Soranoha

踊る地平線

おどるちへいせん

谷 譲次

旅から帰って、はじめて郷国の真価値がその額面通りに買い得るというものだ。今の僕がそれである。もう、実を言うと原稿なんかどうでもいいんで、ただやたらに日本の着物を着て、たたみに寝ころんで、好きな日本の食物を並べておいて、片っ端から食べていたいだけだ。下素だが、真情だから仕方がない。が、この二、三日、半夜孤座して、持ち帰った荷物の整理をしている。すると、実に下らない色んなものが出て来るんだが、それが、僕の嗅覚へぷうんと「あ・ち・ら」のにおいを送って、どうかすると、倫敦ロンドンの雪、巴里パリーの雨なんかと独りで遊子ぶったりすることもないではない。僕にとっては、洋服のしみ一つにも、忘れられない思い出が蔵されているかも知れないのだ。

とにかく、一年にわたる「新世界巡礼」は、ここに諸君の御後援によってENDを全うするを得た。帰来僕は、一そう印象の沈澱するを待って、亜米利加アメリカ風に言えば「古い町バアグに鼠ラッツを起し」てやろうと待ち構えてるだけだ。

一年の間あちこち僕達について来て下すった読者諸君に、この機会に厚くお礼を申し上げたい。そして特に、終始一貫、有形無形に多大の援助を賜わった中央公論社長島中雄作氏に、僕は心からなる感謝と握手の手を差し伸べる。

僕の知人に偉大な文化人がある。彼は、夕刻帰宅すると玄関へ出迎える細君へ向って大喝一声するのだ。「NOW!」と。

けだしこのNOWは「只今ナウ!」の意であろう。

で、新帰朝者の僕たるもの、一つ英語で諸君に御挨拶しなければなるまい。

そこで、大きな声で、

『NOW!』

新緑の鎌倉にて

譲次

底本 / Source edition

底本:「踊る地平線(下)」岩波文庫、岩波書店
1999(平成11)年11月16日第1刷発行
底本の親本:「一人三人全集 第十五巻」新潮社
1934(昭和9)年発行
※底本には、「新潮社刊の一人三人全集第十五巻『踊る地平線』を用いた。初出誌および他の版本も参照した。」とある。
入力:tatsuki
校正:米田進
2002年12月9日作成
青空文庫作成ファイル:
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プレーンテキスト / Plain text
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書誌 / Bibliography
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谷 譲次「踊る地平線──13 附記」(新字新仮名)、底本『踊る地平線(下)』岩波文庫、岩波書店、1999年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 004364_000272, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

引用のしかた / How to cite