Soranoha

点頭録

てんとうろく

夏目 漱石

一

また正月が来た。振り返ると過去が丸で夢のやうに見える。何時の間まに斯かう年齢としを取つたものか不思議な位である。

此この感じをもう少し強めると、過去は夢としてさへ存在しなくなる。全くの無になつてしまふ。実際近頃の私わたくしは時々たゞの無として自分の過去を観くわんずる事がしば〱ある。いつぞや上野へ展覧会を見に行つた時、公園の森の下を歩きながら、自分は或ある目的をもつて先刻さつきから足を運ばせてゐるにも拘かゝはらず、未いまだ曾かつて一寸すんも動いてゐないのだと考へたりした。是これは耄碌もうろくの結果ではない。宅うちを出て、電車に乗つて、山下で降りて、それから靴で大地の上をしかと踏んだといふ記憶を慥たしかに有もつた上の感じなのである。自分は其時そのとき終日行ゆいて未いまだ曾かつて行ゆかずといふ句が何処どこかにあるやうな気がした。さうして其その句の意味は斯かういふ心持を表現したものではなからうかとさへ思つた。

これをもつと六むづかしい哲学的な言葉で云いふと、畢竟ひつきやうずるに過去は一の仮象かしやうに過ぎないといふ事にもなる。金剛経にある過去心しんは不可得ふかとくなりといふ意義にも通ずるかも知れない。さうして当来たうらいの念々ねん〱は悉こと〲く刹那せつなの現在からすぐ過去に流れ込むものであるから、又瞬刻の現在から何等の段落なしに未来を生み出すものであるから、過去に就ついて云ひ得うべき事は現在に就ても言ひ得うべき道理であり、また未来に就ついても下し得うべき理窟であるとすると、一生は終つひに夢よりも不確実なものになつてしまはなければならない。

斯かういふ見地から我われといふものを解釈したら、いくら正月が来ても、自分は決して年齢としを取る筈はずがないのである。年齢としを取るやうに見えるのは、全く暦と鏡の仕業しわざで、其その暦も鏡も実は無に等しいのである。

驚くべき事は、これと同時に、現在の我が天地を蔽おほひ尽して儼存げんそんしてゐるといふ確実な事実である。一挙手一投足の末に至る迄まで此この「我われ」が認識しつゝ絶えず過去へ繰越くりこしてゐるといふ動かしがたい真境しんきやうである。だから其処そこに眼を付けて自分の後うしろを振り返ると、過去は夢所どころではない。炳乎へいことして明らかに刻下こくかの我を照てらしつゝある探照燈のやうなものである。従つて正月が来るたびに、自分は矢張り世間並なみに年齢としを取つて老い朽ちて行かなければならなくなる。

生活に対する此この二つの見方が、同時にしかも矛盾なしに両存して、普通にいふ所の論理を超越してゐる異様な現象に就ついて、自分は今何も説明する積つもりはない。又解剖する手腕も有もたない。たゞ年頭に際して、自分は此この一体二様の見解を抱いて、わが全生活を、大正五年の潮流に任まかせる覚悟をした迄である。

若もし無に即して云いへば、自分は今度の春を迎へる必要も何もない。否いな明治の始めから生れないのと同じやうなものである。然しかし有うになづんで云へば、多病な身体からだが又一年生いき延びるにつれて、自分の為なすべき事はそれ丈だけ量に於おいて増すのみならず、質に於おいても幾分いくぶんか改良されないとも限らない。従つて天が自分に又一年の寿命を借かして呉くれた事は、平常から時間の欠乏を感じてゐる自分に取つては、何どの位の幸福になるか分らない。自分は出来る丈だけ余命のあらん限りを最善に利用したいと心掛けてゐる。

趙州でうしう和尚といふ有名な唐の坊さんは、趙州古仏晩年発心ほつしんと人に云いはれた丈だけあつて、六十一になつてから初めて道に志こゝろざした奇特きどくな心懸の人である。七歳の童児なりとも、我に勝まさるものには我れ即すなはち彼に問はん、百歳の老翁らうをうなりとも我に及ばざる者には我れ即ち侘たを教へんと云つて、南泉なんせんといふ禅坊さんの所へ行つて二十年間倦うまずに修業を継続したのだから、卒業した時にはもう八十になつてしまつたのである。夫それから趙州の観音院に移つて、始めて人を得度とくどし出した。さうして百二十の高齢に至る迄化導けだうを専もつぱらにした。

寿命は自分の極めるものでないから、固もとより予測は出来ない。自分は多病だけれども、趙州の初発心しよほつしんの時よりもまだ十年も若い。たとひ百二十迄まで生きないにしても、力の続く間、努力すればまだ少しは何か出来る様に思ふ。それで私は天寿の許す限り趙州の顰ひそみにならつて奮励する心組こゝろくみでゐる。古仏と云いはれた人の真似まねも長命も、無論自分の分ぶんでないかも知れないけれども、羸弱るゐじやくなら羸弱るゐじやくなりに、現にわが眼前に開展する月日に対して、あらゆる意味に於おいての感謝の意を致して、自己の天分の有あり丈たけを尽さうと思ふのである。

自分は点頭録てんとうろくの最初に是丈これだけの事を云つて置かないと気が済まなくなつた。

二 軍国主義(一)

今度の欧洲おうしう戦争が爆発した当時、自分は或人あるひとから突然質問を掛けられた。

「何どんな影響が出て来るでせう」

「左様さやう」

自分は実際考へる暇ひまを有もたなかつた。けれども答へなければならなかつた。

「何どんな影響が出て来るか、来て見なければ無論解りませんけれども、何しろ吾々が是これはと驚ろくやうな目覚めざましい結果は予期しにくいやうに思ひます。元来事ことの起りが宗教にも道義にも乃至ないし一般人類に共通な深い根柢を有した思想なり感情なり欲求なりに動かされたものでない以上、何方どつちが勝つた所で、善が栄えるといふ訳わけでもなし、又何方どつちが負けたにした所で、真しんが勢いきほひを失ふといふ事にもならず、美が輝かゞやきを減ずるといふ羽目はめにも陥る危険はないぢやありませんか」

自分はさう云いひ切つて仕舞しまつた。さうして戦争の展開する場面が非常に広い割に、又それに要する破壊的動力が凄すさまじい位くらゐ猛烈な割に、案外落付いてゐられるのは、全く此この見解が知らず〱胸の裡うちにあるからだらうと、私ひそかに自分で自分を判断した。

実際此この戦争から人間の信仰に革命を引き起すやうな結果は出て来やうとも思はれない。又従来の倫理観を一変するやうな段落が生じやうとも考へられない。これが為ために美醜びしうの標準に狂くるひが出やうとは猶更なほさら懸念できない。何どの方面から見ても、吾々の精神生活が急劇な変化を受けて、所謂いはゆる文明なるものゝ本流に、強い角度の方向転換が行はれる虞おそれはないのである。

戦争と名のつくものゝ多くは古来から大抵斯こんなものかも知れないが、ことに今度の戦争は、其その仕懸しかけの空前に大袈裟おほげさな丈だけに、やゝともすると深みの足りない裏面を対照として却かへつて思ひ出させる丈だけである。自分は常にあの弾丸とあの硝薬せうやくとあの毒瓦斯ガスとそれからあの肉団にくだんと鮮血とが、我々人類の未来の運命に、何どの位の貢献をしてゐるのだらうかと考へる。さうして或ある時は気の毒になる。或る時は悲しくなる。又或る時は馬鹿々々しくなる。最後に折々をり〱は滑稽さへ感ずる場合もあるといふ残酷な事実を自白せざるを得ない。左様さうした立場から眺めると、如何いかに凄すさまじい光景でも、如何に腥なまぐさい舞台でも、それに相応した内面的背景を具そなへて居ないといふ点に於おいて、又それに比例した強硬な脊髄を有して居ないといふ意味に於て、浅薄な活動写真だの軽浮けいふなセンセーシヨナル小説だのと択えらぶ所がないやうな気になる。たとひ殺傷に参加する人々個々の頭上には、千差万別の悲劇が錯綜紛糾さくそうふんきうして、時々刻々に彼等の運命を変化しつゝあらうとも、それは当座限りの影響に過すぎない。永久に吾人ごじん一般の内面生活を変色させるやうな強い結果は何処どこからも生れて来ない。とすると、今度の戦争は有史以来特筆大書すべき深刻な事実であると共に、まことに根の張らない見掛倒しの空々そら〲しい事実なのである。(つゞく)

三 軍国主義(二)

然しかしもう少し低い見地に立つて、もつと手近な所を眺めると、此この戦争の当然将来に齎もたらすべき結果は、いくらでも吾々の視線の中うちに這入はひつて来なければならない。政治上にせよ、経済上にせよ、向後かうご解決されべき諸問題は何どの位くらゐ彼等の前に横よこたはつてゐるか分らないと云いつても好いい位である。

其中そのうちで事件の当初から最も自分の興味を惹ひいたもの、又現に惹きつゝあるものは、軍国主義の未来といふ問題に外ならなかつた。人道の為の争ひとも、信仰の為の闘ひとも、又意義ある文明の為の衝突とも見做みなす事の出来ない此この砲火の響を、自分はたゞ軍国主義の発現として考へるより外に翻訳の仕様がなかつたからである。欧洲大乱といふ複雑極まる混乱した現象を、斯かう鷲攫わしづかみに纏めて観察した時、自分は始めて此この戦争に或ある意味を附着する事が出来た。さうして重おもに其その意味からばかり勝敗の成行なりゆきを眺めるやうになつた。従つて個人としての同情や反感を度外に置くと、独逸ドイツだの仏蘭西フランスだの英吉利イギリスだのといふ国名は、自分に取つてもう重要な言葉でも何でもなくなつて仕舞しまつた。自分は軍国主義を標榜へうばうする独逸が、何どの位の程度に於おいて聯合国を打ち破り得るか、又何どれ程ほど根強くそれらに抵抗し得るかを興味に充みちた眼で見詰めるよりは、遥はるかにより鋭い神経を働かせつつ、独逸に因よつて代表された軍国主義が、多年英仏えいふつに於て培養された個人の自由を破壊し去るだらうかを観望してゐるのである。国土や領域や羅甸ラテン民族やチユトン人種や凡すべて具象的な事項は、今の自分に左さした問題になつてゐない。

独逸は当初の予期に反して頗すこぶる強い。聯合軍に対して是程これほど持ち応こたへやうとは誰しも思つてゐなかつた位に強い。すると勝負の上に於おいて、所謂いはゆる軍国主義なるものゝ価値は、もう大分だいぶ世界各国に認められたと云いはなければならない。さうして向後かうご独逸が成功を収めれば収める程、此この価値は漸々ぜん〱高まる丈である。英吉利のやうに個人の自由を重んずる国が、強制徴兵案を議会に提出するのみならず、それが百五対四百三の大多数を以て第一読会どくくわいを通過したのを見ても、其その消息はよく窺うかゞはれるだらう。

かつてギッシングの書いたものを読んだら、小さいうち学校で体操を強ひられるのが、非常の苦痛と不快を彼に与へたといふ事が精くはしく述べてあつた末に、もしわが英国で本人の意思に逆つて迄も徴兵を強制するやうになつたと仮定したら、自分は何どんな心持になるだらう、さういふ事実は万々起る筈はずはないのだけれども、たゞ想像して見てさへ堪たへられないと附け加へてあつた。ギッシングのやうに独居どくきよを好む人は特別だと云いふかも知れないが、英国人の自由を愛する念と云つたら、殆ほとんど第二の天性として一般に行き渡つてゐるのだから、強制徴兵に対する嫌悪の情は、誰しもギッシングに譲らないと見ても間違はないのである。其その英国で無理にも国民を兵籍に入れやうとするのには至大しだいの困難があると思はなければならない。其困難を冒をかして新しい議案が持ち出され、又其議案が過半の多数に因よつて通過されたとすると、現に非常な変化が英国民の頭の中うちに起りつつある証拠になる。さうして此この変化は既に独逸が真向まつかうに振り翳かざしてゐる軍国主義の勝利と見るより外に仕方がない。戦争がまだ片付かないうちに、英国は精神的にもう独逸に負けたと評しても好い位のものである。(つゞく)

四 軍国主義(三)

開戦の劈頭へきとうから首都巴里パリーを脅おびやかされやうとした仏蘭西フランス人の脳裏には英国民よりも遥はるかに深く此この軍国主義の影響が刻み付けられたに違ない。たゞでさへ何どうして独逸ドイツに復讐してやらうかと考へ続けに考へて来た彼等が、愈いよ〱となると、却かへつて其その独逸の為に領土の一部分を蹂躪じうりんされるばかりか、政庁さへ遠い所へ移さなければならなくなつたのは、彼等に取つて甚はなはだ痛ましい事実である。其その事実を眼前に見た彼等の精神に、一種の強い感銘が起るのも亦また必然の結果と云いはなければなるまい。飛行船から投下された爆弾以外に、まだ寸土すんども敵兵に踏まれてゐない英国に比較すると、此この精神的打撃は更さらに幾倍いくばいの深刻さを加へてゐると見るのが正まさに妥当の見解である。

不幸にして強制徴兵案の様に自分の想像を事実の上で直接確たしかめて呉くれる程の鮮やかな現象が、仏蘭西フランスではまだ起つてゐないから、自分は自分の臆説おくせつをさう手際てぎはよく実際に証明する訳わけに行かない。けれども戦争の経過につれて、彼等の公表する思想なり言説なりに現れて来る変化を迹付あとづければ、自分の考への大して正鵠せいこうを失つてゐない事丈だけは略ほゞ慥たしかなやうに思はれる。此間このあひだ或ある雑誌で「力」といふ観念に就ついて独仏両者を比較したパラントといふ人の文章を読んだ時、自分は益ます〱其感を深くした。

彼は「力」といふ考への中うちに、独逸ドイツ人の混入した不純な概念を列挙した末、仏蘭西フランスのそれも矢張やはり変に歪ゆがんでしまつたといふ事を下しもの様に説いてゐる。

「仏蘭西では科学的に所謂いはゆる「力」といふものが正義権利の観念と衝突した。ルーテル式独逸式ではないが、ルソー式、トルストイ式、四海同胞かいどうはう式、平和式、平等式、人道式なる此この観念のために本来の「力」といふ考へがつい曲げられて不徳不仁ふとくふじんの属性を帯びるやうになつてしまつた。そこで正義と人道と平和の為に此この「力」といふものを軽蔑し且かつ否定しなければならなくなつた。さうして美と正義を一致させ、美と調和を一致させる美学を建設した。奮闘も差別も自然の法則であるといふ事を忘れた。美其物そのものも一種の「力」であり、又「力」の発現であるといふ事を忘れた。正義其物そのものも本来の意味から云へば平衡を得た「力」に過ぎないといふ事を忘れた。「力」の方が原始的で、正義の方は却かへつて転来てんらい的であるといふ事も忘れた。斯こんな僻見へきけんに比べるとニーチエの方が何どの位尤もつともであつたか分らない。……そこで吾々は何どうしても「力」といふ観念をこゝで一新する必要がある。さうして本当の意味でもう一度それを評価の階段中に入れ易かへなければならない。自然の法則を現すといふ点に於おいて「力」は科学的なものである。勝利を冀こひねがふ人間の精神を現すといふ点に於て「力」は高尚なものである。吾々はもう権利と「力」とを対立させる事を已やめなければ行いけない。権利がなくつて負けるのはまだしもだが、権利がある上に負けるのは二重の敗北である。最大の損害である。無上の不幸である」

冗漫と難渋とを恐れて、わざと大意丈だけを抄訳した此この一節を読んで見ても、相手の軍国主義が何どんな風に仏蘭西の思想界の一部に食ひ入りつゝあるかが解るだらう。(つゞく)

五 軍国主義(四)

すると戦争のまだ落着しないうちから、年来独逸ドイツによつて標榜へうばうされた軍国的精神なるものは既に敵国を動かし始めたのである。遠い東の果はてに住んでゐる吾々の視聴を刺戟する位くらゐ強く彼等の心を動かし始めたのである。さうして此この影響はたとひ今度の戦争が片付いても、容易に彼等の脳裏から拭ぬぐひ去る事が出来ないのである。単に過去の経験を痛切に記憶すべく余儀なくされた結果として拭ひ去る事が出来ないばかりでなく、未来に対する配慮からしても到底此この影響を超越する訳わけには行かないのである。

待対たいたい世界の凡すべてのものが悉こと〲く条件つきで其その存在を許されてゐる以上、向後かうごに回復されべき欧洲の平和にも、亦また絶対の権威が伴つてゐない事だけは誰の眼にも明かである。然しかし彼等が其その平和の必要条件として、それとは全く両立しがたい腕力の二字を常に念頭に置くべく強しひられるに至つては、彼等と雖いへども今更ながら天のアイロニーに驚かざるを得まい。現代に所謂いはゆる列強の平和とはつまり腕力の平均に外ならないといふ平凡な理窟を彼等は又新しく天から教へられたのである。土俵の真中で四つに組んで動かない力士は、外観上至極しごく平和さうに見える。今迄彼等の享有きやういうした平和も、実はそれ程に高価で、又それ程に苦痛性を帯びてゐたのである。しかも彼等は相撲取のやうにそれを自覚してゐなかつたために突然罰せられた。換言すれば生存上腕力の必要を向後かうご当分の間あひだ忘れる事の出来ないやうに遣付やつつけられた。軍国主義が今迄彼等に及ぼした、又是これから先彼等に及ぼすべき影響は決して浅いものではない。又短いものではなからう。

普魯西プロシヤ人は文明の敵だと叫んで見たり、独逸ドイツ人が傍そばにゐると食つた物が消化こなれないで困ると云いつたりしたニーチエは、偉大なる「力」の主張者であつた。不思議にも彼の力説した議論の一面を、彼の最も忌いみ悪にくんだ独逸人が、今政治的に又国際的に、実行してゐるのである。さうして成効してゐるのである。軍国主義の精神には一時的以上の真理が何処どこかに伏在ふくざいしてゐると認めても差支さしつかへないかも知れない。

然しかし自分の軍国主義に対する興味は、此処迄ここまで観察して来ると其処そこで消えてしまはなければならない。自分はこれ以上同じ問題に就ついて考へる必要を認めない。又手数も厭いとはしい気がする。自分はもつと高い場所に上のぼりたくなる。もつと広い眼界から人間を眺めたくなる。さうして今独逸ドイツを縦横に且かつ獰猛だうまうに活躍させてゐる此この軍国主義なるものを、もつと遠距離から、もつと小さく観察したい。

将来に於ける人間の生存上赤裸々せきらゝなる腕力の発現が、大仕掛おほじかけの準備、即すなはち戦争といふ形式を以て世の中に起るとすれば、それを解釈するものは、腕力の発現そのものが目的で人間が戦争をするのであるとするか、又は目的は他たにあるが、それを遂行すゐかうする手段として已やむを得ず戦争に訴へたのだとしなければならない。然しかし戦争其物そのものが面白くつて戦争をしたものが昔からあるだらうか。ナポレオンの様な此この方面の天才ですら、夜打朝懸ようちあさがけ、軍いくさの懸引〔かけひき〕に興味は有もつてゐたかも知れないが、たゞ戦ひたいから戦つたのだとは受け取れない。たとひ露骨な腕力沙汰が個人の本能だとしても、相手を殺したり傷きずつけたりしない程度に於おいて其その本能を満足させるのが人情である。一日に何千何万といふ人命を賭かけにして此この本能に飽満はうまんの悦楽を与へるのが戦争であるとは、誰しも云いひ得まい。すると戦争は戦争の為の戦争ではなくつて、他に何等なんらかの目的がなくてはならない、畢竟ひつきやうずるに一の手段に過ぎないといふ事に帰着してしまふ。

何いづれの方面から見ても手段は目的以下のものである。目的よりも低級なものである。人間の目的が平和にあらうとも、芸術にあらうとも、信仰にあらうとも、知識にあらうとも、それを今批判する余裕はないが、とにかく戦争が手段である以上、人間の目的でない以上、それに成効の実力を付与する軍国主義なるものも亦また決して活力評価表の上に於て、決して上位を占しむべきものでない事は明かである。

自分は独逸によつて今日迄鼓吹こすゐされた軍国的精神が、其その敵国たる英仏に多大の影響を与へた事を優いうに認めると同時に、此この時代錯誤的精神が、自由と平和を愛する彼等に斯かく多大の影響を与へた事を悲しむものである。

六 トライチケ(一)

欧洲戦争が起つてから、独乙〔ドイツ〕の学者思想家の言論を実際的に解釈するものが続々出て来た。

最初英吉利〔イギリス〕の雑誌にはニーチエといふ名前が頻しきりに見えた。ニーチエは今度の事件が起る十年も前、既に英語に翻訳されてゐる。英吉利の思想界にあつて別に新あたらしい名前でもない。然し彼等は其〔その〕名前に特別な新あたらしい意味を着つけた。さうして彼の思想を此〔この〕大戦争の影響者である如くに言ひ出した。是は誰の眼めにも映うつる程屡しば〱繰り返かへされた。基督〔キリスト〕の道徳は奴隷どれいの道徳であると罵つたのは正にニーチエであると同時に、ビスマークを憎みトライチケを侮つたのもニーチエであるとすると、彼が斯〔こ〕ういふ解釈を受けて満足するかどうかは疑問である。本人の思はく如何〔いかん〕は別問題として、彼の唱道した超人主義の哲学が、此際独乙〔ドイツ〕に取つて、何どれ程役に立つてゐるかも遠方に生れた自分には殆んど見当が付かない。

仏蘭西〔フランス〕の一批評家は「所謂〔いわゆる〕独乙的発展」といふ題目の下したに、ヘーゲルとビスマークとヰリアム二世の名を列挙した。彼はヘーゲルの様な純粋の哲学者を軍人政治家と結び付つける許りか、其思想が彼等軍人政治家の実行に深い関係を有してゐるのだといふ事ことを説明しやうと試みた。彼の云ふ所によると、普魯西〔プロシア〕の軍国主義はヘーゲルの観念論の結果に外ならんといふのである。――元来独乙のアイヂアリズムは観念の科学であつて、其観念なるものが又大いに感情的分子を含ふくんでゐる。文字の示現通り単なる冥想や思索でなくつて、場合が許すならば、何時いつでも実行的に変化するのみならず、時としては侵略的にさへなりかねない程〔ほど〕毒々しいものである。アイヂアリズムが論議の援助を受けて、主観客観の一致を発見したが最後、こゝに外界と内界の墻壁〔しょうへき〕を破壊して、凡てを吸収し尽さなければ已〔や〕まない事ことになる。アイヂアリズムから思ひも寄らない物質主義が現はれてくる。是は最初から無関心で出立しない哲学として、陥るべき当然の結果である。

此批評家の云ふ事ことが、果して真相の解釈であるか何どうか、是も自分には分らない。唯遠くにゐて、其土地の空気を呼吸しない所為せゐか、斯かういふ説明は自分から見て何〔ど〕うも切実でないやうな気がする。奇抜な事ことは突飛〔とっぴ〕な位奇抜とは思ふが、それがため却つて成程と首肯しがたくなる位なものである。

例を挙げればまだ沢山あるが、さう一々も覚えてゐないから、まづ此位にして置いて、自分は一寸斯かういふ現象に就いてこゝに挿話的ながら考へて見たいと思ふ事ことがある。

英仏の評論家は現在の戦争を単に当面の事実としてばかり眺めてゐないのみならず、又それを政治上の問題としてばかり考へてゐないのみならず、其背後に必ず或ある思想家なり学者なりの言説を大いなる因子いんしとして数へたがつてゐる傾向に見える。実際欧洲の思想家や学者はそれ程実社会を動かしてゐるのだらうか。

自分は日露戦争が、我日本の生んだ大哲学者の影響を蒙〔こうむ〕つて発現したとは決して思はない。日清戦争も其通りである。戦争はとにかく、其他の小事件にせよ、我日本に起つた歴史的事実の背景に、思想家の思想を基点として据ゑ得るものは殆んどないやうに思ふ。現代の日本に在つて政治は飽〔あ〕く迄も政治である。思想は又何所〔どこ〕迄も思想である。二つのものは同じ社会にあつて、てんでんばら〱に孤立してゐる。さうして相互の間に何等の理解も交渉もない。たまに両者の連鎖を見出すかと思ふと、それは発売禁止の形式に於て起る抑圧的なものばかりである。山陽の日本外史が維新の大業に醗酵分となつて交り込んだのは、例外中の例外で、しかもそれは明治大正以前の事実に過ぎない。日本の思想家が貧弱なのだらうか。日本の政治家の眼界が狭いのだらうか。又は西洋の批評家の解釈に誇張が多過ぎるのだらうか。自分は三つとも否定する訳に行くまいと思ふ。さうして其内で西洋の批評家の誇張が一番少ないと思ふ。(つゞく)

七 トライチケ(二)

もしトライチケの名がニーチエやヘーゲルと同じ意味に於て此戦争の引合ひきあひに出るならば、自分は少なくとも是丈〔これだけ〕の事ことを頭あたまのうちに入れて置く方が便利だと考へる。さうすれば大した困難と誤解なしに、現下独乙〔ドイツ〕に於る彼の地位が、比較的明瞭に想像され得るからである。

ニーチエやヘーゲルは此事件後に復活した名前ではない。只在来の名前に英仏人が新あたらしい意義を付けた丈である。疾とうから知れてゐる彼等の内容を、一種の刺戟に充ちた異様の眼めで、特別に眺めた丈である。トライチケも復活した名でないかも知れない。けれども前者と違つて、此際〔このさい〕新らしい解釈を受ける必要のない名である。今迄のトライチケを今迄通りに見てゐれば、視線の角度を改める必要も手数も要らないで、すぐ彼と今度の戦争との関係が解るのである。彼の説はニーチエ程高踏的でなかつた。孤峰頂上から下界へ向つて命令するが如き態度で、詩のやうな哲学、又哲学のやうな詩を絶叫しはしなかつた。無論ヘーゲル程神秘の雲くものうちに隠れて弁証の稲妻を双手に弄する人ではなかつた。彼は最初から確実に地上を歩あるいてゐた。のみならず彼の眼界は狭い独乙〔ドイツ〕によつて東西南北共に仕切られてゐた。従つて今更新らしく彼を翻訳する必要もなければ又しやうとした所で其余地もないのである。たゞ当時の彼を当時の儘引き延ばして、今の戦争に連続させさへすれば、それで両者の関係は可なり判然するのである。自分はわざと両者の関係と云つた。実は彼が今次の大戦争に及ぼした影響と云ひたいのであるが、それはニーチエやヘーゲルの場合と同じく、影響の程度からいつて、自分には能〔よ〕く解わからないから、仕方なしにさういふ言葉遣づかひを遠慮した。しかも其上に前述べた通り、彼〔ひ〕我が国情の差違さゐ並ならびに批評家の誇張などを念頭に置いて、是からトライチケを一瞥しやうとするのである。

千八百三十四年ドレスデンに生れた彼は、父が軍籍に在つた関係から云つても、母が士官の娘であつた因縁から見ても、兵士たるべき運命を有〔も〕つて生れたと同じ事ことであつた。小供の時、疱瘡に罹つたのと、それに引き続いて耳の病気に冒されたので、幸か不幸か、彼は彼の既定ていの行路を全然見捨てなければならなくなつた。

然し十四位〔くらい〕から彼の父に送る手紙の中には、もう政治上の意見などがちらほら散見し始めたさうである。さうして十六になるかならない内うちに、彼はいつの間まにか熱烈なる独乙統一論者になつて仕舞つた。無論普魯西〔プロシア〕を盟主としなければならないといふのが、彼の当初からの主張であつた。彼がライプチツヒに遊学した頃、教授の講義は碌ろくに聴きもせず、手当り次第に一人ひとりぼつちの乱読を恣〔ほしいま〕まにした時ときですら、書物から得る凡ての知識は、みな此普魯西中心の国家といふ大理想を構成する為ために利用されたのである。

彼はマキアヹルを読んだ。正義だらうが道徳だらうが、国家の為ならば、何時いつ犠牲に供しても差支〔さしつかえ〕ないものだといふ信念を抱くやうになつた。専政だらうが圧制だらうが、苟〔いやしく〕も国家の統一を維持し、又国家の威力を増進する以上は、いくら何どう用ひても構はないものだといふ決論に到着した。さうして其意見を彼の父に書いて遣〔や〕つた。是は彼がゲツチンゲンで修業してゐる頃ころで、年歯としにすると二十二三の時の事ことである。(つゞく)

八 トライチケ(三)

東西南北どちらの方角を眺めても、彼の眼に映ずるものは悉〔ことごと〕く独乙〔ドイツ〕の敵であつた。彼は魯西亜〔ロシア〕を軽蔑した。年来独乙の統一に反対する墺地利〔オーストリア〕も、彼の憎悪を免まぬかれなかつた。ミルトンとシエクスピヤを嘆美しながらも、それらの詩人を有する英吉利〔イギリス〕は、彼から見ると独乙の発展に妨害ある一種の邪魔物ものに過ぎなかつた。彼は到底一ひと戦争しなければ済すまないと考へた。さうして其戦争から真に強固にして健全な独乙が生れて来くるといふ事ことを信じて疑はなかつた。

多数の聴講生を有する彼は、此目的をもつて大学で普国〔ふこく〕史を講じ出した。ごた〱した小邦はみんな取り潰つぶしてしまはなければならないといふ彼の本意は、此この一事でも窺〔うかが〕はれた。彼は自ら小邦に生れた事ことを忘れた。彼の父ちゝに対する義理も忘れた。彼は父に向つて云つた。

「親子おやこの情合のために自分の信念を枉〔ま〕げる事ことは、私には何どうしても出来ません」

彼は此言葉と共にライプチツヒを去つた。再び招かれて其所そこで演説を試みた時とき、彼は独乙統一のために、焔のやうな熱烈の言辞を二万の聴衆の上に浴あびせ掛かけた。無邪気な彼等は呆然として驚ろいた。

所へビスマークが現はれた。さうしてビスマークは彼の要する理想の人物であつた。ビスマークの時ときめく普魯西〔プロシア〕政府は猶〔なお〕の事こと統一の中心にならねばならなかつた。彼の所謂〔いわゆる〕「国家」とならねばならなかつた。「第一に自由、夫から統一」といふ叫び声を無意味なものとして聞き流した彼は、「第一に国家の権利、夫から国家」といふ旗幟〔きし〕を無遠慮に押し立てた。さうして其国家は即ち普魯西である。他の小邦は幾多の犠牲を甘んじても、此中央政府の意志と命令に従はなければならないといふのが彼の意見であつた。

「国家の実質とも見傚〔みな〕し得べき「力」を有〔も〕たない小邦が、何で国こく家を代表する事ことが出来よう」

彼は斯〔こ〕ういつて、多くの小邦を睥睨〔へいげい〕した。其内には彼の故郷のサクソニーも無論含ふくまれてゐた。

千八百六十七年ビスマークの力によつて成就された北独乙の聯合は、此意味から見て、彼の理想をある程度迄現実にしたものに違なかつた。其結果として凡てに課せられたる義務兵役と、其義務兵役から生ずる驚ろくべき多くの軍隊とは、支配権を有する普魯西〔プロシア〕に取つて大いなる力であつた。それを独乙勢力の増進に必要な条件、即ち西方発展策に応用したのが即ち普仏〔ふふつ〕戦争なのである。

彼の教授を受けた多くの学生は其時従軍した。彼等の一人が熱烈な告別の辞を述べた時、「どんな犠牲を払つても勝て」と云つた彼は、忽〔たちま〕ちヒーローとして青年から目されるやうになつた。彼は固〔もと〕より独乙の勝利を信じて疑はなかつたのである。さうして不思議の沈黙に陥つたかと思ふと、彼は負けた仏蘭西〔フランス〕に課すべき条件の項目を其間に調べ出した。彼はアルサス、ローレンの歴史を研究した末、此二州は元々独乙のものであつたのだから、戦勝後は当然旧主の手に帰るべきものだといふ説を発表した。(つゞく)

九 トライチケ(四)

独乙〔ドイツ〕は勝つた。独乙帝国は成立した。彼が十年の間夢ゆめに迄見た希望は遂に達せられた。

「統一の星は上のぼつた。其途みちを妨ぐるものは災を蒙〔こうむ〕れ」

是が彼の言葉であつた。此光輝ある時期に際会しながら、猶且〔なおか〕つ厭世哲学を説くハルトマンの如きは畢竟〔ひっきょう〕ずるに一種の精神病者に過ぎないと彼は断言した。其癖意志の肯定は国家として第一の義務であると主張する彼は、ハルトマンによつて復活されたる意志の哲学、即ち宇宙実在の中心点を意志の上に置く哲学によつて大いに動かされたのである。彼は実社界を至極手荒てあらいものに考へた。仁義博愛は口くちに云ふべくして政治上に行ふべきものでないと信じた。斯かくして彼はあらゆる人道的及び自由主義の運動に反対したのである。……

自分はトライチケの影響で今度の欧洲戦争が起つたとは云はない。彼の生時にあつてすら、彼はビスマークの顧問でもなければ又助言者でもなかつた。彼の主張とビスマークの実行とは寧〔むし〕ろ偶然に一致したのだらう。たとひ彼が鉄血宰相の謳歌者であつたにした所で、謳歌されるビスマークの方では、夫程〔それほど〕彼の言論に動かされてゐなかつたかも知れない。それにも拘〔かか〕はらず結果から云へば、彼はビスマークの政治上で断行した事ことを、彼の学説と言論によつて一々裏書うらがきしたと云つても差支〔さしつかえ〕ないのである。さうして今日の独乙が、社会主義者其他の反抗に関せず、当時の方針を基儘〔そのまま〕継続して、其極〔そのきょく〕今度の大乱を引き起したとすれば、思想家としてトライチケの独乙に対する立場も亦〔また〕自然明瞭になつた訳である。

是丈〔これだけ〕の関係を明かにすると、自分の癖として、又根本問題に立ち返つて、質問が起おこしたくなる。

「トライチケの鼓吹〔こすい〕した軍国主義、国家主義は畢竟〔ひっきょう〕独乙統一の為ためではないか。其統一は四囲の圧迫を防ぐためではないか。既に統一が成立し、帝国が成立し、侵略の虞〔おそれ〕なくして独乙が優に存在し得た暁には撤回すべき性質のものではないか。もし永久に此主義で押し通すとならば、論理上此主義其物に価値がなくてはならない。さうして其価値によつて此主義の存在が保証されなければならない。そんな価値が果して何処どこから出て来くるだらうか」

個人の場合でも唯喧嘩に強いのは自慢にならない。徒〔いたず〕らに他ひとを傷あやめる丈である。国と国とも同じ事ことで、単に勝つ見込があるからと云つて、妄〔みだ〕りに干戈〔かんか〕を動かされては近所が迷惑する丈である。文明を破壊する以外に何の効果もない。勝つたものは勝つた後あとで、其損害を償ふ以上の貢献を、大きな文明に対してしなければならない筈である。少なくとも其心掛がなくてはならない筈である。自分は今の独乙にそれ丈の事ことを仕終せる精神と実力があるか何どうかを危あやぶまざるを得ないのである。するとトライチケの主張は独乙統一前には生存上有効でもあり必要でもあり合理り的でもあつて、今の独乙には無効で不必要で不合理なものかも知れないといふ事ことに帰着する。

然しながら彼は云つた。――

「ヰリアム帝は独乙に祖国を与へたるのみならず、より平衡こうを得たる又より合理的なる支配の下に文明世界かいを置いた。全世界を健全にするは独乙の事業なりと云つた詩人ガイベルの言葉ことばは今に実現せられるだらう」

して見るとトライチケは、独乙が全欧のみならず、全世界を征服する迄、此軍国主義国家主義で押し通す積つもりだつたかも知れない。然しながら、我々人類が悉〔ことごと〕く独乙に征服された時、我々は其報酬として独乙から果して何を給与されるのだらう。独乙もトライチケもまづ其所そこから説明してかゝらなければならない。

底本 / Source edition

底本:「漱石全集 第十六巻」岩波書店
1995(平成7)年4月19日発行
底本の親本:
「点頭録六」「点頭録七」「点頭録八」「点頭録九」については原稿(岩波書店蔵)。
それ以外については「東京朝日新聞」。
掲載日は第一回から第五回までが、1916(大正5)年1月1日、10、12、13、14日である。
初出:「東京朝日新聞」および「大阪朝日新聞」。
「東京朝日新聞」に第一回が1916(大正5)年1月1日に発表された。
最終九回までの掲載日は、同10、12、13、14、17、19、20、21日である。
「大阪朝日新聞」では、1月1日のあと、12日から15日、18日から21日までの九回である。
※ルビのうち亀甲かっこ〔〕付きのものは「漱石全集」編集部によるもので、現代仮名遣いである。
(例)墻壁《〔しょうへき〕》
※表題およびルビについて、底本の「後記」に次の記載がある(829ページ)。
「表題は原稿および新聞に従ったが、小見出しが同じものについては、「(一)」「(二)」などを補った。新聞は総ルビであるが、適宜削除した。」
入力:砂場清隆
校正:小林繁雄
2003年1月20日作成
青空文庫作成ファイル:
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プレーンテキスト / Plain text
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書誌 / Bibliography
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夏目 漱石「点頭録」(新字旧仮名)、底本『漱石全集 第十六巻』岩波書店、1995年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 004672_000148, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

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