Soranoha

二た面

ふたおもて

泉 鏡花、泉 鏡太郎

送おくり猫ねこ

話はなしは別べつにある……色仕掛いろじかけで、あはれな娘むすめの身みの皮かはを剥はいだ元二げんじと云いふ奴やつ、其その袷あはせに一枚まいづゝ帶おびを添そへて質入しちいれにして、手てに握にぎつた金子きんす一歩ぶとしてある。

此この一歩ぶに身みのかはを剥はがれたために可惜をしや、お春はると云いふ其その娘むすめは繼母まゝはゝのために手酷てひどき折檻せつかんを受うけて、身投みなげをしたが、其それも後のちの事こと。件くだんの元二げんじはあとをも見みないで、村むら二ふたつ松並木まつなみきを一帳場ひとちやうばで瓜井戸うりゐどの原はらへ掛かゝつたのが彼かれこれ夜よるの八やツ過すぎであつた。

若草わかくさながら廣野ひろの一面いちめん渺茫べうばうとして果はてしなく、霞かすみを分わけてしろ〲と天中そらの月つきはさし上のぼつたが、葉末はずゑに吹ふかるゝ我わればかり、狐きつねの提灯ちやうちんも見みえないで、時々とき〲むら雲くものはら〱と掛かゝるやうに處々ところ〲草くさの上うへを染そめるのはこゝに野飼のがひの駒こまの影かげ。

元二げんじは前途ゆくてを見渡みわたして、此これから突張つゝぱつて野のを越こして瓜井戸うりゐどの宿やどへ入はひるか、九こゝのつを越こしたと成なつては、旅籠屋はたごやを起おこしても泊とめてはくれない、たしない路銀ろぎんで江戸えどまで行ゆくのに、女郎屋ぢよらうやと云いふわけには行ゆかず、まゝよとこんな事ことはさて馴なれたもので、根笹ねざさを分わけて、草くさを枕まくらにころりと寢ねたが、如何いかにも良よい月つき。

春はるの夜よながら冴さえるまで、影かげは草葉くさばの裏うらを透すく。其その光ひかりが目めへ射さすので笠かさを取とつて引被ひつかぶつて、足あしを踏伸ふみのばして、眠ねむりかけるとニヤゴー、直ぢきそれが耳許みゝもとで、小笹こざさの根ねで鳴なくのが聞きこえた。

「や、念入ねんいりな處ところまで持もつて來きて棄すてやあがつた。野猫のねこは居ゐた事ことのない原場はらつぱだが。」

ニヤゴと又また啼なく。耳みゝについてうるさいから、しツ〱などと遣やつて、寢ねながら兩手りやうてでばた〱と追おつたが、矢張やはり聞きこえる、ニヤゴ、ニヤゴーと續つゞくやうで。

「いけ可煩うるせえ畜生ちくしやうぢやねえか、畜生ちくしやう!」と、怒鳴どなつて、笠かさを拂はらつてむつくりと半身はんしん起上おきあがつて、透すかして見みると何なにも居をらぬ。其その癖くせ四邊あたりにかくれるほどな、葉はの伸のびた草くさの影かげもなかつた。月つきは皎々かう〱として眞晝まひるかと疑うたがふばかり、原はらは一面いちめん蒼海あをうみで凪なぎたる景色けしき。

ト錨いかりが一具いちぐ据すわつたやうに、間あひ十間けんばかり隔へだてて、薄黒うすぐろい影かげを落おとして、草くさの中なかでくる〱と𢌞まはる車くるまがある。はて、何時いつの間まに、あんな處ところに水車すゐしやを掛かけたらう、と熟ぢつと透すかすと、何どうやら絲いとを繰くる車くるまらしい。

白鷺しらさぎがすらりと首くびを伸のばしたやうに、車くるまのまはるに從したがうて眞白まつしろな絲いとの積つもるのが、まざ〱と白しろい。

何處どこかで幽かすかに、ヒイと泣なき叫さけぶ、うら少わかい女をんなの聲こゑ。

晝間ひるまあのお春はるが納戸なんどに絲いとを繰くつて居ゐる姿すがたを猛然まうぜんと思出おもひだすと、矢張やつぱり啼留なきやまぬ猫ねこの其その聲こゑが、豫かねての馴染なじみでよく知しつた、お春はるが撫擦なでさすつて可愛かはいがつた黒くろと云いふ猫ねこの聲こゑに寸分すんぶん違ちがはぬ。

「夢ゆめだ。」

と思おもひながら瓜井戸うりゐどの野のの眞中まんなかに、一人ひとりで頭あたまから悚然ぞつとすると、する〱と霞かすみが伸のびるやうに、形かたちは見みえないが、自分じぶんの居ゐまはりに絡からまつて啼なく猫ねこの居ゐる方はうへ、招まねいて手繰たぐられたやうに絲卷いとまきから絲いとを曳ひいたが、幅はゞも丈たけも颯さつと一條ひとすぢ伸擴のびひろがつて、肩かたを一捲ひとまき、胴どうで搦からんで。

「わツ。」

と掻拂かきはらふ手てをぐる〱捲まきに、二捲ふたまき卷まいてぎり〱と咽喉のどを絞しめる、其その絞しめらるゝ苦くるしさに、うむ、と呻うめいて、脚あしを空そらざまに仰反そりかへる、と、膏汗あぶらあせは身體からだを絞しぼつて、颯さつと吹ふく風かぜに目めが覺さめた。

草くさを枕まくらが其そのまゝで、早はやしら〲と夜よが白しらむ。駒こまの鬢びんがさら〱と朝あさのづらに搖ゆらいで見みえる。

恐おそろしいより、夢ゆめと知しれて、嬉うれしさが前さきに立たつた。暫時しばし茫然ばうぜんとして居ゐたが、膚脱はだぬぎに成なつて大汗おほあせをしつとり拭ふいた、其その手拭てぬぐひで向むかう顱卷はちまきをうんと緊しめて、氣きを確乎しつかと持直もちなほして、すた〱と歩行出あるきだす。

野路のみちの朝風あさかぜ、足あし輕かるく、さつ〱と過すぎて、瓜井戸うりゐどの宿やどに入はひつたのが、まだしら〲あけで。

宿やどの入口いりくちに井戸川ゐどがはと云いつて江戸川えどがはをなまつたやうな、些いさゝかもの欲ほしさうな稱なの流ながれがあつた。古ふるい木きの橋はしが架かゝつて居ゐた。

固もとより身みをやつす色氣いろけ十分じふぶんの男をとこであるから、道中笠だうちうがさの中なかながら目めやにのついた顏かほは、茶店ちややの婆ばゞあにも覗のぞかせたくない。其處そこで、でこぼこと足場あしばの惡わるい、蒼苔あをごけと夜露よつゆでつる〱と辷すべる、岸きしの石壇いしだんを踏ふんで下おりて、笠かさを脱ぬいで、岸きしの草くさへ、荷物にもつを其その上うへ。顱卷はちまきをはづして、こゝで、生白なましろい素裸すはだかになつて、入はひつて泳およがないばかりに、足あしの爪先つまさきまで綺麗きれいに拭ふいた。

衣服きものを着きて帶おびを〆しめて、やがて尻しりを端折はしをらうと云いふ頃ころ、ふと橋はしの上うへを見みると、堅氣かたぎも多おほいが、賣女屋ばいぢよやのある小ちひさな宿やど、何なんとなく自墮落じだらくの風ふうが染そまると見みえて、宿中しゆくぢういづれも朝寢あさねらしい。

馬うまのすゞ一ひとつまだ聞きこえず、鳥とりも居ゐない、其その橋はしの欄干らんかんの上うへに、黒猫くろねこが一疋ぴき。

前後ぜんごの脚あし三本ぼんでのそりと留とまつて、筑波つくばの山やまを朝霞あさがすみに、むつくりと構かまへながら、一本ぽんの前脚まへあしで、あの額際ひたひぎはから鼻はなの先さきをちよい〱と、其その毎ごとに口くちを箕みのやうに開あけて、ニタ〱笑わらひで、下しもの流ながれを向むいて、恁かう、顏かほを洗あらふ、と云いふ所作しよさで居ゐた。

「畜生ちくしやうめ。」

それかあらぬか、昨夜ゆうべは耳許みゝもとでニヤゴ〱啼ないて、其そのために可厭いやな夢ゆめを見みた。其その憎にくさげな、高慢かうまんな、人ひとを馬鹿ばかにした形かたちは何どうだい、總別そうべつ、氣きに食くはない畜生ちくしやうだ、と云いふ心こゝろから、石段いしだんの割われた欠かけらを拾ひろつて、俗ぞくにねこと言いふ、川楊かはやぎの葉はがくれに、熟ぢつと狙ねらつて、ひしりと擲なげる、と人ひとに見みせつけがましく此方こつちを見みい〱、右みぎのちよつかいを遣やつて居ゐたが、畜生ちくしやう不意ふいを打うたれたらしい。

額ひたひを掠かすつて、礫つぶては耳みゝの先さきへトンと當あたつた。

爀かツと眞黄色まつきいろな目めを光ひからしたが、ギヤツと啼ないて、ひたりと欄干らんかんを下したへ刎返はねかへる、と橋はしを傳つたつて礫つぶての走はしつた宿やどの中なかへ隱かくれたのである。

「態ざまア見みやがれ。」

カアカア、アオウガアガアガア、と五六羽は、水みづの上うへへ低ひくく濡色ぬれいろの烏からす、嘴くちばしを黒くろく飛とぶ。ぐわた〱、かたり〱と橋はしの上うへを曳ひく荷車にぐるま。

「お早はやう。」

「や、お早はやう。」と聲こゑを掛かけて、元二げんじはすれ違ちがひに橋はしを渡わたつた。

それから、借かりのある賣女屋ばいぢよやの前まへは笠かさを傾かたむけて、狐鼠々々こそ〱と隱かくれるやうにして通とほつたが、まだ何處どこも起おきては居ゐない、春はる濃こまやかに門もんを鎖とざして、大根だいこんの夢ゆめ濃厚こまやか。此この瓜井戸うりゐどの宿しゆくはづれに、漸やつと戸とを一枚まい開あけた一膳いちぜんめし屋やの軒のきへ入はひつた。

「何なにか出來できますかね。」

嬰兒あかんぼも亭主ていしゆもごみ〱と露出むきだしの一間ひとまに枕まくらを並ならべて、晨起あさおきの爺樣ぢいさま一人ひとりで、釜かまの下したを焚たきつけて居ゐた處ところで。

「まだ、へい、何なにもござりましねえね、いんま蕨わらびのお汁しるがたけるだが、お飯めしは昨日きのふの冷飯ひやめしだ、それでよくば上あげますがね。」

「結構けつこうだ、一膳ぜん出だしておくんなさい、いや、どつこいしよ。」

と店前みせさきの縁側えんがは、壁かべに立掛たてかけてあつた奴やつを、元二げんじが自分じぶんで据直すゑなほして、腰こしを掛かける。

其處そこへ古ふるちよツけた能代のしろの膳ぜん。碗わんの塗ぬりも嬰兒あかんぼが嘗なめ剥はがしたか、と汚きたならしいが、さすがに味噌汁みそしるの香かが、芬ぷんとすき腹はらをそゝつて香にほふ。

「さあ、遣やらつせえまし、蕨わらびは自慢じまんだよ。これでもへい家うちで食くふではねえ。お客樣きやくさまに賣うるだで、澤山どつさり沙魚はぜの頭あたまをだしに入いれて炊たくだアからね。」

「あゝ、あゝ、そりや飛とんだ御馳走ごちそうだ。」

と箸はしの先さきで突つゝいて見みて、

「堪たまらねえ、去年きよねんの沙魚はぜの乾ひからびた頭あたまばかり、此こゝにも妄念まうねんがあると見みえて、北きたを向むいて揃そろつて口くちを開あけて居ゐら。蕨わらびを胴どうにつけてうよ〱と這出はひだしさうだ、ぺつ〱。」

と、頭あたまだけ膳ぜんの隅すみへはさみ出だすと、味噌みそかすに青膨あをぶくれで、ぶよ〱とかさなつて、芥溜ごみための首塚くびづかを見みるやう、目めも當あてられぬ。

其それでも、げつそり空すいた腹はら、汁しるかけ飯めしで五膳ぜんと云いふもの厚切あつぎりの澤庵たくあんでばり〱と掻込かつこんだ。生温なまぬるい茶ちやをがぶ〲と遣やつて、爺ぢいがはさみ出だしてくれる焚落たきおとしで、立たて續つゞけに煙草たばこを飮のんで、大おほいに人心地ひとごこちも着ついた元二げんじ。

「あい、お代だいは置おいたよ。」

「ゆつくらしてござらつせえ。」

「さて、出掛でかけよう。」

と今いまはたいたまゝで、元二げんじが、財布さいふの出入だしいれをする内うち、縁側えんがはの端はしに置おいた煙管きせるを取とつて、兩提りやうさげの筒つゝへ突込つゝこまうとする時とき、縁臺えんだいの下したから、のそ〱と前脚まへあしを黒くろく這はひ出だした一疋ぴきの黒猫くろねこがある。

ト向直むきなほつて、元二げんじの顏かほをじろりと見みるやうにして招まねき、と云いふ形かたちで蹲しやがんだが、何故なぜか無法むはふに憎にくかつた。で、風呂敷包ふろしきづつみと笠かさを持もつて立たちながら、煙管きせるを其そのまゝ片手かたてに持もつて、づいと縁臺えんだいを離はなれて立たつて出でた。

元二げんじが、一膳いちぜんめし屋やの前まへを離はなれて、振返ふりかへる、と件くだんの黒猫くろねこが、あとを、のそ〱と歩行あるいて居ゐる。

此處こゝまで堪こらへたのは、飯屋めしやの飼猫かひねこだ、と思おもつたからで。最もう、爺ぢいさまの目めの屆とゞかないのを見澄みすまして、

「畜生ちくしやう。」

と、雁首がんくびで、猫ねこの額ひたひをぴしりと打うつた、ぎやつ、と叫さけぶと、猫ねこは斜はすかひに飛とんで、早はや、其處そこが用水ようすゐべりの田圃たんぼに飛とんだ。

「おさらばだい。」

と、煙管きせるを吹ふく。とじり〱と吸込すひこんで吹殼ふきがらのこそげ附ついて拔ぬけない奴やつ、よこなぐりに、並木なみきの松まつへトンと拂はらつて、花はなの霞かすみの江戸えどの空そら、筑波つくばを横よこに急いそぐ。

トあれ見みよ、其その頭かうべを慕したつて、並木なみきの松まつの枝えだから枝えだへ、土蜘蛛つちぐもの如ごとき黒猫くろねこがぐる〱と舞まひながら。

よこしぶき

さても、其その後のち、江戸えどで元二げんじが身みを置おいた處ところは、本所南割下水ほんじよみなみわりげすゐに住すんで祿千石ろくせんごくを領りやうした大御番役おほごばんやく服部式部邸はつとりしきぶていで、傳手つてを求もとめて同おなじ本所林町ほんじよはやしちやう、家主いへぬし惣兵衞店そうべゑたな、傳平でんべいと云いふもの請人うけにんで齊ひとしく仲間ちうげんに住込すみこんで居ゐたのであつた。

小利口こりこうにきび〱と立𢌞たちまはつて、朝あさは六むつ前まへから起おきて、氣輕きがる身輕みがるは足輕あしがる相應さうおう、くる〱とよく働はたらく上うへ、早はやく江戸えどの水みづに染しみて、早速さつそく情婦いろを一ひとつと云いふ了簡れうけんから、些ちつと高たかい鼻柱はなばしらから手足てあしの先さきまで磨みがくこと洗あらふこと、一日いちにち十度とたびに及およぶ。心状しんじやうのほどは知しらず、仲問ちうげん風情ふぜいには可惜をしい男振をとこぶりの少わかいものが、鼻綺麗はなぎれいで、勞力ほねを惜をしまず働はたらくから、これは然さもありさうな事こと、上下かみしも擧こぞつて通とほりがよく、元二げんじ元二げんじと大たいした評判ひやうばん。

分わけて最初さいしよ、其そのめがねで召抱めしかゝへた、服部家はつとりけの用人ようにん關戸團右衞門せきどだんゑもんの贔屓ひいきと目めの掛かけやうは一通ひとゝほりでなかつた。

其その頼母たのもしいのと當人たうにん自慢じまんだけの生白なまじろい處ところへ、先まづ足駄あしだをひつくりかへしたのは、門内もんない、團右衞門だんゑもんとは隣合となりあはせの當家たうけの家老からう、山田宇兵衞やまだうへゑ召仕めしつかへの、居ゐまはり葛西かさいの飯炊めしたき。

續つゞいて引掛ひつかゝつたのが同おなじ家いへの子守兒こもりつこで二人ふたり、三人目にんめは部屋頭へやがしら何なんとか云いふ爺おやぢの女房にようばうであつた。

いや、勇いさんだの候さふらふの、瓜井戸うりゐどの姉あねはべたりだが、江戸えどものはコロリと來くるわ、で、葛西かさいに、栗橋北千住くりはしきたせんぢゆの鰌どぢやうに鯰なまづを、白魚しらをの氣きに成なつて、腮あごを撫なでた。當人たうにん、女をんなにかけては其そのつもりで居ゐる日ひの下開山したかいざん、木下藤吉きのしたとうきち、一番槍いちばんやり、一番乘いちばんのり、一番首いちばんくびの功名こうみやうをして遣やつた了簡れうけん。

此この勢いきほひに乘じようじて、立處たちどころに一國一城いつこくいちじやうの主あるじと志こゝろざして狙ねらひをつけたのは、あらう事ことか、用人ようにん團右衞門だんゑもんの御新造ごしんぞ、おきみ、と云いふ、年としは漸やうやく二十はたちと聞きく、如何いかにも一國一城いつこくいちじやうにたとへつべき至いたつて美うつくしいのであつた。

が、此これはさすがに、井戸端ゐどばたで、名なのり懸かけるわけには行いかない、さりとて用人ようにんの若御新造わかごしんぞ、さして深窓しんさうのと云いふではないから、隨分ずゐぶん臺所だいどころに、庭前ていぜんでは朝あさに、夕ゆふに、其その下したがひの褄つまの媚なまめかしいのさへ、ちら〱見みられる。

「元二げんじや。」

と優やさしい聲こゑも時々とき〲聞きく。手てから手てへ直接ちよくせつに、つかひの用ようのうけ渡わたしもするほどなので、御馳走ごちそうは目めの前まへに、唯たゞお預あづけだ、と肝膽かんたんを絞しぼりつつ悶もだえた。

ト此この團右衞門方だんゑもんかたに飼猫かひねこの牡をすが一疋ぴき、これははじめから居ゐたのであるが、元二げんじが邸内ていないへ奉公ほうこうをしてから以來いらい、何處どこから來きたか、むく〱と肥ふとつた黒毛くろげで艶つやの好いい天鵝絨びろうどのやうな牝めすが一ひとつ、何時いつの間まにか、住居すまひへ入はひつて縁側えんがは、座敷ざしき、臺所だいどころ、と氣きまゝに二ふたつが狂くるひ遊あそぶ。

處ところが、少わかい御新造ごしんぞより、年としとつた旦那だんな團右衞門だんゑもんの方はうが、聊いさゝか煩惱ぼんなうと云いふくらゐ至極しごくの猫好ねこずきで、些ちつとも構かまはないで、同おなじやうに黒くろよ、黒くろよ、と可愛かはいがるので何時いつともなしに飼猫かひねこと同樣どうやうに成なつたと言いふ。此この黒くろが、又また頻しきりに元二げんじに馴なれ睦むつんで、ニヤゴー、と夜よも晝ひるも附添つきそひあるいて、啼聲なくこゑも愛あいくるしく附ついて𢌞まはる。

ト元二げんじが又また、撫なでつ擦さすりつ可愛かはいがる。最もう此この頃ごろには、それとなく風かぜのたよりに、故郷こきやうの音信いんしんを聞きいて自殺じさつした嫂あによめのお春はるの成なりゆきも、皆みな其その心得違こゝろえちがひから起おこつた事ことと聞きいて知しつて居ゐたので、自分じぶん、落目おちめなら自棄やけにも成ならうが、一番首いちばんくび一番乘いちばんのり、ソレ大得意だいとくいの時ときであるから何なんとなく了簡れうけんも柔やはらかに、首筋くびすぢもぐにや〱として居ゐる折をりから、自然しぜん雨あめの寂さびしく降ふる夜よなどはお念佛ねんぶつの一ひとつも唱となへる處ところ。且かつ又また同おなじ一國一城いつこくいちじやうの主あるじと成なるにも猛者もさが夜撃朝懸ようちあさがけとは質たちが違ちがふ。色男いろをとこの仕しこなしは、情じやうを含ふくんで、しめやかに、もの柔やさしく、身みにしみ〲とした風ふうが天晴武者振あつぱれむしやぶりであるのである。と分別ふんべつをするから、礫つぶてを打うつたり、煙管きせるの雁首がんくびで引拂ひつぱらふなど、今いま然さやうな陣笠ぢんがさの勢子せこの業わざは振舞ふるまはぬ、大將たいしやうは專もつぱら寛仁大度くわんにんたいどの事ことと、即すなはち黒猫くろねこを、ト御新造ごしんぞの聲こゑを内證ないしようで眞似まねて、

「黒くろや、黒くろや。」

と身振みぶりをして、時々とき〲頬摺ほゝずり、はてさて氣障きざな下郎げらうであつた。

其その年とし寛政くわんせい十年ねん、押詰おしつまつて師走しはすの幾日いくにちかは當邸たうていの御前ごぜん服部式部はつとりしきぶどの誕生日たんじやうびとあつて、邸中やしきぢうが、とり〲其その支度したくに急いそがしく何なんとなく祭まつりが近ちかづいたやうにさゞめき立たつ。

其その一日前にちまへの暮方くれがたに、元二げんじは團右衞門方だんゑもんかたの切戸口きりどぐちから庭前にはさきへ𢌞まはつた、座敷ざしきに御新造ごしんぞが居ゐる事ことを豫あらかじめ知しつての上うへで。

落葉おちばを掃はく樣子やうすをして箒はうきを持もつて、枝折戸しをりどから入はひつた。一寸ちよつと言添いひそへる事ことがある、此この頃ごろから元二げんじは柔やはらかな下帶したおびなどを心掛こゝろがけ、淺黄あさぎの襦袢じゆばんをたしなんで薄化粧うすげしやうなどをする、尤もつとも今いまでこそあれ、其その時分じぶん仲間ちうげんが顏かほに仙女香せんぢよかうを塗ぬらうとは誰たれも思おもひがけないから、然さうと知しつたものはなかつたらう、其その上うへ、ぞつこん思おもひこがれる御新造ごしんぞのお君きみが優やさしい風情ふぜいのあるのを窺うかゞつて、居𢌞ゐまはりの夜店よみせなどで、表紙へうしの破やぶれた御存ごぞんじの歌うたの本ほんを漁あさつて來きて、何なんとなく人ひとに見みせるやうに捻ひねくつて居ゐたのであつたが。

其その時とき御新造ごしんぞは日ひが短みじかい時分じぶんの事こと、縁えんの端近はしぢかへ出でて、御前ごぜんが誕生日たんじやうびには着換きかへて出でようと云いふ、紋服もんぷくを、又また然さうでもない、しつけの絲いと一筋ひとすぢも間違まちがひのないやうに、箪笥たんすから出だして、目めを通とほして、更あらためて疊たゝみ直なほして居ゐる處ところ。

「えゝ、御新造樣ごしんぞさま、續つゞきまして結構けつこうなお天氣てんきにござります。」

「おや、元二げんじかい、お精せいが出でます。今度こんどは又また格別かくべつお忙いそがしからう。御苦勞ごくらうだね。」

「何どう仕つかまつりまして、數かずなりませぬものも蔭かげながらお喜よろこび申まをして居をります。」

「あゝ、おめでたいね、お客きやくさまが濟すむと、毎年まいねんね、お前まへがたも夜よあかしで遊あそぶんだよ。まあ、其それを樂たのしみにしてお働はたらきよ。」

ともの優やさしい、柔やはらかな言ことばに附入つけいつて、

「もう、其それにつきまして。」

と沓脱くつぬぎの傍かたはらへ蹲うづくまつて揉手もみでをしながら、〔「圖」の「回」に代えて「面から一、二画目をとったもの」〕々づう〱しい男をとこで、づツと顏かほを突出つきだした。

「何なんとも恐多おそれおほい事ことではござりますが、御新造樣ごしんぞさまに一ひとつお願ねがひがあつて罷出まかりでましてござります、へい。外ほかの事ことでもござりませんが、手前てまへは當年たうねんはじめての御奉公ごほうこうにござりますが、承うけたまはりますれば、大殿樣おほとのさま御誕生ごたんじやうの御祝儀ごしうぎの晩ばん、お客樣きやくさまがお立歸たちかへりに成なりますると、手前てまへども一統いつとうにも部屋へやで御酒ごしゆを下くださりまするとか。」

「あゝ、無禮講ぶれいかうと申まをすのだよ、たんとお遊あそび、そしてお前まへ、屹きつと何なにかおありだらう、隱藝かくしげいでもお出だしだと可いいね。」

と云いつて莞爾につこりした。元二げんじ、頸許えりもとからぞく〱、

「滅相めつさうな、隱藝かくしげいなど、へゝゝ、其それに就つきましてでござります。其その無禮講ぶれいかうと申まをす事ことで、從前じうぜんにも向後かうごにも他ほかありません此このお邸やしき、決けつして然さやうな事ことはござりますまいが、羽目はめをはづしてたべ醉よひますると、得えて間違まちがひの起おこりやすいものでござります、其處そこを以もちまして、手前てまへの了簡れうけんで、何なんと、今年ことしは一ひとつ趣おもむきをかへてお酒さけを頂戴ちやうだいしながら、各々めい〱國々くに〲の話はなし、土地とち處ところの物語ものがたりと云いふのを、しめやかにしようではあるまいかと申出まをしでました處ところ部屋頭へやがしらが第だい一番ばん、いづれも當御邸たうおやしきの御家風ごかふうで、おとなしい、實體じつていなものばかり、一人ひとりも異存いぞんはござりません。

處ところで發頭人ほつとうにんの手前てまへ、出來できませぬまでも皮切かはきりをいたしませぬと相成あひなりません。

國許くにもとにござります其その話はなしにつきまして、其それを饒舌しやべりますのに實じつにこまりますことには、事柄ことがらの續つゞきの中うちに歌うたが一ひとつござりますので。

部屋へやがしらは風流人ふうりうじんで、かむりづけ、ものはづくしなどと云いふのを遣やります。川柳せんりうに、歌うた一ひとつあつて話はなしにけつまづき、と云いふのがあると何時いつかも笑わらつて居をりましたが、成程なるほど其その通とほりと感心かんしんしましたのが、今度こんどは身みの上うへで、歌うたがあつて躓つまづきまして、部屋へやがしらに笑わらはれますのが、手前てまへ口惜くちをしいと存ぞんじまして。」

と然さも若氣わかげに思込おもひこんだやうな顏色かほつきをして云いつた。川柳せんりうを口吟くちずさんでかむりづけを樂たのしむ、其その結構けつこうな部屋へやがしらの女房にようばうを、ものして、居ゐるから怪けしからぬ。

「少すこしばかり小遣こづかひの中うちから恁かやうなものを、」

と懷中ふところから半分はんぶんばかり紺土佐こんどさの表紙へうしの薄汚うすよごれたのを出だして見みせる。

「おや、歌うたの……お見みせな。」

と云いふ瞳ひとみが、疊たゝみかけた良人をつとの禮服れいふくの紋もんを離はなれて、元二げんじが懷中ふところの本ほんに移うつつたのであつた。

「否いゝえ、お恥はづかしい、御目おめに掛かけるやうなのではござりません。それに、夜店よみせで買かひましたので、お新造樣しんぞさまお手てに觸ふれましては汚きたなうござります。」

と引込ひつこませる、と水みづの出花でばなと云いふのでもお君きみはさすがに武家ぶけの女房にようばう、仲間ちうげんの膚はだに着ついたものを無理むりに見みようとはしなかつた。

「然さうかい。でも、お前まへ、優やさしいお心掛こゝろがけだね。」

と云いふ。宗桂そうけいが歩ふのあしらひより、番太郎ばんたらうの桂馬けいまの方はうが、豪えらさうに見みえる習ならひであるから、お君きみは感心かんしんしたらしかつた。然さもさうず、と元二げんじが益々ます〱附入つけいる。

「本ほんを買かつてさぐり讀よみに搜さがしましてもどれが何なんだか分わかりません。其それに、あゝ、何なんとかの端本はほんか、と部屋頭へやがしらが本ほんの名なを存ぞんじて居をりますから、中なかの歌うたも此これから引出ひきだしましたのでは先刻せんこく承知しようちとやらでござりませう。其それでは種たねあかしの手品てじな同樣どうやう慰なぐさみになりません、お願ねがひと申まをしましたのは爰こゝの事こと、御新造樣ごしんぞさま一ひとつ何どうぞ何なんでもお教をしへなさつて遣つかはさりまし。」

お君きみさんが、ついうつかりと乘のせられて、

「私わたしにもよくは分わからないけれど、あの、何どう云いふ事ことを申まをすのだえ、歌うたの心こゝろはえ。」

「へい、話はなしの次第しだいでござりまして、其それが其その戀こひでござります。」

と初心うぶらしく故わざと俯向うつむいて赤あかく成なつた。お君きみも、ほんのりと色いろを染そめたが、庭にはの木きの葉はの夕榮ゆふばえである。

「戀こひの心こゝろはどんなのだえ。思おもうて逢あふとか、逢あはないとか、忍しのぶ、待まつ、怨うらむ、いろ〱あるわね。」

「えゝ、申兼まをしかねましたが、其それが其それが、些ちと道みちなりませぬ、目上めうへのお方かたに、もう心こゝろもくらんで迷まよひましたと云いふのは、對手あひてが庄屋しやうやどのの、其その。」

と口早くちばやに言足いひたした。

で、お君きみは何なんの氣きも着つかない樣子やうすで、

「お待まち。」

と少すこし俯向うつむいて考かんがへるやうに、歌袖うたそでを膝ひざへ置おいた姿すがたは亦また類たぐひなく美うつくしい。

「恁かういたしたら何どうであらうね。

思おもふこと關路せきぢの暗やみのむら雲くもを

晴はらしてしばしさせよ月影つきかげ

分わかつたかい。一寸ちよつといま思出おもひだせないから、然さうしてお置おきな、又また氣きが着ついたら申まをさうから。」

元二げんじは目めを瞑つぶつて、如何いかにも感かんに堪たへたらしく、

「思おもふこと關路せきぢの暗やみのむち雲くもを、

晴はらしてしばしさせよ月影つきかげ。

御新造樣ごしんぞさま、此この上うへの御無理ごむりは、助たすけると思召おぼしめしまして、其そのお歌うたを一寸ちよつとお認したゝめ下くださいまし。お使つかひの口上こうじやうと違ちがひまして、つい馴なれませぬ事ことは下根げこんのものに忘わすれがちにござります、よく、拜見はいけんして覺おぼえますやうに。」

としをらしく言いつたので、何心なにごころなく其その言ことばに從したがつた。お君きみは、しかけた用ようの忙いそがしい折をりから、冬ふゆの日ひは早はや暮くれかゝる、ついありあはせた躾しつけの紅筆べにふでで懷紙ふところがみへ、と丸髷まるまげの鬢びん艶つややかに、もみぢを流ながすうるはしかりし水莖みづぐきのあと。

さて、話はなしの中なかの物語ものがたり、煩わづらはしいから略はぶく、……祝いはひの夜よ、仲間ちうげんども一座いちざの酒宴しゆえん、成程なるほど元二げんじの仕組しくんだ通とほり、いづれも持寄もちよりで、國々くに〲の話はなしをはじめた。元二げんじの順じゆんに杯さかづきも𢌞まはつて來きた時とき、自分じぶん國許くにもとの事ことに懲こりて仔細しさいあつて、世よを忍しのぶ若わかものが庄屋しやうやの屋敷やしきに奉公ほうこうして、其その妻つまと不義ふぎをする、なかだちは、婦をんなが寵愛ちようあいの猫ねこで、此この首環くびわへ戀歌こひうたを結むすんで褄つまを引ひくと云いふ運はこび。情婦じやうふであつたお春はるの家いへに手飼てがひの猫ねこがあつたから、袖そでに袂たもとに、猫ねこの搦からむ處ところは、目めで見みるやう手てに取とるやうに饒舌しやべつて、

「實じつは此これは、御用人ごようにんの御新造樣ごしんぞさまに。」

と如何いかなる企くはだてか、内證ないしようの筈はずと故わざと打明うちあけて饒舌しやべつて、紅筆べにふでの戀歌こひうた、移香うつりがの芬ぷんとする、懷紙ふところがみを恭うや〱しく擴ひろげて人々ひと〲へ思入おもひいれ十分じふぶんで見みせびらかした。

自分じぶんで許ゆるす色男いろをとこが、思おもひをかけて屆とゞかぬ婦をんなを、恁かうして人ひとに誇ほこる術すべは隨分ずゐぶん數かぞへ切きれないほどあるのである。

一座いちざ、目めを欹そばだてた。

けれども、對手あひてが守子もりつこや飯炊めしたきでない、人ひともこそあれ一大事いちだいじだ、と思おもふから、其その後のちとても皆みな口くちをつぐんで何なんにも言いはず無事ぶじにしばらく日ひは經たつた。

元二げんじは、絶たえず、其その歌うたを、肌はだに添そへて持もつて居ゐて、人ひとの目めにつくやうに、つかないやうに、ちら〱と出だしては始終しじう熟ぢつと視みる。

然さうかと思おもふと、一人ひとりで、思おもひに堪たへ廉かねるか、湯氣ゆげの上うへに、懷紙ふところがみをかざして、紅べにを蒸むして、密そつと二にの腕うでに當あてた事ことなどもある、ほりものにでもしよう了簡れうけんであつた、と見みえるが、此これは其その效かひがなかつたと言いふ。

翌年よくねん、二月ぐわつ初午はつうまの夜よの事ことで、元二げんじ其その晩ばんは些ちと趣おもむきを替かへて、部屋へやに一人ひとり居ゐて火鉢ひばちを引ひきつけながら例れいの歌うたを手本てほんに、美うつくしいかなの手習てならひをして居ゐた。

其處そこへあの、牝めすの黒猫くろねこが、横合よこあひから、フイと乘のりかゝつて、お君きみのかいた歌うたの其その懷紙ふところがみを、後脚あとあしで立たつてて前脚まへあし二ふたつで、咽喉のどへ抱かゝへ込こむやうにした。疾はやい事こと、くる〱と引込ひきこんで手玉てだまを取とるから、吃驚びつくりして、元二げんじが引ひくと放はなさぬ。

慌あわてたの何なんのではない、が、烈はげしく引張ひつぱると裂さけさうな處ところから、宥なだめたが、すかしたが、其その效かひさらになし、口くちへ啣くはへた。

堪兼たまりかねて、火箸ひばしを取とつて、ヤツと頭あたまを打うつたのが下したへ外それて、尖さきの當あたつたのが、左ひだりの目めの下した。キヤツと啼なく、と五六尺しやく眞黒まつくろに躍をどり上あがつて、障子しやうじの小間こまからドンと出でた、尤もつとも歌うたを啣くはへたまゝで、其そののち二日ふつかばかり影かげを見みせぬ。

三日目みつかめに、井戸端ゐどばたで、例れいの身體からだを洗あらつて居ゐる處ところへ、ニヤーと出でて來きた。

最もう忘わすれたやうに、相變あひかはらず、すれつ、縺もつれつ、と云いふ身みで可懷かはいい。

目めの下したに、火箸ひばしの尖さきで突つゝいた、疵きずがポツツリ見みえる、ト確たしかに覺おぼえて忘わすれぬ、瓜井戸うりゐどの宿しゆくはづれで、飯屋めしやの縁側えんがはの下したから出でた畜生ちくしやうを、煙管きせるの雁首がんくびでくらはしたのが、丁ちやうど同おなじ左ひだりの目めの下した。で、又また今いま見みる疵きずが一昨日をとゝひや昨夜ゆうべ怪我けがをしたものとは見みえぬ、綺麗きれいに癒いえて、生うまれつき其處そこだけ、毛けの色いろの變かはつて見みえるやうなのに悚然ぎよつとした。

はじめから、形かたちと云いひ、毛色けいろと云いひ、剩あまつさへ其それが、井戸川ゐどがはの橋はしの欄干らんかんで、顏洗かほあらひを遣やつて居ゐた猫ねこと同一おなじことで、續つゞいては、お春はるの可愛かはいがつた黒くろにも似にて居ゐる。

とは知しつたけれども、黒猫くろねこはざらにある、別べつに可怪をかしいとも思おもはなかつたのが、此この疵きずを見みてから堪たまらなく氣きになり出だした。然しかも、打うたれた男をとこに齒向はむいて、ウヽと爪つめを磨とぐのでない。それからは、猶更なほさら以もつてじやれ着ついて、ろくに團右衞門だんゑもんの邸やしきへも行ゆかず、絡まつはりつくので、ふら〱立たちたいほど氣きに掛かゝつた。

處ところへ、御新造ごしんぞお君きみさんが、病氣びやうきと云いふ事こと、引籠ひきこもり、とあつてしばらく弗ふつと姿すがたが見みえぬ。

と思おもふと、やがて保養ほやうとあつて、實家方さとかたへ、歸かへつたのである。が、あはれ、此この婦人ふじんも自殺じさつした。それは昔むかし、さりながら、田舍ゐなかものの〔「圖」の「回」に代えて「面から一、二画目をとったもの」〕々づう〱しいのは、今いまも何なによりも可恐おそろしい。

底本 / Source edition

底本:「鏡花全集 巻十五」岩波書店
1940(昭和15)年9月20日第1刷発行
1987(昭和62)年11月2日第3刷発行
入力:門田裕志
校正:川山隆
2011年9月4日作成
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書誌 / Bibliography
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泉 鏡花、泉 鏡太郎「二た面」(旧字旧仮名)、底本『鏡花全集 巻十五』岩波書店、1940年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 004585_000050, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

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