前口上

昔タルティーニと云う作曲家が

<em>Trillo del Diavolo</em>と云うソナータを

夢の中で作曲したと云う話は

大層有名な話である<ruby><rb>故</rb><rt>ゆえ</rt></ruby>、

読者諸君も大方御存知だろうが、

<ruby><rb>一寸</rb><rt>ちょっと</rt></ruby>私の<ruby><rb>手許</rb><rt>てもと</rt></ruby>にある音楽辞典から引用してみると、

何でもタルティーニは<ruby><rb>或</rb><rt>ある</rt></ruby>晩の事、

自分の霊魂を悪魔に売った夢を見たそうな。

その時悪魔がヴァイオリンを手にとって

いとも巧に弾奏し出したのは

到底彼の企て及ばざりし<ruby><rb>奇</rb><rt>く</rt></ruby>しき一曲。

「余は前後を忘れて驚嘆したり。

余の呼吸は奪われたり。

しかして余は夢より目覚めぬ。

余は余のヴァイオリンを取り<ruby><rb>出</rb><rt>い</rt></ruby>でて

余が聞きたる音調をそれに<ruby><rb>止</rb><rt>とど</rt></ruby>め置かんと試みたり。

されどそは<ruby><rb>遂</rb><rt>つい</rt></ruby>に効を奏さざりき。

その時余が作りたる楽曲、<ruby><rb>即</rb><rt>すなわ</rt></ruby>ち <em>Trillo del Diavolo</em>は

余が夢中聞きたるものと比較せば、

その及ばざること<ruby><rb>甚</rb><rt>はなは</rt></ruby>だ遠し。」

これは晩年大作曲家自らが

彼の友人の天文学者ラランドに<ruby><rb>洩</rb><rt>も</rt></ruby>らした感慨だそうな。

さて、左様なタルティーニが感慨はさることながら、

微々たる群小詩人の一人に過ぎぬ私も

夢の中で二三の詩の構想を得たばかりに、

何んとかしてそれに形体を与えようと随分苦しみ<ruby><rb>踠</rb><rt>もが</rt></ruby>いたものだ。

しかし夢中ではあんなに<ruby><rb>蠱惑</rb><rt>こわく</rt></ruby>的に見えた物語の筋も、

<ruby><rb>目覚</rb><rt>めざ</rt></ruby>めてみれば既にその破片しか残ってはおらず、

<ruby><rb>何度</rb><rt>なんど</rt></ruby>私はそれ<ruby><rb>等</rb><rt>ら</rt></ruby>の破片を、朝<ruby><rb>毎</rb><rt>ごと</rt></ruby>に

海岸に打ち揚げられる漂流物のように

<ruby><rb>唯</rb><rt>ただ</rt></ruby>手を<ruby><rb>拱</rb><rt>こまね</rt></ruby>いて悲しげに<ruby><rb>眺</rb><rt>なが</rt></ruby>めたことか。

「ああ、夢の中の詩人の何んと幸福なことよ。

ああ、それに比べて現実を前にした詩人の何んと<ruby><rb>惨</rb><rt>みじ</rt></ruby>めなことよ。」

そんな<ruby><rb>溜息</rb><rt>ためいき</rt></ruby>を洩らしながら<ruby><rb>昨夜</rb><rt>ゆうべ</rt></ruby>も私は寝床に<ruby><rb>這入</rb><rt>はい</rt></ruby>った。

実は雑誌記者が夕方私の所にやって来て

どうでも明日までに原稿を書いて<ruby><rb>貰</rb><rt>もら</rt></ruby>わねば困ると云うのである。

私は徹夜をしてもきっと間に合わせると約束をして<ruby><rb>其奴</rb><rt>そいつ</rt></ruby>を撃退してやったが、

それからすぐ<ruby><rb>睡</rb><rt>ねむ</rt></ruby>くなって、「これぁ<ruby><rb>不可</rb><rt>いか</rt></ruby>ん。こうして

居るよりか、ひとつ夢でも見て詩の良導体になってやろう。」

そう考えながら寝床に這入り、私はそのまま他愛もなく眠ってしまった。

それから何やらごたごたと沢山夢は見たけれど、

<ruby><rb>今朝</rb><rt>けさ</rt></ruby>目を覚ましたら皆忘れていた。

勝手にしやがれ、と私は<ruby><rb>糞度胸</rb><rt>くそどきょう</rt></ruby>を据えて

<ruby><rb>黒珈琲</rb><rt>ブラック・コオフィイ</rt></ruby>を飲みかけようとした<ruby><rb>途端</rb><rt>とたん</rt></ruby>に、こんな事を思いついた。

「<ruby><rb>己</rb><rt>おれ</rt></ruby>の書こうと思っている夢のコントの中では魔法使いの婆さんが

鳥の骨ばかりになった奴にソオスをぶっかけて

そいつを己に食わせやあがったが、

あれはあれでちょっと<ruby><rb>乙</rb><rt>おつ</rt></ruby>な味がしたぞ。

己もひとつその流儀で行こうかしらん。

己のやくざな夢の<ruby><rb>残骸</rb><rt>ざんがい</rt></ruby>にウオタアマン・インクをぶっかけてやったら、

何とかそれなりに<ruby><rb>恰好</rb><rt>かっこう</rt></ruby>がつくかも知れぬ。

よし、それで行こう……」

１　奇妙な店

私の見る夢には大概色彩がある。そういう夢を見るのは神経衰弱のせいだと教えてくれる人が居る。そんなことはどうだっていい。<ruby><rb>唯</rb><rt>ただ</rt></ruby>、私の見る色彩のある夢にも二種あることを私は云っておきたい。その一つは、鮮明な、すき<ruby><rb>透</rb><rt>とお</rt></ruby>るような色彩からのみ成っている。その色はちょっとドロップスのそれに似ている。（私は一ぺん糖分が夢にはよく<ruby><rb>利</rb><rt>き</rt></ruby>くというのでドロップスをどっさり<ruby><rb>頬張</rb><rt>ほおば</rt></ruby>りながら寝たことがあるが、その朝、私はそのドロップスにそっくりな色の着いた夢を見たっけ……）そう、そう、それから私がマリイ・ロオランサンの絵に夢中になっていたのもあの絵の色が私の夢のそれに似ていたからであった。が、もう一方の夢は、そんな鮮明な色は無い。何とも云えず<ruby><rb>物凄</rb><rt>ものすご</rt></ruby>いような色で一様に塗り<ruby><rb>潰</rb><rt>つぶ</rt></ruby>されているばかりである。しかし、そんな色は<ruby><rb>殆</rb><rt>ほとん</rt></ruby>ど現実の中には<ruby><rb>見出</rb><rt>みいだ</rt></ruby>されないようだから、無色と云ってもいいかも知れない。しかし<ruby><rb>所謂</rb><rt>いわゆる</rt></ruby>無色なのではない。私はたった一ぺんきりそれを見て「ああこの色だ」と思ったものがある。それは<ruby><rb>仏蘭西</rb><rt>フランス</rt></ruby>の L'ESPRIT NOUVEAU という美術雑誌に数年前載っていたピカソの <em>Nature Morte</em>の絵だ。まあ、あれがちょっと私のそんな夢の色に似ていた。

私が真先に書こうと思っている「奇妙な店」の方は、その第一の種類に属している。<ruby><rb>鮮</rb><rt>あざ</rt></ruby>やかな色の着いている方だ。そうしてその夢の冒頭は、私のそういう種類の夢の中にそれまでにも<ruby><rb>屡々</rb><rt>しばしば</rt></ruby>現われて来たことのある、一つの場面から始まる。その私のよく夢に見る場面というのは、ただ一本の緑色をした樹木から成り立っている。その緑色の葉が何とも云えずに<ruby><rb>綺麗</rb><rt>きれい</rt></ruby>なのだ。そしてそれをじっと見つめていられない程それが<ruby><rb>眩</rb><rt>まぶ</rt></ruby>しいのだ。しかしそんなに眩しいのはその緑色の葉のせいばかりではないかも知れない。その緑の茂みの上に一面に<ruby><rb>硫黄</rb><rt>いおう</rt></ruby>のような色をした<ruby><rb>斑点</rb><rt>はんてん</rt></ruby>のようなものが無数にちらついているのだ。それはなんだかそんな黄色をした無数の小さな<ruby><rb>蝶</rb><rt>ちょう</rt></ruby>が<ruby><rb>簇</rb><rt>むら</rt></ruby>がりながら飛んでいるようにも見える。それはまたその木にそんな色をした無数の小さな花が咲いていてそれが微風に揺られながら太陽に反射しているのかとも思える。なんだか私にはよく分らないけれども私はそれにうっとりと見入っている。――この何んの木だか分らないが、いつも同じ木は、私の夢の中に、そう――少くとももう七遍ぐらいは出て来ている。だからそう珍らしくはない<ruby><rb>筈</rb><rt>はず</rt></ruby>だが、それでも不思議に私はその<ruby><rb>度毎</rb><rt>たびごと</rt></ruby>に、いつも最初にそれを見た時のような驚きをもって、わくわくしながらそれに見入るのだ。

突然、夢の場面が一変する。――が、それは場面が連続的に移動するのではない。それは不連続的に移動する。つまり、二つの場面の間にはぽかんと大きな<ruby><rb>間隙</rb><rt>かんげき</rt></ruby>が出来てしまっている。目が覚めてから、夢がどうも<ruby><rb>辻褄</rb><rt>つじつま</rt></ruby>が合わなく見えるのは、その間隙の<ruby><rb>所為</rb><rt>せい</rt></ruby>が多い。私はその間隙を何かで<ruby><rb>充填</rb><rt>じゅうてん</rt></ruby>しようと努力してみることがあるが、どうもそれがうまく行かない。私は<ruby><rb>此処</rb><rt>ここ</rt></ruby>でもそれをその間隙のままにしておくよりしかたがない。（唯、こういう具合にだけは二つの場面は連続している。私はその何んの木かを驚きながら見入っている。しかし見入っているうちに、<ruby><rb>何時</rb><rt>いつ</rt></ruby>の間にか私には今しがたまで確かにそんな木を見ていたのだが、と云う感じだけがして来るようになる。その時はもう既にその木は夢から消え去っている。そしてその残像だけを自分の頭に浮べながら、私はいつか次の場面に立会っている。まあ、そう云う具合にである。）

向うの町角の方が急に騒がしくなる

なんだか人が大勢集っている

私は見上げていた木の<ruby><rb>傍</rb><rt>そば</rt></ruby>を離れてそっちの方へ何時の間にか歩き出している

何か珍らしい行列が向うの町から<ruby><rb>徐</rb><rt>しず</rt></ruby>かにやって来るらしい

あんまり皆が夢中になって見ているので私も人々のうしろから背伸びをして見ている

とうとうその行列が近づいて来たようだ

象だ！　象だ！　象だ！　大きな象が

たった一人で、<ruby><rb>無頓着</rb><rt>むとんじゃく</rt></ruby>そうに、のそりのそりと鼻をふりながら歩いて来る

象の皮膚はなんだか横文字の新聞を丸めたのをもう一度引き伸ばして

<ruby><rb>貼</rb><rt>は</rt></ruby>りつけたように、<ruby><rb>皺</rb><rt>しわ</rt></ruby>だらけで、くしゃくしゃになっている

その背中には真紅な<ruby><rb>毛氈</rb><rt>もうせん</rt></ruby>が掛っている、そうして<ruby><rb>尚</rb><rt>なお</rt></ruby>よく見ると

その毛氈の上には小さな<ruby><rb>香炉</rb><rt>こうろ</rt></ruby>のようなものが載さっていて

それから一すじ細ぼそと白い<ruby><rb>烟</rb><rt>けむ</rt></ruby>りが立ち昇っている

何かの広告であるらしいがそれが誰にも分らないらしい

隣りの人に聞いてもそれは分らないのが当り前だと云うような顔をしている

しかしその香炉の烟りは好い<ruby><rb>匀</rb><rt>におい</rt></ruby>がする　何ともかとも云いようのないほど好い匀がする

象が<ruby><rb>何処</rb><rt>どこ</rt></ruby>かへ行ってしまっても何時までもその匀だけが残っている

（そうしてその象の残像と、その匀とだけが私のなかに残って

いつか次の場面になってしまっている）

私の向うに温室のようなものが見え出す

それはすっかりガラス張りだ

私がそれを見て温室かしらと思ったのはそのガラス越しに

見知らない熱帯植物のような<ruby><rb>鉢植</rb><rt>はちうえ</rt></ruby>がいくつも室内に置かれてあるのを見たからだ

しかしそれは普通の温室ではないらしい

中にはマホガニイ製の小さな<ruby><rb>卓</rb><rt>テエブル</rt></ruby>が五つ六つ一種風致のある乱雑さで配置されている

そしてその上に一つずつその熱帯植物のようなものが飾られてあるに過ぎない

何処かにこんな奇妙な<ruby><rb>珈琲店</rb><rt>コオフィイてん</rt></ruby>があったような気もされてくる

しかしその中には誰もいない　全く<ruby><rb>空虚</rb><rt>からっぽ</rt></ruby>だ

ちょっと<ruby><rb>這入</rb><rt>はい</rt></ruby>って見てそれが何だか確かめてみたい

そんな<ruby><rb>処</rb><rt>ところ</rt></ruby>に勝手に這入り込んでいて<ruby><rb>叱</rb><rt>しか</rt></ruby>られたら

ままよ、それまでだ……と思って私は<ruby><rb>臆病</rb><rt>おくびょう</rt></ruby>な探偵のようにこわごわその中に忍び込む

私がガラス戸を押し開けるや否や、ぷんと好い匀がする

それがさっき象のさせていた好い匀とそっくりだ

さっきの匀が私の鼻に<ruby><rb>蘇</rb><rt>よみがえ</rt></ruby>って来たのではないかと思えた位

何ともかとも云いようのないほど好い匀だ

矢張り誰もいない　私はこわごわ一つの<ruby><rb>卓</rb><rt>テエブル</rt></ruby>の傍に腰を下ろしながら

その匀を捜す……私はそのとき始めて

熱帯植物の鉢植のかげに一つの灰皿があって

それに<ruby><rb>烟草</rb><rt>たばこ</rt></ruby>の吸殻のようなものが一つ置き忘られてあるのに気がつく

それから一すじの白い烟りが細ぼそと立ち昇っているのである

どうやらそれから私をすっかり魅している匀が発せられているらしい

私はまた象のことを思い浮べる

そして漸っといまあの象が<ruby><rb>阿片</rb><rt>あへん</rt></ruby>の広告であったことに気がつき出す

「ははあ、それだから誰にも分らなかったんだな

なあんだ<ruby><rb>此処</rb><rt>ここ</rt></ruby>は<ruby><rb>阿片窟</rb><rt>あへんくつ</rt></ruby>なのか……」

私はあらためて店の中を見まわしてみる

やっぱり誰もいない　空虚だ

いかにも静かだ　ひっそりしている

それでいてつい今しがたまで客が何組かあったのだが

それが皆立ち去ったすぐ跡だと云うような気がされる

店の空気がひどく疲れを帯びているのが感ぜられる

誰もいないのに人気が漂っている　それが鬼気のようにぞっと感ぜられる

何かしら惨劇のあった跡の静けさはこんなものじゃないかしらと思えてくる

もしかしたら今まで此処で客同志の間に殺人事件かなんかあって

その跡始末のために皆ここの店のものまで残らず出かけて行っていて

それでこんな<ruby><rb>空虚</rb><rt>からっぽ</rt></ruby>なのかも知れん……

そう思って店のなかを見廻すと、一向それらしい形跡はない

椅子やテエブルもちゃんとした位置にある　鉢植も倒れていない

それでいてどう云うものかそれ<ruby><rb>等</rb><rt>ら</rt></ruby>の置き方に妙な不自然さがあるのだ

あちこちへ投げ飛ばされたり、倒されたりしたのをいかにも<ruby><rb>急</rb><rt>いそ</rt></ruby>いで

元のままに直して取り繕ったような不自然さがあるのだ

――そんなことを空想しながら、私はぼんやり<ruby><rb>頬杖</rb><rt>ほおづえ</rt></ruby>をついて

今にも燃えきって無くなりそうな灰皿の吸殻を見つめている

それから発せられている匀は私の空想を大いに<ruby><rb>刺戟</rb><rt>しげき</rt></ruby>している

「おれは遅参者だ……一足遅れたばかりに、きっとおれを喜ばせたに相違ない、何かの惨事に立会い<ruby><rb>損</rb><rt>そこな</rt></ruby>った不運者だ」

そこでもって私の夢のフィルムがぴんと切れてしまう……

それで私は読者諸君にも、ただこんな風に

「まだその<ruby><rb>顰</rb><rt>しか</rt></ruby>め<ruby><rb>面</rb><rt>つら</rt></ruby>をしている

今起ったばかりの惨事の古代的な静けさ」を

お目にかけるよりしかたがないのだ

２　鳥料理

こんなことを書いている分には、頭はすこしも疲れないが、ずんずんひとりで先きへ行ってしまう私の言葉に遅れまいとして<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">せっせ</span>とペンを動かしている私の手が痛くて閉口だ。<ruby><rb>其処</rb><rt>そこ</rt></ruby>でいま、ちょっとペンを置いて、<ruby><rb>葡萄酒</rb><rt>ぶどうしゅ</rt></ruby>を一杯ひっかけ、<em>Westminster</em>を二三本吹かしたところだ。―― <em>Westminster</em>と云えば、こんな<ruby><rb>匀</rb><rt>におい</rt></ruby>など比較にならん位、いましがた私の書いたばかりの夢のなかの匀は好い匀だったし、これから私の書こうとする夢のなかで私の飲んだ葡萄酒（？）は、こんなトリエスト産の葡萄酒よりもずっと上等な味だった。どうやら夢の中での方が私はずっとましな暮らしをしていると見える。……さて、これから私の書こうとする夢は、私の夢のなかの第二の種類だ。この夢は、<ruby><rb>唯</rb><rt>ただ</rt></ruby>、単調だが底の知れないような、深味のある色（<ruby><rb>甚</rb><rt>はなは</rt></ruby>だ不完全な言い方だがそれはピカソの或る絵のような色なのだ）で塗り<ruby><rb>潰</rb><rt>つぶ</rt></ruby>されていると思っていて頂きたい。

私はこの夢のことを久しく忘れていたが、去年の冬、神戸へ行って <em>Hotel Essoyan</em>という<ruby><rb>露西亜</rb><rt>ロシア</rt></ruby>人の経営している怪しげなホテルに泊った時、ひょっくりそれを思い出した。私がそのホテルのことを写生した「旅の絵」という短篇の中にも登場をするが、そのホテルに一人の美しくなったり、醜くなったりする、変な少女がいて、或る晩十二時過ぎに私がそのホテルに帰って来たら、私の部屋に面している薄暗い廊下のはずれに、そこに二階へ通ずる階段があるのだが、その階段へ片足をかけながらその少女が寝巻のまま立っていて、部屋へ<ruby><rb>這入</rb><rt>はい</rt></ruby>ろうとしかけていた私の方をじっと見ている。……その時突然、この夢が私のうちに<ruby><rb>蘇</rb><rt>よみがえ</rt></ruby>ったのだ。私は気味悪くなって、それっきり自分の部屋に這入ってしまったが、その夢の中では私はもっと大胆だった。

その夢というのは、やはりそんなような怪しげなホテルが背景になっている。少女も出てくる。それはしかしもっと可愛らしい少女であった。……とある山の手の町で、私は一人の少女とすれちがいながら、なんだか私には分らない合図をされた。そんな気がした。そこで私はその少女のあとを追って行った。そうしてその少女が暗い裏通りの怪しげなホテルの中へ這入るのを突き止めた……

私もちょっと<ruby><rb>躊躇</rb><rt>ちゅうちょ</rt></ruby>をしたのち、そのホテルの中へはいって行った

それから少女の昇って行ったらしい<ruby><rb>凸凹</rb><rt>でこぼこ</rt></ruby>した階段をこわごわ昇って行った

もう古くなっている階段は一番人に歩かれた真ん中の所だけがすり切れていてとても歩き<ruby><rb>難</rb><rt>にく</rt></ruby>い

私はそのためそれを昇りきるのにかなり<ruby><rb>手間</rb><rt>てま</rt></ruby>どった

<ruby><rb>漸</rb><rt>ようや</rt></ruby>っと昇りきってみると薄暗い廊下がいくつかの部屋に通じていたが

その一つのドアが今ばたんと<ruby><rb>閉</rb><rt>しま</rt></ruby>ってその向うに

人影が消えるのを私は確かに見たような気がした

私はそのドアの前へ立ってノックをした

返事がない　私はもう一度ノックをした

ドアの向う側にやっと足音が近づいてきた　そしてそれが一人の老婆の前に開かれた

かの女は醜悪そのもののような<ruby><rb>恰好</rb><rt>かっこう</rt></ruby>で私の方を<ruby><rb>胡散臭</rb><rt>うさんくさ</rt></ruby>そうに見ている

私は<ruby><rb>咄嗟</rb><rt>とっさ</rt></ruby>に思いついて、鳥料理を食いに来たのだと言った

さっき階段を上るとき、なかば<ruby><rb>剥</rb><rt>は</rt></ruby>げた壁に「鳥料理……」（下の字は読めぬ）

という小さな<ruby><rb>招牌</rb><rt>かんばん</rt></ruby>の出ていたのを思い出したのである

それを聞くと、老婆はしぶしぶながら私を部屋の中へ入れてくれた

その部屋の中には古い穴だらけの<ruby><rb>卓</rb><rt>テエブル</rt></ruby>が一つあるきりだった

私はその前に坐りながら部屋の中を見廻した

さっきの少女の姿は<ruby><rb>何処</rb><rt>どこ</rt></ruby>にも見えない　念のために卓の下を<ruby><rb>覗</rb><rt>のぞ</rt></ruby>いたが矢張り居ない

「確かにこの部屋へ這入った<ruby><rb>筈</rb><rt>はず</rt></ruby>だが……」と思いながら

向うの低い<ruby><rb>竃</rb><rt>かまど</rt></ruby>の上に掛けてある大きな<ruby><rb>鍋</rb><rt>なべ</rt></ruby>の中を

何やら<ruby><rb>厭</rb><rt>いや</rt></ruby>らしく<ruby><rb>掻</rb><rt>か</rt></ruby>き廻している老婆の後姿を見ているうちに

この<ruby><rb>婆</rb><rt>ばばあ</rt></ruby>は魔法使いかも知れんぞと私は疑い出した

何処かへあの可愛らしい少女を隠してしまやがった

ことによるとあの少女を何かに変形させてしまったのかも知れないぞ

としたら一体それはどれかしらん？　と私はきょときょと部屋を見廻している

その時老婆が鍋の中から何やらを皿に移して運んで来た

<ruby><rb>罅</rb><rt>ひび</rt></ruby>の入った皿の上に鶏の足らしい骨がちょこんと載っているきりだ

「ちぇっ、こんなものを食わせやあがるのか？」と<ruby><rb>仏頂面</rb><rt>ぶっちょうづら</rt></ruby>をしていると

老婆はにやにや笑いながらソオスの<ruby><rb>壜</rb><rt>びん</rt></ruby>を持ってきて

それを私の皿にぶっかけるのだ

私はさっき知ったかぶりで<ruby><rb>此奴</rb><rt>こいつ</rt></ruby>を名ざしで這入って来たのだから

<ruby><rb>否</rb><rt>いや</rt></ruby>でも応でもこいつを食わなければなるまい

私は不承々々そいつを一口<ruby><rb>頬張</rb><rt>ほおば</rt></ruby>った　妙な味がする　しかし悪くはない味だ

そこでもう一口頬張ろうとした途端に　ふと

<ruby><rb>異形</rb><rt>いぎょう</rt></ruby>をして蒸気の立ちのぼっている鍋の<ruby><rb>傍</rb><rt>そば</rt></ruby>の　<ruby><rb>棚</rb><rt>たな</rt></ruby>の上に

一個の<ruby><rb>葡萄酒</rb><rt>ぶどうしゅ</rt></ruby>の壜らしいものが置かれてあるのが私の目に入った

今まで<ruby><rb>空壜</rb><rt>あきびん</rt></ruby>だろう位に思っていたがよく見ると

八分目ほどの葡萄酒らしいものが這入っていてそれがひとりで無気味に揺れている

老婆はそれを気にするようにときどき変な目つきでそれを見ている

私はまだ何やら鍋の中を掻き廻している彼女に何気なさそうに言った

「婆さん、おれにその葡萄酒を一杯くれ」

すると老婆は<ruby><rb>解</rb><rt>わか</rt></ruby>ったように私に目で合図をして（何んて厭らしい目つきだろう！）

しかし自分の<ruby><rb>手許</rb><rt>てもと</rt></ruby>の壜はそのままにして、向うの戸棚へ他の壜を取りに行った

いよいよもってこの壜が怪しいぞ！

この壜がきっとあの少女なのかも知れん？　あの少女がこの壜に這入っている？

そこで私は魔女が向うむきになっている<ruby><rb>隙</rb><rt>すき</rt></ruby>を<ruby><rb>窺</rb><rt>うかが</rt></ruby>って体を伸し

その壜をひったくる　そうして急いでその部屋から逃げ出しかける

<ruby><rb>惶</rb><rt>あわ</rt></ruby>てて飛んできた魔女が私からその壜を取り戻そうとして

私に武者ぶり着く　私は魔女と格闘をする

そして<ruby><rb>其奴</rb><rt>そいつ</rt></ruby>をそこに<ruby><rb>打</rb><rt>ぶ</rt></ruby>っ倒す　しかし其奴は今度は私の足にしがみついて

踏んでも<ruby><rb>蹴</rb><rt>け</rt></ruby>ってもそれを離さない

私はとうとう奪い去るのは<ruby><rb>諦</rb><rt>あきら</rt></ruby>めて

その壜の口を抜き、がぶがぶそれを立飲みし出す

私は見る見るそれを飲み干して行く　それは何ともかんとも云えないほど好い味がする

おお、私は無類の酒を飲んでいる！　一人の少女を飲んでいる！

若しも私があの夜ホテル・エソワイアンの廊下であの bizarre な少女に出会った時、この夢のなかの私の大胆さの半分でもあったら！……ああ、私は現実では何んと夢のなかでのように大胆にはなれないのだ。しかし私が我知らずそんなに大胆になれるような機会を与えてくれないのは、ひとつは現実にも責任はある。現実のトリックは夢のトリックよりもずっと<ruby><rb>下手糞</rb><rt>へたくそ</rt></ruby>だ。夢は私のために一人の少女をあっさりと葡萄酒に変えてくれる。それだのに、現実はホテル・エソワイアンの少女を<ruby><rb>或</rb><rt>ある</rt></ruby>時は私に美しく見せたり、或時はまた醜く見せたりして、そのややっこしいったらない。そしてあの晩のごときは、ああ、あの少女はまるで魔法使いの婆さんのような顔をして私の前に立っていたっけ！