Soranoha

鎌倉一見の記

かまくらいっけんのき

正岡 子規

面白き朧月のゆふべ柴の戸を立ち出でゝそゞろにありけばまぼろしかと見ゆる往來のさまもなつかしながら都の街をはなれたるけしきのみ思ひやられて新橋までいそぎぬ。終りの列車なるにはや乘れといふにわれおくれじとこみ入れば春の夜の夢を載せて走る汽車二十里は煙草の煙のくゆる間にぞありける。

蛙鳴く水田の底の底あかり

藤澤の旅籠屋を敲いて一夜の旅枕と定む。朝とく目さむれば裏の藪に鳴く鶯の一聲二聲もうれしく、

鶯やおもて通りは馬の鈴

鶯や左の耳は馬の鈴

いづれかよからん蕉風檀林のけぢめにやなど思ふも僭上の沙汰なるべし。一番の汽車にて鎌倉に赴く道々うかみ出づる駄句の數々、

岡あれば宮宮あれば梅の花

家一つ梅五六本こゝも〱

旅なれば春なればこの朝ぼらけ

先づ由井が濱に隱士をおとづれて久々の對面うれしやと、とつおいつ語り出だす事は何ぞ。歌の話發句の噂に半日を費したり。即景。

陽炎や小松の中の古すゝき

春風や起きも直らぬ磯馴松

ひとりふら〱とうかれ出でゝ繩手づたひにあゆめば、行くともなしに鶴が岡にぞ著きにける。銀杏を撫で石壇を攀ぢ御前に一禮したる後瑞垣に憑よりて見下ろせば數百株の古梅ややさかりを過ぎて散りがてなるも哀れなり。

銀杏とはどちらが古き梅の花

建長寺に詣づ。數百年の堂宇松杉苔滑らかに露深し。

陽炎となるやへり行く古柱

圓覺寺は木立晝暗うして登りては又登る山の上谷の陰草屋藁屋の趣も尊げなるに坐禪觀法に心を澄ます若人こそ殊勝なれ。

其夜は由井の浦浪を聞きつゝ夜一夜旅の勞れの寢心にくたびれたる兩足踏みのばせし心よさ。曙の頃隱士と某と三人して濱邊より星月夜の井に到る。

鎌倉は井あり梅あり星月夜

長谷の觀音堂に詣でゝ見渡す山の名所古蹟隱士が指さす杖のさき一寸の内にあつまりたり。

歌にせん何山彼山春の風

こゝは何、かしこは何、日蓮の高弟日朗の土窟は此奧なりなど一々に隱士の案内なり。大佛は昔にかはらぬ御姿ながらもその御心には數百年の夢幻何とか觀じ給ふらん。きのふ見し人はけふ見る人にあらず、けふ見る人は明日見ん人にもあらず。況して今の人七百年の昔も知らねば七百年の昔いかでか今の世を推し量らん。

大佛のうつら〱と春日かな

此の夜はまた隱士の家に宿る。「浪音高し汐や滿つらん」と頻りに口ずさみて上の句置き煩へる隱士の聲ほのかになりて我夢はいづくの山をか、かけ𢌞りし。翌日は雪の下に古蹟を探る。興亡の感くさ〱に起りてそゞろに胸を衝く思ひなり。

高とのゝ三つは四つはのあと問へば麥の二葉に雲雀なくなり

いつのよの庭のかたみを賤か家の垣ねつゝきに匂ふ梅の香

頼朝の墓こゝぞと上り見れば蔦にからまれ苔に蒸されたる五輪の塔一つ、これが天下の總追捕使のなれのはてにぞありける。鎌倉の宮に詣で、神前に跪けば何とはなしにはや胸ふたがりてはふり落つる涙はらひもあへず。

梅が香にむせてこぼるゝ涙かな

泣く〱鎌倉を去りて再び歸る俗界の中に筆を採りて鎌倉一見の記とはなしぬ。

底本 / Source edition

底本:「現代日本紀行文学全集 東日本編」ほるぷ出版
1976(昭和51)年8月1日初版発行
初出:「日本」
1893(明治26)年3月
入力:林 幸雄
校正:浅原庸子
2003年5月27日作成
青空文庫作成ファイル:
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書誌 / Bibliography
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正岡 子規「鎌倉一見の記」(旧字旧仮名)、底本『現代日本紀行文学全集 東日本編』ほるぷ出版、1976年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 004656_000305, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

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