Soranoha

まえがき(『真実に生きた女性たち』)

まえがき(『しんじつにいきたじょせいたち』)

宮本 百合子

ここに、四人の婦人の物語がある。何年も前に書かれたこれらの物語をきょう、くりかえし読んでみて、深く深く心を動かされることは、人間社会の歴史は、何とたゆむことなく前進しているであろうか、ということである。そして、生活は、何と堂々たる偽り得ないものであろうか、ということである。四人の女性の一人一人の生きた姿は、歴史の鏡となって、私たちに偉大であった十九世紀と、更に経験によって聰明になろうとしている現世紀の意味とを感じさせる。どんなにすぐれた個性も、人類社会の歴史の進行の枠からとび出して生きることはあり得ない。しかし、優秀な個性と云うほどの資質は、いつも最も素直に、力いっぱいに歴史のそよぎに反応していて、たとえばフロレンスやマリアの様に、その矛盾と分裂とにおいてさえ、なお次の時代にとって無意義ではあり得ない何かの価値を、歴史のうちにもたらしているのである。彼女たちは、歴史によって生み出された。けれども、明日の歴史をつくってゆく新しい力のいくらかは、疑いなくその彼女たちによって生まれているのである。

みんなが歴史の中に生きている。けれども川の流れに浮んだ一本の藁しべのように、ただ押し流され、吹きよせられ、偶然つづきのうちに生涯を終ってしまいたいと思っている人が、ただの一人だってあるだろうか。

キュリー夫人やコルヴィッツは、ある時代の歴史の中で、特にきわだった個性である。然し、キュリー夫人の活動が可能となる様に、歴史の条件が備わって来る迄には長い人間業績の集積がなければならなかった。世界の物理学が原子の問題をとりあげ得る段階に迄到達していたからこそ、ポーランドの精励なる科学女学生の手はピエール・キュリーの創見と結び合わされ、彼女の手もラジウムの名誉ある火傷のあとをもつようになった。愛は架空にはない。原子が、人間の幸福のために支配されるまで、何万人の科学者たちが、その勤勉な真面目な生涯をこの科学の新分野の探求のために費しただろう。その科学者たちの忠実な妻。その科学研究室の薄給で酬われる名の名声もない、しかし決して彼女らなしに科学が前進しなかった多くの婦人助手たち。キュリー夫人に尊敬と愛とが向けられるのは、これらの婦人たちの一生から彼女が全くかけはなれた「天才」であるからではない。キュリー夫人は、何万人かの科学に献身した彼及び彼女の中のほんとうの一人の代表であるからこそ、彼等の辛苦の典型であるからこそ、彼女の存在には意味があるのである。

ケーテ・コルヴィッツの絵画の価値にしても、そうであると思う。彼女が、もしプレーゲル河の河港に働く正直な人々の生活に何の同感ももち得ない娘であったならば、どこに後年の親愛な畏敬すべきケーテが存在したろう。何の動機で、心のすがすがしい若い医師カール・コルヴィッツと結婚出来たろう。彼女は画家たる前に、先ず正直な勤労で社会に生きてゆく人々の群の一員であった。自分の手にはレース手套をはめて、通りがかる野暮なスカートの女の節高い指を軽蔑して眺めるたちの婦人ではなかった。そのことこそ、彼女の芸術上のいのちとなった。あんなに時代おくれの貴族生活の雰囲気の中で矛盾だらけの苦しみの中から生きようとしてもがき通した可憐なマリア・バシュキルツェフにしても、たった一枚彼女の生涯の記念としてのこされている「出あい」は、ほんのありふれた、どの街角にもある壊れた板塀や、その前で子供らしく円まっちくて曲った脚をして指をくわえている一年生たちの姿を生かしたものではないか。マリア・バシュキルツェフの日記の面白さは、一つの特徴ある個性が境遇の封鎖を破って、どうにかして人間らしく人間の中に生きようとした、その真摯な格闘にあるのである。

或る場合一冊の伝記は数冊の小説よりも人の心をうつ。それは何故であろうか。絶えず自分たちの人生について無感覚でいられないすべての人は、昨日という再びかえらない日をうしろにしながら、明日に向って生きている。その時間の道ゆきを、自分ではない人々はどんな力量をふるって内容づけて行ったか。そこに尽きない同感と批判とが誘い出されるのである。伝記は、自分と自分の生きている歴史の関係をよりはっきりと見出すためによまれる。明日の価値をうみ出すためによまれる。昨日のために読まれるものではない。少くとも、私はそう信じている。そして、又何かの機会に、もっといろいろの分野の、いろいろの活動をした世界の婦人たちの短かい物語を書いてみたいと思っている。

〔一九四六年十月〕

底本 / Source edition

底本:「宮本百合子全集 第十八巻」新日本出版社
1981(昭和56)年5月30日初版発行
1986(昭和61)年3月20日第2版第1刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第十五巻」河出書房
1953(昭和28)年1月発行
初出:「真実に生きた女性たち」創生社
1946(昭和21)年10月発行
入力:柴田卓治
校正:磐余彦
2004年2月15日作成
青空文庫作成ファイル:
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書誌 / Bibliography
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宮本 百合子「まえがき(『真実に生きた女性たち』)」(新字新仮名)、底本『宮本百合子全集 第十八巻』新日本出版社、1981年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 004118_000311, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

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