限かぎりある器量ちからではどうにもしょうがないのでございましょう。

高天原たかまがはらの神界しんかいから一段だん降くだったところが、取とりも直なおさずわれわれの住すむ大地だいちの神界しんかいで、ここに君臨くんりん遊あそばすのが、申もうすまでもなく皇孫命様こうそんのみことさまにあらせられます。ここになるとずっとわれわれとの距離きょりが近ちかいとでも申もうしましょうか、御祈願ごきがんをこむれば直接ちょくせつ神様かみさまからお指図さしずを受うけることもでき、又またそう骨折ほねおらずにお神姿すがたを拝おがむこともできます――。尤もっともこれは幾いくらか修行しゅぎょうが積つんでからの事ことで、最初さいしょこちらへ参まいったばかりの時ときは、何なにが何なにやら腑ふに落おちぬことばかり、恥はずかしながら皇孫命様こうそんのみことさまがあらゆる神々かみがみを統率とうそつ遊あそばす、真しんの中心ちゅうしんの御方おかたであることさえも存ぞんじませんでした。『幽明交通ゆうめいこうつうの途みちが杜絶とだえているせいか、近頃ちかごろの人間にんげんはまるきり駄目だめじゃ……。昔むかしの人間にんげんにはそれ位くらいのことがよく判わかっていたものじゃが……。』――指導役しどうやくのお爺じいさんからそう言いってさんざんお叱しかりを受うけたような次第しだいでございました。私達わたくしたちでさえ、すでにこれなのでございますから、現世げんせの方々かたがたが戸惑とまどいをなさるのも或あるいは無理むりからぬことかも知しれませぬ。これは矢張やはりお爺じいさんの言いわれる通とおり、この際さい、大おおいに奮発ふんぱつして霊界れいかいとの交通こうつうを盛さかんにする必要ひっようがございましょう。それさえできれば斯こんなことは造作ぞうさもなく判わかることなのでございますから……。

今更いまさら申上もうしあぐるまでもなく、皇孫命様こうそんのみことさまをはじめ奉たてまつり、直接ちょくせつそのお指図さしずの下もとにお働はたらき遊あそばす方々かたがたは何いずれも活神様いきがみさま……つまり最初さいしょからこちらの世界せかいに活いき通どおしの自然霊しぜんれいでございます。産土うぶすなの神々かみがみは申もうすに及およばず、八幡様はちまんさまでも、住吉様すみよしさまでも、但ただしは又また弁財天様べんざいてんさまのような方々かたがたでも、その御本体ごほんたいは悉ことごとくそうでないものはございませぬ。つまるところここまでが、真正ほんとうの意味いみの神様かみさまなので、私わたくしどものように帰幽後きゆうご神かみとして祀まつられるのは真正ほんとうの神かみではありませぬ。ただ神界しんかいに籍せきを置おいているという丈だけで……。尤もっとも中なかには随分ずいぶん修行しゅぎょうの積つんた、お立派りっぱな方々かたがたもないではありませぬが、しかし、どんなに優すぐれていても人霊じんれいは矢張やはり人霊じんれいだけのことしかできはしませぬ。一つ口くちに申もうしたら、真正ほんとうの神様かみさまと人間にんげんとの中間ちゅうかんに立たちてお取次とりつぎの役目やくめをつとめるのが人霊じんれいの仕事しごと――。まあそれ位くらいに考かんがえて戴いただけば、大体だいたい宜よろしいかと存ぞんじます。少すくなくとも私わたくしのような未熟みじゅくなものにできますことは、やっとそれだけでございます。神社じんじゃに祀まつられたからと申もうして、矢鱈やたらに六ヶむずかしい問題もんだいなどを私わたくしのところにお持込もちこみになられることは固かたく御辞退ごじたいいたします。精せい一ぱいお取次とりつぎはいたしますが、私わたくしなどの力量ちからで何なに一つできるものでございましょうか……。

六十八、幽界の神社

かれこれする中うちに、指導役しどうやくのお爺じいさんからは、お宮みやの普請ふしんが、最もう大分だいぶん進行しんこうして居いるとのお通知しらせがありました。――

『後あと十日とうかも経たてばいよいよ鎮座祭ちんざさいの運はこびになる。形かたちこそ小ちいさいが、普請ふしんはなかなか手てが込こんで居いるぞ……。』

そんな風評うわさを耳みみにする私わたくしとしては、これまでの修行場しゅぎょうばの引越ひっこしとは異ちがって、何なんとなく気きがかり……幾分いくぶん輿入こしいれ前まえの花嫁はなよめさんの気持きもち、と言いったようなところがあるのでした。つまり、うれしいようで、それで何なにやら心配しんぱいなところかあるので「ところかあるので」はママございます。

『お爺じいさま、鎮座祭ちんざさいとやらの時ときには、私わたくしがそのお宮みやに入はいるのでございますか……。』

『イヤそれとも少すこし異ちがう……。現界うつしよにお宮みやが建たつ時ときには、同時どうじに又またこちらの世界せかいにもお宮みやが建たち、そなたとしてはこちらのお宮みやの方ほうに入はいるのじゃ。――が、そなたも知しる通とおり現幽げんゆうは一致ち、幽界ゆうかいの事ことは直ただちに現界げんかいに映うつるから、実際じっさいはどちらとも区別くべつがつけられないことになる……。』

『現界げんかいの方ほうでは、どんな個所ところにお宮みやを建たてて居おるのでございますか。』

『彼所あそこは何なんと呼よぶか……つまり籠城中ろうじょうちゅうにそなたが隠かくれていた海岸かいがんの森蔭もりかげじゃ。今いまでも里人達さとびとたちは、遠とおい昔むかしの事ことをよく記憶おぼえていて、わざとあの地点ところを選えらぶことに致いたしたらしい……。』

『では油あぶらヶ壺つぼのすぐ南側みなみがわに当あたる、高たかい崖がけのある所ところでございましょう、大木たいぼくのこんもりと茂しげった……。』

『その通とおりじゃ。が、そんなことはこの俺わしに訊きくまでもなく、自分じぶんで覗のぞいて見みたらよいであろう。現界げんかいの方ほうはそなたの方ほうが本職ほんしょくじゃ……。』

お爺じいさんはそんなことを言いって、まじめに取合とりあってくださいませんので、止やむを得えずちょっと統一とういつして、のぞいて見みると、果はたしてお宮みやの所在地しょざいちは、私わたくしの昔むかしの隠家かくれがのあったところで、四辺あたりの模様もようはさしてその時分じぶんと変かわって居いないようでした。普請ふしんはもう八分ぶ通どおりも進行しんこうして居おり、大工だいくやら、屋根職やねややらが、何いずれも忙いそがしそうに立働たちはたらいているのが見みえました。

『お爺じいさま、矢張やはり昔むかしの隠家かくれがのあった所ところでございます。大たいそう立派りっぱなお宮みやで、私わたくしには勿体もったいのうございます。』

『現界げんかいのお宮みやもよくできて居おるが、こちらのお宮みやは一層そう手てが込こんで居おるぞ。もう夙とうに出来上できあがっているから、入はいる前まえに一度どそなたを案内あんないして置おくと致いたそうか……。』

『そうしていただけば何なにより結構けっこうでございますが……。』

『ではこれからすぐに出掛でかける……。』

不相変あいかわらずお爺じいさんのなさることは早急さっきゅうでございます。

私達わたくしたちは連つれ立だちて海うみの修行場しゅぎょうばを後あとに、波打際なみうちぎわのきれいな白砂はくさを踏ふんで東ひがしへ東ひがしへと進すすみました。右手めてはのたりのたりといかにも長閑のどかな海原うなばら、左手ゆんではこんもりと樹木じゅもくの茂しげった丘おかつづき、どう見みても三浦みうらの南海岸みなみかいがんをもう少すこしきれいにしたような景色けしきでございます。ただ海うみに一艘そうの漁船ぎょせんもなく、又また陸おかに一軒けんの人家じんかも見みえないのが現世げんせと異ちがっている点てんで、それが為ために何なにやら全体ぜんたいの景色けしきに夢幻ゆめまぼろしに近ちかい感かんじを与あたえました。

歩あるいた道程みちのりは一里りあまりでございましょうか、やがて一つの奥深おくふかい入江いりえを𢌞まわり、二つ三つ松原まつばらをくぐりますと、そこは欝葱うっそうたる森蔭もりかげの小こじんまりとせる別天地べってんち、どうやら昔むかし私わたくしが隠かくれていた浜磯はまいその景色けしきに似にて、更さらに一層そう理想化りそうかしたような趣おもむきがあるのでした。

不図ふと気きがついて見みると、向むかうの崖がけを少すこし削けずった所ところに白木造しらきづくりのお宮みやが木葉隠このはがくれに見みえました。大おおきさは約やく二間けん四方ほう、屋根やねは厚あつい杉皮葺すぎかわぶき、前面ぜんめんは石いしの階段かいだん、周囲ぐるりは濡椽ぬれえんになって居おりました。

『何どうじゃ、立派りっぱなお宮みやであろうが……。これでそなたの身みも漸ようやく固かたまった訳わけじゃ。これからは引越ひっこし騒さわぎもないことになる……。』

そう言いわれるお爺じいさんのお顔かおには、多年たねん手てがけた教おしえ児ごの身みの振ふり方かたのついたのを心こころから歓よろこぶと言いった、慈愛じあいと安心あんしんの色いろが湛ただよって居おりました。私わたくしは勿体もったいないやら、うれしいやら、それに又また遠とおい地上生活時代ちじょうせいかつじだいの淡あわい思おもい出でまでも打うち混まじり、今更いまさら何なんと言いうべき言葉ことばもなく、ただ泪なみだぐんでそこに立たち尽つくしたことでございました。

六十九、鎮座祭

そうする中うちにいよいよ鎮座祭ちんざさいの日ひがまいりました。

『現界げんかいの方ほうでは今日きょうはえらいお祭騒まつりさわぎじゃ。』と指導役しどうやくのお爺じいさんが説とききかせてくださいました。『地元じもとの里さとはいうまでもなく、三里り五里りの近郷近在きんごうきんざいからも大たいへんな人出ひとでで、あの狭せまい海岸かいがんが身動みうごきのできぬ有様ありさまじゃ。往来おうらいには掛茶屋かけちゃややら、屋台店やたいみせやらが大分だいぶできて居いる……。が、それは地上ちじょうの人間界にんげんかいのことで、こちらの世界せかいは至いたって静謐しずかなものじゃ。俺わし一人ひとりでそなたをあのお宮みやへ案内あんないすればそれで事ことが済すむので……。まァこれまでの修行場しゅぎょうばの引越ひっこしと格別かくべつの相違そういもない……。』

そう言いってお爺じいさんは一向こうに取済とりすましたものでしたが、私わたくしとしては、それでは何なにやら少すこし心細こころぼそいように感かんじられてならないのでした。

『あのお爺じいさま、』私わたくしはとうとう切きり出だしました。『私わたくし一人ひとりでは何なにやら心許こころもとのうございますから、お差支さしつかえなくば私わたくしの守護霊しゅごれいさまに一緒しょに来きて戴いただきたいのでございますが……。』

『それは差支さしつかえない。そなたを爰ここまで仕上しあげるのには、守護霊しゅごれいさんの方ほうでも蔭かげで一と方かたならぬ骨折ほねおりじゃった。――もう追おッつけ現界げんかいの方ほうでは鎮座祭ちんざさいが始はじまるから、こちらもすぐにその支度したくにかかると致いたそうか……。』

毎々まいまい申上もうしあげますとおり、私わたくしどもの世界せかいでは何事なにごとも甚はなはだ手取てっとり早ばやく運はこびます。先まず私わたくしの服装みなりが瞬間しゅんかんに変かわりましたが、今日きょうは平常いつもとは異ちがって、身みには白練しろねりの装束しょうぞく、手てには中啓ちゅうけい、足あしには木きの蔓つるで編あんだ一種しゅの草履ぞうり、頭髪かみはもちろん垂髪さげがみ……甚はなはださッぱりしたものでございました。他ほかに身みにつけていたものといえばただ母ははの紀念かたみの守刀まもりがたな――こればかりは女おんなの魂たましいでございますから、いかなる場合ばあいにも懐ふところから離はなすようなことはないのでございます。

私わたくしの服装みなりが変かわった瞬間しゅんかんには、もう私わたくしの守護霊しゅごれいさんもいそいそと私わたくしの修行場しゅぎょうばへお見みえになりました。お服装みなりは広袖ひろそでの白衣びゃくいに袴はかまをつけ、上うえに何なにやら白しろの薄物うすものを羽織はおって居おられました。

『今日きょうは良ようこそ私わたくしをお召よびくださいました。』と守護霊しゅごれいさんはいつもの控ひかえ勝がちな態度たいどの中うちにも心こころからのうれしさを湛たたえ、『私わたくしがこちらの世界せかいへ引移ひきうつてから「引移ひきうつてから」はママ、かれこれ四百年ねんにもなりますが、その永ながい間あいだに今日きょうほど肩身かたみが広ひろく感かんじられることはただの一度どもございませぬ。これと申もうすも偏ひとえに御指導役ごしどうやくのお爺じいさまのお骨折ほねおり、私わたくしからも厚あつくお礼れいを申上もうしあげます。この後のちとも何分なにぶん宜よろしうお依たのみ申もうしまする……。』

『イヤそう言いわれると俺わしはうれしい。』とお爺じいさんもニコニコ顔がお、『最初さいしょこの人ひとを預あずかった当座とうざは、つまらぬ愚痴ぐちを並ならべて泣なかれることのみ多おおく、さすがの俺わしもいささか途方とほうに暮くれたものじゃが、それにしてはよう爰ここまで仕上しあがったものじゃ。これからは、何なんと言いおうが、小桜神社こざくらじんじゃの祭神さいしんとして押おしも押おされもせぬ身分みぶんじゃ……。早速さっそく出掛でかけると致いたそう。』

お爺じいさんはいつもの通とおりの白衣姿びゃくいすがたに藁草履わらぞうり、長ながい杖つえを突ついて先頭せんとうに立たたれたのでした。

浪打際なみうちぎわを歩あるいたように感かんじたのはホンの一瞬間しゅんかん、私達わたくしたちはいつしか電光でんこうのように途中とちゅうを飛とばして、例れいのお宮みやの社頭しゃとうに立たっていました。

内部なかに入はいってホッと一と息いきつく間まもなく、忽たちまち産土うぶすなの神様かみさまの御神姿おすがたがスーッと神壇しんだんの奥深おくふかくお現あらわれになりました。その場所ばしょは遠とおいようで近ちかく、又また近ちかいようで遠とおく、まことに不思議ふしぎな感かんじが致いたしました。

恭うやうやしく頭あたまを低さげている私わたくしの耳みみには、やがて神様かみさまの御声おこえが凛々りんりんと響ひびいてまいりました。それは大体だいたい左さのような意味いみのお訓示さとしでございました。

『今いまより神かみとして祀まつらるる上うえは心こころして土地とちの守護しゅごに当あたらねばならぬ。人民じんみんからはさまざまの祈願きがんが出でるであろうが、その正邪せいじゃ善悪ぜんあくは別べつとして、土地とちの守護神しゅごじんとなった上うえは一応おう丁寧ていねいに祈願きがんの全部ぜんぶを聴きいてやらねばならぬ。取捨しゅしゃは其上そのうえの事ことである。神かみとして最もっとも戒いましむべきは怠慢たいまんの仕打しうち、同時どうじに最もっとも慎つつしむべきは偏頗不正へんばふせいの処置しょちである。怠慢たいまんに流ながるる時ときはしばしば大事だいじをあやまり、不正ふせいに流ながるる時ときはややもすれば神律しんりつを紊みだす。よくよく心こころして、神かみから托たくされた、この重おもき職責しょくせきを果はたすように……。』

産土うぶすなの神様かみさまのお馴示さとしが終おわると、つづいて竜宮界りゅうぐうかいからのお言葉ことばがありましたが、それは勿体もったいないほどお優やさしいもので、ただ『何事なにごとも六ヶむずかしい事ことはこちらに訊きくように……。』とのことでございました。

私わたくしは今更いまさらながら身みにあまる責任せきにんの重おもさを感かんずると同時どうじに、限かぎりなき神恩しんおんの忝かたじけなさをしみじみと味あじわったことでございました。

七十、現界の祝詞

そうする中うちにも、今日きょうの鎮座祭ちんざさいのことは、早はやくもこちらの世界せかいの各方面かくほうめんに通つうじたらしく、私わたくしの両親りょうしん、祖父母そふぼ、良人おっとをはじめ、その外ほか多おおくの人達ひとたちからのお祝いわいの言葉ことばが、頻々ひんひんと私わたくしの耳みみにひびいで参まいりました。それは別べつにあちらで通信つうしんしようとする意思いしはなくても、自然しぜんとそう感かんじられて来くるのでございます。近頃ちかごろは現界げんかいでも、電信でんしんとか、電話でんわとか申もうすものが出来できて、斯こうした場合ばあいによく利用りようされるそうでございますが、こちらの世界せかいでする仕事しごとも大体だいたいそれに似にたもので、ただもう少すこし便利べんりなように思おもわれます。『思おもえば通つうずる……。』それがいつも私わたくしどものヤリ口くちなのでございまして……。

さてその際さい私わたくしに感かんじて来きた通信つうしんの中なかでは、矢張やはり良人おっとのが一ばん力強ちからづよくひびきました。『そなたはいよいよ神かみとして祀まつられることになり、多年たねん連添つれそった良人おっととして決けっして仇あだやおろそかには考かんがえられない。しかもその神社じんじゃの所在地しょざいちは、あの油壺あぶらつぼの対岸たいがんの隠かくれ家がの跡あととやら、この上うえともしっかりやって貰もらいますぞ……。』

兎角とかくして居いる中うちに、指導役しどうやくのお爺じいさんから御注意ごちゅういがありました。――

『現界げんかいではいよいよ御霊鎮みたましずめの儀ぎに取とりかかった。そなたはすぐにその準備したくにかかるように……。』

私わたくしの身みも心こころも、その時とき急きゅうに引ひきしまるように覚おぼえました。

『これから自分じぶんはこのお宮みやに鎮しずまるのだ……。』

そう思おもった瞬間しゅんかんに、私わたくしの姿すがたはいずくともなく消きえて失うせて了しまいました。

後あとでお爺じいさんから承うけたまわるところによると、私わたくしというものはその時ときすっかり御幣ごへいの中なかに入はいって了しまったのだそうで、つまり御幣ごへいが自分じぶんか、自分じぶんが御幣ごへいか、その境界さかいが少すこしも判わからなくなったのでございます。

その状態じょうたいがどれ位ぐらいつづいたかは自分じぶんには少すこしも判わかりませぬ。が、不思議ふしぎなことに、そうして居いる間あいだ、現世げんせの人達ひとたちが奏上そうじょうする祝詞のりとが手てに取とるようにはっきりと耳みみに響ひびいて来くるのでございます。その後のち何回なんかい斯こうした儀式ぎしきに臨のぞんだか知しれませぬが、いつもいつも同おなじ状態じょうたいになるのでございまして、それは全まったく不思議ふしぎでございます。

不図ふと自分じぶんに返かえって見みると、お爺じいさんも、又また守護霊しゅごれいさんも、先刻せんこくの姿勢しせいのままで、並ならんで神壇しんだんの前まえに立たって居おられました。

『これで俺わしも一と安心あんしんじゃ……。』

お爺じいさんはしんみりとした口調くちょうで、ただそう仰おッしゃられたのみでした。つづいて守護霊しゅごれいさんも口くちを開ひらかれました。――

『ここまで来くるのには、御本人ごほんにんの苦労くろうも一と通とおりではありませぬが、蔭かげになり、日向ひなたになって、親切しんせつにお導みちびきくだされた神かみさま方がたのお骨折ほねおりは容易よういなものではございませぬ。決けっして決けっしてその御恩ごおんをお忘わすれにならぬよう……。』

その折おりの私わたくしとしましては感極かんきわまりて言葉ことばも出いでず、せき来くる涙なみだを払はらえもあえず、竜神りゅうじんさま、氏神うじがみさま、その外ほかの方々かたがたに心こころから感謝かんしゃのまことを捧ささげたことでございました。

七十一、神馬

鎮座祭ちんざさいが済すんでから私わたくしは一たん海うみの修行場しゅぎょうばに引ひき上あげました。それは小桜神社こざくらじんじゃの祭神さいしんとして実際じっさいの仕事しごとにかかる前まえにまだ何なにやら心こころの準備じゅんびが要いると考かんがえましたからで……。

で、私わたくしは一生しょう懸命けんめい深ふかい統一とういつに入はいり、過去かこの一切さいの羈絆きずなを断たち切きることによりて、一層そう自由自在じゆうじざいな神通力じんつうりきを恵めぐまれるよう、心こころから神様かみさまに祈願きがんしました。それは時間じかんにすれば恐おそらく漸ようやく一刻とき位ぐらいの短みじかい統一とういつであったと思おもいますが、心こころが引緊ひきしまっている故せいか、私わたくしとすれば前後ぜんごにない位くらいのすぐれて深ふかい統一状態とういつじょうたいに入はいったのでございました。畏おそれ多おおくも私わたくしとして、天照大御神様あまてらすおおみかみさま、又また皇孫命様こうそんのみことさまの尊とうとい御神姿おすがたを拝はいし奉たてまつったのは実じつにその時ときが最初さいしょでございました。他ほかにいろいろ申上もうしあげたいこともありますが、それは主おもに私わたくし一人ひとりに関係かんけいした霊界れいかいの秘事ひじに属ぞくしますので、しばらく控ひかえさせて戴いただくことに致いたしましょう。

ただ一つここで御披露ごひろうして置おきたいと思おもいますことは、神馬しんめの件けんで……。つまり不図ふとした動機どうきから小桜神社こざくらじんじゃに神馬しんめが一頭とう新あらたに飼かわれることになったのでございます。その経緯いきさつは斯こうなのでございます。

私わたくしが深ふかい統一とういつから覚さめた時ときに、思おもいも寄よらず最前さいぜんからそこに控ひかえて待まっていたのは、数間かずまの爺じいやでございました。爺じいやは今日きょうの鎮座祭ちんざさいの慶よろこびを述のべた後あとで、突然とつぜん斯こんなことを言いい出だしました。――

『姫ひいさまが今回こんかい神社じんじゃにお入はいりなされるにつけては、是非ぜひ神馬しんめが一頭とう欲ほしいと思おもいまするが……。』

『ナニ神馬しんめ?』と私わたくしはびっくりしまして『そなたは又また何どうしてそんな事ことを言いい出だすのじゃ……。』

『実じつは姫様ひいさまが昔むかしお可愛かわいがりになった、あの若月わかつき……あれがこちらの世界せかいに来きて居いるのでござります。私わたくしは何回なんかいかあの若月わかつきに逢あって居おりますので……。』

『若月わかつきなら私わたくしも一度どこちらで逢あいました……。』

『もうお逢あいなされましたか……何なんとお早はやいことで……。が、それなら尚更なおさらのことでござります。是非ぜひあの若月わかつきを小桜神社こざくらじんじゃの神馬しんめに出世しゅっせさせておやり下くださいませ。若月わかつきがどんなに歓よろこぶか知しれませぬ。又また苟且かりそめにも一つの神社じんじゃに一頭とうの神馬しんめもないとあっては何なんとなく引立ひきたちませんでナ……。』

『そんな勝手かってな事ことが、できるかしら……。』

『できても、できなくても一応おう神様かみさまに談判だんぱんして戴いただきます。これ位くらいの願ねがいが許ゆるされないとあっては、俺わしにも料簡りょうけんがござります……。』

数間かずまの爺じいやの権幕けんまくと言いったら大たいへんなものでした。

そこでとうとう私わたくしから指導役しどうやくのお爺じいさんにお話はなしすると、意外いがいにも産土うぶすなの神様かみさまの方ほうではすでにその手筈てはずが整ととのって居おり、神社じんじゃの横手よこてに小屋こやも立派りっぱに出来できて居いるとの事ことでございました。それと知しった時ときの数間かずまの爺じいやの得意とくいさと言いったらありませんでした。

『ソーれお見みなされ姫様ひいさま、他ほかのことにかけては姫様ひいさまがお偉えらいか知しれぬが、馬うまの事ことにかけては矢張やはりこの爺じいやの方ほうが一枚まい役者やくしゃが上うえでござる……。』

間まもなく私わたくしは海うみの修行場しゅぎょうばを引ひき上あげて、永久えいきゅうに神社じんじゃの方ほうに引ひき移うつりましたが、それと殆ほとんど同時どうじに馬うまも数間かずまの爺じいやに曳ひかれて、頭あたまを打振うちふり打振うちふり歓よろこび勇いさんで私わたくしの所ところに現あらわれました。それからずっと今日こんにちまで馬うまは私わたくしの手元てもとに元気げんきよく暮くらして居おりますが、ただこちらでは馬うまがいつも神社じんじゃの境内けいないにつながれて居いる訳わけではなく、どこに行いって居おっても、私わたくしが呼よべばすぐ現でて来くるだけでございます。さびしい時ときは私わたくしはよく馬うまを相手あいてに遊あそびますが、馬うまの方ほうでもあの大おおきな舌したを持もって来きて私わたくしの顔かおを舐なめたりします。それはまことに可愛かわいらしいものでございまして……。

それから馬うまの呼名よびなでございますが、私わたくしは予かねての念願ねんがんどおり、若月わかつきを改あらためて、こちらでは鈴懸すずかけと呼よぶことに致いたしました。私わたくしが神社じんじゃに落おちついてから、真先まっさきに訪たずねてくれたのは父ちちだの、母ははだの、良人おっとだのでございましたが、私わたくしは何なには措おいても先まずこの鈴懸すずかけを紹介しょうかいしました。その際さい誰だれよりも感慨かんがい深ふかそうに見みえたのは矢張やはり良人おっとでございました。良人おっとはしきりに馬うまの鼻面はなづらを撫なでてやりながら『汝おまえもとうとう出世しゅっせして鈴懸すずかけになったか。イヤ結構けっこう結構けっこう! 俺わしはもう呼名よびなについて反対はんたいはせんぞ……。』そう言いって、私わたくしの方ほうを顧かえりみて、意味いみありげな微笑ほほえみを漏もらしたことでございました。

七十二、神社のその日その日

前まえ申上もうしあげましたように、兎とも角かくも私わたくしは小桜神社こざくらじんじゃを預あずかる身みとなったのでございますが、それから今日こんにちまで引ひきつづいてざっと二百年ねん、考かんがえて見みれば随分ずいぶん永ながいことでございます。私わたくしの任務つとめというのはごく一と筋すじのもので、従したがって格別かくべつ取とり立たてて吹聴ふいちょうするような珍めずらしい話はなしの種たねとてもありませぬが、それでもこの永ながい星霜つきひの間あいだには何なにや彼かやと後あとから後あとからさまざまの事件ことが湧わいてまいり、とてもその全部ぜんぶを御伝おつたえする訳わけにもまいりませぬ。中なかには又また現世げんせの人達ひとたちに、今いまここで御漏おもらししてはならないことも少すこしはあるのでございまして……。

で、いろいろと考かんがえました末すえ、これからあなた方がたに幾分いくぶんか御参考ごさんこうになりそうな事柄ことがらだけを拾ひろい出だして御話おはなしをいたし、そろそろこの拙つたなき通信つうしんを切きり上あげさせて戴いただこうと存ぞんじます。

取とり敢あえず祭神さいしんとなってからの生活せいかつの変化へんかと言いったような点てんを簡単かんたんに申上もうしあげて置おこうかと存ぞんじます。御承知ごしょうちの通とおり、私わたくしの仕事しごとは大体だいたい上うえの神界しんかいと下したの人間界にんげんかいとの中間あいだに立たちて御取次おとりつぎを致いたすのでございますが、これでも相当そうとうに気骨きぼねが折おれまして、うっかりして居おればどんな間違まちがいをするか知しれません。修行時代しゅぎょうじだいには指導役しどうやくの御爺おじいさんが側わきから一々面倒めんどうを見みてくださいましたから楽らくでございましたが、だんだんそうばかりも行ゆかなくなりました。『汝そなたには神様かみさまに伺うかがうこともちゃんと教おしえてあるから、大概たいがいの事ことは自分じぶんの力ちからで行やらねばならぬぞ……。』そう言いわれるのでございます。又また私わたくしとしても、いつまでお爺じいさんにばかりお縋すがりするのもあまりに意気地いきじがないように感かんじましたので、よくよくの重大事じゅうだいじでもなければ、めったに御相談ごそうだんはせぬことに覚悟かくごをきめました。

で、私わたくしとして真先まっさきに工夫くふうしたことは一日にちの区画くぎりを附つけることでございました、本来ほんらいからいえばこちらの世界せかいに昼夜ちゅうやの区別くべつはないのでございますが、それでは現界げんかいの人達ひとたちと接せっするのにひどく勝手かってが悪わるく、どうにも仕方しかたがございません。何なにしろ人間界にんげんかいの方ほうでは朝あさは朝あさ、夜よるは夜よるとちゃんと区画くぎりをつけて仕事しごとをして居いるのでございますから……。

乃そこで、私わたくしの方ほうでもそれに調子ちょうしを合あわせて生活せいかつするように致いたし、丁度ちょうど現世げんせの人達ひとたちが朝あさ起おきて洗面せんめんをすませ、神様かみさまを礼拝らいはいすると同おなじように、私わたくしも朝あさになれば斎戒沐浴さいかいもくよくして、天照大御神様あまてらすおおみかみさまをはじめ奉たてまつり、皇孫命様こうそんのみことさま、竜神様りゅうじんさま、又また産土神様うぶすなかみさまを礼拝らいはいし、今日きょう一日にちの任務つとめを無事ぶじに勤つとめさせて下くださいますようにと祈願きがんを籠こめることにしました。不思議ふしぎなことにそんな場合ばあいには、いつも額ぬかづいている私わたくしの頭あたまの上うえで、さらっと幣ぬさの音おとが致いたします。その癖くせ眼めを開あけて見みても、別べつに何なにも見みえはしませぬ。恐おそらく斯こうして神界しんかいから、人知ひとしれず私わたくしの躯からだを浄きよめて下くださるのでございましょう……。

夜よるは夜よるで、又また神様かみさまに御礼おれいを申上もうしあげます。『今日きょう一日にちの仕事しごとを無事ぶじに勤つとめさせて戴いただきまして、まことに難有ありがとうございました……。』その気持きもちは別べつに現世げんせの時ときと些すこしも異かわりはしませぬ。兎とに角かくこれで初はじめて重荷おもにが降おりたように感かんじ、自分じぶんに戻もどって寛くつろぎますが、ただ現世げんせと異ちがうのは、それから床とこを敷しいて寝ねるでもなく、たったひとりで懐なつかしい昔むかしの思おもい出でに耽ふけって、しんみりした気分きぶんに浸ひたる位くらいのものでございます。

兎とに角かく斯こうして一日にちを区画くぎって働はたらくことは指導役しどうやくのお爺じいさんからも大たいへんに褒ほめられました。『よくそれ丈だけの考かんがえがついた。それでこそ任務つとめが立派りっぱに果はたされる……。』そう仰おっしゃって戴いただいたのでございます。

ナニ参拝人さんぱいにんの話はなしをいたせと仰おっしゃるか……宜よろしうございます。私わたくしもそのつもりで居おりました。これからポツポツ想おもい出だしてその御話おはなしをして見みることに致いたしましょう。

七十三、参拝者の種類

神社じんじゃの参拝者さんぱいしゃと申もうしましても、その種類しゅるいはなかなか沢山たくさんでございます。近年きんねんは敬神けいしんの念ねんが薄うすらぎました故せいか、めっきり参拝者さんぱいしゃの数かずが減へり、又また熱心ねっしんさも薄うすらいだように感かんじられますが、昔むかしは大たいそう真剣しんけんな方かたが多おおかったものでございます。時勢じせいの変化へんかはこちらから観みて居いると実じつによく判わかります。神霊しんれいの有あるか、無ないかもあやふやな人達ひとたちから、単たんに形式的けいしきてきに頭あたまを低さげてもらいましても、ドーにも致方いたしかたがございませぬ。神詣かみまうでには矢張やはり真心まごころ一ひとつが資本もとででございます。たとえ神社じんじゃへは参詣さんけいせずとも、熱心ねっしんに心こころで念ねんじてくだされば、ちゃんとこちらへ通つうずるのでございますから……。

参拝者さんぱいしゃの中なかで一ばんに数かずも多おおく、又また一ばんに美うつくしいのは、矢張やはり何なんの註文ちゅうもんもなしに、御礼おれいに来こらるる方々かたがたでございましょう。『毎日まいにち安泰あんたいに暮くらさせていただきまして誠まことに難有ありがとうございます。何卒なにとぞ明日あすも無事ぶじ息災そくさいに過すごせますよう……。』昔むかしはこんなあっさりしたのが大たいそう多おおかったものでございます。殊ことに私わたくしが神かみに祀まつられました当座とうざは、海嘯つなみで助たすけられた御礼詣おれいまいりの人々ひとびとで賑にぎわいました。無論むろんあの海嘯つなみで相当そうとう沢山たくさんの人命じんめいが亡ほろびたのでございますが、心掛こころがけの良よい遺族いぞくは決けっして恨うらみがましいことを申もうさず、死しぬのも皆みな寿命じゅみょうであるとあきらめて、心こころから御礼おれいを述のべてくれるのでした。私わたくしとして見みれば、自分じぶんの力ちから一ひとつで助たすけた訳わけでもないのでございますから、そんな風ふうに御礼おれいを言いわれると却かえって気きの毒どくでたまらず、一層そう身みを入いれてその人達ひとたちを守護しゅごして上あげたい気分きぶんになるのでした。

斯こう言いった御礼おれい詣まいりに亜ついで多おおいのは病気びょうき平癒へいゆの祈願きがん、就中なかんずく小供こどもの病気びょうき平癒へいゆの祈願きがんでございます。母性愛ぼせいあいばかりはこれは全まったく別べつで、あれほど純じゅんな、そしてあれほど力強ちからづよいものはめったに他ほかに見当みあたりませぬ。それは実じつによく私わたくしの方ほうに通つうじてまいります。――が、いかに依たのまれましても人間にんげんの寿命じゅみょうばかりは何どうにもなりませぬ。随分ずいぶん一心しん不乱ふらんになって神様かみさまに御縋おすがりするのでございますが、死しぬものは矢張やはり死しんで了しまいます。そうした場合ばあいに平生へいぜい心懸こころがけのよいものは、『これも因縁いんねんだから致方いたしかたがございませぬ……。』と言いって、立派りっぱにあきらめてくれますが、中なかには随分ずいぶん性質たちのよくないのがない訳わけでもございません。『あんな神様かみさまは駄目だめだ……幾いくら依たのんだって些ちつとも利ききはしない……。』そんな事ことを言いって挨拶あいさつにも来こないのです。それが又またよくこちらに通つうじますので……。矢張やはり人物じんぶつの善悪ぜんあくは、うまく行いった場合ばあいよりも拙まずく行いった場合ばあいによく判わかるようでございます。

次つぎに案外あんがい多おおいのは若わかい男女だんじょの祈願きがん……つまり好すいた同志どうしが是非ぜひ添そわしてほしいと言いったような祈願きがんでございます。そんなのは篤とくと産土神様うぶすなのかみさまに伺うかがいまして、差支さしつかえのないものにはできる丈だけ話はなしが纏まとまるように骨ほねを折おってやりますが、ひょっとすると、妻子さいしのある男おとこと一緒しょになりたいとか、又また人妻ひとづまと添そはしてくれとか、随分ずいぶん道みちならぬ、無理むりな註文ちゅうもんもございます。無論むろん私わたくしとしてはそんな祈願きがんを受附うけつけないばかりか、次第しだいによれば神様かみさまに申上もうしあげて懲戒みせしめを下くだして戴いただきもします。もぐりの流行神はやりがみなら知しらぬこと、苟いやしくも正ただしい神かみとして斯こんな祈願きがんに耳みみを傾かたむけるものは絶対ぜったいに無ないと思おもえば宜よろしいかと存ぞんじます。

その外ほかには事業じぎょう成功せいこうの祈願きがん、災難さいなん除よけの祈願等きがんとういろいろございます。これは何いずれの神社じんじゃでも恐おそらく同様どうようかと存ぞんじます。人間にんげんはどんなに偉えらくても随分ずいぶんと隙間すきまだらけのものであり、又また随分ずいぶんと気きの弱よわいものでもあり、平生へいぜいは大おおきなことを申もうして威張いばって居おりましても、まさかの場合ばあいには手ても足あしも出ではしませぬ。無論むろん神かみの援助たすけにも限かぎりはありますが、しかし神かみの援助たすけがあるのと無ないのとでは、そこに大たいへんな相違そういができます。もともと神霊界しんれいかいありての人間界にんげんかいなのでございますから、今更いまさら人間にんげんが旋毛つむじを曲まげて神様かみさまを無視むしするにも及およびますまい。神様かみさまの方ほうではいつもチャーンとお膳立ぜんだてをして待まって居いて下くださるのでございます。

それからモー一ひとつ申上もうしあげて置おきたいのは、あの願掛がんがけ……つまり念入ねんいりの祈願きがんでございまして、これは大たいてい人ひとの寝鎮ねしずまった真夜中まよなかのものと限かぎって居おります。そうした場合ばあいには、むろん私わたくしの方ほうでもよく注意ちゅういしてきいて上あげ、夜中よなかであるから良いけないなどとは決けっして申もうしませぬ。現世げんせでいうなら丁度ちょうど急病人きゅうびょうにんに呼よび起おこされるお医者様いしゃさまと言いったところでございましょうか……。

まだまだ細こまかく申もうしたら際限さいげんもありませぬが、参拝者さんぱいしゃの種類しゅるいはざっと以上いじょうのようなところでございましょう、これから二ふたつ三みつつ私わたくしの手てにかけた実例じつれいをお話はなしして見みることに致いたしますが、その前まえにちょっと申上もうしあげて置おきたいのは、それ等らの祈願きがんを聴きく場合ばあいの私わたくしの気持きもちでございます。ただぼんやりしていたのでは聴きき漏もらしがありますので、私わたくしは朝あさになればいつも深ふかい統一状態とういつじょうたいに入はいり、そしてそのまま御弊ごへいと一緒しょになって了しまうのでございます。その方ほうが参拝者達さんぱいしゃたちの心こころがずっとよく判わかるからでございます。つまり私わたくしの二百年間ねんかんのその日ひその日ひはいつも御弊ごへいと一体たい、夜分やぶん参拝者さんぱいしゃが杜絶とだえた時分じぶんになって初はじめて自分じぶんに返かえって御弊ごへいから離はなれると言いった塩梅あんばいなのでございます。

ではこれからお約束やくそくの実例じつれいに移うつります……。

七十四、命乞い

ここに私わたくしが神社じんじゃに入はいってから間まもなく手てにかけた事件じけんがございますから、あまり珍めずらしくもありませぬが、それを一ひとつお話はなしいたして見みましょう。それは水みずに溺おぼれた五歳さい位くらいの男おとこの児この生命いのちを助たすけたお話はなしでございます。

その小供こどもは相当そうとう地位ちいのある人ひと……たしか旗本はたもととか申もうす身分みぶんの人ひとの忰せがれでございまして、平生へいぜいは江戸住えどずまいなのですが、お附つきの女中じょちゅうと申もうすのが諸磯もろいその漁師りょうしの娘こなので、それに伴つれられてこちらへ遊あそびに来きていたらしいのでございます。丁度ちょうど夏なつのことでございましたから、小供こどもは殆ほとんど家いえの内部なかに居いるようなことはなく、海岸かいがんへ出でて砂すないじりをしたり、小魚こざかなを捕とらえたりして遊あそびに夢中むちゅう、一二度どは女中じょちゅうと一緒しょに私わたくしの許もとへお詣まいりに来きたこともありました、普通ふつうなら一々参拝者さんぱいしゃを気きにとめることもないのですが、右みぎの女中じょちゅうと申もうすのが珍めずらしく心掛こころがけのよい、信心しんじんの熱あつい娘こでございましたから、自然しぜん私わたくしの方ほうでも目めを掛かけることになったのでございます。現げんと幽ゆうとに分わかれて居おりましても、人情にんじょうにかわりはなく、先方せんぽうで熱心ねっしんならこちらでもツイその真心まごころにほだされるのでございます。

すると或ある日ひ、この小供こどもの身みに飛とんでもない災難さいなんが降ふって湧わいたのでございます。御承知ごしょうちの方かたもありましょうが、三崎みさきの西海岸にしかいがんには巌いわで囲かこまれた水溜みずたまりがあちこちに沢山たくさんありまして、土地とちの漁師りょうしの小供達こどもたちはよくそんなところで水泳みずおよぎを致いたして居おります。真黒まっくろく日ひに焦やけた躯からだを躍おどり狂くるわせて水みずくぐりをしているところはまるで河童かっぱのよう、よくあんなにもふざけられたものだと感心かんしんされる位くらいでございます。江戸えどから来きている小供こどもはそれが羨うらやましくて耐たまらなかったものでございましょう、自分じぶんでは泳およげもせぬのに、女中じょちゅうの不在るすの折おりに衣服きものを脱ぬいで、深ふかい水溜みずたまりの一ひとつに跳とび込こんだから耐たまりませぬ。忽たちまちブクブクと水底みずそこに沈しずんで了しまいました。しばらく過すぎてからその事ことが発見はっけんされて村中むらじゅうの大騒おおさわぎとなりました。何なにしろ附近ふきんに医師いしらしいものは居いない所ところなので、漁師達りょうしたちが寄よってたかって、水みずを吐はかせたり、焚火たきびで煖あたためたり、いろいろ手てを尽つくしましたが、相当そうとう時刻ときが経たっている為ために何どうしても気息いきを吹ふき返かえさないのでした。

いよいよ絶望ぜつぼうと決きままった時ときに、私わたくしの許もとへ夢中むちゅうで駆かけつけたのが、例れいのお附つきの女中じょちゅうでございました。その娘こはまるで半狂乱はんきょうらん、頭髪かみを振ふり乱みだして階段かいだんの下もとに伏ふしまろび、一生しょう懸命けんめい泣なき乍ながら祈願きがんするのでした。――

『小櫻姫様こざくらひめさま、どうぞ若様わかさまの生命いのちを取とりとめて下くださいませ……。私わたくしの過失ておちで大切だいじの若様わかさまを死しなせて了しまっては、ドーあってもこの世よに生いき永ながらえて居おられませぬ。たとえ私わたくしの生命いのちを縮ちぢめましても若様わかさまを生いかしていただきます。小供こどもの時分じぶんから信心しんじんして居おる私わたくしでございます、今度こんどばかりは是非ぜひ私わたくしの願ねがいをお聴きき入いれ下くださいませ……。』

私わたくしの方ほうでも心こころから気きの毒どくに思おもいましたから、時ときを移うつさず一生しょう懸命けんめいになって神様かみさまに命乞いのちごいの祈願きがんをかけましたが、何分なにぶんにも相当そうとう手遅ておくれになって居おりますので、神界しんかいから、一応おうは駄目だめであるとのお告つげでございました。しかし人間にんげんの至誠しせいと申もうすものは、斯こうした場合ばあいに大たいした働はたらきをするものらしく、くしびな神かみの力ちからが私わたくしから娘むすめに、娘むすめから小供こどもへと一道だうの光ひかりとなって注そそぎかけ、とうとう死しんだ筈はずの小供こどもの生命いのちがとりとめられたのでございました。全まったく人間にんげんはまごころ一ひとつが肝要かんようで、一心しん不乱ふらんになりますと、躯からだの内部なかから何なにやら一種しゅの霊気れいきと申もうすようなものが出でて、普通ふつうではとてもできない不思議ふしぎな仕事しごとをするらしいのでございます。

兎とに角かく死しんだ筈はずの小供こどもが生いき返かえったのを見みた時ときは私自身わたくしじしんも心こころから嬉うれしうございました。まして当人とうにんはよほど有難ありがたかったらしく、早速さっそくさまざまのお供物くもつを携たずさえてお礼れいにまいったばかりでなく、その後ごも終生しゅうせい私わたくしの許もとへ参拝さんぱいを欠かかさないのでした。こんなのは善良ぜんりょうな信者しんじゃの標本みほんと言いっても宜よろしいのでございましょう。

七十五、入水者の救助

今度こんどは一つ夫婦めおとのいさかいから、危あやうく入水にゅうすいしようとした女おんなのお話はなしを致いたしましょうか……。大だいたい夫婦めおと争あらそいにあまり感心かんしんしたものは少すくのうございまして、中なかには側はたで見みている方ほうが却かえって心苦こころぐるしく、覚おぼえず顔かおを背そむけたくなる場合ばあいもございます。これなども幾分いくぶんかその類たぐいでございまして……。

或ある日ひ一人ひとりの男おとこが蒼白まっさおな顔かおをして、慌あわてて社やしろの前まえに駆かけつけました。何事なにごとかしらと、じっと見みて居おりますると、その男おとこはせかせかとはずむ呼吸いきを鎮しずめも敢あえず、斯こんなことを訴うたえるのでした。――

『神かみさま、何どうぞ私わたくしの一生しょうの願ねがいをお聴きき届とどけ下くださいませ……。私わたくしの女房奴にょうぼうめが入水にゅうすいすると申もうして、家出いえでをしたきり皆目かいもく行方ゆくえが判わからないのでございます。神様かみさまのお力ちからでどうぞその足留あしどめをしてくださいますよう……。実際じっさいのところ私わたくしはあれに死しなれると甚はなはだ困こまりますので……。私わたくしが他所よそに情婦おんなをつくりましたのは、あれはホンの当座とうざの出来心できごころで、心しんから可愛かわいいと思おもっているのは、矢張やはり永年ながねん連つれ添そって来きた自家うちの女房にょうぼうなのでございます……。ただ彼女あれが余あんまり嫉妬やきもちを焼やいて仕方しかたがございませんから、ツイ腹立はらだちまぎれに二つ三つ頭あたまをどやしつけて、貴様きさまのような奴やつはくたばって了しまえと呶鳴どなりましたが、心こころの底そこは決けっしてそうは思おもっていないのでございます……。あんなことを言いったのは私わたくしが重畳ちょうじょう悪わるうございました。これに懲こりまして、私わたくしは早速さっそく情婦おんなと手てを切きります……。あの大切たいせつな女房にょうぼうに死しなれては、私わたくしはもうこの世よに生いきている甲斐かいがありませぬ……。』

この男おとこは三崎さきの町人ちょうにんで、年輩としごろは三十四五の分別ふんべつ盛ざかり、それが涙なみだまじりに斯こんなことを申もうすのでございますから、私わたくしは可笑おかしいやら、気きの毒どくやら、全まったく呆あきれて了しまいました。でも折角せっかくの依たのみでございますから、兎とも角かくも家出いえでした女房にょうぼうの行方ゆくえを探さぐって見みますと、すぐその所在地ありかが判わかりました。女おんなは油あぶらヶ壺つぼの断崖がけの上うえに居おりまして、しきりに小石こいしを拾ひろって袂たもとの中なかに入いれて居いるのは、矢張やはり本当ほんとうに入水にゅうすいするつもりらしいのでございます。そしてしくしく泣なきながら、斯こんなことを言いって居おりました。――

『口惜くやしい口惜くやしい! 自分じぶんの大切たいせつな良人おっとをあんな女おんなに寝ねとられて、何なんで黙だまって置おけるものか! これから死しんで、あの女おんなに憑依とりついて仇かたきを取とってやるからそう思おもって居おるがよい……。』

平生へいぜいはちょいちょい私わたくしのところへもお詣まいりに来くる、至いたって温和おんわな、そして顔立かおだちもあまり悪わるくはない女おんななのでございますのに、嫉妬しっとの為ためには斯こんなにも精神こころが狂くるって、まるきり手てがつけられないものになって了しまうのでございます。

見みるに見兼みかねて私わたくしは産土うぶすなの神様かみさまに、氏子うじこの一人ひとりが斯こんな事情ことになって居おりますから、何どうぞ然しかるべく……と、お願ねがいしてやりました。寿命じゅみょうのない者ものは、いかにお願ねがいしてもおきき入いれがございませぬが、矢張やはりこの女おんなにはまだ寿命じゅみょうが残のこって居いたのでございましょう、産土うぶすなの神様かみさまの御眷族ごげんぞくが丁度ちょうど神主かんぬしのような姿すがたをしてその場ばに現あらわれ、今いましも断崖がけから飛とび込こまうとする女房にょうぼうの前まえに両手りょうてを拡ひろげて立たちはだかったのでございます。

不意ふいの出来事できごとに、女房にょうぼうは思おもわずキャッ! と叫さけんで、地面じべたに臀餅しりもちをついて了しまいましたが、その頃ころの人間にんげんは現今いまの人間にんげんとは異ちがいまして、少すこしは神かみごころがございますから、この女おんなもすぐさまそれと気きがついて、飛とんだ心得違こころえちがいをしたと心こころから悔悟かいごして、死しぬることを思おもいとどまったのでございました。

一方ぽう私わたくしの方ほうではそれとなく良人おっとの心こころに働はたらきかけて、油あぶらヶ壺つぼの断崖がけの上うえに導みちびいてやりましたので、二人ふたりはやがてバッタリと顔かおと顔かおを突つき合あわせました。

『ヤレヤレ生いきていてくれたか……何なんと難有ありがたいことであろう……。』

『これというのも皆みな神様かみさまのお蔭かげ……これから仲なかよく暮くらしましょう……。』

『俺わしが悪わるかった、勘弁かんべんしてくれ。』

『お前まえもこれからわたしを可愛かわいがって……。』

二人ふたりは涙なみだながらに、しがみついていつまでもいつまでも離はなれようとしないのでした。

その後のち男おとこはすっかり心こころを入いれかえ、村人むらびとからも羨うらやまるるほど夫婦仲ふうふなかが良よくなりました。現在げんざいでもその子孫しそんはたしか彼地かのちに栄さかえて居いる筈はずでございます……。

七十六、生木を裂れた男女

あまり多愛たあいのないお話はなしばかりつづきましたので、今度こんどは少すこしばかり複雑こみいったお話はなし……一つ願掛がんかけのお話はなしを致いたして見みましょう。この願掛がんかけにはあまり性質たちの良よいのは少すくなうございます。大たいていは男おとこに情婦おんなができて夫婦仲ふうふなかが悪わるくなり、嫉妬やきもちのあまりその情婦おんなを呪のろい殺ころす、と言いったのが多おおいようで、偶たまには私わたくしの所ところへもそんなのが持もち込こまれることもあります。でも私わたくしとしては、全然ぜんぜんそう言いった厭いやらしい祈願きがんにはかかり合あわないことにして居おります。呪咀のろいが利きく神かみは、あれは又また別べつで、正ただしいものではないのでございます。話はなしの種子たねとしては或あるいはその方ほうが面白おもしろいか存ぞんじませぬが、生憎あいにく私わたくしの手許てもとには一つもその持もち合あわせがございませぬ。私わたくしの存ぞんじて居おりますのは、ただきれいな願掛がんがけのお話はなしばかりで、あまり面白おもしろくもないと思おもいますが、一つだけ標本みほんとして申上もうしあげることに致いたしましょう……。

それは或ある鎌倉かまくらの旧家きゅうかに起おこりました事件ことで、主人あるじ夫婦ふうふは漸ようやく五十になるか、ならぬ位くらいの年輩ねんぱい、そして二人ふたりの間あいだにたった一人ひとりの娘むすめがありました。母親ははが大たいへん縹緻きりょうよしなので、娘むすめもそれに似にて鄙ひなに稀まれなる美人びじん、又また才気さいきもはじけて居おり、婦女おんなの道みち一と通とおりは申分もうしぶんなく仕込しこまれて居おりました。此これが年頃としごろになったのでございますから、縁談えんだんの口くちは諸方しょほうから雨あめの降ふるようにかかりましたが、俚諺ことわざにも帯おびに短みじかし襷たすきに長ながしとやら、なかなか思おもう壺つぼにはまったのがないのでございました。

すると或ある時とき、鎌倉かまくらのある所ところに、能狂言のうきょうげんの催もようしがありまして、親子おやこ三人にん連つれでその見物けんぶつに出掛でかけました折おり、不図ふと間近まじかの席せきに人品じんぴんの賎いやしからぬ若者わかものを見みかけました。『これなら娘むすめの婿むことして恥はずかしくない……。』両親りょうしんの方ほうでは早はやくもそれに目星めぼしをつけ、それとなく言葉ことばをかけたりしました。娘むすめの方ほうでも、まんざら悪わるい気持きももしないのでした。

それから早速さっそく人ひとを依たのんで、だんだん先方せんぽうの身元みもとを査しらべて見みると、生憎あいにく男おとこの方ほうも一人ひとり息子むすこで、とても養子ようしには行ゆかれない身分みぶんなのでした。これには双方そうほうとも大たいへんに困こまり抜ぬき、何なんとか良よい工夫くふうはないものかと、いろいろ相談そうだんを重かさねましたが、もともと男おとこの方ほうでも女おんなが気きに入いって居おり、又また女おんなの方ほうでも男おとこが好すきだったものでございますので、最後さいごに、『二人ふたりの間あいだに子供こどもができたらそれを与やる』という約束やくそくが成なり立たちまして、とうとう黄道吉日こうどうきつじつを選えらんでめでたく婿入むこいりということになったのでした。

夫婦仲ふうふなかは至いたって円満えんまんで、双方そうほうの親達おやたちも大たいそう悦よろこびました。これで間まもなく懐胎みごもって、男おとこの児こでも生うまれれば、何なんのことはないのでございますが、そこがままならぬ浮世うきよの習ならいで、一年ねん経たっても、二年ねん過すぎても、三年ねんが暮くれても、ドウしても小供こどもが生うまれないので、婿むこの実家じっかの方ほうではそろそろあせり出だしました。『この分ぶんで行ゆけば家名かめいは断絶だんぜつする……。』――そう言いって騒さわぐのでした。が、三年ねんではまだ判わからないというので、更さらに二年ねんほど待まつことになりましたが、しかしそれが過すぎても、矢張やはり懐胎かいたいの気配けはいもないので、とうとう実家じっかでは我慢がまんがし切きれず、止やむを得えないから離縁りえんして帰かえってもらいたい、ということになって了しまいました。

二人ふたりの仲なかはとても濃こまやかで、別わかれる気きなどは更さらになかったのでございますが、その頃ころは何なによりも血筋ちすじを重おもんずる時代じだいでございましたから、お婿むこさんは無理むり無理むり、あたかも生木なまきを裂さくようにして、実家じっかへ連つれ戻もどされて了しまったのでした。今日こんにちの方々かたがたは随分ずいぶん無理解むりかいな仕打しうちと御思おおもいになるか存ぞんじませぬが、往時むかしはよくこんな事ことがあったものでございまして……。

兎とに角かく斯こうして飽あきも飽あかれもせぬ仲なかを割さかれた娘むすめの、その後のちの歎なげきと言いったら又また格別かくべつでございました。一と月つき、二た月つきと経たつ中うちに、どことはなしに躯からだがすっかり衰おとろえて行ゆき、やがて頭脳あたまが少すこしおかしくなって、良人おっとの名なを呼よびながら、夜中よなかに臥床ふしどこから起おき出だしてあるきまわるようなことが、二度ども三度ども重かさなるようになって了しまいました。

保養ほようの為ために、この娘むすめが一人ひとりの老女ろうじょに附添つきそわれて、三崎みさきの遠とおい親戚しんせきに当あたるものの離座敷はなれざしきに引越ひっこししてまいりましたのは、それから間まもないことで、ここではしなくも願掛がんがけの話はなしが始はじまるのでございます。

七十七、神の申子

或ある夜よ社頭しゃとうの階段きざはしの辺ほとりに人ひとの気配けはいが致いたしますので、心こころを鎮しずめてこちらから覗のぞいて見みますと、其処そこには二十五六の若わかい美うつくしい女おんなが、六十位ぐらいの老女ろうじょを連つれて立たって居おりましたが、血走ちばしった眼まなこに洗あらい髪かみをふり乱みだして居いる様子ようすは、何どう見みても只事ただごととは思おもわれないのでした。

女おんなはやがて階段きざはしの下したに跪ひざまづいて、こまごまと一伍一什いちぶしじゅうを物語ものがたった上うえで、『何卒なにとぞ神様かみさまのお力ちからで子供こどもを一人ひとりお授さずけ下くださいませ。それが男おとこの子こであろうと、女おんなの子こであろうと、決けっして勝手かっては申もうしませぬ……。』と一心しん不乱ふらんに祈願きがんを籠こめるのでした。

これで一と通とおり女おんなの事情じじょうは判わかったのでございますが、男おとこの方ほうを査しらべなければ何なんとも判断はんだんしかねますので、私わたくしはすぐ其場そのばで一層そう深ふかい精神統一状態せいしんとういつじょうたいに入はいり、仔細しさいにその心こころの中なかまで探さぐって見みました。すると男おとこも至いたって志繰こころの確たしかな、優やささしい若者わかもので、他ほかの女おんななどには目めもくれず、堅かたい堅かたい決心けっしんをして居いることがよく判わかりました。

これで私わたくしの方ほうでも真剣しんけんに身みを入いれる気きになりましたが、何分なにぶんにも斯こんな祈願きがんは、まだ一度ども手掛てがけたことがないものでございますから、何どうすれば子供こどもを授さずけることができるのか、更さらに見当けんとうがとれませぬ。拠よんどころなく私わたくしの守護霊しゅごれいに相談そうだんをかけて見みましたが、あちらでも矢張やはりよく判わからないのでございました。

そうする中うちにも、女おんなの方ほうでは、雨あめにも風かぜにもめげないで、初夜しょや頃ころになると必かならず願掛がんがけにまいり、熱誠ねっせいをこめて、早はやく子供こどもを授さずけていただきたいとせがみます。それをきく私わたくしは全まったく気きが気きでないのでございました。

とうとう思案しあんに余あまりまして、私わたくしは指導役しどうやくのお爺じいさんに御相談ごそうだんをかけますと、お爺じいさんからは、斯こんな御返答ごへんじがまいりました。――

『それは結構けっこうなことであるから、是非ぜひ子供こどもを授さずけてやるがよい。但ただしその方法ほうほうは自分じぶんで考かんがえなければならぬ。それがつまり修行しゅぎょうじゃ。こちらからは教おしえることはできない……。』

私わたくしとしては、これは飛とんでもないことになったと思おもいました。兎とに角かく相手あいてなしに妊娠にんしんしないことはよく判わかって居おりますので、不取敢とりあえず私わたくしは念力ねんりきをこめて、あの若者わかものを三崎みさきの方ほうへ呼よび寄よせることに致いたしました……。つまり男おとこにそう思おもわせるのでございますが、これはなかなか並大なみたいていの仕事しごとではないのでございまして……。

幸さいわいにも私わたくしの念力ねんりきが届とどき、男おとこはやがて実家さとから脱ぬけ出だして、ちょいちょい三崎みさきの女おんなの許もとへ近ちかづくようになりました。乃そこで今度こんどは産土うぶすなの神様かみさまにお願ねがいして、その御計おはからいで首尾しゅびよく妊娠にんしんさせて戴いただきましたが、これがつまり神かみの申子もうしごと申もうすものでございましょう。只ただその詳くわしい手続てつづきは私わたくしにもよく判わかりかねますので……。

これで先まず仕事しごとの一段落だんらくはつきましたようなものの、ただこの侭ままに棄すて置おいては、折角せっかくの願掛がんがけが協かなったのか、協かなわないのかが、さっぱり人間にんげんの方ほうに判わかりませんので、何なんとかしてそれを先方せんぽうに通つうじさせる工夫くふうが要いるのでございます。これも指導役しどうやくのお爺じいさんから教おしえられて、私わたくしは女おんなが眠ねむっている時ときに、白しろい珠たまを神様かみさまから授さずかる夢ゆめを見みせてやりました。御存ごぞんじの通とおり、白しろい珠たまはつまり男おとこの児この徴号しるしなのでございまして……。

女おんなはそれからも引ひきつづいてお宮みやに日参にっさんしました。夢ゆめに見みた白しろい玉たまがよほど気きがかりと見みえまして、いつもいつも『あれは何どういう訳わけでございますか?』と訊たずねるのでございましたが、幽明交通ゆうめいこうつうの途みちが開ひらけていない為ために、こればかりは教おしえてやることはできないので甚はなはだ困こまりました。――が、その中うち、妊娠にんしんということが次第しだいに判わかって来きたので、夫婦ふうふの歓よろこびは一ひと通とおりでなく、三崎みさきに居いる間あいだは、よく二人ふたりで連つれ立だちてお礼れいにまいりました。

やかて月満つきみちて生うまれたのは、果はたして珠たまのような、きれいな男おとこの児こでございました。俗ぞくに神かみの申子もうしごは弱よわいなどと申もうしますが、決けっしてそのようなものではなく、この児こも立派りっぱに成人せいじんして、父親ちちおやの実家じっかの後あとを継つぎました。私わたくしのところにまいる信者しんじゃの中なかでは、この人達ひとたちなどが一番ばん手堅てがたかった方ほうでございまして……。

×      ×      ×      ×

斯こう言いった実話じつわは、まだいくらでもございますが、そのおうわさは別べつの機会おりに譲ゆづり、これからごく簡単かんたんに神々かみがみのお受持うけもちにつきて、私わたくしの存ぞんじて居いるところを申もうし上あげて、一ひと先まずこの通信つうしんを打うち切きらせていただきとうございます。

七十八、神々の受持

神々かみがみのお受持うけもちと申もうしましても、これは私わたくしがこちらで実地じっちに見みたり、聞きいたりしたところを、何なんの理窟りくつもなしに、ありのまま申上もうしあげるのでございますから、何卒どうぞそのおつもりできいて戴いただきます。こんなものでも幾いくらか皆みなさまの手てがかりになれば何なにより本望ほんもうでございます。

現世げんせの方々かたがたが、何なには措おいても第だい一に心得こころえて置おかねばならぬのは、産土うぶすなの神様かみさまでございましょう。これはつまり土地とちの御守護ごしゅごに当あたらるる神様かみさまでございまして、その御本体ごほんたいは最初はじめから活いき通どおしの自然霊しぜんれい……つまり竜神様りゅうじんさまでございます。現げんに私わたくしどもの土地とちの産土様うぶすなさまは神明様しんめいさまと申上もうしあげて居おりますが、矢張やはり竜神様りゅうじんさまでございまして……。稀まれに人霊じんれいの場合ばあいもあるようにお見受みうけしますが、その補佐ほさには矢張やはり竜神様りゅうじんさまが附ついて居おられます。ドーもこちらの世界せかいのお仕事しごとは、人霊じんれいのみでは何彼なにかにつけて不便ふべんがあるのではないかと存ぞんじられます。

さて産土うぶすなの神様かみさまのお任務しごとの中なかで、何なにより大切たいせつなのは、矢張やはり人間にんげんの生死せいしの問題もんだいでございます。現世げんせの役場やくばでは、子供こどもが生うまれてから初はじめて受附うけつけますが、こちらでは生うまれるずっと以前いぜんからそれがお判わかりになって居おりますようで、何なんにしましても、一人ひとりの人間にんげんが現世げんせに生うまれると申もうすことは、なかなか重大じゅうだいな事柄ことがらでございますから、右みぎの次第しだいは産土うぶすなの神様かみさまから、それぞれ上うえの神様かみさまにお届とどけがあり、やがて最高さいこうの神様かみさまのお手許てもとまでも達たっするとの事ことでございます。申もうすまでもなく、生うまれる人間にんげんには必かならず一人ひとりの守護霊しゅごれいが附つけられますが、これも皆みな上うえの神界しんかいからのお指図さしずで決きめられるように承うけたまわって居おります。

それから人間にんげんが歿なくなる場合ばあいにも、第だい一に受附うけつけてくださるのが、矢張やはり産土うぶすなの神様かみさまで、誕生たんじょうのみが決けっしてそのお受持うけもちではないのでございます。これは氏子うじことして是非ぜひ心得こころえて置おかねばならぬことと存ぞんじられます。尤もっともそのお仕事しごとはただ受附うけつけて下くださるだけで、直接ちょくせつ帰幽者きゆうしゃをお引受ひきうけ下くださいますのは大国主命様おおくにぬしのみことさまでございます。産土神様うぶすながみさまからお届出とどけいでがありますと、大国主命様おおくにぬしのみことさまの方ほうでは、すぐに死者ししゃの行ゆくべき所ところを見定みさだめ、そしてそれぞれ適当てきとうな指導役しどうやくをお附つけくださいますので……。指導役しどうやくは矢張やはり竜神様りゅうじんさまでございます。人霊じんれいでは、ややもすれば人情味にんじょうみがあり過すぎて、こちらの世界せかいの躾しつけをするのに、あまり面白おもしろくないようでございます。私わたくしなども矢張やはり一人ひとりの竜神りゅうじんさんの御指導ごしどうに預あずかったことは、かねがね申上もうしあげて居おります通とおりで、これは私わたくしに限かぎらず、どなたも皆みな、その御世話おせわになるのでございます。つまり現世げんせでは主しゅとして守護霊しゅごれい、又また幽界ゆうかいでは主しゅとして指導霊しどうれい、のお世話せわになるものとお思おもいになれば宜よろしうございます。

尚なお生死以外せいしいがいにも産土うぶすなの神様かみさまのお世話せわに預あずかることは数限かずかぎりもございませぬが、ただ産土うぶすなの神様かみさまは言いわば万事ばんじの切盛きりもりをなさる総受附そううけつけのようなもので、実際じっさいの仕事しごとには皆みなそれぞれ専門せんもんの神様かみさまが控ひかえて居おられます。つまり病気びょうきには病気びょうき直なおしの神様かみさま、武芸ぶげいには武芸専門ぶげいせんもんの神様かみさま、その外ほか世界中せかいじゅうのありとあらゆる仕事しごとは、それぞれ皆みな受持うけもちの神様かみさまがあるのでございます。人間にんげんと申もうすものは兎角とかく自分じぶんの力ちから一つで何なんでもできるように考かんがえ勝がちでございますが、実じつは大だいなり、小しょうなり、皆みな蔭かげから神々かみがみの御力添おちからぞえがあるのでございます。

さすがに日本国にっぽんこくは神国しんこくと申もうされるだけ、外国がいこくとは異ちがって、それぞれ名なの附ついた、尊とうとい神社じんじゃが到いたる所ところに見出みいだされます。それ等らの御本体ごほんたいを査しらべて見みますると、二た通とおりあるように存ぞんじます。一つはすぐれた人霊じんれいを御祭神ごさいじんとしたもので、橿原神宮かしわらじんぐう、香椎宮かしいのみや、明治神宮めいじじんぐうなどがそれでございます。又また他たの一つは活神様いきかみさまを御祭神ごさいじんと致いたしたもので、出雲いずもの大社たいしゃ、鹿島神宮かしまじんぐう、霧島神宮等きりしまじんぐうなどがそれでございます。ただし、いかにすぐれた人霊じんれいが御本体ごほんたいでありましても、その控ひかえとしては、必かならず有力ゆうりょくな竜神様りゅうじんさまがお附つき遊あそばして居おられますようで……。

今更いまさら申上もうしあぐるまでもなく、すべての神々かみがみの上うえには皇孫命様こうそんのみことさまがお控ひかえになって居おられます。つまりこの御方おかたが大地だいちの神霊界しんれいかいの主宰神しゅさいしんに在おわしますので……。更さらにそのモー一つ奥おくには、天照大御神様あまてらすおおみかみさまがお控ひかえになって居おられますが、それは高天原たかまがはら……つまり宇宙うちゅうの主宰神しゅさいしんに在おわしまして、とても私わたくしどもから測はかり知しることのできない、尊とうとい神様かみさまなのでございます……。

神界しんかいの組織そしきはざっと右みぎ申上もうしあげたようなところでございます。これ等らの神々かみがみの外ほかに、この国くにには観音様かんのんさまとか、不動様ふどうさまとか、その他ほかさまざまのものがございますが、私わたくしがこちらで実地じっちに査しらべたところでは、それはただ途中とちゅうの相違そうい……つまり幽界ゆうかいの下層かそうに居おる眷族けんぞくが、かれこれ区別くべつを立たてているだけのもので、奥おくの方ほうは皆みな一つなのでございます。富士山ふじさんに登のぼりますにも、道みちはいろいろつけてございます。教おしえの道みちも矢張やはりそうした訳わけのものではなかろうかと存ぞんじられます。では一と先まずこれで……。(完結)

底本 / Source edition

底本:「霊界通信 小桜姫物語」潮文社
1985(昭和60)年7月31日第1刷発行
1998(平成10)年7月31日第9刷発行
底本の親本:「霊界通信 小櫻姫物語」心霊科学研究会出版部
1937(昭和12)年2月初版発行
※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の表記をあらためました。
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※横組み中のダブルミニュートには、底本では、JIS X 0213規格票の、縦書き用字形が用いられています。
入力:浅野和三郎・著作保存会(泉美、老神いさお、MUPさくら)
校正:POKEPEEK2011
2012年9月18日作成
2014年6月9日修正
青空文庫作成ファイル:
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リリース / Release
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TEI
/works/004823_001034/tei
プレーンテキスト / Plain text
/works/004823_001034/plaintext
書誌 / Bibliography
/works/004823_001034/

浅野 和三郎「小桜姫物語──03 小桜姫物語」(新字新仮名)、底本『霊界通信 小桜姫物語』潮文社、1985年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 004823_001034, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

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