海辺の五時

夕暮が　静かに迫る海辺の　五時

白木の　質素な窓わくが

室内に燦く電燈と

かわたれの銀色に隈どられて

不思議にも繊細な直線に見える。

黝みそめた若松の梢に

ひそやかな濤のとどろきが通いもしよう。

午後五時

いまだ淡雪の消えかねた砂丘の此方

部屋を借りる私の窓辺には

錯綜する夜と昼との影の裡に

伊太利亜焼の花壺

タランテラを打つ古代女神模様の上に

伝説のナーシサスは

純白の花弁を西風にそよがせ

ほのかに　わが幻想を誘う。

新らしい私の部屋

新らしい六畳の小部屋

わたしの部屋

正面には

清らかな硝子の出窓をこえて初春の陽に揺れる

松の梢や、小さな鑓飾りをつけた赤屋根の斜面が見える。

左手には、一間の廊下。

朝日をうけ、軽らかな息を吸いつつ

此処に立って髪を結ぶ<ruby><rb>私</rb><rt>わたくし</rt></ruby>の嬉しさ。

机に居ても　空は見え

畳に座しても

大どかな海の円みと

砂のかおりが

頬のあたりに　そっと忍びよって来る

ああ、

新しい部屋のうち

新らしい人生へのときめきを覚えて

見えない神に笑みかける私の悦びを

誰に伝えよう。

夜の来た硝子の窓には

背に燈火を負う私の姿が

万年筆の金冠のみを燦然と閃かせ

未生の夢に包まれたように

くろく　静かに　写って居る。

＊

ああ、海！　海‼

広い懐の大海

お前の際限ない胸を張れ！

濤をあげよ。

そして、息をのむ大洪水の瞬下に

此あわれに　早老な女の心を溺れ死なせ。

波頭に　白く　まろく、また<ruby><rb>果</rb><rt>は</rt></ruby>かなく

少女時代の夢のように泡立つ泡沫は

新たに甦る私の前歯とはならないか。

打ちよせ　打ち返し轟く永遠の動きは

鈍痲し易い人間の、脳細胞を作りなおすまいか。

幸運のアフロディテ

水沫から生れたアフロディテ！

自ら生得の痴愚にあき

人生の疲れを予感した末世の女人には

お身の歓びは　分ち与えられないのだろうか

真珠母の船にのり

アポロンの前駆で

生を

双手に迎えた

幸運のアフロディテ

＊

ああ、劇しい嵐。よい<ruby><rb>暴風</rb><rt>あらし</rt></ruby>。雨

春と冬との変りめ

生暖い二月の天地を濡し吹きまくる颱風。

戸外に雨は車軸をながし

海から荒れ狂う風は鳴れど

<ruby><rb>私</rb><rt>わたくし</rt></ruby>の小さい六畳の中は

そよりともせず。

温室の窓のように

若々しく汗をかいた硝子戸の此方には

ほのかに満開の薫香をちらすナーシサス

耳ざわりな人声は途絶え

きおい高まったわが心と

たくましい大自然の息ぶきばかりが

丸き我肉体の内外を包むのだ。

ああ　よき暴風雨

穢れなき動乱。

雨よ

豊かに降り濺いで

長い日でりに乾いた土壤を潤せ。

嵐よ

仮借なく吹き捲って

徒らな瑣事と饒舌に曇った私の頭脳を冷せ。

春三月　発芽を待つ草木と

二十五歳、運命の隠密な歩調を知ろうとする<ruby><rb>私</rb><rt>わたくし</rt></ruby>とは

双手を開き

空を仰いで

意味ある天の養液を

四肢　心身に　普く浴びようとするのだ。

二月十六日

（大暴風雨の日）

春の日影　Feb\. 23rd\.

巨大な砂時計の

玻璃の漏斗から

刻々をきざむ微かな砂粒が落るにつれ

我工房の縁の辺ゆるやかに

春の日かげが廻って来る。

ささやかな紙の障子は

ゆるがぬ日に

耀き渡り

マジョリカの小壺に差した三月の花

白いナーシサス、薄藤色の桜草は

やや疲れ

仄かに花脈をうき立たせ乍らも

心を蕩す優しさで薫りを撒く。

此深い白昼の沈黙と

溢れる<ruby><rb>光明</rb><rt>ひかり</rt></ruby>の裡に座して

<ruby><rb>私</rb><rt>わたくし</rt></ruby>、未熟なる一人の artist は何を描こう。

空想は重く、思惟は萎えて

ただ　<ruby><rb>只管</rb><rt>ひたすら</rt></ruby>のアンティシペーションが

内へ　内へ

肉芽を養う胚乳の溶解のように

融け入るのだ。

Ｌ、Ｆ、Ｈ

子供らしい真剣で

白紙の上に

私は貴方の名と

自分の名とを書きました。

細い桃色鉛筆で

奇怪な分数を約すように

同じ文字を消して行く

ＲとＲ、ＵとＵ、ＫとＫと。

残った綴字はいくつあるか

Ｌ、Ｆ、Ｈ、ＬＦＨ……

ああ　私はＨ、Ｈ！　何と云う暗合

内心に深く沈み込んだ私の批難が

此処に現れ出ようとは。

貴方に対する無言の厭悪が

稚いこの遊戯の面に現れ出るとは！

Ｌ、Ｆ、Ｈ、ＬＦＨ、

数えなおし、私は笑を失った。

かりそめのたわむれとは云え

何と云うことか。

私は　笑を失った。