Soranoha

十四日祭の夜

カトルーズのよる

宮本 百合子

七月も一日二日で十日になる。今年も暑気はきびしいように思われる。年々のいろいろな七月、いろいろなあつさを思いかえすうち、不図明るい一つの絵提灯のような色合いでパリの七月十四日の夜が記憶に甦って来た。

一七八九年の七月十四日、フランスの人々は現代に到る自分たちの社会を持つようになった。その国民的な祝祭が十四日祭カトルーズに毎年行われる。

映画の「巴里の屋根の下」に撮されているようなごろた石を鋪道にしたような裏通りまで、カフェーの前あたりはもとより往来のあっちからこっち側へと一列ながら花電球も吊るされ、青い葉を飾った音楽師の台が一つの通りに一つはつくられて、街という街は踊る男女の群集で溢れる。

外国人のためにもこの祭りの日と夜とを一きわ華やかにしつらえている贅沢な並木道通りからはずれ、暗いガードそばという場末街の祭の光景は、その片かげに大パリの現実的な濃い闇を添えているだけに、音楽も踊る群集も哄笑も、青や赤の色電燈の下で、実に強烈な感銘を与える。

軋むような、しかも陶酔して弾かれているような旋律の細かく高いヴァイオリンの音につつみこまれた感じで、夜の一時頃ヴォージラールのホテルへ帰って来た。いつもは十二時過ると扉ドアもおとなしく片開きにしてある入口が、今夜はさあっと開いたままで、煌々と燈火のついた広間に人影もない。一階二階と正面階段をゆっくりのぼってゆくと、何処にも人影はないのに燈火は廊下毎に明るく惜しげない光の波の端から端までを照らしている。祭の夜にひっ攫われたような荒っぽさと寥さびしさがホテルの建物じゅうに満ちているところを追々のぼって五階の廊下へ出たら、ここの廊下も同じく隈ない明るさにしーんとしずまって、人気もない沢山のドアの前へ、どこの洒落もののいたずらか、男と女との靴が、一組一組、みんなちんばに、てんでばらばらな途方もない片方ずつによせあつめて散らかされている。ドアの内がひっそりとしているだけに、華奢な女靴と男靴とのごちゃまぜは何ともいえない諧謔があって、悪意なくこみ上げて来る笑いをおさえることが出来ない。六階はどうだろうと物ずき心を動かされ、すこし急いでのぼって見たら、やっぱり! ここにも同じことが起っている。それだのに、何処をさがしたって、廊下じゅう人っ子一人姿は見えず、自分の部屋のドアの前に立ってゆっくり鍵でそこをあけて入ったら、夏のほてりがいくらかこもりながらも涼しい風が暗い室へ入って来る。ヴェランダの彼方の祭の夜空にエッフェル塔のシトロエンの広告が、この高さでまた新しく甦って来る音楽やどよめきの上に、6シリンダア6シリンダアと機械的な明滅をつづけていた。

〔一九三九年九月〕

底本 / Source edition

底本:「宮本百合子全集 第十七巻」新日本出版社
1981(昭和56)年3月20日初版発行
1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第十五巻」河出書房
1953(昭和28)年1月発行
初出:「モダン日本」
1939(昭和14)年9月号
入力:柴田卓治
校正:磐余彦
2003年9月15日作成
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書誌 / Bibliography
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宮本 百合子「十四日祭の夜」(新字新仮名)、底本『宮本百合子全集 第十七巻』新日本出版社、1981年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 003954_000311, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

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