若い息子

は、革命は<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">不可避である</span>という自由主義的インテリゲンツィアの認識を基本としているものである。

「若い息子」について。

○ボグダーノフのみが彼の主観的観念論によって、過去の遺産をプロレタリア文化建設から排撃したのである。

○「歴史過程の合則性」を新カント派の連中は宿命論　運命論にまで歪めている。――不可避論において。――自由主義的インテリゲンツィアが<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">革命を不可避</span>と認める心持の中には多分にこの新カント派の影響がある。

（だから歴史の合則性によって、放っておいても社会は変革すると新カント派は云うが）「歴史過程の合則性は社会的実践を通じて　自分に目的を課し、且つこの目的を実現する人の動作を通じて実現されるのである。」

これを自由主義的インテリゲンツィアは認めないから、観念においての進歩主義は実践における反動とあらわれる。（反動をケイベツしつつ、左が援助を求めると、ことわる実例）

○「イディオロギーは物質的利害や階級闘争とは独立に発展する」p\.102ベルンシュタインはこういう。そして、インテリゲンツィアも「わかってはいるのさ、今時それぐらいのことの分らぬ奴があるか」という。だがこの分りかたは、観念論者ボグダーノフ流に「実践とは意識を組織することである」となるか、さもなければ p\.102「資本主義体系の衰滅は、労働者階級の意思の意識的仕事でなければならぬ」というヒルファーディングの言葉どおり　自分ら中間勤労者をも含む資本主義体系の内的法則から起るものであるという現実を後方に押しやり、その現実が必然に課する歴史的任務を自分の前から押しのけようとするのである。

――○――

野上彌生子の進歩性の中には多分に「『意欲の合則性』の実現の程度に応じて、人間は地球の創造者となりその改造者となる　より全般的になればなるほど合理的社会生活が営まれる」というアドラー流の考えがある。p\.103