Soranoha

小壺狩

こつぼがり

薄田 泣菫

一

彦山村から槻つきの木きへ抜ける薬師峠の山路に沿うて、古ぼけた一軒茶屋が立つてゐます。その店さきに腰を下ろして休んでゐるのは、松井佐渡守の仲間ちゆうげん喜平でした。松井佐渡守といふのは、当国小倉の城主細川忠興ただおきの老臣として聞えた人でした。

晴れた初夏の昼過ぎて、新鮮な若葉の山は、明るい日光をうけて陽気に笑つてゐました。先刻から軒さきに突つ立つた高い木の枝にとまつて、鈴を振るやうな美い声で、ちんからころりと鳴いてゐた小鳥が、どこへともなく去つてしまつた後は、あたりはひつそりとして乾いた山路に落ちかかつたそこらの立樹の影が、地べたを這ふ音さへ聞かれさうな日でした。昼の仕度をすませた喜平は、何だかまだ物足りなささうな様子で、貧しい茶屋の店さきに渇いた眼をやりました。

「亭主、麦熬むぎこがしでもできるかい」

「はい、出来立ての熬しがございます。一服立てて進ぜませうか」

「さうか。では早速頼む」

「承知いたしました」

茶店の爺さんは、やつとこなと上あがり框かまちから腰を持ち上げました。そして埃だらけの棚から、小出しに粉を入れておくらしい小さな瀬戸焼の壺を取りおろすと、ぶきつちよな手つきで、そのなかから茶碗へと粉を移し取りました。

立てられた麦熬しの茶碗を手に取ると、喜平はまづそれを鼻さきに持つてゆきました。香ばしい新麦のにほひは眼にも泌むやうでした。喜平は子供の頃から出来立ての熬しのにほひを嗅ぐのが何よりも好きでした。夏が来るといつもそれを思ひ出しました。

茶碗に箸をつけた喜平は、その塩加減がひどく利き過ぎてゐるのに驚きました。

「鹹しよつぱいな」

喜平は一箸ごとにさう思ひながら、ちびりちびりと嘗めるやうにしてそれを味はつてゐるうちに、いつぞや主人佐渡守に聞いた、石州産れのある坊さんの失敗話をふと思ひ出しました。この坊さんは、あるとき京都へ上つて土産に香煎かうせんを買つて帰りました。折よくそこへ檀家の者が訪ねてきたので、

「幸ひ京土産の香煎がある。一服立てて進ぜよう」

坊さんはかう言ひながら、得意さうに香煎のなかへ塩を加減して、それに湯をさして客に進めました。客は一口それに唇をあてると、その瞬間、主人の坊さんが香煎を取り扱ふのに、麦熬しを立てるのと同じ方法をとつたことに気がついたものの、さて笑ひ出すわけにもゆかず、鹹つぱゆさに唇が曲りさうになるのを辛抱しながら、やつとそれを食べ畢をわつたといふ話なのでした。

「鹹つぱいな。坊さんの香煎もこんなだつたかも知れない」

喜平はこんなことを考へながら、やつと麦熬しを食べてしまひました。

「も一ついかがでございます」

「いや、もう沢山だ」

喜平は盆の上に茶碗を返しました。爺さんはそれをもつて、薄暗い流し元に入つてゆきました。

先刻から店先の物蔭でぐつすり昼寝をしてゐた飼猫は、急に起き上つて両脚を蹈ふみ伸ばして大きく欠伸あくびをしたと思ふと、のそのそと歩き出して、爺さんが蓋をとつたまま置きつぱなしにしておいた熬し入れの小壺に戯れかからうとしました。喜平はすばやく手を延ばして小壺を奪ひとりました。

見るともなく、喜平の眼はその小壺の上に落ちました。胴の締り工合ぐあひといひ、ふつくりとした肉つきといひ、平素ふだんあまりこんなものを見馴れない喜平の素人眼にも、何だか謂いはくがありさうに見えました。喜平は熱い掌面てのひらで肩から胴へかけての埃を拭き取つて、また見入りました。かつきりとした肩の張には、何となく気位があつて、いつだつたか主人佐渡守の家で、余所ながら拝見した肩衝とかいふ茶入にそつくりな点ところがあるやうに思ひました。

「何焼といふのかしら。茶入にしたらよかりさうだな。ともかくも熬し入にして、こんなところに捨てておくのは惜しいものだ」

喜平は腹のなかでさう思ひました。ふとした機会から掘り出されて、世間へ出た名器の出世話――聞き噛りにいろんな人から聞き伝へた、さうした話の幾つかが次から次へと思ひ出されました。

「運が向いてきたのかも知れない。ことによつたら、俺はこの小壺のお蔭で出世するかも知れないぞ」

喜平はまたかうも思ひました。そして畳付の工合を見直さうとして、この不思議な小壺をそつと古畳の上に置きましたが、勿体ないことでもしたやうに、慌ててまたそれを掌面に取りかへしました。

「亭主。亭主。無理なことを申すやうだが、この小壺な、これを拙者に譲つてはくれまいか」

喜平は薄暗い流し元に向つて呼びかけました。爺さんはのつそりと出てきました。

「小壺とおつしやるのは、熬し入れのことでございますか。はい、はい。承知いたしましたとも。お望みなら譲つて進ぜませう」

「譲つてくれるか。それは有難い。幾らにしてくれるな」

「こんながらくたをお譲りいたしたからといつて、別にお鳥目をいただくやうな親爺ぢやございません」

爺さんは飼猫の背を撫でながら言ひました。

「ぢやと申して、他人の持物を所望しておきながら、その代を払はぬといふ法はあるまいて」

喜平は笑ひながら爺さんの顔を見ました。爺さんは猫を自分の膝に抱き取りました。

「旦那様が御所望でございましたから、お譲り申したまでのこと、なんぼ売代をやらうとおつしやつたところで、商ひにせぬ品物には、売値のつけやうがございませぬ」

「強情な親爺だな」喜平の声はいくらか高調子になりました。「商ひにせぬ品物に売値はないといふのか。そんなら、たつて買はうとは言ふまい。その代り俺の持物と取り替へつこをするから」

喜平はかう言つて、腰に下げた胴乱をそこに投げ出しました。胴乱は鼠のやうな恰好をして、爺さんの膝元に転がりました。

「こんなものは要りませぬ」茶店の爺さんは胴乱を投げ返しました。痰たん持と見えて、息がはずむたびに鶏のやうに顔を真つ赤にして咳き込みました。「こんなものをいただいては、せつかくお譲り申さうとした親爺の一分ぶんが立ちませぬ」

「いや、渡す。俺の面目にかけてもきつと渡してみせる」

二人は声をはげまして、負けず劣らず互ひに胴乱を投げ返しました。胴乱の中では散銭が苦しさうに泣き声を立てました。

先刻から爺さんの膝でころころと咽喉を鳴らしてゐた猫は、びつくりして飛び上りざま流し元の方へ逃げてゆきました。

「これ、これ。親爺どの。止しにさつしやれ。お客様との喧嘩は見つともなからうぜ」

だしぬけに陽気な笑ひ声が二人の背後から落ちてきました。喜平と爺さんとはびつくりして振りかへりました。そこに突つ立つてゐたのは、旅商人らしい一人の男で、三日にあげず、彦山から槻の木へ通つてゐるので、茶店の爺さんとは見知り越しの仲でした。

その男は軒さきに荷物を下ろして、ちよつと喜平に会釈しながら、自分はずつと内に入つて、亭主の爺さんと肩を並べて上り框に腰を下ろしました。そして煙草入れを取り出して、一服吸ひつけながら、いくらか照れ気味である二人の顔を見較べました。

「親爺どの。これはまたどうしたといふことだ」

茶店の爺さんは、喧嘩のいきさつを詳しく話しました。喜平はまたそれにつけ加へて言ひました。

「もともとこの小壺は、初めに拙者のはうから譲つてくれと切り出したことでもあるし、それにこれから長く自分の持物とするには、相当な価を払つた上でないと、気持が悪いしするから、ぜひ取つてくれといふのだが、……」

「いや、御趣意はよくわかりました」旅商人は大きく頷いて見せました。そして自分もこの場に来合せたからには、黙つてそのままには見過されまいと言つて、あらためて仲裁の口をききました。喜平と茶店の爺さんは、異議なくそれを承知しました。

「お客様がただ貰つたのでは、自分のもののやうな気がしないとおつしやるのだから、この小壺を末長く御自分のものにして持つていただくには、親爺どの、お前も我を折つてこれをお受けするがいいぢやないか」

といつて、旅商人は破けた古畳の上に転がつてゐた胴乱をとつて、爺さんの膝に置きました。爺さんはちよつと気むづかしい顔をしましたが、それでも別に押し返さうともしませんでした。

喜平は、小壺を抱いて外に出ました。高い樹の梢で初蝉が一つ鳴いてゐました。

二

喜平は、薬師峠の一軒茶屋で手に入れた小壺を、主人松井佐渡守の手もとまで差し出しました。

松井佐渡守といへば、細川家の家来のなかでは、聞えた世間知りの老巧者でした。豊臣秀次の没落当時、この関白から内々で金を借りてゐた大名方のうちには、その証文を奉行の石田三成に押へられて、大弱りに弱らされてゐた者も少なくありませんでした。早速返済しなかつたら、その証文は太閤の前に差し出されるかも知れない。万一そんなことにでもなつたら、家の破滅はきまつてゐることでしたから。

細川忠興もまた借手の一人でした。借りた金高は百両でしたが、早速の場合、百両の調達はなかなか容易ではなかつたので、忠興もさすがに弱りきつてゐました。

主人の難儀を見てとつた佐渡守は、かねて好誼の深い徳川家の本多正信を訪ねて、金子きんすの借用方を申し込みました。正信はそのことを主人家康の耳に入れました。二人は家康の前に通されました。佐渡守の口から急場に迫つた証文のいきさつを聞いた家康はにやりと笑ひました。

「笑止至極なことでござるな。さだめし御難儀でござらう」

家康は即座に正信に言ひつけて、何番目かの具足櫃ぐそくびつを持ち出させ、自分の巾着はばきのなかから取り出した鍵でそれを開けさせました。

「その兜かぶとの下と、鎧よろひの下とに、封金があるから」

正信が櫃のなかから二包の封金を取り出すと、家康はその封を切らせました。なかからは金子と一緒に年月日の書付が出ました。家康はそれを手に取つて、

「おう、もう三十年にもなるか……」

と、つくづくとその書付に見入つてゐましたが、しばらくしてやつと気がついたやうにその金子を佐渡守に渡しました。

「しからば、これに百両ござるから、早速埒らちをあけられたがよからう」

佐渡守は金子を受け取つて、丁寧に挨拶しました。

「まことにお礼の申し上げやうもない有難い仕合せに存じまする。追つて国許へ申しつかはしました上、あらためて越中守方より返上致させますでござりませう」

その言葉を押へるやうに家康は言ひました。

「いやいや、それは無用の沙汰でござる。この金子は表向へ申しつけて、お渡し申すこともできるが、それらのものに聞かせたうもなければこそ、かやうにして具足のなかより取り出したのでござる。この金子はこの場かぎりのこと、一切沙汰なし、沙汰なし」

かうして調達した金子のために、忠興は頭の上に落ちかかつた大厄からやつと免れることができました。家康を相手に安々と百両の金子を借り出してきたといへば、ただそれだけでも、松井佐渡守の老巧さ加減は推察できることと思ひます。

その老巧な松井佐渡も、利休七哲の随一と呼ばれた忠興の家に仕へながら、茶器の鑑定にかけては、目端が利くはうでもないので、そんなことには平素ふだんからあまり手出しをしないことに決めてゐました。

佐渡守は喜平の手から小壺を受け取りました。その無表情な眼はこがね虫のやうにのつそりと小壺の胴を這ひました。

「瀬戸かな。いやさうでもないかな」佐渡守の言葉には、物に臆したやうなあやふやな愚かしいところがありました。しかし、その次の瞬間、喜平を振り返つて見た顔つきには、どこに隠れてゐたかと思はれるやうな「力」と「確かさ」とが強く出てゐました。「薬師峠の一軒茶屋で手に入れたと申しをつたな。幾ら払つてつかはした」

「はい、七十文――かと存じてをります」

「――かとは?」佐渡守は不思議さうに訊きました。

「胴乱ぐるみ置いて参じました。持合せは確かにそれくらゐございましたやうに心得てをります」

喜平はその日のいきさつを詳しく物語りました。

それを開くと、佐渡守は瀬戸の小壺などよりも、ずつと興味のあるものに接したかのやうに、声をあげてきさくに笑ひ出しました。

「はははは。その方にしては大博奕おほばくちを打つたものだな」

その後間もなく、主人佐渡守から喜平に銭百文が下りました。喜平は二度それを数へてみましたが、一度目は確かに百文あつたのに、二度目は九十九文しかありませんでした。

「あれもやつぱり、がらくただつたのかな」

喜平はいつの間にか、小壺のことはすつかり忘れてしまひました。喜平に忘れられた小壺は、佐渡守の屋敷で、いろんなやくざな道具と一緒に、戸棚のなかに投げ込まれて、埃だらけになつてゐました。

三

その頃金森出雲守が、自分の所領飛騨国で、小壺狩といふことをして、珍しい肩衝の茶入を発見したことがありました。小壺狩といふのは、民家にそれぞれ持合せてゐる小壺を狩り集めて、そのなかから作柄の飛び離れて秀れたものを、御用の茶器として召し上げられることなのでした。

滝川一益たきがはかずますは、甲州征伐に立派な手柄を立てました。その褒美として、自分では信長所持の茶入小茄子こなすを拝領しようと望んでゐましたのに、その沙汰はなくて、上州厩橋うまやばしに封ぜられました。一益は失望のあまり、

「自分には、茶の湯冥加みやうがは、もう尽きてしまつたのだ」

といつて、涙を流したさうです。

また毛利元就が、陶晴賢すゑはるかたを厳島に攻めた時のことでした。大内義長は戦に負けて、長福寺に逃げ込みました。そこで元就は使者を義長の兄大友宗麟につかはして、義長の生命を助けたものかどうかといふことを訊き合せました。すると、宗麟からは、義長の生命なぞはどうなつても厭はないが、ただその家に伝はつてゐる瓢箪の茶入だけは失はないで、自分に送つてほしいと、返事があつたといふことです。

このやうに一国一城よりも、骨肉の生命よりも、茶器の価値が重く見られた時代ですから、名器の発見は、その大名にとつては、所領一箇国の加増といふことにもなりました。いや、それのみではありません。名器の発見には、自分の眼がねひとつで、凡器のなかから藝術品を選りぬき、「実用」から「美」を取り出すといふ楽しみがありました。この富と楽しみとを得たいために、金森出雲守は小壺狩といふことを始めました。

松井佐渡の主人細川忠興は、金森出雲守が山深いその領地から、世にも珍しい名器を掘り出したことを聞いて、もうぢつとしてゐられなくなりました。で、急に思ひ立つて自分でも、所領豊後国で小壺狩を催しました。

しかし、案外なことには、豊後からは何ひとつ秀れた器は発見せられませんでした。狩り集めた多くのなかから、その筋のものがこれならと選りぬいたものも、忠興の眼からしては、つまらない凡器に過ぎませんでした。忠興は自分の前に行儀よく列べられた、数多い小壺のどれを見ても、おろかしく無表情なのに驚きました。

「おれは、今になつて初めて、わが所領が出雲守の領国に比べて、遥かに大きいことを知つたぞ。さもないと、かやうに沢山な凡器が、かくまはれてゐるはずはないのぢや」

茶人としての失望を感じながらも、国守としての態度を失はなかつた、自分たちの主人の言葉に、皆は平和な笑ひを洩らしました。その時でした。松井佐渡守が戸棚の奥に忘れられてゐた、あの小壺を思ひ出しましたのは。

「殿、わたくし手許にも、かやうな小壺を一つ所持いたしてをります」佐渡守は、仲間喜平が薬師峠の一軒茶屋で手に入れた、小壺のいきさつを事細かに申し述べました。「夙はやくより御覧に入るべくは存じてゐましたが、作柄のつたない上に、永らく野人の手にかけました品ゆゑ……」

「作柄がつたないとは、誰が見てのことか」忠興は皮肉に訊きました。「佐渡、そちが眼では茶器の鑑定はむつかしからうぞ」

「恐れ入ります。でも、御覧に入れましたところで、お笑ひを蒙りますのは必定で……」

「達たつて所望いたす、すぐに持参いたすやうに」忠興は前にある小壺の列に、ちらと眼をくれながら、「この上凡作をいまひとつ加へたところで、おれが所領の大きさを知る上には、少しも差支へないのぢや」

小壺は佐渡の屋敷からすぐに取り寄せられました。忠興は一目それを見ると、

「おう、これは……」

と言つたきり、そのまま座を立つて奥へ入りましたが、しばらくすると、礼服に着かへて出てきました。皆は不審さうな顔をして、ものものしい主君の身なりを眺めました。

「これは、名器に対する礼儀ぢや」

忠興は言訳らしく言つて、あらためて小壺を手に取り上げました。

かつきりした肩の張り、肩から胴へかけての照り、ふつくりした全体の肉もち、畳付の静かさ。――忠興の眼は、そんなものを貪るやうに味はつて、愉悦の飽満にこらへきれないやうでした。小壺に酔つたらしい、ほれぼれした主君の様子を、不思議さうに見まもつてゐる側近い人たちのなかで、一番驚いたのは松井佐渡守でした。自分が手にしたときには、見すぼらしい平凡な土器に過ぎなかつたものが、今主君の掌面に載せられてゐるのを見ると、うつとりと珠玉のやうに底光りを放つてゐます……

「天下一の瀬戸とはこれぢや。小壺狩でおれがさがしあてたいと思つたのも、これよりほかにはないはずぢや。佐渡、喜平とやらの眼がね羨ましく思ふぞ」

忠興は小壺を下において、その畳付を味はふらしく、またひとしきり眺め廻してゐた。

「…………」

佐渡守は黙つてお辞儀をしました。この道具に対する自分の眼ききの不馴れから、こんな恥しい目を見なければならないのかと思ふと、物を言ふのが怖ろしくなつたのでした。

忠興は、かやうな名器を、山深い一軒茶屋から拾ひ出してきた喜平のほまれを思ふと、それが羨ましくなりました。自分がその道の巧者と家来の幾人かを使つて、大袈裟に国中を狩りつくしても、なほ見ることができなかつたものを、喜平は自分の眼ひとつで安々と捜さぐり出してゐる。それは悪戯いたづら好きな運命が喜平をそこに連れ出したにもよることだが、いくら運命の連れ出しがあつたところで、喜平にそれを掴むだけの力がなかつたなら、どうすることもできなかつたはずである。よし佐渡守が言つたやうに、喜平にそんな力はない、ほんのまぐれ当りに当つたに過ぎないにしても、山深い一軒茶屋からこんな名器を見つけ出して、それと一緒に、後の世までも名を謳うたはれるといふのは、特別に運命に恵まれた男といつて差支へないはずである。利休七哲の随一人として、三十七万石の小倉城主として、自分はただこの名器の肩の張り、胴の照りといつたやうなものを見て味はふ、いはゆる観賞家の一人として踏み止まらなければならないのに比べて、喜平はこの名器の唯一の発見者である誉れをほしいままにしてゐる。そんなことが忍び得られるだらうか。

「仲間風情にしてやられて……」

さう思ふと、忠興は嫉妬に似た気持を抱かずにはゐられませんでした。

「殿には、いかうお気に召しました御様子、わたくし持ちましては冥加にあまる品、この小壺はこのまま御納戸に留めおかれますやうに」

さき方から忠興の様子をぢつと見てゐた佐渡守は口を出しました。

「いや、ならぬ。小壺はやはりそちの手許で秘蔵すべきものぢや」

忠興はうろたへ気味に、小壺に吸ひ付けられた二つの眼を引きちぎるやうに離して、並みゐる人たちのはうを見かへりました。その眼のうちには、憎悪と渇仰と嫉妬と愛着との焔が、ごつちやになつて痛々しさうに燃えてゐました。

四

その後間もなく、松井佐渡守は老死しました。瀬戸の小壺は遺言によつて、相続人の手から細川家に献上せられました。

「たうとうやつて参つたな」

忠興は前々から、こんな日が到来するのを予知してゐたかのやうに言ひました。そして物に憑かれたやうな眼つきをして、二重箱のなかから小壺を取り出して見ました。その後、佐渡守が手塩にかけていたはり通しただけあつて、置形の味はひには、以前にも増して心をひかれました。

「やはり、天下一の瀬戸ぢや」

さう思ふと、忠興はその次の瞬間には、もう仲間喜平の名を思ひ出してゐました。忠興にとつて、これはまるで宿命的な聯想でありました。

忠興は、父幽斎以来自分の家に秘蔵してゐる、数多い茶入のいろいろを思ひ出してみました。そして頭の中で、さうした伝来の器とこの小壺とを並べて、名品比べをしてみました。秘蔵のものには、文琳も、肩衝も、瓢箪もありました。口作り、肩の張り、胴の照り、露先のおもしろみ。――さういつたやうな部分部分の味はひには、それぞれ他の及び難い美しさと誇りとを持つてゐましたが、壺そのものの全体から光のやうに放射してくる「品格の高さ」と「器のたましひ」とになると、とてもこれとは比べものにならないやうに思ひました。

さういふ秀れた名器が、あらためて家のものになつたのだと思ふと、忠興は充分の満足を味はひました。しかし、広い世界に二人とはないはずの、この名器の発見者が、自分ではなくて、賤しい仲間風情であるのを思ふのは、彼自身にとつても、また器にとつても、一種の恥辱であるやうに忠興には感じられました。この小壺が秀れてゐて、それを見ると、いつも頭が下る気持がするだけに、忠興は仲間喜平の汗じんだ埃だらけな掌面に、自分の額を押へつけられてゐるやうな苦痛をさへ感じ出しました。

五

「もしや、おれの眼が低くて、鑑定めききが誤つてゐるのではあるまいか……」

忠興はふとこんなことを思ひ出しました。亡くなつた松井佐渡の口からは、仲間喜平とやらは、茶道のはうには何の心得もない、無知なもののやうに聞いてゐた。そんな心得のないものが、ふとした機会で拾つてきたものを、自分が一目見て、

「天下一の瀬戸ぢや」

と口を極めて賞め立てたとしてみると、今日まで茶道の巧者として、自らも他人も許してゐたものの眼が、無知なもののそれと偶然一致したといふよりも、ことによると、その巧者として許されてゐたものが、案外道の入り立ちが浅く、眠が低かつたせゐだつたかも知れない。――と忠興は思ひました。さう思ふと、彼はわが眼に自信が持てなくなりました。

「一度古田織部おりべに見せるとしよう。あの男は将軍家の師範役だから……」

忠興はかう思ひきめました。そして織部の一言で、自分の眼が低いか高いかがきまるのだ。高いときまつた場合には、自分は今まで通りわが眼に自信を持つことができるが、仲間喜平の名前は、いつまでも悪夢のやうに自分につきまとふに相違ない。もしまた低いときまつた場合には、自分は喜平の悪夢から遁れることはできるが、その代り名器と自信とを両ふたつとも失ふのだ。と思ふにつけて、忠興は悲壮な気特に身うちのひきしまる感じを味はひました。

六

古田織部は、つくづくと見入つてゐた眼を、木の枝から果物をもぐ折のやうに、労いたはりながらそつと茶入からひき離しました。

「これこそ、真実天下一の瀬戸と拝見いたした。稀代の名器、随分珍重なされたがよろしからうと存じます」

織部は、いかにも感に堪へたやうに言ひました。

それを聞くと、忠興はほつとして、自分の眼に間違ひはなかつたなと思ひました。それと同時に、またしても仲間喜平の名が、鉛のやうな重さをもつて、心の上にのしかかつてくるのを覚えました。しばらくして織部はまた言ひました。

「……随分珍重なされたがよろしからうとは存じますが、御当家ほどの御家で、瀬戸のみの珍重もいかがなれば、この上に唐物からものの名物をお求めあつて、その唐物以上に珍重なされてしかるべく存じます」

唐物の名物――この一語を聞くと、忠興の胸は、急に日光がさしたやうにぱつと明るくなりました。

「さうぢや。唐物の名物をもとめよう。さうして思ふさまこの瀬戸を抑へつけることぢや」

忠興の心は、勝利の予期をもつて、雀のやうに小躍りしました。

忠興は、間もなく古田織部の手を経て、黄金二千枚を払つて、唐物の名物「生高せいたか」といふ茶入を手に入れました。そしてやつと仲間喜平の名前の重みから免かれることができました。

〔昭和2年刊『猫の微笑』〕

底本 / Source edition

底本:「泣菫随筆」冨山房百科文庫43、冨山房
1993(平成5)年4月24日第1刷発行
1994(平成6)年7月20日第2刷発行
入力:林 幸雄
校正:門田裕志
2003年3月24日作成
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プレーンテキスト / Plain text
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書誌 / Bibliography
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薄田 泣菫「小壺狩」(新字旧仮名)、底本『泣菫随筆』冨山房百科文庫43、冨山房、1993年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 004352_000150, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

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