Soranoha

からたち

からたち

宮本 百合子

その時分に、まだ菊人形があったのかどうか覚えていないが、狭くって急な団子坂をのぼって右へ曲るとすぐ、路の片側はずっと須藤さんの杉林であった。古い杉の樹が奥暗く茂っていて、夜は五位鷺の声が界隈の闇を劈いた。夏は、その下草の間で耳を聾するばかりガチャガチャが鳴いた。

杉林の隣りに細い家並があって、そこをぬける小路の先は、又広々とした空地であった。何でも松平さんの持地だそうであったが、こちらの方は、からりとした枯草が冬日に照らされて、梅がちらほら咲いている廃園の風情が通りすがりにも一寸そこへ入って陽の匂う草の上に坐って見たい気持をおこさせた。

杉林や空地はどれも路の右側を占めていて、左側には、団子坂よりの人力宿からはじまって、産婆のかんばんのかかった家などこまごまと通って、私たちが育った家から奥の動坂よりには、何軒も代々の植木屋があった。

うちの前も善ちゃんという男の子のいる植木屋で、入口に皁莢さいかちの大木が一本あった。風のきつい日に、皁莢の実が梢の高いところでなる音をきいたりした。竹垣が低くその下をめぐっていて、赤い細い虫の湧くおはぐろどぶがあった。うちの垣根は表も裏もからたちの生垣で、季節が来ると青い新芽がふき、白い花もついた。

裏通りは藤堂さんの森をめぐって、細い通が通っており、その道を歩けばからたちの生垣越しに、畑のずいきや莓がよく見えた。だから莓の季節には、からたちの枝を押しわけて、子供が莓盗人に這いこんだりしたが、夜になれば淋しい淋しい道で、藤堂さんの森の梟がいつもないていた。

夏目漱石の家が、泥棒に入られたのは、千駄木時代のことだったと思う。あの頃、千駄木あたりは、一体よく泥棒がいたんだろうか。藤堂さんの森をめぐるくねくねした小路は、泥棒小路と呼ばれていた。当時一仕事した連中は、何かの便利から、大抵そのうねった路を抜けて、やっちゃばの方へ出たり、田端へ出たりしたものらしい。そういう技術的な専門通路が、からたち垣の一重外を通っているのであるから、自然、うちへも何度か顔を見せぬ君子が出没した。

私が六つぐらいだった或る夏の夜、蚊帳を吊って弟たち二人はとうにねかされ、私だけ母とその隣りの長四畳の部屋で、父のテーブルのところにいた。テーブルの上にはニッケルの浮模様のある丸いランプが明るく灯っていて、雨戸はすっかり開いていた。母は外国にいる父へやるために、細筆で、雁皮の綴じたのに手紙を書いている。私は眠いような、ランプが大変明るくていい気持のような工合でぼんやりテーブルに顎をのっけていたら、急に、高村さんの方で泥棒! 泥棒! と叫ぶ男の声がした。すぐ、バリバリと垣根のやぶれる音がした。母が突嗟とっさに立って、早く雨戸をおしめ、抑えつけた緊張した声で云うなり、戸袋のところへ走って行った。私は、戸袋から母がくり出す雨戸を出来るだけ早く馳けて押した。母は台所の方へ行って何か指図をしていたが、そのときのは、となりの家の門の植込のところで捕えられた。桑田さんの書生さんが、あやうく斬られかかったというような話を、こわさで息を弾ませつつ傍できいていた。

次のときは、もうそれから何年も経って、裏のからたち垣は忍返しのついたトタン塀になっていた。そのときは誰も知らず、しかも用箪笥が裏の茶の木の横までかつぎ出してあった。なかのものがその辺にとりちらされ、鼈甲のしんに珊瑚の入った花の簪が早朝の黒い土に落ちて、濡れていた。

一番終りのときは、弟二人が大きくなっていた。上の弟が夜あけに不図目をあけたら、足許の戸棚のところに何か黒いものが見えたので、何の気なしに起きかえったらそれは人間の姿で、懐に手を入れ一種威嚇の勢を示した。上の弟は、一言も発せず、そのまんま又仰向けに臥てしまった。

二番目の弟は学期試験で、一人早く起き出し、食事をする部屋のテーブルの電燈の下でノートを読んでいた。すると、正面に当る廊下の両開きになっている扉の片方が細めにすーと開いて、そこから誰かの眼が内をのぞいた。弟は、書生さんが起しに来てくれたと思った。帳面から顔をあげず、もう起きてるよ、と云って、読みつづけていた。暫くして上の弟が起きて来て、初めて先刻のぞいたのは泥棒の眼であったとわかったのであった。この下の弟は十年ばかり前、思想的な嵐の裡で自身の命を終った。

須藤さんの杉林は分譲地となって邸宅が並び、松平さんの空地は、九尺ばかりのコンクリート塀で囲われた。藤堂さんの森だったところは何軒も二階建の貸家が建ち並んでいる。表通りの小さい格子戸の家々の一画はとり払われて、ある大きい実業家の屋敷となっているが、三年前の二月ごろから表札が代って、姓だけを上の方にちょこんと馴れぬ筆蹟で書いたものが、太い石の門柱に出されている。

〔一九三九年六月〕

底本 / Source edition

底本:「宮本百合子全集 第十七巻」新日本出版社
1981(昭和56)年3月20日初版発行
1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第十五巻」河出書房
1953(昭和28)年1月発行
初出:「文芸春秋」
1939(昭和14)年6月号
入力:柴田卓治
校正:磐余彦
2003年9月15日作成
青空文庫作成ファイル:
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書誌 / Bibliography
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宮本 百合子「からたち」(新字新仮名)、底本『宮本百合子全集 第十七巻』新日本出版社、1981年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 003948_000311, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

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