修身は、子供の全生活からうける生活感情の整理ですから、大人の生活にまず修身し、人間的理解の確立がいると思います。
現代の非理的な現実理解(国際情勢をこめて)に人民たる大人の疑問が積極的に表現されなければ修身はなりたちますまい。
〔一九五一年二月〕
「しゅうしんはふっこうすべきでしょうか」にこたえて
宮本 百合子
修身は、子供の全生活からうける生活感情の整理ですから、大人の生活にまず修身し、人間的理解の確立がいると思います。
現代の非理的な現実理解(国際情勢をこめて)に人民たる大人の疑問が積極的に表現されなければ修身はなりたちますまい。
〔一九五一年二月〕
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913b24012e1626b47bebf5a14fd31773728229efdb088f1ceb934717c1ac800c宮本 百合子「「修身は復興すべきでしょうか」に答えて」(新字新仮名)、底本『宮本百合子全集 第十七巻』新日本出版社、1981年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 004053_000311, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079