## 一

<ruby><rb>彼</rb><rt>か</rt></ruby>の人の眠りは、<ruby><rb>徐</rb><rt>しず</rt></ruby>かに覚めて行った。まっ黒い夜の中に、更に冷え圧するものの<ruby><rb>澱</rb><rt>よど</rt></ruby>んでいるなかに、目のあいて来るのを、覚えたのである。

した　した　した。耳に伝うように来るのは、水の垂れる音か。ただ凍りつくような暗闇の中で、おのずと<ruby><rb>睫</rb><rt>まつげ</rt></ruby>と睫とが離れて来る。膝が、<ruby><rb>肱</rb><rt>ひじ</rt></ruby>が、<ruby><rb>徐</rb><rt>おもむ</rt></ruby>ろに埋れていた感覚をとり戻して来るらしく、彼の人の頭に響いて居るもの――。全身にこわばった筋が、僅かな響きを立てて、掌・足の裏に到るまで、<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">ひきつれ</span>を起しかけているのだ。

そうして、なお深い闇。ぽっちりと目をあいて見廻す瞳に、まず<ruby><rb>圧</rb><rt>あっ</rt></ruby>しかかる黒い<ruby><rb>巌</rb><rt>いわお</rt></ruby>の天井を意識した。次いで、氷になった<ruby><rb>岩牀</rb><rt>いわどこ</rt></ruby>。両脇に垂れさがる荒石の壁。したしたと、岩伝う<ruby><rb>雫</rb><rt>しずく</rt></ruby>の音。

時がたった――。眠りの深さが、はじめて頭に浮んで来る。長い眠りであった。けれども亦、浅い夢ばかりを見続けて居た気がする。うつらうつら思っていた考えが、現実に<ruby><rb>繋</rb><rt>つなが</rt></ruby>って、ありありと、目に<ruby><rb>沁</rb><rt>し</rt></ruby>みついているようである。

ああ<ruby><rb>耳面刀自</rb><rt>みみものとじ</rt></ruby>。

<ruby><rb>甦</rb><rt>よみがえ</rt></ruby>った語が、彼の人の記憶を、更に弾力あるものに、響き返した。

耳面刀自。おれはまだお前を……思うている。おれはきのう、ここに来たのではない。それも、おとといや、其さきの日に、ここに眠りこけたのでは、決してないのだ。おれは、もっともっと長く寝て居た。でも、おれはまだ、お前を思い続けて居たぞ。耳面刀自。ここに来る前から……ここに寝ても、……其から覚めた今まで、一続きに、一つ事を考えつめて居るのだ。

古い――祖先以来そうしたように、此世に在る間そう暮して居た――習しからである。彼の人は、<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">のくっと</span>起き直ろうとした。だが、筋々が<ruby><rb>断</rb><rt>き</rt></ruby>れるほどの痛みを感じた。骨の節々の<ruby><rb>挫</rb><rt>くじ</rt></ruby>けるような、<ruby><rb>疼</rb><rt>うず</rt></ruby>きを覚えた。……そうして尚、じっと、――じっとして居る。<ruby><rb>射干玉</rb><rt>ぬばたま</rt></ruby>の闇。黒玉の大きな石壁に、刻み込まれた白々としたからだの様に、厳かに、だが、すんなりと、手を伸べたままで居た。耳面刀自の記憶。ただ其だけの深い凝結した記憶。其が次第に<ruby><rb>蔓</rb><rt>ひろが</rt></ruby>って、過ぎた日の様々な姿を、短い<ruby><rb>聯想</rb><rt>れんそう</rt></ruby>の<ruby><rb>紐</rb><rt>ひも</rt></ruby>に貫いて行く。そうして明るい意思が、彼の人の<ruby><rb>死枯</rb><rt>しにが</rt></ruby>れたからだに、<ruby><rb>再</rb><rt>ふたたび</rt></ruby>立ち直って来た。

耳面刀自。おれが見たのは、唯一目――唯一度だ。だが、おまえのことを聞きわたった年月は、久しかった。おれによって来い。耳面刀自。

記憶の裏から、反省に似たものが浮び出て来た。

おれは、このおれは、何処に居るのだ。……それから、ここは何処なのだ。其よりも第一、此おれは誰なのだ。其をすっかり、おれは忘れた。

だが、待てよ。おれは覚えて居る。あの時だ。鴨が<ruby><rb>声</rb><rt>ね</rt></ruby>を聞いたのだっけ。そうだ。<ruby><rb>訳語田</rb><rt>おさだ</rt></ruby>の家を引き出されて、<ruby><rb>磐余</rb><rt>いわれ</rt></ruby>の池に行った。堤の上には、<ruby><rb>遠捲</rb><rt>とおま</rt></ruby>きに人が一ぱい。あしこの<ruby><rb>萱原</rb><rt>かやはら</rt></ruby>、そこの<ruby><rb>矮叢</rb><rt>ぼさ</rt></ruby>から、首がつき出て居た。皆が、大きな<ruby><rb>喚</rb><rt>おら</rt></ruby>び声を、挙げて居たっけな。あの声は残らず、おれをいとしがって居る、半泣きの<ruby><rb>喚</rb><rt>わめ</rt></ruby>き声だったのだ。其でもおれの心は、澄みきって居た。まるで、池の水だった。あれは、秋だったものな。はっきり聞いたのが、水の上に浮いている鴨鳥の声だった。今思うと――待てよ。其は何だか<ruby><rb>一目惚</rb><rt>ひとめぼ</rt></ruby>れの女の<ruby><rb>哭</rb><rt>な</rt></ruby>き声だった気がする。――おお、あれが耳面刀自だ。其瞬間、肉体と一つに、おれの心は、急に締めあげられるような<ruby><rb>刹那</rb><rt>せつな</rt></ruby>を、通った気がした。<ruby><rb>俄</rb><rt>にわ</rt></ruby>かに、楽な広々とした世間に、出たような感じが来た。そうして、ほんの暫らく、<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">ふっ</span>とそう考えたきりで……、空も見ぬ、土も見ぬ、花や、木の色も消え去った――おれ自分すら、おれが何だか、ちっとも<ruby><rb>訣</rb><rt>わか</rt></ruby>らぬ世界のものになってしまったのだ。

ああ、其時きり、おれ自身、このおれを、忘れてしまったのだ。

足の<ruby><rb>踝</rb><rt>くるぶし</rt></ruby>が、膝の<ruby><rb>膕</rb><rt>ひつかがみ</rt></ruby>が、腰の<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">つがい</span>が、<ruby><rb>頸</rb><rt>くび</rt></ruby>のつけ根が、<ruby><rb>顳顬</rb><rt>こめかみ</rt></ruby>が、ぼんの窪が――と、段々上って来るひよめきの為に<ruby><rb>蠢</rb><rt>うごめ</rt></ruby>いた。自然に、ほんの偶然<ruby><rb>強</rb><rt>こわ</rt></ruby>ばったままの膝が、折り<ruby><rb>屈</rb><rt>かが</rt></ruby>められた。だが、依然として――<ruby><rb>常闇</rb><rt>とこやみ</rt></ruby>。

おおそうだ。伊勢の国に居られる貴い<ruby><rb>巫女</rb><rt>みこ</rt></ruby>――おれの姉御。あのお人が、おれを呼び<ruby><rb>活</rb><rt>い</rt></ruby>けに来ている。

姉御。ここだ。でもおまえさまは、尊い<ruby><rb>御神</rb><rt>おんかみ</rt></ruby>に仕えている人だ。おれのからだに、触ってはならない。そこに居るのだ。じっとそこに、踏み<ruby><rb>止</rb><rt>とま</rt></ruby>って居るのだ。――ああおれは、死んでいる。死んだ。殺されたのだ。――忘れて居た。そうだ。此は、おれの墓だ。

いけない。そこを開けては。塚の通い路の、扉をこじるのはおよし。……よせ。よさないか。姉の馬鹿。

なあんだ。誰も、来ては居なかったのだな。ああよかった。おれのからだが、<ruby><rb>天日</rb><rt>てんぴ</rt></ruby>に<ruby><rb>暴</rb><rt>さら</rt></ruby>されて、見る見る、腐るところだった。だが、おかしいぞ。こうつと――あれは昔だ。あのこじあける音がするのも、昔だ。姉御の声で、塚道の扉を叩きながら、言って居たのも<ruby><rb>今</rb><rt>いんま</rt></ruby>の事――だったと思うのだが。昔だ。

おれのここへ来て、間もないことだった。おれは知っていた。十月だったから、鴨が鳴いて居たのだ。其鴨みたいに、首を<ruby><rb>捻</rb><rt>ね</rt></ruby>じちぎられて、何も訣らぬものになったことも。<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">こうつと</span>――姉御が、墓の戸で哭き喚いて、歌をうたいあげられたっけ。「<ruby><rb>巌岩</rb><rt>いそ</rt></ruby>の上に生ふる<ruby><rb>馬酔木</rb><rt>あしび</rt></ruby>を」と聞えたので、<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">ふと</span>、冬が過ぎて、春も<ruby><rb>闌</rb><rt>た</rt></ruby>け初めた頃だと知った。おれの<ruby><rb>骸</rb><rt>むくろ</rt></ruby>が、もう半分融け出した時分だった。その<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">あと</span>、「たをらめど……見すべき君がありと言はなくに」。そう言われたので、はっきりもう、死んだ人間になった、と感じたのだ。……其時、手で、今してる様にさわって見たら、驚いたことに、おれのからだは、<ruby><rb>著</rb><rt>き</rt></ruby>こんだ著物の下で、<ruby><rb>腊</rb><rt>ほじし</rt></ruby>のように、ぺしゃんこになって居た――。

<ruby><rb>臂</rb><rt>かいな</rt></ruby>が動き出した。片手は、まっくらな<ruby><rb>空</rb><rt>くう</rt></ruby>をさした。そうして、今一方は、そのまま、<ruby><rb>岩牀</rb><rt>いわどこ</rt></ruby>の上を掻き<ruby><rb>捜</rb><rt>さぐ</rt></ruby>って居る。

うつそみの人なる我や。明日よりは、<ruby><rb>二上山</rb><rt>ふたかみやま</rt></ruby>を<ruby><rb>愛兄弟</rb><rt>いろせ</rt></ruby>と思はむ

<ruby><rb>誄歌</rb><rt>なきうた</rt></ruby>が聞えて来たのだ。姉御があきらめないで、も一つつぎ足して、歌ってくれたのだ。其で知ったのは、おれの墓と言うものが、二上山の上にある、と言うことだ。

よい姉御だった。併し、其歌の後で、又おれは、何もわからぬものになってしまった。

其から、どれほどたったのかなあ。どうもよっぽど、長い間だった気がする。伊勢の巫女様、尊い姉御が来てくれたのは、居睡りの夢を<ruby><rb>醒</rb><rt>さま</rt></ruby>された感じだった。其に比べると、今度は深い睡りの<ruby><rb>後</rb><rt>あと</rt></ruby>見たいな気がする。あの音がしてる。昔の音が――。

手にとるようだ。目に見るようだ。心を鎮めて――。鎮めて。でないと、この考えが、<ruby><rb>復</rb><rt>また</rt></ruby>散らかって行ってしまう。おれの昔が、ありありと訣って来た。だが待てよ。……其にしても一体、ここに居るおれは、だれなのだ。だれの子なのだ。だれの<ruby><rb>夫</rb><rt>つま</rt></ruby>なのだ。其をおれは、忘れてしまっているのだ。

両の臂は、頸の廻り、胸の上、腰から膝をまさぐって居る。そうしてまるで、生き物のするような、深い<ruby><rb>溜</rb><rt>た</rt></ruby>め<ruby><rb>息</rb><rt>いき</rt></ruby>が<ruby><rb>洩</rb><rt>も</rt></ruby>れて出た。

大変だ。おれの著物は、もうすっかり<ruby><rb>朽</rb><rt>くさ</rt></ruby>って居る。おれの<ruby><rb>褌</rb><rt>はかま</rt></ruby>は、ほこりになって飛んで行った。どうしろ、と言うのだ。此おれは、著物もなしに、寝て居るのだ。

筋ばしるように、<ruby><rb>彼</rb><rt>か</rt></ruby>の人のからだに、血の<ruby><rb>馳</rb><rt>か</rt></ruby>け廻るに似たものが、過ぎた。<ruby><rb>肱</rb><rt>ひじ</rt></ruby>を支えて、上半身が闇の中に起き上った。

おお寒い。おれを、どうしろと<ruby><rb>仰</rb><rt>おっしゃ</rt></ruby>るのだ。尊いおっかさま。おれが悪かったと言うのなら、あやまります。著物を下さい。著物を――。おれのからだは、地べたに凍りついてしまいます。

彼の人には、声であった。だが、声でないものとして、消えてしまった。声でない<ruby><rb>語</rb><rt>ことば</rt></ruby>が、何時までも続いている。

くれろ。おっかさま。著物がなくなった。すっぱだかで出て来た赤ん坊になりたいぞ。赤ん坊だ。おれは。こんなに、寝床の上を這いずり廻っているのが、だれにも訣らぬのか。こんなに、手足をばたばたやっているおれの、見える奴が居ぬのか。

その<ruby><rb>唸</rb><rt>うめ</rt></ruby>き声のとおり、彼の人の骸は、まるでだだをこねる赤子のように、足もあががに、身あがきをば、くり返して居る。明りのささなかった墓穴の中が、時を経て、薄い氷の膜ほど透けてきて、物のたたずまいを、幾分<ruby><rb>朧</rb><rt>おぼ</rt></ruby>ろに、見わけることが出来るようになって来た。どこからか、月光とも思える薄あかりが、さし入って来たのである。

どうしよう。どうしよう。おれは。――大刀までこんなに、<ruby><rb>錆</rb><rt>さ</rt></ruby>びついてしまった……。

## 二

月は、依然として照って居た。山が高いので、光りにあたるものが少かった。山を照し、谷を輝かして、<ruby><rb>剰</rb><rt>あま</rt></ruby>る光りは、又空に跳ね返って、残る<ruby><rb>隈々</rb><rt>くまぐま</rt></ruby>までも、鮮やかにうつし出した。

足もとには、沢山の峰があった。黒ずんで見える峰々が、入りくみ、絡みあって、深々と<ruby><rb>畝</rb><rt>うね</rt></ruby>っている。其が見えたり隠れたりするのは、この夜更けになって、俄かに出て来た霞の<ruby><rb>所為</rb><rt>せい</rt></ruby>だ。其が又、此冴えざえとした月夜を<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">ほっとり</span>と、暖かく感じさせて居る。

広い<ruby><rb>端山</rb><rt>はやま</rt></ruby>の群った先は、白い砂の光る河原だ。目の下遠く続いた、輝く<ruby><rb>大佩帯</rb><rt>おおおび</rt></ruby>は、石川である。その南北に<ruby><rb>渉</rb><rt>わた</rt></ruby>っている長い光りの筋が、北の端で急に広がって見えるのは、<ruby><rb>凡河内</rb><rt>おおしこうち</rt></ruby>の<ruby><rb>邑</rb><rt>むら</rt></ruby>のあたりであろう。其へ、<ruby><rb>山間</rb><rt>やまあい</rt></ruby>を出たばかりの<ruby><rb>堅塩</rb><rt>かたしお</rt></ruby>川―大和川―が落ちあって居るのだ。そこから、<ruby><rb>乾</rb><rt>いぬい</rt></ruby>の方へ、光りを照り返す平面が、幾つも<ruby><rb>列</rb><rt>つらな</rt></ruby>って見えるのは、<ruby><rb>日下江</rb><rt>くさかえ</rt></ruby>・<ruby><rb>永瀬江</rb><rt>ながせえ</rt></ruby>・<ruby><rb>難波江</rb><rt>なにわえ</rt></ruby>などの水面であろう。

<ruby><rb>寂</rb><rt>しず</rt></ruby>かな夜である。やがて鶏鳴近い山の姿は、一様に露に濡れたように、しっとりとして静まって居る。谷にちらちらする雪のような輝きは、目の下の山田谷に多い、小桜の遅れ咲きである。

一本の路が、真直に通っている。二上山の<ruby><rb>男岳</rb><rt>おのかみ</rt></ruby>・<ruby><rb>女岳</rb><rt>めのかみ</rt></ruby>の間から、急に<ruby><rb>降</rb><rt>さが</rt></ruby>って来るのである。難波から<ruby><rb>飛鳥</rb><rt>あすか</rt></ruby>の都への古い間道なので、日によっては、昼は相応な人通りがある。道は白々と広く、夜目には、芝草の<ruby><rb>蔓</rb><rt>は</rt></ruby>って居るのすら見える。<ruby><rb>当麻路</rb><rt>たぎまじ</rt></ruby>である。<ruby><rb>一降</rb><rt>ひとくだ</rt></ruby>りして又、<ruby><rb>大降</rb><rt>おおくだ</rt></ruby>りにかかろうとする処が、中だるみに、やや<ruby><rb>坦</rb><rt>ひらた</rt></ruby>くなっていた。梢の<ruby><rb>尖</rb><rt>とが</rt></ruby>った<ruby><rb>栢</rb><rt>かえ</rt></ruby>の木の森。半世紀を経た位の木ぶりが、一様に揃って見える。月の光りも薄い木陰全体が、<ruby><rb>勾配</rb><rt>こうばい</rt></ruby>を背負って造られた円塚であった。月は、瞬きもせずに照し、山々は、深く<ruby><rb>眶</rb><rt>まぶた</rt></ruby>を閉じている。

こう　こう　こう。

<ruby><rb>先刻</rb><rt>さっき</rt></ruby>から、聞えて居たのかも知れぬ。あまり<ruby><rb>寂</rb><rt>しず</rt></ruby>けさに馴れた耳は、新な声を聞きつけよう、としなかったのであろう。だから、今珍しく響いて来た感じもないのだ。

こう　こう　こう――こう　こう　こう。

確かに人声である。鳥の夜声とは、はっきりかわった<ruby><rb>韻</rb><rt>ひびき</rt></ruby>を<ruby><rb>曳</rb><rt>ひ</rt></ruby>いて来る。声は、暫らく止んだ。静寂は以前に増し、冴え返って張りきっている。この山の峰つづきに見えるのは、南に幾重ともなく重った、<ruby><rb>葛城</rb><rt>かつらぎ</rt></ruby>の峰々である。<ruby><rb>伏越</rb><rt>ふしごえ</rt></ruby>・<ruby><rb>櫛羅</rb><rt>くしら</rt></ruby>・<ruby><rb>小巨勢</rb><rt>こごせ</rt></ruby>と段々高まって、果ては空の中につき入りそうに、二上山と、この塚にのしかかるほど、真黒に立ちつづいている。

当麻路をこちらへ降って来るらしい影が、見え出した。二つ三つ五つ……八つ九つ。九人の姿である。急な降りを一気に、この河内路へ<ruby><rb>馳</rb><rt>か</rt></ruby>けおりて来る。

九人と言うよりは、九柱の神であった。白い<ruby><rb>著物</rb><rt>きもの</rt></ruby>・白い<ruby><rb>鬘</rb><rt>かずら</rt></ruby>、手は、足は、すべて旅の<ruby><rb>装束</rb><rt>いでたち</rt></ruby>である。頭より上に出た杖をついて――。この<ruby><rb>坦</rb><rt>たいら</rt></ruby>に来て、森の前に立った。

こう　こう　こう。

誰の口からともなく、一時に出た叫びである。山々の<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">こだま</span>は、驚いて一様に、忙しく声を合せた。だが、山は、<ruby><rb>忽</rb><rt>たちまち</rt></ruby>一時の<ruby><rb>騒擾</rb><rt>そうじょう</rt></ruby>から、元の<ruby><rb>緘黙</rb><rt>しじま</rt></ruby>に戻ってしまった。

こう。こう。お出でなされ。藤原<ruby><rb>南家</rb><rt>なんけ</rt></ruby><ruby><rb>郎女</rb><rt>いらつめ</rt></ruby>の<ruby><rb>御魂</rb><rt>みたま</rt></ruby>。

こんな奥山に、迷うて居るものではない。早く、もとの身に戻れ。こう　こう。

お身さまの魂を、今、山たずね尋ねて、尋ねあてたおれたちぞよ。こう　こう　こう。

九つの杖びとは、心から神になって居る。彼らは、杖を地に置き、鬘を解いた。鬘は此時、唯真白な布に過ぎなかった。其を、長さの限り振り<ruby><rb>捌</rb><rt>さば</rt></ruby>いて、一様に塚に向けて振った。

こう　こう　こう。

こう言う動作をくり返して居る間に、自然な感情の<ruby><rb>鬱屈</rb><rt>うっくつ</rt></ruby>と、休息を欲するからだの疲れとが、九体の神の心を、人間に返した。彼らは見る間に、白い布を頭に<ruby><rb>捲</rb><rt>ま</rt></ruby>きこんで鬘とし、杖を手にとった旅人として、立っていた。

おい。<ruby><rb>無言</rb><rt>しじま</rt></ruby>の勤めも此までじゃ。

おお。

八つの声が答えて、彼等は訓練せられた所作のように、忽一度に、草の上に<ruby><rb>寛</rb><rt>くつろ</rt></ruby>ぎ、再杖を横えた。

これで大和も、河内との境じゃで、もう魂ごいの<ruby><rb>行</rb><rt>ぎょう</rt></ruby>もすんだ。今時分は、郎女さまのからだは、<ruby><rb>廬</rb><rt>いおり</rt></ruby>の中で魂をとり返して、ぴちぴちして居られようぞ。

ここは、何処だいの。

知らぬかいよ。大和にとっては大和の国、河内にとっては河内の国の<ruby><rb>大関</rb><rt>おおぜき</rt></ruby>。二上の当麻路の関――。

別の<ruby><rb>長老</rb><rt>とね</rt></ruby>めいた者が、説明を<ruby><rb>続</rb><rt>つ</rt></ruby>いだ。

四五十年あとまでは、唯関と言うばかりで、何の<ruby><rb>標</rb><rt>しるし</rt></ruby>もなかった。其があの、近江の滋賀の宮に馴染み深かった、其よ。大和では、<ruby><rb>磯城</rb><rt>しき</rt></ruby>の<ruby><rb>訳語田</rb><rt>おさだ</rt></ruby>の<ruby><rb>御館</rb><rt>みたち</rt></ruby>に居られたお方。池上の堤で命召されたあのお方の<ruby><rb>骸</rb><rt>むくろ</rt></ruby>を、罪人に<ruby><rb>殯</rb><rt>もがり</rt></ruby>するは、災の元と、<ruby><rb>天若日子</rb><rt>あめわかひこ</rt></ruby>の昔語りに任せて、其まま此処にお<ruby><rb>搬</rb><rt>はこ</rt></ruby>びなされて、お<ruby><rb>埋</rb><rt>い</rt></ruby>けになったのが、此塚よ。

以前の声が、もう一層<ruby><rb>皺</rb><rt>しわ</rt></ruby>がれた響きで、話をひきとった。

其時の仰せには、罪人よ。<ruby><rb>吾子</rb><rt>わこ</rt></ruby>よ。吾子の<ruby><rb>為</rb><rt>し</rt></ruby><ruby><rb>了</rb><rt>おお</rt></ruby>せなんだ<ruby><rb>荒</rb><rt>あら</rt></ruby>び心で、吾子よりももっと、わるい<ruby><rb>猛</rb><rt>たけ</rt></ruby>び心を持った者の、大和に来向うのを、待ち押え、<ruby><rb>塞</rb><rt>さ</rt></ruby>え防いで居ろ、と仰せられた。

ほんに、あの頃は、まだおれたちも、<ruby><rb>壮盛</rb><rt>わかざか</rt></ruby>りじゃったに。今ではもう、五十年昔になるげな。

今一人が、相談でもしかける様な、口ぶりを挿んだ。

さいや。あの時も、墓作りに雇われた。その後も、当麻路の修覆に召し出された。此お墓の事は、よく知って居る。ほんの苗木じゃった栢が、此ほどの森になったものな。<ruby><rb>畏</rb><rt>こわ</rt></ruby>かったぞよ。此墓のみ魂が、河内<ruby><rb>安宿部</rb><rt>あすかべ</rt></ruby>から<ruby><rb>石担</rb><rt>いしも</rt></ruby>ちに来て居た男に、<ruby><rb>憑</rb><rt>つ</rt></ruby>いた時はのう。

九人は、完全に<ruby><rb>現</rb><rt>うつ</rt></ruby>し<ruby><rb>世</rb><rt>よ</rt></ruby>の庶民の心に、なり<ruby><rb>還</rb><rt>かえ</rt></ruby>って居た。山の上は、昔語りするには、あまり寂しいことを忘れて居たのである。時の更け過ぎた事が、彼等の心には、現実にひしひしと、感じられ出したのだろう。

もう此でよい。戻ろうや。

よかろ　よかろ。

皆は、鬘をほどき、杖を棄てた白衣の修道者、と言うだけの<ruby><rb>姿</rb><rt>なり</rt></ruby>になった。

だがの。皆も知ってようが、このお塚は、由緒深い、気のおける処ゆえ、もう一度、魂ごいをしておくまいか。

長老の語と共に、修道者たちは、再<ruby><rb>魂呼</rb><rt>たまよば</rt></ruby>いの行を初めたのである。

こう　こう　こう。

おお……。

異様な声を出すものだ、と初めは誰も、自分らの中の一人を疑い、其でも変に、おじけづいた心を持ちかけていた。も一度、

こう　こう　こう。

其時、塚穴の深い奥から、<ruby><rb>冰</rb><rt>こお</rt></ruby>りきった、而も今息を吹き返したばかりの声が、明らかに和したのである。

おおう……。

九人の心は、ばらばらの九人の心々であった。からだも亦ちりぢりに、山田谷へ、竹内谷へ、大阪越えへ、又当麻路へ、峰にちぎれた白い雲のように、消えてしまった。

唯畳まった山と、谷とに響いて、一つの声ばかりがする。

おおう……。

## 三

万法蔵院の北の山陰に、昔から小な<ruby><rb>庵室</rb><rt>あんしつ</rt></ruby>があった。昔からと言うのは、村人がすべて、そう信じて居たのである。荒廃すれば繕い繕いして、人は住まぬ廬に、<ruby><rb>孔雀明王像</rb><rt>くじゃくみょうおうぞう</rt></ruby>が据えてあった。当麻の村人の中には、<ruby><rb>稀</rb><rt>まれ</rt></ruby>に、此が山田寺である、と言うものもあった。そう言う人の伝えでは、万法蔵院は、山田寺の荒れて後、飛鳥の宮の仰せを受けてとも言い、又御自身の御発起からだとも言うが、一人の尊いみ子が、昔の地を占めにお出でなされて、<ruby><rb>大伽藍</rb><rt>だいがらん</rt></ruby>を建てさせられた。其際、山田寺の旧構を残すため、寺の四至の中、北の隅へ、当時立ち<ruby><rb>朽</rb><rt>ぐさ</rt></ruby>りになって居た堂を移し、規模を小くして造られたもの、と伝え言うのであった。そう言えば、山田寺は、<ruby><rb>役君小角</rb><rt>えのきみおづぬ</rt></ruby>が、山林仏教を<ruby><rb>創</rb><rt>はじ</rt></ruby>める最初の<ruby><rb>足代</rb><rt>あししろ</rt></ruby>になった処だと言う伝えが、吉野や、葛城の<ruby><rb>山伏行人</rb><rt>やまぶしぎょうにん</rt></ruby>の間に行われていた。何しろ、万法蔵院の大伽藍が焼けて百年、荒野の道場となって居た、目と鼻との間に、こんな古い建て物が、残って居たと言うのも、不思議なことである。

夜は、もう更けて居た。谷川の<ruby><rb>激</rb><rt>たぎ</rt></ruby>ちの音が、段々高まって来る。二上山の二つの峰の間から、流れくだる水なのだ。

廬の中は、暗かった。炉を<ruby><rb>焚</rb><rt>た</rt></ruby>くことの少い此辺では、<ruby><rb>地下</rb><rt>じげ</rt></ruby>百姓は、夜は真暗な中で、寝たり、坐ったりしているのだ。でもここには、本尊が<ruby><rb>祀</rb><rt>まつ</rt></ruby>ってあった。夜を守って、仏の前で起き明す為には、<ruby><rb>御灯</rb><rt>みあかし</rt></ruby>を照した。

孔雀明王の姿が、あるかないかに、ちろめく光りである。

姫は寝ることを忘れたように、坐って居た。

万法蔵院の上座の<ruby><rb>僧綱</rb><rt>そうごう</rt></ruby>たちの考えでは、まず奈良へ使いを出さねばならぬ。<ruby><rb>横佩家</rb><rt>よこはきけ</rt></ruby>の人々の心を、思うたのである。次には、<ruby><rb>女人結界</rb><rt>にょにんけっかい</rt></ruby>を犯して、境内深く<ruby><rb>這入</rb><rt>はい</rt></ruby>った罪は、<ruby><rb>郎女</rb><rt>いらつめ</rt></ruby>自身に<ruby><rb>贖</rb><rt>あがな</rt></ruby>わさねばならなかった。落慶のあったばかりの浄域だけに、一時は、<ruby><rb>塔頭</rb><rt>たっちゅう</rt></ruby>塔頭の人たちの、青くなったのも、道理である。此は、財物を施入する、と<ruby><rb>謂</rb><rt>い</rt></ruby>ったぐらいではすまされぬ。長期の物忌みを、寺近くに居て果させねばならぬと思った。其で、今日昼の程、奈良へ向って、早使いを出して、郎女の姿が、寺中に現れた<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">ゆくたて</span>を、<ruby><rb>仔細</rb><rt>しさい</rt></ruby>に告げてやったのである。

其と共に姫の身は、此<ruby><rb>庵室</rb><rt>あんしつ</rt></ruby>に暫らく留め置かれることになった。たとい、都からの迎えが来ても、結界を越えた贖いを果す日数だけは、ここに居させよう、と言うのである。

<ruby><rb>牀</rb><rt>ゆか</rt></ruby>は低いけれども、かいてあるにはあった。其替り、天井は<ruby><rb>無上</rb><rt>むしょう</rt></ruby>に高くて、而も<ruby><rb>萱</rb><rt>かや</rt></ruby>のそそけた屋根は、<ruby><rb>破風</rb><rt>はふ</rt></ruby>の脇から、むき出しに、空の星が見えた。風が<ruby><rb>唸</rb><rt>うな</rt></ruby>って過ぎたと思うと、其高い隙から、どっと吹き込んで来た。ばらばら落ちかかるのは、<ruby><rb>煤</rb><rt>すす</rt></ruby>がこぼれるのだろう。明王の前の灯が、<ruby><rb>一時</rb><rt>いっとき</rt></ruby>かっと明るくなった。

その光りで照し出されたのは、あさましく<ruby><rb>荒</rb><rt>すさ</rt></ruby>んだ座敷だけでなかった。荒板の牀の上に、<ruby><rb>薦筵</rb><rt>こもむしろ</rt></ruby>二枚重ねた姫の座席。其に向って、ずっと離れた壁ぎわに、板敷に<ruby><rb>直</rb><rt>じか</rt></ruby>に坐って居る老婆の姿があった。

壁と言うよりは、<ruby><rb>壁代</rb><rt>かべしろ</rt></ruby>であった。天井から吊りさげた<ruby><rb>竪薦</rb><rt>たつごも</rt></ruby>が、幾枚も幾枚も、ちぐはぐに重って居て、どうやら、風は防ぐようになって居る。その壁代に張りついたように坐って居る女、先から<ruby><rb>欬嗽</rb><rt>しわぶき</rt></ruby>一つせぬ静けさである。貴族の家の郎女は、一日もの言わずとも、寂しいとも思わぬ習慣がついて居た。其で、この山陰の一つ家に居ても、<ruby><rb>溜</rb><rt>た</rt></ruby>め<ruby><rb>息</rb><rt>いき</rt></ruby>一つ<ruby><rb>洩</rb><rt>もら</rt></ruby>すのではなかった。<ruby><rb>昼</rb><rt>ひ</rt></ruby>の内此処へ送りこまれた時、一人の<ruby><rb>姥</rb><rt>うば</rt></ruby>のついて来たことは、知って居た。だが、あまり長く音も立たなかったので、人の居ることは忘れて居た。今ふっと明るくなった<ruby><rb>御灯</rb><rt>みあかし</rt></ruby>の色で、その姥の姿から、顔まで一目で見た。どこやら、覚えのある人の気がする。さすがに、姫にも人懐しかった。ようべ家を出てから、<ruby><rb>女性</rb><rt>にょしょう</rt></ruby>には、一人も逢って居ない。今そこに居る姥が、何だか、昔の知り人のように感じられたのも、無理はないのである。見覚えのあるように感じたのは、だが、其親しみ故だけではなかった。

郎女さま。

<ruby><rb>緘黙</rb><rt>しじま</rt></ruby>を破って、<ruby><rb>却</rb><rt>かえっ</rt></ruby>てもの寂しい、<ruby><rb>乾声</rb><rt>からごえ</rt></ruby>が響いた。

郎女は、御存じおざるまい。でも、聴いて見る気はおありかえ。お生れなさらぬ前の世からのことを。それを知った姥でおざるがや。

一旦、口がほぐれると、老女は止めどなく、<ruby><rb>喋</rb><rt>しゃべ</rt></ruby>り出した。姫は、この姥の顔に見知りのある気のした<ruby><rb>訣</rb><rt>わけ</rt></ruby>を、悟りはじめて居た。藤原南家にも、常々、此年よりとおなじような<ruby><rb>媼</rb><rt>おむな</rt></ruby>が、出入りして居た。郎女たちの居る女部屋までも、何時もずかずか這入って来て、<ruby><rb>憚</rb><rt>はばか</rt></ruby>りなく古物語りを語った、あの<ruby><rb>中臣志斐媼</rb><rt>なかとみのしいのおむな</rt></ruby>――。あれと、おなじ表情をして居る。其も、<ruby><rb>尤</rb><rt>もっとも</rt></ruby>であった。志斐老女が、<ruby><rb>藤氏</rb><rt>とうし</rt></ruby>の語部の一人であるように、此も亦、この<ruby><rb>当麻</rb><rt>たぎま</rt></ruby>の村の旧族、当麻真人の「氏の語部」、亡び残りの一人であったのである。

藤原のお家が、今は、四筋に分れて居りまする。じゃが、<ruby><rb>大織冠</rb><rt>たいしょくかん</rt></ruby>さまの代どころでは、ありは致しませぬ。淡海公の時も、まだ一流れのお家でおざりました。併し其頃やはり、藤原は、中臣と二つの筋に<ruby><rb>岐</rb><rt>わか</rt></ruby>れました。中臣の氏人で、藤原の里に栄えられたのが、藤原と、家名の申され初めでおざりました。

藤原のお流れ。今ゆく先も、<ruby><rb>公家摂籙</rb><rt>くげしょうろく</rt></ruby>の家柄。中臣の筋や、おん神仕え。<ruby><rb>差別差別</rb><rt>けじめけじめ</rt></ruby>明らかに、<ruby><rb>御代御代</rb><rt>みよみよ</rt></ruby>の<ruby><rb>宮守</rb><rt>みやまも</rt></ruby>り。じゃが、今は今、昔は昔でおざります。藤原の遠つ<ruby><rb>祖</rb><rt>おや</rt></ruby>、中臣の氏の神、<ruby><rb>天押雲根</rb><rt>あめのおしくもね</rt></ruby>と申されるお方の事は、お聞き及びかえ。

今、奈良の宮におざります日の御子さま。其前は、藤原の宮の日のみ子さま。又其前は、飛鳥の宮の日のみ子さま。大和の<ruby><rb>国中</rb><rt>くになか</rt></ruby>に、宮<ruby><rb>遷</rb><rt>うつ</rt></ruby>し、宮<ruby><rb>奠</rb><rt>さだ</rt></ruby>め遊した<ruby><rb>代々</rb><rt>よよ</rt></ruby>の日のみ子さま。長く久しい御代御代に仕えた、中臣の家の神業。郎女さま。お聞き及びかえ。遠い代の昔語り。耳明らめてお聴きなされ。中臣・藤原の遠つ祖あめの<ruby><rb>押雲根命</rb><rt>おしくもね</rt></ruby>。遠い昔の日のみ子さまのお<ruby><rb>喰</rb><rt>め</rt></ruby>しの、<ruby><rb>飯</rb><rt>いい</rt></ruby>と、み<ruby><rb>酒</rb><rt>き</rt></ruby>を作る御料の水を、大和国中残る<ruby><rb>隈</rb><rt>くま</rt></ruby>なく捜し<ruby><rb>覓</rb><rt>もと</rt></ruby>めました。

その頃、国原の水は、<ruby><rb>水渋</rb><rt>そぶ</rt></ruby>臭く、土濁りして、日のみ子さまのお喰しの<ruby><rb>料</rb><rt>しろ</rt></ruby>に叶いません。天の神<ruby><rb>高天</rb><rt>たかま</rt></ruby>の<ruby><rb>大御祖</rb><rt>おおみおや</rt></ruby>教え給えと祈ろうにも、国中は国低し。山々も<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">まんだ</span>天遠し。大和の国とり囲む青垣山では、この二上山。空行く雲の通い路と、昇り立って祈りました。その時、高天の大御祖のお示しで、中臣の祖押雲根命、天の水の湧き口を、此二上山に<ruby><rb>八</rb><rt>や</rt></ruby>ところまで見とどけて、其後久しく、日のみ子さまのおめしの湯水は、代々の中臣自身、此山へ汲みに参ります。お聞き及びかえ。

当麻真人の、氏の物語りである。そうして其が、中臣の神わざと<ruby><rb>繋</rb><rt>つなが</rt></ruby>りのある点を、座談のように語り進んだ姥は、ふと口をつぐんだ。外には、瀬音が荒れて聞えている。中臣・藤原の遠祖が、<ruby><rb>天二上</rb><rt>あめのふたかみ</rt></ruby>に求めた<ruby><rb>天八井</rb><rt>あめのやい</rt></ruby>の水を集めて、峰を流れ降り、岩にあたって<ruby><rb>漲</rb><rt>みなぎ</rt></ruby>り<ruby><rb>激</rb><rt>たぎ</rt></ruby>つ川なのであろう。瀬音のする方に向いて、姫は、<ruby><rb>掌</rb><rt>たなそこ</rt></ruby>を合せた。

併しやがて、ふり向いて、<ruby><rb>仄暗</rb><rt>ほのぐら</rt></ruby>くさし寄って来ている姥の姿を見た時、言おうようない<ruby><rb>畏</rb><rt>おそろ</rt></ruby>しさと、せつかれるような忙しさを、一つに感じたのである。其に、志斐姥の、本式に物語りをする時の表情が、此老女の顔にも現れていた。今、当麻の語部の姥は、<ruby><rb>神憑</rb><rt>かみがか</rt></ruby>りに入るらしく、わなわな震いはじめて居るのである。

## 四

ひさかたの　　<ruby><rb>天二上</rb><rt>あめふたかみ</rt></ruby>に、

<ruby><rb>我</rb><rt>あ</rt></ruby>が登り　　　見れば、

とぶとりの　　<ruby><rb>明日香</rb><rt>あすか</rt></ruby>

ふる里の　　　<ruby><rb>神南備山隠</rb><rt>かむなびごも</rt></ruby>り、

家どころ　　　<ruby><rb>多</rb><rt>さは</rt></ruby>に見え、

<ruby><rb>豊</rb><rt>ゆた</rt></ruby>にし　　　　<ruby><rb>屋庭</rb><rt>やには</rt></ruby>は見ゆ。

<ruby><rb>弥彼方</rb><rt>いやをち</rt></ruby>に　　　見ゆる<ruby><rb>家群</rb><rt>いへむら</rt></ruby>

藤原の　　　　<ruby><rb>朝臣</rb><rt>あそ</rt></ruby>が宿。

遠々に　　　　<ruby><rb>我</rb><rt>あ</rt></ruby>が見るものを、

たか〲に　<ruby><rb>我</rb><rt>あ</rt></ruby>が待つものを、

<ruby><rb>処女子</rb><rt>をとめご</rt></ruby>は　　　出で<ruby><rb>通</rb><rt>こ</rt></ruby>ぬものか。

よき耳を　　　聞かさぬものか。

青馬の　　　　<ruby><rb>耳面刀自</rb><rt>みゝものとじ</rt></ruby>。

刀自もがも。<ruby><rb>女弟</rb><rt>おと</rt></ruby>もがも。

その子の　　　はらからの子の

処女子の　　　一人

一人だに、　　わが<ruby><rb>配偶</rb><rt>つま</rt></ruby>に<ruby><rb>来</rb><rt>こ</rt></ruby>よ。

ひさかたの　　天二上

二上の<ruby><rb>陽面</rb><rt>かげとも</rt></ruby>に、

生ひをゝり　　<ruby><rb>繁</rb><rt>し</rt></ruby>み咲く

<ruby><rb>馬酔木</rb><rt>あしび</rt></ruby>の　　　にほへる子を

我が　　　　　<ruby><rb>捉</rb><rt>と</rt></ruby>り兼ねて、

馬酔木の　　　あしずりしつゝ

<ruby><rb>吾</rb><rt>あ</rt></ruby>はもよ<ruby><rb>偲</rb><rt>しぬ</rt></ruby>ぶ。藤原処女

歌い<ruby><rb>了</rb><rt>お</rt></ruby>えた姥は、大息をついて、ぐったりした。其から暫らく、山のそよぎ、川瀬の響きばかりが、耳についた。

姥は居ずまいを直して、厳かな<ruby><rb>声音</rb><rt>こわね</rt></ruby>で、<ruby><rb>誦</rb><rt>かた</rt></ruby>り出した。

とぶとりの　飛鳥の都に、日のみ子様のおそば近く<ruby><rb>侍</rb><rt>はべ</rt></ruby>る尊いおん方。ささなみの大津の宮に人となり、<ruby><rb>唐土</rb><rt>もろこし</rt></ruby>の<ruby><rb>学芸</rb><rt>ざえ</rt></ruby>に<ruby><rb>詣</rb><rt>いた</rt></ruby>り深く、<ruby><rb>詩</rb><rt>からうた</rt></ruby>も、此国ではじめて作られたは、大友ノ皇子か、其とも此お方か、と申し伝えられる御方。

近江の都は離れ、飛鳥の都の再栄えたその頃、あやまちもあやまち。日のみ子に弓引くたくみ、恐しや、企てをなされると言う噂が、立ちました。

<ruby><rb>高天原広野姫尊</rb><rt>たかまのはらひろぬひめのみこと</rt></ruby>、おん怒りをお発しになりまして、とうとう池上の堤に引き出して、お討たせになりました。

其お方がお死にの<ruby><rb>際</rb><rt>きわ</rt></ruby>に、深く深く思いこまれた一人のお人がおざりまする。耳面ノ刀自と申す、<ruby><rb>大織冠</rb><rt>たいしょくかん</rt></ruby>のお娘御でおざります。前から深くお思いになって居た、と云うでもありません。唯、此<ruby><rb>郎女</rb><rt>いらつめ</rt></ruby>も、大津の宮離れの時に、都へ呼び返されて、寂しい暮しを続けて居られました。等しく大津の宮に愛着をお持ち遊した右の御方が、<ruby><rb>愈々</rb><rt>いよいよ</rt></ruby>、<ruby><rb>磐余</rb><rt>いわれ</rt></ruby>の池の草の上で、お命召されると言うことを聞いて、一目　見てなごり惜しみがしたくて、こらえられなくなりました。藤原から池上まで、おひろいでお出でになりました。小高い<ruby><rb>柴</rb><rt>しば</rt></ruby>の一むらある中から、御様子を<ruby><rb>窺</rb><rt>うかご</rt></ruby>うて帰ろうとなされました。其時ちらりと、かのお人の、最期に近いお目に止りました。其ひと目が、此世に残る執心となったのでおざりまする。

もゝつたふ　磐余の池に鳴く鴨を　今日のみ見てや、雲隠りなむ

この思いがけない心残りを、お詠みになった歌よ、と私ども<ruby><rb>当麻</rb><rt>たぎま</rt></ruby>の語部の物語りには、伝えて居ります。

その耳面刀自と申すは、淡海公の妹君、郎女の<ruby><rb>祖父</rb><rt>おおじ</rt></ruby>君<ruby><rb>南家太政大臣</rb><rt>なんけだいじょうだいじん</rt></ruby>には、叔母君にお当りになってでおざりまする。

人間の執心と言うものは、怖いものとはお思いなされぬかえ。

其亡き骸は、大和の国を守らせよ、と言う<ruby><rb>御諚</rb><rt>ごじょう</rt></ruby>で、此山の上、河内から来る当麻路の脇にお<ruby><rb>埋</rb><rt>い</rt></ruby>けになりました。其が何と、此世の悪心も何もかも、忘れ果てて<ruby><rb>清々</rb><rt>すがすが</rt></ruby>しい心になりながら、唯そればかりの一念が、残って居る、と申します。藤原四流の中で、一番美しい郎女が、今におき、耳面刀自と、其<ruby><rb>幽界</rb><rt>かくりよ</rt></ruby>の目には、見えるらしいのでおざりまする。女盛りをまだ婿どりなさらぬげの郎女さまが、其力におびかれて、この当麻までお出でになったのでのうて、何でおざりましょう。

当麻路に墓を造りました<ruby><rb>当時</rb><rt>そのかみ</rt></ruby>、石を<ruby><rb>搬</rb><rt>はこ</rt></ruby>ぶ若い衆にのり移った<ruby><rb>霊</rb><rt>たま</rt></ruby>が、あの長歌を<ruby><rb>謳</rb><rt>うと</rt></ruby>うた、と申すのが伝え。

<ruby><rb>当麻語部媼</rb><rt>たぎまのかたりのおむな</rt></ruby>は、南家の郎女の脅える様を想像しながら、物語って居たのかも知れぬ。唯さえ、この深夜、場所も場所である。如何に止めどなくなるのが、「ひとり語り」の癖とは言え、語部の<ruby><rb>古婆</rb><rt>ふるばば</rt></ruby>の心は、自身も思わぬ意地くね悪さを蔵しているものである。此が、神さびた職を寂しく守って居る者の優越感を、充すことにも、なるのであった。

大貴族の郎女は、人の語を疑うことは教えられて居なかった。それに、信じなければならぬもの、とせられて居た語部の物語りである。<ruby><rb>詞</rb><rt>ことば</rt></ruby>の端々までも、真実を感じて、聴いて居る。

言うとおり、昔びとの宿執が、こうして自分を導いて来たことは、まことに違いないであろう。其にしても、<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">ついしか</span>見ぬお姿――尊い御仏と申すような相好が、其お方とは思われぬ。春秋の彼岸中日、入り方の光り輝く雲の上に、まざまざと見たお姿。此<ruby><rb>日本</rb><rt>やまと</rt></ruby>の国の人とは思われぬ。だが、自分のまだ知らぬこの国の<ruby><rb>男子</rb><rt>おのこご</rt></ruby>たちには、ああ言う方もあるのか知らぬ。金色の<ruby><rb>鬢</rb><rt>びん</rt></ruby>、金色の髪の豊かに垂れかかる片肌は、白々と<ruby><rb>袒</rb><rt>ぬ</rt></ruby>いで美しい肩。ふくよかなお顔は、鼻<ruby><rb>隆</rb><rt>たか</rt></ruby>く、眉秀で夢見るように<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">まみ</span>を伏せて、右手は乳の辺に挙げ、脇の下に垂れた左手は、ふくよかな掌を見せて……ああ雲の上に朱の唇、匂いやかにほほ笑まれると見た……その<ruby><rb>俤</rb><rt>おもかげ</rt></ruby>。

日のみ子さまの御側仕えのお人の中には、あの様な人もおいでになるものだろうか。我が家の父や、<ruby><rb>兄人</rb><rt>しょうと</rt></ruby>たちも、世間の男たちとは、とりわけてお美しい、と女たちは噂するが、其すら似もつかぬ……。

尊い<ruby><rb>女性</rb><rt>にょしょう</rt></ruby>は、下賤な人と、口をきかぬのが当時の世の<ruby><rb>掟</rb><rt>おきて</rt></ruby>である。何よりも、其語は、下ざまには通じぬもの、と考えられていた。それでも、此古物語りをする<ruby><rb>姥</rb><rt>うば</rt></ruby>には、貴族の語もわかるであろう。郎女は、恥じながら問いかけた。

そこの人。ものを聞こう。此身の語が、聞きとれたら、答えしておくれ。

その飛鳥の宮の日のみ子さまに仕えた、と言うお方は、昔の罪びとらしいに、其が又何とした<ruby><rb>訣</rb><rt>わけ</rt></ruby>で、姫の前に立ち現れては、<ruby><rb>神々</rb><rt>こうごう</rt></ruby>しく見えるであろうぞ。

此だけの語が言い<ruby><rb>淀</rb><rt>よど</rt></ruby>み、淀みして言われている間に、姥は、郎女の内に動く心もちの、<ruby><rb>凡</rb><rt>およそ</rt></ruby>は、<ruby><rb>気</rb><rt>け</rt></ruby>どったであろう。暗いみ<ruby><rb>灯</rb><rt>あかし</rt></ruby>の光りの代りに、其頃は、もう東白みの明りが、部屋の内の物の形を、<ruby><rb>朧</rb><rt>おぼ</rt></ruby>ろげに<ruby><rb>顕</rb><rt>あらわ</rt></ruby>しはじめて居た。

我が<ruby><rb>説明</rb><rt>ことわけ</rt></ruby>を、お聞きわけられませ。神代の昔びと、<ruby><rb>天若日子</rb><rt>あめわかひこ</rt></ruby>。天若日子こそは、<ruby><rb>天</rb><rt>てん</rt></ruby>の神々に弓引いた罪ある神。其すら、其<ruby><rb>後</rb><rt>ご</rt></ruby>、人の世になっても、氏貴い家々の娘御の<ruby><rb>閨</rb><rt>ねや</rt></ruby>の戸までも、忍びよると申しまする。世に言う「天若みこ」と言うのが、其でおざります。

天若みこ。物語りにも、うき世語りにも申します。お聞き及びかえ。

姥は暫らく口を閉じた。そうして言い出した声は、顔にも、年にも似ず、一段、はなやいで聞えた。

「もゝつたふ」の歌、残された飛鳥の宮の執心びと、世々の藤原の<ruby><rb>一</rb><rt>いち</rt></ruby>の<ruby><rb>媛</rb><rt>ひめ</rt></ruby>に<ruby><rb>祟</rb><rt>たた</rt></ruby>る天若みこも、顔清く、声心<ruby><rb>惹</rb><rt>ひ</rt></ruby>く天若みこのやはり、一人でおざりまする。

お心つけられませ。物語りも早、これまで。

其まま石のように、老女はじっとして居る。冷えた夜も、朝影を感じる頃になると、幾らか温みがさして来る。

万法蔵院は、村からは遠く、山によって立って居た。暁早い鶏の声も、聞えぬ。もう梢を離れるらしい<ruby><rb>塒鳥</rb><rt>ねぐらどり</rt></ruby>が、近い<ruby><rb>端山</rb><rt>はやま</rt></ruby>の<ruby><rb>木群</rb><rt>こむら</rt></ruby>で、<ruby><rb>羽振</rb><rt>はぶ</rt></ruby>きの音を立て初めている。

## 五

おれは<ruby><rb>活</rb><rt>い</rt></ruby>きた。

<ruby><rb>闇</rb><rt>くら</rt></ruby>い空間は、明りのようなものを漂していた。併し其は、蒼黒い<ruby><rb>靄</rb><rt>もや</rt></ruby>の如く、たなびくものであった。

巌ばかりであった。壁も、<ruby><rb>牀</rb><rt>とこ</rt></ruby>も、<ruby><rb>梁</rb><rt>はり</rt></ruby>も、巌であった。自身のからだすらが、既に、巌になって居たのだ。

屋根が壁であった。壁が牀であった。巌ばかり――。触っても触っても、巌ばかりである。手を伸すと、更に堅い巌が、掌に触れた。脚をひろげると、もっと広い<ruby><rb>磐石</rb><rt>ばんじゃく</rt></ruby>の<ruby><rb>面</rb><rt>おもて</rt></ruby>が、感じられた。

<ruby><rb>纔</rb><rt>わず</rt></ruby>かにさす薄光りも、黒い巌石が皆吸いとったように、<ruby><rb>岩窟</rb><rt>いわむろ</rt></ruby>の中に見えるものはなかった。唯<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">けはい</span>――彼の人の探り歩くらしい空気の微動があった。

思い出したぞ。おれが誰だったか、――<ruby><rb>訣</rb><rt>わか</rt></ruby>ったぞ。

おれだ。此おれだ。大津の宮に仕え、飛鳥の宮に呼び戻されたおれ。<ruby><rb>滋賀津彦</rb><rt>しがつひこ</rt></ruby>。其が、おれだったのだ。

歓びの激情を迎えるように、岩窟の中のすべての突角が<ruby><rb>哮</rb><rt>たけ</rt></ruby>びの反響をあげた。彼の人は、立って居た。一本の木だった。だが、其姿が見えるほどの、はっきりした光線はなかった。明りに照し出されるほど、<ruby><rb>纏</rb><rt>まとま</rt></ruby>った<ruby><rb>現</rb><rt>うつ</rt></ruby>し<ruby><rb>身</rb><rt>み</rt></ruby>をも、持たぬ彼の人であった。

唯、岩屋の中に<ruby><rb>矗立</rb><rt>しゅくりつ</rt></ruby>した、立ち枯れの木に過ぎなかった。

おれの名は、誰も伝えるものがない。おれすら忘れて居た。長く久しく、おれ自身にすら忘れられて居たのだ。<ruby><rb>可愛</rb><rt>いと</rt></ruby>しいおれの名は、そうだ。語り伝える子があった筈だ。語り伝えさせる筈の語部も、出来て居ただろうに。――なぜか、おれの心は寂しい。空虚な感じが、しくしくと胸を刺すようだ。

――<ruby><rb>子代</rb><rt>こしろ</rt></ruby>も、<ruby><rb>名代</rb><rt>なしろ</rt></ruby>もない、おれにせられてしまったのだ。そうだ。其に違いない。この物足らぬ、大きな穴のあいた気持ちは、其で、するのだ。おれは、此世に居なかったと同前の人間になって、<ruby><rb>現</rb><rt>うつ</rt></ruby>し<ruby><rb>身</rb><rt>み</rt></ruby>の人間どもには、忘れ<ruby><rb>了</rb><rt>おお</rt></ruby>されて居るのだ。憐みのないおっかさま。おまえさまは、おれの妻の、おれに<ruby><rb>殉死</rb><rt>ともじ</rt></ruby>にするのを、見殺しになされた。おれの妻の生んだ<ruby><rb>粟津子</rb><rt>あわつこ</rt></ruby>は、罪びとの子として、何処かへ連れて行かれた。野山のけだものの<ruby><rb>餌食</rb><rt>えじき</rt></ruby>に、くれたのだろう。可愛そうな妻よ。哀な<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">むすこ</span>よ。

だが、おれには、そんな事などは、何でもない。おれの名が伝らない。<ruby><rb>劫初</rb><rt>ごうしょ</rt></ruby>から末代まで、此世に出ては消える、<ruby><rb>天</rb><rt>あめ</rt></ruby>の<ruby><rb>下</rb><rt>した</rt></ruby>の<ruby><rb>青人草</rb><rt>あおひとぐさ</rt></ruby>と一列に、おれは、此世に、影も形も残さない草の葉になるのは、いやだ。どうあっても、不承知だ。

恵みのないおっかさま。お前さまにお<ruby><rb>縋</rb><rt>すが</rt></ruby>りするにも、其おまえさますら、もうおいででない此世かも知れぬ。

くそ――<ruby><rb>外</rb><rt>そと</rt></ruby>の世界が知りたい。世の中の様子が見たい。

だが、おれの耳は聞える。其なのに、目が見えぬ。この耳すら、世間の語を聞き別けなくなって居る。闇の中にばかり<ruby><rb>瞑</rb><rt>つぶ</rt></ruby>って居たおれの目よ。も一度かっと<ruby><rb>睜</rb><rt>みひら</rt></ruby>いて、現し世のありのままをうつしてくれ、……<ruby><rb>土竜</rb><rt>もぐら</rt></ruby>の目なと、おれに貸しおれ。

声は再、<ruby><rb>寂</rb><rt>しず</rt></ruby>かになって行った。独り言する其声は、彼の人の耳にばかり聞えて居るのであろう。<ruby><rb>丑刻</rb><rt>うし</rt></ruby>に、<ruby><rb>静謐</rb><rt>せいひつ</rt></ruby>の頂上に達した現し世は、其が過ぎると共に、<ruby><rb>俄</rb><rt>にわ</rt></ruby>かに物音が起る。月の、空を行く音すら聞えそうだった四方の山々の上に、まず木の葉が音もなくうごき出した。次いではるかな<ruby><rb>谿</rb><rt>たに</rt></ruby>のながれの色が、白々と見え出す。更に遠く、大和<ruby><rb>国中</rb><rt>くになか</rt></ruby>の、何処からか起る一番鶏のつくる<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">とき</span>。

暁が来たのである。里々の男は、今、女の家の<ruby><rb>閨戸</rb><rt>ねやど</rt></ruby>から、ひそひそと帰って行くだろう。月は早く傾いたけれど、光りは深夜の色を保っている。午前二時に朝の来る生活に、村びとも、宮びとも忙しいとは思わずに、起きあがる。短い暁の目覚めの後、又、物に<ruby><rb>倚</rb><rt>よ</rt></ruby>りかかって、新しい眠りを継ぐのである。

山風は<ruby><rb>頻</rb><rt>しき</rt></ruby>りに、吹きおろす。枝・木の葉の<ruby><rb>相軋</rb><rt>あいひし</rt></ruby>めく音が、やむ間なく聞える。だが其も暫らくで、山は元の<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">ひっそ</span>としたけしきに<ruby><rb>還</rb><rt>かえ</rt></ruby>る。唯、すべてが薄暗く、すべてが<ruby><rb>隈</rb><rt>くま</rt></ruby>を持ったように、<ruby><rb>朧</rb><rt>おぼ</rt></ruby>ろになって来た。

<ruby><rb>岩窟</rb><rt>いわむろ</rt></ruby>は、沈々と<ruby><rb>黝</rb><rt>くら</rt></ruby>くなって冷えて行く。

した　した。水は、岩肌を絞って垂れている。

<ruby><rb>耳面刀自</rb><rt>みみものとじ</rt></ruby>。おれには、子がない。子がなくなった。おれは、その栄えている世の中には、跡を<ruby><rb>貽</rb><rt>のこ</rt></ruby>して来なかった。子を生んでくれ。おれの子を。おれの名を語り伝える子どもを――。

<ruby><rb>岩牀</rb><rt>いわどこ</rt></ruby>の上に、再白々と横って見えるのは、身じろきもせぬからだである。唯その真裸な骨の上に、鋭い感覚ばかりが<ruby><rb>活</rb><rt>い</rt></ruby>きているのであった。

まだ反省のとり戻されぬ<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">むくろ</span>には、心になるものがあって、心はなかった。

耳面刀自の名は、唯の記憶よりも、更に深い印象であったに違いはない。自分すら忘れきった、彼の人の出来あがらぬ心に、骨に<ruby><rb>沁</rb><rt>し</rt></ruby>み、干からびた髄の心までも、唯<ruby><rb>彫</rb><rt>え</rt></ruby>りつけられたようになって、残っているのである。

万法蔵院の<ruby><rb>晨朝</rb><rt>じんちょう</rt></ruby>の鐘だ。夜の<ruby><rb>曙色</rb><rt>あけいろ</rt></ruby>に、一度<ruby><rb>騒立</rb><rt>さわだ</rt></ruby>った物々の胸をおちつかせる様に、鳴りわたる鐘の<ruby><rb>音</rb><rt>ね</rt></ruby>だ。<ruby><rb>一</rb><rt>いっ</rt></ruby>ぱし白みかかって来た東は、更にほの暗い<ruby><rb>明</rb><rt>あ</rt></ruby>け<ruby><rb>昏</rb><rt>ぐ</rt></ruby>れの寂けさに返った。

<ruby><rb>南家</rb><rt>なんけ</rt></ruby>の<ruby><rb>郎女</rb><rt>いらつめ</rt></ruby>は、一茎の草のそよぎでも聴き取れる<ruby><rb>暁凪</rb><rt>あかつきな</rt></ruby>ぎを、自身<ruby><rb>擾</rb><rt>みだ</rt></ruby>すことをすまいと言う風に、見じろきすらもせずに居る。

<ruby><rb>夜</rb><rt>よる</rt></ruby>の<ruby><rb>間</rb><rt>ま</rt></ruby>よりも暗くなった<ruby><rb>廬</rb><rt>いおり</rt></ruby>の中では、明王像の立ち<ruby><rb>処</rb><rt>ど</rt></ruby>さえ見定められぬばかりになって居る。

何処からか吹きこんだ朝山<ruby><rb>颪</rb><rt>おろし</rt></ruby>に、<ruby><rb>御灯</rb><rt>みあかし</rt></ruby>が消えたのである。<ruby><rb>当麻語部</rb><rt>たぎまかたり</rt></ruby>の<ruby><rb>姥</rb><rt>うば</rt></ruby>も、薄闇に<ruby><rb>蹲</rb><rt>うずくま</rt></ruby>って居るのであろう。姫は再、この老女の事を忘れていた。

ただ一刻ばかり前、<ruby><rb>這入</rb><rt>はい</rt></ruby>りの戸を揺った物音があった。一度　二度　三度。更に数度。音は次第に激しくなって行った。<ruby><rb>枢</rb><rt>とぼそ</rt></ruby>がまるで、おしちぎられでもするかと思うほど、音に力のこもって来た時、ちょうど、鶏が鳴いた。其きりぴったり、戸にあたる者もなくなった。

新しい物語が、一切、語部の口にのぼらぬ世が来ていた。けれども、<ruby><rb>頑</rb><rt>かたくな</rt></ruby>な当麻氏の語部の古姥の為に、我々は今一度、去年以来の物語りをしておいても、よいであろう。まことに其は、<ruby><rb>昨</rb><rt>きぞ</rt></ruby>の日からはじまるのである。

## 六

門をはいると、<ruby><rb>俄</rb><rt>にわ</rt></ruby>かに松風が、吹きあてるように響いた。

一町も先に、固まって見える堂<ruby><rb>伽藍</rb><rt>がらん</rt></ruby>――そこまでずっと、砂地である。

白い地面に、広い葉の青いままでちらばって居るのは、<ruby><rb>朴</rb><rt>ほお</rt></ruby>の木だ。

まともに、寺を圧してつき立っているのは、二上山である。其真下に<ruby><rb>涅槃仏</rb><rt>ねはんぶつ</rt></ruby>のような姿に横っているのが麻呂子山だ。其頂がやっと、講堂の屋の棟に、乗りかかっているようにしか見えない。こんな事を、<ruby><rb>女人</rb><rt>にょにん</rt></ruby>の身で知って居る<ruby><rb>訣</rb><rt>わけ</rt></ruby>はなかった。だが、俊敏な此旅びとの胸に、其に似たほのかな<ruby><rb>綜合</rb><rt>そうごう</rt></ruby>の、出来あがって居たのは疑われぬ。暫らくの間、その薄緑の山色を仰いで居た。其から、朱塗りの、激しく光る建て物へ、目を移して行った。

此寺の落慶供養のあったのは、つい四五日<ruby><rb>前</rb><rt>あと</rt></ruby>であった。まだあの日の喜ばしい騒ぎの<ruby><rb>響</rb><rt>とよ</rt></ruby>みが、どこかにする様に、<ruby><rb>麓</rb><rt>ふもと</rt></ruby>の村びと等には、感じられて居る程である。

山颪に吹き<ruby><rb>暴</rb><rt>さら</rt></ruby>されて、荒草深い山裾の斜面に、万法蔵院の細々とした御灯の、<ruby><rb>煽</rb><rt>あお</rt></ruby>られて居たのに目馴れた人たちは、この幸福な転変に、目を<ruby><rb>睜</rb><rt>みは</rt></ruby>って居るだろう。此郷に<ruby><rb>田荘</rb><rt>なりどころ</rt></ruby>を残して、奈良に数代住みついた豪族の主人も、その日は、帰って来て居たっけ。此は、<ruby><rb>天竺</rb><rt>てんじく</rt></ruby>の狐の為わざではないか、其とも、この葛城郡に、昔から残っている<ruby><rb>幻術師</rb><rt>まぼろし</rt></ruby>のする迷わしではないか。あまり<ruby><rb>荘厳</rb><rt>しょうごん</rt></ruby>を極めた建て物に、故知らぬ反感まで<ruby><rb>唆</rb><rt>そそ</rt></ruby>られて、廊を踏み鳴し、柱を叩いて見たりしたものも、その<ruby><rb>供人</rb><rt>ともびと</rt></ruby>のうちにはあった。

数年前の春の初め、野焼きの火が燃えのぼって来て、唯一宇あった<ruby><rb>萱堂</rb><rt>かやどう</rt></ruby>が、<ruby><rb>忽</rb><rt>たちまち</rt></ruby><ruby><rb>痕</rb><rt>あと</rt></ruby>もなくなった。そんな小な事件が起って、注意を促してすら、そこに、<ruby><rb>曾</rb><rt>かつ</rt></ruby>て<ruby><rb>美</rb><rt>うるわ</rt></ruby>しい福田と、寺の<ruby><rb>創</rb><rt>はじ</rt></ruby>められた<ruby><rb>代</rb><rt>よ</rt></ruby>を、思い出す者もなかった程、それはそれは、微かな遠い昔であった。

以前、疑いを持ち初める里の子どもが、其堂の名に、不審を起した。当麻の村にありながら、<ruby><rb>山田寺</rb><rt>やまだでら</rt></ruby>と言ったからである。山の<ruby><rb>背</rb><rt>うしろ</rt></ruby>の河内の国<ruby><rb>安宿部郡</rb><rt>あすかべごおり</rt></ruby>の山田谷から移って二百年、寂しい道場に過ぎなかった。其でも一時は、<ruby><rb>倶舎</rb><rt>くしゃ</rt></ruby>の寺として、栄えたこともあったのだった。

飛鳥の御世の、貴い御方が、此寺の本尊を、お夢に見られて、おん子を遣され、堂舎をひろげ、<ruby><rb>住侶</rb><rt>じゅうりょ</rt></ruby>の数をお殖しになった。おいおい境内になる土地の<ruby><rb>地形</rb><rt>じぎょう</rt></ruby>の進んでいる最中、その若い貴人が、急に亡くなられた。そうなる筈の、風水の相が、「まろこ」の身を招き寄せたのだろう。よしよし墓はそのまま、其村に築くがよい、との仰せがあった。其み墓のあるのが、あの麻呂子山だと言う。まろ子というのは、尊い御一族だけに用いられる語で、おれの子というほどの、意味であった。ところが、其おことばが縁を引いて、此郷の山には、其後亦、貴人をお埋め申すような事が、起ったのである。

だが、そう言う物語りはあっても、それは唯、此里の語部の<ruby><rb>姥</rb><rt>うば</rt></ruby>の口に、そう伝えられている、と言うに過ぎぬ古物語りであった。<ruby><rb>纔</rb><rt>わず</rt></ruby>かに百年、其短いと言える時間も、文字に縁遠い生活には、さながら太古を考えると、同じ昔となってしまった。

旅の若い<ruby><rb>女性</rb><rt>にょしょう</rt></ruby>は、<ruby><rb>型摺</rb><rt>かたず</rt></ruby>りの大様な美しい模様をおいた<ruby><rb>著</rb><rt>き</rt></ruby>る物を襲うて居る。笠は、浅い<ruby><rb>縁</rb><rt>へり</rt></ruby>に、深い<ruby><rb>縹色</rb><rt>はなだいろ</rt></ruby>の布が、うなじを隠すほどに、さがっていた。

日は仲春、空は雨あがりの、<ruby><rb>爽</rb><rt>さわ</rt></ruby>やかな朝である。高原の寺は、人の住む所から、<ruby><rb>自</rb><rt>おのずか</rt></ruby>ら遠く建って居た。唯<ruby><rb>凡</rb><rt>およそ</rt></ruby>、百人の僧俗が、<ruby><rb>寺</rb><rt>じ</rt></ruby>中に起き伏して居る。其すら、引き続く供養<ruby><rb>饗宴</rb><rt>きょうえん</rt></ruby>の疲れで、今日はまだ、遅い朝を、姿すら見せずにいる。

その女人は、日に向ってひたすら輝く<ruby><rb>伽藍</rb><rt>がらん</rt></ruby>の廻りを、残りなく歩いた。寺の南<ruby><rb>境</rb><rt>ざかい</rt></ruby>は、み墓山の裾から、東へ出ている長い崎の尽きた所に、大門はあった。其中腹と、東の鼻とに、西塔・東塔が立って居る。丘陵の道をうねりながら登った旅びとは、東の塔の下に出た。雨の後の水気の、立って居る大和の野は、すっかり澄みきって、<ruby><rb>若昼</rb><rt>わかひる</rt></ruby>のきらきらしい景色になって居る。右手の目の下に、集中して見える丘陵は<ruby><rb>傍岡</rb><rt>かたおか</rt></ruby>で、ほのぼのと北へ流れて行くのが、葛城川だ。平原の真中に、旅笠を伏せたように見える遠い小山は、<ruby><rb>耳無</rb><rt>みみなし</rt></ruby>の<ruby><rb>山</rb><rt>やま</rt></ruby>であった。其右に高くつっ立っている深緑は、<ruby><rb>畝傍山</rb><rt>うねびやま</rt></ruby>。更に遠く日を受けてきらつく水面は、<ruby><rb>埴安</rb><rt>はにやす</rt></ruby>の<ruby><rb>池</rb><rt>いけ</rt></ruby>ではなかろうか。其東に平たくて低い背を見せるのは、聞えた香具山なのだろう。旅の<ruby><rb>女子</rb><rt>おみなご</rt></ruby>の目は、山々の姿を、一つ一つに<ruby><rb>辿</rb><rt>たど</rt></ruby>っている。<ruby><rb>天香具山</rb><rt>あめのかぐやま</rt></ruby>をあれだと考えた時、あの下が、若い<ruby><rb>父母</rb><rt>ちちはは</rt></ruby>の育った、其から、叔父叔母、又一族の人々の、行き来した、藤原の里なのだ。

もう此上は見えぬ、と知れて居ても、ひとりで、爪先立てて伸び上る気持ちになって来るのが抑えきれなかった。

香具山の南の裾に輝く<ruby><rb>瓦舎</rb><rt>かわらや</rt></ruby>は、<ruby><rb>大官大寺</rb><rt>だいかんだいじ</rt></ruby>に違いない。其から更に真南の、山と山との間に、薄く霞んでいるのが、飛鳥の村なのであろう。父の父も、母の母も、其又父母も、皆あのあたりで生い立たれたのであろう。この国の女子に生れて、一足も女部屋を出ぬのを、美徳とする時代に居る身は、親の里も、祖先の土も、まだ踏みも知らぬ。あの<ruby><rb>陽炎</rb><rt>かげろう</rt></ruby>の立っている平原を、此足で、隅から隅まで歩いて見たい。

こう、その<ruby><rb>女性</rb><rt>にょしょう</rt></ruby>は思うている。だが、何よりも大事なことは、此<ruby><rb>郎女</rb><rt>いらつめ</rt></ruby>――貴女は、昨日の暮れ方、奈良の家を出て、ここまで歩いて来ているのである。其も、唯のひとりでであった。

家を出る時、ほんの暫し、心を<ruby><rb>掠</rb><rt>かす</rt></ruby>めた――父君がお聞きになったら、と言う考えも、もう気にはかからなくなって居る。乳母があわてて探すだろう、と言う心が起って来ても、<ruby><rb>却</rb><rt>かえっ</rt></ruby>てほのかな、こみあげ笑いを誘う位の事になっている。

山はずっしりとおちつき、野はおだやかに<ruby><rb>畝</rb><rt>うね</rt></ruby>って居る。こうして居て、何の物思いがあろう。この<ruby><rb>貴</rb><rt>あて</rt></ruby>な娘御は、やがて後をふり向いて、山のなぞえについて、次第に首をあげて行った。

二上山。ああこの山を仰ぐ、言い知らぬ胸騒ぎ。――藤原・飛鳥の里々山々を眺めて覚えた、今の先の心とは、すっかり違った胸の<ruby><rb>悸</rb><rt>ときめ</rt></ruby>き。旅の郎女は、脇目も触らず、山に見入っている。そうして、静かな思いの充ちて来る満悦を、深く覚えた。昔びとは、確実な表現を知らぬ。だが<ruby><rb>謂</rb><rt>い</rt></ruby>わば、――平野の里に感じた喜びは、<ruby><rb>過去生</rb><rt>かこしょう</rt></ruby>に向けてのものであり、今此山を仰ぎ見ての驚きは、<ruby><rb>未来世</rb><rt>みらいせ</rt></ruby>を思う心躍りだ、とも謂えよう。

塔はまだ、厳重に<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">やらい</span>を組んだまま、人の立ち入りを<ruby><rb>禁</rb><rt>いまし</rt></ruby>めてあった。でも、ものに拘泥することを教えられて居ぬ姫は、何時の間にか、塔の<ruby><rb>初重</rb><rt>しょじゅう</rt></ruby>の欄干に、自分のよりかかって居るのに気がついた。そうして、しみじみと山に見入って居る。まるで瞳が、吸いこまれるように。山と自分とに<ruby><rb>繋</rb><rt>つなが</rt></ruby>る深い交渉を、又くり返し思い初めていた。

郎女の家は、奈良東城、右京三条第七坊にある。<ruby><rb>祖父</rb><rt>おおじ</rt></ruby><ruby><rb>武智麻呂</rb><rt>むちまろ</rt></ruby>のここで亡くなって後、父が移り住んでからも、大分の年月になる。父は<ruby><rb>男壮</rb><rt>おとこざかり</rt></ruby>には、<ruby><rb>横佩</rb><rt>よこはき</rt></ruby>の<ruby><rb>大将</rb><rt>だいしょう</rt></ruby>と謂われる程、一ふりの大刀のさげ方にも、工夫を凝らさずには居られぬ<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">だて</span><ruby><rb>者</rb><rt>もの</rt></ruby>であった。<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">なみ</span>の人の<ruby><rb>竪</rb><rt>たて</rt></ruby>にさげて佩く大刀を、横えて吊る佩き方を案出した人である。新しい奈良の都の住人は、まだそうした官吏としての、<ruby><rb>華奢</rb><rt>きゃしゃ</rt></ruby>な服装を<ruby><rb>趣向</rb><rt>この</rt></ruby>むまでに到って居なかった頃、姫の若い父は、近代の時世装に思いを凝して居た。その家に<ruby><rb>覲</rb><rt>たず</rt></ruby>ねて来る古い留学生や、<ruby><rb>新来</rb><rt>いまき</rt></ruby>の帰化僧などに尋ねることも、張文成などの新作の物語りの類を、問題にするようなのとも、亦違うていた。

そうした<ruby><rb>闊達</rb><rt>かったつ</rt></ruby>な、やまとごころの、赴くままにふるもうて居る間に、<ruby><rb>才</rb><rt>ざえ</rt></ruby>優れた<ruby><rb>族人</rb><rt>うからびと</rt></ruby>が、彼を乗り越して行くのに気がつかなかった。姫には叔父、彼――豊成には、さしつぎの弟、仲麻呂である。その父君も、今は筑紫に居る。<ruby><rb>尠</rb><rt>すくな</rt></ruby>くとも、姫などはそう信じて居た。家族の半以上は、<ruby><rb>太宰帥</rb><rt>だざいのそつ</rt></ruby>のはなばなしい生活の装いとして、連れられて行っていた。宮廷から賜る<ruby><rb>資人</rb><rt>とねり</rt></ruby>・<ruby><rb>傔仗</rb><rt>たち</rt></ruby>も、大貴族の家の門地の高さを示すものとして、美々しく著飾らされて、皆任地へついて行った。そうして、奈良の家には、その年は亦とりわけ、寂しい若葉の夏が来た。

<ruby><rb>寂</rb><rt>しず</rt></ruby>かな屋敷には、響く物音もない時が、多かった。この家も世間どおりに、女部屋は、日あたりに疎い北の屋にあった。その西側に、小な<ruby><rb>蔀戸</rb><rt>しとみど</rt></ruby>があって、其をつきあげると、方三尺位な<ruby><rb>牕</rb><rt>まど</rt></ruby>になるように出来ている。そうして、其内側には、夏冬なしに<ruby><rb>簾</rb><rt>すだれ</rt></ruby>が垂れてあって、戸のあげてある時は、外からの隙見を<ruby><rb>禦</rb><rt>ふせ</rt></ruby>いだ。

それから外廻りは、家の広い外郭になって居て、<ruby><rb>大炊屋</rb><rt>おおいや</rt></ruby>もあれば、湯殿<ruby><rb>火焼</rb><rt>ひた</rt></ruby>き<ruby><rb>屋</rb><rt>や</rt></ruby>なども、下人の住いに近く、立っている。<ruby><rb>苑</rb><rt>その</rt></ruby>と言われる菜畠や、ちょっとした果樹園らしいものが、女部屋の窓から見える、唯一の景色であった。

武智麻呂<ruby><rb>存生</rb><rt>ぞんしょう</rt></ruby>の頃から、此屋敷のことを、世間では、<ruby><rb>南家</rb><rt>なんけ</rt></ruby>と呼び慣わして来ている。此頃になって、仲麻呂の威勢が高まって来たので、何となく其古い通称は、人の口から薄れて、其に替る<ruby><rb>称</rb><rt>とな</rt></ruby>えが、行われ出した様だった。三条七坊をすっかり占めた大屋敷を、<ruby><rb>一垣内</rb><rt>ひとかきつ</rt></ruby>――<ruby><rb>一字</rb><rt>ひとあざな</rt></ruby>と<ruby><rb>見倣</rb><rt>みな</rt></ruby>して、<ruby><rb>横佩</rb><rt>よこはき</rt></ruby><ruby><rb>墻内</rb><rt>かきつ</rt></ruby>と言う者が、著しく殖えて来たのである。

その太宰府からの音ずれが、久しく絶えたと思っていたら、都とは目と鼻の難波に、いつか<ruby><rb>還</rb><rt>かえ</rt></ruby>り住んで、遥かに筑紫の政を聴いていた帥の殿であった。其父君から遣された家の子が、<ruby><rb>一車</rb><rt>ひとくるま</rt></ruby>に積み余るほどな家づとを、家に残った家族たち殊に、姫君にと言ってはこんで来た。

山国の狭い平野に、一代一代<ruby><rb>都遷</rb><rt>みやこうつ</rt></ruby>しのあった長い歴史の後、ここ五十年、やっと一つ処に落ちついた奈良の都は、其でもまだ、なかなか整うまでには、行って居なかった。

官庁や、大寺が、にょっきりにょっきり、立っている外は、貴族の屋敷が、処々むやみに場をとって、その相間相間に、板屋や<ruby><rb>瓦屋</rb><rt>かわらや</rt></ruby>が、交りまじりに続いている。其外は、広い水田と、畠と、存外多い<ruby><rb>荒蕪地</rb><rt>こうぶち</rt></ruby>の間に、人の寄りつかぬ塚や<ruby><rb>岩群</rb><rt>いわむら</rt></ruby>が、ちらばって見えるだけであった。兎や、狐が、大路小路を駆け廻る様なのも、毎日のこと。つい此頃も、<ruby><rb>朱雀大路</rb><rt>しゅじゃくおおじ</rt></ruby>の植え木の梢を、夜になると、<ruby><rb>鼯鼠</rb><rt>むささび</rt></ruby>が飛び歩くと言うので、一騒ぎした位である。

横佩家の郎女が、<ruby><rb>称讃浄土仏摂受経</rb><rt>しょうさんじょうどぶつしょうじゅぎょう</rt></ruby>を写しはじめたのも、其頃からであった。父の心づくしの贈り物の中で、一番、姫君の心を<ruby><rb>饒</rb><rt>にぎ</rt></ruby>やかにしたのは、此新訳の<ruby><rb>阿弥陀経</rb><rt>あみだきょう</rt></ruby><ruby><rb>一巻</rb><rt>いちかん</rt></ruby>であった。

国の版図の上では、東に偏り過ぎた山国の首都よりも、太宰府は、遥かに開けていた。大陸から渡る新しい文物は、皆一度は、この<ruby><rb>遠</rb><rt>とお</rt></ruby>の<ruby><rb>宮廷領</rb><rt>みかど</rt></ruby>を通過するのであった。唐から渡った書物などで、太宰府ぎりに、都まで出て来ないものが、なかなか多かった。

学問や、芸術の味いを知り初めた志の深い人たちは、だから、大唐までは望まれぬこと、せめて太宰府へだけはと、筑紫下りを念願するほどであった。

南家の<ruby><rb>郎女</rb><rt>いらつめ</rt></ruby>の手に入った称讃浄土経も、大和一国の<ruby><rb>大寺</rb><rt>おおてら</rt></ruby>と言う大寺に、まだ一部も蔵せられて居ぬものであった。

姫は、<ruby><rb>蔀戸</rb><rt>しとみど</rt></ruby>近くに、時としては机を立てて、写経をしていることもあった。夜も、侍女たちを寝静まらしてから、<ruby><rb>油火</rb><rt>あぶらび</rt></ruby>の下で、一心不乱に書き写して居た。

百部は、<ruby><rb>夙</rb><rt>はや</rt></ruby>くに写し果した。その後は、千部手写の発願をした。冬は春になり、夏山と繁った春日山も、既に<ruby><rb>黄葉</rb><rt>もみじ</rt></ruby>して、其がもう散りはじめた。<ruby><rb>蟋蟀</rb><rt>こおろぎ</rt></ruby>は、昼も<ruby><rb>苑</rb><rt>その</rt></ruby>一面に鳴くようになった。佐保川の水を<ruby><rb>堰</rb><rt>せ</rt></ruby>き入れた庭の池には、遣り水伝いに、川千鳥の<ruby><rb>啼</rb><rt>な</rt></ruby>く日すら、続くようになった。

今朝も、深い霜朝を、何処からか、<ruby><rb>鴛鴦</rb><rt>おしどり</rt></ruby>の<ruby><rb>夫婦鳥</rb><rt>つまどり</rt></ruby>が来て浮んで居ります、と<ruby><rb>童女</rb><rt>わらわめ</rt></ruby>が告げた。

五百部を越えた頃から、姫の身は、目立ってやつれて来た。ほんの<ruby><rb>纔</rb><rt>わず</rt></ruby>かの眠りをとる間も、ものに驚いて覚めるようになった。其でも、八百部の声を聞く時分になると、衰えたなりに、健康は定まって来たように見えた。やや蒼みを帯びた皮膚に、心もち細って見える髪が、<ruby><rb>愈々</rb><rt>いよいよ</rt></ruby>黒く映え出した。

八百八十部、九百部。郎女は侍女にすら、ものを言うことを<ruby><rb>厭</rb><rt>いと</rt></ruby>うようになった。そうして、昼すら何か夢見るような目つきして、うっとり蔀戸ごしに、西の空を見入って居るのが、皆の注意をひくほどであった。

実際、九百部を過ぎてからは筆も一向、はかどらなくなった。二十部・三十部・五十部。心ある女たちは、文字の見えない自身たちの<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">ふがいなさ</span>を悲しんだ。郎女の苦しみを、幾分でも分けることが出来ように、と思うからである。

南家の郎女が、宮から召されることになるだろうと言う噂が、京・<ruby><rb>洛外</rb><rt>らくがい</rt></ruby>に広がったのも、其頃である。屋敷中の人々は、上近く<ruby><rb>事</rb><rt>つか</rt></ruby>える人たちから、<ruby><rb>垣内</rb><rt>かきつ</rt></ruby>の隅に住む<ruby><rb>奴隷</rb><rt>やっこ</rt></ruby>・<ruby><rb>婢奴</rb><rt>めやっこ</rt></ruby>の末にまで、顔を輝かして、此とり沙汰を迎えた。でも姫には、誰一人其を聞かせる者がなかった。其ほど、此頃の郎女は気むつかしく、<ruby><rb>外目</rb><rt>よそめ</rt></ruby>に見えていたのである。

千部手写の望みは、そうした大願から立てられたものだろう、と言う者すらあった。そして誰ひとり、其を否む者はなかった。

南家の姫の美しい<ruby><rb>膚</rb><rt>はだ</rt></ruby>は、益々透きとおり、潤んだ目は、愈々大きく黒々と見えた。そうして、時々声に出して<ruby><rb>誦</rb><rt>じゅ</rt></ruby>する経の<ruby><rb>文</rb><rt>もん</rt></ruby>が、物の<ruby><rb>音</rb><rt>ね</rt></ruby>に<ruby><rb>譬</rb><rt>たと</rt></ruby>えようもなく、さやかに人の耳に響く。聞く人は皆、自身の耳を疑うた。

去年の春分の日の事であった。入り日の光りをまともに受けて、姫は正座して、西に向って居た。日は、此屋敷からは、<ruby><rb>稍</rb><rt>やや</rt></ruby><ruby><rb>坤</rb><rt>ひつじさる</rt></ruby>によった遠い山の端に沈むのである。西空の棚雲の紫に輝く上で、落日は<ruby><rb>俄</rb><rt>にわ</rt></ruby>かに<ruby><rb>転</rb><rt>くるめ</rt></ruby>き出した。その速さ。雲は炎になった。日は<ruby><rb>黄金</rb><rt>おうごん</rt></ruby>の<ruby><rb>丸</rb><rt>まるがせ</rt></ruby>になって、その音も聞えるか、と思うほど鋭く廻った。雲の底から立ち昇る青い光りの風――、姫は、じっと見つめて居た。やがて、あらゆる光りは薄れて、雲は<ruby><rb>霽</rb><rt>は</rt></ruby>れた。夕闇の上に、目を疑うほど、鮮やかに見えた山の姿。二上山である。その二つの峰の間に、ありありと<ruby><rb>荘厳</rb><rt>しょうごん</rt></ruby>な人の<ruby><rb>俤</rb><rt>おもかげ</rt></ruby>が、瞬間<ruby><rb>顕</rb><rt>あらわ</rt></ruby>れて消えた。<ruby><rb>後</rb><rt>あと</rt></ruby>は、真暗な闇の空である。山の端も、雲も何もない方に、目を凝して、何時までも端坐して居た。郎女の心は、其時から愈々澄んだ。併し、極めて寂しくなり<ruby><rb>勝</rb><rt>まさ</rt></ruby>って行くばかりである。

ゆくりない日が、半年の後に再来て、姫の心を<ruby><rb>無上</rb><rt>むしょう</rt></ruby>の歓喜に引き立てた。其は、同じ年の秋、彼岸中日の夕方であった。姫は、いつかの春の日のように、坐していた。朝から、姫の白い額の、故もなく<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">ひよめいた</span>長い日の、<ruby><rb>後</rb><rt>のち</rt></ruby>である。二上山の峰を包む雲の上に、中秋の日の<ruby><rb>爛熟</rb><rt>らんじゅく</rt></ruby>した光りが、くるめき出したのである。雲は火となり、日は八尺の鏡と燃え、青い響きの吹雪を、吹き<ruby><rb>捲</rb><rt>ま</rt></ruby>く嵐――。

雲がきれ、光りのしずまった山の端は細く金の外輪を<ruby><rb>靡</rb><rt>なび</rt></ruby>かして居た。其時、男岳・女岳の峰の間に、ありありと浮き出た　髪　頭　肩　胸――。

姫は又、あの俤を見ることが、出来たのである。

南家の郎女の幸福な噂が、春風に乗って来たのは、次の春である。姫は別様の心躍りを、一月も前から感じて居た。そうして、日を<ruby><rb>数</rb><rt>と</rt></ruby>り初めて、ちょうど、今日と言う日。彼岸中日、春分の空が、朝から晴れて、<ruby><rb>雲雀</rb><rt>ひばり</rt></ruby>は天に<ruby><rb>翔</rb><rt>かけ</rt></ruby>り過ぎて、帰ることの出来ぬほど、青雲が深々とたなびいて居た。郎女は、九百九十九部を写し終えて、千部目にとりついて居た。日一日、のどかな温い春であった。経巻の最後の行、最後の字を書きあげて、ほっと息をついた。あたりは俄かに、薄暗くなって居る。目をあげて見る<ruby><rb>蔀窓</rb><rt>しとみど</rt></ruby>の外には、しとしとと――音がしたたって居るではないか。姫は立って、手ずから<ruby><rb>簾</rb><rt>すだれ</rt></ruby>をあげて見た。雨。

<ruby><rb>苑</rb><rt>その</rt></ruby>の青菜が濡れ、土が黒ずみ、やがては瓦屋にも、音が立って来た。

姫は、立っても<ruby><rb>坐</rb><rt>い</rt></ruby>ても居られぬ、<ruby><rb>焦躁</rb><rt>しょうそう</rt></ruby>に<ruby><rb>悶</rb><rt>もだ</rt></ruby>えた。併し日は、益々暗くなり、夕暮れに次いで、夜が来た。

<ruby><rb>茫然</rb><rt>ぼうぜん</rt></ruby>として、姫はすわって居る。人声も、雨音も、荒れ模様に加って来た風の響きも、もう、姫は聞かなかった。

## 七

南家の郎女の神隠しに遭ったのは、其夜であった。家人は、翌朝空が霽れ、山々がなごりなく見えわたる時まで、気がつかずに居た。<ruby><rb>横佩墻内</rb><rt>よこはきかきつ</rt></ruby>に住む限りの者は、男も、女も、上の空になって、<ruby><rb>洛中</rb><rt>らくちゅう</rt></ruby><ruby><rb>洛外</rb><rt>らくがい</rt></ruby>を<ruby><rb>馳</rb><rt>は</rt></ruby>せ求めた。そうした<ruby><rb>奔</rb><rt>はし</rt></ruby>り<ruby><rb>人</rb><rt>びと</rt></ruby>の多く見出される場処と言う場処は、残りなく捜された。春日山の奥へ入ったものは、伊賀境までも踏み込んだ。<ruby><rb>高円山</rb><rt>たかまどやま</rt></ruby>の墓原も、佐紀の沼地・雑木原も、又は、南は<ruby><rb>山村</rb><rt>やまむら</rt></ruby>、北は奈良山、泉川の見える処まで馳せ廻って、戻る者も戻る者も、皆<ruby><rb>空足</rb><rt>からあし</rt></ruby>を踏んで来た。

姫は、何処をどう歩いたか、覚えがない。唯家を出て、西へ西へと<ruby><rb>辿</rb><rt>たど</rt></ruby>って来た。降り募るあらしが、姫の衣を濡した。姫は、誰にも教わらないで、裾を<ruby><rb>脛</rb><rt>はぎ</rt></ruby>まであげた。風は、姫の髪を吹き乱した。姫は、いつとなく、<ruby><rb>髻</rb><rt>もとどり</rt></ruby>をとり束ねて、襟から着物の中に、<ruby><rb>含</rb><rt>くく</rt></ruby>み入れた。夜中になって、風雨が止み、星空が出た。

姫の行くてには常に、二つの峰の並んだ山の立ち姿がはっきりと<ruby><rb>聳</rb><rt>そび</rt></ruby>えて居た。<ruby><rb>毛孔</rb><rt>けあな</rt></ruby>の<ruby><rb>竪</rb><rt>た</rt></ruby>つような<ruby><rb>畏</rb><rt>おそろ</rt></ruby>しい声を、度々聞いた。ある時は、鳥の音であった。其後、<ruby><rb>頻</rb><rt>しき</rt></ruby>りなく断続したのは、山の獣の叫び声であった。大和の内も、都に遠い広瀬・葛城あたりには、人居などは、ほんの忘れ残りのように、山陰などにあるだけで、あとは<ruby><rb>曠野</rb><rt>あらの</rt></ruby>。それに――<ruby><rb>本村</rb><rt>ほんむら</rt></ruby>を遠く離れた、時はずれの、人<ruby><rb>棲</rb><rt>す</rt></ruby>まぬ<ruby><rb>田居</rb><rt>たい</rt></ruby>ばかりである。

片破れ月が、<ruby><rb>上</rb><rt>あが</rt></ruby>って来た。其が<ruby><rb>却</rb><rt>かえっ</rt></ruby>て、あるいている道の<ruby><rb>辺</rb><rt>ほとり</rt></ruby>の<ruby><rb>凄</rb><rt>すご</rt></ruby>さを照し出した。其でも、星明りで辿って居るよりは、よるべを覚えて、足が先へ先へと出た。月が中天へ来ぬ前に、もう東の空が、<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">ひいわり</span>白んで来た。

夜のほのぼの明けに、姫は、目を疑うばかりの現実に行きあった。――横佩家の侍女たちは何時も、夜の起きぬけに、一番最初に目撃した物事で、日のよしあしを、占って居るようだった。そう言う女どものふるまいに、特別に気は<ruby><rb>牽</rb><rt>ひ</rt></ruby>かれなかった郎女だけれど、よく其人々が、「今朝の朝目がよかったから」「何と言う情ない朝目でしょう」などと、そわそわと興奮したり、むやみに<ruby><rb>塞</rb><rt>ふさ</rt></ruby>ぎこんだりして居るのを、見聞きしていた。

<ruby><rb>郎女</rb><rt>いらつめ</rt></ruby>は、生れてはじめて、「朝目よく」と<ruby><rb>謂</rb><rt>い</rt></ruby>った語を、内容深く感じたのである。目の前に赤々と、<ruby><rb>丹塗</rb><rt>にぬ</rt></ruby>りに照り輝いて、朝日を反射して居るのは、寺の大門ではないか。そうして、門から、更に中門が見とおされて、此もおなじ丹塗りに、きらめいて居る。

山裾の<ruby><rb>勾配</rb><rt>こうばい</rt></ruby>に建てられた堂・塔・<ruby><rb>伽藍</rb><rt>がらん</rt></ruby>は、更に奥深く、<ruby><rb>朱</rb><rt>あけ</rt></ruby>に、青に、金色に、光りの棚雲を、幾重にもつみ重ねて見えた。朝目のすがしさは、其ばかりではなかった。其<ruby><rb>寂寞</rb><rt>せきばく</rt></ruby>たる光りの海から、高く<ruby><rb>抽</rb><rt>ぬき</rt></ruby>でて見える二上の山。淡海公の孫、<ruby><rb>大織冠</rb><rt>たいしょくかん</rt></ruby>には曾孫。藤氏族長太宰帥、<ruby><rb>南家</rb><rt>なんけ</rt></ruby>の豊成、其<ruby><rb>第一嬢子</rb><rt>だいいちじょうし</rt></ruby>なる姫である。屋敷から、一歩はおろか、女部屋を<ruby><rb>膝行</rb><rt>いざ</rt></ruby>り出ることすら、たまさかにもせぬ、郎女のことである。<ruby><rb>順道</rb><rt>じゅんとう</rt></ruby>ならば、今頃は既に、藤原の氏神河内の<ruby><rb>枚岡</rb><rt>ひらおか</rt></ruby>の御神か、春日の<ruby><rb>御社</rb><rt>みやしろ</rt></ruby>に、<ruby><rb>巫女</rb><rt>みこ</rt></ruby>の君として仕えているはずである。家に居ては、男を寄せず、耳に男の声も聞かず、男の目を避けて、<ruby><rb>仄暗</rb><rt>ほのぐら</rt></ruby>い女部屋に起き臥ししている人である。世間の事は、何一つ聞き知りも、見知りもせぬように、おうしたてられて来た。

寺の浄域が、奈良の<ruby><rb>内外</rb><rt>うちと</rt></ruby>にも、幾つとあって、<ruby><rb>横佩墻内</rb><rt>よこはきかきつ</rt></ruby>と讃えられている屋敷よりも、もっと広大なものだ、と聞いて居た。そうでなくても、経文の上に伝えた浄土の<ruby><rb>荘厳</rb><rt>しょうごん</rt></ruby>をうつすその建て物の様は想像せぬではなかった。だが<ruby><rb>目</rb><rt>ま</rt></ruby>のあたり見る尊さは唯息を呑むばかりであった。之に似た驚きの経験は<ruby><rb>曾</rb><rt>かつ</rt></ruby>て一度したことがあった。姫は今其を思い起して居る。簡素と<ruby><rb>豪奢</rb><rt>ごうしゃ</rt></ruby>との違いこそあれ、驚きの歓喜は、印象深く残っている。

今の太上天皇様が、まだ宮廷の御あるじで居させられた頃、八歳の南家の郎女は、<ruby><rb>童女</rb><rt>わらわめ</rt></ruby>として、初の<ruby><rb>殿上</rb><rt>てんじょう</rt></ruby>をした。<ruby><rb>穆々</rb><rt>ぼくぼく</rt></ruby>たる宮の内の明りは、ほのかな香気を含んで、流れて居た。昼すら<ruby><rb>真夜</rb><rt>まよ</rt></ruby>に等しい、<ruby><rb>御帳台</rb><rt>みちょうだい</rt></ruby>のあたりにも、尊いみ声は、<ruby><rb>昭々</rb><rt>しょうしょう</rt></ruby>と<ruby><rb>珠</rb><rt>たま</rt></ruby>を揺る如く響いた。物わきまえもない筈の、八歳の童女が感泣した。

「南家には、惜しい子が、女になって生れたことよ」と仰せられた、と言う<ruby><rb>畏</rb><rt>おそ</rt></ruby>れ多い風聞が、暫らく貴族たちの間に、くり返された。其後十二年、南家の娘は、<ruby><rb>二十</rb><rt>はたち</rt></ruby>になっていた。幼いからの<ruby><rb>聡</rb><rt>さと</rt></ruby>さにかわりはなくて、玉・<ruby><rb>水精</rb><rt>すいしょう</rt></ruby>の美しさが益々加って来たとの噂が、年一年と高まって来る。

姫は、大門の<ruby><rb>閾</rb><rt>しきみ</rt></ruby>を越えながら、童女殿上の昔の<ruby><rb>畏</rb><rt>かしこ</rt></ruby>さを、追想して居たのである。長い<ruby><rb>甃道</rb><rt>いしきみち</rt></ruby>を踏んで、中門に届く間にも、誰一人出あう者がなかった。恐れを知らず育てられた大貴族の郎女は、<ruby><rb>虔</rb><rt>つつま</rt></ruby>しく併しのどかに、御堂御堂を拝んで、岡の東塔に来たのである。

ここからは、北大和の平野は見えぬ。見えたところで、郎女は、奈良の家を考え浮べることも、しなかったであろう。まして、家人たちが、神隠しに<ruby><rb>遭</rb><rt>お</rt></ruby>うた姫を、探しあぐんで居ようなどとは、思いもよらなかったのである。唯うっとりと、塔の<ruby><rb>下</rb><rt>もと</rt></ruby>から近々と仰ぐ、二上山の山肌に、<ruby><rb>現</rb><rt>うつ</rt></ruby>し<ruby><rb>世</rb><rt>よ</rt></ruby>の目からは見えぬ姿を<ruby><rb>惟</rb><rt>おも</rt></ruby>い<ruby><rb>観</rb><rt>み</rt></ruby>ようとして居るのであろう。

此時分になって、寺では、人の動きが繁くなり出した。<ruby><rb>晨朝</rb><rt>じんちょう</rt></ruby>の勤めの間も、うとうとして居た僧たちは、<ruby><rb>爽</rb><rt>さわ</rt></ruby>やかな朝の眼を<ruby><rb>睜</rb><rt>みひら</rt></ruby>いて、<ruby><rb>食堂</rb><rt>じきどう</rt></ruby>へ降りて行った。<ruby><rb>奴婢</rb><rt>ぬひ</rt></ruby>は、其々もち場持ち場の掃除を励む為に、ようべの雨に洗ったようになった、境内の<ruby><rb>沙地</rb><rt>すなじ</rt></ruby>に出て来た。

そこにござるのは、どなたぞな。

岡の陰から、恐る恐る頭をさし出して問うた一人の<ruby><rb>寺奴</rb><rt>やっこ</rt></ruby>は、あるべからざる事を見た様に、自分自身を<ruby><rb>咎</rb><rt>とが</rt></ruby>めるような声をかけた。女人の身として、<ruby><rb>這入</rb><rt>はい</rt></ruby>ることの出来ぬ結界を犯していたのだった。姫は答えよう、とはせなかった。又答えようとしても、こう言う時に使う語には、馴れて居ぬ人であった。

<ruby><rb>若</rb><rt>も</rt></ruby>し又、適当な語を知って居たにしたところで、今はそんな事に、考えを<ruby><rb>紊</rb><rt>みだ</rt></ruby>されては、ならぬ時だったのである。

姫は唯、山を見ていた。依然として山の底に、ある<ruby><rb>俤</rb><rt>おもかげ</rt></ruby>を観じ入っているのである。寺奴は、二言とは問いかけなかった。一晩のさすらいでやつれては居ても、服装から見てすぐ、どうした身分の人か位の判断は、つかぬ筈はなかった。又暫らくして、四五人の<ruby><rb>跫音</rb><rt>あしおと</rt></ruby>が、びたびたと岡へ上って来た。年のいったのや、若い僧たちが、ばらばらと走って、塔のやらいの外まで来た。

ここまで出て御座れ。そこは、男でも這入るところではない。<ruby><rb>女人</rb><rt>にょにん</rt></ruby>は、とっとと出てお行きなされ。

姫は、やっと気がついた。そうして、人とあらそわぬ癖をつけられた貴族の家の子は、重い足を引きながら、竹垣の傍まで来た。

見れば、奈良のお方そうなが、どうして、そんな処にいらっしゃる。

それに又、どうして、ここまでお出でだった。<ruby><rb>伴</rb><rt>とも</rt></ruby>の人も連れずに――。

口々に問うた。男たちは、咎める口とは別に、心はめいめい、貴い女性をいたわる気持ちになって居た。

山をおがみに……。

まことに唯<ruby><rb>一詞</rb><rt>ひとこと</rt></ruby>。当の姫すら思い設けなんだ<ruby><rb>詞</rb><rt>ことば</rt></ruby>が、匂うが如く出た。貴族の家庭の語と、<ruby><rb>凡下</rb><rt>ぼんげ</rt></ruby>の家々の語とは、すっかり変って居た。だから言い方も、感じ方も、其うえ、語其ものさえ、郎女の語が、そっくり寺の<ruby><rb>所化輩</rb><rt>しょけはい</rt></ruby>には、通じよう筈がなかった。

でも其でよかったのである。其でなくて、語の内容が、其まま受けとられようものなら、南家の姫は、即座に気のふれた女、と思われてしまったであろう。

それで、<ruby><rb>御館</rb><rt>みたち</rt></ruby>はどこぞな。

みたち……。

おうちは……。

おうち……。

おやかたは、と問うのだよ――。

おお。家はとや。右京藤原南家……。

<ruby><rb>俄然</rb><rt>がぜん</rt></ruby>として、群集の上にざわめきが起った。四五人だったのが、あとから後から登って来た僧たちも加って、二十人以上にもなって居た。其が、口々に<ruby><rb>喋</rb><rt>しゃべ</rt></ruby>り出したものである。

ようべの嵐に、まだ残りがあったと見えて、日の明るく照って居る此<ruby><rb>小昼</rb><rt>こびる</rt></ruby>に、又風が、ざわつき出した。この岡の崎にも、見おろす谷にも、其から二上山へかけての尾根尾根にも、ちらほら白く見えて、花の木がゆすれて居る。山の<ruby><rb>此方</rb><rt>こなた</rt></ruby>にも小桜の花が、咲き出したのである。

此時分になって、奈良の家では、誰となく、こんな事を考えはじめていた。此はきっと、里方の女たちの<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">よく</span>する、春の野遊びに出られたのだ。――何時からとも知らぬ、習しである。春秋の、日と夜と平分する其頂上に当る日は、一日、日の影を<ruby><rb>逐</rb><rt>お</rt></ruby>うて歩く風が行われて居た。どこまでもどこまでも、野の果て、山の末、海の渚まで、日を送って行く女衆が多かった。そうして、夜に入ってくたくたになって、家路を戻る。此<ruby><rb>為来</rb><rt>しきた</rt></ruby>りを何時となく、女たちの<ruby><rb>咄</rb><rt>はな</rt></ruby>すのを聞いて、姫が、女の行として、この野遊びをする気になられたのだ、と思ったのである。こう言う、考えに落ちつくと、ありようもない考えだと<ruby><rb>訣</rb><rt>わか</rt></ruby>って居ても、皆の心が一時、ほうと軽くなった。

ところが、其日も昼さがりになり、段々<ruby><rb>夕光</rb><rt>ゆうかげ</rt></ruby>の、催して来る時刻が来た。昨日は、駄目になった日の入りの景色が、今日は中日にも劣るまいと思われる華やかさで輝いた。横佩家の人々の心は、再重くなって居た。

## 八

奈良の都には、まだ時おり、<ruby><rb>石城</rb><rt>しき</rt></ruby>と<ruby><rb>謂</rb><rt>い</rt></ruby>われた石垣を残して居る家の、見かけられた頃である。度々の<ruby><rb>太政官符</rb><rt>だいじょうがんぷ</rt></ruby>で、其を家の周りに造ることが、禁ぜられて来た。今では、宮廷より外には、石城を完全にとり廻した豪族の家などは、よくよくの地方でない限りは、見つからなくなって居る筈なのである。

其に一つは、宮廷の御在所が、御一代御一代に替って居た千数百年の歴史の後に、飛鳥の都は、宮殿の位置こそ、数町の間をあちこちせられたが、おなじ山河一帯の内にあった。其で<ruby><rb>凡</rb><rt>およそ</rt></ruby>、<ruby><rb>都遷</rb><rt>みやこうつ</rt></ruby>しのなかった形になったので、後から後から地割りが出来て、相応な<ruby><rb>都城</rb><rt>とじょう</rt></ruby>の姿は備えて行った。其数朝の間に、旧族の屋敷は、段々、家構えが整うて来た。

葛城に、元のままの家を持って居て、都と共に一代ぎりの、屋敷を構えて居た<ruby><rb>蘇我臣</rb><rt>そがのおみ</rt></ruby>なども、飛鳥の都では、次第に家作りを拡げて行って、<ruby><rb>石城</rb><rt>しき</rt></ruby>なども高く、幾重にもとり廻して、凡永久の館作りをした。其とおなじ様な気持ちから、どの氏でも、大なり小なり、そうした石城づくりの屋敷を構えるようになって行った。

蘇我臣<ruby><rb>一流</rb><rt>ひとなが</rt></ruby>れで最栄えた島の<ruby><rb>大臣家</rb><rt>おとどけ</rt></ruby>の亡びた時分から、石城の構えは<ruby><rb>禁</rb><rt>と</rt></ruby>められ出した。

この国のはじまり、天から授けられたと言う、宮廷に伝わる神の<ruby><rb>御詞</rb><rt>みことば</rt></ruby>に背く者は、今もなかった。が、書いた物の力は、其が、どのように由緒のあるものでも、其ほどの威力を感じるに到らぬ時代が、まだ続いて居た。

其飛鳥の都も、<ruby><rb>高天原広野姫尊様</rb><rt>たかまのはらひろぬひめのみことさま</rt></ruby>の<ruby><rb>思召</rb><rt>おぼしめ</rt></ruby>しで、其から一里北の藤井<ruby><rb>个</rb><rt>が</rt></ruby>原に遷され、藤原の都と名を替えて、新しい<ruby><rb>唐様</rb><rt>もろこしよう</rt></ruby>の<ruby><rb>端正</rb><rt>きらきら</rt></ruby>しさを尽した宮殿が、建ち並ぶ様になった。近い飛鳥から、<ruby><rb>新渡来</rb><rt>いまき</rt></ruby>の<ruby><rb>高麗馬</rb><rt>こま</rt></ruby>に<ruby><rb>跨</rb><rt>またが</rt></ruby>って、馬上で通う<ruby><rb>風流士</rb><rt>たわれお</rt></ruby>もあるにはあったが、多くはやはり、<ruby><rb>鷺栖</rb><rt>さぎす</rt></ruby>の阪の北、香具山の<ruby><rb>麓</rb><rt>ふもと</rt></ruby>から西へ、新しく地割りせられた<ruby><rb>京城</rb><rt>けいじょう</rt></ruby>の<ruby><rb>坊々</rb><rt>まちまち</rt></ruby>に屋敷を構え、家造りをした。その次の御代になっても、藤原の都は、日に益し、宮殿が建て増されて行って、ここを<ruby><rb>永宮</rb><rt>とこみや</rt></ruby>と遊ばす思召しが、伺われた。その<ruby><rb>安堵</rb><rt>あんど</rt></ruby>の心から、家々の外には、石城を廻すものが、又ぼつぼつ出て来た。そうして、そのはやり風俗が、見る見るうちに、また氏々の族長の家囲いを、あらかた石にしてしまった。その頃になって、<ruby><rb>天真宗豊祖父尊様</rb><rt>あめまむねとよおおじのみことさま</rt></ruby>がおかくれになり、<ruby><rb>御母</rb><rt>みおや</rt></ruby>　<ruby><rb>日本根子天津御代豊国成姫</rb><rt>やまとねこあまつみよとよくになすひめ</rt></ruby>の<ruby><rb>大尊様</rb><rt>おおみことさま</rt></ruby>がお立ち遊ばした。その四年目思いもかけず、奈良の都に宮遷しがあった。ところがまるで、追っかけるように、藤原の宮は<ruby><rb>固</rb><rt>もと</rt></ruby>より、目ぬきの家並みが、不意の出火で、其こそ、あっと言う間に、<ruby><rb>痕形</rb><rt>あとかた</rt></ruby>もなく、<ruby><rb>空</rb><rt>そら</rt></ruby>の<ruby><rb>有</rb><rt>もの</rt></ruby>となってしまった。もう此頃になると、<ruby><rb>太政官符</rb><rt>だいじょうがんぷ</rt></ruby>に、更に厳しい<ruby><rb>添書</rb><rt>ことわき</rt></ruby>がついて出ずとも、氏々の人は皆、目の前のすばやい人事自然の交錯した転変に、目を<ruby><rb>瞠</rb><rt>みは</rt></ruby>るばかりであったので、久しい石城の問題も、其で、解決がついて行った。

古い<ruby><rb>氏種姓</rb><rt>うじすじょう</rt></ruby>を言い立てて、神代以来の家職の神聖を誇った者どもは、其家職自身が、新しい藤原奈良の都には、次第に意味を失って来ている事に、気がついて居なかった。

最早くそこに心づいた、姫の祖父淡海公などは、古き神秘を誇って来た家職を、末代まで伝える為に、別に家を立てて中臣の名を保とうとした。そうして、自分・子供ら・孫たちと言う風に、いちはやく、新しい<ruby><rb>官人</rb><rt>つかさびと</rt></ruby>の生活に入り立って行った。

ことし、四十を二つ三つ越えたばかりの<ruby><rb>大伴家持</rb><rt>おおとものやかもち</rt></ruby>は、父<ruby><rb>旅人</rb><rt>たびと</rt></ruby>の其年頃よりは、もっと優れた男ぶりであった。併し、世の中はもう、すっかり変って居た。見るもの障るもの、彼の心を<ruby><rb>苛</rb><rt>いら</rt></ruby>つかせる種にならぬものはなかった。淡海公の、小百年前に実行して居る事に、今はじめて自分の心づいた<ruby><rb>鈍</rb><rt>おぞ</rt></ruby>ましさが、憤らずに居られなかった。そうして、自分とおなじ風の性向の人の成り行きを、まざまざ省みて、<ruby><rb>慄然</rb><rt>りつぜん</rt></ruby>とした。現に、時に誇る藤原びとでも、まだ昔風の夢に<ruby><rb>泥</rb><rt>なず</rt></ruby>んで居た南家の<ruby><rb>横佩</rb><rt>よこはき</rt></ruby>右大臣は、さきおととし、<ruby><rb>太宰員外帥</rb><rt>だざいのいんがいのそつ</rt></ruby>に<ruby><rb>貶</rb><rt>おと</rt></ruby>されて、都を離れた。そうして今は、難波で謹慎しているではないか。自分の親旅人も、三十年前に踏んだ道である。

世間の<ruby><rb>氏上家</rb><rt>うじのかみけ</rt></ruby>の<ruby><rb>主人</rb><rt>あるじ</rt></ruby>は、大方もう、石城など築き<ruby><rb>廻</rb><rt>まわ</rt></ruby>して、大門小門を<ruby><rb>繋</rb><rt>つな</rt></ruby>ぐと<ruby><rb>謂</rb><rt>い</rt></ruby>った要害と、装飾とに、興味を失いかけて居るのに、何とした自分だ。おれはまだ現に、出来るなら、宮廷のお目こぼしを頂いて、石に囲われた家の中で、家の子どもを集め、氏人たちを<ruby><rb>召</rb><rt>よ</rt></ruby>びつどえて、<ruby><rb>弓場</rb><rt>ゆば</rt></ruby>に精励させ、<ruby><rb>棒術</rb><rt>ほこゆけ</rt></ruby>・<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">大刀かき</span>に出精させよう、と謂ったことを空想して居る。そうして<ruby><rb>年々</rb><rt>としどし</rt></ruby>頻繁に、氏神其外の神々を祭っている。其度毎に、家の語部<ruby><rb>大伴語造</rb><rt>おおとものかたりのみやつこ</rt></ruby>の<ruby><rb>嫗</rb><rt>おむな</rt></ruby>たちを呼んで、之に<ruby><rb>捉</rb><rt>つかま</rt></ruby>え処もない<ruby><rb>昔代</rb><rt>むかしよ</rt></ruby>の物語りをさせて、氏人に傾聴を強いて居る。何だか、<ruby><rb>空</rb><rt>くう</rt></ruby>な事に力を入れて居たように思えてならぬ寂しさだ。

だが、其氏神祭りや、祭りの<ruby><rb>後宴</rb><rt>ごえん</rt></ruby>に、大勢の氏人の集ることは、とりわけやかましく言われて来た、三四年以来の<ruby><rb>法度</rb><rt>はっと</rt></ruby>である。

こんな<ruby><rb>溜</rb><rt>た</rt></ruby>め<ruby><rb>息</rb><rt>いき</rt></ruby>を<ruby><rb>洩</rb><rt>もら</rt></ruby>しながら、大伴氏の<ruby><rb>旧</rb><rt>ふる</rt></ruby>い習しを守って、どこまでも、宮廷守護の為の武道の伝襲に、努める外はない家持だったのである。

越中守として踏み歩いた越路の泥のかたが、まだ<ruby><rb>行縢</rb><rt>むかばき</rt></ruby>から落ちきらぬ内に、もう<ruby><rb>復</rb><rt>また</rt></ruby>、都を離れなければならぬ時の、迫って居るような気がして居た。其中、此針の<ruby><rb>筵</rb><rt>むしろ</rt></ruby>の上で、<ruby><rb>兵部少輔</rb><rt>ひょうぶしょう</rt></ruby>から、<ruby><rb>大輔</rb><rt>たいふ</rt></ruby>に昇進した。そのことすら、益々脅迫感を強める方にばかりはたらいた。今年五月にもなれば、東大寺の四天王像の開眼が行われる筈で、奈良の都の貴族たちには、すでに寺から内見を願って来て居た。そうして、忙しい世の中にも、暫らくはその評判が、すべてのいざこざをおし鎮める程に、人の心を浮き立たした。本朝出来の像としてはまず、此程物凄い<ruby><rb>天部</rb><rt>てんぶ</rt></ruby>の姿を拝んだことは、はじめてだ、と言うものもあった。神代の<ruby><rb>荒神</rb><rt>あらがみ</rt></ruby>たちも、こんな形相でおありだったろう、と言う噂も聞かれた。

まだ<ruby><rb>公</rb><rt>おおやけ</rt></ruby>の供養もすまぬのに、人の口はうるさいほど、頻繁に流説をふり<ruby><rb>撒</rb><rt>ま</rt></ruby>いていた。あの多聞天と、広目天との顔つきに、思い当るものがないか、と言うのであった。此はここだけの<ruby><rb>咄</rb><rt>はなし</rt></ruby>だよ、と言って話したのが、次第に広まって、家持の耳までも聞えて来た。なるほど、憤怒の相もすさまじいにはすさまじいが、あれがどうも、当今<ruby><rb>大倭</rb><rt>やまと</rt></ruby>一だと言われる男たちの顔、そのままだと言うのである。貴人は言わぬ、こう言う種類の噂は、<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">えて</span>供をして見て来た道々の博士たちと謂った、心<ruby><rb>蔑</rb><rt>さも</rt></ruby>しいものの、言いそうな事である。

多聞天は、大師藤原恵美<ruby><rb>中卿</rb><rt>ちゅうけい</rt></ruby>だ。あの柔和な、五十を越してもまだ、三十代の美しさを失わぬあの方が、近頃おこりっぽくなって、よく下官や、仕え人を叱るようになった。あの<ruby><rb>円満</rb><rt>うま</rt></ruby>し<ruby><rb>人</rb><rt>びと</rt></ruby>が、どうしてこんな顔つきになるだろう、と思われる表情をすることがある。其<ruby><rb>面</rb><rt>おも</rt></ruby>もちそっくりだ、と<ruby><rb>尤</rb><rt>もっとも</rt></ruby>らしい言い分なのである。

そう言えば、あの方が<ruby><rb>壮盛</rb><rt>わかざか</rt></ruby>りに、棒術を<ruby><rb>嗜</rb><rt>この</rt></ruby>んで、今にも事あれかしと謂った顔で、立派な<ruby><rb>甲</rb><rt>よろい</rt></ruby>をつけて、のっしのっしと長い物を<ruby><rb>杖</rb><rt>つ</rt></ruby>いて歩かれたお姿が、あれを見ていて、ちらつくようだなど、と<ruby><rb>相槌</rb><rt>あいづち</rt></ruby>をうつ者も出て来た。

其では、広目天の方はと言うと、

さあ、其がの――。

と誰に言わせても、ちょっと言い渋るように、困った顔をして見せる。

実は、ほんの人の噂だがの。噂だから、保証は出来ぬがの。義淵僧正の弟子の道鏡法師に、似てるぞなと言うがや。……けど、<ruby><rb>他人</rb><rt>ひと</rt></ruby>に言わせると、――あれはもう、二十幾年にもなるかいや――筑紫で<ruby><rb>伐</rb><rt>う</rt></ruby>たれなされた<ruby><rb>前太宰少弐</rb><rt>ぜんだざいのしょうに</rt></ruby>―藤原広嗣―の殿に<ruby><rb>生写</rb><rt>しょううつ</rt></ruby>しじゃ、とも言うがいよ。

わしには、どちらとも言えんがの。どうでも、見たことのあるお人に似て居さっしゃるには、似ていさっしゃるげなが……。

何しろ、此二つの天部が、互に敵視するような目つきで、<ruby><rb>睨</rb><rt>にら</rt></ruby>みあって居る。噂を気にした<ruby><rb>住侶</rb><rt>じゅうりょ</rt></ruby>たちが、色々に置き替えて見たが、どの隅からでも、互に相手の姿を、<ruby><rb>眦</rb><rt>まなじり</rt></ruby>を裂いて見つめて居る。とうとうあきらめて、自然にとり沙汰の消えるのを待つより<ruby><rb>為方</rb><rt>しかた</rt></ruby>がない、と思うようになったと言う。

<ruby><rb>若</rb><rt>も</rt></ruby>しや、天下に大乱でも起らなければええが――。

こんな<ruby><rb>咡</rb><rt>ささや</rt></ruby>きは、何時までも続きそうに、時と共に<ruby><rb>倦</rb><rt>う</rt></ruby>まずに語られた。

前少弐殿でなくて、<ruby><rb>弓削新発意</rb><rt>ゆげしんぼち</rt></ruby>の方であってくれれば、いっそ安心だがなあ。あれなら、事を起しそうな房主でもなし。起したくても、起せる身分でもないじゃまで――。

言いたい<ruby><rb>傍題</rb><rt>ほうだい</rt></ruby>な事を言って居る人々も、たった此一つの話題を持ちあぐね初めた頃、噂の中の大師<ruby><rb>恵美朝臣</rb><rt>えみのあそん</rt></ruby>の姪の<ruby><rb>横佩家</rb><rt>よこはきけ</rt></ruby>の<ruby><rb>郎女</rb><rt>いらつめ</rt></ruby>が、神隠しに<ruby><rb>遭</rb><rt>お</rt></ruby>うたと言う、人の口の端に、<ruby><rb>旋風</rb><rt>つじかぜ</rt></ruby>を起すような事件が、湧き上ったのである。

## 九

<ruby><rb>兵部大輔</rb><rt>ひょうぶたいふ</rt></ruby>大伴家持は、偶然この噂を、極めて早く耳にした。ちょうど、春分から二日目の朝、朱雀大路を南へ、馬をやって居た。二人ばかりの<ruby><rb>資人</rb><rt>とねり</rt></ruby>が<ruby><rb>徒歩</rb><rt>かち</rt></ruby>で、驚くほどに足早について行く。此は、晋唐の新しい文学の影響を、受け過ぎるほど<ruby><rb>享</rb><rt>う</rt></ruby>け入れた文人かたぎの彼には、数年来珍しくもなくなった癖である。こうして、何処まで行くのだろう。唯、朱雀の並み木の柳の花がほほけて、霞のように飛んで居る。向うには、低い山と、細長い野が、のどかに<ruby><rb>陽炎</rb><rt>かげろ</rt></ruby>うばかりである。資人の一人が、<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">とっと</span>と追いついて来たと思うと、主人の<ruby><rb>鞍</rb><rt>くら</rt></ruby>に顔をおしつける様にして、新しい耳を聞かした。今行きすごうた知り人の口から、聞いたばかりの噂である。

それで、何か――。娘御の行くえは知れた、と言うのか。

はい……。いいえ。何分、その男がとり急いで居りまして。

この間抜け。話はもっと上手に聴くものだ。

柔らかく叱った。そこへ<ruby><rb>今</rb><rt>も</rt></ruby>一人の<ruby><rb>伴</rb><rt>とも</rt></ruby>が、追いついて来た。息をきらしている。

ふん。<ruby><rb>汝</rb><rt>わけ</rt></ruby>は聞き出したね。<ruby><rb>南家</rb><rt>なんけ</rt></ruby>の<ruby><rb>嬢子</rb><rt>おとめ</rt></ruby>は、どうなった――。

<ruby><rb>出端</rb><rt>でばな</rt></ruby>に油かけられた資人は、表情に隠さず心の中を表した此頃の人の、自由な<ruby><rb>咄</rb><rt>はな</rt></ruby>し方で、まともに鼻を<ruby><rb>蠢</rb><rt>うごめか</rt></ruby>して語った。

<ruby><rb>当麻</rb><rt>たぎま</rt></ruby>の<ruby><rb>邑</rb><rt>むら</rt></ruby>まで、おととい<ruby><rb>夜</rb><rt>よ</rt></ruby>の中に行って居たこと、寺からは、昨日午後横佩<ruby><rb>墻内</rb><rt>かきつ</rt></ruby>へ知らせが届いたこと其外には、何も聞きこむ間のなかったことまで。家持の<ruby><rb>聯想</rb><rt>れんそう</rt></ruby>は、<ruby><rb>環</rb><rt>わ</rt></ruby>のように<ruby><rb>繋</rb><rt>つなが</rt></ruby>って、暫らくは馬の上から見る、街路も、人通りも、唯、物として通り過ぎるだけであった。

南家で持って居た藤原の<ruby><rb>氏上</rb><rt>うじのかみ</rt></ruby>職が、兄の家から、弟仲麻呂―押勝―の方へ移ろうとしている。来年か、<ruby><rb>再来年</rb><rt>さらいねん</rt></ruby>の枚岡祭りに、参向する氏人の長者は、自然かの大師のほか、人がなくなって居る。恵美家からは、嫡子久須麻呂の為、自分の家の<ruby><rb>第一嬢子</rb><rt>だいいちじょうし</rt></ruby>をくれとせがまれて居る。先日も、久須麻呂の名の歌が届き、自分の方でも、娘に代って返し歌を作って遣した。今朝も今朝、又折り返して、男からの<ruby><rb>懸想文</rb><rt>けそうぶみ</rt></ruby>が、来ていた。

その<ruby><rb>壻候補</rb><rt>むこがね</rt></ruby>の父なる人は、五十になっても、若かった頃の容色に頼む心が失せずにいて、兄の家娘にも執心は持って居るが、如何に何でも、あの郎女だけには、とり次げないで居る。此は、横佩家へも出入りし、大伴家へも<ruby><rb>初中終</rb><rt>しょっちゅう</rt></ruby>来る<ruby><rb>古刀自</rb><rt>ふるとじ</rt></ruby>の、人のわるい内証話であった。其を聞いて後、家持自身も、何だか好奇心に似たものが、どうかすると頭を<ruby><rb>擡</rb><rt>もた</rt></ruby>げて来て困った。仲麻呂は今年、五十を出ている。其から見れば、ひとまわりも若いおれなどは、思い出にもう一度、此匂やかな<ruby><rb>貌花</rb><rt>かおばな</rt></ruby>を、<ruby><rb>垣内</rb><rt>かきつ</rt></ruby>の<ruby><rb>坪苑</rb><rt>つぼ</rt></ruby>に移せぬ限りはない。こんな当時の男が、皆持った<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">心おどり</span>に、はなやいだ、明るい気がした。

だが併し、あの郎女は、藤原四家の<ruby><rb>系統</rb><rt>すじ</rt></ruby>で一番、<ruby><rb>神</rb><rt>かん</rt></ruby>さびた<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">たち</span>を持って生れた、と<ruby><rb>謂</rb><rt>い</rt></ruby>われる娘御である。今、枚岡の御神に仕えて居る<ruby><rb>斎</rb><rt>いつ</rt></ruby>き<ruby><rb>姫</rb><rt>ひめ</rt></ruby>の<ruby><rb>罷</rb><rt>や</rt></ruby>める時が来ると、あの<ruby><rb>嬢子</rb><rt>おとめ</rt></ruby>が替って立つ筈だ。其で、貴い所からのお召しにも応じかねて居るのだ。……結局、誰も彼も、あきらめねばならぬ時が来るのだ。神の物は、神の物――。横佩家の娘御は、神の手に落ちつくのだろう。

ほのかな感傷が、家持の心を<ruby><rb>浄</rb><rt>きよ</rt></ruby>めて過ぎた。おれは、どうもあきらめが、よ過ぎる。<ruby><rb>十</rb><rt>とお</rt></ruby>を出たばかりの幼さで、母は死に、父は<ruby><rb>疾</rb><rt>や</rt></ruby>んで居る太宰府へ<ruby><rb>降</rb><rt>くだ</rt></ruby>って、<ruby><rb>夙</rb><rt>はや</rt></ruby>くから、海の<ruby><rb>彼方</rb><rt>あなた</rt></ruby>の作り物語りや、<ruby><rb>唐詩</rb><rt>もろこしうた</rt></ruby>のおかしさを知り<ruby><rb>初</rb><rt>そ</rt></ruby>めたのが、病みつきになったのだ。死んだ父も、そうした物は、或は、おれよりも<ruby><rb>嗜</rb><rt>す</rt></ruby>きだったかも知れぬほどだが、もっと物に<ruby><rb>執著</rb><rt>しゅうじゃく</rt></ruby>が深かった。現に、大伴の家の行く末の事なども、父はあれまで、心を悩まして居た。おれも考えれば、たまらなくなって来る。其で、氏人を集めて<ruby><rb>喩</rb><rt>さと</rt></ruby>したり、歌を作って訓諭して見たりする。だがそうした後の気持ちの<ruby><rb>爽</rb><rt>さわ</rt></ruby>やかさは、どうしたことだ。洗い去った様に、心が、すっとしてしまうのだった。まるで、初めから家の事など考えて居なかった、とおなじすがすがしい心になってしまう。

あきらめと言う事を、知らなかった人ばかりではないか。……昔物語りに語られる神でも、人でも、<ruby><rb>傑</rb><rt>すぐ</rt></ruby>れた、と伝えられる限りの方々は――。それに、おれはどうしてこうだろう。

家持の心は併し、こんなに悔恨に似た心持ちに沈んで居るに<ruby><rb>繋</rb><rt>つなが</rt></ruby>らず、段々気にかかるものが、薄らぎ出して来ている。

ほう　これは、<ruby><rb>京極</rb><rt>きょうはて</rt></ruby>まで来た。

朱雀大路も、ここまで来ると、縦横に通る地割りの太い路筋ばかりが、白々として居て、どの区画にも区画にも、家は建って居ない。去年の草の立ち枯れたのと、今年生えて<ruby><rb>稍</rb><rt>やや</rt></ruby>茎を立て初めたのとがまじりあって、屋敷地から<ruby><rb>喰</rb><rt>は</rt></ruby>み出し、道の上までも延びて居る。

こんな家が――。

驚いたことは、そんな草原の中に、唯一つ大きな構えの家が、建ちかかって居る。遅い朝を、もう余程、今日の<ruby><rb>為事</rb><rt>しごと</rt></ruby>に<ruby><rb>這入</rb><rt>はい</rt></ruby>ったらしい<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">木の道</span>の者たちが、骨組みばかりの家の中で、立ちはたらいて居るのが見える。家の建たぬ前に、既に屋敷廻りの<ruby><rb>地形</rb><rt>じぎょう</rt></ruby>が出来て、見た目にもさっぱりと、垣をとり廻して居る。土を積んで、石に代えた垣、此頃言い出した<ruby><rb>築土垣</rb><rt>つきひじがき</rt></ruby>というのは、此だな、と思って、じっと目をつけて居た。見る見る、そうした新しい<ruby><rb>好尚</rb><rt>このみ</rt></ruby>のおもしろさが、家持の心を奪うてしまった。

築土垣の処々に、きりあけた口があって、其に、門が出来て居た。そうして、其処から、<ruby><rb>頻</rb><rt>しき</rt></ruby>りに人が繋っては出て来て、石を<ruby><rb>曳</rb><rt>ひ</rt></ruby>く。木を<ruby><rb>搬</rb><rt>も</rt></ruby>つ。土を<ruby><rb>搬</rb><rt>はこ</rt></ruby>び入れる。重苦しい<ruby><rb>石城</rb><rt>しき</rt></ruby>。懐しい昔構え。今も、家持のなくなしたくなく考えている屋敷廻りの石垣が、思うてもたまらぬ重圧となって、彼の胸に、もたれかかって来るのを感じた。

おれには、だが、この築土垣を<ruby><rb>択</rb><rt>と</rt></ruby>ることが出来ぬ。

家持の<ruby><rb>乗馬</rb><rt>じょうめ</rt></ruby>は再、<ruby><rb>憂鬱</rb><rt>ゆううつ</rt></ruby>に閉された主人を背に、引き返して、五条まで上って来た。此辺から、右京の方へ折れこんで、<ruby><rb>坊角</rb><rt>まちかど</rt></ruby>を廻りくねりして行く様子は、此主人に馴れた資人たちにも、胸の測られぬ気を起させた。二人は、時々顔を見合せ、目くばせをしながら尚、了解が出来ぬ、と言うような表情を交しかわし、馬の後を走って行く。

こんなにも、変って居たのかねえ。

ある坊角に来た時、馬をぴたと止めて、独り言のように言った。

……<ruby><rb>旧草</rb><rt>ふるくさ</rt></ruby>に　<ruby><rb>新草</rb><rt>にひくさ</rt></ruby>まじり、生ひば　生ふるかに――だな。

近頃見つけた<ruby><rb>歌儛所</rb><rt>かぶしょ</rt></ruby>の古記録「<ruby><rb>東歌</rb><rt>あずまうた</rt></ruby>」の中に見た一首がふと、此時、彼の言いたい気持ちを、代作して居てくれていたように、思い出された。

そうだ。「おもしろき<ruby><rb>野</rb><rt>ぬ</rt></ruby>をば　<ruby><rb>勿</rb><rt>な</rt></ruby>焼きそ」だ。此でよいのだ。

けげんな顔を<ruby><rb>仰</rb><rt>あおむけ</rt></ruby>けている<ruby><rb>伴人</rb><rt>ともびと</rt></ruby>らに、柔和な笑顔を向けた。

そうは思わぬか。立ち<ruby><rb>朽</rb><rt>ぐさ</rt></ruby>りになった家の間に、どしどし新しい屋敷が出来て行く。都は何時までも、家は建て詰まぬが、其でもどちらかと謂えば、減るよりも殖えて行っている。此辺は以前、今頃になると、蛙めの、あやまりたい程鳴く田の原が、続いてたもんだ。

<ruby><rb>仰</rb><rt>おっしゃ</rt></ruby>るとおりで御座ります。春は蛙、夏はくちなわ、秋は<ruby><rb>蝗</rb><rt>いなご</rt></ruby>まろ。此辺はとても、歩けたところでは、御座りませんでした。

今一人が言う。

建つ家もたつ家も、この立派さは、まあどうで御座りましょう。其に、どれも此も、此頃急にはやり出した<ruby><rb>築土垣</rb><rt>つきひじがき</rt></ruby>を築きまわしまして。何やら、以前とはすっかり変った処に、参った気が致します。

馬上の主人も、今まで其ばかり考えて居た所であった。だが彼の心は、瞬間明るくなって、先年<ruby><rb>三形王</rb><rt>みかたのおおきみ</rt></ruby>の御殿での<ruby><rb>宴</rb><rt>うたげ</rt></ruby>に<ruby><rb>誦</rb><rt>くちずさ</rt></ruby>んだ即興が、その時よりも、今はっきりと内容を持って、心に浮んで来た。

うつり行く時見る毎に、心<ruby><rb>疼</rb><rt>いた</rt></ruby>く　昔の人し　思ほゆるかも

目をあげると、東の方春日の<ruby><rb>杜</rb><rt>もり</rt></ruby>は、谷陰になって、ここからは見えぬが、<ruby><rb>御蓋</rb><rt>みかさ</rt></ruby>山・<ruby><rb>高円</rb><rt>たかまど</rt></ruby>山一帯、頂が晴れて、すばらしい<ruby><rb>春日和</rb><rt>はるびより</rt></ruby>になって居た。

あきらめがさせるのどけさなのだ、とすぐ気がついた。でも、彼の心の<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">ふさぎのむし</span>は<ruby><rb>迹</rb><rt>あと</rt></ruby>を潜めて、唯、まるで今歩いているのが、<ruby><rb>大日本平城京</rb><rt>おおやまとへいせいけい</rt></ruby>の土ではなく、大唐長安の大道の様な錯覚の起って来るのが押えきれなかった。此馬がもっと、毛並みのよい純白の馬で、<ruby><rb>跨</rb><rt>またが</rt></ruby>って居る自身も亦、若々しい二十代の貴公子の気がして来る。神々から引きついで来た、重苦しい家の歴史だの、<ruby><rb>夥</rb><rt>おびただ</rt></ruby>しい数の氏人などから、すっかり<ruby><rb>截</rb><rt>き</rt></ruby>り離されて、自由な空にかけって居る自分ででもあるような、豊かな心持ちが、暫らくは払っても払っても、消えて行かなかった。

おれは若くもなし。第一、海東の<ruby><rb>大日本人</rb><rt>おおやまとびと</rt></ruby>である。おれには、<ruby><rb>憂鬱</rb><rt>ゆううつ</rt></ruby>な家職が、ひしひしと、肩のつまるほどかかって居るのだ。こんなことを考えて見ると、寂しくてはかない気もするが、すぐに其は、自身と関係のないことのように、心は<ruby><rb>饒</rb><rt>にぎ</rt></ruby>わしく和らいで来て、為方がなかった。

おい、<ruby><rb>汝</rb><rt>わけ</rt></ruby>たち。大伴<ruby><rb>氏上家</rb><rt>うじのかみけ</rt></ruby>も、築土垣を引き廻そうかな。

とんでもないことを仰せられます。

二人の声が、おなじ感情から<ruby><rb>迸</rb><rt>ほとばし</rt></ruby>り出た。

年の増した方の<ruby><rb>資人</rb><rt>とねり</rt></ruby>が、切実な胸を告白するように言った。

私どもは、御譜第では御座りません。でも、大伴と言うお名は、<ruby><rb>御門</rb><rt>みかど</rt></ruby><ruby><rb>御垣</rb><rt>みかき</rt></ruby>と、関係深い<ruby><rb>称</rb><rt>とな</rt></ruby>えだ、と承って居ります。大伴家からして、門垣を今様にする事になって<ruby><rb>御覧</rb><rt>ごろう</rt></ruby>じませ。御一族の末々まで、あなた様をお<ruby><rb>呪</rb><rt>のろ</rt></ruby>い申し上げることでおざりましょう。其どころでは、御座りません。第一、ほかの氏々――大伴家よりも、ぐんと歴史の新しい、人の世になって初まった家々の氏人までが、御一族を<ruby><rb>蔑</rb><rt>ないがしろ</rt></ruby>に致すことになりましょう。

こんな事を言わして置くと、折角澄みかかった心も、又曇って来そうな気がする。家持は<ruby><rb>忙</rb><rt>あわ</rt></ruby>てて、資人の口を<ruby><rb>緘</rb><rt>と</rt></ruby>めた。

うるさいぞ。誰に言う語だと思うて、言うて居るのだ。やめぬか。<ruby><rb>雑談</rb><rt>じょうだん</rt></ruby>だ。雑談を真に受ける奴が、あるものか。

馬はやっぱり、しっとしっとと、歩いて居た。築土垣　築土垣。又、築土垣。こんなに何時の間に、家構えが替って居たのだろう。家持は、なんだか、<ruby><rb>晩</rb><rt>おそ</rt></ruby>かれ早かれ、ありそうな気のする次の都――どうやらこう、もっとおっぴらいた平野の中の新京城にでも、来ているのでないかと言う気が、ふとしかかったのを、危く喰いとめた。

築土垣　築土垣。もう、彼の心は動かなくなった。唯、よいとする気持ちと、よくないと思おうとする意思との間に、気分だけが、あちらへ寄りこちらへよりしているだけであった。

何時の間にか、<ruby><rb>平群</rb><rt>へぐり</rt></ruby>の丘や、色々な塔を持った京西の寺々の見渡される、三条辺の町尻に来て居ることに気がついた。

これはこれは。まだここに、残っていたぞ。

珍しい発見をしたように、彼は馬から身を<ruby><rb>翻</rb><rt>かえ</rt></ruby>しておりた。二人の資人はすぐ、<ruby><rb>馳</rb><rt>か</rt></ruby>け寄って手綱を控えた。

家持は、門と門との間に、細かい<ruby><rb>柵</rb><rt>さく</rt></ruby>をし<ruby><rb>囲</rb><rt>めぐ</rt></ruby>らし、目隠しに<ruby><rb>枳殻</rb><rt>からたちばな</rt></ruby>の<ruby><rb>叢生</rb><rt>やぶ</rt></ruby>を作った家の外構えの一個処に、まだ<ruby><rb>石城</rb><rt>しき</rt></ruby>が可なり広く、人丈にあまる程に築いてあるそばに、近寄って行った。

荒れては居るが、ここは<ruby><rb>横佩墻内</rb><rt>よこはきかきつ</rt></ruby>だ。

そう言って、暫らく息を詰めるようにして、石垣の荒い面を見入って居た。

そうに御座ります。此石城からしてついた名の、横佩墻内だと申しますとかで、せめて一ところだけは、と強いてとり<ruby><rb>毀</rb><rt>こぼ</rt></ruby>たないとか申します。何分、<ruby><rb>帥</rb><rt>そつ</rt></ruby>の殿のお都入りまでは、何としても、<ruby><rb>此儘</rb><rt>このまま</rt></ruby>で置くので御座りましょう。さように、人が申し聞けました。はい。

何時の間にか、三条七坊まで来てしまっていたのである。

おれは、こんな処へ来ようと言う考えはなかったのに――。だが、やっぱり、おれにはまだまだ、若い色好みの心が、失せないで居るぞ。何だか、自分で自分をなだめる様な、反省らしいものが出て来た。

其にしても、静か過ぎるではないか。

さようで。で御座りますが、<ruby><rb>郎女</rb><rt>いらつめ</rt></ruby>のお行くえも知れ、乳母もそちらへ行ったとか、今も人が申しましたから、落ちついたので御座りましょう。

詮索ずきそうな顔をした若い方が、口を出す。

いえ。第一、こんな場合は、騒ぐといけません。騒ぎにつけこんで、悪い<ruby><rb>魂</rb><rt>たま</rt></ruby>や、<ruby><rb>霊</rb><rt>もの</rt></ruby>が、うようよとつめかけて来るもので御座ります。この<ruby><rb>御館</rb><rt>みたち</rt></ruby>も、古いおところだけに、心得のある<ruby><rb>長老</rb><rt>おとな</rt></ruby>の一人や、二人は、難波へも下らずに、留守に居るので御座りましょう。

もうよいよい。では戻ろう。

## 十

おとめの<ruby><rb>閨戸</rb><rt>ねやど</rt></ruby>をおとなう<ruby><rb>風</rb><rt>ふう</rt></ruby>は、何も、珍しげのない国中の<ruby><rb>為来</rb><rt>しきた</rt></ruby>りであった。だが其にも、<ruby><rb>曾</rb><rt>かつ</rt></ruby>てはそうした風の、一切行われて居なかったことを、主張する村々があった。何時のほどにか、そうした村が、他村の、別々に守って来た風習と、その古い為来りとをふり替えることになったのだ、と言う。かき上る段になれば、何の雑作もない石城だけれど、あれを大昔からとり廻して居た村と、そうでない村とがあった。こんな風に、しかつめらしい説明をする<ruby><rb>宿老</rb><rt>とね</rt></ruby>たちが、どうかすると居た。多分やはり、語部などの昔語りから、来た話なのであろう。踏み越えても<ruby><rb>這入</rb><rt>はい</rt></ruby>れ<ruby><rb>相</rb><rt>そう</rt></ruby>に見える石垣だが、大昔交された誓いで、目に見えぬ<ruby><rb>鬼神</rb><rt>もの</rt></ruby>から、人間に到るまで、あれが形だけでもある限り、入りこまぬ事になっている。こんな約束が、人と<ruby><rb>鬼</rb><rt>もの</rt></ruby>との間にあって後、村々の人は、石城の中に、ゆったりと<ruby><rb>棲</rb><rt>す</rt></ruby>むことが出来る様になった。そうでない村々では、何者でも、垣を躍り越えて這入って来る。其は、別の何かの為方で、防ぐ外はなかった。祭りの夜でなくても、村なかの男は何の<ruby><rb>憚</rb><rt>はばか</rt></ruby>りなく、垣を踏み越えて処女の<ruby><rb>蔀戸</rb><rt>しとみど</rt></ruby>をほとほとと叩く。石城を囲うた村には、そんなことは、一切なかった。だから、<ruby><rb>美</rb><rt>くわ</rt></ruby>し<ruby><rb>女</rb><rt>め</rt></ruby>の家に、<ruby><rb>奴隷</rb><rt>やっこ</rt></ruby>になって住みこんだ<ruby><rb>古</rb><rt>いにしえ</rt></ruby>の<ruby><rb>貴</rb><rt>あて</rt></ruby>びともあった。娘の父にこき使われて、三年五年、いつか処女に会われよう、と忍び過した、身にしむ恋物語りもあるくらいだ。石城を掘り崩すのは、何処からでも<ruby><rb>鬼神</rb><rt>もの</rt></ruby>に入りこんで来い、と呼びかけるのと同じことだ。京の年よりにもあったし、田舎の村々では、之を言い立てに、ちっとでも、石城を残して置こうと争うた人々が、多かったのである。

そう言う家々では、実例として恐しい証拠を挙げた。卅年も昔、――天平八年厳命が<ruby><rb>降</rb><rt>くだ</rt></ruby>って、何事も命令のはかばかしく行われぬのは、<ruby><rb>朝臣</rb><rt>ちょうしん</rt></ruby>が先って行わぬからである。<ruby><rb>汝等</rb><rt>みましたち</rt></ruby>進んで、<ruby><rb>石城</rb><rt>しき</rt></ruby>を<ruby><rb>毀</rb><rt>こぼ</rt></ruby>って、新京の時世装に叶うた家作りに改めよと、仰せ下された。藤氏四流の如き、今に旧態を<ruby><rb>易</rb><rt>か</rt></ruby>えざるは、最其位に在るを顧みざるものぞ、とお<ruby><rb>咎</rb><rt>とが</rt></ruby>めが<ruby><rb>降</rb><rt>くだ</rt></ruby>った。此時一度、<ruby><rb>凡</rb><rt>すべて</rt></ruby>、石城はとり毀たれたのである。ところが、其と時を同じくして、<ruby><rb>疱瘡</rb><rt>もがさ</rt></ruby>がはやり出した。越えて翌年、益々盛んになって、四月北家を手初めに、京家・南家と、主人から、まず此<ruby><rb>時疫</rb><rt>じえき</rt></ruby>に亡くなって、八月にはとうとう、式家の<ruby><rb>宇合卿</rb><rt>うまかいきょう</rt></ruby>まで<ruby><rb>仆</rb><rt>たお</rt></ruby>れた。家に、防ぐ筈の石城が失せたからだと、天下中の人が騒いだ。其でまた、とり壊した家も、ぼつぼつ<ruby><rb>旧</rb><rt>もと</rt></ruby>に戻したりしたことであった。

こんなすさまじい事も、あって過ぎた夢だ。けれどもまだ、まざまざと人の心に焼きついて離れぬ、<ruby><rb>現</rb><rt>うつつ</rt></ruby>の恐しさであった。

其は其として、昔から家の娘を守った<ruby><rb>邑々</rb><rt>むらむら</rt></ruby>も、段々<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">えたい</span>の知れぬ村の風に<ruby><rb>感染</rb><rt>かま</rt></ruby>けて、<ruby><rb>忍</rb><rt>しの</rt></ruby>び<ruby><rb>夫</rb><rt>づま</rt></ruby>の手に任せ<ruby><rb>傍題</rb><rt>ほうだい</rt></ruby>にしようとしている。そうした<ruby><rb>求婚</rb><rt>つまどい</rt></ruby>の風を伝えなかった氏々の間では、此は、忍び難い流行であった。其でも男たちは、のどかな風俗を喜んで、何とも思わぬようになった。が、家庭の中では、母・妻・<ruby><rb>乳母</rb><rt>おも</rt></ruby>たちが、いまだにいきり立って、そうした風儀になって行く世間を、<ruby><rb>呪</rb><rt>のろ</rt></ruby>いやめなかった。

手近いところで言うても、大伴<ruby><rb>宿禰</rb><rt>すくね</rt></ruby>にせよ。藤原<ruby><rb>朝臣</rb><rt>あそん</rt></ruby>にせよ。そう<ruby><rb>謂</rb><rt>い</rt></ruby>う<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">妻どい</span>の式はなくて、数十代宮廷をめぐって、仕えて来た邑々のあるじの家筋であった。

でも何時か、そうした氏々の間にも、妻迎えの式には、

八千矛の神のみことは、とほ〲し、<ruby><rb>高志</rb><rt>こし</rt></ruby>の国に、<ruby><rb>美</rb><rt>くわ</rt></ruby>し<ruby><rb>女</rb><rt>め</rt></ruby>をありと聞かして、<ruby><rb>賢</rb><rt>さか</rt></ruby>し<ruby><rb>女</rb><rt>め</rt></ruby>をありと<ruby><rb>聞</rb><rt>きこ</rt></ruby>して……

から謡い起す<ruby><rb>神語歌</rb><rt>かみがたりうた</rt></ruby>を、語部に歌わせる風が、次第にひろまって来るのを、防ぎとめることが出来なくなって居た。

<ruby><rb>南家</rb><rt>なんけ</rt></ruby>の<ruby><rb>郎女</rb><rt>いらつめ</rt></ruby>にも、そう言う<ruby><rb>妻覓</rb><rt>つまま</rt></ruby>ぎ人が――いや<ruby><rb>人群</rb><rt>ひとむれ</rt></ruby>が、とりまいて居た。唯、あの型ばかり取り残された石城の為に、何だか屋敷へ入ることが、物忌み――<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">たぶう</span>――を犯すような<ruby><rb>危殆</rb><rt>ひあい</rt></ruby>な心持ちで、誰も彼も、<ruby><rb>柵</rb><rt>さく</rt></ruby>まで又、門まで来ては、かいまみしてひき<ruby><rb>還</rb><rt>かえ</rt></ruby>すより上の勇気が、出ぬのであった。

<ruby><rb>通</rb><rt>かよ</rt></ruby>わせ<ruby><rb>文</rb><rt>ぶみ</rt></ruby>をおこすだけが、せめてもの<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">てだて</span>で、其さえ無事に、姫の手に届いて、見られていると言う、自信を持つ人は、一人としてなかった。事実、大抵、女部屋の<ruby><rb>老女</rb><rt>とじ</rt></ruby>たちが、引ったくって渡させなかった。そうした文のとりつぎをする若人―若女房―を呼びつけて、荒けなく叱って居る事も、度々見かけられた。

<ruby><rb>其方</rb><rt>おもと</rt></ruby>は、この姫様こそ、藤原の氏神にお仕え遊ばす、清らかな<ruby><rb>常処女</rb><rt>とこおとめ</rt></ruby>と申すのだ、と言うことを知らぬのかえ。神の<ruby><rb>咎</rb><rt>とが</rt></ruby>めを<ruby><rb>憚</rb><rt>はばか</rt></ruby>るがええ。宮から恐れ多いお召しがあってすら、<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">ふつ</span>においらえを申しあげぬのも、それ故だとは考えつかぬげな。やくたい者。とっとと失せたがよい。そんな文とりついだ手を、<ruby><rb>率川</rb><rt>いざかわ</rt></ruby>の一の瀬で浄めて来くさろう。<ruby><rb>罰</rb><rt>ばち</rt></ruby>知らずが……。

こんな風に、<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">わなり</span>つけられた者は、併し、二人や三人ではなかった。<ruby><rb>横佩家</rb><rt>よこはきけ</rt></ruby>の女部屋に住んだり、通うたりしている若人は、一人残らず一度は、経験したことだと<ruby><rb>謂</rb><rt>い</rt></ruby>っても、<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">うそ</span>ではなかった。

だが、郎女は、<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">ついに</span>一度そんな事のあった様子も、知らされずに来た。

上つ方の郎女が、<ruby><rb>才</rb><rt>ざえ</rt></ruby>をお習い遊ばすと言うことが御座りましょうか。それは<ruby><rb>近代</rb><rt>ちかつよ</rt></ruby>、ずっと<ruby><rb>下</rb><rt>しも</rt></ruby>ざまの<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">おなご</span>の致すことと承ります。父君がどう<ruby><rb>仰</rb><rt>おっしゃ</rt></ruby>ろうとも、<ruby><rb>父御</rb><rt>ててご</rt></ruby>様のお話は御一代。お家の習しは、神さまの<ruby><rb>御意趣</rb><rt>おむね</rt></ruby>、とお思いつかわされませ。

氏の<ruby><rb>掟</rb><rt>おきて</rt></ruby>の前には、<ruby><rb>氏上</rb><rt>うじのかみ</rt></ruby>たる人の考えをすら、否みとおす事もある<ruby><rb>姥</rb><rt>うば</rt></ruby>たちであった。

其老女たちすら、郎女の<ruby><rb>天稟</rb><rt>てんぴん</rt></ruby>には、舌を<ruby><rb>捲</rb><rt>ま</rt></ruby>きはじめて居た。

もう、自身たちの教えることものうなった。

こう思い出したのは、数年も前からである。内に居る、<ruby><rb>身狭乳母</rb><rt>むさのちおも</rt></ruby>・<ruby><rb>桃花鳥野乳母</rb><rt>つきぬのまま</rt></ruby>・<ruby><rb>波田坂上刀自</rb><rt>はたのさかのえのとじ</rt></ruby>、皆故知らぬ喜びの不安から、<ruby><rb>歎息</rb><rt>たんそく</rt></ruby>し続けていた。時々伺いに出る<ruby><rb>中臣志斐嫗</rb><rt>なかとみのしいのおむな</rt></ruby>・<ruby><rb>三上水凝刀自女</rb><rt>みかみのみずごりのとじめ</rt></ruby>なども、来る毎、目を見合せて、ほうっとした顔をする。どうしよう、と相談するような人たちではない。皆無言で、自分等の力の及ばぬ所まで来た、姫の魂の成長にあきれて、目をみはるばかりなのだ。

才を習うなと言うなら、まだ聞きも知らぬこと、教えて<ruby><rb>賜</rb><rt>たも</rt></ruby>れ。

素直な郎女の求めも、姥たちにとっては、骨を刺しとおされるような痛さであった。

何を仰せられまする。以前から、何一つお教えなど申したことがおざりましょうか。目下の者が、目上のお方さまに、お教え申すと言うような考えは、神様がお聞き届けになりません。教える者は目上、ならう者は目下、と此が、神の代からの掟でおざりまする。

志斐嫗の負け色を救う為に、身狭乳母も口を<ruby><rb>挿</rb><rt>はさ</rt></ruby>む。

唯知った事を申し上げるだけ。其を聞きながら、御心がお育ち遊ばす。そう思うて、姥たちも、覚えただけの事は、郎女様のみ<ruby><rb>魂</rb><rt>たま</rt></ruby>を<ruby><rb>揺</rb><rt>いぶ</rt></ruby>る様にして、歌いもし、語りもして参りました。教えたなど仰っては私めらが罰を<ruby><rb>蒙</rb><rt>こうむ</rt></ruby>らなければなりません。

こんな事をくり返して居る間に、刀自たちにも、自分らの<ruby><rb>恃</rb><rt>たの</rt></ruby>む知識に対する、単純な自覚が出て来た。此は一層、郎女の望むままに、才を習した方が、よいのではないか、と言う気が、段々して来たのである。

まことに其為には、ゆくりない事が、幾重にも重って起った。姫の帳台の後から、遠くに居る父の心尽しだったと見えて、二巻の<ruby><rb>女手</rb><rt>おんなで</rt></ruby>の写経らしい物が出て来た。姫にとっては、肉縁はないが、<ruby><rb>曾祖母</rb><rt>ひおおば</rt></ruby>にも当る<ruby><rb>橘</rb><rt>たちばな</rt></ruby>夫人の法華経、又其<ruby><rb>御胎</rb><rt>おはら</rt></ruby>にいらせられる――筋から申せば、大叔母御にもお当り遊ばす、今の皇太后様の<ruby><rb>楽毅論</rb><rt>がっきろん</rt></ruby>。此二つの巻物が、美しい装いで、棚を架いた上に載せてあった。

横佩大納言と謂われた頃から、父は此二部を、自分の魂のように大事にして居た。ちょっと出る旅にも、大きやかな箱に納めて、一人分の<ruby><rb>資人</rb><rt>とねり</rt></ruby>の荷として、持たせて行ったものである。其魂の書物を、姫の守りに留めておきながら、誰にも言わずにいたのである。さすがに<ruby><rb>我強</rb><rt>がづよ</rt></ruby>い刀自たちも、此見覚えのある、美しい箱が出て来た時には、暫らく<ruby><rb>撲</rb><rt>う</rt></ruby>たれたように、顔を見合せて居た。そうして<ruby><rb>後</rb><rt>のち</rt></ruby>、<ruby><rb>後</rb><rt>あと</rt></ruby>で恥しかろうことも忘れて、皆声をあげて泣いたものであった。

郎女は、父の心入れを聞いた。姥たちの見る目には、併し予期したような興奮は、認められなかった。唯<ruby><rb>一途</rb><rt>いちず</rt></ruby>に素直に、心の底の美しさが匂い出たように、静かな、美しい眼で、人々の感激する様子を、驚いたように見まわして居た。

其からは、此二つの女手の「本」を、一心に習いとおした。偶然は友を<ruby><rb>誘</rb><rt>ひ</rt></ruby>くものであった。一月も立たぬ中の事である。早く、此都に移って居た<ruby><rb>飛鳥寺</rb><rt>あすかでら</rt></ruby>―<ruby><rb>元興寺</rb><rt>がんこうじ</rt></ruby>―から<ruby><rb>巻数</rb><rt>かんず</rt></ruby>が届けられた。其には、難波にある<ruby><rb>帥</rb><rt>そつ</rt></ruby>の殿の<ruby><rb>立願</rb><rt>りゅうがん</rt></ruby>によって、仏前に<ruby><rb>読誦</rb><rt>とくしょう</rt></ruby>した経文の名目が、書き<ruby><rb>列</rb><rt>つら</rt></ruby>ねてあった。其に添えて、一巻の縁起文が、此御館へ届けられたのである。

父藤原豊成朝臣、亡父贈太政大臣七年の忌みに当る日に志を<ruby><rb>発</rb><rt>おこ</rt></ruby>して、書き綴った「仏本伝来記」を、其後二年立って、元興寺へ納めた。飛鳥以来、藤原氏とも関係の深かった寺なり、本尊なのである。あらゆる念願と、報謝の心を<ruby><rb>籠</rb><rt>こ</rt></ruby>めたもの、と言うことは察せられる。其一巻が、どう言う<ruby><rb>訣</rb><rt>わけ</rt></ruby>か、二十年もたってゆくりなく、横佩家へ戻って来たのである。

郎女の手に、此巻が渡った時、姫は端近く<ruby><rb>膝行</rb><rt>いざ</rt></ruby>り出て、元興寺の方を礼拝した。其後で、

難波とやらは、どちらに当るかえ。

と尋ねて、示す方角へ、<ruby><rb>活</rb><rt>い</rt></ruby>き<ruby><rb>活</rb><rt>い</rt></ruby>きした顔を向けた。其目からは、珠数の<ruby><rb>珠</rb><rt>たま</rt></ruby>の<ruby><rb>水精</rb><rt>すいしょう</rt></ruby>のような涙が、こぼれ出ていた。

其からと言うものは、来る日もくる日も、此元興寺の縁起文を手写した。内典・外典其上に又、<ruby><rb>大日本</rb><rt>おおやまと</rt></ruby>びとなる父の書いた<ruby><rb>文</rb><rt>もん</rt></ruby>。指から腕、腕から胸、胸から又心へ、<ruby><rb>沁</rb><rt>し</rt></ruby>み<ruby><rb>沁</rb><rt>じ</rt></ruby>みと深く、魂を育てる智慧の<ruby><rb>這入</rb><rt>はい</rt></ruby>って行くのを、覚えたのである。

<ruby><rb>大日本日高見</rb><rt>おおやまとひたかみ</rt></ruby>の国。国々に伝わるありとある<ruby><rb>歌諺</rb><rt>うたことわざ</rt></ruby>、又其<ruby><rb>旧辞</rb><rt>もとつごと</rt></ruby>。第一には、中臣の氏の神語り。藤原の家の古物語り。多くの<ruby><rb>語</rb><rt>かた</rt></ruby>り<ruby><rb>詞</rb><rt>ごと</rt></ruby>を、絶えては考え継ぐ如く、語り進んでは途切れ勝ちに、<ruby><rb>呪々</rb><rt>のろのろ</rt></ruby>しく、くねくねしく、独り語りする語部や、<ruby><rb>乳母</rb><rt>おも</rt></ruby>や、<ruby><rb>嚼母</rb><rt>まま</rt></ruby>たちの唱える<ruby><rb>詞</rb><rt>ことば</rt></ruby>が、今更めいて、寂しく胸に<ruby><rb>蘇</rb><rt>よみがえ</rt></ruby>って来る。

おお、あれだけの習しを覚える、ただ其だけで、此世に生きながらえて行かねばならぬ<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">みずから</span>であった。

父に感謝し、次には、尊い大叔母君、其から見ぬ世の<ruby><rb>曾祖母</rb><rt>おおおば</rt></ruby>の<ruby><rb>尊</rb><rt>みこと</rt></ruby>に、何とお礼申してよいか、量り知れぬものが、心にたぐり上げて来る。<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">だが</span>まず、父よりも誰よりも、御礼申すべきは、み仏である。この<ruby><rb>珍貴</rb><rt>うず</rt></ruby>の<ruby><rb>感覚</rb><rt>さとり</rt></ruby>を授け給う、限り知られぬ<ruby><rb>愛</rb><rt>めぐ</rt></ruby>みに充ちた<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">よき人</span>が、此世界の外に、居られたのである。<ruby><rb>郎女</rb><rt>いらつめ</rt></ruby>は、<ruby><rb>塗香</rb><rt>ずこう</rt></ruby>をとり寄せて、まず髪に塗り、手に塗り、衣を<ruby><rb>薫</rb><rt>かお</rt></ruby>るばかりに匂わした。

## 十一

ほほき　ほほきい　ほほほきい――。

きのうよりも、澄んだよい日になった。春にしては、驚くばかり濃い日光が、地上にかっきりと、木草の影を落して居た。ほかほかした日よりなのに、其を見ていると、どこか、薄ら寒く感じるほどである。時々に過ぎる雲の<ruby><rb>翳</rb><rt>かげ</rt></ruby>りもなく、晴れきった空だ。高原を<ruby><rb>拓</rb><rt>ひら</rt></ruby>いて、間引いた<ruby><rb>疎</rb><rt>まば</rt></ruby>らな<ruby><rb>木原</rb><rt>こはら</rt></ruby>の上には、もう沢山の羽虫が出て、のぼったり<ruby><rb>降</rb><rt>さが</rt></ruby>ったりして居る。たった一羽の鶯が、よほど前から一処を移らずに、鳴き続けているのだ。

家の<ruby><rb>刀自</rb><rt>とじ</rt></ruby>たちが、物語る口癖を、さっきから思い出して居た。<ruby><rb>出雲宿禰</rb><rt>いずものすくね</rt></ruby>の分れの家の<ruby><rb>嬢子</rb><rt>おとめ</rt></ruby>が、多くの男の言い寄るのを煩しがって、身をよけよけして、何時か、山の林の中に分け入った。そうして其処で、まどろんで居る中に、<ruby><rb>悠々</rb><rt>うらうら</rt></ruby>と長い春の日も、暮れてしまった。嬢子は、家路と思う<ruby><rb>径</rb><rt>みち</rt></ruby>を、あちこち歩いて見た。脚は<ruby><rb>茨</rb><rt>いばら</rt></ruby>の<ruby><rb>棘</rb><rt>とげ</rt></ruby>にさされ、<ruby><rb>袖</rb><rt>そで</rt></ruby>は、木の<ruby><rb>楚</rb><rt>ずわえ</rt></ruby>にひき裂かれた。そうしてとうとう、里らしい<ruby><rb>家群</rb><rt>いえむら</rt></ruby>の見える小高い岡の上に出た時は、裳も、<ruby><rb>著物</rb><rt>きもの</rt></ruby>も、肌の出るほど、ちぎれて居た。空には、夕月が光りを増して来ている。嬢子はさくり上げて来る感情を、声に出した。

ほほき　ほほきい。

何時も、悲しい時に泣きあげて居た、あの声ではなかった。「おお此身は」と思った時に、自分の顔に触れた袖は袖ではないものであった。<ruby><rb>枯</rb><rt>か</rt></ruby>れ<ruby><rb>原</rb><rt>ふ</rt></ruby>の冬草の、山肌色をした小な翼であった。思いがけない声を、尚も出し続けようとする口を、押えようとすると、自身すらいとおしんで居た柔らかな唇は、どこかへ行ってしまって、替りに、ささやかな管のような<ruby><rb>喙</rb><rt>くちばし</rt></ruby>が来てついて居る――。悲しいのか、せつないのか、何の考えさえもつかなかった。唯、<ruby><rb>身悶</rb><rt>みもだ</rt></ruby>えをした。すると<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">ふわり</span>と、からだは宙に浮き上った。留めようと、袖をふれば振るほど、身は次第に、高く<ruby><rb>翔</rb><rt>かけ</rt></ruby>り昇って行く。五日月の照る空まで……。その後、今の世までも、

ほほき　ほほきい　ほほほきい。

と鳴いているのだ、と幼い耳に染みつけられた、物語りの出雲の嬢子が、そのまま、自分であるような気がして来る。

郎女は、<ruby><rb>徐</rb><rt>しず</rt></ruby>かに<ruby><rb>両袖</rb><rt>もろそで</rt></ruby>を、胸のあたりに重ねて見た。家に居た時よりは、<ruby><rb>褻</rb><rt>な</rt></ruby>れ、<ruby><rb>皺立</rb><rt>しわだ</rt></ruby>っているが、小鳥の羽には、なって居なかった。手をあげて唇に触れて見ると、喙でもなかった。やっぱり、<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">ほっとり</span>とした感触を、指の腹に覚えた。

ほほき鳥―鶯―になって居た方がよかった。昔語りの嬢子は、男を避けて、山の<ruby><rb>楚原</rb><rt>しもとはら</rt></ruby>へ入り込んだ。そうして、飛ぶ鳥になった。この身は、何とも知れぬ人の<ruby><rb>俤</rb><rt>おもかげ</rt></ruby>にあくがれ出て、鳥にもならずに、ここにこうして居る。せめて<ruby><rb>蝶飛虫</rb><rt>ちょうとり</rt></ruby>にでもなれば、ひらひらと空に舞いのぼって、あの山の頂へ、俤びとをつきとめに行こうもの――。

ほほき　ほほきい。

自身の<ruby><rb>咽喉</rb><rt>のど</rt></ruby>から出た声だ、と思った。だがやはり、<ruby><rb>廬</rb><rt>いおり</rt></ruby>の外で鳴くのであった。

郎女の心に動き初めた<ruby><rb>叡</rb><rt>さと</rt></ruby>い光りは、消えなかった。今まで手習いした書巻の何処かに、どうやら、法喜と言う字のあった気がする。<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">法喜</span>――飛ぶ鳥すらも、美しいみ仏の詞に、<ruby><rb>感</rb><rt>かま</rt></ruby>けて鳴くのではなかろうか。そう思えば、この鶯も、

ほほき　ほほきい。

嬉しそうな高音を、段々張って来る。

物語りする刀自たちの話でなく、若人らの言うことは、時たま、世の中の<ruby><rb>瑞々</rb><rt>みずみず</rt></ruby>しい<ruby><rb>消息</rb><rt>しょうそこ</rt></ruby>を伝えて来た。奈良の家の女部屋は、裏方五つ間を通した、広いものであった。郎女の帳台の立ち<ruby><rb>処</rb><rt>ど</rt></ruby>を一番奥にして、四つの間に、刀自・若人、<ruby><rb>凡</rb><rt>およそ</rt></ruby>三十人も居た。若人等は、この頃、氏々の<ruby><rb>御館</rb><rt>みたち</rt></ruby>ですることだと言って、<ruby><rb>苑</rb><rt>その</rt></ruby>の池の蓮の茎を切って来ては、<ruby><rb>藕糸</rb><rt>はすいと</rt></ruby>を引く工夫に、一心になって居た。横佩家の池の面を埋めるほど、珠を<ruby><rb>捲</rb><rt>ま</rt></ruby>いたり、解けたりした蓮の葉は、まばらになって、水の反射が<ruby><rb>蔀</rb><rt>しとみ</rt></ruby>を越して、女部屋まで来るばかりになった。茎を折っては、繊維を引き出し、其片糸を幾筋も合せては、糸に<ruby><rb>縒</rb><rt>よ</rt></ruby>る。

郎女は、女たちの凝っている手芸を、じっと見て居る日もあった。ほうほうと切れてしまう藕糸を、八<ruby><rb>合</rb><rt>こ</rt></ruby>・十二<ruby><rb>合</rb><rt>こ</rt></ruby>・<ruby><rb>二十合</rb><rt>はたこ</rt></ruby>に縒って、根気よく、細い綱の様にする。其を<ruby><rb>績</rb><rt>う</rt></ruby>み<ruby><rb>麻</rb><rt>お</rt></ruby>の<ruby><rb>麻</rb><rt>お</rt></ruby><span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">ごけ</span>に<ruby><rb>繋</rb><rt>つな</rt></ruby>ぎためて行く。奈良の御館でも、<ruby><rb>蚕</rb><rt>かうこ</rt></ruby>は飼って居た。実際、刀自たちは、夏は殊にせわしく、そのせいで、不機嫌になって居る日が多かった。

刀自たちは、初めは、そんな<ruby><rb>韓</rb><rt>から</rt></ruby>の<ruby><rb>技人</rb><rt>てびと</rt></ruby>のするような事は、と目もくれなかった。だが時が立つと、段々興味を<ruby><rb>惹</rb><rt>ひ</rt></ruby>かれる様子が見えて来た。

こりゃ、おもしろい。絹の糸と、績み麻との間を行く様な妙な糸の――。此で、切れさえしなければのう。

こうして<ruby><rb>績</rb><rt>つむ</rt></ruby>ぎ<ruby><rb>蓄</rb><rt>た</rt></ruby>めた藕糸は、皆<ruby><rb>一纏</rb><rt>ひとまと</rt></ruby>めにして、寺々に納めようと、言うのである。寺には、<ruby><rb>其々</rb><rt>それそれ</rt></ruby>の<ruby><rb>技女</rb><rt>ぎじょ</rt></ruby>が居て、其糸で、<ruby><rb>唐土様</rb><rt>もろこしよう</rt></ruby>と言うよりも、<ruby><rb>天竺風</rb><rt>てんじくふう</rt></ruby>な織物に織りあげる、と言う評判であった。女たちは、唯功徳の為に糸を績いでいる。其でも、其が幾<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">かせ</span>、幾<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">たま</span>と言う風に<ruby><rb>貯</rb><rt>たま</rt></ruby>って来ると、言い知れぬ<ruby><rb>愛著</rb><rt>あいちゃく</rt></ruby>を覚えて居た。だが、其がほんとは、どんな織物になることやら、其処までは想像も出来なかった。

若人たちは茎を折っては、巧みに糸を引き切らぬように、長く長くと<ruby><rb>抽</rb><rt>ぬ</rt></ruby>き出す。又其、粘り気の少い<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">さくい</span>ものを、まるで絹糸を縒り合せるように、手際よく糸にする間も、ちっとでも口やめる事なく、うき世語りなどをして居た。此は勿論、貴族の家庭では、出来ぬ<ruby><rb>掟</rb><rt>おきて</rt></ruby>になって居た。なっては居ても、<ruby><rb>物珍</rb><rt>ものめ</rt></ruby>でする盛りの若人たちには、口を<ruby><rb>塞</rb><rt>ふさ</rt></ruby>いで<ruby><rb>緘黙行</rb><rt>しじま</rt></ruby>を守ることは、死ぬよりもつらい<ruby><rb>行</rb><rt>ぎょう</rt></ruby>であった。刀自らの油断を見ては、ぼつぼつ話をしている。其きれぎれが、聞こうとも思わぬ郎女の耳にも、ぼつぼつ<ruby><rb>這入</rb><rt>はい</rt></ruby>って来勝ちなのであった。

鶯の鳴く声は、あれで、<ruby><rb>法華経</rb><rt>ほけきょう</rt></ruby><ruby><rb>法華経</rb><rt>ほけきょう</rt></ruby>と言うのじやて――。

ほう、どうして、え――。

天竺のみ仏は、<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">おなご</span>は、助からぬものじゃと、説かれ説かれして来たがえ、其果てに、<ruby><rb>女</rb><rt>おなご</rt></ruby>でも救う道が開かれた。其を説いたのが、法華経じゃと言うげな。

――こんなこと、おなごの身で言うと、さかしがりよと思おうけれど、でも、世間では、そう言うもの――。

じゃで、法華経法華経と経の名を唱えるだけで、この世からして、あの世界の苦しみが、助かるといの。

ほんまにその、<ruby><rb>天竺</rb><rt>てんじく</rt></ruby>のおなごが、あの鳥に<ruby><rb>化</rb><rt>な</rt></ruby>り変って、み経の名を呼ばるるのかえ。

<ruby><rb>郎女</rb><rt>いらつめ</rt></ruby>には、いつか小耳に<ruby><rb>挿</rb><rt>はさ</rt></ruby>んだ其話が、その後、何時までも消えて行かなかった。その頃ちょうど、<ruby><rb>称讃浄土仏摂受経</rb><rt>しょうさんじょうどぶつしょうじゅぎょう</rt></ruby>を、千部写そうとの願を<ruby><rb>発</rb><rt>おこ</rt></ruby>して居た時であった。其が、はかどらぬ。何時までも進まぬ。<ruby><rb>茫</rb><rt>ぼう</rt></ruby>とした耳に、此<ruby><rb>世話</rb><rt>よばなし</rt></ruby>が再また、<ruby><rb>紛</rb><rt>まぎ</rt></ruby>れ入って来たのであった。

ふっと、こんな気がした。

ほほき鳥は、先の世で、<ruby><rb>御経</rb><rt>おんきょう</rt></ruby>手写の願を立てながら、え果さいで、死にでもした、いとしい女子がなったのではなかろうか。……そう思えば、<ruby><rb>若</rb><rt>も</rt></ruby>しや今、千部に満たずにしまうようなことがあったら、我が<ruby><rb>魂</rb><rt>たま</rt></ruby>は何になることやら。やっぱり、鳥か、虫にでも生れて、切なく鳴き続けることであろう。

ついに一度、ものを考えた事もないのが、此国のあて人の娘であった。磨かれぬ智慧を抱いたまま、何も知らず思わずに、過ぎて行った幾百年、幾万の貴い<ruby><rb>女性</rb><rt>にょしょう</rt></ruby>の間に、<ruby><rb>蓮</rb><rt>はちす</rt></ruby>の花がぽっちりと、<ruby><rb>莟</rb><rt>つぼみ</rt></ruby>を<ruby><rb>擡</rb><rt>もた</rt></ruby>げたように、物を考えることを知り<ruby><rb>初</rb><rt>そ</rt></ruby>めた郎女であった。

おれよ。鶯よ。あな<ruby><rb>姦</rb><rt>かま</rt></ruby>や。人に、物思いをつけくさる。

荒々しい声と一しょに、立って、表戸と<ruby><rb>直角</rb><rt>かね</rt></ruby>になった草壁の<ruby><rb>蔀戸</rb><rt>しとみど</rt></ruby>をつきあげたのは、<ruby><rb>当麻語部</rb><rt>たぎまのかたり</rt></ruby>の<ruby><rb>媼</rb><rt>おむな</rt></ruby>である。北側に当るらしい其外側は、<ruby><rb>牕</rb><rt>まど</rt></ruby>を圧するばかり、<ruby><rb>篠竹</rb><rt>しのだけ</rt></ruby>が繁って居た。沢山の葉筋が、日をすかして一時にきらきらと、光って見えた。

郎女は、暫らく幾本とも知れぬその光りの筋の、<ruby><rb>閃</rb><rt>ひらめ</rt></ruby>き過ぎた色を、<ruby><rb>瞼</rb><rt>まぶた</rt></ruby>の裏に、見つめて居た。おとといの日の入り方、山の端に見た輝きが、思わずには居られなかったからである。

また<ruby><rb>一時</rb><rt>いっとき</rt></ruby>、<ruby><rb>廬堂</rb><rt>いおりどう</rt></ruby>を廻って、音するものもなかった。日は段々<ruby><rb>闌</rb><rt>た</rt></ruby>けて、<ruby><rb>小昼</rb><rt>こびる</rt></ruby>の<ruby><rb>温</rb><rt>ぬく</rt></ruby>みが、ほの暗い郎女の居処にも、ほっとりと感じられて来た。

寺の<ruby><rb>奴</rb><rt>やっこ</rt></ruby>が、三四人先に立って、<ruby><rb>僧綱</rb><rt>そうごう</rt></ruby>が五六人、其に、大勢の<ruby><rb>所化</rb><rt>しょけ</rt></ruby>たちのとり<ruby><rb>捲</rb><rt>ま</rt></ruby>いた一群れが、廬へ来た。

これが、<ruby><rb>古</rb><rt>ふる</rt></ruby>山田寺だ、と申します。

勿体ぶった、しわがれ声が聞えて来た。

そんな事は、どうでも――。まず、郎女さまを――。

噛みつくようにあせって居る<ruby><rb>家長老</rb><rt>いえおとな</rt></ruby><ruby><rb>額田部子古</rb><rt>ぬかたべのこふる</rt></ruby>の<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">がなり</span>声がした。

同時に、表戸は引き<ruby><rb>剥</rb><rt>は</rt></ruby>がされ、其に隣った、幾つかの<ruby><rb>竪薦</rb><rt>たつごも</rt></ruby>をひきちぎる音がした。

ずうと這い寄って来た<ruby><rb>身狭乳母</rb><rt>むさのちおも</rt></ruby>は、郎女の前に<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">居たけ</span>を<ruby><rb>聳</rb><rt>そびや</rt></ruby>かして、<ruby><rb>掩</rb><rt>おお</rt></ruby>いになった。外光の直射を防ぐ為と、一つは、男たちの前、殊には、庶民の目に、<ruby><rb>貴人</rb><rt>あてびと</rt></ruby>の姿を<ruby><rb>暴</rb><rt>さら</rt></ruby>すまい、とするのであろう。<ruby><rb>伴</rb><rt>とも</rt></ruby>に立って来た<ruby><rb>家人</rb><rt>けにん</rt></ruby>の一人が、大きな木の<ruby><rb>叉枝</rb><rt>またぶり</rt></ruby>をへし折って来た。そうして、旅用意の<ruby><rb>巻帛</rb><rt>まきぎぬ</rt></ruby>を、幾垂れか、其場で之に結び下げた。其を<ruby><rb>牀</rb><rt>ゆか</rt></ruby>につきさして、即座の<ruby><rb>竪帷</rb><rt>たつばり</rt></ruby>―<ruby><rb>几帳</rb><rt>きちょう</rt></ruby>―は調った。<ruby><rb>乳母</rb><rt>おも</rt></ruby>は、其前に座を占めたまま、何時までも動かなかった。

## 十二

怒りの滝のようになった額田部子古は、奈良に<ruby><rb>還</rb><rt>かえ</rt></ruby>って、公に訴えると言い出した。大和国にも断って、寺の奴ばらを追い払って貰うとまで、いきまいた。大師を<ruby><rb>頭</rb><rt>かしら</rt></ruby>に、横佩家に深い筋合いのある貴族たちの名をあげて、其方々からも、何分の御吟味を願わずには置かぬ、と凄い顔をして、<ruby><rb>住侶</rb><rt>じゅうりょ</rt></ruby>たちを脅かした。郎女は、貴族の姫で入らせられようが、寺の浄域を<ruby><rb>穢</rb><rt>けが</rt></ruby>し、結界まで破られたからは、直にお還りになるようには計われぬ。寺の四至の境に在る所で、長期の物忌みして、その<ruby><rb>贖</rb><rt>あがな</rt></ruby>いはして貰わねばならぬ、と寺方も、言い分はひっこめなかった。

理分に非分にも、これまで、南家の権勢でつき通してきた<ruby><rb>家長老</rb><rt>おとな</rt></ruby>等にも、寺方の扱いと言うものの、世間どおりにはいかぬ事が<ruby><rb>訣</rb><rt>わか</rt></ruby>って居た。乳母に相談かけても、一代そう言う世事に与った事のない此人は、そんな問題には、<ruby><rb>詮</rb><rt>かい</rt></ruby>ない唯の<ruby><rb>女性</rb><rt>にょしょう</rt></ruby>に過ぎなかった。

<ruby><rb>先刻</rb><rt>さっき</rt></ruby>からまだ立ち去らずに居た当麻語部の嫗が、口を出した。

其は、寺方が、理分でおざるがや。お<ruby><rb>随</rb><rt>おしたが</rt></ruby>いなされねばならぬ。

其を聞くと、身狭乳母は、激しく、田舎語部の老女を叱りつけた。男たちに言いつけて、畳にしがみつき、柱にかき<ruby><rb>縋</rb><rt>すが</rt></ruby>る<ruby><rb>古婆</rb><rt>ふるばば</rt></ruby>を<ruby><rb>掴</rb><rt>つか</rt></ruby>み出させた。そうした威高さは、さすがに<ruby><rb>自</rb><rt>おのずか</rt></ruby>ら備っていた。

何事も、この身などの考えではきめられぬ。<ruby><rb>帥</rb><rt>そつ</rt></ruby>の<ruby><rb>殿</rb><rt>との</rt></ruby>に承ろうにも、国遠し。まず<ruby><rb>姑</rb><rt>しば</rt></ruby>し、郎女様のお心による外はないもの、と思いまする。

其より外には、<ruby><rb>方</rb><rt>ほう</rt></ruby>もつかなかった。奈良の<ruby><rb>御館</rb><rt>みたち</rt></ruby>の人々と言っても、多くは、此人たちの意見を聴いてする人々である。よい思案を、考えつきそうなものも居ない。難波へは、直様、使いを立てることにして、とにもかくにも、当座は、姫の考えに任せよう、と言うことになった。

郎女様。如何お考え遊ばしまする。おして、奈良へ還れぬでも御座りませぬ。<ruby><rb>尤</rb><rt>もっとも</rt></ruby>、寺方でも、<ruby><rb>候人</rb><rt>さぶらいびと</rt></ruby>や、<ruby><rb>奴隷</rb><rt>やっこ</rt></ruby>の人数を揃えて、妨げましょう。併し、御館のお勢いには、何程の事でも御座りませぬ。では御座りまするが、お前さまのお考えを承らずには、何とも計いかねまする。御思案お<ruby><rb>洩</rb><rt>もら</rt></ruby>し遊ばされ。

<ruby><rb>謂</rb><rt>い</rt></ruby>わば、難題である。あて人の娘御に、出来よう筈のない返答である。<ruby><rb>乳母</rb><rt>おも</rt></ruby>も、子古も、<ruby><rb>凡</rb><rt>およそ</rt></ruby>は無駄な伺いだ、と思っては居た。ところが、郎女の答えは、<ruby><rb>木魂返</rb><rt>こだまがえ</rt></ruby>しの様に、<ruby><rb>躊躇</rb><rt>ためら</rt></ruby>うことなしにあった。其上、此ほどはっきりとした答えはない、と思われる位、<ruby><rb>凛</rb><rt>りん</rt></ruby>としていた。其が、すべての者の不満を圧倒した。

姫の<ruby><rb>咎</rb><rt>とが</rt></ruby>は、姫が贖う。此寺、此二上山の下に居て、身の償い、心の償いした、と姫が得心するまでは、還るものとは思やるな。

郎女の声・<ruby><rb>詞</rb><rt>ことば</rt></ruby>を聞かぬ日はない身狭乳母ではあった。だが<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">ついしか</span>此ほどに、頭の髄まで<ruby><rb>沁</rb><rt>し</rt></ruby>み入るような、さえざえとした語を聞いたことのない、<ruby><rb>乳母</rb><rt>ちおも</rt></ruby>だった。

寺方の言い分に譲るなど言う問題は、小い事であった。此<ruby><rb>爽</rb><rt>さわ</rt></ruby>やかな育ての君の判断力と、惑いなき詞に感じてしまった。ただ、涙。こうまで<ruby><rb>賢</rb><rt>さか</rt></ruby>しい魂を<ruby><rb>窺</rb><rt>うかが</rt></ruby>い得て、頬に伝うものを拭うことも出来なかった。子古にも、郎女の詞を伝達した。そうして、自分のまだ<ruby><rb>曾</rb><rt>かつ</rt></ruby>て覚えたことのない感激を、力深くつけ添えて聞かした。

ともあれ此上は、<ruby><rb>難波津</rb><rt>なにわづ</rt></ruby>へ。

難波へと言った自分の語に、気づけられたように、子古は思い出した。今日か明日、<ruby><rb>新羅</rb><rt>しらぎ</rt></ruby>問罪の為、筑前へ下る官使の一行があった。難波に留っている帥の殿も、次第によっては、再太宰府へ出向かれることになっているかも知れぬ。手遅れしては一大事である。此足ですぐ、北へ廻って、大阪越えから河内へ出て、難波まで、馬の叶う処は馬で走ろう、と決心した。

万法蔵院に、唯一つ飼って居た馬の借用を申し入れると、此は快く聴き入れてくれた。今日の日暮れまでには、立ち還りに、難波へ行って来る、と歯のすいた口に叫びながら、郎女の竪帷に向けて、庭から<ruby><rb>匍伏</rb><rt>ほふく</rt></ruby>した。

子古の発った後は、又のどかな春の日に戻った。<ruby><rb>悠々</rb><rt>うらうら</rt></ruby>と照り暮す山々を見せましょう、と乳母が言い出した。木立ち・山陰から盗み見する者のないように、家人らを、一町・二町先まで見張りに出して、郎女を、外に誘い出した。

<ruby><rb>暴風雨</rb><rt>あらし</rt></ruby>の夜、<ruby><rb>添下</rb><rt>そうのしも</rt></ruby>・広瀬・葛城の野山を、<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">かち</span>あるきした娘御ではなかった。乳母と今一人、若人の肩に手を置きながら、歩み出た。日の光りは、霞みもせず、<ruby><rb>陽炎</rb><rt>かげろう</rt></ruby>も立たず、唯おどんで見えた。昨日跳めた野も、斜になった日を受けて、物の影が細長く<ruby><rb>靡</rb><rt>なび</rt></ruby>いて居た。青垣の様にとりまく山々も、<ruby><rb>愈々</rb><rt>いよいよ</rt></ruby>遠く裾を<ruby><rb>曳</rb><rt>ひ</rt></ruby>いて見えた。早い<ruby><rb>菫</rb><rt>すみれ</rt></ruby>―げんげ―が、もうちらほら咲いている。遠く見ると、その赤々とした紫が一続きに見えて、夕焼け雲がおりて居るように思われる。足もとに一本、おなじ花の咲いているのを見つけた<ruby><rb>郎女</rb><rt>いらつめ</rt></ruby>は、膝を<ruby><rb>叢</rb><rt>くさむら</rt></ruby>について、じっと眺め入った。

これはえ――。

すみれ、と申すとのことで御座ります。

こう言う風に、物を知らせるのが、あて人に仕える人たちの、<ruby><rb>為来</rb><rt>しきた</rt></ruby>りになって居た。

<ruby><rb>蓮</rb><rt>はちす</rt></ruby>の花に似ていながら、もっと細やかな、――絵にある仏の花を見るような――。

ひとり言しながら、じっと見ているうちに、花は、広い<ruby><rb>萼</rb><rt>うてな</rt></ruby>の上に乗った仏の前の大きな花になって来る。其がまた、ふっと、目の前のささやかな花に戻る。

夕風が<ruby><rb>冷</rb><rt>ひや</rt></ruby>ついて参ります。内へと遊ばされ。

乳母が言った。見渡す山は、皆影濃くあざやかに見えて来た。

近々と、谷を隔てて、端山の林や、<ruby><rb>崖</rb><rt>なぎ</rt></ruby>の幾重も重った上に、二上の<ruby><rb>男岳</rb><rt>おのかみ</rt></ruby>の頂が、赤い日に染って立っている。

今日は、又あまりに静かな<ruby><rb>夕</rb><rt>ゆうべ</rt></ruby>である。山ものどかに、夕雲の中に<ruby><rb>這入</rb><rt>はい</rt></ruby>って行こうとしている。

もうしもうし。もう外に居る時では御座りません。

## 十三

「朝目よく」うるわしい<ruby><rb>兆</rb><rt>しるし</rt></ruby>を見た昨日は、<ruby><rb>郎女</rb><rt>いらつめ</rt></ruby>にとって、知らぬ経験を、後から後から<ruby><rb>展</rb><rt>ひら</rt></ruby>いて行ったことであった。ただ<ruby><rb>人</rb><rt>びと</rt></ruby>の考えから言えば、苦しい現実のひき続きではあったのだが、姫にとっては、心驚く事ばかりであった。一つ一つ変った事に逢う度に、「何も知らぬ身であった」と姫の心の底の声が揚った。そうして、その事毎に、挨拶をしてはやり過したい気が、一ぱいであった。今日も其続きを、くわしく見た。

なごり惜しく過ぎ行く<ruby><rb>現</rb><rt>うつ</rt></ruby>し<ruby><rb>世</rb><rt>よ</rt></ruby>のさまざま。郎女は、今目を閉じて、心に一つ一つ収めこもうとして居る。ほのかに通り行き、<ruby><rb>将</rb><rt>はた</rt></ruby>著しく<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">はためき</span>過ぎたもの――。宵闇の深くならぬ先に、<ruby><rb>廬</rb><rt>いおり</rt></ruby>のまわりは、すっかり手入れがせられて居た。灯台も大きなのを、寺から借りて来て、<ruby><rb>煌々</rb><rt>こうこう</rt></ruby>と、<ruby><rb>油火</rb><rt>あぶらび</rt></ruby>が燃えて居る。明王像も、女人のお出での場処には、すさまじいと言う者があって、どこかへ<ruby><rb>搬</rb><rt>はこ</rt></ruby>んで行かれた。其よりも、郎女の為には、帳台の<ruby><rb>設備</rb><rt>しつら</rt></ruby>われている安らかさ。今宵は、夜も、暖かであった。<ruby><rb>帷帳</rb><rt>とばり</rt></ruby>を<ruby><rb>周</rb><rt>めぐ</rt></ruby>らした中は、ほの暗かった。其でも、山の<ruby><rb>鬼神</rb><rt>もの</rt></ruby>、野の<ruby><rb>魍魎</rb><rt>もの</rt></ruby>を避ける為の灯の渦が、ぼうと<ruby><rb>梁</rb><rt>はり</rt></ruby>に張り渡した<ruby><rb>頂板</rb><rt>つしいた</rt></ruby>に揺めいて居るのが、たのもしい気を深めた。帳台のまわりには、乳母や、若人が寝たらしい。其ももう、<ruby><rb>一時</rb><rt>ひととき</rt></ruby>も前の事で、皆すやすやと寝息の音を立てて居る。姫の心は、今は軽かった。たとえば、<ruby><rb>俤</rb><rt>おもかげ</rt></ruby>に見たお人には逢わずとも、その俤を見た山の<ruby><rb>麓</rb><rt>ふもと</rt></ruby>に来て、こう安らかに身を横えて居る。

灯台の明りは、郎女の額の上に、高く<ruby><rb>朧</rb><rt>おぼ</rt></ruby>ろに見える光りの輪を作って居た。月のように円くて、幾つも上へ上へと、<ruby><rb>月輪</rb><rt>がちりん</rt></ruby>の重っている如くも見えた。其が、隙間風の為であろう。時々薄れて行くと、一つの月になった。ぽうっと明り立つと、幾重にも<ruby><rb>隈</rb><rt>くま</rt></ruby>の畳まった、大きな<ruby><rb>円</rb><rt>まど</rt></ruby>かな光明になる。

幸福に充ちて、忘れて居た姫の耳に、今宵も谷の響きが聞え出した。更けた夜空には、今頃やっと、遅い月が出たことであろう。

物の音。――つた　つたと来て、ふうと<ruby><rb>佇</rb><rt>た</rt></ruby>ち止るけはい。耳をすますと、元の<ruby><rb>寂</rb><rt>しず</rt></ruby>かな夜に、――<ruby><rb>激</rb><rt>たぎ</rt></ruby>ち<ruby><rb>降</rb><rt>くだ</rt></ruby>る谷のとよみ。

つた　つた　つた。

又、ひたと<ruby><rb>止</rb><rt>や</rt></ruby>む。

この狭い廬の中を、何時まで歩く、<ruby><rb>跫音</rb><rt>あしおと</rt></ruby>だろう。

つた。

郎女は<ruby><rb>刹那</rb><rt>せつな</rt></ruby>、思い出して帳台の中で、身を固くした。次に<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">わじわじ</span>と<ruby><rb>戦</rb><rt>おのの</rt></ruby>きが出て来た。

<ruby><rb>天若御子</rb><rt>あめわかみこ</rt></ruby>――。

ようべ、<ruby><rb>当麻語部嫗</rb><rt>たぎまのかたりのおむな</rt></ruby>の聞した物語り。ああ其お方の、来て<ruby><rb>窺</rb><rt>うかが</rt></ruby>う夜なのか。

――青馬の　<ruby><rb>耳面刀自</rb><rt>みゝものとじ</rt></ruby>。

刀自もがも。<ruby><rb>女弟</rb><rt>おと</rt></ruby>もがも。

その子の　はらからの子の

<ruby><rb>処女子</rb><rt>おとめご</rt></ruby>の　一人

一人だに　わが<ruby><rb>配偶</rb><rt>つま</rt></ruby>に来よ

まことに<ruby><rb>畏</rb><rt>おそろ</rt></ruby>しいと言うことを覚えぬ郎女にしては、初めてまざまざと、<ruby><rb>圧</rb><rt>おさ</rt></ruby>えられるような<ruby><rb>畏</rb><rt>こわ</rt></ruby>さを知った。あああの歌が、胸に生き<ruby><rb>蘇</rb><rt>かえ</rt></ruby>って来る。忘れたい歌の文句が、はっきりと意味を持って、姫の唱えぬ口の<ruby><rb>詞</rb><rt>ことば</rt></ruby>から、胸にとおって響く。乳房から<ruby><rb>迸</rb><rt>ほとばし</rt></ruby>り出ようとするときめき。

帷帳がふわと、風を含んだ様に<ruby><rb>皺</rb><rt>しわ</rt></ruby>だむ。

<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">つい</span>と、凍る様な冷気――。

郎女は目を<ruby><rb>瞑</rb><rt>つぶ</rt></ruby>った。だが――瞬間<ruby><rb>睫</rb><rt>まつげ</rt></ruby>の間から映った細い白い指、まるで骨のような――帷帳を<ruby><rb>掴</rb><rt>つか</rt></ruby>んだ片手の白く光る指。

なも　<ruby><rb>阿弥陀</rb><rt>あみだ</rt></ruby>ほとけ。あなたふと　阿弥陀ほとけ。

何の反省もなく、唇を<ruby><rb>洩</rb><rt>も</rt></ruby>れた詞。この時、姫の心は、急に<ruby><rb>寛</rb><rt>くつろ</rt></ruby>ぎを感じた。さっと――汗。全身に流れる冷さを覚えた。畏い感情を持ったことのないあて人の姫は、<ruby><rb>直</rb><rt>すぐ</rt></ruby>に<ruby><rb>動顛</rb><rt>どうてん</rt></ruby>した心を、とり直すことが出来た。

のうのう。あみだほとけ……。

今一度口に出して見た。おとといまで、手写しとおした、称讃浄土経の<ruby><rb>文</rb><rt>もん</rt></ruby>が胸に浮ぶ。郎女は、昨日までは一度も、寺道場を覗いたこともなかった。父君は家の内に道場を構えて居たが、<ruby><rb>簾</rb><rt>すだれ</rt></ruby>越しにも聴聞は許されなかった。<ruby><rb>御経</rb><rt>おんきょう</rt></ruby>の<ruby><rb>文</rb><rt>もん</rt></ruby>は手写しても、<ruby><rb>固</rb><rt>もと</rt></ruby>より意趣は、よく<ruby><rb>訣</rb><rt>わか</rt></ruby>らなかった。だが、処々には、かつがつ気持ちの汲みとれる所があったのであろう。さすがに、まさかこんな時、<ruby><rb>突嗟</rb><rt>とっさ</rt></ruby>に口に上ろう、とは思うて居なかった。

白い骨、<ruby><rb>譬</rb><rt>たと</rt></ruby>えば白玉の並んだ骨の指、其が何時までも目に残って居た。帷帳は、元のままに垂れて居る。だが、白玉の指ばかりは細々と、其に絡んでいるような気がする。

悲しさとも、懐しみとも知れぬ心に、深く、郎女は沈んで行った。山の端に立った俤びとは、<ruby><rb>白々</rb><rt>しろじろ</rt></ruby>とした掌をあげて、姫をさし招いたと覚えた。だが今、近々と見る其手は、海の渚の白玉のように、からびて寂しく、目にうつる。

長い渚を歩いて行く。郎女の髪は、左から右から吹く風に、あちらへ<ruby><rb>靡</rb><rt>なび</rt></ruby>き、こちらへ乱れする。<ruby><rb>浪</rb><rt>なみ</rt></ruby>はただ、足もとに寄せている。渚と思うたのは、海の<ruby><rb>中道</rb><rt>なかみち</rt></ruby>である。浪は、両方から打って来る。どこまでもどこまでも、海の道は続く。郎女の足は、砂を踏んでいる。その砂すらも、段々水に<ruby><rb>掩</rb><rt>おお</rt></ruby>われて来る。砂を踏む。踏むと思うて居る中に、ふと其が、白々とした照る玉だ、と気がつく。姫は身を<ruby><rb>屈</rb><rt>こご</rt></ruby>めて、白玉を拾う。拾うても拾うても、玉は皆、<ruby><rb>掌</rb><rt>たなそこ</rt></ruby>に置くと、粉の如く砕けて、吹きつける風に散る。其でも、玉を拾い続ける。玉は<ruby><rb>水隠</rb><rt>みがく</rt></ruby>れて、見えぬ様になって行く。姫は悲しさに、もろ手を以て<ruby><rb>掬</rb><rt>すく</rt></ruby>おうとする。<ruby><rb>掬</rb><rt>むす</rt></ruby>んでも掬んでも、水のように、<ruby><rb>手股</rb><rt>たなまた</rt></ruby>から流れ去る白玉――。玉が再、砂の上につぶつぶ並んで見える。<ruby><rb>忙</rb><rt>あわただ</rt></ruby>しく拾おうとする姫の<ruby><rb>俯</rb><rt>うつむ</rt></ruby>いた背を越して、流れる浪が、泡立ってとおる。

姫は――やっと、白玉を取りあげた。輝く、大きな玉。そう思うた刹那、郎女の身は、大浪にうち<ruby><rb>仆</rb><rt>たお</rt></ruby>される。浪に漂う身……衣もなく、<ruby><rb>裳</rb><rt>も</rt></ruby>もない。抱き持った等身の白玉と一つに、水の上に照り輝く<ruby><rb>現</rb><rt>うつ</rt></ruby>し<ruby><rb>身</rb><rt>み</rt></ruby>。

ずんずんと、さがって行く。<ruby><rb>水底</rb><rt>みなぞこ</rt></ruby>に<ruby><rb>水漬</rb><rt>みづ</rt></ruby>く白玉なる郎女の身は、やがて又、<ruby><rb>一幹</rb><rt>ひともと</rt></ruby>の白い<ruby><rb>珊瑚</rb><rt>さんご</rt></ruby>の樹である。脚を根、手を枝とした水底の木。頭に生い<ruby><rb>靡</rb><rt>なび</rt></ruby>くのは、玉藻であった。玉藻が、深海のうねりのままに、揺れて居る。やがて、水底にさし入る月の光り――。ほっと息をついた。

まるで、<ruby><rb>潜</rb><rt>かず</rt></ruby>きする海女が<ruby><rb>二十尋</rb><rt>はたひろ</rt></ruby>・<ruby><rb>三十尋</rb><rt>みそひろ</rt></ruby>の水底から浮び上って<ruby><rb>嘯</rb><rt>うそぶ</rt></ruby>く様に、深い息の音で、自身明らかに目が覚めた。

ああ夢だった。<ruby><rb>当麻</rb><rt>たぎま</rt></ruby>まで来た夜道の記憶は、まざまざと残って居るが、こんな苦しさは覚えなかった。だがやっぱり、おとといの道の続きを<ruby><rb>辿</rb><rt>たど</rt></ruby>って居るらしい気がする。

水の面からさし入る月の光り、そう思うた時は、ずんずん海面に浮き出て来た。そうして<ruby><rb>悉</rb><rt>ことごと</rt></ruby>く、跡形もない夢だった。唯、姫の仰ぎ寝る<ruby><rb>頂板</rb><rt>つしいた</rt></ruby>に、ああ、水にさし入った月。そこに以前のままに、幾つも<ruby><rb>暈</rb><rt>かさ</rt></ruby>の畳まった月輪の形が、揺めいて居る。

のうのう　<ruby><rb>阿弥陀</rb><rt>あみだ</rt></ruby>ほとけ……。

再、口に出た。光りの暈は、今は<ruby><rb>愈々</rb><rt>いよいよ</rt></ruby>明りを増して、輪と輪との境の<ruby><rb>隈々</rb><rt>くまぐま</rt></ruby>しい処までも見え出した。黒ずんだり、薄暗く見えたりした隈が、次第に凝り初めて、明るい光明の中に、胸・肩・頭・髪、はっきりと形を<ruby><rb>現</rb><rt>げん</rt></ruby>じた。白々と<ruby><rb>袒</rb><rt>ぬ</rt></ruby>いだ美しい肌。<ruby><rb>浄</rb><rt>きよ</rt></ruby>く伏せた<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">まみ</span>が、<ruby><rb>郎女</rb><rt>いらつめ</rt></ruby>の寝姿を見おろして居る。かの日の<ruby><rb>夕</rb><rt>ゆうべ</rt></ruby>、山の端に見た<ruby><rb>俤</rb><rt>おもかげ</rt></ruby>びと――。乳のあたりと、膝元とにある手――その<ruby><rb>指</rb><rt>および</rt></ruby>、白玉の指。姫は、起き直った。天井の光りの輪が、元のままに、ただ<ruby><rb>仄</rb><rt>ほの</rt></ruby>かに、事もなく揺れて居た。

## 十四

<ruby><rb>貴人</rb><rt>うまびと</rt></ruby>はうま人どち、やっこは<ruby><rb>奴隷</rb><rt>やっこ</rt></ruby>どち、と言うからの――。

何時見ても、大師は、<ruby><rb>微塵</rb><rt>みじん</rt></ruby>曇りのない、<ruby><rb>円</rb><rt>まど</rt></ruby>かな<ruby><rb>相好</rb><rt>そうごう</rt></ruby>である。其に、ふるまいのおおどかなこと。若くから<ruby><rb>氏上</rb><rt>うじのかみ</rt></ruby>で、数十<ruby><rb>家</rb><rt>け</rt></ruby>の一族や、日本国中数万の氏人から立てられて来た家持も、じっと<ruby><rb>対</rb><rt>むこ</rt></ruby>うていると、その静かな威に、圧せられるような気がして来る。

言わしておくがよい。奴隷たちは、とやかくと口さがないのが、其<ruby><rb>為事</rb><rt>しごと</rt></ruby>よ。此身とお身とは、おなじ貴人じゃ。おのずから、話も合おうと言うもの。此身が、段々なり<ruby><rb>上</rb><rt>のぼ</rt></ruby>ると、うま人までがおのずと<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">やっこ</span>心になり居って、いや<ruby><rb>嫉</rb><rt>ねた</rt></ruby>むの、そねむの。

家持は、此が多聞天か、と心に問いかけて居た。だがどうも、そうは思われぬ。同じ、かたどって作るなら、と<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">つい</span><ruby><rb>聯想</rb><rt>れんそう</rt></ruby>が<ruby><rb>逸</rb><rt>そ</rt></ruby>れて行く。八年前、越中国から帰った当座の、世の中の豊かな騒ぎが、思い出された。あれからすぐ、大仏開眼供養が行われたのであった。其時、近々と仰ぎ奉った尊容、八十<ruby><rb>種好</rb><rt>しゅごう</rt></ruby>具足した、と<ruby><rb>謂</rb><rt>い</rt></ruby>われる其相好が、誰やらに似ている、と感じた。其がその時は、どうしても思い浮ばずにしまった。その時の印象が、今ぴったり、的にあてはまって来たのである。

こうして対いあって居る主人の顔なり、姿なりが、其ままあの<ruby><rb>盧遮那</rb><rt>るさな</rt></ruby>ほとけの俤だ、と言って、誰が否もう。

お身も、少し<ruby><rb>咄</rb><rt>はな</rt></ruby>したら、ええではないか。<ruby><rb>官位</rb><rt>こうぶり</rt></ruby>はこうぶり。昔ながらの氏は氏――。なあ、そう思わぬか。<ruby><rb>紫徴中台</rb><rt>しびちゅうだい</rt></ruby>の、兵部省のと、位づけるのは、うき世の事だわ。<ruby><rb>家</rb><rt>うち</rt></ruby>に居る時だけは、やはり神代以来の氏上づきあいが、ええ。

新しい唐の制度の模倣ばかりして、<ruby><rb>漢土</rb><rt>もろこし</rt></ruby>の<ruby><rb>才</rb><rt>ざえ</rt></ruby>が、<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">やまと心</span>に入り替ったと<ruby><rb>謂</rb><rt>い</rt></ruby>われて居る此人が、こんな嬉しいことを言う。家持は、感謝したい気がした。理会者・同感者を、思いもうけぬ処に見つけ出した嬉しさだったのである。

お身は、宋玉や、<ruby><rb>王褒</rb><rt>おうほう</rt></ruby>の書いた物を大分持って居ると言うが、太宰府へ行った時に、手に入れたのじゃな。あんな若い年で、<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">わせ</span>だったのだのう。お身は――。お身の氏では、<ruby><rb>古麻呂</rb><rt>こまろ</rt></ruby>。身の家に近しい者でも奈良麻呂。あれらは<ruby><rb>漢</rb><rt>かん</rt></ruby><ruby><rb>魏</rb><rt>ぎ</rt></ruby>はおろか、今の唐の小説なども、ふり向きもせんから、言うがいない話じゃわ。

兵部大輔は、やっと話のつきほを捉えた。

お身さまのお話じゃが、わしは、賦の類には飽きました。どうもあれが、この四十面さげてもまだ、涙もろい歌や、詩の出て来る元になって居る――そうつくづく思いますじゃて。ところで近頃は、<ruby><rb>方</rb><rt>かた</rt></ruby>を換えて、張文成を拾い読みすることにしました。この方が、なんぼか――。

大きに、其は、身も賛成じゃ。じゃが、お身がその年になっても、まだ<ruby><rb>二十</rb><rt>はたち</rt></ruby>代の若い心や、<ruby><rb>瑞々</rb><rt>みずみず</rt></ruby>しい顔を持って居るのは、宋玉のおかげじゃぞ。まだなかなか隠れては歩き<ruby><rb>居</rb><rt>お</rt></ruby>る、と人の噂じゃが、嘘じゃなかろう。身が保証する。おれなどは、張文成ばかり古くから読み過ぎて、早く精気の尽きてしもうた心持ちがする。――じゃが全く、文成はええのう。あの<ruby><rb>仁</rb><rt>じん</rt></ruby>に会うて来た者の話では、<ruby><rb>豬肥</rb><rt>いのこご</rt></ruby>えのした、唯の漢土びとじゃったげなが、心はまるで、やまとのものと、一つと思うが、お身なら、<ruby><rb>諾</rb><rt>うべの</rt></ruby>うてくれるだろうの。

文成に限る事ではおざらぬが、あちらの物は、読んで居て、知らぬ事ばかり教えられるようで、時々ふっと思い返すと、こんな思わざった考えを、いつの間にか、持っている――そんな空恐しい気さえすることが、ありますて。お身さまにも、そんな<ruby><rb>経験</rb><rt>おぼえ</rt></ruby>は、おありでがな。

大ありおお有り。毎日毎日、其よ。しまいに、どうなるのじゃ。こんなに智慧づいては、と思われてならぬことが――。じゃが、<ruby><rb>女子</rb><rt>おみなご</rt></ruby>だけには、まず当分、女部屋のほの暗い中で、こんな智慧づかぬ、のどかな心で居させたいものじゃ。第一其が、われわれ男の為じゃて。

家持は、此了解に富んだ貴人に向っては、何でも言ってよい、青年のような気が湧いて来た。

さようさよう。智慧を持ち初めては、あの<ruby><rb>欝</rb><rt>いぶせ</rt></ruby>い女部屋には、じっとして居ませぬげな。第一、<ruby><rb>横佩墻内</rb><rt>よこはきかきつ</rt></ruby>の――

此はいけぬ、と思った。同時に、此<ruby><rb>臆</rb><rt>おく</rt></ruby>れた気の出るのが、自分を<ruby><rb>卑</rb><rt>ひく</rt></ruby>くし、大伴氏を、昔の位置から自ら<ruby><rb>蹶落</rb><rt>けおと</rt></ruby>す心なのだ、と感じる。

<ruby><rb>好</rb><rt>ええ</rt></ruby>、<ruby><rb>好</rb><rt>ええ</rt></ruby>。遠慮はやめやめ。氏上づきあいじゃもの。ほい又出た。おれはまだ、藤原の氏上に任ぜられた<ruby><rb>訣</rb><rt>わけ</rt></ruby>じゃあ、なかったっけの。

瞬間、暗い顔をしたが、直にさっと眉の間から、輝きが出て来た。

身の<ruby><rb>女姪</rb><rt>めい</rt></ruby>が神隠しにおうたあの話か。お身は、あの謎見たいな<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">いきさつ</span>を、そう<ruby><rb>解</rb><rt>と</rt></ruby>るかね。ふん。いやおもしろい。女姪の姫も、定めて喜ぶじゃろう。実はこれまで、内々消息を遣して、小あたりにあたって見た、と言う口かね、お身も。

大きに。

今度は軽い心持ちが、大胆に押勝の話を受けとめた。

お身さまが<ruby><rb>経験</rb><rt>ためし</rt></ruby>ずみじゃで、其で、郎女の<ruby><rb>才高</rb><rt>ざえだか</rt></ruby>さと、男択びすることが<ruby><rb>訣</rb><rt>わか</rt></ruby>りますな――。

此は――。額ざまに切りつけるぞ――。<ruby><rb>免</rb><rt>ゆる</rt></ruby>せ免せと言うところじゃが、――あれはの、生れだちから違うものな。藤原の氏姫じゃからの。<ruby><rb>枚岡</rb><rt>ひらおか</rt></ruby>の<ruby><rb>斎</rb><rt>いつ</rt></ruby>き<ruby><rb>姫</rb><rt>ひめ</rt></ruby>にあがる<ruby><rb>宿世</rb><rt>すくせ</rt></ruby>を持って生れた者ゆえ、人間の男は、弾く、弾く、弾きとばす。近よるまいぞよ。ははははは。

大師は、笑いをぴたりと止めて、家持の顔を見ながら、きまじめな表情になった。

じゃがどうも――。聴き及んでのことと思うが、家出の前まで、阿弥陀経の千部写経をして居たと言うし、<ruby><rb>楽毅論</rb><rt>がっきろん</rt></ruby>から、兄の殿の書いた元興寺縁起も、其前に手習いしたらしいし、まだまだ孝経などは、<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">これぽっち</span>の頃に習うた、と言うし、なかなかの<ruby><rb>女博士</rb><rt>おなごはかせ</rt></ruby>での。<ruby><rb>楚辞</rb><rt>そじ</rt></ruby>や、小説にうき身をやつす身や、お身は近よれぬわのう。霜月・師走の<ruby><rb>垣毀雪女</rb><rt>かいこぼちおなご</rt></ruby>じゃもの。――どうして、其だけの<ruby><rb>女子</rb><rt>おみなご</rt></ruby>が、神隠しなどに逢おうかい。

第一、場処が、あの当麻で見つかったと言いますからの――。

併し其は、藤原に全く縁のない処でもない。<ruby><rb>天二上</rb><rt>あめのふたかみ</rt></ruby>は、<ruby><rb>中臣寿詞</rb><rt>なかとみのよごと</rt></ruby>にもあるし……。<ruby><rb>斎</rb><rt>いつ</rt></ruby>き<ruby><rb>姫</rb><rt>ひめ</rt></ruby>もいや、人の妻と呼ばれるのもいや――で、尼になる気を起したのでないか、と考えると、もう不安で不安でのう。のどかな気持ちばかりでも居られぬて――。

押勝の眉は集って来て、<ruby><rb>皺</rb><rt>しわ</rt></ruby>一つよせぬ美しい、この老いの見えぬ貴人の顔も、思いなし、ひずんで見えた。

何しろ、<ruby><rb>嫋女</rb><rt>たわやめ</rt></ruby>は国の宝じゃでのう。出来ることなら、人の物にはせず、神の物にしておきたいところじゃが、――人間の高望みは、そうばかりもさせてはおきおらぬがい――。ともかく、むざむざ尼寺へやる<ruby><rb>訣</rb><rt>わけ</rt></ruby>にはいかぬ。

じゃが、お身さま。一人出家すれば、と云う<ruby><rb>詞</rb><rt>ことば</rt></ruby>が、この頃はやりになって居りますが…。

九族が天に生じて、何になるというのじゃ。宝は何百人かかっても、作り出せるものではないぞよ。<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">どだい</span><ruby><rb>兄公殿</rb><rt>あにきどの</rt></ruby>が、少し<ruby><rb>仏凝</rb><rt>ほとけご</rt></ruby>りが過ぎるでのう――。自然<ruby><rb>内</rb><rt>うち</rt></ruby>うらまで、そんな気風がしみこむようになったかも知れぬぞ――。時に、お身のみ館の<ruby><rb>郎女</rb><rt>いらつめ</rt></ruby>も、そんな育てはしてあるまいな。其では、<ruby><rb>家</rb><rt>うち</rt></ruby>の久須麻呂が泣きを見るからの。

人の悪いからかい笑みを浮べて、話を無理にでも脇へ釣り出そうと努めるのは、考えるのも切ない胸の中が察せられる。

兄公殿は氏上に、身は<ruby><rb>氏助</rb><rt>うじのすけ</rt></ruby>と言う訣なのじゃが、<ruby><rb>肝腎</rb><rt>かんじん</rt></ruby>斎き姫で、枚岡に居させられる叔母御は、もうよい年じゃ。去年春日祭りに、女使いで上られた姿を見て、<ruby><rb>神</rb><rt>かん</rt></ruby>さびたものよ、と思うたぞ。<ruby><rb>今</rb><rt>も</rt></ruby>一代此方から進ぜなかったら、斎き姫になる娘の多い北家の方が、すぐに取って替って、氏上に据るは。

兵部大輔にとっても、此は<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">もう</span>、<ruby><rb>他事</rb><rt>ひとごと</rt></ruby>ではなかった。おなじ大伴幾流の中から、四代続いて氏上職を持ち<ruby><rb>堪</rb><rt>こた</rt></ruby>えたのも、第一は宮廷の御恩徳もあるが、世の中の<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">よせ</span>が重かったからである。其には、一番大事な条件として、美しい斎き姫が、後から後と此家に出て、とぎれることがなかった為でもある。大伴の家のは、表向き<ruby><rb>壻</rb><rt>むこ</rt></ruby>どりさえして居ねば、子があっても、斎き姫は勤まる、と言う定めであった。今の<ruby><rb>阪上郎女</rb><rt>さかのうえのいらつめ</rt></ruby>は、二人の<ruby><rb>女子</rb><rt>おみなご</rt></ruby>を持って、やはり斎き姫である。此は、うっかり出来ない。<ruby><rb>此方</rb><rt>こちら</rt></ruby>も藤原同様、叔母御が<ruby><rb>斎姫</rb><rt>いつき</rt></ruby>で、まだそんな年でない、と思うているが、又どんなことで、他流の氏姫が、後を襲うことにならぬとも限らぬ。大伴・<ruby><rb>佐伯</rb><rt>さえき</rt></ruby>の数知れぬ家々・人々が、外の大伴へ、頭をさげるようになってはならぬ。こう考えて来た家持の心の動揺などには、思いよりもせぬ風で、

こんな話は、よそほかの氏上に言うべきことでないが、兄公殿がああして、此先何年、難波にいても、太宰府に居ると言うが<ruby><rb>表面</rb><rt>おもて</rt></ruby>だから、氏の祭りは、枚岡・春日と、二処に二度ずつ、其外、<ruby><rb>週</rb><rt>まわ</rt></ruby>り年には、時々鹿島・香取の<ruby><rb>東路</rb><rt>あずまじ</rt></ruby>のはてにある<ruby><rb>旧社</rb><rt>もとやしろ</rt></ruby>の祭りまで、此方で勤めねばならぬ。実際よそほかの氏上よりも、此方の氏助ははたらいているのだが、――だから、自分で、氏上の気持ちになったりする。――もう一層なってしまうかな。お身はどう思う。こりゃ、答える訣にも行くまい。氏上に押し直ろうとしたところで、今の身の考え一つを<ruby><rb>抂</rb><rt>ま</rt></ruby>げさせるものはない。上様方に於かせられて、お叱りの御沙汰を下しおかれぬ限りは――。

京中で、此恵美屋敷ほど、庭を<ruby><rb>嗜</rb><rt>たしな</rt></ruby>んだ家はないと言う。門は、左京二条三坊に、北に向いて開いて居るが、主人家族の住いは、南を広く空けて、深々とした<ruby><rb>山斎</rb><rt>やま</rt></ruby>が作ってある。其に入りこみの多い池を<ruby><rb>周</rb><rt>めぐ</rt></ruby>らし、池の中の島も、飛鳥の宮風に造られて居た。東の<ruby><rb>中</rb><rt>なか</rt></ruby>み<ruby><rb>門</rb><rt>かど</rt></ruby>、西の中み門まで備って居る。どうかすると、庭と申そうより、<ruby><rb>寛々</rb><rt>かんかん</rt></ruby>とした空き地の広くおありになる宮よりは、もっと手入れが届いて居そうな気がする。

庭を立派にして住んだ、<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">うま</span>人たちの末々の様が、兵部大輔の胸に来た。瞬間、<ruby><rb>憂欝</rb><rt>ゆううつ</rt></ruby>な気持ちがかぶさって来て、前にいる大師の顔を見るのが、気の毒な様に思われる。

案じるなよ。庭が行き届き過ぎて居る、と思うてるのだろう。そんなことはないさ。庭はよくても、亡びた人ばかりはないさ。淡海公の御館はどうだ。どの筋でも引き継がずに、今に荒してはあるが、あの立派さは。<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">それ</span>あの山部の何とか言った、<ruby><rb>地下</rb><rt>じげ</rt></ruby>の召し人の歌よみが、おれの三十になったばかりの頃、「昔見し<ruby><rb>旧</rb><rt>ふる</rt></ruby>き堤は、年深み……年深み、池の<ruby><rb>渚</rb><rt>なぎさ</rt></ruby>に、<ruby><rb>水草</rb><rt>みくさ</rt></ruby>生ひにけり」とよんだ位だが、其後が、<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">これ</span>此様に、四流にも<ruby><rb>岐</rb><rt>わか</rt></ruby>れて栄えている。もっとあるぞ――。なに、庭などによるものじゃないわ。

<ruby><rb>恃</rb><rt>たの</rt></ruby>む所の深い此あて人は、庭の風景の、目立った個処個処を指摘しながら、其拠る所を、<ruby><rb>日本</rb><rt>やまと</rt></ruby>・<ruby><rb>漢土</rb><rt>もろこし</rt></ruby>に<ruby><rb>渉</rb><rt>わた</rt></ruby>って説明した。

長い廊を、数人の<ruby><rb>童</rb><rt>わらわ</rt></ruby>が続いて来る。

日ずかしです。お召しあがり下されましょう。

改って、簡単な<ruby><rb>饗応</rb><rt>きょうおう</rt></ruby>の挨拶をした。まろうどに、早く酒を献じなさい、と言っている間に、美しい<ruby><rb>采女</rb><rt>うねめ</rt></ruby>が、盃を額より高く捧げて出た。

おお、それだけ受けて頂けばよい。舞いぶりを一つ、見て貰いなさい。

家持は、何を考えても、先を越す敏感な主人に対して、唯虚心で居るより外は、なかった。

<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">うねめ</span>は、大伴の氏上へは、まだくださらぬのだったね。藤原では、存知でもあろうが、先例が早くからあって、淡海公が、近江の宮から頂戴した故事で、頂く習慣になって居ります。

時々、こんな<ruby><rb>畏</rb><rt>かしこ</rt></ruby>まったもの言いもまじえる。兵部大輔は、自身の<ruby><rb>語</rb><rt>ことば</rt></ruby>づかいにも、<ruby><rb>初中終</rb><rt>しょっちゅう</rt></ruby>、気扱いをせねばならなかった。

氏上もな、身が執心で、兄公殿を太宰府へ追いまくって、後にすわろうとするのだ、と言う奴があるといの――。やっぱり「奴はやっこどち」じゃの。そう思うよ。時に<ruby><rb>女姪</rb><rt>めい</rt></ruby>の姫だが――。

さすがの<ruby><rb>聡明</rb><rt>そうめい</rt></ruby>第一の大師も、酒の量は少かった。其が、今日は幾分いけた、と見えて、話が循環して来た。家持は、一度はぐらかされた<ruby><rb>緒口</rb><rt>いとぐち</rt></ruby>に、とりついた気で、

<ruby><rb>横佩墻内</rb><rt>よこはきかきつ</rt></ruby>の郎女は、どうなるでしょう。社・寺、それとも宮――。どちらへ向いても、神さびた一生。あったら惜しいものでおありだ。

気にするな。気にするな。気にしたとて、どう出来るものか。此は――もう、人間の手へは、戻らぬかも知れんぞ。

末は、独り言になって居た。そうして、急に考え深い目を凝した。池へ落した水音は、<ruby><rb>未</rb><rt>ひつじ</rt></ruby>がさがると、寒々と聞えて来る。

早く、<ruby><rb>躑躅</rb><rt>つつじ</rt></ruby>の照る時分になってくれぬかなあ。一年中で、この庭の一番よい時が、待ちどおしいぞ。

大師藤原恵美押勝朝臣の声は、若々しい、純な欲望の外、何の響きもまじえて居なかった。

## 十五

つた　つた　つた。

郎女は、<ruby><rb>一向</rb><rt>ひたすら</rt></ruby>、あの音の歩み寄って来る<ruby><rb>畏</rb><rt>おそろ</rt></ruby>しい夜更けを、待つようになった。おとといよりは昨日、昨日よりは今日という風に、其<ruby><rb>跫音</rb><rt>あしおと</rt></ruby>が間遠になって行き、此頃は<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">ふつ</span>に音せぬようになった。その氷の山に<ruby><rb>対</rb><rt>むこ</rt></ruby>うて居るような、骨の<ruby><rb>疼</rb><rt>うず</rt></ruby>く<ruby><rb>戦慄</rb><rt>せんりつ</rt></ruby>の快感、其が失せて行くのを<ruby><rb>虞</rb><rt>おそ</rt></ruby>れるように、姫は夜毎、鶏のうたい出すまでは、殆、祈る心で待ち続けて居る。

絶望のまま、幾晩も仰ぎ寝たきりで、目は昼よりも<ruby><rb>寤</rb><rt>さ</rt></ruby>めて居た。其間に起る夜の間の現象には、一切心が留らなかった。現にあれほど、郎女の心を有頂天に引き上げた<ruby><rb>頂板</rb><rt>つし</rt></ruby>の<ruby><rb>面</rb><rt>おもて</rt></ruby>の光り輪にすら、<ruby><rb>明盲</rb><rt>あきじ</rt></ruby>いのように、注意は<ruby><rb>惹</rb><rt>ひ</rt></ruby>かれなくなった。ここに来て、<ruby><rb>疾</rb><rt>と</rt></ruby>くに、七日は過ぎ、十日・半月になった。山も、野も、春のけしきが整うて居た。<ruby><rb>野茨</rb><rt>のいばら</rt></ruby>の花のようだった小桜が散り過ぎて、其に次ぐ山桜が、谷から峰かけて、断続しながら咲いているのも見える。<ruby><rb>麦原</rb><rt>むぎふ</rt></ruby>は、驚くばかり伸び、里人の野<ruby><rb>為事</rb><rt>しごと</rt></ruby>に出た姿が、終日、そのあたりに動いている。

都から来た人たちの中、何時までこの山陰に、春を起き臥すことか、と<ruby><rb>侘</rb><rt>わ</rt></ruby>びる者が殖えて行った。<ruby><rb>廬堂</rb><rt>いおりどう</rt></ruby>の近くに掘り立てた板屋に、こう長びくとは思わなかったし、まだどれだけ続くかも知れぬ此生活に、家ある者は、妻子に会うことばかりを考えた。親に養われる者は、家の父母の外にも、隠れた恋人を思う心が、切々として来るのである。女たちは、こうした場合にも、平気に近い感情で居られる長い暮しの習しに馴れて、何かと為事を考えてはして居る。女方の小屋は、男のとは別に、もっと廬に接して建てられて居た。

<ruby><rb>身狭乳母</rb><rt>むさのちおも</rt></ruby>の思いやりから、男たちの多くは、唯さえ小人数な奈良の<ruby><rb>御館</rb><rt>みたち</rt></ruby>の番に行け、と言って<ruby><rb>還</rb><rt>かえ</rt></ruby>され、<ruby><rb>長老</rb><rt>おとな</rt></ruby>一人の外は、唯<ruby><rb>雑用</rb><rt>ぞうよう</rt></ruby>をする童と、<ruby><rb>奴隷</rb><rt>やっこ</rt></ruby>位しか残らなかった。

<ruby><rb>乳母</rb><rt>おも</rt></ruby>や、若人たちも、薄々は帳台の中で夜を久しく起きている、<ruby><rb>郎女</rb><rt>いらつめ</rt></ruby>の様子を感じ出して居た。でも、なぜそう夜深く<ruby><rb>溜</rb><rt>た</rt></ruby>め<ruby><rb>息</rb><rt>いき</rt></ruby>ついたり、うなされたりするか、知る筈のない昔<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">かたぎ</span>の女たちである。

やはり、郎女の<ruby><rb>魂</rb><rt>たま</rt></ruby>があくがれ出て、心が空しくなって居るもの、と単純に考えて居る。ある女は、魂ごいの為に、山尋ねの<ruby><rb>咒術</rb><rt>おこない</rt></ruby>をして見たらどうだろう、と言った。

乳母は一口に言い消した。姫様、<ruby><rb>当麻</rb><rt>たぎま</rt></ruby>に御<ruby><rb>安著</rb><rt>あんちゃく</rt></ruby>なされた其夜、奈良の御館へ計わずに、私にした当麻真人の家人たちの山尋ねが、わるい結果を呼んだのだ。当麻語部とか<ruby><rb>謂</rb><rt>い</rt></ruby>った<ruby><rb>蠱物</rb><rt>まじもの</rt></ruby>使いのような婆が、出しゃばっての差配が、こんな事を<ruby><rb>惹</rb><rt>ひ</rt></ruby>き起したのだ。

その節、山の<ruby><rb>峠</rb><rt>たわ</rt></ruby>の塚で起った不思議は、噂になって、この<ruby><rb>貴人</rb><rt>うまびと</rt></ruby>一家の者にも、知れ渡って居た。あらぬ者の魂を呼び出して、郎女様におつけ申しあげたに違いない。もうもう、軽はずみな咒術は思いとまることにしよう。こうして、<ruby><rb>魂</rb><rt>たま</rt></ruby>の<ruby><rb>游離</rb><rt>あくが</rt></ruby>れ出た処の近くにさえ居れば、やがては、元のお身になり戻り遊されることだろう。こんな風に考えて、乳母は唯、気長に気ながに、と女たちを諭し諭しした。こんな事をして居る中に、早一月も過ぎて、桜の後、暫らく寂しかった山に、<ruby><rb>躑躅</rb><rt>つつじ</rt></ruby>が燃え立った。足も行かれぬ崖の上や、巌の腹などに、<ruby><rb>一群</rb><rt>ひとむら</rt></ruby>一群咲いて居るのが、奥山の春は今だ、となのって居るようである。

ある日は、山へ山へと、里の娘ばかりが上って行くのを見た。<ruby><rb>凡</rb><rt>およそ</rt></ruby>数十人の若い女が、何処で宿ったのか、其次の日、てんでに赤い山の花を髪にかざして、降りて来た。廬の庭から見あげた若女房の一人が、山の躑躅林が練って降るようだ、と声をあげた。

ぞよぞよと廬の前を通る時、皆頭をさげて行った。其中の二三人が、つくねんとして暮す若人たちの慰みに呼び入れられて、板屋の端へ来た。当麻の田居も、今は<ruby><rb>苗代時</rb><rt>なわしろどき</rt></ruby>である。やがては田植えをする。其時は、見に出やしゃれ。こんな身でも、其時はずんと、おなごぶりが上るぞな、と笑う者もあった。

ここの田居の中で、植え初めの田は、腰折れ田と言うて、都までも聞えた物語りのある田じゃげな。

若人たちは、又例の<ruby><rb>蠱物姥</rb><rt>まじものうば</rt></ruby>の古語りであろう、とまぜ返す。ともあれ、こうして、山ごもりに上った娘だけに、今年の田の早処女が当ります。其しるしが此じゃ、と大事そうに、頭の躑躅に触れて見せた。

もっと変った話を聞かせぬかえと誘われて、身分に高下はあっても、同じ若い同士のこととて、色々な<ruby><rb>田舎咄</rb><rt>いなかばなし</rt></ruby>をして行った。其を<ruby><rb>後</rb><rt>のち</rt></ruby>に乳母たちが聴いて、気にしたことがあった。山ごもりして居ると、小屋の上の崖をどうどうと踏みおりて来る者がある。ようべ、真夜中のことである。一様にうなされて、苦しい息をついていると、音はそのまま、真下へ真下へ、降って行った。がらがらと、岩の<ruby><rb>崩</rb><rt>く</rt></ruby>える響き。――ちょうど其が、此盧堂の真上の<ruby><rb>高処</rb><rt>たか</rt></ruby>に当って居た。こんな処に道はない筈じゃが、と今朝起きぬけに見ると、案の定、赤岩の<ruby><rb>大崩崖</rb><rt>おおなぎ</rt></ruby>。ようべの音は、音ばかりで、ちっとも<ruby><rb>痕</rb><rt>あと</rt></ruby>は残って居なかった。

其で思い合せられるのは、此頃ちょくちょく、<ruby><rb>子</rb><rt>ね</rt></ruby>から<ruby><rb>丑</rb><rt>うし</rt></ruby>の間に、里から見えるこのあたりの<ruby><rb>峰</rb><rt>お</rt></ruby>の<ruby><rb>上</rb><rt>え</rt></ruby>に、光り物がしたり、時ならぬ<ruby><rb>一時颪</rb><rt>いっときおろし</rt></ruby>の凄い<ruby><rb>唸</rb><rt>うな</rt></ruby>りが、聞えたりする。今まで<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">ついに</span>聞かぬこと。里人は唯こう、恐れ謹しんで居る、とも言った。

こんな話を残して行った里の娘たちも、苗代田の<ruby><rb>畔</rb><rt>あぜ</rt></ruby>に、めいめいのかざしの躑躅花を挿して帰った。其は昼のこと、田舎は田舎らしい<ruby><rb>閨</rb><rt>ねや</rt></ruby>の中に、今は寝ついたであろう。夜はひた更けに、更けて行く。

昼の恐れのなごりに、寝苦しがって居た女たちも、おびえ疲れに寝入ってしまった。頭上の崖で、寝鳥の鳴き声がした。郎女は、まどろんだとも思わぬ目を、ふっと開いた。続いて今ひと響き、<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">びし</span>としたのは、鳥などの、翼<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">ぐるめ</span>ひき裂かれたらしい音である。だが其だけで、山は音どころか、生き物も絶えたように、虚しい空間の闇に、時間が立って行った。

郎女の<ruby><rb>額</rb><rt>ぬか</rt></ruby>の上の天井の光の<ruby><rb>暈</rb><rt>かさ</rt></ruby>が、ほのぼのと白んで来る。明りの<ruby><rb>隈</rb><rt>くま</rt></ruby>はあちこちに<ruby><rb>偏倚</rb><rt>かたよ</rt></ruby>って、光りを<ruby><rb>竪</rb><rt>たて</rt></ruby>にくぎって行く。と見る間に、ぱっと明るくなる。そこに大きな花。蒼白い<ruby><rb>菫</rb><rt>すみれ</rt></ruby>。その花びらが、幾つにも分けて見せる隈、仏の花の<ruby><rb>青蓮華</rb><rt>しょうれんげ</rt></ruby>と言うものであろうか。郎女の目には、何とも知れぬ<ruby><rb>浄</rb><rt>きよ</rt></ruby>らかな花が、車輪のように、宙にぱっと開いている。<ruby><rb>仄暗</rb><rt>ほのぐら</rt></ruby>い<ruby><rb>蕋</rb><rt>しべ</rt></ruby>の処に、むらむらと雲のように、動くものがある。黄金の蕋をふりわける。其は黄金の髪である。髪の中から匂い出た荘厳な顔。閉じた目が、憂いを持って、見おろして居る。ああ肩・胸・<ruby><rb>顕</rb><rt>あら</rt></ruby>わな肌。――冷え冷えとした白い肌。おお　おいとおしい。

郎女は、自身の声に、目が覚めた。夢から続いて、口は尚夢のように、語を<ruby><rb>逐</rb><rt>お</rt></ruby>うて居た。

おいとおしい。お寒かろうに――。

## 十六

山の躑躅の色は、様々ある。一つ色のものだけが、一時に咲き出して、一時に<ruby><rb>萎</rb><rt>しぼ</rt></ruby>む。そうして、凡一月は、後から後から替った色のが匂い出て、<ruby><rb>禿</rb><rt>は</rt></ruby>げた岩も、一冬のうら枯れをとり返さぬ<ruby><rb>柴木山</rb><rt>しばきやま</rt></ruby>も、若夏の青雲の下に、はでなかざしをつける。其間に、藤の短い花房が、白く又紫に垂れて、老い木の幹の高さを、せつなく、寂しく見せる。下草に交って、<ruby><rb>馬酔木</rb><rt>あしび</rt></ruby>が雪のように咲いても、花めいた心を、誰に起させることもなしに、過ぎるのがあわれである。

もう此頃になると、山は<ruby><rb>厭</rb><rt>いと</rt></ruby>わしいほど緑に埋れ、谷は深々と、繁りに隠されてしまう。<ruby><rb>郭公</rb><rt>かっこう</rt></ruby>は早く鳴き<ruby><rb>嗄</rb><rt>か</rt></ruby>らし、<ruby><rb>時鳥</rb><rt>ほととぎす</rt></ruby>が替って、日も夜も鳴く。

草の花が、どっと<ruby><rb>怒濤</rb><rt>どとう</rt></ruby>の寄せるように咲き出して、山全体が花原見たようになって行く。里の麦は刈り急がれ、田の原は一様に青みわたって、もうこんなに伸びたか、と驚くほどになる。家の<ruby><rb>庭苑</rb><rt>その</rt></ruby>にも、立ち替り咲き替って、<ruby><rb>栽</rb><rt>う</rt></ruby>え<ruby><rb>木</rb><rt>き</rt></ruby>、草花が、何処まで盛り続けるかと思われる。だが其も一盛りで、坪はひそまり返ったような時が来る。池には葦が伸び、<ruby><rb>蒲</rb><rt>がま</rt></ruby>が<ruby><rb>秀</rb><rt>ほ</rt></ruby>き、<ruby><rb>藺</rb><rt>い</rt></ruby>が<ruby><rb>抽</rb><rt>ぬき</rt></ruby>んでて来る。遅々として、併し忘れた頃に、<ruby><rb>俄</rb><rt>にわ</rt></ruby>かに<ruby><rb>伸</rb><rt>の</rt></ruby>し上るように育つのは、蓮の葉であった。

前年から今年にかけて、海の彼方の新羅の暴状が、目立って棄て置かれぬものに見えて来た。太宰府からは、軍船を新造して新羅征伐の設けをせよ、と言う命のお<ruby><rb>降</rb><rt>くだ</rt></ruby>しを、度々都へ請うておこして居た。此忙しい時に、偶然流人<ruby><rb>太宰員外帥</rb><rt>だざいいんがいのそつ</rt></ruby>として、難波に居た<ruby><rb>横佩家</rb><rt>よこはきけ</rt></ruby>の豊成は、思いがけぬ日々を送らねばならなかった。

都の姫の事は、子古の口から聴いて知ったし、又、京・難波の間を往来する頻繁な公私の使いに、文をことづてる事は易かったけれども、どう処置してよいか、途方に<ruby><rb>昏</rb><rt>く</rt></ruby>れた。ちょっと見は何でもない事の様で、実は重大な、家の大事である。其だけに、常の優柔不断な心癖は、益々つのるばかりであった。

寺々の知音に寄せて、当麻寺へ、よい様に命じてくれる様に、と書いてもやった。又処置方について伺うた横佩墻内の家の<ruby><rb>長老</rb><rt>とね</rt></ruby>・<ruby><rb>刀自</rb><rt>とじ</rt></ruby>たちへは、ひたすら、汝等の主の<ruby><rb>郎女</rb><rt>いらつめ</rt></ruby>を護って居れ、と言うような、抽象風なことを、答えて来たりした。

次の消息には、何かと具体した仰せつけがあるだろう、と待って居る間に、日が立ち、月が過ぎて行くばかりである。其間にも、姫の失われたと見える魂が、お身に戻るか、其だけの望みで、人々は、山村に止って居た。物思いに、屈託ばかりもして居ぬ若人たちは、もう池のほとりにおり立って、伸びた蓮の茎を切り集め出した。其を見て居た寺の<ruby><rb>婢女</rb><rt>めやっこ</rt></ruby>が、其はまだ若い、もう半月もおかねばと言って、寺領の一部に、蓮根を取る為に作ってあった<ruby><rb>蓮田</rb><rt>はちすだ</rt></ruby>へ、案内しよう、と言い出した。あて人の家自身が、それぞれ、農村の<ruby><rb>大家</rb><rt>おおやけ</rt></ruby>であった。其が次第に、<ruby><rb>官人</rb><rt>つかさびと</rt></ruby>らしい姿に<ruby><rb>更</rb><rt>かわ</rt></ruby>って来ても、家庭の生活には、何時までたっても、何処か農家らしい様子が、残って居た。家構えにも、屋敷の<ruby><rb>広場</rb><rt>にわ</rt></ruby>にも、家の中の<ruby><rb>雑用具</rb><rt>ぞうようぐ</rt></ruby>にも。第一、女たちの生活は、<ruby><rb>起居</rb><rt>たちい</rt></ruby><span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">ふるまい</span>なり、服装なりは、優雅に優雅にと変っては行ったが、やはり昔の農家の<ruby><rb>家内</rb><rt>やうち</rt></ruby>の匂いがつき<ruby><rb>纏</rb><rt>まと</rt></ruby>うて離れなかった。刈り上げの秋になると、夫と離れて暮す年頃に達した夫人などは、よく其家の遠い<ruby><rb>田荘</rb><rt>なりどころ</rt></ruby>へ行って、数日を過して来るような習しも、絶えることなく、くり返されて居た。

だから、刀自たちは<ruby><rb>固</rb><rt>もと</rt></ruby>より若人らも、<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">つくねん</span>と女部屋の薄暗がりに、明し暮して居るのではなかった。てんでに、自分の出た村方の手芸を覚えて居て、其を、仕える君の為に<ruby><rb>為出</rb><rt>しいだ</rt></ruby>そう、と出精してはたらいた。

<ruby><rb>裳</rb><rt>も</rt></ruby>の<ruby><rb>襞</rb><rt>ひだ</rt></ruby>を作るのに<ruby><rb>珍</rb><rt>な</rt></ruby>い<ruby><rb>術</rb><rt>て</rt></ruby>を持った女などが、何でもないことで、とりわけ重宝がられた。<ruby><rb>袖</rb><rt>そで</rt></ruby>の先につける<ruby><rb>鰭袖</rb><rt>はたそで</rt></ruby>を美しく為立てて、其に、珍しい縫いとりをする女なども居た。こんなのは、どの家庭にもある話でなく、こう言う若人をおきあてた家は、一つのよい<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">見てくれ</span>を世間に持つ事になるのだ。一般に、染めや、裁ち縫いが、家々の顔見合わぬ女どうしの競技のように、もてはやされた。<ruby><rb>摺</rb><rt>す</rt></ruby>り染めや、<ruby><rb>擣</rb><rt>う</rt></ruby>ち染めの技術も、女たちの間には、目立たぬ進歩が年々にあったが、<ruby><rb>浸</rb><rt>ひ</rt></ruby>で染めの為の染料が、韓の<ruby><rb>技工人</rb><rt>てびと</rt></ruby>の影響から、途方もなく変化した。紫と<ruby><rb>謂</rb><rt>い</rt></ruby>っても、<ruby><rb>茜</rb><rt>あかね</rt></ruby>と謂っても皆、昔の様な、染め<ruby><rb>漿</rb><rt>しお</rt></ruby>の<ruby><rb>処置</rb><rt>とりあつかい</rt></ruby>はせなくなった。そうして、染め上りも、艶々しく、はでなものになって来た。表向きは、こうした色の禁令が、次第に行きわたって来たけれど、家の女部屋までは、<ruby><rb>官</rb><rt>かみ</rt></ruby>の目も届くはずはなかった。

家庭の主婦が、居まわりの人を促したてて、自身も精励してするような為事は、あて人の家では、刀自等の受け持ちであった。若人たちも、田畠に出ぬと言うばかりで、家の中での為事は、まだ<ruby><rb>見参</rb><rt>まいりまみえ</rt></ruby>をせずにいた田舎暮しの時分と、大差はなかった。とりわけ違うのは、其家々の神々に仕えると言う、誇りはあるが、小むつかしい事がつけ加えられて居る位のことである。外出には、下人たちの見ぬ様に、笠を深々とかずき、其下には、更に<ruby><rb>薄帛</rb><rt>うすぎぬ</rt></ruby>を垂らして出かけた。

<ruby><rb>一時</rb><rt>いっとき</rt></ruby>たたぬ中に、婢女ばかりでなく、自身たちも、田におりたったと見えて、泥だらけになって、若人たち十数人は戻って来た。皆手に手に、張り切って発育した、蓮の茎を抱えて、<ruby><rb>廬</rb><rt>いおり</rt></ruby>の前に並んだのには、常々<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">くすり</span>とも笑わぬ<ruby><rb>乳母</rb><rt>おも</rt></ruby>たちさえ、腹の皮をよって、切ながった。

郎女様。<ruby><rb>御覧</rb><rt>ごろう</rt></ruby>じませ。

<ruby><rb>竪帳</rb><rt>たつばり</rt></ruby>を手でのけて、姫に見せるだけが、やっとのことであった。

ほう――。

何が笑うべきものか、何が憎むに値するものか、一切知らぬ<ruby><rb>上﨟</rb><rt>じょうろう</rt></ruby>には、唯常と変った皆の姿が、<ruby><rb>羨</rb><rt>うらやま</rt></ruby>しく思われた。

この身も、その田居とやらにおり立ちたい――。

めっそうなこと、仰せられます。

めっそうな。きまって、誇張した顔と口との表現で答えることも、此ごろ、この小社会で行われ出した。何から何まで縛りつけるような、<ruby><rb>身狭乳母</rb><rt>むさのちおも</rt></ruby>に対する反感も、此<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">ものまね</span>で幾分、いり合せがつく様な気がするのであろう。

其日からもう、若人たちの<ruby><rb>糸縒</rb><rt>いとよ</rt></ruby>りは初まった。夜は、<ruby><rb>閨</rb><rt>ねや</rt></ruby>の闇の中で寝る女たちには、<ruby><rb>稀</rb><rt>まれ</rt></ruby>に男の声を聞くこともある、奈良の<ruby><rb>垣内</rb><rt>かきつ</rt></ruby>住いが、恋しかった。朝になると又、何もかも忘れたようになって<ruby><rb>績</rb><rt>う</rt></ruby>み<ruby><rb>貯</rb><rt>た</rt></ruby>める。

そうした糸の、六かせ七かせを持って出て、郎女に見せたのは、其数日後であった。

乳母よ。この糸は、蝶鳥の翼よりも美しいが、<ruby><rb>蜘蛛</rb><rt>くも</rt></ruby>の<ruby><rb>巣</rb><rt>い</rt></ruby>より弱く見えるがよ――。

郎女は、久しぶりでにっこりした。労を<ruby><rb>犒</rb><rt>ねぎら</rt></ruby>うと共に、考えの足らぬのを憐むようである。刀自は、驚いて姫の<ruby><rb>詞</rb><rt>ことば</rt></ruby>を<ruby><rb>堰</rb><rt>せ</rt></ruby>き止めた。

なる程、此は<ruby><rb>脆</rb><rt>さく</rt></ruby>過ぎまする。

女たちは、板屋に戻っても、長く、健やかな喜びを、皆して語って居た。

全く<ruby><rb>些</rb><rt>すこ</rt></ruby>しの悪意もまじえずに、言いたいままの気持ちから、

田居とやらへおりたちたい――、

を反覆した。

刀自は、若人を呼び集めて、

もっと、きれぬ糸を作り出さねば、物はない。

と言った。女たちの中の一人が、

それでは、刀自に、何ぞよい御思案が――。

さればの――。

昔を守ることばかりは<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">いかつい</span>が、新しいことの考えは唯、<ruby><rb>尋常</rb><rt>よのつね</rt></ruby>の婆の如く、愚かしかった。

ゆくりない声が、郎女の口から<ruby><rb>洩</rb><rt>も</rt></ruby>れた。

この身の考えることが、出来ることか試して見や。

うま人を軽侮することを、神への忌みとして居た昔人である。だが、かすかな<ruby><rb>軽</rb><rt>かる</rt></ruby>しめに似た気持ちが、皆の心に動いた。

夏引きの<ruby><rb>麻生</rb><rt>おふ</rt></ruby>の<ruby><rb>麻</rb><rt>あさ</rt></ruby>を績むように、そして、もっと日ざらしよく、細くこまやかに――。

郎女は、目に見えぬものの<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">さとし</span>を、心の上で綴って行くように、語を吐いた。

板屋の前には、<ruby><rb>俄</rb><rt>にわ</rt></ruby>かに、蓮の茎が乾し並べられた。そうして其が乾くと、谷の<ruby><rb>澱</rb><rt>よど</rt></ruby>みに持ち下りて浸す。浸しては<ruby><rb>晒</rb><rt>さら</rt></ruby>し、晒しては水に<ruby><rb>漬</rb><rt>ひ</rt></ruby>でた幾日の後、<ruby><rb>筵</rb><rt>むしろ</rt></ruby>の上で<ruby><rb>槌</rb><rt>つち</rt></ruby>の音高く、こもごも、<ruby><rb>交々</rb><rt>こもごも</rt></ruby>と叩き柔らげた。

その<ruby><rb>勤</rb><rt>いそ</rt></ruby>しみを、郎女も時には、端近くいざり出て見て居た。<ruby><rb>咎</rb><rt>とが</rt></ruby>めようとしても、思いつめたような目して、見入って居る姫を見ると、刀自は口を開くことが出来なくなった。

日晒しの茎を、<ruby><rb>八針</rb><rt>やつはり</rt></ruby>に裂き、其を又、幾針にも裂く。郎女の物言わぬまなざしが、じっと若人たちの手もとをまもって居る。果ては、刀自も言い出した。

私も、績みましょう。

績みに績み、又績みに績んだ。<ruby><rb>藕糸</rb><rt>はすいと</rt></ruby>のまるがせが、日に日に殖えて、廬堂の中に、次第に高く積まれて行った。

もう今日は、みな月に入る日じゃの――。

暦の事を言われて、刀自は<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">ぎょっ</span>とした。ほんに、今日こそ、<ruby><rb>氷室</rb><rt>ひむろ</rt></ruby>の<ruby><rb>朔日</rb><rt>ついたち</rt></ruby>じゃ。そう思う下から歯の根のあわぬような悪感を覚えた。大昔から、暦は<ruby><rb>聖</rb><rt>ひじり</rt></ruby>の<ruby><rb>与</rb><rt>あずか</rt></ruby>る道と考えて来た。其で、男女は唯、長老の言うがままに、時の来又去った事を教わって、村や、家の行事を進めて行くばかりであった。だから、教えぬに日月を語ることは、極めて<ruby><rb>聡</rb><rt>さと</rt></ruby>い人の事として居た頃である。<ruby><rb>愈々</rb><rt>いよいよ</rt></ruby>魂をとり戻されたのか、と<ruby><rb>瞻</rb><rt>まも</rt></ruby>りながら、はらはらして居る<ruby><rb>乳母</rb><rt>おも</rt></ruby>であった。唯、<ruby><rb>郎女</rb><rt>いらつめ</rt></ruby>は<ruby><rb>復</rb><rt>また</rt></ruby>、秋分の日の近づいて来て居ることを、心にと言うよりは、身の内に、そくそくと感じ初めて居たのである。蓮は、池のも、田居のも、極度に<ruby><rb>長</rb><rt>た</rt></ruby>けて、<ruby><rb>莟</rb><rt>つぼみ</rt></ruby>の大きくふくらんだのも、見え出した。<ruby><rb>婢女</rb><rt>めやっこ</rt></ruby>は、今が刈りしおだ、と教えたので、若人たちは、皆手も足も泥にして、又田に立ち暮す日が続いた。

## 十七

彼岸中日　秋分の夕。朝曇り後晴れて、海のように<ruby><rb>深碧</rb><rt>ふかみどり</rt></ruby>に<ruby><rb>凪</rb><rt>な</rt></ruby>いだ空に、昼過ぎて、白い雲が<ruby><rb>頻</rb><rt>しき</rt></ruby>りにちぎれちぎれに飛んだ。其が<ruby><rb>門渡</rb><rt>とわた</rt></ruby>る船と見えている内に、<ruby><rb>暴風</rb><rt>あらし</rt></ruby>である。空は<ruby><rb>愈々</rb><rt>いよいよ</rt></ruby>青澄み、<ruby><rb>昏</rb><rt>くら</rt></ruby>くなる頃には、<ruby><rb>藍</rb><rt>あい</rt></ruby>の様に色濃くなって行った。見あげる山の端は、横雲の空のように、<ruby><rb>茜色</rb><rt>あかねいろ</rt></ruby>に輝いて居る。

<ruby><rb>大山颪</rb><rt>おおやまおろし</rt></ruby>。木の葉も、枝も、顔に吹きつけられる程の物は、皆<ruby><rb>活</rb><rt>い</rt></ruby>きて青かった。板屋は吹きあげられそうに、<ruby><rb>煽</rb><rt>あお</rt></ruby>りきしんだ。若人たちは、<ruby><rb>悉</rb><rt>ことごと</rt></ruby>く郎女の<ruby><rb>廬</rb><rt>いおり</rt></ruby>に上って、<ruby><rb>刀自</rb><rt>とじ</rt></ruby>を中に、心を一つにして、ひしと顔を寄せた。ただ互の顔の見えるばかりの緊張した気持ちの間に、刻々に移って行く風。西から<ruby><rb>真正面</rb><rt>まとも</rt></ruby>に吹きおろしたのが、暫らくして北の方から落して来た。やがて、風は山を離れて、平野の方から、山に向ってひた吹きに吹きつけた。峰の松原も、<ruby><rb>空様</rb><rt>そらざま</rt></ruby>に枝を掻き上げられた様になって、悲鳴を続けた。谷から<ruby><rb>峰</rb><rt>お</rt></ruby>の<ruby><rb>上</rb><rt>へ</rt></ruby>に生え<ruby><rb>上</rb><rt>のぼ</rt></ruby>って居る<ruby><rb>萱原</rb><rt>かやはら</rt></ruby>は、一様に上へ上へと<ruby><rb>糶</rb><rt>せ</rt></ruby>り昇るように、葉裏を返して<ruby><rb>扱</rb><rt>こ</rt></ruby>き上げられた。

家の中は、もう暗くなった。だがまだ見える庭先の明りは、黄に<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">かっきり</span>と、物の一つ一つを、鮮やかに見せて居た。

郎女様が――。

誰かの声である。皆、頭の毛が空へのぼる程、ぎょっとした。其が、何だと言われずとも、すべての心が、一度に了解して居た。言い難い恐怖にかみずった女たちは、誰一人声を出す者も居なかった。

身狭乳母は、今の今まで、姫の側に寄って、後から姫を抱えて居たのである。皆の人はけはいで、覚め難い夢から覚めたように、目をみひらくと、ああ、何時の間にか、姫は<ruby><rb>嫗</rb><rt>おむな</rt></ruby>の<ruby><rb>両腕</rb><rt>もろうで</rt></ruby>両膝の間には、居させられぬ。一時に、<ruby><rb>慟哭</rb><rt>どうこく</rt></ruby>するような感激が来た。だが長い訓練が、老女の心をとり戻した。<ruby><rb>凛</rb><rt>りん</rt></ruby>として、反り返る様な力が、湧き上った。

<ruby><rb>誰</rb><rt>た</rt></ruby>ぞ、弓を――。<ruby><rb>鳴弦</rb><rt>つるうち</rt></ruby>じゃ。

人を待つ間もなかった。彼女自身、<ruby><rb>壁代</rb><rt>かべしろ</rt></ruby>に寄せかけて置いた白木の<ruby><rb>檀弓</rb><rt>まゆみ</rt></ruby>をとり上げて居た。

それ皆の衆――。<ruby><rb>反閇</rb><rt>あしぶみ</rt></ruby>ぞ。もっと<ruby><rb>声高</rb><rt>こわだか</rt></ruby>に――。あっし、あっし、それ、あっしあっし……。

若人たちも、一人一人の心は、<ruby><rb>疾</rb><rt>と</rt></ruby>くに飛んで行ってしまって居た。唯一つの声で、<ruby><rb>警驆</rb><rt>けいひつ</rt></ruby>を発し、<ruby><rb>反閇</rb><rt>へんばい</rt></ruby>した。

あっし　あっし。

あっし　あっし　あっし。

狭い<ruby><rb>廬</rb><rt>いおり</rt></ruby>の中を<ruby><rb>蹈</rb><rt>ふ</rt></ruby>んで廻った。脇目からは、<ruby><rb>遶道</rb><rt>にょうどう</rt></ruby>する群れのように。

郎女様は、こちらに御座りますか。

万法蔵院の婢女が、息をきらして走って来て、何時もなら、許されて居ぬ無作法で、近々と、廬の<ruby><rb>砌</rb><rt>みぎり</rt></ruby>に立って叫んだ。

なに――。

皆の口が、一つであった。

郎女様か、と思われるあて人が――、み寺の<ruby><rb>門</rb><rt>かど</rt></ruby>に立って居さっせるのを見たで、知らせにまいりました。

今度は、乳母一人の声が答えた。

なに、み寺の門に。

婢女を先に、行道の群れは、小石を飛す嵐の中を、早足に練り出した。

あっし　あっし　あっし　……。

声は、遠くからも聞えた。大風をつき抜く様な<ruby><rb>鋭声</rb><rt>とごえ</rt></ruby>が、<ruby><rb>野面</rb><rt>のづら</rt></ruby>に伝わる。

万法蔵院は、実に<ruby><rb>寂</rb><rt>せき</rt></ruby>として居た。山風は物忘れした様に、鎮まって居た。夕闇はそろそろ、かぶさって来て居るのに、山裾のひらけた処を占めた寺庭は、白砂が、昼の明りに輝いていた。ここからよく見える二上の頂は、広く、赤々と夕映えている。

姫は、山田の道場の<ruby><rb>牕</rb><rt>まど</rt></ruby>から仰ぐ空の狭さを悲しんでいる間に、何時かここまで来て居たのである。浄域を<ruby><rb>穢</rb><rt>けが</rt></ruby>した物忌みにこもっている身、と言うことを忘れさせぬものが、其でも心の隅にあったのであろう。門の<ruby><rb>閾</rb><rt>しきみ</rt></ruby>から、伸び上るようにして、山の<ruby><rb>際</rb><rt>は</rt></ruby>の空を見入って居た。

暫らくおだやんで居た嵐が、又山に廻ったらしい。だが、寺は物音もない<ruby><rb>黄昏</rb><rt>たそがれ</rt></ruby>だ。

<ruby><rb>男岳</rb><rt>おのかみ</rt></ruby>と<ruby><rb>女岳</rb><rt>めのかみ</rt></ruby>との間になだれをなした大きな<ruby><rb>曲線</rb><rt>たわ</rt></ruby>が、又次第に両方へ<ruby><rb>聳</rb><rt>そそ</rt></ruby>って行っている、此二つの峰の間の広い空際。薄れかかった茜の雲が、急に輝き出して、白銀の炎をあげて来る。山の<ruby><rb>間</rb><rt>ま</rt></ruby>に充満して居た夕闇は、光りに照されて、紫だって動きはじめた。

そうして暫らくは、外に動くもののない明るさ。山の空は、唯白々として、照り出されて居た。肌　肩　脇　胸　豊かな姿が、山の尾上の松原の上に現れた。併し、<ruby><rb>俤</rb><rt>おもかげ</rt></ruby>に見つづけた其顔ばかりは、ほの暗かった。

今すこし<ruby><rb>著</rb><rt>しる</rt></ruby>く　み姿<ruby><rb>顕</rb><rt>あらわ</rt></ruby>したまえ――。

郎女の口よりも、皮膚をつんざいて、あげた叫びである。山腹の紫は、雲となって<ruby><rb>靉</rb><rt>たなび</rt></ruby>き、次第次第に<ruby><rb>降</rb><rt>さが</rt></ruby>る様に見えた。

明るいのは、山際ばかりではなかった。地上は、<ruby><rb>砂</rb><rt>いさご</rt></ruby>の数もよまれるほどである。

しずかに　しずかに雲はおりて来る。万法蔵院の香殿・講堂・塔婆・楼閣・山門・僧房・<ruby><rb>庫裡</rb><rt>くり</rt></ruby>、<ruby><rb>悉</rb><rt>ことごと</rt></ruby>く金に、朱に、青に、昼より<ruby><rb>著</rb><rt>いちじる</rt></ruby>く見え、自ら光りを発して居た。

庭の砂の上にすれすれに、雲は<ruby><rb>揺曳</rb><rt>ようえい</rt></ruby>して、そこにありありと半身を顕した尊者の姿が、手にとる様に見えた。匂いやかな笑みを含んだ顔が、はじめて、まともに郎女に向けられた。伏し目に半ば閉じられた目は、此時、姫を認めたように、<ruby><rb>清</rb><rt>すず</rt></ruby>しく見ひらいた。軽くつぐんだ<ruby><rb>脣</rb><rt>くちびる</rt></ruby>は、この<ruby><rb>女性</rb><rt>にょしょう</rt></ruby>に向うて、物を告げてでも居るように、ほぐれて見えた。

郎女は尊さに、目の<ruby><rb>低</rb><rt>た</rt></ruby>れて来る思いがした。だが、此時を過してはと思う一心で、<ruby><rb>御姿</rb><rt>みすがた</rt></ruby>から、目をそらさなかった。

あて人を讃えるものと、思いこんだあの<ruby><rb>詞</rb><rt>ことば</rt></ruby>が、又心から<ruby><rb>迸</rb><rt>ほとばし</rt></ruby>り出た。

なも　<ruby><rb>阿弥陀</rb><rt>あみだ</rt></ruby>ほとけ。あなとうと　阿弥陀ほとけ。

瞬間に明りが薄れて行って、まのあたりに見える雲も、雲の上の尊者の姿も、ほのぼのと暗くなり、段々に高く、又高く上って行く。姫が、目送する間もない程であった。<ruby><rb>忽</rb><rt>たちまち</rt></ruby>、二上山の山の端に溶け入るように消えて、まっくらな空ばかりの、たなびく夜に、なって居た。

あっし　あっし。

足を蹈み、<ruby><rb>前</rb><rt>さき</rt></ruby>を<ruby><rb>駆</rb><rt>お</rt></ruby>う声が、耳もとまで近づいて来ていた。

## 十八

<ruby><rb>当麻</rb><rt>たぎま</rt></ruby>の<ruby><rb>邑</rb><rt>むら</rt></ruby>は、此頃、一本の草、<ruby><rb>一塊</rb><rt>ひとくれ</rt></ruby>の石すら、光りを持つほど、<ruby><rb>賑</rb><rt>にぎわ</rt></ruby>い<ruby><rb>充</rb><rt>み</rt></ruby>ちて居る。

<ruby><rb>当麻真人家</rb><rt>たぎまのまひとけ</rt></ruby>の氏神当麻彦の社へ、祭り時に外れた昨今、急に、氏上の拝礼があった。故<ruby><rb>上総守老真人</rb><rt>かずさのかみおゆのまひと</rt></ruby>以来、暫らく絶えて居たことである。

其上、もうに二三日に迫った<ruby><rb>八月</rb><rt>はつき</rt></ruby>の<ruby><rb>朔日</rb><rt>ついたち</rt></ruby>には、奈良の宮から、勅使が来向われる筈になって居た。当麻氏から出られた<ruby><rb>大夫人</rb><rt>だいふじん</rt></ruby>のお生み申された宮の御代に、あらたまることになったからである。廬堂の中は、前よりは更に狭くなって居た。郎女が、奈良の<ruby><rb>御館</rb><rt>みたち</rt></ruby>からとり寄せた<ruby><rb>高機</rb><rt>たかはた</rt></ruby>を、<ruby><rb>設</rb><rt>た</rt></ruby>てたからである。機織りに<ruby><rb>長</rb><rt>た</rt></ruby>けた女も、一人や二人は、若人の中に居た。此女らの動かして見せる<ruby><rb>筬</rb><rt>おさ</rt></ruby>や<ruby><rb>梭</rb><rt>ひ</rt></ruby>の扱い方を、姫はすぐに会得した。機に上って日ねもす、時には<ruby><rb>終夜</rb><rt>よもすがら</rt></ruby>織って見るけれど、蓮の糸は、すぐに<ruby><rb>円</rb><rt>つぶ</rt></ruby>になったり、<ruby><rb>断</rb><rt>き</rt></ruby>れたりした。其でも、<ruby><rb>倦</rb><rt>う</rt></ruby>まずにさえ織って居れば、何時か織りあがるもの、と信じている様に、脇目からは見えた。

<ruby><rb>乳母</rb><rt>ちおも</rt></ruby>は、人に見せた事のない憂わしげな顔を、此頃よくしている。

何しろ、<ruby><rb>唐土</rb><rt>もろこし</rt></ruby>でも、<ruby><rb>天竺</rb><rt>てんじく</rt></ruby>から渡った物より手に入らぬ、という<ruby><rb>藕糸織</rb><rt>はすいとお</rt></ruby>りを遊ばそう、と言うのじゃもののう。

話相手にもしなかった若い者たちに、時々うっかりと、こんな事を、言う様になった。

こう糸が無駄になっては。

今の間にどしどし<ruby><rb>績</rb><rt>う</rt></ruby>んで置かいでは――。

乳母の語に、若人たちは又、広々として野や田の面におり立つことを思うて、心がさわだった。そうして、女たちの刈りとった蓮積み車が、<ruby><rb>廬</rb><rt>いおり</rt></ruby>に戻って来ると、何よりも先に、田居への降り道に見た、当麻の<ruby><rb>邑</rb><rt>むら</rt></ruby>の騒ぎの噂である。

<ruby><rb>郎女</rb><rt>いらつめ</rt></ruby>様のお従兄恵美の<ruby><rb>若子</rb><rt>わくご</rt></ruby>さまのお<ruby><rb>母</rb><rt>はら</rt></ruby>様も、当麻真人のお出じゃげな――。

恵美の<ruby><rb>御館</rb><rt>みたち</rt></ruby>の叔父君の世界、見るような世になった。

兄御を、<ruby><rb>帥</rb><rt>そつ</rt></ruby>の殿に落しておいて、御自身はのり越して、内相の、大師の、とおなりのぼりの御心持ちは、どうあろうのう――。

あて人に仕えて居ても、女はうっかりすると、人の評判に時を移した。

やめい　やめい。お耳ざわりぞ。

しまいには、乳母が叱りに出た。だが、<ruby><rb>身狭刀自</rb><rt>むさのとじ</rt></ruby>自身のうちにも、もだもだと<ruby><rb>咽喉</rb><rt>のど</rt></ruby>につまった物のある感じが、残らずには居なかった。そうして、そんなことにかまけることなく、何の<ruby><rb>訣</rb><rt>わけ</rt></ruby>やら知れぬが、一心に糸を績み、機を織って居る育ての姫が、いとおしくてたまらぬのであった。

昼の中多く出た<ruby><rb>虻</rb><rt>あぶ</rt></ruby>は、潜んでしまったが、蚊は仲秋になると、益々あばれ出して来る。日中の興奮で、皆は正体もなく寝た。身狭までが、姫の起き明す灯の明りを避けて、隅の物陰に、深い<ruby><rb>鼾</rb><rt>いびき</rt></ruby>を立てはじめた。

郎女は、<ruby><rb>断</rb><rt>き</rt></ruby>れては織り、織っては断れ、手がだるくなっても、まだ<ruby><rb>梭</rb><rt>ひ</rt></ruby>を放そうともせぬ。

だが、此頃の姫の心は、満ち足ろうて居た。あれほど、<ruby><rb>夜々</rb><rt>よるよる</rt></ruby>見て居た<ruby><rb>俤人</rb><rt>おもかげびと</rt></ruby>の姿も見ずに、安らかな気持ちが続いているのである。

「此機を織りあげて、はようあの素肌のお身を、<ruby><rb>掩</rb><rt>おお</rt></ruby>うてあげたい。」

其ばかり考えて居る。世の中になし遂げられぬもののあると言うことを、あて人は知らぬのであった。

ちょう　ちょう　はた　はた。

はた　はた　ちょう……。

<ruby><rb>筬</rb><rt>おさ</rt></ruby>を流れるように、手もとにくり寄せられる糸が、動かなくなった。引いても<ruby><rb>扱</rb><rt>こ</rt></ruby>いても通らぬ。筬の歯が幾枚も<ruby><rb>毀</rb><rt>こぼ</rt></ruby>れて、糸筋の上にかかって居るのが見える。

郎女は、<ruby><rb>溜</rb><rt>た</rt></ruby>め<ruby><rb>息</rb><rt>いき</rt></ruby>をついた。乳母に問うても、知るまい。女たちを起して聞いた所で、滑らかに動かすことはえすまい。

どうしたら、よいのだろう。

姫ははじめて、顔へ偏ってかかって来る髪のうるささを感じた。筬の<ruby><rb>櫛目</rb><rt>くしめ</rt></ruby>を覗いて見た。梭もはたいて見た。

ああ、何時になったら、したてた<ruby><rb>衣</rb><rt>ころも</rt></ruby>を、お肌へふくよかにお貸し申すことが出来よう。

もう外の<ruby><rb>叢</rb><rt>くさむら</rt></ruby>で鳴き出した、<ruby><rb>蟋蟀</rb><rt>こおろぎ</rt></ruby>の声を、瞬間思い浮べて居た。

どれ、およこし遊ばされ。こう直せば、動かぬこともおざるまい――。

どうやら聞いた気のする声が、機の外にした。

あて人の姫は、何処から来た人とも疑わなかった。唯、そうした好意ある人を、予想して居た時なので、

見てたもれ。

機をおりた。

女は尼であった。髪を切って尼そぎにした女は、其も二三度は見かけたことはあったが、<ruby><rb>剃髪</rb><rt>ていはつ</rt></ruby>した尼には会うたことのない姫であった。

はた　はた　ちょう　ちょう

元の通りの音が、整って出て来た。

蓮の糸は、こう言う風では、織れるものではおざりませぬ。もっと寄って<ruby><rb>御覧</rb><rt>ごろう</rt></ruby>じ――。これこう――おわかりかえ。

当麻語部<ruby><rb>姥</rb><rt>うば</rt></ruby>の声である。だが、そんなことは、郎女の心には、間題でもなかった。

おわかりなさるかえ。これこう――。

姫の心は、<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">こだま</span>の如く<ruby><rb>聡</rb><rt>さと</rt></ruby>くなって居た。此<ruby><rb>才伎</rb><rt>てわざ</rt></ruby>の<ruby><rb>経緯</rb><rt>ゆきたて</rt></ruby>は、すぐ呑み込まれた。

織ってごろうじませ。

姫が、高機に代って入ると、尼は機陰に身を<ruby><rb>倚</rb><rt>よ</rt></ruby>せて立つ。

はた　はた　ゆら　ゆら。

音までが、変って澄み上った。

<ruby><rb>女鳥</rb><rt>めとり</rt></ruby>の　わがおおきみの<ruby><rb>織</rb><rt>おろ</rt></ruby>す機。<ruby><rb>誰</rb><rt>た</rt></ruby>が<ruby><rb>為</rb><rt>た</rt></ruby>ねろかも――、御存じ及びでおざりましょうのう。昔、こう、機殿の<ruby><rb>牕</rb><rt>まど</rt></ruby>からのぞきこうで、問われたお方様がおざりましたっけ。

――その時、その貴い<ruby><rb>女性</rb><rt>にょしょう</rt></ruby>がの、

たか行くや<ruby><rb>隼別</rb><rt>はやぶさわけ</rt></ruby>の<ruby><rb>御被服料</rb><rt>みおすいがね</rt></ruby>――そうお答えなされたとのう。

この<ruby><rb>中</rb><rt>じゅう</rt></ruby>申し上げた滋賀津彦は、やはり隼別でもおざりました。<ruby><rb>天若日子</rb><rt>あめわかひこ</rt></ruby>でもおざりました。<ruby><rb>天</rb><rt>てん</rt></ruby>の<ruby><rb>日</rb><rt>ひ</rt></ruby>に矢を射かける――。併し、極みなく美しいお人でおざりましたがよ。<ruby><rb>截</rb><rt>き</rt></ruby>りはたり、ちょうちょう。それ――、早く織らねば、やがて、<ruby><rb>岩牀</rb><rt>いわどこ</rt></ruby>の凍る冷い冬がまいりますがよ――。

郎女は、ふっと覚めた。あぐね果てて、機の上にとろとろとした間の夢だったのである。だが、梭をとり直して見ると、

はた　はた　ゆら　ゆら。ゆら　はたた。

美しい織物が、筬の目から<ruby><rb>迸</rb><rt>ほとばし</rt></ruby>る。

はた　はた　ゆら　ゆら。

思いつめてまどろんでいる中に、郎女の智慧が、一つの<ruby><rb>閾</rb><rt>しきみ</rt></ruby>を越えたのである。

## 十九

望の夜の月が冴えて居た。若人たちは、今日、郎女の織りあげた<ruby><rb>一反</rb><rt>ひとむら</rt></ruby>の<ruby><rb>上帛</rb><rt>はた</rt></ruby>を、夜の更けるのも忘れて、<ruby><rb>見讃</rb><rt>みはや</rt></ruby>して居た。

この月の光りを受けた美しさ。

<ruby><rb>縑</rb><rt>かとり</rt></ruby>のようで、<ruby><rb>韓織</rb><rt>からおり</rt></ruby>のようで、――やっぱり、此より外にはない、清らかな上帛じゃ。

乳母も、遠くなった眼をすがめながら、<ruby><rb>譬</rb><rt>たと</rt></ruby>えようのない美しさと、ずっしりとした手あたりを、若い者のように楽しんでは、撫でまわして居た。

二度目の機は、初めの日数の<ruby><rb>半</rb><rt>なから</rt></ruby>であがった。三反の上帛を織りあげて、姫の心には、新しい不安が頭をあげて来た。五反目を織りきると、機に上ることをやめた。そうして、日も夜も、針を動した。

長月の空は、三日の月のほのめき出したのさえ、寒く眺められる。この夜寒に、俤人の肩の白さを思うだけでも、堪えられなかった。

裁ち縫うわざは、あて人の子のする事ではなかった。唯、<ruby><rb>他人</rb><rt>ひと</rt></ruby>の手に触れさせたくない。こう思う心から、解いては縫い、縫うてはほどきした。<ruby><rb>現</rb><rt>うつ</rt></ruby>し<ruby><rb>世</rb><rt>よ</rt></ruby>の幾人にも当る大きなお身に合う衣を、縫うすべを知らなかった。せっかく織り上げた上帛を、裁ったり截ったり、段々布は狭くなって行く。

女たちも、唯姫の手わざを見て居るほかはなかった。何を縫うものとも考え当らぬ<ruby><rb>囁</rb><rt>ささや</rt></ruby>きに、日を暮すばかりである。

其上、日に増し、外は冷えて来る。人々は一日も早く、奈良の御館に帰ることを願うばかりになった。郎女は、暖かい昼、薄暗い廬の中で、うっとりとしていた。その時、<ruby><rb>語部</rb><rt>かたり</rt></ruby>の尼が歩み寄って来るのを、又まざまざと見たのである。

何を思案遊ばす。<ruby><rb>壁代</rb><rt>かべしろ</rt></ruby>の様に縦横に裁ちついで、其まま身に<ruby><rb>纏</rb><rt>まと</rt></ruby>うようになさる外はおざらぬ。それ、ここに<ruby><rb>紐</rb><rt>ひも</rt></ruby>をつけて、肩の上でくくりあわせれば、昼は衣になりましょう。紐を解き敷いて、折り返し<ruby><rb>被</rb><rt>かぶ</rt></ruby>れは、やがて夜の<ruby><rb>衾</rb><rt>ふすま</rt></ruby>にもなりまする。天竺の<ruby><rb>行人</rb><rt>ぎょうにん</rt></ruby>たちの<ruby><rb>著</rb><rt>き</rt></ruby>る<ruby><rb>僧伽梨</rb><rt>そうぎゃり</rt></ruby>と言うのが、其でおざりまする。早くお縫いあそばされ。

だが、気がつくと、やはり昼の夢を見て居たのだ。裁ちきった布を綴り合せて縫い初めると、二日もたたぬ間に、大きな一面の綴りの<ruby><rb>上帛</rb><rt>はた</rt></ruby>が出来あがった。

<ruby><rb>郎女</rb><rt>いらつめ</rt></ruby>様は、月ごろかかって、唯の<ruby><rb>壁代</rb><rt>かべしろ</rt></ruby>をお織りなされた。

あったら　惜しやの。

<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">はり</span>が抜けたように、若人たちが声を落して言うて居る時、姫は悲しみながら、次の営みを考えて居た。

「これでは、あまり寒々としている。<ruby><rb>殯</rb><rt>もがり</rt></ruby>の庭の<ruby><rb>棺</rb><rt>ひつぎ</rt></ruby>にかける<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">ひしきもの</span>―喪氈―、とやら言うものと、見た目にかわりはあるまい。」

## 二十

もう、世の人の心は<ruby><rb>賢</rb><rt>さか</rt></ruby>しくなり過ぎて居た。独り語りの物語りなどに、<ruby><rb>信</rb><rt>しん</rt></ruby>をうちこんで聴く者のある筈はなかった。聞く人のない森の中などで、よく、つぶつぶと物言う者がある、と思うて近づくと、其が、語部の家の者だったなど言う話が、どの村でも、笑い<ruby><rb>咄</rb><rt>ばなし</rt></ruby>のように言われるような世の中になって居た。<ruby><rb>当麻語部</rb><rt>たぎまのかたりべ</rt></ruby>の<ruby><rb>嫗</rb><rt>おむな</rt></ruby>なども、都の<ruby><rb>上﨟</rb><rt>じょうろう</rt></ruby>の、もの疑いせぬ清い心に、知る限りの事を語りかけようとした。だが、<ruby><rb>忽</rb><rt>たちまち</rt></ruby>違った氏の語部なるが故に、追い<ruby><rb>退</rb><rt>の</rt></ruby>けられたのであった。

そう言う聴きてを見あてた<ruby><rb>刹那</rb><rt>せつな</rt></ruby>に、持った執心の深さ。その後、自身の家の中でも、又<ruby><rb>廬堂</rb><rt>いおりどう</rt></ruby>に近い木立ちの陰でも、或は其処を見おろす山の上からでも、郎女に向ってする、ひとり語りは続けられて居た。

今年八月、当麻の氏人に縁深いお方が、めでたく世にお上りなされたあの時こそ、再<ruby><rb>己</rb><rt>おの</rt></ruby>が世が来た、と<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">ほくそ笑み</span>をした――が、氏の神祭りにも、語部を<ruby><rb>請</rb><rt>しょう</rt></ruby>じて、神語りを語らそうともせられなかった。ひきついであった、勅使の参向の節にも、呼び出されて、当麻氏の古物語りを奏上せい、と仰せられるか、と思うて居た<ruby><rb>予期</rb><rt>あらまし</rt></ruby>も、空頼みになった。

此はもう、自身や、自身の<ruby><rb>祖</rb><rt>おや</rt></ruby>たちが、長く覚え伝え、語りついで来た間、こうした事に行き逢おうとは、考えもつかなかった<ruby><rb>時代</rb><rt>ときよ</rt></ruby>が来たのだ、と思うた瞬間、何もかも、見知らぬ世界に<ruby><rb>追放</rb><rt>やら</rt></ruby>われている気がして、唯驚くばかりであった。<ruby><rb>娯</rb><rt>たの</rt></ruby>しみを失いきった語部の古婆は、もう飯を喰べても、味は失うてしまった。水を飲んでも、口をついて、独り語りが<ruby><rb>囈語</rb><rt>うわごと</rt></ruby>のように出るばかりになった。

秋深くなるにつれて、衰えの、目立って来た<ruby><rb>姥</rb><rt>うば</rt></ruby>は、知る限りの物語りを、<ruby><rb>喋</rb><rt>しゃべ</rt></ruby>りつづけて死のう、と言う腹をきめた。そうして、郎女の耳に近い処を<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">ところ</span>をと<ruby><rb>覓</rb><rt>もと</rt></ruby>めて、さまよい歩くようになった。

郎女は、奈良の家に送られたことのある、大唐の<ruby><rb>彩色</rb><rt>えのぐ</rt></ruby>の数々を思い出した。其を思いついたのは、夜であった。今から、<ruby><rb>横佩墻内</rb><rt>よこはきかきつ</rt></ruby>へ<ruby><rb>馳</rb><rt>か</rt></ruby>けつけて、彩色を持って<ruby><rb>還</rb><rt>かえ</rt></ruby>れ、と命ぜられたのは、女の中に、唯一人残って居た<ruby><rb>長老</rb><rt>おとな</rt></ruby>である。ついしか、こんな言いつけをしたことのない郎女の、性急な命令に驚いて、女たちは<ruby><rb>復</rb><rt>また</rt></ruby>、何か事の起るのではないか、とおどおどして居た。だが、<ruby><rb>身狭乳母</rb><rt>むさのちおも</rt></ruby>の計いで、長老は渋々、夜道を、奈良へ向って急いだ。

あくる日、絵具の届けられた時、姫の声ははなやいで、<ruby><rb>興奮</rb><rt>はや</rt></ruby>りかに響いた。

女たちの噂した所の、<ruby><rb>袈裟</rb><rt>けさ</rt></ruby>で<ruby><rb>謂</rb><rt>い</rt></ruby>えば、五十条の<ruby><rb>大衣</rb><rt>だいえ</rt></ruby>とも言うべき、<ruby><rb>藕糸</rb><rt>ぐうし</rt></ruby>の<ruby><rb>上帛</rb><rt>はた</rt></ruby>の上に、郎女の目はじっとすわって居た。やがて筆は、<ruby><rb>愉</rb><rt>たの</rt></ruby>しげにとり上げられた。<ruby><rb>線描</rb><rt>すみが</rt></ruby>きなしに、うちつけに絵具を塗り進めた。美しい<ruby><rb>彩画</rb><rt>たみえ</rt></ruby>は、七色八色の虹のように、郎女の目の前に、輝き増して行く。

姫は、緑青を盛って、層々うち重る楼閣<ruby><rb>伽藍</rb><rt>がらん</rt></ruby>の屋根を表した。数多い柱や、廊の立ち続く姿が、<ruby><rb>目赫</rb><rt>めかがや</rt></ruby>くばかり、朱で<ruby><rb>彩</rb><rt>た</rt></ruby>みあげられた。むらむらと<ruby><rb>靉</rb><rt>たなび</rt></ruby>くものは、紺青の雲である。紫雲は一筋長くたなびいて、中央根本堂とも見える屋の上から、画きおろされた、雲の上には<ruby><rb>金泥</rb><rt>こんでい</rt></ruby>の光り輝く<ruby><rb>靄</rb><rt>もや</rt></ruby>が、漂いはじめた。姫の命を搾るまでの念力が、筆のままに動いて居る。やがて<ruby><rb>金色</rb><rt>こんじき</rt></ruby>の雲気は、次第に凝り成して、照り充ちた<ruby><rb>色身</rb><rt>しきしん</rt></ruby>――<ruby><rb>現</rb><rt>うつ</rt></ruby>し<ruby><rb>世</rb><rt>よ</rt></ruby>の人とも見えぬ尊い姿が<ruby><rb>顕</rb><rt>あらわ</rt></ruby>れた。

郎女は唯、先の日見た、万法蔵院の<ruby><rb>夕</rb><rt>ゆうべ</rt></ruby>の幻を、筆に追うて居るばかりである。堂・塔・伽藍すべては、当麻のみ寺のありの姿であった。だが、彩画の上に湧き上った<ruby><rb>宮殿</rb><rt>くうでん</rt></ruby>楼閣は、<ruby><rb>兜率天宮</rb><rt>とそつてんぐう</rt></ruby>のたたずまいさながらであった。しかも、其四十九重の宝宮の内院に現れた尊者の<ruby><rb>相好</rb><rt>そうごう</rt></ruby>は、あの夕、近々と目に見た<ruby><rb>俤</rb><rt>おもかげ</rt></ruby>びとの姿を、心に<ruby><rb>覓</rb><rt>と</rt></ruby>めて描き顕したばかりであった。

<ruby><rb>刀自</rb><rt>とじ</rt></ruby>・若人たちは、一刻一刻、時の移るのも知らず、身ゆるぎもせずに、姫の前に開かれて来る光りの霞に、唯見呆けて居るばかりであった。

郎女が、筆をおいて、にこやかな<ruby><rb>笑</rb><rt>えま</rt></ruby>いを、<ruby><rb>円</rb><rt>まろ</rt></ruby>く<ruby><rb>跪坐</rb><rt>ついい</rt></ruby>る此人々の背におとしながら、のどかに併し、音もなく、山田の廬堂を立ち去った刹那、心づく者は一人もなかったのである。まして、戸口に消える<ruby><rb>際</rb><rt>きわ</rt></ruby>に、ふりかえった姫の輝くような頬のうえに、細く伝うもののあったのを知る者の、ある<ruby><rb>訣</rb><rt>わけ</rt></ruby>はなかった。

姫の俤びとに貸す為の衣に描いた<ruby><rb>絵様</rb><rt>えよう</rt></ruby>は、そのまま<ruby><rb>曼陀羅</rb><rt>まんだら</rt></ruby>の<ruby><rb>相</rb><rt>すがた</rt></ruby>を具えて居たにしても、姫はその中に、唯一人の色身の幻を描いたに過ぎなかった。併し、残された刀自・若人たちの、うち<ruby><rb>瞻</rb><rt>まも</rt></ruby>る画面には、見る見る、<ruby><rb>数千地涌</rb><rt>すせんじゆ</rt></ruby>の<ruby><rb>菩薩</rb><rt>ぼさつ</rt></ruby>の姿が、浮き出て来た。其は、幾人の人々が、同時に見た、白日夢のたぐいかも知れぬ。