今年は何の意味にもハイキングに不適当である。平原のハイキングならまだしもだが、少くとも山岳の多い日本でのハイキングに或る程度山へ入らなければ意味を成さないのに、今年のやうにかうじめ〱した秋霖が打続いたのでは、よほど運が好くなければハイキングの快味を満喫するといふ訳には行かない。雨降りだと、雲煙が深く山を封してゐるから、折角山へ入つても山を見ることはできず、よほど厳重な雨支度をしてゐない限り、からだはびしよ濡れになつて、大概の人は風邪をひいてしまふ。私の場合はそれほどでもなかつたけれど、しかし不断の銀座散歩と少しもかはらぬ軽装で出かけたので、三里弱の山坂を登つて<ruby><rb>霧</rb><rt>きり</rt></ruby><ruby><rb>ヶ峰</rb><rt>みね</rt></ruby>のヒユッテへ著いた時分には、靴も帽子もびしよ〱でヒユッテの風呂と炬燵で暖まらなかつたら、<ruby><rb>肺気腫</rb><rt>はいきしゆ</rt></ruby>といふ持病のある私は或は肺炎になつて、下山することがむづかしかつたかも知れない。勿論出発した日は天気がよかつたので、朝早く新宿から出発して<ruby><rb>下諏訪</rb><rt>しもすは</rt></ruby>でも<ruby><rb>上諏訪</rb><rt>かみすは</rt></ruby>でもいゝ、兎に角その日に霧ヶ峰へついて了へば、たとひそこに一泊したにしても、翌日の午前中は秋晴れの山といふ訳にはいかないにしても、少くも雨降りではなかつたから、秋の高原地の跋渉は相当愉快なものであつたに違ひない。たゞ上野から出たので、折角の<ruby><rb>和田</rb><rt>わだ</rt></ruby>峠へ差しかかつたのはすでに夜で、翌日は今にも降出しさうな空合だつたけれど、快晴を待つ訳にもいかないので更にある地点まで（下諏訪から東<ruby><rb>餅屋</rb><rt>もちや</rt></ruby>まで）道をダブつて、そこから<ruby><rb>鷲</rb><rt>わし</rt></ruby>ヶ峰、霧ヶ峰への徒渉を始めたので、結局あたら第一日の好晴を汽車とバスに<ruby><rb>徒消</rb><rt>とせう</rt></ruby>したことになつた訳である。

下諏訪の桔梗屋で、本社の山中氏と私達父子は、支局の中島氏と、ヒユッテの持主で篤実の山の研究者であり、「山郷風物誌」などの興味ふかい著述をもつてゐる長尾宏也氏といふ霧ヶ峰スキイ場の開拓者として知られてゐる青年が、わざわざ山の案内役におりて来たのに、紹介されたりして、急に心強くなつた。それに霧ヶ峰の地質や生物についての科学的予備知識も与へられた。

翌日東餅屋あたりで、自動車をおりて坂を登りはじめた時、私は今年の不順な天候で夏以来悩んでゐた呼吸器に圧迫を感じ、これはちよつとこまつたと思つたが、やがて一ト休みして、宿で長尾氏に捲いてもらつた捲ゲートルを取はづしてからは、ずつと楽になつた。登りといつても格別嶮岨といふほどではなかつたし、長尾氏は私の足を見くびつて、普通二時間半のところをその倍の五時間といふ、ハンデイキヤップの附け方なので、勿論そんなにかゝりはしなかつたけれど、兎に角休み〱銀鼠のベイルに包まれた緑の山の姿を指呼のあひだに眺めつゝ、鷲ヶ峰の麓をもすぎて、やがて<ruby><rb>八島</rb><rt>やしま</rt></ruby>ヶ池の畔へおりた頃、雨がぼち〱落ちて来て、間近の山の尾根に刷かれた灰色の水煙が、ふわ〱と低迷してゐた。池畔は<ruby><rb>薄</rb><rt>すすき</rt></ruby>が密生してゐた。池といつても水は涸れ涸れで一面<ruby><rb>絨毯</rb><rt>じうたん</rt></ruby>を敷詰めたやうに、苔のやうな草で蔽はれてゐた。長尾氏が高層湿原地といつた意味も、八島ヶ池と鎌ヶ池との水溜りをもつたこの一帯の沼地を見て成程と頷ける。

一行四人はスキイヤアのために造られた小屋の一つへ入つて、形ばかりの炉辺に腰掛をもち寄つて、落葉松の枯枝や板屑などを拾ひ集めて、火を焚きはじめた。小屋には牀もない。土のうへに藁を敷詰めて、上に<ruby><rb>蓙</rb><rt>ござ</rt></ruby>をしいたゞけである。どこもかしこもじめじめしたもので、こゝにスキイヤアが、多勢泊ることもあるらしいが、無論都会人向きではない。私達は湯をわかして、ゆつくり弁当をつかつた。長尾氏から狐や兎や<ruby><rb>貉</rb><rt>むじな</rt></ruby>の話を聞きながら、たばこをふかしたり、林檎を噛つたりしてゐるうちに、銀鼠色の<ruby><rb>烟雨</rb><rt>えんう</rt></ruby>が、つい入口に近い叢のなかに佗しく咲いた<ruby><rb>深山竜胆</rb><rt>みやまりんどう</rt></ruby>や、多少薄べつたく変形した薄色の<ruby><rb>薊</rb><rt>あざみ</rt></ruby>の花などを掠めて、這ひ寄つて来た。枯れ〲の草はびしよ〱してゐた、私達は急いでそこを出発したが、不運なことには雨は段々強降りになつて、しかも道は辛うじて先導の長尾氏の足迹を辿つて通れるくらゐの、茫々と果しのない<ruby><rb>薄</rb><rt>すすき</rt></ruby>ヶ原のなかの、道といへば道だが、濡れた草を手と膝で掻きわけて行くので、二、三十町も行くと、靴もトラウザアもびしよ濡れになつてしまつた。草の根から水の湧きだしてゐる黒く粘土と岩石とのだら〱した傾斜を上つたり、降つたりしてゐるうちに、私達は既に海抜六千尺弱の霧ヶ峰の頂上へ登りつめてゐた。大きな火山岩の<ruby><rb>磊々</rb><rt>ごろごろ</rt></ruby>した防火地帯へ来ると、やがて堂々たるホテルの体形をとゝのへた長尾氏のヒユッテが左手の少し低いところに見えて来た。後ろを振りむくと、青緑色の山の額や肩や腰が、深い雲霧の隙を<ruby><rb>偸</rb><rt>ぬす</rt></ruby>んで私達の足の疲れを<ruby><rb>犒</rb><rt>ねぎら</rt></ruby>つてくれる。多分それは大笹峰や<ruby><rb>蝶々深山</rb><rt>てふてふみやま</rt></ruby>、車山、<ruby><rb>蓼科</rb><rt>たてしな</rt></ruby>山などであつたろう。

ヒユッテのことは、書くと長くなるから省略しておくが、テックス張りの壁や、三重造りの窓や、四尺四方もあるやうな二つの炬燵などを見ると、スキイシイズンの冬期の雪吹雪が思ひやられるとともに、私達が翌朝雨の晴間に垣間見ることのできたアルプス連山の麗容を間近に眺めつゝ、六千尺の高原地で、銀嶺に輝く紫外線を浴びつゝ、峰から峰へ跳躍するスキイの愉快さは想像するに余りありである。

私達は長尾氏の歓待にくつろぎつゝ、一夜をそこに明かして、翌日の午後雨のなかを上諏訪へおりて来た。そして<ruby><rb>布半</rb><rt>ぬのはん</rt></ruby>の温泉で冷えた体をあたゝめ、濡れた洋服や靴を乾燥室へあづけた。