Soranoha

二十六夜

にじゅうろくや

宮沢 賢治

※

旧暦の六月二十四日の晩でした。

北上きたかみ川の水は黒の寒天よりももっとなめらかにすべり獅子鼻ししはなは微かすかな星のあかりの底にまっくろに突き出てゐました。

獅子鼻の上の松林は、もちろんもちろん、まっ黒でしたがそれでも林の中に入って行きますと、その脚の長い松の木の高い梢こずゑが、一本一本空の天の川や、星座にすかし出されて見えてゐました。

松かさだか鳥だかわからない黒いものがたくさんその梢にとまってゐるやうでした。

そして林の底の萱かやの葉は夏の夜の雫しづくをもうポトポト落して居をりました。

その松林のずうっとずうっと高い処ところで誰たれかゴホゴホ唱へてゐます。

「爾その時に疾翔大力しっしょうたいりき、爾迦夷るかゐに告げて曰いはく、諦あきらかに聴け、諦に聴け、善よく之これを思念せよ、我今汝なんぢに、梟鵄けうし諸もろもろの悪禽あくきん、離苦りく解脱げだつの道を述べん、と。

爾迦夷るかゐ、則すなはち、両翼を開張し、虔うやうやしく頸くびを垂れて、座を離れ、低く飛揚して、疾翔大力を讃嘆すること三匝さんさふにして、徐おもむろに座に復し、拝跪はいきして唯ただ願ふらく、疾翔大力、疾翔大力、たゞ我等が為ために、これを説きたまへ。たゞ我等が為ために、之を説き給へと。

疾翔大力、微笑して、金色こんじきの円光を以もって頭かうべに被かぶれるに、その光、遍あまねく一座を照し、諸鳥歓喜充満せり。則ち説いて曰いはく、

汝等なんぢら審つまびらかに諸の悪業あくごふを作る。或あるいは夜陰を以て、小禽せうきんの家に至る。時に小禽、既すでに終日日光に浴し、歌唄かばい跳躍して疲労をなし、唯唯甘美の睡眠中にあり。汝等飛躍して之を握つかむ。利爪りさう深くその身に入り、諸もろもろの小禽せうきん、痛苦又声を発するなし。則ち之を裂きて擅ほしいままに噉食たんじきす。或は沼田せうでんに至り、螺蛤らかふを啄ついばむ。螺蛤軟泥中にあり、心柔輭にうなんにして、唯温水を憶おもふ。時に俄にはかに身、空中にあり、或は直ちに身を破る、悶乱もんらん声を絶す。汝等之を噉食たんじきするに、又懺悔ざんげの念あることなし。

斯かくの如ごときの諸もろもろの悪業あくごふ、挙げて数ふるなし。悪業を以ての故に、更に又諸の悪業を作る。継起して遂つひに竟をはることなし。昼は則ち日光を懼おそれ又人及および諸の強鳥を恐る。心暫しばらくも安らかなるなし、一度ひとたび梟身けうしんを尽して、又新あらたに梟身を得う、審つまびらかに諸の苦患くげんを被かうむりて、又尽つくることなし。」

俄にはかに声が絶え、林の中はしぃんとなりました。たゞかすかなかすかなすゝり泣きの声が、あちこちに聞えるばかり、たしかにそれは梟ふくろふのお経だったのです。

しばらくたって、西の遠くの方を、汽車のごうと走る音がしました。その音は、今度は東の方の丘に響いて、ごとんごとんとこだまをかへして来ました。

林はまたしづまりかへりました。よくよく梢をすかして見ましたら、やっぱりそれは梟でした。一疋ぴきの大きなのは、林の中の一番高い松の木の、一番高い枝にとまり、そのまはりの木のあちこちの枝には、大きなのや小さいのや、もうたくさんのふくろふが、じっととまってだまってゐました。ほんのときどき、かすかなかすかなため息の音や、すゝり泣きの声がするばかりです。

ゴホゴホ声が又起りました。

「たゞ今のご文もんは、梟鵄けうし守護章というて、誰たれも存知の有り難いお経の中の一とこぢゃ。たゞ今から、暫時しばしの間、そのご文の講釈を致す。みなの衆、ようく心を留めて聞かしゃれ。折角鳥に生れて来ても、たゞ腹が空すいた、取って食ふ、睡ねむくなった、巣に入るではなんの所詮しょせんもないことぢゃぞよ。それも鳥に生れてたゞやすやすと生きるというても、まことはたゞの一日とても、たゞごとではないのぞよ、こちらが一日生きるには、雀すずめやつぐみや、たにしやみゝずが、十や二十も殺されねばならぬ、たゞ今のご文にあらしゃるとほりぢゃ。こゝの道理をよく聴きわけて、必らずうかうか短い一生をあだにすごすではないぞよ。これからご文に入るぢゃ。子供らも、こらへて睡るではないぞ。よしか。」

林の中は又しいんとなりました。さっきの汽車が、まだ遠くの遠くの方で鳴ってゐます。

「爾その時に疾翔大力しっしょうたいりき、爾迦夷るかゐに告げて曰いはくと、まづ疾翔大力とは、いかなるお方ぢゃか、それを話さなければならんぢゃ。

疾翔大力と申しあげるは、施身大菩薩せしんだいぼさつのことぢゃ。もと鳥の中から菩提心ぼだいしんを発して、発願ほつぐわんした大力の菩薩ぢゃ。疾翔とは早く飛ぶといふことぢゃ。捨身菩薩がもとの鳥の形に身をなして、空をお飛びになるときは、一揚というて、一はゞたきに、六千由旬ゆじゅんを行きなさる。そのいはれより疾翔と申さるゝ、大力といふは、お徳によって、たとへ火の中水の中、たゞこの菩薩を念ずるものは、捨身大菩薩、必らず飛び込んで、お救ひになり、その浄明じゃうみゃうの天上にお連れなさる、その時火に入って身の毛一つも傷きずつかず、水に潜くぐって、羽、塵ちりほどもぬれぬといふ、そのお徳をば、大力とかう申しあげるのぢゃ。されば疾翔大力とは、捨身大菩薩を、鳥より申しあげる別号ぢゃ、まあさう申しては失礼なれど、鳥より仰ぎ奉る一つのあだ名ぢゃと、斯かう考へてよろしからう。」

声がしばらくとぎれました。林はしいんとなりました。たゞ下の北上川の淵ふちで、鱒ますか何かのはねる音が、バチャンと聞えただけでした。

梟ふくろふの、きっと大僧正か僧正でせう、坊さんの講義が又はじまりました。

「さらば疾翔大力は、いかなればとて、われわれ同様賤いやしい鳥の身分より、その様なる結構のお身となられたか。結構のことぢゃ。ご自分も又ほかの一切のものも、本願のごとくにお救ひなされることなのぢゃ。さほど尊いご身分にいかなことでなられたかとなれば、なかなか容易のことではあらぬぞよ。疾翔大力さまはもとは一疋の雀すずめでござらしゃったのぢゃ。南天竺なんてんぢくの、ある家やの棟むねに棲すまはれた。ある年非常な饑饉ききんが来て、米もとれねば木の実もならず、草さへ枯れたことがござった。鳥もけものも、みな飢ゑ死にぢゃ人もばたばた倒れたぢゃ。もう炎天と飢渇きかつの為ために人にも鳥にも、親兄弟の見さかひなく、この世からなる餓鬼道がきだうぢゃ。その時疾翔大力は、まだ力ない雀でござらしゃったなれど、つくづくこれをご覧じて、世の浅間あさましさはかなさに、泪なみだをながしていらしゃれた。中にもその家の親子二人、子はまだ六つになるならず、母親とてもその大飢渇だいきかつに、どこから食じきを得るでなし、もうあすあすに二人もろとも見す見す餓死を待ったのぢゃ。この時、疾翔大力しっしょうたいりきは、上よりこれをながめられあまりのことにしばしは途方にくれなされたが、日ごろの恩を報ずるは、たゞこの時と勇みたち、つかれた羽をうちのばし、はるか遠くの林まで、親子の食じきをたづねたげな。一念天に届いたか、ある大林のその中に、名さへも知らぬ木なれども、色もにほひもいと高き、十の木の実をお見附けなされたぢゃ。さればもはや疾翔大力は、われを忘れて、十たびその実をおのがあるじの棟むねに運び、親子の上より落されたぢゃ。その十たび目は、あまりの飢ゑと身にあまる、その実の重さにまなこもくらみ、五たび土に落ちたれど、たゞ報恩の一念に、ついご自分にはその実を啄ついばみなさらなんだ、おもひとゞいてその十番目の実を、無事に親子に届けたとき、あまりの疲れと張りつめた心のゆるみに、ついそのまゝにお倒れなされたぢゃ。されどもややあって正気に復し下の模様を見てあれば、いかにもその子は勢せいも増し、たゞいたけなく悦よろこんでゐる如ごとくなれども、親はかの実も自らは口にせなんぢゃ、いよいよ餓ゑて倒れるやうす、疾翔大力これを見て、はやこの上はこの身を以て親の餌食ゑじきとならんものと、いきなり堅く身をちゞめ、息を殺してはりより床へと落ちなされたのぢゃ。その痛さより、身は砕くるかと思へども、なほも命はあらしゃった。されども慈悲もある人の、生きたと見てはとても食たうべはせまいとて、息を殺し眼めをつぶってゐられたぢゃ。そしてたうとう願かなってその親子をば養はれたぢゃ。その功徳くどくより、疾翔大力様は、つひに仏にあはれたぢゃ。そして次第に法力ほふりきを得て、やがてはさきにも申した如く、火の中に入れどもその毛一つも傷つかず、水に入れどもその羽一つぬれぬといふ、大力の菩薩ぼさつとなられたぢゃ。今このご文は、この大菩薩が、悪業あくごふのわれらをあはれみて、救護の道をば説かしゃれた。その始めの方ぢゃ。しばらく休んで次の講座で述べるといたす。

南無なむ疾翔大力、南無疾翔大力。

みなの衆しばらくゆるりとやすみなされ。」

いちばん高い木の黒い影が、ばたばた鳴って向ふの低い木の方へ移ったやうでした。やっぱりふくろふだったのです。

それと同時に、林の中は俄にはかにばさばさ羽の音がしたり、嘴くちばしのカチカチ鳴る音、低くごろごろつぶやく音などで、一杯になりました。天の川が大分まはり大熊星おほぐまぼしがチカチカまたゝき、それから東の山脈の上の空はぼおっと古めかしい黄金きんいろに明るくなりました。

前の汽車と停車場で交換したのでせうか、こんどは南の方へごとごと走る音がしました。何だか車のひゞきが大へん遅く貨物列車らしかったのです。

そのとき、黒い東の山脈の上に何かちらっと黄いろな尖とがった変なかたちのものがあらはれました。梟ふくろふどもは俄にざわっとしました。二十四日の黄金きんの角つの、鎌かまの形の月だったのです。忽たちまちすうっと昇ってしまひました。沼の底の光のやうな朧おぼろな青いあかりがぼおっと林の高い梢こずゑにそゝぎ一疋ぴきの大きな梟ふくろふが翅はねをひるがへしてゐるのもひらひら銀いろに見えました。さっきの説教の松の木のまはりになった六本にはどれにも四疋ひきから八疋ぐらゐまで梟がとまってゐました。低く出た三本のならんだ枝に三疋の子供の梟がとまってゐました。きっと兄弟だったでせうがどれも銀いろで大さ「大さ」はママはみな同じでした。その中でこちらの二疋は大分厭あきてゐるやうでした。片っ方の翅をひらいたり、片脚でぶるぶる立ったり、枝へ爪つめを引っかけてくるっと逆さになって小笠原島のかうもりのまねをしたりしてゐました。

それから何か云いってゐました。

「そら、大の字やって見せようか。大の字なんか何でもないよ。」

「大の字なんか、僕ぼくだってできらあ。」

「できるかい。できるならやってごらん。」

「そら。」その小さな子供の梟はほんの一寸ちょっとの間、消防のやるやうな逆さ大の字をやりました。

「何だい。そればっかしかい。そればっかしかい。」

「だって、やったんならいゝんだらう。」

「大の字にならなかったい。たゞの十の字だったい、脚が開かないぢゃないか。」

「おい、おとなしくしろ。みんなに笑はれるぞ。」すぐ上の枝に居たお父さんのふくろふがその大きなぎらぎら青びかりする眼でこっちを見ながら云ひました。眼のまはりの赤い隈くまもはっきり見えました。

ところがなかなか小さな梟の兄弟は云ふことをききませんでした。

「十の字、ほう、たての棒の二つある十の字があるだらうか。」

「二つに開かなかったい。」

「開いたよ。」

「何だ生意気な。」もう一疋は枝からとび立ちました。もう一疋もとび立ちました。二疋はばたばた、けり合ってはねが月の光に銀色にひるがへりながら下へ落ちました。

おっかさんのふくろふらしいさっきのお父さんのとならんでゐた茶いろの少し小型のがすうっと下へおりて行きました。それから下の方で泣声が起りました。けれども間もなくおっかさんの梟はもとの処ところへとびあがり小さな二疋ものぼって来て二疋とももとのところへとまって片脚で眼をこすりました。お母さんの梟がも一度叱しかりました。その眼も青くぎらぎらしました。

「ほんたうにお前たちったら仕方ないねえ。みなさんの見ていらっしやる処でもうすぐきっと喧嘩けんくわするんだもの。なぜ穂吉ちゃんのやうに、じっとおとなしくしてゐないんだらうねえ。」

穂吉と呼ばれた梟は、三疋の中では一番小さいやうでしたが一番温和おとなしいやうでした。じっとまっすぐを向いて、枝にとまったまゝ、はじめからおしまひまで、しんとしてゐました。

その木の一番高い枝にとまりからだ中銀いろで大きく頬ほほをふくらせ今の講義のやすみのひまを水銀のやうな月光をあびてゆらりゆらりとゐねむりしてゐるのはたしかに梟ふくろふのおぢいさんでした。

月はもう余程高くなり、星座もずゐぶんめぐりました。蝎座さそりざは西へ沈むとこでしたし、天の川もすっかり斜めになりました。

向ふの低い松の木から、さっきの年老としよりの坊さんの梟が、斜に飛んでさっきの通り、説教の枝にとまりました。

急に林のざわざわがやんで、しづかにしづかになりました。風のためか、今まで聞えなかった遠くの瀬の音が、ひゞいて参りました。坊さんの梟はゴホンゴホンと二つ三つせきばらひをして又はじめました。

「爾その時に、疾翔大力しっしょうたいりき、爾迦夷るかゐに告げて曰いはく、諦あきらかに聴け、諦に聴け、善よく之これを思念せよ。我今汝なんぢに、梟鵄けうし諸もろもろの悪禽あくきん、離苦りく解脱げだつの道を述べんと。

爾迦夷るかゐ、則すなはち両翼を開張し、虔うやうやしく頸くびを垂れて座を離れ、低く飛揚して疾翔大力を讃嘆すること三匝さんさふにして、徐おもむろに座に復し、拝跪はいきして唯ただ願ふらく、疾翔大力、疾翔大力、たゞ我等が為ためにこれを説き給へ。たゞ我等が為に之を説き給へと。

疾翔大力微笑して、金色こんじきの円光を以もって頭かうべに被かぶれるに、その光遍あまねく一座を照し、諸鳥歓喜充満せり。則ち説いて曰く、

汝等なんぢら審つまびらかに諸の悪業あくごふを作る。或あるいは夜陰を以て小禽せうきんの家に至る。時に小禽既すでに終日日光に浴し、歌唄かばい跳躍して疲労をなし、唯唯ただただ甘美の睡眠中にあり。汝等飛躍して之を握つかむ。利爪りさう深くその身に入り、諸の小禽せうきん痛苦又声を発するなし。則すなはち之を裂きて擅ほしいままに噉食たんじきす。或は沼田せうでんに至り、螺蛤らかふを啄ついばむ。螺蛤軟泥中にあり、心柔輭にうなんにして、唯温水を憶おもふ。時に俄にはかに身空中にあり、或は直ちに身を破る、悶乱もんらん声を絶す。汝等之を噉食たんじきするに、又懺悔ざんげの念あることなし。

斯かくの如ごときの諸の悪業、挙げて数ふるなし。悪業を以ての故に、更に又諸の悪業を作る。継起して遂つひに竟をはることなし。昼は則ち日光を懼おそれ、又人及および諸の強鳥を恐る。心暫しばらくも安らかなることなし、一度ひとたび梟身けうしんを尽して、又新あらたに梟身を得。審つまびらかに諸の苦患を被かうむりて、又尽くることなし。で前の座では、捨身菩薩しゃしんぼさつを疾翔大力しっしょうたいりきと呼びあげるわけあひ又、その願成ぐわんじゃうの因縁をお話いたしたぢゃが、次に爾迦夷るかゐに告げて曰いはくとある。爾迦夷といふはこのとき我等と同様梟ふくろふぢゃ。われらのご先祖と、一緒にお棲すまひなされたお方ぢゃ。今でも爾迦夷上人しゃうにんと申しあげて、毎月十三日がご命日ぢゃ。いづれの家でも、梟の限りは、十三日には楢ならの木の葉を取とて参まゐて、爾迦夷上人さまにさしあげるといふことをやるぢゃ、これは爾迦夷さまが楢の木にお棲ひなされたからぢゃ。この爾迦夷さまは、早くから梟の身のあさましいことをご覚悟遊ばされ、出離の道を求められたぢゃげなが、たうとうその一心の甲斐かひあって、疾翔大力さまにめぐりあひ、つひにその尊い教を聴聞あって、天上へ行かしゃれた。その爾迦夷さまへのご説法ぢゃ。諦あきらかに聴け、諦に聴け。善よく之これを思念せよと。心をしづめてよく聴けよ、心をしづめてよく聴けよと斯かうぢゃ。いづれの説法の座でも、よくよく心をしづめ耳をすまして聴くことは大切なのぢゃ。上うはの空で聞いてゐたでは何にもならぬぢゃ。」

ところがこのとき、さっきの喧嘩けんくわをした二疋ひきの子供のふくろふがもう説教を聴くのは厭あきてお互にらめくらをはじめてゐました。そこは茂りあった枝のかげで、まっくらでしたが、二疋はどっちもあらんかぎりりんと眼を開いてゐましたので、ぎろぎろ燐りんを燃したやうに青く光りました。そこでたうとう二疋とも一ぺんに噴き出して一緒に、

「お前の眼は大きいねえ。」と云ひました。

その声は幸さいはひに少しつんぼの梟ふくろふの坊さんには聞えませんでしたが、ほかの梟たちはみんなこっちを振り向きました。兄弟の穂吉といふ梟は、そこで大へんきまり悪く思ってもぢもぢしながら頭だけはじっと垂れてゐました。二疋はみんなのこっちを見るのを枝のかげになってかくれるやうにしながら、

「おい、もう遁にげて遊びに行かう。」

「どこへ。」

「実相寺の林さ。」

「行かうか。」

「うん、行かう。穂吉ちゃんも行かないか。」

「ううん。」穂吉は頭をふりました。

「我今汝なんぢに、梟鵄けうし諸もろもろの悪禽あくきん、離苦りく解脱げだつの道を述べんといふことは。」説教が又続きました。二疋はもうそっと遁げ出し、穂吉はいよいよ堅くなって、兄弟三人分一人で聴かうといふ風でした。

※

その次の日の六月二十五日の晩でした。

丁度ゆふべと同じ時刻でしたのに、説教はまだ始まらず、あの説教の坊さんは、眼を瞑つぶってだまって説教の木の高い枝にとまり、まはりにゆふべと同じにとまった沢山の梟どもはなぜか大へんみな興奮してゐる模様でした。女のふくろふにはおろおろ泣いてゐるのもありましたし、男のふくろふはもうとても斯かうしてゐられないといふやうにプリプリしてゐました。それにあのゆふべの三人兄弟の家族の中では一番高い処ところに居るおぢいさんの梟はもうすっかり眼を泣きはらして頬ほほが時々びくびく云ひ、泪なみだは声なくその赤くふくれた眼から落ちてゐました。

もちろんふくろふのお母さんはしくしくしくしく泣いてゐました。乱暴ものの二疋の兄弟も不思議にその晩はきちんと座って、大きな眼をじっと下に落してゐました。又ふくろふのお父さんは、しきりに西の方を見てゐました。けれども一体どうしたのかあの温和おとなしい穂吉の形が見えませんでした。風が少し出て来ましたので松の梢こずゑはみなしづかにゆすれました。

空には所々雲もうかんでゐるやうでした。それは星があちこちめくらにでもなったやうに黒くて光ってゐなかったからです。

俄にはかに西の方から一疋ぴきの大きな褐色かっしょくの梟ふくろふが飛んで来ました。そしてみんなの入口の低い木にとまって声をひそめて云ひました。

「やっぱり駄目だめだ。穂吉さんももうあきらめてゐるやうだよ。さっきまではばたばたばたばた云ってゐたけれども、もう今はおとなしく臼うすの上にとまってゐるよ。それから紐ひもが何だか変ったやうだよ。前は右足だったが、今度は左脚に結ゆはひつけられて、それに紐の色が赤いんだ。けれどもたゞひとついゝことは、みんな大抵寝てしまったんだ。さっきまで穂吉さんの眼を指で突っつかうとした子供などは、腹かけだけして、大の字になって寝てゐるよ。」

穂吉のお母さんの梟は、まるで火がついたやうに声をあげて泣きました。それにつれて林中の女のふくろふがみなしいんしいんと泣きました。

梟の坊さんは、じっと星ぞらを見あげて、それからしづかにたづねました。

「この世界は全くこの通りぢゃ。たゞもうみんなかなしいことばかりなのぢゃ。どうして又あんなおとなしい子が、人につかまるやうな処ところに出たもんぢゃらうなあ。」

説教の木のとなりに居た鼠ねずみいろの梟は恭々しく答へました。

「今朝あけ方近くなってから、兄弟三人で出掛けたさうでございます。いつも人の来るやうな処ではなかったのでございます。そのうち朝日が出ましたので、眩まぶしさに三疋とも、しばらく眼を瞑つぶってゐたさうでございます。すると、丁度子供が二人、草刈りに来て居ましたさうで、穂吉もそれを知らないうちに、一人がそっとのぼって来て、穂吉の足を捉つかまへてしまったと申します。」

「あゝあはれなことぢゃ、ふびんなはなしぢゃ、あんなおとなしいいゝ子でも、何の因果ぢゃやら。できるなればわしなどで代ってやりたいぢゃ。」

林はまたしいんとなりました。しばらくたって、またばたばたと一疋の梟が飛んで戻って参りました。

「穂吉さんはね、臼の上をあるいてゐたよ。あの赤の紐を引き裂かうとしてゐたやうだったけれど、なかなか容易ぢゃないんだ。私はもう、どこか隙間すきまから飛び込んで行って、手伝ってあげようと、何べんも何べんも家のまはりを飛んで見たけれど、どこにもあいてる所はないんだらう。ほんたうに可哀さうだねえ、穂吉さんは、けれども泣いちゃゐないよ。」

梟のお母さんが、大きな眼を泣いてまぶしさうにしょぼしょぼしながら訊たづねました。

「あの家に猫ねこは居ないやうでございましたか。」

「えゝ、猫は居なかったやうですよ。きっと居ないんです。ずゐぶん暫しばらく、私はのぞいてゐたんですけれど、たうとう見えなかったのですから。」

「そんならまあ安心でございます。ほんたうにみなさまに飛んだご迷惑をかけてお申し訳けもございません。みんな穂吉の不注意からでございます。」

「いゝえ、いゝえ、そんなことはありません。あんな賢いお子さんでも災難といふものは仕方ありません。」

林中の女のふくろふがまるで口口に答へました。その音は二町ばかり西の方の大きな藁屋根わらやねの中に捕はれてゐる穂吉の処ところまで、ほんのかすかにでしたけれども聞えたのです。

ふくろふのおぢいさんが度々声がかすれながらふくろふのお父さんに云ひました。

「もうさうなっては仕方ない。お前は行って穂吉にそっと教へてやったらよからう、もうこの上は決してばたばたもがいたり、怒って人に噛かみ付いたりしてはいけない。今日中誰たれもお前を殺さない処を見ると、きっと田螺たにしか何かで飼って置くつもりだらうから、今までのやうに温和おとなしくして、決して人に逆さからふな、とな。斯かう云って教へて来たらよからう。」

梟ふくろふのお父さんは、首を垂れてだまって聴いてゐました。梟の和尚をしゃうさんも遠くからこれにできるだけ耳を傾けてゐましたが大体そのわけがわかったらしく言ひ添へました。

「さうぢゃ、さうぢゃ。いゝ分別ぢゃ。序ついでに斯う教へて来なされ。このやうなひどい目にあうて、何悪いことしたむくいぢゃと、恨むやうなことがあってはならぬ。この世の罪も数知らず、さきの世の罪も数かぎりない事ぢゃほどに、この災難もあるのぢゃと、よくあきらめて、あんまりひとり嘆くでない、あんまり泣けば心も沈み、からだもとかく損そこねるぢゃ、たとへ足には紐ひもがあるとも、今こゝへ来て、はじめてとまった処ぢゃと、いつも気軽でゐねばならぬ、とな、斯う云うて下され。あゝ、されども、されども、とられた者は又別ぢゃ。何のさはりも無いものが、とや斯う言うても、何にもならぬ。あゝ可哀さうなことぢゃ不愍ふびんなことぢゃ。」

お父さんの梟は何べんも頭を下げました。

「ありがたうございます。ありがたうございます。もうきっとさう申し伝へて参ります。斯こんなお語ことばを伝へ聞いたら、もう死んでもよいと申しますでございませう。」

「いや、いや、さうぢゃ。斯うも云うて下され。いくら飼はれるときまっても、子供心はもとより一向たよりないもの、又近くには猫犬なども居ることぢゃ、もし万一の場合は、たゞあの疾翔大力しっしょうたいりきのおん名を唱へなされとな。さう云うて下され。おゝ不愍ふびんぢゃ。」

「ありがたうございます。では行って参ります。」

梟のお母さんが、泣きむせびながら申しました。

「ああ、もしどうぞ、いのちのある間は朝夕二度、私に聞えるやう高く啼ないて呉くれとおっしゃって下さいませ。」

「いゝよ。ではみなさん、行って参ります。」

梟のお父さんは、二三度羽ばたきをして見てから、音もなく滑るやうに向ふへ飛んで行きました。梟の坊さんがそれをじっと見送ってゐましたが、俄にはかにからだをりんとして言ひました。

「みなの衆。いつまで泣いてもはてないぢゃ。ここの世界は苦界くがいといふ、又忍土とも名づけるぢゃ。みんなせつないことばかり、涙の乾くひまはないのぢゃ。たゞこの上は、われらと衆生と、早くこの苦を離れる道を知るのが肝要ぢゃ。この因縁でみなの衆も、よくよく心をひそめて聞きなされ。たゞ一人でも穂吉のことから、まことに菩提ぼだいの心を発すなれば、穂吉の功徳くどく又この座のみなの衆の功徳、かぎりもあらぬことなれば、必らずとくと聴聞ちゃうもんなされや。昨夜の続きを講じます。

爾その時に疾翔大力しっしょうたいりき、爾迦夷るかゐに告げて曰いはく、諦あきらかに聴け、諦に聴け。善よく之これを思念せよ。我今汝なんぢに、梟鵄けうし諸もろもろの悪禽あくきん、離苦りく解脱げだつの道を述べんと。

爾迦夷るかゐ、則すなはち両翼を開張し、虔うやうやしく頸くびを垂れて座を離れ、低く飛揚して疾翔大力を讃嘆すること三匝さんさふにして、徐おもむろに座に復し、拝跪はいきして唯ただ願ふらく、疾翔大力、疾翔大力、たゞ我等が為ためにこれを説き給へ。たゞ我等が為に之を説き給へと。

疾翔大力微笑して、金色こんじきの円光を以もって頭かうべに被れるに、その光遍あまねく一座を照し、諸鳥歓喜充満せり。則ち説いて曰く、

汝等なんぢら審つまびらかに諸の悪業を作る。或あるいは夜陰を以て小禽せうきんの家に至る。時に小禽既すでに終日日光に浴し、歌唄かばい跳躍して疲労をなし、唯唯甘美の睡眠中にあり。汝等飛躍して之を握つかむ。利爪りさう深くその身に入り、諸の小禽痛苦又声を発するなし。則ち之を裂きて擅ほしいままに噉食たんじきす。或は沼田せうでんに至り螺蛤らかふを啄ついばむ。螺蛤軟泥中にあり、心柔輭にうなんにして唯温水を憶おもふ。時に俄にはかに身空中にあり、或は直ちに身を破る、悶乱もんらん声を絶す。汝等之を噉食たんじきするに、又懺悔ざんげの念あることなし。

斯かくの如ごときの諸の悪業あくごふ、挙げて数ふるなし。

悪業を以ての故に、更に又諸の悪業を作る。継起して遂つひに竟をはることなし。昼は則ち日光を懼おそれ、又人及および諸の強鳥を恐る。心暫しばらくも安らかなることなし。一度ひとたび梟身けうしんを尽して、又新あらたに梟身を得、審つまびらかに諸の患難を被かうむりて、又尽くることなし。

で前の晩は、諸鳥歓喜充満せりまで、文の如くに講じたが、此この席はその次ぢゃ。則ち説いて曰くと、これは疾翔大力さまが、爾迦夷るかゐ上人のご懇請によって、直ちに説法をなされたと斯かうぢゃ。汝等審つまびらかに諸の悪業を作ると。汝等といふは、元来はわれわれ梟ふくろふや鵄とびなどに対して申さるゝのぢゃが、ご本意は梟にあるのぢゃ、あとのご文の罪相を拝するに、みなわれわれのことぢゃ。悪業といふは、悪は悪いぢゃ、業ごふとは梵語ぼんごでカルマというて、すべて過去になしたることのまだ報むくいとなってあらはれぬを業といふ、善業悪業あるぢゃ。こゝでは悪業といふ。その事柄を次にあげなされたぢゃ。或は夜陰を以て、小禽せうきんの家に至ると。みなの衆、他人事ひとごとではないぞよ。よくよく自みづからの胸にたづねて見なされ。夜陰とは夜のくらやみぢゃ。以てとは、これは乗じてといふがやうの意味ぢゃ。夜のくらやみに乗じてと、斯うぢゃ。小禽の家に至る。小禽とは、雀すずめ、山雀やまがら、四十雀しじふから、ひは、百舌もず、みそさざい、かけす、つぐみ、すべて形小にして、力ないものは、みな小禽ぢゃ。その形小さく力無い鳥の家に参るといふのぢゃが、参るといふてもたゞ訪ねて参るでもなければ、遊びに参るでもないぢゃ、内に深く残忍の想を潜め、外又恐るべく悲しむべき夜叉相やしゃさうを浮べ、密ひそやかに忍んで参ると斯かう云ふことぢゃ。このご説法のころは、われらの心も未だ仲々善心もあったぢゃ、小禽せうきんの家に至るとお説きなされば、はや聴法の者、みな慄然りつぜんとして座に耐へなかったぢゃ。今は仲々さうでない。今ならば疾翔大力しっしょうたいりきさま、まだまだ強く烈はげしくご説法であらうぞよ。みなの衆、よくよく心にしみて聞いて下され。

次のご文は、時に小禽既すでに終日日光に浴し、歌唄かばい跳躍して、疲労をなし、唯々ただただ甘美の睡眠中にあり。他人事ひとごとではないぞよ。どうぢゃ、今朝も今朝とて穂吉どの処ところを替へてこの身の上ぢゃ、」

説教の坊さんの声が、俄にはかにおろおろして変りました。穂吉のお母さんの梟ふくろふはまるで帛きぬを裂くやうに泣き出し、一座の女の梟は、たちまちそれに従ついて泣きました。

それから男の梟も泣きました。林の中はたゞむせび泣く声ばかり、風も出て来て、木はみなぐらぐらゆれましたが、仲々誰たれも泣きやみませんでした。星はだんだんめぐり、赤い火星ももう西ぞらに入りました。

梟の坊さんはしばらくゴホゴホ咳嗽せきをしてゐましたが、やっと心を取り直して、又講義をつゞけました。

「みなの衆、まづ試ためしに、自分がみそさざいにでもなったと考へてご覧らうじ。な。天道てんとうさまが、東の空へ金色こんじきの矢を射なさるぢゃ、林樹は青く枝は揺るゝ、楽しく歌をばうたふのぢゃ、仲よくあうた友だちと、枝から枝へ木から木へ、天道さまの光の中を、歌って歌って参るのぢゃ、ひるごろならば、涼しい葉陰にしばしやすんで黙るのぢゃ、又ちちと鳴いて飛び立つぢゃ、空の青板をめざすのぢゃ、又小流れに参るのぢゃ、心の合うた友だちと、たゞ暫しばらくも離れずに、歌って歌って参るのぢゃ、さてお天道さまが、おかくれなされる、からだはつかれてとろりとなる、油のごとく、溶けるごとくぢゃ。いつかまぶたは閉ぢるのぢゃ、昼の景色を夢見るぢゃ、からだは枝に留まれど、心はなほも飛びめぐる、たのしく甘いつかれの夢の光の中ぢゃ。そのとき俄かにひやりとする。夢かうつつか、愕おどろき見れば、わが身は裂けて、血は流れるぢゃ。燃えるやうなる、二つの眼が光ってわれを見詰むるぢゃ。どうぢゃ、声さへ発たたうにも、咽喉のどが狂うて音が出ぬぢゃ。これが則すなはち利爪りさう深くその身に入り、諸もろもろの小禽せうきん痛苦又声を発するなしの意なのぢゃぞ。されどもこれは、取らるゝ鳥より見たるものぢゃ。捕る此方こなたより眺むれば、飛躍して之を握つかむと斯うぢゃ。何の罪なく眠れるものを、たゞ一打ひとうちととびかゝり、鋭い爪つめでその柔やはらかな身体からだをちぎる、鳥は声さへよう発てぬ、こちらはそれを嘲笑あざわらひつゝ、引き裂くぢゃ。何たるあはれのことぢゃ。この身とて、今は法師にて、鳥も魚も襲はねど、昔おもへば身も世もあらぬ。あゝ罪業ざいごふのこのからだ、夜毎よごと夜毎の夢とては、同じく夜叉やしゃの業をなす。宿業しゅくごふの恐ろしさ、たゞたゞ呆あきるゝばかりなのぢゃ。」

風がザアッとやって来ました。木はみな波のやうにゆすれ、坊さんの梟も、その中に漂ふ舟のやうにうごきました。

そして東の山のはから、昨日の金角、二十五日のお月さまが、昨日よりは又ずうっと瘠やせて上りました。林の中はうすいうすい霧のやうなものでいっぱいになり、西の方からあの梟ふくろふのお父さんがしょんぼり飛んで帰って来ました。

※

旧暦六月二十六日の晩でした。

そらがあんまりよく霽はれてもう天の川の水は、すっかりすきとほって冷たく、底のすなごも数へられるやう、またじっと眼をつぶってゐると、その流れの音さへも聞えるやうな気がしました。けれどもそれは或あるいは空の高い処ところを吹いてゐた風の音だったかも知れません。なぜなら、星がかげろふの向ふ側にでもあるやうに、少しゆれたり明るくなったり暗くなったりしてゐましたから。

獅子鼻ししはなの上の松林には今夜も梟ふくろふの群が集まりました。今夜は穂吉が来てゐました。来てはゐましたが一昨日をととひの晩の処にでなしに、おぢいさんのとまる処よりももっと高いところで小さな枝の二本行きちがひ、それからもっと小さな枝が四五本出て、一寸ちょっと盃さかづきのやうな形になった処へ、どこから持って来たか藁屑わらくづや髪の毛などを敷いて臨時に巣がつくられてゐました。その中に穂吉が半分横になって、じっと目をつぶってゐました。梟のお母さんと二人の兄弟とが穂吉のまはりに座って穂吉のからだを支へるやうにしてゐました。林中のふくろふは、今夜は一人も泣いてはゐませんでしたが怒ってゐることはみんな、昨夜処ゆふべどころではありませんでした。

「傷みはどうぢゃ。いくらか薄らいだかの。」

あの坊さんの梟がいつもの高い処からやさしく訊たづねました。穂吉は何か云はうとしたやうでしたが、たゞ眼がパチパチしたばかり、お母さんが代って答へました。

「折角こらへてゐるやうでございます。よく物が申せないのでございます。それでもどうしても、今夜のお説教を聴聞ちゃうもんいたしたいといふやうでございましたので。もうどうかかまはずご講義をねがひたう存じます。」

梟の坊さんは空を見上げました。

「殊勝なお心掛けぢゃ。それなればこそ、たとへ脚をば折られても、二度と父母の処へも戻ったのぢゃ。なれども健すこやかな二本の脚を、何面白いこともないに、捩ねぢって折って放すとは、何といふ浅間あさましい人間の心ぢゃ。」

「放されましても二本の脚を折られてどうしてまあすぐ飛べませう。あの萱原かやはらの中に落ちてひいひい泣いてゐたのでございます。それでも昼の間は、誰たれも気付かずやっと夕刻、私が顔を見ようと出て行きましたらこのていたらくでございまする。」

「うん。尤もっともぢゃ。なれども他人は恨むものではないぞよ。みな自みづからがもとなのぢゃ。恨みの心は修羅しゅらとなる。かけても他人は恨むでない。」

穂吉はこれをぼんやり夢のやうに聞いてゐました。子供がもう厭あきて「遁にがしてやるよ」といって外へ連れて出たのでした。そのとき、ポキッと脚を折ったのです。その両脚は今でもまだしんしんと痛みます。眼を開いてもあたりがみんなぐらぐらして空さへ高くなったり低くなったりわくわくゆれてゐるやう、みんなの声も、たゞぼんやりと水の中からでも聞くやうです。ああ僕ぼくはきっともう死ぬんだ。こんなにつらい位ならほんたうに死んだ方がいゝ。それでもお父さんやお母さんは泣くだらう。泣くたって一体お父さんたちは、まだ僕の近くに居るだらうか、あゝ痛い痛い。穂吉は声もなく泣きました。

「あんまりひどいやつらだ。こっちは何一つ向ふの為ために悪いやうなことをしないんだ。それをこんなことをして、よこす。もうだまってはゐられない。何かし返ししてやらう。」一疋ぴきの若い梟ふくろふが高く云ひました。すぐ隣りのが答へました。

「火をつけようぢゃないか。今度屑焼くづやきのある晩に燃えてる長い藁わらを、一本あの屋根までくはへて来よう。なあに十本も二十本も運んでゐるうちにはどれかすぐ燃えつくよ。けれども火事で焼けるのはあんまり楽だ。何かも少しひどいことがないだらうか。」

又その隣りが答へました。

「戸のあいてる時をねらって赤子の頭を突いてやれ。畜生め。」

梟の坊さんは、じっとみんなの云ふのを聴いてゐましたがこの時しづかに云ひました。

「いやいや、みなの衆、それはいかぬぢゃ。これほど手ひどい事なれば、必らず仇あだを返したいはもちろんの事ながら、それでは血で血を洗ふのぢゃ。こなたの胸が霽はれるときは、かなたの心は燃えるのぢゃ。いつかはまたもっと手ひどく仇を受けるぢゃ、この身終って次の生しゃうまで、その妄執まうしふは絶えぬのぢゃ。遂つひには共に修羅しゅらに入り闘諍とうさうしばらくもひまはないぢゃ。必らずともにさやうのたくみはならぬぞや。」

けたたましくふくろふのお母さんが叫びました。

「穂吉穂吉しっかりおし。」

みんなびくっとしました。穂吉のお父さんもあわてて穂吉の居た枝に飛んで行きましたがとまる所がありませんでしたからすぐその上の枝にとまりました。穂吉のおぢいさんも行きました。みんなもまはりに集りました。穂吉はどうしたのか折られた脚をぷるぷる云はせその眼は白く閉ぢたのです。お父さんの梟は高く叫びました。

「穂吉、しっかりするんだよ。今お説教がはじまるから。」

穂吉はパチッと眼をひらきました。それから少し起きあがりました。見えない眼でむりに向ふを見ようとしてゐるやうでした。

「まあよかったね。やっぱりつかれてゐるんだらう。」女の梟たちは云ひ合ひました。

坊さんの梟はそこで云ひました。

「さあ、講釈をはじめよう。みなの衆座にお戻りなされ。今夜は二十六日ぢゃ、来月二十六日はみなの衆も存知の通り、二十六夜待ちぢゃ。月天子ぐわってんし山のはを出いでんとして、光を放ちたまふとき、疾翔大力しっしょうたいりき、爾迦夷るかゐ波羅夷はらゐの三尊が、東のそらに出現まします。今宵こよひは月は異なれど、まことの心には又あらはれ給はぬことでない。穂吉どのも、たゞ一途いちづに聴聞ちゃうもんの志ぢゃげなで、これからさっそく講ずるといたさう。穂吉どの、さぞ痛からう苦しからう、お経の文とて仲々耳には入るまいなれど、そのいたみ悩みの心の中に、いよいよ深く疾翔大力さまのお慈悲を刻みつけるぢゃぞ、いゝかや、まことにそれこそ菩提ぼだいのたねぢゃ。」

梟の坊さんの声が又少し変りました。一座はしいんとなりました。林の中にもう鳴き出した秋の虫があります。坊さんはしばらく息をこらして気を取り直しそれから厳いかめしい声で願をたててから昨夜の続きをはじめました。

「梟鵄けうし救護くご章 梟鵄救護章

諸もろもろの仁者じんしゃ掌てを合せて至心に聴き給へ。我今疾翔大力しっしょうたいりきが威神力を享うけて梟鵄救護章の一節を講ぜんとす。唯ただ願ふらくはかの如来にょらい大慈だいじ大悲だいひ我が小願の中に於おいて大神力を現じ給ひ妄言まうげん綺語きごの淤泥おでいを化けして光明顕色けんじきの浄瑠璃じゃうるりとなし、浮華ふくわの中より清浄しゃうじゃうの青蓮華しゃうれんげを開かしめ給はんことを。至心欲願、南無仏南無仏南無仏。

爾その時に疾翔大力、爾迦夷るかゐに告げて曰いはく、諦あきらかに聴け諦に聴け。善よく之これを思念せよ。我今汝なんぢに梟鵄諸もろもろの悪禽あくきん離苦りく解脱げだつの道を述べんと。

爾迦夷則すなはち両翼を開張し、虔うやうやしく頸くびを垂れて座を離れ、低く飛揚して疾翔大力を讃嘆すること三匝さんさふにして、徐おもむろに座に復し、拝跪はいきして願ふらく疾翔大力、疾翔大力、たゞ我等が為ためにこれを説き給へ。たゞ我等が為にこれを説き給へと。

疾翔大力、微笑して金色こんじきの円光を以もって頭かうべに被れるに、諸鳥歓喜充満せり。則ち説いて曰く、

汝等審つまびらかに諸の悪業あくごふを作る。或あるいは夜陰を以て小禽せうきんの家に至る。時に小禽既すでに終日日光に浴し、歌唄かばい跳躍して疲労をなし、唯唯甘美の睡眠中にあり、汝等飛躍して之を握つかむ。利爪りさう深くその身に入り、諸の小禽痛苦又声を発するなし、則ち之を裂きて擅ほしいままに噉食たんじきす。或は沼田せうでんに至り、螺蛤らかふを啄ついばむ。螺蛤軟泥中にあり、心柔輭にうなんにして唯温水を憶おもふ。時に俄にはかに身空中にあり、或は直ちに身を破る、悶乱もんらん声を絶す。汝等之を噉食するに、又懺悔ざんげの念あることなし。

悪業あくごふを以ての故に、更に又諸の悪業を作る。継起して遂つひに竟をはることなし。昼は則ち日光を懼おそれ又人及および諸の強鳥を恐る。心暫しばらくも安らかなることなし。一度梟身けうしんを尽して、又新あらたに梟身を得。審つまびらかに諸の患難を被かうむりて、又尽くることなし。

で前の晩は、斯かくの如ごときの諸の悪業、挙げて数ふることなし、まで講じたが、今夜はその次ぢゃ。

悪業を以ての故に、更に又諸の悪業を作ると、これは誠に短いながら、強いお語ことばぢゃ。先刻人間に恨みを返すとの議があった節、申した如くぢゃ、一の悪業によって一の悪果を見る。その悪果故に、又新なる悪業を作る。斯の如く展転して、遂つひにやむときないぢゃ。車輪のめぐれどもめぐれども終らざるが如くぢゃ。これを輪廻りんねといひ、流転るてんといふ。悪より悪へとめぐることぢゃ。継起して遂つひに竟をはることなしと云ふがそれぢゃ。いつまでたっても終りにならぬ、どこどこまでも悪因悪果、悪果によって新に悪因をつくる。な。斯かうぢゃ、浮うかむ瀬とてもあるまいぢゃ。昼は則すなはち日光を懼おそれ、又人及および諸の強鳥を恐る。心暫しばらくも安らかなることなし。これは流転の中の、つらい模様をわれらにわかるやう、直ぢかに申されたのぢゃ。勿体もったいなくも、我等は光明の日天子にってんしをば憚はばかり奉る。いつも闇やみとみちづれぢゃ。東の空が明るくなりて、日天子さまの黄金きんの矢が高く射出さるれば、われらは恐れて遁にげるのぢゃ。もし白昼にまなこを正しく開くならば、その日天子の黄金の征欠そやに伐うたれるぢゃ。それほどまでに我等は悪業あくごふの身ぢゃ。又人及諸の強鳥を恐る。な。人を恐るゝことは、今夜今ごろ講ずることの限りでない。思ひ合せてよろしからう。諸の強鳥を恐る。鷹たかやはやぶさ、又さほど強くはなけれども日中なれば烏などまで恐れねばならぬ情ない身ぢゃ。はやぶさなれば空よりすぐに落ちて来て、こなたが小鳥をつかむときと同じやうなるありさまぢゃ、たちまち空で引き裂かれるぢゃ、少しのさからひをしたとて、何にもならぬ、げにもげにも浅間あさましくなさけないわれらの身ぢゃ。」

梟ふくろふの坊さんは一寸ちょっと声を切りました。今夜ももう一時の上のぼりの汽車の音が聞えて来ました。その音を聞くと梟どもは泣きながらも、汽車の赤い明るいならんだ窓のことを考へるのでした。講釈がまた始まりました。

「心暫しばらくも安らかなることなしと、どうぢゃ、みなの衆、たゞの一時いっときでも、ゆっくりと何の心配もなく落ち着いたことがあるかの。もういつでもいつでもびくびくものぢゃ。一度ひとたび梟身けうしんを尽して又新あらたに梟身を得うと斯かうぢゃ。泣いて悔やんで悲しんで、つひには年老とる、病気になる、あらんかぎりの難儀をして、それで死んだら、もうこの様な悪鳥の身を離れるかとならば、仲々さうは参らぬぞや。身に染み込んだ罪業ざいごふから、又梟に生れるぢゃ。斯かくの如ごとくにして百生しゃう、二百生、乃至ないし劫こふをも亙わたるまで、この梟身を免れぬのぢゃ。審つまびらかに諸の患難を蒙かうむりて又尽くることなし。もう何もかも辛つらいことばかりぢゃ。さて今東の空は黄金きん色になられた。もう月天子ぐわってんしがお出ましなのぢゃ。来月二十六夜ならば、このお光に疾翔大力しっしょうたいりきさまを拝み申すぢゃなれど、今宵こよひとて又拝み申さぬことでない、みなの衆、ようくまごゝろを以て仰ぎ奉るぢゃ。」

二十六夜の金いろの鎌かまの形のお月さまが、しづかにお登りになりました。そこらはぼおっと明るくなり、下では虫が俄にはかにしいんしいんと鳴き出しました。

遠くの瀬の音もはっきり聞えて参りました。

お月さまは今はすうっと桔梗ききゃういろの空におのぼりになりました。それは不思議な黄金きんの船のやうに見えました。

俄かにみんなは息がつまるやうに思ひました。それはそのお月さまの船の尖とがった右のへさきから、まるで花火のやうに美しい紫いろのけむりのやうなものが、ばりばりばりと噴き出たからです。けむりは見る間にたなびいて、お月さまの下すっかり山の上に目もさめるやうな紫の雲をつくりました。その雲の上に、金いろの立派な人が三人まっすぐに立ってゐます。まん中の人はせいも高く、大きな眼でじっとこっちを見てゐます。衣のひだまで一一はっきりわかります。お星さまをちりばめたやうな立派な瓔珞やうらくをかけてゐました。お月さまが丁度その方の頭のまはりに輪になりました。

右と左に少し丈の低い立派な人が合掌して立ってゐました。その円光はぼんやり黄金きんいろにかすみうしろにある青い星も見えました。雲がだんだんこっちへ近づくやうです。

「南無なむ疾翔大力しっしょうたいりき、南無疾翔大力。」

みんなは高く叫びました。その声は林をとゞろかしました。雲がいよいよ近くなり、捨身菩薩しゃしんぼさつのおからだは、十丈ばかりに見えそのかゞやく左手がこっちへ招くやうに伸びたと思ふと、俄にはかに何とも云へないいゝかをりがそこらいちめんにして、もうその紫の雲も疾翔大力の姿も見えませんでした。たゞその澄み切った桔梗ききゃういろの空にさっきの黄金きんいろの二十六夜のお月さまが、しづかにかかってゐるばかりでした。

「おや、穂吉さん、息つかなくなったよ。」俄に穂吉の兄弟が高く叫びました。

ほんたうに穂吉はもう冷たくなって少し口をあき、かすかにわらったまゝ、息がなくなってゐました。そして汽車の音がまた聞えて来ました。

底本 / Source edition

底本:「新修宮沢賢治全集 第九巻」筑摩書房
1975(昭和50)年7月15日初版第1刷
1983(昭和58)年12月20日初版第6刷
※底本は旧仮名ですが、拗促音は小書きされています。これにならい、ルビの拗促音も、小書きにしました。
入力:林 幸雄
校正:土屋隆
2008年2月27日作成
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TEI
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プレーンテキスト / Plain text
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書誌 / Bibliography
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宮沢 賢治「二十六夜」(新字旧仮名)、底本『新修宮沢賢治全集 第九巻』筑摩書房、1979年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 004427_000081, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

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