Soranoha

あとがき(『宮本百合子選集』第六巻)

あとがき(『みやもとゆりこせんしゅう』だいろっかん)

宮本 百合子

「伸子」は一九二四年より一九二六年の間に執筆され、六七十枚から百枚ぐらいずつに章をくぎって、それぞれの題のもとに二三ヵ月おきに雑誌『改造』に発表された。たとえば、第一の部分「揺れる樹々」につづいて「聴きわけられぬ跫音」そのほか「崖の上」「白霧」「蘇芳の花」「苔」などという小題をもって。

当時日本にはもう初期の無産階級運動が盛であったし、無産階級の芸術運動もおこっていた。解放運動の全線にわたって、アナーキズムとコンムニズムとの区別が明確にされていない時代であった。プロレタリアートが、歴史の推進力となる階級であることは主張されていたが、進歩的な小市民・インテリゲンツィアが革命の道ゆきにどのような位置と使命とをもっているかということについて、まだ科学的な判断が生活と文学との具体的なありかたではっきりさせられていない時期であった。無産者芸術運動、その文学の分野では、自然発生的に宮嶋資夫、葉山嘉樹、前田河広一郎、江口渙その他の無産階級出身の小説家の作品が登場し、芸術理論の面では、平林初之輔、青野季吉、蔵原惟人等によってブルジョア文芸批評の主観的な印象批評に対して、文学作品のより客観的科学的な批評の必要が提唱されていた時代であった。また文学作品の評価のよりどころとしての社会性の課題がとりあげられ「調べた作品」の要望もおこっていた。当時、無産派の文学としてあらわれていた作品は、どれもそれぞれの作者の生活より自然発生的にその貧につき、社会悪と資本家への憎悪などが描かれたもので、つきつめてみればそれがこれまでのような富裕な階級に生きる文士の身辺小説でないという違いをもっただけのものが多かった。その「印象のつづり合わせ」や「単なる興奮と感傷」に満足しないで、労働階級は生産機関を握り、社会の運転を担当している階級なのだから、ブルジョア文学者のうかがい知ることの出来ない生産と労働と搾取との世界を解剖し、描写すべきであると主張された。

プロレタリア文学運動が、端緒的であった自身の文学理論を一歩一歩と前進させながら、作品活動も旺盛に行っているのに対して、ブルジョア文学は、そのころから不可抗に創造力の衰退と発展性の喪失をしめしだした。日本資本主義高揚期であった明治末及び大正時代に活動しはじめた永井荷風、志賀直哉、芥川龍之介、菊池寛、谷崎潤一郎その他の作家たちは、丁度それぞれの段階での活動期を終ったときだった。これらの作家たちは無産階級運動とその芸術運動の擡頭しはじめた日本の新しい社会と文学の動揺のなかに、各自の発展の道を求めなければならなかったのであったが、これらの人々がこんにち自身をおいている状態からみても一目瞭然であるとおり、誰もが自身の既成文壇においての地位を肯定し、個人的な才能に未来の打開をたのんだ。無産階級の芸術運動と旧文壇とは互にゆずることのない粘りづよさで対立した。

真実の発展を自分たちに向って拒みつつあるブルジョア文学のひこばえとしてこの時期に発生したのが、横光利一その他の人々の新感覚派のグループであった。それぞれの権威で文壇を封鎖している旧いブルジョア文学にはあき足らず、さりとて無産階級の文学運動に対しては自分たちの属している社会層の小市民風な生活感情から共感がもてず、どちらに向っても抵抗しながらドイツの表現派の手法を模して漠然と新しい生活と芸術の感覚を主張して、自身の存在意義を見出してゆこうとしたのがこの新感覚派であった。

その時代に「伸子」の作者は、所謂文壇からもはなれていたし、新感覚派からも遠く、無産階級文学運動については、作品をよんでいるだけで、理論的な問題は何ひとつ理解していなかった。足かけ三年作者はひたすら「伸子」に没頭した。人間らしい生活の多様さや発展、生きている甲斐が感じられるような人生をもとめて結婚した一人の若い女が、あいてと自分との結婚生活の現実に見出したものは、無目的で、エゴイスティックな理想のない日々の平安への希望だけであった。流れ動き生成する男女の結合こそ愛とよばれるべきものだと信じている一人の生活的な女にとって、当時の日本の通念であった家庭の平和の観念や、夫婦愛家庭愛における女の無主張の立場は恐怖を与えた。結婚にからむ親たちとの相剋も非条理に思えた。二十歳の女の人生をその習慣や偏見のために封鎖しがちな中流的環境から脱出するつもりで行った結婚から、伸子は再度の脱出をしなければならなかった。世間のしきたりから云えば十分にわがままに暮しているはずの伸子がなぜその上そのように身もだえし、泣き、そこは自分の生きられるところでないと苦しむのか、ほとんど諒解に苦しんでいるあいてを伸子として避けられない容赦なさで傷けながら、その人をそのように苦しめているという意識で自分もますます逆上しながら。――

作者は、この社会に階級の存在するという事実や、自分が生れてそこに育った中産階級というものの歴史的な本質について当時は知っていなかった。したがって、「伸子」は、階級的意識によって分析批判されていない。けれども、こんにち日本がやっと人民の権利という文字をその中にふくんだ憲法をもつようになり、男女の人間的な対等が理解されて来たとき、四分の一世紀も前にかかれた「伸子」がこれまでになく広汎な各層の読者によまれているという事実は何を語っているだろう。「伸子」のテーマが今日の日本の若い女性の全生活においてまだ解決されつくしていない社会的な課題であることが告げられているのではなかろうか、結婚や家庭の本質について伸子のもった疑問、親子・夫婦の繋りを重く苦しいものにする様々の考えかたから互に解かれようとする意欲。人間同士の愛とか理解とか呼ばれるものはどういうものなのだろうかという伸子の問いかけさえ、今日の日本はまだそれを社会的な生活条件によって基礎づけ解決していない。日本の社会と意識の隅々にまではびこっている半ば封建のかげは、そのように濃い。日本のすべての女性が民主的な市民としての生活にたつ条件は、まだ決して多く加えられていないという実際がうかがえるのである。

「伸子」が一巻の長篇小説として経て来ためぐりあわせにはなかなか意味ふかいものがある。「伸子」が完成して、出版準備も終った一九二七年の日本で、「伸子」は一つの文学的現象にしかすぎず、或る程度まで評価された一つの文学的業績にとどまった。そして、そのように評価したのは、所謂旧文壇であり文学愛好者のせまい輪であったことは興味がある。中産階級やインテリゲンツィアの革命性とその価値について十分把握していなかった当時のプロレタリア文学の側は、「伸子」を全く無視していたように思われる。ひとくちに云えば、作者は無産階級の作家ではなかったから。まじめな「伸子」の批判も見なかったし、作者のもっていた積極性の本質やその限界についての分析も与えられなかった。そのころのプロレタリア文学運動のおかれていた未熟でやや機械的だった文学の階級的基盤の解釈なりに、プロレタリア文学もやっぱり「伸子」を文学のらち内での現象としてしか見ていなかったことがわかる。

最近二三年このかた、「伸子」ははじめて読者の人生そのものによって、生活そのものによって読まれはじめた。この重大な変化に気づいたとき、作者たるわたしは感動を制することがむずかしかった。「伸子」は、とうとう作者がそれを書かずにいられなかった心持そのものにおいて同感され読まれ批評されるときが来たのだ。「伸子」は、「文学」から人々の生活そのもののなかに解きはなされた。そして、この一つの事実は、作者に日本文学に一つの重大な転機が来ていることを告げるのだった。すなわち、「伸子」に反映しているこの現象は、どんな権力も否定することのできない事実をもって、今日の人民的可能性の高まりと、生活意欲の覚醒とを語っている。二十数年前には少数の女性にだけ意識された問題が、こんにちでは大多数の若い女性にとって実感のそそられる社会的な現実問題としてうけとられている。

この事実の上にこそ、民主的な文学のゆるがすことのできない歴史的必然のよりどころがある。久しい間、現代文学の課題となって来た「私小説」からの脱却、伝統的な主情性の克服の可能も、文学が人民のリアリスティックな発展の可能性とそのための多種多様な行為とともにあってはじめて見出されるのである、と。この場合、国際的なプロレタリア文学運動が、二十世紀の世界文学の一発展としてもたらした文学の社会性、階級性についての諸観点、および作品の芸術的実感と歴史に対する客観的認識力との微妙な生きた関係の探求などは、民主的な文学の精髄をなす。なぜなら民主的な芸術感覚はそのものにおいて、進歩的な人々の生活感覚全体が保守の精神に生きるもののそれとはまるでちがったものであるとおりに、旧い文学感情とはちがうのであるから。

歴史はその仮借なさで「伸子」を永年にわたって変化させ、前進させた。「二つの庭」「道標」及びこれからかきつづけられてゆくいくつかの続篇をとおして、「伸子」のうちに稚くひびいている主題は追求され展開されてゆくであろう。

伸子一人の問題としてではなく、この四分の一世紀間に、日本の進歩的な精神が当面しなければならなかった多難な歴史の課題にふれながら。「伸子」と「二つの庭」との間に二十数年がけみされた事情の一つは、作者の成長のひまのかかったテムポである。もう一つは、日本には丁度二十二年間治安維持法というものがあったという事実による。

「伸子」は当時のすべての作家の作品がそうであったように、漢字が多くつかわれ、漢字にはふりがな(ルビ)をつけて印刷された。現代の読者にとってそれは不必要な重荷であるから、この選集に収録するにあたって、漢字をだいぶ仮名になおした。文章そのものはもとのままである。

一九四八年九月

〔一九四八年十二月〕

底本 / Source edition

底本:「宮本百合子全集 第十八巻」新日本出版社
1981(昭和56)年5月30日初版発行
1986(昭和61)年3月20日第2版第1刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第十五巻」河出書房
1953(昭和28)年1月発行
初出:「宮本百合子選集 第六巻」安芸書房
1948(昭和23)年12月発行
入力:柴田卓治
校正:磐余彦
2004年2月15日作成
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宮本 百合子「あとがき(『宮本百合子選集』第六巻)」(新字新仮名)、底本『宮本百合子全集 第十八巻』新日本出版社、1981年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 004131_000311, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

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