Soranoha

天竜川

てんりゅうがわ

小島 烏水

一

山又山の上を、何日も偃松はひまつの中に寝て、カアキイ色の登山服には、松葉汁をなすり込んだ青い斑染まだらぞめが、消えずに残つてゐる、山を下りてから、飯田の町まで寂しい宿駅を、車の上で揺られて来たが、どこを見ても山が重なり合ひ、顔を出し、肩を寄せて、通せん坊をしてゐる、これから南の国まで歩くとすれば、高い峠、低い峠が、鋭角線を何本も併行させたり、乱れ打つたりして、疲れた足の邪魔をする。山越しに木曾路へ出て、汽車に乗るとすれば、トンネル又トンネルがあつて、この温気に、土竜のやうに、暗の窖あなを這ひ、石炭の粉の雨を浴びなければならない。

けれども、山の町から一直線に、傍目も触らず、広々とした南の国の、蜜柑が茂り、蘇鉄そてつが丈高く生えてゐる海岸まで、突き抜ける天竜川てんりゆうがはといふ道路があることを私は知つてゐる、しかも日本アルプスで、最も美しい水の道路であり、水の敷石であることを知つてゐる、この道路はどんなことがあつても、酸化したり腐蝕したりすることは先づ無い、今まで頑なな、鉄糞のやうに、兀々こつ〱した石の上で、寝起してゐた身が、濃青こさをの水、情緒の輝やきに充ちてゐる自由な川波に乗つて、何千尺の高さから、大洋の水平線まで、一息に下り切るといふことが、「船さして雲のみを行く心地しぬ、名も恐ろしき天あめの中川」といふ、この川を詠んだ古歌の心を、味ふのに十分であらう、金剛杖の代りに櫂、馬車や汽車の代りに、亜米加利の印度人が、操つたやうな、原始的な、軽い、薄ッぺらの板舟で、五十里の峡谷、それもおそらく日本に類のない深谷を下られるといふ道路は、他のいかなるそれよりも、美しい幻影に富んでゐるに違ひない。

今でこそ衰滅の俤しか残さないが、覊旅きりよの人たちに、古典的の壁画を見つめさせるやうに、すがれた色彩と、暗い陰影を味はせる東海道にあつても、この天竜川は、音に名高い大河であつた、小天竜大天竜は、川筋の変つた今では、その跡をたづねられないが、名だけは古い地理書に残つてゐる、

「十六夜いざよひ日記につき」の女詩人は、河畔に立つて西行さいぎやう法師ほふしの昔をしのび、「光行紀行みつゆききこう」の作者は、川が深く、流れがおそろしく、水がみなぎつて、水屑みくずとなる人の多いのにおびえてゐる。

日本の歴史の恐怖時代といふべき、平家の末路から、鎌倉の執権政治にかけて、悲壮なる運命劇は、何故か東海道の河畔で演ぜられたのが多い、承久の乱に鎌倉に囚はれて、東下あづまくだりの路すがら、菊川きくがはの西岸に宿つて、末路の哀歌を障子に書きつけた中御門なかみかど中納言ちうなごん宗行むねゆき卿きやうもさうである。「菊川に公卿衆泊りけり天あまの川がは」(蕪村ぶそん)の光景は、川の面を冷いやりと吹きわたる無惨の秋風が、骨身に沁みるのをおぼえようではあるまいか、更にそのむかし、平家の公達きんだち、重衡しげひら朝臣あそんが、西海さいかいの合戦にうち負け、囚はれて鎌倉へ下るときに、この天竜川の西岸、池田の宿に泊つて、宿の長者熊野ゆやが女むすめ、侍従の許に、露と消え行く生命の前に、春の夜寒の果敢ない分れを惜しんだことは、「平家物語」に物哀しくしるされてある。

かの近松の道行振りなどの、始祖をなしたかとおもはれる「太平記」の、俊基としもと東下あづまくだりは、私などが少年時代に、よく愛誦したものであるが「旅館の燈幽にして、鶏鳴暁を催せば、匹馬風に嘶いて、天竜川をうち渡り、小夜さよの中山越え行けば、白雲路を埋み来て、そことも知らぬ夕暮に……」といふ七五調の、メロヂアスな文句は、いかに大河を横切つて、死にに行く身の悲壮なる光景を、夢幻的に現はしてゐるであらうか、東海道の美しい歴史は、文化の京都から、野蛮の関東へと、廃頽して行く筋道となつて開展される、王朝時代のデカダン詩人、業平なりひらの東下りは、哀れにも華やかな序幕を明けた、さうしてそれから後に、多くの「東下り」なる悲劇が、殊に多く川の岸を舞台として、演ぜられてゐるのは、注意すべきことであらう、行きて返らぬ川の姿と、石にせゝらぐ水の啜り泣きと、荒涼として河原蓬よもぎの風にそよぎ、蘆花の衰残する川景色は、さなきだに寂滅為楽の虚無思想を、背景としてゐる当時の人たちに、いかにやるせない心の悶えを起させたであらう。されば大河を前に、うつろひ易い人生の姿を見てあれば、「水無月みなづきや人の淵瀬の大井川」(蓼太れうた)といつたやうな感じに打たれないものはなかつたであらう。

かくの如きは、古くから日本の文学を裏付けてゐる無常観で、あまりに常套な、又あまりに感傷的な句ではあるが、しかも時の姿、流れの姿は、人の身の上ばかりでなく、川それ自身の栄華をすら、鼠色に暮れゆく川上の、遠山とほやまに沈む斜陽のうす黄色の中に、うすら寒い谷の影を、描き出されるやうになつた。

未だ木曾街道に、汽車の出来なかつた頃は、河舟の数二千五百艘、搭載量二万七千四百石と唄はれた、下り船上り船の往き交ふ繁昌も、今では火の消えたやうに寂びれ切つて、偶たまたまに川下りをしようとして、河畔に立つ旅人があつても、船が出ないために、空しく失望して引き返さねばならなかつた、私も二度ばかりさうした憂き目を見て、心ならずも傍路へ外らされた。

しかもこの儘に、埋没させるには、あまりに華やかに、あまりに麗はしく、若々しい川の姿である、Rev. LO, Roke といふ日本へ来たことのある英国人は、五六年前、倫敦の王立地学協会で、講演して、「およそ全世界に見られ得るほどの川の純美は、凡て天竜川にあつまつてゐる。ライン河を下り、ダニューブ河を下つたが、到底天竜川に及ばない」とたゝへてゐる、私はライン河もダニューブ河も知らないが、天竜川の延長五十四里、その中の三十里は日本アルプスの屋棟やねともいふべき信州を流れて、川幅が最も狭く、傾斜が最も急で、岩石の中でも、最も堅硬な花崗岩や、結晶片岩の中を流れてゐるといふ浸蝕谷であるから、この川の特色としては、かの欧洲アルプスから、地層の走向に沿つて流れ出るローンや、ラインのやうな、水平らかにして、幅濶く、流れの遅々とした谷に比べて、もつとフレッシュで、もつと純粋で、もつと深谷的ゴルジ・ライクなものであらうとおもはれる。

しかのみならず、私は憫れなほど、水に欠乏してゐる都市に住んでゐる、水も何米突若干銭と、秤量しやうりやうにかけるやうにして、高い租税を払はなければ飲めないばかりか、川水の姿を見ようとすれば、鉄橋の下の、鉄漿溝おはぐろどぶのやうに、どす黒く濁つた水を、夕暮の空に、両岸の燈火の幻影で、美しく粉飾して、眺めくらして、はかない欲望を充たすのである、さもなければ、偶たまに古城の御濠の水を、石垣の曲りくねつた黒松の行列や、埃だらけで、灰色に化けてゐる名ばかりの、青柳の樹影に、透かし見て、水藻や、バクテリアで、毒々しく淀んだ、沈滞腐敗した水のおもての青みどろの色に、淡い哀愁の情を寄せてゐなければならない。私たちの祖先は、森蔭に眠り、水辺に浴みしたであらう、水を追うて都市に出て来たであらう、もし私たちに水の都を慕ふ情緒を、許されるならば、日本アルプスの雪の山、氷の山で、閉された、厚ぼつたい、森厳にして冷酷な周囲の中から、きはめて繊細な、しかしながら尖鋭な、鎌の刃を閃かし、この鉄壁を突き通し、縫ひ通し、岩石の心臓から、谷間の狭い喉頭を通過して、深い深い、大きい大きい、太平洋へ出る銀色の川の姿に、見惚れないで何としよう、見惚れるばかりでなく、たとひ一日二日なりとも、絶えず動揺し、奔放する水の線の上に、住まつて見たい、一髪の間を隔てゝ、耳許に水音を聞くだけの、生活をして見なければならぬ。

私は飯田から二里ばかりある、時又ときまたといふ船の出るところまで、車を走らせた。

二

渚には空船が底を空に向けて、乾されてゐる、川岸には荷を積みかけた船が、纜もやつてゐる、私はこの荷船に乗るのである、どうせ積荷を主な目的とする船であるから、無理やりに、荷物の中へ割り込んで、坐るぐらゐの窮屈は、忍ばずばなるまい、何となれば時又から、一日で、天竜の下流、鹿島かしまに達するまでの「通し船」を、傭ふには、非常に高い賃銀を払はせられるので、私のやうな日本アルプスの貧しい巡礼に、貴族的の豪奢を、要求することに当るからである、私は時又から満島みつしままで、八里の間を、この荷船に便乗し、満島から西の渡とまで、九里の間は、村落蕭条として、荷船さへ通はないだけ、それだけ、天竜川が怒吼激越の高調をして、深谷の怖ろしい姿が見られるのであるから、その距離だけを、別に船を仕立て、西の渡とから鹿島までは、毎日客船が出るさうであるから、それに乗り換へることにしたのである。

時又は川添ひの間の宿で、一寸した料理屋が川端にある。浴衣を着た、白粉剥げのした女が、素足に草履を穿き、川縁に立つて、名古屋訛りの言葉で、船頭に言伝てを頼みながら、手紙を渡してゐる、船はその茶屋の側から出る、これが港であつたら、黒い船、赤い船が、檣ほばしらや烟突を、林のやうに立たせ、重々しく鎖を引き擦り、錨を卸して、青い海の上と、焼けるやうな赤い雲の下に、装飾的に行列してゐるところであるが、この奇体な、みすぼらしい川船は、渚に繋がれてゐるのはいかにも迷惑さうに、航海者が慄気おぞげを震ふ風なんぞは、一向に平気だといふやうな顔をして、一寸した水のうねりにも、神経をピリリと動かせ、今にも水の底を潜りかねない気配をして、待ちくたびれてゐるげに見える。船体を白く塗つてゐないから、白鳥とは見えないが、又鰭を振る魚とも見えない、船の長さ七間半、幅四尺、深さ三尺ぐらゐで、両方の舷側には、小さな穴を明け、棕櫚繩で、長さ九尺ぐらゐもあらうかといふ樫製の櫂かいを、左右に二挺結びつけてある、櫂の折れ目に鉄環でツギをあてたのもある。

船の中には、竹棹が何本となく抛り出されてある、その棹の先には、鉄の環が二つ嵌り、尖端は木槍の身のやうに、細く削つてあるが、岩石を烈しく突き立てると見えて、サヽラか草楊枝のやうに裂けてゐる、荷物を見廻すと、菓子、酒、塩、饂飩、殻類「殻類」はママ、提灯などが積まれ、「濡れ物、御用心」など紙札を張つたのもある、荷物がなければ、一船に定員二十五人を詰め込むのだそうであるが、今は人の方が附けたりなので、四五人の乗客しかなかつた。

薄ツぺらの船板は、へなへなしなつて、コルクみたいに柔らかく、水をいなすから、板と言つても、帆布カンヴアス一枚で、漂流するやうな気もされる、一人の船頭は艫に立つて、櫓を操り、一人は舳先に立つて、水先案内の役を務める、外に船頭が二人で、両舷の櫂を、ボートのやうに水にピタピタ入れると、瀬の音がさらさらと鳴り始める、岸から水中へ辷り込んだとおもふと、物に魂でも入つたやうに、ツイと放れた。

船底がゴブゴブいふ、雨風に窶やつれた船の、心臓が喘ぎ喘ぎ波を打ち出した、もう水に流れ始めると、先刻感じたやうに、柔らかい帆布でもなく、水を泳ぐ魚でもなく、角度角度が前後両翼の櫂で決まつて、白い石の土堤、桑畑、荒壁の土蔵、屋根の上のゴロ石などが、引いて取られるやうに、すつと後へ退り、川上の伊那山脈は、紫陽花色あぢさゐいろの、もくもくした雲の下へ捻ぢこまれて、強烈な印度青インチゴーの厚ぼつたい裾も、前なる草山のうしろへ、没してしまふ。

「筏の行つたあとを通るだなあ」「白い瀬の東下りるだよ」と、舳先からは艫の方へ声をかける、中の船頭は、鉄の環の入つた竹棹を、水にグイと入れる、眼に見えない強い力で、両手を引ツ張られ、グルグル引き廻されて、惰力のついたところで、抛り出されたやうに、船はいきほひづいて、滅入るやうに前に俯かゞんで、又ひとうねりの大波を乗つ越すと、瀬の水は白い歯を剥き出して、船底をがりがり噛み始める、水球が飛び散つて、舷側は平手で、ぴちやぴちや叩かれる音がする、腰の廻りへ、袴のやうに蓆ござを着て、鮎を釣つてゐる人が、水沫しぶきの中で掻き消されて、又しよツぱい顔が浮ぶ。

「親殺し」といふ崖の下で、水は油を流したやうに、澄んで、今までのさわぎは忘れたやうに、けろりととぼけてゐる。

「磧かはらへついて廻したぞ」と、艫の方から声がかゝつたが、夕立のやうに、水がざわついて、小さな水球が、霧雨きりさめとなつて飛んで来たので、もう名高い天竜峡に入ツて来たと知つた、竜角峯とか、何々石とかいふ岩石が、水ですり磨され、覇王樹シヤボテンのやうに突ツ張つて簇むらがつてゐる、どの石もみんな深成岩しんせいがんと言はれてゐる花崗岩くわかうがんで、地殻の最下層の、岩骨が尖り出て、地下の神経を剥き出しにしてゐるのである、岸と岸との間は、おそらく十五米突メートルぐらゐな距離しかあるまいが、この並行線は、いつまでも一致しないで、喰ひ合はうとしては離れ、離れては又曲りくねつて、その間を玉虫のような、翡翠ひすいのやうな、青葡萄のやうな水が、すうい、すういと流れ、表をかへすと、雪のやうな白い裏地が見える、崖の骨に喰ひついて、萱草かんぞうの花が火を燈したやうに、黄色く咲いてゐる、船はもうハムモツクのやうに、空と水の境を揺られる。

崖の出口の、寺が淵へ来ると、騒ぎくたびれた水は、しんとして、静まりかへる、それもしばしで、オハチへ来たころは、渦まく水が強い呼吸で、吹き分けられたやうに、落ち込みが出来て、浪の中に二三尺の穴が明く、船はその中へ吸ひ込まれさうになつて、大岩の曲り角へと突つかけて来ると、竹棹が崖へ飛びついて、弓のやうにしなふ、一人の船頭は櫂で舷をコトコト叩いて、上り船に信号をする、ざんざの水音と、コトコト叩く櫂の音が、入り乱れるが、その櫂の音は、力のない音響の一滴に過ぎなかつた、私はこの櫂で叩く音を、簡単な上り船への信号とのみ見たくない、チエンバレイン氏が「日本のアイノ」に描かれたやうに、水中の窪魔あまを、追ひ退けるため、水を追うて川を下りたといふおまじなひが、今でも無意識に伝はつてゐるのでは、あるまいかと考へた。

コアゼの大滝へ来たときは、どんどろの水が、沸り落ちて、船は麻痺した身体が、動かない手足を、じたばたさせながら、何とも仕方ないやうに、立ちすくんでしまふ、舳先の船頭が、手練で舞はす櫂は、蜻蛉とんぼの薄羽のやうに、鮮やかにキラリと光つて水を切つても、船は水底の、世にも怖ろしい執念の力で、引き留められるやうに、行き悩む、中なる船頭が、木彫の仁王のやうな、力瘤の入つた筋肉を隆くして、丁字櫂を握つたまゝ、踏ん反り返り、合掌に引いてゐるのが、千曳の大岩でも、水底から引き上げるやうに力瘤が入る、水と船との死物狂ひの闘ひを、小面の憎いほど知らん顔して、煙管を横銜へに、竹の網を張りながら、こつちを瞰下してゐる男がゐる。

竹棹で大きな白い岩を突かうとした船頭は、帽子を水の中に落して、あつと言ふ間もなく、塵芥のやうに、黒い点となつて、引ツたくられてしまつた。

この辺の川は、むかしは大岩だらけで、いく船を打ち割つたものださうだが、今でも俵石などいふ巨大な岩塊が、水の上へ背を露はしてゐる、朝に一本の歯を抜かれ、夕に一本の角を折られるやうに、岩石は切り開かれて、川路は作られても、洪水や風雨が、後から後から、大小の石を転ばして来ては、一水もやらじとやうに、邪魔をする。

大久保の長瀞とろへ来たときは、水は湖沼のやうに、穏やかな、円かな夢でも見るか、ひつそりして、やんわりと大様な亀甲紋が、プリズムの断面を見るやうに、青硝子色をしてのんびりとひろがつてゐる、乗客たちは、安心したやうに、濡れた袂を絞るやら、マツチへ火をつけるやらしてゐる、銜へ煙管に膝を抱いて、ポカンと青い空を見てゐるのもある、竹棹の先の鳶口を、岩に引つかけ、船を右舷に傾斜させて置いて、船底の片隅を、溝をなして流れる閼伽水あかみづを、短い汲桶で、酌み出しては、川へ抛りこむ。

大久保といふ村落のあるところを過ぎて、峡間がひらけたかと思ふと、あまり高くはないが、日本アルプス系の一峯が、遠い空に聳えてゐる、おもひ出せば、或時は夕暮の夏の、赫々たる入日に、鋼線はりがねが焼き切れるやうな、輝やきと光沢を帯びて、燃え栄つてゐたのも、是等の山々であつた、その山の白い頭を、いや白くして、白金プラチナの輝やきを帯びてゐた氷雪が、日の光と、生命の歓楽に、よどみを作つて、房々とした黒髪の長い処女の森を通り抜け、何千年となく無辜むこの生霊を葬つてゐる、陰惨たる洞窟から、滲み出て、異教徒のやうに、反抗の叫びを高くして、放浪児のやうに、刹那々々の短い歓楽を謳歌して、数千万の水球の群れが、山と山とに囲まれてゐる狭い喉を、我克がちに、先を争つて通過してゆくのである、一分一秒は、白く泡立つ波と、せゝらぐ水の音に、記録されてゐる、凡ての雰囲気が、みんな水に化けてしまふかとばかりに、一団の雲とも、水蒸気ともつかぬ精力エネルギーになつて、吹つ飛んでゆく。

谷川の水であるから、海にあるやうな深い水の魔魅まみはないかも知れない、けれどもまた海の水のやうに、半死半生の病人が、痩せよろぼひて、渚をのたうち廻つたり、入江に注ぎ入る水に、追ひ退けられたりする甲斐性なしとは違つて、冷たい空の下でも、すゞし絹のやうに柔らかに、青色の火筒ほやのやうに透明に、髪の毛までも透き通るまでに晶明に、地球上最も堅固な岩石の、花岡岩「花岡岩」はママをすら、齲歯むしばのやうにボロボロに欠きくづして、青色の光線を峡谷に放射し、反射して、心のまゝ、思のまゝに、進行する見事なる峡流カニヨンの姿は、豪奢な羽を精一杯にひろげて、烈々たる日光の下で、王者の舞ひを舞ふ孔雀の威よりも、大きく見える、私は水の青色と、絶え間のない流動の姿とで、沈欝な気分を圧伏され、神経を静かに慰安されたやうになつて、一枚のハンケチを顔の上にかぶせ、仰向きになつて、暫らく青空を見つめてゐた、それも眩ゆくなつたので、崖へ視線を落すと、崖には山百合の花が、白く点々として、芳烈な香気が川風に送られて、鼻腔へ入る、秋は紅葉が赤くなると、どのくらゐ美しいかと、土地の人らしいのが、自慢話をしてゐるのを、聞くともなく聞いてゐるうちに、自分ながら眼晴ひとみが、あやしく散大するやうで、凡ての物が面帕ヴエールを透すかして、遠く小くなり、感覧があるのか、ないのか解らぬほど鈍くなり、恍惚として、夢ともなくうつゝともなく、寝てしまつたが、ちらりと光つた青色の水の姿で、目が冴えて、起き上つた。

川はいま段落をして、船が引きずり卸されるやうに、下向きになつたかとおもふと、船頭たちは櫂の手を休めて、無抵抗主義に乗り越える、その時は爪先が立つて、前へ俯のめるやうな気がして、人々は思はず、荷の上の油紙を引き寄せ、腰から下へ、前垂代りにかけながら、水面の恐ろしい傾斜を、まざまざと正面に見せつけられた、「唐傘谷といつて、難所でさあ」と船頭は平気である。

つゞいて茶々淵ちや〱ぶちの大難所が来る、水の多いところを避けて、船は右へ左へと、一個の肉体を、自由自在に運動の継続で、調節させるやうにして、Zの線を描いたり、蛇の舌をぺろぺろさせるやうに、突進して、鋭く迅く速力を出したりして、水の音楽と、姿態と、拍子とに、合奏させてゐたが、八間岩はちけんいはといふ大屏風を引き廻して、峡流カニヨンも横ざまに線を引いたやうに、一頓して落下する、もう峡流といふより、飛瀑と言つた方がいゝ、船頭はこゝで一人残らず、客を陸をかに上げてしまつた。ビシヨ濡れになつても、かまはぬと最後まで、残つてゐた私をも、追つ立てるやうにして、陸上の人としてしまつた。

空に引き渡した鋼線はりがねに縋つて通ふ渡し舟を、見ながら、私たちは、河原の石コロ路を、二三町も歩いた、傘も下駄も、船の中へ置き去りにして、尻ッ端折になつて、炎天の焼石の上を、腫れ物に障るやうに足袋裸足で歩いてゐる乗客もある、河原には埃を浴びて白くなつた萱草かんぞうの花の蔭から、蜥蜴とかげの爬ひ出す影が、暑くるしく石に映る、今夜の泊りの「満島みつしままではまだ四里半もありやす」と、道伴れになつた同船の客から聞いて、傘をさしかけ、磧かはらにしやがんで、下つて来る船を待つ、河原に焚火をした痕と見えて、焦げた薪や、灰が散らばつてゐる、溺死人でも、あつたんぢやないか知らんと思ふ。

暫らく停まつて呼吸を入れてゐた船は、こつちを目がけて、走つて来る、難所中の難所といふ、やぐらの瀑へかゝつて来たときは、波から三尺ばかり船体が乗り出したと思ふと、水煙が噴水の柱のやうに立つて、船頭の黒い立像が、水沫しぶきの中から二体浮び出た、火影に映る消防夫の姿のやうに。

乗客一同は又迎へられて、船中の人となつた、榎の渡しを横に見て、川田かはだ温田ぬくだの二村のあるところで、乗客は大体どつちかの村へ下りた、饂飩五函、塩一俵が岸に揚がつた、村近くなつて、峡流カニヨンも静かになり、米を舂く水車船も、どうやら呑気らしい、御供ほやといふ荒村にしばらく船をとゞめて、胡桃の大木の陰になつてゐる川添ひの、茶屋で、私たちは昼飯を食べた、下条村の遠州ゑんしう街道かいだうが、埃で白い路を一筋、村の中を通つてゐる、ここで、又残りの荷があらかた卸された。

今まで峡流カニヨンには珍らしいほど、屈曲の少なかつた天竜川は、こゝで急な瀬と、深い淵を挟んで、大屈曲をしてゐる、崖は漆喰で固めたように、石を揷みつけ、それに根を下した紅葉の一枝が、紅を潮さしてゐる、日は少し西へ廻つたと見えて、崖の影、峯巒ほうらんの影を、深潭に涵ひたしてゐる、和知川わちがはが西の方からてら〱と河原を蜒うねつて、天竜川へ落ち合ふ。

両岸が円い石を束ねて、水はその中に狭められて流れてゐる、白壁の土蔵が、柳の樹の間から、ちらほら見える、船からは、酒樽を渚のほとりへ揚げ、船頭が口へ手を当てゝ、オーイと呼ぶ、岸の上から人が覗いて、何か言つてゐる、船頭は今朝の女から、言伝ことづかつた手紙を、樽の上へそつと置き、小石を重石代りに乗つけて、又船を川中へ押しやろうとすると、河原について、瀬が浅いので、がりがり言ふばかりで、動かない、二条の細引を舳先に括りつけ、二人して水の中へ入りながら、深いところまで船をおびき出して、動き調子がついたときに、手繰りながら船に躍り込む。

川はSエス字状に屈曲して、浅瀬と深淵と落ち合つて「捨粟の大曲り」を行く、左岸の峯は雲つくばかりに立ち上り、日の光も森にかくれて、燻んだやうに暗く、森の中には、枯木が巨大な動物の骨のやうに、散乱してゐる、崖から庇のやうに突き出た大石の上には、大木が根ぐるみ乗りかけてゐる、冷たい風が、川水を吹いて、裾から腋の下、背から襟へと、駈けめぐつて、そこら中をくすぐつて、振り返る姿を川波に残して、通りぬける。石から石の上を飛びめぐる鶺鴒せきれいと筋交ひに、舟は両崖の迫つた間の急湍を、櫂を休めて悠々と乗つ切る、川には筏に組む材木が漂ひながら岩に堰かれてゐる、王子製紙会社の紙の原料で、中部なかつぺの支社で、製するのだといふ。

右岸から和田川を併せて、船はこよひの泊りの満島の土堤を仰ぎ、高い岸には屏風に張り交ぜた色紙のやうな畑を見るやうになつた、ふと眼の前にそゝり立つ大きな岩に、吸ひつけられさうになつて、櫂を斜に構へ、岩の根をコヂリ上げるやうにして、やつと放れたが、岩石が目まぐるしく多くなり、灘が急になつて、村とはいへ、船着きがよくない、やうやく船を纜もやつて、私は船頭におぶはれて、岸に着いた。

白い土蔵が、山腹に見えて、水車がゴト〱舂うすづいてゐる、鶏が餌を捜してクッ〱啼いてゐる、傾斜のゆるい坂路の村の中には、荒物屋があつて、夾竹桃の花が、その庭に真ツ赤に咲いてゐる、導かれたのは村長で、旅宿屋はたごやを兼ねた田村為輔といふ人の宅で、離れ二階の広い座敷へ通された、良材を惜しげなく使つた建築で、畳も新しく、床の間には、七宝焼の瓶に、美しい草花が投げ込まれ、鹿の角の飾物や、金蒔絵の硯箱が置かれてある、静かな庭には、杉や、棕櫚や、柳のしなやかな枝振りなどが、今までの動揺した気分を鎮めてくれる、それに天竜川は深く落ち込んでゐるので、もう二階からは見えない、浴衣に着換へ、欄てすりに倚つてると、屋いへの背うしろには、峯を負ひ、眼の下には石を載せた板葺家根が、階段のやうに重なつて、空地には唐もろこしを縁に取つた桑畑が見える、苗代田が青く光つて、水はその間を、縦横に流れてゐる。

谷の中が、黄な臭いやうに、ボーッと明るくなつたとおもふと、高い空を浮ぶ雲が、夕日を受けて、鈍い朱に染まつた、蜩ひぐらしが、時間を一秒一秒刻み込んで、谷の中へ追ひ込んでゆくやうに、キ、キ、キと啼き落す、杉林の一本々々の樹が、どちらから寄るともなく、塊まつて、黒い法師のやうになつて、囁き合つてゐる。

夜になると、こつちの岸と、向うの岸の半腹に、燈火が螢火のやうについて、神寂びた寺院の廻廊か、大森林の秘奥にともす法燈でもあるかのやうに、ひつそり閑となつて、その間に薬研やげんのやうな天竜の大峡谷があるともおもはれない。

三

朝霧が山村を罩こめて、鶏の声が、霧の底から聞える、黄色い南瓜かぼちやの花に、まだ夢が残つてゐるかして、寝惚けた姿をしだらなく大地に投げ出してゐる、ぼツと白壁が明るくなる、森がうつすらと、烟つぽい緑を、向うの山の懐に、だんだら、染めに浮かせる、起き上つて支度をする頃は、方々の家から、軽い炊煙が立ちはじめた。

昨日は時又から、この村まで八里の間を、荷船に便乗したのであるが、その船はもう南へは下らないので、特別に一艘仕立てさせ、西の渡とまで、九里の間を下すことにした、高価を払つて買ひ切りにしたのであつたが、船へ来て見ると、旅商人が二人、ちやんと乗つてゐる、のみならず人の行李、鍋、釜、白樺の皮(薪材)まで、幅を利かせて積み込んである、山間の船頭には、昔の雲助のやうな、押の強い風が残つてゐて、買ひ切りであらうが、何であらうが、一人でも余計に乗せて、賃銭を取れゝば取り得としてゐる、併し先を急ぐ旅であるのと、重荷をしよつた旅商人に、苦労をさせるでもなからうと思つて、強ひて咎め立てもしなかつた。

満島を放れるころ、朝日が東山の端を放れ、水の光が艶をもつて、石の傍を白くちよろ〱走るのが、魚のやうである、ふと見ると、西岸は日光を浴びて、樹の影が水に落ち、とろりと澄んだ濃藍の長瀞ながとろに、樹の梢は、すくすくと延び上つて、水鏡をしてゐる、川はひつそりと音もなく、蒸々じよう〱と立ちのぼる峡谷の朝霧の底を、櫓の音が、ギイギイと静かにひゞく、森の下蔭を通りぬけ、浅瀬の上を乗越して、信州から遠州境へ近くなつて来た。

ふり仰げば、北方の緑に包まれた山々は、遠山川とほやまがはが深く侵蝕してゐるために、谷の通路に当るところだけが切り靡けたやうに低く開けて、北東に日本南アルプスの大主系だいしゆけい赤石あかいし山脈さんみやくの、そゝり立つ鋼鉄の大壁、夏を下界に封じて、天上の高寒は、はや冬のやうに、透明凛烈の青みどろに澄みわたり、乾きわたつてゐる虚無の中に、鋭角線を引き飛ばして、強い鋼筆で、透明な硝子板ガラスいたに傷をつけたやうに、劃然と大波を打つてゐる。

左岸に鶯巣うぐすの山村を眺めながら、いつしかこの地方特有の領家片岩の露出区域に、峡流カニヨンを南へ南へと導いて、水神すゐじんの大滝にかゝる、渦と渦とが、ぐるぐるめぐりに噛み合ひ、大気を含んだ透明の泡が花弁のやうに、むらむらと水底から湧きあがり、白く尖つた波が、ざわざわと鱗光りに光る中を、櫂を休めた船は、爬虫類のやうに、濡れ色になつて、するりと乗り上げては、ついと下る、一方は石で、一方は水、急潮と静流が、衝き当り、波頂と波底との両方の点の間に、凹み谷が出来て、平坦の波紋が、網を打つたやうに、のんびりとひろがり、それを中心にして、周囲から白い尖波が、爪立つやうに小刻みに擦り寄つて、二三尺の高さの、小さい夕立となつて、水柱がザアと音して、頽くずれ落ちる、その中を蹴立てる船の姿は、沙漠を走る駝鳥のやうで、乗つてゐる私の頭の中では、せゝらぐ水につれて千本の小さい針が、さらさらと揉み合つてゐる。

えいえい声に切り抜けると、小沢の急灘が待ち設けてゐる、白い旋波が、上下運動を起して、岩石を乗り越え、二三尺も裳裾を引いて、跳舞する中を、船は舳みよしを垂れるやうにして乗り入れると、遁さじものと、船に添つて大浪の走ること、一反二反と、液体の自由の蜿りが、白蛇のやうに執念くも纒ひつき、逆流する波の速度と、正航する船の速度とが、一つに触れて、船は波頂の間に動揺するところを、黄蝶がふはりと舞ひ出で、波頭を掠めるばかりに低く水に影を映して、又ひらりと飛んでゆく。

眼の前を走りゆく両岸の光景は、川楊かはやなぎが押し流されて、河原へ仆れてゐる……葛くずの二ツ葉の細い蔓が、大石の上を捲いて、一端が川に垂れかゝつて、又反曲して空を握まうとしてゐる……崖の庇石には、ツツジが生えてゐる、川へ転げた石には、青苔がべツたりこびりついて、蘭科植物が、うつすらと生えてゐる……と見る間に、天竜川第一の難所と呼ばれた新滝にひだきの荒瀬にかゝると、川とは言へない大波が、むつくり起き上つて、鞺鞳だうたうふたる海潮音のやうに鳴りはためき、船は石と石との間に挟みつけられ、右巻左巻の大波小波の中で、押進あふしんの力を失ひ、漏斗ぢやうごの形をした中央の滅り込んだ波の底に落ちて、胴中から両断されるかと、冷いやりさせたが、さすがに海底と違つて、吸引力の無い浅瀬だから、又吐き出され、浮び上つて、ほつと一息吐いたかとおもふと、二三反するすると押し流された。それからしばらくは水の静けさ!

こゝなる東岸は、福島といつて、さしも日本のパミ-ル高原、本州を横断する日本アルプスの雪山があるために、日本の屋棟やねの中心となつてゐる信州の、最南点であり、最低地点でもある、海面からは僅かに二百米突の高さで、西岸は三河との、東岸は遠江との境界になつてゐる、船頭どもは、こゝまで来て、大役を済ませたやうに、帯締め直し、身を舷側にはみ出して、身体の重量で、船を一方に傾斜させ、閼伽水あかみづを酌み出して、船を軽くさせる。

福島からは略ぼ直流して来た川も、佐太さたと粟代あはしろとで、二回の屈曲をする、その間の高瀬では、川浪が白馬の鬣たてがみを振ひながら、船の中へ闖入して来た。水球が散弾のやうに炸裂し、霧だらけになつたが、舟は身を反らして、辷るやうに乗り越える、山国の信州を出たといふことが、直ぐにも平地か、海岸へ到着するやうに、思はせたが、そゝり立つ崖は、次第に高くなつて、水面との距離が遠くなり、石は海豚いるかのやうに、丸い背を出し、重なり合つて水にひたつてゐる、峡谷が大きくふくれて、崖の上には、杉林がこんもりと茂つてゐるかとおもへば、赤松が直射する烈日の下で、熱病でも煩つたやうに、皮膚が焦げてひよろ〱と立つてゐる。平原の地平線も見えず、海の水平線も見えないから、体力にも魂にも休養のないやうに、水と船とは、同一の方向に連続運動をつゞけてゐる、空を見上げると、鋼線が両方の岸に張りわたして「もつこ」に入れた荷物が、揺られながら宙乗りをしてゐる、片肌を脱いで渡舟に腰をかけてゐる渡し守の老人がゐる、あの人はああやつて、川添ひの柳のやうに、一日水ばかり見て暮らしてゐるのだらうか。

大谷おほたに、河内かうちなどいふ山村を、西岸に見たが、未だ人の町へは遠い、川水は肩で呼吸をするやうに、ゴホゴホと咳きあげて、大泊門おほせとの急灘きふたんにかゝる、峡谷は一層に狭くなり、波の山が紫陽花のやうに、むらむらと塊まつて、頭を白く尖らして、側から側から隆起する、船は馬の背を分けるやうにその間を通行して、ふりかへれば、雲のくづれるやうな水の爆声を聞く、長灘だの、大瀬だのを、乱濤の間に通り抜けて、イオリが滝へかゝると、峡谷は蹙ちぢまつて、水は大振動を起した、遠くの空には高い峯々が、天を衝いて、ぐるぐると眼の前を回転する、崖の上からは、石が覗いて、峯の上へは白銀の雲が、鶏冠立とさかだちに突つ立ち上つて、澄みわたつた深淵の空を掻き乱してゐる、長い峡流カニヨンに、村落もなければ、人家もない、時々色の黒い土人が、裸で鳶口をかつぎながら、胸まで水にひたつて、漂流する材木を、掻き寄せてゐるのを見るばかりである。

上り船が一隻、三人の船頭が、崖の下をしがみつくやうにして、綱を肩にして引き上げ、一人が棹を弓のように撓しなはせて、遅々として水に逆つて来たが、私の乗つてる船と、行き違はうとして、ひどい波におつかぶせられ、向うもこつちも、ヅブ濡れになつて、両方の船が、急な角度で傾斜した、向うの船頭がポツリと黒い点になつて、乱濤の間に小さく立つてゐる、振り返ると、もう船も人も、影も形も見えずに打捨てられた、波は白い生毛のやうに、微かに彫刻した象牙のやうに、柔らかく泡立つて、大石の下の窪みに、逆さに落ちて、渦を巻き、反流を起したかとおもふと、波浪の特質の前進運動を沮められて、船はあふりを喰ひ、一二度振り廻される、「何しろ山室やまむろの滝せえつて、遠州一の難所だあね」と船頭は後で話した。

灘をこえて、水が静かになると、両方の岸を見廻すだけの余裕が出てくる、河原には材木を伐り出す小舎がある、岩石は上流の花崗岩と違つて、小さな褶曲フオールヂングや白や褐色の岩脈ダイクが、横に帯をしめたやうな、筋を入れたのが、美しく見える。

湯島大屈曲をしてからは、松島から中部なかつぺまで、直下といつてもよかつた、東岸には中部の大村があつて、水楊は河原に、青々と茂つてゐる、裸体に炎天よけの絲楯いとだてを衣た人足が、筏を結んでゐる、白壁の土蔵が見える、紺の香のするばかりに、新らしく染め抜いた暖簾をかけた荒物屋が、町に見える、積荷はみんなこゝで揚げてしまつて、水洩れの出来た船底には、棕櫚繩をちぎつて、当てがひ、石で叩きこんで修繕をする。

川は中部の村を、包囲するやうに、北の一角だけを残して、三方を絎くけ、もう大分開けた河原の中を流れる、「豆こぼし」といふ灘は、水が急なので、二挺の櫂を一つに合せ、船頭二人の力をこめて取り縋るやうにして、漕いだが、それでも東岸には、一髪の道が通じて、旅人が通つてゐるのが、ふり仰がれる、その上に青緑の山は高くそびえ、川は勾配を急に、杉の培養林のある山を匝めぐる、久根くねの銅山が見えて、その銅山を中心に生活してゐる人たちの家が、重なり合つて、崖腹に巣を喰つてゐる。

西の渡との簇々むら〱とした人家を崖の上に仰いで、船を着けた、満島からこゝまで九里の間を、三時間半。

糀屋かうじやといふ旅籠屋に、草鞋を釈といて中食を済ました、天竜川もこゝからは、先づ下流の姿になるので、交通もしげくなり、下り船も、毎日便宜がある、船を乗り替へるため、暫らく川に臨んだ茶屋で、時間を待つてゐると、八反帆を南風に孕ませた上り船が、白地に赤く目じるしを縫ひつけて、二帆三帆と、追つかけ追つかけ、上つて来る、久根くね銅山から、銅を積み出すために、来るのだといふ、さうしてその帆には、太平洋の海気と塩分が、一杯に含まれてゐる、南へ来たのだ、太平洋が近くなつたのだ、桔梗色の黒汐が走る八重の海路が、川の出口に横たはつてゐるのも、もう遠くはあるまい、日本アルプスおろしの北風は、冬でももう、この地までは来ない、私は山から遁れた、たしかに遁れた、しかしながら私は、恋々として悲壮の谷なる天竜川の上流を、振り返り、振り返り見ることなくして、次ぎに出る客船には乗れなかつた。

底本 / Source edition

底本:「現代日本紀行文学全集 中部日本編」ほるぷ出版
1976(昭和51)年8月1日初版発行
底本の親本:「現代日本文学全集 第36巻」改造社
1929(昭和4)年8月
※巻末に「1914(大正3年7月)記」の記載あり。
※「ツ」と「ッ」の混在は底本通りとしました。
入力:林 幸雄
校正:門田裕志
2003年5月18日作成
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TEI
/works/004624_000027/tei
プレーンテキスト / Plain text
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書誌 / Bibliography
/works/004624_000027/

小島 烏水「天竜川」(新字旧仮名)、底本『現代日本紀行文学全集 中部日本編』ほるぷ出版、1976年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 004624_000027, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

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