Soranoha

日本ライン

にほんライン

北原 白秋

1

舟は遡る。この高瀬舟の船尾には赤の枠に黒で彩雲閣と奔放に染め出したフラフが翻つてゐる。前に棹さすのが一人、後に櫓を榜こぐのが一人、客は私と案内役の名鉄のM君である。私は今日初めて明るい紫紺に金釦の上衣を引つかけてみた。藍鼠の大柄のスボンの、このゴルフの服は些か華美過ぎて市中は歩かれなかつた。だが、この鮮麗な大河の風色と熾烈な日光の中では決して不調和ではない。私は南国の大きい水禽のやうに碧流を遡るのだ。

爽快である。それに泡だつコップのビール、枝豆の緑、はためく白いテントの反射光だ。

五日の午後一時、昨日すさまじい濁流はいくらか青みを冴え立たして来たが、一旦激増した水量はなかなかひきさうに見えない。だが、裸の子供が飛び込む飛び込む。燦々たる岩の群とごろた石との河原だ。その両岸のいきるるいきるる雑草の花だ。

泳げよ泳げ。

左は楊と稚わか松と雑木の緑と鬱とした青とで野趣そのままであるが、遊園地側の白い道路は直立した細い赤松の竝木が続いて、一二の氷店や西洋料理亭の煩雑な色彩が畸形な三角の旅館と白い大鉄橋風景の右袂に仕切られる。鉄橋を潜ると、左が石頭山、俗に城山である。その洞門のうがたれつつある巌壁の前には黄の菰莚むしろ、バラック、鶴嘴、印半纒、小舟が一二艘、爆音、爆音、爆音である。

と、それから、人造石の樺と白との迫持せりもちや角柱ばかし目だつた、俗悪な無用の贅を凝らした大洋館があたりの均斉を突如として破つて見えて来る。

「や、あれはなんです。」

「京都のモスリン会社の別荘で。」とM君が枝豆をつかむ。

「悪趣味だな。」

だが、ここまでである。それより上は全くの神斧鬼鑿の蘇川峡となるのだ。彩雲閣から僅に五六丁足らずで、早くも人寰を離れ、俗塵の濁りを留めないところ、峻峭相連らなつて少からず目を聳たしめる。いはゆる日本ラインの特色はここにある。

日は光り、屋形の、三角帆の、赤の、青のフラフの遊覧船が三々五々と私たちの前を行くのだ。

遡流は氷室山の麓を赤松の林と断崖のほそぼそした嶮道に沿つて右へ右へと寄るのが法とみえる。「これが犬帰いぬかへりでなも。」と後から赤銅の声がする。

烏帽子岩、風戻、大梯子、そこでこの犬帰の石門、遮陽石といふのださうな。

「ほれ、あの屋根が鳥瞰図を描くYさんのお宅ですよ。」

幽邃な繁りである。蝉、蝉、蝉。つくつくほうし。

「この高い山は。」

「継鹿尾山つがのをやま、寂光院といふ寺があります。不老の滝といふのもありますが下つて御覧になりますか。」

「いや、ぐんぐんのぼらう。」

風が涼しい。潭は澄み、碧流は渦巻く。紫紺の水禽は遡る、遡る。

「あれが不老閣。」

「閑静だなも。」

と、これより先き、中流に中岩といふのがあつた。振り返ると、いつになく左後ろ斜めに岩と岩と白い飛沫をあげてゐる。

それから千尺の翠巒と断崖は浣華渓となるのである。

波、波、波、波、波

波、波、波、波、波、

波、波、波、波、波、波、

波、波、波、波、

波、波、波、波、波、波、

「爽快々々。」

「富士ヶ瀬です。」

すばらしい飛沫、飛沫、飛沫。奔流しつつ、飛躍しつつ、擾乱しつつだ。

一面淙々たり。

「や。」

「赤岩です。」とM君。

まさしく瑠璃の、群青の深潭を擁して、赤褐色の奇巌の群々がくわつと反射したところで、しんしんと沁み入る蝉の声がする。

稚い雌松の林があり、こんもりした孟宗藪がある。藪の外にはほのぼのとした薄くれなゐの木の花も咲いてゐる。

「あれは何の花だね。」

「漆の花だなも。」で、巧に棹を操る舳の船頭である。白の饅頭笠に墨色鮮かに秀山霊水と書いてある。

そのあたりが栗栖の里。

と、書き落したが、その漆の花が眼に入るまでには石床の大きなでこでこの二つの岩、お富与曾松の岩といふのがあつた。恋は悲しい、遂に添はれぬ身の果を歎いて、お富もまた離ればなれに上の手の岩から身を躍らしたと俚俗にいふ。

「これがローレライで。」

ローレライはちと苦笑される。

新赤壁は左にあつた。その前を昔の中仙道が通つて、ひとつ蜓ると岩屋観音がある。白い汚れた幟が見える。

ここで再び蕭々たる急湍にかかる。観音の瀬である。

「まだひどい水で。」と前のがのめる。

やつとのことで、その瀬をのぼり切ると、いよいよ河幅は狭くなる。いよいよ差し迫つた奇岩怪石の層々々、荒削りの絶壁がまたこれらに脈々と連り聳えて、見る眼も凄い急流となる。惜しいことには水が嵩く、岩は半ば没して、その神工の斧鉞の跡も十分には見るを得ないが、まさに蘇川峡の景勝であらう。

斎藤拙堂の「岐蘇きそ川を下るの記」に曰く、

「石皆奇状両岸に羅列す、或は峙立して柱の如く、或は折裂して門の如く、或は渇驥かつきの澗に飲むが如く、或は臥牛の道に横たはる如く、五色陸離として相間まじはり、皴しゆん率ね大小の斧劈を作す、間まも荷葉披麻を作すものあり、波浪を濯ふて以て出づ、交替去来、応接に暇あらず、蓋し譎詭変幻中清秀深穏の態を帯ぶ。」

兜岩。駱駝らくだ岩。眼鏡岩、ライオン岩、亀岩などの名はあらずもがなである。色を観、形を観、しかして奇に驚き、神悸をののき、気眩すべしである。

拙堂も観た五色岩こそはまた光彩陸離として衆人の眼を奪ふものであらうか。

ただ私の見たところでは、この蘇川峡のみを以てすれば、その岩相の奇峭は豊の耶馬渓、紀の瀞八丁どろはつちやう、信の天竜峡に及ばず、その水流の急なること肥の球磨川に如かず、激湍はまた筑後川の或個処にも劣るものがある。これ以上の大江としてはまた利根川がある。ただこの川のかれらに遙に超えた所以は変幻極まりなき河川としての綜合美と、白帝城の風致と、交通に利便であつて近代の文化的施設の余裕多き事であらう。原始的にしてまた未来の風景がこの水にある。

舟は翠嶂山の下、深沈とした碧潭に来て、その棹を留めた。清閑にしてまた飄々としてゐる。巉峭の樹林には野猿が啼き、時には出でて現れて遊ぶさうである。

私は舟より上つて、とある巌頭に攣ぢのぼつた。

蓋し天女ここに嘆き、清躯鶴のごとき黄巾の道士が来つて、ひそかに舟を煉り金を錬るその深妙境をここに夢みて、或は遊仙ヶ岡と名づけられたものであらう。

遺憾なのは「これより上へはどうしても今日はのぼれませんで。」と舟人はまた棹をいつぱいに岩に当てて張り切つたことである。

たちまち舟は矢のやうに下る。

千里の江陵一日にかへる。

おお隆坊はどうしてゐる。

2

自動車は駛はしる。

犬山の町長さんは若い白面の瀟洒な背広服の紳士であつた。白帝園はカンツリー・クラブの大食堂で私たち三人――私と素峰子と運転手と――が、この八月六日の極めて簡素な午餐を認めてゐた時にたまたま給仕を通じて私に挨拶に見えた。はひつて来ると、名刺を一々、運転手君にまでうやうやしく手交した。若しさうと知つてしたのならば美しい事だと微笑された。またそれほど黒背広の運転手君もひとかどの紳士らしく見えた。すなはち近代の日本ラインである。

カンツリー・クラブは緩い勾配の尾根の、錆色の羽目の中二階で、簡素ないい趣味の建築である。バンガロー風で、正面と横とに広い階段がついてゐる。その正面の階段の下の、明るい色彩の花壇の前で、私は改めて一礼すると、車上の人となつた。雀のお宿の素峰子は昨日の朝から激しい胃痙攣で顔色が無かつた。今日も案内がおぼつかないので、犬山橋駅に廻つて、赤い腕章の旅客課の制帽君の同乗をたのむことにした。

自動車は駛る。鉄橋を北へ、まつしぐらに駛つて行く。と、ちらつと、白帝城と夕暮富士とが眼を掠める。

きのふの夕焼は実によかつたと思ふ。その返照はいつまでも透明な黄の霞んだ青磁や水浅葱の西の空に、紅く紅く地平の積巻雲を燃え立たせた。さうして紫ばんで来た秀麗な夕暮富士の上に引きはへた吹き流し形の、天蓋の、華鬘の、金襴の帯の、雲の幾流れは、緋になびき、なびきて朱となり、褪紅となり、灰銀をさへ交へたやはらかな毛ばだちの樺となり、また葡萄紫となつた。天主閣のかすかに黄に輝き残る白堊、さうして大江の匂深い色の推移、それが同じく緋となり、褪紅となり、やはらかな乳酪色となり、藤紫となり、瑠璃紺の上びかりとなつた。さうして東の瑞泉寺山に涌き出した脳漿形の積雲と、雷鳴をこめた積乱雲との層が見る見る黄金色の光度を強めて今にも爆裂しさうに蒸し返すと、また南の葉桜の土手の空にもむくりむくりと同じ色と形の入道雲が噴き騰つてゐた。この夕焼もラインとよく似た美しい一つの天象だといふ。伊吹山の気流の関係で、この日本ラインにのみ恵まれた雲と夕日の季節の祭である。

私たちの軽舟は急流に乗つて、まだ大円日の金の光輝が十方に放射する、その夕焼の真近をまたたく間に走り下つて来た。さうして白帝城下の名も彩雲閣の河原に錨を下ろし、纜ともづなをもやつたのであつた。と、名古屋から電話がかかつてゐて隆太郎の母は直ぐにも見える筈だといふことであつた。それが今日は生憎早暁からの曇となつた。四方の雨も霧と微々たる雫とはしきりに私の旅情をそそつた。宿酔の疲れも湿つて来た。

この六日は下の河原で年に一度の花火の大会がある筈であつた。名古屋の甥たちや隆太郎にも見に来るやうに通知はしたが、それもどうやら怪しくなつて来る。果然雨天順延となつて私の旅行日程にもまた一日の狂ひが生じて来た。で、無聊に苦しむよりは雨の日本ラインの情趣でも探勝しようかとなつた訳である。

自動車は駛る。

と、気がつくといつのまにか北へ向つたのが南へ駛りつつあつた。や、例の樺と白との別荘だなと思ふと、中仙道は川添ひの松原と桃林との間を驀進しつつある。

新赤壁の裾を幾折れして、岩屋観音にかかる。漢画風の山水である。トンネルがあり、橋がある。路はやや沿岸を離れて桑畑と雌松の林間に入る。農家がある。鳳仙花や百日草が咲き、村の子が遊び、鶏がけけつこつこつこつである。高原の感じである。

秋、秋、秋、秋、

太田の宿にはひる。右に折れて鉄橋を渡れば、対岸の今渡いまわたりから土田どたへ行けるのだが、それがライン遊園地への最も近い順路であるのだが、私は真つ直にぐんぐん駛らせる。なるべく上流へ出て迂回しようと思つたのである。

ストップ! 古井こびの白い鉄橋の上で、私は驚いて自動車を飛び降りた。その相迫つた峡谷の翠の深さ、水の碧くて豊かさ。何とまた欝蒼として幽邃な下手の一つ小島の風致であらう。煙霧は模糊として、島の向うの合流点の明るく広い水面を去来し、濡れに濡れた高瀬舟は墨絵の中の蓑と笠との舟人に操られて滑つて行く。

私たちがその青柳橋の上に立つてゐると、何が珍しいのかぞろぞろと年寄や子供たちが周囲にたかつて来た。この川はと聞くと飛騨川と誰かが答へた。高山の上の水源地から流れて来てこの古井こびで初めて木曾川に入るのだとまた一人が傍から教へてくれた。ぢやあ、あの広いのが木曾川だなと思へてきた。

「あの島にお堂が見えますが、あれは何様ですね。」

「小山観音。」

「縁日でもありますか。」

「ちやうど七月九日が御開帳でして、へえ、毎年です。」

「店も出ませうね。」

「ええ、河原は見世屋でそれはもういつぱいになりますで。」

水に映つて、それは閑雅な灯のちらちらであらうと思へた。この支流である飛騨川の峡谷はまた本流の蘇川峡との別趣の気韻をもつて私に迫つた。上手の眺めにもうち禿げた岩石層は少く、すべてが微光をひそめた巒色の丘陵であつた。深沈としたその碧潭。

私たちはまた車上の人となる。藍鼠と燻銀との曇天、丘と桑畑、台が高いので、川の所在は右手にそれぞと思ふばかりで、対岸の峰々や、北国風の人家を透かし透かし、どこまでもどこまでも自動車は躍つてゆく。土の香がする。草のかをりがする。雨と空気と新鮮な嵐と、山蔭は咽ぶばかりの松脂のにほひである。駛る、駛る、新世界の大きな昆虫。

「見えた。あの鉄橋からまはりますか。」

「よし。」

そこでハンドルを右へきゆつと廻す。囂々とその釣橋を渡つてまた右折する。兼山の宿である。と、風光はすばらしく一変する。爽快々々、今来た峡谷の上の高台が向うになる。薄黄の傾斜面と緑の平面、平面、平面、鉾杉の層、竹藪、人家、思ひきり濃く、また淡く霞む畳峰連山、雨の木曾川はその此方の田や畑や樹林や板屋根の間から、突として開けたり隠れたりする。岩礁が見える。舟が見える。あ、檜だ、瓦だ、絵看板だ。

遙にまた煙突、煙突、煙突である。あの黒い煙はと聞くと、あれは太田だといふ。よくも上まで来たものだと思ふ。いや、かれこれ二時間は走つてゐますと運転手が笑ふ。かうして兼山から伏見、伏見から広見、今渡とかつ飛ばすのである。

土田は名鉄の犬山口から分岐する今渡線の終点に近い。ちらとその駅をのぞいて、また右へ、ライン遊園地へ向けて、またまた驀進々々々々である。行けるところまで行つて、危ふく何かにぶつかりさうにして留ると、奇橋がある。「土田どたの刎橋はねばし」である。この小峡谷は常に霧が湧き易くて、罩めると上も下も深く姿を隠すといふ。重畳した岩のぬめりを水は湍たぎち、碧く澄んで流れて、謂ふところの鷺の瀬となる。

橋の袂で敷島を買つて、遊園地の方へほつりほつりと私たちは歩いてゆく。雨はあがりかけて日の光は微かに道端の早稲の穂に射しかけて来る。七夕の紅や黄や紫の色紙がしつとりと濡れにじんで、その穂や桑の葉にこびりついてゐる。死んだ螢のにはひか何かが咽んで来る。開けつぱなしの小舎がある。蚕糞や繭のにほひがする。莚が雑然と積んである。表に「自転車無料であづかります」と貼札してある。この道七八丁。

安壮なる北陽館の前に出る。二階の渡り廊下の下の道路を裏へ抜けると、ここに驚くべき大洞可児合の壮観が眼下に大渦巻を巻き騰あげる。断崖百尺の上の、何と小さな人間、白の、黒の、紫紺の、ぽつり、ぽつり、ぽつりだ。

*

大洞可児合は蘇川中の一大難所である。その本流と可児かに川の合するところ、急奔し、衝突し、抱合し、反泝する余勢は、一旦、一大鉄城のごとく峭立し突出する黒褐の岩石層の絶壁に殺到し、遮断されて、水は水と撃ち、力は力と抗あらがひ、波は岩を、岩は波を噛んで、ここに囂々、淙々の音を成しつつ再び変圧し、転廻し、捲騰し、擾乱する豪快無比の壮観を現出する。藍と碧と群青と、また水浅葱と白と銀緑と、渦と飛沫と水漚と泡と、泡と、泡と。

膚粟を生ずとはこの事だらう。私は驚いて数歩下つた。

しかも明るく曠くうち展けた上流の空の、連蜂と翠巒、濛々たる田園の黄緑、人家、煙。霧、霧、霧。

そこでまた、踵をめぐらして岩角と雑草との間の小径を香木峡の乗船地へと向つて降りた。

どこかで茶でも飲まうではないか、茶店ぐらゐはあるだらうと言へば、ありますありますと答へながら、赤い腕章の制帽はそれでも一軒の葭簀の茶亭は通り越してしまふ。途中に白いペンキ塗の洋館の天狗何々と赤い看板を出したそのドアの前にかかつたが、窓の硝子もことごとくしめきつて「当分休業中」とあつた。真夏でもここまでの遊覧客はさして見えないらしい。ライン遊園地もまだ完成しないで、自然の雑木原に近い。窪地にスケート・リンクなどがあるくらゐだから沍寒ごかんはきびしいのであらう。崖の縁へ出ると漸く休憩所の一つを見出した。人の気配もせぬので、のぞいて見ると隅つこの青く透いたサイダー罎の棚の前に、鱗光の河魚の精のやうな爺が一人、しよんぼりと坐つてゐた。ぼうと立つのは水気である。

翠嶂山と呼ぶこのあたり、何かわびしい岩礁と白砂との間に高瀬舟の幾つかが水に揺れ、波に漂つて、舷々相摩するところ、誰がつけたかその名も香木峡といふ。左に碧くそそり立つのが碧巌峰である。

そこで屋形の舟のひとつを私は小手招く。そこここの薄墨の、また朱のこもつた上の空の、霧は、煙雨はいよいよ薄れて、この時、雲の断れ間から、怪しい黄色の光線が放射し出した。これからまたひとしきり凪になつて蒸し暑く蒸し暑くなるのである。

「ぢやあ、ここでお別れします。私は土田へ出てこの山の裏手を廻つて帰りますが、どちらが早いかひとつ、競争してみますかな。」

自動車の運転手が笑つた。

「よからう。」と私たちは舟に乗り込む。船頭はやはり二人で、棹をつつッと突張るや否や、後のが艪臍を調べると、艪をからからとやつて、「そうれ出るぞう」である。

白帝城下まで二里半だといふことである。

*

舟は走る。五色の日本ライン鳥瞰図が私の手にある。

「ほう、あれが乙女の滝かね。」その滝は左の緑蔭から懸つてあまりに幽かな水の線、線、線、であつた。

右に蹲うづくまるのがライオン岩、深巌とした赭黒である。と、舟は直ちに遊仙ヶ岡の碧潭にさしかかる。

その仙境を離れると、流れはいよいよ急である。昨日に比して少からず減じた水量のために河中の巌といふ巌は、ことごとく高く高く糶せり上つて、重積した横の、斜めの斧劈も露はに千状万態の奇景を眼前に聳立せしめて、しかも雨後の雫は燦々と所在の岩角、洞門のうち響きうち響き、降るかとばかりに滾こぼれしきる。

河峡はいよいよ狭く、流れはいよいよ急に、舟は危ふく触れんとして畳岩絶壁のすれすれを走り下る。

「や、あれは。」

と眼をみはつた。

一羽、ふり仰ぐ一大岩壁の上に、黄褐の猛鳥、英気颯爽として留つて、天の北方を睨んでゐる。鈎形の硬嘴、爛々たるその両眼、微塵ゆるがぬ脚爪の、しつかと岩角にめりこませて、そしてまた、かいつくろはぬ尾の羽根のかすかな伸び毛のそよぎである。

「鷹だね。」

「え。」と驚いて旅客課、「さうです。鷹です。」

冷気一道に襲つて、さすがに蘇川は深山幽谷の面影が立つた。

「身動きもしないんだね、舟が下を通つても。」

私は驚いたのである。

心音の動悸が止まぬのに、またしても一羽、右手の駱駝岩の第一の起隆の上に、厳然としてとまつてゐる。相対した上の鷹と、おそらくは番つがひであらう。

いいものを見たと私は思つた。野猿の声こそは聴けなかつたが、それに増して私は偶然の、時の恩寵を感じずにはゐられなかつた。

私は幾度も振り返つた。

激湍、白い飛沫の奔騰する観音の瀬にかかつて、船はゆれにゆれて傾く。

鷹は絶壁の遙に黒く、しかも確実に二個の点として厳としてゐる。小さく小さくなる。一個は消えても、一羽の英姿はいつまでもいつまでも遺つてみえる。その向うの空の濡れた黝朱うるみしゆの乱雲、それがやがては褐となり、黄となり、朱に丹に染まるであらう。日本ラインの夕焼にだ。

ああ白帝城が見え出した。

香木峡から四十分、彩雲閣の河原に著いて、上ると、その白帝城のカンツリー・クラブの前へ、無料休憩所の方から、驚いたスピードで大型の昆虫の黒に藍の自動車が駛つて来た。ハンドルを両手に、パナマを阿弥陀に頭の毛を振り振り、例の快活な笑ひの持主だ。

「や、万歳、勝負無し。」

底本 / Source edition

底本:「現代日本紀行文学全集 中部日本編」ほるぷ出版
1976(昭和51)年8月1日初版発行
初出:「東京日日新聞」「大阪毎日新聞」
1927(昭和2)年7月
※初出紙に「木曽川」と題して連載したものの一部である旨が、底本の巻末に記載されている。
※底本の「馬+央」(九箇所)は、「駛」に置き換えました。
※疑問箇所の確認にあたっては、「白秋全集 22」岩波書店、1986(昭和61)年7月7日発行を参照しました。
入力:林 幸雄
校正:浅原庸子
2004年5月11日作成
2007年9月6日修正
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TEI
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プレーンテキスト / Plain text
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書誌 / Bibliography
/works/004639_000106/

北原 白秋「日本ライン」(新字旧仮名)、底本『現代日本紀行文学全集 中部日本編』ほるぷ出版、1976年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 004639_000106, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

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