Soranoha

旭川から

あさひかわから

宮本 百合子

十何年か前、友達が或る婦人団体の機関誌の編輯をしていたことがあった。一種の愛国団体で、その機関誌も至極安心した編集ぶりを伝統としていたのであったが、あるとき、その雑誌に一篇の童話が載った。そんな雑誌としては珍らしい何かの味をもった小篇でその作者の小熊秀雄というひとの名が私の記憶にとどまった。北海道から送られて来る原稿ということも知った。

つづけて二三篇童話がのって、次ぎの春時分の或る日突然その小熊秀雄というひとが家へ訪ねて来た。その雑誌の編輯をしていた友達と私とは、小石川の老松町に暮していたのであった。

小熊さんはそのとき北海道の旭川であったか、これまでつとめていた新聞をやめて上京して来たわけであった。やっぱり特徴のある髪の毛と細面な顔だちで、和服に袴の姿であった。そして漂然としたような話しぶりの裡に、敏感に自分の動きを相手との間から感じとってゆこうとする特色も初対面の印象に刻まれた。丁度どこかへ出かけるときで、小熊さんも一緒に程なく家を出た。

それから何年経っただろう。次ぎに小熊さんに会ったのは一九三一年ごろで、小熊秀雄さんを、小説の部門に私を包括して、その文学の歴史の波が再び互を近づけたのであった。

諷刺詩人としての小熊秀雄氏が、その時代には成長の道程にあった。童話にあらわれていた味は、生活的な成長から諷刺に転じて、小熊さんの鋭い反応性と或る正義感と芸術的野望とは、諷刺詩を領野として活躍しはじめた。

技術的に諷刺的表現の或る自由さを身につけた頃、小熊さんや私の属していた文学の団体は解かれて、その前後の時代的な社会と文学との波瀾の間で小熊さんの諷刺性は、周囲の刺激に対して鋭く反応せずにいられない特性とともに、何処となく諷刺一般におちいった傾が現れたと思う。対象の含んでいる種々の複雑な価値についてよく考え理解した上で、そこに諷刺のおさえがたい横溢を表現してゆくという製作の態度よりは、寧ろ小熊秀雄の才分の面白さ、という周囲の評価の自覚において諷刺の対象への芸術家としての歴史的な責任という点は些かかるく扱われた。

この時代、小熊氏の活躍は量的に旺盛であったろうけれども、おのずから自身の生活も現実への無評価ということからアナーキスティックな色調を帯びざるを得なかったと思われる。

最後に近い年に到って、小熊さんは自身の言葉の才への興じかたも落ちついて来たのではなかったろうか。

最後に会ったのは、壺井栄さんの『暦』の出版のおよろこびの集りの時であった。短い間であったが心持よく世間話をした。そのときの小熊さんは、特徴ある髪も顔立ちも昔のままながら、相手と自分との間の空気から自分の動きを感じとろうとしてゆくような傾きがなくて、自分の見たこと、感じたこと、したことを、簡明にそれとして話していた。それは私に小熊さんとしての珍しさと心持よさとを与えたのであった。

芸術家の生涯が、これからこそと、思うような時急に閉じられることが余り屡々であると思う。何故与えられている生命の時間がもう短くなったとき、芸術家たちは其とは知らず一段と新しい境地の敷居に立った姿を示すのであろうか。

〔一九四一年一月〕

底本 / Source edition

底本:「宮本百合子全集 第十七巻」新日本出版社
1981(昭和56)年3月20日初版発行
1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
初出:「法政大学新聞」
1941(昭和16)年1月20日号
入力:柴田卓治
校正:磐余彦
2003年9月15日作成
青空文庫作成ファイル:
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書誌 / Bibliography
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宮本 百合子「旭川から──小熊秀雄氏の印象」(新字新仮名)、底本『宮本百合子全集 第十七巻』新日本出版社、1981年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 003982_000311, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

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